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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

水無月 ~「守株」の雑感

 梅雨に入りましたね。

 6月はなぜ「水無月(みなづき)」と呼ばれるのか。
 元々は「水張月(みずはりづき)」で、雨でたっぷりと水がある時だから。
 あるいは反対に、暑さに向かい水不足になるから。
 諸説ありますが、夏を待つ雨に紫陽花が良く似合う季節です。

   FM京都の出演、無事終わりました
 5月27日(月)、FM京都「SUNNY SIDE BALCONY」に出演してきました。
 通称「αステーション」の名で親しまれているFM京都は、四条烏丸通りに面したCOCONというお洒落なビルの10階にあります。
FM京都
 早速、局の入り口に向かいます。

 放送局は、様々な資料が散乱し、いかにも情報番組・報道現場という雑然とした感じなのではという先入観がありますが、このαステーションは、資料室もスタジオも躍動感が一杯なのに整然と落ち着いて、優しい雰囲気があり、居心地の良い空気に包まれていました。

 スタッフの皆様の明るい声に迎えられ、一気に気持ちが高揚し・・・。

 この日のDJの慶元まさ美さんは、既に本番中でした。
 しばし、応接室でスタンバイして、やがてゲストコーナーの時間となり、スタジオに招き入れられました。
 慶元さんとの「初めまして」のご挨拶は、正真正銘「初めまして」。
 とてもチャーミングで聡明な感じの方で好印象、ぶっつけ本番のスタートです。

 「大体こんな質問を振ります」というメモ書きをディレクターの方から事前に頂いていたのですが、始まってみるとその通りには行かず・・・・。
 出だしの「日本のシャンソン訳詞の現状」辺りのお話で、既に慶元さんから細部に関わる質問が次々と投げかけられました。
 「そこを聞いてほしかった!」と思う的確な問いかけに、俄然、私も舌が滑らかになってゆきます。
FM京都スタジオ
 そうこうしているうちに、あっという間に時間が来て。
 気がつけば<長くて10分位で!>というタイムスケジュールのはずが、いつの間にか20分間も話していたのでした。
 でも、トーク番組ですから、自然に話が展開し盛り上がるのは、まずは成功ということですよね。

 素敵な機会を頂きましたこと、お世話になりました局の皆様に心からお礼申し上げます。
 リスナーの方々に、訳詞やシャンソン、言葉と音楽というものに、少しでも興味を持って頂き、何かが心に届いたなら、とても嬉しいです。

 ラジオはマイクの向こうの皆様のお顔が見えないので、一方的に声を飛ばすだけのような気がしてしまいますが、そんなことはなく、私の言葉・声を受け止めていて下さる方の存在が強く感じられます。
 そんな不思議な思いを身に沁みこませながら、楽しくお話しさせて頂いたのでした。

   「守株」その密やかな効用
 先頃、或る季刊誌からのご依頼を受けて、『「切り株」考 三つの物語』という随想を書きました。
切り株1
本当は丸ごとここでご紹介できればよいのですが、それも・・・・ですので、「守株」という言葉を取り上げた部分のみ転載してみようと思います。

 これを書いたときは、特別意識しなかったのですが、近づくコンサートを待つ今、そしてこれまでも、もしかしたら、まさに「守株」の心境をどこかで持ち続けてきたのではないかとも思われるのです。

  「守株」その密やかな効用

   宋人有耕田者。
   田中有株。兔走触株、折頸而死 。
   因釈其耒而守株、冀復得兔。
   兔不可復得、而身為宋国笑。(出典 韓非子)

 「株を守る」
 この中国の故事が、北原白秋作詞の童謡『待ちぼうけ』の原典であることはご存知でしょうか。
 ある日、目の前で兎が切り株に躓いて死んだのを見た農夫が、それからというもの、耕すこともせずに、次の兎がぶつかってくるのをひたすら切り株の前で待ち続けます。いつの間にか畑は荒れ果て、それでも「待ちぼうけ」する彼は国中の笑い者になったというお話です。
 「人はきっかけさえあれば、どこまでも怠惰になる」、「美味い話はないのだから、やはり地道に努力するのが一番」、「一発逆転のギャンブルの魔力に溺れるな」等々教訓は山ほど出てきます。


 では、自分は、切り株の前で待ってはいないだろうか?
 そうしたいと思う衝動はないのだろうか?
 もしかしたら誰もが、切り株の前で佇みたいような気持ちがどこかにはあって、それは愚かしいけれど、また、漠然とした一種の生きる救い、夢のようなもので、その効用も、人にはあるのでは、などとも密かに感じたのでした。


切り株2
 一度、幸運にも兎を手にした経験があるからこそ、そういう僥倖が再びあることを信じたいと思う気持ち、希望、確信のようなものに夢を繋ごうとするのでしょうか?

 二匹目の兎がまた飛び込んでくるかもしれないと思う虫の良いこんな夢も、人の生きる力の一部になってくれているかもしれず、あながち悪いものではないと感じられてきます。

 勿論、「守株」の訓話の中の男のように、株の前で何もせずぼんやり居眠りばかりをしているのは論外ではありますが・・・。

 日々ベストを尽くしつつ、でもその中で、万事うまくいくという太平楽な夢を根拠なく、ぼおっと見るというのもまた心地よいのでは。

 コンサート一週間前、こんな水無月の雑感です。



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「名付ける」ということ

   「平成」はあと二日です
 「平成」も後二日で終わり。
 年の瀬のような気分で、周囲を片づけてみたり、行く年を振り返ったり・・・。どことなく高揚感を感じています。
青葉京都2
 元号が変わるGW、皆様はどのような思いの中でお過ごしでしょうか。

 新元号が発表されてから、このひと月、新聞やテレビでも、「平成」を振り返る特集が多く組まれていますし、そんな映像を見たり、記事を読むにつけ、平成30年間の歩みが改めて思われます。

   元号発布のとき
 「平成」
 30年前、「平成」の元号が発表された時のことを覚えていらっしゃいますか。

 当時、私はボストンで暮らしていました。
ボストンの冬
 何気なくテレビを付けた時、JAPANの文字が突然大きく画面に現れ、昭和天皇崩御のニュースが流れました。
 昭和64年1月7日の事でした。

