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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

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ライヴ・コンサートのお知らせ

松峰綾音 ライヴ・コンサート・イベントのお知らせ
                     (2019. 10. 22 現在)
                                                               (通常のブログはこの下の記事から始まります)

              
 <2019年12月> 
   松峰綾音 月の庭
    『白 の 情 景』
   シャンソンと朗読のひととき  Vol.7

     今年のクリスマスは、「白」に包まれた世界に静かに心遊ばせて下さい。

      訳詞 歌 朗読 松峰綾音   ピアノ  坂下文野
       日時   2019年12月21日(土) 開場13:30 開演14:00
                       ドリンク付 4000円
       会場   巴里野郎KYOTO
白の情景チラシ巴里野郎
             
白なら純白でなくっちゃ・・・

誰もが信じる 雪の白さ
信じられている雪は せつない

この雪はどこをえらぼうにも
あんまりどこもまっしろなのだ


       
      Program 『永訣の朝』宮澤賢治 作 朗読
              『白』芥川龍之介 作 朗読
             「生きてゆく痛み」 バルバラ
             「小さなトーシューズ」C.チャップリン ほか

     
   お問合わせは、いずれも管理者のメール(ブログ左下)、または WEB のコンタクトからお願い致します。  

 詳細は、順次ブログにてお知らせして参ります。
 

 「白の情景」開催いたします(2019.10.22)


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「白の情景」開催致します

 今回の台風の被害は甚大で復旧も思うに任せず、未だ大変な困難の中にいらっしゃる方々も多く、報道映像など見るにつけ胸が痛みます。
 長い辛労で体調を崩されませんように。
 一日も早く安寧な生活が戻られることを心からお祈りいたします。

 そんな中、今日は久しぶりの慶事、「即位礼正殿の儀」がとり行われる佳き祭日、これ以上、多くの人が自然災害に苦しめられませんように、国内外が平和で幸せでありますように、との願いを共に込めつつ、静かにお祝いしたいです。

 さて、そのような日、私事のささやかなご報告ですが、12月のコンサートのご案内をしたいと思います。

 「清水寺 成就院コンサート」が終った6月から、コンサート活動は小休止して、訳詞創りや、これまで懸案だった幾つかのデスクワークに専心してきました。
 来年になったら改めてと、思っていたのですが、実は、急に気持ちが動き、12月にライヴコンサートを開催することに致しました。

 いつも聴きにいらして下さるお客様たちから、「今年のクリスマス・ライブはいつですか?」とのお問い合わせがあり、それに背中を押されたのかもしれません。
 この数年の巴里野郎でのクリスマス・ライブが、いつの間にか恒例であるように皆様の中でインプットされ、楽しみにして下さっていると知り、何だかとても嬉しくなってしまいました。
 継続するってこういうことなのかしら、私もクリスマスのステージは大好きですし、・・・。
 そんな矢先、或る明け方、ライブのテーマと、朗読したい作品が、突然閃いて、・・・神がかりみたいでちょっと怪しげですが・・・・今年もやってみようと決めたのです。

 コンサートタイトル名は『白の情景』です。
白の情景チラシ巴里野郎

 チラシデザインもやはりその明け方に鮮やかに閃き・・・・テンションの高い目覚めってあるのですね!・・それに従ってあっという間に出来上がりました。

←こちらです。




   

松峰綾音 月の庭 
   シャンソンと朗読のひとときvol.7
      『白の情景』

   白なら純白でなくっちゃ・・・

   誰もが信じる 雪の白さ
   信じられている雪は せつない

   この雪はどこをえらぼうにも
   あんまりどこもまっしろなのだ


    2019年12月21日(土)
    13:30開場 14:00開演 ドリンク付 4000円
    巴里野郎KYOTO

   松峰綾音 (訳詞 歌 朗読)
   坂下文野 (ピアノ)

   『永訣の朝』宮澤賢治 作 朗読
   『白』 芥川龍之介 作 朗読 
   「生きてゆく痛み」 バルバラ
   「小さなトーシューズ」C.チャップリン 他

 
   松峰綾音 月の庭

   松峰綾音 月の庭 
   シャンソンと朗読のひとときvol.7
   『白の情景』

 これまで続けてきました「シャンソンと朗読のひととき」のシリーズもこれで7回目となりますが、今回から、「松峰綾音 訳詞コンサート」改め「松峰綾音 月の庭」とタイトルを変えることにしました。
 私の中では、<月が照らし出す静謐な夜に様々な情景が浮かび上がる>というようなイメージなのですが、これからのコンサートを通して、深化させてゆきたいですし、その意味合いもお伝えしてゆけたらと考えています。
 そして、これまでにもコンサートの中で取り上げてきた「朗読」の割合を増やしたいとも思っています。

 白の情景・・・

   白なら純白でなくっちゃ・・・

   誰もが信じる 雪の白さ
   信じられている雪は せつない

   この雪はどこをえらぼうにも
   あんまりどこもまっしろなのだ

 チラシに記した上記の文章は、今回朗読する作品からの一節、夏目漱石・吉野弘・宮沢賢治・・・それぞれの作家たちの世界観が「白」という色に凝縮されている気がします。

 「白」の彩りの中に思いっきり染まって頂けたら嬉しいです。
 切なかったり、心が痛かったり、束の間の安らぎを感じたり、さまざまな言葉・文学、そして歌の世界に心遊ばせる、一味違ったしみじみとしたホワイトクリスマスをお楽しみくださいね。

