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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

* 「小さなトーシューズ」 その一

エッフェル塔 
今日は少し真面目に。
 ・・・いつも真面目ですけど・・・。

 これまで私が作ってきたシャンソンの訳詞への思いや解説などを、このブログの中で、これから時々話してゆければと思っています。
 では、その記念すべき第一回目を。



    「小さなトーシューズ」 ~ライムライトより テリーのテーマ~  

 最初のフレーズを聴くだけで、誰もが、「ああ、このメロディー・・・」と懐かしく感じるだろう。
 1952年制作のチャップリンの名画「ライムライト」の主題曲である。
 チャップリンは監督脚本主演のみならず、このテーマ曲の作曲も自ら手がけている。発表されてから既に60年近くが経つというのに、名だたる映画音楽史上の中でも最高峰の不滅の名曲として生き続けている曲である。天賦の才などという言葉を遥かに超えた凄さと言うべきか。

 この「ライムライト」は彼がアメリカで制作した最後の映画となった。社会風刺性の強い彼の作品の数々が当時のアメリカとソ連の冷戦の中で冷遇され、その軋轢を逃れて、その後スイスに居をおいたことによる。
 " Limelight "が映画の原題。舞台のフットライト、スポットライトを指す英語である。
 かつて名コメディアンと謳われたカルヴェロ、今は見る影なく年老いて落ちぶれ、小さな劇場で、ささやかに日銭を稼いでは飲んだくれている毎日である。カルヴェロ役は勿論チャップリン。
 ある日、彼のアパートに住む若い娘がガス自殺しようとするところを偶然助けることとなる。この娘がクレア・ブルーム演じるところのバレリーナ、テレーズである。彼女はリューマチで足が麻痺してバレリーナ生命を絶たれ、それに悲観して、生きる力を失っていた。・・・ところが、ストーリーが進むにつれて、実は、あるきっかけから精神的プレッシャーで踊れなくなっただけで、機能的には問題がないのだということが判明する。テレーズを不憫に思い、自らの不遇と思いを重ねたカルヴェロは、彼女の介護をしながら、回復のために親身になって面倒をみる。
 
 ここから始まるのだけど、この調子で語っていくと際限なくなりそうだ。
 実は、私はチャップリン映画が昔から大好きで、少し時が経つと無性にまた観直したくなってくる。・・・友達に話すと、この話題は大体盛り上がる。
 「私もそう」「私も」ということになり、それぞれご贔屓の映画を詳細かつ熱く語るところをみると、私だけが特別にフリークというわけでもなさそうで、日本人は結構チャップリンが好きなのだろう。

 止まらなくなってきた。後少しだけ映画のことを。
 カルヴェロの有名な名セリフを空で言えるか?・・・チャップリン好きの踏み絵みたいなものだけど、絶望から立ち直れないでいる彼女を励ます場面。
 名セリフは沢山あるのだけれど、やはりこれ。
 「人生にとって大切なのは、勇気と想像力(「愛」と敢えて訳すこともあるが)と少しのお金」という言葉かな?
  " Life can be wonderful, if you’re not afraid of it.
  All it needs is courage, imagination ・・・and a little dough. "が原文だ。
 でもここで終わりではない。この後、熱っぽく続く言葉がまたなかなか良い。
 「人生そのもののために戦うのだ。生きることは美しく素晴らしい。死と同じく生も避けられない。宇宙にある力が地球を動かし育てる。君の中にある力と同じだ。その力を使う勇気と意志を持つのだ。」
 もはやカルヴェロは飲んだくれの芸人崩れのおじいちゃんではなく、崇高な哲学者のようだ。こういう言葉を本当に自然に語っていくチャップリンは実に颯爽として素敵で、孫くらいの年齢差のあるテレーズが彼を心底敬愛し、やがてかけがえのない伴侶と思い定めてゆくのも頷ける気がする。


映画ライムライトより(1)

 
 で、物語は感動的に進み、彼の死を持って幕を閉じる。
 カルヴェロが舞台の袖で彼女を見守りながら息を引き取っていくことも知らず、観客の拍手の渦に包まれながら彼女は美しく踊り続ける。踊る姿に、この曲が何とも哀切感を待って重なり、映画の幕は閉じる。

