
4月2日京都、4月9日横浜、両コンサートはお蔭様で無事終了致しました。
コロナへの心配から少し解放され、ようやく出口が見えてきた安堵感の中で、客席の皆様も軽やかな気持ちで「変わりゆくものへ」のひとときを楽しんで下さっている、そんな手ごたえが感じられた幸せなコンサートとなりました。
京都は名残の桜の中で
これまで行った数十回のコンサートで、ただの一度も晴れなかったことはなく、毎度の自慢で恐縮ですが、お天気の神様が何か特別なご褒美を下さっているのではと空に向かって手を合わせたくなります。
眩しい光の中で、名残の桜がまだ絢爛と咲き誇る花吹雪を浴びながらホールへの道を辿りました。
この数年、人数制限が厳しかった客席も解放され、お客様がひと際華やいで感じられました。

ホールのマイク。

想いを大きく届けてほしい・・と、本番の日はマイクまでも神聖なものに感じてしまうテンションです。
プログラムが開場を待っています。
朗読の心持ち
「変わりゆくものへ」第一部はまず『山月記』の朗読から始まります。
自らの中の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」のゆえに、ついには虎に変えられてしまった李徴という男の物語。
この小説を取り上げたいと、随分前から思っていたのですが、全編読むと一時間はかかりますのでコンサートの中では長すぎる事、中国を舞台とした漢語調の硬質の文体が、耳で聴くだけでは理解しにくいと思われる事、内容が哲学的でもあってかなり重い事、色々考えるとなかなか踏み切れずにいました。
けれど、今の時代の中で、「変わりゆくもの」をテーマにする時、やはりどうしても『山月記』を伝えたいとの思いを消すことができず、前半は説明を挟むなどいくつかの工夫をしつつ挑戦した演目でもありました。
・・・・主人公李徴の言葉に耳を傾けて頂けたなら何よりの幸せです。
それにしても、いつも思うのですが、朗読をしていると、その作家の文章・言葉がまずは自分の心の奥深くを駆け抜け透過してゆくような感覚に襲われます。自分の発する声や呼吸を通して、言葉がブーメランのように自分の中に戻って突き刺さるような衝撃を受けるのです。
今回の『山月記』は刺さり方があまりにも強烈でしたので、全て終わった今、心の深いところが疲労困憊しているような感覚に陥っています。
伝えるエネルギーは、外に向かって広がってゆくのですが、でも同じ力が自分の心身にも戻ってきて、両刃の剣のような作用を起こすのかもしれません。
でもこれこそが文学と対峙する醍醐味と言えるのかもしれず、不思議な気持ちです。
コンサートは進んでゆき
さて、前半は「喪失」をテーマとして、「山月記」の他にシャンソンを3曲ご披露しました。和の雰囲気が似合うかもしれないと思い、初めての和服でのステージです。
石川さゆりみたいだったと何人かの方に言われ・・・。
和服そのものに普遍的な型・・和の精神というような・・・が備わっており、自分では意識しませんでしたが、もしかしたら歌にもその影響が出ていたりしたのでしょうか。
そういえばこの写真などそれっぽくも見えますね。もちろん歌っているのはシャンソンです。
二部は「再生」をテーマにし力強く明るい曲を中心に歌いました。
「守り続けるために」
最後のアンコールは「守り続けるために」。初めてのオリジナル曲です。
藤原純友の研究者の方とお知り合いになり、その研究誌をまとめるお手伝いをしたことがきっかけで、話はびっくりする展開を見せ、純友のイメージソングを依頼されて書いた作詞です。作曲はアルベルト田中氏。楽しんで頂けたでしょうか。
純友は一般にはこれまで、「藤原純友の乱」として知られているように、朝廷への反逆者、瀬戸内海の海賊として、その悪行を歴史の中で語られてきましたが、実はそうではなく、形骸化し統率力を失って、庶民を苦しめるだけとなった無策無謀な朝廷の政治に反旗を翻し、また海を荒らしまわる海賊たちを成敗すべく立ち上がった真の海の覇者であるという解釈によっています。
「変わりゆくものへ」のアンコール、ラストステージは「守り続けるために」としました。
今こそ 船出(ふなで)の時
暁闇(ぎょうあん)の向うに 希望の世界が見える
というバラードでの歌い出し。
そしてサビ
漕ぎ出そう 漕ぎ出そう
愛(いと)しいものを守り続けるために
この「漕ぎ出そう~~」が何とも癖になるメロディーで、一度聴くと耳についてしまい、なぜか一日中口ずさんでしまうという中毒症状を引き起こします。
実際、後日何人かの友人からこの病気に罹ったとのご報告を受けました。
今回は打ち上げパーティーをホールに隣接する前田珈琲(いつもコンサートを後援して下さっています)のカフェで行いました。
スタッフの皆様や一般のお客様と和気藹々で楽しい会でした。
お客様でご参加の12歳のJ君、明朗快活で、一気に皆様の人気者になりました。
横浜は春の花々の中で

