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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

ライヴ・コンサートのお知らせ

松峰綾音 ライヴ・コンサートのお知らせ
                     (2024.3. 4 現在)
                                                               (通常のブログはこの下の記事から始まります)
  
  
次回の公演は6月となります。どうぞお楽しみになさってください

 
『松峰綾音 月の庭vol.12  シャンソンと朗読のひととき』  
          「そして 風に訊いた」 
そして風に訊いた チラシ表
今回のコンサートテーマは「風」
様々な風に吹かれ、風が織りなす物語の世界に遊んで頂けたらと思います

「風のように軽やかに」と人は願います
「一陣の風が吹き抜けたその瞬間」と人は言います
風を見て、風を聴いて、風に吹かれて、人は出会いと別れを繰り返してゆくのでしょう・・・風に訊け・・


      訳詞 歌 朗読  松峰綾音
   ピアノ      坂下文野
 

   日時 2024年6月16日(日) 16:30開場 17:00開演
    会場 京都文化博物館別館ホール

      日時 2024年6月30日(日) 13:30開場 14:00開演
      会場 横浜ゲーテ座ホール


 
チケットのお申込み・お問合わせは、WEB のコンタクトからお願い致します。  

 詳細は、順次ブログにてお知らせして参ります。 
 


 「そして風に訊いた」コンサート開催致します (2024.3.3)




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「そして 風に訊いた」コンサート開催致します

 記事の更新が滞ってしまいました。
 「花粉症?」とお問合せくださる声がだんだん増えてきて、ご心配をおかけしていますが、ご推察の通り、今年はまた更に症状がひどく、花粉のないどこかに移住したいと本気で思うほど苦しんでいます。
 「反応があるという事はまだ若い証拠だから」との友人の慰めの言葉がただ一筋の救いなのですが、でも、こうしていつまでも、穴ぐらで冬眠しているわけにもいきませんし、「精神一到何事かならざらん」を座右の銘にしていた子供時代を思い出して(ハチマキの大好きな変な子でした)、克服しなければと奮起し始めたところです。
 さて、言い訳はこれくらいにして。

 6月の「月の庭vol.12」コンサートの詳細が決まりましたのでご案内致します。

   「月の庭vol.12『そして 風に訊いた』」開催します

 「月の庭vol.12 『そして 風に訊いた』」のチラシです。
そして風に訊いた チラシ表
 
  松峰綾音 月の庭 Vol.12
     シャンソンと朗読のひととき 
    『そして 風に訊いた』

京都:京都文化博物館別館ホール 
  2024年6月16日(日) 16:30開場  17:00開演 
 
横浜:岩崎博物館 山手ゲーテ座ホール
  2024年6月30日(日) 13:30開場  14:00開演


   『よだかの星』         宮沢賢治 作  朗読 
   『落葉松』            北原白秋 作 朗読
   風のうわさ           カーラ・ブルーニ
   キャラヴァーン        ラファエル・アロシュ
   風歌い             シャルル・トレネ   
                               他

そして風に訊いた チラシ裏1
   <会場>
 両公演共、今回で四回目となるおなじみの会場です。
 『月光微韻』、『ひだまりの猫たち』、『変わりゆくものへ』、・・・・一回一回のコンサートのかけがえのない思い出が積み重なった居心地の良いホールで、また開催できるのがとても嬉しいです。
 会場のご紹介を改めて致します。
 
京都は旧日本銀行京都支店、辰野金吾設計の重要文化財で、威風堂々とした趣の近代建築「京都文化博物館別館ホール」。
 横浜は「山手ゲーテ座ホール」、みなとの見える丘公園の一角にあるエキゾチックな雰囲気の建物で、フランス人建築家サルダ設計によって1885(明治18)年に建てられた日本最初の西洋式劇場ホールです。
 建物全体が醸し出す長い歴史に包まれた余韻のようなものがとても素敵で、ステージの世界を支えてくれる気がします。

 京都旅行を兼ねて関東から。横浜散歩を満喫しつつ関西から。
 そして段々顔見知りになって、東西の交流のようなものが知らない間に生まれていたりするのを知り、嬉しい驚きがあったりする昨今。コンサートの素敵な副産物!としみじみと思います。

 さて、この二ヵ月近く花粉と格闘しながら思ったことなのですが。
 「月の庭シリーズ」は、できることならやはり端正な佇まいを持ったこの両会場をホームグラウンドとして、毎年、じっくりと練り上げたものを継続していけたらと。
 そして、その間に、少し異なった冒険的・実験的な様々なパターンの企画で、朗読と音楽の面白さを伝えていかれたらと。
 どこで開催するか、どんな形でステージを作ってゆくか、何を伝えたいか。
 前回12月の「朗読et chanson」もその最初の試みでしたが、更に多様な趣向で、年末辺りに新たな公演を企画できたらと、まだ茫洋としていますが夢が膨らみます。

   <テーマ>
 チラシの写真は数年前に撮った軽井沢の林の中でのスナップです。
チラシスナップ
  初夏の風が肌に心地よく、木々の梢から差し込む眩しい光が、さ緑色のゆらめく影を作り出していました。
  その時の心持ちが蘇ってくるような、これはとても好きな写真です。
  撮影のため特別な準備をしたわけではなく、普段通り、オフタイムのとろんとした表情ですが、「そして風に訊いた」というテーマに溶け込んでいるのではと自分では思っています。

 チラシに記したコンサートテーマは次の通りです。

 「風のように軽やかに」と人は願います
 「一陣の風が吹き抜けたその瞬間」と人は言います
 風を見て、風を聴いて、風に吹かれて、人は出会いと別れを繰り返してゆくのでしょう・・・・風に訊け

 今回のコンサートテーマは「風」。
 様々な風に吹かれ、様々な風が織りなす物語の世界に遊んで頂けたらと思いま
す。
 自然現象に関するものの語彙が、日本語は殊の外豊かなのではないでしょうか。
 「風」も日本語には数多くの言葉があり、場所、季節、地域、方言に至るまで実に様々に使い分けられていることを改めて感じます。
 そして私たちの心模様によっても、吹く風は変容してくるかもしれません。
 シャンソンの中に、文学作品の中に、様々な風をイメージしながら、共感できるものを見つけて頂けたら、風に耳を澄ましていただけたら、という思いで、現在準備を進めています。

