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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

加古里子(かこさとし)氏への追悼

 2018年5月2日に、絵本作家の加古里子(かこ・さとし)氏がお亡くなりになりました。謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。

 かこさとしさんのお嬢様とは旧知の間柄で、ご両親ともかねてから親しくさせて頂いていました。

 最近は体調を崩されていると伺い、とても心配していたのですが、突然の訃報に驚くばかりです。
 2日に他界され、ご家族だけでしめやかにご葬儀を済まされました。
 多くの皆様から慕われて、体調の優れない日々の中でも旺盛な創作活動は留まることなく、92歳になられた今年2月頃まで筆を執り続けていらしたとのこと、フル回転で過ごしてこられた生涯の最期を、ご家族の皆様が静かにお見送りになったのですね。
 「偲ぶ会」が改めてあることを伺いました。
 その際は、謹んで列席させて頂こうと思いますが、今、安らかなご帰天を心からお祈りしたいと思います。

 お嬢様のMさんに、かこさんの新刊書をいつもお送り頂いていたこともあり、私はすっかりかこさんの世界のファンになっていて、膨大な量の絵本、児童文学、エッセイ、新旧を問わず殆どすべてを精読してきました。
 
 そのお人柄にも、穏やかで温かく朗らかな、でもものの奥底を射抜くような鋭い洞察の力を感じました。スケールの大きなとても魅力的な方でした。

 このブログでも、これまで何回かご紹介してきたのですが、改めて今読み返してみると、様々な思い出がよみがえってきます。
数年前の記事ですが、よろしかったら、どうぞ皆様もお読みになって下さいね。

 『かこさとしの世界 おはなし・かがく・あそび』 (2011年9月記)
 初めてかこさんのことを取り上げた記事です。
 台風の日、鎌倉市長谷にある鎌倉文学館に、『子供たちへ、未来へシリーズ1 特別展 かこさとしの世界』を見に行った際の感動が記されています。
 会場の入口に掲げられたかこさん自筆の言葉には、子供たちを見守る温かい眼差しが感じられます。

 子どもたちへのメッセージ
  これからの未来をおしすすめ
  もっとよい世界にするため
  科学や学問を身につけ 
  ちがった意見をよくきき
  考えをふかめて実行する
  かしこい人にみんななってほしいと願っています
  そして 自分のくせや体力に合ったやり方や練習法をみつけて
  自分できたえて 
  たくましくてしなやかな能力と
  すこやかな心をそなえた人になるよう努力してください
                       かこさとし

 『子供の読書~本の手触り~』  (2012年1月記)
 この記事では かこさんの『こどもの行事 しぜんと生活』という児童書との出会いに感動して、こんな風に綴っています。
 
 ・・・・子供向きにわかりやすい言葉で記されていても、内容は妥協なく惜しみなく伝えるという科学者の情熱みたいなものがあるのでしょう。
 子供達を健全で聡明な世界に育んでゆこうとする愛情が強く感じられ、、・・・(中略)・・・かこさん自身が、小さな子供のように好奇心に満ちて、柔軟な発想を持っていらして、それが、私が彼の世界に魅かれる所以なのかもしれません。
 
 美しき受賞の夕べ ~祝!かこさとし氏~  (2012年12月記)
加古さんと

 ここでは、2012年東燃ゼネラル児童文化賞を受けられたときの様子を記しました。

 私もお招きを受けて同席しましたが、その時の2ショットは、今、思い出の一枚となりました。


 謹んでご冥福をお祈りいたします。



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音楽の祭日<二> 座談会とコンサート

 昨日の記事「音楽の祭日」<一> 京都とParisの続きです。

   記者発表の様子
 午後3時からのプレス発表の2時間前、清水寺寺務所内「洗心洞」にスタッフ全員が集合し、会場設営、資料準備などを行いました。
 記者発表
 主だった報道機関に広く案内を出していましたが、期待と緊張が高まる時間が流れます。

 やがて定刻となり、会見がスタートしたのですが・・・・。
 ハプニングって起こるものなのですね。
 この日の主役である、トランペット演奏の音楽監督・指揮者の杉木峰夫氏が折からの集中豪雨で新幹線の遅延、しかも関が原付近で立ち往生しているという連絡が入りました。
 前日まで空梅雨だったというのに・・・・。一時間の会見時間内に到着されることを皆で願いながら、急遽発言の順番など調整して対応しました。

 まずは、会場提供を快諾してくださった清水寺ご住職からのご挨拶。
 そして、実行委員側6名が、それぞれの責任分野の中から内容説明をしてゆきました。

 「音楽の祭日」を1982年に初めて提唱されたフランスの元文化大臣のジャック・ラング氏からビデオメッセージも寄せられ、これも記者の皆様にご紹介することが出来ましたし、具体的イメージを喚起するため、フランスでの音楽の祭日の模様を写した活気に満ちた映像なども流しました。

   座談会への思い
 そして、私は、座談会の主旨説明を行ったのですが。
 限られた数分間という時間の中、次のような思いをお話してみました。

 壮大な「100本のトランペット」の演奏を聴き、音楽の持つ力・感動を、生で感受して頂いた後の座談会・・・・そういう音楽活動の意義や役割について改めて思いを馳せ、理解を喚起し、未来につなげる、広く世界にメッセージを発信するもう一つの大きな力となるよう、・・・・そんな思いをもって臨みたいと考えています。

 『音楽は国境を超える 世界友愛の祈り(仮題)』がこの座談会のメインテーマですが、各界の有識者の方々それぞれの立場から考える音楽の力、魅力、独自な音楽観というものを和やかな雰囲気のうちに引き出して行けたら素敵です。

 そして更に、長い歴史と美しく深い伝統を持つ清水寺成就院で開催されることにも大きな意味を感じます。
 京都が未来に発信してゆく大きな役割、継承し続けてきた文化、それを踏まえながら様々な文化論も伺おうと思います。

 そんな多岐にわたる話題を通して、テーマである「世界友愛・平和」への提言を興味深く、魅力的に展開して行きたい・・・思いは広がります。

 
   雨上がりの成就院
 杉木氏は終了10分前に無事到着、トランペットとのご自身の出会い、思い出、今回の演奏にかける思いなど、熱く語って下さいました。
 「トランペットは、雨の中でも大丈夫な唯一の楽器なんですよ」と最後におっしゃった言葉は、この日の雨の受難をかみ締めていらしたのかもしれません。
 100人のトランペッターが西門に華やかに並び、その音色が、雨の中、或いは晴れ渡る6月の空に力強く響き渡る様子が目に浮かんできました。
    杉木氏     愛用のトランペット
 「洗心洞」での記者発表は4時に終了し、会場を「成就院」に移して、ここで杉木氏のトランペット演奏が披露されました。
 当日の演奏曲から、オリジナル曲「この小さな地球」を演奏して下さいました。
内部 縁側
  ・・・雨上がりの夕暮れ、粛然とした美しい成就院の庭(「月の庭」)に向かって奏でられたトランペットの音色は、音楽が奉納されていくようで美しかったです。
      月の庭
 来年6月21日、トランペット演奏。そしてその後、この成就院での座談会、そして引き続き第三部として行われる楠田名保子さんの二胡の演奏会、準備は更にこれから続きますが、是非皆様楽しみになさってお運びくださいね。
 (座談会のパネラーについては正式決定し次第ご案内致します。)

 以下が来年のプログラムとなります。

   2018年6月21日(木) 
   第1部  15時~16時 
       「清水寺・世界友愛100本のトランペット」
       出演 100人のトランぺッター 指揮・演奏 杉木峯夫
       開催場所  西門(勅使門)
   第2部  16時30分~18時  
       記念座談会(成就院)(司会 松峰綾音)
       「音楽は国境を超える・世界友愛の祈り(仮題)」
   第3部  18時~18時30分 記念演奏会 
       二胡演奏  楠田名保子(成就院)
   
    
 京都新聞
 翌日の6月22日、京都新聞 毎日新聞 読売新聞が朝刊に記事を掲載して下さいました。
 各誌とも写真は雨上がりの成就院でのトランペット演奏を採用していますね。
読売新聞2