 チケットのお申込み・お問い合わせはいつものWEBコンタクトからお願い致します。



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オルゴールそして琵琶

 
秋の空
 明け方の冷気を受ける心地よさがたまらなくて、この季節は益々早起きになっています。
 
 早朝の秋空。
 
 夏バテの心身もようやく覚醒し、ソロソロと始動してきました。
 このところ、コンサートや演奏会に出かけることが増えていますが、そんな中から今日は二つご紹介してみたいと思います。

   オルゴールに乗せて
 『和サブロー令和元年秋のツアー 古来稀なる歌をあなたに~』
 とても素敵なコンサートでした。
和サブロー
「和サブロー」さんは京都出身のシャンソン歌手、私はもう10年来のファンなのです。

シャンソン歌手として国内外で活動する和(わ)サブローさんが70歳の誕生日の20日、ふるさとの京都で記念ライブを行う。シャンソンの本場フランスから京都に拠点を移して7年。全国8カ所でライブツアーを展開中の和サブローさんは「フランス語と日本語という楽器で歌い続けたい」と意気込んでいる。
 
初めてシャンソンを聴いたのは14歳の頃。ラジオから流れるエディット・ピアフの歌声に衝撃を受け、シャンソンの世界を目指すことに。
フランス語を磨くためにパリのソルボンヌ大に留学。一時帰国したが、29歳で再びフランスに戻り、本格的なシャンソン歌手への道を歩み始めた。ピアフも歌ったシャンソンの殿堂・オランピア劇場への出演を果たし、2週間にわたるソロ・コンサートも連日満員にした。2000年には、仏政府から芸術文化勲章のシュバリエ章を授与されるなど、本場でも認められる存在となった。
         
                      (2019 9 19 産経新聞より抜粋)

  日本語もフランス語も、発する言葉がとても生き生きして、人柄がそのまま言葉となって染み入ってくるという印象を受けます。
 京都五花街の一つ、上七軒(かみしちけん)に生まれ育って、子供の頃の遊び相手は舞妓さんだったというだけあって、コンサートの間のトークも、花街の男衆のような生粋の京言葉が流麗に流れます。
 たくまぬユーモアをちりばめたその間合いにも、話術とはかくあるべきと感心させられるばかりです。
 コンサートの中のほとんどの曲を原語のフランス語で歌っていらっしゃるのですが、日本語同様、その響きもまた非常にしっとりとした味わいがあって魅力的、生半可なところがなくて、美しく伝わって来るのです。
 フランス人が聴いてもフランス人以上のフランス語で、きっと深い感動を与えるのではないでしょうか。

 言葉の力とはそういうものなのでしょうね。

 ステージ中央に飾られた70本の深紅の薔薇。
 この日古希を迎えた彼を祝うスタッフからのプレゼントなのでしょうか?

 コンサート後半、スイス製の手回しオルガンがステージ上に運ばれ、手回ししながら「パリのロマンス」を歌われました。
 ハンドルを回す手が少し遅れればそれにつれテンポも遅くなる、何とも長閑な演奏、オルゴールのノスタルジックな音色が古きパリの街に誘ってくれるような心地よい9月の宵でした。

   琵琶が奏でる物語
 昨年の東福寺「採薪亭演奏会」から早や一年が過ぎました。
大慧殿
 今年の演目は、筑前琵琶の演奏と創作狂言、私はビデオ撮影をお手伝いしながら、客席側から観賞させて頂きました。

演奏会のテーマは「西郷隆盛」、主催者の東福寺即宗院は西郷隆盛ゆかりの塔頭ですので、それにちなんでのことなのでしょうね。
 琵琶の演目は「西郷隆盛」と「城山」の二曲で、その間に創作狂言「無血開城」が入ります。

 琵琶奏者、片山旭星(きょくせい)さんのプロフィールから一部抜粋します。

1977年より筑前琵琶を人間国宝 山崎旭萃、山下旭瑞、菅旭香に師事。
88~89年、新内を人間国宝 岡本文弥に師事。
90~96年、肥後座頭琵琶を、最後の琵琶法師と言われた山鹿良之に師事。その旋律、奏法を次代に伝える数少ない琵琶奏者として、玉川教海の名前で活動している。
 一方、古典のみならず、現代邦楽、民族音楽等、ジャンルに捉われない演奏活動やジャズ、ダンサーとのセッションライブ。演劇、舞踏の音楽制作、作曲など、幅広い活動を通して、琵琶という楽器の持つ独特の音色を生かした新たな可能性を追求。
 
琵琶
 「西郷隆盛」はその劇的な生涯を、そして「城山」は非業の死を題材とした弾き語りです。
 片山さんの深く響く声と琵琶の切々たる音色が幕末の動乱の世界の動と静に導いてくれる気がしました。

 様々な歌のルーツは、東西を問わず吟遊詩人の弾き語りに始まっていると思われます。
 こんなにゆっくりと琵琶の音色を楽しんだのは初めて。
 琵琶法師が平家物語を歌い語ったその言葉に、琵琶の響きは寄り添ってきたのだということを肌で感じました。
 静かに流れる「いにしえの時」に身を委ねる心地よさ、贅沢な時間でした。
無血開城
 そして、西郷隆盛と勝海舟との切迫した対面の場面を独り狂言で演じた「無血開城」、なかなかの力作で、脚本も自ら演者の杉井玄慎和尚様が手掛けられたとか。
 狂言ならではの滑稽味を添えて、動乱の中の人間模様を鮮やかに描いて見せて下さり見事でした。