 今回の朗読作品のひとつ、宮沢賢治の『よだかの星』は、子供でもよくわかる童話ですが、むしろ大人の胸にこそ迫るものがある気がします。
 実はこれは、私の教育実習の時の教材で、これにまつわる熱血教師ドラマみたいなものがあって忘れられない作品なのですが、詳細を話せば長くなりますので、また機会がある時、改めてご紹介させていただきますね。

 チケットお申し込みは本日から承ります。皆様に楽しんで頂けましたら幸せです。
 
  チケット(自由席¥4000-)の予約・お問い合わせは、WEB松峰綾音のコンタクトから。

 6月の初夏の風の中で、皆様にお目にかかれますように。
 お誘い合わせの上、是非お越しください。



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「したたりひとしずく」鵠沼公演終了致しました

 12月16日の鵠沼でのコンサートもお陰様で無事終了致しました。
 12月半ばだというのに20℃超えの日差しの眩しい一日、晴れ女とは言え、さすがに我ながらびっくりでしたが、和やかでとても楽しいコンサートとなりました。
 でも、その前に、12月2日の京都ナムホールでのコンサートから。

   京都モノトーンの世界
 改めて写真を見てみると、どの写真もモノトーンの色調で、黒白の世界に包まれています。
客席2  コンクリート打ち放しのホールで、内装も全て黒で統一していることもあり、また 半地下で、その奥にステージがあるのですが、進むほど闇が深くなるような印象です。 
客席 ステージから見る客席の情景は写真のように薄暗がりなのです。
 スポットライトもサイドから照らす照明もカラーは入っておらず、全て白色ですので、暗がりを白々と灯りが浮かび上がらせていました。

 椅子に座って朗読をするのも、沈んだ闇から声だけが響いてくるようなイメージがあり、今回の「朗読et chanson」には似つかわしい趣向だったかもしれません。 
朗読1 一部2
 一部はゴールドのドレス、二部は濃紺のベルベットのドレスを着用しましたが、この光を浴びると色が消えてモノトーンの中に溶け込んで見えます。

 クリスマスソングからスタートして、第一部の最後は、芥川龍之介の作品『黒衣聖母』の朗読をお届けしました。
一部
 実は、当初は、安岡章太郎の『幸福』という、もっとほわっと温かい小説を選んでいたのですが、でも人の人生の上に降り注いでくるものは必ずしも幸せだけではなく、誰でもが温かいものを求めながらも、心ならずもつかんでしまう悲しみとか絶望だったりすることもあるのではないかと。そう考えた時、「したたりひとしずく」にこの作品『黒衣聖母』を是非という気持ちに駆られてしまいました。
 以前『月光微韻』コンサートで一度朗読したことがありましたが、再演です。
  モノトーンの光に包まれ、神妙な心持ちでこの小説を読んでいた時、ふと本当に黒衣聖母が眼前に見えてきた気がして、まるで何かが乗り移ったかのようでした。

   ブルーライトのサロン
 そして、12月16日は湘南鵠沼にあるレスプリ・フランセでのコンサートでした。写真はいつものカメラマン沢木瑠璃さん、彼女の素敵な写真を追いながらコンサートのご報告をしたいと思います。
レスプリ・フランセ  レスプリ・フランセ2
元々はフレンチレストランだったという瀟洒な建物、今は音響照明等の機材も充実したサロンコンサートホールになっています。
12月クリスマスシーズンで室内のインテリアもクリスマスを意識したお洒落な佇まい、知人の家に招かれたようなアットホームで居心地の良いホールです。
ピアノ ステージのグランドピアノはもちろん、サロンの各部屋にはピアノが置かれていて、この会場にはピアノが4~5台はあったでしょうか。
プログラム そんなこだわりを象徴するかのように、さりげなく飾られたミニチュアピアノも可愛らしかったです。
 そして受付にはいつものようにお客様に配布するコンサートプログラム。

 京都のナムホールがモノトーンの色合いだったのに対して、このレスプリ・フランセはホール全体が柔らかいパステルカラーの色調で、メルヘンチックな館という雰囲気を醸し出しています。
ライティングも演目に合わせて微妙な光の色合いを調整してクリスマスシーズンに相応しい愉しさがありました。
暗転の色は黒ではなく濃紺で統一しました。
それもあって、全体のイメージが深いブルーライトの印象的なステージとなりました。
緑 まずはクリスマスソングからスタートし、そして童話『いちばん たいせつな おくりもの』の朗読です。
「森の中に二つの家がありました・・・」
森の色はこんなグリーンのライトで。
ピンク

そして、こりすとくまさんはお花畑で遊ぶのですが、ピンクの甘い光の中で。

ステージは進んで、やがて一部最後の演目はやはり『黒衣聖母』
ブルー
このブルーライトの中で経本仕立ての原稿を読みます。
はらはらと経本が手元から流れ落ちる手触りに、異次元の世界に誘われるような奇妙な陶酔感を感じました。


 そして第二部。まずは小説『くるみ割り』の朗読から。

 話が脱線しますが。
 皆様は胡桃割り(ナットクラッカー)で殻付きの胡桃を割ったことがありますか。
 この小説を読むからにはと思い、理科の実験みたいな気分で実際にやってみたのですが・・・・まず殻付きの胡桃を入手するのが一苦労で、輸入食品のお店などを覗いても大抵は殻を取り除いてローストされた胡桃であることが多く、この頃は殻付きの胡桃を胡桃割りで自ら割って食べるという習慣はほとんどないのでしょうね。
 戦争が始まる頃を舞台にした小説ですので、胡桃が普通に家に常備されているこの主人公の家は当時としても随分ハイカラで裕福だったのではと思われます。
 私が入手したナットクラッカーはペンチみたいにいかつい物でしたので、これを使いこなすのは大変で、まだ少年だった主人公にはなかなか歯が立たなかったに違いありません。
熱唱

 『胡桃割り』の朗読の後、大詰めに向って気分は高揚し、シャンソンの熱唱です。
 客席からの集中して下さる熱気がとても心地よく自分の想いと響き合ってくる気がしました。
 そして最後の曲。

 更にアンコールは「冬の夜」と「ホワイトクリスマス」をお届けしました。
 「冬の夜」は明治の頃の文部省唱歌ですが、今はその作詞者も作曲者も知られていなくてただ美しい日本の原風景を思わせるような歌詞とメロディーだけが愛されて伝わってきています。
 こういう日本の歌にも慎ましく温かいひとしずくを感じます。
花束