 読売新聞の写真に写っている左端の白いワンピース姿が私、松峰です。

   2019年 清水寺成就院でのコンサートが決定しました!
 現在、清水寺は平成の大修理にかかっています。
 西門は来年の6月までには修復を終え、覆いの取れた美しい姿を現しますし、その中でのトランペット演奏が行われることになるのですが、本堂等全ての修理が終わるのは4年後の2021年となります。

 この2021年の落慶を祝って、落慶記念のトランペット奉納を再び行うことになっており、従って清水寺を舞台とした実行委員会の一連の活動はこの4年間継続していきます。

 そして、2021年のトランペット奉納まで、毎年6月21日に、成就院で、音楽の祭日の演奏会を開催させて頂ける事になったのです。
 来年2018年の予定はこれまでご紹介してきた通りですが、その翌年2019年6月21日の演奏会は、私、松峰綾音のソロコンサートとなることが決まりました。

 随分先、二年後のお話ですが、どうぞ是非今からご予定に入れておいてくださいね。
 演奏会の主旨に相応しいものになるよう、じっくりと内容を練りながら、素敵な清水寺のコンサートを実現したいと思いが膨らみます。



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「音楽の祭日」<一> 京都とParis

 今日は、嬉しいニュースをお知らせしたいと思います。

 来年2018年6月21日、清水寺で開催される座談会のコーディネーター、及び司会をすることになりました。
 そして再来年2019年6月21日には、同じく清水寺塔頭成就院でソロコンサートを開催致します。

 どんな経緯で、どんな内容なのか、・・・少し長くなりますが、順を追ってご報告致しますね。
 記者発表
 先日6月21日は、全国的な豪雨となり、新幹線を初めとする関東・関西の主だった交通機関も軒並み遅延・運転見合わせが続出する大変な一日だったのですが、ようやく雨も上がってきた午後3時、京都「清水寺 寺務所内 洗心洞」において「音楽の祭日2018年記念事業」についてのプレス発表が行われ、私もこれに同席、内容説明をして参りました。

   「音楽の祭日」とは 
 まず「音楽の祭日」とは何かをご説明してみたいと思います。

 1982年に「 Fête de la Musique(フェット・ド・ラ・ミュジック=音楽の祭日)」として、パリで誕生したのが最初です。
 「音楽はすべての人のもの」という基礎理念のもと、フランスの文化事業振興策として、ジャック・ラング文化相の発案で始まり 開催日は古来の「聖ヨハネの祭り」にちなみ、6月21日(夏至)と定められました。
 1985年「ヨーロッパ音楽年」に海外に発展、これが大きく広がって行き、36年を経た現在は、世界120カ国・700都市以上で6月21日に世界同時開催されている世界的なお祭りなのです。

<すべて音楽><みんな音楽家>という思想で、世界同日開催、世界とつながる年に一度の「音楽解放の日」というわけなのです。
パリ風景
 一度どうしても6月21日のフランスに行ってみたいと、ずっと前から熱望しているのですが、未だ叶っておらず・・・。
パリの様子など、映像等で様々見るにつけ、発祥の地の熱気を強く感じます。

 街の角々、小さなカフェから大ホールに至るまですべて無料で開放し、ジャンル、プロ・アマ、個人・団体、国籍も問わず、皆が出演し歌い、楽器を奏で、聴き、朝から夜更けるまで賑やかに音楽に酔いしれる光景。
 国中が音楽の喜び一色に染まる、まさに大フェスティバルなのです。

    「音楽の祭日 (Fête de la Musique au Japon)」について
 では、日本にはどのような形で入ってきたのかと言いますと。

 フランスで生まれた「音楽の祭典Fête de la Musique」を原型とした日本版、「音楽の祭日( Fête de la Musique au Japon)」は2002年に「音楽の祭日・日本事務局」が主管となり関西から始まりました。

 既に今年で16回目という歴史を持っており、パリなどヨーロッパの13都市などとも呼応しながら、2016年は関西15都市と東京で開催されました。
 昨年度の総演奏者は1000名、総コンサート数約90、そして参加者は全国で大よそ2万人と事務局は発表しています。
 コンサートはすべて入場無料、無償提供を受けた会場に プロ・アマ問わずノーギャラでの出演です。
 「音楽はすべての人のもの」を基本理念として「無償提供された会場で プロの演奏もすべて無料で聴く」 というパリでの誕生時のポリシーがしっかりと引き継がれているのですね。
 日本の場合は、現在、6月21日の枠を少し広げて、関西では18日~21日、関東では10日~25日に開催しています。
 
   「清水寺・世界友愛100本のトランペット」
 さて、お待たせいたしました。
 ここで、ようやく来年度の記念事業についての説明です。

 例年行ってきた各会場での音楽の祭日のイベントに加えて、京都で来年特別に加わる「京都Paris姉妹都市60年記念」のイベント。

 2018年の一大プロジェクトの記者発表が、先日6月21日に行われたのですが、まずは、実行委員長の主旨表明の文章を引用します。

 音楽の祭日/京都Paris姉妹都市60年記念
 ・・・・世界120カ国700都市同時開催・・・
  「清水寺・世界友愛 100本のトランペット」 記者発表会

 文化交流や親善を目的として京都市が最初に提携した姉妹都市がパリ・・2018年は60年という節目を迎えます。
西門
 京都にご縁を頂く有志が 姉妹都市60年を記念して京都から「友愛」のメッセージを世界に向けて発信する企画を推進して参りましたが、このほど清水寺の特別協力で「世界友愛 100本のトランペット」西門(勅使門)での奉納演奏、
成就院 成就院での座談会「音楽は国境を超える 世界友愛の祈り(仮題)」、および記念演奏会等の開催が実現する運びとなりました。

 2018年6月21日(木)清水寺での展開は 1982年フランスで生まれた「Fête de la Musique」の一環として世界120カ国・700都市と同日開催されます。
 世界が音楽でつながる「音楽の祭日」の更なる発展にご理解とご協力を賜り、あわせて1年先2018年「清水寺100本のトランペット」参加出演を全国トランぺッターに広くよびかけたく思います。 
         
 
 更に詳しくは音楽の祭日のWEBをご覧ください。
 演奏者募集についての詳細も掲載しています。
  
 ポスター
 そして、記者発表時にお披露目され、配布されたポスターがこちらです。
 ポスターデザインは実行委員会のアドバイザー、松原昭俊氏。
 静謐で素敵なデザインに次のようなコメントが付けられています。
西門から京都を臨む
 清水寺西門に立つと平安京の街並みが眼下に広がり 佇むと何かが新しく湧き上がって来る。天に続く西山に向かって奏でられるトランペットは清水の水流を内に秘め、観音菩薩の千手の如く四方に放たれる閃光、天に響き共鳴する波紋となり「世界友愛の心」が広がり浸透して行く。 
                     
               2018年ポスターデザイン 松原昭俊


   座談会「音楽は国境を超える 世界友愛の祈り」
 というわけで、ずっと暖めてきた来年2018年の特別イベント「清水寺・世界友愛 100本のトランペット」の説明と出演募集が正式に発表されました。

 イベント当日は、100人のトランペッターの演奏が中心になるわけですが、これに続く第二部は、清水寺塔頭成就院に場を移し、記念座談会が開催されます。

 実は、私はこの一連のプロジェクトのアドバイザーとして,昨秋から参画しており、そのご縁から、この度、この座談会のコーディネイト、および司会を担当することになったのです。 

 それで記者発表にも同席し、この座談会の意義とコンセプトについて説明して参りました。

 ・・・という経緯にたどり着いたところで、長くなりましたので,一旦休憩し、記者発表の模様等は、音楽の祭日<二>に続けたいと思います。
 すぐにUPしますので、続けてお読みになってくださいね



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鬼の行方

   吉田神社の節分祭
 節分も終わり、また新しい年が始まりました。
 節分はただ豆まきの日と思われがちですが、旧暦の大晦日、一年の邪気を払い清め、新たな年明け=立春を迎えるまさに節目の意味を持っていますね。

