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紋次郎物語 ~その十 別れ~

池の傍の紋次郎 「猫の話を是非!」というリクエストを受け、書き始めてみたこの『紋次郎物語』ですが、いつの間にか十回を重ねることとなりました。
 それでも未だ、語り尽くせず。
 こうして読んで下さる皆様とご一緒に、思い出を懐かしく辿ることが出来て、とても幸せです。
 ここまでお付き合い下さって本当に有難うございます。
 では、今日は最終回、~その十 別れ~ をお読みください。

   ~その十 別れ~
 紋次郎は、当時としてはかなり長寿の15歳で亡くなりました。
 愛情を注がれ、食住を保証される飼い猫生活が半分、後の半分は、野良猫の自由を獲得したまま、近所の野山や、近くの海岸を駆け巡る自然児として、天寿を全うできたことは、幸せだったのではと思います。

 尤も、それが猫冥利に尽きたかどうかは本人に聞いてみないとわからないことで、人間と猫、それぞれと関わる違う顔を持って、二つの世界を生きることは、それなりに大変で、苦労や気遣いも多かったかもしれませんし、少なくとも、相当多忙な日々を過ごしていたのでしょう。
 そういえば、<紋次郎>は、どことなくいつも忙しそうにしている猫で、池のほとりにじっと座っている時でさえ、暇を持て余しているという風ではなく、「今お仕事中だから邪魔しないで!」というちょっと勢い込んだ緊張感をいつも漂わせていました。・・・この点だけは、長年の相棒の私に似ていたのかもしれません。いつも何かしていないと落ち着かない貧乏性の私の性癖が伝染していたとしたら、紋次郎に気の毒だったと思います。
往年の紋次郎 
好日往来
 これも既に記したことですが、<紋次郎>にはファンが多かったようで、色々な牝猫がよく我が家の庭を訪れてきました。
 そういう時の<紋次郎>は割とクールで、「なにか用事でも・・」という感じの応対しかしないので、傍目にも涙ぐましいくらい思慕の情を募らせ寄ってくる牝猫にこちらの方が気の毒になってしまうくらいでした。
 「折角訪ねてきているのだから、もうちょっと優しくしてあげれば・・・」と思わず声をかけても、結構あっさりした顔で「そんな仲でもないからご心配なく」みたいな様子で平然としているのです。
 人間でいえば、<どうしよう、でも思い切って告白します>というような純情可憐なお嬢様タイプの牝猫が多くて、<紋次郎>は猫の世界では結構イケメンだったのでしょうか。
 何しろ言葉が通じ合う私達ですので、牝猫が帰った後、「もんじろう君、隅に置けませんねえ」とからかうと、彼はなんとも照れくさそうな様子で下を向いてしっぽをパタパタさせていました。
 
 ある時、紋次郎の後ろに子猫がついてきたことがありました。
 この猫は紋次郎と瓜二つ。
 誰がどうみても紋次郎の子供であることは明白で、ひとしきり、家族皆で紋次郎をしつこく追求=からかいまくりました。
 もう本当にバツが悪そうで、おろおろそわそわ、あんなに落ち着かない<紋次郎>を見たのは初めてだったかもしれません。
 でも、この頃になると、家族全員、猫というものにすっかり慣れ切っていましたし、<猫吉>がいなくなって、<紋次郎>だけの生活に少し寂しい気もしていた矢先でしたので、当たり前のように、この子猫も面倒見ようということになりました。
 頭の回転は残念ながらさほど良くなかったのですが、おっとりとした人懐こい牝猫で、またまた一瞬で「姫」という名がつけられました。
 「ひめちゃん~」と呼ばれると、一瞬遅れて「フニャー」とちょっとつぶれたような悪声で答えていました。
 そういえば、<紋次郎>の声についてはお話ししていませんでしたが、彼の声は、外見や性格とは全く違って、本当に美しく澄んだ、鈴を鳴らすような高く細い声なのです。声だけ聞いているとどんな絶世の美女かと思うくらい、品格のある涼やかな美声で、外見とのギャップに本当に唖然でした。
 
 <姫>は容貌以外は声も性格も知的能力も<紋次郎>とは全く似ていなくて、とても気の良い子なのに、ドンなところがよほど気に食わなかったのか、<紋次郎>は鬱陶しそうにしていて、父親としての愛情をほとんど示さないのです。
 <姫>はというと、「邪魔だからあっちに行って」みたいな顔を露骨にされても、全然意に介さず、父と慕い(たぶん?!)、どこでもまとわりついて離れず健気でもあったのですが。
 
子猫は母猫が育てるものですよね。なぜ<紋次郎>のところに<姫>が来たのか、今もってよくわかりません。
猫の世界にそういうイレギュラーってあるのでしょうか?もしかしたら<紋次郎>が特別薄情な性格なのではなく、本来の本能とは違う成り行きに戸惑っていたのかもしれないですね。
 
<姫>は半年ほど我が家で暮らし、いつの間にかいなくなりました。
その後、一年位して、首輪をつけて元気に遊びにきましたので、誰か可愛がってくれる人に巡り合ったようです。
<紋次郎>に「早く帰れ」みたいに追い払われても、その後も時々、無邪気な様子で訪れてきました。

   おじいさん先生
 無鉄砲者の<紋次郎>でしたから、生傷が絶えず、私も怪我の治療の腕がどん上がってゆきましたが、幸い体は頑強で、最晩年までお医者様にかかることはありませんでした。
 でも、亡くなる一年ほど前から、段々体調が悪くなり、ものをあまり食べなくなったり、嘔吐したりと具合の悪そうな様子を時折みせるようになってきました。
 ただ黙ってうずくまっている、その様子があまりに心配なので、ついに近くの動物病院に連れてゆこうということになりました。
 ただ、近くと言っても車で20分くらいはかかるので、一体どうやって連れて行ったら良いのか、・・・今ならケージに入れて一緒に旅行にも行ける犬猫は沢山いますけれど、紋次郎にはそういう経験は皆無です。
抱き上げられることも喜ばない風来坊ですので。

 *まずは、恒例の、コンコンと言い含める説得作戦の実行。
 *この後、座布団カバーを頭から被せて顔だけ出してチャックを閉め、<袋入り猫>を作る。(病院に、「これこれしかじかの猫を安全に運んでゆくにはどうしたらよいでしょうか?」と相談したら教えてくれた方法なのです。猫は袋に入れられると落ち着いて大人しくなるのだそうです)
 *座布団カバーから顔だけ出した<紋次郎>を母に助手席で優しく抱きかかえてもらい、私が運転して病院まで連れてゆくことに大成功。
 初めて乗る車、車窓の風景を<紋次郎>はどう思っていたのでしょうか?
 こんなことなら普段から、ドライブにつれてゆく習慣をつけておけばよかったとその時、心底思いました。

 私も緊張していましたが、<紋次郎>も病院初体験で緊張がピークに来ていたみたいです。消え入りそうな声で助けを求め、がたがた体を震わせていました。可哀想だけど仕方ない・・・・「治るからね。大丈夫だからね」と繰り返すばかりでした。幼い子が白衣や消毒の匂いに怯えるのと同じ動物的拒否反応なのでしょうね。
 
 診察して下さった獣医さんは、陽に焼けて深い皺が刻まれたかなり年配のおじいさん先生でした。
 目がとても優しそうで、じっと<紋次郎>を見つめながら、低い響きのあるのんびりとした声で、「どうしたかな。気分が悪いのか。もう大丈夫、すぐ良くなるからね。ちょっと見せてご覧・・・・・・」と、ずっと話しかけながら、ひょいと抱き上げて、造作なく、口の中を診たり、お腹を触ったり、しっぽを上げて体温計を差し入れたり、手品みたいなよどみない動きで、<紋次郎>は為されるが儘、身じろぎもせず催眠術にかかったみたいな目でうっとりとおじいさん先生を見ていました。いつの間にか震えも止まっていました。
 点滴や他の注射などをしたら、見違えるようにみるみる回復して、獣医さんというのはこんなにも凄いものなのだと大感激して帰ってきました。

 でも診断は、結構深刻で、腎不全で、腎盂炎を起しており、回復するのは難しいけれど、兎も角かなり苦しいだろうから、少しでも楽になるように、様子を見ながら注射に通うようにということでした。

 大人になってからは、猫用のバランス食の缶詰めを食べ物に与えていましたが、その昔子供の頃はそれこそ、当時大方の家がそうだったように、残り物の食事を適当にやっていましたので、知らず知らず塩分なども取り過ぎになっていたのかもしれません。もっと気をつけていればと責任を感じますが、今まで病気一つさせず元気で育てたのだからと先生は慰めて下さいました。

 それから、段々病院に通う頻度が多くなってきました。
 病院にはおじいさん先生と、その息子さんの若先生がお二人で診療していらして、若先生の診察の時は、<紋次郎>はブルブル震え出し、断固拒否して大暴れでした。
 失礼のないよう、密かに塩梅して、おじいさん先生にだけ診て頂くようにするのが一苦労でしたが、おじいさん先生は動物と自由に交信できるムツゴロウさんみたいな方だったのでしょうね。
 この先生に最後まで診て戴けて、<紋次郎>は幸せだったと思います。

   最期の時
 それからひと月ほどして、<紋次郎>は亡くなりました。
 最後の頃はかなり苦しそうで、夜も時々発作を起こすことがあったので、私の部屋で、一緒に寝かせていました。
 苦しがって息を切らしているのを見ることは本当に辛かったです。
 夜中ですし、私がしてあげられることは何もないのですが、ただ体をずっとさすったり、話しかけたりして朝まで過ごした時もありました。
 亡くなる前日の夜はかなりひどい発作が起き、それが治まった時、<紋次郎>は涙を流していました。
いろんな思い出話をしたら、段々落ち着いて優しい顔つきになってきて、何となく<紋次郎>が頷き続けてくれたような気がして、この日も明け方まで、ずっと話しながら過ごしました。
 一緒に過ごした日々、色々な出来事、同じ時間を生き共に過ごした縁が<紋次郎>という一つの命と結ばれている気がして、今でも私にはかけがえのない大切な存在です。
 この日、朝早く病院に連れて行ったのですが、それから間もなくして静かに息を引き取りました。

