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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

春うらら 桜素描

 名残りの花吹雪が足元を埋め尽くしていますが、やはり桜の季節は格別ですね。

   桜咲く頃に
桜の便り 
今年の桜。
 こんな素敵な写真に「来年、桜が咲く頃、お会いしましょう」と一言添えられた言葉。
 遠方で滅多に会えない友人からの花便りは格別。温かい思いがこみ上げてきました。

   「をみなごに花びらながれ」
 数年前に「をみなごに花びらながれ」というタイトルでコンサートを開催したことがあります。
 この時の朗読は、坂口安吾の『桜の森の満開の下』 
をみなごに花びらながれちらし そして
 「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる! これは信じていいことなんだよ。なぜつて、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。」 
 この文章から始まる、梶井基次郎の『桜の樹の下には』
 桜の季節になると、この二編の小説を思い出します。
 二作とも、中学生の頃初めて読んだのですが、その時の印象が強烈過ぎで、今でも、満開の桜の下に本当に死体が埋まっていたり、鬼が襲いかかってくるような気がして、どこか怖しく、まして夜桜見物などはドキドキしてくるのであまり得意ではありません。
 そんな凄みのある桜の風情ですが、時を経る毎に、より強く心に刻まれてきて、いつかまた「をみなごに花びらながれ」を再演できたらと思ったりしています。

   春かんざし
 「祇園四条」駅から徒歩5分、「かぎ甚」という小さな和菓子屋さんがあります。
 私はここの「うば玉」というお菓子が大好きなのですが、沖縄の黒糖の風味が際立っていて、独特のコクがあるのです。
 このお店で先日季節限定の「春かんざし」という名前のお団子を買い求めました。祇園に住んでいる友人に聞いていたのですが、見つけた時はあっこれだ!とちょっと感激でした。
春かんざし よもぎの緑、ゆりねの白、黒糖あんの黒をこんな串で刺してあります。
 かんざしの玉にみたてた赤い飾りがいかにも舞妓さんの可憐なかんざしのようでさすが祇園の和菓子屋さん!
 柔和な表情の店主のおじいちゃまに、このお団子はいつまで扱っているのですかとお尋ねすると、「いつも桜が散ると、終いにしてます」というお返事。
 しかも、一日に少しだけしか作らないらしく、すぐ売り切れてしまうようです。季節と共に和菓子を作る時計はゆったりと動いているのでしょうか。
 何とも素敵な言葉だと。
 「春かんざし」はまた来年のお楽しみですね。

   都をどり
 ふとしたご縁で知り合った芸妓さんの影響で、この数年、欠かさず都をどりを観劇しています。都をどりは今年も祇園甲部歌舞練場で4月1日~30日の一か月間、一日三回公演されています。
    歌舞練場
 オーバーツーリズムはまさに地元にとっての大問題!と頷けるほどに歌舞練場への道は外国人の旅行者で大渋滞です。
 歌舞練場に続く花見小路を入ると、都をどりのポスターがあちこちに貼られ、提灯が軒先に吊るされて、都をどり一色に彩られています。
花見小路2 花見小路3
 ちなみに、京都は五花街(上七軒、祇園東、祇園甲部、先斗町、宮川町)によって提灯の模様が異なるそうで、祇園甲部のこの意匠はつなぎ団子と称され、今も花街の艶やかさを演出しています。

 都をどり、今年は明治5年創始から数えて150回目を迎える記念の年、大河ドラマの「光る君へ」と連動するかのように、『源氏物語舞扇』と銘打った演目でとても華やかに行われました。夕顔 葵上 須磨明石・・・源氏物語から印象的な場面をいくつか切り取って構成されています。
都をどり上手 舞台の上手では黒紋付姿の芸妓さんたちが「都をどりは」という呼び出しの声をきっかけにして三味線・唄を華やかに奏でます。
都をどり下手 下手では総をどり姿の初々しい表情の舞妓さんたちが笛や太鼓などの鳴り物を奏でます。(上演中の写真撮影は禁止されています。この写真は甲部歌舞練場のWEB写真から抜粋させて頂きました)
 さて、ここでちょっと自慢話です。
 今回の出し物のメインとも言える「第五景 須磨 明石」
 この中で登場する光源氏が何と言っても今回の都をどり全幕の主人公で、トップスターとも言える存在ではと思うのですが、私の知り合いの芸妓さんは何と光源氏を務めているのです。
 ステージの真ん中で、光の君が乗り移ったかのように流麗に舞い演じていてうっとりと目を奪われました。
 ステージに立つに至るまでの大変な精進をもれ聞いていますので、まるで身内が頑張っているような誇らしい気分で拍手喝采でした。
 うら若き舞妓さんたちの一生懸命さも清々しいですし、伝統文化の継承を応援する意味でも、4月30日までまだ間に合いますので、是非一度いらしてみてください。

   鎮花祭
 先日テレビで、奈良の大神(おおみわ)神社で行われた「鎮花祭」の様子を放映していました。
 春の花びらが散る時に疫神が分散して流行病を起こすために、これを収めるための神事が大神神社と狭井(さい)神社で行われてきたという事です。
 この祭儀は既に『大宝律令』(701年)に、国家の祭祀として行うことが定められていたとあります。
 疫病除けの祭典として二千年もの間、脈々と引き継がれ今に至ることに驚きを覚えます。
鎮花祭 現在も、薬草の忍冬(すいかずら)と百合根が供えられ、祭典には奈良・大阪・京都を始め全国の製薬業者や医療関係者が多数参列すると報じていました。
 先ほどご紹介した「桜の樹の下」ではありませんが、古来より春、花が散る季節にはこれから暖かくなり、食中毒などの疫神が忍び寄ると考えられてきたのですね。
鬼にとりつかれてはいけませんので、花びらの舞う季節にはくれぐれもご用心ください。

   ゲーテ座 葉桜と花々
 一週間ほど前、横浜山手ゲーテ座に打ち合わせに行ってきました。
 6月の「そして 風に訊いた」コンサートの準備もいよいよ大詰めです。
春のゲーテ座 今回も面白い充実した内容になりそうですので、是非ご期待ください。
京都、横浜両会場のチケットのお申し込みも現在受け付け中です。
 席数のこともありますので、皆様、どうぞお早めにお申し込み下さい。
 ゲーテ座ホールの玄関へのアプローチに植えられている桜は、少しだけ花を残して葉桜へと変わっていました。
そして近接する公園には咲き乱れる春の花々が。
 この日、打ち合わせに同行した友人がこんな楽しい写真を送ってくれました。

そして、もうすぐ5月。
薫風に吹かれ、颯爽と快い季節を堪能したいですね。


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掃除~心を磨く~

 2024年、令和6年がスタートしました。
 今年もよろしくお願い致します。
 地震、航空機事故と悲惨なニュースが続いて心痛む年明けとなってしまいました。
 まずは大変な被害にあわれた皆様とそして今も過酷な避難生活を余儀なくされている多くの方々に心からお見舞いを申し上げます。
 一刻も早く復旧が遂げられて、平安な日々が戻ってくることを願うばかりです。

