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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

お正月の雑感

   少年老い易く
 どんど焼きが済むと、子供たちの頭から完全に正月というものはなくなって行った。
 正月はもう過ぎ去った一つの事件であるに過ぎない。
 正月はもう終わってしまったのである。
 この頃から伊豆の天城山麓の村々は本格的な寒さに見舞われた。


 井上靖の自伝的長編小説『しろばんば』の一節ですが、この時期になるといつも鮮明に浮かびがってくる文章です。

 大正初期の伊豆の鄙びた山村で育った耕作少年の成長の物語。
 自然に包まれ、季節の流れに身を置きながら、その中で穏やかに営まれてゆく路傍の人々の質実な生活ぶりと心模様が細やかに描かれています。
井上靖書斎
 どんど焼きの日に、子供たちは皆、一斉に自分の書いた書初めを火にくべるのですが、その時、耕作は同級生あき子の書初めの
「少年老い易く 学成り難し  一寸の光陰 軽んずべからず」とある、大きく力強い文字を見てしまいます。
 彼はその瞬間、今すぐ土蔵へ帰り勉強をしたいような身の引きしまる気持ちにかられます。

 私が『しろばんば』を初めて読んだのは小学校の高学年の頃だったかと記憶しています。このどんど焼きの場面は特に印象的で、耕作のこの思いにとても共感を覚えました。

 「少年老い易く、学成り難し」、今や「少年」は遥か遠く、「学成り難し」も嫌というほど実感しているのですが、でも、お正月を過ぎたちょうど今頃の季節になると、「一寸の光陰軽んずべからず」の言葉が、胸の奥から一種の哀感を持って湧き出してくる気がするのです。

   『しろばんば』の授業
 中学一年の国語の教科書には、以前はどの出版社にも『しろばんば』の一部分が掲載されていました。最近はどうなのでしょうか?急速に教科書事情も変わってきて、定かではありませんが。(大抵は、このどんど焼きの次に登場する「ひよどりのわな」事件の場面が載っていました。)
しろばんば
 私は嘗て、中・高一貫のカトリック系の女子校で教鞭を執っていましたが、中学一年の授業を受け持つときには、この『しろばんば』を、一冊丸ごと3か月近くをかけて精読するという試みを行っていました。
 新潮文庫で528ページもある長編小説を全員に購入してもらい、これを教科書代わりに読み進めるという非常に冒険的な授業だったといえます。

 中学に入ったばかりの若葉が芽吹くようなこの時期に、これまで手に取ったこともない細かい文字の詰まった厚い文庫本を一冊、初めから最後まで授業の中で丁寧に読破するという経験が、読書をすることへの自信と興味、本を読むということがどんなことなのかという実感を体得させる契機になったのではと、その後の生徒たちの成長ぶりから、自負しています。
 その後もずっと中学一年で『しろばんば』一冊という伝統は、学校の中で定着し、幸いユニークな国語教育としての評価も得ることができました。
 蛇足ですが、この時期になると鎌倉、藤沢の書店から『しろばんば』が一斉に消えて、買い難くなるという伝説が生まれ、後には学校で一括購入をすることになりました。

   「年賀状これにて終了」について
 私は普段から手紙を書くのが大好きですし、お正月は「年賀状は必須」という古いタイプであるようです。
 教え子や友人に宛て、驚くほどの枚数になっています。
 一年間の年月を思い、言葉を添える、年賀状は年の瀬の大忙しの一大行事。
 確かに、これがなくなれば随分楽になることには間違いないのですが。

 そんな中で、「これにて年賀状を終えたいと思います」、「これからはメールかラインで」の通知が今年も何枚かありました。
 人それぞれの考え方で、これも大いにありかもしれませんね。
 「虚礼廃止」、もっと便利な通信方法はたくさんあり、手紙をやり取りする習慣も激減している昨今であり、また、終活の一つとして心身ともに「身軽に」ということもよく理解できます。

 私の高齢の両親は病身ですが、年賀状は続けており、とても丹念に文章も書き添えています。
 「友人が亡くなっていき年賀状も減っていく」と寂しそうに呟いていました。
 それでも、来年はどんな図案にしようかと、もう話していて、我が親ながら、あっぱれ!・・・・血筋なので、私もきっと、ずっと続けてゆくことになりそうです・・・・。

   ウズベキスタンからの年賀状
 海外にも友人、知人が何人もいて、年賀状は私にとって、そのやり取りができる楽しいきっかけでもあります。

 教え子の一人Hさんからこんなお便りが届きました。
ウズベキスタン
 「青の都」としてしか知らなかったウズベキスタンが、私にとっても、急に身近で大事な国になりました。
Hさんは聡明で暖かく誠実な方、ウズベキスタンでたくさんの豊かな経験を重ねて健やかにお嬢様たちを育ててゆかれることでしょう。
心からのエールを込めて、彼女からの素敵なお便りを、途中割愛しながらご紹介いたしますね。

実は、私たち家族は、今は主人の仕事の都合でウズベキスタンにて暮らしております。あと2,3年はこちらで生活する予定です。
  
  長女が小学5年の後半から、本格的に中学受験に向けて母娘ともに頑張っていましたが、受験日数日前に、まさかの駐在の話を聞かされました
 家族一緒に海外生活を送る最後のチャンスだと思い、そこから急遽、高校から戻れる一貫校へと受験校を変えて受験。そしてウズベキスタンへ移住という、ドタバタの2019年でした。
 2020年は、少し落ち着いた年になればと、思っております。

 ウズベキスタンは意外なほど住みやすく、治安も日本より良いくらいです。人も優しく、綺麗な世界遺産も沢山あり、文化的にもとても興味深い国です。が、日本人がほとんど居ないのと、世界に二つしかない二重内陸国の一つなので、魚が食べられないのと、英語も全く通じないのが不便です(^^;;
 日本人学校が無いので娘たちはインタースクールです。次女はアルファベットもままならないゼロからの英語生活ですが、私に似て超がつくほど楽天的姉妹なので、長女も次女もそれなりに楽しく学校生活を送っています。

