
デング熱やエボラ出血熱などの、少し前までは考えもしなかったような病まで、身近なものとして警戒せねばならぬ昨今、「それもこれも温暖化の影響で、急激に自然環境が変わってきているためなのでは」と、日常の挨拶代わりに皆がそんなことを口にするようになってきました。
けれど、そんな日々の中でも、涼やかな秋風は吹き、季節は確実に巡っていることを感じます。
コンサートの準備にいよいよ加速度がついて、目下、疾走中なのですが、つい先程、プログラムの草稿を書きあげて、今、心地よい解放感に浸っています。
明日は、バンドのメンバーが一堂に会しての音合わせがあり、それを考えると気合が入りますが、だからこそ、<忙中閑有り>の、こういう時間は、ほっとします。
ひと休みしながら、前回の「写真の中の夏(1)~横浜にて~」の続編を記してみることに致します
晩夏 浅間高原にて ~語らいの時~
前回の記事の中で、カメラマンの沢木さんと夏の初めに、横浜へ撮影に行ったことをお話しました。
彼女のシャッターを切る時の生き生きとした集中力や、写真について何気なく話して下さる言葉に、とても興味を惹かれたのですが、今回は、この夏のもう一つの写真のお話をしようかと思います。
以前ご紹介した記事「ライムソーダの夏」に繋がるのですが。
偶然のご縁で、或る写真家の方、Aさんと懇意になったことは、既にお話した通りです。
そのAさんから、「面白い友人を、是非ご紹介したいから、良かったら皆でお茶でも一緒に如何ですか」というお招きを頂きました。
Aさんの夏のお住まいは、「山男」さんのご自宅に近い浅間高原の一角にありました。
高台に建てられた、しっとりと落ち着いた山の家、眼下に沢が流れて、間断なく聴こえてくる柔らかい水音と、木々の間を行き交う小鳥の声とが、心地よく混ざり合い、こういう音を聴いているだけで、うっとりと心が解放されます。
夏木立の緑と、抜けるように広がる青空がリビング一面に開けて素敵でした。
ご紹介して下さったお友達は、Aさんのご著書の編集をずっと手掛けていらっしゃるという編集者の方でした。美術関係の出版だけでなく、幅広いジャンルに関わって、ご自身で執筆もなさるとのこと、穏やかな物腰と、言葉を選びながら、でも率直に気さくに話されるご様子に、すっかり打ち解けてしまいました。

訪れた二人で、しばし、Aさん宅のリビングからの眺望に見入っています。
撮影はもちろんAさん。
写真の中から、「川の音が聴こえますねえ」「俗世を忘れて気持ち良いですねえ」という会話が聴こえてきそうです。
私の歌を是非!というAさんのリクエストで、コンサートの時のCDをお持ちしたのですが、お二人の静かに耳を傾けて下さる様子に、何とも言えず温かい気持ちになりました。
編集者の方、Oさんは、歌詞の内容や言葉についても、「この表現はとても面白い」とか、「フランス語の原詩でもこういう言い回しをしているのですか?」とか、感想や質問を熱心に伝えて下さいました。
どこがどう面白いかまで、的確に語って下さる方にはそうそう出会えません。しかもそれが的を得ているので、訳詞家松峰としては大満足、すっかり意気投合してしまいました。
一度歌を聴いただけでは、なかなかそこまで味わい切れないのが普通ですが、やはり言葉と関わり、言葉を相手にお仕事をなさっていらっしゃる方は違うのかしらと思います。
大学時代、国文学科の級友たちと共に、喫茶店で文学論を戦わせ時を忘れた、そんな頃を彷彿とさせるような懐かしさ、居心地の良さを感じました。
Aさんの撮影秘話や、ライフワークのお話。
Oさんの出版、編集関係のお仕事のこと。
私のシャンソンと訳詞に関わるよもやま話。
真面目に、時にユーモラスに語り合い、楽しいひと時でした。

Oさんと、話が弾んでいる様子をカメラが見事に捉えています。
アップで写っていて恥ずかしいですが、でも、とても楽しそう、インタビュアーみたいな表情をしていますね。
Aさんの傍らには、いつもカメラが置かれて、まるでAさんの一部であるかのように、ちょこんと端座しています。
それで、カメラを構えていることを全く感じさせず、いつの間にかシャッターが切られます。その一連の動きそのものが、もう既に美しく、感じ入ってしまいました。
美味しい写真 三葉
「雨上がりで、もみじが鮮やかで綺麗ですね」そうおっしゃりながら、何気なくこの一枚。

先程までの雨も降り止んで、一すじ射してきた陽射しも、風にはじけて飛びそうな水滴も、皆、喜んで躍動しているように写っています。
「ライムを切ってくれますか。」
「はーい」

ただ、切っているだけの写真なのですが、写真を見ていると、いっぱしの料理人になった気がしてきます。
ライム色は、私のこの夏のシンボルカラーとなりました。
酸っぱい香りが写真一杯に香ってくる美味しそうな一枚です。
そして、この一枚。

既におつまみ状になって売っているチーズをただお皿に並べただけなのですが、何だか、素晴らしくて感激です。
コロコロと転がってきたようなライムが向こうに写っているのも憎い。
沢木さんの「お皿だけでなく傍らのものを一緒に写すと美味しそうです」の言葉が思わずよぎりました。
<素敵な写真を撮る秘訣は?>との私の質問に、Aさんの言葉。
「写真は、静止したものを撮るのではつまらない。
人でも物でも、対象の動き、間断のない動きの一部を切り取って、その一枚から、更にどこまでも続いてゆく躍動が伝わることが大切。」
奥が深いですね。
一葉の写真から、声や音が聴こえてきたり、光や影の動きが見えたり、限りなく続く人の躍動感を捉えたり、・・歌も、歌い終えた後に、想像の世界や余韻が限りなく広がってゆくものでありたい・・・どこか重なる所があるのを感じました。
そんな素敵な出会いのあった今年の夏の終わりでした。