 それから、アメリカのテレビの海外報道の扱いとしては、類を見ないほどの長時間、昭和天皇の半生を伝えるドキュメンタリーが映し出されました。
 即位の時から戦争を挟んで現在までの軌跡を丹念に追って、キャスターたちも喪に服しながら、とてもしめやかに哀悼の意を伝えていました。
 きっと随分前から既に健康状態のことが伝わっていて、万一の場合に備えて周到に映像を準備していたのに違いありません。
冬のハーバード
 ここは日本なのではないかと錯覚するくらい、何度も繰り返しニュースは流れ、そして、この崩御のニュースを引き継ぐかのように、新元号の発表の様子も放映されました。

 喪服に身を包んだ当時の官房長官の小渕恵三氏が『新元号は「平成」であります』と、色紙に書いた文字を大きく掲げたのを、私は、ドキドキしながら、ボストンで目にしたのでした。
 <日本の元号というものは何であるのか>の説明をアメリカ人のキャスターが熱心に語っていましたが、どのような内容だったのか、残念ながら今ははっきりと覚えていません。
 ただ、「長く続いた自分たちの時代「昭和」が終わってしまったのだ」という喪失感がヒリヒリと心に沁み入ってきて、自分でもびっくりするくらいショックを受けたことを思い出します。
 「日本の大きな何かが終わってしまった」という、説明のつかない空虚な想いが溢れてきた気がします。
樹氷2

 異国で知ったから・・・・昼間でも外はマイナス10℃にもなるアメリカ東海岸の寒い1月、独りで迎えた新年だったから・・・なおさらだったのかもしれませんね。

 「平成」という文字にも響きにも、初めは大きな違和感がありました。
 過ぎた時代を噛みしめる暇もなく、次の時代はこうして当たり前のように始まるものなのかという戸惑いと共に、初めて元号というものの意味を思った時でもありました。
 でも人ってすぐ順応してしまうらしく、ほどなく「平成」は当たり前になりましたけれど。

 「令和」
 天皇退位という初めての状況の中で行われたこの度の新元号の発表は、多くの人の心に、30年前とは全く異なった感慨を生んだであろうと思われます。

 クリスマスプレゼントを開ける前の子供のように、じっと期待を膨らませて、発表を待つ、そんな盛り上がりがありましたね。


  万葉集から採ったという「令和」の文字。

    初春の令月にして 気淑(よ)く 風和ぎ

 美しいです。

 「万葉集は漢字で書かれているのだから日本の古典ではない」
 などという異論があると聞きますが、文化とは、様々な時代、様々な民族の積み上げてきた知的・物的遺産を継承し、影響・融合し合いながら更に成熟、結実してゆくものなのですから、その進化発展の固有な過程こそがオリジナリティーと言えるのではないでしょうか。

 万葉仮名は明らかに我が国独自の文化。
 繊細で美しい大和言葉を漢字で表記した創造性を、誇りに感じます。

 「令和」に込められた「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という大きな志を実現すべく、新時代のスタートを切りたいですね。

   「名付ける」ということ
 例えばイギリスが「ビクトリア王朝」というような呼び名で時代を認識するように、元号と似たような考え方は、他国にもあるとは思いますが、でも、現在、元号を西暦と併用し、実生活の中で共存させている国って日本だけなのではないでしょうか。
 他国との関係の中では、西暦で統一した方がわかりやすいということも事実ですが、西暦と使い分け出来る柔軟性って、とても素敵だと私は感じます。

 西暦は数字ですから、明快で効率的ではありますが、元号のようなその時代特有の彩りは望めません。

人は、名付けられることによって、その人としての輪郭を鮮明にするように、 「明治」「大正」「昭和」「平成」、それぞれの元号に、それぞれの時代に生きた人々、歴史の空気、物語が見えてくるのではないでしょうか。
 独自な色合いが、元号で名付けられることによって浮き上がってきます。
青葉京都1
  父母の時代、祖父母の時代、曾祖父母の時代を感じながら今を生きることが、文化を受け継ぐということなのではないかと思うのです。

 「令和」と名付けられた時代を、共に生きてゆく私たちが、今度はどのような足跡を残して行くのでしょう。

 そんなことを考えて過ごす休日です。




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雛祭り 雑感

   花粉症 今年は大変です
 2月後半から悪化して、ついに寝込んでしまいました。
スギ花粉
 倦怠感と頭痛と微熱とで、風邪にかかったような、でもやはりれっきとした花粉症、皮膚疾患まで加わり、目や喉は勿論、顔や手まで赤く腫れて、本当に参っています。
  「どんどん重症になるのはそれだけまだ細胞が若くて活性化しているという事ですから」とのお医者様の慰めの言葉に、
「・・・・。」
 では、ひたすら後二カ月は耐えるしかないかと、もはや諦めの境地です。
 皆様は如何ですか。
 そのようなわけで、目下、共に花粉症を語り合う仲間募集中です。

    雛祭り 
 花粉の中でぼんやりと過ごしていたら、いつの間にか三月になりました。
 今日は雛祭り。
 
 幼い頃、両親が奮発して買ってくれた優美な七段飾りの雛人形が大好きでした。
 お雛祭りが近づくと、雛段を組み立て、赤い毛氈をかけ、和紙に包んだ雛人形をそっと箱から出して飾ってゆく母の柔らかい手つきをうっとりと見ていました。
 箱の中から樟脳の香りが漂って来て、春の到来を幼心に感じていた気がします。
 雛壇の横に桃の花と菜の花を活けて、雛あられや桜餅をお供えし、おすましの顔をして撮って貰った毎年のお節句の写真が古いアルバムに今も残っています。
 ひな祭り
 京都ホテルオークラのロビーに飾られていた七段飾りの雛人形を見ていたら、そんなことを懐かしく思い出しました。
今晩の夕食は、お雛祭りの日のご馳走だったちらし寿司にしようと思います。
菜の花