 さて、今日はテレビ番組のお話をしようかと思います。
 昨年の暮れにNHK BSで放映された「スピリチュアルジャパン 掃除~心を磨く~」という番組が心に残りました。
 一時、話題になっていたサッカーワールドカップ試合後の日本人サポーターの掃除の話題。これに不思議さを感じたイタリア人のアンドレアという青年がこの番組の案内役を務めます。

 日本在住のアンドレア、近くの神社の境内を毎朝、一般の人たちまで加わって丹念に掃き清めている情景に彼はまず興味を持ちます。
 毎日こんなに丁寧に掃除をするのは大変ではないのかと神主さんに問うのですが、「神の住まいする神域であるから心を込めて綺麗にしたいと思って行っているのであり、一般の方たちも同じ気持ちで、自らの心も掃き清める意味合いで、自主的に集まってきているのだと思う。」と答えます。
 これを聞いているうちに、彼は日本人にとって掃除とは何か、それはイタリア人である自分がこれまで思ってもみなかったことなのではないか、と考え始めます。

   放課後の掃除
 ここから、二つの場所をレポートすることになるのですが、まず初めは学校中で積極的に掃除に取り組んでいるという長野県立豊野中学校です。
 週4回、放課後の15分間、学校の至る所を生徒たちが掃除するということです。
 でも、これはさほど珍しいことでもないと思ってしまいました。
 昔とはいえ、自分自身も生徒だった時、普通にやっていましたし、私が教職についていた時もやはり同じように生徒が掃除をし、私も共に手伝いながらその監督をしていたものでした。特別な事ではない・・・と最初は思いました。
 けれど、この学校の生徒たちの気合いは大したもので、映像が進むにつれ、その清々しい気概に思わず見入ってしまいました。
 掃除をする前には、まず身支度から。手拭いで女の子も男の子も姉さんかぶりをきりっとして、円陣を構え、その中で「隅から隅まで綺麗にするぞ」という今日の目標を班長らしき生徒が代表で語り、そしてしばらくの黙想。・・・・・こうすると心が落ち着いてさあ頑張ろうという気構えができるのだそうです。
 テレビはそれを見守るアンドレアと共に、その小気味の良い掃除っぷりを映し出していました。
 無駄のない箒の使い方、固く絞った雑巾をリズミカルに動かす拭き掃除の丹念さ、廊下の隅々、ドアのさん、階段の手すりに至るまで、軽やかに、おしゃべりもせず黙々と掃除し続けます。

 アンドレアも感服した表情で見入っていましたが、私もあまりの甲斐甲斐しさにすっかり感動してしまいました。
 「役割分担をあらかじめ決めているのですか」とのアンドレアの質問に、担任の先生は、「特に決めてはいませんが、各自が全体を見渡して、ここがまだだと思う所を見つけて率先してやっているようです」と答えておられました。
 更に、掃除をしている生徒たちへの彼からの質問が続きます。
 「毎日こういう掃除をするのは面倒臭くないのですか?」
 「毎日習慣にしてやり切る、という考え方が勉強やその他のことにも役立っていると思うから嫌ではないです」
 「15分しかない時間の中でどれだけ綺麗にすることに集中できたか、集中力を養って生活に生かしてゆけるから自分にプラスになっています」
 「心を込めて掃除ができるのってかっこいいです。」

 「勉強ができるできないは関係なく、一生懸命やって頑張る生徒に育っていることがうれしい」との先生の言葉に、アンドレアは「日本の教育って本当にすごい。イタリアではこんな風に子供たちが自ら教室を掃除をすることなどは全くないし、掃除に対するこういう考えは日本だけのものだと思う」とひたすら感心。
 そう言えば前に、日本の学校の掃除が今世界で注目されているというニュースを見たことがありました。
 確か、エジプトの教育者たちも日本の学校を視察しに来て驚嘆したことがあり、その結果、現在エジプトの学校では日本風の掃除を取り入れて実践し、その結果、学力においても躾や生活習慣についても著しい成果を上げ始めているということでした。

   禅の教え 和尚様の言葉
 続いてアンドレアはもう一つの場所に向かいます。
 東京にある禅寺、観音寺。和尚様に掃除とは何なのかとまず問います。
 掃除は禅の教えで、自分を高める修行なのだとの答え。
 彼が、では、禅寺の掃除の極意を教えて欲しいと乞うと、「「座禅」は静の修行、「掃除」は動の修行」なので、まずは座禅の後で掃除を行おうという事になります。
 曰く。「座禅はただ座っているだけだが、でもそれこそが難しく、じっと座るというのは自我を忘れ自然体に戻る事に他ならない。」

 アンドレアの座禅の時が続き、やがて太鼓の音が聞こえてきました。
 これは掃除の時刻を告げる合図で、この太鼓の音と共に、これまで彼と共に、じっと黙し座禅していた僧たちが、やおら箒や雑巾を携え、掃除に取り掛かります。変わらぬ静寂の中で各自黙々と動き続けます。
 学校での掃除と全く同じ。
 生徒たちのあの黙想の時間は、まさに座禅そのものだったのでしょう。

 和尚様は更にトイレ掃除の大切さを語り始めました。
 「隠徳を積む」と言って、「人間はとかく表を好み影の部分を大切にしようとしない。でも実はその努力こそが大切なのだ。そうすることによって初めて表の部分も綺麗になってくる。
 そういうバランスの良い修行を体得することが「隠徳」を積むことに他ならない。」

 部屋の掃き掃除は畳の目に添ってリズミカルに。拭き掃除は腰をかがめて一気に、畳のヘリでは一回一回手を止めて。
 アンドレアには、それが空手や柔道にも見えてきたと言います。
 和尚様曰く。「威儀即仏法 作法是宗旨」・・・・先人の考えたバランスの良い自然な姿を学ぶことが威儀。それが身に着けば無駄のない良い生活が基本になる。そのように一日一日を生きる姿勢が大事なのだと説いておられました。

 そして次には外掃除の極意に。
 落葉もちゃんと掃き清めれば、その後には雑草の姿が出てきて、雑草すらも輝いてくる。そして雑草も絵になるのだ。
 皆それぞれが生きているのだから生きているものを生かしてあげないといけない。そうやって掃除をすると庭もまた温かい庭になる。
 我々の行いが温かい場所を作る。掃除はお互いが良い姿を見合っているということではないか。

 この番組の締めくくりに語られるアンドレアの考察は以下のようです。

 「掃除は日本の文化と密接につながっていて、周囲の環境や他の人への敬意に満ちています。私は掃除をしているときに心に平和を見つけたように感じました。
 この平和は他の人々への思いやりの気持ちを意味しています。
 この心の優しさは強い平和の希求に繋がっていくと思います。もし誰もが掃除の真の意味を学ぶならもっと平和な世界となるでしょう。」


