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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

『雨傘』

訳詞への思い
 今朝、額紫陽花が咲いていました。雨の季節がやってきますね。
アジサイ
 一昨年の『雨の日の物語』を思い出します。
 雨の歌、小説、詩をたくさん集めた、雨尽くしのコンサートでしたが、この時発表したZAZの『La pluie』を今日はご紹介してみます。

      『雨傘』
                        訳詞への思い<34>

   『La pluie』
 ZAZ・Ker-Eddine Soltani作詞、Vivian Roost作曲。
zaz
 ザーズ(ZAZ)の2009年のアルバム『Academ』に収録された曲である。

 原題の『La pluie』は「雨」という意味だが、私は『雨傘』と邦題をつけた。


 まずは、原詩とその対訳の全文を記してみたい。

  Le ciel est gris la pluie s'invite comme par surprise 
  elle est chez nous et comme un rite qui nous enlise 
雨の巴里  les parapluies s'ouvrent en cadence 
  comme une danse,
  les gouttes tombent en abondance
  sur douce France.

   空は灰色 雨が突然 降ってくる
   雨は私たちのところにやってくる 
  身動きできなくさせるように
   雨傘は調子を合わせて一斉に開く ダンスみたいに
   雨のしずくが豊かに落ちてくる  優しいフランスの上に

  Tombe tombe tombe la pluie 
  en ce jour de dimanche de décembre
  à l'ombre des parapluies
  les passants se pressent pressent sans attendre 

   降る 降る 降る 雨が
   12月の日曜日のこの日に
   雨傘の影に隠れて
   通行人たちは行き過ぎる 行き過ぎる 行き過ぎる 立ち止まることなく


  On l'aime parfois elle hausse la voix elle nous bouscule 
  elle ne donne plus de ses nouvelles en canicule 
  puis elle revient comme un besoin par affection 
  et elle nous chante sa grande chanson
  l'inondation 

   私たちは雨を愛し 雨は音を立てて勢いよく降ってくる
   雨は猛暑の時には何の便りもよこさないのに
   必要な時には戻って来て 私たちに大仰な歌を歌う
   洪水の歌を
  
                 (松峰 対訳)

 というのが原詩の全文で、あとは次のリフレインが何度も繰り返される。
   降る 降る 降る 雨が
   12月の日曜日のこの日に
   雨傘の影に隠れて
   通行人たちは行き過ぎる 行き過ぎる 行き過ぎる 立ち止まることなく

 勢いよく降る雨を、大地の恵みとし明るく享受する歌だ。
 一斉に傘が開き、足早に雨の中を急ぐ人々の様子が鮮やかで、色とりどりの傘の花がクルクルと街に広がってゆくのが見えてくる。

   『雨傘』
 リフレインの心地よいリズム感と、シンプルで大地の香りのする内容に惹かれて、この詩を『雨傘』と名付けて訳詞したのだが、花開く傘の中に小さな女の子がいても良いのではと思い、原詩にない赤い傘の女の子を登場させてみた。2番の詩である。
傘
 赤い傘 雨の中で 踊っている
 女の子 雨の中で 歌っている
 行き交う人 急ぎ足で 通り過ぎる
 力強く 勢いよく 大地を叩く

 tombe, tombe, tombe la pluie
 雨が降る 降り続いていく
 踊る 踊る 傘が踊る
 パリの街 優しく包む
 tombe, tombe, tombe la pluie
 恵みの雨 心を濡らす 
          (松峰 日本語詞)


 一つ一つの傘の中に、それぞれの物語があり、少女の楽し気な鼻歌には、真っ赤な傘が良く似合う。

 tombe, tombe, tombe la pluie =「トンブ トンブ トンブ ラ プリュイ」
 曲の肝はこの繰り返し。雨が降るのが見えてくる。

   「あめ あめ ふれふれ」~連想される雨の歌諸々~
 同時に、いくつかの雨の歌と、その情景が浮かんできた。

  「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかえ うれしいな
  ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」

 北原白秋作詞、中山晋平作曲、『あめふり』(大正14年)という童謡である。
 まさに、「 tombe, tombe, tombe la pluie」なのであるが。
 この歌詞は、実は、5番まであって、歌詞の中の男の子は、雨に濡れて独り木の下で泣いている子を見つけて、自分の傘を差し出す。
 「ぼくならいいんだ かあさんの おおきなじゃのめに はいっていく
 ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」と締めくくられる。
 心優しい男の子の歌だが、斜に見れば、かあさんに甘えられる幸せを見せつけているとも取れないことはない。

 北原白秋は、これとは別に『雨』という童謡も書いて、これも良く知られている。こちらは少し物悲しい曲調で「雨がふります 雨がふる」と始まる。

  雨がふります 雨がふる  遊びにゆきたし 傘はなし
  紅緒(べにお)の木履(かっこ)も緒(お)が切れた
  雨がふります 雨がふる いやでもお家で 遊びましょう 
  千代紙 おりましょう たたみましょう
  雨がふります 雨がふる

 という調子でずっと続き、「昼もふるふる 夜もふる 雨がふります 雨がふる」と終わる。

 「いやでもお家で遊びましょう」という所はまるで今の家籠り生活みたいで思わず苦笑してしまうのだが、「tombe, tombe, tombe la pluie」が日本的メロディーにアレンジされて根底に流れている。
 ちなみに、「遊びにゆきたし 傘はなし」に、井上陽水の『傘がない』が思い出された。
  「行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
  つめたい雨が 今日は心に浸みる
  君の事以外は考えられなくなる それはいい事だろう?」

 「雨が降って、傘がない」のは、学生運動の挫折というこの時代の喪失感と虚脱感の象徴のようにも思われるが、白秋の「雨」は童謡でありながら、そういう薄暗がりのような雰囲気を予見しているようで興味深い。

 最後にもう一曲。
 矢代亜紀のヒット曲『雨の慕情』(昭和55年阿久 悠作詞)もやはり「tombe, tombe, tombe la pluie」の仲間。
  「雨々 ふれふれ もっとふれ 私のいい人 つれて来い」
 演歌風な味付けの中で供された曲と言えるかもしれない。


 様々に飛躍してしまったが、これからの季節、雨が降り続ける様子、雨音に、
 音楽と物語を聴き取る感性を磨いてゆけたら楽しいのではと感じている。 
                               Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を固く禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  ZAZの歌う原曲です。お楽しみください。



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『五月のパリが好き』

訳詞への思い 昔の写真、よく聴いた音楽、愛読書など、久しぶりに味わい直しています。
 写真の整理をしていると、映画みたいにその時の映像がフラッシュバックしてきますし、夢中になって読んだ本、昔々涙ぐみながら聴いていた音楽に、その時々の感情の渦みたいなものがそのまま、突然、時を超えて沸き起こってきたりします。
 この際だから、整理をと思っても、捨てるかどうかの判断は、まずは、埋もれていたものを呼び起こす作業から始まるのでしょう。
 新鮮な発見もありますし、片づけるつもりが、懐かしんでは結局そのまま仕舞い直すことの多い家籠り、時を辿りながら少し感傷的になっている私の五月です。

 7年前のパリ旅行の写真を見ていました。
 その時に作った訳詞、『五月のパリが好き』を、今日はご紹介します。


    『五月のパリが好き』

                        訳詞への思い<33>

   「さつきのきさきを」
 嘗て、カトリック系の女子校で教育を受けたこともあって、今でも聖歌(讃美歌)の数々がふと口をついて出てくることがある。
 特に、五月は「聖母マリアの月」、こんな歌を思い出す。
 (蛇足だが、当時の歌詞はすべて文語体だった。意味が分からないと良くないということで、途中から口語体に歌詞が変わったが、よくわからなくても文語のほうが格調高く、ありがたい気がしたように思う。)

  あおばわかばに 風かおりて
  せせらぎにきく 奇(く)しき調べ
  木陰に立てる とわのみはは
  御許(みもと)に行き われら憩わん


 そしてこんな曲も。

  五月(さつき)のきさきを あめつち歌う
  ひと年(とせ)めぐりて 百合咲く季節
  マリア祝しませ 祝せられませ

 
 白百合は、どの時代の《受胎告知》の絵画にも描かれているほど、ヨーロッパにおいて古くから聖母マリアと結びついた花、純潔無垢、気高さの象徴であり、そして希望に満ちた春という季節の到来を告げる花でもある。

 『千曲川旅情の歌』の「浅くのみ春は霞みて 麦の色微かに青し」ではないけれど、日本において、春の訪れは、まだ目には定かに見えていない浅春の淡い予感にこそあるのだろう。
 冷気の中に膨らむ木々の蕾であったり、残雪の中からそっと芽を出す野草であったりするけれど、フランスの春は、まさに5月、一斉に鮮やかに咲き乱れる薔薇や白百合の情景そのものである。

