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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

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ライヴ・コンサートのお知らせ

松峰綾音 ライヴ・コンサート・イベントのお知らせ
                     (2020. 2. 8 現在)
                                                               (通常のブログはこの下の記事から始まります)

              
  
   松峰綾音 月の庭
     『 月 光 微 韻 』
         シャンソンと朗読のひととき  Vol.8

    
<2020年 6 月>

   
 旧日本銀行京都支店、辰野金吾氏設計の重要文化財で、威風堂々とした趣の近代建築、「京都文化博物館別館ホール」でのコンサートです


     訳詞 歌 朗読 松峰綾音   ピアノ  坂下文野
     日時  2020年6月5日 (金) 開場17:30 開演18:00                  
     会場  京都文化博物館別館ホール             

京博1 京博2

  <2020年 7 月>

   コンサートツアー、初の横浜公演です。

      
訳詞 歌 朗読 松峰綾音     ピアノ  三浦高広
        日時  2020
7月5日(日)  開場13:30  開演14:00 
        会場  岩崎博物館 山手ゲーテ座ホール

     

岩崎博物館2

   お問合わせは、いずれも管理者のメール(ブログ左下)、または WEB のコンタクトからお願い致します。  

 詳細は、順次ブログにてお知らせして参ります。
 

 

 コンサート 2019年そして2020年へ(2019.12.19)
  『月光微韻』 横浜公演 (2020.2.9)
      

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『世界の片隅に』

 カット写真
    『世界の片隅に』
                 訳詞への思い<31>


 コロナウイルスの感染拡大は収まる気配もなく、更に世界的広がりを見せている。
 街には、足早に身を潜めるような気配が充満しているし、マスクやお米、紙類の買い占めや、コロナ感染者への誹謗中傷などのニュースまで流れている。
 <内にも外にも目に見えない敵の脅威を背負って日々暮らす戦時下のよう>と誰かが言ったけれど、この如何ともし難いものの前にすべなく竦む感覚に、東日本大震災の時のあの心持ちを思い出した。

 『世界の片隅に』は東日本大震災の直後、胸に去来する震災への思いから生まれた訳詞であることは、これまで折に触れ話してきたのだが、改めて『訳詞への思い』にまとめてみたいと思う。

   東日本大震災 一通のメール
 今、私のブログを読み返しているのだが、震災の直後、次々と届く情報を頻繁に更新していた。
 その中の2011日3月18日の記事、震災からちょうど一週間後の文章であるが、これを抜粋してご紹介したい。
 『世界の片隅に』を作る直接の契機となったYさんからの詳細なメールを取り上げた記事の一部分が下記のようである。

 <茨城土浦から ~ Yさんのメール ~ > 
       ・・・・・・・
 私は仕事場で皆でお茶休憩をしているところでした。
横揺れがいつもより少し長いな、と感じているうちに、地面の底から何かが出てくるのではないかと思うくらい不穏な音とともに揺れが強くなっていきました。
 驚くというよりも「身の危険」を感じて皆で外に出ると、電線は激しく波打ち、隣のアパートのガラスがガタガタ言い、前のお宅の奥さんも外に出て庭にしゃがみこんでいました。
 地上では明らかに不穏な空気が身体を覆っているのに、空は穏やかできれいな青空だったのを覚えています。
     ・・・・・・・ 
 橋を渡れば我が家です。
 橋は危ないと思いつつ、一刻も早く帰りたかったため、橋を上りました。
 途中ですれ違った若者の「橋はやっぱり揺れるな」と、余震をにおわすような言葉を聞かないふりをしながら自転車で猛スピードで橋を下っていくと、目の前に信じられない光景が広がっていました。
 晴れているはずなのに路面がずっと先まで濡れているのです。
 よくわからないまま、橋を渡り終えて家に近づいていくと更にひどい状況で、ブロック塀が崩れている家や、瓦が飛んでしまった家、窓ガラスの破片が道路に飛び散っている工場等々・・・。

 呆然としたまま我が家に辿り着くとアパートの前のアスファルトや電柱から泥水が噴出し、大量に流れ出ていました。路面が濡れていたのはそのせいでした。
  「液状化現象」、まさにそれが目の前に広がっていたのです。
     ・・・・・・
 
 Yさん。
 どれほど、恐ろしく不安な思いをなさったかが、文面から手に取るように伝わってきました。そしてきっと、今も不自由なことや、困難なことを沢山抱えていらっしゃるのでしょうね。ストレスも過労も沢山たまっていないか心配です。
 私は、子供の頃からのYさんをよく知っていますが、彼女はいつも感受性豊かに、そして、澄んだ眼差しで真直ぐにものを見ることのできる人です。
 賢明な彼女がどんな局面もくじけることなく勇気と優しさを持って乗り切ってゆかれるよう、それを心から祈りたいと思います。
  
 「停電の暗闇の中で、カーテンを開けてみると地上に明りはなくても夜空は結構明るくて、そんな、子どもの頃はわかっていたようなことも忘れていた自分に気づきました。」
  ・・・メールの最後に書いて下さったこのことばが胸に残ります。


 驚天動地の事態の前で、同じ時間を、たくさんの方たちが、色々な状況で色々な思いの中で過ごしていたことを改めて思います。一つ一つは小さな出来事かもしれませんが、でもそれぞれに共感でき、その中に誇らしく感じる大切なものが見える気がしています。

 本当に困難で、一人一人の真価が問われてゆくのはむしろこれからでしょう。
 事態は簡単に収束されそうにありませんし、我慢と苦痛を強いられるこれからの長い時間の中で、どのように私たちは冷静に礼節を保ち続けてゆけるのか、これは難題に違いありません。
 もう既に、風評被害などによって、社会はかなり混乱をきたし始めていますが、だからこそ私たちが立ち返るべき場所を忘れないでいたいと、今強く願います。

