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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

母を送る日

 十一月一日朝、母が永眠致しました。
 とても安らかな顔でした。
 母は戦争を体験した世代ですから、怒涛のような時代と、時代の大きな変遷の中で、様々な困難と向き合い、乗り越えて、天寿を全うしたと言えるのでしょう。
 その生きてきた日々を偲びながら、静かにねぎらい、見送るべきなのでしょうが、でもやはり、その分、母娘として共有してきた時間も長いわけで、通夜・葬儀を終えて二十日余りが経っても、言いようのない喪失感というか、しみじみと悼む気持ちが募ってきています。

 これが、親を亡くす感慨なのかと、実感します。
 そして、そういう気持ちに自然に包まれるほど長く、私たち姉弟の母として生きていてくれたことに今さらながら有難さを感じてもいます。
 でも、まだ子供のうちに親に死に別れる衝撃や悲嘆はきっと、もっともっと言いようのないものなのでしょうね。

 葬儀関係の一切を終えて、京都に戻る新幹線の中で急に強い感情が湧き出てきて、言葉が溢れました。
 その時、ペンを一気に走らせたのですが、四編の詩が自然に出来上がりました。
 その時の言葉のまま手直しをせず、小冊子に製本して、今、母の写真の前に供えてあります。私からのささやかな供養になるでしょうか。

 プライベートなことで本当に恐縮なのですが、今日はもう少しだけお話させてください。
 四編の詩の中の一編に『引導法話』という題を付けました。
 その冒頭を。
 葬儀の様子を記したものです。

 
   引導法話

  窓のある明るい葬儀の会場だった
  棺はその中央奥に安置され、花々が取り囲んでいた
  わあ、綺麗
  と弔問の声があがる
  とりどりの白花の中に
  ピンクの大輪の薔薇とカーネーション、スイトピーが鮮やかに映えて
  黄色のオンシジュームが華やかなアクセントとなっていた
  その真ん中に真っ白な胡蝶蘭

  披露宴のひな壇を飾るような

  華やかなドレスを着た遺影としっくり調和して

  花がこうであるだけで
  悲しみは少し遠のく
  お洒落三昧だった母のおくりに相応しいはなむけだ

  きっと母は喜んでいるだろう
  棺を花でいっぱいに埋めたい
  こちら側の小さななぐさめ


  ほどなく
  まだ若いすらりと背の高いお坊様が到着する
  昨夜の通夜の読経は良く通る力のある声で
  それが私には何故だかとても嬉しかった

  今
  葬儀が始まったその発声も
  それにまして
  凛と張った声
  心地よい抑揚

  読経はしめやかに進んでいく

 この詩はまだ長く続きます。
 でも、このあとは、何よりも母の心に微妙に触れていく部分なので、母はきっと独りでそっと受け止めたいのではと思い、途中省略いたします。
 そして最後、詩の締めくくりです。

  読経の終わりに
  導師は力を込めて
  「喝」と
  長く響き渡る一喝を加えた

  母は
  これまでの時間の中で堆積したすべての煩悩から解き放たれたのだろうか
  「喝」のひと声が
  死者を静かな彼岸にいざなったに違いないと

  葬儀は
  そういう
  残されたものにも引導を渡す行為なのだと

  そして
  私たちが次々と手向ける花々にいっぱいに包まれて

  棺は静かに閉ざされて
  訣れの時が過ぎた


 もちろん、これは私だけでなく、特別な事でもなく、色々な思いを抱えながら誰しも順番で経験してゆくことなのでしょう。

 今というこの時間を大切にしながら、心を込めて過ごしていきたいと改めて思います。



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「東福寺展」に行ってきました

 風が通りにくい京都盆地の中にあって、吹き抜ける風を感じる日はどれくらいあるでしょうか。
そんな中でも、この10月は心地よい爽やかな日々が続いています。
 まさに散策日和ですが、でも、外国人の観光客も急増していて、特に私の住まい近くの錦市場や祇園界隈などは、どこか異国に迷い込んでしまったかのように、外国語ばかりが勢いよく飛び交っています。
 10月22日は時代祭りでした。所用で出かけた時、人込みのすき間から、ちょうど目の前を眩しい秋の日差しを受けたきらびやかな行列が粛然と通り過ぎてゆき、ふっと昔の時間と混ざり合うような感覚に包まれました。
 こういう時、「あなどるなかれ京の都」と痛感します。
京都国立博物館
 さて、10月7日から12月3日まで京都国立博物館で「東福寺展」が開催されています。
 先日、抜けるような秋空の下、光と風を浴びながら鼻歌気分で出かけてみました。
東福寺展 これに先駆け7月に上野の東京国立博物館で既に開催されていて、東京の友人から「地元にいるのにこの展覧会に行かないなんてありえない」という強いお薦めの電話を受けたばかりでした。

 京都国立博物館のWEBにはこんな文章と写真が載っています。
羅漢図 新緑や紅葉の名所として知られる東福寺は、京都を代表する禅寺の一つです。中世以来の巨大な建造物の数々は圧倒的なスケールを誇り、「東福寺の伽藍面」の通称で知られています。
 東福寺の寺宝をまとめて紹介する初の機会となる本展では、伝説の絵仏師・明兆による記念碑的大作「五百羅漢図」全幅を修理後初公開するとともに、巨大伽藍にふさわしい特大サイズの仏像や書画類も一堂に展観いたします。草創以来の東福寺の歴史を辿りつつ、大陸との交流を通して花開いた禅宗文化の全容を幅広く紹介し、東福寺の日本文化における意義とその魅力を余すところなくご覧いただきます。


 鮮やかな復元、「画聖」と崇められた絵仏師・明兆による五百羅漢図のうち、現存する全四十七幅の展示、一幅に十人の羅漢(釈迦の弟子)が描かれ、合わせて五百人の羅漢が、それぞれの絵図の中で存分に神通力を発揮する様が、生き生きと描かれていて、絵物語を見るよう。
 アニメのように絵の中から声が聞こえてきそうな臨場感を感じました。これだけのものを復元するのはどんなにか大変だったことでしょう。修復に14年の歳月を要したというのも頷けます。
 五百羅漢図は4期に分けて入れ替え、展示されるのだそうです。11月7日からは特別展の後期という事で、他の展示物も入れ替わるそうですので、もう一回行きたいと思っているのですが。
羅漢図1 それにしても、「羅漢図」は釈迦の高弟たちを讃えるための荘厳な仏教絵図であるとこれまで理解していたのですが、羅漢たちがお茶会にワイワイと集まってくる様子とか、それぞれが様々な表情を見せて書物と格闘している勉強会とか、まるでマジックショーのように仏経典に光を放って皆で拍手喝采しているところや、はたまた、招かれて竜宮城へ皆で遊びに行くところなど、・・・「羅漢図」の横に添えられてある吹き出し付きのウエットに富んだ四コマ漫画と合わせて思わず笑ってしまいました。
 飛躍し過ぎかもしれませんが、日本の古代から伝わる物語、日本書記や古事記の中の神々の姿は人間的で自由に生き生きと、時にはユーモラスでもあることと重なって感じられました。そう言えばギリシャ神話も同様に、神々は実に人間くさく、喜怒哀楽に任せて楽し気にふるまっていますし、・・・羅漢は神様ではなく釈迦の弟子、人間ではありますが、何だか似ているようにも思われてきます。
 「神々の笑い」、苦悩に沈むことと対極にあるような突き抜けた悟りの世界なのかもしれません。