 日本人としてとても誇らしいです。
 そして、この番組、新年にあたって、心に刻んでゆくべきことを多く含んでいるように感じました。
 横着の中で流されてしまわず、日々自分の身を正してゆくことの大切さと、そして平和の対極にあるような昨今の世界情勢の中で、自分たちの身の回りから良きものを見失わず発信する眼差しを持ち続けることの大切さを思う今年の幕開けです。



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シンプルに

 京都の紅葉もようやく見ごろになりました。
 でも、余りにも観光客が多すぎて、紅葉の見どころからは足が遠のいてしまいます。
朝の散歩1
 鴨川べりの早朝散歩はほぼ毎日続いているのですが、川風を受けながら風景の中で日々色づいてくる木々の風情を目にすることが、私には何よりの紅葉狩り、心豊かになるひとときです。

12月2日の京都ナムホールでのコンサートがあと3日後に迫ってきました。
 お陰様で満員御礼となり、諸々の準備も整いましたので、後はゆっくりと当日を待つばかりです。
 このところ何だかとても慌ただしい毎日だったのですが、あまり考え過ぎずただ粛々と過ごしでいたら、却って色々はかどって、むしろいつもより今はのんびりとした心持ちになっています。

 そうは言っても、近づくにつれコンサートへの緊張はもちろん増しているのですが、でも直前のこの時期になると、日常的でささやかな事ばかりが心に浮かんでくるものなのですね。
 ともかくアクシデントが起こらず、無事静かに当日が迎えられますように、お天気が・・・きっと良いだろうけれど・・・いつも通り晴れて、皆様が全員元気で楽しくいらっしゃれますように・・と思いながら毎日お天気チェックをしたり。
 コンサート前、エネルギーを充電しておかないといけないから、やはり前日はボリュームのある食事をしておこうか、それとも消化の良いもので軽く済ました方が良いか、等々。

 直前まで全力で猛特訓に励み過ぎたアスリートが、却って本番でバランスを崩してしまう、私もそんな失敗が以前には多かったのですが、いつの間にかこんな風になってきたみたいです。

 けれど、平常心と言っても全く淡々としていたのではステージは成り立たず、ハレの日には通用しませんし、かといって意気込み過ぎてもそれが裏目に出てしまいますので、本当に難しいものだと思います。
 そして更には、コンサートを迎えるにあたっての、心がヒリヒリするようなそんな経験が、次回に生きるのかというとそうでもなく・・・結局一回一回が初めて遭遇する未知のことなのかもしれません。

 これはもしかしたら、コンサートに限らず、何かに向かう時のすべてに言えることなのだとも思われてきます。
朝の散歩3

 到達し得ない目標かもしれませんが、
 自然体で、出来ることを、余計な不安や邪心を棄てて虚心になって行う。
 温かく優しい気持ちをたくさん持って、やるべきことを一生懸命やる。
 そんな姿勢が自分の身についてくれば、本当の意味でシンプルに生きられるのかと。

 人間関係も日々の生活もそうありたいと、散歩をしながら、ふとそんなことを思いました。

 土曜日のコンサート、良いご報告ができるように、シンプルに、ベストを尽くせたらと思います。




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新幹線チケット窓口にて

 薫風吹き抜ける五月を楽しんでいるうちに、いつの間にか梅雨が近づく気配を感じる頃となりました。
 せっかくの桜と青葉の4月、5月を、私は重度の花粉と黄砂アレルギーに呻いておりました。が、ようやく復活です。
 来年6月に開催予定の「月の庭」コンサートの前、12月に少し趣向を変えて、朗読中心のコンサートも開催しようかと目論み始めました。
 また、詳細は改めてお知らせしたいと思います。

 さて、活動再開し、先日、京都から東京に向かう朝、新幹線のチケット売り場の窓口でちょっと面白い光景に出くわしました。

   横並び席
 朝7時なので、まだ空いているのではと思いつつ、予約チケットの受け取りに新幹線の窓口へと向かいました。
 予想外の長蛇の列に、まずびっくりです。
 コロナの規制が解かれてから、京都は観光客も急増し、どこも人で溢れ返っているのですが、早朝から通路にはみ出るほどの行列に本当に驚きました。
 半数以上が外国人の方たちで、海外からの観光客が戻ってきていると言われることも改めて納得。
 一方、朝のためか、四か所ある窓口のうち、まだ二か所しか開いておらず、皆、辛抱強く、次に進むのを待っていました。
 一方はベテランぽい女性の係員、もう一方はまだ入りたてのような青年の係員で、二人とも一生懸命応対していました。

 ふと気が付くと、青年の係員の窓口には、初老の外国人の女性がいつまでも立ったまま、全く動かないのです。
 少し肌が浅黒いエキゾチックな顔立ちの方でしたが、何しろ声が大きいので、何人か後ろに並んでいた私にも話の内容が全て聞こえてきました。
 品川まで二人で乗車するのだが、並び席の座席指定券を希望しているとのこと、号車と席まで指定するのですが、係員の青年は、希望の席はもちろんの事、どの車両ももうすでに満席に近く、並び席は指定の新幹線には全くないと説明していました。
 女性は日本語が全く分からないようでした。ただひたすら自分の希望を訴えています。それに対して係員の青年はあまり英語が得意ではなさそうで、発車ボードを指さしながら手振り身振りを交えて必死で説得にかかっていました。

 女性:「そんなはずはないでしょう?他の車両でも良いからもっとよく探して!」
 係員:「本当に一つもないのです。○○号車なら列は違いますが同じ車両で二席取れます」

 とついには紙に座席図まで描き出す始末。

 ようやく、この便では無理と理解したらしく、では「次の便ではどうか?しっかり探して。」とのオファー。
 青年は、それでも根気強く、
 「かしこまりました。少々お待ちください」と日本語で挨拶しながら、また1号車からすべての号車を検索。
 やはりだめだったらしく、丁重に謝りながら釈明をしていました。
 たぶん半分くらいしか女性は理解できないようで、自分が外国人だからきちんと探してくれないのではという不満を漏らし始めました。

 「少々お待ち下さい」と青年は席を立ち、持ってきたのはタブレットでした。
 日本語で呼びかけるとどの国の言語にも翻訳してくれるアプリが入っているようで、タブレットに向って悲痛な声を出し始めました。
 「お客様がご希望の、お二人でお並びになれるお席は、あいにく、この東海道新幹線○○号にはございません」
 タブレットは解読できなかったようで、再び、トライします。

 やはりだめなようで、彼の焦りは益々ひどくなってきます。
 「そんな丁寧な言葉では却って翻訳アプリには通じませんよ」と言ってあげたかったくらいです。
 段々言葉は省略され、「並び席は全くない」という最後の発声でアプリは反応したらしく、彼は沈黙したまま、その画像を女性に向って差し出しました。