 
   映画『この世界の片隅に』
 この曲を歌うとき、『映画とどういう関係があるのか?』『映画のタイトルを真似たのか?』などとよく問われるのだが、このアニメ映画が上演されたのは2016年。私が訳詞をして歌い始めたのは2011年4月からなので、「私の方が元祖・本家です」と釈明することにしている。
 こうの史代氏原作の同名漫画をアニメ映画化した作品で、広島と呉を舞台に、「すず」という一人の女性を主人公として、過酷な戦時下をけなげに生きる彼女と、彼女を巡る様々な人間模様を描き出したヒット作である。
 この世界の片隅で、それぞれの思いを抱きながら、一人一人がかけがえのない命を精一杯生きようとしている、そういう人間同士、共感し合い励まし合うことがどんなに大切か、全編に貫かれている映画のテーマは、私の訳詞『世界の片隅に』への思いにも通じ合うものがあると強く感じる。
 (公式サイトからの予告映像はこちらです。)


   『世界の片隅に』
 さて、訳詞した『世界の片隅に』であるが。
 2002年にケレン・アン(Keren Ann) によって歌われた「au coin du monde=世界の片隅」が原曲。作曲はケレン・アン、作詞は彼女の当時の恋人で音楽プロデューサーのバンジャマン・ビオレイ( Benjamin Biolay)の手による。

   Tombent les nuits à la lueurs de bougies qui fondent
   et que la lumière soit.
   溶けてゆく蝋燭の光に夜が更ける そして光がありますように
   Passent les heures que s'écoulent à jamais les secondes
   et que la lumière soit.
   時が過ぎてゆく 永遠に秒を刻みながら 
   そして 光がありますように


 という冒頭から始まって、恋人たちが共に過ごす夜、温かい愛情を感じながら、お互いの上にささやかでも幸せが注がれますようにとそっと祈る、原曲はそんなロマンチックなラヴソングである。
ケレンアン CDジャケット
 軽快なリズムと旋律に乗せて、ケレン・アンの囁くようなハスキーボイスが飛び切りお洒落なニュー・フレンチポップスの世界を作り上げている。

 美しいメロディーで、2002年の発表時からこの曲に惹かれてはいたのだが、先に述べた大震災の時にこの曲が突然強烈に私の中で思い起こされ、この曲をラヴソングとしてではなく、私自身の思い、祈りを乗せて歌いたいと強く思ったのが訳詞のきっかけである。
ろうそくの火 「蝋燭の光しかない停電の闇の中で、夜空が明るかった」というYさんの文章と、原詩の「溶けてゆく蝋燭の光・・・」が一つに重なったためかもしれない。
 そして、私の『世界の片隅に』は、原詩に忠実な訳詞ではなく、私自身の心象風景を広げていった殆ど作詞に近いものとなった。

 日々、生きてゆく時間の中には 様々な出会い別れ、出来事が通り過ぎてゆく。抗い難いものへの怖れや憤り、悲しさや、嬉しさ。
 今、折に触れてこの曲を歌う中で、思いは更に深く広がっている。

 最後に私の訳詞『世界の片隅に』の全文をご紹介しようと思う。

   世界の片隅に
                 松峰綾音 訳詞
           
   溶けてゆく ロウソクの 名残り火の中に  
   夜が落ちてゆく
   脈打ってる胸の鼓動を 聞いている  
   時が過ぎてゆく
   遠く 近づいてくる  夜が明ける この香り
   一筋の光が ありますように

   立ち尽くすしかできないことって
   突然 起こってくる
   戸惑ってるだけの自分を 眺めてる
   涙がつたう

   遠く 雪解けが見える 世界の この片隅に
   一筋の光がありますように

   この世界に  小さな私と あなたが ここにいる
   それだけで 良い
   つなぎ合う ぬくもりを 今 静かに感じている
   噛みしめてみる

   遠く オーロラが見える 世界の この片隅に
   一筋の幸せが灯りますように
   あなたの上に

                        Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を固く禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  ケレン・アンの歌う原曲です。お楽しみください。




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『さくらんぼの実る頃』

カット写真
 まだ季節が早いですが、今日はシャンソンの往年の名曲『さくらんぼの実る頃』を取り上げてみたいと思います。

   『さくらんぼの実る頃』

                         訳詞への思い<30>

   "Le Temps des Cerises"
 原題は「さくらんぼの頃」の意味。
 日本でも『さくらんぼの実る頃』のタイトルでよく知られた往年のシャンソンの名曲である。
 ジャン=バティスト・クレマン(Jean-Baptiste Clément)作詞(1866年)、アントワーヌ・ルナール(Antoine Renard)作曲(1868年)による。
 現在まで歌い継がれているシャンソンの中で最も古い曲だといわれている。

 さくらんぼにことよせて、若き日の恋の思い出を、甘酸っぱく歌い上げている素朴でノスタルジックな内容だが、この曲について語るときはいつも、パリ・コミューンとの関連がクローズアップされてくる。
 まずは、それも含めた曲の背景を簡単にまとめてみたい。
 
 <パリ・コミューン>
 普仏戦争(1870年〜1871年)で敗れたフランスは、ナポレオン3世の第二帝政が終焉し第三共和政に移行する。
 しかし、プロイセンとの和平交渉に反対し自治政府を宣言した労働者政権のパリ・コミューン(la Commune de Paris 1871)は、1871年3月18日から同年5月28日までの短期間パリを支配した。
追悼碑
 これを鎮圧しようとするヴェルサイユ政府軍との激しい市街戦の後、パリを包囲した政府軍によってコミューン連盟兵と一般市民の大量虐殺が行なわれた。
 「血の一週間(la semeine sanglante)」と呼ばれるこの戦闘により、3万人にのぼる戦死者を出してパリコミューンは瓦解し、5月27日ペール・ラシェーズ墓地での抵抗と殺戮を最後にこの戦いは幕を閉じた。


