
薫風吹き抜ける五月を楽しんでいるうちに、いつの間にか梅雨が近づく気配を感じる頃となりました。
せっかくの桜と青葉の4月、5月を、私は重度の花粉と黄砂アレルギーに呻いておりました。が、ようやく復活です。
来年6月に開催予定の「月の庭」コンサートの前、12月に少し趣向を変えて、朗読中心のコンサートも開催しようかと目論み始めました。
また、詳細は改めてお知らせしたいと思います。
さて、活動再開し、先日、京都から東京に向かう朝、新幹線のチケット売り場の窓口でちょっと面白い光景に出くわしました。
横並び席
朝7時なので、まだ空いているのではと思いつつ、予約チケットの受け取りに新幹線の窓口へと向かいました。
予想外の長蛇の列に、まずびっくりです。
コロナの規制が解かれてから、京都は観光客も急増し、どこも人で溢れ返っているのですが、早朝から通路にはみ出るほどの行列に本当に驚きました。
半数以上が外国人の方たちで、海外からの観光客が戻ってきていると言われることも改めて納得。
一方、朝のためか、四か所ある窓口のうち、まだ二か所しか開いておらず、皆、辛抱強く、次に進むのを待っていました。
一方はベテランぽい女性の係員、もう一方はまだ入りたてのような青年の係員で、二人とも一生懸命応対していました。
ふと気が付くと、青年の係員の窓口には、初老の外国人の女性がいつまでも立ったまま、全く動かないのです。
少し肌が浅黒いエキゾチックな顔立ちの方でしたが、何しろ声が大きいので、何人か後ろに並んでいた私にも話の内容が全て聞こえてきました。
品川まで二人で乗車するのだが、並び席の座席指定券を希望しているとのこと、号車と席まで指定するのですが、係員の青年は、希望の席はもちろんの事、どの車両ももうすでに満席に近く、並び席は指定の新幹線には全くないと説明していました。
女性は日本語が全く分からないようでした。ただひたすら自分の希望を訴えています。それに対して係員の青年はあまり英語が得意ではなさそうで、発車ボードを指さしながら手振り身振りを交えて必死で説得にかかっていました。
女性:「そんなはずはないでしょう?他の車両でも良いからもっとよく探して!」
係員:「本当に一つもないのです。○○号車なら列は違いますが同じ車両で二席取れます」
とついには紙に座席図まで描き出す始末。
ようやく、この便では無理と理解したらしく、では「次の便ではどうか?しっかり探して。」とのオファー。
青年は、それでも根気強く、
「かしこまりました。少々お待ちください」と日本語で挨拶しながら、また1号車からすべての号車を検索。
やはりだめだったらしく、丁重に謝りながら釈明をしていました。
たぶん半分くらいしか女性は理解できないようで、自分が外国人だからきちんと探してくれないのではという不満を漏らし始めました。
「少々お待ち下さい」と青年は席を立ち、持ってきたのはタブレットでした。
日本語で呼びかけるとどの国の言語にも翻訳してくれるアプリが入っているようで、タブレットに向って悲痛な声を出し始めました。
「お客様がご希望の、お二人でお並びになれるお席は、あいにく、この東海道新幹線○○号にはございません」
タブレットは解読できなかったようで、再び、トライします。
やはりだめなようで、彼の焦りは益々ひどくなってきます。
「そんな丁寧な言葉では却って翻訳アプリには通じませんよ」と言ってあげたかったくらいです。
段々言葉は省略され、「並び席は全くない」という最後の発声でアプリは反応したらしく、彼は沈黙したまま、その画像を女性に向って差し出しました。
今度は、女性にも通じたようなのですが、でも更に食い下がり、「どの便でも良いから並び席が出てくるまで探して!」と訴えるのでした。
青年は、他の便を素早く検索した後、今度は何と言われてもタブレットの文字を指で指し示すだけで、そのやり取りが何度となく続き・・・そうしているうちに、もう一つの窓口が空き、私の番がきて、何とか予約した列車に間に合いました。
