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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

* 「愛の約束」 その三 訳詞への思い<2>

エッフェル塔
 お待たせしました。
今日はいよいよ「愛の約束」の第三回、完結編です。

 <「愛の約束」~ミュージカル十戒から~ その一 >及び<その二>に続いてお読みください。


         「愛の約束」 ~ミュージカル十戒から~ その三  
                                   訳詞への思い(2)

  訳詞「愛の約束」
 「l’envie d’aimer (ランヴィ・デメ)」と、この曲の訳詞について話を移そう。
 まず、私の訳詞「愛の約束」を紹介したい。


               愛の約束

         彼方に瞬く 光を見つめて
         静かに 心を浸して歩もう
         遥かな空に きらめく光が
         信じる勇気を 私に与える

             愛する想い それだけが力
             一度だけの 命を燃やして
             美しい明日に 生きよう

             愛は全て 共に手を取り
             心分かち合い 今を輝かせ
             美しい世界に 生きよう

         人生は 短く  儚く 移ろう
         すべなく 佇み   時は 過ぎ行く

             けれど 愛する想い  
             ただ それだけで良い
             一度だけの命を燃やして
             美しい明日に 生きよう

             愛は全て 共に手を取り
             心解き放ち 今を輝かせ
             自由な世界に 生きよう

         今こそ 旅立つ 今
         遥かにつながる 一筋の道を

             今こそ 今こそ 今こそ
             光に包まれ  約束の時
             美しい世界に 生きよう

             愛は全て 共に手を取り
             信じ合って 今を輝かせ
              約束の世界に 生きよう

             信じ合って 今を輝かせ
             約束の世界に 生きよう


( 注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望のある場合は事前のご相談をお願い致します)


 この曲の作詞者Lionel Florence(リオネル・フロランス)とPatrice Guirao(パトリス・ギラオ)も、作曲者であるパスカル・オビスポも、このミュージカルの制作に深くかかわりながら、全体を担った上でのテーマ曲として、そしてフィナーレを飾る曲として、特別な思い入れを込めて、この「ランヴィ・デメ」を生み出しているように思われる。

 原詩は次のように始まっている。

c’est tell’ment simple l’amour  (愛はとても簡単)
tell’ment possible l’amour  (愛は誰にでもできる)
a qui le entend regarde autour  (まわりを見渡し 耳を澄ませる人には)
a qui le veut  Vraiment (本当にそれを望む人には)

 そしてサビの部分は、<すぐにでも愛は私たちのものになるだろう 道は私たちのものになるだろう 愛というものがお互いに与え合うものであるとわかるならば それが私たちに人を愛したいという気持ちを生むだろう> と、リフレインされてゆく。

 この「ランヴィ・デメ」を原曲とした歌が、私の知る限りで二曲、既に発表されている。

セリーヌ・ディオンCD  一つはCeline Dion(セリーヌ・ディオン)の“THE GREATST REWARD”という曲で、これは2002年に発表された彼女のCDアルバム“A NEW DAY HAS COME”の中に載せられている。
  この曲は、試練を乗り越えて恋人との愛を取り戻した、愛の勝利を歌うラブソングに改作されている。原詩の内容からはかなり離れていて、訳詞というより新たに作詞されたものと言ったほうが適切だが、セリーヌ・ディオンの艶やかで張りのある声が耳に快く響く。



平原綾香CD もう一つは、ミュージカル十戒の日本公演を記念して、2005年に「BLESSING  祝福」というタイトルでシングルとしてリリースされた、平原綾香の曲である。
 吉元由美さんの日本語詞で、<信じる気持に素直でいよう 傷ついても痛みを勇気に変えた時、愛は生まれる あなたを本当に愛することができる> というような内容の、やはり恋人に宛てたラブソング、あなたへの思いが細やかに綴られていく歌になっていて、平原綾香が切々とした味わいで歌いあげている。



 「愛の約束」というタイトルで、この曲を私は訳詞してみた。
 単に恋人へのラブソングとしてではなく、十戒のテーマ曲として、この曲に込められた深い人類愛が伝わってくるような詩にしたかった。
 ミュージカルの舞台の最後で、親友のJと共に立ちあがって拍手し続けたあの時の熱い感動が、この曲を聴く時いつも蘇っていたからだと思う。