 この戦いが勃発し、そして無残な結末を迎えた時期が、まさに<さくらんぼの季節>でもあり、この事件後に成立した第三共和政に批判的なパリ市民たちによって、1875年前後から、連盟兵たちへのレクイエムであるかのように、この歌が繰り返し歌われたことから「パリ・コミューンの音楽」として有名になったのだと伝えられている。
ラパン・アジル
蛇足であるが、パリ・コミューンゆかりの地、モンマルトルの丘に今も残る老舗のシャンソニエ「ラパン・アジル」を数年前に訪れた時、偶然だがこの「Le Temps des Cerises」が歌われて、これに唱和する観客に交じって私も声を合わせたことを懐かしく思い出す。
ラパン・アジル2


長い時間の中を生き続けてきた曲であることが再認識される。



    <ルイーズとの出会い>
 さて、作詞者のクレマンは自身も連盟兵として戦ったのだが、その折、野戦病院で負傷兵の手当てをしている一人の女性革命家と出会うことになる。
 彼女ルイーズ・ミシェル(Louise Michel)の甲斐甲斐しく働く姿に大きな感銘を受けて、すでに流布していたこの「Le Temps des Cerises(さくらんぼの頃)」に、改めて「1871年5月28日日曜日、フォンテーヌ・オ・ロワ通りの看護婦、勇敢なる市民ルイーズに」という献辞を付則したのだという。

 そして同時に、これまで3番までだった歌詞に、新たに4番の歌詞を加えて発表した。
 4番には「あの時から、この心には、開いたままの傷がある」のフレーズがあり、この曲が、パリ・コミューンへの追悼として作られたものだと解釈する所以ともなっているのだが、3番までの歌詞がパリ・コミューンの時期の数年前に既に出来上がっていたことを思えば、少しうがち過ぎで、あくまでも失った若き日の恋を思い懐かしむ曲と取るほうが自然であると思われる。

 「血の一週間」をめぐる惨劇を目の当たりにし、この渦中に生きた作詞家クレマンの献辞は、コミューン兵士たちへの挽歌であると同時に、甘く短いさくらんぼの時間・・・・真っ赤に熟し燃え上がるつかの間の恋の情熱と、夢破れた恋の挫折、・・・そしてルイーズという優しく果敢に戦い挑む女性との一瞬の邂逅、そういう全てに手向ける言葉だったと言えるかもしれない。


   「さくらんぼの実る頃」
   <美しい情感>
 フランスではイヴ・モンタン、コラ・ヴォケールを初め何十人という歌手がこぞって歌い継いでいるが、日本でも、シャンソンの代表的名曲として、多くの歌手のレパートリーとなっている。

 訳詞も様々にあるが、よく耳にするのは工藤勉氏の訳詞かと思われる。

  さくらんぼ実る頃は うぐいすが楽しそうに 野に歌うよ
  乙女たちの心乱れて 恋に身を焦がすよ
  さくらんぼ実る頃は 愛の喜びを 皆 歌うよ


 という1番の歌詞から始まり、「愛する人に抱かれて胸震わせても さくらんぼが実り終わると鶯は去り 赤いしずくが胸を染める」という2番へと続く。
 そして最終章の3番で「さくらんぼの実る頃は 年老いた今も 懐かしい。
 あの日のことを心に秘めて、いつもしのんで歌う」と締めくくられている。

 日本語の持つ情感と余韻が美しく、品格のある詩の世界が出現している。

 この工藤氏の訳詞だけではなく、他の訳詞のほとんども<若き日の恋を懐かしく蘇らせながら、過ぎ行く時への感慨をかみしめる>というしみじみとした老境を歌い上げる格調高い曲というイメージが強い。
 旋律の美しさと合わさって、歌い手の側にも年輪を重ねた深みが要求されるのかもしれない。

 1992年には、加藤登紀子氏が、スタジオジブリのアニメ映画『紅の豚』の中でフランス語でしみじみと歌われていて、この曲の知名度を上げた。

   <「血が滴る」と「傷口が開く」について>
 先にパリ・コミューンとの関連について述べたが、このような、いわば隠喩を用いた反戦歌と思われた理由の一つに、ちりばめられている「言葉」そのものがあるのではと私は感じている。

 さくらんぼが実っている描写を記した2番の詩句
  Des pendants d'oreilles
  Cerises d'amour aux robes pareilles
  Tombant sous la feuille en gouttes de sang

  耳飾り
  お揃いのドレスを着た愛のさくらんぼ
  血のしずくが葉陰に滴り落ちている
                (対訳)
 
そして現在まで続く心の痛手を歌った4番の詩句
  J'aimerai toujours le temps des cerises
  C'est de ce temps-là que je garde au coeur
  Une plaie ouverte

  私はずっとさくらんぼの季節を愛し続けるだろう
  開いた傷口を 心の奥に持った季節なのだから
                 (対訳)

さくらんぼ
 二つの実がぶら下がって揺れる<真っ赤な耳飾り>のようなさくらんぼを、二人で夢中で摘みに行く情景は、その赤さゆえにどこかなまめかしくも思われるし、また、さくらんぼが<血のしずくのように滴り落ちている>という表現も、ただ微笑ましいだけではない熱情の激しさのようなものも感じてしまう。

