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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

『枯葉』

訳詞への思い(カット写真

   『枯葉』
              訳詞への思い<37>


   『秋の歌』( Chanson d’automne )
  『枯葉』といえば、

  秋の日の ヸオロンの ため息の 
  ひたぶるに 身にしみて うら悲し


で始まる『落葉』という詩がすぐ浮かんでくる。
 フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの詩。
 『秋の歌』( Chanson d’automne)が原題だが、上田敏が、訳詩集『海潮音』のなかで、『落葉』と題して訳している。
 (ヸオロンとは、ヴィオロン、すなわちヴァイオリンのこと。ヸはviの発音)
 人生の黄昏時に佇んでいるかのような侘し気な雰囲気が漂うが、ヴェルレーヌ23歳の時の詩だという。
 
    落葉
                  上田敏 訳詩 『海潮音』より

  秋の日の  ヸオロンの ためいきの
  ひたぶるに 身にしみて うら悲し。

  鐘のおとに 胸ふたぎ
  色かへて  涙ぐむ
  過ぎし日の おもひでや。

  げにわれは うらぶれて
  ここかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな。

 秋風がヴァイオリンのすすり泣きのような細く長い風音を立てる。そして遠くから鐘の音が響いて来る・・・・この詩は切ない秋の音色に包まれている。
 そして、風に舞い落ちる枯葉は、まさに詩人と同化した寂寥感に満ちた心模様なのだと強く印象付けられる。

 シャンソン『枯葉』の制作年は1945年、一方、ヴェルレーヌの『秋の歌』は1862年であるから、この周知の名詩は、シャンソン『枯葉』の誕生にも大いにインスピレーションを与えていたのではないだろうか。

   『枯葉(les feuilles mortes)』というタイトル
 ところで、よく考えてみると、「枯葉」という言葉は、実は日本的情感を多く含んでいると言えるかもしれない。
 枯葉2  シャンソンの名曲『les feuilles mortes』は日本では『枯葉』と訳されているが、この原題のフランス語『les feuilles mortes』をそのまま直訳するなら「死んだ葉」ということになる。
 日本語で「死葉」という言葉もあるが、これは病虫害などで腐った葉のことなので、枯葉とは意味が異なる。
 一方、英語ではこの曲のタイトルは『Autumn Leaves=秋の葉』 と訳されている。
 いずれも『枯葉』という言葉とはニュアンスが違ってくる。

 「枯れる」という日本語は、ただ単に「死ぬ」とは別の、・・・死ぬまでのプロセスや情念・・・盛衰とか喪失とか、再生とかの、命あるものの宿命ともいうべき哲学的なニュアンスを含んでいて、儚く美しい言葉に思われる。
 たとえば木の葉で言うならば、芽吹きから若葉、青葉を経てやがて紅葉し、枯れて散ってゆくというような、生まれてから終焉を迎えるまでの悠久の時の流れが意識されているのではないだろうか。

 『死んだ葉』でも『秋の葉』でもなく、この曲を『枯葉』と名付けたその時から、日本的情緒が私たち日本人の中に喚起され、聴く側各々の心にある原風景・・・例えば各人の恋の痛みであったり・・・を呼び起こす圧倒的な力を持ったと言えばうがちすぎだろうか。
 「枯葉」という言葉に備わっているDNAが、ヴェルレーヌの聴いたヴィオロンのすすり泣きや寺院が奏でる鐘の音に、琵琶の音に乗って流れる祇園精舎の鐘の音を重ね、また鴨長明の「流れゆく水の留まり得ない」ことへの吐息にまで遡らせるのだろう。

   『枯葉(Les feuilles mortes)』
 さて、この『Les feuilles mortes』であるが。
 1945年、ジョゼフ・コズマ作曲、ジャック・プレヴェール作詞。
 翌1946年の映画「夜の門Les portes de la nuit」の中で発表されたのが最初である。劇中、口笛でメロディーが流れ、、イブ・モンタンが歌詞の一部分を口ずさんでいるが、ほとんど話題にはならなかったようである。
ジュリエットグレコ
 その後1947年ジュリエット・グレコ、1949年コラ・ヴォケールなどによって歌われ、ようやく世に知られるようになった。
コラ・ヴォケール
 一方アメリカでは、『Autumn leaves』と訳され、1950年ビング・クロスビー、続いてナット・キング・コールが取り上げ世界的大ヒット曲となった。

『枯葉』の聴かせどころ、ここだけは誰でも聴き覚えがあるというサビの部分を取り上げてみよう。原詞と対訳は次のようである。

 C'est une chanson qui nous ressemble.
 Toi, tu m'aimais et je t'aimais
 Nous vivions tous les deux ensemble,
 Toi qui m'aimais, moi qui t'aimais.

 それは私たちによく似た歌
 あなた あなたは私を愛し 私はあなたを愛していた
 私たちはいつも二人で共に生きていた
 私を愛するあなた あなたを愛する私

 この部分の岩谷時子氏の訳詞は次のようである。(越路吹雪の歌唱で有名である)

  暮れ行く 秋の日よ
  金色の枯葉散る 
  つかの間 燃えたつ 恋に似た落葉よ


 原詞との比較でよくわかると思うが、原詞にはこの部分に枯葉の描写は描かれていないのだが、岩谷氏のイメージの中で「枯葉」の映像が一幅の絵に作り上げられたと言えるだろう。

 私の訳詞では、原詞をそのまま忠実に、むしろ淡々と描いてみた。

   戻らぬ あの頃
   見つめ合い 笑い合い
    いつまでも 共にいる幸せ 信じてた (松峰 訳詞 )

枯葉1

 「枯葉」という言葉は、曲中一か所だけ(以下の部分)にとどめ、恋が色褪せて行く焦燥感にポイントを置いてみたのだが・・・。

 秋深まりゆく頃、ステージで歌いたいと思っている。

   秋の風に巻かれて 舞い散る 落ち葉
   あなたへの名残りが 枯葉の中 降り積もる
   私の想いだけを 置き去りにしたまま
   二人で口ずさんだ あの歌 繰り返す  (松峰 訳詞)


バーバラ・リーの歌でお聴きください。les feuilles mortes、Autumn leaves、続けて歌っています。)

(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。取り上げたいご希望、この歌詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)



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『貴方の声に心は開く』

訳詞 以前にもお知らせいたしましたように、これまで「訳詞への思い」として書き溜めてきた文章を中心としながら、訳詞エッセイ集『詞歌抄』を出版すべく現在準備を進めています。
 年明け早々の出版を目指してまさに今ねじりハチマキ状態なのですが、良かれと思って書いている原稿も、推敲すればするほど足りない部分に気づくものですね。少しでも良いものになるよう最大限努力を続けようと思います。
 さて今日は、クラシックの楽曲、オペラ「サムソンとデリラ」から『貴方の声に心は開く』を取り上げてみたいと思います。

   『貴方の声に心は開く』~「サムソンとデリラ」より~

                           訳詞への思い<36>

 フランス歌曲はフランス語で、ドイツ歌曲はドイツ語で、イタリア歌曲はイタリア語でというように、クラシックにおいては原語で歌うことが、王道であると言われる。
 その一方で、最近は、クラシックの持つ敷居の高いイメージを払拭して、もっと身近なものにということで、日本語で歌うことも試みられてきているように思う。また、クラシックと他ジャンルの音楽とのクロスオーバーなど、実験的な挑戦も注目されている。
 歌舞伎、能、邦楽等の日本古来の歌舞音曲や、芸能に限らず伝統工芸、技術など、あらゆく伝統芸術のジャンルにおいて、時代感覚を取り入れた、広く現代に受け入れられる感覚を模索する動きなども、それと共通する部分があるのかもしれない。

 そのような趨勢の中で訳詞を試みたのが、この作品である。
 原題は『 Mon coeurs’ ouvre à ta voix 』、「私の心は貴方の声で開かれる」という意味で、タイトルはそのまま『貴方の声に心は開く』とした。
サンサーンス
  フランスの作曲家サン・サーンスの代表作であるオペラ『サムソンとデリラ』からの一曲。1874年に完成したが、当初は聖書を題材に取った内容ということで酷評され、オペラ座での上演も拒否されたという
 この物語は旧約聖書から採られており、ヘブライ人の若き英雄サムソンと、敵対する民族の娘デリラとの恋の駆け引きが、このオペラの山場となっている。  
 デリラは憎むべき敵であるサムソンを捕え、屈服させるべく、手練手管で誘惑する。
 サムソンはデリラの魅力に幻惑され、囚われの身となり、無数の神通力さえも奪い取られてしまうのだが、最後はサムソンの勝利で幕を閉じる。
 物語に精通していなくても、誰もが一度はこの歌を聴いたことがあるのではないかと思われる名曲である。

