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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

浄瑠璃寺の春を行く

 前回の記事『5月の若草山』で馬酔木の事を書いていたら、急に浄瑠璃寺に行きたくなりました。
 浄瑠璃寺は、大学の頃から何度も訪れている大好きなお寺、京都府木津川市にありますので、奈良探訪の記からは離れてしまうのですが、奈良との県境に位置しています。
 中学生の時に堀辰雄の随筆『大和路・信濃路』を読み、瑞々しい感性で捉えられている大和路の静謐な叙情にすっかり心惹かれ、特に、この中に載っている『浄瑠璃寺の春』という文章が忘れられませんでした。
 以来、春になると、大和路のこの小さなお寺に可憐な花をつける馬酔木の花房を見に行きたくなります。

   『浄瑠璃寺の春』を辿る
 真言律宗の寺院、嘉承2年(1107)建立。山号を小田原山と称し、本尊は阿弥陀如来と薬師如来。本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)の通称がある。
 池を中心とした浄土式庭園を挟んで東に三重塔とそこに祀られている薬師仏。西に本堂と九体の阿弥陀仏、北に潅頂堂と三つの同塔が主要伽藍となり、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。
(浄瑠璃寺パンフレットより)

 この浄瑠璃寺を堀辰雄夫妻が訪ねたのは昭和18年のこと、この時の思い出が『大和路・信濃路』に随想集として綴られているのですが、この中に『浄瑠璃寺の春』はあります
 冒頭は次のように始まります。
 この春、僕は前から一種の憧れをもっていた馬酔木(あしび)の花を大和路のいたるところで見ることができた。
 そのなかでも一番印象ぶかかったのは、奈良へ着いたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英(たんぽぽ)や薺(なずな)のような花にもひとりでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅びとらしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、やっとたどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見いだしたときだった。
 
 開門9時と同時に参道に到着。眩しい青空と爽やかな風。ツツジが鮮やかな色で咲き誇っていました。
参道 参道1
 山門まで真っ直ぐに続く道を辿ります。
 道の両側の柔らかい馬酔木の青葉が目に優しく入ってきました。
 学生の頃訪れた時には、道はまだこのように整備されてはいなくて、もの寂びて朽ち果てそうな風情でしたが、今は光の中で、生気を取り戻したような明るい風景に変わっていました。
山門

 でも山門、両脇の小さなお地蔵様、馬酔木の灌木、変わらずに・・・。

『浄瑠璃寺の春』ではこんな記述になっています。

 その小さな門の中へ、石段を二つ三つ上がって、はいりかけながら、「ああ、こんなところに馬酔木が咲いている。」と僕はその門のかたわらに、丁度その門と殆ど同じくらいの高さに伸びた一本の灌木がいちめんに細かな白い花をふさふさと垂らしているのを認めると、自分のあとからくる妻のほうを向いて、得意そうにそれを指さして見せた。
馬酔木の花 「まあ、これがあなたの大好きな馬酔木の花?」妻もその灌木のそばに寄ってきながら、その細かな白い花を仔細に見ていたが、しまいには、なんということもなしに、そのふっさりと垂れた一と塊りを掌のうえに載せたりしてみていた。
 どこか犯しがたい気品がある、それでいて、どうにでもしてそれを手折って、ちょっと人に見せたいような、いじらしい風情をした花だ。云わば、この花のそんなところが、花というものが今よりかずっと意味ぶかかった万葉びとたちに、ただ綺麗なだけならもっと他にもあるのに、それらのどの花にも増して、いたく愛せられていたのだ。――そんなことを自分の傍でもってさっきからいかにも無心そうに妻のしだしている手まさぐりから僕はふいと、思い出していた。

山門をくぐると、池とその奥に阿弥陀堂が広がります。
境内 境内2

 白い雲と緑の木々を映す池に、黒々とした鯉の一群が悠然と泳いでいました。
池 空
見上げれば高い空。

本堂の九体の阿弥陀仏が心を圧倒する気がしました。それぞれの前にじっと座って手を合わせると、慈しみに溢れた阿弥陀様の眼差しを優しく感じ、いにしえびとの信仰の想いが理屈ではなく体に染み入ってくるようでした。
    九体仏
   (九体仏のこの写真は浄瑠璃寺のポストカードからのものです)
天女


年に三回だけ開扉される吉祥天女像に、幸運にも今回出会うことができました。

山門

 阿弥陀堂を出て振り返ると三重塔。

 回遊式の庭園を散策しながら三重塔に向かいました。
道端には道祖神、そして渡された柵は竹で設えられた粋な意匠で、何とも心にくいです。
   道祖神  竹垣

青紅葉の風。
三重塔3 舟
 池には朽ち果てた一層の小舟が沈んで舟頭だけを水面に見せていました。
 生み出された第二の自然。
三重塔4

 『浄瑠璃寺の春』のこんな文章が思い出されました。
 自然を超えんとして人間の意志したすべてのものが、長い歳月の間にほとんど廃亡に帰して、いまはそのわずかに残っているものも、そのもとの自然のうちに、そのものの一部に過ぎないかのように、融け込んでしまうようになる。そうして其処にその二つのものが一つになって――いわば、第二の自然が発生する。そういうところにすべての廃墟の云いしれぬ魅力があるのではないか? 
境内3
 堀辰雄は彼の見た浄瑠璃寺を「廃寺」と表現しているのですが、幾星霜を経て、今は廃寺から再生した美しい姿を見せています。
 でも、5月の連休にもかかわらず、ほとんど人気(ひとけ)のないこの静寂な風景には、自然と、人が作り上げたものとが、一つになって包み込まれているようで・・・堀辰雄の居た遠い時間と溶け合ってゆくような気がしました。

 帰路に。
猫
 浄瑠璃寺の境内にもこうした参道にも猫たちが沢山いて、どの猫も全く人を警戒せず、当たり前のように共存する、のどかな風景です。
 紫陽花が咲く頃も美しいのではと思います。皆様も一度そっと訪れてみてください。

   おまけのお話
 丹羽文雄をご存じでしょうか。繊細なロマンチストである堀辰雄の作風とは真逆の位置にある、一時は風俗小説と批判された作品世界を持つ作家ですが、彼の作品に、浄瑠璃寺が描かれているのを見つけました。
 ある小説に出てくるフレーズ。
 「鎌倉前期につくられた吉祥天像や、九躰仏をみることは、つけ足しです。ぼくのねがいは、九百十何年前につくられた、淋しい山寺のなかに、あなたをおいてみたかった」
 何と言う口説き文句。何とも何ともなのです。



