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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

『世界の片隅に』

 カット写真
    『世界の片隅に』
                 訳詞への思い<31>


 コロナウイルスの感染拡大は収まる気配もなく、更に世界的広がりを見せている。
 街には、足早に身を潜めるような気配が充満しているし、マスクやお米、紙類の買い占めや、コロナ感染者への誹謗中傷などのニュースまで流れている。
 <内にも外にも目に見えない敵の脅威を背負って日々暮らす戦時下のよう>と誰かが言ったけれど、この如何ともし難いものの前にすべなく竦む感覚に、東日本大震災の時のあの心持ちを思い出した。

 『世界の片隅に』は東日本大震災の直後、胸に去来する震災への思いから生まれた訳詞であることは、これまで折に触れ話してきたのだが、改めて『訳詞への思い』にまとめてみたいと思う。

   東日本大震災 一通のメール
 今、私のブログを読み返しているのだが、震災の直後、次々と届く情報を頻繁に更新していた。
 その中の2011日3月18日の記事、震災からちょうど一週間後の文章であるが、これを抜粋してご紹介したい。
 『世界の片隅に』を作る直接の契機となったYさんからの詳細なメールを取り上げた記事の一部分が下記のようである。

 <茨城土浦から ~ Yさんのメール ~ > 
       ・・・・・・・
 私は仕事場で皆でお茶休憩をしているところでした。
横揺れがいつもより少し長いな、と感じているうちに、地面の底から何かが出てくるのではないかと思うくらい不穏な音とともに揺れが強くなっていきました。
 驚くというよりも「身の危険」を感じて皆で外に出ると、電線は激しく波打ち、隣のアパートのガラスがガタガタ言い、前のお宅の奥さんも外に出て庭にしゃがみこんでいました。
 地上では明らかに不穏な空気が身体を覆っているのに、空は穏やかできれいな青空だったのを覚えています。
     ・・・・・・・ 
 橋を渡れば我が家です。
 橋は危ないと思いつつ、一刻も早く帰りたかったため、橋を上りました。
 途中ですれ違った若者の「橋はやっぱり揺れるな」と、余震をにおわすような言葉を聞かないふりをしながら自転車で猛スピードで橋を下っていくと、目の前に信じられない光景が広がっていました。
 晴れているはずなのに路面がずっと先まで濡れているのです。
 よくわからないまま、橋を渡り終えて家に近づいていくと更にひどい状況で、ブロック塀が崩れている家や、瓦が飛んでしまった家、窓ガラスの破片が道路に飛び散っている工場等々・・・。

 呆然としたまま我が家に辿り着くとアパートの前のアスファルトや電柱から泥水が噴出し、大量に流れ出ていました。路面が濡れていたのはそのせいでした。
  「液状化現象」、まさにそれが目の前に広がっていたのです。
     ・・・・・・
 
 Yさん。
 どれほど、恐ろしく不安な思いをなさったかが、文面から手に取るように伝わってきました。そしてきっと、今も不自由なことや、困難なことを沢山抱えていらっしゃるのでしょうね。ストレスも過労も沢山たまっていないか心配です。
 私は、子供の頃からのYさんをよく知っていますが、彼女はいつも感受性豊かに、そして、澄んだ眼差しで真直ぐにものを見ることのできる人です。
 賢明な彼女がどんな局面もくじけることなく勇気と優しさを持って乗り切ってゆかれるよう、それを心から祈りたいと思います。
  
 「停電の暗闇の中で、カーテンを開けてみると地上に明りはなくても夜空は結構明るくて、そんな、子どもの頃はわかっていたようなことも忘れていた自分に気づきました。」
  ・・・メールの最後に書いて下さったこのことばが胸に残ります。


 驚天動地の事態の前で、同じ時間を、たくさんの方たちが、色々な状況で色々な思いの中で過ごしていたことを改めて思います。一つ一つは小さな出来事かもしれませんが、でもそれぞれに共感でき、その中に誇らしく感じる大切なものが見える気がしています。

 本当に困難で、一人一人の真価が問われてゆくのはむしろこれからでしょう。
 事態は簡単に収束されそうにありませんし、我慢と苦痛を強いられるこれからの長い時間の中で、どのように私たちは冷静に礼節を保ち続けてゆけるのか、これは難題に違いありません。
 もう既に、風評被害などによって、社会はかなり混乱をきたし始めていますが、だからこそ私たちが立ち返るべき場所を忘れないでいたいと、今強く願います。

 
   映画『この世界の片隅に』
 この曲を歌うとき、『映画とどういう関係があるのか?』『映画のタイトルを真似たのか?』などとよく問われるのだが、このアニメ映画が上演されたのは2016年。私が訳詞をして歌い始めたのは2011年4月からなので、「私の方が元祖・本家です」と釈明することにしている。
 こうの史代氏原作の同名漫画をアニメ映画化した作品で、広島と呉を舞台に、「すず」という一人の女性を主人公として、過酷な戦時下をけなげに生きる彼女と、彼女を巡る様々な人間模様を描き出したヒット作である。
 この世界の片隅で、それぞれの思いを抱きながら、一人一人がかけがえのない命を精一杯生きようとしている、そういう人間同士、共感し合い励まし合うことがどんなに大切か、全編に貫かれている映画のテーマは、私の訳詞『世界の片隅に』への思いにも通じ合うものがあると強く感じる。
 (公式サイトからの予告映像はこちらです。)


   『世界の片隅に』
 さて、訳詞した『世界の片隅に』であるが。
 2002年にケレン・アン(Keren Ann) によって歌われた「au coin du monde=世界の片隅」が原曲。作曲はケレン・アン、作詞は彼女の当時の恋人で音楽プロデューサーのバンジャマン・ビオレイ( Benjamin Biolay)の手による。

   Tombent les nuits à la lueurs de bougies qui fondent
   et que la lumière soit.
   溶けてゆく蝋燭の光に夜が更ける そして光がありますように
   Passent les heures que s'écoulent à jamais les secondes
   et que la lumière soit.
   時が過ぎてゆく 永遠に秒を刻みながら 
   そして 光がありますように


 という冒頭から始まって、恋人たちが共に過ごす夜、温かい愛情を感じながら、お互いの上にささやかでも幸せが注がれますようにとそっと祈る、原曲はそんなロマンチックなラヴソングである。
ケレンアン CDジャケット
 軽快なリズムと旋律に乗せて、ケレン・アンの囁くようなハスキーボイスが飛び切りお洒落なニュー・フレンチポップスの世界を作り上げている。

 美しいメロディーで、2002年の発表時からこの曲に惹かれてはいたのだが、先に述べた大震災の時にこの曲が突然強烈に私の中で思い起こされ、この曲をラヴソングとしてではなく、私自身の思い、祈りを乗せて歌いたいと強く思ったのが訳詞のきっかけである。
ろうそくの火 「蝋燭の光しかない停電の闇の中で、夜空が明るかった」というYさんの文章と、原詩の「溶けてゆく蝋燭の光・・・」が一つに重なったためかもしれない。
 そして、私の『世界の片隅に』は、原詩に忠実な訳詞ではなく、私自身の心象風景を広げていった殆ど作詞に近いものとなった。

 日々、生きてゆく時間の中には 様々な出会い別れ、出来事が通り過ぎてゆく。抗い難いものへの怖れや憤り、悲しさや、嬉しさ。
 今、折に触れてこの曲を歌う中で、思いは更に深く広がっている。

 最後に私の訳詞『世界の片隅に』の全文をご紹介しようと思う。

   世界の片隅に
                 松峰綾音 訳詞
           
   溶けてゆく ロウソクの 名残り火の中に  
   夜が落ちてゆく
   脈打ってる胸の鼓動を 聞いている  
   時が過ぎてゆく
   遠く 近づいてくる  夜が明ける この香り
   一筋の光が ありますように

   立ち尽くすしかできないことって
   突然 起こってくる
   戸惑ってるだけの自分を 眺めてる
   涙がつたう

   遠く 雪解けが見える 世界の この片隅に
   一筋の光がありますように

   この世界に  小さな私と あなたが ここにいる
   それだけで 良い
   つなぎ合う ぬくもりを 今 静かに感じている
   噛みしめてみる

   遠く オーロラが見える 世界の この片隅に
   一筋の幸せが灯りますように
   あなたの上に

                        Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を固く禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  ケレン・アンの歌う原曲です。お楽しみください。




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『さくらんぼの実る頃』

カット写真
 まだ季節が早いですが、今日はシャンソンの往年の名曲『さくらんぼの実る頃』を取り上げてみたいと思います。

   『さくらんぼの実る頃』

                         訳詞への思い<30>

   "Le Temps des Cerises"
 原題は「さくらんぼの頃」の意味。
 日本でも『さくらんぼの実る頃』のタイトルでよく知られた往年のシャンソンの名曲である。
 ジャン=バティスト・クレマン(Jean-Baptiste Clément)作詞(1866年)、アントワーヌ・ルナール(Antoine Renard)作曲(1868年)による。
 現在まで歌い継がれているシャンソンの中で最も古い曲だといわれている。