 2月2日、アンスティチュ・フランセ関西(旧日仏学館)での授業の後、すぐ近くの吉田神社の節分祭に行ってきました。
 京都の節分といえば何と言っても吉田神社、今年も大変な賑わいを見せていました。
室町時代から続く、信仰と伝統を誇る京洛の一大行事、約50万人もの参拝者、800店余りの露店が軒を列ねると言われます。
参道の屋台  参道の賑わい
 
 2日は前日祭でしたが、すでに大変な人出で、鬼たちが境内を行き来し、参拝客と記念撮影をしたりの大サービスです。
赤鬼と子ども
 いずれも優しくて剽軽な鬼なのに、それでも幼児にはかなり恐ろしいものに映るらしく、鬼が傍に近づくと大抵の子供は火がついたように泣き出します。

福豆の授与
 秋田のナマハゲなどと同様に、邪を払い幸せをもたらすという認識があるのでしょうか、赤ちゃんや幼い子供が大声で威勢よく泣き叫ぶほど、傍で両親は喜ぶという光景をいくつも目にして、とても面白く感じました。

 参拝をし、「厄除け福豆」を買い求めながら、鬼のことをふと考えました。

   『泣いた赤鬼』
 童話作家浜田廣介が書いた『泣いた赤鬼』、子供の頃にお読みになったのではと思います。

 人間に忌み嫌われる鬼の身を嘆いて、赤鬼は、親友の青鬼に人間と仲良くなれる方法はないかと相談する。青鬼は、自分が人間に悪さをして脅かすので、それをやっつけるヒーローになれば、きっと人間と仲良くなれるとアドバイスをし、一芝居打つことになる。
赤鬼
 青鬼の策略は功を制し、赤鬼は人間から愛され、楽しい毎日を過ごすが、それ以来、青鬼は一度も姿を見せることがなくなった。気になって、ある日、青鬼の家を訪ねてみると、赤鬼にあてた手紙を見つける。そこには、次のように記されていた。
青鬼
 「赤鬼くん、人間たちとはどこまでも仲良くして、真面目に付き合って楽しく暮らしてください。僕はしばらく君にはお目にかかりません。このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつでも君を忘れません。さようなら、君。体を大事にしてください。どこまでも君の友達 青鬼」という青鬼からの置手紙であった。
 赤鬼は黙ってそれを何度も読み、しくしくと涙を流して泣いた。


 ざっとですが、こんなお話だったかと思います。
 このお話は今でも小学校などで取り上げられているのでしょうか。
 小学校低学年の頃、国語かホームルームか、クラスで感想や意見を言い合ったような気がします。青鬼礼賛派と少数の批判、赤鬼弾劾派と擁護説など、様々に意見が飛び交っていましたが、私は、子供の頃から犠牲的精神というものに非常に敏感に反応し感動するタイプでしたので、この青鬼の手紙に、まさに赤鬼のように涙したものでした。

 今大人になった目でこの物語を考えるとまた違った興味深いものを感じます。

 青鬼は、赤鬼のように自らの身を嘆くことはせず、静かにあるがままを受け入れているのですが、それでも友の幸せのために犠牲的精神を発揮する、その結果、自分が窮地に立たされてもそれを厭わない、実に善良な心根を持った、そして自己確立の出来ている鬼です。
 宿命を受け入れて動じない強さを感じますが、でも、それだったら、赤鬼にもその姿勢を貫いてありのままであればよいと諭すこともできたのではと、少し残念にも思います。
 それでも敢えて、相手の気持ちに寄り添ってしまった所が、青鬼のほろりとした<生きる弱さ>でもあり、<優しさ>だったのかもしれませんが。

 一方、赤鬼は、青鬼に比べるとずっと軟弱です。自分が疎外されることに大いなる不安を感じ、青鬼という親友がいるにも関わらず、人間とも仲間になりたいと望み、青鬼の善意に依存します。
 そして、その結果もたらされた幸せに有頂天になり青鬼の身を案じることさえ忘れてしまい、後で後悔の涙を流すという情けない役回りです。
 後悔したにも関わらず、最後に青鬼を何が何でも連れ戻そうと覚悟して旅に出た様子もないことからも、弱点多き人物像なわけですが、それがまたある意味、愛すべき人間臭さでもあるのかもしれません。

 それにしても、負の部分を、独りですべて引き受けた青鬼は一体どこに向かったのでしょうか。
 
   福は内 鬼も内
 人間を襲う凶暴な青鬼は、実は自己犠牲に富んだ優しい性格だったわけで、内面世界とは、表層的にそう易々と割り切れるものでもなく、善・悪、美・醜、強さ・弱さ、そんなすべては表裏一体であり、渾然と混ざり合っているものなのでしょう。

 そういう曖昧さを認めて、丸ごと許容して行こうとする日本的な考え方が、この『泣いた赤鬼』の童話の中にも見て取れるのではないかとふと思ったのでした。

金峯山寺
 奈良吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)では節分会には『福は内 鬼も内』と唱えるのだそうで、節分で全国から追われた鬼達はここに集まり、「鬼おどり」を舞うことで心を入れ替えるという不思議な言い伝えがあります。
 
 人の中の佳きものを掬い出すようなこういう考え方は素敵ですし、ロマンチックなものを感じますね。

 また一方、天河大弁財天社でも『鬼は内 福は内』と唱え、節分前夜には鬼の為に宿を用意するのだと聞いたことがあります。
 鬼は人智を超えた大いなる力を持つ神なのだから追い払ってはいけないという信仰に基づいているのでしょう。


 人は誰でも多かれ少なかれ、心の中に弱さや鬼の目を持っているのだとするなら、それをどう飼いならし、佳きものへと変貌させていくか、本当の意味での心の鍛錬が必要なのではと思うのです。

 様々な思いと祈りの中で静かに手を合わせた今年の節分でした。




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七月の点描(三) 川崎工場夜景

 お待たせしました。
 前回の記事「七月の点描(二)心に残る小さな言葉」の続きです。
 この日、原宿で、仕事の打ち合わせを終え、夜は東京新聞が主催する「川崎工場夜景 探検クルーズ」に参加することにしました。

 これまで、国内外を問わず観光ツアーを利用することの殆どなかった私ですが、先日「東京駅丸の内駅舎ツアー」に参加し、丁寧な解説がつくのは結構良いかも・・・と認識を新たにしたのでした。

 今回も、Mさんと一緒、彼女は良き話し相手、そして食べ友達で、東京で少し時間があるとどちらからともなく誘い合うのですが、こういう段取りなどもあっという間にこなしてくれる頼もしい友人です。
 いつも遊び歩いているように思われるかもしれませんが、そんなことは決してなく、私も彼女も<多忙な仕事の僅かな隙間をフットワークよく満喫している>と思っていただけたら幸甚です。

   「川崎工場夜景 探検クルーズ」
 東京湾クルーズとか、江戸情緒を味わう屋形船とか、「船上」が今人気ですが、川崎工業地帯のイルミネーションを運河から眺めるというツアーはまさにトレンディー、人気沸騰中で、いろいろな旅行社から様々な企画が出されています。

 ちなみに、今回、私たちが参加したツアーのキャッチフレーズは、

  今、話題の工場夜景クルーズ!
  複雑な構造美にメタリックな輝きが神々しい壮麗な景色
  ・・・運河から眺める工場夜景がまさに絶景!
  小型船ならではの運行コースで、幻想的な景色をたっぷりとご堪能ください。


 とありました。

 私のイメージでは川崎工業地帯といえば、嘗て、社会科の教科書に出てきたモクモクと工場から煙が立ち上る写真そのもので、戦後日本の高度成長経済を支えた原動力、それと引き換えに大気汚染を引き起こした危険ゾーン・・・だったのですが、<複雑な構造美にメタリックな輝きが神々しい>とは、これいかに!
 人気スポットであること自体に、隔世の感ありです。

 そんな半信半疑の中で、ともかくも百聞は一見に如かず。

 天王洲アイルの天王洲ヤマツピア桟橋から18時30分出航の交通船で2時間半のツアーです。
乗船
 交通船というのは、豪華クルーズとか屋形船とかではなく、屋根のないボートみたいなシンプルな作りで、<人員輸送船として作られた船舶で、港湾内のような近距離での運航を主体としていて、湾内でよく見かける、タイヤをぶらさげた武骨で堅牢な小型船>という説明がありました。
 「雨天決行」とパンフレットには書いてありましたが、屋根のない舟で長時間、本当に雨の日でも運行するのでしょうか。心配になってしまいます。