恋人たち
 『五月のパリが好き(J’aime Paris au mois de mai)』という曲は、アズナブールのこの曲を歌う時の佇まいと相まって、街行く女性に声をかけて歩く伊達者の曲のように思われている節があるが、実は、リラやスズランが運んでくる春の訪れ、花で溢れた美しいパリへの大らかな賛歌なのだと私は感じている。

   『J'aime Paris au mois de mai』 
 『J'aime Paris au mois de mai(五月のパリが好き)』は、シャルル・アズナヴール(Charles Aznavour)作詞、ピエール・ロッシュ( Pierre Roche)作曲、1956年にアズナブールによって歌われ大ヒットした曲である。

 日本でも「素敵なパリの街に スズランの花が揺れ リラが花咲けば」という山本雅臣氏の訳詞で良く知られていて、5月のシャンソンの代表曲といえよう。
 マロニエ
 5月の初旬から中旬にかけてのパリは、まさにマロニエの花真っ盛りだった。

 ふっくらとした白い花をつける、マロニエの並木の下に、はらはらと白い花びらが舞って、何とも言えない素敵な風情があったのを思い出す。

 その時の情景をデッサンするような心持ちで、日本語詞を作ってみた。

   J’aime この街の中 続く石畳
   どこまでも いつまでも 歩いていたいと 思う
   マロニエの木陰の道
   白い花びら 受けたら 生まれ変われる気がする
   J’aime 五月のパリは 良い  
                        (松峰 日本語詞)

  

 そして、3番の歌詞には、セーヌ川河畔の風景が描写されている。
ブックスタンド 春になると、一斉に河岸に古本の露店や水彩画家たちの姿が見られるようになる。春に誘われて、ブキニストと呼ばれる古本市が岸辺に立ち並ぶのも、この季節ならではのセーヌの風物詩でもある、
移動式露店で、いくつもの緑の大きな箱を固定し、そのふたを開くと古本屋に早変わりする仕組みになっていることを初めて知った。
16世紀の頃から変わらぬ情景が自然の風景と溶け合って、パリの春を作ってきたのだろう。そういう5月という季節のノスタルジーが描かれているのだと感じる。
セーヌ川の恋人 京都とパリは姉妹都市で、風景や街のあり方が似ているとよく言われるが、露天商こそないものの、ゆったりと流れる鴨川の河畔を散策する人たちや、腰を下ろして語らうカップルの姿など、セーヌ川岸辺の情景に重なって見える。
 河のある街は、河を抱えながら、河を中心に、息づいている。

   『五月のパリが好き』
 この旅行で出会った一人の男性がこの歌に登場してくる。
 これは原詩にはないので、勝手に私が書き加えた創作だ。
 訳詞は、本来、原詩通りに忠実に訳すべきであるが、原詩の心や風景がよりリアルに伝わるなら、あえて、イメージを自由に広げる場合があってもかまわないのではと、私は考えている。

 生き生きとしたパリの街の臨場感を伝えたかった。
一服
 早朝、街を散策していた時、お洒落な花屋の前に出くわした。
 中から色とりどりの薔薇の花束を抱えた店主らしき男性が出てきて、ウインドウに素敵にディスプレイを施し、そのあと石段に腰掛けて、大きく息を吐き、タバコに火をつけ、いかにも美味しそうに一本をふかした。
 その様子がとても爽やかで素敵で、思わず見とれてしまったのだが、どうしても留めたくて、遠巻きにシャッターを押してみた。
バラの飾りつけ
 彼は、ふっとこちらに気付いてにっこりと綺麗な笑顔で挨拶してくれた。

 その後、何気なくかわした幾つかの会話が楽しくて、頭の中で、彼を主人公にちょっと良い物語を作っていた。

 その彼が出てくる2番の歌詞は下記のようである。
                   
   J’aime Paris au mois de mai
   眩しい光の中 花屋の店先に 
   薔薇の香りが漂い 朝が目覚めて行く
   J’aime Paris au mois de mai
   腰下ろしタバコふかし カフェは賑やかに
   一日が また 始まる

   J’aime 人ごみの中 陽気な噂話
   このままで いつまでも 過ごしていたいと 思う
   街を行く 娘たちと
   微笑み交わす時 優しくなれる気がする
   J’aime 五月のパリは 良い

              (松峰 日本語詞)

  
コンコルド広場
 コロナ禍の今、パリはどんななのだろうか?
 あの男性は変わらずにいるのだろうか?

 自粛中の我が家に、いつも大好きな薔薇の花を飾りながら、懐かしく思い出している。

                                    Fin

(注 訳詞、解説について、無断転載転用を固く禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  
 シャルル・アズナブールの歌う原曲です。お楽しみください。



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『ウイスキーをヴィシーに』

訳詞への思い 自宅で自粛のGW
 ウイルスが収束して、自由に動けるようになったなら、出かけたいと思う所がたくさん出てきました。
 京都市街から比較的近い大山崎の、サントリー山崎蒸留所も、その一つ。

山崎蒸留所
 

サントリーウイスキーのCMソング、「ウイスキーはお好きでしょ」

   ウイスキーはお好きでしょ
   もう少し 話しましょ


 という歌い出しで、よく知られている曲ですが、石川さゆりさんが歌って大ヒットした後、様々な歌手によってカバーされています。

 シャンソンの中でもお酒を歌った曲は色々あるのですが、今日は、「訳詞への思い」、『ウイスキーをヴィシーに』を取り上げてみようかと思います。
 

     『ウイスキーをヴィシーに』

                           訳詞への思い<32>

   『Du whisky au vichy』
 作詞Claude Lemesle(クロード・ルメル)、作曲Alain Goraguer(アラン・ゴラゲール)、1977年にSerge Reggiani(セルジュ・レジアニ)によって歌われた曲である。
セルジュ・レジアーニ
 原題の『Du whisky au vichy』は「ウイスキーからヴィシー水へ」の意味だが、この曲は既に、『ウイスキーが水に』の邦題がつけられ、高野圭吾氏の訳詞で広く歌われている。

 ただ、『ウイスキーが水に』というこのタイトルには、ウイスキーが突然変異で水に変わってしまった、あるいは、いつの間にか氷が溶けて殆ど水になったというようなイメージが伴い、原題の本来の意味からすると、少し離れているという感じがしてしまう。

  De minuit à midi Du whisky au vichy
  (真夜中から正午まで ウイスキーからヴィシー水まで)

 曲中のサビとして何回も繰り返されているこのフレーズだが、「ウィスキーを呑んでいた夜の時間から、やがてヴィシー水に飲み代えた朝へと時間が移り」という意味なのだと思う。

  「ウイスキー」について。
 ウイスキーは、1494年、スコットランドで、“アクアヴィテ”が製造されたのが起源だという。
ウイスキー
 麦芽を原料にした蒸留酒を、ケルト語でウスケ・ボー「生命の水」と呼んだのが、ウイスキーの語源であるとのこと。
 友人曰く、「水割りでもロックでもなく、ゆっくりモルトを傾けるのが通」

 映画にでも出てきそうで、カッコ良いと思うけれど、私自身はアルコールが全くダメなので、その美味しさがわからないのが残念だ。

  「ヴィシー水」について。
 フランスで普通に愛飲されている「ヴィシーセレスタン」という天然微炭酸水を指している。
ヴィシー水
 ペリエとかエビアンのようなお洒落感のあるナチュラルミネラルウォーターで、オーヴェルニュ地方にあるヴィシーの街の産物である。

 「ウイスキー」や「ヴィシー水」は、詩中の印象的な小道具ではあるが、この曲の主眼は、グラスを透して見つめる「夜」そのものであり、やがて明けてくる「朝」の光の眩しさなのだと思う。

 欝々とした心を抱えて生きる自分にとって、夜はつかの間の安らぎの時。
 夜が自分を誘い込み、グラスを傾けさせ、酩酊感へと導く。
 「夜=nuit」は女性名詞なので、「彼女=elle」と言葉が置き変わりながら進んでいくのだが、いつの間にか、語り手にとって、elleはただの代名詞ではなく、特定な「或る女」の暗喩となってゆく。
 「彼女」を語る詩とも、とらえられるのではないだろうか。