 耳を傾けて様々な音、言葉に感応したくなる秋が、いよいよ深まってきます。




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小さな夏休み

八月の終わり、どことなく秋の気配が感じられます。

 療養中の両親と共に浅間山麓で過ごしているうちにあっという間に、私の八月は過ぎてゆきました。
 東京に仕事に出掛ける以外は、家事・介護に専心する日々、でも高原の新鮮な野菜を中心として、体に良い食材をふんだんに使った料理を作り、心なしか<血液サラサラ>状態で身も心も軽くなってきたような気がしています。

 少し体調を回復した両親を無事送り届け、後数日になった夏休み、小さな山の家にこもって、できるだけどこにも出掛けず、清々しい空気や、木漏れ日や、木々を渡る風音、樋をつたう雨の勢いなどに、静かに心を浸したいと思っています。

   「勝手に松峰綾音ファン倶楽部」一年ぶりの再会
 ・・・・と思っていたのですが、当地で昨年発足した「勝手に松峰綾音ファン倶楽部」の仲間たちと一年ぶりの賑やかな再会となりました。

 昨年はyoutubeの制作をしていただいたり、スタジオでミニコンサートを催したりと音楽関係のイベントが盛り沢山だったのですが、今年はそれは小休止。
 その代わり、皆様の発案で、これからの活動のためのパンフレットを作成することになりました。
 既に八割がた出来上がっているのですが、完成したら、改めてご報告したいと思います。
途中大幅変更もあり、何日も膝を突き合わせ、盛り上がり、時間を費やしたなかなかの力作で、お気に入りの出来栄えなのです。

 そのようなわけで、「勝手に松峰綾音ファン倶楽部 令和元年夏の集い」は専らインドアだったのですが、途中気分転換を兼ね、近場にちょっとだけ出かけようということになりました。

   北軽井沢 浅間牧場
 陽射しの眩しい日、「高原の休日」らしく、浅間牧場に行ってみることになりました。


   丘を越えて行こうよ
   真澄の空は 朗らかに晴れて
   楽しい心
   鳴るは胸の血潮よ
   讃えよ わが青春(はる)を
   いざゆけ 遙か希望の丘を越えて

 じっくりと味わってみると、清々しく明快で、格調の高い美しい日本語だと思います。
 昭和初期に藤山一郎さんが歌って大ヒットした往年の名曲『丘を越えて』の一節ですが、この浅間牧場を舞台として詞が作られたとのこと。

 そして、昭和26年制作の日本初総カラー映画、『カルメン故郷に帰る』のロケ地でもあるということで、当時は大変な人気だったようです。

 休憩所の一隅には、ノスタルジックな香り漂う映画のポスターや『丘を越えて』のレコードジャケットなどが掲げられていました。
 当時の大女優、高峰秀子さんが水玉のワンピースで美しく牧場の丘に佇んでいる写真など、大切に展示されていて、ほのぼのとした空気を漂わせています。

 牛たちは牛舎で午後のまどろみなのか、姿を見ることはありませんでしたが、信州の山々に囲まれた見渡す限りの牧草地が目に眩しかったです。

 聞くところによると、軽井沢をこよなく愛し生前何度も訪れていたというジョン・レノンが、この牧場を、どこにもないほどの絶景であるとして大絶賛したとか。
 浅間牧場
 皆でワイワイ言いながら丘の頂まで登り、記念写真。
 鮮やかな緑の中、和やかな牧場の昼下がりの雰囲気が伝わるでしょうか。

   45分間の遊園地
 浅間牧場からほど近いところに、「おもちゃ王国」という遊園地があります。
 子供たちに大人気のアミューズメントパークで、夏は連日賑わいを見せているのですが、「この遊園地のフリーパス券をこの間何枚も頂いたので、試しに皆で行ってみませんか」という仲間の突然の提案に一同即賛同。

 でも時計を見ると17時の閉館まであと45分しかありませんでした。
 人気のアトラクションは結構並んでいるし、<ご家族で一日楽しめます>という充実した施設、一瞬、「ビュッフェタイムは後45分しかありませんが本当にお入りになりますか」と入り口でウエイターさんに確認されたときみたいな気分になりました。

 ディズニーランドの対極にあるようなオーソドックスな正統派遊園地で、心が和みます。
木馬
 一番レトロな<回転木馬>と<観覧車>、そして<ゴーカートの電車版>みたいな乗り物に乗ってみました。
電車
 大人同士でこういう場所・・・と、当初少し憚られたのですが、カップルは勿論、女性グループ、男性グループなど、大人だけで来ている方たちも割と多くいて、すぐに溶けこんでしまいました。

 思えば私は子供の頃、遊園地にはあまり興味がなくて、ほとんど行ったことはありませんでした。
 家の中で本ばかりに夢中になっていた超本の虫、今になって遅ればせながら神様が帳尻を合わせてくれたのかしらと、なんだか可笑しかったです。

   小さなバースディー
 そして最大のハプニングは、このバースディーケーキ。
 嬬恋村の朝取り新鮮キャベツです。
キャベツのケーキ
 今年も8月21日を「勝手に松峰綾音ファン倶楽部」の皆様にお祝いしていただき、とても幸せでした。

