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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

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『紋次郎物語』出版しました

 今日は嬉しいご報告があります。
 家籠りの日々の中で一年間ひたすら執筆を続けていましたエッセイが昨年末に完成しました。
 このブログに以前連載していた『紋次郎物語』を覚えていらっしゃるでしょうか。もうずいぶん経つのですが、今でも時々嬉しいご感想を頂いたりしていました。でも何よりも自分自身、本の形にして書き残しておきたいという強い想いがずっとあった気がします。
 幼い頃の愛猫との思い出を綴った極私的なエッセイではあるのですが、私にとっては懐かしい温かい香りそのものであり、現在訳詞をし、歌を歌う時、一番伝えたいと思う世界の原点になっている気がしているからかもしれません。

 ブログに綴った記事を何度も何度も読み返し、加筆修正し、ようやくできたささやかな一冊の私家本。
 手に取ってじっと眺めてはため息で、夢見心地の毎日です。

 初めての出版。
 たくさんの皆様にお励ましお力添えを頂きました。
 原稿の整理、構成、レイアウト、デザイン、挿絵、本のサイズや紙質、表紙や扉、ページの打ち方に至るまで様々検討し、そうやって一冊の書籍にと形を成してゆくプロセスはまさに感無量で、本当に幸せな経験となりました。

 紋次郎物語 密やかで品格のある白い本にしたい・・・そんなぼおっとした私のイメージを、「アワアワしい本」「綿のように軽やかなほっこりする本」ができますよ・・・と編集の方とデザイナーさんが汲み取り叶えて下さいました。
 これが『紋次郎物語』です。

「和紙のふわっとしたこの手触りをみんなに味わってほしい!!」
親バカならぬ紋次郎物語バカで、今私は愚かしくも自画自賛の極致、木のてっぺんで降りられなくなっています。

   まえがき
 かつての愛猫「紋次郎」へのオマージュではありますが、同時に、この猫たちとの小さな物語を通して、当時過ごしてきた家族の姿、人との絆、すべてを含んだ佳き昔日へのオマージュそのものでもあると思っています。
 そんな想いを込め、プロローグにはこう記しました。

  ある日 一匹の のら猫が 訪ねてきました。
  それは 優しい母猫でした。
  母猫に託された 三匹の仔猫と 一緒に過ごした十五年の日々。
  仔猫たちは、最高ののら猫、最高の飼い猫 になりました。
  猫にも美しい言葉や、想いや、魂があるのです。
  これは猫たちが見せてくれた、
  奇跡のような輝く時間を巡る物語です。

 今、皆様に少しずつこの本のご案内を始めたところです。
 様々なご感想を頂くのがとても嬉しく、「紋次郎」「ねこきち」「まだら」、ずっと昔の思い出の中にだけ住んでいた猫たちがまた鮮やかに蘇ってくる気がします。
 読んでくださる皆様にとっても、この『紋次郎物語』が、記憶の底にある動物とのふれあい、幼い日の家族との出来事や、その時々の心持ち等、大事なものに再び出会うきっかけとなって頂けたら・・・・そんなことを思いながら、ほんのりとした温かさに包まれています。

   あとがき
 あとがきの最後の文章です。

     ・・・・・・
  『紋次郎物語』、楽しんで頂けましたなら幸いです。
  期せずして知っていただくことになった自分たちのこの小さな物語を、猫たちは戸惑いながら、恥ずかしがりながら、きっと、どんなにか喜んでいることでしょう。
・・・・・

 書籍になった『紋次郎物語』
 お問い合わせはWEBコンタクトから承ります。



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ライヴ・コンサートのお知らせ

松峰綾音 ライヴ・コンサート・イベントのお知らせ
                     (2021 .1. 1 現在)
                                                               (通常のブログはこの下の記事から始まります)

  <コンサート開催決定のお知らせ>
 延期を余儀なくされていました 月の庭 Vol.8 『月光微韻』ですが、2021年3月に開催予定となりました。
 両会場とも、新型コロナの感染動向を注意深く見守りながら、まずはお客様が安心してコンサートを楽しんでいただけることを第一に考えて参ります。座席数も通常定員よりは大幅に縮小致しますので、お出かけ頂ける方はお早めにご予約下さいますと幸いです。なお、コンサートが中止になった場合は、全額返金させていただきます。
 会場に入場の際は、コロナ対策のために会場の規定に沿って、お客様にご協力をお願いすることになりますが、よろしくお願いいたします。
 このような時だからこそ、歌と言葉で心をつなぎ合いたいと切望いたします。
 どうぞくれぐれもご自愛なさってお過ごしください。