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奈良探訪の記 ~五月の若草山

   奈良に仮住まいを始めました
 さて、突然ですが、京都の家をリフォームすることとなり、10日ほど前、奈良に引っ越してきました。7月中旬まで、二か月半の仮住まいです。
 気が付くと身の回りの荷物って増えているものですね。この際と思い、かなり大胆に整理し処分したつもりですが、でもまだまだ・・一応落ち着いたとはいえ、パンダの段ボールが山積みの中で毎日暮らしています。
 リフォームが完成したら、元の家に戻るわけなので、荷物はできるだけそのままにし、最小限しか箱を開けない覚悟の耐久生活となりましたが、でも、食器も、衣類も、その他諸々も、とてもシンプルで潔い暮らしぶりになった気もしています。本当に必要なものは、そんなにたくさんあるわけではないのかもしれません。・・・
 窓の外は大きく広がる空、吹き抜ける風と眩しい光、心地よいGW。 

 嘗て、国語の教師だった私、京都も奈良も修学旅行の引率で毎年のように来ていましたし、大和三山を背に、現地での歴史・古典文学の解説を行っていました。でも、引率という立場ですから、常に緊張して生徒たちの動向に目を配らねばならず、自由に旅情を楽しむという気分とは程遠いものがありました。
 今回の二か月半、改めて奈良を楽しんでみようかなと思っています。
 奈良探訪記も時々お届けしたいです。

   若草山の春
 で、早速なのですが。
 まずは奈良を俯瞰するところから始めようと思い立ち、「若草山」へ。
 若草山は、奈良公園の東側に位置する標高約342mのなだらかな山で、三つの笠を重ねたように見えることから、別名「三笠山」とも呼ばれるようになったと聞きました。下から一重目・二重目・三重目と数えられ、「順に登るのがハイキングの醍醐味」とあったのですが、まずは今回はドライブで。

 奈良奥山ドライブウエイに入るとすぐに、東大寺の全景が眼下に見えてきます。
東大寺
 新緑が山全体に柔らかく伸びやかに広がります。

 道の両側の馬酔木(あせび・あしび)が殊の外美しく、さ緑色の葉を広げていました。
 関東では箱根の山などに美しく生息していますが、何と言っても奈良には馬酔木の木が多いのです。
馬酔木1 馬酔木2
 馬がその葉を食べると痺れて麻痺してしまうと言われる「馬が酔う」灌木。スズランのような可憐な白い花をつけ何とも優雅な風情を感じ、春の訪れを告げる花木の中でも私は特に大好きな木です。

 昔、よく聴いていたさだまさしの『まほろば』という曲をふと思い出しました。

 春日山から飛火野あたり ゆらゆらと影ばかり泥む夕暮れ
 馬酔木(あせび)の森の馬酔木(まよいぎ)に たずねたずねた帰り道

 遠い明日しか見えない僕と 足元のぬかるみを気に病む君と
 結ぶ手と手の虚ろさに 黙り黙った別れ道


 恋人同士の心のすれ違いと別れを歌った曲なのですが、『まほろば』というタイトルと、歌詞から浮かんでくる春日大社の参道を覆うように広がる馬酔木の森の霊気のようなものに非常に心惹かれて、よく口ずさんでいた歌でした。

 日は昇り 日は沈み振り向けば 何もかも移ろいさって
 青丹よし平城山(ならやま)の空に満月


 と締めくくられます。平城山の馬酔木を一度見たいとずっと思っていて、大学の時に初めて、一人で奈良を訪ねたことなど、思い出します。
馬酔木3
 さて、若草山の駐車場に車を置き、頂上に向かいます。大木の間に満開の馬酔木が続く道を少し行くと、突然視界がひらけ、鹿たちに出逢いました。



 若草山2
 奈良公園の鹿は、人間を見るとすぐ寄ってきて鹿せんべいをねだりますが、ここに生息する鹿は揺るがず悠然と自分たちの時間だけを生きています。
若草山5
 逃げもせずおもねりもせず。

 奈良の人々にとっては、鹿は神の使いであり、人間と共存する存在なのだと聞いたことがありますが、まさにその言葉通りの、美しく端然とした佇まいです。

若草山3
 三重目の頂上から奈良の街が一望でき、遠くには生駒、金剛の山々、大和三山が連なります。広大な奈良盆地、どこにも高層ビルはなく、変わることないいにしえの風情を保ち続けているようです。


ここまでの「新若草山コース」で戻ってしまう車が殆どなのですが、今回は更に「奈良奥山コース」へと進みました。ここは世界遺産の「春日山原始林」の中を貫く細い砂利道です。
春日山1 春日山2
深い森の中を探索すると、遠い日の万葉人に出逢うことがてきそうです。
春日山3
 原始林とはいえ、春日大社の神山ですから、朽ちた木は丁寧に伐採されて、管理が行き届いており、散在する石窟仏には散策道が作られていますので、上級者ハイキングにもってこいなのでしょうね。

 でも、ここは深入りせず・・・・。しばらく車を走らせると「高円山コース」に至りました。



 
高円山1
 高円山は万葉歌にも多く詠まれていて、二上山や大和三山が望めます。
 高円宮家のお名前はこの地から生まれたことを初めて知りました。
 故高円宮殿下のお手植えの柊の木と並んだ枝垂桜。
高円山2

その傍らに大伴家持の歌碑がありました。

高円の秋野のうへの朝霧に妻呼ぶ牡鹿出で立つらむか



高円山3



 麗らかな五月の日差しの中の奈良は全てがゆったりと流れて心が穏やかに溶けてゆくようでした。





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ひまわりとライムソーダ

  「東京はやっと梅雨が終わって、今日から夏が始まりました」と一昨日東京に住む友人が苦笑いしながら話していました。
 関西はひたすら暑く、関東は雨ばかり続く毎日でしたが、あっという間にもうすぐ8月も終わりですね。

 短すぎる夏
 短すぎる季節
 日々、平凡であっても、やはり昨日と違う新しい今日がやってきて、様々なことが起こります。
 泣いたり笑ったり格闘したりと、滑稽でも懸命に向き合う一つ一つの積み重ねが、自分の生きた証しとなっているのだと、当たり前ではあるのですが、ふと、感慨に浸るのも季節の終わりの余情なのかもしれません。

   サロンコンサート『夏の物語』
 忙中閑あり、今年も大好きな軽井沢で何日かを過ごすことができました。
 そこで、思いがけず素敵な出来事があったので、ご報告致します。

 この数年来、親交のある方からのご依頼を受け、サロンコンサートを開くこととなりました。

 コンサートタイトルは『夏の物語』
 急遽、出来上がったご案内チラシがこちらです。
チラシ2

 向日葵(ひまわり)畑で花束を手にしている後ろ姿は私。
 鋏を貸してくれて、畑から自由に刈り取った向日葵を安価で分けてくれます。

 コンサートのドレスコードはカジュアルな服装であること、但し、マストアイテムは向日葵。

 瀟洒な佇まいのお宅のリビングが会場でしたが、音響は心地よく整えられ、光の具合も柔らかく仮設ステージを照らしていました。

 さりげなく活けられた向日葵の花が、私の今年の夏の飛び切りの僥倖であるような気がして、温かく寛いだ空気の中で歌うことの出来る幸せを噛みしめていました。

 昨年の8月21日は、訳詞コンサートvol.10『ライムソーダの夏』を開催しました。
 10周年記念コンサートでしたので、自分のバースディーに重ねてみたかったのです。
 節目になった昨年、あれからちょうど一年が経って、やはり同じ8月21日に開催という今回の嬉しいお計らいでした。
 「ライムソーダ」も用意して下さって、和気藹々としたコンサートのひと時が流れました。