 頂いた花束がとても美しくアンコールの幸せな思いを見守ってくれているかのようです。

 楽屋に戻ってほっとした私とピアニスト坂下さんとのツーショットです。
坂下さんと

 両会場にお越しくださいましたお客様、そしてこれまで応援して下さり、お力をお貸し下さいました皆様に心から感謝いたします。

 今年も色々なことがありましたが、今こうして無事皆様にコンサートのご報告ができることをとても幸せだと感じています。

 どうぞお元気で佳き新年をお迎えくださいね
 来年もどうぞよろしくお願い致します。



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『したたりひとしずく』京都公演終了致しました

 12月2日(土)、京都ナムホールでのコンサートは無事終了致しました。
 紅葉真っ盛りの中、お天気も良く爽やかな一日、関東からご旅行を兼ねていらして下さったお客様にも、とても喜んで頂けて嬉しかったです。
ナムホール2
 文字通りの満員御礼となりました。
 お運び下さいました皆様、本当にありがとうございます。
公演2

 コンサートが終わるといつも全エネルギーを出し切った気がして、数日はぼおっとした虚脱感があります。
 でもそういう時間もまた、次へのスタートを切るために、却って必要なのかもしれません。ステージに立っていたことそのものが夢のようにも思えてくるのですが、お客様に戴いた花束を家に飾って眺めていると、心が温かくなり、夢ではなく本当に過ごした時間なのだと実感されます。
花束2

「百万本の薔薇」のメロディーが浮かんでくるような深紅の薔薇。

花束1



 そして対照的な、真っ白な花々に包まれたピンクの薔薇。
幸せだと思います。

 したたりひとしずく・・・いろいろな想いを込めてお送りした今回のコンサートですが、それぞれの皆様に届くものがあったでしょうか。

 16日土曜日の湘南鵠沼でのコンサートが、あと一週間後に迫っています。
 心身のリセットも充分できましたので、次に向けて気合いを入れ直し、しっかりと臨みたいと思います。
 今回のコンサートの内容は、16日にいらして下さるお客様のために今はマル秘という事にして、全て終了しましたらゆっくりご報告させて頂きますね。

 16日のチケットはそろそろ完売となりそうですので、ご予定下さっている方、どうぞお早めにお申し込み下さいますように。

 ところで、唐突ですが、今日のランチはホットケーキでした。
 母の事もあってちょっとしみじみとして、『ホットケーキの味』という文章を綴ってみました。
 お読みいただけるでしょうか。

   ホットケーキの味      松峰綾音

  「昔ながらの銅板焼きホットケーキ」と 
  店の前の看板に書いてあったので
  ふらりと扉を開けた
スノードーム1
  初めて入った”Kカフェ”の片隅の席
  テーブルにスノードームが置かれていて
  キラキラとクリスマスが光っていた

  十五分が過ぎて
  ホットケーキが運ばれてきた

  弟が生まれる前
  まだ四歳の頃のホットケーキの記憶

  父と母と三人で横浜に買い物に出かける時のお昼は
  いつも決まって
  駅のすぐ前の
  らせん状の外階段を二階に上ったお洒落なカフェ
  かならず注文してくれたホットケーキとフルーツポンチ

  だから 今でも懐かしい食べ物
  でも 思い出の中の味は超えないと思うから
  大人になってから注文したことはなかった
  幸せの中にだけ あってくれればよかった

  母が亡くなってちょうど一か月目、月命日の翌日が京都でのコンサートだった
  コンサート会場に向かう時
  ふと昔のあの店が思い出された
  らせん階段の上の大きなガラスの扉
  あの頃のホットケーキとフルーツポンチ
  無事に歌い切ったら
  久しぶりに食べたいと思った

  それからまた一週間が過ぎた今日
  そう思ったのをすっかり忘れていたのに
  店の前の看板を見たら急に入りたくなった
  パンケーキじゃなくてホットケーキ
  これなら良い
  でもフルーツポンチはメニューになかった

  運ばれてきたのは立派な二枚重ね
  こんなに大きくなくって
  もっとたよりなく 小さく 薄く
  もっとほんのりした焼き色で
  メープルシロップは
  こんなにたっぷり入ってなくて
  もっと小さなアルミのシロップ入れで

  バターはもっと真四角で チョコンと乗っているだけで

  いつも母が
  ナイフとフォークを恭しく取って
  食べやすいように綺麗に八つに切り分けてくれた

  メープルとバターが溶け合って
  美味しい香りが鼻をくすぐる

  でも やはり
  あの味とは違う
  もっと 美味しくなって
  もっと 豪華になって
  でも 違う
  独りで黙って ホットケーキをほおばる お昼どき

  味も記憶も
  一期一会だ
  それが今さらのように
  身にこたえる
  これが偲ぶという事なのだろうと
  しみじみと
  ホットケーキをほおばる


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「したたり ひとしずく」

 立秋も過ぎ、9月になろうとしているのにこの夏の猛暑はいつまで続くのでしょうか。
 「夏の暑さをさあ今こそ楽しもう!」というようなビールのCMソングが流れて、この上なく美味しそうに呑み干す姿に、呑めない私ですら喉を鳴らしてしまいますが、でも暑さを楽しむのにもやはり限度はありますよね。
 知人のお母様が丹精していらっしゃる梅の木が今年もたくさん実をつけて、梅干し、梅酒、梅シロップ・・・をどっさり仕込んだとのご連絡を頂きました。
 梅は夏バテ予防にとても有効なのだとか。梅シロップと、シロップ漬けの梅の実を送って下さったので早速戴きました。炭酸で割ったり、そのままバタートーストに乗せたり、手作りの愛情がいっぱいにこもっていてとてもおいしいです。
梅かき氷
 お客様がいらしたとき、和食の後でこんなデザートにしてお出ししてみました。
 かき氷機は我が家の夏の必須アイテム。今年も活躍しています。
 小さなグラスの底に梅シロップ入れ、更にシロップ漬けの梅を丸ごと乗せたかき氷。アイスクリームも少しだけ添えて。
琥珀色の梅の色合いはシンプルで渋く、上品な一口サイズにすると大人の雰囲気になるのではと自画自賛。大好評でした。甘酸っぱさが何とも言えず後味が良くてお勧めです。
食における私の「したたり ひとしずく」かもしれません。