 館内には「五百羅漢図」を中心に、東福寺に所蔵されてきた貴重な書画・工芸品・仏像など、博物館を埋め尽くすほど沢山の展示物が公開されていました。
 私としては特に、縦横3mにもなる「白衣観音図」(重文指定)の神秘的な慈愛の表情と、同じく2mを超える「寒山拾得図」、鴎外の小説「寒山拾得」が思い出されて、二人の特異な人物像がそのまま心に迫ってくるようでとても興味深かったです。
 そして、三門に安置されている「二天王立像」(重文指定)の近づいて見た時の雄姿、・・・普段、東福寺に行って三門の暗がりを覗き込むときにも、ぼんやりと浮き上がる迫力を感じますが、でも目の前にその巨大な全体像と勇壮な表情の細部を鑑賞できるのは、やはりこのような特別展ならではのものでしょう。
大仏の手
 ご紹介したいものはたくさんあるのですが、大仏様の左手の展示も圧巻でした。
創建当初の大仏が元応元年(1319)に焼失したあと再興された旧本尊(釈迦如来坐像)もまた、明治14年(1881)の火災で焼失し、辛くもこの左手と光背の化仏、そして蓮弁一枚だけが救出されたのだそうです。手だけでも約2.2mあり、それを目の前で見ることができ圧倒されました。

 またまた飛躍しますが、以前読んで心に深く残っている文章の一節を思い出しました。
 詩人清岡卓行氏のエッセイ『ミロのヴィーナス』という文章。冒頭をご紹介してみます。

 ミロのヴィーナスを眺めながら、彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかったのだ と、僕はふと不思議な思いにとらわれたことがある。つまり、そこには、美術作品の運命という制作者のあずかり知らぬ 何ものかも、微妙な協力をしているように思われてならなかったのである。
(中略)
 失われた両腕は、ある捉え難い神秘的な雰囲気、いわば生命の多様な可能性の夢を深々とたたえている。つまりそこでは、大理石でできた二本の美しい腕 が失われた代わりに、存在すべき無数の美しい腕への暗示という、不思議に心象的な表現が思いがけなくもたらされたのである。

 非常に美学的な捉え方だと思いますが、清岡氏は、「手というものは世界との、他人との、あるいは自己との、千変万化する交渉の手段である。」とも述べていて、手が欠けてしまったからこそ、手の持つ無限の可能性が美しく感じられるのだというのです。
この大仏の手、手だけが語る世界は・・・・・と考えるととても興味深く、清岡氏だったらこの唯一残された左手をどのように表現するのでしょうね。

 そして、この大仏様が座していたという台座の蓮の花の花びらが、この手と隣り合わせて展示されていました。
この蓮弁は東福寺塔頭の即宗院に所蔵されています。
 蓮弁   大仏と私
 写真コーナーワッペン
 今回の展覧会で写真を撮ることが許されている唯一のコーナーですので、傍の方にお願いして撮影して頂きました。

京都国立博物館はゆったりとしてとても心地よい空間ですし、展示品は悠久の歴史の浪漫を感じる貴重な品々ばかりですので、是非お薦めいたします。
 人の少ない、開館時間直後の9時に入館するのがベストです。
   写真コーナー

朗読 et chanson 「したたりひとしずく」 準備が進んでいます
  12月2日(日) 14:00~ 京都岡崎  ナムホール  
  12月16日(日) 14:00~ 湘南鵠沼  レスプリ・フランセ   

 あとひと月余りと迫って参りました。
 そろそろお席が埋まって参りましたので、ご予定下さっている皆様はどうぞお早めにお申し込み下さい。
 準備も佳境に入っています。より良いものをお届けしたく様々もがきながら、でもそういう時間を楽しんでいます。是非今回もお越しくださいますように。

                                          

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事件です!

 いつの間にか葉桜となり、日一日と季節が柔らかなさみどり色に移ろう頃。

  さて、突然ですが・・・・私、振り込め詐欺に遭遇しました。
  皆様もお気をつけになったほうが良いので、ご参考までに事件の顛末を告白致しますね。

   一本の電話
 数日来、忙しさが重なって、睡眠があまり取れておらず、それがようやく一段落して、ほっと一息ついた昼過ぎ、自宅電話が鳴りました。

  「京都市役所の介護保険課ですが、保険料の還付金の件でご連絡しました。
 申請書類が届いたかと思うのですが、まだこちらにご返送頂いていません。」

  (届いている?・・・手紙チェックはいつも入念にしているので見過ごすはずはないんだけれど・・・?)

 「大変申し訳ありませんが多く徴収しておりましたので、この度過去5年に遡り返金されることになりました。3月31日が書類申請の締め切りだったのですが・・・。」

 「では見過ごしたのかもしれません。参考までに返還される金額はどれくらいなのですか?」

 「32400円です。同じように締め切りに間に合わなかった方が多くいらっしゃるので、そのような皆さんにこうして至急のお電話差し上げています。もう書類を再交付する時間がありませんので、本日中に銀行に行って頂ければ返金の手続きができますが。」

 (今日・・・?銀行に・・・?今から・・?)