月光微韻チラシ表面
              
  
 松峰綾音 月の庭
   『 月 光 微 韻 』
    シャンソンと朗読のひととき  Vol.8

    
<2021年 3 月>  

   
 旧日本銀行京都支店、辰野金吾氏設計の重要文化財で、威風堂々とした趣の近代建築、「京都文化博物館別館ホール」でのコンサートです


     訳詞 歌 朗読 松峰綾音   ピアノ  坂下文野
     日時  2021年3月20日 (土) 開場17:30 開演18:00                  
     会場  京都文化博物館別館ホール             

京博1 京博2

  
   コンサートツアー、初の横浜公演です。

      
訳詞 歌 朗読 松峰綾音     ピアノ  坂下文野
        日時  2021
年3月27日(土)  開場13:30  開演14:00 
        会場  岩崎博物館 山手ゲーテ座ホール

     

岩崎博物館2

   お問合わせは、いずれも管理者のメール(ブログ左下)、または WEB のコンタクトからお願い致します。  

 詳細は、順次ブログにてお知らせして参ります。 
 

『月光微韻』コンサート3月公演決定 2020.12.27

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2021年、佳き一年となりますように

 新年明けましておめでとうございます。
 今年は穏やかで希望に満ちた年になりますように。

 薄紫に染まり始めた朝明けの空に見入っていたら、一瞬雪がどこからか流れてきました。
 舞う雪の間から明けの明星がキラキラと光っていて幻想的でした。
 元旦の京都の早朝、清澄な空気に包まれた新年の始まりです。
2021年賀状
 新型コロナの感染者数は昨年末から更に増大して厳しい幕開けではありますが、早く収束して本来の落ち着いた生活がすべての人に戻ってきますように。
 しばらく続きそうな辛抱の時間を粘り強く乗り切ってゆきたいですし、この逆境こそをプラスに転化できる強さと柔軟さを獲得してゆきたいと心底思います。
 まずは健康第一。心身が疲弊しないよう、皆様、どうぞ安全対策を怠らず充分ご自愛なさってお過ごしください。

 用心は怠りなく、でも恐れることはなく、気持ちはいつも自由で明るく前向きに。

 色々な方たちがそんな生き方を自然にしていて、感銘を受けることが多い一年でした。
 今年はそれに学びながら、自分も心豊かに生きてゆけたら・・・一日一日を大切に過ごしてゆきたいと思います。
 
 3月のコンサートからスタートしますが、果たして無事開催できるでしょうか。不確定なことが多いですが、今出来ることは最善を尽くし、後は大きな流れに委ねて参りたいと思います。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


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『月光微韻』コンサート3月公演決定

 新型コロナで終始した令和2年ももうすぐ終わり。
 あっという間だったような、色々目まぐるしく変動したような、・・・・
 でもこの非常事態の中でも、幸いにも、自分も親族・友人・知人皆も無事で過ごせたことにまずは感謝しなければならないと思います。
 この一年の体験や胸に去来する想いを持ち寄って、しみじみと人と心通わせ語り合いたいような心持ちになる年の瀬です。

 さて、本日はコンサートのお知らせです。
 6月から延期を繰り返してきました『月の庭 vol.8」ですが、2021年3月に開催することを決定いたしました。
月光微韻チラシ表面



   3月20日(土)17:30開場 18:00開演
     京都「文化博物館 別館ホール」

月光微韻チラシ裏面修正最終稿電話消し



   3月27日(土)13:30開場 14:00開演 
    横浜「岩崎博物館 山手ゲーテ座ホール」


 6月当初の予定通りの会場です。


 安心してお客様にいらしていただける時期をずっと慮っていたのですが、なかなかコロナの完全収束には至らず、一度すべてを白紙に戻そうと考えたこともありました。
 でもこんな時だからこそ、同じ場にあって、歌と言葉の世界を媒体として、心を感じ合うことには大きな意味があるのではと思い直し、今は、細心の注意、最善の対策を講じた上で、開催を目指したいと、意気高まっています
 もちろん、果たして3月にどのような状況に至っているのか予想もつきませんので、その時々に柔軟に対処することは言うまでもありませんが、ともかくも、準備に全力を尽くして、素敵なコンサートの実現に向かいたいと思います。

 コンサートの構成、選曲への思いも、長いコロナ禍の月日を通して、自分の中で微妙に変化してきた気もします。
 内容を更に昇華して、今だからこそ発信したいコンサートをお届けしようと思います。

 京都・横浜両会場とも、新型コロナの状態を見ながら慎重に判断し、直前でも状況によって撤退の覚悟で臨んでいます。
 また、場合によってはライブ配信の形も視野に入れるかもしれませんが(その際にはまた改めてお知らせいたします)、まずは、感染予防対策を万全とし、座席数も両会場とも通常定員数より大幅に縮小して開催致しますので、お出かけ頂ける方はお早めにご予約下さいますと幸いです。
 チケット予約・お問い合わせは、いつものようにWEB松峰綾音のコンタクトからお願い致します。