 さくらんぼにことよせて、若き日の恋の思い出を、甘酸っぱく歌い上げている素朴でノスタルジックな内容だが、この曲について語るときはいつも、パリ・コミューンとの関連がクローズアップされてくる。
 まずは、それも含めた曲の背景を簡単にまとめてみたい。
 
 <パリ・コミューン>
 普仏戦争(1870年〜1871年)で敗れたフランスは、ナポレオン3世の第二帝政が終焉し第三共和政に移行する。
 しかし、プロイセンとの和平交渉に反対し自治政府を宣言した労働者政権のパリ・コミューン(la Commune de Paris 1871)は、1871年3月18日から同年5月28日までの短期間パリを支配した。
追悼碑
 これを鎮圧しようとするヴェルサイユ政府軍との激しい市街戦の後、パリを包囲した政府軍によってコミューン連盟兵と一般市民の大量虐殺が行なわれた。
 「血の一週間(la semeine sanglante)」と呼ばれるこの戦闘により、3万人にのぼる戦死者を出してパリコミューンは瓦解し、5月27日ペール・ラシェーズ墓地での抵抗と殺戮を最後にこの戦いは幕を閉じた。


 この戦いが勃発し、そして無残な結末を迎えた時期が、まさに<さくらんぼの季節>でもあり、この事件後に成立した第三共和政に批判的なパリ市民たちによって、1875年前後から、連盟兵たちへのレクイエムであるかのように、この歌が繰り返し歌われたことから「パリ・コミューンの音楽」として有名になったのだと伝えられている。
ラパン・アジル
蛇足であるが、パリ・コミューンゆかりの地、モンマルトルの丘に今も残る老舗のシャンソニエ「ラパン・アジル」を数年前に訪れた時、偶然だがこの「Le Temps des Cerises」が歌われて、これに唱和する観客に交じって私も声を合わせたことを懐かしく思い出す。
ラパン・アジル2


長い時間の中を生き続けてきた曲であることが再認識される。



    <ルイーズとの出会い>
 さて、作詞者のクレマンは自身も連盟兵として戦ったのだが、その折、野戦病院で負傷兵の手当てをしている一人の女性革命家と出会うことになる。
 彼女ルイーズ・ミシェル(Louise Michel)の甲斐甲斐しく働く姿に大きな感銘を受けて、すでに流布していたこの「Le Temps des Cerises(さくらんぼの頃)」に、改めて「1871年5月28日日曜日、フォンテーヌ・オ・ロワ通りの看護婦、勇敢なる市民ルイーズに」という献辞を付則したのだという。

 そして同時に、これまで3番までだった歌詞に、新たに4番の歌詞を加えて発表した。
 4番には「あの時から、この心には、開いたままの傷がある」のフレーズがあり、この曲が、パリ・コミューンへの追悼として作られたものだと解釈する所以ともなっているのだが、3番までの歌詞がパリ・コミューンの時期の数年前に既に出来上がっていたことを思えば、少しうがち過ぎで、あくまでも失った若き日の恋を思い懐かしむ曲と取るほうが自然であると思われる。

 「血の一週間」をめぐる惨劇を目の当たりにし、この渦中に生きた作詞家クレマンの献辞は、コミューン兵士たちへの挽歌であると同時に、甘く短いさくらんぼの時間・・・・真っ赤に熟し燃え上がるつかの間の恋の情熱と、夢破れた恋の挫折、・・・そしてルイーズという優しく果敢に戦い挑む女性との一瞬の邂逅、そういう全てに手向ける言葉だったと言えるかもしれない。


   「さくらんぼの実る頃」
   <美しい情感>
 フランスではイヴ・モンタン、コラ・ヴォケールを初め何十人という歌手がこぞって歌い継いでいるが、日本でも、シャンソンの代表的名曲として、多くの歌手のレパートリーとなっている。

 訳詞も様々にあるが、よく耳にするのは工藤勉氏の訳詞かと思われる。

  さくらんぼ実る頃は うぐいすが楽しそうに 野に歌うよ
  乙女たちの心乱れて 恋に身を焦がすよ
  さくらんぼ実る頃は 愛の喜びを 皆 歌うよ


 という1番の歌詞から始まり、「愛する人に抱かれて胸震わせても さくらんぼが実り終わると鶯は去り 赤いしずくが胸を染める」という2番へと続く。
 そして最終章の3番で「さくらんぼの実る頃は 年老いた今も 懐かしい。
 あの日のことを心に秘めて、いつもしのんで歌う」と締めくくられている。

 日本語の持つ情感と余韻が美しく、品格のある詩の世界が出現している。

 この工藤氏の訳詞だけではなく、他の訳詞のほとんども<若き日の恋を懐かしく蘇らせながら、過ぎ行く時への感慨をかみしめる>というしみじみとした老境を歌い上げる格調高い曲というイメージが強い。
 旋律の美しさと合わさって、歌い手の側にも年輪を重ねた深みが要求されるのかもしれない。

 1992年には、加藤登紀子氏が、スタジオジブリのアニメ映画『紅の豚』の中でフランス語でしみじみと歌われていて、この曲の知名度を上げた。

   <「血が滴る」と「傷口が開く」について>
 先にパリ・コミューンとの関連について述べたが、このような、いわば隠喩を用いた反戦歌と思われた理由の一つに、ちりばめられている「言葉」そのものがあるのではと私は感じている。

 さくらんぼが実っている描写を記した2番の詩句
  Des pendants d'oreilles
  Cerises d'amour aux robes pareilles
  Tombant sous la feuille en gouttes de sang

  耳飾り
  お揃いのドレスを着た愛のさくらんぼ
  血のしずくが葉陰に滴り落ちている
                (対訳)
 
そして現在まで続く心の痛手を歌った4番の詩句
  J'aimerai toujours le temps des cerises
  C'est de ce temps-là que je garde au coeur
  Une plaie ouverte

  私はずっとさくらんぼの季節を愛し続けるだろう
  開いた傷口を 心の奥に持った季節なのだから
                 (対訳)

さくらんぼ
 二つの実がぶら下がって揺れる<真っ赤な耳飾り>のようなさくらんぼを、二人で夢中で摘みに行く情景は、その赤さゆえにどこかなまめかしくも思われるし、また、さくらんぼが<血のしずくのように滴り落ちている>という表現も、ただ微笑ましいだけではない熱情の激しさのようなものも感じてしまう。

 まして、最終章4番の、嘗ての失恋の痛みを、未だ<ぽっかりと開いた傷口>として感じ続けていること、そういう、まさに触れたら血が噴き出すような恋だったからこそ、今もかけがえない懐かしさと共に、くっきりと刻み付けられているのではないだろうか。

 「さくらんぼの実る頃」のそんな生々しさを伝えたいと思った。
 意訳も入っているが、私の訳詞の締めくくり4番は下記のようになった。

  さくらんぼの実る頃
  癒えることない傷口が 心に開く
  痛みも後悔も幸せも そのまま愛したい
  さくらんぼの実る頃 
  思い出が 胸を打つ

                       Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  では、コラ・ヴォケールの歌う原曲をお楽しみください。



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『優しきフランス』

訳詞への思いタイトル
 アンスティチュ・フランセ関西(旧日仏学館 在京都)でフランス語を学び始めてから、もう随分歳月が経ちました。
 現在受講しているのは週一回のクラスですが、取り上げるテーマが多岐に渡っていて、今は、新聞や雑誌などの記事を用いながら、時事問題を中心に幅広く生のフランス事情を紐解いてゆく大変興味深い授業を受けています。
日仏学館1
 通学で使ういつものバスの運転手さん、降車客に必ず、「このあともお気をつけて、素敵な火曜日をお過ごしください。」と声を掛けて下さるのです。
 気負いもなく、さりとて機械的でもなく、ソフトで自然な口調で爽やか。
 この言葉を聞くのがいつの間にか火曜日の愉しみになっています。
日仏学館2
 さて先週の授業では、「今回は、往年のシャンソンを取り上げてみましょう」ということでシャルル・トレネ(Charles Trenet)の『優しきフランス(Douce France)』という曲を教材に選んで下さいました。
 作品の背景や解釈等学んでいくうちに、トレネのこの曲に改めて感ずるところがあり、試みに訳詞を作ってみました。

 前置きが長くなりましたが、今日は「訳詞への思い」、この『優しきフランス』をご紹介したいと思います。

    『優しきフランス』
                      訳詞への思い<29>     

   Douce France
 Douceは「甘い・心地よい・穏やかな・柔らかい・優しい」などの意味。
 トレネジャケット
 1943年、シャルル・トレネ(Charles Trenet)作詞、レオ・ショーリアック(Léo Chauriac)作曲。
 第二次大戦後の動乱期にトレネ自身が歌って、フランスで大ヒットした曲である。この曲のヒットはこの時代の歴史的背景・世情に密接に結びついていると思われる。