 「最寄りの銀行はどちらですか。こちらから事情を話してすぐに手続きできるように交渉します。銀行の了承が取れたら銀行から確認のお電話を入れて頂きます。20分ほどでご連絡があると思いますので、お電話がありましたら、すぐ銀行に入金手続きに行って下さい」

 「最寄りはゆうちょ銀行です」

 とりあえず一言だけそう言って電話を切りました。
 そもそもこういうことの扱いは市役所ではなく区役所なのでは・・・・?
 そしてゆうちょ銀行の支店名もわからずに、一体どうやって先方と連絡を取るつもりなのだろうか?
 電話で言ってくること自体大いに怪しい・・・でも返金があると言うし・・・・?この時点で疑いは90%でした。
 残りの10%はもしや私が、通知を見過ごしていたのではという懸念から・・・・、ともかくも、急いで、改めて市役所の代表番号に確認の電話を入れました。

 「振り込め詐欺なのではないかと思うのですが、大至急確認させてください」と口上を述べたら、市役所のほうでもすぐ担当部署に繋いでくれて、迅速に対応してくれました。
 結論は、「明らかなる振り込め詐欺」
 電話の向こうと熱い会話が続いたのですが、「知らせて下さってありがとうございます。こちらでもしかるべく注意喚起を促します。ともかく引っかからなくて本当に良かったですね」というお話。

 電話を切ったら、今度は「ゆうちょ銀行サービスセンター」と名乗る相手からまた電話があり、「市役所からご連絡があり、お客様の手続きを承ります。すぐに最寄りの支店にいらしてくだされば、還付金払い戻し手続きができます。
 銀行に到着なさったらその旨この番号に折り返しご連絡下さい。ご返金受け取りの方法をご説明致します。ただし、コロナ蔓延防止の意味から対面接客を致しておりませんので、ATMの機械での操作方法をお伝えします。」

 「わかりました。」

 もちろん、この後こちらから電話は一切しませんでしたが、なるほどこんな風にして人を騙すのですね。
 どうしたものか?
 ゆうちょ銀行にもこの事実を伝えた方が今後のためになるだろう。警察にも連絡しようか・・・などと思いながらまずは最寄りの郵便局に直行したのでした。

   警官の聴取 刑事の取り調べ
 郵便局でまずは窓口の受付の方に事の経緯を話したら「よくぞ知らせてくれた」「被害にあわずに済んで良かった」と市役所と異口同音。
 それで、警察に知らせるのが嫌でなければここに来てもらうので状況の報告をしてくれないかということになり、私もその方が今後の役に立つのではと思い、快諾しました。

 5分ほどしたらおまわりさんが二人駆けつけてきました。
 でもそれからが大変。郵便局の別室でと思いきや、人の行き来する窓口での聴取となりました。パーティションを隔てて向かい側におまわりさん二名と郵便局の支店長が同席し、まずは「お名前は?」から始まり、知らない人が見たら明らかに私が容疑者で尋問を受けているように見えたに違いありません。
 小一時間ほど微に入り細に入り説明を求められ、でも最後には通報した事に大いに感謝して頂きました。色々な人に褒められた変な一日でした。

 ようやく解放かと思った時に、刑事さんまで現れ、また最初から説明のやり直し。初めに「こういうものです」と警察手帳(写真入りの二つ折り)を両手で開けて見せた仕草が、刑事ドラマそっくりで、やけに感動してしまいました。そういえば人生の中で警察手帳を見たのも刑事さんと話したのも初めての事でした。
 返金するというので振り込め詐欺ではないと信用させ、電話でATMまで誘導し、操作を指示されて何がなんだかわからなくなったところで、最後に「送金ボタンを押して下さい」という事で、結果的に振り込ませる詐欺の手口だと、教えてくれました。
 なるほど!
 最後にアンケートにご協力をと言われ、いくつかの質問もありました。
 「自分だけは振り込め詐欺などにはかからない。無縁と考えていた」という項目には即頷いたのですが、それは危険だと延々とお説教されました。
 そして、「詐欺にご用心」というチラシを頂いたのですが、なんとその中に、○○市役所を名乗る還付金詐欺の例も載っていました。
 そんなにポピュラーな手口だったのですね。
 これまで知らないでいたことがとても恥ずかしくなりました。刑事さんの言うようにもっと関心を持って情報を集めておくことがとても大切なのでしょう。

 皆様もこんなことには遭遇しないで済むことが一番ですが、くれぐれもご注意ください。


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春の訪れ

 早や三月となりました。
 未だ収束することのないオミクロン株、ロシアとウクライナの惨状、そして身近には、心身の不調をきたす親類縁者・友人たちに奔走したりで、心痛む冬の日々を過ごしていますが、それでも季節は確実に巡ってきます。
 滞りがちだった心模様からそろそろ覚醒して、始動しなければと思います。
 そんな中に、季節の便りがいくつか届いてきました。

   夜明けの寒桜
 折に触れて、季節の便りを送ってくれる友人から、今朝届いた写真。
夜明けのカンザクラ
 夜明けの中の寒桜が近くのお寺の境内に蕾をつけ始めたそうです。
 そういえば、いつの間にか夜明けが早くなりましたね。
 暁闇がうっすらと紫の光を帯びてくる微かな時間をとらえた写真がひんやりとした冷気まで伝えてくれるようで美しい写真です。
 季節に先駆けて花開こうとする寒桜に、若芽の静謐な潔さを感じて見入ってしまいました。

    そして花粉
 今年は短期集中型なのだと聞きましたが、すでに始まりましたね。
 昨年から諦めて薬を服用することとし、今年も早めに飲み始めたのですが、どうも今一つ効き目が表れません。
 私の場合、罹り始めが重篤で、喉の痛みや咳、くしゃみなどに加えて、発熱やめまい、食欲減退なども加わって一週間くらいは寝込んでしまいますので紛らわしく、この時節、コロナに感染したのではと危ぶまれて本当に不安で不快です。
 病院にも行きましたが、目が痒いという症状があるので間違いなく花粉症との診断でした。あとは桜が咲き、若葉が芽吹く頃までひたすら耐えることしかなさそうです。
 私は京都に来てから発症したので、今も京都のスギ花粉に強く反応するみたいです。仕事で東京に行くと駅に降り立った途端に、ピタリと症状が消えています。  
 花粉症が土地柄と関係があるとはあまり聞いたことがないのですが、京都の北山スギは特別なのでしょうか。人の体って不思議なものですね。

    素敵な贈り物
 20年来の友人Sさんから先日素敵なプレゼントを頂きました。
 Sさんは京風に言うなら「はんなり」という言葉が本当にしっくりとくる優雅な雰囲気を持った優しい女性。さりげない心遣いを誰にでも自然に示すことのできる方で、私も見習いたいといつも思っているのです。
 その彼女から『詞歌抄 クロと読むchanson』の出版のお祝いにと、ドラえもんのポケットみたいに心尽くしの品がいろいろ入っている荷物が届いてきました。
 どれもお洒落で、選んで下さった時の想いが温かく伝わるものばかりだったのですが、その中から3つ、ご紹介したいと思います。