 テレーズ、愛称テリーであるが、彼女の登場の場面に何度も何度も繰り返し流れるこの曲は、映画のテーマミュージックであり、「テリーのテーマ」と名づけられている曲だ。
 作曲は既に述べた通りチャップリンであるが、元々これはメロディーだけが映画のBGMとして流れ、詩はついていない。
 では、この歌詞は何なのか?であるが。
 元々はなかったのだから、後から誰かが勝手に付けたものということになるのだろう。


  
 というわけで、前置きの映画の話題を終え、いよいよ話は佳境、本題の訳詞に入るのですが、随分長くなってしまいましたので、 この続きは日を改めて!どうぞ次回も是非お読みください。

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* 春節のうさぎ

 2月は、冬と春が混ざり合ってモゾモゾと何かがうごめき始めるような季節ですね。
 今日の京都はうららかな日差しで、春霞がかかったようなぼんやりとした空の色です。


 2月の初めに上海に住むNさんから、小包みが届きました。
包みの中は春節の祝い、華やかな赤。
Nさんが上海に暮らすようになって、もう10年以上になるでしょうか?
まだ30代の優しい笑顔の素敵な女性ですが、中国・上海のテレビ製作会社で、日本文化や流行を発信する番組のプロデュースに携わり、現在大変活躍をしていらっしゃいます。小説家でもあり、多才でかなり著名な彼女なのですが、彼女の紹介はまた改めてさせていただくとして。
  
 春節は中国圏の旧正月のこと、暦の関係で毎年若干、日が異なるのですが、今年は2月3日が春節でした。日本なら節分の豆まきということになるわけです。
  もう随分前になりますが、私も横浜の中華街で一度だけ春節の祝いの日に遭遇したことがあります。爆竹を思いっきり鳴らし、華やかな歌舞音曲と共に獅子舞が街を練り歩き、それはそれはパワフルな歓喜に満ちた祭りでした。 街中が赤と金の色彩に飾られて中国の熱気に圧倒される気がしました。
 倒福って言いましたっけ?・・・福という文字が逆さになった飾りが玄関や家の中などに掛けられるのでしたね?
本当は到福というのが始まりで、福に到るという意味だったとか、或いは一説には福は逃げ去り易いので簡単に逃げてゆかないように逆さにしておくのだとか・・・どちらが正しいのかは知りませんが、こういう縁起担ぎは万国共通にあるものみたいです。
 
 今回彼女が送って下さったのはこの倒福ではありませんが<華やかな結び飾り>、そして、今年の干支の<うさぎの縫い包み>、<日めくりカレンダー>、<ランチョンマットとお箸(日本のお正月の祝い箸のようなものなのでしょうか?中華料理の腕が上がりそうです)>の数々。

春節の飾り

ランチョンマットと箸

  お正月飾りはさすがにもうそろそろしまおうかしらと思いますが、でもうさぎは今年の干支なので、ずっと飾っておこうと思います。
 我が家に初めてやってきた中国の赤い色ですが、でも良く見るとなかなか可愛くてホントに福を呼びそうな気がしてきます。Nさんの気持ちが伝わってきます。嬉しい贈り物・・・ありがとう・・・・。

うさぎ

 そういえば、うさぎ年生まれの友人、知人、親戚縁者が、とても多いことに気がつきました。
動物占いというのが大好きな知人がいて、うさぎ年の人は 落ち着いて物静かで、品格があって、自己愛が強くて、好奇心が旺盛だけれど少し臆病で・・・と解説していましたが本当でしょうか? 私の知っているうさぎさん達が皆そのような性格というわけではなさそうですが・・・。
 
 話が次々に飛んで止まらなくなりました・・・どうしよう!!
 でも、話してしまおう!!