   <この曲にまつわるトレネのプロフィール>
  1940年6月13日、ヒットラーの率いるナチス・ドイツがパリに入城。
  ニースに居たトレネは除隊し、パリに戻ることを決意。
  1941年アヴニュー劇場のステージに立つ。
  第二次世界大戦下の1943年にこの曲の制作。 同年、同劇場にて発表。
  戦後1947年録音され、爆発的ヒットとなる。


 手負いの祖国に向けた愛・誇りが、真っ直ぐに伝わってくるこの曲は、今も不朽の名曲としてフランス人に愛され、深く浸透している。
 曲構成は、クープレ(Couplets)とルフラン(Refrains)でしっかりと組み立てられていて、典型的シャンソンの形態を持っているといえよう。
 「クープレ」というのは、いわばセリフ部分のこと。物語の展開を時系列で語るように歌い進めてゆく。
 一方、「ルフラン」は、旋律を重んじ、情感豊かなサビをメロディックに歌い上げる部分で、印象付けるべく何度も反復されるのが常である。

 『Douce France』の冒頭は、幼少期の愉しかった思い出を物語るクープレから始まる。

   Il revient à ma mémoire  Des souvenirs familiers
   Je revois ma blouse noire   Lorsque j´étais écolier
   Sur le chemin de l´école    Je chantais à pleine voix
   Des romances sans paroles  Vieilles chansons d´autrefois

   慣れ親しんだ思い出の数々が記憶によみがえる
   黒い上着が目に浮かぶ
   小学生だった時 学校の道すがら
   歌詞のない恋歌 昔ながらの古いシャンソンを
   声を出して歌った 


 クープレはセリフを語るように言葉を音に入れ込むことが出来るので、比較的対訳に近い内容・言葉数で綴ることが可能なわけだが、試みに私が作った訳詞は下記のようである。

   小さな手 つないで 黒い上っ張り 着て
   学校への道 朝陽が眩しくて 
   ありったけの声で  ありったけの歌を
   意味も分からず   口ずさむ 恋のメロディー 
                          (訳詞 松峰)


 「黒い上っ張り」・・・園児が着るお揃いのスモック、フランスでは今も存在しているだろうか。
 日本でも時々黄色などのお揃いの上っ張りを着て、若い先生に引率されながら公園で園児たちが遊んでいるのを目にすることがある。制服の自由化は幼稚園にも波及するだろうから、こういう光景も段々減ってくるのかもしれないが。
 余談だが、カトリックの女子校で過ごした私の中・高時代には校内で着用するまさに黒い上っ張りがあって「タブリエ」と呼んでいた。 「タブリエ」はフランス語で割烹着のことだ。

 そして、ルフランへと続く。
   Douce France  Cher pays de mon enfance
   Bercée de tendre insouciance  Je t´ai gardée dans mon cœur!
   Mon village au clocher aux maisons sages
   Où les enfants de mon âge  Ont partagé mon bonheur
   Oui je t´aime  Et je te donne ce poème
   Oui je t´aime  Dans la joie ou la douleur
   車窓からのフランス

   心地よいフランスよ
  幼年時代の優しい安穏にはぐくまれた国
  私は君を心にとどめ続けることにした
  鐘楼とつつましい家々のある僕の村
  そこで私と同じ年頃の子供たちが 幸せを分かち合った
  そう 私は君を愛す  そしてこの詩を君に捧げる
  そう 私は君を愛す  楽しいときも苦しいときも
                        (注 君=フランス)
  

 音韻に留意しながら作ったこの部分の私の訳詞は下記である。
   Douce France   幼い日 mon enfance
   優しさに包まれ   時は流れてた  
   Mon village    鐘の音 響き渡り
   小さな灯りともる  穏やかな夕暮れ
   Oui je t´aime  いつだって心に   
   Oui je t´aime   輝き続ける  (訳詞 松峰)

   フランス農村風景
 クープレとルフランが組み合わさった風格のあるメロディーの中でトレネが伝えたものは、まさに祖国への愛。
 戦時下劣勢にあった自国の中で、敢えて「フランス万歳」「大好きな我が国」と明るく揺るぎなく歌い上げて、絶望感に苛まれていた戦火の民衆に、そしてレジスタンス運動の闘士たちに熱狂的な力と光を与えた一曲となったのだろう。

   『ふるさと』への思い
   兎 追いし かの山 小鮒 釣りし かの川
   夢は 今も巡りて 忘れがたき ふるさと


 幼少期の美しい思い出に彩られた「ふるさと」への憧憬はフランスに限るわけではなく、民族を越えた共通した感情なのだと思う。
 けれど、我が国の唱歌『ふるさと』の締めくくりは、

   こころざしを果たして いつの日にか帰らん 
   山は青きふるさと 水は清きふるさと 


 であり、包み込んでくれる慈愛に満ちた自然への愛、畏敬にどこまでも優しく帰結してゆく。

 奇しくも『douce France』の発表と同時期の1945年~1946年に、日本で歌われた戦後歌謡、空前のヒット曲となった『リンゴの唄』には、<日本が一番>というようなダイレクトな言葉はなく、可憐なリンゴの実を慈しみ、仄かな恋心のイメージを重ねるロマンチックな歌詞に、日本の再興を託していて、美しく穏やかな世界を志向するしなやかな情感を感じる。

 『douce France』がこれほどのヒット曲であったのに、日本においてさほど注目を集めなかったのは、この曲が、シャンソンの国フランスの、一歩も退かない矜持のような独特なパワーを醸し出していたためだったのかもしれない。

 最近のシャンソンの中から<ふるさと>の取り上げ方に注目したい曲が何曲かある。次の機会にこれに続けて紹介してみたいと思っている。
                             
                                  Fin


    (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
    取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

    では、シャルル・トレネジュリエット・グレコの歌うそれぞれの原曲をお楽しみください。



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『風のうわさ』

訳詞への思いタイトル
 前回の記事からすっかりご無沙汰してしまいました。
 成就院コンサートが一段落してちょっと一休みのつもりが、気づけば夢のようにひと月余りが経っています。

 実は、コンサート後、訃報が続いて、ひどく気落ちする7月でもありました。
 親しい友人、先輩、大好きだった叔父と叔母、相次いで・・・・・人の世の無常を思わずにはいられません。
 今、こうしていられることの幸せが、胸に沁みます。

暑中見舞い

 遅い梅雨明け宣言と共に、猛暑の日々。

 友人からこんな素敵な暑中お見舞いを頂きましたので、ご紹介させていただきます。

 私はといえば、38℃超えの京都を離れ、今、両親の療養のため共に軽井沢で過ごしています。
 昼間はさすがに30℃になりますが、夕暮れ時になると涼しい風が吹いてきて、それが何よりのここでのご馳走。
 夏に順応できず、熱中症寸前だった母もようやく体調を回復しつつあります。

 ここにいると梢を抜ける風の音が心を和ませてくれます。
 遠くから風が近づいてくる微かな音が聞こえてきます。

 落葉松林の風景を見ながら、久しぶりに「訳詞への思い」、『風のうわさ』を取り上げてみたいと思います。

      『風のうわさ』 
                            訳詞への思い<28>

   カーラ・ブルーニ
 2002年にリリースされたカーラ・ブルーニCarla Bruni のファーストアルバム『Quelqu'un m'a dit』。
カーラ・ブルーニ
 彼女の自作曲を集めたこのアルバム中に、同名のタイトルで『Quelqu'un m'a dit(ケルカン・ マ・ディ)』という曲が収録されている。
 <誰かが私に言った>という意味だが、『風のうわさ』という邦名で既に紹介されているので、私の訳詞のタイトルもこれに従った。

 サルコジ前フランス大統領夫人として注目された「カーラ・ブルーニ」は、1967年、イタリア・トリノ生まれ。フランスでスーパー・モデルとして人気を博したが、2002年歌手に転身。
 <美貌と知性、そして素晴らしい音楽的才能。そのすべてを神様から与えられた類まれなる逸材、カーラ・ブルーニ>
 このうたい文句と共に、ファーストアルバムは、世界中で100万枚を超えるヒットになった。

    Quelqu’un m’a dit 
  
  <冒頭部分 対訳>
  On me dit que nos vies ne valent pas grand chose
  人は私に言う。私たちの生きていることに大きな価値などないって
  Elles passent en un instant comme fanent les roses.
  人生は薔薇が枯れてゆくように、一瞬で過ぎてゆく
  On me dit que le temps qui glisse est un salaud
  人は私に言う。過ぎてゆく年月は卑怯者だ。
  Que de nos chagrins il s’en fait des manteaux
  私たちの悲しみを重ねていくことだから。
  Pourtant quelqu’un m’a dit…
  けれども、誰かが私に言う。  
    
  Que tu m'aimais encore
  あなたが私をまだ愛していると
  C'est quelqu'un qui m'a dit que tu m'aimais encore.  
  あなたが私を愛していると言ったのは誰かだ
  Serait-ce possible alors ?
  それはあり得ることかしら?