 2020年の始まり、皆様にとって良い一年となりますように。



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令和二年 今年も良い年でありますように

 新年、明けましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 皆様にとりまして素敵な一年でありますように。

 猫好きの私、令和初の年賀状もやはり猫。
 でも仲良くネズミと並んでみんな優しい表情をしている、ちょっとクラシックなこんなデザインで2020年の幕開けです。
    2020年年賀状

 昨年から始動した「松峰綾音 月の庭 シャンソンと朗読のひととき」
 自作の訳詞で歌うシャンソンに、詩・小説・エッセイなどの朗読を融合した、皆様に喜んで頂ける興味深いライブを今年も追求して参ります。

  6月5日(金)18:00~京都文化博物館別館ホールにて
  7月上旬(日時調整中)横浜岩崎博物館 山手ゲーテ座ホールにて
 コンサートを開催いたします
 皆様、是非ご来場下さいませ

  
 12月のクリスマスライブが終わって、あっという間に年の瀬、そして新年。
 今年もまた、こんな風に時間が駆け抜けてゆくのでしょうか。
 でも流れてゆく時間の中にも、やはり様々なことが起こります。
 他人の目からはほんのささやかな出来事でも、自分にとっては泣いたり笑ったり、結構深刻だったり、舞い上ったり、・・・・自分だけの時間の一つ一つに、人は精一杯格闘して過ごすのですよね。
 でも、それだからこそ、意味があるとも言えるのではないでしょうか。
 
 マイナスも含めて、心の深いところに色々な襞が刻まれ、積み重なっていくのが生きる醍醐味なのかなって思います。
 皆様にも私にも、この一年どんな出来事が起こり、どんな出会いと別れとがあるのでしょう。
 
 どうぞ、健康で充実した一年でありますように。
 そして世界が少しでも落ち着いて、平和でありますように。
 心から祈念致します。

 私の今年の抱負。
 年賀状に記したように、まずは次のコンサートに全力を傾けたいと思います。
 京都では、6月5日に文化博物館別館ホールでのコンサートが決まっていますし、7月には横浜でも開催する予定です。

 ・・・とびきりのコンサートテーマが突然、天の啓示のように降ってくると良いな、きっと閃くにちがいないと、かなり楽観的に太平楽に、現在、構えております。
 それにしても、目前のことだけに心奪われず、いつも自分が辿り着きたい場所や大事にしたいことを、揺らぎなく遠く見つめていることが大切ですよね。
 そして何でも楽しめること。心穏やかに。
 心引き締まる元旦の早朝です。
 
 これからいつものように八坂神社への初詣を済まし、その足で実家の逗子に向かいます。
    
 皆様もどうぞ佳い新年をお過ごしくださいますように。




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小鳥三題

   うぐいす
 先日、友人からこんなメールと二枚の写真が届きました。
鶯
 ウグイス色っぽいので、ウグイスでしょうか。
 砂利道に転がっており、掌の上でククッと全身を震わせて息が絶えました。

 昨日はとりあえず枯れ枝をかけてきましたが、土に戻そうと今朝改めて見に行くと、深く埋めなかったので、カラスにでも食べられてしまったようです。
羽




 食物連鎖・・・・
 掌のウグイスを思い出し、撮りました。


 砂利道に転がっていたウグイス、人の掌に掬い上げられ、優しい温もりを感じながら命尽きたのだと、・・・・小さな命の最期をしっかり見取ってあげた友 人の慈しみ深い眼差しを感じました。
 包み込んでくれるものの中で命を終えることが出来るのは本当に幸せなこと。そして、命の灯が消える時は小鳥であろうとも密やかで厳粛な瞬間であることを思わせる写真です。

 中学生の頃、冬の朝、教室のベランダに小鳥が死んでいるのをよく目にしたことを思い出しました。
 透し硝子の大きな窓に、それと気づかず突進して、頭を打ちつける小鳥が何羽もいて、お腹を出した小鳥の死骸は無残でとても悲しかったのを覚えています。
 中にはただ気絶していただけで、やがて眼をさまし、ふらふらしながら飛んで行くのもありましたが。

 目を閉じ、足が内向きにくずおれたうぐいすは、昔、ベランダで見た小鳥の姿と重なりました。
 

  すずめ
 犬や猫はこれまで何度も飼ったことはありますが、鳥とはあまり縁のない生活をしてきました。
 それでも、子供の頃、一度だけ文鳥を飼ったことがあり、一緒に暮らしていると、侮るなかれ、かなり人の言葉も理解して人の生活と寄り添ってくるということに新鮮な感動を覚えたものでした。文鳥という鳥自体が人懐っこくその分利発でもあったのでしょう。

 その文鳥を飼っている頃の話なのですが。
 先ほどのウグイスに酷似する出来事。


 雀が庭に転がっていました。まだ息はあるのですが、大きな鳥にでもやられたのでしょうか?羽が片側折れて羽毛も食いちぎられ瀕死の状態でした。
 
 文鳥を育てている自信も手伝い、家で介抱することにしました。
 初めは震えていたのですが、そのうち観念したのか、或いは安心したのか、なされるがままに身を委ねるようになりました。
 奇跡的に回復してやがて元気になったのですが、鳥かごになど入れてないのに、何故か飛び立っていく気配もなく、何日もそうして、文鳥の友達のように家の中で共に過ごしていたのです。
 けれど、外に戻さねばと思い、・・・・・初めためらっていましたが、思い切るように飛んでいきました。

 掌の中の小さな雀の温もりをまだ覚えています。

 井伏鱒二に『屋根の上のサワン』という小編があります。
 孤独感に苛まれ、心に深い屈託を抱えた主人公が、或る日傷ついた雁を助けます。
 「サワン」と名付け、共に暮らしているうちに、ずっと傍に置きたいと思い、サワンの片羽を傷つけ飛べなくしてしまいます。
 サワンは彼に懐き、彼と穏やかな楽しい日々を過ごすのですが、でも最後は、仲間の雁たちと共に空高く飛び立って行くことを選ぶという物語です。