 最後のお話は、日めくりのカレンダー。何だかノスタルジックで懐かしさを感じます。
昔、祖母の家にいつも掛かっていたんです・・・律義な性格の祖母はそれを毎朝かかさずめくっていました。12月の最後の一枚まで、まず毎日、日を狂わせることなく。
 私は小さい頃から、かなりなおばあちゃん子だったので、祖母には沢山尊敬出来るところを見ていたのですが、この日めくりカレンダーも、幼な心に大いなる驚嘆の一つでした。初志貫徹、有言実行の祖母の象徴のような存在に感じていました。
 ・・・・我が家の日めくりカレンダーは、何とか追いついてめくられるのはせいぜい3月位までで、春が過ぎ夏になり秋風が立つ頃になると、こういうことにはひどく大らかな父にも母にも私にも弟にも、その存在を忘れ去られて、季節が止まったままになってしまうのが常でしたから。
 そんなわけで、日めくりカレンダーに勝つことは私には不可能だと充分骨身に沁みているので、もう何十年も手に取ったことはなかったのですが、突然舞い込んだNさんからのカレンダー、上海での彼女の活躍と無事を祈りながら今年は使ってみようかな、と柄にもなく思っています。
 
 2月22日、今日は2並びの日なんですね。
 このカレンダー、全部中国語で・・・当たり前ですが、一日の記述に高島易断の本みたいな易の情報満載なようです・・・今のところ解読できるのは今日の吉数と吉方位くらいで、猫に小判状態ですが、ちょっと面白そうなので、少し研究して、暮れには判読できる範疇を広げられたらなどと思っています。・・こんな宣言をしてまたしても墓穴を掘ってしまったかもしれません・・・。

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* 雪の日のウエディング

 雪の日は好きですか? 
 今日も京都は雪が降っています。ちぎった綿の様にふわふわ回りながら舞落ちてくる雪を見上げていると不思議なものに包まれているようでシーンとした気持ちになります。

 シャンソンだったら、アダモの「雪が降る」がこの時期定番の名曲ですが、何かの拍子にふと口ずさむんでしまったりすると、耳の奥でエンドレスに鳴り続けてどうしようもなくなってしまいます。
 「雪は降る 貴方は来ない 
  雪は降る 重い心に
  虚しい夢 白い涙 鳥は遊ぶ 夜は更ける
  貴方は来ない いくら呼んでも
  白い雪がただ降るばかり ラ~ラララ~ラララ~ラララ」
よく知られた安井かずみさんの訳詞です。「雪が降る」は何だか演歌っぽいと色々な人が言うけれど、確かにこの詩を朗読してみると、かなり日本的な臭いがする・・・・五七調のリズムがベースなんですよね。アダモの節回しや情感の入れ方などと相まって、日本でのヒットソングの要素満載の曲なのかもと思います。
 
 ところで、好きな雪の詩はありますか?
センチメンタルな話題だけれど、この数日雪の街を歩きながら何となく心に浮かんできているのは中原中也の「汚れちまった悲しみに」と吉野弘の「雪の日に」。
 「汚れちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる・・・」で始まる、誰でも知っている・・・かな?・・・有名な詩。
 かたや、「・・・雪は 一度 世界を包んでしまうと  そのあと 限りなく降りつづけねばならない。 純白をあとからあとからかさねてゆかないと  雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。・・・」というこちらは吉野さんの少しマイナーな詩。

 二編の詩から、純粋に生きることができないでいる悲しみと、雪は人の心の汚れを隠すために降っているのだ・・・そしてその雪さえも真っ白であり続けるために、もはや降り止むことは出来ないのだ・・・という自らの不実を真っ直ぐに見つめる時の悲しみが見えてきます。
 こういう発想は、詩人特有の繊細な感性なのでしょうけれど、「なぜ貴方は来ないのだ」という理不尽さをひたすら訴え続けるフランス人の範疇にあるのだろうかと思ってしまいました。アダモに降る雪は、自分の不遇を嘆く悲劇性を際立たせるために降っている背景としての雪かな・・・などと少し大袈裟だけれど感じてしまいました。
 
 ・・・でも、私が一番好きな雪の詩は何と言ってもこれ!
「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
 次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ。」
という三好達冶のたった二行だけの「雪」という詩。絵も物語も浮かんできて本当に素敵です。