 実は、この十日後、私はアメリカに長期研修に行くことになっていて、紋次郎の事だけが気がかりでならなかったのですが、そんな思いを察して、最後のお別れができるよう、紋次郎は逝ったのではという気がしているのです。

 我が家の近くに、浄土宗の大本山、由緒ある光明寺というお寺があるのですが、光明寺には、当時としては珍しい動物霊堂があって、紋次郎はそこに葬られています。
浄土宗光明寺(鎌倉) 光明寺境内の動物霊堂 
 お彼岸の頃には、大勢の愛犬・愛猫家たちが供養に集まり、人間並みに厳かな読経が行われます。
 母猫とまだらと猫吉と・・・皆の代表としてこのような供養を受けることとなった紋次郎は、空の上で何と思っているのでしょうか。
 そして、期せずして皆様にも知って戴くことになって、恥ずかしがりながらしっぽをパタパタしているのではと思うのです。 


  『紋次郎物語』、これにて完と致します。
これまでお付き合いいただきまして、有難うございました。

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紋次郎物語 ~その九 紋次郎と家族たち~

池の傍の紋次郎 昨日も生憎の雨。七夕の恋はなかなか成就しないからこそロマンチックなのでしょうか?
 
 さて、いつも『紋次郎物語』を愛読して下さっているYさんから、温かいメールが届きました。 素敵な感想を頂いてとても嬉しかったので、少しだけご紹介したいと思います。

 猫吉
 猫さんたちのシリーズ、特に好きですが、私は何と言っても「月の使者」猫吉さんに魅かれます。
 梅のマークの山本海苔の、しかも焼き海苔が好きだなんて、なんて魅力的なのでしょう!私も、海苔は断然焼き海苔派です(笑)。
 スローペースながら自分なりの拘りを持ち、いつも静かに月を眺めている生き様は私を魅了して止みません。
 月夜の晩にいなくなってそのまま帰って来なかったというところも何かミステリアスでその後のストーリーをあれこれ想像してしまいます。


 この後、実は、Yさんの素敵なストーリーが続くのですが、余り公開しすぎてもと思いますし、今は、私だけに記して下さったプレゼントということで大事に心に仕舞っておきたいと思います。

 でも猫吉君、Yさんにファンになっていただけてどんなにか喜んでいることでしょう。良かった!良かった! 
猫吉になり代わり、お礼申し上げる次第です。
 
 では、今日も『紋次郎物語』をお楽しみ下さいね。いよいよ大詰め、その九です。

   ~その九 紋次郎と家族たち~
端坐する紋次郎
 <猫吉>が姿を消してから、我が家に残った猫は<紋次郎>だけとなり、ここから彼は更に、10年近い歳月を私たち家族と共にすることになるのですが、10歳を超える頃からでしょうか、紋次郎は益々、何ともいえず、顔つき、しぐさ、感情の表し方など人間的になってきたように思います。

 そういえば『徒然草』に「奥山に猫又(ねこまた)というものありて・・・」と始まる章があったのを思い出します。
 「猫のへ上がりて 猫又になりて 人とることはあなるものを・・・」と書かれてあって、何ともおどろおどろしいのです。
 「へ上がりて」というのは「歳を取って」とか、「変身して」とかいう意味ですから、「猫は長生きをすると、ただの猫ではなく猫又という名の妖怪に変わり、人を襲ったりするのだ」というわけですね。
 この後はいつもの徒然草の文章らしく洒脱なオチへと続いてゆくのですが。

 尤も、この「猫又」というのは、兼好法師の専売特許というわけではなく、実はもっと古い民間伝承などの中にも既に広く言い伝えられていたようです。
 「猫又」の推定年齢は10歳を超えたあたり・・・というのもいつか何かで読んだ気がするのですが、昔は猫の世界も、今のように高齢化ではなかったでしょうから、長生きする猫は希少で、どこかただものではない異様な雰囲気を漂わせて、化け猫物語などと結び付いていったのかもしれませんね。

 でも、その昔私は、この「猫又・・・」の文章は、正直何のことか全くピンときませんでした。
 『妖怪』『化け猫』などというと余りにも・・・なのですが、でも今は、猫が歳月の中で、猫を超えた生き物になってゆくというような感覚はわかる気がしています。
 長く人間と共に生き、人間のことも言葉も良く理解できて、自らも人間化してきた猫のこと・・・・私にとっては、<紋次郎>は愛すべきそんな<猫又>・・・<家族>だったのかもしれません。
 そういう<紋次郎>の後半生について、今日は、私たち家族たちとの係わりの中で、ご紹介してみたいと思います。

   紋次郎と父
 庭の池のほとりに、紋次郎はよくじっと座っていました。
池の端に寝そべる紋次郎
 前にも記したように、父は池に結構大きな鯉や色々な種類の金魚を大切に育てていました。
我が家は、海の近くで漁港もあり、そのあたりの魚などを狙ってか、当時、鳶(とんび)が空高く毎日旋回しているのを目にしていたのですが、我が家の池も格好の狙い場だったようで、ピーフュルフュルという鋭い鳴き声と共に、池の水面にまで急降下してきて、泳いでいる鯉を両足でガチっと掴んでさらってゆくということがよくありました。
 大きく元気よく育っている鯉ほど狙われやすく、なすすべなく無残に空に運ばれてゆくのを眺めているのは父ならずとも実に腹立たしく感じられたものでした。

 いたずら者の<紋次郎>でしたし、動くものに反射的に手が出てしまう猫の習性から考えても、父は、これ以上猫にまで大事な鯉や金魚を奪われることは我慢ならないと思っていたのでしょう。・・・・当初、猫が庭に来ることにも不快感を示していた原因はそこにもあったのではと思われます。

 事実、<紋次郎>は(赤ちゃん猫の頃でしたが)、寄ってくる金魚に思わず手を出してピシャピシャと水を叩いて、父にかなりの叱責を受けたことがありました。そのような前科持ちでしたので、父は、<紋次郎>が池の近くにばかり居ることに初めは、不安と不快感があったようです。
 ですが、私が金魚もウチの家族だと何回も言い含めた甲斐あってか、その後、手を出すことは全くありませんでした。喉が渇いても池の水を飲むことさえせずじっと我慢しているようでした。

 壮年期老年期の<紋次郎>は、これも前回記しましたが、この辺りでのかなりの顔役、ボス猫になっていたようで、縄張りを仕切る渡世人の元締めみたいな一種独特な仁義に生きる雰囲気を醸し出していて(私が勝手に感じていたのですが)、そういう彼には、我が家族の序列も彼なりに解釈し大いに尊重していた節が見られます。
 その尺度から言うと、父は彼にとって、家長=大親分で、一目も二目を置いていたのではないかと思うのです。それに「野良猫は野良猫道を!」みたいな父の信念と一脈通じあっていたのかもしれません。
 父には、甘える様子を見せることはありませんでしたが、でも常に遠巻きに恭順の意を表明していたような気がします。 父が帰宅すると、どこにいても身を正して迎え出ていました。近づかず一定の距離をおいて、取り澄ました顔をしていて、本当に可笑しかったです。

 実は、<紋次郎>は池の魚たちを、とんびやサギ、他の野良猫たちから、守る使命を果たしていたのではと思うのです。
 彼が池のほとりに座り続けてからの日々、鯉が減ることはついぞなく、亡くなった後、ほどなくして、何匹もいた池の鯉はいつの間にか、壊滅状態になってしまって、図らずもそのことが証明されました。今も、ほろりとする<紋次郎>の思い出話の一つとなっています。

   紋次郎と母
 綺麗好きの母は、初めは猫があちこちを汚すのではと心配していたのですが、我が家の猫はその辺はかなりパーフェクトでしたし、(私の教育が良かったんですね!)そのうちそんなことすっかり忘れたように<うちの子たち>と呼んで、「猫がこんなに可愛いとは知らなかった」と、私たち姉弟より可愛いいのではと疑いたくなるくらい本当に大事にしていました。
 人の愛情に殊の外敏感な紋次郎は、そんな母の事が大好きだったみたいで、無条件で大甘えする唯一の存在でした。母が少しでも疲れた顔をしていたりするととても心配そうに気遣ったり、慰める素振りをみせたりして、何とも健気なのです。小さい時に別れた優しい母猫への思慕が彼の中に残り続けていたのかもしれません。
 母にしかしない<紋次郎>の究極の愛情表現は、喉を鳴らしながら、足元にすり寄ってペロペロと舐めまわすことでしたが、くすぐったがり屋の母はこれだけは閉口していました。


   紋次郎と弟
 弟の舎弟のような<猫吉>に、意地悪してきた負い目がずっとあったのでしょう。弟の前では、いつも気まずそうに小さくなっていました。
 それに、何か悪いことや失敗をすると決まって弟に見つかってしまう巡り合わせになっていて、何と言うか、頭の上がらない兄貴分だったのかもしれませんね。
 でも面白いことに、ヒヨドリを狩猟した時などは、誰よりも弟の所に真っ先に見せに来て、良い所を認めて貰いたかったのかもしれません。
 弟は、こういうときには、「よし頑張ったな!」と労いの言葉をかけてやって、なかなかのもの、我が弟ながら感服したものです。


   紋次郎と私
 私は紋次郎にとってどんな存在だったのでしょうね。
 できるものなら彼に聞いてみたいです。
 かなり厳しい教育係であり、面倒全般引き受け係であり、アドバイザーであり、後見人であり、友達だったのかなとも思います。
 <紋次郎>がこちらの感情や意志をかなり正確に読み取れるように、私も彼の言葉や気持ちを察知し交信することに長けていましたので、<仲間>だったのかもしれません。
 色々あり過ぎて、言葉に尽くせませんが、<一匹の猫を飼った>ということを超えて、<紋次郎>という存在に出遭ったのだと今、感慨深く思っています。

 長くなってしまいました。では、続きはまた。
 お名残り惜しいですが、たぶん次回が『紋次郎物語』の最終回となりそうです。
 

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紋次郎物語 ~その八 紋次郎との日々~

 
池の傍の紋次郎 夏越の祓、・・・<なごしのはらえ>と読みます。
 今日は6月30日、一年の前半が済んだところで、この半年間の身の穢れや災いを祓い、残りの半年を更に大過なく過ごそうという願いが込められた行事が、京都でも沢山の神社で執り行われています。
 「茅の輪(ちのわ)くぐり」っていうのですが、ご存知ですか?
 北野天満宮の茅の輪が京都では最大の大きさだと聞きましたが、上賀茂神社や車折神社等の茅の輪くぐりも人気スポットですので、今日はさぞ賑わっているのではないでしょうか?