 まして、最終章4番の、嘗ての失恋の痛みを、未だ<ぽっかりと開いた傷口>として感じ続けていること、そういう、まさに触れたら血が噴き出すような恋だったからこそ、今もかけがえない懐かしさと共に、くっきりと刻み付けられているのではないだろうか。

 「さくらんぼの実る頃」のそんな生々しさを伝えたいと思った。
 意訳も入っているが、私の訳詞の締めくくり4番は下記のようになった。

  さくらんぼの実る頃
  癒えることない傷口が 心に開く
  痛みも後悔も幸せも そのまま愛したい
  さくらんぼの実る頃 
  思い出が 胸を打つ

                       Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  では、コラ・ヴォケールの歌う原曲をお楽しみください。



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「パパラギにはひまがない」

   「切り開くのはきみたちだ。」
 一昨日、2月28日の読売新聞の「編集手帳」に、『パパラギ』を取り上げた文章が載っていて、とても懐かしく感じました。
 『パパラギ』は1920年、今から100年前に出版されて以来、重版を重ね続けている世界的ベストセラーですので、今や古典と言えるのかもしれません。

 学生の頃の愛読書、本棚から取り出して、今日、久しぶりに再読してみました。

 「編集手帳」の記事は含蓄に富んだ心に残る文章でしたので、まずは、ここに紹介してみます。(要約しながら一部を引用します。)

  今から100年以上前の話である。
  南太平洋の島の一つ、サモアの族長がヨーロッパを旅したあと、島民に向かって演説したという。
 「私たちは小さな丸い時間機械を打ち壊し、日の出から日の入りまで、一人の人間には使いきれないほどたくさんの時間があることを西洋の人々に教えてやらねばならない」(『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』立風書房)
  時計のことを「小さな丸い時間機械」と呼んでいる。この表現が好きで、たまに本を読み返したりしてきたが、使い切れないほどの時間など多くの現代人には夢物語だろう。
 と、きのうまでは思っていた。

 という書き出しで、この前日の夕方、政府の発表で、3月1日から学校が一斉休校になる見通しが強まったことへの驚きに話が繋がってゆきます。

 「編集手帳」の筆者は更に次のように続けます。

 3月に勉強するはずだったものは?
 生活のリズムが崩れてしまわないか・・・・。
 心配すればキリはないけれど、ここは開き直って、使い切れないほどの時間を人生のために有意義に使ってもらいたい。
 周りの大人の誰も経験したことのない1か月を過ごすことになる。
 切り開くのは、きみたちだ。


 この非常時だからこそ、大人たるもの、慌てないで悠然と、こういうメッセージを子供に向けて発信したいものだと大きく頷いてしまいました。
 
 テレビをつけると、一か月間休校になった時の学業の遅れの深刻な問題、どうやって待機中の子供たちに時間を過ごさせるべきか、遅れを補わせるべきか等々の議論が紛糾していました。
 私も教育現場に長く従事していましたから、この学年末に、突然すべてがストップした時の、現実の混乱や支障については充分理解できます。
 それであっても、これまで経験してこなかった事態に遭遇し戸惑っている子供たち、時間が不意にどっさり降って涌いた子供たちに、「切り開くのはきみたち」との力強い示唆を与えることは何より大切ですし、社会全体の持つ懐の深さのようなものが問われる時でもあると、この記事を読んで思ったのでした。

   「パパラギにはひまがない」
 さて、その『パパラギ』ですが、少しご紹介してみたいと思います。
パパラギ(ドイツ語版)
 
ウィキペディアの説明によると、

 1920年にドイツで画家兼作家のエーリッヒ・ショイルマンによって出版された書籍である。ヨーロッパを訪問したサモアの酋長ツイアビが、帰国後、島民たちに西洋文明について語って聞かせた演説をまとめたものとしているが、実際はショイルマンの手によるフィクションである。



 日本では、1981年に『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』(著:ツイアビ、訳:岡崎照男)として立風書房から出版されて以後、重版を重ねています。
パパラギ
 「パパラギ」というのは、このサモアの酋長ツイアビの言葉で「白い人」「外国人」という意味、彼が初めて出会った「西洋人」のことを指しています。
 西洋の文明社会は、自然の中でおおらかに暮らすツイアビの目にどう映ったのか、それが曇りない明晰な感性で鋭く捉えられていて、良質の文明論として、現代でも大きな意味を持つ書なのではと思います。

 ショイルマンが直接ツイアビに取材して、その言葉をまとめた書なのか、ウィキペディアの説明のように、すべて著者ショイルマンの手によるフィクションであるのかは、未だはっきりとはしていないようです。
ツイアビ写真

 その真偽はともあれ、酋長ツイアビは言います。

 パパラギはいつも時間のないことに不安を持ち、不平を言い、時間をつかもうと焦り続けている。でも、それが却って、自分で時間を遠ざけることになっている。

 パパラギはいつも、伸ばした手で時間のあとを追っかけて行き、時間に日なたぼっこのひまさえ与えない。

 だが、時間は静かで平和を好み、安息を愛し、むしろの上にのびのびと横になるのが好きだ。
 パパラギは時間がどういうものかを知らず、理解もしていない。
 それゆえ彼らの野蛮な風習によって、時間を虐待している。

 おお、愛する兄弟よ。
 私たちはまだ一度も時間について不平を言ったことはなく、時の来るままに、時を愛してきた。
 時間を折り畳もうとも、分解してばらばらにしようとしたこともない。
 時間が苦しみになったこともなければ、悩みになったこともない。

