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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

ライヴ・コンサートのお知らせ

松峰綾音 ライヴ・コンサートのお知らせ
                     (2023.4. 19 現在)
                                                               (通常のブログはこの下の記事から始まります)
  
  おかげさまで、京都・横浜での 月の庭vol.11『変わりゆくものへ』 両コンサートは、盛会のうちに終了いたしました。お越しくださいました皆様、有難うございました。
 

     <2023年4月>     

変わりゆくものへチラシ

松峰綾音 月の庭 
シャンソンと朗読のひととき vol.11
    『変わりゆくものへ』

 訳詞 歌 朗読 松峰綾音   
 ピアノ     坂下文野
        


    日時 2023年4月2日(日) 16:30開場 17:00開演
   会場 京都 文化博物館別館ホール 

   日時 2023年4月9日(日) 13:30開場 14:00開演
   会場 横浜 山手ゲーテ座ホール


京都と横浜。
明治期に設計された威風堂々とした歴史の香り漂う両ホールでの公演も三回目となりました。

 流されてゆく焦燥と喪失、変わろうとする意志と再生
 変身のすべてはeirõneia=「運命のいたずら」の中に委ねられているのかもしれません

 予期せぬ出来事で世界が一変してゆく時代の中で「変わりゆくもの」、「変わりゆくこと」の意味を問いかける・・・今回のコンサートのメインテーマです
 

    コロナ 感染対策のため、この度も席数を減らして開催いたします。
 チケットのお申込み・お問合わせは、WEB のコンタクトからお願い致します。  

 詳細は、順次ブログにてお知らせして参ります。 
 

  

『変わりゆくものへ』開催いたします 2022.11.23

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『 変わりゆくものへ』ご報告

 4月2日京都、4月9日横浜、両コンサートはお蔭様で無事終了致しました。
 コロナへの心配から少し解放され、ようやく出口が見えてきた安堵感の中で、客席の皆様も軽やかな気持ちで「変わりゆくものへ」のひとときを楽しんで下さっている、そんな手ごたえが感じられた幸せなコンサートとなりました。

   京都は名残の桜の中で
 文博 これまで行った数十回のコンサートで、ただの一度も晴れなかったことはなく、毎度の自慢で恐縮ですが、お天気の神様が何か特別なご褒美を下さっているのではと空に向かって手を合わせたくなります。
 眩しい光の中で、名残の桜がまだ絢爛と咲き誇る花吹雪を浴びながらホールへの道を辿りました。
 この数年、人数制限が厳しかった客席も解放され、お客様がひと際華やいで感じられました。
マイク
ホールのマイク。
プログラム
 想いを大きく届けてほしい・・と、本番の日はマイクまでも神聖なものに感じてしまうテンションです。
 プログラムが開場を待っています。

   朗読の心持ち
 「変わりゆくものへ」第一部はまず『山月記』の朗読から始まります。
自らの中の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」のゆえに、ついには虎に変えられてしまった李徴という男の物語。
 この小説を取り上げたいと、随分前から思っていたのですが、全編読むと一時間はかかりますのでコンサートの中では長すぎる事、中国を舞台とした漢語調の硬質の文体が、耳で聴くだけでは理解しにくいと思われる事、内容が哲学的でもあってかなり重い事、色々考えるとなかなか踏み切れずにいました。
 けれど、今の時代の中で、「変わりゆくもの」をテーマにする時、やはりどうしても『山月記』を伝えたいとの思いを消すことができず、前半は説明を挟むなどいくつかの工夫をしつつ挑戦した演目でもありました。
 ・・・・主人公李徴の言葉に耳を傾けて頂けたなら何よりの幸せです。

 それにしても、いつも思うのですが、朗読をしていると、その作家の文章・言葉がまずは自分の心の奥深くを駆け抜け透過してゆくような感覚に襲われます。自分の発する声や呼吸を通して、言葉がブーメランのように自分の中に戻って突き刺さるような衝撃を受けるのです。
 今回の『山月記』は刺さり方があまりにも強烈でしたので、全て終わった今、心の深いところが疲労困憊しているような感覚に陥っています。
 伝えるエネルギーは、外に向かって広がってゆくのですが、でも同じ力が自分の心身にも戻ってきて、両刃の剣のような作用を起こすのかもしれません。
 でもこれこそが文学と対峙する醍醐味と言えるのかもしれず、不思議な気持ちです。

 コンサートは進んでゆき着物1
 さて、前半は「喪失」をテーマとして、「山月記」の他にシャンソンを3曲ご披露しました。和の雰囲気が似合うかもしれないと思い、初めての和服でのステージです。
 石川さゆりみたいだったと何人かの方に言われ・・・。
 和服そのものに普遍的な型・・和の精神というような・・・が備わっており、自分では意識しませんでしたが、もしかしたら歌にもその影響が出ていたりしたのでしょうか。
 そういえばこの写真などそれっぽくも見えますね。もちろん歌っているのはシャンソンです。

 二部は「再生」をテーマにし力強く明るい曲を中心に歌いました。

   「守り続けるために」
 最後のアンコールは「守り続けるために」。初めてのオリジナル曲です。
 藤原純友の研究者の方とお知り合いになり、その研究誌をまとめるお手伝いをしたことがきっかけで、話はびっくりする展開を見せ、純友のイメージソングを依頼されて書いた作詞です。作曲はアルベルト田中氏。楽しんで頂けたでしょうか。

 純友は一般にはこれまで、「藤原純友の乱」として知られているように、朝廷への反逆者、瀬戸内海の海賊として、その悪行を歴史の中で語られてきましたが、実はそうではなく、形骸化し統率力を失って、庶民を苦しめるだけとなった無策無謀な朝廷の政治に反旗を翻し、また海を荒らしまわる海賊たちを成敗すべく立ち上がった真の海の覇者であるという解釈によっています。
「変わりゆくものへ」のアンコール、ラストステージは「守り続けるために」としました。