 なおコロナ関連でコンサートが中止になった際には料金は全額返金致します。
 また当日、体調がお悪いような場合には、他のお客様の安全を考慮の上、入場をご遠慮いただきたく存じます。この際にもお知らせ頂けましたら料金は全額返金させて頂きます。

 会場の消毒・換気等につきましては徹底を図りますが、お客様には、
   *マスク着用、ご来場の際の検温と手指の消毒の協力
   *すべてのご来場者のお名前・メールアドレス・電話番号などの登録
  (当日のコンサートに関するご連絡以外には個人情報は使用いたしません)
 以上の対応にご協力下さいますように。
 
 3月を前にして、まだ鮮明な形にはなり切れていないにしろ、心の奥にうごめいて、何かが生まれ出ようとするようなもぞもぞとした奇妙な感じがあるのです。コンサート当日までそういう気持ちと向き合う中で、どんな結実が生まれるのか、不安と期待の入り混じった自分自身への挑戦でもあります。

 この状況の中で、友人・知人になかなかゆっくり会うことができません。
 だからこそ、電話やメールや手紙で、さりげなく声を掛け合う時が、とても貴重に感じられたりもしますね。
 それぞれが、一筋縄ではいかない様々な事情や思いを抱えていて、お互いの会話の中では、つかの間、その思いのたけを吐き出し合ったり、あるいは言葉少なく「ともかく元気なら何より」とうなずき合ったり、・・・。
 そういうことが、生きる上で本当に大切なのだと思い知らされる日々でもありました。
 色々な場面で、ささやかな心の触れ合い、何気ない言葉の積み重ねに助けられ支え合って、「人は在る」のだと改めて実感する昨今、この度のコンサートの決心につながったのもそんな思いからだった気がしています。

 詳細はこれから、折々ご案内してゆきますが、まずは、コンサートの第一報をお知らせいたしました。



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むらさきいろの情景

 二週間前、ついに思い切って目の手術を受けました。

   水晶体再建術
 子供の頃から本の虫だったのがたたったのか、極度の近眼だったのですが、加えて白内障も若い頃から発症し、滲んで見えづらいのが日常になっていました。
 支障も多くなってきたので、長年の懸案の水晶体再建術(=白内障手術)を両眼とも受けることをついに決意したのでした。
 簡単な手術だとは前々から聞いていたものの、手術恐怖症で、メスとか麻酔とかいう言葉には震えがくる質(たち)ですので、実は、私としては決死の覚悟だったのです。
 「命がけ」みたいな気分で情報収集をし、ようやくこの方ならと納得できるお医者様に出会うことができました。
 万全の構えでの出陣でしたが、お陰様で無事成功しました。

 白内障手術というのは、大雑把にいうと、濁りが生じた水晶体を取り除き、代わりに眼内レンズをはめ込むという手術です。
 そのレンズには、大きく多焦点と単焦点の2通りがあります。
 単焦点レンズというのは、一か所だけにくっきりとピントの合うレンズの事。例えば遠くが良く見えるレンズの場合は手元眼鏡が必要になり、反対に手元の文字などがはっきり見えるように設定すると、遠くはぼやけるので近眼用の眼鏡が必要になります。
 遠近どちらもそこそこの視力が欲しい場合には多焦点レンズが有効で、距離に関係なくかなりクリアな視力を回復できます。

 この頃は、この多焦点レンズの開発が進んで、少しずつ身近になってきたようです。
 私も現在の目の状態と、舞台で朗読をすることも考え合わせ、思い切って、最新の多焦点レンズを使って頂くことにしたのでした。

 手術後一週間は、昼夜、眼球保護のためゴーグルのような眼鏡をかけて過ごし、洗顔洗髪等も禁止され、ただひたすら静かに過ごしていましたが、ようやくこの期間も過ぎました。二か月間はまだ目薬をさし、日常生活に気を付けねばというものの、ほっと一安心!

 秋葉原の白内障専門のクリニックで手術を受けたのですが、手厚く万事に行き届いていて信頼してお任せすることができました。
 手術そのものは両眼合わせても10分くらいの短時間、麻酔の目薬をさしての手術ですので、術中の様子はすべてわかるのですが、先生が折々適切な言葉をかけて下さるので、私も安心してまな板の上の鯉に。
 手術の間、看護婦さんが優しく手を握っていてくれて、それが何とも心地よいのです。
 励まされるってこういうことなのだと、何かがわかったような気がしました。

   紫色の情景
 手術後、視界がくっきりと開けてきたことには本当に感激しています。
 見にくかった遠方がどこまでも遠くまで見えるようになって、世界はこんな風に広がっていたのか・・・という驚きがあり、目を上げてまっすぐに歩きたいと思いました。
 道端の小さな風景も新鮮で心惹かれますし、人の顔も自分の表情さえもこんなだったのかという不思議な驚きと発見があります。

