
「この夏は思いやられる」という言葉が、挨拶代わりに連日飛び交っています。
この数日、東京で過ごし、京都に戻ってきたところです。
いつもなら関東は梅雨寒の筈ですが、熊谷に至っては39.8℃という桁外れの気温、急にこれでは体が受けるダメージも大きいですよね。
それでも。
京都は盆地で、空気がピタッと張り付いて動かないという感じで、どこにも抜けてゆく逃げ場はなく、冬は寒気、夏は熱気にがっちりと封じ込められる、・・・・なかなかのものですので、暑いとは言っても、朝晩風が吹き渡る東京に行くと、少なくとも夏は(真冬もですが)ずっと住み易いのではと思ってしまいます。
風を感じるのって良いものだなと・・・。
土曜日は、嘗ての教え子たち4人、・・・・今や全幅の信頼を置いている私の有能なコンサートスタッフでもあるのですが、・・・・と会ってとても楽しい時間を過ごしました。
コンサートではないのですが、時間をかけて皆で企画していた別のイベントが先月末に無事終了しましたので、改めてその打ち上げと、そして次回のコンサートの作戦会議!!(スタートし始めています!!)などで盛り上がり、あっという間に時間が経ってしまいました。
それぞれが、仕事や学業などに真摯に向かう頑張り屋さん揃いですが、いつも前向きで溌剌と朗らかで、自分らしさをキラキラと輝かせている素敵な方たちばかりなのです。一緒にいると、お互いが良いエネルギーを吸収し合って、それこそ涼風が吹き抜けるような爽やかな気持ちになれます。

「紫陽花は、切り花にするとすぐ萎れてしまうので・・・」と心配そうな顔。
でも、きっと水揚げを丁寧にして、たっぷりの水に根元を保護して持ってきて下さったのでしょう、元気良く今も咲き誇っています。
夜、紫陽花と一緒に新幹線に乗って、早速京都の家に飾りました。
紫陽花は、大好きな花。
土の酸性度によって、花の色合いは様々ですが、ピンクも青も紫も、皆良いですね。独特な色彩を雨の中で艶やかに放っていて、この花ならではの季節感があります。
京都に転居する前、私は長く逗子に住んでいたのですが。
あじさい寺の名で良く知られている明月院を初めとして、鎌倉、逗子、葉山、箱根、この辺りは心なしか京都に比べて、紫陽花が多いような気がします。
街のどこを歩いても、この時期は紫陽花の花がしっとりと咲いていて、6月は紫陽花色の季節だなと小さい時から思っていましたが、京都の街では、それほどには目にしない感じですし、何となく関東とは色合いが違う気もしています。
紫陽花の咲く条件が天候・気温などで微妙に異なっているためかもしれません。
井上靖の随想に「あじさい」という短編があり、私はこの文章がとても好きで、何となく覚えていて、6月になるとよく思い出すのです。
さすが一流の作家の文章、格調高く端正で美しいのですが、冒頭だけ少しご紹介してみますね。
あじさい
あじさいの花を美しいと思うようになったのは、大人になってからである。
梅雨期の重く湿った大気の中に、静かに咲いている薄紫の花は、なかなかいいと思う。
雨をしっとりと吸って重たげでもあり、多少憂鬱げでもあり、こうした時期に咲かねばなら
ぬ花としての諦めも持っている。
これに続き、彼は、
「幼い頃、私はこの花に好感を持っていなかった。」
「何となく特別な花として感じていた。陰気な感じで嫌だった。」
と書いています。
「幼い者の感覚は非常に確かだと思う。何となく、あじさいの花を、他の花とは違った特別な花として感じているのは、現在でも同じことなのである。ただ異なるのは、幼い頃は嫌いだったが、今の私は好きになっていること。幼い頃はなぜ特別な花か判らなかったが、今の私にはそれを説明することができるのである。」
このような冒頭から始まり、幼い子供の詩的感受性というものについて、エッセイは繰り広げられてゆきます。
あじさいは、重たげで、静かで、憂鬱げで、諦めを持っている花。
確かにこれを読むと、しっくりイメージが出来上がってきますね。
・・・でも願わくは、ひんやりとした梅雨寒の冷気の中で、しみじみ感じたいなと。
紫陽花のブーケを抱え、駅に向かう道すがら、お花屋さんの前を通りました。
紫陽花が沢山。
色とりどりで、余りに綺麗だったので、お店の方にお願いしてシャッターを押させてもらいました。「どうぞ」ってにっこりほほ笑んだ若い店員さんの笑顔もとても綺麗でした。


お店で写真を撮っている時、ふと、イベット・ジローが歌って有名になった「あじさい娘」(mademoiselle hortensia)というシャンソンを思い出しました。
Hortensia(あじさい)という名の、貧しい、でも気立ての良い働き者の娘が、或る日見染められて侯爵夫人になるというフランス版シンデレラ物語のような内容の歌なのです。
井上靖の「あじさい」の捉え方を、フランス人はどう感じるのでしょうね。梅雨時の長雨と、その雨に打たれる様を想像できないとなかなか理解しにくいかもしれません。
シャンソンの中のあじさいはもっとカラッとした、陽気で幸せなイメージですから、こんなところにも、文化の違いを見るようで興味深いです。
しばらくは、このメロディーが鼻歌に出てきそうな気がします。