自分のチケット購入を済ませてふと横を見ると例の女性はようやく諦めたらしく、すごすごとその場を後にしていました。
どのように納得したのでしょうか。
青年係員は何事もなかったように「ありがとうございました」とにこやかに声をかけていましたが、気が練れていて大したもの。朝から大変なお仕事なのですね。
それにしても、なぜあの女性はそんなに並び席にこだわったのでしょうか。
交渉すればいつか何とかなると信じて頑張ったのか、・・・日本人なら、係員がないと言えばないのだとそのまま受け入れますし、たった2時間位ですから、少し離れた席に座ったとしても仕方ないと簡単に諦めるのではと思います。
そして何よりも、自分一人が、二つしかない窓口の一つを長時間占領して、そのために長い列を作って皆を待たせているという事は、大変憚られて、普通は妥協するのではと。
列に並ぶということ
「日本人は何かにつけて長蛇の列に平気で並ぶが、それはなぜか」というような質問を半ば揶揄を込めて外国から指摘されることがよくあります。
確かに日本では「行列の出来る店」は美味しい店の代名詞のように言われますし、これは外国ではあまりない感覚かもしれません。
でも反対に外国では、ホテルのチェックアウトなどの場で、明細書の詳細な説明を延々と求めたりする結果、やはりフロントに長蛇の列を作る情景など目にします。当然の自己主張が最優先されるべきというような思想があるのかもしれないと感じたことが再三ありました。
「外国」という言葉でひとくくりにはできませんし、人によって皆違うことも言うまでもありませんが、お国柄によって文化や感性の違いがあることを目の当たりにしたようで、興味深く感じたこの日の朝でした。


木々の光、音
今年は6月下旬から各地とも異常な猛暑でしたね。
いっときの京都は、体感温度が40℃を超えるのではと思うほどで、その中で引っ越し荷物の片付けなどしていたら、まさにダウン寸前でした。
ようやく落ち着き、いつも夏になると訪れる浅間山麓に逃れるようにやってきたのですが、朝晩は羽織り物が必要なほどの涼しさで、今、つかの間の休息を味わっています。
ここでの贅沢は、「何もないこと・何もしないこと」かなって思います。ただ、木々を渡る風の音に耳を澄まし、木漏れ日を浴び。
・・・葉擦れの音しかない世界で、静寂が満ちてくるのを感じ、木漏れ日の陰影に心身の再生を感じます。
もちろん、自然は常に穏やかなわけではなく、叩きつける豪雨だったり、地響きがするような雷鳴だったり、圧倒的な脅威で恫喝されているような気がすることもありますが、それも含めて、人は自然に包まれて生かされていることを実感することはとても大切なことなのでしょう。
この夏は東京からの友人とこの地で合流しました。
早朝の散策、語り合い、笑い合い、静けさを満喫し、素朴な地元の食材を堪能し、命の洗濯ってこういうことのように感じています。
ベーコン蜂との遭遇
上機嫌で、ゆっくりと朝の食事。
野菜も果物も卵も牛乳も採りたて新鮮で、何気ないサラダも飛び切り美味しくありがたいなあとしみじみ感じます。
ベランダの食卓にたくさん並べてさあ!と思った時でした。
耳元で怪しげな羽音がブンブン。
甘い香りを嗅ぎつけて蜂が一匹テーブルの周りを旋回し始めました。
あちらが先住者だから静かにやり過ごすことが懸命だと日ごろから有事に備えて覚悟していましたし、蜂はむやみに追い払うと敵対して襲ってくる、何もしないでじっと動かないでいれば決して向かってこないと、聞いていましたので、友人と共に身を固くしてじっと様子を見ていました。
最初は遠巻きに円を描きながら、ターゲットを物色するように飛び回り、そのうちに段々とその円を狭めて、標的を特定してゆくようでした。
羽音は耳元で大きくなってきて、わかっていても身をすくめたり、手で追い払いたくなります。
友人は既に覚悟を決めたらしく、なかなか太っ腹で、「おはよう蜂さん。ゆっくり食事をしたいから気が済んだら早く向こうに行ってね」とかなんとか語りかけていました。