 雪のお話の最後に。
先日M教会で知人の結婚式に列席しました。
ステンドグラスの美しい古色蒼然とした荘厳な教会、パイプオルガンの響きが高い天井に柔らかく響いて格調高く、なかなか素敵だったのですが、前日の大雪が朝まで続き、時折流れるように雪が舞っている中でした。凍りつくように寒かった!!・・・・高い高い天井は暖房を入れても何の効果もなく・・・参列者も皆震えを堪えながら、それでも心頭滅却すればと・・・コートを凛々しく脱いで静かに讃美歌を歌ったり・・でも、ウエディングドレス姿の花嫁さんはこの雪の中でとても凛として美しく感動的でした。
 神父様は、人生には寒い寒い雪の日もあり・・・とか、・・・それでも皆で温かい心を持って祝福すれば身も心も温かくなり・・・とか・・・ひときわ印象的で妙に説得力のある胸に残るお言葉を述べていらっしゃいました。これから雪が降ったらきっと何回も思い出すのに違いありません。・・でもおそらく神父様もあの薄い祭事服で、たぶんやはりお寒かったのでしょうね。

 2月の花嫁さんは幸せに、そして逞しくなれる気がしました。どうぞお幸せに。

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* ~ご挨拶~ ブログ紹介・プロフィール

~ご挨拶~  ブログ紹介とプロフィール 

松峰綾音のブログへようこそ
 これまで私は、日本に未紹介のシャンソン、フレンチポップスを中心に、フランスの優れた曲を発掘して、それを美しい日本語に乗せて届けたいという思いを持って訳詞を続けてきました。
 訳詞を通しての日々の思いや、フランスの社会や音楽事情など、新鮮な発見や興味を共有できるようなご紹介をこのブログの中でお伝えしてゆくことが出来たらと思っています。
 シャンソンというと、ある限られた時代のノスタルジックな世界というイメージが日本では強すぎる気がしますし、日本語詞で歌われている曲も、かなり限定されているのがとても残念です。
 フランスの今を感じながら、素敵なメロディーと心に響く詩句を探し楽しむ時間をご一緒に辿ってゆけたらと思います。
 何でもない日常の呟きも織り交ぜながら・・・・お付き合いくださいね


 
 <プロフィール>(2023/7 現在)
小学校から高校までの教育現場において長年教鞭をとる。この間、米国研修留学中、ハーバード大学アジア言語・文化学部の日本語学科講師として一年間教壇に立つ。
1980年代以降の音楽、日本未紹介の楽曲を中心に、京都を拠点として2005年から現在まで、300曲以上に及ぶシャンソン、フレンチポップス、フランス歌曲の訳詞・作詞に携わる。

『新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて』を活動の中心に据え、2007年から『松峰綾音訳詞コンサート』、2016年から、日本近代文学作品の朗読と自作の訳詞で歌うシャンソンを融合させたコンサート『松峰綾音 月の庭 Chansonと朗読のひととき』を、関東(東京・横浜等)と関西(京都)で毎年開催し現在に至る。 日本訳詩家協会正会員。

その他活動
音楽、言葉、訳詞をテーマとした大学での特別講演。FM放送(横浜・軽井沢・京都)への出演。
2018年京都パリ姉妹都市60年記念『音楽の祭日』清水寺・成就院での記念座談会の構成・司会。
著書『紋次郎物語』〈2020年刊)、『詞歌抄 クロと読むchanson』〈2021年刊)

主なコンサート会場 
<東京> 内幸町ホール 横浜山手ゲーテ座ホール
<京都> 東福寺 清水寺 稲畑ホール(関西日仏学館) 京都文化博物館別館ホール

 (コンサートについては、WEB コンサート をご覧ください) 


  <おまけのプロフィール>  
<生まれ> 真夏の盛り8月21日生れ。 典型的な獅子座でAB型の性格。
<住まい> 横浜生まれ、鎌倉育ち。現在は京都在住です。  
<趣味・特技> 猫と遊ぶこと。猫を犬より賢く躾けること。美味しいものを作ることと食べること。本に囲まれて一日中過ごすこと。等々。




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