   川崎工場夜景 Photoレポート
 何しろ揺れる船の中から、残照と、工場のイルミネーションの撮影、素人写真なので限りがあるのですが、雰囲気を少しでもお伝えできればと思います。

京浜運河から多摩川、大師運河、千鳥運河、塩浜運河などを通り、やがて黄昏時、川崎工場の夜景に辿り着き、帰路は逆ルートで戻るというコースです。
上を行くモノレールこの日は、満席で天王洲ヤマツピア桟橋を出航しました。
 意外にスピードが速く、川風が肌に心地よく吹き抜けてゆきます。
 蒸し暑さを冷ますような船上の夕暮れ時です。
 京浜運河を南下してゆく船のすぐ近くを、モノレールが行き過ぎます。
 このアングルからの眺めは新鮮ですね。

屋形船とすれ違いました。なかなか豪華なしつらえです。
夕涼みの屋形船 夕暮れ迫る
 振り返ると、多摩川に日が傾いてゆきます。オレンジ色に染まる波頭が初夏の色をしています。

 対岸はまだ陽が明るく射しています。
花が幾重にも重なったような大きな看板は大田市場です。
太田市場 日没1
 再び振り返ると、最後の残照がひときわ色濃く空と水面を染めています。

ぽつんと残っている赤い鳥居はかの有名な<羽田空港呪いの鳥居>。
羽田空港の鳥居 かつて、羽田空港の旧ターミナルの駐車場にポツンと建っていた赤い鳥居。
 邪魔なので幾度となく移転が計画されたのですが、その度に移設工事関係者が事故に見舞われるなどして、作業は中止され今に至るという都市伝説を、船のガイドさんが熱心に語ってくれました。

工場に近づく

 多摩川の河口を横断し、やがて遠くに工場地帯が見えてきました。

 煙突から白煙がたなびき、フレアと呼ばれる不燃焼ガスを再燃させる火が大きく上がっています。
燃える煙突 複雑な配管
 入り組んだパイプを身に纏うように林立する建物、これが<複雑な構造美>なのだと、少し納得しました。

標識灯としてくっきりと浮かび上がる<K>の文字は<川崎>の頭文字なのだそうです。
Kマーク 工場夜景1
 「ここが写真スポットです」とガイドさんのお勧めの東亜石油工場付近の夜景です。

なるほど圧巻です。
工場夜景2
 誰もいない水辺に灯りを映しながら燃え続けている工場の夜景。

 複雑な配管に絡まれたコンビナートが不思議な輝きを放って夜に浮き出ている情景は、何か幻想的な未来都市のようで、じっと見つめていると幻惑されるような思いがしました。

 夏の夜、涼を求めてこんな夜風に吹かれるのも一興かと。
 お勧めしたいと思います。





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七月の点描(二) 心に残る小さな言葉

 今日は、全国120か所以上で35℃を超え、群馬県館林では38.8℃を記録したそうです。
 毎夏、<観測史上初めて>を更新して、地球温暖化は言われているよりも急速に進んでいるのでないかと本当に心配になってきます。
 これから始まる本格的な猛暑、無事乗り越えられるでしょうか。

 七月の点描、前回は京都の祇園祭りを取り上げてみましたが、今日は関東編、川崎工場の夜景の話題です。
でもその前に、<心に残る小さな言葉のお話>から。

   心に残る女の子(1) ~山手線の中で~
 少し前、所用で東京に行った時のことです。
 私は山手線に乗っていたのですが、品川駅での出来事。
 乗客がいつものように、一気に乗り込み、やがて、人を挟みそうな勢いでドアが閉まった時に、ホームから車内に向かって大きな叫び声が聞こえてきました。

 背が高く恰幅の良い白人男性が必死の形相で、<wait!><open the door please!>とドア越しに叫んでいたのです。

 でも開かないドア、乗ることはあきらめて、今度は、手振りを交えて、車内の一人の女の子に一生懸命何やら呼びかけ始めました。
 「心配しないで、次の駅で降りて待っていなさい。すぐに次の電車で追いかけるから」と繰り返し言っている英語がかすかに聞こえてきました。

 車内では、4~5歳くらいの金髪の女の子が涙を一杯目にためて、何度も頷いていました。
 父と娘、女の子が飛び乗ったところでドアが閉まってしまい、お父さんは乗りそびれたのでしょう。

 よくありそうなお話なのですが、傍にいた年配の乗客の方が「大丈夫?次で降りるんだよ」と、日本語で親切に声をかけていました。
 女の子は深く頷きながら、にこっと笑って丁寧に「ありがとう」と日本語で答えて、後はじっと目を見開いて車窓を心細そうに見据えていました。
 災難は突然降って湧いてくる、・・・小さい彼女には、かなりな衝撃だったに違いないのですが、そういう試練に、父の言葉をかみしめて必死で耐えているのがよくわかり、近くにいた大人たちも何となく気がかりで、皆で見守っている雰囲気が漂っていました。

 次の駅で下車するとき、先ほど声をかけてくれたお爺ちゃまに、「ありがとう」ともう一度彼女は言いました。
 その様子がとても可愛く健気で、その一瞬、満員電車の空気は優しくなった気がします。

   心に残る女の子(2)~原宿のフルーツパーラーにて~
 金髪の女の子の出来事があった日、私は原宿で所用があったのです。
 原宿は、これまで自分のテリトリーからは外れており、・・・<若者の街>に踏み入って良いのかしらというような先入観のためかもしれません。
フルーツフラッペ
 仕事を終えた帰り際、蒸し暑い日差しの中で見たフルーツフラッペの文字に引き寄せられ、少しレトロな感じのフルーツパーラーで一休みすることにしました。

 店内は満席に近かったのですが、若いカップルが多い中に、10歳くらいの女の子と、そのお祖母様と思しき二人連れが入ってきて、私の隣の席に座りました。
 他のお客様たちとは明らかに雰囲気が違い、原宿のパーラーにあって、とても印象的に感じられ、何となく注目していました。

 杖でようやく歩いていらっしゃる老婦人に「おばあちゃま」と呼びかけて、その女の子は実にさりげなく甲斐甲斐しく手を差し伸べるのです。
 しかもそれが、頑張っている感じではなく、普段の生活の中で、自然に当たり前に身についていることがにじみ出ていて、その暖かく細やかな所作にまず感動しました。

 女の子ははきはきした声で明瞭に話をするので、隣の席の私にも会話がよく聞こえてきました。年齢に似つかわしくないゆっくりとした口調も、少し耳の不自由そうな祖母への配慮もあったのかもしれません。

 女の子は小学5年生で、「おばあちゃまっ子」のようで、「おばあちゃまとは話が合うね」「ママとは少し価値観が違うところもあるけど、おばあちゃまと私は似た者同士だね!」「おばあちゃまは素直な人だといつも思うんだ」と、ちょっとおしゃまな言葉づかい、でも本当に嬉しそうにニコニコしながら話すのです。
 祖母のほうも可愛い孫にこんな風に慕われたら本当に幸せですよね。
 「あらそう。それは嬉しいね。」「隔世遺伝かもしれないね。」と応答したり・・・。
 弾む話をしながらも、女の子はさりげなく食べやすいようにケーキのお皿を引き寄せてあげたりしていました。

 私も筋金入りのおばあちゃん子でしたから、この屈託のない様子を見ていたら、何だか祖母のことが無性に懐かしく思われました。

 二人はそれぞれのケーキを半分ずつ美味しそうに分け合って、やがて店を後にしたのですが、
 「ごちそう様。美味しかったよ。」
 「どういたしまして。また来ようね。」
 という言葉が、爽やかな余韻を残してくれました。