 「ハッピーバースディー」の歌、飛び切りのウイットと優しいお心遣いに大感激。

 夏にこうして再会して、屈託なくおしゃべりし、近況を伝え合い、温かい心を通わす・・・・良い仲間に出会えた幸せをかみしめています。

 そんな8月も今日で終わりです。



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『風のうわさ』

訳詞への思いタイトル
 前回の記事からすっかりご無沙汰してしまいました。
 成就院コンサートが一段落してちょっと一休みのつもりが、気づけば夢のようにひと月余りが経っています。

 実は、コンサート後、訃報が続いて、ひどく気落ちする7月でもありました。
 親しい友人、先輩、大好きだった叔父と叔母、相次いで・・・・・人の世の無常を思わずにはいられません。
 今、こうしていられることの幸せが、胸に沁みます。

暑中見舞い

 遅い梅雨明け宣言と共に、猛暑の日々。

 友人からこんな素敵な暑中お見舞いを頂きましたので、ご紹介させていただきます。

 私はといえば、38℃超えの京都を離れ、今、両親の療養のため共に軽井沢で過ごしています。
 昼間はさすがに30℃になりますが、夕暮れ時になると涼しい風が吹いてきて、それが何よりのここでのご馳走。
 夏に順応できず、熱中症寸前だった母もようやく体調を回復しつつあります。

 ここにいると梢を抜ける風の音が心を和ませてくれます。
 遠くから風が近づいてくる微かな音が聞こえてきます。

 落葉松林の風景を見ながら、久しぶりに「訳詞への思い」、『風のうわさ』を取り上げてみたいと思います。

      『風のうわさ』 
                            訳詞への思い<28>

   カーラ・ブルーニ
 2002年にリリースされたカーラ・ブルーニCarla Bruni のファーストアルバム『Quelqu'un m'a dit』。
カーラ・ブルーニ
 彼女の自作曲を集めたこのアルバム中に、同名のタイトルで『Quelqu'un m'a dit(ケルカン・ マ・ディ)』という曲が収録されている。
 <誰かが私に言った>という意味だが、『風のうわさ』という邦名で既に紹介されているので、私の訳詞のタイトルもこれに従った。

 サルコジ前フランス大統領夫人として注目された「カーラ・ブルーニ」は、1967年、イタリア・トリノ生まれ。フランスでスーパー・モデルとして人気を博したが、2002年歌手に転身。
 <美貌と知性、そして素晴らしい音楽的才能。そのすべてを神様から与えられた類まれなる逸材、カーラ・ブルーニ>
 このうたい文句と共に、ファーストアルバムは、世界中で100万枚を超えるヒットになった。

    Quelqu’un m’a dit 
  
  <冒頭部分 対訳>
  On me dit que nos vies ne valent pas grand chose
  人は私に言う。私たちの生きていることに大きな価値などないって
  Elles passent en un instant comme fanent les roses.
  人生は薔薇が枯れてゆくように、一瞬で過ぎてゆく
  On me dit que le temps qui glisse est un salaud
  人は私に言う。過ぎてゆく年月は卑怯者だ。
  Que de nos chagrins il s’en fait des manteaux
  私たちの悲しみを重ねていくことだから。
  Pourtant quelqu’un m’a dit…
  けれども、誰かが私に言う。  
    
  Que tu m'aimais encore
  あなたが私をまだ愛していると
  C'est quelqu'un qui m'a dit que tu m'aimais encore.  
  あなたが私を愛していると言ったのは誰かだ
  Serait-ce possible alors ?
  それはあり得ることかしら?

  
   <「風のうわさ」 松峰 訳詞>
  生きることに大した意味なんてないって 人はいつも言う
  悲しみだけ抱えたまま 色褪せていく薔薇のように
  でも 誰か言う
  
  そう あなたが 私のこと 愛しているって
  ねえ まだ今も 
  本当かしら?
  誰がささやくの?

 歌の中の女性は、失くした恋をどのように偲んでいるのだろうか。
 カーラ・ブルーニは、夢みるように、美しい幻影を見るように、淡々としたウィスパーボイスで歌っていて、さらりと、風のささやきに紛れるような密やかな繊細さが感じられる。
 力一杯悲恋を歌い上げる日本の演歌の対極にあるような世界・・・。
 風の音のような曲、戸惑うような未成熟な喪失感を、訳詞にそのまま映し取りたかった。

 そして、彼女は、ある夜更けに、誰かが囁く声をはっきりと聴く。

  彼は貴女のこと 今でも愛しているわ
  でも これは秘密 誰にも言ってはだめよ

 この曲『風のうわさ』を最初に歌ったのは2008年の内幸町ホール、訳詞コンサートvol.2「もう一つのたびだち」のことだった。
 懐かしくなって、古い写真を取り出して改めて観てみた。
 10年前の自分、あの頃から大いに変わったような、そうでもないような・・・・

   『風に寄せて』
 立原道造の詩『夏花の歌』の朗読を6月の成就院コンサートで取り上げたのだが、同じノスタルジックな世界を漂わせている立原の詩『風に寄せて』を思い出した。
 カーラ・ブルーニの歌をBGMに、この詩を朗読したなら、きっと情景が共に重なってくる気がする。

    『風に寄せて』抄 立原道造

  風はどこにゐる 風はとほくにゐる それはゐない
  おまへは風のなかに 私よ おまへはそれをきいてゐる
  うなだれる やさしい心 ひとつの蕾
  私よ いつかおまへは泪をながした 頬にそのあとがすぢひいた