   『ウイスキーをヴィシーに』
 まず、原詩の概要は次のようである。

  夜になると、うんざりとした日々の生活は消え去り、
  ネオンの明かりにすべては美しく輝いて見える

  夜は恋人のように私を誘い、酒を飲むことを勧める 
  僕が彼女を欺いても 夜という彼女は、決して僕を欺かない
  ずっと自分と寄り添って、一生 最後までいてくれる
  酒に酔いしれる自分を見ていてくれる
  夜は時には狂気であり 不思議な魔法であり 倦怠でもある

  身を守ることを全く知らないのに 
  いつでも処女性を取り戻す処女のようだ

  真夜中から正午まで ウイスキーからヴィシー水まで
  夜になるときまで 身を潜める

 「ヴィシー」は、ペットボトルの水をごくごくと飲み干す昼間の世界。
 仕事をこなし、社会人としての役割を営んでいく、その象徴なのだと思う。
 
 そして、彼は、その疲労感や充足感、時には倦怠感、挫折感などを、「ウイスキー」の酔いの中でつかの間、解放させようとしている。
 夜更けるまで呑んで、けれど朝は必ずやってくる。

 「ウイスキー」と「ヴィシー」は、そういう、人が生きる振り子のようなものかもしれない。

 我を忘れて酩酊することを、夜は穏やかに受け入れてくれる。
 いつもそっと傍にいて、優しく癒してくれるそんな女性が、「夜」のイメージに幻影のように重なってくる。

   C´est comme une vierge qui n´a
   Jamais vraiment su se garder
   Et qui retrouve toujours sa
   Virginité
 (身を守ることを全く知らないのに 
  いつでも処女性を取り戻す処女のようだ)


 この部分の訳詞は、解釈がなかなか難しいと思うのだが。

 高野氏は次のように訳されている。

  こうも言えるだろう 夜は娼婦と
  子供の目を持つ娼婦と あまりの純潔
  それゆえ どんなに汚れても 平気な娼婦と


 原語を咀嚼していく際のイメージには自由度があり、そこに、それぞれの独自な世界を創造してゆくのが訳詞なのだと改めて思う。

 このフレーズが含まれている3番の訳詞を、私は次のように訳してみた。

  夜は 狂気と 不思議な魔法の扉に 突然 いざなう 
  何も知らない少女のように 
  身をすくめたまま 立ち尽くす
  何でもわかっている倦怠の中で 
  夜は 新しく生まれ変わる
  眠りに就くまで 朝がやって来るまで
  ウイスキーをヴィシーに代えるまで

  夜が誘う ウイスキーが揺れる
  夜が薫る ウイスキーが揺れる   (松峰綾音 訳詞)


 いつか、グラス片手にこの曲をステージで歌えたらカッコ良いと思うのだが、なにしろ呑めないので、おそらく、ヴィシー水のボトルになるに違いない。


                            Fin

(注 訳詞、解説について、無断転載転用を固く禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  
 セルジュ・レジアーニの歌う原曲です。お楽しみください。



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『世界の片隅に』

 カット写真
    『世界の片隅に』
                 訳詞への思い<31>


 コロナウイルスの感染拡大は収まる気配もなく、更に世界的広がりを見せている。
 街には、足早に身を潜めるような気配が充満しているし、マスクやお米、紙類の買い占めや、コロナ感染者への誹謗中傷などのニュースまで流れている。
 <内にも外にも目に見えない敵の脅威を背負って日々暮らす戦時下のよう>と誰かが言ったけれど、この如何ともし難いものの前にすべなく竦む感覚に、東日本大震災の時のあの心持ちを思い出した。

 『世界の片隅に』は東日本大震災の直後、胸に去来する震災への思いから生まれた訳詞であることは、これまで折に触れ話してきたのだが、改めて『訳詞への思い』にまとめてみたいと思う。

   東日本大震災 一通のメール
 今、私のブログを読み返しているのだが、震災の直後、次々と届く情報を頻繁に更新していた。
 その中の2011日3月18日の記事、震災からちょうど一週間後の文章であるが、これを抜粋してご紹介したい。
 『世界の片隅に』を作る直接の契機となったYさんからの詳細なメールを取り上げた記事の一部分が下記のようである。

 <茨城土浦から ~ Yさんのメール ~ > 
       ・・・・・・・
 私は仕事場で皆でお茶休憩をしているところでした。
横揺れがいつもより少し長いな、と感じているうちに、地面の底から何かが出てくるのではないかと思うくらい不穏な音とともに揺れが強くなっていきました。
 驚くというよりも「身の危険」を感じて皆で外に出ると、電線は激しく波打ち、隣のアパートのガラスがガタガタ言い、前のお宅の奥さんも外に出て庭にしゃがみこんでいました。
 地上では明らかに不穏な空気が身体を覆っているのに、空は穏やかできれいな青空だったのを覚えています。
     ・・・・・・・ 
 橋を渡れば我が家です。
 橋は危ないと思いつつ、一刻も早く帰りたかったため、橋を上りました。
 途中ですれ違った若者の「橋はやっぱり揺れるな」と、余震をにおわすような言葉を聞かないふりをしながら自転車で猛スピードで橋を下っていくと、目の前に信じられない光景が広がっていました。
 晴れているはずなのに路面がずっと先まで濡れているのです。
 よくわからないまま、橋を渡り終えて家に近づいていくと更にひどい状況で、ブロック塀が崩れている家や、瓦が飛んでしまった家、窓ガラスの破片が道路に飛び散っている工場等々・・・。

 呆然としたまま我が家に辿り着くとアパートの前のアスファルトや電柱から泥水が噴出し、大量に流れ出ていました。路面が濡れていたのはそのせいでした。
  「液状化現象」、まさにそれが目の前に広がっていたのです。
     ・・・・・・
 
 Yさん。
 どれほど、恐ろしく不安な思いをなさったかが、文面から手に取るように伝わってきました。そしてきっと、今も不自由なことや、困難なことを沢山抱えていらっしゃるのでしょうね。ストレスも過労も沢山たまっていないか心配です。
 私は、子供の頃からのYさんをよく知っていますが、彼女はいつも感受性豊かに、そして、澄んだ眼差しで真直ぐにものを見ることのできる人です。
 賢明な彼女がどんな局面もくじけることなく勇気と優しさを持って乗り切ってゆかれるよう、それを心から祈りたいと思います。
  
 「停電の暗闇の中で、カーテンを開けてみると地上に明りはなくても夜空は結構明るくて、そんな、子どもの頃はわかっていたようなことも忘れていた自分に気づきました。」
  ・・・メールの最後に書いて下さったこのことばが胸に残ります。


 驚天動地の事態の前で、同じ時間を、たくさんの方たちが、色々な状況で色々な思いの中で過ごしていたことを改めて思います。一つ一つは小さな出来事かもしれませんが、でもそれぞれに共感でき、その中に誇らしく感じる大切なものが見える気がしています。

 本当に困難で、一人一人の真価が問われてゆくのはむしろこれからでしょう。
 事態は簡単に収束されそうにありませんし、我慢と苦痛を強いられるこれからの長い時間の中で、どのように私たちは冷静に礼節を保ち続けてゆけるのか、これは難題に違いありません。
 もう既に、風評被害などによって、社会はかなり混乱をきたし始めていますが、だからこそ私たちが立ち返るべき場所を忘れないでいたいと、今強く願います。

 
   映画『この世界の片隅に』
 この曲を歌うとき、『映画とどういう関係があるのか?』『映画のタイトルを真似たのか?』などとよく問われるのだが、このアニメ映画が上演されたのは2016年。私が訳詞をして歌い始めたのは2011年4月からなので、「私の方が元祖・本家です」と釈明することにしている。
 こうの史代氏原作の同名漫画をアニメ映画化した作品で、広島と呉を舞台に、「すず」という一人の女性を主人公として、過酷な戦時下をけなげに生きる彼女と、彼女を巡る様々な人間模様を描き出したヒット作である。
 この世界の片隅で、それぞれの思いを抱きながら、一人一人がかけがえのない命を精一杯生きようとしている、そういう人間同士、共感し合い励まし合うことがどんなに大切か、全編に貫かれている映画のテーマは、私の訳詞『世界の片隅に』への思いにも通じ合うものがあると強く感じる。
 (公式サイトからの予告映像はこちらです。)


   『世界の片隅に』
 さて、訳詞した『世界の片隅に』であるが。
 2002年にケレン・アン(Keren Ann) によって歌われた「au coin du monde=世界の片隅」が原曲。作曲はケレン・アン、作詞は彼女の当時の恋人で音楽プロデューサーのバンジャマン・ビオレイ( Benjamin Biolay)の手による。