 小さな雀が空に帰って行ったとき、ふとこのサワンの物語を思い出しました。


   はと
 鳥に複雑な心があるとは思いませんが、でも一度だけとても不思議な体験をしたことがあります。

 逗子の家から勤め先まで車で通勤していた頃です。
 二台目の車は真っ赤なトヨタのスプリンターで、片道20キロ近くを毎日乗って、12年間で12万キロを越えていました。
 車は徹底的に乗り潰す主義で、しかもかなり気に入っていた愛車だったのですが、いよいよ寿命ということになり、廃車に引き取りに来て貰う日の朝のことでした。

 トランクに山鳩が止まってじっと動かないのです。
 初めは何とも思いませんでしたが、一時間も二時間もずっとそのまま居続けていましたので、一体どうしたのか突然気になり出しました。
 近づいてみましたが、全く逃げようとせず、ついには30センチほどの距離まで迫りました。肩にでも乗ってきそうな雰囲気です。
 野生の山鳩なのに、こんなことってあるのでしょうか。
 全く警戒せず、親しげにクウクウと鳴き声を上げるのです。
 そしてトランクからボンネットへクルクルと飛び回って、まるで愛おしそうに戯れているように見えました。
 
 ディーラーが車を引き取りに来る間の四時間余りずっとこんな感じで、私は段々不思議で感動的な気持ちになってきました。

 メルヘンチックに言うなら、長く乗った車の「精」・「魂」みたいなものが鳩に乗り移り、或いは鳩に姿を変え、別れを告げに来たような・・・。

 やがて車が引き取られ、車庫から姿を消したとき、山鳩はどこともなく飛び立っていきました。

 それを一緒に見ていた家族と共に、我が家ではその鳩を<スプリンター>と名付け、折に触れ不思議話として話題にしています。
 その時撮った写真があったはずで、探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。出てきましたらまたご紹介しますね。

 猫を飼っていた日々の中で、充分痛感してはいるのですが、こんな小鳥との出来事を通してもまた、「生きとし生けるもの」には全て細やかな感情と思いがあるということを、私はどこかで強く信じているのです。





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小さな夏休み

八月の終わり、どことなく秋の気配が感じられます。

 療養中の両親と共に浅間山麓で過ごしているうちにあっという間に、私の八月は過ぎてゆきました。
 東京に仕事に出掛ける以外は、家事・介護に専心する日々、でも高原の新鮮な野菜を中心として、体に良い食材をふんだんに使った料理を作り、心なしか<血液サラサラ>状態で身も心も軽くなってきたような気がしています。

 少し体調を回復した両親を無事送り届け、後数日になった夏休み、小さな山の家にこもって、できるだけどこにも出掛けず、清々しい空気や、木漏れ日や、木々を渡る風音、樋をつたう雨の勢いなどに、静かに心を浸したいと思っています。

   「勝手に松峰綾音ファン倶楽部」一年ぶりの再会
 ・・・・と思っていたのですが、当地で昨年発足した「勝手に松峰綾音ファン倶楽部」の仲間たちと一年ぶりの賑やかな再会となりました。

 昨年はyoutubeの制作をしていただいたり、スタジオでミニコンサートを催したりと音楽関係のイベントが盛り沢山だったのですが、今年はそれは小休止。
 その代わり、皆様の発案で、これからの活動のためのパンフレットを作成することになりました。
 既に八割がた出来上がっているのですが、完成したら、改めてご報告したいと思います。
途中大幅変更もあり、何日も膝を突き合わせ、盛り上がり、時間を費やしたなかなかの力作で、お気に入りの出来栄えなのです。

 そのようなわけで、「勝手に松峰綾音ファン倶楽部 令和元年夏の集い」は専らインドアだったのですが、途中気分転換を兼ね、近場にちょっとだけ出かけようということになりました。

   北軽井沢 浅間牧場
 陽射しの眩しい日、「高原の休日」らしく、浅間牧場に行ってみることになりました。


   丘を越えて行こうよ
   真澄の空は 朗らかに晴れて
   楽しい心
   鳴るは胸の血潮よ
   讃えよ わが青春(はる)を
   いざゆけ 遙か希望の丘を越えて

 じっくりと味わってみると、清々しく明快で、格調の高い美しい日本語だと思います。
 昭和初期に藤山一郎さんが歌って大ヒットした往年の名曲『丘を越えて』の一節ですが、この浅間牧場を舞台として詞が作られたとのこと。

 そして、昭和26年制作の日本初総カラー映画、『カルメン故郷に帰る』のロケ地でもあるということで、当時は大変な人気だったようです。

 休憩所の一隅には、ノスタルジックな香り漂う映画のポスターや『丘を越えて』のレコードジャケットなどが掲げられていました。
 当時の大女優、高峰秀子さんが水玉のワンピースで美しく牧場の丘に佇んでいる写真など、大切に展示されていて、ほのぼのとした空気を漂わせています。

 牛たちは牛舎で午後のまどろみなのか、姿を見ることはありませんでしたが、信州の山々に囲まれた見渡す限りの牧草地が目に眩しかったです。

 聞くところによると、軽井沢をこよなく愛し生前何度も訪れていたというジョン・レノンが、この牧場を、どこにもないほどの絶景であるとして大絶賛したとか。
 浅間牧場
 皆でワイワイ言いながら丘の頂まで登り、記念写真。
 鮮やかな緑の中、和やかな牧場の昼下がりの雰囲気が伝わるでしょうか。

   45分間の遊園地
 浅間牧場からほど近いところに、「おもちゃ王国」という遊園地があります。
 子供たちに大人気のアミューズメントパークで、夏は連日賑わいを見せているのですが、「この遊園地のフリーパス券をこの間何枚も頂いたので、試しに皆で行ってみませんか」という仲間の突然の提案に一同即賛同。

 でも時計を見ると17時の閉館まであと45分しかありませんでした。
 人気のアトラクションは結構並んでいるし、<ご家族で一日楽しめます>という充実した施設、一瞬、「ビュッフェタイムは後45分しかありませんが本当にお入りになりますか」と入り口でウエイターさんに確認されたときみたいな気分になりました。

