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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

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ライヴ・コンサートのお知らせ

松峰綾音 ライヴ・コンサート・イベントのお知らせ
                     (2020. 4. 8 現在)
                                                               (通常のブログはこの下の記事から始まります)

  <コンサート延期のお知らせ>
 月の庭 vol.8 『月光微韻』
 無念ではありますが、この非常事態にあって、6月5日、 7月5日、両公演の開催を延期することと致しました。
 京都、横浜の同会場にて別途日程を調整中です。
 決まりましたら、お知らせ致しますので、どうぞお楽しみにお待ちください。
 すべてが収束して、穏やかで平和な日常が一日も早く戻ってきますように。
 どうぞくれぐれもご自愛なさってお過ごしください。

              
  
   松峰綾音 月の庭
     『 月 光 微 韻 』
         シャンソンと朗読のひととき  Vol.8

    
<2020年 6 月>  開催延期 日程未定

   
 旧日本銀行京都支店、辰野金吾氏設計の重要文化財で、威風堂々とした趣の近代建築、「京都文化博物館別館ホール」でのコンサートです


     訳詞 歌 朗読 松峰綾音   ピアノ  坂下文野
     日時  2020年6月5日 (金) 開場17:30 開演18:00                  
     会場  京都文化博物館別館ホール             

京博1 京博2

  <2020年 7 月> 開催延期 日程未定

   コンサートツアー、初の横浜公演です。

      
訳詞 歌 朗読 松峰綾音     ピアノ  三浦高広
        日時  2020
7月5日(日)  開場13:30  開演14:00 
        会場  岩崎博物館 山手ゲーテ座ホール

     

岩崎博物館2

   お問合わせは、いずれも管理者のメール(ブログ左下)、または WEB のコンタクトからお願い致します。  

 詳細は、順次ブログにてお知らせして参ります。
 

 

 コンサート 2019年そして2020年へ(2019.12.19)
  『月光微韻』 横浜公演 (2020.2.9)
      

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『たたかう植物 - 仁義なき生存戦略』

   ちょっと良い話
 このコロナ禍の中、トヨタ自動車の健闘ぶりが話題になっていますが、社員に向けて呼びかけた社長豊田章男氏の言葉が心に強く残りました。

 目の前のやるべきことに集中しよう!
 「先が見えない不安」に対し、真剣に取り組み、進めていけることを、全力で進めていきたい

 ネガティブの連鎖は、物事を悪くするばかり。
 深刻にならずに、真剣に。
 みんなで助け合って、感謝し合おう。
 こんな時だから、無理にでも笑顔になって乗り越えてゆこう。

 私も、一旦、ネガティブのるつぼにはまると、意欲が萎えて、目前の難問に向き合う勇気がなくなり、その言い訳のように、「深刻を装う」ことがある気がします。それは、逃れようとする自分へのストレス、怠惰のうしろめたさなのかもしれません。
 現実から目をそらさず真剣に取り組む勇気をいつも持っていたいです。
 そして、いつでも自然な笑顔でいられることは究極の聡明さなのだと刻んでいたいです。

   『たたかう植物 -仁義なき生存戦略』
 先ごろ読んだ、稲垣栄洋氏の著書(ちくま新書2015年刊)がとても興味深かったので、ご紹介したいと思います。
たたかう植物 植物についての専門書を読むことはこれまで殆どありませんでしたし、ただ漠然と、「植物は癒される」「動物と比べれば、植物は争いのない世界に生きる平和の象徴のようだ」と思ってきましたが、この書には、実はそんなことはなくて、「弱肉強食、適者生存の法則は植物の世界であっても何一つ変わらないのだ」と指摘されています。
 植物は熾烈な生き残りをかけて闘っている、地下における過酷な「バトルフィールド」が繰り広げられているという、「植物vs植物」から始まり、更にそれは、vs環境、vs病原菌、vs昆虫、vs動物、vs人間へと言及されてゆきます。

 6章に分かれたそれぞれに、具体的な植物の生態と「生存戦略」が様々に紹介されていてとても興味深く読みました。
 その全てをご紹介することはできませんが、たとえば、ドングリ。
 
 ドングリは「種子を散布するために種子そのものを動物に食べさせて利用するという荒業を行う植物」。
 秋になるとリスやネズミが冬の間のエサにするためドングリを集めにきます。
りす
 ドングリはクヌギやコナラなどの種子で、リスやネズミに食べられてしまいますが、運ばれて食べ残されたり、隠し場所を忘れられた一部が春になると芽を出すのです。
 ただし、小動物たちがお腹一杯になって食べ残すようにと、たくさんのドングリを作ればエサが豊富になり過ぎ、リスやネズミそのものの数を増やしてしまうことになります。
 そうなると、ドングリは食べ尽くされてしまうわけで、そこで、ドングリの戦略は、実をたくさん作る「生り年」と少しだけ作る「裏年」を設けたというわけです。庭にあった柿の木や梅の木を、お年寄りたちが「今年は裏年で実が少ない」と話していたことは、子供の頃によく耳にしましたたが、天候や肥料のためだけではなく、実はこのような巧みな自然界の調整だったとは全く知りませんでした。

 もう一つ。
 雑草の「生存戦略」についての文章も面白く読みました。
 雑草は強靭だと思っていましたが、筆者は、さにあらず、他の植物との競争に負けたすこぶる弱い植物なのだと指摘します。
スミレ そのため強い植物が侵入してこないような条件の悪い場所・・・乾燥地や肥料の少ない道端だったり、踏まれるあぜ道や草取りされる畑だったり・・・の逆境にあえて生存しようとしたのだそうです。
タンポポ 雑草はいざというときに備えて、地中に無数の種を準備しており、草取りされたり踏まれたりすると土がひっくり返り、地中にあった種が表面に出て光が当たる、それをチャンスととらえて我れ先にと芽を出すのです。他の植物が土の中で水分がないと発芽しないのとは逆に、「光発芽性」ということで、雑草にとっては逆境こそが順境ということになるのでしょう。