  風は吹いて それはささやく それはうたふ 人は聞く
  さびしい心は耳をすます 歌は 歌の調べはかなしい 愉しいのは
  たのしいのは 過ぎて行つた 風はまたうたふだらう
  葉つぱに わたしに 花びらに いつか帰つて



 カーラ・ブルーニのファーストアルバムのジャケットも今となってはとても懐かしく感じる。初々しい若さに溢れていて素敵だ。
 原曲はここからお聴きください。
真似


昨夏、真似して、おどけて、こんな写真を撮ってみました。

如何でしょうか.。
                                   Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)
 





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「成就院コンサート」のご報告

 「松峰綾音・成就院コンサート」、お陰様で無事終了致しました。

 思えば、2016年に出演依頼を頂き、足掛け4年をかけて準備を進めてきたひときわ感慨深いコンサートとなりました。
 当初は遠い先のように思われましたが、それでも時は確実にやってくるものですね。

 今回もたくさんの皆様のお励ましとお力添えを頂きましたことに心から感謝申し上げます。

 東京から駆けつけて下さったカメラマン沢木瑠璃さんの写真と共に、このコンサートを振り返りたいと思います。

   開演まで
 天気予報が「梅雨入り 京都全域終日雨」と言っているのに、「綾音さんのコンサートだから絶対晴れますよね?!晴れ女でしたよね!大丈夫ですよね!」との強力な念押しメールが前日から次々と届く中、きっちり晴れて、またまた記録更新でした。
清水坂
 最近は、清水坂はいつもこんな様子です。
 色々な国の言葉が喧騒の中に響き渡り、どこか不思議な異国に迷い込んだような気がします。
成就院への道
見上げれば、向こうに清水の舞台。

左のわき道を行くと成就院への道しるべが出てきます。

大きな案内板。
成就院の玄関入口にも同じ看板が緑の中に際立っていました。
看板 成就院入り口

 朝一番で音響・照明のスタッフの方が甲斐甲斐しく働いて下さっていました。
ピアノ
 この日は坂下さん推奨のローランドのデジタルピアノ。
リハ始まり戸を開ける

 入念な音調整を終えて、リハーサル開始。

 本番はガラス戸を自分では開けませんでした。

 定員を大幅に超える120名のお客様が予定されていて、スタッフが会場作りの真最中です。


遠方の友人から届いた素敵なお花。
   花束    プログラム
 受付には、プログラム。
 「「月の庭に誘われて」のコンサートタイトルにぴったりの素敵なデザイン」と何人もの方にお褒め頂きました。
庭を見る
 やがて開場の14時になり、あっという間に客席が埋まってゆきます。
 皆様は、縁先に座って、しばし、名園「月の庭」に見入っていらっしゃいました。
 爽やかに初夏の風が吹き抜けます。
控室から
 
 さて、開演。いざ出陣。

 控室からステージに向かう私です。



   一部 「月光微韻」
 6月の眩しい光に、成就院の緑がひと際映えます。
一部2

 波打つガラスが、大きな長い額縁のように庭園の美しい全貌を映し出していました。
青い光


 北原白秋の詩『月光微韻』の朗読。ブルーのスポットライトに、静寂な月の夜が出現します。

 そして『綱渡り』、『綱渡りの夢』と曲が続きます。

   月の光が 彼を包み
   綱の上を歩ませる
   息をのんで 胸弾ませ 綱渡りを見上げる

   祭りの賑わいの中 屋根の上を軽やかに舞う
   彼はまぶしく輝き 私はただ影となる


 「月の光」を思った時、綱渡りのこんな姿が私の中に浮かんできました。
一部1
 高い空の真ん中で、ゆらゆら揺れる細い綱をどこまでもつたってゆく。
 ・・・・そんな貴方に手を差し伸ばしてももう届くことはない・・・・

 切ない恋の物語として歌ってみたかった曲です。
 
 今回のコンサートのために新たに訳詞した曲はこれも含め4曲。
 皆様の心に届いたでしょうか。

   二部 「ひとすじの糸」
 この衣装、とても評判が良かったのです。
二部1
 生地のオレンジ色が朱塗りの漆のように浮かび上がっていて、その中に蔦がつたうように黒い乱れ模様が流れています。
 実は3年前にこの服地を見つけて、今回の成就院コンサートに是非着用しようと作っておいたのです。
 蜘蛛の糸が、天上から一筋、垂れてくるイメージでもあります。
蜘蛛の糸
 
 『蜘蛛の糸』の朗読。赤のライトで演出して。

二部のテーマは「祈り」、ミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」の中の一曲『異教徒のアヴェマリア』という曲も久しぶりでご披露してみました。
二部3
 先頃のノートルダム大聖堂の火災へのお見舞いと、そして、「音楽の祭日」が希求する、「民族、宗教、あらゆる差異を超えて世界が平和で一つになるために」の主旨に敬意を表しての選曲でした。
 「歌の中のマリア様が観音様と重なって感じられた」との友人からの言葉が何より嬉しかったです。
二部4
 最後の曲「たびだち」。初めて聴く方の多い中で、これまでにないほど大きく唱和して下さって会場いっぱいの大合唱になりました。

 そして、アンコールの幸せな顔です。



 そのあとは「松峰綾音カフェタイム」。
五龍閣
 清水坂にある「夢二カフェ 五龍閣」という大正ロマンあふれる洋館で行ったのですが、こちらにも50名余りの皆様がご参加下さり、歓談弾む楽しいひと時となりました。