 私たちはだれもが、たくさんの時間を持っている。
 だれも時間に不満をもったことなどない。

 一刻も早くコロナウイルスの脅威が収束して、普通の生活が戻ってくることを心から願わずにはいられません。
 けれど、「災い転じて・・・」ではありませんが、いつもとは違った不自由な生活の中で、ツイアビ酋長の言うように、これまで私たちを包んできた時間を改めて見つめ直し、より豊かに過ごすことの意味や、日々の幸せを考える契機にしてゆかれればと思っています。

 3月はどんな月になるのでしょう。
 健康に留意してお過ごしくださいね。



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「大人が味わう『蜘蛛の糸』」

   『京都2ショップ冬物&春物フェア』
 花粉症が発症して頭がぼおっとしていたためか、ご案内をしそびれていました。

 こんな間際で申し訳ありません。
 実は2月22日(土)、明日なのですが、西宮の甲子園にある「ギャラリーarai」でライブコンサートを行うことになりました。

 ちょうど二年前の2月に、奈良の「あしびの郷」で、セレクトショップfemme & Uovoが主催する「 20周年記念パーティー」が行われたこと覚えておいででしょうか。このイベントの招待公演として「 松峰綾音訳詞ライブ『雨傘』 」を開催しましたが、あれ以来、femme & Uovoのオーナーやスタッフの皆様とずっと親しくさせていただいていました。

 今回は、甲子園で20日から23日までの4日間、展示会を開催され、その中の明日22日は私のコンサートを特別企画として行いたいというご依頼を受けたのでした。
 では、ということでお引き受けしたのですが、甲子園も初めての場所、会場も初めて伺うので、とても楽しみです。
ファムチラシ


 『京都2ショップ冬物&春物フェア』のチラシはこちらです。
いつもお客様との出会いを大切にして、様々な魅力的な企画を提供なさっているfemme & Uovo、きっと今回も素敵な展示会となるのではと思います。




   『大人が味わう蜘蛛の糸』

   フェア特別企画“French tea time”
特別企画
2/22 (土)15:30~ 松峰綾音 月の庭
   シャンソンと朗読のひととき
   『大人が味わう「蜘蛛の糸」 』

 シャンソンって実はとても新しくってワクワクする大人の音楽
 美しい日本語で現代シャンソンの魅力をお届けします
 芥川龍之介の作品を、今改めて耳と心で味わってみませんか。
 きっと新鮮な発見や感動があるはず!


 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の朗読と数曲のシャンソンを取りあげます。
 そしてトーク。
 せっかくなので、ファッションについてのテーマも。
 大人の女性の「黒のお洒落」を、歌と朗読に絡めながら取り上げてみようかしらと思っています。

 後は、いらして下さる皆様のお顔を見ながら、その場で言葉を交わし合いながら。

 あいにく明日は雨になるという予報ですし、何人くらいの方がいらして下さるのか皆目見当もつきません。
・・・・どんな出会いがあるか、本当に楽しみです。

 お近くの方、よろしかったら是非お立ち寄りになって下さいね。

   一番桜
初桜



 「一番桜です。」と、今朝、届いた東京の友人からの写真。


 新型コロナウイルス感染で緊張を強いられている今年の2月ですが、春は確実に近づいています。






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『月光微韻』 横浜公演

 暖冬のまま春になってゆくかと思いきや、この数日は冷え込みが激しく、今朝は、京都の街中にも、綿雪が激しく降り続いていました。
 12月のコンサートで取り上げた詩『雪の日に』(吉野弘 作)を思い出します。
 
   雪がはげしく ふりつづける
   雪の白さを こらえながら
   欺きやすい 雪の白さ
   誰もが信じる 雪の白さ
   信じられている雪は 切ない


   『月光微韻』
 6月5日(金)に開催する京都文化博物館別館ホールでの「松峰綾音 月の庭 シャンソンと朗読のひとときvol.8」ですが、その後少しずつ準備が進んでいます。

 コンサートタイトルは、『月光微韻』に決めました。

   かそけき月の光  
   ひそやかな余韻 
   ほのかな香りに包まれて
   心に広がる いくつもの情景と物語

 というイメージで・・・・。

 「月の庭」は「月の光の陰影が様々なニュアンスで庭を包み、多様な情景や物語を映し出す」というコンセプト。
 今回のコンサートタイトルは、これを更に深化させたいという思いから命名したのですが、語りと音楽とで幻想的な月明りの世界を描き出し、陶酔感のあるコンサートにできたらと思っています。

 これに合わせて、新たに訳詞した曲も何曲かあり、是非ご披露したいと張り切っているところです。

   横浜 『岩崎博物館 ゲーテ座ホール』開催
 コンサート会場を確保するのはいつも結構苦労します。
 会場によって、申込みの方法は千差万別ですが、人気の高いところは大体、半年前~一年前に既に申し込みをする場合がほとんどです。

 以前コンサートを行った某ホールの場合などは、希望日の一年前の同月1日に会場に赴いて、くじ引きで開催日をゲットするという方法でした。
 希望日が重なっていなければ勿論、ストレートで予約できるのですが、運悪く数グループと希望がバッティングしてしまうときには、まずは、アミダでくじを引く順番を決め、それに従ってくじ引きをするという方法を取っていました。
 それより以前は、まず話し合い、それでも決まらないときはじゃんけんで決めるという方法でしたが、じゃんけんというのは負けた場合の心の痛手がかなり強いためか、アミダ+くじ引きに変わったのでしょうね。
 (ちなみに私は生まれてこの方、あらゆるくじ運は全くなく、じゃんけんにもからっきし弱いので、このくじ引きの日はいつも拷問を待つような悲壮感がありました。)