 その時のビデオと写真を組み合わせて3分ほどの動画が出来上がりました。
 ほぼ、すっぴん、普段着で歌っている極私的動画で恥ずかしいのですが、勇気を出してお見せしてしまいます。
  サロンコンサート「夏の物語」より
 音楽を通しての楽しい空気を感じて頂けたら幸いです。


   家畜改良センター長野支場 ~向日葵畑~
 長野での最後の休日=昨日、足を延ばして佐久にある「家畜改良センター長野支場」に行ってきました。
長野牧場
 「家畜改良センター長野支場」(正式には、茨城牧場長野支場なのですが、なぜか看板は、通称の長野牧場となっています)は、家畜のエサとなる優良な飼料作物品種種子の生産・検定・品種証明、飼養管理しやすい山羊の生産及び利用促進、飼料作物種子と山羊に関する調査研究、地域貢献のための各種活動、などに取り組んでいます。
山羊の牧場

というわけで、牧場にはこんな風にヤギの群れが長閑に草を食んでいました。


数日前のサロンコンサートを彩った向日葵の余韻が強く残っていて、広々とした向日葵畑が急に見たくなったのです。
ひまわり畑1 ひまわり畑2
その向日葵畑。
青空に映えて。
向こうには浅間山。牧草が綺麗に刈り取られています。
牧草地   白樺と落葉松並木
 幹の太い白樺と、すっくとそびえる落葉松並木です。

  ・・・・・・・・・・・・・

 昨日、この景色の中に立っていたのが嘘のようで、先ほど京都に戻ってきました。
 信州は朝夕20℃を切っていましたが、こちらは夜になったというのに、まだ34℃の室温です。

 少し離れるだけで全く異なる風景と空気。
 信州での短かくも楽しかった夏に想いを馳せながら、しばらく続きそうな京都の熱帯夜を乗り切りたいと思います。



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6月の軽井沢 ~新緑の中で

 このところブログの更新が滞っていて申し訳ありません。
 公私共、慌しくしているのですが、こういう時は、気づかないうちにどうも近視眼的な心模様になってしまうようで、猛省。

 気分転換に、今、軽井沢に来ております。

 長野での仕事の帰りに足を延ばして、久しぶりに大好きな軽井沢に立ち寄ることができました。
 二日間だけの休暇ですが、6月に入ったばかりのこの季節、梅雨前の爽やかな緑風と優しい陽の光、人出もまばらで、新緑に包まれて心身が瑞々しく蘇ってくるような幸せな気持ちになりました。
 
 緑のリラクゼーション、写真と共にご一緒に楽しんで頂けたらと思います。

 
   薔薇園のレストラン ブラッサリー・ナカガワにて 
 バラのつぼみ
お昼少し前に軽井沢到着、レイクニュータウンにあるレイクガーデンの薔薇が無性に見たくなって、直行してみました。
 「ローズシーズンは6月10日からです」とサイトに出ていたのですが、今年は暑かったので、少し早いかもしれないと期待して・・・・でも、ガーデンへ向かうアプローチの薔薇は、どれもまだ芽を出し始めたばかりで、固い蕾でした。

  くれなゐの 二尺のびたるばらの芽の 針やはらかに 春雨の降る

 子規の歌にある柔らかい芽、紅色に色づいた若い葉、絢爛と開く薔薇の花を準備して、今、咲き出づる力を懸命に幹の中に巡らせているのでしょうね。

 薔薇の花はまだ早すぎたのですが、その代わり、清々しい白い花々が真っ盛りでした。
オオテマリ なんじゃもんじゃ
  オオデマリ。 ナンジャモンジャという珍しい名前の木も白い花をつけて咲いています。
なかがわの入口

 お腹も空いてきて、まずはランチをブラッスリー・ナカガワで。
 レイクガーデンに隣接して立つお洒落なレストランで、以前からのお気に入りのお店なのです。

 壁に絡まるツタも青々と柔らかく、瀟洒な建物を美しく飾っています。
内装 窓からの庭
 お洒落なセンスの内装が居心地良く迎えてくれました。
 窓の外には、レイクガーデンの緑の借景が映し出されています。
パスタ
 いつも注文するのがこれ、私の一押し「生うにパスタ」。

 以前、写真家のAさんに、食べ物を美味しそうに撮る方法を伝授して頂いた事があったのですが、それを思い出しながら一枚。
 出来栄えは如何でしょうか。

 ドライフラワー
 ゆっくりとした時間を過ごし、店を後に。
 扉の外には薔薇のドライフラワーをアレンジしたこんなオーナメントが飾られていました。

クレマチスの入口
 レイクガーデンも覗いてみました。
 クレマチスが扉を飾っています。


 目もお腹も満たされた幸せなひと時でした。

   6月の「白糸の滝」 
三笠通り2
 三笠通りをドライブし、久しぶりに白糸の滝に行ってみようかと思い立ちました。

 落葉松の並木も新緑が柔らかく美しいです。


軽井沢に来て、白糸の滝というのは、あまりにも観光初心者コースなのですが、でも、この時期は真夏の賑わいとは違い、散策の人もちらほらで、閑寂な風情がありました。
流れ
 
 浅間の雪解け水を集めて、水しぶきを上げて流れる渓流も澄んだ勢いを持っていました。
 セリ
  流れに負けないセリもまぶしく、山懐にある6月の川の素敵な表情です。
苔の石垣



 石垣が一面苔で埋まっています。

白糸の滝

誰もいない白糸の滝にカップルが一組、楽しそうに写真を撮り合っていました。


緑色の無数の細い筋が糸のように流れているのが写真からわかるでしょうか。
川面の緑
 滝壺にゆったりと立ち止まった水が急流となって湯川の源流となり、周囲の木々の緑を映し出しているのです。

    一面の緑
 ただじっと眺めていると、水、木々、風、光、冷気が頭と心の深いところに染み入って、何か開放的な不思議な浄化作用を及ぼしてゆく、そんな気がしてきます。
 月並みな言葉ですが、自然の力、恵みを改めて実感したひと時でした。

   浅間山の見える風景
 浅間高原に向かいます。
雲と浅間 浅間
 今日の浅間山・・・噴煙を上げる浅間山。 煙と雲とが真っ白く青空に映えています。
 夏の収穫を待つキャベツの苗。