 私の訳詞の冒頭は次のようである。

  朝の光の甘い口づけに 
  花は目覚めてゆく
  貴方の声に 私の心も 
  高鳴り 花開く
  私だけを見つめて欲しい
  優しい言葉で 充たして欲しい
  永久の愛を

  ああ 此処に いつも側にいて
  貴方だけ いつも 離れないで
  もっと酔いしれて
  この愛に応えて
  ああ 私の愛しい人

 訳詞の前半は、まさに蜜のような囁きが続く。
 絶世の美女に熱く見つめられ耳元でため息交じりにこんな言葉を投げかけられたら、どんな猛者であっても骨抜きになってしまうことは必定だろう。
 戦うところ敵なしの勇者であるサムソンを抑え、完全に屈服させるべく、彼自身の口から自らの決定的弱点を吐露させようとする、デリラの残酷なたくらみ。そのためにはなりふり構わぬ一世一代の大芝居を打ち、彼を陥落することに成功した。稀代の英雄はあっけなく敵に幽閉され、危うく命を奪われそうになる 。
 悪女列伝の最初を飾りそうなデリラだが、マリア・カラスを初めとする様々なプリマドンナが、うっとりとした眼差し、甘く誘い込むような声で、それぞれの中に生きるデリラを歌い演じている。  

 メロディーも出色で、この場面によくぞこの旋律を、と感心するほど艶やかに恋の情景が表出されている。
 いつの間にか、「デリラ頑張れ」、「サムソン、だまされるな」、とアリアの中に引き込まれてしまう。

 日本語でもこのアリアを聴いてみたいと思った。
 ただし、この場合の日本語は、決して下卑ていたりしてはならず、あらゆるものに動じないサムソンの強い心を動かすだけの絶対的魅力を持っていなければならない。
 えもいわれぬような香(かぐわ)しさと、神聖さと、誠実さと、一途さと、そういうものの蔭に裏切りを隠し持った危険な媚薬のようでなければならないのだと、少し大仰な言い方になるかもしれないが、そんな思いで、デリラに半ばなりきって作った訳詞である。
 サムソンとデリラ
 『サムソンとデリラ』は1949年に映画化されているが、映画の中のデリラはなかなかの悪女で、嫉妬の権化となってサムソンを陥落させることに挑み、かなりの凄みがあった。

 はたして実物のデリラは、どんな女性だったのだろう。

 江戸川乱歩の小説『黒蜥蜴(くろとかげ)』の主人公も、やはり絶世の美女であり、世界を股にかける大盗賊だが、彼女を追い詰める名探偵明知小五郎としのぎを削りつつ、いつの間にか、自分と対等に渡り合える相手と出会ったことにある種のときめきを感じ、やがては恋に落ちる。
無類の美女デリラもまた、無敵の勇者に命がけで向かうことによって、やがて本物の恋に落ちていったのかもしれない。自分でも気づかない、恋に身を焦がす可愛い女性がそこに居るような気がした。
 
(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。取り上げたいご希望、この歌詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)



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『雨だれ』

訳詞
コロナの猛威が広がる中、満を持して開催されたオリンピックですが、様々な思いを乗せて、閉会の日を迎えました。
 関係者のご苦労はいかばかりだったかと想像するに余りありますが、ともかくもすべての選手たちのひたむきな挑戦には、思わず胸が熱くなりましたし、心からのエールを送りつつも、むしろこちらの方が励まされるような思いがしました。
 開会式前、インタビューに答えたマクロン大統領の、「日本だからこそ、安全対策をきっちりとって、世界がウィルスと共存し、打ち勝って行けるかを示すことができる!」との言葉に大きな勇気と示唆を得た気がしています。

 さて今日は、「訳詞への思い」・・・今回は歌詞のないクラシックの楽曲ですので、厳密には「作詞への思い」なのですが、ショパンの『雨だれ』を取り上げたいと思います。
                   
 
   『雨だれ』     
                     訳詞への思い<35>

   雨が降る 密やかに 降り続く
   雨の歌に 思い出が蘇る

   物語を 小さな夢を 
   雨は 紡いでゆく

   あなただけ想う 
   硝子窓に 雨だれ 見つめてる

   雨の歌 涙溢れる

   雨が上がる 木漏れ日 きらめく
   木々を揺らし 雨だれが躍る 
  (松峰綾音 作詞)

ショパン 
 1839年作、ピアノ前奏曲『プレリュード24 雨だれ(From 24 preludes raindrop)』
 誰でもが馴染みのあるショパンの名曲『雨だれ』に上記の歌詞をつけてみた。

 作詞と言っても、詩が先行していて後から曲が付く場合と、まず曲ありきで、後に詞を付ける場合の二通りがあり、作詞の立ち位置は随分異なってくると思われる。
 いずれにしても、訳詞するときのように元になる原詞がないので、その意味では言葉に縛りがなく自由であると言えるが、今回のように曲が先にあるときの作詞は、その音の世界にどのように言葉を融合させていくかが大きな課題となるわけで、旋律、リズム、音色にひたすら集中して、そこからイメージと言葉が生まれ出てくるのをじっと待つ、そんな作業と言えるかもしれない。

 作曲家は、目で見る事象、耳に入る音、触覚や嗅覚も含めた五感で感知する森羅万象を音楽に置換してゆくのだろうし、画家であれば、同様に感得したすべてのものを画布の上に色彩と形象とで再構築してゆくのだろうから、広く「表現」という意味で考えれば、「言葉」も含めすべては共通するものがあるような気がしている。
 今回、ショパンの音楽に触れてみて、そんなことを強く感じた。

 たとえば、『子犬のワルツ』
 『瞬間のワルツ(Minute Waltz)』という別名もある周知の『子犬のワルツ』は、恋人ジョルジュ・サンドに、目の前で自分の尻尾を追ってぐるぐる回る子犬の様子を、音楽で描写して欲しいと頼まれ即興的に作曲したものといわれている。
 また、鍵盤の上で戯れる猫の動きを表したと伝えられる『子猫のワルツ』も、同じくショパンの曲で、現在もなお愛されている名曲だ。
 そう思って聴くせいか、『子犬のワルツ』は好奇心に満ちた子犬がじゃれて興奮しクルクルとあたりを走り回っているような溢れんばかりの躍動感が感じられるし、子猫のほうには、犬にはない猫ならではのしなやかな身のこなし、誘い込むような表情までもその旋律から鮮やかに浮かんでくる気がする。
 猫や犬の一挙手一投足、その心模様まで作曲家は音楽に投影し、音の中に物語を作り上げてゆくのだろう。

 『雨だれ』もまた、恋人ジョルジュ・サンドとの熱愛の中で生まれた曲。
マヨルカ島
 病弱であったショパンの体調を回復するために二人で過ごしたというマヨルカ島での日々、突然の嵐の中、外出先から帰宅することができないでいた彼女の安否を気遣い、病の床で不安にさいなまれつつ、雨音を聴きながら作曲した曲なのだという。

 『雨だれ』の中で、雨は降り続き、雨の日が繰り広げられてゆく。
 ショパンの上にショパンの雨が降る。
 けれど、聴く人によって、その時々によって、見えてくる雨の情景は変わってよいのだと思う。
 ショパンとサンドとに限定された恋の物語でなくて、聴く人、歌う人、誰でもの中に、「私」と「あなた」との小さな情景があって、いとしかったり、哀しかったり、懐かしかったりする雨がよみがえればよい。
 そう考えて、音の上にぽつりぽつりと、何かに特定されない普通の言葉を置いてみた。

 真夏の勢いのある雨もいい。
 晩秋の冷たい雨も風情がある。
 でも、この詩を作ったのは6月。まとわりつくような細い雨が、私には殊の外しっくりとこの曲に溶け込んで、雨の日の情景が浮かんできた。

 (注 作詞、解説について、無断転載転用を禁止します。取り上げたいご希望、この歌詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)



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『雨傘』

訳詞への思い
 今朝、額紫陽花が咲いていました。雨の季節がやってきますね。
アジサイ
 一昨年の『雨の日の物語』を思い出します。
 雨の歌、小説、詩をたくさん集めた、雨尽くしのコンサートでしたが、この時発表したZAZの『La pluie』を今日はご紹介してみます。

      『雨傘』
                        訳詞への思い<34>

   『La pluie』
 ZAZ・Ker-Eddine Soltani作詞、Vivian Roost作曲。
zaz
 ザーズ(ZAZ)の2009年のアルバム『Academ』に収録された曲である。

 原題の『La pluie』は「雨」という意味だが、私は『雨傘』と邦題をつけた。


 まずは、原詩とその対訳の全文を記してみたい。

  Le ciel est gris la pluie s'invite comme par surprise 
  elle est chez nous et comme un rite qui nous enlise 
雨の巴里  les parapluies s'ouvrent en cadence 
  comme une danse,
  les gouttes tombent en abondance
  sur douce France.