 緑濃い岡崎神社 夏越の祓の茅の輪
 ・・・他人事のように言って、猛暑の中、今日は涼しい顔で家に籠っております。
 実は、数日前、近くまで出掛けた折、平安神宮の側の岡崎神社で、しっかりと、
 「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延というなり(みなづきの なごしのはらへするひとは ちとせのいのち のぶといふなり)」
と唱えながら、古式に乗っ取り三回、茅で作った輪をくぐってきました。日にちが早かったので、境内はとても空いていましたし、禊(みそぎ)も済ませ、これで諸事災難を免れて、今年も後半年元気一杯で過ごせる筈です!!
 後は、6月30日必須の和菓子<水無月>を買ってきて食べればパーフェクトです。

さて、今日も「紋次郎物語」・・・その八になりましたね。続きをお届けしたいと思います。


   ~その八 紋次郎との日々~
 前回に続いて紋次郎のエピソードをご紹介してゆくことに致します。
 思いつくまま、筆の進むままで、随分散漫な文章なのですが、ご容赦下さいね。


   猫と言葉
 以前の記事でご紹介しましたが、小説家阿部昭氏は、エッセイ『猫に名前をつけすぎると』の中で、「色々な名前で適当に呼ぶと、猫は自分の名前が何だか分からなくなって混乱してしまい、最後には呼んでも反応しなくなるから、一つの名前だけで呼んだほうが良い」と書いておられるのですが、その意味で言うと我が家の猫達は、実に可哀そうだったのではと思うのです。
 
 紋次郎はというと、<もんじろう君><もんじろう><もんちゃん><もんち><じろうちゃん><もんちっち>・・・あとは覚えていませんが、みんなで、その時の気分に任せ、言いたい放題に呼びまくっていました。
 けれど、どうやら、この全てが自分のことを指す言葉だと、紋次郎は明確に理解していたようです。
 「目は口ほどに物を言い」と言いますが、<紋次郎>の場合は、目の表情と共に、耳と尻尾が、敏感に感情を表現していて、こちらの言葉を察知した時は、まず耳が瞬時に立ち、それと同時に尻尾がピクピクと動くので、彼が意識しているかどうかがすぐ伝わるのです。

紋次郎
 「声に反応しているだけなのでは?」とか、「呼びかける音のイントネーションやアクセントの調子で判断できるのでは?」とか推測が飛び交いましたので、ではまたまた実験を・・・というわけで、弟と二人、紋次郎に背を向けたまま、普通の世間話の中に、極々淡々と、「じろう」とか「もんち」とかいう言葉をさりげなく差しはさんでみたり、色々なバリエーションで暇人ぽい実験を試みたのですが、敵もさるもの、やはりこちらにお尻を向けているくせに、自分の名前が出てくる瞬間、尻尾をピピッと動かして、ニャアと一声、ほとんどパーフェクトに反応するのでした。
 
 更に高度な実験へと移り、・・・・彼は「紋次郎は本当におりこうさんだ」と言われるのが至上の喜びらしくて、このように褒められると、決まって後ろをプイと向いて聴こえないふりをするのに、尻尾がグルグル留まることなく廻って、「嬉しいよお。もっと言って~~!」と叫んでいるのが明々白々なので、ではとばかり、<「紋次郎は本当におりこうさんだ」と「紋次郎はお馬鹿で困ったものだ」とを聞き分けられているのか実験>も同じようなパターンで行ってみたことがありました。結果は、皆様、信じ難いでしょうけれど、本人の目を見てしっかり思いを込めて言った時とほぼ同じ位の抜群の的中率でした。
 「お馬鹿・・・」の方は、可哀そうなくらいしょんぼりとうなだれて、遊びでこういうことをしてはいけないと、こちらが思い知らされたものでした。

 動物も人と一緒に暮らしていると、いつの間にか人間の言葉を理解するようになるものなのかなと思います。
 動物にも個性と能力には個体差がありますし、人の感情に敏感な性格なのかどうかにもよるようですが、<紋次郎>の場合は、割と初めからそういう傾向があり、それが月日が経つにつれ研ぎ澄まされてきたみたいです。(また後日、違うエピソードの中でこのお話をしてみますが)

   交遊録
 <猫の集会>ってご存知でしょうか。
 猫は犬のように群れを作らない、孤高の動物ですが、それでもテリトリーははっきりしているらしく、縄張りの中での力関係や、それに伴う約束事も存在するようなのです。
 <紋次郎>は飼い猫になったとは言っても、自由に外を駆け巡るノラの世界にも逞しく生きていましたので、夜になるとたぶん・・・集会に出掛けてゆきました。
 負けん気の強い性格と、敏捷且つ頑強な体とで、段々とボス猫になっていったのではと思われます。・・・勿論詳しくはわかりませんけれど、・・・色々な猫と一緒にいて偉そうな顔をしている<紋次郎>と外で鉢合わせしたことが何回かあったのですが、そんな時の<紋次郎>は、完全に私を無視した素知らぬ顔で、思春期の男の子の照れ隠しのようで何だか面白かったです。家に戻ってくると、急に猫なで声で甘えてみたりして、彼の魂胆は見え見え、本当になんというか、人間臭い憎めない猫でした。

 どこからか見慣れない猫が<紋次郎>を訪ねてくることも頻繁でした。相手の猫はおどおどして、親分への挨拶回りにきたような様子をしていました。
 その中には牝猫も時々いるようで、<紋次郎>の気を引こうとしているのがよくわかり、それが色々な彼女に変わり、随分彼はもてていたみたいです。
 こういう自然の儘の生活は、きっと、猫としては幸せだったのではないでしょうか。

   やんちゃ者の日々
 *食いしん坊で、好奇心旺盛な性格なので、きっと外で変なものをつまみ食いしていたのかもしれません。お腹をこわすことがとても多くて、そのつど、げっそりと見る影もなくやつれて、心配をかけるのですが、回復すると喉元過ぎればで、本当に懲りない困った子でした。
 <猫吉>は全くそんなことはなかったので、同じ親から生まれたのにと、とても不思議な気がします。

 *食事の時だけ戻ってきて、すぐ矢のように飛び出してゆき、血を流して傷だらけになって帰ってくることも、一年に数回ありました。
 猫の恋の時・・・かな?・・・他の雄猫と恋の鞘当てをしていたようです。
 何回治療をしてやったことか、そんな時はぼおっと脱力したまま、大人しく身を任せていて、本当に困った子でしたが、まさに<紋次郎>で、どこか可愛くもありました。

 *お隣の家のガレージに入り込んだまま、閉じ込められて4日も飲まず食わずで、危うく死にかけたことなどもありましたし、・・・<紋次郎>のこの手の思い出は山のように浮かんできます。でも、色々な出来事をすり抜けながら、共に月日を過ごしていったのは、やはりそういう縁があったのかなと今、懐かしく思っています。

 さて、この連載ももうすぐ終わりになりますが、まだあと少しだけ続きを書きますので、どうぞ最後までご一緒に見届けてくださいね。


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紋次郎物語~その七<紋次郎>の幼少期~

池の傍の紋次郎 昨日の日曜日、東京での所用を終え、逗子の実家に向かいました。
 <いざ、あじさい寺明月院へ>とばかりに、普段は閑静な北鎌倉の駅周辺も散策の人の波に溢れていました。
 北鎌倉・鎌倉・逗子、この時期、街は紫陽花がしっくりと似合っています。

 実家では連載中の『紋次郎物語』の話題沸騰中!
 なんといってもノンフィクション、我が家族達は、リアルタイムでこの物語の渦中に居たわけですので、「そうだったよねえ。あのときは・・・」と思い出話に花が咲き・・・・。

 さて、お待たせいたしました。
 今日はいよいよタイトルにもなっています、<紋次郎>の登場です。

   ~ その七<紋次郎>の幼少期 ~
 母猫から託された三匹の子猫ですが、<まだら>は1年足らずで他界し、<猫吉>は6~7年共に暮らして姿を消した、ということは既にお話しした通りです。
 <紋次郎>は15年余りという長きにわたる歳月を家族の一員として過ごしました。長い月日の中で、思い出は語り尽くせない程ありますので、紋次郎編は、数回にわけてお話ししてゆこうかと思います。