    <カレンダー>
 Leilian(レリアン)の名前がありました。女性服飾メーカーレリアンが毎年作っているカレンダーのようです。
 彼女にはまだ確かめてはいませんが、おそらくお店の顧客宛のかなりレアな限定品なのではと思われます。
 表紙には「Calendrier de paris 2022」=パリのカレンダー2022 とあって12か月それぞれにパリの風景が描かれており、そこに画家のメッセージが刻まれていて、スケッチ画の美しさと、そのメッセージが群を抜いてお洒落でエスプリに富んでいて心を奪われる思いがしました。
 企業が作るカレンダーでこんなに感激したのは初めてです。
 画家は橋本 清(はしもと せい)氏。パリ在住のスケッチ画の大家です。
カレンダー1
 紙質も和紙のような風合いのある厚紙で、まず開くと、12枚がそれぞれどの場所を描いたものかがわかるような地図が載っていて、「いかがお過ごしですか。お会いしたかったです。」という直筆が添えられています。

カレンダー2

 オペラ座の風景が描かれた1月から、すべてのページが素敵で、圧倒されるのですが、中でも2月=Fevrier-2 のNorvins通りの片隅のギター弾きの絵が心に残りました。
自然に街の風物詩としてしっくりと溶け込んでいるのですが、改めてギターの音色が聴こえてきそうな美しい一枚だと思いました。
橋本氏が添えた文章も素敵です。


   小さな街角が唄っているみたい 
   ギター弾きも流れる音楽もパリの風景だ
   私は一人たたずんで見ている

 
カレンダー3
そして、今月(3月)のカレンダーはこちら(レリアンのHPから、ダウンロードできるようになっています)。

 窓辺に飾られた花々が春の喜びを語っているようです。

   窓辺の花は、前を通る人への挨拶
   日本の床の間に花は優雅に語る
   国の言葉が違うように、花の言葉もまた違う


    <パリのサブレ>
 「サブレミシェル」というお店が販売している「パリのサブレ」と名付けられたクッキーなのですが、まず缶がお洒落です。
 蓋を開けるとエッフェル塔、凱旋門、薔薇、シャンパン、葡萄、国旗の意匠のクッキー。パリのモチーフとはこれなのかと改めて頷いてしまいました。
パリのお菓子
 お店のHPを見てみましたら、「ボヤージュサブレ(クッキーの旅)」というシリーズに入っている中の一つで、全部で15の土地のバージョンがあり、例えば、イタリア、ロンドン、ハワイ、エジプト、ニューヨーク・・・。
 面白くなって日本のモチーフも調べたら、やはり思った通り,富士山、桜。そして京都タワーにも似ていて見分けがつきにくい東京タワーのサブレも。
 どんどん食べて綺麗な缶を集めたくなるので、お店の作戦勝ちです。

    <歴代総理大臣ノート>
 歴代の総理大臣66名(安倍総理まで)が表紙に描かれたユニークなノート。
 似顔絵が面白く、これは産経新聞に34年間にわたり政治漫画を連載してきた土田直敏氏によるものです。
歴代首相ノート
 眺めているとそれぞれの時代が思い出されてくるようで、これも何と楽しいプレゼントだとまたまた感心してしまいました。
 こちらもHPで検索してみたら、総理が変わる度に描き足されるのだそうで、今の最新版には岸田総理も描かれているとありました。
中身は横罫ノートですが、吹き出しつきのイラストが各ページに描かれています。
 もともとは議員会館などでのみ扱っていたそうですが今は官公庁内にあるコンビニなどで販売していると聞きました。

 Sさん、素敵な春のお便りの数々、大事に使わせていただきますね。



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『 詞歌抄 クロと読むchanson 』発売です

 令和3年12月16日初版第一刷発行」、皆様に応援して頂き、お蔭様で無事出版が叶いました。
 本当に有難うございました。
 A5版横長 全160ページ 定価2420円(税込)、ずっしりとした手ごたえのこの本です
詩歌抄
 帯写真は、2018年のコンサートの会場、東京四谷の「劇空間えとわ~る」で撮影したもので、私の教え子でもあるカメラマン沢木瑠璃さんの写真です。
 15年近くになる私のコンサートの軌跡を、彼女はレンズ越しにずっと追い続けてくれました。

 全12章からなる訳詞エッセイ集ですが、それぞれの章で1曲ずつ取り上げ、その日本語詞を載せた上で、曲にまつわる背景・原詞との比較・詩語としてのニュアンス等をエッセイにまとめました。
訳詞家 巻末に原詞とその対訳も掲載しましたので、対訳と訳詞とを読み比べることができ、そこから翻訳の在り方や方法について、興味を持っていただければと思います。
 また、日本語詞は対訳ではなく、曲に合わせて実際に歌うことのできる歌詞そのものとなっています。
クロ
 愛猫「クロ」は各章の最後にひとこと、鋭くエスプリの効いた言葉をつぶやくのですが、これは文章を読み進める上でのお洒落なスパイスになっているのではと自画自賛。
 そして、章ごとに詞のイメージが豊かに広がっていく素敵な写真が挿入されていますが、これは全て、写真家淺岡敬史氏がお引き受け下さいました。
 写真と文章とが融合して、より生き生きと訳詞の世界を伝える力になっていればと願っています。

 シャンソンと訳詞とに携わる日々の中で、フランスと日本、翻訳の妙味、生活習慣・風土・国民性などから生まれる文化の特性、そして音楽と言葉の問題など、様々なことが見えてきて本当に興味深く、訳詞をしながら想ったこれらのことを綴ったエッセイを、いつかは本という形でまとめてみたいと願っていました。そんな10年来の思いが叶った今回の出版は私には殊の外感慨深く思われます。
 沢山の皆様に、様々な形で応援して頂きましたことに感謝の思いで一杯です。

 「詞歌抄」の最後の「解説」は、シャンソン界の最大のイベント「パリ祭」なども企画制作なさっている音楽プロデューサー窪田豊氏が寄稿して下さいました。(一部分ですが抜粋させて頂きます)

シャンソンには多くの訳詞集が出版されていますが、全曲オリジナルパブリッシャーから許諾を受けた訳詞集は、私の知る限り2冊目です。
 この『詞歌抄』には、松峰さんの新しい世界観とメッセージを込めた日本語が真珠のように美しく並んでいます。
 1879年の『子守唄』から2013年の『もしも』までの、時代の波をくぐった12曲のシャンソンが松峰さんの手によって、日本のシャンソン文化の重要な一部分になったと思います。


 こんなに温かく力強いねぎらいのお言葉を頂きました。

 アマゾン等からネット購入できますし、もしくはWEBコンタクトから松峰にご連絡頂けましたら、速やかに発送致します。
 まずは実物を見てからという方は、最寄りの三省堂書店に配架されていますので是非。コンサート会場でも販売致しますのでお手に取ってご覧下さい。