 この日出会った二人の女の子、きっととても魅力的な女性に成長するのでしょうね。どんな愛情を受けて育ったのでしょうと、想像が広がります。

 何でもない普通の言葉に生き生きした心を込められることは素敵ですし、そういうことこそ大切で、本当の意味での教養なのではないかと、感じました。

 この夕方、弾んだ気持ちで川崎工場夜景を見るクルーズに参加したのですが、
 長くなりましたので、このお話は次回させていただきたいと思います。
 


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節分の賑わいの中で

 一昨日は節分、そして昨日は立春、こうして旧暦の新年がまた始まって行きますね。
 関東で育った私は、子供の頃から、節分はただ「豆まき」をする日と思ってきましたが、京都に暮らしていると、<邪気を遠ざけ、身を正し新年を迎える>という、一年の節目の意識が生活の中に強く根付いていることを感じます。

 2日から4日までは節分会と呼ばれて、様々な神事が取り行われますが、3日がいわゆる豆まきで、それぞれの神社が独自の賑わいを見せています。

   吉田神社の節分
 吉田神社は節分厄除け詣り発祥の地として、京都でも人気の神社です。
 一昨日はフランス語のクラスがある日で、学校はご存じの通り、吉田神社に隣接していますので、早めに家を出て、まずお参りしてからクラスに行こうかと思い立ちました。
 ところが、想像をはるかに超えて、朝のバスは、もう既に何事が起こったかと思うほどのラッシュ。降りたバス停には、交通整理の警官の方たちまでが大勢動員されている状態でした。

 まずは吉田神社へ。
 いつもは静寂な吉田山を臨む参道は、行き交う人と露店の売り声で、朝から活気に満ちていました。鯛やき、お好み焼、焼きそばなどの定番の屋台、昔ながらの射的など、タイムスリップしたようないくつもの露店がひしめくように立ち並んで、京大へのアプローチを賑やかに埋め尽くしています。
参道の露店の賑わい  閉じられた京大の正門
 大学もこの日ばかりは全面協力なのでしょうか、神社の参道に面した正門は閉ざされて、露天商たちに門前を譲り、学生たちは狭い通用門から当たり前のように出入りをしています。

 神社への階段は、訪れた人で埋め尽くされていました。
吉田神社へ  お札授り所
 熱心に参拝する人の波、昨年までのお札を収めて新年のお札を買って行く人、お御籤を引く人、1月1日の賑わいがそのまま再現されたような新春の華やぎに溢れています。

 「節分」という旧暦からの慣習が今もそのまま生活に受け継がれてきて、季節の移り変わりにそれぞれの意味を感じ、それを尊んで自然に暮らす、・・・とても豊かなことと思われます。

総じて日本的な年中行事は、形骸化され、廃れて行く一方の昨今ですが、「この季節、この日は、これを食べて、ここに行って、これを願って、・・」というようなシンプルな習慣の中に生活のエネルギーのようなものがあることを、このような場に遭遇するにつけて、強く感じます。
福豆の売り場
 日本髪を美しく結った女性たちが扱っているのは、抽選券付き福豆(鬼打ち豆)です。
 福豆を神社で買い求めて、それで自宅の豆まきをする、そして、その余禄として、後で抽選を確かめる楽しみも付いてくるというわけです。
抽籤券つき福豆
 特賞は何と自動車一台という豪気な景品なのですが、高価なものからささやかなものまでどっさりと用意された景品は、地元の企業や、昔からの氏子(うじこ)さんたちがそれぞれ自分の家の氏神様=神社に寄進をして盛り立ててきたものなのでしょう。こうして脈々と、暮らしに根付く伝統や、日々の中に生きる大らかな信仰が受け継がれていることを感じます。

 自然に包まれ、何か目に見えない大きなものの意志の中で人は生かされていて、事ある毎に、それにふっと手を合わせたくなる、節分の一日も、そんな日本的な宗教心の一つの表れなのではと思います。

アンスティチュ・フランセ関西
 私も参拝を済ませ、福豆を購入して、学校に向かいました。
 「旧日仏学館」、現在の「アンスティチュ・フランセ関西」です。

 すぐ近くの喧騒が嘘のような静かな佇まいを見せています。
恵方巻き風がレット
 この日のランチスペシャルは、ガレット(そば粉のクレープ)でした。
 フランスでは、2月2日がchandeleur(シャンドルール)と呼ばれるキリスト教の祝日で、(キリスト誕生から40日目の<聖母御潔めの祝日>と呼ばれる日です)この日は春の到来と家族の幸せを祈って、クレープを食べるのが習慣になっているのです。
 でも、このガレットは、かなり不思議! 恵方巻きを模したのでしょうね。日仏合体のエスプリでしょうか?思わず注文してしまいました。

   祇園さんの節分
 帰路のバス停も長蛇の列でした。
 なかなか乗れそうもないので、違う経路のバスに替え、祇園で降車。
 目の前は八坂神社で、こちらも更に賑わっていましたが、ここで降りたのも何かのご縁、節分巡りの日と勝手に決めて、八坂神社にも参拝することに。
八坂神社の豆まき
 ちょうど舞舞台の上で、裃(かみしも)姿の大勢の男性、女性が、豆まきをしている最中でした。近づけないほどの雑踏で、手を伸ばしても福豆をキャッチできるような距離でもなく、でも、豆まきの興奮の渦に紛れ込んだのが何となく楽しかったです。
 八坂神社を地元の方たちは「祇園さん」と呼びますが、祇園さんの節分らしく、舞妓さんが撒き手として舞台に上っていて、華やかさを添えていました。
 
 豆まきが終了して、ぼんやりしていた私、舞妓さんを追いかけるカメラマンたちの波にいつの間にか巻きこまれてしまったようなのです。
 よくわからずに押されながら辿り着いたのが、どうやら舞妓さんたちが帰り支度を整えるために寄る休憩所の前で、気が付くと、周り中、一眼レフの大型カメラを持った方たちで一杯でした。
 しかも、成り行きとはいうものの、皆さんに羨ましがられるような玄関真正面の優先席を陣取っている格好になっていました。
 舞妓さんの出待ちをするつもりなど、全くなかったのですが、後ろもぎっしり一杯で、もはや人垣から抜け出ることもできない状態でしたから、初めての写真マニア体験をするしかないと覚悟を決め、待つこと15分。
 
 笑顔もこぼれます
 周囲は、写真愛好家同士の楽しそうな会話で弾んでいました。
 こういう天候の時、露出はどうすればよいのかとか、今撮ったばかりの豆まきの画像を見せ合ったりして、実にゆったりと。
 共通の趣味は心を結ぶものなのだと改めて思いました。
 
 そして、ようやく、舞妓さん三人、一斉にシャッターが切られて、芸能人の記者会見場みたいでした。シャッタースピードが速いこと!
豆まきを終えてホッと一息
 一仕事終えて、解放感に溢れた楽しそうな笑顔が印象的です。良く見るとまだあどけない顔立ちですね。 
 雨模様の空を見上げる様子もなかなか可愛らしいです。

八坂神社本殿

 ようやく落ち着いて、改めて参拝した「祇園さん」は、新春の化粧をして、ひと際、華やいでいました。




   思いを込めて
 この日、新春の寿ぎと華やいだ雑踏に紛れながら、ずっと胸に広がっていたのは、或る方への哀悼の思いでした。

 舞台監督、そして演出家として活躍していらっしゃった松浦進一さん。

 毎年の三浦先生主催のテタール・メランジェ・コンセールでも、そして、私の内幸町ホールでの訳詞コンサートでも、いつも舞台監督をして下さり、ずっとお世話になってきた方でした。

 2月2日、新春を待たず急逝されたという訃報を、この節分の日の朝受けたまま、全てが宙に浮いているような感覚に襲われていました。

 大勢の人たちが楽しげに行き交う節分の中で心を紛らわせようとしても、不在感ばかりが迫ってきて、ただひたすらにご冥福をお祈りしていました。

 ぼんやりとした心のままで、まだ今は、充分に言葉に表すことができません。

 時は過ぎて行くのに、新しい年は巡ってくるのに、明日は誰にもわからない、そういう人の世の儚さが胸にこたえます。

 松浦進一さん。
 お世話になった沢山の大切な思い出と、舞台への情熱と、優しい笑顔と、温かいお人柄と、いつも励まして下さった忘れられない言葉の数々と。

 沢山甦らせながら、ご冥福を心からお祈りしたいと思います。




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舞台袖からの情景

   「レ・テタール・メランジェ・コンセール2014」
 今年のテタールコンサート(と、いつも私は省略して呼んでいますが)は、11月10日と11日の二日間に渡って開催されたのですが、私は今回は出演しませんでした。
 