   空は灰色 雨が突然 降ってくる
   雨は私たちのところにやってくる 
  身動きできなくさせるように
   雨傘は調子を合わせて一斉に開く ダンスみたいに
   雨のしずくが豊かに落ちてくる  優しいフランスの上に

  Tombe tombe tombe la pluie 
  en ce jour de dimanche de décembre
  à l'ombre des parapluies
  les passants se pressent pressent sans attendre 

   降る 降る 降る 雨が
   12月の日曜日のこの日に
   雨傘の影に隠れて
   通行人たちは行き過ぎる 行き過ぎる 行き過ぎる 立ち止まることなく


  On l'aime parfois elle hausse la voix elle nous bouscule 
  elle ne donne plus de ses nouvelles en canicule 
  puis elle revient comme un besoin par affection 
  et elle nous chante sa grande chanson
  l'inondation 

   私たちは雨を愛し 雨は音を立てて勢いよく降ってくる
   雨は猛暑の時には何の便りもよこさないのに
   必要な時には戻って来て 私たちに大仰な歌を歌う
   洪水の歌を
  
                 (松峰 対訳)

 というのが原詩の全文で、あとは次のリフレインが何度も繰り返される。
   降る 降る 降る 雨が
   12月の日曜日のこの日に
   雨傘の影に隠れて
   通行人たちは行き過ぎる 行き過ぎる 行き過ぎる 立ち止まることなく

 勢いよく降る雨を、大地の恵みとし明るく享受する歌だ。
 一斉に傘が開き、足早に雨の中を急ぐ人々の様子が鮮やかで、色とりどりの傘の花がクルクルと街に広がってゆくのが見えてくる。

   『雨傘』
 リフレインの心地よいリズム感と、シンプルで大地の香りのする内容に惹かれて、この詩を『雨傘』と名付けて訳詞したのだが、花開く傘の中に小さな女の子がいても良いのではと思い、原詩にない赤い傘の女の子を登場させてみた。2番の詩である。
傘
 赤い傘 雨の中で 踊っている
 女の子 雨の中で 歌っている
 行き交う人 急ぎ足で 通り過ぎる
 力強く 勢いよく 大地を叩く

 tombe, tombe, tombe la pluie
 雨が降る 降り続いていく
 踊る 踊る 傘が踊る
 パリの街 優しく包む
 tombe, tombe, tombe la pluie
 恵みの雨 心を濡らす 
          (松峰 日本語詞)


 一つ一つの傘の中に、それぞれの物語があり、少女の楽し気な鼻歌には、真っ赤な傘が良く似合う。

 tombe, tombe, tombe la pluie =「トンブ トンブ トンブ ラ プリュイ」
 曲の肝はこの繰り返し。雨が降るのが見えてくる。

   「あめ あめ ふれふれ」~連想される雨の歌諸々~
 同時に、いくつかの雨の歌と、その情景が浮かんできた。

  「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかえ うれしいな
  ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」

 北原白秋作詞、中山晋平作曲、『あめふり』(大正14年)という童謡である。
 まさに、「 tombe, tombe, tombe la pluie」なのであるが。
 この歌詞は、実は、5番まであって、歌詞の中の男の子は、雨に濡れて独り木の下で泣いている子を見つけて、自分の傘を差し出す。
 「ぼくならいいんだ かあさんの おおきなじゃのめに はいっていく
 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」と締めくくられる。
 心優しい男の子の歌だが、斜に見れば、かあさんに甘えられる幸せを見せつけているとも取れないことはない。

 北原白秋は、これとは別に『雨』という童謡も書いて、これも良く知られている。こちらは少し物悲しい曲調で「雨がふります 雨がふる」と始まる。

  雨がふります 雨がふる  遊びにゆきたし 傘はなし
  紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒(お)が切れた
  雨がふります 雨がふる いやでもお家で 遊びましょう 
  千代紙 おりましょう たたみましょう
  雨がふります 雨がふる

 という調子でずっと続き、「昼もふるふる 夜もふる 雨がふります 雨がふる」と終わる。

 「いやでもお家で遊びましょう」という所はまるで今の家籠り生活みたいで思わず苦笑してしまうのだが、「tombe, tombe, tombe la pluie」が日本的メロディーにアレンジされて根底に流れている。
 ちなみに、「遊びにゆきたし 傘はなし」に、井上陽水の『傘がない』が思い出された。
  「行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
  つめたい雨が 今日は心に浸みる
  君の事以外は考えられなくなる それはいい事だろう?」

 「雨が降って、傘がない」のは、学生運動の挫折というこの時代の喪失感と虚脱感の象徴のようにも思われるが、白秋の「雨」は童謡でありながら、そういう薄暗がりのような雰囲気を予見しているようで興味深い。

 最後にもう一曲。
 矢代亜紀のヒット曲『雨の慕情』(昭和55年阿久 悠作詞)もやはり「tombe, tombe, tombe la pluie」の仲間。
  「雨々 ふれふれ もっとふれ 私のいい人 つれて来い」
 演歌風な味付けの中で供された曲と言えるかもしれない。


 様々に飛躍してしまったが、これからの季節、雨が降り続ける様子、雨音に、
 音楽と物語を聴き取る感性を磨いてゆけたら楽しいのではと感じている。 
                               Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を固く禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  ZAZの歌う原曲です。お楽しみください。



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『五月のパリが好き』

訳詞への思い 昔の写真、よく聴いた音楽、愛読書など、久しぶりに味わい直しています。
 写真の整理をしていると、映画みたいにその時の映像がフラッシュバックしてきますし、夢中になって読んだ本、昔々涙ぐみながら聴いていた音楽に、その時々の感情の渦みたいなものがそのまま、突然、時を超えて沸き起こってきたりします。
 この際だから、整理をと思っても、捨てるかどうかの判断は、まずは、埋もれていたものを呼び起こす作業から始まるのでしょう。
 新鮮な発見もありますし、片づけるつもりが、懐かしんでは結局そのまま仕舞い直すことの多い家籠り、時を辿りながら少し感傷的になっている私の五月です。

 7年前のパリ旅行の写真を見ていました。
 その時に作った訳詞、『五月のパリが好き』を、今日はご紹介します。


    『五月のパリが好き』

                        訳詞への思い<33>

   「さつきのきさきを」
 嘗て、カトリック系の女子校で教育を受けたこともあって、今でも聖歌(讃美歌)の数々がふと口をついて出てくることがある。
 特に、五月は「聖母マリアの月」、こんな歌を思い出す。
 (蛇足だが、当時の歌詞はすべて文語体だった。意味が分からないと良くないということで、途中から口語体に歌詞が変わったが、よくわからなくても文語のほうが格調高く、ありがたい気がしたように思う。)

  あおばわかばに 風かおりて
  せせらぎにきく 奇(く)しき調べ
  木陰に立てる とわのみはは
  御許(みもと)に行き われら憩わん


 そしてこんな曲も。

  五月(さつき)のきさきを あめつち歌う
  ひと年(とせ)めぐりて 百合咲く季節
  マリア祝しませ 祝せられませ

 
 白百合は、どの時代の《受胎告知》の絵画にも描かれているほど、ヨーロッパにおいて古くから聖母マリアと結びついた花、純潔無垢、気高さの象徴であり、そして希望に満ちた春という季節の到来を告げる花でもある。