 アマゾンに早速、本のレビューを書いて下さった方がいらっしゃいました。

 実に丁寧に、心を込めて作られた、シャンソンをめぐる本です。
 著者の感性の豊かさが溢れ、言葉の重みを知り尽くし、推敲を重ねた歌詞は、一篇の詩を思わせるほどです。
   ・・・・中略・・・・
 こういう丹精込めて作られた著作は、読書の喜びを与えてくれます。

 嬉しいお言葉有難うございます。

というわけで、発売になった嬉しさにかなり興奮している毎日ですが、後2週間強で、京都文化博物館ホールでの出版記念コンサートが迫ってまいりました。まずは京都、そして横浜、飛び切りの曲と朗読の作品、今回もきっとお楽しみ頂けるのではないかと・・・・張り切って準備に力を尽くしています。
両会場ともまだチケットOKですので、どうぞお誘いあわせの上、是非会場にお越しくださいますように。

今年も後少しで終わりますね。
どうぞ、ご健康に留意なさって、佳きクリスマスと新年をお迎えください。

                        

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むらさきいろの情景

 二週間前、ついに思い切って目の手術を受けました。

   水晶体再建術
 子供の頃から本の虫だったのがたたったのか、極度の近眼だったのですが、加えて白内障も若い頃から発症し、滲んで見えづらいのが日常になっていました。
 支障も多くなってきたので、長年の懸案の水晶体再建術(=白内障手術)を両眼とも受けることをついに決意したのでした。
 簡単な手術だとは前々から聞いていたものの、手術恐怖症で、メスとか麻酔とかいう言葉には震えがくる質(たち)ですので、実は、私としては決死の覚悟だったのです。
 「命がけ」みたいな気分で情報収集をし、ようやくこの方ならと納得できるお医者様に出会うことができました。
 万全の構えでの出陣でしたが、お陰様で無事成功しました。

 白内障手術というのは、大雑把にいうと、濁りが生じた水晶体を取り除き、代わりに眼内レンズをはめ込むという手術です。
 そのレンズには、大きく多焦点と単焦点の2通りがあります。
 単焦点レンズというのは、一か所だけにくっきりとピントの合うレンズの事。例えば遠くが良く見えるレンズの場合は手元眼鏡が必要になり、反対に手元の文字などがはっきり見えるように設定すると、遠くはぼやけるので近眼用の眼鏡が必要になります。
 遠近どちらもそこそこの視力が欲しい場合には多焦点レンズが有効で、距離に関係なくかなりクリアな視力を回復できます。

 この頃は、この多焦点レンズの開発が進んで、少しずつ身近になってきたようです。
 私も現在の目の状態と、舞台で朗読をすることも考え合わせ、思い切って、最新の多焦点レンズを使って頂くことにしたのでした。

 手術後一週間は、昼夜、眼球保護のためゴーグルのような眼鏡をかけて過ごし、洗顔洗髪等も禁止され、ただひたすら静かに過ごしていましたが、ようやくこの期間も過ぎました。二か月間はまだ目薬をさし、日常生活に気を付けねばというものの、ほっと一安心!

 秋葉原の白内障専門のクリニックで手術を受けたのですが、手厚く万事に行き届いていて信頼してお任せすることができました。
 手術そのものは両眼合わせても10分くらいの短時間、麻酔の目薬をさしての手術ですので、術中の様子はすべてわかるのですが、先生が折々適切な言葉をかけて下さるので、私も安心してまな板の上の鯉に。
 手術の間、看護婦さんが優しく手を握っていてくれて、それが何とも心地よいのです。
 励まされるってこういうことなのだと、何かがわかったような気がしました。

   紫色の情景
 手術後、視界がくっきりと開けてきたことには本当に感激しています。
 見にくかった遠方がどこまでも遠くまで見えるようになって、世界はこんな風に広がっていたのか・・・という驚きがあり、目を上げてまっすぐに歩きたいと思いました。
 道端の小さな風景も新鮮で心惹かれますし、人の顔も自分の表情さえもこんなだったのかという不思議な驚きと発見があります。

 でも白内障手術後、一番変わったことは世界の色合いが違って見えること。シンボリックに言っているのではなく文字通り周囲の色彩が違うのです。
 「青視症(せいししょう)」という現象なのだそうですが、白内障手術の結果、急に黄色のサングラスをはずして見たのと同様に、これまで遮られていた青い光が網膜に届くようになり、今までと違って青みを帯びて見えるようになることがあると本で知りました。

 私の場合もまさにそうで、最初に気づいたのは手術の翌朝、窓の外の夜明けの空が青紫色に染まっていて、大気全体にブルーのフィルターがかかったように見えたことでした。
 それから今もずっとこの現象は続いています。
 少しずつ慣れてきて自然に気にならなくなるのだそうですが、この色合い、特に夜明けと日没の空は青紫のヴェールが特に美しくて、毎日感動しているのです。
 蒼いものは更に深く蒼く見えて、いつも淡いブルーのセロファン越しに物を見ている感じです。でも気持ちが悪いわけではなく、とても心地よい・・・・。
朝焼け
 これまで見てきた色が本当で、今は目の錯覚なのか、あるいは、今見ている色合いこそが、他の人も見ているのと同じなのか・・・。

「紫立ちたる雲の細くたなびきたる」・・・清少納言の見た朝明けはこんな色だったのかしらとも思います。

 物を見るということについて。
 自分が当然と思ってみている映像は、他の人にも同様に見えているのだろうか?
 本当は違う色で違う姿をしているのではないだろうか?
 ただ自分で信じているだけで、実はそれぞれの人には異なった像が映っているのかもしれない・・・などと思います。
 これは目に見える実像だけではなく、もっと精神的なこと、物の捉え方や、常識と思われていることなど、多岐にわたって当てはまることなのかもしれません。

 画家が描く独特な事物や色彩表現なども、あえて抽象的に描いたというよりはむしろ彼の目には本当にそう映っていただけだったということもありうるかもしれません。

 淡いむらさきに染まった世界と、寝る前にコンタクトレンズをはずさなくてもよくなった自分を楽しんでいるこの頃です。



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「巴里野郎」閉店

 今日はとても残念なお知らせをしなければなりません。
 京都 四条河原町の老舗シャンソニエ「巴里野郎」が突然閉店することになりました。

 一昨日の夜、虫の知らせだったのでしょうか、何となく気になって巴里野郎のWEBを開いてみたら、お店閉店のお知らせが目に飛び込んできました。
 記事がUPされたのは、5分前の事、もしかしたら、WEBで知ったのは私が一番早かったのかもしれません。
 