 これに加えて、筆者は、日本人だけが、「雑草」にある種の愛着を持ち、「雑草のように逞しく」、「雑草魂」に感嘆して、あっ晴れと拍手を送る稀有な民族だと指摘しています。
 アメリカの雑草学会は、雑草は「人類の活動と幸福・繁栄に対して、これに逆らったり、妨害したりするすべての植物」と定義していますし、自然は、人と相対するもの、征服すべきものという感覚を持っているとはよく言われることですが、日本においては、これとは異なり、自然への恩恵と畏敬、そしてその対極にある畏怖・脅威の念とを併せ持ち、共に受け入れ、共存していく、そのような感覚を持っているからでしょうか。

 あとがきに筆者は「植物は、生存戦略として、本来みずからの敵である生物と、双方に利益のある「共存関係」にたどり着いたのではないか」と述べています。
 それに比して、「人類は、世界中の生物を、地球環境を、征服し尽くそうとしている」、「太古の植物が、炭酸ガスを吸収して酸素を産生し、さらにオゾン層が生命体を生かすための砦となった。そうして作られた現在の地球、地球環境の生態系を人類が壊滅させようとする方向へと進んでいるのではないか」という警鐘を鳴らして、この書は締めくくられています。

 ダイナミックな植物のドラマ、物語を読んでいるような気がしてきました。

 植物の進化と生存の在り方を解明しながら、独自な見解から人類の叡智の在り方を示唆していて、とても興味深かったです。
 よろしかったら手に取ってお読みになってみてください。


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朗読の動画

   コンサート開催への願いを込めて
 本当なら6月と7月に開催していたはずのコンサート『月光微韻』。
 コロナ禍が長期化して、なかなか実現にこぎ着けられず、企画だけが宙に浮いたままで留まっています。

 コンサート・演奏会だけではなく、演劇・ダンス等の様々な舞台公演、映画・テレビに至るまで、それぞれの関係者が先行きの見えない現状に息を潜めている現状ですので、これも致し方ないのですが、それでも、どういう形なら表現が可能なのか、今だからこそできることは何なのか、深く内を見つめる時間にもなっているのだと思います。

 私に今できること、・・・自分のペースで粛々と、様々な曲に触れ、心に触れる作品を掬い出し、訳詞制作を持続してゆくことかもしれません。
 そんな風に思いつつ、家籠りが続いていましたが、夏の終わり、軽井沢で、いつもの友人たちとの再会が叶いました。
 前にお話ししたことのある『勝手に松峰綾音ファン倶楽部』の皆様です。

 距離を保ちながら、細心の注意をお互いに払っての団欒は、だからこそとても懐かしく貴重なひととき、皆それぞれが最近の出来事を語り合う中で、『月光微韻』のために用意した朗読作品を是非聴いてみたいとの声が上がりました。

 ソーシャルディスタンスが肝心、部屋の四隅に分かれ、遠ざかって聴いて下さる友人たちの前で45分ほどのプライベートな朗読会を行ったのです。


   ジャズと芥川、中也、朔太郎
 作品を読み始めたら、「何か意表を突くBGMがあったら、また面白さが増すのでは?」という意見が出て、では曲を探そうという話に急転直下。
 シャンソン、クラシック、童謡、ジャズ・・・
 ジャズをバックにして朗読してみたら、これまでにない不思議な雰囲気が醸し出されました。
 和気あいあいと、かなり長い時間の曲選びの末、満場一致でそれぞれの朗読作品に合わせる曲が決まり、音楽を流しながらの朗読タイムが始まりました。
 ビデオ撮影をいつも受け持ってくださる友人がいつの間にかカメラを回していて、出来上がった動画がこれです
動画
 5分ほどの動画ですが、この夏の「勝手に松峰綾音ファン倶楽部」の素敵な所産となりました。

 芥川の『黒衣聖母』は『月光微韻』コンサートの中心演目、かなりシリアスな作品ですし、舞台は江戸時代ですので、音楽を合わせるとすれば雅楽器がしっくりするのでしょうが、ジャズを流してみたら、和洋の融合、意表を突いた美しいイメージが生まれてきた気がします。

 シルエットだけの動画の、とてもセンスの良い映像にも感激してしまいました。
 ファン倶楽部の皆様、いつも温かい応援と素敵な作品の制作をありがとうございます。

 朔太郎の『月光と海月』も、中也の『月夜の浜辺』も、芥川の『ピアノ』も、月の光をイメージした「月光微韻」コンサートに予定している演目ですので、この動画はいわば予告編、coming soonということで、さわりだけでもお届けしたいと思い、ここに載せさせていただきました。
 幻のコンサート・・・・実現の折には、丸ごとじっくりとお聴きにいらしてくださいね。

   12月そして3月
 まだ正式発表の段階ではないのですが。
 実は一応、会場予約は取れているのです。
 二会場とも延期開催ということで申し込みを済ませ、横浜ゲーテ座ホールは12月13日、京都文化博物館ホールは3月20日開催予定となっています。

 でも、当日、お客様に万一のことがあったら大変ですので、コロナの広がり方を注視し、可能な限りギリギリまで待って、その時の状況で最終判断をし、改めてご案内したいと思っています。
 
 それまで、根気強く準備と練習を重ねて、皆様に喜んでいただけ、自分でも納得のいく舞台を目指していきたいです。



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二幕への序章

 コロナと熱中症のリスクの中で息をひそめるように過ごす夏となってしまいました。まだまだ辛抱が必要ですが、何はともあれ、めげることなく健やかに過ごしたいですね。

 家籠りの日々は、まず「家を旅する」ことから始めようとの友人の名言ですが、歌の活動がぴたりと止まっている現況の中で、ゆっくりと今、「我がシャンソンを旅する」のも良いのではという気がしています。

 シャンソンを初めて人前で歌った日のことを思い出し、前々回の記事『夕焼けのトラック』に綴ってみましたが、今日は、また別の、シャンソンの節目を旅してみようかと思います。