 『千曲川旅情の歌』の「浅くのみ春は霞みて 麦の色微かに青し」ではないけれど、日本において、春の訪れは、まだ目には定かに見えていない浅春の淡い予感にこそあるのだろう。
 冷気の中に膨らむ木々の蕾であったり、残雪の中からそっと芽を出す野草であったりするけれど、フランスの春は、まさに5月、一斉に鮮やかに咲き乱れる薔薇や白百合の情景そのものである。

恋人たち
 『五月のパリが好き(J’aime Paris au mois de mai)』という曲は、アズナブールのこの曲を歌う時の佇まいと相まって、街行く女性に声をかけて歩く伊達者の曲のように思われている節があるが、実は、リラやスズランが運んでくる春の訪れ、花で溢れた美しいパリへの大らかな賛歌なのだと私は感じている。

   『J'aime Paris au mois de mai』 
 『J'aime Paris au mois de mai(五月のパリが好き)』は、シャルル・アズナヴール(Charles Aznavour)作詞、ピエール・ロッシュ( Pierre Roche)作曲、1956年にアズナブールによって歌われ大ヒットした曲である。

 日本でも「素敵なパリの街に スズランの花が揺れ リラが花咲けば」という山本雅臣氏の訳詞で良く知られていて、5月のシャンソンの代表曲といえよう。
 マロニエ
 5月の初旬から中旬にかけてのパリは、まさにマロニエの花真っ盛りだった。

 ふっくらとした白い花をつける、マロニエの並木の下に、はらはらと白い花びらが舞って、何とも言えない素敵な風情があったのを思い出す。

 その時の情景をデッサンするような心持ちで、日本語詞を作ってみた。

   J’aime この街の中 続く石畳
   どこまでも いつまでも 歩いていたいと 思う
   マロニエの木陰の道
   白い花びら 受けたら 生まれ変われる気がする
   J’aime 五月のパリは 良い  
                        (松峰 日本語詞)

  

 そして、3番の歌詞には、セーヌ川河畔の風景が描写されている。
ブックスタンド 春になると、一斉に河岸に古本の露店や水彩画家たちの姿が見られるようになる。春に誘われて、ブキニストと呼ばれる古本市が岸辺に立ち並ぶのも、この季節ならではのセーヌの風物詩でもある、
移動式露店で、いくつもの緑の大きな箱を固定し、そのふたを開くと古本屋に早変わりする仕組みになっていることを初めて知った。
16世紀の頃から変わらぬ情景が自然の風景と溶け合って、パリの春を作ってきたのだろう。そういう5月という季節のノスタルジーが描かれているのだと感じる。
セーヌ川の恋人 京都とパリは姉妹都市で、風景や街のあり方が似ているとよく言われるが、露天商こそないものの、ゆったりと流れる鴨川の河畔を散策する人たちや、腰を下ろして語らうカップルの姿など、セーヌ川岸辺の情景に重なって見える。
 河のある街は、河を抱えながら、河を中心に、息づいている。

   『五月のパリが好き』
 この旅行で出会った一人の男性がこの歌に登場してくる。
 これは原詩にはないので、勝手に私が書き加えた創作だ。
 訳詞は、本来、原詩通りに忠実に訳すべきであるが、原詩の心や風景がよりリアルに伝わるなら、あえて、イメージを自由に広げる場合があってもかまわないのではと、私は考えている。

 生き生きとしたパリの街の臨場感を伝えたかった。
一服
 早朝、街を散策していた時、お洒落な花屋の前に出くわした。
 中から色とりどりの薔薇の花束を抱えた店主らしき男性が出てきて、ウインドウに素敵にディスプレイを施し、そのあと石段に腰掛けて、大きく息を吐き、タバコに火をつけ、いかにも美味しそうに一本をふかした。
 その様子がとても爽やかで素敵で、思わず見とれてしまったのだが、どうしても留めたくて、遠巻きにシャッターを押してみた。
バラの飾りつけ
 彼は、ふっとこちらに気付いてにっこりと綺麗な笑顔で挨拶してくれた。

 その後、何気なくかわした幾つかの会話が楽しくて、頭の中で、彼を主人公にちょっと良い物語を作っていた。

 その彼が出てくる2番の歌詞は下記のようである。
                   
   J’aime Paris au mois de mai
   眩しい光の中 花屋の店先に 
   薔薇の香りが漂い 朝が目覚めて行く
   J’aime Paris au mois de mai
   腰下ろしタバコふかし カフェは賑やかに
   一日が また 始まる

   J’aime 人ごみの中 陽気な噂話
   このままで いつまでも 過ごしていたいと 思う
   街を行く 娘たちと
   微笑み交わす時 優しくなれる気がする
   J’aime 五月のパリは 良い

              (松峰 日本語詞)

  
コンコルド広場
 コロナ禍の今、パリはどんななのだろうか?
 あの男性は変わらずにいるのだろうか?

 自粛中の我が家に、いつも大好きな薔薇の花を飾りながら、懐かしく思い出している。

                                    Fin

(注 訳詞、解説について、無断転載転用を固く禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  
 シャルル・アズナブールの歌う原曲です。お楽しみください。



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『ウイスキーをヴィシーに』

訳詞への思い 自宅で自粛のGW
 ウイルスが収束して、自由に動けるようになったなら、出かけたいと思う所がたくさん出てきました。
 京都市街から比較的近い大山崎の、サントリー山崎蒸留所も、その一つ。

山崎蒸留所
 

サントリーウイスキーのCMソング、「ウイスキーはお好きでしょ」

   ウイスキーはお好きでしょ
   もう少し 話しましょ


 という歌い出しで、よく知られている曲ですが、石川さゆりさんが歌って大ヒットした後、様々な歌手によってカバーされています。

 シャンソンの中でもお酒を歌った曲は色々あるのですが、今日は、「訳詞への思い」、『ウイスキーをヴィシーに』を取り上げてみようかと思います。
 

     『ウイスキーをヴィシーに』

                           訳詞への思い<32>

   『Du whisky au vichy』
 作詞Claude Lemesle(クロード・ルメル)、作曲Alain Goraguer(アラン・ゴラゲール)、1977年にSerge Reggiani(セルジュ・レジアニ)によって歌われた曲である。
セルジュ・レジアーニ
 原題の『Du whisky au vichy』は「ウイスキーからヴィシー水へ」の意味だが、この曲は既に、『ウイスキーが水に』の邦題がつけられ、高野圭吾氏の訳詞で広く歌われている。

 ただ、『ウイスキーが水に』というこのタイトルには、ウイスキーが突然変異で水に変わってしまった、あるいは、いつの間にか氷が溶けて殆ど水になったというようなイメージが伴い、原題の本来の意味からすると、少し離れているという感じがしてしまう。

  De minuit à midi Du whisky au vichy
  (真夜中から正午まで ウイスキーからヴィシー水まで)

 曲中のサビとして何回も繰り返されているこのフレーズだが、「ウィスキーを呑んでいた夜の時間から、やがてヴィシー水に飲み代えた朝へと時間が移り」という意味なのだと思う。

  「ウイスキー」について。
 ウイスキーは、1494年、スコットランドで、“アクアヴィテ”が製造されたのが起源だという。
ウイスキー
 麦芽を原料にした蒸留酒を、ケルト語でウスケ・ボー「生命の水」と呼んだのが、ウイスキーの語源であるとのこと。
 友人曰く、「水割りでもロックでもなく、ゆっくりモルトを傾けるのが通」

 映画にでも出てきそうで、カッコ良いと思うけれど、私自身はアルコールが全くダメなので、その美味しさがわからないのが残念だ。

  「ヴィシー水」について。
 フランスで普通に愛飲されている「ヴィシーセレスタン」という天然微炭酸水を指している。
ヴィシー水
 ペリエとかエビアンのようなお洒落感のあるナチュラルミネラルウォーターで、オーヴェルニュ地方にあるヴィシーの街の産物である。

 「ウイスキー」や「ヴィシー水」は、詩中の印象的な小道具ではあるが、この曲の主眼は、グラスを透して見つめる「夜」そのものであり、やがて明けてくる「朝」の光の眩しさなのだと思う。