   2013年の閉店から
 思えば、2013年の2月に「巴里野郎」の創設者、初代オーナーの宮本宰完氏から4月一杯で閉店のお知らせを受けたのが最初でした。

 シャンソンの殿堂ともいうべき老舗名門シャンソニエ『銀巴里』も閉店となり、次々とシャンソニエの灯が消えてゆく時代の流れの中でのことでした。
 
 巴里野郎とご縁ができたのは、その前年だったかと思います。
 その頃はもう宮本オーナーはお身体を崩されて、ご自宅で療養しておいでの頃でしたが、閉店のお知らせに強い喪失感を感じたことを思い出します。
パリ野郎で
 関西のシャンソンの草分けであった名店の終焉を惜しむ声、存続を願う声も、様々なところで湧き上がっていました。

 閉店前の1か月間は、巴里野郎30周年を兼ねた記念月間として、様々な方が別れを惜しんで歌われましたが、私もその中でコンサートを持たせていただきました。

 宮本オーナーの武勇伝はそれまでにも色々なところで耳にしていました。
 30年前に本場のシャンソニエを訪れた時の感動から、日本にも本格的なシャンソニエをという志のもと、ご自身の生年の1953年にレオ・フェレによって作られた曲『パリ・カナイユ(巴里野郎)』にちなんで『巴里野郎』をオープンさせたのだと伺っています。

 2013年4月末日に閉店したのですが、どうしてもこの灯を受け継いでいきたいと願う関係者の思いの中で、同年5月に、急遽、現オーナーの藤本氏がそのまま店を引き継ぐこととなって、紆余曲折を経て、その一年後、ピアニスト坂下文野さんに経営上の責任をバトンタッチされたという経緯があったのです。
 (宮本氏がご病気でお亡くなりになられたのもちょうどこの時期でした)

 それから、6年間、坂下さんが、全力をかけて、巴里野郎を大切に守り支えていらした日々を傍らでつぶさに拝見していました。

 私は奇しくも不思議なご縁の中で、巴里野郎の二度の閉店を身近に見ることになったわけです。

 坂下さんが、コロナウイルスの脅威の中で、どれだけ悩み、苦渋の選択をなさったのかと思うと言葉もありません。

 坂下さんの6年は、私にとっても、彼女と、巴里野郎と、共にあった6年でした。
 初代宮本オーナーの想いが現在まで引き継がれたように、ウイルス感染が収束したのち、また再び、どのような形でか、巴里野郎の魂が復活しますように。
 皆が肩を寄せ合いながら、共にシャンソンを心から楽しめる日が訪れることを今はただ願うばかりです。
巴里野郎のステージの立ち位置
 
 写真は、7年前に当時の宮本オーナーが写メで私に送ってくださった写真です。

 巴里野郎のステージの立ち位置なのですが、多くの歌手たちがここで歌って擦り切れてしまった床。

 「一番ライトが綺麗にあたる場所です これからのために・・・」との言葉が添えられてありました。

   閉店のご挨拶
 坂下さん、これまで6年間 本当にありがとうございました。
 そして共有させて頂いたたくさんの時間に 心から感謝いたします。
 しばし 心身を休めて力を蓄え 次なる飛躍に共に向かっていきましょう。
 
 巴里野郎のWEBに掲載された坂下さんの文章をそのままここに載せたいと思います。

 みなさま、お変わりございませんか。
 いつも、巴里野郎を支えてくださり、ありがとうございます。
パリ野郎入り口

 この春のコロナウィルスの蔓延、暖かくなったら落ち着くかと思っていましたが、四月に入っても状況はますますひどくなり、先が見えない状況です。

 どんな形でもお店を開けたい。三月まではそう思っていました。
 でも、それはお客様を、出演者を、スタッフを危険にさらしてしまう。

 いつになったら安全にお客様をお迎えできるのか。
 出演者の皆様に、安心してお声かけできるのか。
 堂々と公演の告知をすることができるのか。

 答えを探そうと、日々あふれるニュース、
 コロナウィルスとの戦いに関する さまざまな情報の中で 悩んでまいりました。

 その間にも 受け取る寂しい連絡、数々の貸切のご予約のキャンセル。
 この春はもちろん、秋10月のご予約さえ、キャンセルが出てしまいました。

 しかし、悩んでいる間も営業できずともお家賃、JASRAC、その他いろんなお支払いがあり、、大家さんとも相談の結果、今月末で巴里野郎の営業に終止符をうつこととなりました。

 今まで6年間、多大なお力添えをいただいた皆々様へ心より御礼申し上げます。

 関西にも緊急事態宣言の出ていることをふまえ、お別れのライブや集まりができないことをお許しください。

   坂下文野





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オルゴールそして琵琶

 
秋の空
 明け方の冷気を受ける心地よさがたまらなくて、この季節は益々早起きになっています。
 
 早朝の秋空。
 
 夏バテの心身もようやく覚醒し、ソロソロと始動してきました。
 このところ、コンサートや演奏会に出かけることが増えていますが、そんな中から今日は二つご紹介してみたいと思います。

   オルゴールに乗せて
 『和サブロー令和元年秋のツアー 古来稀なる歌をあなたに~』
 とても素敵なコンサートでした。
和サブロー
「和サブロー」さんは京都出身のシャンソン歌手、私はもう10年来のファンなのです。

シャンソン歌手として国内外で活動する和(わ)サブローさんが70歳の誕生日の20日、ふるさとの京都で記念ライブを行う。シャンソンの本場フランスから京都に拠点を移して7年。全国8カ所でライブツアーを展開中の和サブローさんは「フランス語と日本語という楽器で歌い続けたい」と意気込んでいる。
 
初めてシャンソンを聴いたのは14歳の頃。ラジオから流れるエディット・ピアフの歌声に衝撃を受け、シャンソンの世界を目指すことに。
フランス語を磨くためにパリのソルボンヌ大に留学。一時帰国したが、29歳で再びフランスに戻り、本格的なシャンソン歌手への道を歩み始めた。ピアフも歌ったシャンソンの殿堂・オランピア劇場への出演を果たし、2週間にわたるソロ・コンサートも連日満員にした。2000年には、仏政府から芸術文化勲章のシュバリエ章を授与されるなど、本場でも認められる存在となった。
         
                      (2019 9 19 産経新聞より抜粋)

  日本語もフランス語も、発する言葉がとても生き生きして、人柄がそのまま言葉となって染み入ってくるという印象を受けます。
 京都五花街の一つ、上七軒(かみしちけん)に生まれ育って、子供の頃の遊び相手は舞妓さんだったというだけあって、コンサートの間のトークも、花街の男衆のような生粋の京言葉が流麗に流れます。
 たくまぬユーモアをちりばめたその間合いにも、話術とはかくあるべきと感心させられるばかりです。
 コンサートの中のほとんどの曲を原語のフランス語で歌っていらっしゃるのですが、日本語同様、その響きもまた非常にしっとりとした味わいがあって魅力的、生半可なところがなくて、美しく伝わって来るのです。
 フランス人が聴いてもフランス人以上のフランス語で、きっと深い感動を与えるのではないでしょうか。

 言葉の力とはそういうものなのでしょうね。

 ステージ中央に飾られた70本の深紅の薔薇。
 この日古希を迎えた彼を祝うスタッフからのプレゼントなのでしょうか?