   Tombent les nuits à la lueurs de bougies qui fondent
   et que la lumière soit.
   溶けてゆく蝋燭の光に夜が更ける そして光がありますように
   Passent les heures que s'écoulent à jamais les secondes
   et que la lumière soit.
   時が過ぎてゆく 永遠に秒を刻みながら 
   そして 光がありますように


 という冒頭から始まって、恋人たちが共に過ごす夜、温かい愛情を感じながら、お互いの上にささやかでも幸せが注がれますようにとそっと祈る、原曲はそんなロマンチックなラヴソングである。
ケレンアン CDジャケット
 軽快なリズムと旋律に乗せて、ケレン・アンの囁くようなハスキーボイスが飛び切りお洒落なニュー・フレンチポップスの世界を作り上げている。

 美しいメロディーで、2002年の発表時からこの曲に惹かれてはいたのだが、先に述べた大震災の時にこの曲が突然強烈に私の中で思い起こされ、この曲をラヴソングとしてではなく、私自身の思い、祈りを乗せて歌いたいと強く思ったのが訳詞のきっかけである。
ろうそくの火 「蝋燭の光しかない停電の闇の中で、夜空が明るかった」というYさんの文章と、原詩の「溶けてゆく蝋燭の光・・・」が一つに重なったためかもしれない。
 そして、私の『世界の片隅に』は、原詩に忠実な訳詞ではなく、私自身の心象風景を広げていった殆ど作詞に近いものとなった。

 日々、生きてゆく時間の中には 様々な出会い別れ、出来事が通り過ぎてゆく。抗い難いものへの怖れや憤り、悲しさや、嬉しさ。
 今、折に触れてこの曲を歌う中で、思いは更に深く広がっている。

 最後に私の訳詞『世界の片隅に』の全文をご紹介しようと思う。

   世界の片隅に
                 松峰綾音 訳詞
           
   溶けてゆく ロウソクの 名残り火の中に  
   夜が落ちてゆく
   脈打ってる胸の鼓動を 聞いている  
   時が過ぎてゆく
   遠く 近づいてくる  夜が明ける この香り
   一筋の光が ありますように

   立ち尽くすしかできないことって
   突然 起こってくる
   戸惑ってるだけの自分を 眺めてる
   涙がつたう

   遠く 雪解けが見える 世界の この片隅に
   一筋の光がありますように

   この世界に  小さな私と あなたが ここにいる
   それだけで 良い
   つなぎ合う ぬくもりを 今 静かに感じている
   噛みしめてみる

   遠く オーロラが見える 世界の この片隅に
   一筋の幸せが灯りますように
   あなたの上に

                        Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を固く禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  ケレン・アンの歌う原曲です。お楽しみください。




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『さくらんぼの実る頃』

カット写真
 まだ季節が早いですが、今日はシャンソンの往年の名曲『さくらんぼの実る頃』を取り上げてみたいと思います。

   『さくらんぼの実る頃』

                         訳詞への思い<30>

   "Le Temps des Cerises"
 原題は「さくらんぼの頃」の意味。
 日本でも『さくらんぼの実る頃』のタイトルでよく知られた往年のシャンソンの名曲である。
 ジャン=バティスト・クレマン(Jean-Baptiste Clément)作詞(1866年)、アントワーヌ・ルナール(Antoine Renard)作曲(1868年)による。
 現在まで歌い継がれているシャンソンの中で最も古い曲だといわれている。

 さくらんぼにことよせて、若き日の恋の思い出を、甘酸っぱく歌い上げている素朴でノスタルジックな内容だが、この曲について語るときはいつも、パリ・コミューンとの関連がクローズアップされてくる。
 まずは、それも含めた曲の背景を簡単にまとめてみたい。
 
 <パリ・コミューン>
 普仏戦争(1870年〜1871年)で敗れたフランスは、ナポレオン3世の第二帝政が終焉し第三共和政に移行する。
 しかし、プロイセンとの和平交渉に反対し自治政府を宣言した労働者政権のパリ・コミューン(la Commune de Paris 1871)は、1871年3月18日から同年5月28日までの短期間パリを支配した。
追悼碑
 これを鎮圧しようとするヴェルサイユ政府軍との激しい市街戦の後、パリを包囲した政府軍によってコミューン連盟兵と一般市民の大量虐殺が行なわれた。
 「血の一週間(la semeine sanglante)」と呼ばれるこの戦闘により、3万人にのぼる戦死者を出してパリコミューンは瓦解し、5月27日ペール・ラシェーズ墓地での抵抗と殺戮を最後にこの戦いは幕を閉じた。


 この戦いが勃発し、そして無残な結末を迎えた時期が、まさに<さくらんぼの季節>でもあり、この事件後に成立した第三共和政に批判的なパリ市民たちによって、1875年前後から、連盟兵たちへのレクイエムであるかのように、この歌が繰り返し歌われたことから「パリ・コミューンの音楽」として有名になったのだと伝えられている。
ラパン・アジル
蛇足であるが、パリ・コミューンゆかりの地、モンマルトルの丘に今も残る老舗のシャンソニエ「ラパン・アジル」を数年前に訪れた時、偶然だがこの「Le Temps des Cerises」が歌われて、これに唱和する観客に交じって私も声を合わせたことを懐かしく思い出す。
ラパン・アジル2


長い時間の中を生き続けてきた曲であることが再認識される。



    <ルイーズとの出会い>
 さて、作詞者のクレマンは自身も連盟兵として戦ったのだが、その折、野戦病院で負傷兵の手当てをしている一人の女性革命家と出会うことになる。
 彼女ルイーズ・ミシェル(Louise Michel)の甲斐甲斐しく働く姿に大きな感銘を受けて、すでに流布していたこの「Le Temps des Cerises(さくらんぼの頃)」に、改めて「1871年5月28日日曜日、フォンテーヌ・オ・ロワ通りの看護婦、勇敢なる市民ルイーズに」という献辞を付則したのだという。

 そして同時に、これまで3番までだった歌詞に、新たに4番の歌詞を加えて発表した。
 4番には「あの時から、この心には、開いたままの傷がある」のフレーズがあり、この曲が、パリ・コミューンへの追悼として作られたものだと解釈する所以ともなっているのだが、3番までの歌詞がパリ・コミューンの時期の数年前に既に出来上がっていたことを思えば、少しうがち過ぎで、あくまでも失った若き日の恋を思い懐かしむ曲と取るほうが自然であると思われる。

 「血の一週間」をめぐる惨劇を目の当たりにし、この渦中に生きた作詞家クレマンの献辞は、コミューン兵士たちへの挽歌であると同時に、甘く短いさくらんぼの時間・・・・真っ赤に熟し燃え上がるつかの間の恋の情熱と、夢破れた恋の挫折、・・・そしてルイーズという優しく果敢に戦い挑む女性との一瞬の邂逅、そういう全てに手向ける言葉だったと言えるかもしれない。


   「さくらんぼの実る頃」
   <美しい情感>
 フランスではイヴ・モンタン、コラ・ヴォケールを初め何十人という歌手がこぞって歌い継いでいるが、日本でも、シャンソンの代表的名曲として、多くの歌手のレパートリーとなっている。

 訳詞も様々にあるが、よく耳にするのは工藤勉氏の訳詞かと思われる。

  さくらんぼ実る頃は うぐいすが楽しそうに 野に歌うよ
  乙女たちの心乱れて 恋に身を焦がすよ
  さくらんぼ実る頃は 愛の喜びを 皆 歌うよ


 という1番の歌詞から始まり、「愛する人に抱かれて胸震わせても さくらんぼが実り終わると鶯は去り 赤いしずくが胸を染める」という2番へと続く。
 そして最終章の3番で「さくらんぼの実る頃は 年老いた今も 懐かしい。
 あの日のことを心に秘めて、いつもしのんで歌う」と締めくくられている。

 日本語の持つ情感と余韻が美しく、品格のある詩の世界が出現している。

 この工藤氏の訳詞だけではなく、他の訳詞のほとんども<若き日の恋を懐かしく蘇らせながら、過ぎ行く時への感慨をかみしめる>というしみじみとした老境を歌い上げる格調高い曲というイメージが強い。
 旋律の美しさと合わさって、歌い手の側にも年輪を重ねた深みが要求されるのかもしれない。

 1992年には、加藤登紀子氏が、スタジオジブリのアニメ映画『紅の豚』の中でフランス語でしみじみと歌われていて、この曲の知名度を上げた。

   <「血が滴る」と「傷口が開く」について>
 先にパリ・コミューンとの関連について述べたが、このような、いわば隠喩を用いた反戦歌と思われた理由の一つに、ちりばめられている「言葉」そのものがあるのではと私は感じている。