 でも白内障手術後、一番変わったことは世界の色合いが違って見えること。シンボリックに言っているのではなく文字通り周囲の色彩が違うのです。
 「青視症(せいししょう)」という現象なのだそうですが、白内障手術の結果、急に黄色のサングラスをはずして見たのと同様に、これまで遮られていた青い光が網膜に届くようになり、今までと違って青みを帯びて見えるようになることがあると本で知りました。

 私の場合もまさにそうで、最初に気づいたのは手術の翌朝、窓の外の夜明けの空が青紫色に染まっていて、大気全体にブルーのフィルターがかかったように見えたことでした。
 それから今もずっとこの現象は続いています。
 少しずつ慣れてきて自然に気にならなくなるのだそうですが、この色合い、特に夜明けと日没の空は青紫のヴェールが特に美しくて、毎日感動しているのです。
 蒼いものは更に深く蒼く見えて、いつも淡いブルーのセロファン越しに物を見ている感じです。でも気持ちが悪いわけではなく、とても心地よい・・・・。
朝焼け
 これまで見てきた色が本当で、今は目の錯覚なのか、あるいは、今見ている色合いこそが、他の人も見ているのと同じなのか・・・。

「紫立ちたる雲の細くたなびきたる」・・・清少納言の見た朝明けはこんな色だったのかしらとも思います。

 物を見るということについて。
 自分が当然と思ってみている映像は、他の人にも同様に見えているのだろうか?
 本当は違う色で違う姿をしているのではないだろうか?
 ただ自分で信じているだけで、実はそれぞれの人には異なった像が映っているのかもしれない・・・などと思います。
 これは目に見える実像だけではなく、もっと精神的なこと、物の捉え方や、常識と思われていることなど、多岐にわたって当てはまることなのかもしれません。

 画家が描く独特な事物や色彩表現なども、あえて抽象的に描いたというよりはむしろ彼の目には本当にそう映っていただけだったということもありうるかもしれません。

 淡いむらさきに染まった世界と、寝る前にコンタクトレンズをはずさなくてもよくなった自分を楽しんでいるこの頃です。



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日日是好日

   『日々是好日(にちにちこれこうじつ)』
 2018年に公開された日本映画ですが、先日BSで放映されていました。
 エッセイストの森下典子さんの著書が原作となっていて、ほぼ著者の実体験がベースになった作品であると聞きました。
 二十歳になった典子(黒木華)が主人公で、彼女が同じ年のいとこ(多部未華子)と共に、老齢の茶道師範武田先生(樹木希林)の元でお茶を習い始めるところから物語は始まります。
 お茶のお稽古を通してのその後の歳月が、まるで小津安二郎監督の世界を見るように、緩やかで清廉な日常を映し出していきます。
日々是好日
 毎回同じことの繰り返しであるはずのお稽古の中で、季節ごとに入れ替わる掛け軸や器、美しい和菓子、お茶を通して、自分の心と向き合い、自然の光や音、風に気づきながら、所作を学んでいきます。

四季折々の映像が瑞々しくて、光とか音とかが、風物そのものから鮮烈に香り立ってくる気がしました。
 特に水の音。

 柄杓から垂らす水音と、お湯の音との違いを主人公がある日はっきりと聴き分ける場面があるのですが、心地よい説得力があって、これまでお茶には全く縁がなかった私ですけれど、今すぐにでも茶道の門を叩いて、この音の違いを聴いてみたいという衝動にかられてしまいました。

 登場人物たちの何気なく発する言葉、特に、樹木希林扮する武田先生の品格と、当たり前のように呟き諭す、そのいくつかの言葉がくっきりと心に刻まれています。

 「一期一会、今日という日は二度とない。同じことの繰り返しだけれど同じ人、同じお茶は二度とない。この瞬間をこの出会いを大切に。」
 先生の部屋の掛け軸の「日日是好日」の意味がお茶を通しての歳月の果てに主人公にもしみじみと理解されてくる、そんな締めくくりが美しいと感じました。

 「世の中には、「すぐわかるもの」と「すぐわからないもの」の二種類がある。すぐわからないものは、長い時間をかけて少しずつわかればよい」
紅葉1
 「意味が分からなくていいの。お茶はまず形から。先に形を作っておいて、その入れ物にあとから「心」が入るものなのよ」

 「雨の日は雨の音を聴く。雪の日は雪を見て、夏には夏の暑さを、冬には身の切れるような寒さと、五感を使って全身でその瞬間を味わう」


 立ち止まって日常を見つめる、日常を豊かに生きる、今の状況下にあって、心洗われる美しい作品と感じました。


   「どんな水から」
 コロナが沈静化されたと思われたひと月ほど前、久しぶりに友人と会い、食事をしました。
 長い間ほとんど誰とも会わない生活が続いていたためか、やはり人と顔を合わせながら、話すというのはリモートとは全然違う心地よさがあると実感したのですが、その折の友人の言葉が今も心に残っています。