  
   <「風のうわさ」 松峰 訳詞>
  生きることに大した意味なんてないって 人はいつも言う
  悲しみだけ抱えたまま 色褪せていく薔薇のように
  でも 誰か言う
  
  そう あなたが 私のこと 愛しているって
  ねえ まだ今も 
  本当かしら?
  誰がささやくの?

 歌の中の女性は、失くした恋をどのように偲んでいるのだろうか。
 カーラ・ブルーニは、夢みるように、美しい幻影を見るように、淡々としたウィスパーボイスで歌っていて、さらりと、風のささやきに紛れるような密やかな繊細さが感じられる。
 力一杯悲恋を歌い上げる日本の演歌の対極にあるような世界・・・。
 風の音のような曲、戸惑うような未成熟な喪失感を、訳詞にそのまま映し取りたかった。

 そして、彼女は、ある夜更けに、誰かが囁く声をはっきりと聴く。

  彼は貴女のこと 今でも愛しているわ
  でも これは秘密 誰にも言ってはだめよ

 この曲『風のうわさ』を最初に歌ったのは2008年の内幸町ホール、訳詞コンサートvol.2「もう一つのたびだち」のことだった。
 懐かしくなって、古い写真を取り出して改めて観てみた。
 10年前の自分、あの頃から大いに変わったような、そうでもないような・・・・

   『風に寄せて』
 立原道造の詩『夏花の歌』の朗読を6月の成就院コンサートで取り上げたのだが、同じノスタルジックな世界を漂わせている立原の詩『風に寄せて』を思い出した。
 カーラ・ブルーニの歌をBGMに、この詩を朗読したなら、きっと情景が共に重なってくる気がする。

    『風に寄せて』抄 立原道造

  風はどこにゐる 風はとほくにゐる それはゐない
  おまへは風のなかに 私よ おまへはそれをきいてゐる
  うなだれる やさしい心 ひとつの蕾
  私よ いつかおまへは泪をながした 頬にそのあとがすぢひいた

  風は吹いて それはささやく それはうたふ 人は聞く
  さびしい心は耳をすます 歌は 歌の調べはかなしい 愉しいのは
  たのしいのは 過ぎて行つた 風はまたうたふだらう
  葉つぱに わたしに 花びらに いつか帰つて



 カーラ・ブルーニのファーストアルバムのジャケットも今となってはとても懐かしく感じる。初々しい若さに溢れていて素敵だ。
 原曲はここからお聴きください。
真似


昨夏、真似して、おどけて、こんな写真を撮ってみました。

如何でしょうか.。
                                   Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)
 





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『神様はハバナタバコを吸う』

カット久々の「訳詞への思い」、今回はゲンズブールの曲『神様はハバナタバコを吸う』をご紹介します。


       『神様はハバナタバコを吸う』
             
                                  訳詞への思い <27>


    ハバナタバコとジタン
 原題は「Dieu fumeur de havanes」
 「神様はハバナタバコの喫煙者」という原義であるが、「神様はハバナタバコがお好き」というタイトルで既に日本に紹介されている。

 カトリーヌ・ドヌーヴ主演、セルジュ・ゲンズブールが音楽担当及び出演した映画『Je vous aime』(1980年)の中で、二人が歌ってヒットした曲である。

 ゲンズブールと言えば、周知の通り超ヘビースモーカーであったが、タバコをふかしながらのステージは、大いに顰蹙(ひんしゅく)をかいながらも、彼なら仕方がないという感じで、どこかで認容されていた節もあって、カリスマ的なゲンズブール神話を飾っている。

 この曲は、映画のイメージを伝えていることは勿論だが、また同時に、女性遍歴を重ねてきた彼の実像とも大いに重なるものがあると言えるだろう。

   神様はハバナタバコを吸っていて、それは僕と同じさ。
   僕のくゆらせるタバコも天国と同じ香りがするんだ

   いいえ、あなたはハバナタバコを吸ってなんかいない
   あなたの吸っているのはジターヌだわ


 というような言葉を、恋人同士、戯れながら繰り返し囁き合っている・・・・他愛なく、そしてエロティックでもある歌詞で、<だから何なの?>と言いたくなるが、彼特有の少しアンニュイで洒脱な言葉遊びが終始繰り返されてゆく。
CDジャケット
 デュエットの相手はフランスの永遠のマドンナと言っても過言ではない、カトリーヌ・ドヌープ。
 この曲を発表した頃は、若さが弾けるように眩しく、上品で瑞々しい魅力に満ち溢れていて、その彼女が恥じらうようにひそやかに歌っていたので、戯言のような歌詞も何もかもがすべて帳消しになったのだろう。

 ゲンズブールもおそらくその辺の計算をしっかりとした上で、このヒットソングを作り上げたのではと推測する。
 
 さて、では、この歌詞に頻出する「ハバナタバコ」と「ジターヌ」なのだが、少しだけ説明をしてみることとしよう。
チャーチル
 「ハバナタバコ」はステイタスの高いキューバの葉巻。
 名を成した成功者、紳士がゆったりとくゆらすイメージだ。
 そういえば、チャーチルもケネディーも、明治天皇も吉田茂も、ハバナタバコの愛好者だったのではないか。

 私の友人に愛煙家がいて、シガーバーが如何に健全でステイタスが高い寛ぎの場であるのか、葉巻は吸い方に美しい作法があり、真に紳士の証しなのだというような話を詳しくしてくれたことがあったのを思い出した。
 
 熱く語る言葉から、ロマンチックで上質な葉巻文化を垣間見る気がしたけれど、でも私は、ここで、禁煙推進の世の中に掉さすつもりは毛頭ないし、タバコの健康影響についても充分理解している。
 そもそも喫煙の真似事すら一度もしたことはない。

  神様はハバナタバコが大好きで、いつも天国で悠然とハバナタバコをくゆらせている。僕と同じだね

 女性は
  「それは嘘で、あなたがいつも吸っているのはジターヌじゃないの」
と言う。
ジタン1 
 ジターヌとは 。
 フランスの紙巻タバコ「ジタン」のこと。
 正しくは「ジターヌ」と発音するので、私の訳詞の中ではジターヌと表記した。

 ジターヌの原義は「スペインのジプシー女」の意味で、青いパッケージには扇を持ったジプシーの踊り子のシルエットが描かれている。

 解説によると、

 基本的にはタバコの葉を乾燥させ、更に堆積発酵させた黒い葉のタバコでクセが強く何種類かある。

 高級タバコではなく庶民派のタバコ、肉体労働に従事する人たちに特に刺激的な香りが好まれ、愛好者が多いのだと聞いたことがある。(ちなみにアニメのルパン三世の吸っているタバコもジターヌだった)

 主人公の男性が「僕のハバナタバコだよ」とうそぶきながら、ニコチン中毒者のように、安タバコのジタ―ヌを間断なく吸い続けているという情景だ。

 
   Dieu fumeur de havanes  『神様はハバナタバコを吸う』
 
さて、私の訳詞の書き出しは次のようである。

   1 神様はいつもハバナ くゆらせている
     灰色の雲を作る
     僕も同じさ

       いつも貴方はそう言う
       でも本当は違う
       あなたのジターヌ 青い煙 目にしみるもの
  
   2 神様はいつもハバナ くゆらせている
     天国の香りがする
     僕は知ってる
  
       あなたはいつもジターヌ
       女たちの中で
       でも幸せじゃないのね 私は知ってる

 魅入られたようにジターヌを吸い続ける貴方は、パッケージの中の青いドレスのジプシー女に心を奪われているかのようだ。
 ジターヌをふかすように女性遍歴を重ねる貴方だけど、私には幸せそうには見えない。

 貴方がどんなでも、私だけは貴方の傍にずっといてあげる
 貴方のタバコの煙をいつまでも見ていてあげる

 タバコの煙のように捉えどころがなくて、すっとどこかに消えて行ってしまいそうな「貴方」の心を、あるがままに受け入れる「私」の言葉に、母性のようなものを感じる。切ない恋の歌だと思えてくる。

   神様から一番遠く 君を守るよ

 僕は神様から一番遠くにいるけれど、でも「君を守るよ」
 
 これも僕の精一杯の愛の言葉。
 軽口を並べたジョークで本心を見せない恋愛ゲームのような歌でありながら、孤独と、渇望と、情愛が垣間見える気がして、一筋縄ではいかないゲンズブールならではの、ひねりの効いたラブソングであると感じた。