   「したたり ひとしずく」
 12月のコンサートタイトルが決まりました。

 『 したたり ひとしずく 朗読 et chanson 』 
したたりひとしずくパンフ表
 フライヤーはこちらです。
 我が家の玄関に飾ってあるステンドグラスのランプです。
 まさに幸せのひとしずくが溢れ出るような柔らかく幻想的な光で、プレゼントをたくさん重ねたような灯りの中でお客様をお迎えできたらと思い、いつも灯しているのですが、今回のフライヤーに是非と、撮影してみました。
 友人のステンドグラス作家の個展で見つけて譲り受けた品で、大切に楽しんでいます。

「したたりひとしずく」は、ふと思いついた言葉なのですが、次のような想いをこめました。

「なんにもいらない ここにこうしているだけでいい」とクマさんは言います
人は 誰かに どんなおくりものを贈ることができるのでしょうか
過ぎゆく時間の中で 人は 誰かに どんなおくりものを貰っているのでしょうか
懐かしく しみじみと そしてあるときは切なく、したたり落ちてくるいくつもの想いの中に、心に沁み透るひとしずくをみつけることができたら・・・

 絶え間なく降りしきる梅雨の長雨を見つめながら、また、台風で叩きつける激しい雨音を聴きながら、人が生きてゆくそれぞれの道のりの中で、この雨のようにどこか遠いところから絶え間なく心にしたたり落ちてくる様々な想いがあるのだなとふと感じました。
 良くも悪くもそれらを受け止め、積み重ねてゆくことが生きるということなのかと・・・。
したたりひとしずく 裏修正

 致命的な打撃であったり、力萎える時であったりもするのでしょうけれど、でも、ああこの時を忘れないでおこうと思うような、心に美しく灯りがともるような幸せなひとしずくもあるでしょう。
 今回のコンサートでは、そんな大切な瞬間を、忘れられないひとしずくを、物語の中から掬い上げたり、歌に乗せて届けたり、温かい言葉の贈り物にできればと思いました。

 ちょうどクリスマスの季節ですので、クリスマスを歌ったシャンソンもお届けしながら、優しい温かいひと時を過ごして頂ければと思っています。
 そして今回はこれまでとはちがった朗読中心の綾音流朗読会「朗読et chanson」をご堪能いただきたく。
 ワクワクしながら準備を進めています。

 前回の記事でもご紹介しましたが、もう一度、日時、会場のご案内です。

12月2日(土) 14:00~ 京都岡崎 NAM HALL(ナムホール) 
  
12月16日(土)14:00~ 湘南鵠沼 サロンコンサートホール レスプリ・フランセ

 この酷暑の中では、まだクリスマスの季節のことは考えられないかもしれませんが、でもあっという間に秋は深まり、冬がやってきます。
 今からご予定に入れて頂けましたら幸いです。
 チケットのお申込みも本日より受付け開始いたします。
 WEB松峰綾音のコンタクトからお問い合わせください。


 

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次回のコンサートのご案内

 今日の京都は37℃。
 この夏一番、そして全国一番の暑さなのだそうです。
 でも、お蔭様で私はとても元気で、不要不急の外出は控えるようにという予報を聞きながらも、外を飛び歩いておりました。

 さて、次回のコンサートのご案内です。
 「月の庭vol.12」を来年6月に!と決めてから、構想を練り、準備を進めていますが、その前にもう一つ、いつもより朗読に重きを置いたアットホームなコンサートを開催してみたいと突然、思い立ちました。
 クリスマスの季節、12月に行おうと思います。

    『 朗読 et chanson 』 は2023年12月です
 いつも「月の庭」は、朗読が全体の4割くらいの比重で、シャンソンは6割くらい、・・・・厳密に量っているわけではないのですが、いつの間にか自然にそのような割合で構成するようになりました。
 けれど、もちろん、聴きにいらして下さる方の好みはそれぞれで、「もっとシャンソンを中心に聴きたい」、そうかと思うと「朗読だけのステージも考えて欲しい」というお声もあり様々なのです。
 コンサートのテーマによって、その時々にどうしたいか自ずと決まってきますし、言ってみれば、心の赴くままに変化していく「月の庭」を、これまで楽しみつつ進めてきました。
 そんな中で、「朗読会」を!というお勧めがいくつか強くあったことにも背中を押されたのですが、今回は、朗読を中心とした特別バージョンのコンサートを企画してみたくなりました。
 前回の「変わりゆくものへ」では、かなり重いテーマを貫いてみましたので、今度はクリスマスシーズンに合う、温かく優しい雰囲気の伝わるコンサートを目指してみようかと思います。
 「月の庭」と別枠で、このような形にも今後挑戦できれば、また違う面白さが生まれるかもしれません。

 『 朗読 et chanson 』と名付けました。
 ・・・・朗読をたっぷりと、そして少しだけ飛び切りのシャンソンを・・・というコンセプトのタイトルです。

 で、これにしっくりくる雰囲気のある会場探しを早速。
 いつもぼやいてしまいますが、会場の空き状況と、こちら側の日程とを調整しながら、テーマや諸々の条件に合う会場を見つけるのは結構難しく、5月、6月は会場探しに費やしたと言っても過言ではありませんでした。
 それで、見つけました!
 関西、関東、両会場とも、温かくしみじみと朗読をお聴き頂き、シャンソンも楽しんで頂けるような、心地よい空間なのではと思っています。

 12月2日(土) 14:00~ 京都岡崎 ナムホール
https://namhall.com/) ナムホールQRコード 
 ナムホール内部 
 平安神宮から徒歩5分、岡崎神社からは徒歩2分、京都岡崎にある、室内楽やクラッシックの歌曲などを主に公演している、席数60席ほどのこじんまりとした音楽ホールです。
 実はちょうど10年前『ゲンズブール・イノセント』というコンサートをこのホールで開催したことがあり、その後は使ったことがなかったのですが、ふと思い出して、改めてホール見学をしたところ、今回考えている『 朗読 et chanson 』にぴったりの雰囲気なのではと、ひらめいたのでした。
 瀟洒な建物、地下1階の静寂な雰囲気の小ホールで、客席にも近く、一体感が生まれそうで、朗読にもシャンソンにもしっくり似合いそうです。