 外資系の会社のお仕事で活躍中の女性なのですが、彼女、お酒が滅法強くて、しかもとても楽しいお酒なのです。
 私はというと、いつの頃からか全くアルコールを受けつけなくなってしまい、彼女と酌み交わせないのが本当に残念だったのですが、でもノンアル片手の語らいに充分気持ちよく酩酊することができました。
 この日はもう一人の友人と三人の宴、二人とも大のお酒好きですので、利き酒のできる居酒屋さんに集合、日本酒談義にひとしきり花が咲いていました。
紅葉3
 彼女曰く。
 「あ、このお酒、清流のようで、癖がなくて呑みやすいですね。美味しいお水を飲むようにいくらでも呑めてしまいそう。」
「洋酒も日本酒もそれぞれの良さがあって全部大好きですけれど、日本酒は何といっても風情がある気がします。」
 「日本酒の味は一本一本全部違っていて、私はその作られた土地の水がどんななのか、想いを馳せながら呑むのが好きなんです。
 どんな水が流れている土地なのか、どんな山に囲まれているのか、その山間をどんな川が流れていて、水はどんな味がするのだろう。そこではきっとこんな生活が営まれているのだろう。こんな杜氏がこのお酒を守り仕込むのだろう。・・・そんなことを考えていると目の前にその情景が浮かんできて、お酒が益々美味しくてありがたく思えてくる・・・私のお酒はそんななんです。」

 もう一人の友人もお酒に詳しい方でしたから、彼女の言葉が良く理解できるらしく、深く頷きながら楽しそうに杯を傾けていました。

 お酒を呑みながら水の音を聴き水の流れを見ている・・・・先ほどの「日々是好日」につながる素敵な佇まいだと感銘を受けてしまいました。
 下戸の私にはお酒は無理ですが、五感すべてに触れてくるものへ、同様な感性と想像力とを持っていたいものと思います。

MDからのたびだち
 話は変わり。
 MDってもう知らない方も多いみたいですね。
 今はもうレコーダーもディスクも生産中止になって、市場で見ることもなくなりましたが、実は私はまだつい最近までMD(ミニデスク)愛好者だったのです。
 
 最初はカセットテープに録音をしていたのですが、それがある時突然どこからか時代遅れと言われ、これからは小さくて便利なMDの時代になるのだと宣告を受けました。
で、仕方なく移行するにあたり、それまで録りためた莫大な量のカセットテープを苦労してすべてMDに移し替えてようやく今日に至ったのでした。

 なのに、もう数年前から、MDすらも時代の遺物のようになってしまい、それでも私が使っていると、珍しいものを見るような目で一瞥され、のみならず、まだそんなの使っている人がいるのねと憐みの言葉を浴びせる人までいる始末。
 だったら私はこれで通そうと、ずっと使い続けるつもりだったのですが、ついに予備に買っておいたMDレコーダーまで壊れてしまい、修理不能!もはやここまでとなってしまいました。
コンポ1
 で、今、我が家で唯一MDが使えるコンポにUSBメモリーをつないですべてのデータを移すという保管作業に夢中になっています。
 けれど、高速ダビングの機能がなくて、一枚移すのに一枚分の時間(80分)を要するのですが、これでも当時はUSBメモリーの接続口がついている最先端の機種で、今になってこれが役立っているのです。
 実は、もう半年以上、暇さえあればこの作業をしています。
廃棄MD
 すでに何千曲、何百枚ものデータを移し終え、後残すところMD3枚となりました。
 この写真は、すでに移し替えて行き場を失ったMDの山、これは作業を終えた中のごくごく一部分にすぎません。

 MDと別れを告げて、これからはICレコーダーでの録音となり、専らPCに頼ることになりますが、どこか理不尽でもあり、名残り惜しくもあり、また、再び引っ越しをすることはないでしょうねえ??・・・・と懐疑的にもなっています。

 延々と続いてきた作業にさすがに疲れましたが、でも作業中聴き直していましたら、一枚一枚が貴重な自分自身の歴史でもあり、それぞれに録音されている曲と出会った頃の感激が蘇ってきて、とても新鮮でもありました。
 この中からまた新たに訳詞してみたい曲も発掘できましたし、私にはとても意義のある時間となりました。

 甚だ私的なお話で恐縮ですが、MDからたびだつ心境を聞いて頂きました。



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本の顔つき

 いつの間にか11月、確実に季節は廻っています。
 落ち葉
 浅間山麓に暮らす友人からの便りが一葉の写真と共に届きました。

 「今朝の室温は4℃、枯葉を踏む音を楽しみながら、日課の早朝散歩をしています。朝の光が木々の黄葉を眩しく照らし、思わず見とれてしまいました」
 日々刻々、移ろう季節の息づかいが、心地よく心身に染み入ってくる風景、落ち葉の匂いと秋の陽のぬくもりがこの写真を包んでいるように思われました。