山つつじ3
 この時期ならではの山躑躅がそこここで今見ごろです。

6月の軽井沢散策をお届けしてみました。
明日からまた張り切って頑張ろうと思います。








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画室の佇まい ~奥村土牛美術館を訪ねて

 山梨県小淵沢と長野県小諸を結ぶローカル線、JR小海線に八千穂駅があります。

 週末、長野に所用があり、足を延ばしてふらりとこの八千穂村(現佐久穂町)を訪れてみました。
 お目当ては『奥村土牛(とぎゅう)記念美術館』です。

   秋の彩り
 信州の山は紅葉が日一日と色濃くなっています。
  風に立つ紅葉    紅葉
 強風に煽られるのでしょうか、風の流れに添って枝も傾(かし)いでいます。

 落葉松は、深緑の針葉が黄緑に色を変え始めたばかり、いつもなら今頃は金色に輝いているのに、今年の秋はゆっくりと訪れているのですね。
      浅間高原の秋
 落葉松に混ざってブナや椎の木などが、一足早く色付き始め、高原の秋は深まり、空は高く広がります。

風に揺れる薄(すすき)の原、そして、向こうに八ヶ岳の峰々が水墨画のように淡いシルエットを描きます。
ススキと八ヶ岳 ススキ

自撮り


 この日の私、自撮り写真です。
 
 芸術の秋、少し加工してみました



   奥村土牛記念美術館
晩年の土牛
 日本画壇の巨匠、平成二年に101歳の長寿を全うされるまで、大正・昭和・平成に渡って、秀逸な作品を生み出し、画壇に大きな影響を与え続けた奥村土牛(とぎゅう)画伯の記念館が佐久穂にあります。

 奥村画伯は、東京生まれなのですが、戦時中、家族と共に長野に疎開されていたことがあり、八千穂村との縁もこの時期に始まったようです。
 黒澤酒造の社屋が八千穂村に譲渡され、嘗てここの離れに疎開していた折、母屋の風情に自らの作品を展示する場所としての大きな魅力を感じていた奥村画伯が、多くの自作を寄贈されたために記念美術館として発足したのだと展示の系譜に記されていました。

 奥村土牛の作品は、生き生きと躍動的に自然の造形が描き出されているのに、素朴で奇をてらわない品格が感じられて、私は昔から大好きな画家なのです。
入場券

この美術館は、一度訪れたいと思っていたのですが、ようやく実現したのでした。
 
展示作品は素描が殆どで、『仔牛』『聖牛』など、土牛の名に因む牛のスケッチなども展示されていて目を惹かれました。
 
 記念館の方に、なぜ素描の展示ばかりなのかとお尋ねしてみたところ、画伯自身が、「素描を味わって貰うのにこの美術館は最もふさわしい」との思いから、素描を多数自薦されたからということでした。

 確かに清々しい漆喰の天井、欄間や床の間の精巧な細工、四方に廊下を巡らせた珍しい造り、ノスタルジックなシャンデリアなど、さっぱりとしていながらどことなくモダンで瀟洒な和洋折衷の趣が、他に類を見ない独特な風情を漂わせて、この美術館を印象付けていました。
 
   作品が生まれる部屋
 「画伯の画室」として、東京から移築された部屋の全景です。
仕事部屋
 嘗て、鴎外や直哉などの旧居を訪ね、再現されたその書斎の様子など、目にしたことがありましたが、そのいずれにも、傑作が生みだされる独自の空気、佇まいというものがあることを感じ、とても感激したことを思い出しました。

 文筆家や画家など芸術に携わっている人だけでなく、きっと普通の場合でも、そこに暮らす人の気配というか、暮らし方の匂いというものが、部屋には漂っているのでしょう。
 
 それでも、作品が生み出される誕生の場は、やはり特別の「産みの苦しみ」と「誕生の予感と喜び」に満ちた場であるのかしらとふと思いました。

 奥村画伯の画室は、その画風と同様に清楚で無駄がなく作品の魂が端座しているような趣を感じました。
絵具 
 絵の具の端然と置かれた美しさ。
 絵筆から漂う清らかな生気。
 一つの作品へと、「生れ出る時」をひたすら待っているかのような画布。
 画家の仕事を温める火鉢。
 大きな仕事机。
デッサン
 創作を促すこと以外の何一つも置かれていない静寂な画室。

 東山魁夷画伯の作品展にも同様に画室が再現されてあって、同じような静謐な空気を感じたのが思い出されました。

 それぞれの画伯の作風は異なりますが、でも対象を愛情深く見つめ、姿勢を正し、虚心になって絵筆を執る、そういう求道的な精神を支える聖域の佇まいなのでしょうか。

 心を強く動かされ、あまりにも長い時間、この画室の前にじっとしていたためか、記念館の方が声を掛けて下さり、この画室の写真をカメラに収めることも快諾してくださいました。

私にとっても、歌の詩を生み出すときは、やはり「産みの時」であるわけで、「産みの場」である我が書斎は・・・・私は機織り部屋と呼んでいるのですが・・・・どんな佇まいを呈しているのか、願わくば端正で静謐であってほしいけれど・・・・日々の心構えを猛省したのでした。

松と記念館   記念館の庭
 美術館の全景。
植木屋さんと来館者でしょうか、何やら熱心に庭木や建物の話に花を咲かせていました。

   酒蔵のある風景
 黒澤合名会社は、現在も黒澤酒造として大きく地酒の酒蔵を営んでいました。
黒澤酒造 佐久穂の街並み
酒の資料館などとして一般に公開していますが、記念館の一帯は昔ながらの蔵が立ち並びタイムスリップしたような懐かしい風情に溢れていました。
 
10月の半ば過ぎ、秋深まる信州の小さな旅の一コマをお届けしてみました。

 

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軽井沢・浅間高原花便り

 数日前、久しぶりに大好きな軽井沢を訪れました。
 京都から6時間半のドライブ、五月の薫風を受けながら、好きな音楽を聴き、ただ無心に車を走らせていると、心も軽やかになってゆきます。

 5月の信州はまさに春の到来、一斉に花々が咲き誇り、木々が芽吹き、山々を早緑(さみどり)色に染め上げ、命に満ちた美しい季節を感じさせてくれます。

 今年は暖冬だったためか、例年より多くの草木の芽吹きや開花が早く、日差しも殊の外眩しく感じられました。

 今日は、そんな休日のフォトレポート、撮ってきた花々や風景の写真をご紹介してみますね。
 ご一緒に、軽井沢と浅間高原の瑞々しい春の情景をお楽しみいただけたらと思います。

   <落葉松>
    からまつの林を過ぎて、
    からまつをしみじみと見き。
    からまつはさびしかりけり。
    たびゆくはさびしかりけり。

    からまつの林を出でて、
    からまつの林に入りぬ。
    からまつの林に入りて、
    また細く道はつづけり。

 白秋のこの『落葉松』の詩は、私には晩夏か初秋の頃の鬱蒼と深い落葉松林を思わせます。
落葉松の中の朝陽

 今の時期に見る芽吹きの落葉松は、もっと柔らかくて楽しげで。
 無垢な初々しさに満ちた情景です。
落葉松並木

 枯れ木色の冬を脱して、柔らかい芽が吹き出す素敵さに、陶然としながら車を走らせる、・・・道は真っ直ぐに続いてゆきます。

 光を浴びて聳え立つ落葉松。凛とした美しさを感じつつ。


   <石楠花(しゃくなげ)>
 例年はこの時期にはまだ硬い蕾なのですが、今年は季節に先駆けてこんなに鮮やかに開きました。
   シャクナゲ   シャクナゲと落葉松
 落葉松に寄り添うような石楠花。このコントラストは高原の春色です。