 モーゼのような強い信念や信仰心や愛は私などには想像することさえ叶わないが、絶体絶命のギリギリのところに立たされても決して希望を失うことのない、自分をすべて捨てても、それでもなお、守り続けたいものへの思い、本物の愛がどんなに一途で強くて輝きを放っているか、表してみたかった。
 そういう愛に触れた時、そういう言葉に触れた時だけ、人は絶望の淵から真に再生できるのではないか、そう思った。
 モーゼはたぶん、紅海の断崖に立って、遠い彼方に確かに輝く光を見続けたに違いない。この曲の原詩にはそんなことは書かれていないが、自然に心にイメージされたそんな光を、敢えて訳詞の中に記してみた。

 今この時にも、誰をも照らすそういう光が必ずある。それを信じ、しっかり見続けながら生きてゆきたい、共に今を歩いてゆきたい。

 そんな思いを持ってこの訳詞を作ってからもう6年が経つ。

 これまで、訳詞コンサートの折々にこの曲を歌ってきているのだが、この二週間、この歌がずっと胸の奥で鳴っていて心を離れない。
 大震災と大津波からの収束への道は未だ遠く、時が経つにつれ疲労と不安はどんなにか募ってきておられることかと思う。でも、被災の渦中にあっても希望を失わず、人としての優しさ温かさを失わず、手を携えて局面を乗り切っていらっしゃる方々の勇気ある生き方に感銘を受け、心からの敬意を表したい。

  この時代 この時 この日本に 共に今生きている私たち
  共に乗り切ってゆきたい

      その思いと共に。

                                   Fin      



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* 「愛の約束 」 その二 訳詞への思い<2>

エッフェル塔  
   昨日の<「愛の約束」 ~ミュージカル「十戒」から~ その一 >
に続いて今日はその二。
 第二回目に早速入りたいと思います。


       「 愛の約束 」  ~ ミュージカル「十戒」から ~ その二 
                                   訳詞への思い<2>


  フランスのミュージカル そして Pascal Obispo(パスカル・オビスポ) 
  「ミュージカル十戒」は台詞を全く使わない30曲以上の劇中歌だけで進んでゆくミュージカルだ。 
 ミュージカルというよりオペラを聴く感覚に近い気がしたが、歌詞のフランス語が完璧には理解できなくても、言葉がダイレクトに体に入ってくる気がして、曲そのものが雄弁に言葉を語っていると感じた。

 私見だが、基本的に、フランスの演劇は言葉先行型なのだという気がする。もっと極言するなら、フランスの芸術はと言い換えても良いかもしれない。

 ミュージカルというものは、言葉、歌、音楽、舞踊、動き、舞台演出などの様々な要素が融合し合ってそれぞれに大きな力を発揮するものであるから、そう考えると、本質的には、ミュージカルはあまりフランスの得意とするところではないのかもしれない。
 大体、アメリカなら、まず、モーゼの十戒という地味すぎる物語を、しかも出来るだけ聖書に忠実にというコンセプトで、ミュージカルに選ばない気がするし、百歩譲ったとして、ロック・ミュージカル「ジーザスクライスト・スーパースター」のイエスとユダのような大胆なヒーローに、モーゼは変身するのではないだろうか?

 益々独断が過ぎて顰蹙(ひんしゅく)をかうかもしれないが、でも、実際、このミュージカルの音楽監督である Pascal Obispo(パスカル・オビスポ)は来日の際のインタビューの中で、演劇は安っぽいパフォーマンスであってはならない、人が生きるための哲学が必要で、社会に伝えるメッセージがまずはっきりとあるべきだ、というような事を語り、目指すところはいわゆるブロードウエイのショービジネスではないと、信念に満ちた熱い眼差しで語っていたから、私の偏見もあながち捨てたものでもないのではと思っている。

 劇中の、モーゼと義兄弟のエジプト王子ラムセスとの、愛憎相半ばする心理的葛藤の描写は実に妙味があるし、そして後半部に描かれる、救済されたヘブライ人達が怠惰ゆえにモーゼの純粋な思いを裏切る場面などからも、人間の心の脆弱さが巧みに歌に乗って伝わってくる。
 物語がこのように胸に沁み入ってくるところがいかにもフランス的であり、このミュージカルの真骨頂だと私は感じた。

 フランス人はアメリカのミュージカルをけばけばしく底が浅いと批判し、アメリカ人は、フランスのミュージカルを退屈で垢ぬけないと皮肉る。
 究極的には、では、そもそもミュージカルとは何なのかとか、ミュージカルにおける芸術性と娯楽性というような定義の問題にも関わってくるのだろうけれど、たとえ定義が定まったとしても、個々の作品としての優劣とはまた別のことであろうし、結局、どちらが正しいとも言えず、好みの問題に落ち着くのかもしれない。
 そして、この対極の価値観はミュージカルなどの演劇だけに留まらず、音楽全般においてもあてはまる問題のような気もする。