   風来坊
 幼少期の<紋次郎>ですが。
 「三つ子の魂」なのか、ノラ猫魂が心底沁みついていて、それが、しぐさにも風貌にも滲み出ているという感じの子猫でした。
紋次郎1 
 とにかくすばしっこい。
 小さい頃の<紋次郎>は、いつ見ても走り回っていた気がします。
 それが本当に速いのです。
 庭、木の上、屋根の上、いつもそこらじゅうを縦横無尽に駆けていて、「今、黒いものが横切った・・・ような??・・・ひょっとして<紋次郎>?」という漫画みたいな台詞があながち誇張ではない日常だったのです。
 何事もスローペースの<猫吉>とは余りにも対照的すぎて、笑ってしまうくらい正反対でした。

 なかなか人に慣れず、いつも警戒心の強いギラギラした目をして、何かあれば飛びかかってきそうな勢いで、遠巻きに睨んでいました。
 こちらが敵ではないことを納得させ、家族の一員であるという本人の自覚を促し、やがて愛情を交わし合うようになるまで、かなり手ごわかったです。
 とは言っても、食いしん坊、大食漢の<紋次郎>で、ましておチビちゃんの頃ですから、程なく食べ物に釣られて、割とあっけなく、こちらの術中に嵌まることになるのですが、最初の頃は、つまみ食いの得意な子供と果てしなくおっかけっこをしている気分になったものです。

 ここで今頃、彼の悪業を暴露するのもなんですが、途中休憩を挟みゆっくりゆっくり食事をする<猫吉>の分もさっとかすめ取ることなどしょっちゅうで、そういう時は<猫吉>贔屓の弟に「もんじろう~~~!!」と思いっきり叱責されていました。

   風貌
 走る姿はヒョウのように俊敏なのですが、座っているとタヌキのような、モコモコの毛並みの長毛種で、他の兄弟たちとは全く違う、エキゾチックな顔立ちの猫でした。
毛を立てた紋次郎 
 緊張・興奮している時や、悪だくみしながら何かを狙っているときなどは、体中の毛が逆立って、ハリネズミみたいに体が膨らんで、なかなか精悍なのです。・・・・大人になり、段々リラックスしてくるにつれ、毛の逆立つ頻度は激減してきましたが。

夏は、涼しげにすっきりと夏毛に生え変わり、別人(猫)のように、穏やかな風貌に見えていました。
夏毛で涼しげな紋次郎 

 <紋次郎>の目の表情が今でも忘れられません。
 『本物は誰だクイズ』ではありませんが、もし、100匹位の猫の目の写真を見せられたとしても、その中から<紋次郎>の目を瞬時に選び出せる自信が私にはあります。
 それほど、<紋次郎>には、気持がよく表れる表情豊かな眼力があり、そして、実はとても繊細な神経を持った賢い猫だったのではと思っています。
 彼の目の奥に、いつも寂しさや人恋しさを感じていました。
 人の感情を素早く読み取って、特に自分に対する好意とか愛情に人一倍敏感だった気がします。でもひねくれ風来坊の気質が邪魔してストレートに甘えられない、ちょっと因果なそんな猫だったのかもしれません。


   居場所
 <紋次郎>の好きだった場所。
 塀の上。 物置の上。 屋根の上。 木の上。 池の縁。
塀の上の紋次郎 
 よく、高い木の上に、鳥のように止まっていました。木のぼり上手でスルスルとあっという間に木のてっぺんに登りついて皆を驚かしたものです。
 そういえば赤ちゃん猫の頃、2~3回、余りに高く登りすぎて降りられなくなって、救出に難儀したこともありました。
 
 塀の上、置物のような<紋次郎>。

 池の縁は紋次郎のお気に入りの定位置でした。

   ジャンプ二題
 植木の梢で羽を休めるムクドリを狙って、木登りジャンプ。
 これが実に巧みで、必ず命中してムクドリを仕留めてしまうのです。
 餌食になったムクドリは災難ですし、考えれば残酷な話ですが、そういう時の<紋次郎>は得意満面で仕留めた獲物をくわえて、「すごいでしょ!ねえ、褒めてよ!」という顔で見せにくるので、・・・これこそ猫の本能で、<こういう時は尊重して褒めること、絶対に怒ってはいけない>とものの本にもありましたので、複雑な気持ちのままに「よしよし、すごいねえ。よくわかったからそれをこちらに頂戴ね。」などと言いながら、譲り受け、後で犠牲になったムクドリを密かに葬ったものでした。
 これは長きに渡って続いた、私としては歓迎できない<紋次郎>の勲章でした。

 池の中をジャンプ。
 ある時、リビングにいたら、<バッシャ~~ン!!>というすさまじく大きな水音が池のほうから聴こえてきました。
 反射的に音のする方に目を向けた瞬間、池の中から<紋次郎>が恐ろしく高く飛び上がってきたではありませんか?
 これは我が家で今もって語られる、紋次郎幼少期武勇伝の一つです。
 池の上を飛んでいるトンボを捕まえようと、思い切り池の真ん中めがけてジャンプしたらしいのですが、トンボは驚いて上昇し、彼は捕まえ損ねてそのまま結構深い池の底まで落下沈没し、水底を蹴ってジャンプして池から生還してきたものと思われます。イルカのジャンプじゃあるまいし、猫の水中ジャンプショーを目の当たりにしてしまい、皆でしばし唖然としました。

 エピソードは様々あるのですが、長くなってきましたので、また次回、続きをお送りしますね。

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紋次郎物語 ~その六<猫吉>との日々~

紋次郎 前回の紋次郎物語、「その五 ~<まだら>との日々~」には反響を多く頂きました。
 三匹の子猫の中で、一番短命で幸薄かった<まだら>が、今、改めて、皆様に偲んで頂くことになり、一番驚いているのは、<まだら>自身でしょうけれど、人間大好きの猫でしたから、さぞ喜んでいるのではと思います。
 さて、今日はこの続きで<猫吉(ねこきち)>のことをお話ししようかと思います。
その前に、・・・この「紋次郎物語」は早や その六 となりました。
 今回初めてご覧になられる方は、出来ましたら
 その一から遡って頂けるとよろしいかと思います。
 いつも読んで下さっている方は、早速。


   ~ その六 <猫吉>との日々 ~
 猫吉・・・弟が名付けた<ねこきち>という、人を食ったようなとぼけた名なのですが、実は、今となっては、これ以上ないというくらいしっくりとはまっているのです。

 前々回の記事に、下記のようにご紹介したかと思います。

 「他の二匹に比べて、ひときわ体が小さく、全体的に華奢で、足が長くすらっと伸びた、おっとりした品の良い白猫です。唯一目の上、眉のところに、平安朝のお公家さんそっくりな黒い八の字眉のような模様が入っています。」

 <まだら>や<紋次郎>に比べると、いつもポワンとしていて、ワンテンポ後ろにある、大人しくて、いつの間にか気付くと音もなくそこにいる、という淡々としたスローペースの猫だったのですが、でもそれでは、個性がないかと言えばそんなことはなく、唯我独尊、<猫吉>という個性そのものの、とびきりユニークな猫でもありました。
 ですので、あの何とも言えない雰囲気をしっかりと説明するのは割と難しく・・・伝わると良いけど・・・でも、敢えて頑張って、お話ししてみますと。

   特徴一
 しゃべらない。・・・限りなくゼロに近く。
 初めは、冗談ではなく、喉にどこか機能障害でもあって、声が出ない猫なのではと、皆で心配したくらいでした。
 2~3日全く声を聞かないなどということはざらで、「この間鳴いたのはいつだっけ?」という会話が我が家では普通にされていました。
 そのうち、すっかり慣れて、それが<猫吉>で、当たり前になってしまいましたが、それでも時々、やはり、声帯付近のどこかが悪くて、いよいよ悪化したのではと、真剣に心配したりしたものです。

 私達との意思の疎通は主にアイコンタクトで、でも、それはそれで、大した不便もなく、大体伝わっていた気がします。
 猫吉 1
最初は皆、<きち君>とか、<きっちゃん>とか呼んでいたのですが、そのうちに彼の最大の庇護者である弟が、<ねこきちさん>とえらく丁寧に呼びかけるようになったので、右に倣って、<きちさん>というのがいつもの愛称に固定してゆきました。・・・・・父だけは<猫吉>、常にどの猫にもフルネーム、呼び捨てでしたが。

 <きちさん!>と呼びかけると、ゆっくり顔を向けて、じっと見詰めるのが、彼の返事なわけです。で、慌てず騒がず優雅に静かに、こちらに寄ってきます。
 ほとんどこれですべてでした。
 時々、彼の方に用事のある時は、やはり静かに寄ってきて、人の足の周りに体を摺り寄せてきます。更に、彼なりに急いでいるときには、頭でグイグイと押してきて、その力加減で緊急度を図ることができました。
 それで、こちらが「どうしたの?」「お腹すいたの?」とか一方的に話しかけるのですが、<猫吉>もこちらの言葉はかなり正確に理解しているらしく、それなりにちゃんと反応しますし、場合によっては、「ニャア~」と猫らしく答えることもありました。顔に似合わないドスの効いた低音で、可笑しかったです。

   特徴二
 綺麗好き。いつも真白。 
 我が家の猫、三匹の猫とも、必要な躾は厳しくしましたが、行動面においては束縛しませんでしたので、それぞれが自由に思いのまま暮らしていたように思います。
 元がノラ猫出身ですので、自然児たる感覚を尊重し、<在野に在る>というのが一番自然で幸せなのではという気がしていました。それで、家に入りたいときにはいつでも入れる状態は確保しましたけれど、外での暮らしも自由にさせていましたし、彼らの日々は、伸び伸びした人生ならぬ猫生だったのではと思うのです。
 でもその結果、雨の日などは泥だらけ、ずぶ濡れで、<紋次郎>などは本当にドブネズミみたいにみじめな浮浪猫になってネコ穴から顔を出すことはしょっちゅうでした。特に彼らをお風呂に入れることも、ましてや動物の美容院に連れてゆくことなども皆無でしたから、可哀そうに、言ってみれば生まれたまま放ったらかしだったわけです。
 なのに、今もって不思議なのですが、<猫吉>は本当にいつも真白な綺麗な猫で、暇さえあれば身づくろいなどしていましたが、雨の中に出て行っても、びしょびしょになって帰ることなど、全くありませんでした。
 綺麗に乾かしてから、身じまいをして入ってきていたのでしょうか?