 いつか誰かとデュエットしながら歌ってみたいと思っている。
                                    Fin
 
 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

   では、原曲Dieu fumeur de havanesをお楽しみください。



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『優しき調べ』

カット写真 いつの間にか秋も深まってきました。
 11月は大好きな季節。
 秋の名残りの光、冬の乾いた冷気を感じ始める、こういう季節の変わり目には独特のセンチメンタルな空気が漂っている気がします。
 11月を歌ったシャンソンは沢山ありますので、いつか特集してみても面白いですね。
 風邪気味でぼんやりとしながら、以前のコンサートCDなど久しぶりに聴いていたのですが、随分前に歌った『優しき調べ』という曲が何故か心にしみじみと沁み入ってきました。
 今日は久しぶりに「訳詞への思い」、この曲を取り上げてみようかと思います。


       『優しき調べ』
                   訳詞への思い <26>

   「chanson tendre」
   Comme aux beaux jours de nos vingt ans
   Par ce clair matin de printemps
   J'ai voulu revoir tout là-bas
   L'auberge au milieu des lilas
   On entendait sous les branches
   Les oiseaux chanter dimanche
   Et ta chaste robe blanche
   Paraissait guider mes pas

   私達の二十歳の美しい日々のような 明るく澄んだこの春の朝に
   あそこにこそ私は再び訪れたかった リラの中にあるあのオーベルジュを
   枝の下で聞こえていた 日曜日に鳥たちが歌うのが
   そして 君の純白のドレス 私の歩みを導くように思えていた
                             (松峰 対訳)
 
 始まりの原詩は上記の通りである。
 「chanson tendre(シャンソン タンドル)」というこの曲は殊の外言葉数が多くて、上記冒頭だけでも、短い旋律に、とてつもなく早口のフランス語が詰め込まれている。
 日本語の音節の特徴上、原詩の内容すべてを忠実に日本語詩で表現することは非常に難しく、この曲の訳詞は、いつも以上にイメージを広げ、内容を凝縮し言葉を選ぶことが要求された気がする。

 ちなみにこの部分の私の訳詞は以下のようになった。
 日本語で歌うために、かなり短くしていることがわかって頂けるのではと思う。

     君と過ごした 二十歳の思い出
     リラ咲き乱れて 小鳥は戯れ
     僕を誘(いざな)う 白いドレスの君
     もう一度 訪れたい あのオーベルジュ
 

 1935年、もう80年以上も前の、私が訳詞した中でおそらく最も古い曲だ。
フレール写真
 フレールが歌ったヒット曲だが、後にコラ・ボケールやバターシュなど様々な女性歌手が独自の味わいを出して歌っている。

 この曲の日本語詞はこれまで他に作られているのだろうか。
 時代の錆は全く感じられず、むしろ新鮮で、端正なピアノの伴奏に乗せて奏でられる、一編のフランス歌曲を聴くような優美で詩的な空気が漂う名曲だと私には思われる。
 
 「chanson tendre」という原題は「優しいシャンソン 」という意味だが,内容はかなりシリアスで、「優しい」とは言い難い。

 恋に破れた「僕」が、彼女への想いを断ち切りがたく、嘗ての二人の恋が育まれた思い出の場所であるオーベルジュを訪ねる。
 昔の儘の佇まいが残されている部屋、寝室、すべての調度、・・・でも,彼女の姿はなく、もはや取り戻す術はなく、終わってしまった恋を思い知らされる事となる。

 原詩中の<c’est fini>(終わりだ )<on s’en fout>(もうどうでも良いことだ)という、投げるように歌われる言葉が「優しいシャンソン」の正体ということだろう。

 詩中に、・・・・「僕」は「鏡の中」にせめて君の名を見つけたいのに、それさえもかき消されてしまっている・・・という表現があるのだが、この部分が私にはとても印象的で心に残り、実はこの「鏡」を訳詞の中の大きなポイントとしてみた。

   『我が青春のマリアンヌ』 
 この「鏡」とも遠いところで繋がってゆくかもしれないのだが。
我が青春のマリアンヌ映画写真
 この曲を考えるとき、私にはいつも思い出される映画がある。
 『わが青春のマリアンヌ』という古いフランス映画である。

 かなり前に、テレビで再放映されていたのを何気なく観ただけなのだが、鮮烈な衝撃を受け、映像のかなり詳細な部分までもよく覚えている。
 後で調べて、1955年にジュリアン・デュヴィヴィエ監督によって製作されたものとわかった。今から60年以上も前の映画ということになるが、今思い出しても古びたものという印象はない。

 内容をざっと辿ってみたいと思う。
 母の愛を得られないという悩みを抱えながら寄宿舎に暮らす孤独な少年ヴァンサンが、ある時(夏季休暇だったような気がするが、この点の記憶は定かではない)、故郷に戻り、近くの湖のほとりにある「幽霊屋敷」と呼ばれている古城に迷い込む。そこでマリアンヌという名の美しい女性に会い心惹かれる。
 
 彼女との出会いの場面が実に幻想的で素敵な映像だった。

 迷い込んだ部屋の壁に、蜀台を持った美しい女性の肖像画がかかっていた。彼がそれにうっとりと見とれていると、,突然後ろに何かの気配を感じる。振り向いてみるとその肖像画が鏡台に映っているのが目に入り、次の瞬間に鏡の中から肖像画が消えて、その肖像画の女性マリアンヌが蜀台を持って立っているのだ。
 鏡台と思ったのは実は、鏡の入っていないただの枠で、その後ろを女性が通ったという種明かしなのだが。

 この後、話は様々に展開し、やがて彼女がこの古城の囚われの身であることを知り、救出すべく彼は再び城を訪れるのだが、その時彼女の姿もその痕跡すらも全くなく、ただ、セピア色をした彼女の肖像画だけが一枚残されていたというストーリーである。
 陶酔感というか、耽美的な匂いの残る映画だった気がする。
 
 勿論、この曲「chanson tendre」と映画とは何の接点もないわけなのだが、共に相通じ合う甘美な余韻を感じてしまう。   
 この映画のように、芳醇な香りを持った美しい残像が刻まれる訳詞になっていれば良いのだけれど。
 

 再び「chanson tendre」の原詩の後半を取り上げてみる。

   Mais rien n'était à sa place
   Je suis resté, tête basse,
   À me faire dans la glace
   Face à face La grimace
   Enfin, j'ai poussé la porte
   Que m'importe
   N i ni  C'est fini !

   けれど そこには何もなかった
   私はうなだれたまま留まった
   鏡の中で 顔を向け合い 苦渋に満ちた顔を 私はさせられていた
   ついに 私はドアを押した
   仕方がない 終わりだ!
                             ( 松峰 対訳 )

 この部分は以下のように訳詞してみた。
 「鏡」が印象的な詩になっているだろうか。

    けれど 誰もいない部屋 立ち尽くす僕
    鏡の中に 僕の歪んだ顔が映る
    扉を閉める 君は本当に居ない
     C'est fini


   余談
 auberge(オーベルジュ)はレストランを伴う宿舎・ホテルのこと。日本で言えば料亭旅館みたいなもので、本格的な食事をゆっくりと、帰宅時間などを気にせず味わってもらいたいという主旨で建てられたホテルのことを指すと理解していたのだが、先ごろ、フランス通の知人から、厳密にいうと「レストランを伴った宿舎」ではなく、「宿舎を伴ったレストラン」と考えたほうがより正確であると教えられた。食を楽しむための館ということなのだろう。
 
 この曲の「僕」が訪ねたのはオーベルジュ、訳詩の中で「オーベルジュ」という言葉を頻出させたのだが、言葉の響きが少しだけお洒落かしらという単純な思いが働いたためであることを付け加えておきたい。

                                                    Fin
 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
    取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 では、フレールの歌う原曲chanson tendreはこちらから。

オーベルジュの窓

 私の歌う『優しき調べ』(「訳詞コンサートvol.2」より)は、WEBの動画集に前半部分をUPしましたので、こちらも共にお楽しみください。





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『チョコ娘』

訳詞への思い(カット写真
 雪がちらちらと舞い、底冷えのする京都の2月。
 でも、春遠からじで、花粉の便りまで既に届き始めています。

 そして、来週火曜日は、バレンタインデー。
 ひと頃よりは、騒がれなくなっている気もしますが、でも赤いハートのディスプレイが華やかに街を飾っていますし、デパートではワンフロア、丸ごとチョコレートで溢れています。
お菓子やのショーウインドウ 世界中のチョコレートを日本だけで買い占めてしまったのではと心配になる位の品揃えで、日本のこういうエネルギーって本当に凄いですね。

 でもチョコレートって、何となく夢があって、人ごみに混ざってあれやこれやと美しいチョコレートを眺めるのは嫌いではありません。

 今日はそんなバレンタインデーを前に、久々の訳詞への思い、『チョコ娘』という曲を取り上げてみたいと思います。



          『チョコ娘』
                      訳詞への思い<25>


   Olivia Ruiz
オリビア・ルイーズジャケット
 「La femme chocolat(ラ・ファム・ショコラ)」
 直訳すると『チョコレート女』という奇妙なタイトルが付いたこの曲は、オリヴィア・ルイーズ(Olivia Ruiz)のセカンドアルバム『chocolat』(2005年)に収録された曲である。
 