   「最初にして最後のコンサート」を決意する
 シャンソンは成行きで始めた趣味だったのですが、だんだん面白くなって4年間ほどレッスンを継続し、いわゆる有名な曲をかなりたくさん習得しました。
 当時教職にあり、多忙を極めていました。
 そのつかの間の気分転換に歌は何より心地よかったですし、生まれて初めて習った歌の世界が新鮮で、素直に心に染み入ってきた気がします。

 けれど、習い始めて4年目に公私ともに大きな転機が訪れました。
 鎌倉から京都に転居することとなり、それまで骨を埋めるほどの覚悟で愛着を持って従事していた教職を辞し、長年勤めた学校を離れることになったのです。
 
 学校での生活は、一日・一週間・一か月・一年のすべてのタイムスケジュールがしっかりと作り上げられていて、狂いなくそれに従って任務を遂行してゆくことがプロとしての使命でもありました。
 特にそういうことについては超真面目な私、それが長期間にわたって刻まれ続けたので、体内時計ではありませんが、それこそ身に刷り込まれていて、例えば昼食は12時15分から20分間・・・50分間の授業の後10分の休憩がありそれが一日7時間続き・・・というように全て規則正しく動いてゆくのです。
 朝は5時15分に起床して、お弁当作りまで含んで6時20分に家を出発するという毎日でした。

 それなのに、3月末日に退職した翌日からは毎日が休日となり、しばらくはどうしてよいかわからず、企業戦士のバーンアウトのような状態に陥りました。
 今、一時間目が始まった・・・とか、今日は月曜日、4時から職員会議がある・・・とか、果ては仕事に遅れる悪夢まで見る始末で、これから先どうやって生きていったらよいかという茫然自失のうつ症状のような日々だったように思います。

 そうは言っても、京都に転居する11月までの間に、これまでの後処理と今後の生活の準備など山のようにすべき仕事はあり、毎日飛び回っていたのですが。
 子供の頃から慣れ親しんだ鎌倉での生活、親戚縁者、多くの友人知人、そのすべてと離れて、新たな気持ちで新天地での生活に清々しく出発するために、目に見えるけじめを刻んで、気持ちを切り替えたいと、いつの間にか考えるようになっていました。

 その結果、思いついたのは唐突ながら「ランチタイムコンサート」

 お世話になった方たちや、大事な友人たち、親戚、そして同じ志を持って働いてきた職場の同僚、教え子たち、歌の仲間。
主だった方たちをご招待してこれまでのご縁に感謝を表わすささやかな会を催したいというアイディアが突然胸の奥を突き上げました。

 これまでのお礼の気持ちを伝えたい・・・・ゆっくりお食事を召し上がっていただこう・・・でも単なる食事会ではなくて、自分が最大限努力して今できる最高のおもてなしを添えたい・・・・趣味は今のところ歌しかないので、ではいっそ「シャンソンコンサート」を開催してみるのはどうだろうか・・・
 という突飛な発想で、80人ほどご招待のランチコンサートを行うことを即決しました。心によぎってから、会場を決定し、宣言するまで数日、しかも短い準備期間の中で、今思えば何という無謀な思い付きだったかと思います。

 一年に一回発表会はありましたが、でもそれは先生がすべて段取りして下さったものでしたし、それ以外に人前で歌うなど夢にも思っていませんでした。
 清水の舞台から飛び降りるつもりで立てたこの計画は、おそらく次の自分の人生へのステップを自分に課すような気負いだったのかもしれません。
 「一生に一回最初で最後のソロコンサート」、これを終えたらシャンソンも止めようかと考えていました。

   海の見えるホテルで
 今にして思えば,全力投球で心尽くしのコンサートだったように思います。
002 七里ガ浜の海を大きく臨むリゾートホテルの披露宴会場で、丸テーブルに席札付き、ホテル側も初めての試みということで、かなり肩入れをして下さったのですが、どこか勘違いで、まさにすべては披露宴そのものの設えでした。
004

 ランチコースの後、1時間半のコンサートで、ピアノとチェロの演奏に乗せて全17曲・・・初心者の私がよくも挑戦したものだと冷や汗です。

 集まった方たちには、教師一辺倒だった私がステージで歌を歌っているということ自体が信じがたい光景で、上手いとか下手とかいう以前の、不思議な状況にただ茫然としていたのではないでしょうか。
001
 でも、ともかくも和気藹々とした温かい雰囲気の中で無事終えることができたのは、私の思いに共感してくれた友人や教え子の皆さんの全面的な協力のおかげに他なりません。
 一度だけだからという思いがあったからこそ、火事場の力が発揮できたのでしょうし、周囲も許して受け入れてくれたのだと思います。
003
 シャンソンを習い、既成の訳詞で歌うことは、これが本当に最後となりました。その意味で、「我がシャンソン第一幕」はこの時下りた気がします。
 でもこの向こう見ずな挑戦で得たことも大きく、今もどこかで気持ちの後押しをしてくれているのかもしれません。
 その後、今度は自分で訳詞をした曲を歌うという活動を始めることとなり、今もって、相変わらずこれに関わっているのですからわからないものですよね。
 あのコンサートは「シャンソン第二幕への序章」でもあったのでしょう。

 人は、何かに決着をつけるとまた新たに違う道が開けてくる、という不思議なめぐりあわせを誰でも何回かは持っていて、そういう岐路、節目に今立っていると感じられる時があるのではと思うのです。

 人生は舞台で、最期の幕引きの時は誰にでも平等に訪れるのだとよく言います。
 ふいにあっけなく終幕を迎える人もいれば、美しい幕引きが用意されている幸福な人もいるのでしょう。
 自らの意志では動かしがたいことは別として、そして自分のステージが第何幕まであるのかも別として、最後の時がくるまで、引かれた幕を次のより良い幕への力に変えて行けたらといつも思います。



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We will meet again

 コロナ禍の中、4月5日にエリザベス女王が、イギリス国民に向けてビデオメッセージを発表されたその内容が国内外に感動を生んだことはまだ記憶に新しいですが、私もこのスピーチにとても感銘を受けました。
 特に反響の大きかった「we will meet again」という言葉。
 この言葉を今日は考えてみようかと思います。