   『蓬莱曲』
 日本近代文学館が昭和52年に特選名著復刻全集を刊行したのですが、その中の一冊、北村透谷の『蓬莱曲』を知人がプレゼントしてくれました。
 明治24年(1891年)、130年も前に出版された透谷の長編詩『蓬莱曲』。
 近代文学の幕開けともいえる新体詩の先駆けとして発表されたこの長編詩は瑞々しい青春のエネルギーが漲っていますが、でもその分、若さの気負いも強く檄文調で、詩としても難解なので読み解くこと自体かなり骨が折れるのです。
蓬莱曲 
 そういう大変さはあるにしろ、私は何より、本の装丁や意匠に強く心惹かれました。
「本としての品格のある本」「本としての香りのある本」・・・本というもの自体が私は大好きですので、当時のまま忠実に復元されたこの復刻版全集には、以前から全巻買いそろえたいほどの思いを持っていたのです。
 例えば、この『蓬莱曲』にしても、今とは違う出版事情と出版技術の中で、おそらくは一冊の本を世に出すことはどんなにか大変なことだったでしょうし、二十歳そこそこの名もない文学青年であった透谷が、自費出版で、どれほどの愛着と使命感とを持って作り上げたであろうかと、その思いがしのばれます。
蓬莱曲裏表紙 
 力強い表紙のタイトルの書体と、裏表紙のヨーロッパ的な繊細なペン書きの意匠。
 二重に織り込まれた透明で弾力のある和紙の見返し紙。
 本文のレイアウト,字体の選び方。
 本文の和紙の紙質の手触りのよさ。
 そして、厚紙で丁寧に作られたブックケースの素朴な存在感。

 本はまず手触りで楽しむもの、本の表情、顔つきから味わうもの、・・・「本」を手に取ることから始まる読書の醍醐味を思い出させてくれた気がして、久しぶりに胸が躍りました。

   『明治・大正詩集の装幀』
 工藤早弓さんの著書、平成9年に京都書院から出版された文庫サイズのこの本も、私の蔵書の一冊です。
詩集の装填
 タイトルの通り、明治・大正期の近代詩集の造本についてまとめた本で、数多くの貴重な初版詩集の装幀の写真とその説明から成っています。
 本書の「はじめに」に次のような文章が記せられています。

 古い本・・・それもオリジナルの初版を手にしたときに思うことは多い。
 とりわけ詩集の初刷りは詩人自らが目を通しているのが普通だと思われる。
 活字の大きさ、組み具合、行間の空間、挿絵、表紙のクロス、紙の質、製本等、装幀にも思い入れを込めて心配りをしているだろう。
 だからそんな本を手に取った時は、それが単にその奥付けの時期に出版されたもの、というだけでなく、その本をまっさらの時に読んだ人々、さらにその後の年月に手にした人々のその時の感情・・・・心の揺れやふるえをも手にしていることなのだと思う。
  ・・・・・・
 詩という内容を生かすための入れ物としての詩集は美しい。
  ・・・・・・

 明治黎明期の詩集の代表は何といっても島崎藤村の『若菜集』と、与謝野晶子の『みだれ髪』といえるでしょうか。
若菜集

共によく知られている表紙デザイン。
みだれ髪

 蝶をかたどった若菜集の表紙絵には『初恋』の詩が薫ってくるようですし、心臓を射抜いて滴る血潮のように描かれた『みだれ髪』の赤い文字には晶子の恋の炎が激しく燃えているように感じられます。
猫町

萩原朔太郎の『猫町』の装幀も洒脱で大好きなデザイン。


堀口大学の『月下の一群』の背表紙は金箔でエンボス加工がなされた精密な図柄が押印され、欧米文化に精通した一級の知識人であった彼の面目躍如という気がします。
月下の一群
 「本の顔つき」とはこういうことなのではと思うのです。
 懐古主義になるわけではありませんが、昔の本にそういう固有の顔が多く見られたのに比して、最近はなかなかそのような本に出合うのが難しくなってきているかもしれません。
 趣味も多様化され、紙媒体自体も危うくなり始めた時代ではありますが、でも、だからこそ、私は本屋さんに出向いて、ゆっくり書架を眺め、パラパラとページを繰ってみるのが大好きです。
 そうしていると読みたい本、自分を呼んでいるような本と出会えることも多い気がします。

  
   私家本へのあこがれ
 実はもう10年以上前から、ひそかに自分で出版してみたいと思い続けてきたテーマがあって、それでも、腰が重く、なかなか着手するに至らなかったのですが、このコロナ禍の中、思い切って、少しずつ原稿をまとめ始めました。
 専門的な技術が備わっていれば、本文のレイアウト、挿絵、表紙のクロス貼り、紙選び、製本等、すべての装幀も、100%手作りの本にしたいところなのですが、残念ながらそこまでは到底及びそうもないので、・・・でもできる限り工夫できたならどんなに楽しいでしょう。