 欝々とした心を抱えて生きる自分にとって、夜はつかの間の安らぎの時。
 夜が自分を誘い込み、グラスを傾けさせ、酩酊感へと導く。
 「夜=nuit」は女性名詞なので、「彼女=elle」と言葉が置き変わりながら進んでいくのだが、いつの間にか、語り手にとって、elleはただの代名詞ではなく、特定な「或る女」の暗喩となってゆく。
 「彼女」を語る詩とも、とらえられるのではないだろうか。

   『ウイスキーをヴィシーに』
 まず、原詩の概要は次のようである。

  夜になると、うんざりとした日々の生活は消え去り、
  ネオンの明かりにすべては美しく輝いて見える

  夜は恋人のように私を誘い、酒を飲むことを勧める 
  僕が彼女を欺いても 夜という彼女は、決して僕を欺かない
  ずっと自分と寄り添って、一生 最後までいてくれる
  酒に酔いしれる自分を見ていてくれる
  夜は時には狂気であり 不思議な魔法であり 倦怠でもある

  身を守ることを全く知らないのに 
  いつでも処女性を取り戻す処女のようだ

  真夜中から正午まで ウイスキーからヴィシー水まで
  夜になるときまで 身を潜める

 「ヴィシー」は、ペットボトルの水をごくごくと飲み干す昼間の世界。
 仕事をこなし、社会人としての役割を営んでいく、その象徴なのだと思う。
 
 そして、彼は、その疲労感や充足感、時には倦怠感、挫折感などを、「ウイスキー」の酔いの中でつかの間、解放させようとしている。
 夜更けるまで呑んで、けれど朝は必ずやってくる。

 「ウイスキー」と「ヴィシー」は、そういう、人が生きる振り子のようなものかもしれない。

 我を忘れて酩酊することを、夜は穏やかに受け入れてくれる。
 いつもそっと傍にいて、優しく癒してくれるそんな女性が、「夜」のイメージに幻影のように重なってくる。

   C´est comme une vierge qui n´a
   Jamais vraiment su se garder
   Et qui retrouve toujours sa
   Virginité
 (身を守ることを全く知らないのに 
  いつでも処女性を取り戻す処女のようだ)


 この部分の訳詞は、解釈がなかなか難しいと思うのだが。

 高野氏は次のように訳されている。

  こうも言えるだろう 夜は娼婦と
  子供の目を持つ娼婦と あまりの純潔
  それゆえ どんなに汚れても 平気な娼婦と


 原語を咀嚼していく際のイメージには自由度があり、そこに、それぞれの独自な世界を創造してゆくのが訳詞なのだと改めて思う。

 このフレーズが含まれている3番の訳詞を、私は次のように訳してみた。

  夜は 狂気と 不思議な魔法の扉に 突然 いざなう 
  何も知らない少女のように 
  身をすくめたまま 立ち尽くす
  何でもわかっている倦怠の中で 
  夜は 新しく生まれ変わる
  眠りに就くまで 朝がやって来るまで
  ウイスキーをヴィシーに代えるまで

  夜が誘う ウイスキーが揺れる
  夜が薫る ウイスキーが揺れる   (松峰綾音 訳詞)


 いつか、グラス片手にこの曲をステージで歌えたらカッコ良いと思うのだが、なにしろ呑めないので、おそらく、ヴィシー水のボトルになるに違いない。


                            Fin

(注 訳詞、解説について、無断転載転用を固く禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  
 セルジュ・レジアーニの歌う原曲です。お楽しみください。



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『世界の片隅に』

 カット写真
    『世界の片隅に』
                 訳詞への思い<31>


 コロナウイルスの感染拡大は収まる気配もなく、更に世界的広がりを見せている。
 街には、足早に身を潜めるような気配が充満しているし、マスクやお米、紙類の買い占めや、コロナ感染者への誹謗中傷などのニュースまで流れている。
 <内にも外にも目に見えない敵の脅威を背負って日々暮らす戦時下のよう>と誰かが言ったけれど、この如何ともし難いものの前にすべなく竦む感覚に、東日本大震災の時のあの心持ちを思い出した。

 『世界の片隅に』は東日本大震災の直後、胸に去来する震災への思いから生まれた訳詞であることは、これまで折に触れ話してきたのだが、改めて『訳詞への思い』にまとめてみたいと思う。

   東日本大震災 一通のメール
 今、私のブログを読み返しているのだが、震災の直後、次々と届く情報を頻繁に更新していた。
 その中の2011日3月18日の記事、震災からちょうど一週間後の文章であるが、これを抜粋してご紹介したい。
 『世界の片隅に』を作る直接の契機となったYさんからの詳細なメールを取り上げた記事の一部分が下記のようである。

 <茨城土浦から ~ Yさんのメール ~ > 
       ・・・・・・・
 私は仕事場で皆でお茶休憩をしているところでした。
横揺れがいつもより少し長いな、と感じているうちに、地面の底から何かが出てくるのではないかと思うくらい不穏な音とともに揺れが強くなっていきました。
 驚くというよりも「身の危険」を感じて皆で外に出ると、電線は激しく波打ち、隣のアパートのガラスがガタガタ言い、前のお宅の奥さんも外に出て庭にしゃがみこんでいました。
 地上では明らかに不穏な空気が身体を覆っているのに、空は穏やかできれいな青空だったのを覚えています。
     ・・・・・・・ 
 橋を渡れば我が家です。
 橋は危ないと思いつつ、一刻も早く帰りたかったため、橋を上りました。
 途中ですれ違った若者の「橋はやっぱり揺れるな」と、余震をにおわすような言葉を聞かないふりをしながら自転車で猛スピードで橋を下っていくと、目の前に信じられない光景が広がっていました。
 晴れているはずなのに路面がずっと先まで濡れているのです。
 よくわからないまま、橋を渡り終えて家に近づいていくと更にひどい状況で、ブロック塀が崩れている家や、瓦が飛んでしまった家、窓ガラスの破片が道路に飛び散っている工場等々・・・。

 呆然としたまま我が家に辿り着くとアパートの前のアスファルトや電柱から泥水が噴出し、大量に流れ出ていました。路面が濡れていたのはそのせいでした。
  「液状化現象」、まさにそれが目の前に広がっていたのです。
     ・・・・・・
 
 Yさん。
 どれほど、恐ろしく不安な思いをなさったかが、文面から手に取るように伝わってきました。そしてきっと、今も不自由なことや、困難なことを沢山抱えていらっしゃるのでしょうね。ストレスも過労も沢山たまっていないか心配です。
 私は、子供の頃からのYさんをよく知っていますが、彼女はいつも感受性豊かに、そして、澄んだ眼差しで真直ぐにものを見ることのできる人です。
 賢明な彼女がどんな局面もくじけることなく勇気と優しさを持って乗り切ってゆかれるよう、それを心から祈りたいと思います。
  
 「停電の暗闇の中で、カーテンを開けてみると地上に明りはなくても夜空は結構明るくて、そんな、子どもの頃はわかっていたようなことも忘れていた自分に気づきました。」
  ・・・メールの最後に書いて下さったこのことばが胸に残ります。


 驚天動地の事態の前で、同じ時間を、たくさんの方たちが、色々な状況で色々な思いの中で過ごしていたことを改めて思います。一つ一つは小さな出来事かもしれませんが、でもそれぞれに共感でき、その中に誇らしく感じる大切なものが見える気がしています。

 本当に困難で、一人一人の真価が問われてゆくのはむしろこれからでしょう。
 事態は簡単に収束されそうにありませんし、我慢と苦痛を強いられるこれからの長い時間の中で、どのように私たちは冷静に礼節を保ち続けてゆけるのか、これは難題に違いありません。
 もう既に、風評被害などによって、社会はかなり混乱をきたし始めていますが、だからこそ私たちが立ち返るべき場所を忘れないでいたいと、今強く願います。