  今こそ 船出(ふなで)の時
  暁闇(ぎょうあん)の向うに 希望の世界が見える


 というバラードでの歌い出し。
 そしてサビ

  漕ぎ出そう 漕ぎ出そう
  愛(いと)しいものを守り続けるために


 この「漕ぎ出そう~~」が何とも癖になるメロディーで、一度聴くと耳についてしまい、なぜか一日中口ずさんでしまうという中毒症状を引き起こします。
 実際、後日何人かの友人からこの病気に罹ったとのご報告を受けました。

 今回は打ち上げパーティーをホールに隣接する前田珈琲(いつもコンサートを後援して下さっています)のカフェで行いました。
 スタッフの皆様や一般のお客様と和気藹々で楽しい会でした。
 お客様でご参加の12歳のJ君、明朗快活で、一気に皆様の人気者になりました。

   横浜は春の花々の中で 
ゲーテ座
 この一週間後がすぐ横浜コンサートでしたから今回はかなり忙しかったのですが、気合いは充分、いざ出陣。
 こちらは季節が少し早いようで、もうすでに青葉若葉が柔らかく光り、春の花々が眩しく咲き乱れてました。そしてこちらも上天気。満席。
ゲーテ座客席
 受け付け・会場のスタッフは全員女性でしっとりとした雰囲気でのお出迎えです。
 京都では全員男性が受け持って下さり、どこか力強い迫力があって、両会場の雰囲気が違っていて面白かったです。どちらもAmical AYANE友の会の皆様がボランティアでお手伝いして下さいました。

白ドレス
 坂下さんとのステージ風景。いつもながら息の合い方に称賛が寄せられました。
 今回も文学愛好会みたいに小説の解釈まで一緒に熱く語り合って、準備に沢山の時間を費やした賜物かしらと思います。

   2分30秒
 第二部は途中でドレスの早着替えを試みました。
 前半は白。そして後半は黒地のドレスです。
 内幸町ホールでコンサートをしていた頃は舞台裏での早や着替えは時々ありましたが、今回は久しぶりで、しかも楽屋がステージから少し遠いので、かなり忙しかったです。坂下
 早や着替えの間の2分30秒、坂下さんが美しい演奏で、何事もないようにゆったりと繋いでいてくださいました。
楽屋では歌舞伎の早替えさながら。
黒ドレス3
 無事成功。こちらも何事もなかったようなアンニュイな顔つきで登場して、椅子に腰かけアンニュイなシャンソンを歌い出しました。
 
 そして、ゲーテ座公演も無事終了。
 最後の「漕ぎ出そう~~」にもひと際気合が入り感無量でした。

・・・・・・
 お越し下さいましたお客様、これまで様々に支えて下さいました皆様、本当にありがとうございました。お陰様で今回も無事コンサートを終えることができました。
      花束2

 少し休んだら次のコンサートの企画に着手、更によきものを目指して進んで参りたいと思います。どうぞこれからもよろしくお願い致します。


               

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京都公演終了致しました

 名残りの桜が美しく風に舞う中で、4月2日の京都コンサートは無事終了致しました。
 コロナへの脅威がようやく薄れてきて、昨年一昨年とは会場の雰囲気が違っていたような気がします。
京都文博
 客席は皆様マスクを着用していらっしゃいましたが、でもどこか弾んだ空気が流れていて、コロナは確実に一段階克服されてきていると実感できました。
 25℃という汗ばむくらいの日差しの麗らかな上天気、その分、ヒノキ花粉も元気いっぱいだったのが辛かったですが、でも「心頭滅却すれば何という事もない」とつぶやきながら、お客様と共に過ごしたあっという間のひとときでした。
 今回もご来場くださいました皆様、本当に有難うございました。
客席 
 開場すぐの客席の写真です。
 皆様の出足は早く、この客席の殆どすべてが次々と埋め尽くされて嬉しい様変わりです。

 京都文化博物館別館ホールは、元は日本銀行だった建物ですので、よく眺めると様々な部分に銀行仕様にデザインされている名残りが認められます。
文博内部
 ホールと通路を隔てているお洒落な飾り窓は、いわゆる銀行の窓口、出金カウンターだったのでしょう。

 まず、音響・照明のスタッフの方々が準備に入り、ステージのひな壇が組み立てられ、コンサートの空間にと徐々に変わってゆきます。
 私はこういう準備の時の空気が大好きで、この中に包まれていると、よ~しという気合が満ちてくる気がするのです。

 コンサートの詳細は、まだ9日の横浜山手ゲーテ座コンサートがこれからですので、全部が終了するまで、ご報告は保留にしておこうかと思います。
今回はサプライズも色々あるので楽しみになさっていて下さい。
花束

 横浜公演は4月9日、後3日後です。
 こちらの会場は残席僅少となって参りました。
 お早めにご連絡いただけると幸いです。



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変わりゆくものへ 其の二

   コンサートまで後二週間です
 今年は春の訪れが早いですね。
 既に桜も咲き始め、コンサートの日は散華の中かもしれません。
 後二週間、それまでに、プログラム作り・会場やスタッフとの打ち合わせ・演目の仕上げ練習・リハーサル等々、最終準備が色々あり忙しい毎日を過ごしています。
 しかも、なぜかそういうときほど千客万来、急な仕事が入ったり、冠婚葬祭が重なったりと様々な用事が続くもので・・・・おまけに、花粉も黄砂も今年は一段とひどいですし、・・・などとぼやいているのですが、でも本当はそんなに苦痛でもなく、忙しさを結構楽しんでいるみたいです。

