
一年前の今日ですね。
3月に入ってから、震災を改めて振り返り、災害を検証したり、被害に遭遇された多くの方々にとっての一年を辿る報道が、テレビや新聞で色々特集されています。
すべての記憶は、時間の向こうに風化されてゆくものなのでしょうが、でもあの余りにも大きな衝撃と痛手は、世界を貫く閃光を一瞬に浴びたように深く刻みつけられて、誰の胸からも容易に薄れてゆくことはないと思います。
それぞれの人が、そして私自身も、記憶の中でそれをどう抱えて、新たに過ごしてゆく時間にどう生かしてゆくのかが問われていくのでしょう。
生かしてゆかなければならない沢山の教訓や思いが、この一年の時間の中には、混沌として渦巻いているように感じます。
改めて、犠牲になられた多くの方々の鎮魂に深く思いを致すと共に、未だ、仮設住宅や避難生活の暮らしを余儀なくされて、大変な状況で過ごされている方々に一刻も早く以前と同じ生活が訪れますよう、心から祈念するばかりです。
そして、自然への畏敬の念と、その中で生かされていることの感謝と、人が人同士、共に在ることの喜びとを、いつも感じていたいと思います。
震災の直後に、歌詞をつけてから、この一年の間、折に触れ歌ってきたケレン・アンの『世界の片隅に』という曲があるのですが、・・・確か前にもこのブログの中で触れたことがあったかと・・・その一節をご紹介して、今改めて思いを込め、ここにお贈りしたいと思います。
この世界に
小さな私とあなたがここにいる
それだけで良い
繋ぎ合うぬくもりを今
静かに感じている
噛みしめてみる
・・・・・・・
・・・・・・・
世界のこの片隅に
一筋の幸せがありますように
あなたの上に
3月に入ってから、震災を改めて振り返り、災害を検証したり、被害に遭遇された多くの方々にとっての一年を辿る報道が、テレビや新聞で色々特集されています。
すべての記憶は、時間の向こうに風化されてゆくものなのでしょうが、でもあの余りにも大きな衝撃と痛手は、世界を貫く閃光を一瞬に浴びたように深く刻みつけられて、誰の胸からも容易に薄れてゆくことはないと思います。
それぞれの人が、そして私自身も、記憶の中でそれをどう抱えて、新たに過ごしてゆく時間にどう生かしてゆくのかが問われていくのでしょう。
生かしてゆかなければならない沢山の教訓や思いが、この一年の時間の中には、混沌として渦巻いているように感じます。
改めて、犠牲になられた多くの方々の鎮魂に深く思いを致すと共に、未だ、仮設住宅や避難生活の暮らしを余儀なくされて、大変な状況で過ごされている方々に一刻も早く以前と同じ生活が訪れますよう、心から祈念するばかりです。
そして、自然への畏敬の念と、その中で生かされていることの感謝と、人が人同士、共に在ることの喜びとを、いつも感じていたいと思います。
震災の直後に、歌詞をつけてから、この一年の間、折に触れ歌ってきたケレン・アンの『世界の片隅に』という曲があるのですが、・・・確か前にもこのブログの中で触れたことがあったかと・・・その一節をご紹介して、今改めて思いを込め、ここにお贈りしたいと思います。
この世界に
小さな私とあなたがここにいる
それだけで良い
繋ぎ合うぬくもりを今
静かに感じている
噛みしめてみる
・・・・・・・
・・・・・・・
世界のこの片隅に
一筋の幸せがありますように
あなたの上に