 今度は、女性にも通じたようなのですが、でも更に食い下がり、「どの便でも良いから並び席が出てくるまで探して!」と訴えるのでした。

 青年は、他の便を素早く検索した後、今度は何と言われてもタブレットの文字を指で指し示すだけで、そのやり取りが何度となく続き・・・そうしているうちに、もう一つの窓口が空き、私の番がきて、何とか予約した列車に間に合いました。
 自分のチケット購入を済ませてふと横を見ると例の女性はようやく諦めたらしく、すごすごとその場を後にしていました。
どのように納得したのでしょうか。
 青年係員は何事もなかったように「ありがとうございました」とにこやかに声をかけていましたが、気が練れていて大したもの。朝から大変なお仕事なのですね。

 それにしても、なぜあの女性はそんなに並び席にこだわったのでしょうか。
 交渉すればいつか何とかなると信じて頑張ったのか、・・・日本人なら、係員がないと言えばないのだとそのまま受け入れますし、たった2時間位ですから、少し離れた席に座ったとしても仕方ないと簡単に諦めるのではと思います。
 そして何よりも、自分一人が、二つしかない窓口の一つを長時間占領して、そのために長い列を作って皆を待たせているという事は、大変憚られて、普通は妥協するのではと。

   列に並ぶということ
 「日本人は何かにつけて長蛇の列に平気で並ぶが、それはなぜか」というような質問を半ば揶揄を込めて外国から指摘されることがよくあります。
 確かに日本では「行列の出来る店」は美味しい店の代名詞のように言われますし、これは外国ではあまりない感覚かもしれません。

 でも反対に外国では、ホテルのチェックアウトなどの場で、明細書の詳細な説明を延々と求めたりする結果、やはりフロントに長蛇の列を作る情景など目にします。当然の自己主張が最優先されるべきというような思想があるのかもしれないと感じたことが再三ありました。

 「外国」という言葉でひとくくりにはできませんし、人によって皆違うことも言うまでもありませんが、お国柄によって文化や感性の違いがあることを目の当たりにしたようで、興味深く感じたこの日の朝でした。



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2023年、佳き一年となりますように

新年明けましておめでとうございます。
 
 2023元旦
元旦の朝空、紫の雲が立ち、オレンジの光に包み込まれ、心を取られるような気がしてしばらく眺めていました。
 今年も穏やかな元旦の朝を迎えられたことをとても幸せに思います。

 一年の過ぎるのは早いですが、でも留まることなく様々な出来事が日々起こり、少しずつ、あるいはある時は急展開し、人は変わってゆきます。
全ての人に全てのドラマがあって、それぞれが流れ動きながら、同じ時間同じ時代を生きている。
そういう当たり前の事が、実感として感じられるようになって、これが歳を重ねるということなのかしらとしみじみ思うこの頃です。
子供の頃とは時間の経ち方が明らかに違いますし、変わってゆくことの意味も幼い頃はもっとシンプルだった気がします。

月並みな言葉ですが、人は、次の瞬間が保証されているわけではない今この時だけの一期一会の中で生かされている、だからこそ、今を意識し慈しみながら生きることが大切なのでしょう。

この一年、皆様にとって何が待っているのでしょう。
どんな年になるのでしょう。
希望に満ちて歩みを進めていくことのできる年となりますように。
世界の平和と安寧がどうか訪れますように。
そして、そう願うことをいつも忘れないで過ごせますように。

 2023年
「逆境を好転できるしなやかな力を体得したい。まずは心身の健康あってこそ」といういつもの言葉を自分自身への戒めとしたいと思います。

2023年賀状
今年はこんな年賀状です。
 ファッション誌の装幀などで活躍していらっしゃるEllejourさんというイラストレーターの方が昨年夏書いて下さった私のイラストです。
服装などはこの通りなのですが、あまりにもすらりとしたプロポーションに大変身で、何だかとても恐縮してしまいました。そして大いなるプレッシャーも現在感じております!
4月のコンサートのご案内も載せました。
よろしかったら皆様も是非お越しくださいね。もうすでにチケットのお申込み受け付けています。
新春から4月に向けて本格的に準備を進めたいと思います。

皆様、本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。



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ベーコン蜂との遭遇

   木々の光、音
 今年は6月下旬から各地とも異常な猛暑でしたね。
 いっときの京都は、体感温度が40℃を超えるのではと思うほどで、その中で引っ越し荷物の片付けなどしていたら、まさにダウン寸前でした。
 ようやく落ち着き、いつも夏になると訪れる浅間山麓に逃れるようにやってきたのですが、朝晩は羽織り物が必要なほどの涼しさで、今、つかの間の休息を味わっています。
 
 ここでの贅沢は、「何もないこと・何もしないこと」かなって思います。ただ、木々を渡る風の音に耳を澄まし、木漏れ日を浴び。
 ・・・葉擦れの音しかない世界で、静寂が満ちてくるのを感じ、木漏れ日の陰影に心身の再生を感じます。
 もちろん、自然は常に穏やかなわけではなく、叩きつける豪雨だったり、地響きがするような雷鳴だったり、圧倒的な脅威で恫喝されているような気がすることもありますが、それも含めて、人は自然に包まれて生かされていることを実感することはとても大切なことなのでしょう。

 この夏は東京からの友人とこの地で合流しました。
 早朝の散策、語り合い、笑い合い、静けさを満喫し、素朴な地元の食材を堪能し、命の洗濯ってこういうことのように感じています。

   ベーコン蜂との遭遇
 上機嫌で、ゆっくりと朝の食事。
 野菜も果物も卵も牛乳も採りたて新鮮で、何気ないサラダも飛び切り美味しくありがたいなあとしみじみ感じます。
ベランダの食卓にたくさん並べてさあ!と思った時でした。

 耳元で怪しげな羽音がブンブン。
 甘い香りを嗅ぎつけて蜂が一匹テーブルの周りを旋回し始めました。
 あちらが先住者だから静かにやり過ごすことが懸命だと日ごろから有事に備えて覚悟していましたし、蜂はむやみに追い払うと敵対して襲ってくる、何もしないでじっと動かないでいれば決して向かってこないと、聞いていましたので、友人と共に身を固くしてじっと様子を見ていました。
 最初は遠巻きに円を描きながら、ターゲットを物色するように飛び回り、そのうちに段々とその円を狭めて、標的を特定してゆくようでした。
 羽音は耳元で大きくなってきて、わかっていても身をすくめたり、手で追い払いたくなります。
 友人は既に覚悟を決めたらしく、なかなか太っ腹で、「おはよう蜂さん。ゆっくり食事をしたいから気が済んだら早く向こうに行ってね」とかなんとか語りかけていました。
 ヨーグルトや果物やジャムや甘い香りのするものがいっぱいあったのですが、それらには目もくれず、ポテトサラダのお皿の縁に居場所を見つけたようでじっと留まりました。
 それから何度か飛び回ってはお皿に戻り・・・やがてポテトサラダのトッピングに散らしたベーコンの上に降り立ったまま触角を立て、クンクンと匂いを嗅ぎだし、びくとも動こうとはしません。
 ベーコンは細かく刻んで乾煎りしたもので、強いスモークの香りが際立っていました。
 蜂は「これだ!!」というような嬉々とした様子でポテトの中から夢中でベーコンを掘り出そうとしています。
 すぐそばに私たち人間がいるのに、もう全く目に入っていないようで、この作業に全精力を注いでいます。