   横浜ゲーテ座にて
IMG_20230312_103831_1.jpg
 数日前、横浜の会場、山手ゲーテ座ホールに日帰りで打ち合わせに行ってきました。スタッフの皆様とも久しぶりの再会で、コンサートに向けて大盛り上がり、文化祭前夜のようなノリで大いに気合が入りました。気心の知れた仲間たちと気持ちよく協力し合えているという実感が、何より大きな力となります。
 アメリカ山公園を抜け、外人墓地を横に見ながらのゲーテ座までの散策路には、春の花々が一斉に咲いていました。
IMG_20230312_104114_1.jpg IMG_20230312_104001_1.jpg
 薔薇のアーチの設えも既に整えられていて、よく見ると薔薇の蕾が紅色に膨らみかけていました。
  くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる
 子規がこの歌を詠んだのは確か四月頃だったかと・・・やはり今年は格段に季節の訪れが早いのでしょう。
IMG_20230312_115052_1.jpg
 昨年・一昨年とステージに立った時の思い出と感覚が、ゲーテ座に足を踏み入れた瞬間に蘇ってきました。ホールのスタッフの方々ともいつの間にか懇意になっていて、時の流れの中でいつの間にか様々な絆が積みあげられてゆくのが嬉しいです。
今年もベストを尽くして、更に良いステージにしていきたいと改めて思いました。

 今回の演目を説明していたら、「ゲーテ座なので『山月記』を取り上げたのですか?」とホールのスタッフの方から問われました。
作者の中島敦は、この横浜山手にはとりわけ深い縁があって、当時の住まいも、長く教鞭を執っていた女子校も、このゲーテ座の近隣で、「ホールのすぐ横には彼の文学碑もあるのですよ」とのこと。
中島敦チラシ
 これは全くの偶然で、そういえば横浜にゆかりの文学者だったと改めて思い至ったのでした。そんな話をしていた最中、ふと目をあげたらホールの掲示板に貼ってあった中島敦の写真と目が合いました。
 よく見ると、すぐ近くの神奈川近代文学館のフライヤーでした。
中島 敦展_1
 ちょうど今、「芥川龍之介から中島敦まで」という常設展が開催されていたのです。それで、招かれているような気がして、これは仁義を通さねばと、帰りに神奈川近代文学館にも立ち寄ってきました。
 東海道四谷怪談の公演の前に出演者全員で西巣鴨の妙行寺に災難除けのお参りをするみたいに、あるいは忠臣蔵の舞台の前の泉岳寺詣みたいに、我ながらちょっと面白かったです。

   京都文化博物館ホールにて
 京都に戻って二日後、今度は京都のホールでの打ち合わせがありました。
 こちらもホールの方とはもうすでに旧知のような間柄で、何かとアドバイスをしていただき、打ち合わせも順調で阿吽の呼吸が嬉しいです。
IMG_4865_1.jpg
 横浜もそうでしたが、京都も、昨年までのコロナ感染予防への厳しい規制は殆どなくなっていて、様々な対応がコロナ前に戻ってきているのをひしひしと感じます。
 いよいよ安心して音楽を発信できる時が近づいたと関係者は異口同音で嬉しそうな笑顔。私自身にとっても、コロナと向き合ってきた3年半、本当に大変でしたが、それでもその中で歩みを止めずに活動を継続してきてよかったと感無量です。
 でももちろん、今回も出来うる限りの安全対策は怠らず、細やかに配慮していきますのでご安心くださいね。

   『山月記』と『地獄変』
 『山月記』はコンサートの中で全編を朗読するには長い作品ですので、ところどころ要約を挟みながら短くしてご紹介しようかと思っています。
 それにしても、テーマが重く、胸に迫ってくる内容で、果たして客席の皆様にどのように受け止めて頂けるか、少し迷いましたが、どうしても取り上げたかった作品であり、今回思い切っての挑戦です。
 主人公の李徴は、詩人としての自負心と、名声を得たいとの野心にとらわれ過ぎたために生活を破綻し、ついには心を病んで、身は虎に変えられてしまいます。
 これはかなり微妙で紙一重の話で、何かを目指そうとするとき、特に創造することに関わる場合はより強く、そういうある種の執着や自尊心は必要なのかもしれず。そこに競争心も湧いてくるでしょうし、当然のように葛藤も生まれるでしょう。そういう意味では、誰の中にも虎が住みついてしまう可能性は否めないのではないでしょうか。
 一方で、人としての謙虚さとか思いやりとか無我無欲の境地とか、品格の高さとの折り合いが求められるのでしょう。全てにおいて、真に中庸であることが大切なのではと思います。

 この感覚は、芥川龍之介の『地獄変』を読んだときと共通のものがある気がしています。完璧な『地獄絵』を描くためにみずからの娘を焼き殺してしまう絵師の悲劇を描いた作品です。

 でもコンサートはこのような重い作品だけではなく、ここからより良いものに向ってゆく美しい世界、明るく力強い世界を取り上げますので、大いに楽しんで頂けたらと思います。

 コンサートのお申し込みはまだ少し余裕がありますので、よろしかったら!
 4月2日京都、4月9日横浜、是非お越しくださいね。




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変わりゆくものへ 其の一

 一月もあっという間に後半、今年も月日の経つのが早そうです。
 今朝起きてみたら外は一面の雪化粧、京都も底冷えの冬との戦いが始まっています。

 コンサート『変わりゆくものへ』の準備を本格的に進めているのですが、このチラシをご覧になった方から既に様々な感想が届いていて、それぞれの受け止め方にとても興味を惹かれます。
 「昭和、平成、令和と過ごしたこれまでを振り返ってみると、まさに時代も自分も大きく変わっていて『変わりゆくもの』を改めて自分の生きてきた道程に思いました」と年配の知人からの言葉。
 私自身もまた「変わりゆくもの」を、何気ない日常や周囲に感じ続ける毎日です。今日はそんな日々の中でふと心が留まったことをいくつか。