 訳詞に携わるようになって、シャンソンやフレンチポップスに触れていても、先程述べたように、やはりこれも言葉先行型の範疇にある気がしてならないし、オビスポの言葉から感じるようなフランス人としての誇りやこだわりが、良くも悪くも、ジャズやロックなどのアメリカ的音楽と一線を画す大きな要素となっていることを強く感じる。


 ここで、「ミュージカル十戒」の音楽プロデューサーであり、30曲余りの劇中歌の全てを作曲しているパスカル・オビスポについて少し紹介してみたい。

     パスカル・オビスポ    ミュージカル十戒 CD
  パスカル・オビスポ(プログラムより)   ミュージカル十戒 CDアルバム

 彼は今年46歳、フランスを代表するシンガーソングライターだが、ライブを初めとする自らの精力的な音楽活動に加えて、他アーティストとの共同制作や楽曲提供、音楽プロデュース、エイズ撲滅のチャリティーツアー、子供たちの世代に環境問題を訴えるためのコンサート活動など、常に新たな試みでフランスの音楽界をリードしている。
 彼の活動の根底には、より良い社会の実現のために音楽が何をなし得るかというテーマが常にあり続けているように思われる。
 エイズ撲滅キャンペーンソングとして作曲した『sa raison d’êrtre(サ・レゾン・デートル)(存在の理由)』は42名の第一線のアーティスト仲間を一堂に会し共に歌ってビッグヒットとなり、エイズ基金に貢献したし、このような社会貢献に寄与するための卓越した企画力と行動力、そして、そのような彼の思いが率直に伝わってくるメッセージ性の強い音楽の中に、彼の独自な個性が感じられる。

 精悍な風貌で、キラキラとした眼差しで思いを込めて一言一言を噛みしめるように語る話しぶりが印象的だ。・・・勿論知り合いというわけではないけれど、コンサートライブや様々な活動におけるインタビューなどに映像を通してかなり親しんでいるので、ひいき目な評価が加わり、私の中では好感度は高い。

 「ミュージカル十戒」のテーマ曲の「l’envie d’aimer」は、こうした彼が生み出した、彼らしい代表曲の一つといえるだろう。


 今日もお疲れ様でした。ここまでお読み下さって感謝します。
 長い前置きを終えて、次の最終回はいよいよ本題「愛の約束」について、ご紹介したいと思います。
 ではまた!


 

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* 「愛の約束」 その一 訳詞への思い<2> 

 エッフェル塔
  いつも、訳詞コンサートのフィナーレ、あるいはアンコールで歌わせて
いただいている曲、私には本当に思いの深い曲である「 愛の約束 」に
ついてご紹介してみたいと思います。  
 お話ししたいことが沢山あるので、今回は三回シリーズで連載致しますね。


     「 愛の約束 」  ~ ミュージカル「十戒」から ~ その一  
                                     訳詞への思い<2>

   ミュージカル「十戒」 
原曲は、「l’envie  d’aimer 」(愛することを切望して 愛したくて の意味)。フランスのミュージカル「les dix commandement(十戒)」のメインテーマ曲として作られ、出演者全員によってこのミュージカルのフィナーレを飾って高らかに歌われる曲であり、これが人気を博したため、Daniel Leviの歌でシングルカットもされ、フランスで154万枚の大ヒット曲となった。

 まずはこのミュージカルの紹介から。

 このミュージカルは、2000年にパリで初演されてから、2003年にヨーロッパ公演の全てが終わるまで、述べ240万人という観客動員数で、フランス演劇史上最高の記録を残している。

 「十戒」というタイトルから何となく想像できるかと思うが、モーゼの十戒が題材となっていて、旧約聖書の「出エジプト記」に載っているモーゼの物語をミュージカルに仕立てたものである。

 当時、ヘブライの民は、エジプト人の奴隷として虐げられた境遇の中にあった。
 ヘブライ人の父母によって生を受けたモーゼが、数奇な運命によって、エジプト王の養子として育てられるのだが、それが再び奴隷として貶められ、やがては奴隷解放の反旗を翻し、エジプト軍と戦うこととなる。
 物語の山場は、何といっても、モーゼが、ヘブライ人の一群を引き連れたまま逃げ場を失って紅海に面した断崖に追い詰められる場面だろう。彼が一心に神に祈った時、眼前の海は裂け、二つに割れ、一筋の道が出現する。ヘブライ人がこの海底の道を渡って逃げた後、再び道は閉ざされ元の海へと戻る。