 ベーコンはポテトの中に食い込んでいて、蜂の体で引き上げるにはなかなか骨が折れるようです。
 口にくわえたまま体を丸め、身体全体を使って持ち上げようと必死で格闘しています。とても人間的な様子に私には見えました。
 まるで、汗をかきながら一人綱引きしているようです。
 何度も何度もあきらめず引き抜こうとし、ようやくスポっとベーコンが離れた時には、その勢いで、蜂はポテトの上に転げました。
 でも満足そうに勝ち誇ったように、口にくわえてテーブルの周りを一周してどこかに飛んでいきました。
 私も友人も怖さを忘れ、なんだか変な感動を覚えた気がします。
 大きく一息ついて、今の光景についてちょっと興奮しながら話し合いました。
 ポテトサラダはどうしようかということになりましたが、蜂がつついたからと言って各段毒があるわけでもないでしょうから、大丈夫なのでは、いう結論となり、何事もなかったように美味しく食べ始めました。

 一件落着と思いきや、ベーコンの油を吸ってパワーアップしたかのように意気揚々とさっきの蜂がまた戻ってきました。
 今度は迷うことなくポテトのお皿に直行し、またベーコンの上に降り立ちました。
 で、さっきと同様な作業を繰り返し・・・。
 巣に食料を運んでいる働きバチなのでしょうか。
 見かけはそんなに大きくなくミツバチのような形状をしているのですが。
 普通の蜂は花の蜜や甘い果物などを好むのではないかと思っていましたので、ベーコンだけを狙うこの蜂は肉食系、だとするとスズメバチなのでしょうか。
 スズメバチだったら、「蜂さ~ん」などと言っている場合でもなく、これは危ないかもと考え始めましたが、でもとりあえずは私も彼女も食事の手を止めて再び微動だにしないで蜂の観察を再開しました。

 コツをつかんだようで、先ほどよりは短時間で上手にベーコンを略奪し、勝ち誇ったようにお腹のあたりに抱え込んでまたぐるぐるとどこかへ飛んでいきました。とんびやサギや鷲が魚を掴んで飛び立つような雄姿です。
 「また蜂に食べられる前に、ベーコンを全部食べてしまおう」との彼女の提案。
 ポテトの奥の方に数枚だけベーコンを残して、私たちは蜂と知恵比べをする態勢に入っていたようです。
 予想通り、今度はすぐに三度目の登場。
 ポテトもベーコンも随分減っていることに不信を持ったかのようにしばらくじっと考え込んでいましたが、やおら実力行使で、ポテトの中に隠されたわずかなベーコンとの大格闘が始まりました。
 今思うとカメラを傍に置いておかなかったことが痛恨の極みです。
 写真か動画でお見せ出来たらどんなにか興味深かったのに・・・。
 こんな時は、次のチャンスに備えてカメラを取りに行こうということには頭が働かず、まず食べてしまおうという気が先にたち、申し訳ありませんでした。

 本当にスズメバチかもしれず、ベーコンのある場所と学習され、仲間を引き連れてやってこられても大変なので、そのあとは、お皿はすべて屋内に撤収し、安全地帯で食事を再開しました。

 これがベーコン蜂の顛末記です。
 ちょうど私の誕生日の8月21日のことでした。
 あの蜂は、この日一日は所在なく時々飛んできていましたがやがて姿を見なくなりました。
 ファーブルの気持ちがほんの少しだけわかったような気がした出来事でした。



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宴の名残

 暑中お見舞い申し上げます。
 連日の猛暑、降ると豪雨だったりと、気象異変が加速していますね。
 コロナ第7波もいよいよ広がりを見せていますし、国際情勢も平和から遠のいてゆくばかり。不快な出来事や事件は頻出して、諸々、心痛む昨今ですが、でも、そんな中でも季節は廻り、眩しい太陽は真夏の華やぎと力を注いでいるかのようです。

 不機嫌な時代の中で、その根源を正確に受け止めつつも、いかに吞み込まれることなく上機嫌を保つかということが、難しいけれど、私たちに示された最大の課題であり、それこそが人としての真の品格・智慧なのだと言えるのかもしれません。

 パソコンの不具合が続いて、悪戦苦闘しているうちに前回の記事から一か月が経ってしまいました。・・・・という言い訳をしながら、今日は、いくつかの宴の後を辿ってみたいと思います。

   Amical AYANE発足会のご報告
 「Amical AYANE(綾音 友の会)」は今から3年前に発足しました。
 ちょうどコロナがはやり始めた頃だったのですが、「音楽活動が大きく制限される時だからこそ、負けずに歩みを止めないで」と、有志の皆様から温かい後押しを頂いて、この素敵な会が誕生したのでした。
 発足式は、コロナの拡大で毎年延期となり、ようやくこの度実現となったのです。
 遡ること、7月3日。
 会場は事務局の置かれている東福寺塔頭。
 前日前々日の京都は40℃に届こうという脅威的な暑さと湿度で、万が一にもどなたかが熱中症になられたりしたらととても心配でした。
 ところが、折からの低気圧と台風の接近で、当日は30℃を切る涼しさへと急変。
 超晴れ女の私としては、これまでのコンサートやイベントで一度も雨が降ったことがないというギネス記録がついに途切れることになりましたが、でも、嬉しい誤算です。
会が始まる頃は雨も小やみとなっていました。
 「晴れ女」から「お天気を自在に操る女」に昇格ですねと、口々に言って頂き、すっかりその気に。
 
 20名の皆様が東福寺塔頭 即宗院にご参集くださいました。
即宗院 丹精された清廉な庭園にまず心を奪われました。木々、花々、苔の緑が雨に洗われて一層瑞々しく輝いていて、別世界に誘われるよう。いらした皆様も席に腰かけるのも忘れて一面の硝子戸の外を見入っていらっしゃいます。森林浴とは、こういう自然がもたらす解放感と酩酊感を言うのでしょう。

 第一部「発会式」が正午にスタートしました。
 事務局長の軽妙で心に響くご挨拶に続いて、Amical AYANEと名付けて下さった恩師から命名の由来などをお話しいただきました。

 そして、私から。
 心からの謝意を皆様に述べた後、ミニコンサートとして一編の朗読とシャンソンを三曲ご披露しました。

 最初の曲は『雨だれ』
 ショパンのピアノ曲ですが、美しいメロディーですので、言葉を付けて歌ってみたいと思い、以前に自分で作詞した曲です。実は全編20分ほどの長い詞になったのですが、時間の関係で、触りの部分だけの短いご披露となりました。
 縁先越しに見える雨に濡れた深緑が、歌の想いと重なりました。
 仏様に見守られる静謐な本堂に響く生の声を、いつもとはまた一味違う一体感・臨場感として受け止めていただけたようでした。