 
   映画『この世界の片隅に』
 この曲を歌うとき、『映画とどういう関係があるのか?』『映画のタイトルを真似たのか?』などとよく問われるのだが、このアニメ映画が上演されたのは2016年。私が訳詞をして歌い始めたのは2011年4月からなので、「私の方が元祖・本家です」と釈明することにしている。
 こうの史代氏原作の同名漫画をアニメ映画化した作品で、広島と呉を舞台に、「すず」という一人の女性を主人公として、過酷な戦時下をけなげに生きる彼女と、彼女を巡る様々な人間模様を描き出したヒット作である。
 この世界の片隅で、それぞれの思いを抱きながら、一人一人がかけがえのない命を精一杯生きようとしている、そういう人間同士、共感し合い励まし合うことがどんなに大切か、全編に貫かれている映画のテーマは、私の訳詞『世界の片隅に』への思いにも通じ合うものがあると強く感じる。
 (公式サイトからの予告映像はこちらです。)


   『世界の片隅に』
 さて、訳詞した『世界の片隅に』であるが。
 2002年にケレン・アン(Keren Ann) によって歌われた「au coin du monde=世界の片隅」が原曲。作曲はケレン・アン、作詞は彼女の当時の恋人で音楽プロデューサーのバンジャマン・ビオレイ( Benjamin Biolay)の手による。

   Tombent les nuits à la lueurs de bougies qui fondent
   et que la lumière soit.
   溶けてゆく蝋燭の光に夜が更ける そして光がありますように
   Passent les heures que s'écoulent à jamais les secondes
   et que la lumière soit.
   時が過ぎてゆく 永遠に秒を刻みながら 
   そして 光がありますように


 という冒頭から始まって、恋人たちが共に過ごす夜、温かい愛情を感じながら、お互いの上にささやかでも幸せが注がれますようにとそっと祈る、原曲はそんなロマンチックなラヴソングである。
ケレンアン CDジャケット
 軽快なリズムと旋律に乗せて、ケレン・アンの囁くようなハスキーボイスが飛び切りお洒落なニュー・フレンチポップスの世界を作り上げている。

 美しいメロディーで、2002年の発表時からこの曲に惹かれてはいたのだが、先に述べた大震災の時にこの曲が突然強烈に私の中で思い起こされ、この曲をラヴソングとしてではなく、私自身の思い、祈りを乗せて歌いたいと強く思ったのが訳詞のきっかけである。
ろうそくの火 「蝋燭の光しかない停電の闇の中で、夜空が明るかった」というYさんの文章と、原詩の「溶けてゆく蝋燭の光・・・」が一つに重なったためかもしれない。
 そして、私の『世界の片隅に』は、原詩に忠実な訳詞ではなく、私自身の心象風景を広げていった殆ど作詞に近いものとなった。

 日々、生きてゆく時間の中には 様々な出会い別れ、出来事が通り過ぎてゆく。抗い難いものへの怖れや憤り、悲しさや、嬉しさ。
 今、折に触れてこの曲を歌う中で、思いは更に深く広がっている。

 最後に私の訳詞『世界の片隅に』の全文をご紹介しようと思う。

   世界の片隅に
                 松峰綾音 訳詞
           
   溶けてゆく ロウソクの 名残り火の中に  
   夜が落ちてゆく
   脈打ってる胸の鼓動を 聞いている  
   時が過ぎてゆく
   遠く 近づいてくる  夜が明ける この香り
   一筋の光が ありますように

   立ち尽くすしかできないことって
   突然 起こってくる
   戸惑ってるだけの自分を 眺めてる
   涙がつたう

   遠く 雪解けが見える 世界の この片隅に
   一筋の光がありますように

   この世界に  小さな私と あなたが ここにいる
   それだけで 良い
   つなぎ合う ぬくもりを 今 静かに感じている
   噛みしめてみる

   遠く オーロラが見える 世界の この片隅に
   一筋の幸せが灯りますように
   あなたの上に

                        Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を固く禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  ケレン・アンの歌う原曲です。お楽しみください。




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『さくらんぼの実る頃』

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 まだ季節が早いですが、今日はシャンソンの往年の名曲『さくらんぼの実る頃』を取り上げてみたいと思います。

   『さくらんぼの実る頃』

                         訳詞への思い<30>

   "Le Temps des Cerises"
 原題は「さくらんぼの頃」の意味。
 日本でも『さくらんぼの実る頃』のタイトルでよく知られた往年のシャンソンの名曲である。
 ジャン=バティスト・クレマン(Jean-Baptiste Clément)作詞(1866年)、アントワーヌ・ルナール(Antoine Renard)作曲(1868年)による。
 現在まで歌い継がれているシャンソンの中で最も古い曲だといわれている。

 さくらんぼにことよせて、若き日の恋の思い出を、甘酸っぱく歌い上げている素朴でノスタルジックな内容だが、この曲について語るときはいつも、パリ・コミューンとの関連がクローズアップされてくる。
 まずは、それも含めた曲の背景を簡単にまとめてみたい。
 
 <パリ・コミューン>
 普仏戦争(1870年〜1871年)で敗れたフランスは、ナポレオン3世の第二帝政が終焉し第三共和政に移行する。
 しかし、プロイセンとの和平交渉に反対し自治政府を宣言した労働者政権のパリ・コミューン(la Commune de Paris 1871)は、1871年3月18日から同年5月28日までの短期間パリを支配した。
追悼碑
 これを鎮圧しようとするヴェルサイユ政府軍との激しい市街戦の後、パリを包囲した政府軍によってコミューン連盟兵と一般市民の大量虐殺が行なわれた。
 「血の一週間(la semeine sanglante)」と呼ばれるこの戦闘により、3万人にのぼる戦死者を出してパリコミューンは瓦解し、5月27日ペール・ラシェーズ墓地での抵抗と殺戮を最後にこの戦いは幕を閉じた。


 この戦いが勃発し、そして無残な結末を迎えた時期が、まさに<さくらんぼの季節>でもあり、この事件後に成立した第三共和政に批判的なパリ市民たちによって、1875年前後から、連盟兵たちへのレクイエムであるかのように、この歌が繰り返し歌われたことから「パリ・コミューンの音楽」として有名になったのだと伝えられている。
ラパン・アジル
蛇足であるが、パリ・コミューンゆかりの地、モンマルトルの丘に今も残る老舗のシャンソニエ「ラパン・アジル」を数年前に訪れた時、偶然だがこの「Le Temps des Cerises」が歌われて、これに唱和する観客に交じって私も声を合わせたことを懐かしく思い出す。
ラパン・アジル2


長い時間の中を生き続けてきた曲であることが再認識される。



    <ルイーズとの出会い>
 さて、作詞者のクレマンは自身も連盟兵として戦ったのだが、その折、野戦病院で負傷兵の手当てをしている一人の女性革命家と出会うことになる。
 彼女ルイーズ・ミシェル(Louise Michel)の甲斐甲斐しく働く姿に大きな感銘を受けて、すでに流布していたこの「Le Temps des Cerises(さくらんぼの頃)」に、改めて「1871年5月28日日曜日、フォンテーヌ・オ・ロワ通りの看護婦、勇敢なる市民ルイーズに」という献辞を付則したのだという。

 そして同時に、これまで3番までだった歌詞に、新たに4番の歌詞を加えて発表した。
 4番には「あの時から、この心には、開いたままの傷がある」のフレーズがあり、この曲が、パリ・コミューンへの追悼として作られたものだと解釈する所以ともなっているのだが、3番までの歌詞がパリ・コミューンの時期の数年前に既に出来上がっていたことを思えば、少しうがち過ぎで、あくまでも失った若き日の恋を思い懐かしむ曲と取るほうが自然であると思われる。

 「血の一週間」をめぐる惨劇を目の当たりにし、この渦中に生きた作詞家クレマンの献辞は、コミューン兵士たちへの挽歌であると同時に、甘く短いさくらんぼの時間・・・・真っ赤に熟し燃え上がるつかの間の恋の情熱と、夢破れた恋の挫折、・・・そしてルイーズという優しく果敢に戦い挑む女性との一瞬の邂逅、そういう全てに手向ける言葉だったと言えるかもしれない。


   「さくらんぼの実る頃」
   <美しい情感>
 フランスではイヴ・モンタン、コラ・ヴォケールを初め何十人という歌手がこぞって歌い継いでいるが、日本でも、シャンソンの代表的名曲として、多くの歌手のレパートリーとなっている。