 さくらんぼが実っている描写を記した2番の詩句
  Des pendants d'oreilles
  Cerises d'amour aux robes pareilles
  Tombant sous la feuille en gouttes de sang

  耳飾り
  お揃いのドレスを着た愛のさくらんぼ
  血のしずくが葉陰に滴り落ちている
                (対訳)
 
そして現在まで続く心の痛手を歌った4番の詩句
  J'aimerai toujours le temps des cerises
  C'est de ce temps-là que je garde au coeur
  Une plaie ouverte

  私はずっとさくらんぼの季節を愛し続けるだろう
  開いた傷口を 心の奥に持った季節なのだから
                 (対訳)

さくらんぼ
 二つの実がぶら下がって揺れる<真っ赤な耳飾り>のようなさくらんぼを、二人で夢中で摘みに行く情景は、その赤さゆえにどこかなまめかしくも思われるし、また、さくらんぼが<血のしずくのように滴り落ちている>という表現も、ただ微笑ましいだけではない熱情の激しさのようなものも感じてしまう。

 まして、最終章4番の、嘗ての失恋の痛みを、未だ<ぽっかりと開いた傷口>として感じ続けていること、そういう、まさに触れたら血が噴き出すような恋だったからこそ、今もかけがえない懐かしさと共に、くっきりと刻み付けられているのではないだろうか。

 「さくらんぼの実る頃」のそんな生々しさを伝えたいと思った。
 意訳も入っているが、私の訳詞の締めくくり4番は下記のようになった。

  さくらんぼの実る頃
  癒えることない傷口が 心に開く
  痛みも後悔も幸せも そのまま愛したい
  さくらんぼの実る頃 
  思い出が 胸を打つ

                       Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

  では、コラ・ヴォケールの歌う原曲をお楽しみください。



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『優しきフランス』

訳詞への思いタイトル
 アンスティチュ・フランセ関西(旧日仏学館 在京都)でフランス語を学び始めてから、もう随分歳月が経ちました。
 現在受講しているのは週一回のクラスですが、取り上げるテーマが多岐に渡っていて、今は、新聞や雑誌などの記事を用いながら、時事問題を中心に幅広く生のフランス事情を紐解いてゆく大変興味深い授業を受けています。
日仏学館1
 通学で使ういつものバスの運転手さん、降車客に必ず、「このあともお気をつけて、素敵な火曜日をお過ごしください。」と声を掛けて下さるのです。
 気負いもなく、さりとて機械的でもなく、ソフトで自然な口調で爽やか。
 この言葉を聞くのがいつの間にか火曜日の愉しみになっています。
日仏学館2
 さて先週の授業では、「今回は、往年のシャンソンを取り上げてみましょう」ということでシャルル・トレネ(Charles Trenet)の『優しきフランス(Douce France)』という曲を教材に選んで下さいました。
 作品の背景や解釈等学んでいくうちに、トレネのこの曲に改めて感ずるところがあり、試みに訳詞を作ってみました。

 前置きが長くなりましたが、今日は「訳詞への思い」、この『優しきフランス』をご紹介したいと思います。

    『優しきフランス』
                      訳詞への思い<29>     

   Douce France
 Douceは「甘い・心地よい・穏やかな・柔らかい・優しい」などの意味。
 トレネジャケット
 1943年、シャルル・トレネ(Charles Trenet)作詞、レオ・ショーリアック(Léo Chauriac)作曲。
 第二次大戦後の動乱期にトレネ自身が歌って、フランスで大ヒットした曲である。この曲のヒットはこの時代の歴史的背景・世情に密接に結びついていると思われる。


   <この曲にまつわるトレネのプロフィール>
  1940年6月13日、ヒットラーの率いるナチス・ドイツがパリに入城。
  ニースに居たトレネは除隊し、パリに戻ることを決意。
  1941年アヴニュー劇場のステージに立つ。
  第二次世界大戦下の1943年にこの曲の制作。 同年、同劇場にて発表。
  戦後1947年録音され、爆発的ヒットとなる。


 手負いの祖国に向けた愛・誇りが、真っ直ぐに伝わってくるこの曲は、今も不朽の名曲としてフランス人に愛され、深く浸透している。
 曲構成は、クープレ(Couplets)とルフラン(Refrains)でしっかりと組み立てられていて、典型的シャンソンの形態を持っているといえよう。
 「クープレ」というのは、いわばセリフ部分のこと。物語の展開を時系列で語るように歌い進めてゆく。
 一方、「ルフラン」は、旋律を重んじ、情感豊かなサビをメロディックに歌い上げる部分で、印象付けるべく何度も反復されるのが常である。

 『Douce France』の冒頭は、幼少期の愉しかった思い出を物語るクープレから始まる。

   Il revient à ma mémoire  Des souvenirs familiers
   Je revois ma blouse noire   Lorsque j´étais écolier
   Sur le chemin de l´école    Je chantais à pleine voix
   Des romances sans paroles  Vieilles chansons d´autrefois

   慣れ親しんだ思い出の数々が記憶によみがえる
   黒い上着が目に浮かぶ
   小学生だった時 学校の道すがら
   歌詞のない恋歌 昔ながらの古いシャンソンを
   声を出して歌った 


 クープレはセリフを語るように言葉を音に入れ込むことが出来るので、比較的対訳に近い内容・言葉数で綴ることが可能なわけだが、試みに私が作った訳詞は下記のようである。

   小さな手 つないで 黒い上っ張り 着て
   学校への道 朝陽が眩しくて 
   ありったけの声で  ありったけの歌を
   意味も分からず   口ずさむ 恋のメロディー 
                          (訳詞 松峰)


 「黒い上っ張り」・・・園児が着るお揃いのスモック、フランスでは今も存在しているだろうか。
 日本でも時々黄色などのお揃いの上っ張りを着て、若い先生に引率されながら公園で園児たちが遊んでいるのを目にすることがある。制服の自由化は幼稚園にも波及するだろうから、こういう光景も段々減ってくるのかもしれないが。
 余談だが、カトリックの女子校で過ごした私の中・高時代には校内で着用するまさに黒い上っ張りがあって「タブリエ」と呼んでいた。 「タブリエ」はフランス語で割烹着のことだ。

 そして、ルフランへと続く。
   Douce France  Cher pays de mon enfance
   Bercée de tendre insouciance  Je t´ai gardée dans mon cœur!
   Mon village au clocher aux maisons sages
   Où les enfants de mon âge  Ont partagé mon bonheur
   Oui je t´aime  Et je te donne ce poème
   Oui je t´aime  Dans la joie ou la douleur
   車窓からのフランス

   心地よいフランスよ
  幼年時代の優しい安穏にはぐくまれた国
  私は君を心にとどめ続けることにした
  鐘楼とつつましい家々のある僕の村
  そこで私と同じ年頃の子供たちが 幸せを分かち合った
  そう 私は君を愛す  そしてこの詩を君に捧げる
  そう 私は君を愛す  楽しいときも苦しいときも
                        (注 君=フランス)
  

 音韻に留意しながら作ったこの部分の私の訳詞は下記である。
   Douce France   幼い日 mon enfance
   優しさに包まれ   時は流れてた  
   Mon village    鐘の音 響き渡り
   小さな灯りともる  穏やかな夕暮れ
   Oui je t´aime  いつだって心に   
   Oui je t´aime   輝き続ける  (訳詞 松峰)

   フランス農村風景
 クープレとルフランが組み合わさった風格のあるメロディーの中でトレネが伝えたものは、まさに祖国への愛。
 戦時下劣勢にあった自国の中で、敢えて「フランス万歳」「大好きな我が国」と明るく揺るぎなく歌い上げて、絶望感に苛まれていた戦火の民衆に、そしてレジスタンス運動の闘士たちに熱狂的な力と光を与えた一曲となったのだろう。

   『ふるさと』への思い
   兎 追いし かの山 小鮒 釣りし かの川
   夢は 今も巡りて 忘れがたき ふるさと


 幼少期の美しい思い出に彩られた「ふるさと」への憧憬はフランスに限るわけではなく、民族を越えた共通した感情なのだと思う。
 けれど、我が国の唱歌『ふるさと』の締めくくりは、

   こころざしを果たして いつの日にか帰らん 
   山は青きふるさと 水は清きふるさと 


 であり、包み込んでくれる慈愛に満ちた自然への愛、畏敬にどこまでも優しく帰結してゆく。

 奇しくも『douce France』の発表と同時期の1945年~1946年に、日本で歌われた戦後歌謡、空前のヒット曲となった『リンゴの唄』には、<日本が一番>というようなダイレクトな言葉はなく、可憐なリンゴの実を慈しみ、仄かな恋心のイメージを重ねるロマンチックな歌詞に、日本の再興を託していて、美しく穏やかな世界を志向するしなやかな情感を感じる。