   <爛熟の薔薇>
 気がつくと今朝、テーブルに飾った白薔薇がこんなに大きく開いていました。絢爛と咲き切る矜持をことさら誇示しているかのようにも見えて、薔薇は誇り高い花と改めて感じます。
    絢爛のバラ
 ふと年上の友人が昔言った言葉を思い出しました。
 「蕾が膨らんできた頃の薔薇が好きと言う人が多いけど、自分は、満開になり今まさに散ろうとするぎりぎりの薔薇の凄みが美しいと思う」
 彼女自身が、この言葉の似合うエキゾチックで妖艶な魅力のあるマダムでした。果敢にドラマチックな半生を過ごし老齢に達した  その時も、自身の中に生きる情熱と何かに挑む力を失わない、爛熟の美を漂わせている人であったように思います。

 つるんと滑らかで瑞々しい幼児の肌は、人生を経るにしたがって皺が刻まれ、それは心の奥にまで届き・・・人が生きるという事は良くも悪しくもそういうことなのでしょうけれど、精一杯生き切ったその姿そのものが美しい存在感をもって全てを圧倒する、それでこそあっ晴れなのではと・・・飛躍しすぎかもしれませんが、今朝の白薔薇にそんなことを思いました。

   『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
 原題は The Curious Case of Benjamin Button)、2008年のアメリカ映画、1922年に書かれたF.スコット・フィッシュジェラルドの短編小説をもとに製作されています。先日BSで放映されていたのを観て心に残りました。
80歳の状態で誕生し、年を取るごとに若返る運命の元に生まれたベンジャミン・バトンの一生を描いたファンタジー。荒唐無稽な物語なのですが、見ているうちにちょっと不思議な気がしてきました。
ベンジャミン・バトンチラシ
 彼の名は、ベンジャミン・バトン。80歳で生まれ、若返っていった男。20世紀から21世紀にかけて、変わりゆく世界を旅した男。どれだけ心を通わせても、どれほど深く愛しても、出逢った人々と、同じ歳月を共に生きることができない、その運命。―それでも、人生は素晴らしい―
というキャッチコピーです。

 簡単にあらすじを言いますと。

 ニューオリンズの病院で、老女デイジーが最期を迎えようとしているところから映画は始まります。娘に、日記帳を読んで聞かせてくれるように頼みますが、その日記帳はベンジャミン・バトンの手記であり、日記の内容はベンジャミンの誕生の経緯に遡ります。
 第一次世界大戦が終わった日。生まれたばかりの赤ん坊が老人施設の前に捨てられていました。赤ん坊は、皺だらけの顔、80歳の老人として生を受けていたのです。施設経営者の妻クイニーという心優しい女性に、神様からの授かり物として愛情深く育てられることとなります。命拾いをしたものの、この赤ん坊は老衰寸前のような状態であり、決して長く生きていけないだろうと医者に告げられるのですが、奇跡的に施設の中で育ってゆきます。クイニーは赤ん坊にベンジャミンと名づけます。
施設時代 
 ベンジャミンは車椅子の生活から、杖を使って歩けるようになり、年を追うごとに若い容姿になってゆきます。その頃、彼はデイジーという6歳の可愛い女の子に出逢います。ベンジャミンは彼女に、自分は老人ではなく、本当は子供なのだと告げるのです。
 やがて月日は流れベンジャミン17歳、身体も段々と若々しくたくましくなってゆき、施設を出て広い世界を知りたいと、船員になることを決意します。
 一方、デイジーはバレエ学校に入学してバレエダンサーへの夢を追いかけ、共に励まし合います。
恋人時代
 数年が過ぎ、二人はそれぞれの紆余曲折を経て、ついに思いを交わし合い結婚することになります。奇しくもちょうど二人の年齢が同じになる交差点でもあったのですが、この頃の最も幸せな美しい時代のベンジャミンをブラッド・ピットが演じています。爽やかな好青年ぶりで、ベンジャミン、おめでとう!と思わず祝福したくなりました。
 娘・キャロラインも誕生するのですが、彼は、年を追うごとに若くなっていく自分がいつまで父親でいられるのかという不安に次第にさいなまれることになります。デイジーより既に若くなっている自分が、そのうち娘より子供になってしまう、そんな思いから彼は何も告げずに姿を消します。
 更に色々展開があり、月日が過ぎて老女になったデイジーに、身元不明の少年がデイジーの住所を持っていたと電話が入ります。
 彼女は男の子を引き取り育て、ついには彼は赤ん坊になって、彼女の腕の中で死を迎えるのでした。
 デイジーをじっと見つめ、そして静かに目を閉じ永遠の眠りにつく小さな彼と、彼を胸に抱きながら、そっと呟くデイジーの次のような言葉でこの映画は結ばれます。

 時と共に彼はすべてを忘れていった 自分の事を忘れ、歩き方や話し方や食べ方までも 彼は最後に私の事を思い出した それからゆっくり目を閉じた   
 眠るように

 
 赤ん坊に戻って死ぬという事は、人間の最も自然な最期なのかもしれないと思いました。
 何の力もない赤ん坊として世に生を享け、やがて、全く無力の状態で命を全うしてゆく・・・それが人の自然な姿そのものなのかもしれません。
 若返ってゆくことが必ずしも幸せなわけではなく、限りある時間を共に生きる人とともに歩み続けて、共に人生を終えてゆくことの意味を改めて考えます。

 そして、この映画で心がほっとしたのは、まずはクイニーという黒人の女性、ベンジャミンの育ての母の限りない慈愛と、やがて伴侶となる恋人デイジーの純粋さと、施設の老人たちの屈託のない明るさでした。
 ベンジャミンを奇異な目で見ることもなく、「老人として生まれてくる、そんな不思議なことだって人生には起こりうる、神様はそれ全てに平等に祝福を与えている」とごく自然に考えて、家族として、仲間として、恋人として当たり前に温かく受け入れるその優しさです。

   老いるという事
 最近友人と話すと、ご両親とか、近い身内の方とかのご病気の話が頻繁に出てくるようになりました。特に認知機能の衰えへの対応にそれぞれが苦慮していて、その介護の方法や、対応についてなど情報交換なども交わされます。