コンサートVol7プログラム
 
 2014 年2月に開催した「訳詞コンサートvol.7『君は誰にも似ていない』」で、私は、新進気鋭のシンガーソングライターとして,ケレン・アンと、そしてこのオリヴィア・ルイーズの二人を取り上げたのだが、その後も彼女は、独創的で魅力溢れる楽曲を次々と創り上げながら、精力的にアルバム制作、コンサート活動を行っており、「ヌーベル・セーヌ(nouvelle scene)」と呼ばれる新たな音楽界の旗手としてその才能を発揮している。

 彼女は、1980年に、フランス南部カルカソンヌで生れている。
 父親はスペインの民族音楽を伝える音楽家で、そのライヴを聴きながら幼少時代を過ごしたという。12歳の時、初めて父とステージを共にして以来、フランスとスペインの楽曲の融合を図る新たな試みにも積極的に取り組んでいる。
 2001年、アイドル歌手としてスタートした彼女だが、2006年にこのセカンドアルバムが発表されると、フランスのみならずヨーロッパ全土で100万枚を超える売り上げを記録し、2007年には、ヴィクトール賞など栄誉ある賞を数多く得ている。

 彼女の持ち味である、スペイン系の血を感じさせる大らかでエキゾチックな声質と表現力とが遺憾なく発揮されている原曲をまずは、紹介してみたい。



   『チョコ娘』
 原曲はこのように始まる。(直訳 松峰)

   Taille-moi les hanches à la hache
   J'ai trop mangé de chocolat
   Croque moi la peau, s'il-te-plaît
   Croque moi les os, s'il le faut
   C'est le temps des grandes métamorphoses

   斧(おの)で私のお尻を切って
   私はチョトレートを食べ過ぎた
   私の肌をかじって、お願い
   骨もかじって、必要ならば
   大きな変身の時が来た
        
 「私の乳房の端に尖った二つのハシバミの実を貴方はバリバリ食べる」、
 「私の唇の端から木イチゴの木が生えてきた それを切るためにキスして」
 という具合に、原詩はエスカレートしてゆく。

   キスで私の腰を揉んで 
   私はチョコレート女になる 
   ヌテラの腰を溶けさせて
   私に流れる血は熱いココアだ

    (注 ヌテラ = ヘーゼルナッツ味のチョコレートペースト)

 チョコレートを食べ過ぎて、いつの間にかチョコレート女になってしまった!
 どうしょう!
 どんどん太ってそれでも食べるのを止められない!

 ・・・という、ひとひねりしたチョコのCMのような、陽気な詩と音楽で、オリヴィアはひたすら楽しそうに歌っている。

 よく読むと相当エロティックで、過激な表現も随所にあり、猥雑味も孕んでいるのだが、実はこれこそが、非常にフランス的なエスプリという感じもする。

 この曲のタイトルはまさに『チョコレート女』なのだけれど、私は敢えて『チョコ娘』と付けて、もう少しあどけない、ただ能天気な、夢見る頃の底抜けの明るさを押し出したかった。


 私の訳詞の冒頭は次のようである。

   食べ過ぎたの ショコラ
   でも 大好き ショコラ
   骨を削って お願い
   お腹も 齧って
   必ず スリムな女に変身する


 <伸びやかで健康的なエロティシズムに溢れた『チョコ娘』の物語が楽しく展開される>、そんな曲になっただろうか。


 そして、一番気に入っている私自身の訳詞のフレーズは、前述の原詩を訳した次の部分である。

   抱きしめて 優しく
   体中が熱く 
   とろけてゆく ショコラ
   血の中を チョコレートが流れる



                              Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)
 
   <追記>
 先日(2017.1.24)の巴里野郎でのライヴコンサートをお聴きくださったお客様から、素敵な動画が届きました。
巴里野郎コンサート

 撮影して下さったのは、以前にもご紹介致しました木津川にあるお洒落なブティックfemmeの石橋さんと三宅さんです。
 お二人のお薦めコーディネートで、いつもとはイメージチェンジ、新鮮な雰囲気!と大好評。




 
 30秒の短い動画ですが、よくステージの感じが伝わってきます。
載せて下さった歌のフレーズが、上記の私のお気に入り部分に合致していて、嬉しい驚きでした。
いつも有難うございます。



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『僕になついた猫』

訳詞への思い(カット写真)
 今年もブルーベリージャムを作りました。
 浅間高原の新鮮なブリ―ベリーをどっさりと買い込むのが私の夏の楽しみの一つ。毎朝サラダにたっぷりと入れて頂いていますし、お肉料理などのソースにしてもとても美味しいのです。
ブルーベリー  ブルーベリー2
 いつもより早く7月のブルーベリーを入手したら、実が若く一層新鮮さを感じて、酸味と香りが惹き立つ美味しいジャムが出来上がりました。
 どなたに差し上げようかなって、愉しんでいます。

 さて今日は、『訳詞への思い』、新曲『僕になついた猫』をご紹介致します。
 8月のコンサートで初お目見えのお気に入りの曲です。

    
        『僕になついた猫』
                      訳詞への思い<24>


   原曲のこと
 昨年、Camille Couteau(カミーユ・クトー)が歌っているこの曲を偶然見つけて、メロディーラインの美しさと、歌詞の何とも言えない洒脱な風情にすっかり魅せられ、どうしてもこの曲の訳詞がしてみたくなった。
シコブアルキCD
 男女のデュエット曲でフランス語の響きがとても美しく感じられるが、調べてみると実は、1947年に作られたブラジルの曲がオリジナルで、その曲にシコ・ブアルキが1977年、『João e Maria(ジョアンとマリア)』というタイトルで詩を作ったものであることが判明した。
 幼な馴染みの二人が思春期になりやがてお互いを意識し出すという『たけくらべ』のブラジル版のような素朴でほのぼのとした詩の内容で、土臭い香りが漂ってくるように思われた。
カミーユ・クトーCDジャケット
 2009年に、カミーユ・クトーがフランス語で全く別の歌詞をつけて、『Un chat que j'ai apprivoisé』というタイトルで、お洒落なシャンソンに作り変えている。
 「apprivoiser」という動詞は「飼いならす、なつかせる」という意味なので、このタイトルを直訳すると「僕が飼いならした猫」或いは「僕がなつかせた猫」ということになる。

 二人で過ごす昼下がりの部屋には仔猫がいて、彼女の髪にじゃれついて遊んでいる。
 仔猫に向かって語られている詩だが、仔猫はいつの間にか彼女に重なって行く。
 彼は彼女にぞっこんと言いながらも、「君は僕がなつかせた猫だ」「羽根を休めようとする蝶だ」等ともささやいていて、二人の力関係はかなり微妙である。
 私の詩では『僕になついた猫』とタイトルをつけてみた。

   「café-crème」と「ライムソーダ」
 原詩『Un chat que j'ai apprivoisé』の冒頭は次のように始まる。
                                    (松峰直訳)
   <男女>  今日も明日も
           この世界で僕のものは何もない
           僕の手の線が君の手の線と交わっている
   <女>   あなたは私の気持につけこんでくる
   <男>   僕は君を拒むすべを知らない
   <男女>  僕たちはすべてを分け合っている。
          クロワッサンも、問題も、お金も、カフェ・クレームも

 恋の駆け引きが、緩やかに流れるメロディーの中で、押したり引いたり巧みに織り重ねられてゆく。

 冒頭からは、彼の口説き文句を前にし、それをどこまで受けて良いのか、彼女の戸惑う様子が感じられる。

 「信じられるものは何かは分からないけれど、でも君に夢中で、僕たちは今、全てを共有しているのだ」と彼は言う。
 でも彼女は彼が「どこか遠い目をして別のものを見ている」ことを既に見抜いている。
 優しい言葉を言いながらも、「9月になったらこのパリから一人去って行こうとしていること」も感じ取っている。

 言ってみれば彼は、束の間のアバンチュールを楽しみながら、彼女を「僕になついた仔猫」と呼ぶただの遊び人なわけだが、永遠を信じられない喪失感を心に深く持つがゆえに、外目には刹那的と思われても、これが、精一杯彼が示すことのできる愛の形なのだとも思われてくる。
 そんな愛の不条理がこの詩の根底にある事を感じる。
  
私の訳詞の冒頭は次のように始まる。

   今日も明日も
   確かなものなんてない
   まどろむ夢 夏の日差しを受けて
   手を繋いだまま ただ時を過ごす
   ライムソーダ
   ベッドの中でひと息に飲み干す

 楽屋裏がわかってしまうが、これはもはや訳詞ではなく作詞。
 原詩を読み込んで、心に広がったイメージから生まれた私自身の詩でもある。   
 
 「ライムソーダ」など全く出てこないのだが、作詞者のカミーユ・クトーも完全に元の原詩から離れているので、この詩については、私も同じことをしても構わないのではと勝手に考えてみた。
 夏の昼下がりの恋人たちの時間には「カフェ・クレーム」より「ライムソーダ」が涼しげで良いのではと。
 ここから、今回のコンサートタイトル『ライムソーダの夏』が生まれたのは言うまでもない。


   黒猫か白猫か
 最後にこの猫は黒猫か?白猫か?