   三遊亭金馬さんのオンライン落語
 先日NHKの「おはよう日本」で、「落語家・三遊亭金馬・91歳・戦争も新型コロナも乗り越えて」という特集を放映していました。
 今年91歳になられる三遊亭金馬さん。
 芸歴79年の現役落語家最長老ですが、2年前に脳梗塞で倒れて復帰が絶望的と思われていたそうです。けれど懸命なリハビリを続けられて、今は高座に復帰できるまでに回復なさいました。
 このコロナの時期、寄席も次々中止となる中、今回、江戸東京博物館でのオンライン落語「えどはく寄席」に初挑戦なさるという話題でした。
金馬
 ニコニコと終始微笑みを絶やさない金馬さん、江戸っ子の活舌で飄々と語る言葉が印象的でしたが、その中で「自分は長生きをしたおかげで、戦争も、闘病生活も、そして今度は未曾有のコロナまで経験させてもらうことができた。そういう中で考え感じてきた実感を落語に生かし、すべて笑いに変えてゆきたい」という強靭でしなやかなチャレンジ精神が本当に魅力的でした。

 コロナの時代もこれまで経験したことのない貴重な気づきととらえ、笑いと共感のネタにしてゆく、渦中での人間の心模様をじっと見つめ受け入れることによって、それを乗り越える力を得、笑いに変えるエネルギーにしてゆく、品格のある生き方とはこういうものなのだと、強く感銘を受けた次第です。
 誰もいない会場でただカメラに向かって落語を語り続ける金馬さんのその胸中には、きっと「we will meet again」と同様の思いが燃えていたに違いありません。

   エリザベス女王のスピーチ
 エリザベス女王のビデオメッセージは、新型コロナウイルスとの戦いに疲弊し混乱をきたしているイギリス国民に大きな勇気を与えたことでしょう。
 女王が特別な事態に際して国民に語りかけるのは、即位68年の間でこれが5度目なのだそうです。
エリザベス女王
 「私たちが、一丸となって団結し、強い意志を持ち続ければ、必ず病いは克服できる」
 「自律と不屈の心こそが大事で、将来「この困難に自分がどう対応したのか振り返ったとき、誇らしく思えるようになる」ことを願っている」

そして、
 「これからもまだ、色々耐えるべきことは多いが、必ず穏やかな日々が戻ってくる。それを支えにしてほしい。
  友だちにきっとまた会える。
  家族にもまた会える。
  私たちも 再び会いましょう」


 と結んでいました。
 「私たちはまた会いましょう」=「We will meet again」という結びの言葉は、第2次世界大戦中にイギリスで応援歌として愛唱されたヴェラ・リンの曲、「We will meet again」を踏まえた言葉なのだと聞きました。
 戦時下に愛する家族や恋人や友人と引き裂かれて、いつ再会できるとも知れないそんな不安なときの力強い応援歌だったのでしょう。

 世界中の人々が今置かれているこのコロナの状況は、本来あるべき人と人との絆や生活が根柢から覆された出来事と言えます。
 三密を避けて暮らさなければならない不自由な状態、リモートの距離感は、仕方がないとは言うものの、人が出会って、触れ合う本来の形とは言い難いのではないでしょうか。
 人にとって最も自然で心地よい幸せがきっと再び訪れる、それが「We will meet again」、今、国境を越えて大きく共感できる言葉だと思うのです。

 
   『スマホを捨てたい子どもたち』
 京都大学総長、山極寿一氏の6月発刊の著書を読みました。
山際
 山極さんは、小学生から高校生までの多くの若い層に、「スマホを捨てたいと思う人は?」と尋ねたところ、多くの子どもたちが手を挙げたという経験から、若い世代も、実はスマホを持て余しつつあるのではないか、と感じたというのです。

コロナ禍の時代を見据えながらこのような提言をしておられます。

 今、ぼくたちを取りまく環境はものすごいスピードで変化しています。人類はこれまで、農耕牧畜を始めた約1万2000年前の農業革命、18世紀の産業革命、そして現代の情報革命と、大きな文明の転換点を経験してきました。そして、その間隔はどんどん短くなっています。その中心にあるのがICT(Information and Communication Technology/情報通信技術)です。インターネットでつながるようになった人間の数は、狩猟採集民だった時代からは想像もできないくらい膨大になりました。
 一方で、人間の脳は大きくなっていません。つまり、インターネットを通じてつながれる人数は劇的に増えたのに、人間が安定的な信頼関係を保てる集団のサイズ、信頼できる仲間の数は150人規模のままだということです。
 テクノロジーが発達して、見知らぬ大勢の人たちとつながれるようになった人間は、そのことに気づかず、AIを駆使すればどんどん集団規模は拡大できるという幻想に取り憑かれている。こうした誤解や幻想が、意識のギャップや不安を生んでいるのではないか。 ぼくはそう考えています。そして、子どもたちの漠とした不安も、このギャップからきているのではないでしょうか。

 山極総長の語られるこれらの言葉にもまた、「we will meet again」が重なりました。もちろん論点は別ですが、人と人との真のつながりという共通した問題を提起されているのだと思うのです。

 また、「視覚と聴覚を使って他者と会話をすると、脳で、繋がったと錯覚するが、それだけでは、実は本当の信頼関係を築くことはできず、人とは、嗅覚、味覚、触角等の五感のすべてを使って人を信頼するようになる生き物だ」とも述べておられました。

 AIが成し得ないものがあるとすればそれは五感を通しての実感、信頼そのもので、「スマホを捨てたい子どもたち」はそういう漠然とした渇望を感じていると言えるのかもしれません。
 「we will meet again」の言葉がここでも切実な響きを持ってくるのでないでしょうか。


   「早くお会いできるようになると良いですね」
 友人・知人との電話の最後に、「早く穏やかな日々が戻って、またゆっくりお会いしてたくさんおしゃべりしたいですね」というのが最近の決まり文句になりました。
 相手からも私からも自然に素直に口をついで出てくる言葉です。
 早くそういう日が来ますように。