 ディズニーランドの対極にあるようなオーソドックスな正統派遊園地で、心が和みます。
木馬
 一番レトロな<回転木馬>と<観覧車>、そして<ゴーカートの電車版>みたいな乗り物に乗ってみました。
電車
 大人同士でこういう場所・・・と、当初少し憚られたのですが、カップルは勿論、女性グループ、男性グループなど、大人だけで来ている方たちも割と多くいて、すぐに溶けこんでしまいました。

 思えば私は子供の頃、遊園地にはあまり興味がなくて、ほとんど行ったことはありませんでした。
 家の中で本ばかりに夢中になっていた超本の虫、今になって遅ればせながら神様が帳尻を合わせてくれたのかしらと、なんだか可笑しかったです。

   小さなバースディー
 そして最大のハプニングは、このバースディーケーキ。
 嬬恋村の朝取り新鮮キャベツです。
キャベツのケーキ
 今年も8月21日を「勝手に松峰綾音ファン倶楽部」の皆様にお祝いしていただき、とても幸せでした。

 「ハッピーバースディー」の歌、飛び切りのウイットと優しいお心遣いに大感激。

 夏にこうして再会して、屈託なくおしゃべりし、近況を伝え合い、温かい心を通わす・・・・良い仲間に出会えた幸せをかみしめています。

 そんな8月も今日で終わりです。



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水無月 ~「守株」の雑感

 梅雨に入りましたね。

 6月はなぜ「水無月(みなづき)」と呼ばれるのか。
 元々は「水張月(みずはりづき)」で、雨でたっぷりと水がある時だから。
 あるいは反対に、暑さに向かい水不足になるから。
 諸説ありますが、夏を待つ雨に紫陽花が良く似合う季節です。

   FM京都の出演、無事終わりました
 5月27日(月)、FM京都「SUNNY SIDE BALCONY」に出演してきました。
 通称「αステーション」の名で親しまれているFM京都は、四条烏丸通りに面したCOCONというお洒落なビルの10階にあります。
FM京都
 早速、局の入り口に向かいます。

 放送局は、様々な資料が散乱し、いかにも情報番組・報道現場という雑然とした感じなのではという先入観がありますが、このαステーションは、資料室もスタジオも躍動感が一杯なのに整然と落ち着いて、優しい雰囲気があり、居心地の良い空気に包まれていました。

 スタッフの皆様の明るい声に迎えられ、一気に気持ちが高揚し・・・。

 この日のDJの慶元まさ美さんは、既に本番中でした。
 しばし、応接室でスタンバイして、やがてゲストコーナーの時間となり、スタジオに招き入れられました。
 慶元さんとの「初めまして」のご挨拶は、正真正銘「初めまして」。
 とてもチャーミングで聡明な感じの方で好印象、ぶっつけ本番のスタートです。

 「大体こんな質問を振ります」というメモ書きをディレクターの方から事前に頂いていたのですが、始まってみるとその通りには行かず・・・・。
 出だしの「日本のシャンソン訳詞の現状」辺りのお話で、既に慶元さんから細部に関わる質問が次々と投げかけられました。
 「そこを聞いてほしかった!」と思う的確な問いかけに、俄然、私も舌が滑らかになってゆきます。
FM京都スタジオ
 そうこうしているうちに、あっという間に時間が来て。
 気がつけば<長くて10分位で!>というタイムスケジュールのはずが、いつの間にか20分間も話していたのでした。
 でも、トーク番組ですから、自然に話が展開し盛り上がるのは、まずは成功ということですよね。

 素敵な機会を頂きましたこと、お世話になりました局の皆様に心からお礼申し上げます。
 リスナーの方々に、訳詞やシャンソン、言葉と音楽というものに、少しでも興味を持って頂き、何かが心に届いたなら、とても嬉しいです。

 ラジオはマイクの向こうの皆様のお顔が見えないので、一方的に声を飛ばすだけのような気がしてしまいますが、そんなことはなく、私の言葉・声を受け止めていて下さる方の存在が強く感じられます。
 そんな不思議な思いを身に沁みこませながら、楽しくお話しさせて頂いたのでした。

   「守株」その密やかな効用
 先頃、或る季刊誌からのご依頼を受けて、『「切り株」考 三つの物語』という随想を書きました。
切り株1
本当は丸ごとここでご紹介できればよいのですが、それも・・・・ですので、「守株」という言葉を取り上げた部分のみ転載してみようと思います。

 これを書いたときは、特別意識しなかったのですが、近づくコンサートを待つ今、そしてこれまでも、もしかしたら、まさに「守株」の心境をどこかで持ち続けてきたのではないかとも思われるのです。

  「守株」その密やかな効用

   宋人有耕田者。
   田中有株。兔走触株、折頸而死 。
   因釈其耒而守株、冀復得兔。
   兔不可復得、而身為宋国笑。(出典 韓非子)

 「株を守る」
 この中国の故事が、北原白秋作詞の童謡『待ちぼうけ』の原典であることはご存知でしょうか。
 ある日、目の前で兎が切り株に躓いて死んだのを見た農夫が、それからというもの、耕すこともせずに、次の兎がぶつかってくるのをひたすら切り株の前で待ち続けます。いつの間にか畑は荒れ果て、それでも「待ちぼうけ」する彼は国中の笑い者になったというお話です。
 「人はきっかけさえあれば、どこまでも怠惰になる」、「美味い話はないのだから、やはり地道に努力するのが一番」、「一発逆転のギャンブルの魔力に溺れるな」等々教訓は山ほど出てきます。


 では、自分は、切り株の前で待ってはいないだろうか?
 そうしたいと思う衝動はないのだろうか?
 もしかしたら誰もが、切り株の前で佇みたいような気持ちがどこかにはあって、それは愚かしいけれど、また、漠然とした一種の生きる救い、夢のようなもので、その効用も、人にはあるのでは、などとも密かに感じたのでした。


切り株2
 一度、幸運にも兎を手にした経験があるからこそ、そういう僥倖が再びあることを信じたいと思う気持ち、希望、確信のようなものに夢を繋ごうとするのでしょうか?