 白猫だったら、フワフワで丸いペルシャ系仔猫。
 シーツもブランケットも真っ白で、モコモコくるまってじゃれている感じがよく似合う。「君」もあどけなさを残した少女の様な眼差しの娘。
 歌に、淡い青春の香りが漂ってくる。

 黒猫だったら、艶やかな短毛で、仔猫なのにすっと精悍な雰囲気を醸し出している。
 黒い小さな塊がシーツに巻き付いて眠っている。
 「君」はエキゾチックな強い目の娘。
 アンニュイで、ちょっと屈折したニュアンスに魅かれる。

   ・・・・と勝手に妄想は膨らんで行くが、勿論これには正解はない。
 むしろ多様に、鮮明に、受け取る人のイメージが広がれば詩として大成功!と言えるのだろう。
 鳥の声が気になって
 
 ちなみに『ライムソーダの夏』のチラシ写真を撮影して下さったA氏の飼い猫は「クロ」なのだそうで、以前、猫好きの私にこんな詩情のある写真を送って下さった。
 
 「クロ」が、窓の外で囀る小鳥を覗き込んで探している。
 
 しなやかに背筋を伸ばす「クロ」。
 
 私の『僕になついた猫』のイメージにしっくりと重なっている。

                                     Fin
  (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
  取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 
  では、原曲、まずは本家であるブラジル版『João e Maria(ジョアンとマリア)』はこちらから。

   フランス版『Un chat que j'ai apprivoisé(僕になついた猫)』はこちらから。
それぞれお楽しみ下さい。
             
    



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『バンビーナ』

訳詞への思い 下記のような記事を書いて更新しようと思っていた矢先、熊本地震が発生しました。
 人知の及ばない自然の猛威と、その前にあって如何ともし難いことへの無念さとを痛感させられています。
 犠牲になられた方々に謹んで哀悼の意を捧げると共に、甚大な被害の中で今も大変な思いをされていらっしゃる皆様に心からのお見舞いを申し上げます。
 大きな余震もまだまだ続いていて、予断を許さず本当に心配ですが、どうかお心を強く乗り切っていらっしゃいますように。
 一日も早い終息をお祈り致します。

  ・・・・・・・・・・・・・・


   桜の美学
 絢爛たる桜も、今、いつの間にか柔らかい緑の葉影にその名残を残すばかりとなって、次の季節へと時が移ってゆくのを感じます。
 道端に降り積もる花びらが風に渦巻く様(さま)、時折煽られて宙を舞う様、そして街を流れる白川や高瀬川を薄桃色に埋め尽くして流れてゆく様は、まさに桜花が見せる散華の美といえるのでしょう。
     散華の美2      散華の美1 
 「世の中に絶えて桜のなかりせば・・・」ではありませんが、一時に咲き誇り、それが一時にはらはらと舞い落ちる、尋常ではない桜の花の華やかさと儚さはやはり心に触れてきます。

 大学時代、能に頗る詳しい友人に誘われて、能楽堂に足繁く通った時期がありました。
 彼女の熱のこもった講釈に影響され、私も謡曲や能楽論など読みふけったりもしたのですが、能には桜の花に関連している演目が殊の外多いのです。
 『熊野(ゆや)』、『桜川』、『西行桜』等々・・・。

 故郷の老母の危篤の知らせに心痛めながら遊女「熊野」が桜の花びらの散る中で舞い踊る歌・・「都の桜も惜しけれど 慣れし東(あずま)の花や散るらん」
 熊野がひるがえす扇の上に、散りゆく花びらがまさに鮮やかに見えてくるようで、幽玄の世界が繰り広げられます。

 『桜川』・・・子供を失った悲しみの中で狂女となった母親が桜川のほとりで、川に流れる花びらを夢中で掬いながら舞い狂う・・・。

 先日、花吹雪の高瀬川沿いを歩いていたら、なぜだか、この 『桜川』の、子を失った母のやるせなさがふと浮かんで、唐突ですが、『バンビーナ』という曲を思い出しました。

 今日は、「訳詞への思い」、ララ・ファビアンの『バンビーナ』をご紹介してみようかと思います。


          『バンビーナ』
                         訳詞への思い<23>
  
   『バンビーナ』
 Lara Fabian(ララ・ファビアン)2001年の曲。
(ララ・ファビアンについては以前の記事「『 je t’aime 』その一 ララ・ファビアン
で既に紹介しているので、ご参考にしていただければと思う)
 nueジャケット
 CDアルバム『nue』に修められているが、押さえ気味の美しい声で切々と歌われていて、最初聴いた時から印象的で心に残るものがあった。

 日本では、2008年に倉本聰が『北の国から』、『優しい時間』に続く「富良野三部作」として書き下ろした連続ドラマ『風のガーデン』の中で使われ、注目されたことがあったかと思う。
平原綾香ジャケット
 平原綾香がホテルのラウンジで弾き語るピアニストの役で出ていたのだが、劇中でこの歌を彼女が歌い出したのにはとても驚いた。
・・・偶然にも私はその時、『バンビーナ』の訳詞を終えた直後だったので。
 原語のまま歌っていたが、放送終了後、「あの曲は何という曲?」という問い合わせが多かったと聞いたことがある。
 (写真は平原綾香のシングルアルバム「ノクターン/カンパニュラの恋」のジャケットで、この中にspecial trackとして「BAMBINA」は収められている)

 「BAMBINA」(バンビーナ)はイタリア語で、「可愛い小さな娘」の意味。
 これが男の子だとバンビーノとなるが、「おちびさん」とか「そこの若いの」のような感覚の言葉で、指す年齢は、幼児からティーンエイジャーまで幅がありそうだ。
 バンビーナのほうも同様に、「お嬢ちゃん」「可愛い子ちゃん」のような愛称で年齢制限はないのだろうが、2~3歳の愛くるしい幼児が一番バンビーナのイメージに相応しいのではないかと思われる。
 
 さて、この『BAMBINA』、ファビアンの作詞だが、彼女の詩はいつも、今ひとつわかりにくくて、歌の設定や状況がすっきりと浮かんでこない。

 バンビーナに向けて歌っていることは確かで、詩全体の雰囲気や言葉の使い方などからして、歌っている側は男性ではなく、女性と考えるべきなのではと思う。

 では、<誰>が、<バンビーナへのどのような思い>を、歌っているのか。

 自分の中のもう一人の自分、幼い少女の頃の自分に向けて「あなた」「バンビーナ」と呼びかけている自問自答の歌と取れないこともないけれど、それよりはもっと具体的な対象に宛てての曲と取った方が・・・私には、この曲は母が幼い娘に歌っているという設定で考えるのが一番自然なのではと思えた。
 
 「バンビーナ」は、母である自分のもとに今はいない。
 亡くしてしまった幼子を愛おしむ母の哀惜の思いが感じられ、そのような解釈のもとで改めて原詩を味わってみた。
 
 原詩の冒頭部分は次のようである。

    Rien qu'un petit espace
    Une toute, toute petite trace
    Une toute, toute petite trace
    Un petit mal qui reste en moi
     (対訳)
    ただ小さな片隅だけにある
    唯一の とても小さな足跡 とてもとても小さな足跡
    私の中に残っている小さな傷

 そして、「バンビーナ あなたがいなくて寂しい 心に刻みつけた何枚かの写真には、もう二度と共に行くことのない街の匂いがする」と続いてゆく。

 この曲の日本語詞作りは、原詩が訴えかけてくる情感を、どのような情景の中で再現するのが最も忠実に伝えることになるのかの模索から始まった。 
 一見、原詩から離れてゆくようであっても、実はトータルで原詩の味わいに迫れるなら、時にそういう自在なやり方もあるのではと、今、私は思っている。

 そして、私の日本語詞の冒頭は次のようになった。

    幼いあなたと つなぐ手の温もり
    甘える声も 消えないのに
    あの時のまま 動かない時間を
    ただいつまでも なぞってる


 我が子を突然奪われてしまう母親の悲しみは察して余りあるものがある。
 幼な子にとって、母の存在は世界そのものであろうし、母にとっても同様だろう。
 全ての時間、世界はそこで止まり凍り付いてしまうだろう。
 立ちすくんでいる自分の周りで、時間は、容赦なく流れていく。
 そういう母の思いをこの曲に乗せてみたかった。