 和菓子屋さんの店先には桜餅やひし餅に並ぶ行列があって、これも京都らしい情景、こういうこだわりって良いですね。



   
    土佐文旦
 私はグレープフルーツが大好きで、ほぼ毎朝、朝食時に頂いています。
 オレンジも温州ミカンもポンカンも、柑橘類は全て好物なのですが、先日、初物という事で、友人が立派な土佐文旦を沢山送って下さいました。
文旦
 瑞々しく薫り高く、さっぱりとした味でとても美味しいのです。
 惜しみながら頂いて、今残りは三つ。今日はフルーツサラダにしてみようと思います。
 
 皮が厚く、でも柔らかいので、これはと思い、昨日、文旦マーマレードを作ってみました。とりあえず大成功!
 他の柑橘類と一味違う和風の苦みがとても美味しく感じられます。
 菜の花の酢味噌和えの上にたっぷり乗せると、料亭風、なかなか乙でお勧めです。

   相続と断捨離
 ふと目にした小冊子の中で、作家の五木寛之氏が、お話しされたこんな文章の一節が心に残りました。
 
  「物の相続ではなくて、心の相続。
 断捨離で物を捨てるのではなく、物の中にある思い出に囲まれて暮らすのも良い。思い出を懐かしむだけでなく、人に会い、声を通して聞くこと、語ることで、私たちは精神を活性化しながら「100歳人生」を生き抜けるのでは、とふっと考えたりします。」

 「百年人生を生きる」をテーマにした金融機関(三菱UFG信託銀行)のセミナーでの講演の一節なのですが、昨年相続税法が改正され、今年から施行されるという事もあって、最近とみに「相続」や「遺言」などの問題がクローズアップされていますね。
 
 金融関係の方の講演と対比して、五木氏の講演は作家らしく心の有りように焦点を当てたお話だったようです。

 大仰かもしれませんが、先ほどの「雛人形」や「ちらし寿司」も五木氏流に言えば、一種の「心の相続」ということになるのでしょうか。

 いささかロマンチックすぎる目線かもしれませんが、<家を継ぐ>とか<名を継ぐ>とかいう事も、実は物の相続の前に、心をどう負って引き受けてゆくのかという問題なのではないかと思うのです。
 <財産を受け継ぐ>ことも、本来はその延長上にあることかもしれませんね。
 更に言うなら、<文化の継承>も、そのこだわりと責任の中にあるとも言えるのではないでしょうか。

 高齢になった両親が、最近、頻繁に片づけのことなどを話題にしているので、そんな場面と重なって色々なことを考えてしまいました。

 私の両親の世代は、たぶん一様に、物を大事にし、捨てることに抵抗が強いようです。
 その結果、物が溢れ過ぎ、何とか整理したいと思うジレンマも生れてくるのでしょうね。

 「断捨離」の考えからすれば、言語道断かもしれませんが、でも物は、それと関わってきた人の個人的な思いと連動しますので、傍目には不用品でも、当事者にとっては思い出深い宝物になり得るのでしょう。

 「物の中にある思い出に囲まれて暮らすのも良い。思い出を懐かしむだけではなく・・・・」

 の言葉に,片付け大好きの私ではありますが、全面的に共感します。

 物と、物に宿るものとを、大切に受け継ぎながら、受け継いだものを噛みしめながら、でもそこに埋没しないで日々新たに生き直してゆけたら素敵ですね。


 花粉症のぼおっとした頭に色々なことが流れてゆく、雛祭りの夕餉です。


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3歳の呟き 105歳の言葉

 お正月もいつの間にか遠くなっていきますが、新年に心に残った二つのエピソードを、今日は記してみたいと思います。

   ハー君の呟き
 私の新年はいつも両親の暮らす逗子を訪れることから始まります。
 今年も親族総勢11人での賑やかな幕開けでした。
 最年少は、今年3歳のハー君、まん丸い笑顔が飛び切り可愛い男の子です。
 二人姉弟で、お姉ちゃんはこの4月に小学校入学を控えたおしゃまさん、一年前に比べると二人とも見違えるようにしっかりしてきて、子供の成長は本当に早いです。
 月日は確実に過ぎているということなのでしょうね。

 昨年は言葉もおぼつかなかったハー君ですが、今年は堰を切るように流暢に言葉を操れるようになって、好奇心に目をキラキラ輝かせていました。

 自分達二人に周りの大人が注目して、目を細めて可愛がってくれることを・・・・お正月はそういう特別感が強いですし、・・・それぞれ敏感に察知して、それが嬉しくってたまらないのでしょう。事ある毎に注目される言動を誇示します。
 女の子の方は、大人に甘えるしぐさがコケティッシュでさえあり、実に興味深いと改めて思ったのでした。
 「ハー君には好きな女の子がいるんだよね」とお姉ちゃんからの突然の暴露。
 男の子は急にどぎまぎし出して、それを見ていたら、思わず吹き出しそうになってしまいました。
 皆で「なんていう名前の子なの?」と問いかけてみると。
  「言わない・・・」
  「知りたい?」
  「どうしても?」
 これは、話したくて仕方がないという意志表明ですので、
「どんな女の子なの?教えて!」と尋ねてあげました。

  「あのね。<ひ>がつくの。」
  「ひろみちゃん?」
  「ひろこちゃん?」
  「違うの・・・ひなのちゃん」
  「ひなのちゃん、可愛い名前ね。」
  「うん。」
 嬉しそうなハー君の声。

 ここからはお姉ちゃんの独壇場、弟の想い人<ひなのちゃん紹介>が始まりました。

 嬉しそうな、恥ずかしそうな、ハー君なりの甘酸っぱさを噛みしめているのかしら?たった3歳なのに。
 何だかほのぼのとして、人って良いものだな、なんて思ってしまいました。

 元旦の晩餐、やがて大人たちの話で盛り上がります。
 健康、仕事、人間関係、etc。
 じっと黙って独り遊びをしていたハー君が、ポツリと呟くように一言。
  「みんな大変だ。」
 そうだね、ハー君の言うとおりだと、一同深く頷いたひと時でした。
 