 二匹目の兎がまた飛び込んでくるかもしれないと思う虫の良いこんな夢も、人の生きる力の一部になってくれているかもしれず、あながち悪いものではないと感じられてきます。

 勿論、「守株」の訓話の中の男のように、株の前で何もせずぼんやり居眠りばかりをしているのは論外ではありますが・・・。

 日々ベストを尽くしつつ、でもその中で、万事うまくいくという太平楽な夢を根拠なく、ぼおっと見るというのもまた心地よいのでは。

 コンサート一週間前、こんな水無月の雑感です。



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「名付ける」ということ

   「平成」はあと二日です
 「平成」も後二日で終わり。
 年の瀬のような気分で、周囲を片づけてみたり、行く年を振り返ったり・・・。どことなく高揚感を感じています。
青葉京都2
 元号が変わるGW、皆様はどのような思いの中でお過ごしでしょうか。

 新元号が発表されてから、このひと月、新聞やテレビでも、「平成」を振り返る特集が多く組まれていますし、そんな映像を見たり、記事を読むにつけ、平成30年間の歩みが改めて思われます。

   元号発布のとき
 「平成」
 30年前、「平成」の元号が発表された時のことを覚えていらっしゃいますか。

 当時、私はボストンで暮らしていました。
ボストンの冬
 何気なくテレビを付けた時、JAPANの文字が突然大きく画面に現れ、昭和天皇崩御のニュースが流れました。
 昭和64年1月7日の事でした。

 それから、アメリカのテレビの海外報道の扱いとしては、類を見ないほどの長時間、昭和天皇の半生を伝えるドキュメンタリーが映し出されました。
 即位の時から戦争を挟んで現在までの軌跡を丹念に追って、キャスターたちも喪に服しながら、とてもしめやかに哀悼の意を伝えていました。
 きっと随分前から既に健康状態のことが伝わっていて、万一の場合に備えて周到に映像を準備していたのに違いありません。
冬のハーバード
 ここは日本なのではないかと錯覚するくらい、何度も繰り返しニュースは流れ、そして、この崩御のニュースを引き継ぐかのように、新元号の発表の様子も放映されました。

 喪服に身を包んだ当時の官房長官の小渕恵三氏が『新元号は「平成」であります』と、色紙に書いた文字を大きく掲げたのを、私は、ドキドキしながら、ボストンで目にしたのでした。
 <日本の元号というものは何であるのか>の説明をアメリカ人のキャスターが熱心に語っていましたが、どのような内容だったのか、残念ながら今ははっきりと覚えていません。
 ただ、「長く続いた自分たちの時代「昭和」が終わってしまったのだ」という喪失感がヒリヒリと心に沁み入ってきて、自分でもびっくりするくらいショックを受けたことを思い出します。
 「日本の大きな何かが終わってしまった」という、説明のつかない空虚な想いが溢れてきた気がします。
樹氷2

 異国で知ったから・・・・昼間でも外はマイナス10℃にもなるアメリカ東海岸の寒い1月、独りで迎えた新年だったから・・・なおさらだったのかもしれませんね。

 「平成」という文字にも響きにも、初めは大きな違和感がありました。
 過ぎた時代を噛みしめる暇もなく、次の時代はこうして当たり前のように始まるものなのかという戸惑いと共に、初めて元号というものの意味を思った時でもありました。
 でも人ってすぐ順応してしまうらしく、ほどなく「平成」は当たり前になりましたけれど。

 「令和」
 天皇退位という初めての状況の中で行われたこの度の新元号の発表は、多くの人の心に、30年前とは全く異なった感慨を生んだであろうと思われます。

 クリスマスプレゼントを開ける前の子供のように、じっと期待を膨らませて、発表を待つ、そんな盛り上がりがありましたね。


  万葉集から採ったという「令和」の文字。

    初春の令月にして 気淑(よ)く 風和ぎ

 美しいです。

 「万葉集は漢字で書かれているのだから日本の古典ではない」
 などという異論があると聞きますが、文化とは、様々な時代、様々な民族の積み上げてきた知的・物的遺産を継承し、影響・融合し合いながら更に成熟、結実してゆくものなのですから、その進化発展の固有な過程こそがオリジナリティーと言えるのではないでしょうか。

 万葉仮名は明らかに我が国独自の文化。
 繊細で美しい大和言葉を漢字で表記した創造性を、誇りに感じます。

 「令和」に込められた「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という大きな志を実現すべく、新時代のスタートを切りたいですね。

   「名付ける」ということ
 例えばイギリスが「ビクトリア王朝」というような呼び名で時代を認識するように、元号と似たような考え方は、他国にもあるとは思いますが、でも、現在、元号を西暦と併用し、実生活の中で共存させている国って日本だけなのではないでしょうか。
 他国との関係の中では、西暦で統一した方がわかりやすいということも事実ですが、西暦と使い分け出来る柔軟性って、とても素敵だと私は感じます。

 西暦は数字ですから、明快で効率的ではありますが、元号のようなその時代特有の彩りは望めません。

人は、名付けられることによって、その人としての輪郭を鮮明にするように、 「明治」「大正」「昭和」「平成」、それぞれの元号に、それぞれの時代に生きた人々、歴史の空気、物語が見えてくるのではないでしょうか。
 独自な色合いが、元号で名付けられることによって浮き上がってきます。
青葉京都1
  父母の時代、祖父母の時代、曾祖父母の時代を感じながら今を生きることが、文化を受け継ぐということなのではないかと思うのです。

 「令和」と名付けられた時代を、共に生きてゆく私たちが、今度はどのような足跡を残して行くのでしょう。

 そんなことを考えて過ごす休日です。




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雛祭り 雑感

   花粉症 今年は大変です
 2月後半から悪化して、ついに寝込んでしまいました。
スギ花粉
 倦怠感と頭痛と微熱とで、風邪にかかったような、でもやはりれっきとした花粉症、皮膚疾患まで加わり、目や喉は勿論、顔や手まで赤く腫れて、本当に参っています。
  「どんどん重症になるのはそれだけまだ細胞が若くて活性化しているという事ですから」とのお医者様の慰めの言葉に、
「・・・・。」
 では、ひたすら後二カ月は耐えるしかないかと、もはや諦めの境地です。
 皆様は如何ですか。
 そのようなわけで、目下、共に花粉症を語り合う仲間募集中です。