 現在、私の身近にも差し迫った問題が色々生じ始めています。
 頭ははっきりしているのに、身体だけが衰え、それを直視せざる得なくなった時の当事者の気持ちの持ち方は千差万別です。あるがままを受け入れ、嘆かず、その状況の中での時間を愉しもうとしている方を見ると救われる気がしますが、でも実際自分の事となるとなかなか難しくて、とても強い精神力が必要とされるのでしょう。
 そんなことを思うにつけ、先ほどのベンジャミンの映画のラストがことさらに感慨深く感じられます。

  自分のことを忘れ、言葉を忘れ、歩くこともできなくなり、食べ物も固形の物から液体の物にと・・・そしてデイジーの腕の中で・・・



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『変わりゆくものへ』開催致します

 京都はまさに紅葉の真っ盛り、街の賑わいも昔に戻り始め、私の生活圏は既に多くの観光客で溢れています。
東福寺
 「今年の紅葉は今一つ・・・」と、何人もの方たちから伺いますが、これはこの数年、耳にする言葉。
 やはり微妙に気候変動が進んでいるのでしょうか。それにしても今年は冬の訪れが早いのか、降り積もる落葉が心なしか深く感じられます。
変わりゆくものへチラシ



 さて、来春4月に開催の「月の庭vol.11 『変わりゆくものへ』」のフライヤーが出来上がりましたので、今日はこれに添ってコンサートのご案内をさせて頂こうと思います。





   松峰綾音 月の庭 シャンソンと朗読のひととき vol.11
     『変わりゆくものへ』


   京都:京都文化博物館別館ホール 2023年4月2日(日)
     16:30開場  17:00開演  
   横浜:岩崎博物館 山手ゲーテ座ホール  2023年4月9日(日)
     13:30開場  14:00開演


   『山月記』         中島 敦 作  朗読 
   プレヴェールのシャンソン     S・ゲンズブール
   時と共に             レオ・フェレ
   もしも              J・J・ゴールドマン
   守り続けるために         松峰 綾音   
                               他

   <会場>
 両会場での公演は、昨年1月の『月光微韻』、今年3月の『ひだまりの猫たち』に次いで三回目となります。
皆様に大変好評でしたし、両ホールとも雰囲気のある大好きな場所ですので是非またと思い、日程の確保に全力を注いだのでした。
 全力を注ぐ・・・と言ってもエントリーして、ただ確定の日をじっと待っただけなのですが。
 共に、早くから希望日時を申し込んでも正式に決まるのは半年前で、この間にもっと強力なライバルが出現するとあえ無く撤退しなければならないのです。
 強力な・・・というのは、例えば府や県、あるいは市の公的な催し物が同一の日に入ってきた場合、更にはホールのメンテナンス関係の修繕点検と重なった場合など。実はこれまでの二回のコンサートいずれも、これに泣かされて、何度か変更を強いられてきました。
 ですので、粛々とコンサート準備を進めつつ、日程が決まらない状況を抱え込むのは、かなりなストレスにもなるのです。
 今回も例にもれず、京都の会場は二度日時を変更した上の決定なのでした。
 それに加えてコロナの状況もありますから、ステージ活動は何かと気のもめることも多いです。
 でも、その分、こうして今、日時が決定され、気持ちはかなり高揚して開催に向かっています。
 
 前回ご紹介した会場のご紹介ですが、もう一度改めて。
 京都は旧日本銀行京都支店、辰野金吾設計の重要文化財で、威風堂々とした趣の近代建築「京都文化博物館別館ホール」。
 横浜は「山手ゲーテ座ホール」、みなとの見える丘公園の一角にあるエキゾチックな雰囲気の建物で、フランス人建築家サルダ設計によって1885(明治18)年に建てられた日本最初の西洋式劇場ホールです。
 建物全体が醸し出す長い歴史に包まれた余韻のようなものがとても素敵で、ステージの世界を支えてくれる気がします。

   <テーマ>
  「変わりゆくもの」に対して、まずはできるだけ無色の状態で向き合えたらと思い、今回のフライヤーには、前回の『ひだまりの猫たち』より更に、地のままの写真を載せてしまいました。
変わりゆくものへチラシ裏

 フライヤーの裏面に記したコンサートテーマは次の通りです。

 流されてゆく焦流されてゆく焦燥と喪失、変わろうとする意志と再生
 変身のすべてはeirõneia=「運命のいたずら」の中に委ねられているのかもしれません


 変身・変化(へんげ)は自分自身の意思によって成し遂げられるものではありますが、実はもっと大きな力に委ねられているとも言えるのではないでしょうか。
 そんな意味合いで上記の言葉をフラーヤーに記してみました。

 コロナ・自然災害・戦争、予期せぬ悲惨な出来事で世界が一変してゆく時代、普遍なものを見出し難い状況の前に揺れ、佇んで、「変わりゆくもの」「変わりゆくこと」の意味と対峙してみる、問いかけてみる・・・・そのことを今回のコンサートのメインテーマにしたいと考えました。

 そして、中島敦の『山月記』を今回、朗読したいと思います。
 昭和17年、戦争のさなかに執筆された小説、戦火が迫り風雲急を告げるときそれでも小説家として作品を生み出し続けたいとの想いを捨てきれなかった中島敦が万感の思いを込めて記した遺作でもあります。
 古い中国の怪奇小説に題材を執り換骨奪胎して生み出された作品、詩人として名を成そうとする主人公の、その野心の強さと自己撞着のゆえに、ついには虎に身を変えられてしまった悲劇の物語です。
 この作品を主軸として、今回新たに訳したシャンソンも何曲かご紹介してゆきたいと思っています。

 もう一つお知らせを。
 フライヤーに記しました「守り続けるために」という作品は初めてのオリジナル曲となります。
 改めてまたご紹介致しますが、これも是非お聴き頂きたい曲ですので、お楽しみになさってくださいね。

 
  チケット(自由席¥4000-)の予約・お問い合わせは
  WEB松峰綾音のコンタクトからお願い致します。

 鬼が笑う来年の予定、でもどうぞ皆様今から!
 お誘い合わせの上、是非お越しくださいますように。

     
 