 レ・テタール・メランジェ・コンセールについては、これまでにも何度かご紹介致しました。以前の記事の一節を取り出してみますね。

 まずコンサートタイトルから。
 「レ・テタール」は「おたまじゃくしたち」、「メランジェ」は「混ざり合った」という意味ですので、「いろんなおたまじゃくしたちが賑やかに混ざり合ったコンサート」という意味になるかと思います。
 様々な音符たちを前に、『オタマジャクシ』みたいな、まだ発展途上のシャンソンを愛する若者たちが楽しみ挑戦するコンサート・・・・と私はイメージしています。
 この場合の「若者たち」というのは、音楽に対する真っ直ぐなチャレンジ精神を指しますので、AKBみたいなティーンエイジャーの集団がステージで歌っているというわけではありません。

 主催はピアニストの三浦高広氏。
 プロ・セミプロ・アマチュア、それぞれが一堂に会し、取り上げる曲も、往年のシャンソンだけではなく、かなりな掘り出し物や、普段尻込みしがちな難解な曲などにも果敢に挑戦していて、それが素敵なアレンジと演奏の中で繰り広げられ、個性的で聴きごたえのあるシャンソンコンサートと、嬉しい巷の評判を耳にします。


 このテタールコンサートに、私は10年来、毎年出演させて頂いてきたのですが、今年は、コンサートを終えたばかりで、疲れもかなり残っていたので、参加をご遠慮させていただくことにしたのです。その後、「是非お手伝いを!」と言われ、幸いにも時間の調整が上手くいったこともあり、二日間お手伝いのスタッフとして、急遽加わることとなったのでした。
内幸町ホール楽屋入口
 その三週間前には、『街の素描』コンサートを開催した内幸町ホール、コンサートの日がつい数日前の出来事だったような気がします。

 楽屋口。
 <MY HOME!>みたいな弾む気持ちで、通用口を通ります。
 気合を入れて京都から直行、出演者も他のお手伝いのスタッフもまだ到着しておらず、一番乗りでした。

   
 楽屋に荷物を置き、ステージを覗いてみると、音響と照明の方たちが既に忙しく立ち働き、活気が漲っています。
 がらんとした舞台の上には、ピアノだけが一台、ちょうど調律をしているところでした。
 微かな音叉(おんさ)の音と鍵盤の響きが、誰もいない客席の向こうまで共鳴して、これは、まさに<コンサートの序奏>、ひと際冴えて感じられます。
音合わせリハーサル
 そして、バンドメンバーが揃い音出しです。

 客席で音のバランスを確かめる舞台監督さん。

 テタールコンサートにはこれまで出演者として参加していましたから、いつもなら、楽屋に入るとすぐ、お化粧や着替え、リハーサルを待つ高揚感の中で歌のことにだけ専心していました。 
 当たり前のことですが、<立場が変わると視界も変化する>、コンサートが進められてゆくプロセスが、周囲の動きと共にくっきりと見えてきて、今回は、これまでとは違った発見が様々あった気がします。

 両日とも17名の出演者で、各自が2曲ずつの構成なのですが、この一曲一曲のタイトルと歌い手の名前、歌詞の一部分をパワーポイントでステージ後方のスクリーンに映し出します。テタールコンサートは司会者はいなくて、次々と曲が進んで行きますので、こうすると暗い客席でプログラムが確認できなくても、今、誰が何という歌を歌うのかがはっきりわかるのです。
舞台袖のパソコン
 前奏と歌い手が登場する微妙なタイミングを計って、このスライドを映写するのが、今回私が仰せつかったお仕事でした。 
 ステージ下手側の袖にパソコンを据えて幕の隙間からスクリーンを確認し映像を写してゆきます。

 リハーサルと、本番中、ずっとこのパソコンの前に座って操作しながら、ステージの様子を眺めていました。
 
 見えるのは歌い手の後ろ姿、そして幕の隙間からの演奏者の表情。
 上手側で、ピアノを演奏する三浦先生とちょうど目が合う位置です。

 歌い手が、少し言葉に詰まったりすると、いつも動じない先生に、一瞬、「あ~~あ・・・」という困ったような表情が浮かぶことや、曲想が盛り上がってきた時の指使いが、よりしなやかに跳躍するように鍵盤を飛ぶことなどもしっかりと確認しました。
 
 下手側、幕を隔てたすぐ隣にはドラムス奏者。
 まさに手を伸ばせば届く位置での演奏なので、身体を揺り動かされるような迫力です。ドラムスはリズムを刻むだけのはずなのに、メロディーまでもが奏でられているようにさえ聴こえてきます。
 一緒になって思わずずっとリズムをとっていました。
 二日限りの門前の小僧、奇跡的にリズム感がアップしていると良いのですが。

 シンセサイザー、ベース、ヴァイオリン、少しの休憩時間にも音の微調整に余念がなく、真剣な面持ちで譜面を丹念に確認していらっしゃるご様子に心打たれます。   
 幕間にステージ内で、それぞれの楽器の音出しが密やかになされて、これもまた、コンサートを支える素敵な音の一つと感じました。

   
 各出演者の登場時に写すスライドは、数秒で消え、それを引き継ぐように、照明室から美しいライトが照らし出されます。
 自分が歌っている時には、照らしてくれるライトがどのようであるか、客観的に見えないわけですが、舞台袖に居ると、スクリーンに投影される照明の様子や、歌い手を包むスポットの全容がよく見えてきます。
 スポットの切り替えのタイミングなどから、照明の方たちが、曲想や歌詞などを踏まえた上で、それを生かすライティングを繊細に表現していらっしゃるのがよくわかります。
 歌い手という対象をステージの中心に据えて、より輝かせるために包み込んでゆく・・・・照明も音響も舞台セッティングも、皆、陰の力となって支えている、支える気概というか誇りというか、そういう、ステージを動かしてゆくエネルギーにとても感動した舞台袖の私=パソコン操作係でした。

   
 舞台袖に居ると、出番直前の歌い手の緊張を生で感じます。
 ステージでは自分一人でそういう緊張感に打ち勝ち、表現に挑んでゆくわけですが、ステージ袖に漲るそんな挑戦の決意、熱のこもった空気が私は大好きです。

 側で、そっと落ち着かせ励ます言葉や、叱咤激励の気合を入れる舞台監督さんの細やかな心遣いもまた、裏でコンサートを支える素敵な力です。


  二日間終わった後で、或る方からこんなお言葉を戴きました。
 「松峰さん、裏方さんのお仕事、楽しそうでしたね。でもこれをキッカケに裏方さんの世界に行かないようにしてくださいね」

 <自分なりに少しでもお役に立てればと一生懸命働いた、そういうことを見ていてくれる人がいたこと>・・・支えているつもりの自分は、また他の誰かに支えて頂きながら過ごしているのだということを実感できて、とても心が温かくなりました。
 そしてこれからまた、<ステージで頑張って歌っていけば良い>と、励まして下さった言葉でもあると思うと、とても有難くて、それを、こういうさり気ない表現で語れることって素敵だなと思うのです。
上手と下手を結ぶ舞台裏通路
 最後に、暗い写真で見えづらいですが、ステージのスクリーンの後ろの、上手と下手を繋ぐ細い通路が写っています。まさにステージの裏側です。


 飛躍するかもしれないのですが、<人を支える裏方さんにいつでも徹せられること>、そして、<人から支えて貰っている幸せを感じつつそれに報いることができること>、そんな両極の醍醐味を味わいながら生きてゆけたら良いなと感じた、二日間の貴重な体験でした。




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祖母の思い出

 一昨日11月8日は、母方の祖母の33回忌の法要でした。

 祖母については、これまでも時々お話ししてきましたので、私が大のおばあちゃん子だったことを既にご存じかもしれませんね。
 11月8日は命日、あれから33年の長い歳月が流れていますが、思い出は今もくっきりと刻まれています。
 一点の疑いもなく全幅の信頼を寄せることのできる人、・・・昔も今も祖母をそんな風に感じ続けてきた気がします。