 『douce France』がこれほどのヒット曲であったのに、日本においてさほど注目を集めなかったのは、この曲が、シャンソンの国フランスの、一歩も退かない矜持のような独特なパワーを醸し出していたためだったのかもしれない。

 最近のシャンソンの中から<ふるさと>の取り上げ方に注目したい曲が何曲かある。次の機会にこれに続けて紹介してみたいと思っている。
                             
                                  Fin


    (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
    取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

    では、シャルル・トレネジュリエット・グレコの歌うそれぞれの原曲をお楽しみください。



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『風のうわさ』

訳詞への思いタイトル
 前回の記事からすっかりご無沙汰してしまいました。
 成就院コンサートが一段落してちょっと一休みのつもりが、気づけば夢のようにひと月余りが経っています。

 実は、コンサート後、訃報が続いて、ひどく気落ちする7月でもありました。
 親しい友人、先輩、大好きだった叔父と叔母、相次いで・・・・・人の世の無常を思わずにはいられません。
 今、こうしていられることの幸せが、胸に沁みます。

暑中見舞い

 遅い梅雨明け宣言と共に、猛暑の日々。

 友人からこんな素敵な暑中お見舞いを頂きましたので、ご紹介させていただきます。

 私はといえば、38℃超えの京都を離れ、今、両親の療養のため共に軽井沢で過ごしています。
 昼間はさすがに30℃になりますが、夕暮れ時になると涼しい風が吹いてきて、それが何よりのここでのご馳走。
 夏に順応できず、熱中症寸前だった母もようやく体調を回復しつつあります。

 ここにいると梢を抜ける風の音が心を和ませてくれます。
 遠くから風が近づいてくる微かな音が聞こえてきます。

 落葉松林の風景を見ながら、久しぶりに「訳詞への思い」、『風のうわさ』を取り上げてみたいと思います。

      『風のうわさ』 
                            訳詞への思い<28>

   カーラ・ブルーニ
 2002年にリリースされたカーラ・ブルーニCarla Bruni のファーストアルバム『Quelqu'un m'a dit』。
カーラ・ブルーニ
 彼女の自作曲を集めたこのアルバム中に、同名のタイトルで『Quelqu'un m'a dit(ケルカン・ マ・ディ)』という曲が収録されている。
 <誰かが私に言った>という意味だが、『風のうわさ』という邦名で既に紹介されているので、私の訳詞のタイトルもこれに従った。

 サルコジ前フランス大統領夫人として注目された「カーラ・ブルーニ」は、1967年、イタリア・トリノ生まれ。フランスでスーパー・モデルとして人気を博したが、2002年歌手に転身。
 <美貌と知性、そして素晴らしい音楽的才能。そのすべてを神様から与えられた類まれなる逸材、カーラ・ブルーニ>
 このうたい文句と共に、ファーストアルバムは、世界中で100万枚を超えるヒットになった。

    Quelqu’un m’a dit 
  
  <冒頭部分 対訳>
  On me dit que nos vies ne valent pas grand chose
  人は私に言う。私たちの生きていることに大きな価値などないって
  Elles passent en un instant comme fanent les roses.
  人生は薔薇が枯れてゆくように、一瞬で過ぎてゆく
  On me dit que le temps qui glisse est un salaud
  人は私に言う。過ぎてゆく年月は卑怯者だ。
  Que de nos chagrins il s’en fait des manteaux
  私たちの悲しみを重ねていくことだから。
  Pourtant quelqu’un m’a dit…
  けれども、誰かが私に言う。  
    
  Que tu m'aimais encore
  あなたが私をまだ愛していると
  C'est quelqu'un qui m'a dit que tu m'aimais encore.  
  あなたが私を愛していると言ったのは誰かだ
  Serait-ce possible alors ?
  それはあり得ることかしら?

  
   <「風のうわさ」 松峰 訳詞>
  生きることに大した意味なんてないって 人はいつも言う
  悲しみだけ抱えたまま 色褪せていく薔薇のように
  でも 誰か言う
  
  そう あなたが 私のこと 愛しているって
  ねえ まだ今も 
  本当かしら?
  誰がささやくの?

 歌の中の女性は、失くした恋をどのように偲んでいるのだろうか。
 カーラ・ブルーニは、夢みるように、美しい幻影を見るように、淡々としたウィスパーボイスで歌っていて、さらりと、風のささやきに紛れるような密やかな繊細さが感じられる。
 力一杯悲恋を歌い上げる日本の演歌の対極にあるような世界・・・。
 風の音のような曲、戸惑うような未成熟な喪失感を、訳詞にそのまま映し取りたかった。

 そして、彼女は、ある夜更けに、誰かが囁く声をはっきりと聴く。

  彼は貴女のこと 今でも愛しているわ
  でも これは秘密 誰にも言ってはだめよ

 この曲『風のうわさ』を最初に歌ったのは2008年の内幸町ホール、訳詞コンサートvol.2「もう一つのたびだち」のことだった。
 懐かしくなって、古い写真を取り出して改めて観てみた。
 10年前の自分、あの頃から大いに変わったような、そうでもないような・・・・

   『風に寄せて』
 立原道造の詩『夏花の歌』の朗読を6月の成就院コンサートで取り上げたのだが、同じノスタルジックな世界を漂わせている立原の詩『風に寄せて』を思い出した。
 カーラ・ブルーニの歌をBGMに、この詩を朗読したなら、きっと情景が共に重なってくる気がする。

    『風に寄せて』抄 立原道造

  風はどこにゐる 風はとほくにゐる それはゐない
  おまへは風のなかに 私よ おまへはそれをきいてゐる
  うなだれる やさしい心 ひとつの蕾
  私よ いつかおまへは泪をながした 頬にそのあとがすぢひいた

  風は吹いて それはささやく それはうたふ 人は聞く
  さびしい心は耳をすます 歌は 歌の調べはかなしい 愉しいのは
  たのしいのは 過ぎて行つた 風はまたうたふだらう
  葉つぱに わたしに 花びらに いつか帰つて



 カーラ・ブルーニのファーストアルバムのジャケットも今となってはとても懐かしく感じる。初々しい若さに溢れていて素敵だ。
 原曲はここからお聴きください。
真似


昨夏、真似して、おどけて、こんな写真を撮ってみました。

如何でしょうか.。
                                   Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)
 





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『神様はハバナタバコを吸う』

カット久々の「訳詞への思い」、今回はゲンズブールの曲『神様はハバナタバコを吸う』をご紹介します。


       『神様はハバナタバコを吸う』
             
                                  訳詞への思い <27>


    ハバナタバコとジタン
 原題は「Dieu fumeur de havanes」
 「神様はハバナタバコの喫煙者」という原義であるが、「神様はハバナタバコがお好き」というタイトルで既に日本に紹介されている。

 カトリーヌ・ドヌーヴ主演、セルジュ・ゲンズブールが音楽担当及び出演した映画『Je vous aime』(1980年)の中で、二人が歌ってヒットした曲である。

 ゲンズブールと言えば、周知の通り超ヘビースモーカーであったが、タバコをふかしながらのステージは、大いに顰蹙(ひんしゅく)をかいながらも、彼なら仕方がないという感じで、どこかで認容されていた節もあって、カリスマ的なゲンズブール神話を飾っている。

 この曲は、映画のイメージを伝えていることは勿論だが、また同時に、女性遍歴を重ねてきた彼の実像とも大いに重なるものがあると言えるだろう。

   神様はハバナタバコを吸っていて、それは僕と同じさ。
   僕のくゆらせるタバコも天国と同じ香りがするんだ

   いいえ、あなたはハバナタバコを吸ってなんかいない
   あなたの吸っているのはジターヌだわ


 というような言葉を、恋人同士、戯れながら繰り返し囁き合っている・・・・他愛なく、そしてエロティックでもある歌詞で、<だから何なの?>と言いたくなるが、彼特有の少しアンニュイで洒脱な言葉遊びが終始繰り返されてゆく。
CDジャケット
 デュエットの相手はフランスの永遠のマドンナと言っても過言ではない、カトリーヌ・ドヌープ。
 この曲を発表した頃は、若さが弾けるように眩しく、上品で瑞々しい魅力に満ち溢れていて、その彼女が恥じらうようにひそやかに歌っていたので、戯言のような歌詞も何もかもがすべて帳消しになったのだろう。