 話が脱線するが、思い出すことがある。
 
 昔、昔のお話・・・
 小学生の頃、学校で映画観賞会というのがあった。
 講堂で全校の児童が一堂に会し、児童の情操教育の為に(たぶん)、文部省推薦の、ためになる映画を年に二回位上演する行事があったように思う。
 大体は自然や科学のドキュメンタリー物、或いは動物を主人公にした心温まる物語、などが多かった気がするのだが、その中で、確かに「十戒」が上演されたことがあったのだ。小学校二年生の時だ。
 今となってはほとんど映画の筋は覚えていないが、とにかくものすごく長かったことと、ヘブライの民が余りにも哀れであったこと、そしてそれを救おうとするモーゼは勇気あるこの上なく素晴らしい人であること、どんなに次々と困難が襲ってきてもめげず頑張ることに子供心に畏敬を感じたこと、そんなことが記憶の奥底に強烈に刻みつけられているから、鉄は熱いうちに打て、あの映画会はあながち無駄ではなかったのかもしれない。
 
 おそらくこの時上演されたのは、1956年制作のチャールストン・ヘストン主演の「十戒」、3時間余りの大スペクタクルで、封切りすぐではなく、公開されてかなり年月が経ち名作映画のお墨付きがついた頃に、学校に辿りついたのではないかと思われる。
 歴史的、宗教的背景もしっかりと描かれ、哲学的なメッセージを含んだインテリジェンスの高い「大人のための映画」だった。
 しかしなぜ、校長先生はこの長編映画を小学生に見せようと思ったのだろう?
 なぜ皆、居眠りもせず、おしゃべりもせず、それなりに分かったつもりで格調高く流れてゆく3時間という時間を観賞できたのだろう?
 昔の子供は結構大人だったのだろうか?
 CGなどない当時、特撮技術を駆使して、ちゃんと海が割れる映像に<オオオ~~>と一斉にどよめきが起こったのを覚えているが、でもさすがにもう一つの山場の、モーゼが神から「十戒」を受けそれを読み上げる場面は全く理解不能だった。なにしろ10歳にもなっていなかったので。


 話を戻すと。

 このミュージカル「十戒」は一度だけ日本公演が行われている。
 2005年2月下旬から大阪で、続いてそのまま3月初旬に東京で、それぞれ12回ずつの公演だった。
 私は大阪城ホールで、チケットを苦心して入手してくれた親友Jと共に観賞した。
 ホールに向かうまでの大阪城公園は梅がまだ綺麗に咲いていて、風に舞う花びらを受けながらホールに向かったのを懐かしく思い出す。

  この日、ステージを観ながら、「フランスのミュージカルはアメリカと違い、地味である」と教えてくれたミュージカル通の知人の言葉をふと思い出した。 
 
 確かにその通りだと心底思った。
 
 ミュージカル十戒の日本公演を企画したのは関西テレビ放送で、チケット発売の前、公演の数カ月前から関西テレビでは、特別紹介番組まで作って連日かなり肝入りで宣伝していた。
 『 スペクタクル 十戒 』と銘打ち、<至高のエンターテインメント>という売り文句であったから、どんな華々しい大仕掛けなステージなのだろうかと想像していたのだが、実際舞台を見てみると、そんなことはなくむしろびっくりするほどシンプルな印象で、これがアメリカ製だったら、海が割れるシーンなど、最高潮のテンションで演出するに違いないのにと思ったほどだ。

 けれど、パンフレットの解説には「ミュージカル史上初めてともいえる巨大な美術セット、舞台転換の多様化とシーンの多角的変化、背景の映像を効果的に取り入れることによって視覚的に訴えるロケーション設定…エキセントリックなステージ・・・」とあり、確かにその通りで間違ってはいない。
 
 地味でシンプルだと感じてしまったのはなぜなのだろう?
 こういう全ての華やかな演出を凌駕し、抑制してしまう何かがあるのかもしれない。
 それは何なのだろう?