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『ひだまりの猫たち』無事終了です

 1月29日のゲーテ座コンサートが終了してから、10日余りが過ぎました。
 お客様、スタッフ、出演者、どこからも体調不良のお話は聞きませんので、ようやく安心して無事終了のご報告をさせて頂くことができます。

 年明け1月8日の京都公演から三週間を経る時間は本当に長く感じられました。
オミクロン株、以前ほどには重症化しにくいとは言うものの、日を追うごとに急増する感染者数には何とも心塞がれ、でもその中で発信してゆくことの意味にひたすら突き動かされながらの、満を持してのコンサートでした。

 元々の定員を三分の一に絞っての開催だったのですが、当日欠席はほとんどなく、間隔を大きく取った客席に皆様ゆったりと楽しそうに寛いでくださって、開演前の舞台からその様子を目にし、もうすでに感無量でした。
 ステージに立って、今、目の前にいる方たちにじかに伝えること、歌うこと、語ること、共にあることの幸せをしみじみと感じていました。
 京都と横浜、「ひだまりの猫たち」はいつも以上に心に刻まれた幸せなコンサートとなった気がしています。
表紙帯
 いつもお世話になっているカメラマン沢木瑠璃さんが今回も素敵な写真を撮影して下さいました。既にご紹介した通り『詞歌抄 クロと読むchanson』の帯表紙の写真も彼女の手によるものです。

   コンサートの情景
 山手ゲーテ座ホール
 今回も、「晴女連勝記録」をまたまた更新、明るく澄み切った空が広がる山手ゲーテ座ホールです。

 猫の鳴き声からステージが始まります。
 出だしなので特にこだわり、どんな猫の声にしようかしらと、試行錯誤し、鳴きまねを繰り返し・・・・外を歩きながらついつい声を出していたら、道端の猫に振り向かれたこともあり、そう言えばその猫は黒猫で、これはきっと良い啓示だと勝手に感激したことなども一瞬頭をよぎりました。
 第一部は猫三昧・・・猫の歌、猫の小説、エッセイ、そして猫のお話。
後ろ姿
 『紋次郎物語』も朗読してみました。紋次郎が登場する直前の第三章「母子の別れ」。  
 読みながら時間は逆行し、紋次郎の母猫が目の前に浮かんで、何十年も前の出来事なのに、言葉が、時間と思い出を呼び寄せてくれているようで、自分でも不思議な感慨がありました。
 そんな朗読の後ろ姿です。

後ろ姿といえば、京都の会場でも猫の帯のお客様がいらしたのですが、なんと横浜公演でも。
猫の帯
 こんな素敵なお着物姿。お二方ともこの日のためにわざわざ誂えて下さった猫のデザインの帯で、仲の良いご友人同士が黒猫と白猫の好対称、会場の皆様の目をくぎ付けにしていました。
 素敵な着こなしが美しいですね。本当にありがたい素敵なエールです。

   舞台1   舞台2
 そして第一部はすっかり猫になりきって終了。

AA事務局長
 第一部の終わりには京都から駆けつけて下さったAA会(アミカル綾音友の会)の事務局長がご挨拶をして下さり、その温かく飄逸なお人柄に会場が温かく包まれました。
 『詞歌抄 クロと読むchanson』の編集・出版に大きなご助力を下さった皆様も一堂に会して、嬉しい出版記念のコンサートとなりました。
 多くの皆様のお力によって生まれ出ることのできた大切な一冊です。


 第二部。
 坂下さんとのステージ風景です。舞台4
 「ピアノの音と声・言葉とがぴったりと一致して、ピアノは歌を邪魔せず、ピアノの音に声は調和し、感激しました。」とお客様に言って頂き、一生懸命二人で練習を重ね作り上げてきたことが報われる思いです。

舞台3

 第二部のこの黒のドレス。
 左横に猫の足跡が縫い付けてあるのです。艶のある毛並みのような別布で肉球が一つずつキラキラしていて皆様びっくり、とても喜んで下さいました。

第二部は、訳詞誕生までの過程、翻訳の諸問題、出版に関する裏話など色々お話しながら。
本の中で取り上げた12曲中7曲を歌い、それらの訳詞の世界を一曲ずつ紹介してゆきました。
サイン会
 終演後、ご購入いただいた本にサインをとの突然のご依頼があり、片隅で密を避けながら恥ずかしそうに、かつ真剣な表情で記している様子です。

 皆様、これまで様々に支えて下さいまして本当にありがとうございました。

 横浜の公演ライブの映像(DVD・BD)と録音(CD・デジタルデータ)のそれぞれの収録を行いました。
 会場に足を運べなかったので聴いてみたい・見てみたい、あるいは、行ったけれど、もう一度繰り返して味わってみたい等の嬉しいご希望がございましたら、どうぞWEBコンタクトより、お問合せください。

 既に次のコンサートの様々な企画が頭の中に沸々と湧き上がっています。
 新たな結実となって実現するよう、更によきものを目指して進んでいけたら幸せです。
 どうぞこれからもよろしくお願い致します。


                     

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『ひだまりの猫たち』京都公演ご報告

 お正月も返上しひたすらコンサート準備に勤しんだ私の新年でしたが、1月8日の京都コンサート、お蔭様で無事終えることができました。
すぐにご報告と思っているうちに、様々な対応に追われてあっという間に10日間が過ぎてしまいました。
 元旦には、遠い出来事だったオミクロンが、日一日と現実に迫ってきた1月8日。
 それでもまだ、さほど切迫感はなく和やかな雰囲気の中で皆様に楽しんで頂けたように思います。
 ちょうどその翌日辺りからあれよあれよという間に急増して、今、悪夢を見ているような気がします。

 逆風の合間を縫って開催にこぎ着けられた事、長年の夢であった『詞歌抄 クロと読むchanson』の出版記念、そして「月の庭」の第10回目、私にはいつも以上に感慨深いコンサートとなりました。