   <ミツバツツジとヤマツツジ> 
 どちらがどちらかお分かりになるでしょうか。
 ミツバツツジは小さく咲く紫ピンクの花、花が終わってから葉が出てきて、枝先に三枚の葉がつくことからこの名になったと聞きます。高原に自生し、この時期を可憐に飾る野趣に富んだツツジです。
三つ葉ツツジ ツツジと三つ葉ツツジ
 もう少し大きめの赤い花をつけたヤマツツジが混ざり合って咲き誇っていました。

   <スミレ 水仙 レンギョウ>
 道端に。
 それぞれにそれぞれの美しさが・・・。
スミレ 水仙 レンギョウ

   <芽吹き>
ヤマモミジの花
 気持ちが良いですね。
 青空に映えて。 
 山もみじにも赤い小さな花が咲いています。

   <桜と馬酔木>
 桜とアセビ



 5月に咲く桜と馬酔木(アセビ)。

やはり信州です。




   <浅間山>
 軽井沢から浅間高原に向かう道すがら、艶やかな黒土の畑の向こうに、わずかに雪渓を残した浅間山が、煙を吐きながら悠然と稜線を描いています。
       黒土の畑と浅間山

   <タンポポ>
 やがて路傍にタンポポ。
 懐かしい日本の風景です。
タンポポの原 あぜ道のタンポポ
一面のタンポポの原。 そして、畔道にもタンポポ。

   <二度上峠(にどあげとうげ)>
 浅間高原を展望する高台、二度上峠までドライブしてみました。
 「鼻曲山(はなまがりやま)」というユーモラスで、でもよくありそうな名前の山の稜線がくっきりと見えます。
二度上峠   峠の鳥居
 二度上げ峠の頂上に在る神社への道。鳥居に向かう急階段です。

 ひっそりと当たり前のように道祖神が風景の中に溶け込んでいました。

   <キャベツ畑>
 キャベツの苗
 夏は一面キャベツで埋め尽くされる嬬恋のキャベツ畑ですが、まだ苗のまま、整然と植えつけられて清々しい美しさを見せています。

 ここで育つ真夏のキャベツは美味しいはずですね。

   <朝の散歩>
 夜明け 落葉松林の中で。
せせらぎ

 道のほとりに流れる浅間山の雪解けのせせらぎは、驚くほど水流が早く囂々と力強い水音を立てていました。

 朝のしじまに音が冴えわたります。
 流れる水の音 遠くから落葉松林を渡ってくる風の音


 そして朝の光を眩しく受ける落葉松。

朝陽とカラマツ2 朝陽とカラマツ
 良い一日だと素直に思えて、それがジーンと沁みてくるような不思議な感動がありました。

 そんな5月の休日をお届けしてみました。



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夏の終わりに ~軽井沢の休日

    『風立ちぬ』
 夏の終わり、今年も束の間の休日を、軽井沢で過ごしています。

 軽井沢は多くの文学者たちにゆかりの深い地でもあります。
 芥川龍之介、有島武郎、川端康成、室生犀星、堀辰雄、立原道造、・・・・ロマンチックな作品が落葉松の木立を背景とする自然の中で生み出されていますが、そんな世界に心を留めることも、私にとって、この地を訪れる楽しみの一つになっているのかもしれません。

 さて、『風立ちぬ』というと、数年前のジブリのアニメ映画を思い浮かべる方のほうが圧倒的に多いのではと思います。
でも、あらすじに下敷きとなっている部分はあるものの、原典である小説『風立ちぬ』は全く別の純文学で、昭和12年に発表された堀辰雄の古典的名作です。

   風立ちぬ いざ生きめやも

 ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓場』の一節、
   Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
 というフレーズからこの「風立ちぬ」というタイトルは採られていて、「風が立った さあ生きることを試みねばならない」というような意味なのです。

 作者堀辰雄自身に起こった悲恋の顛末を忠実に描いている作品で、語り手の『私』は彼、そして主人公の『節子』は、実際に彼の婚約者だった女性をモデルにしています。

 晩夏の軽井沢で若き二人は出会い、純愛を育んでゆくのですが、彼女は当時死病であった重い肺結核を患っており、富士見高原のサナトリウムで闘病生活を送ることになります。
 その彼女と婚約して、彼女の命を共に生きることを決意し、付き添って彼も療養所で看護の日々を過ごすのでした。

 死の影と対峙しながら、限りある「生」を刻んでゆく時間が、美しい自然、刻々と移り変わる季節の流れの中で、静謐に鮮やかに描かれていて、作品全体が上質な一篇の詩を読むように心に染み入ってきます。

 「風」は二人の出会いの場面において、運命の幕開けを告げるように一陣吹き抜け、そして彼女亡き後、邂逅の地である軽井沢に彼が戻った時、荒涼とした冬の木立に落ち葉を舞い上がらせます。

 「風が立つ」とは、人生が何かによって大きく揺り動かされてゆくときの前兆や予感であるのでしょうか。
 人の世の有限な全てのものを超越し、翻弄されず、永遠に生きようとする愛が意志的に描かれてゆく美しい小説です。


   高原の朝 ~風 霧 草花
 早朝の風景をレンズに収めてみました。

軽井沢の朝は、霧に覆われていました。
霧の朝 霧の朝2
 向こうが見えないくらいの霧に包まれる幻想的な朝明けです。
 霧を運ぶ風が、木立を冷たく静かに吹き抜けてゆきます。

 今年の猛暑は、高原といえども例外ではなかったのですが、それでも朝晩は急に気温が下がり肌寒いほどです。
 晴天かと思うと突然雷雨に見舞われたり、朝夕、深い霧が立ち込めたり、気温の落差が大きくなっている分、そういう気象の振り幅も半端ではないのでしょうね。

霧に濡れた苔の上に木漏れ日が射します。
霧に濡れた苔 桂の木
 昨晩の雨を受けた桂の木々。ハートの葉が可愛いですね。

萩の花

 萩の花も咲き始めています。
 霧と光と冷気に良く映えます。

白アジサイ

 陽が射してきて。
 立秋を過ぎてまだ瑞々しく咲いている白紫陽花の花々。

 風の音を聞きながらの、何があるわけでもない早朝の散歩は日常を忘れる贅沢な時間でした。

   高原の空 ~風 雲 光
 くっきりと晴れ渡った空、少しだけ遠出をしたくなって志賀高原までドライブしてみました。

 軽井沢から2時間弱、ひたすら山を上ります。
 山の景色がだんだんと変わって行きます。
高原の落葉松
 「風衝形」というのでしたっけ、高山地帯など風を強く受ける場所で、それに適応して生育してゆくために、本来の樹形が変化して低く変形したものですが、まさにこの辺りの樹木は皆、身を屈めて風に向かっているようです。
 耐えきれなくなったのでしょうか。立ち枯れの木々も見えます。