 さて、今回のゲーテ座ホールですが。
 「6か月前の毎月1日の9時40分から電話申し込み」で早い者勝ちで会場予約をするシステムになっていました。
 私の希望月は7月ですので、2月1日9時40分の電話申し込みで決定だったわけです。
 この日は早朝から目覚めてしまい、電話の前で時間を待つ時間が本当に長く感じられました。
 スタンバイしていて、ぴったりにかけたにも関わらず、タッチの差だったのかお話し中がずっと続き、じゃんけんで負けた日のことやらがフラッシュバックして何とも不安で嫌な感じでした・・・・・などなどありましたが、ようやくつながり、第一希望がまだ空いていると聞いた時には飛び上がるほど嬉しかったです。

 というわけでめでたく決まりました。
 6月5日の京都博物館別館ホールからちょうど一か月後です。

    2020年7月5日(日) 
    13:30 開場 14:00 開演  
    岩崎博物館 山手ゲーテ座ホール 
    (横浜市中区山手町)

    松峰綾音 訳詞 歌 朗読
    三浦高広 ピアノ

   
 みなとの見える丘公園の一角にあるエキゾチックな雰囲気の建物、フランス人建築家サルダ設計によって 1885(明治18)年に建てられた日本最初の西洋式劇場ホールです。
岩崎博物館
 みなとみらい線の元町・中華街駅下車、元町方面の改札を出ると、港の見える丘公園方面の昇りエスカレーターがあります。これに乗って3階まで行くと、アメリカ公園に出ます。そこから約3分。外人墓地の横を散策しながら。
ゲーテ座
 この写真は昨年6月に撮ったもので、公園にもホールの壁面にも薔薇の花が美しく咲き乱れていました。当日もきっと薔薇でいっぱいなのではと楽しみです。
 京都のコンサートとほとんど同一のプログラムで開催するコンサートツアーですが、京都のピアニストは坂下文野さん、横浜は久しぶりの三浦高広氏とピアニストが変わります。
シャンソンと朗読、それぞれのピアノの個性で、世界がどう作られてゆくか、それを体験できることが、私も今から楽しみでなりません。

よろしかったら、皆様も聴き比べツアー、京都も横浜も素敵な散策コースがたくさんあることですし、両方いかがでしょうか?


ご案内のチラシをできるだけ早く作成し、また改めてご紹介しますが、両会場とも、今から受付を開始致します。
 予約申込み・問合わせはいつものようにWEBのコンタクトからお願い致します。



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お正月の雑感

   少年老い易く
 どんど焼きが済むと、子供たちの頭から完全に正月というものはなくなって行った。
 正月はもう過ぎ去った一つの事件であるに過ぎない。
 正月はもう終わってしまったのである。
 この頃から伊豆の天城山麓の村々は本格的な寒さに見舞われた。


 井上靖の自伝的長編小説『しろばんば』の一節ですが、この時期になるといつも鮮明に浮かびがってくる文章です。

 大正初期の伊豆の鄙びた山村で育った耕作少年の成長の物語。
 自然に包まれ、季節の流れに身を置きながら、その中で穏やかに営まれてゆく路傍の人々の質実な生活ぶりと心模様が細やかに描かれています。
井上靖書斎
 どんど焼きの日に、子供たちは皆、一斉に自分の書いた書初めを火にくべるのですが、その時、耕作は同級生あき子の書初めの
「少年老い易く 学成り難し  一寸の光陰 軽んずべからず」とある、大きく力強い文字を見てしまいます。
 彼はその瞬間、今すぐ土蔵へ帰り勉強をしたいような身の引きしまる気持ちにかられます。

 私が『しろばんば』を初めて読んだのは小学校の高学年の頃だったかと記憶しています。このどんど焼きの場面は特に印象的で、耕作のこの思いにとても共感を覚えました。

 「少年老い易く、学成り難し」、今や「少年」は遥か遠く、「学成り難し」も嫌というほど実感しているのですが、でも、お正月を過ぎたちょうど今頃の季節になると、「一寸の光陰軽んずべからず」の言葉が、胸の奥から一種の哀感を持って湧き出してくる気がするのです。

   『しろばんば』の授業
 中学一年の国語の教科書には、以前はどの出版社にも『しろばんば』の一部分が掲載されていました。最近はどうなのでしょうか?急速に教科書事情も変わってきて、定かではありませんが。(大抵は、このどんど焼きの次に登場する「ひよどりのわな」事件の場面が載っていました。)
しろばんば
 私は嘗て、中・高一貫のカトリック系の女子校で教鞭を執っていましたが、中学一年の授業を受け持つときには、この『しろばんば』を、一冊丸ごと3か月近くをかけて精読するという試みを行っていました。
 新潮文庫で528ページもある長編小説を全員に購入してもらい、これを教科書代わりに読み進めるという非常に冒険的な授業だったといえます。

 中学に入ったばかりの若葉が芽吹くようなこの時期に、これまで手に取ったこともない細かい文字の詰まった厚い文庫本を一冊、初めから最後まで授業の中で丁寧に読破するという経験が、読書をすることへの自信と興味、本を読むということがどんなことなのかという実感を体得させる契機になったのではと、その後の生徒たちの成長ぶりから、自負しています。
 その後もずっと中学一年で『しろばんば』一冊という伝統は、学校の中で定着し、幸いユニークな国語教育としての評価も得ることができました。
 蛇足ですが、この時期になると鎌倉、藤沢の書店から『しろばんば』が一斉に消えて、買い難くなるという伝説が生まれ、後には学校で一括購入をすることになりました。

   「年賀状これにて終了」について
 私は普段から手紙を書くのが大好きですし、お正月は「年賀状は必須」という古いタイプであるようです。
 教え子や友人に宛て、驚くほどの枚数になっています。
 一年間の年月を思い、言葉を添える、年賀状は年の瀬の大忙しの一大行事。
 確かに、これがなくなれば随分楽になることには間違いないのですが。