 コンサート後半、スイス製の手回しオルガンがステージ上に運ばれ、手回ししながら「パリのロマンス」を歌われました。
 ハンドルを回す手が少し遅れればそれにつれテンポも遅くなる、何とも長閑な演奏、オルゴールのノスタルジックな音色が古きパリの街に誘ってくれるような心地よい9月の宵でした。

   琵琶が奏でる物語
 昨年の東福寺「採薪亭演奏会」から早や一年が過ぎました。
大慧殿
 今年の演目は、筑前琵琶の演奏と創作狂言、私はビデオ撮影をお手伝いしながら、客席側から観賞させて頂きました。

演奏会のテーマは「西郷隆盛」、主催者の東福寺即宗院は西郷隆盛ゆかりの塔頭ですので、それにちなんでのことなのでしょうね。
 琵琶の演目は「西郷隆盛」と「城山」の二曲で、その間に創作狂言「無血開城」が入ります。

 琵琶奏者、片山旭星(きょくせい)さんのプロフィールから一部抜粋します。

1977年より筑前琵琶を人間国宝 山崎旭萃、山下旭瑞、菅旭香に師事。
88~89年、新内を人間国宝 岡本文弥に師事。
90~96年、肥後座頭琵琶を、最後の琵琶法師と言われた山鹿良之に師事。その旋律、奏法を次代に伝える数少ない琵琶奏者として、玉川教海の名前で活動している。
 一方、古典のみならず、現代邦楽、民族音楽等、ジャンルに捉われない演奏活動やジャズ、ダンサーとのセッションライブ。演劇、舞踏の音楽制作、作曲など、幅広い活動を通して、琵琶という楽器の持つ独特の音色を生かした新たな可能性を追求。
 
琵琶
 「西郷隆盛」はその劇的な生涯を、そして「城山」は非業の死を題材とした弾き語りです。
 片山さんの深く響く声と琵琶の切々たる音色が幕末の動乱の世界の動と静に導いてくれる気がしました。

 様々な歌のルーツは、東西を問わず吟遊詩人の弾き語りに始まっていると思われます。
 こんなにゆっくりと琵琶の音色を楽しんだのは初めて。
 琵琶法師が平家物語を歌い語ったその言葉に、琵琶の響きは寄り添ってきたのだということを肌で感じました。
 静かに流れる「いにしえの時」に身を委ねる心地よさ、贅沢な時間でした。
無血開城
 そして、西郷隆盛と勝海舟との切迫した対面の場面を独り狂言で演じた「無血開城」、なかなかの力作で、脚本も自ら演者の杉井玄慎和尚様が手掛けられたとか。
 狂言ならではの滑稽味を添えて、動乱の中の人間模様を鮮やかに描いて見せて下さり見事でした。

 耳を傾けて様々な音、言葉に感応したくなる秋が、いよいよ深まってきます。




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「夏の軽井沢 落葉松の中で」

   『落葉松』
毎夏、訪れる軽井沢、今年も時間の合間を縫って、またしばし滞在しています。
 
かつてのブログを読み直していたら、「落葉松のある風景(一)」(2011年8月記)という記事が出てきました。
 
昨年末から今年初めにかけてのコンサートツアー「雨の日の物語」で『落葉松』という曲をご披露したのですが、嘗てのこの記事に、既に、落葉松への私の思いと、この『落葉松』という曲についての記載がありましたので、まずは少し引用してみたいと思います。

 軽井沢は人気の観光地ですので、見どころはもちろんたくさんあるのですが、どこに出掛けるというのではなくて、私は、何より落葉松の風景が良いなと思ってしまいます。
 落葉松林の中に入って、いつまでも樹の気配のようなものを感じているのが好きですし、四季折々、落葉松の表情に変化があるのも興味深いです。
 
  
   からまつの林を過ぎて、
   からまつをしみじみと見き。
   からまつはさびしかりけり。
   たびゆくはさびしかりけり。

 全八連からなる北原白秋の詩『落葉松』の第一連です。

 白秋が詩集『水墨集』で昭和10年に発表した詩ですが、余りにも有名で、落葉松林を歩く時は誰もが皆、この詩の一節を口ずさむ詩人になってしまいそうです。
 特に五連の
   からまつの林を過ぎて、
   ゆゑしらず歩みひそめつ。
   からまつはさびしかりけり。
   からまつとささやきにけり。
 この辺りに来ると、もうすっかり物悲しく幽玄な気分に引きこまれますよね。

 ところで、野上彰作詞・小林秀雄作曲の『落葉松』という曲があるのをご存知でしょうか?
 こちらは八行の詩ですので、そのまま載せてみます。

     『落葉松』
   落葉松の 秋の雨に
   わたしの 手が濡れる

   落葉松の 夜の雨に
   わたしの 心が濡れる

   落葉松の 陽のある雨に
   わたしの 思い出が濡れる

   落葉松の 小鳥の雨に
   わたしの 乾いた眼が濡れる

 シンプルな詩が、少しメランコリックで美しい旋律に乗って繰り返されてゆき、落葉松の情景と共に心に沁み入ってくる気がします。
 私も、自分でもどうしても歌ってみたくなって、随分前ですが、シャンソン風にアレンジして歌ったことがありました。

 長く引用してしまいましたが、落葉松への私の思いは今も変わりません。
三笠辺り
 「落葉松」は、幹がまっすぐで、空に向かってひたすら伸び続ける美しい樹木ですが、高さの割に根は浅く脆弱でもあるので、台風などの暴風の時など根ごと倒れてしまう危険も孕んでいます。
 そのため、地元の方たちからは、敬遠されがちな木でもあり、別荘地などでは「倒木の危険回避のため、自分の敷地内の落葉松は、一本残らず伐採してしまうべき」などという過激な発言すらあると聞くのですが、でも・・・自然との共存のバランスを取りつつ、美しい落葉松の森の風情を残していきたいと、強く感じます。