   篠田桃紅氏 105歳の言葉
 1月3日、何気なくテレビをつけたらNHKで『日々新たなり 篠田桃紅 105歳を生きる」という番組を放映していました。
途中からだったのですが、思わず映像に釘付けになってしまい、気がついたら最後まで見入っていました。
NHK篠田1
 5歳から書の手ほどきを受け、書家として立つことを決意した篠田桃紅さん。1956年に渡米して、抽象表現主義絵画が流行していたニューヨークで、文字を離れて墨の抽象画(墨象)を描くようになられました。まずは、彼女のプロフィールをご紹介します。

 ニューヨークを拠点に全米をはじめヨーロッパ各地で個展を開催し、第2次世界大戦後、墨を使った抽象美術家としていち早く国際的に高い評価を受けた日本人芸術家の1人となりました。帰国後もレリーフ・壁画などの建築物に関わる大作を手がける一方、版画・題字・随筆などさまざまな分野に活動を広げていきました。多くの作品が、国内外の美術館や公共施設に収蔵されています。桃紅は現在も国内外において個展を開催し、精力的に創作活動をおこなっています

 105歳の現在も、現役第一線で独自の世界をなお探求していらっしゃる素晴らしい方です。

 そして<番組の紹介文>です。
NHK篠田2 篠田桃紅、105歳。書道家から出発して「墨の抽象画」という独自の境地を拓(ひら)き、世界的な評価を得てきた。生涯独身を貫き、今もアトリエ兼自宅で一人暮らしを続けながら、なお新しいものを生み出そうと格闘している。時に自問自答し、特に自虐や毒舌で笑わせながら、縦横無尽に語る篠田。「この年になると生き方の手本はない。自分で編み出さなくては」という篠田の日々を見つめ、驚異の言葉の数々に耳を傾ける。

 テレビの映像には、現在も日々筆を持ち続けている創作の様子が粛々と映し出されて、その端然として動じない眼差しと、鋭い気迫とが、圧倒的な力で迫ってきました。

 桃紅さんの歯切れの良い語り口も、含蓄に満ちた言葉一つ一つも、美しい詩のように、薫り高く心に沁み入ってきます。
番組を見てからというもの、沢山の言葉が、ずっと胸の中を回り続けているのですが、その幾つかを(メモを取らなかったので言葉は正確ではないかもしれませんが)ここに記してみます。

 『老いることはマイナスだけじゃない。その年齢だから発見できることが日々ある。その発見の面白さがあるからこうしてワクワクしながら毎日筆を持つのよ。面白くなければ挑戦しない。』

 『昔のことを思い出してるようではダメ。今これからが大切なのだから。』

 『人はみんな孤独なのは当たり前。どんなに好きな人でも自分とは違う。孤独だからこそ、一切が私のものと言えるのでしょう。』

 『私は、もう半分死んでいる。自然の一部、自然そのものにどんどんなってゆくのを感じている。』


 そして、「桃紅」という自らの名前の由来を禅宗の次の言葉を引いて説明していらっしゃいました。
 「桃紅 李白 薔薇紫 問 起春風 總不知。」
 (桃は紅く、李は白く、薔薇は紫、これを春風に問えども総に知らず)
                     
 桃の花が紅く、すももの花が白く、バラの花が紫色に咲いている。その理由を春風に尋ねてみても、ただわからないというだけだ、という意味。

 『春の風はひと色でどの花にも同じように吹くのに、それぞれの花はそれぞれの色で咲き誇っている。人はみんな、それぞれに自分の色で自然に咲けば良いということなのよ。』

と語った桃紅さんの言葉から、一途に生き抜いてきた人の揺るぎない美しさを感じました。

最近も次々と随筆を発刊されていらっしゃるのでご紹介してみます。
篠田著書1 篠田著者3 篠田著書2
『103歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』 (幻冬舎文庫)
『105歳、死ねないのも困るのよ』(幻冬舎)
『桃紅105歳好きなものと生きる』(世界文化社)

私も早速読んでみたいと思います。



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 2019年 今年も良い一年を!

 新年、明けましておめでとうございます。
 年末の冷え込みとは打って変わって、温かく穏やかな元旦となりました。

 皆様にとりまして、健康で幸せな一年となりますように。
 年賀状2019
 私の今年の年賀状です。 

今年も心に刻まれる訳詞・作詞を生み出し、皆様に楽しんでいただけるコンサートライブを展開して行けるよう精進して参ります。

 6月21日(金)には、京都 清水寺成就院にて「音楽の祭日 松峰綾音訳詞コンサート シャンソンと朗読のひととき」を開催致します
 ご来場をお持ちしております


 思わず6月21日のコンサートのご案内をしてしまいましたが、直近の予定は4月6日の「綾音 達人夜話 第4夜」と、そして、この成就院でのコンサート、まずは充実した内容になるよう、力を尽くしたいと思います。
 でも、目の前のことだけにとらわれ忙殺されることなく、辿り着きたい場所がどこなのか、何を大事にしていきたいのか、いつも落ち着いて見つめていなければなりませんね。
 ゆとりを持って、心穏やかに。

 新年は襟を正して、思いを新たにする時。
 
 どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。
   
   元旦朝 八坂神社に初詣
 毎年恒例 早朝、八坂神社に初詣に行きました。
 お地蔵様
 道すがらの情景。
<町内会 地蔵菩薩>
ビルの隙間に祭られている小さなお地蔵様には、いつも新しいお水とお花が供えられています。そして立ち止まって手を合わせる地元の方たちの姿をよく見かけます。今朝もお正月のお花が清々しく活けられていました。

 「道端にこそ、神はおわします」
門松京都では、街中でもこうして普通に仏様と共存して生活が営まれていることを感じます。
 少し飛躍するかもしれませんが、山に向かって手を合わせたり、季節季節の食べ物・習慣を大事にしたり、皆、どこか共通する、文化の奥深さと美しさなのではと思っています。

 冬の風物詩。
干し柿
 <干し柿を吊るす軒先>
 今年は何人かの方からとても美味しい干し柿を頂きました。
 干し柿を作るのはかなりの手間がかかりますし、時間も要します。
 それでも、「これが我が家の味なんです」と誇らしく差し出してくださるそれぞれの方の所作に何か素敵なもの、ありがたいものを感じます。
 まだお子さんが小さくてお仕事も持っていらっしゃる若いママからも「干し柿を作っているときって楽しいんですよ。」と先日立派に出来た美味しい干し柿をプレゼントして頂きました。
 いつか私も挑戦したいと思います。
八坂神社1

 そして、八坂神社。

 今朝の神社は殊の外綺麗でした。朝陽に光り輝く朱色の門。



本殿。
八坂神社2 八坂神社4
お柱には、稲穂で作られた見事な長寿の亀
八坂神社3

おみくじを引いてみました。

大吉!!