    雛祭り 
 花粉の中でぼんやりと過ごしていたら、いつの間にか三月になりました。
 今日は雛祭り。
 
 幼い頃、両親が奮発して買ってくれた優美な七段飾りの雛人形が大好きでした。
 お雛祭りが近づくと、雛段を組み立て、赤い毛氈をかけ、和紙に包んだ雛人形をそっと箱から出して飾ってゆく母の柔らかい手つきをうっとりと見ていました。
 箱の中から樟脳の香りが漂って来て、春の到来を幼心に感じていた気がします。
 雛壇の横に桃の花と菜の花を活けて、雛あられや桜餅をお供えし、おすましの顔をして撮って貰った毎年のお節句の写真が古いアルバムに今も残っています。
 ひな祭り
 京都ホテルオークラのロビーに飾られていた七段飾りの雛人形を見ていたら、そんなことを懐かしく思い出しました。
今晩の夕食は、お雛祭りの日のご馳走だったちらし寿司にしようと思います。
菜の花


 和菓子屋さんの店先には桜餅やひし餅に並ぶ行列があって、これも京都らしい情景、こういうこだわりって良いですね。



   
    土佐文旦
 私はグレープフルーツが大好きで、ほぼ毎朝、朝食時に頂いています。
 オレンジも温州ミカンもポンカンも、柑橘類は全て好物なのですが、先日、初物という事で、友人が立派な土佐文旦を沢山送って下さいました。
文旦
 瑞々しく薫り高く、さっぱりとした味でとても美味しいのです。
 惜しみながら頂いて、今残りは三つ。今日はフルーツサラダにしてみようと思います。
 
 皮が厚く、でも柔らかいので、これはと思い、昨日、文旦マーマレードを作ってみました。とりあえず大成功!
 他の柑橘類と一味違う和風の苦みがとても美味しく感じられます。
 菜の花の酢味噌和えの上にたっぷり乗せると、料亭風、なかなか乙でお勧めです。

   相続と断捨離
 ふと目にした小冊子の中で、作家の五木寛之氏が、お話しされたこんな文章の一節が心に残りました。
 
  「物の相続ではなくて、心の相続。
 断捨離で物を捨てるのではなく、物の中にある思い出に囲まれて暮らすのも良い。思い出を懐かしむだけでなく、人に会い、声を通して聞くこと、語ることで、私たちは精神を活性化しながら「100歳人生」を生き抜けるのでは、とふっと考えたりします。」

 「百年人生を生きる」をテーマにした金融機関(三菱UFG信託銀行)のセミナーでの講演の一節なのですが、昨年相続税法が改正され、今年から施行されるという事もあって、最近とみに「相続」や「遺言」などの問題がクローズアップされていますね。
 
 金融関係の方の講演と対比して、五木氏の講演は作家らしく心の有りように焦点を当てたお話だったようです。

 大仰かもしれませんが、先ほどの「雛人形」や「ちらし寿司」も五木氏流に言えば、一種の「心の相続」ということになるのでしょうか。

 いささかロマンチックすぎる目線かもしれませんが、<家を継ぐ>とか<名を継ぐ>とかいう事も、実は物の相続の前に、心をどう負って引き受けてゆくのかという問題なのではないかと思うのです。
 <財産を受け継ぐ>ことも、本来はその延長上にあることかもしれませんね。
 更に言うなら、<文化の継承>も、そのこだわりと責任の中にあるとも言えるのではないでしょうか。

 高齢になった両親が、最近、頻繁に片づけのことなどを話題にしているので、そんな場面と重なって色々なことを考えてしまいました。

 私の両親の世代は、たぶん一様に、物を大事にし、捨てることに抵抗が強いようです。
 その結果、物が溢れ過ぎ、何とか整理したいと思うジレンマも生れてくるのでしょうね。

 「断捨離」の考えからすれば、言語道断かもしれませんが、でも物は、それと関わってきた人の個人的な思いと連動しますので、傍目には不用品でも、当事者にとっては思い出深い宝物になり得るのでしょう。

 「物の中にある思い出に囲まれて暮らすのも良い。思い出を懐かしむだけではなく・・・・」

 の言葉に,片付け大好きの私ではありますが、全面的に共感します。

 物と、物に宿るものとを、大切に受け継ぎながら、受け継いだものを噛みしめながら、でもそこに埋没しないで日々新たに生き直してゆけたら素敵ですね。


 花粉症のぼおっとした頭に色々なことが流れてゆく、雛祭りの夕餉です。


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3歳の呟き 105歳の言葉

 お正月もいつの間にか遠くなっていきますが、新年に心に残った二つのエピソードを、今日は記してみたいと思います。

   ハー君の呟き
 私の新年はいつも両親の暮らす逗子を訪れることから始まります。
 今年も親族総勢11人での賑やかな幕開けでした。
 最年少は、今年3歳のハー君、まん丸い笑顔が飛び切り可愛い男の子です。
 二人姉弟で、お姉ちゃんはこの4月に小学校入学を控えたおしゃまさん、一年前に比べると二人とも見違えるようにしっかりしてきて、子供の成長は本当に早いです。
 月日は確実に過ぎているということなのでしょうね。

 昨年は言葉もおぼつかなかったハー君ですが、今年は堰を切るように流暢に言葉を操れるようになって、好奇心に目をキラキラ輝かせていました。

 自分達二人に周りの大人が注目して、目を細めて可愛がってくれることを・・・・お正月はそういう特別感が強いですし、・・・それぞれ敏感に察知して、それが嬉しくってたまらないのでしょう。事ある毎に注目される言動を誇示します。
 女の子の方は、大人に甘えるしぐさがコケティッシュでさえあり、実に興味深いと改めて思ったのでした。
 「ハー君には好きな女の子がいるんだよね」とお姉ちゃんからの突然の暴露。
 男の子は急にどぎまぎし出して、それを見ていたら、思わず吹き出しそうになってしまいました。
 皆で「なんていう名前の子なの?」と問いかけてみると。
  「言わない・・・」
  「知りたい?」
  「どうしても?」
 これは、話したくて仕方がないという意志表明ですので、
「どんな女の子なの?教えて!」と尋ねてあげました。