 ゲンズブールもおそらくその辺の計算をしっかりとした上で、このヒットソングを作り上げたのではと推測する。
 
 さて、では、この歌詞に頻出する「ハバナタバコ」と「ジターヌ」なのだが、少しだけ説明をしてみることとしよう。
チャーチル
 「ハバナタバコ」はステイタスの高いキューバの葉巻。
 名を成した成功者、紳士がゆったりとくゆらすイメージだ。
 そういえば、チャーチルもケネディーも、明治天皇も吉田茂も、ハバナタバコの愛好者だったのではないか。

 私の友人に愛煙家がいて、シガーバーが如何に健全でステイタスが高い寛ぎの場であるのか、葉巻は吸い方に美しい作法があり、真に紳士の証しなのだというような話を詳しくしてくれたことがあったのを思い出した。
 
 熱く語る言葉から、ロマンチックで上質な葉巻文化を垣間見る気がしたけれど、でも私は、ここで、禁煙推進の世の中に掉さすつもりは毛頭ないし、タバコの健康影響についても充分理解している。
 そもそも喫煙の真似事すら一度もしたことはない。

  神様はハバナタバコが大好きで、いつも天国で悠然とハバナタバコをくゆらせている。僕と同じだね

 女性は
  「それは嘘で、あなたがいつも吸っているのはジターヌじゃないの」
と言う。
ジタン1 
 ジターヌとは 。
 フランスの紙巻タバコ「ジタン」のこと。
 正しくは「ジターヌ」と発音するので、私の訳詞の中ではジターヌと表記した。

 ジターヌの原義は「スペインのジプシー女」の意味で、青いパッケージには扇を持ったジプシーの踊り子のシルエットが描かれている。

 解説によると、

 基本的にはタバコの葉を乾燥させ、更に堆積発酵させた黒い葉のタバコでクセが強く何種類かある。

 高級タバコではなく庶民派のタバコ、肉体労働に従事する人たちに特に刺激的な香りが好まれ、愛好者が多いのだと聞いたことがある。(ちなみにアニメのルパン三世の吸っているタバコもジターヌだった)

 主人公の男性が「僕のハバナタバコだよ」とうそぶきながら、ニコチン中毒者のように、安タバコのジタ―ヌを間断なく吸い続けているという情景だ。

 
   Dieu fumeur de havanes  『神様はハバナタバコを吸う』
 
さて、私の訳詞の書き出しは次のようである。

   1 神様はいつもハバナ くゆらせている
     灰色の雲を作る
     僕も同じさ

       いつも貴方はそう言う
       でも本当は違う
       あなたのジターヌ 青い煙 目にしみるもの
  
   2 神様はいつもハバナ くゆらせている
     天国の香りがする
     僕は知ってる
  
       あなたはいつもジターヌ
       女たちの中で
       でも幸せじゃないのね 私は知ってる

 魅入られたようにジターヌを吸い続ける貴方は、パッケージの中の青いドレスのジプシー女に心を奪われているかのようだ。
 ジターヌをふかすように女性遍歴を重ねる貴方だけど、私には幸せそうには見えない。

 貴方がどんなでも、私だけは貴方の傍にずっといてあげる
 貴方のタバコの煙をいつまでも見ていてあげる

 タバコの煙のように捉えどころがなくて、すっとどこかに消えて行ってしまいそうな「貴方」の心を、あるがままに受け入れる「私」の言葉に、母性のようなものを感じる。切ない恋の歌だと思えてくる。

   神様から一番遠く 君を守るよ

 僕は神様から一番遠くにいるけれど、でも「君を守るよ」
 
 これも僕の精一杯の愛の言葉。
 軽口を並べたジョークで本心を見せない恋愛ゲームのような歌でありながら、孤独と、渇望と、情愛が垣間見える気がして、一筋縄ではいかないゲンズブールならではの、ひねりの効いたラブソングであると感じた。

 いつか誰かとデュエットしながら歌ってみたいと思っている。
                                    Fin
 
 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

   では、原曲Dieu fumeur de havanesをお楽しみください。



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『優しき調べ』

カット写真 いつの間にか秋も深まってきました。
 11月は大好きな季節。
 秋の名残りの光、冬の乾いた冷気を感じ始める、こういう季節の変わり目には独特のセンチメンタルな空気が漂っている気がします。
 11月を歌ったシャンソンは沢山ありますので、いつか特集してみても面白いですね。
 風邪気味でぼんやりとしながら、以前のコンサートCDなど久しぶりに聴いていたのですが、随分前に歌った『優しき調べ』という曲が何故か心にしみじみと沁み入ってきました。
 今日は久しぶりに「訳詞への思い」、この曲を取り上げてみようかと思います。


       『優しき調べ』
                   訳詞への思い <26>

   「chanson tendre」
   Comme aux beaux jours de nos vingt ans
   Par ce clair matin de printemps
   J'ai voulu revoir tout là-bas
   L'auberge au milieu des lilas
   On entendait sous les branches
   Les oiseaux chanter dimanche
   Et ta chaste robe blanche
   Paraissait guider mes pas

   私達の二十歳の美しい日々のような 明るく澄んだこの春の朝に
   あそこにこそ私は再び訪れたかった リラの中にあるあのオーベルジュを
   枝の下で聞こえていた 日曜日に鳥たちが歌うのが
   そして 君の純白のドレス 私の歩みを導くように思えていた
                             (松峰 対訳)
 
 始まりの原詩は上記の通りである。
 「chanson tendre(シャンソン タンドル)」というこの曲は殊の外言葉数が多くて、上記冒頭だけでも、短い旋律に、とてつもなく早口のフランス語が詰め込まれている。
 日本語の音節の特徴上、原詩の内容すべてを忠実に日本語詩で表現することは非常に難しく、この曲の訳詞は、いつも以上にイメージを広げ、内容を凝縮し言葉を選ぶことが要求された気がする。

 ちなみにこの部分の私の訳詞は以下のようになった。
 日本語で歌うために、かなり短くしていることがわかって頂けるのではと思う。

     君と過ごした 二十歳の思い出
     リラ咲き乱れて 小鳥は戯れ
     僕を誘(いざな)う 白いドレスの君
     もう一度 訪れたい あのオーベルジュ
 

 1935年、もう80年以上も前の、私が訳詞した中でおそらく最も古い曲だ。
フレール写真
 フレールが歌ったヒット曲だが、後にコラ・ボケールやバターシュなど様々な女性歌手が独自の味わいを出して歌っている。

 この曲の日本語詞はこれまで他に作られているのだろうか。
 時代の錆は全く感じられず、むしろ新鮮で、端正なピアノの伴奏に乗せて奏でられる、一編のフランス歌曲を聴くような優美で詩的な空気が漂う名曲だと私には思われる。
 
 「chanson tendre」という原題は「優しいシャンソン 」という意味だが,内容はかなりシリアスで、「優しい」とは言い難い。

 恋に破れた「僕」が、彼女への想いを断ち切りがたく、嘗ての二人の恋が育まれた思い出の場所であるオーベルジュを訪ねる。
 昔の儘の佇まいが残されている部屋、寝室、すべての調度、・・・でも,彼女の姿はなく、もはや取り戻す術はなく、終わってしまった恋を思い知らされる事となる。

 原詩中の<c’est fini>(終わりだ )<on s’en fout>(もうどうでも良いことだ)という、投げるように歌われる言葉が「優しいシャンソン」の正体ということだろう。

 詩中に、・・・・「僕」は「鏡の中」にせめて君の名を見つけたいのに、それさえもかき消されてしまっている・・・という表現があるのだが、この部分が私にはとても印象的で心に残り、実はこの「鏡」を訳詞の中の大きなポイントとしてみた。

   『我が青春のマリアンヌ』 
 この「鏡」とも遠いところで繋がってゆくかもしれないのだが。
我が青春のマリアンヌ映画写真
 この曲を考えるとき、私にはいつも思い出される映画がある。
 『わが青春のマリアンヌ』という古いフランス映画である。

 かなり前に、テレビで再放映されていたのを何気なく観ただけなのだが、鮮烈な衝撃を受け、映像のかなり詳細な部分までもよく覚えている。
 後で調べて、1955年にジュリアン・デュヴィヴィエ監督によって製作されたものとわかった。今から60年以上も前の映画ということになるが、今思い出しても古びたものという印象はない。

 内容をざっと辿ってみたいと思う。
 母の愛を得られないという悩みを抱えながら寄宿舎に暮らす孤独な少年ヴァンサンが、ある時(夏季休暇だったような気がするが、この点の記憶は定かではない)、故郷に戻り、近くの湖のほとりにある「幽霊屋敷」と呼ばれている古城に迷い込む。そこでマリアンヌという名の美しい女性に会い心惹かれる。
 