 原詩の中ほどに、
   「Je t’attends en bus dans la rue où l’autobus ne passe plus」
 とあって、これは「もうバスが通らない通りでバスを待つ」という意味だが、
    「来ることもないバスを待ち」
    「古びたバス停に立ち尽くして いつも 私は 待っている」

 と言葉をつけてみた。

 一緒にどこかの街に遊びに行き、そこで写真も撮ったのだろう。でももう共に乗るバスは決してやってくることはない。・・・そんなバス停に呆然と佇む心象風景がメロディーから浮かんできた。
 
 立ち尽くす母。
 バンビーナの母は子を失った喪失感の中で、時間を逆行させながら我が子への思いを繰り返し反芻するしかない。
 桜の花びらを掬い取る他すべのない「桜川」の母の物狂いも・・・どちらの悲しみが・・・と比べるべくもなく、どうしようもなく切ない。
                  
                                                     Fin
 
 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
  取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 
  では、ララ・ファビアンの歌う原曲をこちらのyoutubeでお楽しみ下さい。
             ↓
 https://www.youtube.com/watch?v=VSEBeeqdFXM

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『je t’aime』その二

訳詞への思い    ララ・ファビアン初来日公演
 前回の記事、「『je t’aime』その一 ララ・ファビアン」に、様々なコメントやお問い合わせを頂きました。
 『訳詞への思い』の中で、こうしてご紹介していく曲やアーティストについてご興味を持って頂けることをとても嬉しく思います。

 「ファビアンの初来日っていつですか?」というご質問も何通かありましたので、最初にそのご案内を致します。
ヌーヴォ巴里祭チラシ
 2016年7月7日(木)渋谷bunkamuraオーチャードホールにて。
 毎年この時期に、フランスから魅力的な歌手を招いて開催される「ヌーヴォー巴里祭」が、今年はララ・ファビアンに白羽の矢を立てたのですね。
 一日だけの東京公演ですが、詳細はこちらです。
        ↓
   http://www.mcbarbara.jp/concert2016.html

 私は発売と同時にすぐチケットを購入しましたが、既に良い席は完売で、ベルギーの時ほどではないにしても、ステージから遠い席になってしまいました。でもそんなことは問題ではなく、張り切って聴きに行って参ります。またご報告致しますので、どうぞお楽しみに。

 さて、お待たせいたしました。
 今日は『je t’aime その二 』、ララ・ファビアンの代表曲『je t’aime 』(ジュテーム)のご紹介をしたいと思います。

                 『je t’aime』その二
                          訳詞への思い<22>


 「je t’aime」=ジュテーム=愛している
 この曲を訳詞した10年余り前には、ララ・ファビアンも、『je t’aime』も、日本での認知度は皆無に等しかったが、最近では、いくつかの日本語詞でも歌われるようになった。

 その中には、『愛している』という邦題がついているものもあるが、私は、タイトルには『je t’aime』がふさわしいのではと感じている。
 翻訳の介在を許さず、情念をぶつけるように歌い上げる、まさに「je’taime」という言葉そのものが、曲を覆い尽くしている気がするからだ。


   直訳か意訳か ~ガラスの破片~
 ファビアンのヒット曲には、ドラマチックで、抑揚が豊かで、彼女の伸びやかな声を存分に聴かせるものが多いのだけれど、その歌詞はというと、どれもかなり飛躍的で難解であるように感じる。
ララファビアンpure ジャケット
 特に彼女自身による作詞は(『je t’aime』もそうなのだが)、音符に、言葉をパズルのように断片的にはめ込んでいるという印象を受ける。

 全くの私見ではあるが、一般的に言って、物語ることに重きを置いた曲は、詩自体が素直で、自ら理解されることを誘引しているような気がして、原詩にかなり忠実な日本語に置き換えてもすんなりとはまってゆくことが多い。
 一方、『je t’aime』のように、響きとイメージが先行するタイプの曲は、詩の方で、日本語に置き換えられることを拒否しているのではとさえ思われてくる。

 具体的に話を進めると。
 たとえば冒頭部分はこんな原詩から始まっている。(松峰対訳)

   D'accord, il existait d'autres façons de se quitter
   Quelques éclats de verres auraient peut-être pu nous aider
   Dans ce slence amer, j'ai décidé de pardonner
   Les erreurs qu'on peut faire à trop s'aimer

     確かに、他の別れ方があった
     いくつかのガラスの破片がおそらく私たちを救ってくれたかもしれない
     この苦い沈黙のなかで、私は許すことを決めた
     愛し過ぎるために冒すかもしれない過ちを


 敢えて解釈を加えない直訳で記してみたが、内容が把握しにくいと思われるのではないだろうか?
 更に次のフレーズはこのように続く。

     確かに、私の中の小さな女の子は、貴方を度々強く求めた
     母親のように、あなたは私を包んで、私を守ってくれた
     私たちは血を分かち合ってはいけなかったのに、私はあなたから盗んだ
     言葉が尽き、夢が尽き私は叫ぶだろう


 秘密めいた、許されない関係の中での悲恋が思われるが、断ち切り難い執着を抱え、『愛している』と叫び続ける女性の情念がぶつけられてゆく。

 冒頭に立ち戻ってみると。
 「私はただ沈黙の中で貴方を諦めようとしたけれど、果たしてそれで良かったのだろうか。もっと別の別れ方があったのではないか。ガラスの破片がこの破局をもしかしたら救っていたかもしれないのに・・・」というような意味になるのだろうか。

 「ガラスの破片が私たちを救ってくれたかもしれない」などと日本語詞に置き換えたとしても全くピンとこないのは言うまでもない。
 「ガラスの破片」というキーワードに何を見るかということなのだろう。

 「ガラスのかけらが鋭く尖って胸を突き刺し、血が迸(ほとばし)り出る」
 私の中には、そんな映像が去来する。
 <胸の内をさらけ出して、命がけの修羅場に生きる覚悟が自分になかった>という後悔なのかもしれないと思える。

 飛躍するのだが、この原詩を前にしながら、私には漱石の小説『こころ』が思い出されてならなかった。
 主人公が友人Kの自殺した部屋の襖(ふすま)に迸った血潮を目にした時のような、そして主人公自身も青年に宛てた遺書の中で、「あなたは私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜(すす)ろうとした」と記したような、鮮烈な情景が重なって浮かんでいた。

 そうして出来上がったこの冒頭部分の私の訳詞は次のようである。

   冷たく光る硝子の向こうに
   言葉もない 貴方との別れが見える
   私の心を 砕き尽くして
   流れるこの血を 浴びせたい


 訳詞とは、「できるだけ原詩に忠実な直訳であるべき」なのか、或いは「トータルで曲想がより効果的に伝わるなら、日本語として味わいやすい意訳であってよい」のか、という翻訳のもつ根元的な問題が興味深く思われる。
 私の『je t’aime』は、原詩に導びかれて生まれた新たな日本語詞と言えるのかもしれない。
 訳詞の世界の醍醐味を味わいつつの作業が続いた。


   日本語とフランス語 ~サビの熱唱~
 『je t’aime』は後半部分で、以下のフレーズがリフレインされ歌われる。
                                         (松峰対訳)
  Je t'aime, je t'aime
  Comme un fou comme un soldat Comme une star de cinéma
  Je t'aime, je t'aime
  Comme un loup, comme un roi Comme un homme que je ne suis pas 
  Tu vois, je t'aime comme ça 

   愛してる 愛してる  
   気が狂ったように 兵士のように 映画スターのように  
   愛してる 愛してる  狼のように 王のように
   私ではない男のように
   わかるでしょう こんなにも あなたを愛している


 これも様々な訳詩の方法はあると思うのだが、再び極言するなら、兵士でも映画スターでも狼でも何でも良いのではと思う。
 ただ脈絡なく激しくje t’aimeと叫び続けること、猛り狂う強い衝動がフランス語の語勢に乗って畳み掛けられ、一種の陶酔感が生まれてくる。
 そんな感覚から、私の訳詞のこの部分は、日本語に置き換えることをせず、敢えて、呪文のようにフランス語そのもので歌ってみることにした。

 いつもできるだけ忠実な訳詩を心掛けている自分には例外的な取り組み方になった作品だったが、その分、愛着も殊の外深い。
今度のコンサート(2016年8月)で久しぶりに取り上げたいと思っている。

                                              
                                                  Fin
  
  (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
    取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 
 では、ララ・ファビアンの歌う原曲をご紹介致します。
 まずは正調から。こちらのyoutubeでお聴きください。
         ↓
    https://www.youtube.com/watch?v=LtJBH3ksypQ

 こちらはコンサートライブ版ですが、客席と唱和した臨場感が伝わってきます。私がベルギーで聴いたライブはまさにこのような雰囲気でした。
     ↓
   https://www.youtube.com/watch?gl=FR&hl=fr&v=N-roGMGyFu0



   

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