 考えている本の中の一冊は、ひそやかで温かいエッセイ。
 全体に白のイメージで静謐な雰囲気の本に仕上げたいです。

 表明してしまいましたが、果たしてどこまで辿り着けるでしょうか。
 ともあれ、チャレンジすることは楽しいこと。
 良いお知らせができるように頑張ってみようと思っています。



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『たたかう植物 - 仁義なき生存戦略』

   ちょっと良い話
 このコロナ禍の中、トヨタ自動車の健闘ぶりが話題になっていますが、社員に向けて呼びかけた社長豊田章男氏の言葉が心に強く残りました。

 目の前のやるべきことに集中しよう!
 「先が見えない不安」に対し、真剣に取り組み、進めていけることを、全力で進めていきたい

 ネガティブの連鎖は、物事を悪くするばかり。
 深刻にならずに、真剣に。
 みんなで助け合って、感謝し合おう。
 こんな時だから、無理にでも笑顔になって乗り越えてゆこう。

 私も、一旦、ネガティブのるつぼにはまると、意欲が萎えて、目前の難問に向き合う勇気がなくなり、その言い訳のように、「深刻を装う」ことがある気がします。それは、逃れようとする自分へのストレス、怠惰のうしろめたさなのかもしれません。
 現実から目をそらさず真剣に取り組む勇気をいつも持っていたいです。
 そして、いつでも自然な笑顔でいられることは究極の聡明さなのだと刻んでいたいです。

   『たたかう植物 -仁義なき生存戦略』
 先ごろ読んだ、稲垣栄洋氏の著書(ちくま新書2015年刊)がとても興味深かったので、ご紹介したいと思います。
たたかう植物 植物についての専門書を読むことはこれまで殆どありませんでしたし、ただ漠然と、「植物は癒される」「動物と比べれば、植物は争いのない世界に生きる平和の象徴のようだ」と思ってきましたが、この書には、実はそんなことはなくて、「弱肉強食、適者生存の法則は植物の世界であっても何一つ変わらないのだ」と指摘されています。
 植物は熾烈な生き残りをかけて闘っている、地下における過酷な「バトルフィールド」が繰り広げられているという、「植物vs植物」から始まり、更にそれは、vs環境、vs病原菌、vs昆虫、vs動物、vs人間へと言及されてゆきます。

 6章に分かれたそれぞれに、具体的な植物の生態と「生存戦略」が様々に紹介されていてとても興味深く読みました。
 その全てをご紹介することはできませんが、たとえば、ドングリ。
 
 ドングリは「種子を散布するために種子そのものを動物に食べさせて利用するという荒業を行う植物」。
 秋になるとリスやネズミが冬の間のエサにするためドングリを集めにきます。
りす
 ドングリはクヌギやコナラなどの種子で、リスやネズミに食べられてしまいますが、運ばれて食べ残されたり、隠し場所を忘れられた一部が春になると芽を出すのです。
 ただし、小動物たちがお腹一杯になって食べ残すようにと、たくさんのドングリを作ればエサが豊富になり過ぎ、リスやネズミそのものの数を増やしてしまうことになります。
 そうなると、ドングリは食べ尽くされてしまうわけで、そこで、ドングリの戦略は、実をたくさん作る「生り年」と少しだけ作る「裏年」を設けたというわけです。庭にあった柿の木や梅の木を、お年寄りたちが「今年は裏年で実が少ない」と話していたことは、子供の頃によく耳にしましたたが、天候や肥料のためだけではなく、実はこのような巧みな自然界の調整だったとは全く知りませんでした。

 もう一つ。
 雑草の「生存戦略」についての文章も面白く読みました。
 雑草は強靭だと思っていましたが、筆者は、さにあらず、他の植物との競争に負けたすこぶる弱い植物なのだと指摘します。
スミレ そのため強い植物が侵入してこないような条件の悪い場所・・・乾燥地や肥料の少ない道端だったり、踏まれるあぜ道や草取りされる畑だったり・・・の逆境にあえて生存しようとしたのだそうです。
タンポポ 雑草はいざというときに備えて、地中に無数の種を準備しており、草取りされたり踏まれたりすると土がひっくり返り、地中にあった種が表面に出て光が当たる、それをチャンスととらえて我れ先にと芽を出すのです。他の植物が土の中で水分がないと発芽しないのとは逆に、「光発芽性」ということで、雑草にとっては逆境こそが順境ということになるのでしょう。

 これに加えて、筆者は、日本人だけが、「雑草」にある種の愛着を持ち、「雑草のように逞しく」、「雑草魂」に感嘆して、あっ晴れと拍手を送る稀有な民族だと指摘しています。
 アメリカの雑草学会は、雑草は「人類の活動と幸福・繁栄に対して、これに逆らったり、妨害したりするすべての植物」と定義していますし、自然は、人と相対するもの、征服すべきものという感覚を持っているとはよく言われることですが、日本においては、これとは異なり、自然への恩恵と畏敬、そしてその対極にある畏怖・脅威の念とを併せ持ち、共に受け入れ、共存していく、そのような感覚を持っているからでしょうか。