 彼女との出会いの場面が実に幻想的で素敵な映像だった。

 迷い込んだ部屋の壁に、蜀台を持った美しい女性の肖像画がかかっていた。彼がそれにうっとりと見とれていると、,突然後ろに何かの気配を感じる。振り向いてみるとその肖像画が鏡台に映っているのが目に入り、次の瞬間に鏡の中から肖像画が消えて、その肖像画の女性マリアンヌが蜀台を持って立っているのだ。
 鏡台と思ったのは実は、鏡の入っていないただの枠で、その後ろを女性が通ったという種明かしなのだが。

 この後、話は様々に展開し、やがて彼女がこの古城の囚われの身であることを知り、救出すべく彼は再び城を訪れるのだが、その時彼女の姿もその痕跡すらも全くなく、ただ、セピア色をした彼女の肖像画だけが一枚残されていたというストーリーである。
 陶酔感というか、耽美的な匂いの残る映画だった気がする。
 
 勿論、この曲「chanson tendre」と映画とは何の接点もないわけなのだが、共に相通じ合う甘美な余韻を感じてしまう。   
 この映画のように、芳醇な香りを持った美しい残像が刻まれる訳詞になっていれば良いのだけれど。
 

 再び「chanson tendre」の原詩の後半を取り上げてみる。

   Mais rien n'était à sa place
   Je suis resté, tête basse,
   À me faire dans la glace
   Face à face La grimace
   Enfin, j'ai poussé la porte
   Que m'importe
   N i ni  C'est fini !

   けれど そこには何もなかった
   私はうなだれたまま留まった
   鏡の中で 顔を向け合い 苦渋に満ちた顔を 私はさせられていた
   ついに 私はドアを押した
   仕方がない 終わりだ!
                             ( 松峰 対訳 )

 この部分は以下のように訳詞してみた。
 「鏡」が印象的な詩になっているだろうか。

    けれど 誰もいない部屋 立ち尽くす僕
    鏡の中に 僕の歪んだ顔が映る
    扉を閉める 君は本当に居ない
     C'est fini


   余談
 auberge(オーベルジュ)はレストランを伴う宿舎・ホテルのこと。日本で言えば料亭旅館みたいなもので、本格的な食事をゆっくりと、帰宅時間などを気にせず味わってもらいたいという主旨で建てられたホテルのことを指すと理解していたのだが、先ごろ、フランス通の知人から、厳密にいうと「レストランを伴った宿舎」ではなく、「宿舎を伴ったレストラン」と考えたほうがより正確であると教えられた。食を楽しむための館ということなのだろう。
 
 この曲の「僕」が訪ねたのはオーベルジュ、訳詩の中で「オーベルジュ」という言葉を頻出させたのだが、言葉の響きが少しだけお洒落かしらという単純な思いが働いたためであることを付け加えておきたい。

                                                    Fin
 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
    取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 では、フレールの歌う原曲chanson tendreはこちらから。

オーベルジュの窓

 私の歌う『優しき調べ』(「訳詞コンサートvol.2」より)は、WEBの動画集に前半部分をUPしましたので、こちらも共にお楽しみください。





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『チョコ娘』

訳詞への思い(カット写真
 雪がちらちらと舞い、底冷えのする京都の2月。
 でも、春遠からじで、花粉の便りまで既に届き始めています。

 そして、来週火曜日は、バレンタインデー。
 ひと頃よりは、騒がれなくなっている気もしますが、でも赤いハートのディスプレイが華やかに街を飾っていますし、デパートではワンフロア、丸ごとチョコレートで溢れています。
お菓子やのショーウインドウ 世界中のチョコレートを日本だけで買い占めてしまったのではと心配になる位の品揃えで、日本のこういうエネルギーって本当に凄いですね。

 でもチョコレートって、何となく夢があって、人ごみに混ざってあれやこれやと美しいチョコレートを眺めるのは嫌いではありません。

 今日はそんなバレンタインデーを前に、久々の訳詞への思い、『チョコ娘』という曲を取り上げてみたいと思います。



          『チョコ娘』
                      訳詞への思い<25>


   Olivia Ruiz
オリビア・ルイーズジャケット
 「La femme chocolat(ラ・ファム・ショコラ)」
 直訳すると『チョコレート女』という奇妙なタイトルが付いたこの曲は、オリヴィア・ルイーズ(Olivia Ruiz)のセカンドアルバム『chocolat』(2005年)に収録された曲である。
 
コンサートVol7プログラム
 
 2014 年2月に開催した「訳詞コンサートvol.7『君は誰にも似ていない』」で、私は、新進気鋭のシンガーソングライターとして,ケレン・アンと、そしてこのオリヴィア・ルイーズの二人を取り上げたのだが、その後も彼女は、独創的で魅力溢れる楽曲を次々と創り上げながら、精力的にアルバム制作、コンサート活動を行っており、「ヌーベル・セーヌ(nouvelle scene)」と呼ばれる新たな音楽界の旗手としてその才能を発揮している。

 彼女は、1980年に、フランス南部カルカソンヌで生れている。
 父親はスペインの民族音楽を伝える音楽家で、そのライヴを聴きながら幼少時代を過ごしたという。12歳の時、初めて父とステージを共にして以来、フランスとスペインの楽曲の融合を図る新たな試みにも積極的に取り組んでいる。
 2001年、アイドル歌手としてスタートした彼女だが、2006年にこのセカンドアルバムが発表されると、フランスのみならずヨーロッパ全土で100万枚を超える売り上げを記録し、2007年には、ヴィクトール賞など栄誉ある賞を数多く得ている。

 彼女の持ち味である、スペイン系の血を感じさせる大らかでエキゾチックな声質と表現力とが遺憾なく発揮されている原曲をまずは、紹介してみたい。



   『チョコ娘』
 原曲はこのように始まる。(直訳 松峰)

   Taille-moi les hanches à la hache
   J'ai trop mangé de chocolat
   Croque moi la peau, s'il-te-plaît
   Croque moi les os, s'il le faut
   C'est le temps des grandes métamorphoses

   斧(おの)で私のお尻を切って
   私はチョトレートを食べ過ぎた
   私の肌をかじって、お願い
   骨もかじって、必要ならば
   大きな変身の時が来た
        
 「私の乳房の端に尖った二つのハシバミの実を貴方はバリバリ食べる」、
 「私の唇の端から木イチゴの木が生えてきた それを切るためにキスして」
 という具合に、原詩はエスカレートしてゆく。

   キスで私の腰を揉んで 
   私はチョコレート女になる 
   ヌテラの腰を溶けさせて
   私に流れる血は熱いココアだ

    (注 ヌテラ = ヘーゼルナッツ味のチョコレートペースト)

 チョコレートを食べ過ぎて、いつの間にかチョコレート女になってしまった!
 どうしょう!
 どんどん太ってそれでも食べるのを止められない!

 ・・・という、ひとひねりしたチョコのCMのような、陽気な詩と音楽で、オリヴィアはひたすら楽しそうに歌っている。

 よく読むと相当エロティックで、過激な表現も随所にあり、猥雑味も孕んでいるのだが、実はこれこそが、非常にフランス的なエスプリという感じもする。

 この曲のタイトルはまさに『チョコレート女』なのだけれど、私は敢えて『チョコ娘』と付けて、もう少しあどけない、ただ能天気な、夢見る頃の底抜けの明るさを押し出したかった。


 私の訳詞の冒頭は次のようである。

   食べ過ぎたの ショコラ
   でも 大好き ショコラ
   骨を削って お願い
   お腹も 齧って
   必ず スリムな女に変身する


 <伸びやかで健康的なエロティシズムに溢れた『チョコ娘』の物語が楽しく展開される>、そんな曲になっただろうか。


 そして、一番気に入っている私自身の訳詞のフレーズは、前述の原詩を訳した次の部分である。

   抱きしめて 優しく
   体中が熱く 
   とろけてゆく ショコラ
   血の中を チョコレートが流れる



                              Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)
 
   <追記>
 先日(2017.1.24)の巴里野郎でのライヴコンサートをお聴きくださったお客様から、素敵な動画が届きました。
巴里野郎コンサート

 撮影して下さったのは、以前にもご紹介致しました木津川にあるお洒落なブティックfemmeの石橋さんと三宅さんです。
 お二人のお薦めコーディネートで、いつもとはイメージチェンジ、新鮮な雰囲気!と大好評。




 
 30秒の短い動画ですが、よくステージの感じが伝わってきます。
載せて下さった歌のフレーズが、上記の私のお気に入り部分に合致していて、嬉しい驚きでした。
いつも有難うございます。



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