12月16日(土)14:00~ 湘南鵠沼 レスプリ・フランセ
https://www.lesprit-francais.jp/) レスプリフランセQRコード
 そして関東。
レスプリフランセ 
 今回は藤沢駅から小田急江ノ島線で3分の鵠沼海岸駅で下車、徒歩5分のところにあるレスプリ・フランセで開催します。
 夏なら海水浴のお帰りに朗読とシャンソンはいかがですか、と言いたいところですが、冬なのでそれはお薦めできず・・・でも冬の湘南の海岸を散歩したり、すぐ隣の駅の江ノ島で遊んだりと、プチ旅行の気分を味わえるかもしれません。東京からは少し遠くなりますが、でも日常から束の間離れるちょうど良い距離なのではと思います。
 ちなみに私が中学高校の頃、毎日江ノ電に乗って通った女子校は片瀬江ノ島にあり、地元に戻ってきたような懐かしさがあって感無量です。
レスプリフランセ内部
 サロンコンサートホール、元々はフレンチレストランだった建物を、シャンソンのライブやフランス文化講座などを開催して、広くフランス文化を発信する総合的な音楽サロンホールを作りたいというオーナーの想いから、大幅にリニューアルし、現在の形になったのだと伺いました。
 クリスマスの時期のコンサートに相応しく、お洒落でノスタルジックなサロンに招かれたような愉しさを満喫して頂けるのではと思っています。

 チラシが出来上がりましたら、改めてまたコンサートの詳細をご案内致しますので、しばしお待ちください。
 そんなわけで、12月、『 朗読 et chanson 』
 なるほど!と頷いて頂けるステージを目指して、今、様々なアイディアが胸の中で弾けています。
 
   『月の庭 vol.12』は2024年6月です
 そしてもう一つ。
 次回の「月の庭」の開催予定をお知らせ致します。

 前回のコンサートの中で、思わず「次は来年の6月を予定しています」などと口走ってしまったこともあり、実現あるのみと、こちらもまずは会場探し、現在ホールを仮押さえした状態です。
 『月の庭』のホームグラウンドとして定着してきましたいつもの京都文化博物館ホールと横浜山手ゲーテ座ホールですが、色々検討してみた結果、vol.12もやはりこの両会場で開催しようと思いました。
 ただ両ホールとも正式使用許可が出るのは開催月の六カ月前ですので、まだ仮予約の段階なのですが、きっと希望した日程で実現できることを信じて、先行お知らせを致します。

  2024年6月16日(日)17:00~  京都文化博物館別館ホール     
  2024年6月30日(日)14:00~ 横浜山手ゲーテ座ホール

 まだ確定ではありませんが、今から1年後のスケジュールに是非入れておいて下さいますように。

  いよいよ暑い夏の到来です。
  皆様ご自愛なさってお過ごしくださいね。

                    


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『 変わりゆくものへ』ご報告

 4月2日京都、4月9日横浜、両コンサートはお蔭様で無事終了致しました。
 コロナへの心配から少し解放され、ようやく出口が見えてきた安堵感の中で、客席の皆様も軽やかな気持ちで「変わりゆくものへ」のひとときを楽しんで下さっている、そんな手ごたえが感じられた幸せなコンサートとなりました。

   京都は名残の桜の中で
 文博 これまで行った数十回のコンサートで、ただの一度も晴れなかったことはなく、毎度の自慢で恐縮ですが、お天気の神様が何か特別なご褒美を下さっているのではと空に向かって手を合わせたくなります。
 眩しい光の中で、名残の桜がまだ絢爛と咲き誇る花吹雪を浴びながらホールへの道を辿りました。
 この数年、人数制限が厳しかった客席も解放され、お客様がひと際華やいで感じられました。
マイク
ホールのマイク。
プログラム
 想いを大きく届けてほしい・・と、本番の日はマイクまでも神聖なものに感じてしまうテンションです。
 プログラムが開場を待っています。

   朗読の心持ち
 「変わりゆくものへ」第一部はまず『山月記』の朗読から始まります。
自らの中の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」のゆえに、ついには虎に変えられてしまった李徴という男の物語。
 この小説を取り上げたいと、随分前から思っていたのですが、全編読むと一時間はかかりますのでコンサートの中では長すぎる事、中国を舞台とした漢語調の硬質の文体が、耳で聴くだけでは理解しにくいと思われる事、内容が哲学的でもあってかなり重い事、色々考えるとなかなか踏み切れずにいました。
 けれど、今の時代の中で、「変わりゆくもの」をテーマにする時、やはりどうしても『山月記』を伝えたいとの思いを消すことができず、前半は説明を挟むなどいくつかの工夫をしつつ挑戦した演目でもありました。
 ・・・・主人公李徴の言葉に耳を傾けて頂けたなら何よりの幸せです。

 それにしても、いつも思うのですが、朗読をしていると、その作家の文章・言葉がまずは自分の心の奥深くを駆け抜け透過してゆくような感覚に襲われます。自分の発する声や呼吸を通して、言葉がブーメランのように自分の中に戻って突き刺さるような衝撃を受けるのです。
 今回の『山月記』は刺さり方があまりにも強烈でしたので、全て終わった今、心の深いところが疲労困憊しているような感覚に陥っています。
 伝えるエネルギーは、外に向かって広がってゆくのですが、でも同じ力が自分の心身にも戻ってきて、両刃の剣のような作用を起こすのかもしれません。
 でもこれこそが文学と対峙する醍醐味と言えるのかもしれず、不思議な気持ちです。

 コンサートは進んでゆき着物1
 さて、前半は「喪失」をテーマとして、「山月記」の他にシャンソンを3曲ご披露しました。和の雰囲気が似合うかもしれないと思い、初めての和服でのステージです。
 石川さゆりみたいだったと何人かの方に言われ・・・。
 和服そのものに普遍的な型・・和の精神というような・・・が備わっており、自分では意識しませんでしたが、もしかしたら歌にもその影響が出ていたりしたのでしょうか。
 そういえばこの写真などそれっぽくも見えますね。もちろん歌っているのはシャンソンです。