 小田急江ノ島線の長後駅で下車して、7~8分の所に永明寺という臨済宗円覚寺派の禅寺があるのですが、ここが祖母の菩提寺です。
静かな永明寺 ずらっと並ぶお地蔵さま
 ずらっと並んだお地蔵さま。
 禅寺らしい、静寂で簡素な佇まいです。

 親族が一堂に会し、しめやかに法要が営まれる中、ご住職の朗々とした経文に、懐かしい思い出が様々に浮かんできました。
 
   歌舞伎と時代劇 
 私は初孫だったこともあり、幼い頃から随分と面倒を見てもらいました。
 それに、母娘と間違えられるくらい、顔かたちも、性格もどこか似た者同士、馬が合う<祖母と孫>だったみたいです。

 まだ3~4歳の頃から、よく祖母は友人の訪問、買い物、観劇、旅行など、あちこちに私を伴いました。
 観劇が大好きで、特に歌舞伎はかなりの通だったようです。
 歌舞伎の所作、音曲、演目、歴史、見どころ、贔屓の役者のプロフィールまで、いつも観に行く前に、丁寧に説明してくれるのです。
 ユーモアを交えながら幼い子にもわかるような楽しい言葉で、でも実は結構専門的でハイレベルな領域の長時間の講義の末、歌舞伎座に向かうのです。
 どう考えても4歳くらいの子が興味を待てるはずもない範疇なのですが、私もかなり変わった子だったようで、大好きな祖母が、そんな風に自分を一人前の大人のように扱って、熱心に一生懸命説明してくれるのが嬉しくて、これに応えることは、大人になることの様な気もして、目を輝かせながらうっとりと聴き惚れていました。
 ご存じのように歌舞伎は4~5時間に渡る長い公演時間ですが、大人しく座って飽きることもなく、祖母からの特訓を追体験する面白さをそれなりに楽しんでいた気がします。
 <鉄は熱いうちに>って本当かも知れません。今でも歌舞伎座は私にはノスタルジックな故郷みたいな感じがありますので。 

 同様に、時代劇映画にもよく連れて行ってもらいました。
 忠臣蔵などに至っては、色々な作品を見尽くしていましたので、そのお陰で、実は私、小学校に上がる前には、既に四十七士の名前・素性にもかなり精通していたのでした。

 で、面白いのは、歌舞伎にしろ時代劇にしろ、見終わった後で、祖母はとても楽しそうに感想を話してくれるので、「なるほど演劇や映画はかく鑑賞すべきか!」と、祖母の言葉からまた、自然に心に残る残像を反芻しながら想像力を広げてゆくことができるのです。
 子供に消化不良を起こさせないケアも万全、予習復習を入れ込んで楽しく学ばせる方法に長けた、なかなかの教育者だったと、今にして思うのです。

    「大丈夫 きっと上手くいくから」
 祖母はとても話し上手な人でした。
 その語る言葉は、少しも難しくなく平易なのですが、ユーモアに富んでいて温かみがあり、そして生き生きと説得力に満ちていました。

 私の専攻は日本文学で、現在はフランス詩からの訳詩を手掛けているわけですが、そうした折々に「言葉の持つ力」ということについて考えさせられます。
 <言葉には確かに言霊があり、生きて相手の命に浸み入って行く>と言う事をどこかで信じられるのは、祖母の影響かもしれず、身内自慢で可笑しいですけれど、<祖母の言葉には心があって一語一語が胸に響いてくる>と子供心に感じていました。そしてそれこそが、私にとっての、祖母の最大の魅力だったのでしょう。

 「大丈夫だから。神様がみんなわかっていてくれるから。
 悲しいことをたくさん知ってる人は心が優しくて良い人になれるから。
 大丈夫 きっと上手くいくから、何も心配しないで大丈夫。」


 その時、<きっとうまくいく。そしておばあちゃんみたいに優しい人になりたいな>って、思ったことを、お経を聴きながら突然思い出しました。
 心身共に過敏で、剃刀みたいな感受性を自分でも持て余して苦しんでいた時、何も細かいことを聞かないで、優しくぽつりと言ってくれた言葉が、子供心に勇気を与えてくれた事が蘇ってきました。
 
   犬達・猫達が感じた親和感
 私の特技は猫の躾(調教)で、だいたいどんな猫でも、犬も足元に及ばないくらい賢い猫に変身させる自信があるのですが、この奥義のルーツも実は祖母にあるのかもしれません。

 祖母は昔からいつも動物を飼っていました。
 でも、ペットショップから購入するというようなことはなく、まさに動物との一期一会、大抵は可哀想な境遇の犬猫を不憫に思って引き取っていたのです。

 「愛情を惜しみなく注ぐこと。いつも楽しく接すること。」
 「感情の赴くままに怒ったりしないこと。良い時には思いっきり褒め、悪い時には厳しく正す。常に同じ態度で。」
 「ひたすら会話をすること。」


 祖母と街を歩くと、野良犬、野良猫が後からついてきて如何にも親しげにすり寄ってきます。
 祖母は、これに別段驚く様子もなく、事もなげに、撫でてやりながら親しげに話しかけます。動物達はそれに応えるように甘えた声を出して、しばらくすると気が済んだように立ち止まって見送るのです。
  ・・・・子供の頃の、祖母との原風景の一つです。

   お説教の時間
 私は、祖母のお説教を聞くのが大好きな、本当に変な子でした。

 祖母はとても楽しい人でしたが、躾はこの上なく厳しく、明治生まれのスパルタ式で徹底的に仕込んでくれました。
 家事、言葉使い、作法、心の持ちよう、あらゆる分野に渡って容赦なくて、何回か言われたことが出来ないと、延々とお説教されることになります。

 「ちょっと、ここに来て座りなさい。」と正座させられるのが合図で、なぜいけないと思うか、どうすればもっときちんと出来ると思うのか、と自己分析を促した上で、冷静にこちらの言い分を聞き、そこからお説教はスタートします。
 勿論私は常に完敗で、明晰なお説教=理論に言い返す余地など全くなく、ひたすら感動し、頷くばかりだったのです。

   祖母の願い
 祖母の子供時代は不遇で、両親が早くに亡くなってしまい、祖母の祖母に育てられたのでした。祖母の祖母もまた、同様の境遇の、肉親との縁が薄い薄命の家系だったようで、祖母の心配は自分の子供たちにその巡り合わせが行かないようにとの一点にかかっていたようです。
 晩年、病に苦しんだ時にも、「今願っていることは、自分のところで全てが断ち切られて、子供たちとその家族が皆健康で長命であってほしいとの一つだけ。」と私にそっと話したことが心を離れません。
 苦しかったはずなのに、泣き言を言わず、最期まで明るく優しかった祖母を思い出します。
 勿論、祖母とて、孫の私には知る由もない沢山の葛藤を抱えていたに違いありませんが、それでも、強くて、誠実で、温かい、素敵な人でした。

 5人いる子供たち皆、これまで欠けることもなく、その家族も健康で、祖母を偲んで集まった一昨日の法要でした。

 立冬を過ぎた冷気に包まれた本堂の中で、全てを静かに一身に引き受けて、皆を見守っていてくれる祖母の笑顔をしみじみと感じていました。



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閑話休題  ~フランス版夫婦善哉~

 京都も梅雨入りとなりましたが、水無月のしっとりとした長雨ではなく、叩きつける暴雨、一昨日も稲光と共にあまりにも雨音が凄くて、雹(ひょう)でも落ちてきたかと思わず空を見上げてしまいました。
 今日は、一転して強い日差しで、誰でも感じているのでしょうけれど、温暖な筈の日本の気候はこのまま加速度を増して変わってゆくのでしょうか?
 咲き始めた紫陽花が、何だか場違いで、気の毒な気がしてきます。
 ともかくも元気でこの季節を乗り切らねばなりませんね。

 さて、今日は街で見かけた小さな情景、わざわざお話しする程の出来事ではないのですが、こんな話題もたまには良いのではと・・・お付き合い下さい。

   或るフランス人夫婦のお話
 今日午前中、京都四条通りにある銀行に、用事があり出掛けました。
 街の中心街ですので、連日慌ただしい活気に満ちています。
 順番待ちのソファーはいつも一杯で、今日もとても混んでいたのですが、その中に一組のカップルが座って番を待っているのが目に入りました。
 遠目から一瞬にして、彼らはフランス人であると確信し、的中!