 そんな中で、「これにて年賀状を終えたいと思います」、「これからはメールかラインで」の通知が今年も何枚かありました。
 人それぞれの考え方で、これも大いにありかもしれませんね。
 「虚礼廃止」、もっと便利な通信方法はたくさんあり、手紙をやり取りする習慣も激減している昨今であり、また、終活の一つとして心身ともに「身軽に」ということもよく理解できます。

 私の高齢の両親は病身ですが、年賀状は続けており、とても丹念に文章も書き添えています。
 「友人が亡くなっていき年賀状も減っていく」と寂しそうに呟いていました。
 それでも、来年はどんな図案にしようかと、もう話していて、我が親ながら、あっぱれ!・・・・血筋なので、私もきっと、ずっと続けてゆくことになりそうです・・・・。

   ウズベキスタンからの年賀状
 海外にも友人、知人が何人もいて、年賀状は私にとって、そのやり取りができる楽しいきっかけでもあります。

 教え子の一人Hさんからこんなお便りが届きました。
ウズベキスタン
 「青の都」としてしか知らなかったウズベキスタンが、私にとっても、急に身近で大事な国になりました。
Hさんは聡明で暖かく誠実な方、ウズベキスタンでたくさんの豊かな経験を重ねて健やかにお嬢様たちを育ててゆかれることでしょう。
心からのエールを込めて、彼女からの素敵なお便りを、途中割愛しながらご紹介いたしますね。

実は、私たち家族は、今は主人の仕事の都合でウズベキスタンにて暮らしております。あと2,3年はこちらで生活する予定です。
  
  長女が小学5年の後半から、本格的に中学受験に向けて母娘ともに頑張っていましたが、受験日数日前に、まさかの駐在の話を聞かされました
 家族一緒に海外生活を送る最後のチャンスだと思い、そこから急遽、高校から戻れる一貫校へと受験校を変えて受験。そしてウズベキスタンへ移住という、ドタバタの2019年でした。
 2020年は、少し落ち着いた年になればと、思っております。

 ウズベキスタンは意外なほど住みやすく、治安も日本より良いくらいです。人も優しく、綺麗な世界遺産も沢山あり、文化的にもとても興味深い国です。が、日本人がほとんど居ないのと、世界に二つしかない二重内陸国の一つなので、魚が食べられないのと、英語も全く通じないのが不便です(^^;;
 日本人学校が無いので娘たちはインタースクールです。次女はアルファベットもままならないゼロからの英語生活ですが、私に似て超がつくほど楽天的姉妹なので、長女も次女もそれなりに楽しく学校生活を送っています。

 2020年の始まり、皆様にとって良い一年となりますように。



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令和二年 今年も良い年でありますように

 新年、明けましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 皆様にとりまして素敵な一年でありますように。

 猫好きの私、令和初の年賀状もやはり猫。
 でも仲良くネズミと並んでみんな優しい表情をしている、ちょっとクラシックなこんなデザインで2020年の幕開けです。
    2020年年賀状

 昨年から始動した「松峰綾音 月の庭 シャンソンと朗読のひととき」
 自作の訳詞で歌うシャンソンに、詩・小説・エッセイなどの朗読を融合した、皆様に喜んで頂ける興味深いライブを今年も追求して参ります。

  6月5日(金)18:00~京都文化博物館別館ホールにて
  7月上旬(日時調整中)横浜岩崎博物館 山手ゲーテ座ホールにて
 コンサートを開催いたします
 皆様、是非ご来場下さいませ

  
 12月のクリスマスライブが終わって、あっという間に年の瀬、そして新年。
 今年もまた、こんな風に時間が駆け抜けてゆくのでしょうか。
 でも流れてゆく時間の中にも、やはり様々なことが起こります。
 他人の目からはほんのささやかな出来事でも、自分にとっては泣いたり笑ったり、結構深刻だったり、舞い上ったり、・・・・自分だけの時間の一つ一つに、人は精一杯格闘して過ごすのですよね。
 でも、それだからこそ、意味があるとも言えるのではないでしょうか。
 
 マイナスも含めて、心の深いところに色々な襞が刻まれ、積み重なっていくのが生きる醍醐味なのかなって思います。
 皆様にも私にも、この一年どんな出来事が起こり、どんな出会いと別れとがあるのでしょう。
 
 どうぞ、健康で充実した一年でありますように。
 そして世界が少しでも落ち着いて、平和でありますように。
 心から祈念致します。

 私の今年の抱負。
 年賀状に記したように、まずは次のコンサートに全力を傾けたいと思います。
 京都では、6月5日に文化博物館別館ホールでのコンサートが決まっていますし、7月には横浜でも開催する予定です。

 ・・・とびきりのコンサートテーマが突然、天の啓示のように降ってくると良いな、きっと閃くにちがいないと、かなり楽観的に太平楽に、現在、構えております。
 それにしても、目前のことだけに心奪われず、いつも自分が辿り着きたい場所や大事にしたいことを、揺らぎなく遠く見つめていることが大切ですよね。
 そして何でも楽しめること。心穏やかに。
 心引き締まる元旦の早朝です。
 
 これからいつものように八坂神社への初詣を済まし、その足で実家の逗子に向かいます。
    
 皆様もどうぞ佳い新年をお過ごしくださいますように。




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『白の情景』ご報告

クリスマス、如何お過ごしでしたか。
 一足早いクリスマスライブ『白の情景』は12月21日に無事終了致しました。

 白がイメージされる素敵な詩や文章を沢山見つけました。
 ご紹介したくて、いつもより朗読が多くなったのですが、じっと耳を傾けて下さる客席の心地よい静寂の中で、読み手である私自身も、流れてゆく言葉の響きを反芻していたような気がします。
 いらして下さいました皆様、本当に有難うございました。