この一週間後がすぐ横浜コンサートでしたから今回はかなり忙しかったのですが、気合いは充分、いざ出陣。
こちらは季節が少し早いようで、もうすでに青葉若葉が柔らかく光り、春の花々が眩しく咲き乱れてました。そしてこちらも上天気。満席。

受け付け・会場のスタッフは全員女性でしっとりとした雰囲気でのお出迎えです。
京都では全員男性が受け持って下さり、どこか力強い迫力があって、両会場の雰囲気が違っていて面白かったです。どちらもAmical AYANE友の会の皆様がボランティアでお手伝いして下さいました。

坂下さんとのステージ風景。いつもながら息の合い方に称賛が寄せられました。
今回も文学愛好会みたいに小説の解釈まで一緒に熱く語り合って、準備に沢山の時間を費やした賜物かしらと思います。
2分30秒
第二部は途中でドレスの早着替えを試みました。
前半は白。そして後半は黒地のドレスです。
内幸町ホールでコンサートをしていた頃は舞台裏での早や着替えは時々ありましたが、今回は久しぶりで、しかも楽屋がステージから少し遠いので、かなり忙しかったです。
早や着替えの間の2分30秒、坂下さんが美しい演奏で、何事もないようにゆったりと繋いでいてくださいました。
楽屋では歌舞伎の早替えさながら。

無事成功。こちらも何事もなかったようなアンニュイな顔つきで登場して、椅子に腰かけアンニュイなシャンソンを歌い出しました。
そして、ゲーテ座公演も無事終了。
最後の「漕ぎ出そう~~」にもひと際気合が入り感無量でした。
・・・・・・
お越し下さいましたお客様、これまで様々に支えて下さいました皆様、本当にありがとうございました。お陰様で今回も無事コンサートを終えることができました。

少し休んだら次のコンサートの企画に着手、更によきものを目指して進んで参りたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願い致します。
コロナへの心配から少し解放され、ようやく出口が見えてきた安堵感の中で、客席の皆様も軽やかな気持ちで「変わりゆくものへ」のひとときを楽しんで下さっている、そんな手ごたえが感じられた幸せなコンサートとなりました。
京都は名残の桜の中で

眩しい光の中で、名残の桜がまだ絢爛と咲き誇る花吹雪を浴びながらホールへの道を辿りました。
この数年、人数制限が厳しかった客席も解放され、お客様がひと際華やいで感じられました。

ホールのマイク。

想いを大きく届けてほしい・・と、本番の日はマイクまでも神聖なものに感じてしまうテンションです。
プログラムが開場を待っています。
朗読の心持ち
「変わりゆくものへ」第一部はまず『山月記』の朗読から始まります。
自らの中の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」のゆえに、ついには虎に変えられてしまった李徴という男の物語。
この小説を取り上げたいと、随分前から思っていたのですが、全編読むと一時間はかかりますのでコンサートの中では長すぎる事、中国を舞台とした漢語調の硬質の文体が、耳で聴くだけでは理解しにくいと思われる事、内容が哲学的でもあってかなり重い事、色々考えるとなかなか踏み切れずにいました。
けれど、今の時代の中で、「変わりゆくもの」をテーマにする時、やはりどうしても『山月記』を伝えたいとの思いを消すことができず、前半は説明を挟むなどいくつかの工夫をしつつ挑戦した演目でもありました。
・・・・主人公李徴の言葉に耳を傾けて頂けたなら何よりの幸せです。
それにしても、いつも思うのですが、朗読をしていると、その作家の文章・言葉がまずは自分の心の奥深くを駆け抜け透過してゆくような感覚に襲われます。自分の発する声や呼吸を通して、言葉がブーメランのように自分の中に戻って突き刺さるような衝撃を受けるのです。
今回の『山月記』は刺さり方があまりにも強烈でしたので、全て終わった今、心の深いところが疲労困憊しているような感覚に陥っています。
伝えるエネルギーは、外に向かって広がってゆくのですが、でも同じ力が自分の心身にも戻ってきて、両刃の剣のような作用を起こすのかもしれません。
でもこれこそが文学と対峙する醍醐味と言えるのかもしれず、不思議な気持ちです。
コンサートは進んでゆき