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夕焼けのトラック

 自分で訳詞を作り始めてからもう15年になりますが、出発当初、かなり気負って、これからは自作のシャンソン訳詞だけを歌おうと心に決めていました。
 かたくなな矜持でしたが、でも、これまでその決意はまだ破られていなくて、コンサートやいくつかのイベントでシャンソンを歌う時には、今も自作の曲に徹しています。

 もちろん、シャンソンを習い始めた頃は、先生から勧められる色々な曲を習い歌っていました。
 当時、シャンソンの名曲と言われるものを一生懸命練習しましたが、15年間、一度も歌っていないので、もう忘れてしまった曲もあり、ちょっと残念な気もします。

 昔の懐かしい譜面を整理していたら、シャンソンの初めての発表会のことを思い出しました。
 今日はそんな思い出をお話したいと思います。

   カルーゾを歌った日
 11月の夕暮れ、海岸沿いのレストランの窓に、空と海が朱に染まっていくのが映っていました。

 バイパスの渋滞で、車が速度を緩めます。
 ヘッドライトと夕焼けが混ざり合って、時折眩しく窓に射すのを見つめながら、ステージに立っていました。
 湘南バイパス沿い、七里ガ浜の海に面した全面ガラス張りのレストランで、初めて人前でシャンソンを歌った日のことでした。
湘南海岸夕日
 往年の名テナー、ナポリ出身のオペラ歌手エンリコ・カルーゾ( Enrico Caruso )、彼の愛と死を歌った「カルーゾ(Caruso)」というドラマチックな大曲があるのですが、これに向う見ずにも挑戦した初舞台でした。

 カルーゾが死にゆく時、愛する女性に最期の思いを語る曲です。
 日本でも人気の高い名曲ですが、イタリアのシンガーソングライター、ルチオ・ダルラが歌い、また、パヴァロッティの名唱でもよく知られています。

 カルーゾは公演先のアメリカから病気のため故郷ナポリに戻り、48歳の若さで亡くなりましたが、最期の時をナポリ湾に面するソレント半島のホテルで過ごしたということです。

 カルーゾが窓に映る夜の海を見つめながら、最愛の人に永遠の愛を歌い上げるその名場面、

   お前を愛した 死ぬほどに愛した
   この固い絆は 誰にも断ち切れない


 初舞台の緊張感も忘れ、主人公に感情移入をして、うっとりと夢み心地だったことを覚えています。
 レストランの窓から見える夕暮れの海はしっくりと歌にはまり、もうすっかりナポリにいる気分でした。

目を遠くの海に移したその瞬間、真正面の窓に、信号で停まった大型トラックのドライバーと目がしっかりと合ってしまいました。
 運転席の座席が、私の立つステージとちょうど同じ高さだったのでしょう。
カルーゾ
 真っ赤なドレスを着てスポットに照らされて熱唱する私と、それを囲む華やいだ客席の様子は、何だ?何だ??という感じだったのに違いありません。
 物珍しそうにじっとのぞき込む目とぴたりと合って、今でもその表情まで覚えています。
 いかにもトラック野郎という感じの精悍で、でも優しそうな方でした。

 海の色が刻々と夕闇に溶け込んでいました。
 波の向こうに遠く、薄く白い三日月が上り始めていたのも目に入りました。
 トラックのドライバーさんは、「頑張ってるね!」って言っているような笑顔を浮かべてこちらに手を振ってくれました。
 私も目で答えて、我ながら自分のこの初舞台は、なんてかっこいいのだろうなどと自画自賛。
 出来はというと、実はカルーゾを歌うこと自体が無鉄砲だったに違いないのですが、でも、この時の思い出は今でも忘れがたいのです。

 ここから私のシャンソンはスタートしました。

   訳詞以前
 当時、高校で教鞭を執っていて、寝食を忘れるような仕事三昧の生活をしていました。
 やりがいがありましたが、それにしても、少しは気分転換も大切かと思い始めていた矢先、シャンソンに夢中だった叔母に誘われて、半ば強引に引き込まれたのが始まりでした。

 何か知っているシャンソンを歌ってみて、と初めてのレッスンで言われたのですが、レパートリーは何もなく、聴いたことのあるのは『愛の賛歌』くらいでした。

 先生は「それはスタートとしては却って良いことです」「声が綺麗でシャンソンに向いている」とおっしゃって下さり、なんだか嬉しくなっているうちに一度だけの体験入学のつもりがいつの間にか習うことに決まっていました。
 今もって続いているシャンソンとの縁の始まりだったのです。

 先生の教え方は、まずお手本に歌うご自身の歌を録音してくださり、それをひたすら覚えこむ様にという和事の口伝のようで、下手に楽譜を見てはならないとも言われていました。
 当時は、忠実に丸ごと真似する習得の仕方をしていました。
 先生はハスキーな低音で声そのものにシャンソンらしい哀愁がありました。
 私はその対極で、しかも今よりもかなり細い高音域で歌っていたので、実は、いくら真似をしても全く違う歌に仕上がってしまうのです。
 でもだから工夫もしたので、結果的にはよかったのかもしれません。

 入門して10か月目に初めての発表会があり、それがこの「夕日の中のトラック」との遭遇だったわけです。

 それぞれの曲に、色々な思い出と時間が込められていて、ふと蘇ってくる情景があることをあらためて感じます。

 警戒宣言が解除されたとはいえ、都会ではまた患者数が増加して、思うように歌うことが叶いません。家にいる時間に、昔の楽譜やアルバムを整理していたら、シャンソンを習い始めた頃の思い出がよみがえってきて、今日のブログを書いてみましたが、改めて振り返ってみると、なんて気負っていたのだろうと少し気恥しくなりました。

 また安心して聴いて頂ける日が来ることを願いながらできる準備をしていきたいと思っています。


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バーモントからの便り

   お地蔵様とマリア様
 京都の自宅のすぐ近く、ビルとビルとのすき間にお地蔵様が祭られていて、早朝散歩に出かける頃、近隣の方がたいていお水やお花を取り替え、手を合わせているのに遭遇します。
お地蔵様
 お地蔵様のほうがずっと前からあり、そこにたまたまビルが建ったのでしょう。ビルの窪みにはまり込む様に、そっと残したのだと思われます。