見晴らし台で車を止めてみました。
「日本国道最高地点 標高2172m」とありました。
  最高地点     撮影風景
 そして、何やら撮影をしている様子。
 「中之条町」と車体に記されているワゴン車(公用車なのでしょうね)が傍に止まっていて、何人かのスタッフの方たちが打ち合わせの真っ最中のようでした。
 町の広報誌か、観光用ポスター、あるいはコマーシャルビデオでも撮影していたのかもしれません。バイクを操っているのは、出演者(モデル?)のようです。

 山肌を心地よく吹き抜ける爽風。
 流れる雲。
流れる雲
 真っ青で高く澄み切った光る空も、一足早い高原の秋です。

 ドライブを堪能して、奥志賀高原のお洒落なホテルに立ち寄り一休み、チーズスフレにブルーベリージャムが添えられたデザートを頂きました。
ホテルの庭 チーズスフレ

 新鮮な牛乳で作られたチーズとブルーベリーは、この季節ならではの高原の幸です。

   おまけのお話 マイ・バースディー
 そして8月21日はマイ・バースディー。
 いつも勝手に自己申告して恐縮なのですが、今年も無事に迎えることのできた誕生日です。

 友人から届いた「Bon anniversaire!」のお祝いメールも嬉しく心に染みます。  
 恙なく新しい夏が繰り返されてゆく幸せをしみじみと思いました。

 『風立ちぬ』ではありませんが、色々な風が人生には吹き抜け、でもその中で幾つもの「一期一会」がもたらされて、自分だけの時間が作られてゆくのですね。

 そうであることをいつも<幸せ>と思っていたいと願う今年の誕生日でした。
バースデイケーキ

ケーキに添えられたHappy Birthdayの文字。

今年は、知人たちがこんなお祝いをしてくれました。





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東京駅丸の内駅舎を巡る

 仕事その他諸々あり、相変わらず京都と東京の往復を続けている私、馴染みの東京駅なのですが、昨年、開業100周年を迎え、駅舎の歴史など耳にする機会も増えて、新たに復原された駅舎の事や、構内の構造などに改めて興味を惹かれていました。

 先日ふと「東京駅丸の内駅舎見学と東京ステーションホテルスペシャルランチツアー」というのを見つけて、ちょうど半日時間が空いていたこともあり、思い立ってこれに申し込んでみました。友人のMさんと二人で参加です。

 誰でも知っていそうな東京駅ですが、今日は、写真と共にこのツアーのご紹介を致しますね。

   中央口から南口へ
 旅行会社が企画しているツアー、朝10時30分丸の内中央口集合で、14名が1グループで、複数グループが集まっていました。

 ガイドさんは年配の女性、熱心で心のこもった説明で、<制約のある観光は好きではない>と、これまでツアー旅行やツアーガイドも敬遠して、個人旅行を貫いてきた私ですが、<専門家ならではの見識というものもあり、特にこういう歴史に関わることは聞いてこそ!>と認識を新たにしたのでした。

 すぐ改札の中に案内されるものと思っていたのに、なぜか外に出て南口方向へ・・・。

 考えてみれば、列車が行き交い、乗降客でごった返しているホームの中で、悠長にガイドなどすることは不可能でしょうし、第一、駅の心臓部を一般のツアー客に無防備に公開してしまうことは、安全の意味からも極めてリスクが高く、当然のことでした。
 危機管理もクリアした上で、いつか、JR主催の東京駅マル秘ツアーみたいな企画が実現したら面白いですね。
 JRが提供している「丸の内駅舎保存復原見学マップ」というものを見つけました。ご興味のある方はこれを携え、ご自身で駅を探索してみてください。
     ↓
http://www.jreast.co.jp/tokyostation/pdf/tokyostation_map.pdf

 (細かいことですが。「復元」ではなく「復原」という文字を使っていることに目が留まりました。建築の領域においては、復元とは失われて消えてしまったものを、かつての姿どおりに新たに作ることをいい、復原とは始めの姿が改造されたり、変化してしまった現状を元の姿に戻すことをいうのだそうです。ですから、東京駅の場合は下記の経緯からして「復原」が正しいことになります。)

 ではその、東京駅復原に至るまでの流れなのですが。

 現在の東京駅は2012年10月1日に、 丸の内駅舎(含 南北のド-ム、 ドーム天井のレリーフ等)が開業当時(大正3年)の姿に復原されました。

 開業時の駅舎は、日本銀行本店などを設計した建築家、辰野金吾氏の手によるもので、<日本の中央駅>としての威信をかけ建設されました。ステーションホテルも翌年併設されていますので、これもまた<「日本のホテル」ここにあり>の矜持、並々ならぬものだったことでしょう。
 ところが、1945年、戦災により南北のドームや屋根などを焼失してしまい、戦後、2階建て駅舎に改修して長く使っていました。  
 それを開業当時の形を蘇らせるべく、本格的復原工事が2007年に着工され、5年の歳月をかけて、開業当時の形を再現したというわけです。

 2時間のツアーの中で、工事における様々な困難や工夫など詳細な説明があり大変興味深かったのですが、全てをここでご紹介しきれないのが残念です
東京駅ツアーの開始
 
 お話をツアーのご紹介に戻しますね。

写真左は北口ドーム、そして中央口、中央貴賓口、手前右に南口ドーム、と続きます。



 中央貴賓口です。皇室の方をお迎えする時以外は使用されません。
 皇居から真直ぐに御幸通りが続き、皇室の方が駅に向かわれる時にはその信号が全て青になるとのことでした。
   貴賓口     駅長室入口
 そしてすぐ右手に駅長室への入り口があります。ここも勿論一般には入ることはできません。
 駅長室は丸の内駅舎の中央に位置して、各路線のゼロ基点になっているのだそうです。
東京駅の変遷

 南口構内に入ります。

 東京駅の変遷が時代を追って写真パネルで展示されていたのですが、小学校2~3年位の男の子が、この前で熱心にメモを取っていたのが、とても可愛く思われました。
 
そして大正10年に原敬首相が暴漢によって刺殺されたという場所がこんなボードで示されており、倒れたまさにその場所にこんな印が。
原首相暗殺の場所 暗殺の場所
 数えきれないほどこの場所は通っていたのに、このようなモニュメントが残っていることに意外と気付かないものなのですね。
見上げる風景
 見上げる風景。

 各階は吹き抜けで、回廊がぐるりとドームを囲んでいます。
 そして回廊に向かって東京ステーションホテルの客室の窓が開かれています。
八角形のドーム
 八角形のドーム天井には、稲穂を掴んで、大きく羽を広げた鷲のレリーフがそれぞれの角に復原され飾られています。
 拡げた羽の大きさは2.1mもあるということで、「鷲が稲穂を持って飛来し、そこから日本の稲作は始まったとする伝説」に起因するもので、設計者の辰野金吾氏は<瑞穂の国の表玄関としての象徴>にこのモチーフを選んだのでしょうか。  東京駅はやはりすごいです。