 訳詞も様々にあるが、よく耳にするのは工藤勉氏の訳詞かと思われる。

  さくらんぼ実る頃は うぐいすが楽しそうに 野に歌うよ
  乙女たちの心乱れて 恋に身を焦がすよ
  さくらんぼ実る頃は 愛の喜びを 皆 歌うよ


 という1番の歌詞から始まり、「愛する人に抱かれて胸震わせても さくらんぼが実り終わると鶯は去り 赤いしずくが胸を染める」という2番へと続く。
 そして最終章の3番で「さくらんぼの実る頃は 年老いた今も 懐かしい。
 あの日のことを心に秘めて、いつもしのんで歌う」と締めくくられている。

 日本語の持つ情感と余韻が美しく、品格のある詩の世界が出現している。

 この工藤氏の訳詞だけではなく、他の訳詞のほとんども<若き日の恋を懐かしく蘇らせながら、過ぎ行く時への感慨をかみしめる>というしみじみとした老境を歌い上げる格調高い曲というイメージが強い。
 旋律の美しさと合わさって、歌い手の側にも年輪を重ねた深みが要求されるのかもしれない。

 1992年には、加藤登紀子氏が、スタジオジブリのアニメ映画『紅の豚』の中でフランス語でしみじみと歌われていて、この曲の知名度を上げた。

   <「血が滴る」と「傷口が開く」について>
 先にパリ・コミューンとの関連について述べたが、このような、いわば隠喩を用いた反戦歌と思われた理由の一つに、ちりばめられている「言葉」そのものがあるのではと私は感じている。

 さくらんぼが実っている描写を記した2番の詩句
  Des pendants d'oreilles
  Cerises d'amour aux robes pareilles
  Tombant sous la feuille en gouttes de sang

  耳飾り
  お揃いのドレスを着た愛のさくらんぼ
  血のしずくが葉陰に滴り落ちている
                (対訳)
 
そして現在まで続く心の痛手を歌った4番の詩句
  J'aimerai toujours le temps des cerises
  C'est de ce temps-là que je garde au coeur
  Une plaie ouverte

  私はずっとさくらんぼの季節を愛し続けるだろう
  開いた傷口を 心の奥に持った季節なのだから
                 (対訳)

さくらんぼ
 二つの実がぶら下がって揺れる<真っ赤な耳飾り>のようなさくらんぼを、二人で夢中で摘みに行く情景は、その赤さゆえにどこかなまめかしくも思われるし、また、さくらんぼが<血のしずくのように滴り落ちている>という表現も、ただ微笑ましいだけではない熱情の激しさのようなものも感じてしまう。

 まして、最終章4番の、嘗ての失恋の痛みを、未だ<ぽっかりと開いた傷口>として感じ続けていること、そういう、まさに触れたら血が噴き出すような恋だったからこそ、今もかけがえない懐かしさと共に、くっきりと刻み付けられているのではないだろうか。

 「さくらんぼの実る頃」のそんな生々しさを伝えたいと思った。
 意訳も入っているが、私の訳詞の締めくくり4番は下記のようになった。

  さくらんぼの実る頃
  癒えることない傷口が 心に開く
  痛みも後悔も幸せも そのまま愛したい
  さくらんぼの実る頃 
  思い出が 胸を打つ

                       Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  では、コラ・ヴォケールの歌う原曲をお楽しみください。



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『優しきフランス』

訳詞への思いタイトル
 アンスティチュ・フランセ関西(旧日仏学館 在京都)でフランス語を学び始めてから、もう随分歳月が経ちました。
 現在受講しているのは週一回のクラスですが、取り上げるテーマが多岐に渡っていて、今は、新聞や雑誌などの記事を用いながら、時事問題を中心に幅広く生のフランス事情を紐解いてゆく大変興味深い授業を受けています。
日仏学館1
 通学で使ういつものバスの運転手さん、降車客に必ず、「このあともお気をつけて、素敵な火曜日をお過ごしください。」と声を掛けて下さるのです。
 気負いもなく、さりとて機械的でもなく、ソフトで自然な口調で爽やか。
 この言葉を聞くのがいつの間にか火曜日の愉しみになっています。
日仏学館2
 さて先週の授業では、「今回は、往年のシャンソンを取り上げてみましょう」ということでシャルル・トレネ(Charles Trenet)の『優しきフランス(Douce France)』という曲を教材に選んで下さいました。
 作品の背景や解釈等学んでいくうちに、トレネのこの曲に改めて感ずるところがあり、試みに訳詞を作ってみました。

 前置きが長くなりましたが、今日は「訳詞への思い」、この『優しきフランス』をご紹介したいと思います。

    『優しきフランス』
                      訳詞への思い<29>     

   Douce France
 Douceは「甘い・心地よい・穏やかな・柔らかい・優しい」などの意味。
 トレネジャケット
 1943年、シャルル・トレネ(Charles Trenet)作詞、レオ・ショーリアック(Léo Chauriac)作曲。
 第二次大戦後の動乱期にトレネ自身が歌って、フランスで大ヒットした曲である。この曲のヒットはこの時代の歴史的背景・世情に密接に結びついていると思われる。


   <この曲にまつわるトレネのプロフィール>
  1940年6月13日、ヒットラーの率いるナチス・ドイツがパリに入城。
  ニースに居たトレネは除隊し、パリに戻ることを決意。
  1941年アヴニュー劇場のステージに立つ。
  第二次世界大戦下の1943年にこの曲の制作。 同年、同劇場にて発表。
  戦後1947年録音され、爆発的ヒットとなる。


 手負いの祖国に向けた愛・誇りが、真っ直ぐに伝わってくるこの曲は、今も不朽の名曲としてフランス人に愛され、深く浸透している。
 曲構成は、クープレ(Couplets)とルフラン(Refrains)でしっかりと組み立てられていて、典型的シャンソンの形態を持っているといえよう。
 「クープレ」というのは、いわばセリフ部分のこと。物語の展開を時系列で語るように歌い進めてゆく。
 一方、「ルフラン」は、旋律を重んじ、情感豊かなサビをメロディックに歌い上げる部分で、印象付けるべく何度も反復されるのが常である。

 『Douce France』の冒頭は、幼少期の愉しかった思い出を物語るクープレから始まる。

   Il revient à ma mémoire  Des souvenirs familiers
   Je revois ma blouse noire   Lorsque j´étais écolier
   Sur le chemin de l´école    Je chantais à pleine voix
   Des romances sans paroles  Vieilles chansons d´autrefois

   慣れ親しんだ思い出の数々が記憶によみがえる
   黒い上着が目に浮かぶ
   小学生だった時 学校の道すがら
   歌詞のない恋歌 昔ながらの古いシャンソンを
   声を出して歌った 


 クープレはセリフを語るように言葉を音に入れ込むことが出来るので、比較的対訳に近い内容・言葉数で綴ることが可能なわけだが、試みに私が作った訳詞は下記のようである。

   小さな手 つないで 黒い上っ張り 着て
   学校への道 朝陽が眩しくて 
   ありったけの声で  ありったけの歌を
   意味も分からず   口ずさむ 恋のメロディー 
                          (訳詞 松峰)


 「黒い上っ張り」・・・園児が着るお揃いのスモック、フランスでは今も存在しているだろうか。
 日本でも時々黄色などのお揃いの上っ張りを着て、若い先生に引率されながら公園で園児たちが遊んでいるのを目にすることがある。制服の自由化は幼稚園にも波及するだろうから、こういう光景も段々減ってくるのかもしれないが。
 余談だが、カトリックの女子校で過ごした私の中・高時代には校内で着用するまさに黒い上っ張りがあって「タブリエ」と呼んでいた。 「タブリエ」はフランス語で割烹着のことだ。

 そして、ルフランへと続く。
   Douce France  Cher pays de mon enfance
   Bercée de tendre insouciance  Je t´ai gardée dans mon cœur!
   Mon village au clocher aux maisons sages
   Où les enfants de mon âge  Ont partagé mon bonheur
   Oui je t´aime  Et je te donne ce poème
   Oui je t´aime  Dans la joie ou la douleur
   車窓からのフランス

   心地よいフランスよ
  幼年時代の優しい安穏にはぐくまれた国
  私は君を心にとどめ続けることにした
  鐘楼とつつましい家々のある僕の村
  そこで私と同じ年頃の子供たちが 幸せを分かち合った
  そう 私は君を愛す  そしてこの詩を君に捧げる
  そう 私は君を愛す  楽しいときも苦しいときも
                        (注 君=フランス)
  