   開演まで
 「『白の情景』と銘打ったのだから、今回こそはきっと雪ね!」との巷の声に屈することなく、やはり穏やかに晴れ渡った一日でした。
 これまでトータルで20回以上はコンサートをしていると思うのですが、リハーサルの日も含めて、晴れなかったことは一度もないという我ながら驚異的な最長不倒記録の更新・・・・少し怖いです・・・・。
ピアノ廻り
 ピアノ廻りに白のチュールレース、白の花々と緑であしらわれたアレンジフラワーの中心には大輪の白薔薇、ポンセチアの植木鉢の赤を従えてひときわ輝いて見えます。
巴里野郎ライト

 今回から『松峰綾音 訳詞コンサート』改め、『松峰綾音「月の庭」』と名称を変更したのですが、月の光が柔らかい陰翳を持って、幾つもの情景や物語を包み込む、・・・・・開演前のステージのブルーのライトが、青白い月明かりのように見えました。

 巴里野郎のレトロな煉瓦の壁を照らす灯り、お客様を迎える準備も整っていきます。
受付のサンタさん
 受付のサンタさん二人。
 「白のドレスコード」の仕掛け人は実は彼女たちなのです。
真白なふわっとしたドレスに赤いサンタ帽が良く似合います。あまりにキュートだったので思わずシャッターを押しました。こんな可愛い笑顔が受付で迎えてくれたらそれだけでもう幸せが漂ってきますね。
開演前

 そして、開演前、私もほっこりとお出迎え。
 開場より早くいらしたお客様が何人もで、私のせっかちがいつの間にか感染してしまったのかもしれません。

 「白・・・悩んだ!」「私の白はこれ!」と言いながら、見せて下さるそれぞれのお客様のご様子が、何だか文化祭の前夜祭の時のような悪戯っぽいノリで、とても楽しかったです。
 「昨日買ってきたんや」って首元の真白いストールを見せて下さった男性、「白いものが何もなかったから、庭に咲いていた水仙の花をつけてきた」とジャケットの襟元を指さして下さったのも男性。
 知らない方たち同士がそんなお話しで盛り上がっているのが聴こえてきて、楽しさ一杯でした。
 そして、皆様が特に注目なさっていたのは、共に白のお着物の素敵なご夫妻。「数年前に買った白紬を今日は着てきました」と優しいお声でご主人が話して下さいました。

   開 演
 満席でスタートしました。
満席
 オープニング曲『小さなトーシューズ』に次いで、芥川龍之介の作品『白』の朗読。
 「白」って犬の名前なのです。
 「白」が、お隣の仲良しの犬「黒」の危機を救わず、見殺しにしたため、真っ黒な姿に変わってしまい、そこから「白」の自己否定の苦悩と自己救済への模索が始まります。
 そうは言っても、子供のための童話の形を取っていますので、難しい言葉は何もなく、筋立ても至ってシンプルなのですが、「白」の切ない胸のうちが身に迫って来るからでしょうか、中盤にさしかかる頃から涙ぐむお客様が何人もいらしてその気配がステージにもじわじわと伝わってきました。
 この作品に私自身がまずは大いに感銘を受けて取り上げるに至ったわけで、さすが芥川龍之介、心に深く照射するようなその筆致の凄さを、改めて体感した気がします。
 『蜘蛛の糸』の時のように、糸を切られて地獄の底で呻くことにならずに、「白」には幸せな結末が用意されていてほっとするのですが、芥川は、『蜘蛛の糸』の主人公が救われる<もう一つ別の物語>を、『白』という作品に託したのかしらと思いました。
 希求し続ければ、再び白へと再生する可能性を芥川自身が信じたかったのかもしれません。
 今回の『白の情景』で一番お伝えしたかった私自身のテーマもまさにここにあった気がします。

 第一部は「白の憧憬」、そして第二部は「白を語る」というテーマで進めて行きました。
 取り上げた作品や曲のそれぞれのことを本当はゆっくり語りたいのですが、とんでもない長文になりそうなので・・・。

 第二部は漱石の『こころ』、吉野弘氏の詩『雪の日に』、沢村貞子氏のエッセイ『白を語る』、宮沢賢治の詩『永訣の朝』、計四作を朗読し、それとイメージが繋がる曲を織り交ぜて歌いました。
 一つだけサプライズ曲を入れたのですが、それはいらしてくださったお客様とだけの秘密です。

 想いを込めて。
二部 羽のように
 そして、羽を広げたように。

 お陰様で楽しく充実したコンサートのひとときを過ごすことが出来ました。
 皆様に心から感謝申し上げます。
 
   クリスマスの贈り物
 以前にご紹介しました東京の友人、お人形作家の米山京子さんからコンサートを応援して下さるお手紙に添えて、こんな写真が届きました。
白い妖精2

「雪の妖精」と名付けられた可愛らしいお人形、大きく広げたレースが、第二部のシルバーのドレスにどこか似ている気がしました。







コンサートの日、こんなお花も頂きました。
先ほどご紹介したお着物をお召しの仲睦まじいご夫妻から。
清楚で、でも白ならではの艶やかさを持つ白花の素敵な花束です。
   花束    白玉椿
 そして、別の友人から。
 「白玉」という茶席の椿が二輪。
 花びらが内側に開くので八重のような華やかさはないけれど上品な風情なので、という言葉に添えて。

 コンサートの名残りが白く眩しく、我が家のリビングを包んでくれています。



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