 有難うございました。

 すべての皆様に改めて心から感謝申し上げます。



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水無月 ~「守株」の雑感

 梅雨に入りましたね。

 6月はなぜ「水無月(みなづき)」と呼ばれるのか。
 元々は「水張月(みずはりづき)」で、雨でたっぷりと水がある時だから。
 あるいは反対に、暑さに向かい水不足になるから。
 諸説ありますが、夏を待つ雨に紫陽花が良く似合う季節です。

   FM京都の出演、無事終わりました
 5月27日(月)、FM京都「SUNNY SIDE BALCONY」に出演してきました。
 通称「αステーション」の名で親しまれているFM京都は、四条烏丸通りに面したCOCONというお洒落なビルの10階にあります。
FM京都
 早速、局の入り口に向かいます。

 放送局は、様々な資料が散乱し、いかにも情報番組・報道現場という雑然とした感じなのではという先入観がありますが、このαステーションは、資料室もスタジオも躍動感が一杯なのに整然と落ち着いて、優しい雰囲気があり、居心地の良い空気に包まれていました。

 スタッフの皆様の明るい声に迎えられ、一気に気持ちが高揚し・・・。

 この日のDJの慶元まさ美さんは、既に本番中でした。
 しばし、応接室でスタンバイして、やがてゲストコーナーの時間となり、スタジオに招き入れられました。
 慶元さんとの「初めまして」のご挨拶は、正真正銘「初めまして」。
 とてもチャーミングで聡明な感じの方で好印象、ぶっつけ本番のスタートです。

 「大体こんな質問を振ります」というメモ書きをディレクターの方から事前に頂いていたのですが、始まってみるとその通りには行かず・・・・。
 出だしの「日本のシャンソン訳詞の現状」辺りのお話で、既に慶元さんから細部に関わる質問が次々と投げかけられました。
 「そこを聞いてほしかった!」と思う的確な問いかけに、俄然、私も舌が滑らかになってゆきます。
FM京都スタジオ
 そうこうしているうちに、あっという間に時間が来て。
 気がつけば<長くて10分位で!>というタイムスケジュールのはずが、いつの間にか20分間も話していたのでした。
 でも、トーク番組ですから、自然に話が展開し盛り上がるのは、まずは成功ということですよね。

 素敵な機会を頂きましたこと、お世話になりました局の皆様に心からお礼申し上げます。
 リスナーの方々に、訳詞やシャンソン、言葉と音楽というものに、少しでも興味を持って頂き、何かが心に届いたなら、とても嬉しいです。

 ラジオはマイクの向こうの皆様のお顔が見えないので、一方的に声を飛ばすだけのような気がしてしまいますが、そんなことはなく、私の言葉・声を受け止めていて下さる方の存在が強く感じられます。
 そんな不思議な思いを身に沁みこませながら、楽しくお話しさせて頂いたのでした。

   「守株」その密やかな効用
 先頃、或る季刊誌からのご依頼を受けて、『「切り株」考 三つの物語』という随想を書きました。
切り株1
本当は丸ごとここでご紹介できればよいのですが、それも・・・・ですので、「守株」という言葉を取り上げた部分のみ転載してみようと思います。

 これを書いたときは、特別意識しなかったのですが、近づくコンサートを待つ今、そしてこれまでも、もしかしたら、まさに「守株」の心境をどこかで持ち続けてきたのではないかとも思われるのです。

  「守株」その密やかな効用

   宋人有耕田者。
   田中有株。兔走触株、折頸而死 。
   因釈其耒而守株、冀復得兔。
   兔不可復得、而身為宋国笑。(出典 韓非子)

 「株を守る」
 この中国の故事が、北原白秋作詞の童謡『待ちぼうけ』の原典であることはご存知でしょうか。
 ある日、目の前で兎が切り株に躓いて死んだのを見た農夫が、それからというもの、耕すこともせずに、次の兎がぶつかってくるのをひたすら切り株の前で待ち続けます。いつの間にか畑は荒れ果て、それでも「待ちぼうけ」する彼は国中の笑い者になったというお話です。
 「人はきっかけさえあれば、どこまでも怠惰になる」、「美味い話はないのだから、やはり地道に努力するのが一番」、「一発逆転のギャンブルの魔力に溺れるな」等々教訓は山ほど出てきます。


 では、自分は、切り株の前で待ってはいないだろうか?
 そうしたいと思う衝動はないのだろうか?
 もしかしたら誰もが、切り株の前で佇みたいような気持ちがどこかにはあって、それは愚かしいけれど、また、漠然とした一種の生きる救い、夢のようなもので、その効用も、人にはあるのでは、などとも密かに感じたのでした。


切り株2
 一度、幸運にも兎を手にした経験があるからこそ、そういう僥倖が再びあることを信じたいと思う気持ち、希望、確信のようなものに夢を繋ごうとするのでしょうか?