弟の足に甘える猫吉
 そういうどこかノーブルな感じも、弟が彼をとても気に入っていた要素の一つだったのかもしれません。
 思いは通じ合うものらしく、<猫吉>も弟には一番なついていて、弟のことを大好きだったみたいです。
 <ねこきちさん>と呼ばれ、嬉しそうにはしゃいで弟の足にじゃれつく<猫吉>の写真。普段他の人には見せない顔をしています。

嬉しい時や甘える時も、喉を鳴らしながら、やはり頭をグルグル、グイグイ、足の周りをダンスするみたいに行ったり来たりしていて、その様子は何とも可愛いのです。

<まだら>や<紋次郎>との猫同士の会話ではさすがに声は出していたようですが、それでも極端に寡黙で、いつまでも鳴き続ける等という事はついに一度もありませんでした。

   特徴三
 些細などうでも良いことなのですが。
 純然たる和食党で小食でした。
 決まった食事以外の間食は出されても手をつけず、ダイエットの模範みたいな猫でした。
 <紋次郎>がワイルドな肉食系だったので、兄弟でも本当に対照的だったなと思います。
 ほうれん草のおひたしと、梅のマークの「山本海苔」が大好物だったのです。 
 他のブランドではなく山本海苔のみ、それも味付け海苔ではなく焼海苔と、何だか良くわからない変なこだわりがこの猫には断固としてありました。
 <うそだあ~~>と思うでしょうが、本当のことで、私達姉弟も半信半疑、或る日、色々試して<猫吉>味覚実験をしようということになりました。
 弟は「山本海苔の焼海苔のみ」に賭け、私は「他のメーカーの海苔も食べる」に賭けて、何種類か混ぜて食べさす目隠し実験みたいなものも色々試みたのでしたが、ホントにホント!! 弟の圧勝でした。
 私自身も一緒になって、色々なブランドの海苔を食べ比べてみましたが、味の違いは全然わからず、・・・・<猫吉>は本当に変わった凄い猫でした。
 それ以来、私の中では、梅のマークは、ひれ伏したくなるような黄門様の葵のご紋に匹敵するものとなっております。

   特徴四
 <猫吉>は、月の出ている晩は、いつも必ず端座して夜空を見上げていました。
 縁側にすっと背を伸ばして座って、じっと月を見上げて、長い長い時間びくとも動きませんでした。
 そういう時の<猫吉>の姿は、『月夜と白猫』とでもいうタイトルの童話を書きたくなるくらい、メルヘンティックで幻想的に思われました。
 また、「<きちさん>が月を見てるね。」っていつも、私達家族は、彼の姿を不思議に感じていたのです。
 写真は家の中でのものですが、ちょっと首をかしげたこんなポーズでした。
月を見る猫吉のポーズ
 弟は、「<ねこきちさん>は月から来た使者なんだよ」と、冗談めかして、言うようになりました。
 <月からの使者>・・・かぐや姫のお話のようで、こんなこと口にすると変な人みたいなのですが、猫達との日々の中で、不思議なことが重なってくるにつれ、合理的には割り切れない、目に見えない世界のことって色々あって、<ホントに弟の言うこともありかもしれないな>ってどこかで納得したくなるような気持ちも動いていました。
  <猫吉>は、それから6~7年ほど、こうして一緒に暮らし、或る日、忽然と姿を消して、戻ってきませんでした。

 事故にでもあったのではと、随分探しましたが、全く所在がわからず、しばらく家族皆、ぽっかりとしてしまいました。
 居なくなったのは、思えば秋の満月の夜でした。
 弟は「やはり月に帰ったんだ」とぽつりと言って、寂しさを埋めていたようです。

 今でも、月を見上げていた不思議な白猫、<猫吉>のことが懐かしく思い出されます。

 
  紋次郎物語 ~その六 <猫吉>との日々~ これにて完と致します。



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紋次郎物語 ~その五<まだら>との日々~

紋次郎 最近、『紋次郎物語』がブレイクして、紋次郎ファンが巷(ちまた)に急増し始めているようです。
 ・・・・と言っても、このブログを読んで下さっているごくごく内輪の方々の間での事ですが。
 「次はどうなるのですか?」とか、
 「ドキドキしながら楽しみに読んでいます」とか、
 「何話まで続くのですか?」とか、
 「続きが読みたい!早く~~~う」とか。
 ・・・・色々、有り難いプライベートメールを頂いています。

 そうですよね。お待たせし過ぎですよね。
 筆者としては、(筆者??!! 突然偉そうです)猫の話が続き過ぎては、退屈なさるのではという深い配慮から、間隔をおいてアップしているつもりなのですが、・・・あまり間が空いては、話もわからなくなってしまいますし、ただのずぼらの言い訳ですよね。
 反省して、続きの執筆に勤しもうと思います。
 お詫びも兼ねた特別公開ということで、古いアルバムを紐解いて、今まで肖像権を守り公表を控えておりました彼ら三匹のポートレートをぼちぼちと少しずつ公開させていただこうかと思います。
 そして、本日の『紋次郎物語 その五 』は「その一」「その二」「その三」「その四」から続いております。よろしかったらもう一度、それぞれをクリックして、内容をご確認頂きますように。

  ~ その五 <まだら>との日々 ~
 深い母性愛に満ちたあの母猫の忘れ形見の、三匹の子猫には、それぞれ<まだら><猫吉><紋次郎>という名がつけられたことは前回お話しましたが、いずれが兄であり弟であるか、その順は全くもって定かではありません。
 そもそも同時に生まれているのですから、本当は上も下もないのでしょうけれど、人間の双子に習い、年長の順をつけるならどうだろうという他愛もない話題が我が家では持ち上がりました。
 長兄はおそらく<まだら>では、という全員の一致する見解の後、弟は大人しい<猫吉>こそが、私はやんちゃで負けず嫌いな<紋次郎>が、と、末っ子説は二分されました。

 兎も角も、まずは、<まだら>について、お話してみようかと思います。

   <まだら>
 誰もが<長兄>と疑わなかった<まだら>は、前回、
「母猫に一番姿形の似た日本猫、白地のベースに黒と茶の斑点が入っている三毛猫で、ふっくらとした柔和な顔つき、性格も人懐こく温厚で、理解力も抜群に良い優等生タイプの猫です。」
とご紹介してみましたが、まさにこの通りなのです。

 まだら
 ノラの出自を持った猫は、小さい時から飼い猫として育て、どんなに可愛がっても、やはりどうしてもどこかに野良猫としての生れついての性・・・どこか屈折していたり、警戒心が強かったり、もっと言えば、孤独を体で知ってしまったような性が・・・・沁みついて残っている様な気がするのですが、この、<まだら>については、本当に不思議なくらいそういう所がなく、ひたすら人間に親和的で、素直で穏やかで、けれど快活で、誰からも愛される可愛い性格の猫でした。
 兄弟への思いやりがあって、そして勇気もあり、猫に知能指数があるならダントツトップと思われるほど、一を教えれば十悟るというくらいの聡明さで、今でも、思い出すと褒め言葉が尽きることなく出てきますし、まず二度と出会えない逸材であったと思います。

 <まだちゃん>とか<まだら君>とか皆勝手に呼んでいましたが、どんな適当な愛称でも、速やかに反応し、呼ばれると嬉しそうにすぐ走ってきて、ちょこんと座る、犬みたいな猫でした。
 当時、猫達は、昼間だけは茶の間に入って遊ぶ事を許されていたのですが、茶の間に入るには、汚れた足を綺麗にするために、「縁側に置かれた雑巾の上で何度も何度も<よ~~し!>と言われるまで、足踏みをしなければならない」というとんでもなくおかしな取り決めが我が家にはあり、・・・・この方法を考案したのは私なのですが、・・・足踏み体操のような、猫にあるまじき奇妙な訓練も、あっという間に習得したのは他ならぬ<まだら>でした。

 これに限らず、何でもパーフェクトに覚え、また継続力もあり、兄弟も仕方なくこれに習うという感じで、まさにリーダーとしての役割をいつも担っていたような気がします。
 <足踏み体操>について言うなら、何があっても誠実に規則を遵守するのは、<まだら>で、誰かが見ている時だけ、とりあえずやってる風を装うのが<紋次郎>、いつも失念しては、兄弟の様子を見てはっと気づき、遅れを取って最後にやり始めるのが<猫吉>という、三者三様の姿がありました。

食事するまだらと猫吉 <まだら>は、食事の時も兄弟達にもきちんと行き渡っているか、いつも優しく気を使っていて、母猫代わりをしているのかと思わせるものがありました。 
 そんなせいか、傍若無人の暴れん坊<紋次郎>も兄貴分には明らかに一目置いて、彼にだけは、意外に従順に従っていましたし、<猫吉>に至っては「寄らば大樹の陰」と言わんばかりに安心して寄り添っている感じさえしました。(写真は<猫吉>(左)と仲良く食べている<まだら>(右)です)

 <まだら>は、私には特になついていて、出掛ける時など、どこまでも後を追いかけてきて、「もうお見送りは良いから、気をつけて帰りなさい」というと、聞き分け良く、でもちょっと寂しげに引き返してゆくという、まるで忠犬ハチ公みたいで、思わず抱きしめたくなる猫でした。