木に登りそうです。



   新幹線から見えた富士山
 くっきりと光に映えていました。
富士山2

 三が日は、これも恒例なのですが、逗子に住む両親と過ごします。

 皆様もどうぞ楽しいお正月をお過ごしくださいね。



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2018年晦日 錦小路界隈

 気がつけばもう12月30日、晦日ですね。

 今年は皆様にはどのような一年でしたか。

 「矢の如し」とはいうものの、辿ってみると、やはり色々な出来事が起こっていて、出会いや別れもあって、それ全て含めて、自分のかけがえのない一期一会の時間なのだと改めて思います。

 私は、今年はコンサートやイベント等、盛りだくさんの年でした。

  『雨の日の物語』
  3夜に渡る『綾音 達人夜話』
  清水寺での座談会『音楽は国境を超える 世界友愛の祈り』の構成・司会
  東福寺での『採薪亭演奏会』
  FM軽井沢への出演
  『デリシャスクリスマス』

 それぞれの様子は随時お知らせしてきましたけれど、どれも貴重な経験となりました。

 暮れに届いた何枚かの喪中欠礼の葉書を眺めながら、・・・・仕事を納め、年賀状を書き、大掃除をし、お節を準備し、・・・・ともあれ、このように繰り返される年の瀬の諸事を、今、健康で普通に迎えていることが、実は何より幸せなのだとしみじみ思います。

 そんな12月30日。
 我が家は、京の台所・錦小路のすぐ近く、買い出しの人達で大賑わいの様子を写真に収めてみました。

   12月30日 朝5時30分 
いつも早起きの私、今朝も5時起床で、郵便を出しついでの朝の散歩に出かけました。
月と明星
 雪がちらつく未明の空に、くっきりと浮かぶ月と明けの明星です。
 冴えた美しい煌めきの星ですが、写真からおわかりになるでしょうか。
私と同様に早起きの友人が、時々「今、明けの明星が綺麗に光っています」という写真付きメールを送ってくれて、その度に空を見上げているうちに、私もこの明けの明星=金星が、殊の外好きになってきました。
朝のパン屋さん1
 郵便局本局までの道すがら。
 まだ5時半なのにもう立ち働いているパン屋さんです。
 お店の外まで良い香りが漂ってきました。
 お洒落なレストランが併設されていてフランス風の店ですね。

錦市場周辺は皆早起き。早朝から働いている方たちがたくさんいます。
スターバックスの女性店員さん。てきぱきとした身のこなしに晦日の気合が感じられました。
   スターバックス    朝の大丸
 大丸デパートの駐車場にも次々と業者の大きなトラックが品物の搬入に入庫します。
錦夜明け

錦市場の入り口。まだひっそりとしています。
そろそろ空が白みかけてきました。
魚屋さん朝

いち早くシャッターを開けたお店は魚屋さんとお餅屋さんでした。
今日はどれくらい売れるのでしょう。きっと戦場のように忙しい一日になるのでしょうね。
錦雑踏

   12月30日 昼下がり14時
お買い物に出てみました。
朝とは打って変わった大変な賑わいです。


漬物屋


錦市場にはお漬物屋さんがたくさんあるのですが、お正月の旬は勿論千枚漬けです。

それぞれにご贔屓の味があるのでしょう。どのお店も賑わっていました。

魚屋さんとお餅屋さん。
魚や 餅や

正月飾り
 私のいつも買うお正月飾りのお店はここです。
 一家で営んでいるようで、息もぴったりです。
 顔なじみのおばあさんが、元気に店に立っていました。
 「今年も終わるねえ」と陽気な笑顔。

 「八百一」というマーケットの入口には、大きな松飾りが飾られて、お正月到来を今や遅しと待っているようでした。
正月準備
 今年も、皆様から温かく応援して頂き、お陰様で充実して過ごすことができました。 本当に有難うございました。
 どうぞ来年もよろしくお願い申し上げます。


 元旦は少しは寒さが和らぐようです。
 お風邪を引かないようにお気をつけて良い新年をお迎え下さいね。


 

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小さな秋の便り

   京都の秋
 深まる季節、この時期の京都は清澄な秋の風情に包まれ、古都の矜持が漂っているような気がします。

 明日24日は十五夜、知人に誘われて嵯峨本願寺でのお月見コンサートに行って参ります。
 演目は声明、合唱、シャンソンの三部立てで、日暮れから音楽を楽しみながら、お寺が振る舞って下さるお月見団子とお茶を頂き、月を愛でるという会で、とても楽しみです。
 嵯峨嵐山の古刹でのお月見、写真が上手く撮れましたら、また改めてご報告致しますね。

 実は、昨日もいつものメンバーとの十三夜のお月見の宴があり、参加したいと思っていたのですが、生憎都合がつかず叶いませんでした。

 前にブログでもご紹介したことのある正伝寺での観月の会、宴たけなわの頃に、それぞれが短歌を作り、皆様の前で読み上げるといういささかハードルの高い宴なのですが、昨日出席した友人から、速報メールが届き、「こんな歌を詠みました」と出来立てほやほやの作歌が送られてきました。
 メール通信もこうなると何だかとても優雅で、<ここは京都>としみじみと感じてしまいます。

 正伝寺に限らず、京都にいるとこの時期、様々な寺社などでの観月の会にお誘いを受けることが多いのですが、<月への憧憬>という、宗教心に満ちた雅やかな文化をずっと大事に生活の中に生かし続けていることを肌で実感します。
 近年、薄れつつある様々な日本の年中行事ですが、<自然への畏敬>と密接に結びついて行われてきたのでしょうし、花鳥風月に心を止め、季節にふと留まる日本人のこだわりを、生活の中で私も柔らかく受け止めて、持ち続けていけたらと思うのです。