 二部は「再生」をテーマにし力強く明るい曲を中心に歌いました。

   「守り続けるために」
 最後のアンコールは「守り続けるために」。初めてのオリジナル曲です。
 藤原純友の研究者の方とお知り合いになり、その研究誌をまとめるお手伝いをしたことがきっかけで、話はびっくりする展開を見せ、純友のイメージソングを依頼されて書いた作詞です。作曲はアルベルト田中氏。楽しんで頂けたでしょうか。

 純友は一般にはこれまで、「藤原純友の乱」として知られているように、朝廷への反逆者、瀬戸内海の海賊として、その悪行を歴史の中で語られてきましたが、実はそうではなく、形骸化し統率力を失って、庶民を苦しめるだけとなった無策無謀な朝廷の政治に反旗を翻し、また海を荒らしまわる海賊たちを成敗すべく立ち上がった真の海の覇者であるという解釈によっています。
「変わりゆくものへ」のアンコール、ラストステージは「守り続けるために」としました。

  今こそ 船出(ふなで)の時
  暁闇(ぎょうあん)の向うに 希望の世界が見える


 というバラードでの歌い出し。
 そしてサビ

  漕ぎ出そう 漕ぎ出そう
  愛(いと)しいものを守り続けるために


 この「漕ぎ出そう~~」が何とも癖になるメロディーで、一度聴くと耳についてしまい、なぜか一日中口ずさんでしまうという中毒症状を引き起こします。
 実際、後日何人かの友人からこの病気に罹ったとのご報告を受けました。

 今回は打ち上げパーティーをホールに隣接する前田珈琲(いつもコンサートを後援して下さっています)のカフェで行いました。
 スタッフの皆様や一般のお客様と和気藹々で楽しい会でした。
 お客様でご参加の12歳のJ君、明朗快活で、一気に皆様の人気者になりました。

   横浜は春の花々の中で 
ゲーテ座
 この一週間後がすぐ横浜コンサートでしたから今回はかなり忙しかったのですが、気合いは充分、いざ出陣。
 こちらは季節が少し早いようで、もうすでに青葉若葉が柔らかく光り、春の花々が眩しく咲き乱れてました。そしてこちらも上天気。満席。
ゲーテ座客席
 受け付け・会場のスタッフは全員女性でしっとりとした雰囲気でのお出迎えです。
 京都では全員男性が受け持って下さり、どこか力強い迫力があって、両会場の雰囲気が違っていて面白かったです。どちらもAmical AYANE友の会の皆様がボランティアでお手伝いして下さいました。

白ドレス
 坂下さんとのステージ風景。いつもながら息の合い方に称賛が寄せられました。
 今回も文学愛好会みたいに小説の解釈まで一緒に熱く語り合って、準備に沢山の時間を費やした賜物かしらと思います。

   2分30秒
 第二部は途中でドレスの早着替えを試みました。
 前半は白。そして後半は黒地のドレスです。
 内幸町ホールでコンサートをしていた頃は舞台裏での早や着替えは時々ありましたが、今回は久しぶりで、しかも楽屋がステージから少し遠いので、かなり忙しかったです。坂下
 早や着替えの間の2分30秒、坂下さんが美しい演奏で、何事もないようにゆったりと繋いでいてくださいました。
楽屋では歌舞伎の早替えさながら。
黒ドレス3
 無事成功。こちらも何事もなかったようなアンニュイな顔つきで登場して、椅子に腰かけアンニュイなシャンソンを歌い出しました。
 
 そして、ゲーテ座公演も無事終了。
 最後の「漕ぎ出そう~~」にもひと際気合が入り感無量でした。

・・・・・・
 お越し下さいましたお客様、これまで様々に支えて下さいました皆様、本当にありがとうございました。お陰様で今回も無事コンサートを終えることができました。
      花束2

 少し休んだら次のコンサートの企画に着手、更によきものを目指して進んで参りたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願い致します。


               

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京都公演終了致しました

 名残りの桜が美しく風に舞う中で、4月2日の京都コンサートは無事終了致しました。
 コロナへの脅威がようやく薄れてきて、昨年一昨年とは会場の雰囲気が違っていたような気がします。
京都文博
 客席は皆様マスクを着用していらっしゃいましたが、でもどこか弾んだ空気が流れていて、コロナは確実に一段階克服されてきていると実感できました。
 25℃という汗ばむくらいの日差しの麗らかな上天気、その分、ヒノキ花粉も元気いっぱいだったのが辛かったですが、でも「心頭滅却すれば何という事もない」とつぶやきながら、お客様と共に過ごしたあっという間のひとときでした。
 今回もご来場くださいました皆様、本当に有難うございました。
客席 
 開場すぐの客席の写真です。
 皆様の出足は早く、この客席の殆どすべてが次々と埋め尽くされて嬉しい様変わりです。

 京都文化博物館別館ホールは、元は日本銀行だった建物ですので、よく眺めると様々な部分に銀行仕様にデザインされている名残りが認められます。
文博内部
 ホールと通路を隔てているお洒落な飾り窓は、いわゆる銀行の窓口、出金カウンターだったのでしょう。

 まず、音響・照明のスタッフの方々が準備に入り、ステージのひな壇が組み立てられ、コンサートの空間にと徐々に変わってゆきます。
 私はこういう準備の時の空気が大好きで、この中に包まれていると、よ~しという気合が満ちてくる気がするのです。

 コンサートの詳細は、まだ9日の横浜山手ゲーテ座コンサートがこれからですので、全部が終了するまで、ご報告は保留にしておこうかと思います。
今回はサプライズも色々あるので楽しみになさっていて下さい。
花束

 横浜公演は4月9日、後3日後です。
 こちらの会場は残席僅少となって参りました。
 お早めにご連絡いただけると幸いです。



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変わりゆくものへ 其の二

   コンサートまで後二週間です
 今年は春の訪れが早いですね。
 既に桜も咲き始め、コンサートの日は散華の中かもしれません。
 後二週間、それまでに、プログラム作り・会場やスタッフとの打ち合わせ・演目の仕上げ練習・リハーサル等々、最終準備が色々あり忙しい毎日を過ごしています。
 しかも、なぜかそういうときほど千客万来、急な仕事が入ったり、冠婚葬祭が重なったりと様々な用事が続くもので・・・・おまけに、花粉も黄砂も今年は一段とひどいですし、・・・などとぼやいているのですが、でも本当はそんなに苦痛でもなく、忙しさを結構楽しんでいるみたいです。