  「あのね。<ひ>がつくの。」
  「ひろみちゃん?」
  「ひろこちゃん?」
  「違うの・・・ひなのちゃん」
  「ひなのちゃん、可愛い名前ね。」
  「うん。」
 嬉しそうなハー君の声。

 ここからはお姉ちゃんの独壇場、弟の想い人<ひなのちゃん紹介>が始まりました。

 嬉しそうな、恥ずかしそうな、ハー君なりの甘酸っぱさを噛みしめているのかしら?たった3歳なのに。
 何だかほのぼのとして、人って良いものだな、なんて思ってしまいました。

 元旦の晩餐、やがて大人たちの話で盛り上がります。
 健康、仕事、人間関係、etc。
 じっと黙って独り遊びをしていたハー君が、ポツリと呟くように一言。
  「みんな大変だ。」
 そうだね、ハー君の言うとおりだと、一同深く頷いたひと時でした。
 
   篠田桃紅氏 105歳の言葉
 1月3日、何気なくテレビをつけたらNHKで『日々新たなり 篠田桃紅 105歳を生きる」という番組を放映していました。
途中からだったのですが、思わず映像に釘付けになってしまい、気がついたら最後まで見入っていました。
NHK篠田1
 5歳から書の手ほどきを受け、書家として立つことを決意した篠田桃紅さん。1956年に渡米して、抽象表現主義絵画が流行していたニューヨークで、文字を離れて墨の抽象画(墨象)を描くようになられました。まずは、彼女のプロフィールをご紹介します。

 ニューヨークを拠点に全米をはじめヨーロッパ各地で個展を開催し、第2次世界大戦後、墨を使った抽象美術家としていち早く国際的に高い評価を受けた日本人芸術家の1人となりました。帰国後もレリーフ・壁画などの建築物に関わる大作を手がける一方、版画・題字・随筆などさまざまな分野に活動を広げていきました。多くの作品が、国内外の美術館や公共施設に収蔵されています。桃紅は現在も国内外において個展を開催し、精力的に創作活動をおこなっています

 105歳の現在も、現役第一線で独自の世界をなお探求していらっしゃる素晴らしい方です。

 そして<番組の紹介文>です。
NHK篠田2 篠田桃紅、105歳。書道家から出発して「墨の抽象画」という独自の境地を拓(ひら)き、世界的な評価を得てきた。生涯独身を貫き、今もアトリエ兼自宅で一人暮らしを続けながら、なお新しいものを生み出そうと格闘している。時に自問自答し、特に自虐や毒舌で笑わせながら、縦横無尽に語る篠田。「この年になると生き方の手本はない。自分で編み出さなくては」という篠田の日々を見つめ、驚異の言葉の数々に耳を傾ける。

 テレビの映像には、現在も日々筆を持ち続けている創作の様子が粛々と映し出されて、その端然として動じない眼差しと、鋭い気迫とが、圧倒的な力で迫ってきました。

 桃紅さんの歯切れの良い語り口も、含蓄に満ちた言葉一つ一つも、美しい詩のように、薫り高く心に沁み入ってきます。
番組を見てからというもの、沢山の言葉が、ずっと胸の中を回り続けているのですが、その幾つかを(メモを取らなかったので言葉は正確ではないかもしれませんが)ここに記してみます。

 『老いることはマイナスだけじゃない。その年齢だから発見できることが日々ある。その発見の面白さがあるからこうしてワクワクしながら毎日筆を持つのよ。面白くなければ挑戦しない。』

 『昔のことを思い出してるようではダメ。今これからが大切なのだから。』

 『人はみんな孤独なのは当たり前。どんなに好きな人でも自分とは違う。孤独だからこそ、一切が私のものと言えるのでしょう。』

 『私は、もう半分死んでいる。自然の一部、自然そのものにどんどんなってゆくのを感じている。』


 そして、「桃紅」という自らの名前の由来を禅宗の次の言葉を引いて説明していらっしゃいました。
 「桃紅 李白 薔薇紫 問 起春風 總不知。」
 (桃は紅く、李は白く、薔薇は紫、これを春風に問えども総に知らず)
                     
 桃の花が紅く、すももの花が白く、バラの花が紫色に咲いている。その理由を春風に尋ねてみても、ただわからないというだけだ、という意味。

 『春の風はひと色でどの花にも同じように吹くのに、それぞれの花はそれぞれの色で咲き誇っている。人はみんな、それぞれに自分の色で自然に咲けば良いということなのよ。』

と語った桃紅さんの言葉から、一途に生き抜いてきた人の揺るぎない美しさを感じました。

最近も次々と随筆を発刊されていらっしゃるのでご紹介してみます。
篠田著書1 篠田著者3 篠田著書2
『103歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』 (幻冬舎文庫)
『105歳、死ねないのも困るのよ』(幻冬舎)
『桃紅105歳好きなものと生きる』(世界文化社)

私も早速読んでみたいと思います。



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 2019年 今年も良い一年を!