 フランス語を学び、シャンソンに関わるようになってから、自然とフランス人の友人も出来、彼らと接する機会も増えたためなのか、はたまた、五感が妙に敏感すぎるせいなのか、私には、一目でほぼ100%正確に、欧米人の中からフランス人を見分ける能力があるらしいのです。
 私たち日本人は、アジア系の人を見ると、その人が日本人かどうか、言葉を聞かなくても何となくわかってしまうものですが、それと同様に、フランス人の顔つき、骨格とか目の動き、表情、そして所作、手の置き方とか、首の動かし方とか、呼吸の仕方とか、そんな、そこはかとなく醸し出されるフランス人オーラを敏感にキャッチできてしまう特技が身についてきたようです。

 50代半ばくらいのフランス人のこのご夫婦の、斜め後ろの席に座って、私も順番待ちをしていました。
 彼らは、かなり目立つカップルで、男性は知的な雰囲気で、映画スターの何人かを合体したような眉目秀麗と言ってよいダンディーな紳士でした。
 女性は無造作に大きく結い上げた栗色の髪が美しい、くっきりとした顔立ちの華やかなマダム、結構大きな声で話していたのは勿論フランス語です。
 銀行は20人待ち位の状況で、順番を呼ばれるまでの時間、とても暇でしたので、聞き耳を立てていたわけでは決してないのですが、自然とその話し声が聴こえてきてしまいました。

 音楽のように流暢に流れる優雅なフランス語・・・と最初は思ったのですが、少し気取った柔らかい話し方の割には、きつい言葉が畳みかけられていて、どうせ周囲にはわかるまいという油断があるのか、人眼も憚らず、二人は喧嘩をしていたのです。

 プライバシーに抵触するかもしれませんが、それこそ、どうせ彼らの知る由もないでしょうから、問題ない範囲でご紹介してしまいましょう。

 原因は、どうやらお金のことで、奥様の出金の所在を追及しているようなのです。
<夫>「今朝、通帳を確かめたら、いつの間にか不明の出金と振込履歴があるが、一体これはどうしたことか?」
     「自分に内緒で勝手に何に使ったのか?」
<妻>「××は○○さんのバースディープレゼント、△△はお母さんに送ったお金よ。前に貴方にもお話ししたでしょう?忘れたの?」
<夫>「聞いてないよ。」
     「それにこんな高額!それだけじゃないはずだ。」
<妻>「私だって、何かと物入りだし、お洒落もしたいんだから。
     いちいち、貴方に咎められたくないわ。それくらいわかるでしょう?」
<夫>「これまで自分たちは全部相談しながらやってきたんじゃないか。そんな経済観念のないことではこれから困るよ。」
<妻>「わかってるけど、これくらいは私の裁量の範囲内だと思うから、そこまで言われるのは心外だわ。」

 おおっと!!
 こんな調子でヒートアップしてゆき、他人の私がこれ以上聞いてはいけないのではと思うほどでした。
 ただ、興味深いことに、かなりシニカルな攻勢をお互いに浴びせかけているのに、それぞれが、言葉の繋ぎにジョークを散りばめていて、そういうジョークには相手も笑顔のジョークで応戦しつつ、また再び辛辣な舌戦へと突入してゆきます。  はたから見ていると和やかな会話なのか、そうでもないのか測りがたい雰囲気で、煙に巻かれる感じです。
 フランス人の夫婦喧嘩ってこんななのだろうか?と何だか感心してしまいました。

 フランスでは、夫が財産管理をしている場合が圧倒的に多くて、フランス人の男性はお金にとてもシビアなのだと聞いていましたが、この二人についてもこれは当てはまりそうです。

 そしてマダムは会話の合間にcalme(カルム)という言葉を連呼していました。
 “on se calme ”  “calme –toi” とか。
 「落ち着いて」、「冷静になってよ」、「静かに」という意味です。
 「ここは外なんだから静かにしましょう」、「もっと小さな声でね」とご主人をいさめる言葉が頻出していました。

 どうやら、マダムは劣勢のようで、時々ふうっとためいきを漏らすのですが、そうしているうちに、聞き取れないほどのかすかな声で、信じられない言葉を漏らしました。

 「静かにして言うとるやんか。」
 
 という日本語が私の耳には確かに聞こえました。
 そしてすぐ何事もなかったかのように、流れるようなフランス語が続いて・・・・。
 マダムの中で、何かが切れてしまったのか、この後から、フランス語が2~3フレーズ続くと、その合間に日本語がぼそっと入るという繰り返し。

 「・・・・ on se calme   わからん人やね。」
 「・・・・・・・・・  うるそうてかなんわ。」


 ご主人は日本語はわからないらしく、マダムの日本語での悪態口はただのため息にしか聞こえていないようで、二人はフランス語での会話を平然と続けるのです。

 この二人、日本に長く住んでいるのでしょうか?マダムはどこでこの巧みな関西弁を習得したのでしょう?
 マダムにとってこのように日本語を話すことにどんな意味があるのでしょう?
 ・・・実に面白い場面に遭遇してしまいました。
 マダムの日本語は囁くように発せられるので、周りの日本の人たちは、よもやそんな日本語が、このフランス人の女性によって呟かれているとは誰も気付かなかったのではと思います。
 私は息が止まるほどびっくりし、笑い転げたいのを必死で我慢して、テンション上がりっぱなしのひと時でした。

 織田作之助の『夫婦善哉』という小説をお読みになったことがありますか?
 大阪を舞台にして、蝶子という元芸者の女性と、放蕩者の若旦那柳吉が駆け落ちをしてドタバタしながらの絶妙な夫婦模様を繰り広げるお話なのですが、なぜか、あの小説が浮かんできてしまいました。

 マダムは、素知らぬ顔をしながら、時々コテコテの関西弁でご主人に悪態口をつき、自らガス抜きをしながら、あの華のような笑みを浮かべて過ごしてゆくのでしょう。
 これも夫婦の妙、奥は深いです。

   船上のウエディングパーティー
 さて、気分を変えて、若いカップルの素敵な門出のお話をして、締めくくりたいと思います。
 少し前、5月の中旬のことになりますが、私の教え子、ご卒業後もずっと親しくお付き合いしてきたYさんがご結婚なさいました。
シンフォニー
 挙式はハワイで、そして披露パーティーは東京湾クルーズ、日の出埠頭から出発する「シンフォニー」という豪華客船での披露宴でした。
シンフォニーのプレート
 ハワイでの挙式のお写真も沢山見せていただきましたが、真っ青な空と海、光一杯に包まれたYさんの笑顔は本当に美しく、清らかに輝いていました。
ハワイでの佳き日を彷彿とさせる、素晴らしい五月の青空と海に、一点の陰りもない素敵なお二人、心のこもった忘れ難い船上のパーティーとなりました。
船上からの東京湾  室内からの東京湾
 Yさんは、中学生の頃からとても理知的で謙虚な、でも自分をしっかりと持っていらした方、教養が深い分、控え目になって、こんな世の中では損したりしないかなと、親心としては心配になることもあったのですが、そうやって培ってきたピュアなものが、この日に集約されて匂い立つような美しさでした。

 お相手の方は、とても爽やかで品格に満ちた好青年、これから一歩ずつお二人での素敵な時間を刻んでいらっしゃるのですね。
船をかたどったウエディングケーキ
 写真はウエディングケーキカット。ケーキが客船の形をしていて心弾みます。

 Yさんは、私のコンサートスタッフとしていつも力を貸して下さっている方です。彼女の<一番好きな曲!>『愛の約束』をお祝いに歌わせて頂きました。
 胸が一杯になって、ステージで歌う時とは勝手が違いましたが、私の心尽くしの『愛の約束』、受け取って頂けましたか。

   愛は全て 共に手を取り
   信じ合って 今を輝かせ 約束の世界に生きよう


 お幸せを心からお祈りしています。


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