   横浜ゲーテ座にて
IMG_20230312_103831_1.jpg
 数日前、横浜の会場、山手ゲーテ座ホールに日帰りで打ち合わせに行ってきました。スタッフの皆様とも久しぶりの再会で、コンサートに向けて大盛り上がり、文化祭前夜のようなノリで大いに気合が入りました。気心の知れた仲間たちと気持ちよく協力し合えているという実感が、何より大きな力となります。
 アメリカ山公園を抜け、外人墓地を横に見ながらのゲーテ座までの散策路には、春の花々が一斉に咲いていました。
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 薔薇のアーチの設えも既に整えられていて、よく見ると薔薇の蕾が紅色に膨らみかけていました。
  くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
 子規がこの歌を詠んだのは確か四月頃だったかと・・・やはり今年は格段に季節の訪れが早いのでしょう。
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 昨年・一昨年とステージに立った時の思い出と感覚が、ゲーテ座に足を踏み入れた瞬間に蘇ってきました。ホールのスタッフの方々ともいつの間にか懇意になっていて、時の流れの中でいつの間にか様々な絆が積みあげられてゆくのが嬉しいです。
今年もベストを尽くして、更に良いステージにしていきたいと改めて思いました。

 今回の演目を説明していたら、「ゲーテ座なので『山月記』を取り上げたのですか?」とホールのスタッフの方から問われました。
作者の中島敦は、この横浜山手にはとりわけ深い縁があって、当時の住まいも、長く教鞭を執っていた女子校も、このゲーテ座の近隣で、「ホールのすぐ横には彼の文学碑もあるのですよ」とのこと。
中島敦チラシ
 これは全くの偶然で、そういえば横浜にゆかりの文学者だったと改めて思い至ったのでした。そんな話をしていた最中、ふと目をあげたらホールの掲示板に貼ってあった中島敦の写真と目が合いました。
 よく見ると、すぐ近くの神奈川近代文学館のフライヤーでした。
中島 敦展_1
 ちょうど今、「芥川龍之介から中島敦まで」という常設展が開催されていたのです。それで、招かれているような気がして、これは仁義を通さねばと、帰りに神奈川近代文学館にも立ち寄ってきました。
 東海道四谷怪談の公演の前に出演者全員で西巣鴨の妙行寺に災難除けのお参りをするみたいに、あるいは忠臣蔵の舞台の前の泉岳寺詣みたいに、我ながらちょっと面白かったです。

   京都文化博物館ホールにて
 京都に戻って二日後、今度は京都のホールでの打ち合わせがありました。
 こちらもホールの方とはもうすでに旧知のような間柄で、何かとアドバイスをしていただき、打ち合わせも順調で阿吽の呼吸が嬉しいです。
IMG_4865_1.jpg
 横浜もそうでしたが、京都も、昨年までのコロナ感染予防への厳しい規制は殆どなくなっていて、様々な対応がコロナ前に戻ってきているのをひしひしと感じます。
 いよいよ安心して音楽を発信できる時が近づいたと関係者は異口同音で嬉しそうな笑顔。私自身にとっても、コロナと向き合ってきた3年半、本当に大変でしたが、それでもその中で歩みを止めずに活動を継続してきてよかったと感無量です。
 でももちろん、今回も出来うる限りの安全対策は怠らず、細やかに配慮していきますのでご安心くださいね。

   『山月記』と『地獄変』
 『山月記』はコンサートの中で全編を朗読するには長い作品ですので、ところどころ要約を挟みながら短くしてご紹介しようかと思っています。
 それにしても、テーマが重く、胸に迫ってくる内容で、果たして客席の皆様にどのように受け止めて頂けるか、少し迷いましたが、どうしても取り上げたかった作品であり、今回思い切っての挑戦です。
 主人公の李徴は、詩人としての自負心と、名声を得たいとの野心にとらわれ過ぎたために生活を破綻し、ついには心を病んで、身は虎に変えられてしまいます。
 これはかなり微妙で紙一重の話で、何かを目指そうとするとき、特に創造することに関わる場合はより強く、そういうある種の執着や自尊心は必要なのかもしれず。そこに競争心も湧いてくるでしょうし、当然のように葛藤も生まれるでしょう。そういう意味では、誰の中にも虎が住みついてしまう可能性は否めないのではないでしょうか。
 一方で、人としての謙虚さとか思いやりとか無我無欲の境地とか、品格の高さとの折り合いが求められるのでしょう。全てにおいて、真に中庸であることが大切なのではと思います。

 この感覚は、芥川龍之介の『地獄変』を読んだときと共通のものがある気がしています。完璧な『地獄絵』を描くためにみずからの娘を焼き殺してしまう絵師の悲劇を描いた作品です。

 でもコンサートはこのような重い作品だけではなく、ここからより良いものに向ってゆく美しい世界、明るく力強い世界を取り上げますので、大いに楽しんで頂けたらと思います。

 コンサートのお申し込みはまだ少し余裕がありますので、よろしかったら!
 4月2日京都、4月9日横浜、是非お越しくださいね。




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変わりゆくものへ 其の一

 一月もあっという間に後半、今年も月日の経つのが早そうです。
 今朝起きてみたら外は一面の雪化粧、京都も底冷えの冬との戦いが始まっています。

 コンサート『変わりゆくものへ』の準備を本格的に進めているのですが、このチラシをご覧になった方から既に様々な感想が届いていて、それぞれの受け止め方にとても興味を惹かれます。
 「昭和、平成、令和と過ごしたこれまでを振り返ってみると、まさに時代も自分も大きく変わっていて『変わりゆくもの』を改めて自分の生きてきた道程に思いました」と年配の知人からの言葉。
 私自身もまた「変わりゆくもの」を、何気ない日常や周囲に感じ続ける毎日です。今日はそんな日々の中でふと心が留まったことをいくつか。

   <爛熟の薔薇>
 気がつくと今朝、テーブルに飾った白薔薇がこんなに大きく開いていました。絢爛と咲き切る矜持をことさら誇示しているかのようにも見えて、薔薇は誇り高い花と改めて感じます。
    絢爛のバラ
 ふと年上の友人が昔言った言葉を思い出しました。
 「蕾が膨らんできた頃の薔薇が好きと言う人が多いけど、自分は、満開になり今まさに散ろうとするぎりぎりの薔薇の凄みが美しいと思う」
 彼女自身が、この言葉の似合うエキゾチックで妖艶な魅力のあるマダムでした。果敢にドラマチックな半生を過ごし老齢に達した  その時も、自身の中に生きる情熱と何かに挑む力を失わない、爛熟の美を漂わせている人であったように思います。