 このコンサートのために作詞した「猫のまどろみ 猫ふんじゃった奇想曲」からステージを始めました。この曲については、お伝えしたい面白いお話が色々ありますので、別の機会に取り上げてみたいと思っています。
 前半第一部は、猫にまつわる文学作品の朗読を中心に展開し、後半第二部は、『詞歌抄』収録の曲の中から歌い語るという構成と致しました。
 まだ来週の横浜公演がありますので、内容を詳しくお話ししてしまうと「ネタバレ」になってしまいますので、全て終わってから改めて振り返ることと致します。

 そのようなわけで、写真もまた横浜公演後にご披露するとして・・・本日は少しだけ。
公演前
 コンサート前、出番を待つ顔です。

今回も多くの皆様がスタッフとして強力にバックアップしてくださいました。何も言わなくても各人各所で的確に諸事をこなしてくださって、何よりも明るい笑顔と楽しい雰囲気、それだけでもう私にはコンサートへの何よりの力を頂いている気持ちになりました。
そんな感謝と幸福感でいっぱいの写真です。

音響も照明ももう何度か依頼している気心の知れた方たちです。
この日も文化博物館ホールの吹き抜けの空間は美しく染まり、素敵な音が響いていました。
    青のイメージ

天井
 クラシカルな天井とシャンデリア、そして高窓にも青紫の光が反射して、幻想的な世界に導かれる気がします。
 今回のイメージカラーは青紫。
 これは『詞歌抄 クロと読むchanson』の表紙の色であり、私のひそかなこだわりです。

 本番の時、ステージに立つのは私独りですが、実はそれまでに既にたくさんの仲間たちの力が結集して舞台を作り上げていて、そういう力に包まれている実感があるのです。
朗読

 今回は意識して朗読を多く取り入れていますが、リハーサル中もこんな表情で作品に入り込んでいます。

クロの帯

 そして最後に沢山の花束を頂きました。花束を下さる方々の「出版おめでとう」の言葉に思わず胸が詰まってしまいました。
 いつもお二人共お着物でいらして下さる素敵なカップル、その奥様の帯に「クロ」が。


 さて、来週1月29日(土)に迫りました山手ゲーテ座でのコンサート。
 オミクロン株の急増に胸を痛めております。
 色々な考え方があり悩みは尽きないのですが、ホール側がクローズにならない限り、今日現在、発信する側の私としては開催を目指そうと思っています。
 もちろん最大限の対策を尽くした上で。
 座席数も本来の三分の一ほどに縮小致します。それでもいらっしゃれないお客様はおありかと思われますが、こんな時にもいらして下さる方のために、だからこそ是非とおっしゃって下さる方のために、ベストを尽くして準備をし、開催をあきらめずに向かおうと思っています。

 横浜公演にいらして下さるお客様、中止やむなき場合には間際になってのご連絡になるかもしれず、その際にはどうぞご容赦くださいますように。
 
                    

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「あのときの味」コンサートのご報告

 11月27日の『月の庭vol.9 「あのときの味」』、お陰様で無事終了致しました。
 その後、慌ただしくしていてご報告がすっかり遅くなってしまったのですが、とても心に残る楽しい時間となりました。

 駆け出しの教師の頃からずっと教鞭を執ってきた鎌倉のこの地で、今コンサートを行うのはどこか不思議でもあり、終始、時間が引き戻されるような懐かしい感覚に包まれていました。
 お客様も、久しぶりで再会した嘗ての同僚や、教え子たち、地元で懇意にして頂いていた方々、そして大先輩の先生までいらして頂き、私の中では思い出が遡ってくるような何とも言えない感慨がありました。
 当時は、教師として教壇に立っていたわけですので、今マイクを握っているステージの自分がどう映っているのだろうかとか、思わずチョークに持ち替えたくなるような緊張や照れのようなものもあり、でも、それも含めて時の流れ、一筋の糸は繋がっていて、今を形成しているのだと、そしてその今を温かく見守って頂けているのだと・・・・そんな有難さの中で過ごした一日だった気がします。

 では、この一日をいつものカメラマン沢木瑠璃さんの写真で振り返ってみようと思います。

   「あのときの味」
 この日も晴れ渡った麗らかな晩秋の日。
134 受付にプログラムその他を並べ、お客様がいらっしゃるまでに作りたてのデザートが用意されました。146 ケーキの王道、苺ショートケーキとゼリーがこの日の「あのときの味」です。

リハーサル風景です。音の響きはとても良くて一安心。スタッフたちが手分けして四隅の音響バランスをチェックしています。
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スタッフは全員女性でしたが、その何人かが、きりっとそして優雅な着物姿で、受付にもひときわ映えました。
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 スタッフのお一人の後ろ姿です。 帯にご注目下さい。
カプチーノの絵柄がこの日のプログラムの中の珈琲の曲にぴったりでした。
182.1
 しかもカプチーノの中の絵は猫の顔。「紋次郎物語」と次のコンサートの「ひだまりの猫たち」を連想させてもう最高におしゃれです。
こういうスタッフたちの温かい心意気に支えられて、絶好調のテンションでコンサートに臨みます。