 音韻に留意しながら作ったこの部分の私の訳詞は下記である。
   Douce France   幼い日 mon enfance
   優しさに包まれ   時は流れてた  
   Mon village    鐘の音 響き渡り
   小さな灯りともる  穏やかな夕暮れ
   Oui je t´aime  いつだって心に   
   Oui je t´aime   輝き続ける  (訳詞 松峰)

   フランス農村風景
 クープレとルフランが組み合わさった風格のあるメロディーの中でトレネが伝えたものは、まさに祖国への愛。
 戦時下劣勢にあった自国の中で、敢えて「フランス万歳」「大好きな我が国」と明るく揺るぎなく歌い上げて、絶望感に苛まれていた戦火の民衆に、そしてレジスタンス運動の闘士たちに熱狂的な力と光を与えた一曲となったのだろう。

   『ふるさと』への思い
   兎 追いし かの山 小鮒 釣りし かの川
   夢は 今も巡りて 忘れがたき ふるさと


 幼少期の美しい思い出に彩られた「ふるさと」への憧憬はフランスに限るわけではなく、民族を越えた共通した感情なのだと思う。
 けれど、我が国の唱歌『ふるさと』の締めくくりは、

   こころざしを果たして いつの日にか帰らん 
   山は青きふるさと 水は清きふるさと 


 であり、包み込んでくれる慈愛に満ちた自然への愛、畏敬にどこまでも優しく帰結してゆく。

 奇しくも『douce France』の発表と同時期の1945年~1946年に、日本で歌われた戦後歌謡、空前のヒット曲となった『リンゴの唄』には、<日本が一番>というようなダイレクトな言葉はなく、可憐なリンゴの実を慈しみ、仄かな恋心のイメージを重ねるロマンチックな歌詞に、日本の再興を託していて、美しく穏やかな世界を志向するしなやかな情感を感じる。

 『douce France』がこれほどのヒット曲であったのに、日本においてさほど注目を集めなかったのは、この曲が、シャンソンの国フランスの、一歩も退かない矜持のような独特なパワーを醸し出していたためだったのかもしれない。

 最近のシャンソンの中から<ふるさと>の取り上げ方に注目したい曲が何曲かある。次の機会にこれに続けて紹介してみたいと思っている。
                             
                                  Fin


    (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
    取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

    では、シャルル・トレネジュリエット・グレコの歌うそれぞれの原曲をお楽しみください。



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『風のうわさ』

訳詞への思いタイトル
 前回の記事からすっかりご無沙汰してしまいました。
 成就院コンサートが一段落してちょっと一休みのつもりが、気づけば夢のようにひと月余りが経っています。

 実は、コンサート後、訃報が続いて、ひどく気落ちする7月でもありました。
 親しい友人、先輩、大好きだった叔父と叔母、相次いで・・・・・人の世の無常を思わずにはいられません。
 今、こうしていられることの幸せが、胸に沁みます。

暑中見舞い

 遅い梅雨明け宣言と共に、猛暑の日々。

 友人からこんな素敵な暑中お見舞いを頂きましたので、ご紹介させていただきます。

 私はといえば、38℃超えの京都を離れ、今、両親の療養のため共に軽井沢で過ごしています。
 昼間はさすがに30℃になりますが、夕暮れ時になると涼しい風が吹いてきて、それが何よりのここでのご馳走。
 夏に順応できず、熱中症寸前だった母もようやく体調を回復しつつあります。

 ここにいると梢を抜ける風の音が心を和ませてくれます。
 遠くから風が近づいてくる微かな音が聞こえてきます。

 落葉松林の風景を見ながら、久しぶりに「訳詞への思い」、『風のうわさ』を取り上げてみたいと思います。

      『風のうわさ』 
                            訳詞への思い<28>

   カーラ・ブルーニ
 2002年にリリースされたカーラ・ブルーニCarla Bruni のファーストアルバム『Quelqu'un m'a dit』。
カーラ・ブルーニ
 彼女の自作曲を集めたこのアルバム中に、同名のタイトルで『Quelqu'un m'a dit(ケルカン・ マ・ディ)』という曲が収録されている。
 <誰かが私に言った>という意味だが、『風のうわさ』という邦名で既に紹介されているので、私の訳詞のタイトルもこれに従った。

 サルコジ前フランス大統領夫人として注目された「カーラ・ブルーニ」は、1967年、イタリア・トリノ生まれ。フランスでスーパー・モデルとして人気を博したが、2002年歌手に転身。
 <美貌と知性、そして素晴らしい音楽的才能。そのすべてを神様から与えられた類まれなる逸材、カーラ・ブルーニ>
 このうたい文句と共に、ファーストアルバムは、世界中で100万枚を超えるヒットになった。

    Quelqu’un m’a dit 
  
  <冒頭部分 対訳>
  On me dit que nos vies ne valent pas grand chose
  人は私に言う。私たちの生きていることに大きな価値などないって
  Elles passent en un instant comme fanent les roses.
  人生は薔薇が枯れてゆくように、一瞬で過ぎてゆく
  On me dit que le temps qui glisse est un salaud
  人は私に言う。過ぎてゆく年月は卑怯者だ。
  Que de nos chagrins il s’en fait des manteaux
  私たちの悲しみを重ねていくことだから。
  Pourtant quelqu’un m’a dit…
  けれども、誰かが私に言う。  
    
  Que tu m'aimais encore
  あなたが私をまだ愛していると
  C'est quelqu'un qui m'a dit que tu m'aimais encore.  
  あなたが私を愛していると言ったのは誰かだ
  Serait-ce possible alors ?
  それはあり得ることかしら?

  
   <「風のうわさ」 松峰 訳詞>
  生きることに大した意味なんてないって 人はいつも言う
  悲しみだけ抱えたまま 色褪せていく薔薇のように
  でも 誰か言う
  
  そう あなたが 私のこと 愛しているって
  ねえ まだ今も 
  本当かしら?
  誰がささやくの?

 歌の中の女性は、失くした恋をどのように偲んでいるのだろうか。
 カーラ・ブルーニは、夢みるように、美しい幻影を見るように、淡々としたウィスパーボイスで歌っていて、さらりと、風のささやきに紛れるような密やかな繊細さが感じられる。
 力一杯悲恋を歌い上げる日本の演歌の対極にあるような世界・・・。
 風の音のような曲、戸惑うような未成熟な喪失感を、訳詞にそのまま映し取りたかった。

 そして、彼女は、ある夜更けに、誰かが囁く声をはっきりと聴く。

  彼は貴女のこと 今でも愛しているわ
  でも これは秘密 誰にも言ってはだめよ

 この曲『風のうわさ』を最初に歌ったのは2008年の内幸町ホール、訳詞コンサートvol.2「もう一つのたびだち」のことだった。
 懐かしくなって、古い写真を取り出して改めて観てみた。
 10年前の自分、あの頃から大いに変わったような、そうでもないような・・・・

   『風に寄せて』
 立原道造の詩『夏花の歌』の朗読を6月の成就院コンサートで取り上げたのだが、同じノスタルジックな世界を漂わせている立原の詩『風に寄せて』を思い出した。
 カーラ・ブルーニの歌をBGMに、この詩を朗読したなら、きっと情景が共に重なってくる気がする。

    『風に寄せて』抄 立原道造

  風はどこにゐる 風はとほくにゐる それはゐない
  おまへは風のなかに 私よ おまへはそれをきいてゐる
  うなだれる やさしい心 ひとつの蕾
  私よ いつかおまへは泪をながした 頬にそのあとがすぢひいた

  風は吹いて それはささやく それはうたふ 人は聞く
  さびしい心は耳をすます 歌は 歌の調べはかなしい 愉しいのは
  たのしいのは 過ぎて行つた 風はまたうたふだらう
  葉つぱに わたしに 花びらに いつか帰つて



 カーラ・ブルーニのファーストアルバムのジャケットも今となってはとても懐かしく感じる。初々しい若さに溢れていて素敵だ。
 原曲はここからお聴きください。
真似


昨夏、真似して、おどけて、こんな写真を撮ってみました。

如何でしょうか.。
                                   Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)
 





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