 近くの錦市場の商店の方たちもこの前を通るとき、一様に手を合わせていて、時としては小さな花挿しに溢れるくらいたくさんお花が飾られていたりします。
 道端の小さな信仰はこのような時代でも変わらず生き続けていて、きっとご来光を仰いだり、お天道様を見上げたりするのと同様の自然で柔らかい想いなのだと感じます。

 今朝、お地蔵様の前を通った時、なぜか突然、ニューハンプシャーの道端にマリア像があったことを思い出しました。
 大きな教会に安置されているのではなく、お地蔵様のように何気なく路傍にあって道行く人を見守っている像。
マリア像
 以前米国ボストンで暮らしていた頃、友人を訪ねて、バーモントへのドライブする道すがらのことでした。

 当時の写真が残っていました。
 メープルの並木が一斉に黄葉してとても美しい景色、何気なく目に飛び込んできたマリア像が印象的でした。
 お花がたくさん供えられて、日本のお地蔵様、道祖神と同じなのだなと感動したのを思い出します。

 難しいことを祈祷するのではなく、日々の無事に感謝してただ手を合わせるだけ、それが似合う気がしました。

   バーモントからの便り
 以心伝心だったのでしょうか?
 そんなことをふと思っていたら、そのバーモントの友人Kさんから長いメールが届きました。

 彼女はあれからずっとアメリカで教鞭を執っていて、今はバーモントにあるミドルベリー大学で素晴らしいキャリアを重ねています。

 コロナ禍の中にあってアメリカは感染者数も格段に多いですし、どうしているか、いつも心配でなりませんでした。

 昨年の6月の清水寺でのコンサートにはご主人、ご主人のお兄様ご夫妻と共に、わざわざアメリカから駆けつけてくれました。
 お兄様たちもご主人も日本語があまりわからないのに、満席の中に身を寄せ合って、じっと熱心に耳を傾け聴いて下さっていました。
 その後、皆で和気あいあいと食事をしたことが、遥か昔の夢のような気がします。
 ああいう日がまた戻ってくるのでしょうか。考えると胸が痛くなります。

 現在、Kさんの大学も休校で、かなり前からオンライン授業になっているようですし、厳しい自粛生活を余儀なくされている様子が手に取るようにわかります。
 毎年、お嬢様と共に、ご実家に帰省されて、そのタイミングで私も年に一度、七夕様みたいに浮き浮きとお会いしていたのですが、それも今年は叶わなくなりました。
 地球の向う側で、皆それぞれ頑張っていることへのエールを込めて、ここに抜粋しながらご紹介したいと思います。

 ご連絡ありがとうございます。ご無沙汰しております。
 夏帰省のための日本への切符、ぎりぎりまで待っていましたが、泣く泣くキャンセルしなければいけませんでした。

 私も去年の京都旅行の写真を見ながら、懐かしく思っていました。大変お世話になり、ありがとうございました。今このような状態にいると、あの時の一つ一つの思い出がいとおしい奇跡のように思われます。

 三月のボストンでの学会は中止になり、大学は春休みを一週間早めて学生をキャンパスから出させて、普段より一週間長い二週間の春休みの後、オンライン授業に切り替わりました。西海岸やアジアに帰った学生もいたので、授業時間も増えたり変更になったりと、テクノロジーの面でも慣れないことばかりで六週間の授業とその後の試験期間を無我夢中で駆け抜けた感じです。その後も秋の準備のための会議とワークショップがZoomで続いています。

      ・・・・・・・・・

 バーモントは人口も少ないこともあり、比較的恵まれたほうだと思います。それでも、スーパーへは週に一度、なるべく人の少ない時にと、店が開く午前7時ごろマスクをして、それでもドキドキしながら行っています。天気がいい日は、ガーデニングをしたり、近くを散歩、ハイキング、自転車などと、あまり人に会わずに外に出られるのはありがたいです。

 大学は(恐らく経営面から考えて)学生達をキャンパスに迎え入れることを決めたのですが、秋の授業形態は先生方一人一人選べることになりました。私は、春学期後半の大変さを思い出すと迷う部分もあるのですが、安全面を考慮して今のところ、8月までの時間を使って準備を進めて、なるべく遠隔でやりたいと考えています。
   ・・・・・

 この後、一人娘のYちゃんの近況が綴られていました。
 Kさんとはボストンで短い間でしたがルームシェアしていたこともあり、ご主人との出会いも知っていますし、お二人の結婚式にも立ち会いました。
 現在まで変わらない親しいお付き合いの中で、Yちゃんは生まれた時からずっと見てきましたので、なんだか自分の血を分けた肉親、娘のような気持ちがします。

 幼いころから聡明な女の子で、現在はハーバードの大学院で公衆衛生学を習得し、世界に貢献しようと新たな旅立ちの時に立っています。
卒業式
 奇しくも、私とKさんが出会ったのもハーバード、いつの間にか長い年月が経ったのだなと思います。
 この6月がYちゃんの大学院の卒業式でしたが、コロナで通常の卒業式ができず、オンライン卒業式となったそうです。このお便りの最後に載せてあったYouTubeを早速見ましたが、卒業生一人一人の名前が呼ばれ、それぞれの写真が公開されています。
 赤ちゃんの頃から見てきたYちゃんの凛々しく成長した、でもいつもの可愛らしい笑顔がモニター一杯に映し出され感無量でした。
最後に卒業生たちが旅立ちの歌をオンラインでそれぞれ合唱し、それが美しい一つのハーモニーとなって流れました。

 Yちゃんに、そして卒業生の皆さんに、こんな状況だからこそ、更に幸多い出発となってほしいと心から祈ります。

   おまけのお話
 自粛生活の中で頑張っている彼女に陣中お見舞いと思い、京都の美味しいもの便を色々詰め合わせて、勢い込んで郵便局に持っていきました。
 早くて確実なEMS便でいつも送っているのですが、窓口で「アメリカ便をお願いします」と出したところ、受付の女性は「ちょっとお待ちください」と奥に引っ込んで何やら調べもの。戻って来られると「現在アメリカ宛ての航空便はすべて受け付けていません。船便でよろしければ。でもこの時期ですので、船便も3~4か月??・・・何か月かかるかは保障の限りではありませんが」と言われてしまいました。
 しばらくこのままにして、航空便解禁の日を待とうと思いますが、うかつにも、この事態は想定していませんでしたので、本当にびっくりです。
 皆様も外国便を発送する場合には、事前情報を収集なさってくださいね。