 第二部は離れでの「親睦会」。
 親睦会に先立ってのご挨拶は東京からのお客様。秋に関東支部発足会を開催することも決まっています。関西と関東を結ぶ輪が少しずつ広がってゆくようでとても嬉しかったです。
 鉄鉢料理
 鉄鉢料理と称せられる精進料理をご用意して下さいました。たくさんの大小の漆塗りの鉢に美しく盛り付けられたお料理はとても美味しくて、僧侶が托鉢の時に携えていた食器を形どっているのだそうです。さらに、いただき終わると、まるでロシアのお人形のマトリョーシカのように全部重ねて一鉢に収まるようになっています。
 お食事に舌つづみを打ちながら、ご参加の皆様それぞれの自己紹介。和やかで、いつの間にか同席した者同士が自然に旧知の仲になったような親密感が生まれました。

 20日余りが過ぎましたが、遠い日のような、つい昨日のような、・・・時間は、まばたきのように流れてゆき、だからこそ、その時間に刻まれた「一期一会」はかけがえのない美しいものなのでしょう。
 懐かしい時間を思い返すときの余韻は、まさに「宴の名残」のしっとりとした陶酔と覚醒を伴うものと感じます。
 
 Amical AYANEへのご入会は随時受け付けています。とても温かく自由な会ですし、各種特典も満載しています。ご興味を持って下さる方はAA会事務局(aa.tomonokai@gmail.com)または松峰までご連絡下さい。

   引っ越し完了
 リフォームが完成し、仮住まいをしていた奈良から京都に再び戻ってきました。
 「あまり頑張らないで、涼しい秋になったらゆっくりと一箱ずつ荷ほどきをした方がよいですよ。」「言っても無駄かもしれないけど、体壊したら元も子もないんだから!」と友人達からの断定的かつ有難いアドバイスが沢山。

 本当にその通りなのです。
 でも。
 あまりにも高く家中に積み上げられたパンダの箱。
 埋もれたままでは、探し物三昧の日々になってしまうではないか・・・山があると一気に挑むという生来の悪癖がむらむらと沸き起こってきて。
 それに加えて、整理整頓、片付けは特技の域ですから、結局走り出してしまいました。
 今日でちょうど二週間ですが、寝食を忘れて没頭した結果、最後のパンダもめでたく解包し、今や我ながらスカッと整理された新居になっています。

 楽しい宴。
 施工の業者さんや設計士さんたちと綿密に検討した結果、住み心地よく生まれ変わった家をしみじみと眺めて悦に入っています。
 そしてもう一つの宴の名残は、覚悟の筋肉痛と腰痛の兆しですが、自業自得、黙って耐えるしかありません。

   京都 祇園祭
 京都に戻ってきた日は、ちょうど祇園祭の宵宵宵山。
 三年ぶりの祇園祭再開という事で、これまで以上に街は活気に満ちていて、観光客の数も大変なものでした。
 我が家は、長刀鉾(なぎなたぼこ)の卑近距離にあり、祇園祭フリークにはおそらく垂涎の立地なのでしょうけれど、一歩外に出ると、人込みに巻かれて歩くこともままならないほどなのです。
 夕方になる前に大急ぎで引っ越しの荷下ろしを終了して、外のお囃子や解説の声なども耳を澄ませば聴こえてくるというのに、テレビでの鑑賞。

 今年の祇園祭は後祭りも含めて無事終わりましたが、今年こそはと満を持して準備に臨まれた各方面の皆様にとって、宴の名残はいかばかりでしょうか。

 テレビを見ながら今年特別心に入ってきたのは、山鉾巡行の日の「剛力(ごうりき)さん」と「稚児介添え役さん」の表情でした。
 「剛力さん」は、重い衣装に身を包んだお稚児さんを片方の肩に乗せ抱きかかえ、高い鉾に掛けられた梯子を一段一段上り、途中で一回転して観衆に向かって挨拶し、やがて鉾で迎える介添え役に引き継ぎます。
 「介添え役」は身を乗り出してしめ縄を切る稚児を後ろでしっかりと支えて所作をさりげなく導きます。両者とも、儀式を滞りなく成功させる影の立役者、まさに祭りのクロコさんなのです。
 直接見物している時は、人込みの中ですので、稚児の動きがかろうじて確認できるだけなのですが、テレビの映像ですので、「剛力さん」「介添えさん」の、神経を張り詰めて稚児を全身で守るすべての表情を詳細に観ることができました。
無事役割と儀式を終えたのを見極めた瞬間のお二人それぞれの何とも感慨深く喜びに満ちた眼差しがとても感激的でした。

 この日の宴の名残は、美酒と共に、どんなにか美しいものだったのではと思うのです。


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石刻の歳月 ~当尾と當麻(二)

   當麻(たいま) 二上山と中将姫(ちゅうじょうひめ)の伝説
 前回の記事石刻の歳月 ~当尾と當麻(一)の続きで、今日は當麻をご紹介しようと思います。
二上山
 當麻(たいま)は万葉の昔から神聖化されてきた二上山(ふたがみやま)の山麓の里です。

中将姫が織り上げたという曼荼羅図を本尊とする當麻寺(推古天皇20年(612)建立)と、同じく中将姫ゆかりの石光寺(白鳳時代の弥勒石仏が発掘されたことでも話題になった)を訪ねてみました。
中将姫
 藤原豊成(藤原不比等の孫)の姫君であると伝えられている中将姫ですが、その存在については今も謎に包まれています。
 その生い立ちや半生が詳細に語り伝えられているというものの、そもそも彼女は本当に実在したのか、これに似た境遇の人物がいて、その女性を中将姫として昇華し伝説化したのか、あるいは信仰の理想の姿として古人が作り上げた全くのフィクションだったのか、諸説入り乱れる中で、実際には存在しなかった「伝説上の姫君」だったのではというのが現在の定説のようです。

 容姿端麗、頭脳明晰で人格も崇高、誰からも敬愛される類まれな女性であったがゆえに継母から疎まれ、命まで脅かされる憂き目にあって、それでも慈愛深く、やがて尼として仏門に入り信仰を極めてゆく、そんな劇的な物語が、能、歌舞伎、浄瑠璃などにも脚色され、中将姫の名は時代を超え人々に広く知られ愛されてきました。日本人の判官びいきの資質が、義経伝説を作り上げたように、悲劇の姫君の出自は、理想の女性像・信仰の形を生み出していったのかもしれません。

 當麻の地では、あたかも実在した人物であるかのように、そこここに現在でも生きていることを感じました。
 「ここが、中将姫様が曼荼羅を織り上げる糸を染め上げた井戸」、「これがその糸を乾かした糸掛けの桜の木」というように・・・懐かしい人を偲ぶように語られていて、いにしえの平城京の風土、時間の向こうに呼び戻されるような一種の陶酔感を覚えた気がします。