ヨーグルトや果物やジャムや甘い香りのするものがいっぱいあったのですが、それらには目もくれず、ポテトサラダのお皿の縁に居場所を見つけたようでじっと留まりました。
それから何度か飛び回ってはお皿に戻り・・・やがてポテトサラダのトッピングに散らしたベーコンの上に降り立ったまま触角を立て、クンクンと匂いを嗅ぎだし、びくとも動こうとはしません。
ベーコンは細かく刻んで乾煎りしたもので、強いスモークの香りが際立っていました。
蜂は「これだ!!」というような嬉々とした様子でポテトの中から夢中でベーコンを掘り出そうとしています。
すぐそばに私たち人間がいるのに、もう全く目に入っていないようで、この作業に全精力を注いでいます。
ベーコンはポテトの中に食い込んでいて、蜂の体で引き上げるにはなかなか骨が折れるようです。
口にくわえたまま体を丸め、身体全体を使って持ち上げようと必死で格闘しています。とても人間的な様子に私には見えました。
まるで、汗をかきながら一人綱引きしているようです。
何度も何度もあきらめず引き抜こうとし、ようやくスポっとベーコンが離れた時には、その勢いで、蜂はポテトの上に転げました。
でも満足そうに勝ち誇ったように、口にくわえてテーブルの周りを一周してどこかに飛んでいきました。
私も友人も怖さを忘れ、なんだか変な感動を覚えた気がします。
大きく一息ついて、今の光景についてちょっと興奮しながら話し合いました。
ポテトサラダはどうしようかということになりましたが、蜂がつついたからと言って各段毒があるわけでもないでしょうから、大丈夫なのでは、いう結論となり、何事もなかったように美味しく食べ始めました。
一件落着と思いきや、ベーコンの油を吸ってパワーアップしたかのように意気揚々とさっきの蜂がまた戻ってきました。
今度は迷うことなくポテトのお皿に直行し、またベーコンの上に降り立ちました。
で、さっきと同様な作業を繰り返し・・・。
巣に食料を運んでいる働きバチなのでしょうか。
見かけはそんなに大きくなくミツバチのような形状をしているのですが。
普通の蜂は花の蜜や甘い果物などを好むのではないかと思っていましたので、ベーコンだけを狙うこの蜂は肉食系、だとするとスズメバチなのでしょうか。
スズメバチだったら、「蜂さ~ん」などと言っている場合でもなく、これは危ないかもと考え始めましたが、でもとりあえずは私も彼女も食事の手を止めて再び微動だにしないで蜂の観察を再開しました。
コツをつかんだようで、先ほどよりは短時間で上手にベーコンを略奪し、勝ち誇ったようにお腹のあたりに抱え込んでまたぐるぐるとどこかへ飛んでいきました。とんびやサギや鷲が魚を掴んで飛び立つような雄姿です。
「また蜂に食べられる前に、ベーコンを全部食べてしまおう」との彼女の提案。
ポテトの奥の方に数枚だけベーコンを残して、私たちは蜂と知恵比べをする態勢に入っていたようです。
予想通り、今度はすぐに三度目の登場。
ポテトもベーコンも随分減っていることに不信を持ったかのようにしばらくじっと考え込んでいましたが、やおら実力行使で、ポテトの中に隠されたわずかなベーコンとの大格闘が始まりました。
今思うとカメラを傍に置いておかなかったことが痛恨の極みです。
写真か動画でお見せ出来たらどんなにか興味深かったのに・・・。
こんな時は、次のチャンスに備えてカメラを取りに行こうということには頭が働かず、まず食べてしまおうという気が先にたち、申し訳ありませんでした。
本当にスズメバチかもしれず、ベーコンのある場所と学習され、仲間を引き連れてやってこられても大変なので、そのあとは、お皿はすべて屋内に撤収し、安全地帯で食事を再開しました。
これがベーコン蜂の顛末記です。
ちょうど私の誕生日の8月21日のことでした。
あの蜂は、この日一日は所在なく時々飛んできていましたがやがて姿を見なくなりました。
ファーブルの気持ちがほんの少しだけわかったような気がした出来事でした。