 新年、明けましておめでとうございます。
 年末の冷え込みとは打って変わって、温かく穏やかな元旦となりました。

 皆様にとりまして、健康で幸せな一年となりますように。
 年賀状2019
 私の今年の年賀状です。 

今年も心に刻まれる訳詞・作詞を生み出し、皆様に楽しんでいただけるコンサートライブを展開して行けるよう精進して参ります。

 6月21日(金)には、京都 清水寺成就院にて「音楽の祭日 松峰綾音訳詞コンサート シャンソンと朗読のひととき」を開催致します
 ご来場をお持ちしております


 思わず6月21日のコンサートのご案内をしてしまいましたが、直近の予定は4月6日の「綾音 達人夜話 第4夜」と、そして、この成就院でのコンサート、まずは充実した内容になるよう、力を尽くしたいと思います。
 でも、目の前のことだけにとらわれ忙殺されることなく、辿り着きたい場所がどこなのか、何を大事にしていきたいのか、いつも落ち着いて見つめていなければなりませんね。
 ゆとりを持って、心穏やかに。

 新年は襟を正して、思いを新たにする時。
 
 どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。
   
   元旦朝 八坂神社に初詣
 毎年恒例 早朝、八坂神社に初詣に行きました。
 お地蔵様
 道すがらの情景。
<町内会 地蔵菩薩>
ビルの隙間に祭られている小さなお地蔵様には、いつも新しいお水とお花が供えられています。そして立ち止まって手を合わせる地元の方たちの姿をよく見かけます。今朝もお正月のお花が清々しく活けられていました。

 「道端にこそ、神はおわします」
門松京都では、街中でもこうして普通に仏様と共存して生活が営まれていることを感じます。
 少し飛躍するかもしれませんが、山に向かって手を合わせたり、季節季節の食べ物・習慣を大事にしたり、皆、どこか共通する、文化の奥深さと美しさなのではと思っています。

 冬の風物詩。
干し柿
 <干し柿を吊るす軒先>
 今年は何人かの方からとても美味しい干し柿を頂きました。
 干し柿を作るのはかなりの手間がかかりますし、時間も要します。
 それでも、「これが我が家の味なんです」と誇らしく差し出してくださるそれぞれの方の所作に何か素敵なもの、ありがたいものを感じます。
 まだお子さんが小さくてお仕事も持っていらっしゃる若いママからも「干し柿を作っているときって楽しいんですよ。」と先日立派に出来た美味しい干し柿をプレゼントして頂きました。
 いつか私も挑戦したいと思います。
八坂神社1

 そして、八坂神社。

 今朝の神社は殊の外綺麗でした。朝陽に光り輝く朱色の門。



本殿。
八坂神社2 八坂神社4
お柱には、稲穂で作られた見事な長寿の亀
八坂神社3

おみくじを引いてみました。

大吉!!

木に登りそうです。



   新幹線から見えた富士山
 くっきりと光に映えていました。
富士山2

 三が日は、これも恒例なのですが、逗子に住む両親と過ごします。

 皆様もどうぞ楽しいお正月をお過ごしくださいね。



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2018年晦日 錦小路界隈

 気がつけばもう12月30日、晦日ですね。

 今年は皆様にはどのような一年でしたか。

 「矢の如し」とはいうものの、辿ってみると、やはり色々な出来事が起こっていて、出会いや別れもあって、それ全て含めて、自分のかけがえのない一期一会の時間なのだと改めて思います。

 私は、今年はコンサートやイベント等、盛りだくさんの年でした。

  『雨の日の物語』
  3夜に渡る『綾音 達人夜話』
  清水寺での座談会『音楽は国境を超える 世界友愛の祈り』の構成・司会
  東福寺での『採薪亭演奏会』
  FM軽井沢への出演
  『デリシャスクリスマス』

 それぞれの様子は随時お知らせしてきましたけれど、どれも貴重な経験となりました。

 暮れに届いた何枚かの喪中欠礼の葉書を眺めながら、・・・・仕事を納め、年賀状を書き、大掃除をし、お節を準備し、・・・・ともあれ、このように繰り返される年の瀬の諸事を、今、健康で普通に迎えていることが、実は何より幸せなのだとしみじみ思います。

 そんな12月30日。
 我が家は、京の台所・錦小路のすぐ近く、買い出しの人達で大賑わいの様子を写真に収めてみました。

   12月30日 朝5時30分 
いつも早起きの私、今朝も5時起床で、郵便を出しついでの朝の散歩に出かけました。
月と明星
 雪がちらつく未明の空に、くっきりと浮かぶ月と明けの明星です。
 冴えた美しい煌めきの星ですが、写真からおわかりになるでしょうか。
私と同様に早起きの友人が、時々「今、明けの明星が綺麗に光っています」という写真付きメールを送ってくれて、その度に空を見上げているうちに、私もこの明けの明星=金星が、殊の外好きになってきました。
朝のパン屋さん1
 郵便局本局までの道すがら。
 まだ5時半なのにもう立ち働いているパン屋さんです。
 お店の外まで良い香りが漂ってきました。
 お洒落なレストランが併設されていてフランス風の店ですね。

錦市場周辺は皆早起き。早朝から働いている方たちがたくさんいます。
スターバックスの女性店員さん。てきぱきとした身のこなしに晦日の気合が感じられました。
   スターバックス    朝の大丸
 大丸デパートの駐車場にも次々と業者の大きなトラックが品物の搬入に入庫します。
錦夜明け

錦市場の入り口。まだひっそりとしています。
そろそろ空が白みかけてきました。
魚屋さん朝

いち早くシャッターを開けたお店は魚屋さんとお餅屋さんでした。
今日はどれくらい売れるのでしょう。きっと戦場のように忙しい一日になるのでしょうね。
錦雑踏

   12月30日 昼下がり14時
お買い物に出てみました。
朝とは打って変わった大変な賑わいです。


漬物屋


錦市場にはお漬物屋さんがたくさんあるのですが、お正月の旬は勿論千枚漬けです。

それぞれにご贔屓の味があるのでしょう。どのお店も賑わっていました。

魚屋さんとお餅屋さん。
魚や 餅や

正月飾り
 私のいつも買うお正月飾りのお店はここです。
 一家で営んでいるようで、息もぴったりです。
 顔なじみのおばあさんが、元気に店に立っていました。
 「今年も終わるねえ」と陽気な笑顔。

 「八百一」というマーケットの入口には、大きな松飾りが飾られて、お正月到来を今や遅しと待っているようでした。
正月準備
 今年も、皆様から温かく応援して頂き、お陰様で充実して過ごすことができました。 本当に有難うございました。
 どうぞ来年もよろしくお願い申し上げます。


 元旦は少しは寒さが和らぐようです。
 お風邪を引かないようにお気をつけて良い新年をお迎え下さいね。


 

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