 花より団子。
仙太郎お月見団子
 京都の人が並んで買うこの時期の人気スイーツはお月見団子です。
 写真は、大好きな和菓子屋さん「仙太郎」のWEBから転載させて頂きましたが、白いお餅は満月、餡は月を囲む空と雲を模しているとのこと、私も今年も列に並んだ一人です。

 そして、昨日は時代祭り、こちらも残念ながら、見ることが出来ませんでしたが。
約二千人が参加するという時代行列は、明治維新から始まり、時代を遡って平安朝まで約千年間の変遷が再現されてゆきます。
 勇壮でそして雅やかな、各時代を再現する衣装に身を包んだ人々の長い長い行列が大路を荘重に歩み進むのです。
  時代祭(京都新聞)
                        (時代祭2018:京都新聞より)
 それをただじっと眺めていることに、最初は少々戸惑い、退屈になってくるのですが、それでもこらえ、見続けていると、やがてそれに慣れてきて、時を忘れるぼんやりとした快い酩酊感に包まれます。

 思えば京都のお祭りは葵祭りも祇園祭りも皆、行列がゆっくりゆっくり通り過ぎてゆくのをただひたすら見ているというもの・・・・阿波踊りのような観客参加型のお祭りが大好きな人には、気が狂うほど緩慢なのではと思いますが、でも、きっとそれこそが古都たる所以で、この時間の流れを心地よく感じられてくる不思議が京都の魔力なのかしら、なんていつも思っています。

 今朝の新聞で読んだのですが、昨日の時代祭りの最中に馬が暴れ出してしまい、怪我人が数名出たのだそうです。
 武士に扮した騎手の持っていた槍が馬の腹にあたったためと報じられていました。この不幸なアクシデントが今後に深刻な影響を与えなければ良いのですが。

   銀座の秋
 一方、巷では、カボチャや魔女のハロウインの飾りがあちこちに溢れています。
 「ハロウイン??」と首を傾げた一昔前から考えると隔世の感がありますね。
 
 世界のいたるところにお祭りはありますし、お祭り好きは人類共通のものという気がしますが、でも他国の祭事をどんどん取り入れて、日本風にいつの間にかアレンジしてしまうのは、さすがあっという間に文明開化を遂げた<換骨奪胎の我が国>と感心するばかりです。
 
 そんなカボチャで溢れる中、先日、銀座に行きました。
 仕事の打ち合わせだったのですが、お昼をという事になって,「ヒガシヤ ギンザ」というお店にご案内頂きました。
 <新しいお茶の愉しみ方>をコンセプトに、お洒落にお茶を供するお店、和食のランチコースもあって、器一つ一つ、提供するタイミングなども行き届いていて、ゆったりとした美味しい時間を堪能しました。
 最後のデザートタイムに『どのお茶を召し上がりますか』と持ってきてくれたのがこの籠です。
ヒガシヤのお茶
 秋ならではの玄米、五穀、柿、銀杏・・・様々なブレンド茶の原材料が籠に盛られていて、とてもお洒落でした。
実った稲穂と丸々とした柿が<秋の恵み>を楽しく感じさせてくれます。
 お店の若い女性は可愛らしくて説明も心がこもっていたので、思わず話が弾みました。
 持っていたコンサートパンフレットを勢いに任せて彼女に進呈して、記念に一枚。
柿のフレーバーティー
 私が注文した「柿のフルーツティー」がこちらです。

 こうして写真をUPすることも「喜んで」と快諾して下さいました。
 こんな一期一会の小さなご縁にほっとするひと時です。

 後半の打ち合わせは場所を変え、カフェで。
カフェにて
 カフェに向かう道すがら、たまたまある知人の事を話題にしていたらその瞬間、ばったりとその方と遭遇してびっくり。
 勿論ただの偶然なのですが、偶然もまたご縁、心が和みました。
モンブラン
 『ここのカフェのモンブラン、銀座でも美味しいって有名なんですよ』と勧められ、それではと頂いてみたのですが、和栗が上品な甘さでとても美味しい秋の味、仕事にも食べ物にも素敵なセンスを持った友人と一緒の充実した一日でした。 


 取り留めなく綴ってみた私の10月です。


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新年を寿ぐ ~二通の封書~

 1月8日、今朝は、しめ縄、正月飾りなど外しました。
 年賀状も一段落して、段々と日常が戻ってきますね。

 ふと気づくと、コンサートまで一週間を切っています。
 気合を入れ直して、またまた臨戦態勢に突入。

 筋力も声も一日訓練を怠ると、その分弛緩していくと、よく言われますが、お正月を免罪符にして過ごした私には、身に染みる言葉です。
 自戒と自浄への想いを持って、気を引き締めて過ごしてゆかなければ。

 お年賀状の中に、何通か封書がありました。
 その中から二通、その一部をご紹介したいと思います。
 共に美しい自筆のお手紙で、心に深く残りました。

   その一 手漉き和紙に記された『宝袋の口上』
 年末に親しい知人から素敵なプレゼントが届きました。

 永年の学究生活に一区切りを付けられ、現在、自然の中で悠々自適の生活を謳歌していらっしゃる尊敬する先輩。

 大きな袋一杯に詰まった六つの贈り物の添え状に「六福」とありました。
 ご自身で作られた手漉きの和紙にインクの文字で、それぞれの品物の「口上」がユーモアを交えて記されていました。

  ご自宅の栗の実の渋皮煮。
 大きく立派な栗が柔らかくほんのりと上品な甘味と共に口に広がりました。

  形の良い、見るからに美味しそうな干し柿。
 昔、田舎の大叔母が軒先に吊るしていた干し柿の懐かしい思い出が蘇ります。
大叔母が作ってくれる干し柿が一番美味しいと信じて疑わなかった子供の頃のあの味ととても良く似ていました。