 そして當麻の里を穏やかに囲む二上山は、皇位継承の争いに巻き込まれ若くして非業の死を遂げた大津皇子(おおつのみこ)が埋葬された地でもあり、姉の大来皇女(おおくのひめみこ)がその死を悼んで詠んだ、
 うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上山を 弟世(いろせ)とわが見む(『万葉集』巻2-165)
 の歌もよく知られています。

 當麻を訪れたいと思ったのは、実は久しぶりに釋超空(しゃくちょうくう)の小説『死者の書』(1939年)を手に取ったためでした。
 釋超空は民俗学の権威折口信夫(おりくちしのぶ)が、詩歌や小説などを執筆する時のペンネームなのですが、この小説の舞台となるのが當麻なのです。
 當麻の地と、當麻寺に伝わる當麻曼荼羅縁起や中将姫伝説に想を得て、死者である大津皇子が蘇り、姫に曼荼羅図を編ませ、それによっていにしえの魂の再生をみるという内容で、「幻想小説」などとも呼ばれている作品です。

 まずは「當麻寺」へと向かいました。
當麻寺1

 二上山を背にして東西2基の三重塔が立ち並ぶ伽藍配置が現存し、天平・白鳳様式をそのまま残しています。



當麻寺の僧坊「當麻寺 中の坊」に向かいました。
中の坊 誓いの石
 中将姫の一心に仏道を志す強い信念により、不思議にも石に足跡がついたとされる「中将姫誓いの石」

「中将姫さまが當麻曼荼羅に描いたほとけさまを描き写して頂きます」という写仏道場。
 そしてその天井には近現代の画家たちによる150枚にも及ぶ天井画が飾られていました。どれも色彩が優しく、極楽浄土の写し絵のようでした。
天井画 剃髪 
 中将姫剃髪堂も残されています。

 よく整えられた回遊式庭園。
中の坊庭園1 中の坊庭園4 中の坊庭園2

石塀に倒れかけた紅葉の木陰だけが苔むして美しく、静寂な時間が流れています。
塀の苔1 塀の苔2

釋
 帰り際、庭の一隅に釋超空の詠んだ和歌の碑を見つけました。中学生の頃、一年間、彼はこの當麻寺に寄宿していたとのこと、二十年前のその頃を懐かしく想うという歌ですが、『死者の書』の想も、この頃の思い出と繋がって生まれたのかもしれません。

石光寺

そしてすぐ近くの「石光寺(せっこうじ)」にも立ち寄りました。天智天皇の勅願で創建されたと伝わる古寺名刹です。




「糸掛け桜」「染の井」。
丁寧に保存されていて、やはり歴史の中で守り続けてきた中将姫への敬愛が感じられます。
中将姫3 中将姫2

石光寺の石仏の静かな佇まい。
地蔵様1 お地蔵様2

牡丹の庭
 「ぼたん寺」とも言われるほどの一面の牡丹が大木に育っていて、今は若葉が艶やかで見事でした。2000株という牡丹が一斉に花開く頃はどんなに華やかなことでしょう。
 中将姫を包みながら、平城京と牡丹の花々はとてもよく似合うと思いました。

   おまけのお話
 當麻寺 中の坊は、「陀羅尼助丸(だらにすけがん)」の発祥の地なのだそうです。
陀羅尼助丸というのは奈良で古くから伝わる皆が常備している漢方の胃腸薬。
ちょうど正露丸のような漢方独特の匂いがし、真っ黒ですが、正露丸よりずっと小さいけしの実状の粒で通常1回に30粒服用とありました。
陀羅尼助釜 陀羅尼助
 中の坊には役の行者が秘薬「陀羅尼助」を精製した際、水を清めて用いた井戸「役の行者加持水の井戸」や、薬草を煮詰めた「大釜」も残されていました。

陀羅尼助2   陀羅尼助
 私も祈祷済みの「陀羅尼助丸」を購入し、ちょっと食欲不振だったときに早速服用しました。
 とても効くような気がします。




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石刻の歳月 ~当尾と當麻(一)

 奈良に仮住まいしていつの間にか二か月が経とうとしています。
 あと半月・・・奈良での日々を惜しみつつボチボチまた出かけています。
 奈良というと古墳や陵墓のイメージが私には強いのですが、散策していると石畳、石塀、石仏・・・長い時の流れに磨かれてきた様々な石の情景を至る所で目にし、石の持つ静謐で柔和な表情を感じます。訪れてから少し日は経ってしまいましたが今日はそんな石たちを紹介したいと思います。

   当尾(とうの) ~石仏の笑い
 浄瑠璃寺に近いのに、前回立ち寄れなかった岩船寺を訪れました。
 浄瑠璃寺も岩船寺も、京都府と奈良県の境にある当尾(とうの)と呼ばれる地域にあります。
 平安遷都までは「山背国(やましろのくに)」と称されていた。南都仏教の影響を強く受け、平城京の外郭浄土として興福寺や東大寺にいた高僧や修行僧の隠棲の地となり、真の仏教信仰にそそがれた地域であった。
「当尾(とうの)」の地名は、この地に多くの寺院が建立され三重塔・十三重石塔・五輪石塔などの舎利塔が尾根をなしていたことから「塔尾」と呼ばれたことによる。


 岩船寺は、天平元年(729年)に聖武天皇が阿弥陀堂を建立させた時から始まると伝えられていますので、その歴史は半端ではありません。
笑い仏 見過ごしてしまいそうに密やかに道端に点在する摩崖仏を眺めながら石仏の道と呼ばれる岩船寺への参道を辿ります。阿弥陀三尊磨崖仏 (笑い仏)。よくよく眺めると確かに三体とも晴れやかに笑っていて、心和みます。なぜかこの地の石仏たちは微笑んでいるものが多く、この仏たちを昔年の石工はどんな思いで彫り削ったのでしょうか。
遠い昔に呼び戻される心地よさでいつまでも眺めていたい気がしました。

見上げると山門。
山門 山門2
そして、石段を登って山門にたどり着きました。
若葉と花々の向こうに朱塗り鮮やかな三重の塔がくっきりと。
本堂 池
阿字池と呼ばれる美しい池を挟んで本堂が凛として風景に溶け込んでいます。
岩風呂
修行僧が身を清めたという石風呂。

不動明王





 池を巡る小径の片隅に重文指定の石室不動明王立像。
 石に刻まれた不動明王の表情が歳月の中で神々しい優しさを生んでいると感じました。


これも重文の五輪塔。同じく十三重石塔。
  五輪塔   十三塔

庭のところどころに置かれた苔むした灯籠も、石仏同様に過ぎゆく歴史を見つめてきた風格に溢れています。
石塔  石仏2
 石を刻むという行為自体、とても原初的な作業であると思われますし、石を素材にすることで表現できるものもまた限られた素朴なものなのでしょう。 
 でもそれだからこそ伝わってくる力や想いがあり、それはもしかしたら祈りの本質なのではないか、とても唐突なのですが、そんなことを思いました。
 「大和はまほろば」という言葉が胸に入ってきます。