 あとがきに筆者は「植物は、生存戦略として、本来みずからの敵である生物と、双方に利益のある「共存関係」にたどり着いたのではないか」と述べています。
 それに比して、「人類は、世界中の生物を、地球環境を、征服し尽くそうとしている」、「太古の植物が、炭酸ガスを吸収して酸素を産生し、さらにオゾン層が生命体を生かすための砦となった。そうして作られた現在の地球、地球環境の生態系を人類が壊滅させようとする方向へと進んでいるのではないか」という警鐘を鳴らして、この書は締めくくられています。

 ダイナミックな植物のドラマ、物語を読んでいるような気がしてきました。

 植物の進化と生存の在り方を解明しながら、独自な見解から人類の叡智の在り方を示唆していて、とても興味深かったです。
 よろしかったら手に取ってお読みになってみてください。


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朗読の動画

   コンサート開催への願いを込めて
 本当なら6月と7月に開催していたはずのコンサート『月光微韻』。
 コロナ禍が長期化して、なかなか実現にこぎ着けられず、企画だけが宙に浮いたままで留まっています。

 コンサート・演奏会だけではなく、演劇・ダンス等の様々な舞台公演、映画・テレビに至るまで、それぞれの関係者が先行きの見えない現状に息を潜めている現状ですので、これも致し方ないのですが、それでも、どういう形なら表現が可能なのか、今だからこそできることは何なのか、深く内を見つめる時間にもなっているのだと思います。

 私に今できること、・・・自分のペースで粛々と、様々な曲に触れ、心に触れる作品を掬い出し、訳詞制作を持続してゆくことかもしれません。
 そんな風に思いつつ、家籠りが続いていましたが、夏の終わり、軽井沢で、いつもの友人たちとの再会が叶いました。
 前にお話ししたことのある『勝手に松峰綾音ファン倶楽部』の皆様です。

 距離を保ちながら、細心の注意をお互いに払っての団欒は、だからこそとても懐かしく貴重なひととき、皆それぞれが最近の出来事を語り合う中で、『月光微韻』のために用意した朗読作品を是非聴いてみたいとの声が上がりました。

 ソーシャルディスタンスが肝心、部屋の四隅に分かれ、遠ざかって聴いて下さる友人たちの前で45分ほどのプライベートな朗読会を行ったのです。


   ジャズと芥川、中也、朔太郎
 作品を読み始めたら、「何か意表を突くBGMがあったら、また面白さが増すのでは?」という意見が出て、では曲を探そうという話に急転直下。
 シャンソン、クラシック、童謡、ジャズ・・・
 ジャズをバックにして朗読してみたら、これまでにない不思議な雰囲気が醸し出されました。
 和気あいあいと、かなり長い時間の曲選びの末、満場一致でそれぞれの朗読作品に合わせる曲が決まり、音楽を流しながらの朗読タイムが始まりました。
 ビデオ撮影をいつも受け持ってくださる友人がいつの間にかカメラを回していて、出来上がった動画がこれです
動画
 5分ほどの動画ですが、この夏の「勝手に松峰綾音ファン倶楽部」の素敵な所産となりました。

 芥川の『黒衣聖母』は『月光微韻』コンサートの中心演目、かなりシリアスな作品ですし、舞台は江戸時代ですので、音楽を合わせるとすれば雅楽器がしっくりするのでしょうが、ジャズを流してみたら、和洋の融合、意表を突いた美しいイメージが生まれてきた気がします。

 シルエットだけの動画の、とてもセンスの良い映像にも感激してしまいました。
 ファン倶楽部の皆様、いつも温かい応援と素敵な作品の制作をありがとうございます。

 朔太郎の『月光と海月』も、中也の『月夜の浜辺』も、芥川の『ピアノ』も、月の光をイメージした「月光微韻」コンサートに予定している演目ですので、この動画はいわば予告編、coming soonということで、さわりだけでもお届けしたいと思い、ここに載せさせていただきました。
 幻のコンサート・・・・実現の折には、丸ごとじっくりとお聴きにいらしてくださいね。

   12月そして3月
 まだ正式発表の段階ではないのですが。
 実は一応、会場予約は取れているのです。
 二会場とも延期開催ということで申し込みを済ませ、横浜ゲーテ座ホールは12月13日、京都文化博物館ホールは3月20日開催予定となっています。

 でも、当日、お客様に万一のことがあったら大変ですので、コロナの広がり方を注視し、可能な限りギリギリまで待って、その時の状況で最終判断をし、改めてご案内したいと思っています。
 
 それまで、根気強く準備と練習を重ねて、皆様に喜んでいただけ、自分でも納得のいく舞台を目指していきたいです。



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