 犬のような猫がいることを私は<まだら>によって初めて知りましたし、ということはきっと、世の中には、猫のような犬もいるわけでしょう、動物といえどもそれぞれの個性があり、侮ってはいけなくて、命あるものは豊かな感情の機微と、かなり高い精神性を持っているのだと、私はずっと信じています。

 そんな<まだら>は、それからまだ一年もしないうちに死んでしまいました。

 年の瀬に近い、木枯らしが吹く寒い日の夜でした。

 数日前から、いつも元気印の<まだら>がどこか力がなくて、くしゃみをしたり、息が少し荒かったり、目も潤んでいて、風邪でも引いたかな?と心配していた矢先でした。

 猫達は、この頃はまだ、昼間家の中で束の間遊ぶ事はあっても、基本的には外猫として飼われていましたので、夜寝るのは、縁の下にそれぞれの寝床として用意された段ボールの中でした。
 ただ、子猫たちが迎える初めての冬がやってきて、段々寒くなってくる中で、家の中で寝る体制を考えてやらねばと思い初めていたところでした。

 <まだら>の様子が心配で、毛布を一枚余分に入れながら「明日、お父さんとお母さんに相談して家に入れて貰えるようにするから、少しだけ待っててね。」と話しかけたことを、それに応えるように嬉しそうにニャアニャアと甘える声で鳴いたのを今でも思い出します。

 翌朝、縁側の上で、<まだら>は、まんまるいいつもの柔和な顔をして亡くなっていました。
 後から調べてみると急性肺炎のような症状だったのかと思われます。
 心細かったのかな、箱から出て、最期の挨拶をしようとしたのかな、と心が痛くてなりませんでした。
 助けてあげられなかったのが、本当に可哀そうで申し訳ない気持ちが今でもしています。

 この後、残された猫たちは程なく夜は家の中で寝ることが出来るようになり、具合が悪くなればすぐお医者さんにも連れてゆきましたので、それにつけても、もう少し<まだら>が元気でいてくれたら、どんなにか楽しい時間を共有できたのではと思うのです。

 ちなみに付け加えますと、外と家との彼らの出入り口は、茶の間の押し入れの床板をくり抜いた、通称「猫穴」と呼ぶ小さな穴から、縁の下へと通じるように作りました。
 外から、縁の下を通ってちょっとジャンプして猫穴に顔を出し、押入れの少しの隙間から茶の間に入ることが出来るというわけです。
 これは防犯上も完璧で問題なしと家族も認めてくれました。
 例の足拭き雑巾ですが、猫穴の上がり口に置かれることとなり、彼らの足踏み体操も、押入れの入り口で継続されました。
 不思議なことに、今度は二匹とも覚えが早く、しかも<まだら>がしていたように、いつもきちんとこの習慣を崩さず全うし通しました。

 自分達を快適な生活に導いてくれた<まだら>への、彼らなりのはなむけだったのかなと、またまたおかしなことを私は考えています。

 これにて、「第五話 <まだら>との日々」 の完とさせて頂きます。
 次回は勿論・・・<猫吉>編と<紋次郎>編に続けたいと思いますので、お楽しみに。


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紋次郎物語 ~ その四 犬に負けるな ~

紋次郎
 5月フランス。
 先日、サルコジ大統領が決戦で負けて、オランド氏へと政権交代がなされました。
 <元>大統領夫人と呼ばれることとなったカーラ・ブルーニですが、10年ほど前に発表された彼女の代表作の<quelqu’un m’a dit>(誰かが私に言った)という曲、ご存じですか?

カーラ・ブルーニ
 ・・・『風のうわさ』というタイトルで私も訳詞をして、これまでのコンサートでも何回か取り上げています。
大好きな曲、・・・この季節になると風に吹かれながら、ふと口ずさみたくなる密やかで美しい曲ですので、ブログでもいつかご紹介させていただきますね。

 吹き抜ける五月の薫風・・と言いたいところですが、恐ろしい竜巻が起こったり、数日来、突然の雷とスコールのような激しい雨で、・・・最近の気象異変は何とも不気味です。被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げます。

 さて、前回から引き続いて、今日は、紋次郎物語 第四話をお届け致します。初めてお読み下さる方は、その一 その二 その三 と順を追って頂けるとわかり易いかと思います。

   ~その四 犬に負けるな ~
 母猫の忘れ形見のように、我が家にやってきた子猫たち三匹の世話を今後どのようにするか、私たち家族の前に、早急に解決しなければいけないいくつかの問題が突きつけられました。

 話し合った結果・・・というよりは、・・・実際には、一家の主として発言権、決定権、共に最優位にあった父の意向を酌んで・・・ということになりますが、・・・
 次のような三カ条がまず決まりました。

 第一条  三匹は、我が家の飼い猫と認め、基本的生活権を保障することとする。

 第二条  但し、原則として外で飼うこととし、何かの必要が生じて家に入れる場合も、立ち入っても良い場所は縁側で外と直結している茶の間のみとする。

 第三条 室内を汚してはならない。また、庭の植栽を損なったり、池の鯉に危害を与えるようなことがあれば、即刻、第一条は無効となる。


 <衣食住>と言いますが、第一条により<食>は完全に保障され、まずは、めでたし!
 <住>については、微妙にセーフかな?
 <衣>については、最近流行りの<ペット用のワードロープ>などとは、無縁の生活で・・・・。
 但し、二条、三条は、よく考えるとかなりな難題です。

 もとはと言えば、母猫と不用意にもおかしな契りを結んでしまった私の全責任であるから、「課題は自己責任で解決せよ」との命が下り、でも、折角の可愛い子猫たちとの日々を存続させるためですから、何とか無に帰さないよう、知恵を絞ることになったのです。

 三匹とも雄猫で、彼らにはようやくそれぞれ名前がつけられました。

 「まだら」
 母猫に一番姿形の似た日本猫、白地のベースに黒と茶の斑点が入っている三毛猫なのですが、ふっくらとした柔和な顔つきで性格も人懐こく温厚で、理解力も抜群に良い優等生タイプの猫です。弟が一瞬で命名した、ちょっといい加減な名前なのですが、でも何となくなごみ系の風貌にしっくりはまっていて誰も異存を唱えませんでした。

 「猫吉」(ねこきち)
 他の二匹に比べて、ひときわ体が小さく、全体的に華奢で、足が長くすらっと伸びた、おっとりした品の良い白猫です。唯一目の上、眉のところに、平安朝の御公家さんそっくりな黒い八の字眉のような模様が入っています。
 これも弟の命名。とにかくひらめきが良く、ご託宣のように瞬時に告げるので、皆、考える暇もなく妙に納得してしまうのです。
 彼はこの寡黙な猫が殊の外お気に入りで、随分可愛がっていました。

 「紋次郎」(もんじろう)
 ペルシャ猫系の血筋が混ざっていそうな長毛種の猫で、もわっと広がった綿みたいな毛並みの中から少しブラウンがかった大きな目が覗いていて、他の猫とはタイプの違うエキゾチックな風貌の猫です。性格は極めて野良猫的。母親とも兄弟とも似ていなくて、変に敏捷でとんがっている異端児です。
 弟に先を越されないように、何とか私が・・・と間髪を入れずに発言したら、どこかで聞いたような月並みな発想になってしまったようです。後から考えると、カイザーとか、ルパンとか、横文字でも充分良かったわけですが。
 でもこれも一声で採用となり、あまりにも早すぎる三匹の命名式でした。

 さて、こうして名付けられた三匹が我が家の住人・・・住猫・・・でいられるためのクリアすべき課題なのですが。

 母猫とのコミュニケーションですっかり自分自身の潜在能力に開眼してしまった私は、俄然猫たちの躾に使命感を燃やしていました。
 生きとし生けるものには心と知性があるはずだから、それに届くよう誠意を尽くして対話することだという信念で・・・・。
  <鉄は熱いうちに打て>
  <動物の躾は飴と鞭>
  <虎穴に入らずんば虎児を得ず 猫と対話するには猫になりきること>
  <反復あるのみ 相手が根負けして受け入れざる得なくなるまでひたすら辛抱強く繰り返すこと・・・・何度でも 何度でも 出来るまで>
  <決して感情的にならず一貫した方針を崩さないこと その時の気分で許したり怒ったりしないこと 駄目なことは槍が降っても絶対駄目 >
  <猫であることの誇りと自信を尊重すること 猫なんだからできると相手が信じるまで >

 どのようにしてこれを実行したか、色々ありすぎて具体的に書けませんし、また言えば絶対に皆様・・・引いてしまわれるでしょうから秘密にします。
 が、語り尽くせぬ苦労の末、彼等は以下のような信じ難き賢猫へと変貌を遂げたのでした。
  <茶の間以外には決して一歩たりとも足を踏み入れない>
  <外から茶の間に入るときは汚れた足を雑巾で拭く>・・・・この躾は結構大変でしたが、ついには縁側に置いた雑巾の上で足踏みする三匹の姿を見ることとなりました・・・・これはまた後日詳しくご説明しましょう。
  <どんなにご馳走があっても、飼い主が与えるまでは絶対にねだったり、ましてや手を出したりしない>・・・食卓に飛び乗って食べ物に手を出すなどという卑しい行為は教養のない猫のすることだとしっかりと洗脳しましたので。
  <定められた場所で用をたす>・・・・父の許可をもらって、庭の一角に砂場を作りそこを定位置と決めました。むやみに庭を掘り返したりしたら大変だったからです。
  <池の鯉や金魚は大事に飼っているものだから手を出してはならないと言い含めた>・・・・これは理解できたのかどうか暫くは定かではありませんでした。・・・が、成功していたようで・・・これも後日譚に改めてご紹介します。
 