さて、前半は「喪失」をテーマとして、「山月記」の他にシャンソンを3曲ご披露しました。和の雰囲気が似合うかもしれないと思い、初めての和服でのステージです。
石川さゆりみたいだったと何人かの方に言われ・・・。
和服そのものに普遍的な型・・和の精神というような・・・が備わっており、自分では意識しませんでしたが、もしかしたら歌にもその影響が出ていたりしたのでしょうか。
そういえばこの写真などそれっぽくも見えますね。もちろん歌っているのはシャンソンです。
二部は「再生」をテーマにし力強く明るい曲を中心に歌いました。
「守り続けるために」
最後のアンコールは「守り続けるために」。初めてのオリジナル曲です。
藤原純友の研究者の方とお知り合いになり、その研究誌をまとめるお手伝いをしたことがきっかけで、話はびっくりする展開を見せ、純友のイメージソングを依頼されて書いた作詞です。作曲はアルベルト田中氏。楽しんで頂けたでしょうか。
純友は一般にはこれまで、「藤原純友の乱」として知られているように、朝廷への反逆者、瀬戸内海の海賊として、その悪行を歴史の中で語られてきましたが、実はそうではなく、形骸化し統率力を失って、庶民を苦しめるだけとなった無策無謀な朝廷の政治に反旗を翻し、また海を荒らしまわる海賊たちを成敗すべく立ち上がった真の海の覇者であるという解釈によっています。
「変わりゆくものへ」のアンコール、ラストステージは「守り続けるために」としました。
今こそ 船出(ふなで)の時
暁闇(ぎょうあん)の向うに 希望の世界が見える
というバラードでの歌い出し。
そしてサビ
漕ぎ出そう 漕ぎ出そう
愛(いと)しいものを守り続けるために
この「漕ぎ出そう~~」が何とも癖になるメロディーで、一度聴くと耳についてしまい、なぜか一日中口ずさんでしまうという中毒症状を引き起こします。
実際、後日何人かの友人からこの病気に罹ったとのご報告を受けました。
今回は打ち上げパーティーをホールに隣接する前田珈琲(いつもコンサートを後援して下さっています)のカフェで行いました。
スタッフの皆様や一般のお客様と和気藹々で楽しい会でした。
お客様でご参加の12歳のJ君、明朗快活で、一気に皆様の人気者になりました。
横浜は春の花々の中で

この一週間後がすぐ横浜コンサートでしたから今回はかなり忙しかったのですが、気合いは充分、いざ出陣。
こちらは季節が少し早いようで、もうすでに青葉若葉が柔らかく光り、春の花々が眩しく咲き乱れてました。そしてこちらも上天気。満席。

受け付け・会場のスタッフは全員女性でしっとりとした雰囲気でのお出迎えです。
京都では全員男性が受け持って下さり、どこか力強い迫力があって、両会場の雰囲気が違っていて面白かったです。どちらもAmical AYANE友の会の皆様がボランティアでお手伝いして下さいました。

坂下さんとのステージ風景。いつもながら息の合い方に称賛が寄せられました。
今回も文学愛好会みたいに小説の解釈まで一緒に熱く語り合って、準備に沢山の時間を費やした賜物かしらと思います。
2分30秒
第二部は途中でドレスの早着替えを試みました。
前半は白。そして後半は黒地のドレスです。
内幸町ホールでコンサートをしていた頃は舞台裏での早や着替えは時々ありましたが、今回は久しぶりで、しかも楽屋がステージから少し遠いので、かなり忙しかったです。

早や着替えの間の2分30秒、坂下さんが美しい演奏で、何事もないようにゆったりと繋いでいてくださいました。
楽屋では歌舞伎の早替えさながら。

無事成功。こちらも何事もなかったようなアンニュイな顔つきで登場して、椅子に腰かけアンニュイなシャンソンを歌い出しました。
そして、ゲーテ座公演も無事終了。
最後の「漕ぎ出そう~~」にもひと際気合が入り感無量でした。
・・・・・・
お越し下さいましたお客様、これまで様々に支えて下さいました皆様、本当にありがとうございました。お陰様で今回も無事コンサートを終えることができました。

少し休んだら次のコンサートの企画に着手、更によきものを目指して進んで参りたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願い致します。