 二匹目の兎がまた飛び込んでくるかもしれないと思う虫の良いこんな夢も、人の生きる力の一部になってくれているかもしれず、あながち悪いものではないと感じられてきます。

 勿論、「守株」の訓話の中の男のように、株の前で何もせずぼんやり居眠りばかりをしているのは論外ではありますが・・・。

 日々ベストを尽くしつつ、でもその中で、万事うまくいくという太平楽な夢を根拠なく、ぼおっと見るというのもまた心地よいのでは。

 コンサート一週間前、こんな水無月の雑感です。



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5月、6月のイベント

 「令和」の幕開けから早や20日余り、なぜか最近、忙しい日々が続いています。
重なるときには重なるもので、仕事も私用も。 
 そして千客万来。
 何十年ぶりの友人との再会まで続いて、我ながらびっくりです。

 そんな中で、先頃決まった企画も含め、6月末までに、3つのイベントがありますので、今日はそれをご報告したいと思います。

   5月27日 FM京都に出演します
 まずは5月27日(月)、FM京都(89.4MHz)に出演することが決まりました。

   SUNNY SIDE BALCONY
   [Mon–Thu] 11:00–15:00
   松峰出演時間 14:20頃から


 SUNNY SIDE BALCONYという昼間4時間にわたる情報番組で、この日のDJは慶元まさ美さんという方、この時間の中で出演させていただくことになりました。
 現在までの歩み、訳詞やコンサート活動の今、そして、これからのコンサート情報などについても色々お話をということで、昨日、そのアウトラインが届いてきました。
FM京都本社
 DJからの質問事項が列挙されていますが、どの項目にも「適宜ご回答下さい」とありますので、実際、本番になってみなければ、どのような展開になるかはわかりませんね。
 14時20分からが私の出番となります。
 10分間くらいでしょうか?
 そんなに長い時間ではないと思うのですが、「時間は気にしないでご自由にお話くださいね」というディレクターさんからの優しい言葉。
 「私、興が乗り出すと止まらなくなるのですよ・・・それで大丈夫ですか?」 と、心の中で呟きながら、静かに呑み込み、「ありがとうございます」とにっこりと微笑んだのでした。

 ラジオは大好きですので、今からワクワク、楽しみでなりません。
 昨年末にご縁があり、この出演のお話を頂いていたのですが、この度、実現することとなりましたので、リスナーの方に興味を持って耳を傾けていただけるよう、自然体で、自分の思いをお伝えできたらと思っています。
 5日後ですが、皆様もよろしかったら、お聴きになって下さいね。

   6月21日 「成就院・松峰綾音コンサート」、準備たけなわです
 連休後、音響・照明等の打ち合わせで、会場である成就院に足を運びました。

 委員会の方が、ステージ設営資料のためにと写してくださった会場の写真です。広々としたこの空間が賑やかに埋め尽くされるのですね。
成就院会場1 成就院会場2
 爽やかな五月の陽射しの中、木々の緑も柔らかく、いつもの静寂な風情を漂わせていました。

 客席やステージのレイアウトや、音響・照明の具体案が次々と決まってゆくにつれ、本番のイメージがより鮮明に浮かんできます。
 私にとって、今の最も大切な努めは、皆様に喜んでいただけるような充実したコンサート内容を仕上げてゆくこと、そして、当日までの心と体の管理に専心すること、それに尽きるのではと改めて思います。

 申し込みの締め切りが迫ってきています。(5月末日迄)
 まだ座席にゆとりがありますので、ご案内の要領にしたがって、委員会宛に参加申し込みの往復はがきをお出しになってくださいね。

   6月29日「フェット・ド・ラ・ミュージック音楽の祭日2019」に参加します
 フランスで始まった「音楽の祭日(フェット・ド・ラ・ミュージック)」が全世界、そして日本でも様々な場所で6月21日を中心に前後一週間の幅を持って開催されていることは、これまでにもお話してきましたが、この度、6月29日(土)に、「アンスティチュ・フランセ関西」で開催される「音楽の祭日」に出演することに致しました。

 場所:アンスティチュ・フランセ関西(旧 関西日仏学館)稲畑ホール
 日時:2019年6月29日(土)開場12時30分、13時~21時
   松峰出演時間 16 :00~16 :25


 こちらも昨年末からお話があったのですが、つい先頃出演の詳細が決まりご連絡を頂いたところです。
 13時から21時まで8時間、今年は、全14団体が稲畑ホールのステージに次々と登場して演奏を行う、ホールを開放して、聴衆も自由に出入りし、楽しむという、まさにフランスのフェット・ド・ラ・ミュージックの雰囲気満載の陽気なイベントです。

 昨年も聴きに行きましたが、会場の前庭にテントが張られて、雑貨や手作りアクセサリー、食べ物の店などもたくさん出店する「マルシェ」も大賑わいで、「音楽の祭日」を盛り上げます。
 フランス大使館でもあるこの会場にはフランス人の方々も多く集って、日頃の静謐な語学学校が、素敵な音楽のお祭りへと変わります。
 まさに「フェット・ド・ラ・ミュージック」の原点がここにある気がします。

 2012年、もう7年前になりますが、まだ関西日仏会館の名称だった頃、この稲畑ホールをお借りして、訳詞コンサートを開催したことを懐かしく思い出しました。
 あれは雪の降る2月、しっとりと落ち着いた素敵な雰囲気の中でのコンサートでしたが、今回は、プロもアマも入り混じり、ジャンルもポップス、ジャズ、クラシック、コーラス、歌あり楽器の演奏ありの、文字通り自由な音楽の舞台で、一団体一律25分間の演奏時間の中で、自分の音楽を披露するというフェット=お祭りへの参加です。