   誕生日のサプライズ
 3日前の8月21日は私の誕生日でした。

 「自分の誕生日ってそんなに嬉しい?」とちょっとクールな性格の友人に言われたことがあり、ごもっとも!と納得したのですが、でも、今年もこうして健康で楽しく節目の日を迎えられたということが、そして、また一年、どんなことが起こるのだろうというワクワク感があることが、とても幸せに思えて、私は誕生日、いつも上機嫌なのです。

 ・・・・もう20年近く訪れている軽井沢で、親しい知人や音楽仲間との輪も広がって、今は、落ち着いた飛び切りの居場所という感が強くなってきています。

 今年も、そんな友人たちに囲まれて過ごすことができました。

 私がいつも折に触れ、落葉松についてのうんちくを熱心に傾けるので、「じゃあ、みんなで『落葉松』の曲のプロモーションビデオを作ってプレゼントしようじゃないか」という思わぬ展開となったのでした。
 目下我が仲間内では動画作りがブームなのです。


   「夏の軽井沢 落葉松の中で」 
 8月20日、誕生日前日、いつも集まっている音楽仲間のスタジオで、まずは『落葉松』の収録から。
笑いすぎて


 <類は友を呼ぶ>で凝り性揃いなので、一生懸命歌っているのですがなかなかOKが出ません。
 
 最後はもうなんだか可笑しくなって笑いが止まらなくなったら、ちょっとひんしゅくを買ったみたいで、こんなコメント付きの写真がいつの間にか一枚。

 そして、終了後のスタジオご飯の一コマもいつの間にか撮影されていたのでした。



赤い衣装で歌う

 心機一転、赤い衣装に着替えて、友人宅のベランダで、ノーマイクの『落葉松』をご披露してみました。今度は一回でOK!
 雨上がり、しっとりとした緑に囲まれた素敵な別荘にお邪魔し、感激です。

落葉松

 極めつけに旧軽井沢の三笠辺りの落葉松並木を撮影しようと、翌日にわかロケハンで繰り出してみました。
写真スポットを探すのって難しいのですね。
さんざんさ迷った挙句、ゆっくり映せる場所を見つけました。
緑煌めく落葉松




空に落葉松の緑が煌めいています。
仲間たちはいつの間にか全員撮影監督になってしまって、歩けとか走れとか、何度も何度もダメだしがかかり、道行く人に好奇の目で見られ本当に恥ずかしかったです。
木肌に触る



最後は覚悟を決めて、言われるがままにこんなポーズで。


 「今日は大カレー大会、お洒落なレストランで軽井沢一の美味しいカレーをお祝いにご馳走する」というお話で、とても楽しみにしていたのですが、撮影に時間がかかり、終わった頃には皆疲れてお腹が空いてしまい、「どこか手近なところにしよう」と急遽変更。
たまたま目についた昔ながらの食堂で、カレー定食と相成りました。
 でも、美味しかった。

 本当に楽しくて、笑い転げながらの最高の一日を過ごさせていただきました。
 こういう幸せなスタートを切った一年を大切に、その分、より一層努力をしてこれに報いていかなければなりませんね。
 

 こうして完成した動画『夏の軽井沢 落葉松の中で』です。
 お楽しみ下さいますように。

 

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加古里子(かこさとし)氏への追悼

 2018年5月2日に、絵本作家の加古里子(かこ・さとし)氏がお亡くなりになりました。謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。

 かこさとしさんのお嬢様とは旧知の間柄で、ご両親ともかねてから親しくさせて頂いていました。

 最近は体調を崩されていると伺い、とても心配していたのですが、突然の訃報に驚くばかりです。
 2日に他界され、ご家族だけでしめやかにご葬儀を済まされました。
 多くの皆様から慕われて、体調の優れない日々の中でも旺盛な創作活動は留まることなく、92歳になられた今年2月頃まで筆を執り続けていらしたとのこと、フル回転で過ごしてこられた生涯の最期を、ご家族の皆様が静かにお見送りになったのですね。
 「偲ぶ会」が改めてあることを伺いました。
 その際は、謹んで列席させて頂こうと思いますが、今、安らかなご帰天を心からお祈りしたいと思います。

 お嬢様のMさんに、かこさんの新刊書をいつもお送り頂いていたこともあり、私はすっかりかこさんの世界のファンになっていて、膨大な量の絵本、児童文学、エッセイ、新旧を問わず殆どすべてを精読してきました。
 
 そのお人柄にも、穏やかで温かく朗らかな、でもものの奥底を射抜くような鋭い洞察の力を感じました。スケールの大きなとても魅力的な方でした。

 このブログでも、これまで何回かご紹介してきたのですが、改めて今読み返してみると、様々な思い出がよみがえってきます。
数年前の記事ですが、よろしかったら、どうぞ皆様もお読みになって下さいね。

 『かこさとしの世界 おはなし・かがく・あそび』 (2011年9月記)
 初めてかこさんのことを取り上げた記事です。
 台風の日、鎌倉市長谷にある鎌倉文学館に、『子供たちへ、未来へシリーズ1 特別展 かこさとしの世界』を見に行った際の感動が記されています。
 会場の入口に掲げられたかこさん自筆の言葉には、子供たちを見守る温かい眼差しが感じられます。

 子どもたちへのメッセージ
  これからの未来をおしすすめ
  もっとよい世界にするため
  科学や学問を身につけ 
  ちがった意見をよくきき
  考えをふかめて実行する
  かしこい人にみんななってほしいと願っています
  そして 自分のくせや体力に合ったやり方や練習法をみつけて
  自分できたえて 
  たくましくてしなやかな能力と
  すこやかな心をそなえた人になるよう努力してください
                       かこさとし

 『子供の読書~本の手触り~』  (2012年1月記)
 この記事では かこさんの『こどもの行事 しぜんと生活』という児童書との出会いに感動して、こんな風に綴っています。
 
 ・・・・子供向きにわかりやすい言葉で記されていても、内容は妥協なく惜しみなく伝えるという科学者の情熱みたいなものがあるのでしょう。
 子供達を健全で聡明な世界に育んでゆこうとする愛情が強く感じられ、、・・・(中略)・・・かこさん自身が、小さな子供のように好奇心に満ちて、柔軟な発想を持っていらして、それが、私が彼の世界に魅かれる所以なのかもしれません。
 
 美しき受賞の夕べ ~祝!かこさとし氏~  (2012年12月記)
加古さんと

 ここでは、2012年東燃ゼネラル児童文化賞を受けられたときの様子を記しました。

 私もお招きを受けて同席しましたが、その時の2ショットは、今、思い出の一枚となりました。


 謹んでご冥福をお祈りいたします。



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