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この写真、とても好きです。




お客様のお顔を見ていると本当に楽しくて、本番は我ながらにこやかな表情。歌って、話して、朗読して。
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朗読をご自身でもなさっているお客様が今回三名いらして、コンサート後に様々な感想を寄せて下さいました。
朗読の在り方って人ぞれぞれで、決まった形があるわけではありませんが、よく問われるのは、演劇の一人芝居のように感情を入れて世界を演じ尽くすのか、あるいは、淡々とむしろ感情を抑え込んで文章を忠実に伝えることに努めるのかという問題でしょうか。
今回取り上げた朗読の中で、特に、詩『小さなユリと』などは前者の形。かなり意識して、三歳のユリちゃんの気持ちになりきって会話の部分を読んでみたのですが、この評価は三人三様でした。
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 もう一つは、長編小説などを取り上げるとき、コンサートの中では全編を朗読するのは時間的に難しいですので、一部分の抜粋であったり、中間で要約を入れたりと工夫することも生じます。
また、耳で聴くだけでは理解しにくい言葉などは、敢えて平易な言葉に言い換えたりと、私の場合には色々大胆にアレンジしています。
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 ステージは純粋な朗読会とも違うので、歌と合わせた全体のイメージをより印象的に伝えてゆかねばという考えからかもしれません。
 トータルしてその文学作品がより魅力的に深く聴く側に届けばよいのではとも思うのです。
いずれにしても、作品の性質、その時のお客様の求めるもの、会場の雰囲気などによって、必要な事柄が異なってくる気がして、朗読素材を選ぶこと、朗読を行うことには考えたい課題がたくさんあり、それはとてもチャレンジングで奥深いことだと思っています。

コンサートの中盤、ピアニスト坂下文野さんをご紹介。二人で楽しくおしゃべりしています。
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座席を空けながらの会場です。
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アンコールの時、プレゼントして頂いた花束を抱えて。
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これまで様々にお力添え、ご協力下さいました皆様、当日お越し頂きましたお客様、心からお礼申し上げます。

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 これから次の「ひだまりの猫たち」の準備に励みます。
 1月8日の京都、1月29日の横浜、もうすぐですが、どうぞお楽しみに是非お運びくださいますように。



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「ひだまりの猫たち」開催致します

 大船(鎌倉市)でのコンサート『あのときの味』は当日まで、あと10日となり、最終調整に入りました。
 幸いコロナ感染者数も激減して落ち着いてきていますし、何かと忙しくはありますが、心弾む毎日です。
 残席はあとわずかですので、ご希望の方はお早めにお問い合わせください。

 さて、そんな中ですが。
 来春1月に「月の庭vol.10」を開催することになりましたので、お知らせいたします。

   松峰綾音 月の庭 シャンソンと朗読のひととき vol.10
    『ひだまりの猫たち』

   京都 文化博物館別館ホール 2022年1月8日(土)
     16:30開場  17:00開演  
   横浜 山手ゲーテ座ホール  2022年1月29日(土)
     13:30開場  14:00開演


   『吾輩は猫である』抄 夏目漱石作  朗読 
   『ノラや』抄     内田百閒作  朗読
   『紋次郎物語』抄   松峰綾音作  朗読
   僕になついた猫 カミーユ・クトー
   鏡の向こう側に バルバラ          他


 会場となるホールは、両会場とも前回のコンサート『月光微韻』と同様です。
 京都と横浜のコンサートツアー。
 京都は旧日本銀行京都支店、辰野金吾設計の重要文化財で、威風堂々とした趣の近代建築「京都文化博物館別館ホール」。横浜は「山手ゲーテ座ホール」、みなとの見える丘公園の一角にあるエキゾチックな雰囲気の建物で、フランス人建築家サルダ設計によって1885(明治18)年に建てられた日本最初の西洋式劇場ホールです。
 建物全体が醸し出す長い歴史に包まれた余韻のようなものがとても素敵で、ステージの世界を支えてくれる気がします。再びこの両ホールでという思いが強くあり、今回また実現することができました。
ひだまりの猫たちパンフレット表
 こんなチラシです!
 ひだまりの猫なので、私もほわっとリラックスしていても良いかしらと思い、ノーメイクでおどけている普段顔を出してしまいました。
 小さな額に縁どられた猫の小物たちの写真はすべて私の猫コレクション、持っているもののほんの一部ですがチラシを飾ってみました。
 「紋次郎」も真ん中辺りに何気なく登場しています。
ひだまりの猫たちパンフ裏

 

   コンサートのイメージは「猫」
 『紋次郎物語』に続いて、この度『「詞歌抄」クロと読むChanson』を出版することができましたので、この記念コンサートでもあります。
 それで、猫を描いた文学作品の朗読と猫が出てくるシャンソンを主にした構成になっています。
 色々な猫たちと、そこから広がるイメージや物語を楽しんで頂けたら良いかと。

 話が脱線しますが。
 過日、ある方が『紋次郎物語』の書評をお手紙にしたためて下さったのですが、その中で、「それにしてもなぜ犬ではなく猫なのか?」との半ばジョークの入った抗議文が展開されていました。ご自身がどんなに犬派であるかが熱く語られていて、そのうちにかつての飼い犬の思い出にまで話が及び・・・こうなると犬も猫も同じかもしれず・・・「動物好きの方は良いなあ」と思いを新たにしたのでした。

 さて、コンサート。
 犬好きの方も、猫派の方も、どちらでもない方も、大いに楽しんで頂けるような興味深いコンサートに作り上げていきたいです。
 ただ、こちらも日々練習三昧なので、間近に迫った「あのときの味」コンサートが、猫っぽくならないよう気をつけなければなりませんね。

   『「詞歌抄」クロと読むChanson』12月発売決定
 12月初旬、まずは私のところに完成ほやほやの本が数冊届くことになっています。
 もうすぐ! 
 紆余曲折を経てようやく出版にこぎつけましたので、感慨もひとしおです。
 書店に並ぶのは12月半ばになるのではと思いますが、アマゾンでも注文できます。また改めてご案内致します。

 「ひだまりの猫たち」コンサートの中では、本の中で取り上げた曲をご紹介しながら、翻訳、出版秘話なども盛りだくさんで楽しくお話ししていきたいです。
 
 幸いコロナの感染者数も減少してきましたが、油断することなく感染予防対策には万全を期し、両会場、席数を制限して臨みたいと思います。
 是非、皆様お越しくださいますように。

 ご予約は、お申込み順とさせて頂きますので、お早めにご連絡頂けますと幸いです。
 チケット予約・お問い合わせは
 WEB松峰綾音ayane-chanter.comのコンタクトからお願い致します。


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