   東京駅を臨む風景
 東京駅の全景を観賞しようと南口を出て少し歩きます。
 右手に東京郵便局、そびえ立つビルに他のビルの影が映って・・・都会の美ですね。
ビルに写るビル KITTE入口 郵便局の中
 通称KITTEと呼ばれていますが、その入り口です。中は人でいっぱい。

 途中、TOKYO SKY BUSの姿がありました。一日乗車券を購入すれば、自由に何度でも乗り降りできます。
SKYバス 並木道
 新丸ビルに向かう並木道をそぞろ歩き。
 青々とした木立が眩しく光って、東京もまさに皐月只中でした。

 新丸ビルからの眺望。駅周辺の全貌が見えています。
 車はミニチュア、駅舎は精密に作られた模型の様です。
  新丸ビルからの眺望   皇居
 振り返ると、真直ぐ奥に皇居が見えました。

   東京ステーションホテル
 ここでガイドさんが交代。
駅を行き交う人
 北口側からホテルに入り、今度はホテルの方がホテル内をガイドしてくれます。
 北側の窓から駅舎側を眺めます。先ほどの南ドームと対になっていることがよくわかります。
 部屋の中から見上げる天井。見下ろせば美しい意匠の床、駅構内を行き交う人々。

 このツアーの目玉には、4階にあるロイヤルスイートルームの見学が含まれています。
 ホテル全体が、落ち着いた色調とインテリアで、草創期のホテルとしての誇りを保ちつつ、落ち着いて滞在できる雰囲気を醸し出していたのですけれど、でもこのお部屋は別格、一泊80万円だそうで、100㎡以上とのこと。
 リビングルーム、そしてベッドルーム、クローゼット、バスルームに至るまで、さすがにすべてが広々とした素敵な空間でした。
スイートルーム ベッドルーム 御幸通り
 窓から見る風景。真直ぐ正面が御幸通りで、その先は皇居に直結です。

 さて、そうしてランチタイム。
ガトーショコラ
 Mさんと二人、感想を話しながら、美味しいお食事を満喫しました。
 最後のデザートに「ガトーショコラ 駅舎風」が供せられました。
 赤レンガの駅舎を摸して、お洒落です。
 「100 th Anniversary TOKYO STATION」とありました。

 忙中閑有り。
 歴史の中に刻まれた近代日本草創期の気概と、その文化を未来に継承してゆこうとする現代の気概とを感じつつ、日常と離れた贅沢なひと時を過ごすことが出来た休日でした。



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落葉松の芽吹きの中を行く

 GWも今日で終わり、楽しくお過ごしでしたか。

 薫風香る五月、私はただ自宅に籠り、山積みのデスクワークを黙々とこなしていたのですが、それも一段落した後半、自分へのご褒美に、思い立って軽井沢に行ってきました。

 落葉松が大好きで、四季が織りなすその風情に心魅かれ、遠路なのですが、折に触れ足を運びます。

 春は格別。

 芽吹きを間近にして枯れ枝が樹液を巡らせるように色を変え始める頃、そして一気に柔らかい淡緑色の芽を吹き始める頃、一旦芽を吹き始めると、倍速ビデオで見るように、葉が開いてゆく様子など、生命が瑞々しく躍動するこの季節には眩しいような感動があります。

 京都から軽井沢まで、空いていれば車で6~7時間、3度の休憩を挟んで、一気に走り抜けます。
 連休の合間を縫ったスケジュールで、渋滞情報どこ吹く風、今回も行き帰り嘘のようにスムースでした。

 歩くのは一番好きですが、ドライブは二番目に好き。
 そしてBGMは自分の歌う歌。
 好い気なものですが、私には何よりのリラックスタイムでもあります。
 そしてこういうことになるとなぜかいつも、動物的勘が働くらしく、幸せなことに、これまで渋滞に巻き込まれた経験は殆どないのです。

 今年は一か月位季節が早いようで、いつもなら、まだようやく芽吹きで、桜と辛夷(こぶし)が一緒に咲き始める時なのに、落葉松はもう既に青々とした木立になって光を受けていましたし、桜は葉桜に近く、びっくりしました。

 そんな信州の春を、撮ってきた写真でご紹介してみますね。

   落葉松と青空
カラマツの続く道
 
 軽井沢に入ると、落葉松の道。

 もうこんなに青々としています。




百聞は一見。
青空に映えて本当に美しいです。
青空とカラマツ2    青空とカラマツ
聳(そび)え立つ風情が凛々しく、孤高で、そして優しくもあります。

    春の花々
 桜、雪ヤナギ、ヤマボウシ、ミツバ躑躅、水仙、石楠花(しゃくなげ)。
 春の花の競演です。
桜と雪柳 ミツバツツジ 水仙

   キャベツ畑の春
 今回も嬬恋村のキャベツ畑に足を伸ばしてみました。
 キャベツの植え付けも心なしか早いようです。
 GWはいつもひっそりとしているのに、今年は人が大勢出て忙しそうに立ち働いていました。
浅間山とキャベツ畑 あぜ道のタンポポ
 真夏は、大きなキャベツが収穫を待っていますが、今は、最初の植え付けが終わったところです。

 良く耕された黒土と、キャベツの芽、そしてタンポポが三層をなして春の田園風景を作り上げています。裏浅間とそれを囲む山並みに少しだけ雪渓が残ってキラキラと反射しています。
キャベツ畑とこいのぼり
 鯉のぼりが風にはためいて。
 都会では見られなくなった懐かしい日本の風景ですね。
 大きな鯉たちが悠然と風になびいています。

 「空を泳ぐ」という表現が自然に浮かんできます。

   軽井沢のランチ
 こうやって遠出をしてくると、美味しいものが食べたくなりますし、そして軽井沢にはフレンチレストランが良く似合う気がします。

 長年の間に、何軒かお気に入りのお店が出来、今回はその中の一軒に予約を入れておきました。
 私、一人でお食事を頂くことは平気で、ウエイターさんと会話を楽しんだりするのですが、この日は久しぶりで会う女友達と待ち合わせて、ご一緒しました。
緑に囲まれた美しい前庭。建物も瀟洒でとてもお洒落です。
木陰のレストラン ボンジュールのカード
 ボンジュールのカード。
 若草色に統一されていて素敵ですね。
 心尽くしのお料理も本当に美味しいのです。
 ゆっくりと友人との再会を楽しんで、話に花が咲いたのでした。

   朝陽の中で
 一日過ぎて、早朝の散歩。
 朝陽を斜めに受けて、木々の影が長く引いている光景に心を惹かれました。
 これは、まだ若木の白樺の梢を映しています。
朝陽の作る影