 これもご縁、成就院コンサートが終わって一週間後ですが、もうひとつ違う形で、このような「音楽の祭日」にご協力できることをとても嬉しく思っています。

 こちらは整理券もなく、本当にぶらりといらしていただければOK。
 皆様、よろしかったら! お待ちしています。

 上記3つのイベントのすべてのお問い合わせはいつものWEBのコンタクトからお願い致します。

 これが全て終わると7月。
 8月生まれの私、大好きな夏の到来です。

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「名付ける」ということ

   「平成」はあと二日です
 「平成」も後二日で終わり。
 年の瀬のような気分で、周囲を片づけてみたり、行く年を振り返ったり・・・。どことなく高揚感を感じています。
青葉京都2
 元号が変わるGW、皆様はどのような思いの中でお過ごしでしょうか。

 新元号が発表されてから、このひと月、新聞やテレビでも、「平成」を振り返る特集が多く組まれていますし、そんな映像を見たり、記事を読むにつけ、平成30年間の歩みが改めて思われます。

   元号発布のとき
 「平成」
 30年前、「平成」の元号が発表された時のことを覚えていらっしゃいますか。

 当時、私はボストンで暮らしていました。
ボストンの冬
 何気なくテレビを付けた時、JAPANの文字が突然大きく画面に現れ、昭和天皇崩御のニュースが流れました。
 昭和64年1月7日の事でした。

 それから、アメリカのテレビの海外報道の扱いとしては、類を見ないほどの長時間、昭和天皇の半生を伝えるドキュメンタリーが映し出されました。
 即位の時から戦争を挟んで現在までの軌跡を丹念に追って、キャスターたちも喪に服しながら、とてもしめやかに哀悼の意を伝えていました。
 きっと随分前から既に健康状態のことが伝わっていて、万一の場合に備えて周到に映像を準備していたのに違いありません。
冬のハーバード
 ここは日本なのではないかと錯覚するくらい、何度も繰り返しニュースは流れ、そして、この崩御のニュースを引き継ぐかのように、新元号の発表の様子も放映されました。

 喪服に身を包んだ当時の官房長官の小渕恵三氏が『新元号は「平成」であります』と、色紙に書いた文字を大きく掲げたのを、私は、ドキドキしながら、ボストンで目にしたのでした。
 <日本の元号というものは何であるのか>の説明をアメリカ人のキャスターが熱心に語っていましたが、どのような内容だったのか、残念ながら今ははっきりと覚えていません。
 ただ、「長く続いた自分たちの時代「昭和」が終わってしまったのだ」という喪失感がヒリヒリと心に沁み入ってきて、自分でもびっくりするくらいショックを受けたことを思い出します。
 「日本の大きな何かが終わってしまった」という、説明のつかない空虚な想いが溢れてきた気がします。
樹氷2

 異国で知ったから・・・・昼間でも外はマイナス10℃にもなるアメリカ東海岸の寒い1月、独りで迎えた新年だったから・・・なおさらだったのかもしれませんね。

 「平成」という文字にも響きにも、初めは大きな違和感がありました。
 過ぎた時代を噛みしめる暇もなく、次の時代はこうして当たり前のように始まるものなのかという戸惑いと共に、初めて元号というものの意味を思った時でもありました。
 でも人ってすぐ順応してしまうらしく、ほどなく「平成」は当たり前になりましたけれど。

 「令和」
 天皇退位という初めての状況の中で行われたこの度の新元号の発表は、多くの人の心に、30年前とは全く異なった感慨を生んだであろうと思われます。

 クリスマスプレゼントを開ける前の子供のように、じっと期待を膨らませて、発表を待つ、そんな盛り上がりがありましたね。


  万葉集から採ったという「令和」の文字。

    初春の令月にして 気淑(よ)く 風和ぎ

 美しいです。

 「万葉集は漢字で書かれているのだから日本の古典ではない」
 などという異論があると聞きますが、文化とは、様々な時代、様々な民族の積み上げてきた知的・物的遺産を継承し、影響・融合し合いながら更に成熟、結実してゆくものなのですから、その進化発展の固有な過程こそがオリジナリティーと言えるのではないでしょうか。

 万葉仮名は明らかに我が国独自の文化。
 繊細で美しい大和言葉を漢字で表記した創造性を、誇りに感じます。

 「令和」に込められた「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という大きな志を実現すべく、新時代のスタートを切りたいですね。

   「名付ける」ということ
 例えばイギリスが「ビクトリア王朝」というような呼び名で時代を認識するように、元号と似たような考え方は、他国にもあるとは思いますが、でも、現在、元号を西暦と併用し、実生活の中で共存させている国って日本だけなのではないでしょうか。
 他国との関係の中では、西暦で統一した方がわかりやすいということも事実ですが、西暦と使い分け出来る柔軟性って、とても素敵だと私は感じます。

 西暦は数字ですから、明快で効率的ではありますが、元号のようなその時代特有の彩りは望めません。

人は、名付けられることによって、その人としての輪郭を鮮明にするように、 「明治」「大正」「昭和」「平成」、それぞれの元号に、それぞれの時代に生きた人々、歴史の空気、物語が見えてくるのではないでしょうか。
 独自な色合いが、元号で名付けられることによって浮き上がってきます。
青葉京都1
  父母の時代、祖父母の時代、曾祖父母の時代を感じながら今を生きることが、文化を受け継ぐということなのではないかと思うのです。

 「令和」と名付けられた時代を、共に生きてゆく私たちが、今度はどのような足跡を残して行くのでしょう。

 そんなことを考えて過ごす休日です。




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