 いつもなら何気なく行っていることも、こんな風に滞ってしまうのですね。
 コロナが世界を包んでいることを改めて実感します。

 早く落ち着きますように。




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心に残ることば

   ご遺族のことば
横田滋
  6月5日、横田滋さんが亡くなられました。
 めぐみさんが拉致されてから43年間にわたる救出活動、途半ばにしてのご逝去は、無念いかばかりだったことでしょう。

  翌日のご遺族の記者会見、滋さんの人となりやご家族の皆様の絆の深さは、以前読んだご著書や講演会や映画などでもよく知っていましたが、改めて、語られる一言一言に深い感銘を受けました。
  情愛に満ちた、そして芯の通った確かな品格をご家族の皆様から感じましたし、記者質問も、そのエピソードやご家族の思い、歩まれてきた軌跡についてが中心だったように思います。
 
 滋さんがいかに秀逸な方だったかを導き出すような質問に対して、弟拓也さんがお答えになった言葉が心に残りました。

 「そうではなく、自分たちはごく普通の家族であり、父もまたそうだったのではと思います。」「娘が理不尽にも連れ去られた人の親であれば、誰だって同じことを思い、同じことをしていたのではないでしょうか」「これは横田家の問題なのではなく、日本の家族の誰しもがこうなったかもしれないという、自分の子供が、親が、兄弟が、同じ状況に遭遇したらどうなのか、誰でも同じ可能性があったことを思い、国全体が自分の事として、この大きな人権蹂躙について考えて頂きたいと思うのです」

 マスメディアも大局を見据える巨視的な観点から揺るぎなく問題を取り上げ伝え続けてほしいという強い要請を率直に述べていらっしゃいました

 国家を論じる一大事も、芸能人のゴシップネタも同じ溯上で話題性だけを追うようなワイドショー感覚に、マスコミも乗りがちになっている昨今への警鐘でもあるように感じました。

 滋さんの43年間はまさに、そのような大きな問題への尽きぬ挑戦でもあったのでしょう。思いを受け継いでいく覚悟に満ちたご家族の言葉が心に残ります。


   詩のことば
 石垣りんさんの『時の記念日に』という詩。
 以前から知っていましたが、今回心惹かれるものを感じ、改めて読み直してみました。

  私たちが一日のうちに 一番たくさん問いかけること
石垣りん  いま 何時?
  自分に向かって 周囲の人に向かって。
  それはたやすく答えられる
  時計さえあれば
  ちいさな子供でも答えられる。
  単純明快な時刻というもの
  自分も他人も信じて疑わないもの
  これほどかたちのない 
  これほど正確なものが存在するだろうか。
  しかもなお 限りなく尋ね続ける
  生きている命の この一瞬
  いま、何時?

 先の横田さんのお話もそうですし、コロナの脅威の中での昨今、「いま 何時?」と、生きていることを問われている気がします。

   店長のことば
 コンサートの時に着用するステージドレスを探すのはなかなか大変で、折に触れ、いくつかのお店を見て回ったりしています。
 そんな中のお気に入りの一つに「イソリ」があります。
 今はこんなご時世ですから、コンサートライブは軒並み見合わせ、ドレスショップも休業中のお店が多いのですが、先日、イソリのネットを見ていましたら、こんな記述がありました。
 
 店舗での接客は不可能と結論いたしました。
 日々ご来店される人々と商品の安全を、どのように確保できるのか検討した結論です。
 マスクや換気、動線で安全確保できる部分もあります。
     ・・・・・
 一番の課題は試着後のドレスを次の試着までに安全なものにすることの難しさです。
 直接に素肌が触れる商品にもかかわらず、試着の度に一着ずつ消毒液を吹きかけや洗濯はできません。
 それが連日続き1週間で相当数になります。
 昨日試着されたドレスを今日着ていただく訳にはまいりません。
 ドレスショップ毎の考え方だと思いますが数を販売できればいいということではないのです。
 
 音楽はかけがえのないもの、ドレスは素敵なステージの成功の一助を担うもの、こういう時だからこそ、コンサートを側面から応援せねばというオーナーの気概が溢れていて、仕事への矜持とはかくあるべしと、とても感銘を受けたのでした。
 当面はネットで動画を配信し、品物を詳細に紹介することによって、お店に来られたと同様の感覚で販売していくとのことです。
 早くコンサートを再開できますように。


   社長のことば
 新聞で読んだ話。
 私も昔使っていた新潟の大手暖房機器メーカー「コロナ」の社長が、社名に心を痛めている社員の子供に向けて、送るという手紙。

 もし、かぞくが、コロナではたらいているということで、キミにつらいことがあったり、なにかいやなおもいをしていたりしたら、ほんとうにごめんなさい。 かぞくも、キミも、なんにもわるくないから。
 わたしたちは、コロナというなまえに、じぶんたちのしごとに、ほこりをもっています。キミのじまんのかぞくは、コロナのじまんのしゃいんです。


 社員や家族を勇気づけるために、2300名の全社員にこのひらがなの手紙を送ることにしたそうです。石油コンロの青い炎と太陽の周囲に現れるコロナのイメージをあわせた「コロナ」がここにありました。


   友人のことば
 平凡であること、普通であることに徹するのは至難なところだが、ふつうの「日常」にこそ「生の充実」がある。

 友人がポツリと口にしたことば、しっかりかみしめたいと思います。




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『雨傘』

訳詞への思い
 今朝、額紫陽花が咲いていました。雨の季節がやってきますね。
アジサイ
 一昨年の『雨の日の物語』を思い出します。
 雨の歌、小説、詩をたくさん集めた、雨尽くしのコンサートでしたが、この時発表したZAZの『La pluie』を今日はご紹介してみます。

      『雨傘』
                        訳詞への思い<34>

   『La pluie』
 ZAZ・Ker-Eddine Soltani作詞、Vivian Roost作曲。
zaz
 ザーズ(ZAZ)の2009年のアルバム『Academ』に収録された曲である。

 原題の『La pluie』は「雨」という意味だが、私は『雨傘』と邦題をつけた。


 まずは、原詩とその対訳の全文を記してみたい。

  Le ciel est gris la pluie s'invite comme par surprise 
  elle est chez nous et comme un rite qui nous enlise 
雨の巴里  les parapluies s'ouvrent en cadence 
  comme une danse,
  les gouttes tombent en abondance
  sur douce France.