 この訓練の日々の合言葉は、<
犬に負けるな!>。

 犬のする芸、たとえばお預けなどは、三匹とも出来たのですが、でも私は基本的に芸を覚えさせることを好みませんでした。
 繰り返しますが、猫としての誇りを持ってもらいたいと思っていましたので。

 でも、どの猫でもこれだけのことが出来るかというと必ずしもそうでもないでしょうね。
 三匹とも偶然かなり優秀な素質を持っていたのかとも思われます。
 また、たぶん、彼らには出生からの追い目のようなものもあり、それをあの母猫から教え込まれていたのかもしれません。
 また、飼い主である私のほうにも、どうしても訓練せねばという切羽詰まった状況があり、それに情熱を傾ける時間的余裕があったことも原因でしょう。

 猫たちとの時間はこうして始まったのですが、思い出に刻まれていることは沢山ありますので、次回もまた彼らの様子を続いてお伝えしてみたいと思います。

 では、本日の 第四話「犬に負けるな」 はこれにて完と致します。

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紋次郎物語 ~ その三 母子の別れ ~

紋次郎
 GW、如何お過ごしですか?
 今日明日は上天気とのこと、新緑が眩しくて、この季節は光と風が体にも心にも沁み渡ってくる気がしますね。

新緑薫る
 5月は俄然アウトドア派になる私なのですが、この連休は珍しく自宅に陣取って、家の中に光と風を通しています。・・・・・所用の合間を縫いながら、しばらく放ったらかしだった家の片付けと大掃除・・・ご存じの通りの片付けフリークに今スイッチが入り、大騒ぎの真っ最中です。

 さてそんな中、またまたお待たせいたしました、紋次郎物語 第三話をお読みいただこうかと思います。

 その前に特記事項を。
 * 今日の『~その三 母子の別れ~』 は、おそらくこのシリーズ(?!)最大の山場となるでしょう。
 * そして<不思議満載>なのですが、神に誓って全て本当の事ですので、「うそだあ~~」などと、人を嘘つき呼ばわりすることなきよう、よろしくお願い致します。もしかしたら、こんな馬鹿げた話には付き合えないと呆れ果てる方も出てくるかもしれませんが、それは私も充分覚悟しています。

  その一 その二 からの続きですので、始めてお読みになる方や、もう忘れてしまわれた方は、こちらをクリックして復習してからお読み頂けるとよろしいかと。

  ~ その三 母子の別れ ~
 猫達が忽然と姿を消し、1~2カ月が過ぎた頃だったでしょうか?

 当時の我が家は、昔風の造りで、東側に向いて茶の間があり、ガラス戸を開けると、その向こうに縁側がありました。
 その日は、家中の窓を大きく開け放って風を通し、庭に沢山干し物をしていた記憶がありますので、梅雨が明け初夏となった心地よい頃だったのではないかと思います。
 お昼過ぎ、母の手伝いを終え、茶の間にゴロンと寛いでいたのですが、ふと、何か気配を感じて、目を上げると、庭の向こう側の真直ぐ奥に、久しぶりに見る母猫が端座していました。
 何も言わず、瞬きもせず、ただ目を見開いて、足を揃えてとても綺麗な姿勢でずっと遠くから私の方を見ています。
 私は、横になったまま猫から目をそらすことが出来なくなり、そのままじっとしていたのですが、そのうちいつの間にか、猫と同じような面持ちで正座していました。
 長い時間だったのか、あっという間だったのかよくわかりません。
 時が止まったような、不思議な沈黙が、私と猫との距離に流れていました。
 猫の目はとても落ち着いていて全く揺らぎがなく穏やかに見えました。

 しばらくそうしていて、突然、猫は真直ぐにこちらに近づいてきました。
 すっ、すっと、真正面から目を合わせたまま、全くひるむことなくゆっくりと歩いてきたのです。
 野良猫としての安全圏を保つ距離を、この母猫はこれまで侵すことは決してありませんでしたから、どんどん近づいてくる猫の姿は私には余りにも異様に思えましたし、猫がどうかしてしまったのか、ひょっとして突然凶暴になって襲われるのではないかという恐怖心がよぎったりもしました。
 でも、静かなのに何だか抗いがたい迫力があって、後ずさりして逃げたくなる衝動を抑えながらただ息を飲むだけで動くことも出来ませんでした。
 猫は近づいてきて、縁側に静かに飛び乗り、そこで止まって、またじっと私の方を真直ぐに見つめていました。
 茶の間に茫然と座っている私と、縁側に端座する猫。
 見つめ合って、手を伸ばせば届くような距離です。
 それから、猫は突然、ニャア~ニャア~と割と細く尾を引くような鳴き声でずっと鳴き続けました。
 今まで経験したことのない不思議な光景でした。
 10分、20分、その声はいつまでも止むことなく続いて、それを聴きながら、私は段々、奇妙な感覚になってきて、・・・・ここからは勝手な思い込みかもしれないのですが、母猫が明らかに何かを訴えていると確信していました。
 なぜそう思ったか、不思議なのですが、あの時、母猫は子猫たちのことを託しに来たのだと、今でも私は信じています。
 よく見ると、毛並みも色褪せて随分みすぼらしくなっていて、前よりずっとやせ細って衰えているのがわかりました。そのうちに声を嗄らし始めてきてそれでも鳴くのを止めません。病んだ最期の力を振り絞っているかのようにも思われてどこか不憫でなりませんでした。
 気が付くと、二階で仕事をしていた母が降りてきて、この異様な光景を一緒に見守っていました。
 しばらく二人共黙って、殆ど同時に、「子猫のことを頼んでいるに違いない」とぽつりと言い合いました。
 「これは引き受けてあげないと・・・」
 「仕方ないわね」と母も。

  ・・・・気が触れたと思わないで、もう少し読んで下さいね。

 「もうわかったから。もう鳴かなくて良いから。子猫は何とかしてあげるから。」と、猫に数回話しかけていました。
 猫は鳴き止み、そして驚くべきことに、茶の間にいる私と母のすぐ目の前にすっとやってきました。この猫が家の中に入ったのは、勿論これが初めてのこと、そしてころっとひっくり返ってお腹をみせたまま動かず、ゴロゴロと喉を鳴らし始めたのです。
 飼い猫なら嬉しい時によくするポーズでしょうが、野良猫として生きてきたこの猫にはあるまじきことですよね。
 「よしよしわかったから・・・大丈夫だから安心して・・・」などとまた言って、猫の頭とお腹を思わず撫でたのですが、猫は黙ってしばらくされるがままになっていました。

 やがて、起き上がり、そしてまたしばらく鳴いて、今度は背中を向けて真直ぐ振り返らず去ってゆきました。

 私がこの母猫を見たのはこれが最後です。

 翌日、申し合わせたように子猫たちが、我が家の庭に姿を見せました。
 四匹いたはずの子猫は、三匹になっていて、彼らを守ってくれていた母猫はもういません。

 
 どう思われますか?
 一緒にこの顛末を見届けた母とは今でも時々この不思議な話をし合います。
 弟はこの情景を見ることが出来なかったことをとても残念がっていますし、父も今度は「約束したなら仕方がない」といくつかの条件付きで世話をすることを許してくれました。・・・

 家族のこういう理解のもとに、子猫たちとの新しい生活が始まることになったのです。

 これは、とても変な話と思われるかもしれませんが、本当に私自身で体験したことなのです。
 そして私はこの母猫に、とても不思議な感動と親愛の情を今でも感じています。

 紋次郎物語は、まだ続いてゆくのですが、第三話「母子の別れ」はこれにて完とさせて頂きます。


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猫の話 ~閑話休題~

 このブログで、ご紹介し始めました『紋次郎物語』ですが、思い出していると、次々と懐かしく「紋次郎」を巡る出来事が浮かんできて、このところ、タイムスリップしたような楽しい時間を過ごしています。
 ただ、これから先、とてつもなく長くなりそうで、最後まで行き着くかどうか、我ながら少し心配になってきたのですが・・・。

 それと共に、猫のことを書いた文章が、最近やけに目にとまります。


  「猫が猫らしく暮らす島を訪ねて」
 先日届いてきた『通販生活』の夏号にこんな記事が出ていました。
 (注『通販生活』はカタログハウスという結構有名な通信販売の会社が出している、商品カタログ誌だが、ちょっとユニークで読み物としても面白い記事が時折出ている。以前何回か商品を購入したら、いつの間にか送られてくるようになった。私・・・密かに愛読している。)

 この中に、「猫が猫らしく暮らす島を訪ねて」という山口規子さんという方が取材し書かれた文章が沢山の猫の写真と共に載っていてなかなか興味深かったので、ご紹介してみようと思います。

 「宮城県・石巻湾に浮かぶ田代島は、人よりも猫のほうが多い島だ。主に高齢者ばかりの41世帯61人が暮らす周囲11.5キロメートルの小さな島に約100匹もの猫が住みついている」という文章から始まります。
 一部猫好きには有名な<猫だらけ>の島なのだそうですが、漁業を生業とする島の生活の中で、猫達は港を中心にして生活していて、朝、船が漁から戻ると、漁師たちは売り物にならない獲れたての小魚をふんだんに猫達に分け与える、猫には申し分のない楽園であるようなのです。

「人間にいじめられたことがないらしく、どの猫も逃げないし、隠れない」
「ここでは人間と猫が同等に暮らしている。島民が猫の生活を尊重していることをひしひしと感じた」
と記されています。
 その昔は、米作のネズミよけとして、その後は大漁の守り神として尊重されてきたらしいのです。猫を守るため、この島には犬は一匹もいないというほど徹底しているようで、私が猫だったら、絶対田代島に移住したいと思うでしょうね。