  喉の為、風邪予防の為と、贈って下さった生姜湯。

  ご自身の畑で丹精込めて収穫したニンニク。

  ・・・・etc・・・ etc・・・

 「七福神、七番目の福は新しい年になったら届きます!」

 <福は続いてゆく>という洒脱で温かい言葉でした。

 年末にお出ししたお礼状への再びのご返信=新年の封書には次のような言葉がありました。

 「私は季節の折々毎にそれを感じ取れる事々を、それは毎年くり返されることではありますが大切にしようと思っています。」


   その二 『発酵の歳月』 ~ブログが結んでくれた素敵な邂逅~ 
 元々はこのブログでご縁が結ばれた方なのですが。
 ご自身もシャンソンをお歌いになっていらっしゃって、偶然、私のブログをお読みになり、コンサートにいらして下さったのがきっかけでした。

 お手紙の典雅な文字と、情感のこもった、そして歌への真っ直ぐな想いが伝わってくる素敵な文章に心を打たれて、折に触れてお便りを交わす間柄になりました。

 しばらく体調を崩していらっしゃったとのこと、とても心配です。
 早くご本復なさいますように。

 肝胆相照らし、いつしか音楽や歌について想いを交わし合っているのですが、私が「歌うことには発酵の歳月が必要」と記したことに対してのお返事が新春のお便りに寄せて届きました。
 こんな風に記して下さったお手紙、訳詞について、音楽について共感し考えるところが沢山ありましたので、その一部分だけでもご紹介させて頂こうと思います。

   ・・・・・・・
 お手紙に「歌うことには発酵の歳月が必要である」とありましたが本当にそう思います。

 ただ歌うだけではなく、その楽曲を表現するという点においては熟成させる時間が確かにとても大切なのではと思います。それではどうやって熟成させて行ったらよいのか、考えるととても悩みます。
 詞を読み込むこと、原曲を繰り返し聴くこと、そして人様の前で歌うこと、他にもまだあるのでしょうね。

 そして、同じ曲でも若い方と年輪を重ねた方が歌う場合(同一の歌詞で)時々違和感を覚えることもあります。

 歌いたいなと思っても、あまりに若い感覚の歌詞だと何だか無理しているみたいで。自然に聞き手に届けられる日本語詞があればと・・・。
 いつの時代でも、変わりないことや人生の歌が好きなのは年齢に関係なく歌えるからでしょうか。

 作詞者、作曲者、そして訳詞者に思いを寄せながら、自分の人生をくぐらして、その歌を表現するということなのでしょうか。

 自分の人生の中で、発酵させ熟成させてゆく作業は永遠に続くのかもしれません。
     ・・・・・・・・

 歌うということのご自身にとっての意味をいつも真摯に見つめて、そして、言葉を大切に歌うことを心にしっかりと受け止めていらっしゃる、そういう観点から、私の訳詞創りの意味にも深い理解を示して下さることに、勇気付けられ、強い感銘を受けます。
 発酵させ、熟成させ続けてゆくということは、実は歌うことだけに留まらず、誰にとっても、生きてゆくことそのものに関わる本質的な命題でもあるのでしょうね。

 こうした日々の中で、素敵な方々と出会うことが出来ることに心から感謝しますし、それにお応えできるように、しっかり励んでいかなければと改めて思います。

 新年の幕開けの素敵なお便りを今日はご紹介してみました。



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2018年 今年も素敵な年になりますように

 新年、明けましておめでとうございます。
 
 どのような元旦をお迎えになられましたか。
 皆様にとりまして、健康で幸せな一年となりますように。
  2018年賀状
 私の今年の年賀状には、コンサートの予定をお知らせしました。
 1月半ばから早速スタートします。
 今まで自主企画が殆どでしたが、今年は招待公演が重なっています。
 今までとは違う新しい場、新しい出会いの中で、また新たな経験を積んでいくことが出来るのではと楽しみでなりません。
 挑戦ではありますが、肩ひじを張らずに、このイラストの女性みたいに、心も体もキュートに装い、軽やかに歩いていく心意気で!

 カレンダーが掛け替えられるように、一年の初めの節目を心に一杯に感じて、きりっと、上機嫌で進んで行けたら良いですね。
 新年は、そんな希望を湧きあがらせてくれます。

 そして、素敵な音楽を発掘して、心に沁み入る詩をもっともっと生み出してゆきたいと思います。
 どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

   <追記1> 朝焼け
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 自宅のベランダから。
 ビルの谷間越しに鮮やかなオレンジ色に染まった元旦の空。
 
 光が眩しく射していました。


   <追記2> 八坂神社
 朝、例年通り、八坂神社に初詣に行きました。
IMG_2314.jpg IMG_2318_201801011048452b6.jpg
 八坂神社は芸能の神様、一目で祇園の舞妓さん見習中とわかるあどけない少女たちが、ほろ酔い加減の参拝客に混ざって、一心に祈っていました。
 シャッターを押すのが憚られたのですが、とても真剣な美しい表情をしていました。
 私も今年の無事を祈って。
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 戌年の為か、心なしか犬を連れた参拝客が多かった気がします。
 
 後ろ姿だけですが、周囲の人たちに注目されて尻尾が揺れていました。


 さてこれから両親の住む逗子に向かいます。
 皆様もどうぞ楽しいお正月をお過ごしくださいね。



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少しだけ文学的に ~川端康成~

   掌編『雨傘』
 師走となりました。早いですね。

 そして、12月16日の「雨の日の物語」までちょうど二週間、かなりハイテンションで過ごしています。

 今回の『雨の日の物語』は「シャンソンと朗読の夕べ」シリーズの三回目となるのですが、初披露の曲を多く取り入れてみました。
 どうしてもご紹介したくて、無謀にも、つい最近作詞とアレンジ譜が出来上がったばかりの曲まで入れてしまったのですが、どうぞお楽しみになさって下さいね。

 そして朗読は、優しい感性が広がってゆくような掌編と詩を選んでみました。
 雨のイメージを柔らかく煙るように伝えられたら、色々な雨を、聴く方たちの心に降らせることが出来たらなどと思っています。  

 その中の一編、川端康成の『雨傘』

 ある少年と少女が、雨の日に写真館で記念写真を撮るという、それだけの、物語とも言えないくらいの小編で、束の間の感情の流露を捉えた淡い初恋のお話なのですが、文章と、発せられる一語一語が何とも言えず嫋(たお)やかで、川端文学の醍醐味を伝えるしっとりとした艶やかさに溢れている気がします。 
 何気なく朗読をしていても、仄かで隠微なエロティシズムのようなものをふっと感じて、読み込むほどにドキッとしてしまいます。
掌の小説
 川端氏の作品の真骨頂は、耽美的で、生々しい危うい世界そのものなのかもしれないなどとも思いました。 
川端康成
 小説の具体的な内容は今は明かしませんが、よろしかったら、この掌編が収められている『掌の小説』をお読みになってみて下さい。