 こんな写真を撮ってみました。
 ノッポの足長さんは、朝陽を背にした私です。
 ちょっと詩的な写真かしらと自画自賛してご紹介してみました。
 如何ですか。

 束の間の信州での休日、季節を沢山体に満たしてきました。
 明日から東京で一仕事ですが、リフレッシュして頑張りたいと思います。

 五月は気持ちの良い季節、素敵な一か月になると良いですね。





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晩秋の落葉松 ~千住博美術館~

 はっと気が付いたら、前回から10日余りの空白、申し訳ありません。

 ・・・・コンサートの準備が始まった途端、身辺が慌ただしくなり、あちこち走り回っておりました。
 今一番肝腎なことは、何より、歌い込みのはずなのですが、私の場合はいつも、その他の雑務から固めていく本末転倒タイプなので、一番美味しいものは最後に残して、いざ好物を前にした頃には、お腹が一杯になっていたりします。

 ・・・突然真夜中にむっくり起き上がって訳詞などもしていました。
 コンサートの曲とは違うものばかり、それがなぜか妙にはかどります・・・。

 その上、秋のブタクサアレルギーか鼻風邪かよくわからない不快状態まで加わって、最近まで「アレルギーなんて!」と豪語していた私は、今や最先端の現代人です。
 (『ブタクサ』って、可哀相な名前ですよね。 Ragweed。 ragは「ぼろきれ・いやしい人間」、weedは「雑草」の意味で、これをだれが『ブタクサ』と命名したのでしょう。ちなみに、『セイタカアワダチソウ』の別名と信じている人が多いですが、これは間違いのようです)

 更に故あって、この数日間、京都と東京と長野をガラガラとキャリーバックを引きずりながら、行ったり来たりさすらっておりました。

 おまけですが・・・・・、実家の近所で、京都にまで大々的に報道されるような殺人事件が起こりました。
 新聞や週刊誌やテレビの報道記者の取材、更には刑事さんたちも聞き込み来たりして、普段は閑静な住宅地が大騒動になっていたらしいのです。この数日、母から頻繁に速報電話が高揚した口調でかかってきております。

 そんなこんなの言い訳ですが、その合間を縫って、今年も晩秋の軽井沢に足を延ばしてきました。

   枯葉の季節
 四季折々の落葉松に心魅かれ、時折訪れてしまいます。
 この日は、午後から曇天に変わり、霧雨が降り始めたのですが、午前中、着いた頃はまだこんなに青空で、浅間山がくっきりと映えていました。
白樺と浅間  霧に煙る木々
気温は5℃。清澄な冷気の中で、思わず身を正します。
名残りの落葉松
 くすんだ枯葉色の風景。 
 落葉松のキラキラとした黄金色の輝きも今は盛りを過ぎて、名残の針の葉が薄い日差しを受けて弱く光っていました。

 ゲンズブールのヒット曲の中に、<la chanson de Prevert>(プレヴェールのシャンソン>という曲があります。『枯葉に寄せて』という邦題が付いて、日本でも人気の高い曲なのですが、プレヴェールのシャンソンといえば、<les feuilles mortes>、『枯葉』のことで、「この季節になると、僕は、君がよく口ずさんでいた『枯葉』を懐かしく思い出すんだ」・・・・という、今は戻らぬ恋を回想するしみじみとした内容になっています。

 
漂う枯葉の匂い
 舞い散る落ち葉、道を埋め尽くす枯葉、踏みしめる乾いた音、漂う枯葉の匂いの中で、この曲の旋律が聴こえてくる気がしました。
 
 話が脱線しますが。
 そういえば、この<les feuilles mortes>、<mortes>は「死」のことですから、「枯葉」は、フランス人には「死んだ葉」なのですね。
 上手に説明できないのですが、『枯葉』という言葉には、衰え移りゆく「生」を慈しみながら眺めるようなかすかな感覚を感じて、単に<mortes>とは違うのでは、などと思ってしまいました。


 冬薔薇(ふゆそうび)
 夏に立ち寄った「レイク・ガーデン」の近くを通ってみました。
冬薔薇1  冬薔薇2
 茶色い枯れ枝にほっそりと再び咲く薔薇の花が、鮮やかな季節とは違った不思議な美しさを感じさせていました。
 晩秋、そして初冬のこの季節ならではの枯れた中の楚々とした風情です。

   軽井沢千住博美術館
 鳥瞰図・・・この不思議な形の建物が「軽井沢千住博美術館」です。
 昨年の10月に開館して以来、是非一度訪れてみたいと思っていたのです。

軽井沢千住博美術館  カラーリーフガーデン
玄関までのアプローチは、「カラーリーフガーデン」と名付けられて、様々な色の樹木や多年草が植栽されていて、森の小径を散策するように、いつの間にか美術館に導かれます。

美術館の内部。
吹き抜けのある美術館内部(絵葉書より)
 緩やかな斜面に建てられて、土地の起伏を生かして、美術館内部のフロアもそのまま傾斜しているという意表を突くデザインなのですが、それが、外と繋がる吹き抜け空間の眺望と調和して、非常に解放感がある素敵な建物です。
 世界的建築家の西沢立衛氏の設計による美術館で、この建物にまず驚かされます。

 そして千住博氏は50代半ばの若さでありながら、京都造形芸術大学の学長、日本画家として既に世界的名声を得ている方です。詳細については
美術館のHPをご覧いただけたらと思います。

 斬新で素敵な作品に心を奪われましたが、その中から二つご紹介しようかと。
崖(クリフ) #11 (千住博・絵葉書より) 
一つは「クリフ」(崖)と名付けられた作品群。
 千住氏自身が書かれた説明の中から抜粋してみます。

 岩で岩を描く。日本画は崖を描くのに最もふさわしいと思います。なにしろ絵具自体が岩なのですから。揉(も)み紙という伝統的な手法を使い、画面を揉んで山や谷を作り、そこに絵具を流し込みました。山で山を描き、谷で谷を描く。自然の側に身を置く発想なのです。


もう一つは「星のふる夜に」と名付けられた16枚の絵からなる絵本。
こちらも説明の抜粋をしてみます。

  星のふる夜に#4 (千住博・絵葉書より)    星のふる夜に #15(千住博・絵葉書より)
 絵巻物を、現代的な形で再現できないか、と考え続けていました。
 そして、日本に決定的に足りないイマジネーションを育む絵本を考えました。ストーリーがなく、絵だけで構成されている絵本です。絵本は人類史上最高のメディアのひとつだと感じました。

 バンビが主人公で、星のきれいな或る夜、森の中から街に散歩して、やがて道に迷いながらも夜が明ける頃、再び、仲間たちが待つ森に戻ってくるというストーリーが楽しく連想できます。
 東山魁夷画伯の白い馬のシリーズを彷彿とさせますが、東山画伯が哲学的な心象風景として馬を描いているのに対し、このバンビはあくまでも絵本の主人公としての個性を持って生かされている気がしました。

 千住氏の自由闊達な<創造の世界>の楽しさと力に大いに刺激を受けた、11月、信州の小旅行でした。


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