 この記事は、「私が子供だった頃は家の外には野良猫がいて、人間と折り合って生きていた。猫が猫らしく暮らし、島民も実にのんびりした生活を送っている田代島は、いまや特別な場所なのだろうか。」と締めくくられていて、前回の記事でご紹介しましたが、イスタンブールの猫達の暮らしと重なるものを大いに感じました。
 自然との関わり方が大きく変化してきた現代の生活ですから、猫や犬などの動物も当然例外ではなくなっているわけですが、こういう記事を読んだりすると、文明が進み過ぎたことの意味を改めて考えさせられてしまいます。


  「猫に名前をつけすぎると」(1998、河出文庫)
 猫に名前をつけすぎると(河出文庫)
 ずっと昔に読んだ、小説家阿部昭氏のエッセイ集が本棚の奥にあり、今朝、ふと目に留まりました。思わず一気に読み返してしまったのですが、軽妙なタッチの中に洒脱なユーモアと小動物への愛情や鋭敏な観察眼が感じ取れて楽しかったです。
 「猫を飼ったら、いくら可愛くてもあまり名前を付け過ぎてはいけません。
名前はやはり一つだけ付けるのがいいのです」
とあります。
 たとえば、「クロ」を「クロすけ」と呼んだり、「クロコビッチ」と呼んだりしてはいけないというのですが・・・・。
 これについては、私にもちょっとした経験がありますので、いずれ、『紋次郎物語』の続きの中で、取り上げてみる事にしたいと思います。

 阿部昭氏はかなりの猫好きなようですが、彼に限らず、犬派ではなく、猫派の小説家や画家は結構多そうです。内側に深く入り込む感性は、どこか猫に惹かれ、引寄せられる要素を持っているのかもしれませんね。


 今日は、閑話休題で、猫のことを書いた文章を紹介させていただきました。


 さて明日は、巴里野郎での初ライブがあります。
 お客様に楽しんでいただけるよう、ベストを尽くしてきたいと思います。



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紋次郎物語 ~その二 母と子~

 紋次郎
 先日の記事、『紋次郎物語 ~その一 誕生~』に、<ひろか>さんからこんなコメントをいただきました。

 是非是非続きも更新してください!
 トルコは猫天国の国です。
 どこに行っても猫がいます。トルコ人はみんな猫が大好きみたいで、野良猫のための水や餌がところどころにあります。
 「野良」とはいっても、住民みんなで育てている感じです。
 猫がいる風景は、気持ちがほっこりしますね。


 時々コメントを寄せて下さる<ひろか>さんは、現在イスタンブールにお住まいの子育て真っ最中の溌剌ママさんです。嬉しいお便りをありがとうございます。トルコは猫天国なのですね。知りませんでした。<ひろか>さんにもトルコのニャンコたちにも会いにゆきたくなります・・・。

 大変お待たせいたしました。紋次郎物語 第二話をお読みください。


  ~ その二 母と子 ~
 我が家の庭に姿を見せるようになった牝猫がある日子猫を5匹生んだというところまで、お話ししたかと思います。

 牝猫の後を転げるようによちよちとついて回る小さな子猫たちの姿はその後もずっとお向かいのアメリカ人のFさんのお庭にありました。
 さすがに当時でも、トルコのように野良猫を住民みんなで育てるというわけにはいきませんでしたが、さりとて、「野良猫を寄せ付けてけしからん」という苦情もF家には格別なく・・・今だったら、まわり近所から非難殺到で、野良猫の餌付けなどとんでもないのでしょうが・・・・いつの間にか<Fさんちの野良猫>(よく考えるとどっちつかずの変な呼び名ですが)という名で猫たちは市民権を得るようになっていました。
 そのうち<Fさんちの外猫(そとねこ)>とのんびりと呼ばれるようになり、・・・牝猫の粘り勝ちですね。・・・Mr.Fの鷹揚な庇護の下、食べる心配もなく、子猫たちはころころと成長していきました。
 
 しばらくして、今度は子連れで、牝猫が我が家の庭を散歩するようになった頃、・・・この頃には、気がつくと5匹いたはずの子猫がいつの間にか4匹になっていました。病死したのか、どこかに貰われたのかよくわかりませんが、・・・・突然、F氏が、「バカンスで一家でアメリカに三週間近く帰国するので」、というご挨拶にみえました。
 その時、家にいた母と弟が応対したのですが、Mrがカタコトの日本語で、多分、「留守の間、ウチの猫たちのことをよろしく頼む」というようなことを言っていた・・・というのです。
 母ははっきりと頼まれてはいないと言い、弟はいや、確かにそう言ってた気がする・・・と多少解釈が異なっていましたが、翌日から、お向かいは空になり、さあどうしようかという話になりました。
 父は「癖になったら大変だし、そもそも野良猫なんだから」とどこまでも初志貫徹でしたが、頼まれたことをおざなりにはできない責任感の強い母は、「とにかく旅行から帰られるまでは・・・」という意見で、子猫の愛らしさにメロメロになっていた私たち姉弟はその母に加勢して、結局多数決の法則で、なし崩しに、猫たちの食事の世話をすることになったのでした。
 
 赤ちゃん猫は可愛い盛りで、一挙手一投足にいくら見ていても飽きないくらいの愛きょうがありました。でも母猫は野良猫道に徹していたのでしょうね。
 大人しく穏やかなのですけれど、いつも人間と一定の距離を置いて、決して子猫には触らせず、私たちが子猫を抱き上げたり撫でたりしようとするとさっとそれを阻んで逃がしてしまうのです。

 初めはFさんの庭に出向いて、そのうちに我が家の庭で餌をやることになったのですが、餌のお皿を、私たち人間からある程度離れた距離に置かないと、どんなにお腹が空いていても、決して近寄ってきませんし、子猫にも近寄らせないようしていたようでした。
 そして常に、まず子猫たちに食べさせ、それを優しく見守っていて、子どもたちが食べ終わると、その残りを遠慮がちに最後に食べていました。たまに子猫たちが皆食べてしまって自分の分が残っていなくても満足そうな静かな様子を崩さず、母の愛とはかくあるべしというお手本のような凛とした風情でした。
 母猫はあまり鳴き声を発することのない・・・たぶん寡黙な性格だったのではと思うのですが、食事の時には子猫たちに必ず声をかけて、何か教えていたようですし、食事が終わると、まるで本当に『御馳走様でした』と言ってるかのように、こちらをじっと見ながら、ニャーニャーと二声程発して帰るのです。
 偶然でしょう?と思われるでしょうけれど、いつでも必ずそうなので、何だか不思議な感動があって、これは猫と言えども侮れないと思いましたし、私としてはこの頃から段々この猫に、かなりな愛情を感じるようになっていました。

 子猫たちは4匹、バラバラな風貌をしていました。
 真っ白い短毛系の猫、モジャモジャの長毛種、母猫と似た三毛、またそれとは違った毛並みの日本猫・・・・・、野良猫たる所以なのでしょうね。どう見ても兄弟とは思えないほど様々入り混じってじゃれ合い、ちょこちょことかけ廻っていました。
 まだ、両手で包めそうなくらい小さい子猫たちには、世界は何もかもが初めての出会いで、どんなにか輝いて見えているのだろうと思われました。


 ・・・で、無事、バカンスを終えた彼らの飼い主は戻り、また我が家は平穏でちょっと物足りない日々が始まった・・・・はずだったのですが、一カ月位過ぎた頃に。


 またしても、母と弟の在宅時、F氏の訪問があり、・・・・でも今度は日本人の奥様とお子さんたち、ご一家総出で、お引越しのご挨拶でした。
 横須賀のベースに関わりのあるお仕事だったらしく、その関係で、同じ市内なのですが、少し離れた米軍住宅に住むことになったそうなのです。
 今度は母も弟も、「で、猫たちは??」としっかり伺ったところ、「ウチで可愛がっている猫なので、勿論全部連れてゆきます」ということでした。

 猫大好きの私と弟は寂しかったですが、父と母は、これでようやく安らかな日が戻る・・・と思ったのでしょうか、かなり上機嫌でした。


 お向かいは猫と共に空き家となり、一カ月ほどして、ぽっかりとした気分にも少し慣れてきた頃、あろうことか・・・・あの猫たちが空き家の庭に。

 母猫は何だかやつれて、でも、子猫たちは相変わらず可愛くて、少しだけ表情がしっかりしてきたように見えました。

 どうしたのでしょう?事情は全くわからないのですが。

 <猫は家につく>と言いますし、まして野良猫ともなると自分の生まれ育ったテリトリーが何と言っても一番良いのかもしれませんね。
 どういうタイミングでかはわかりませんが、家猫になり損ね、古巣に戻って来たのではと思われます。
 脱走兵は速やかに強制送還するべきところなのでしょうけれど、生憎Fさんとはどうしても連絡が取れず、かといって肩代わりする訳にもいかず、ともかく今度は心を鬼にして決して餌をやるべからず、そうすれば必ずや今度こそ、どこか違う場所に移って行くに違いないから・・・という両親からの至上命令が私たち姉弟に下されました。

 この頃は相当な愛着を猫たちに持っていましたので、空腹そうな顔で母子からじっと見つめられると、正直言って結構辛かったです。

 既に母猫とはかなりのレベルでコニュニケーションが交わせるようになっていた??!!・・・と自分で信じていた私は、(呆れないで下さいね。頭が変なわけではありません。理屈に合わなくても、生き物は不思議ですから、本当にそういうことってあるのではと思うのです)母猫に向き合って、<どうしても飼ってやれないから、自分で生きる道を探してほしい>というようなことを一生懸命話しかけていました。
 猫はじっと聴いている風に思われ・・・・それからすぐ本当にいなくなりました。


 さて実は、ここからが益々不思議なお話しになってくるのですが、これ以上話すとひんしゅくでしょうか?
 ・・・・よろしければ、また次回続きをお話しさせていただきますが。

  まずは、第二話「母と子」はこれにて完と致します。




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