 つるんと滑らかで瑞々しい幼児の肌は、人生を経るにしたがって皺が刻まれ、それは心の奥にまで届き・・・人が生きるという事は良くも悪しくもそういうことなのでしょうけれど、精一杯生き切ったその姿そのものが美しい存在感をもって全てを圧倒する、それでこそあっ晴れなのではと・・・飛躍しすぎかもしれませんが、今朝の白薔薇にそんなことを思いました。

   『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
 原題は The Curious Case of Benjamin Button)、2008年のアメリカ映画、1922年に書かれたF.スコット・フィッシュジェラルドの短編小説をもとに製作されています。先日BSで放映されていたのを観て心に残りました。
80歳の状態で誕生し、年を取るごとに若返る運命の元に生まれたベンジャミン・バトンの一生を描いたファンタジー。荒唐無稽な物語なのですが、見ているうちにちょっと不思議な気がしてきました。
ベンジャミン・バトンチラシ
 彼の名は、ベンジャミン・バトン。80歳で生まれ、若返っていった男。20世紀から21世紀にかけて、変わりゆく世界を旅した男。どれだけ心を通わせても、どれほど深く愛しても、出逢った人々と、同じ歳月を共に生きることができない、その運命。―それでも、人生は素晴らしい―
というキャッチコピーです。

 簡単にあらすじを言いますと。

 ニューオリンズの病院で、老女デイジーが最期を迎えようとしているところから映画は始まります。娘に、日記帳を読んで聞かせてくれるように頼みますが、その日記帳はベンジャミン・バトンの手記であり、日記の内容はベンジャミンの誕生の経緯に遡ります。
 第一次世界大戦が終わった日。生まれたばかりの赤ん坊が老人施設の前に捨てられていました。赤ん坊は、皺だらけの顔、80歳の老人として生を受けていたのです。施設経営者の妻クイニーという心優しい女性に、神様からの授かり物として愛情深く育てられることとなります。命拾いをしたものの、この赤ん坊は老衰寸前のような状態であり、決して長く生きていけないだろうと医者に告げられるのですが、奇跡的に施設の中で育ってゆきます。クイニーは赤ん坊にベンジャミンと名づけます。
施設時代 
 ベンジャミンは車椅子の生活から、杖を使って歩けるようになり、年を追うごとに若い容姿になってゆきます。その頃、彼はデイジーという6歳の可愛い女の子に出逢います。ベンジャミンは彼女に、自分は老人ではなく、本当は子供なのだと告げるのです。
 やがて月日は流れベンジャミン17歳、身体も段々と若々しくたくましくなってゆき、施設を出て広い世界を知りたいと、船員になることを決意します。
 一方、デイジーはバレエ学校に入学してバレエダンサーへの夢を追いかけ、共に励まし合います。
恋人時代
 数年が過ぎ、二人はそれぞれの紆余曲折を経て、ついに思いを交わし合い結婚することになります。奇しくもちょうど二人の年齢が同じになる交差点でもあったのですが、この頃の最も幸せな美しい時代のベンジャミンをブラッド・ピットが演じています。爽やかな好青年ぶりで、ベンジャミン、おめでとう!と思わず祝福したくなりました。
 娘・キャロラインも誕生するのですが、彼は、年を追うごとに若くなっていく自分がいつまで父親でいられるのかという不安に次第にさいなまれることになります。デイジーより既に若くなっている自分が、そのうち娘より子供になってしまう、そんな思いから彼は何も告げずに姿を消します。
 更に色々展開があり、月日が過ぎて老女になったデイジーに、身元不明の少年がデイジーの住所を持っていたと電話が入ります。
 彼女は男の子を引き取り育て、ついには彼は赤ん坊になって、彼女の腕の中で死を迎えるのでした。
 デイジーをじっと見つめ、そして静かに目を閉じ永遠の眠りにつく小さな彼と、彼を胸に抱きながら、そっと呟くデイジーの次のような言葉でこの映画は結ばれます。

 時と共に彼はすべてを忘れていった 自分の事を忘れ、歩き方や話し方や食べ方までも 彼は最後に私の事を思い出した それからゆっくり目を閉じた   
 眠るように

 
 赤ん坊に戻って死ぬという事は、人間の最も自然な最期なのかもしれないと思いました。
 何の力もない赤ん坊として世に生を享け、やがて、全く無力の状態で命を全うしてゆく・・・それが人の自然な姿そのものなのかもしれません。
 若返ってゆくことが必ずしも幸せなわけではなく、限りある時間を共に生きる人とともに歩み続けて、共に人生を終えてゆくことの意味を改めて考えます。

 そして、この映画で心がほっとしたのは、まずはクイニーという黒人の女性、ベンジャミンの育ての母の限りない慈愛と、やがて伴侶となる恋人デイジーの純粋さと、施設の老人たちの屈託のない明るさでした。
 ベンジャミンを奇異な目で見ることもなく、「老人として生まれてくる、そんな不思議なことだって人生には起こりうる、神様はそれ全てに平等に祝福を与えている」とごく自然に考えて、家族として、仲間として、恋人として当たり前に温かく受け入れるその優しさです。

   老いるという事
 最近友人と話すと、ご両親とか、近い身内の方とかのご病気の話が頻繁に出てくるようになりました。特に認知機能の衰えへの対応にそれぞれが苦慮していて、その介護の方法や、対応についてなど情報交換なども交わされます。

 現在、私の身近にも差し迫った問題が色々生じ始めています。
 頭ははっきりしているのに、身体だけが衰え、それを直視せざる得なくなった時の当事者の気持ちの持ち方は千差万別です。あるがままを受け入れ、嘆かず、その状況の中での時間を愉しもうとしている方を見ると救われる気がしますが、でも実際自分の事となるとなかなか難しくて、とても強い精神力が必要とされるのでしょう。
 そんなことを思うにつけ、先ほどのベンジャミンの映画のラストがことさらに感慨深く感じられます。

  自分のことを忘れ、言葉を忘れ、歩くこともできなくなり、食べ物も固形の物から液体の物にと・・・そしてデイジーの腕の中で・・・



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