   空は灰色 雨が突然 降ってくる
   雨は私たちのところにやってくる 
  身動きできなくさせるように
   雨傘は調子を合わせて一斉に開く ダンスみたいに
   雨のしずくが豊かに落ちてくる  優しいフランスの上に

  Tombe tombe tombe la pluie 
  en ce jour de dimanche de décembre
  à l'ombre des parapluies
  les passants se pressent pressent sans attendre 

   降る 降る 降る 雨が
   12月の日曜日のこの日に
   雨傘の影に隠れて
   通行人たちは行き過ぎる 行き過ぎる 行き過ぎる 立ち止まることなく


  On l'aime parfois elle hausse la voix elle nous bouscule 
  elle ne donne plus de ses nouvelles en canicule 
  puis elle revient comme un besoin par affection 
  et elle nous chante sa grande chanson
  l'inondation 

   私たちは雨を愛し 雨は音を立てて勢いよく降ってくる
   雨は猛暑の時には何の便りもよこさないのに
   必要な時には戻って来て 私たちに大仰な歌を歌う
   洪水の歌を
  
                 (松峰 対訳)

 というのが原詩の全文で、あとは次のリフレインが何度も繰り返される。
   降る 降る 降る 雨が
   12月の日曜日のこの日に
   雨傘の影に隠れて
   通行人たちは行き過ぎる 行き過ぎる 行き過ぎる 立ち止まることなく

 勢いよく降る雨を、大地の恵みとし明るく享受する歌だ。
 一斉に傘が開き、足早に雨の中を急ぐ人々の様子が鮮やかで、色とりどりの傘の花がクルクルと街に広がってゆくのが見えてくる。

   『雨傘』
 リフレインの心地よいリズム感と、シンプルで大地の香りのする内容に惹かれて、この詩を『雨傘』と名付けて訳詞したのだが、花開く傘の中に小さな女の子がいても良いのではと思い、原詩にない赤い傘の女の子を登場させてみた。2番の詩である。
傘
 赤い傘 雨の中で 踊っている
 女の子 雨の中で 歌っている
 行き交う人 急ぎ足で 通り過ぎる
 力強く 勢いよく 大地を叩く

 tombe, tombe, tombe la pluie
 雨が降る 降り続いていく
 踊る 踊る 傘が踊る
 パリの街 優しく包む
 tombe, tombe, tombe la pluie
 恵みの雨 心を濡らす 
          (松峰 日本語詞)


 一つ一つの傘の中に、それぞれの物語があり、少女の楽し気な鼻歌には、真っ赤な傘が良く似合う。

 tombe, tombe, tombe la pluie =「トンブ トンブ トンブ ラ プリュイ」
 曲の肝はこの繰り返し。雨が降るのが見えてくる。

   「あめ あめ ふれふれ」~連想される雨の歌諸々~
 同時に、いくつかの雨の歌と、その情景が浮かんできた。

  「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかえ うれしいな
  ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」

 北原白秋作詞、中山晋平作曲、『あめふり』(大正14年)という童謡である。
 まさに、「 tombe, tombe, tombe la pluie」なのであるが。
 この歌詞は、実は、5番まであって、歌詞の中の男の子は、雨に濡れて独り木の下で泣いている子を見つけて、自分の傘を差し出す。
 「ぼくならいいんだ かあさんの おおきなじゃのめに はいっていく
 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」と締めくくられる。
 心優しい男の子の歌だが、斜に見れば、かあさんに甘えられる幸せを見せつけているとも取れないことはない。

 北原白秋は、これとは別に『雨』という童謡も書いて、これも良く知られている。こちらは少し物悲しい曲調で「雨がふります 雨がふる」と始まる。

  雨がふります 雨がふる  遊びにゆきたし 傘はなし
  紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒(お)が切れた
  雨がふります 雨がふる いやでもお家で 遊びましょう 
  千代紙 おりましょう たたみましょう
  雨がふります 雨がふる

 という調子でずっと続き、「昼もふるふる 夜もふる 雨がふります 雨がふる」と終わる。

 「いやでもお家で遊びましょう」という所はまるで今の家籠り生活みたいで思わず苦笑してしまうのだが、「tombe, tombe, tombe la pluie」が日本的メロディーにアレンジされて根底に流れている。
 ちなみに、「遊びにゆきたし 傘はなし」に、井上陽水の『傘がない』が思い出された。
  「行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
  つめたい雨が 今日は心に浸みる
  君の事以外は考えられなくなる それはいい事だろう?」

 「雨が降って、傘がない」のは、学生運動の挫折というこの時代の喪失感と虚脱感の象徴のようにも思われるが、白秋の「雨」は童謡でありながら、そういう薄暗がりのような雰囲気を予見しているようで興味深い。

 最後にもう一曲。
 矢代亜紀のヒット曲『雨の慕情』(昭和55年阿久 悠作詞)もやはり「tombe, tombe, tombe la pluie」の仲間。
  「雨々 ふれふれ もっとふれ 私のいい人 つれて来い」
 演歌風な味付けの中で供された曲と言えるかもしれない。


 様々に飛躍してしまったが、これからの季節、雨が降り続ける様子、雨音に、
 音楽と物語を聴き取る感性を磨いてゆけたら楽しいのではと感じている。 
                               Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を固く禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  ZAZの歌う原曲です。お楽しみください。



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