三重塔2 三重塔3 雪の下
岩船寺は「花の寺」、また別名「あじさい寺」と呼ばれており、四季折々様々な花咲き乱れ、あじさいは3000本に及ぶそうです。
私が訪れた時はまだ3分咲きでしたが、今はまさに満開でどんなにか美しい彩りを見せていることでしょう。
紫陽花

 本堂の前の花手水が美しい季節を映し出していました。

  




 

 次に「當麻」へと続きますが、長くなりますので一旦これで終えることとします。追って続きをUP致しますので、お楽しみになさってください。









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豪商の足跡 ~奈良今井町

   重要伝統的建造物群保存地区ということ
 大和まほろばを辿りたくてガイドブックを眺めていたら、「江戸時代に栄えた豪商の町、今井町」が目に留まりました。
 『古事記』『日本書紀』にも記されている古社寺、古墳群に囲まれた日本最古の道「山の辺の道」の風情こそが、私にとっての奈良、大和の原風景そのもの。 
称念寺2 懐古的気分の中で、この神々の道を静かに歩くことが、これまでの自分の奈良の醍醐味だった気がします。
 「江戸時代の繁栄を伝える町・今井町」という言葉は、そのようなイメージからは随分かけ離れているのですが、それで反対に興味を惹かれたのかもしれません。

 近鉄奈良駅から電車で約40分、近鉄八木西口駅で下車、「蘇武橋」と記された赤い橋を渡ると今井町の街並みが目に前に広がりました。
 今井町の成立は、天文年間(1532〜1555)に寺内町(寺を中心とした町)が建設されたことにはじまります。町の周囲に濠をめぐらせ、要塞化して織田信長に抵抗。その後、信長から自治権を認められ、大阪や堺とも交流が盛んになり、商業都市として江戸時代まで栄えました。現在も多くの民家が江戸時代以来の伝統様式を保っており、平成5年に重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
  全建物戸数約760戸のうち、約500件の伝統的建造物が存在しており、これは地区内の数としては日本一を誇ります。当時の地元の建材を用い、職人の緻密な技術を施して建てられた家々は、土地の風土や自然、歴史を色濃く反映しており、民家建築の貴重な財産だといえます。


 どのような歴史もやがては次の時代の中で自然淘汰され、新たな時の流れの中に埋没していくものなのでしょう。
 まして歴史的建造物等は、その時代の雰囲気・匂いをも愛おしみながら後世に伝え残すという強い思いを、その土地に生きる人々と行政とが一体となって、よほどしっかりと持たない限りは、たとえ保存されたとしても、ただ過去のモニュメントとして、取って付けたものになってしまう危険がある気がします。

 でも、実際にはとても難しい。
 どのような土地も、まぎれもなく現在を生きているのですから、保存される歴史的建造物・町並みに隣接して、コンビニやマンションがあったとしても仕方のないことです。究極的には「歴史を生き生きと感じ楽しみながら、豊かに共存する」文化を、その土地が、日本という国が、どう育んでいるかが問われるのかもしれません。
 少し大げさかもしれませんが、そんなことを想いながら、色々な町並みを再発見するのってとても素敵なことのように感じます。

   豪商の町並み
 まずは町の観光協会に向かいました。
観光センター 『今井まちなみ交流センター華甍(はないらか)』と名付けられたこの建物、今井町の歴史を詳細に伝える資料館として公開され、威風堂々とした佇まいを見せていました。1903年(明治36年)に教育博物館として建てられ、昭和4年から今井町役場として使用されてきたそうです。
 見た途端、奈良ホテル(1909年に創業された辰野金吾の設計による関西屈指のホテル)と似ていると思いました。
 受付の若い女性は物腰がとても柔らかくて、わかりやすく今井町の概要を教えて下さったのですが、町への誇りのようなものが溢れていて、第一印象は上々です。
 今井町が現在のように町ぐるみで保存に取り組んだのはそれほど古くはなく、平成4年頃からだという事です。普通の住居でも、老朽化が進み改築を余儀なくされる場合、外壁の仕様・色合い・高さ・等の制限、町並み全体が統一感を持って、昔ながらの意匠である大きなひさしを設けることなど、町全体で景観を作っていくという取り組みが現在に至るまで生きていると聞きました。
町並み1 
今井町の町並みです。
 昔にタイムスリップしたようなこのような街並みは、多くの場合、観光地として、お土産物屋さんや食べ物屋さんが立ち並んだりしてにぎわうものですが、そういうお店も見当たらず、そして観光客の姿もほとんどなく、かといってさびれた感じは全くなく、穏やかに清廉に町の人たちが日々の生活を営んでいることにまず感銘を受けました。
町並み2


 玄関先に打ち水、紫陽花の花、多くの家の前にこのように花々が飾られています。



 看板もなかなか。
床屋さん、本屋さん、薬屋さん・・・普通に営業しています。
看板2  看板1
 軒先のあちこちにこんな燕の巣も見られました。のどかな囀り。
看板3   つばめ


寺内町である今井町の中心は、重要文化財にも指定されている称念寺です。 室町末期に一向宗本願寺の僧侶、今井兵部が建てた布教道場が始まりで、今井町はこの寺の寺内町として発展したのだと聞きました。
称念寺1 称念寺4
 明治10年には明治天皇が投宿した折、西南の役の勃発をここ称念寺で知らされたと伝えられています。
 称念寺もまた、幾星霜を経て静謐な佇まいを見せていました。

 今井町は、福岡・博多や大阪・堺と同様に、住民である豪商や町民が自治権を握る自治都市として、江戸時代にかけて大いに栄えた町。豪商たちの屋敷も当時の面影をそのままに大切に保存されています。
酒屋
 河合家住宅。江戸初期から現在に至るまで変わらず酒造業を営んでいます。

軒先には杉玉が端然と吊るされ、歴史を負った造り酒屋の風格を誇っているようでした。

 旧米谷家住宅。金物や肥料を扱っていた豪商の家。広い土間には当時のままのかまどや煙返しが残っていました。
かまd  蔵前座敷
 裏庭の土蔵の前には蔵前座敷。錠前がいかめしくかかった蔵を守るべく目を光らせ座していたのでしょうか。 
かいずかいぶき
 豊田家住宅。材木商を営み、藩の蔵元も務めていた豪商です。
 向かい側の豊田記念館の庭には樹齢250年というカイズカイブキの大木が。豪商であっても商人の家には松を植えることは許されなかった時代に松に見立てて丹精した木が今やこのような大木に育って時代を証明していると、現当主が語って下さいました。代々の当主の書画・骨董・古美術など貴重なコレクションの数々も公開中です。

 そして、今西家住宅。予約していなかったため見学はできませんでしたが、惣年寄筆頭として町の自治権を担った名家。

 藤村の『夜明け前』ではありませんが、歴史の中の繁栄と衰退の渦にこの町も巻かれてきたのでしょう。
 今、令和の時代の中で、この風土と調和しながら歴史の記憶を大切に、穏やかな営みを続けている・・伝統の保存という事の意味を考えた小さな奈良探訪でした。


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