今日は川端康成氏にまつわるお話しを少ししてみたいと思います。

   逗子の海
 私の実家は逗子、家から5分位で海に出ることが出来ます。
 久しぶりに海岸を散歩してみました。
 春霞がかかっているような茫洋とした海の光景です。
 誰もいない初冬の海岸。向こうに稲村ケ崎、江の島。富士山は霞んでいます。
江の島 ウインドサーフィン 流木
打ち上げられた流木。そして静かに寄せる波頭。ヨット。

逗子マリーナ
 夏の名残りのサーフボードが砂浜の景色に溶け込んでいます。
 材木座から小坪浜、左側に逗子マリーナが見えます。

 子供の頃から毎日のように海岸を散歩していました。
 季節を映す風、光、空、潮騒、海の香り。
小坪ワカメ
 幼い頃の小坪浜は、本当に鄙びた漁村で、2月頃になると、ワカメ取りが始まるのですが、海岸に、一斉に作業小屋が立ち並び、大きな茹で釜でワカメを茹で上げ、それを洗濯物を干すように、ロープを張り、洗濯ばさみで挟んで砂浜いっぱいに天日干しする、その情景は圧巻でした。
 いつの間にかその数もまばらとなったそんな情景。
 浜辺に広がる強烈な海藻の香りが冬の風物詩そのもので、私の中の原風景でもあります。

 向こうに見える逗子マリーナは実は川端康成氏が亡くなった場所でもあるのです。

 川端氏は鎌倉に住んでいて、名士中の名士でしたから、訃報に地元は衝撃を受けました。私も子供心にショックだったことを思い出します。

 川端氏の家に出入りしていたお魚屋さんや八百屋さんが、我が家にも御用聞きに来ていましたので、その生活ぶりなどを母は自然に耳にすることも多く、私たち家族ですら、どこかで親しみを持っていたためかもしれません。

 朗読に、『雨傘』を取り上げるにあたり、他の小説も集中して読み返しているので、突然この海辺の風景に、そんな昔のことが蘇ってきました。
 
 
   江ノ電での邂逅
 邂逅と言っても一方的な思いなのですが。
 川端氏の家は長谷にありました。
江ノ電
 江ノ電=江の島電鉄は今は観光のスポットにもなって人気ですが、鎌倉と藤沢を繋ぐ、二両編成の路面電車です。
 長谷は鎌倉寄りの江ノ電の駅、実は私、2回ほど江ノ電の中で川端氏に会ったことがあるのです。

 最初は2月だったでしょうか。夕暮れ時、海が鴇(とき)色に染まっていました。
 部活か何かの帰りらしく男子学生たちが沢山乗り合わせて、賑やかな話し声が響いていました。
 江ノ電と夕焼け
 満員の車両に長谷駅から川端氏が乗り込んできました。
 よく写真で見かける通りの和服の着こなしでステッキを携え、確か防寒のコートを羽織っておられたかと思います。

 小柄な方だったのですが、でも、車両は瞬時で、水を打ったように静まりました。
 川端氏と皆が気づいたのかどうか、・・・でも眼光が異様とも言うほど鋭くて、真っ直ぐにすべてを透すような眼差しに独特のオーラが溢れていました。
 近寄りがたい、冒すべからざる威光というか、そういう凄さだったのかもしれません。
 席に座っていた男子学生たちは物も言わず一斉に立ち上がり、後ずさりした不思議な瞬間でした。
 川端氏は、黙って何事もないように静かに片隅の席に腰かけました。
 長谷から鎌倉までの、10分ほどのあの時間の静謐な空気を今でも忘れません。
 
 私は・・・幼い頃から本の虫でしたから、既に川端氏の作品も読んでいましたので、本の見開きページで目にしていた作家が、本当に目の前にいることに大感激で、固唾を呑んで見入っていました。
 圧倒される威厳は感じましたが、怖いとは思いませんでした。
 むしろ何故か、寂しい感じが漂っていると思いました。あの感覚は何だったのかと今でも思います。

 それから偶然なのですが、やはり江ノ電でもう一度同じような場面に遭遇し、その数日後(4月だったと思います)に、訃報を聞いたのです。

 ですので、私にはいつまでも、川端氏は寂しさの中にいる人というイメージがあり、川端文学もそんなフィルター越しに読んできた気がするのです。

   伊豆の踊子 ~天城の旅~
 代表作の「伊豆の踊子」も好きな作品です。
 作品の足跡を訪ねて、天城越えをする文学散歩をこれまで数知れず行ってきました。
 嘗て教鞭を執っていた頃、長きにわたり文芸部の顧問をしていましたので、生徒たちを伴って、川端文学を訪ねる軌跡を辿ったその一環でした。
伊豆の踊子像
 天城山を越える旅、4時間余り、かなり急な山道ですので、今でしたら、きつく感じるかもしれません。
 旅するときは、いつも新年度に入る前の3月末、春休み。
 山裾に雪の名残りが残っている頃、でも木々の芽はほころび始めて、枯れ枝も薄赤く色づき、天城峠の冷気が心地よく感じられる美しい季節でした。

 主人公は、下田までの道を旅芸人一座と同行するのですが、その時、年端もいかない踊り子が、彼の事を噂します。
 この場面の文章が私はとても好きなのです。

   しばらく低い声がつづいてから踊り子の言うのが聞こえた。
   「いい人ね。」
   「それはそう、いい人らしい。」
   「本当にいい人ね。いい人はいいね。」
   この物言いは単純であけっぱなしなひびきを持っていた。感情のかたむきをぽいと幼くなげだして見せた声だった。わたし自身にも自分をいい人だとすなおに感じることができた。晴れ晴れと目を上げ明るい山々をながめた。

 川端康成への所感を、今日は取り留めなく綴ってみました。




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