 ここで終わるのもなんなのですが・・・あまり長すぎてもいけませんから本日はここまでとして。
 この続きは明日! また是非お付き合いくださいね。

                       その二へ続く


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* それぞれの3月11日 <その二>

 昨日掲載した記事、それぞれの3月11日 <その一>の続きを記します。 

     
   <茨城から ~ Yさんのメール ~ > 
 土浦に住むYさん、やはりとても大変な思いをなさっていたのですね。
 混乱時なのでメールも電話も、連絡は遠慮すべきと思っていたのですが、心配でたまらず、昨日メールでそっと無事を確かめたところ、すぐにお返事を下さいました。
 とても丁寧に鮮やかに、この日の状況を綴って下さって、手に取るように様子が思い描かれました。
 大変感銘を受け、勇気付けられる内容なので、本当は丸ごと是非ご紹介したいのですが、それはやはりご遠慮し、でも一部分だけでも抜粋させていただこうと思います。
    
              *   *   *   *

 私は仕事場で皆でお茶休憩をしているところでした。
横揺れがいつもより少し長いな、と感じているうちに、地面の底から何かが出てくるのではないかと思うくらい不穏な音とともに揺れが強くなっていきました。

 驚くというよりも「身の危険」を感じて皆で外に出ると、電線は激しく波打ち、隣のアパートのガラスがガタガタ言い、前のお宅の奥さんも外に出て庭にしゃがみこんでいました。
 地上では明らかに不穏な空気が身体を覆っているのに、空は穏やかできれいな青空だったのを覚えています。
 
            *  *  *  *

 橋を渡れば我が家です。
 橋は危ないと思いつつ、一刻も早く帰りたかったため、橋を上りました。
 途中ですれ違った若者の「橋はやっぱり揺れるな」と、余震をにおわすような言葉を聞かないふりをしながら自転車で猛スピードで橋を下っていくと、目の前に信じられない光景が広がっていました。
 晴れているはずなのに路面がずっと先まで濡れているのです。
 よくわからないまま、橋を渡り終えて家に近づいていくと更にひどい状況で、ブロック塀は崩れている家や、瓦が飛んでしまった家、窓ガラスの破片が道路に飛び散っている工場等々・・・。

 呆然としたまま我が家に辿り着くとアパートの前のアスファルトや電柱から泥水が噴出し、大量に流れ出ていました。路面が濡れていたのはそのせいでした。
 私は少し前のニュージーランド地震で起きたテレビの映像を思い出していました。
 「液状化現象」
 まさにそれが目の前に広がっていたのです。

           *  *  *  *


 この後もずっと続いて綴って下さっているのですが、一部を抜粋しながら、ご紹介させていただきました。
 Yさん。
 どれほど、恐ろしく不安な思いをなさったかが、文面から手に取るように分かりました。そしてきっと、今も不自由なことや、困難なことを沢山抱えていらっしゃるのでしょうね。ストレスも過労もたくさんたまってきていないか心配です。
 私は、子供の頃からのYさんを良く知っていますが、彼女はいつも感受性豊かに、そして、澄んだ眼差しで真直ぐにものを見ることのできる人です。そしてその眼差しはとても温かいです。
 このメールを読みながら、賢明な彼女はどんな局面もくじけることなく勇気と優しさを持って乗り切ってゆかれると思いました。それを心から祈りたいと思います。
   「停電の暗闇の中で、カーテンを開けてみると地上に明りはなくても夜空は結構明るくて、そんな、子どもの頃はわかっていたようなことも忘れていた自分に気づきました。」
 ・・・メールの最後に書いて下さったこのことばが胸に残ります。


 驚天動地の事態の前で、同じ時間を、たくさんの方たちが、色々な状況で色々な思いの中で過ごしていたことを改めて思います。一つ一つは小さな出来事かもしれませんが、でもそれぞれに共感でき、その中に誇らしく感じる大切なものが見える気がしています。

 本当に困難で、一人一人の真価が問われてゆくのは、むしろこれからでしょう。
 事態は簡単に収束されそうにありませんし、我慢と苦痛を強いられるこれからの長い時間の中で、どのように私たちは冷静に礼節を保ち続けてゆけるのか、これは難題に違いありません。
 
 もう既に、風評被害などによって、社会はかなり混乱をきたし始めていますが、だからこそ私たちが立ち返るべき場所を忘れないでいたいと、今強く願います。

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* それぞれの3月11日 <その一>

<アメリカから ~ Kさんのメール ~ >
20年来の親しい友人、Kさんから、14日にこのようなメールが届きました。

  今朝やっと電話が通じました。
  実家にみんないるそうです。
  水道とガスもあり、お手洗いも使えるそうです。
  古い灯油のストーブもガスの炊飯器も残っていたらしく、食料もすぐちかくのスーパーが開
  いているので、手に入るそうです。
  家の中も知り合いの方が来て手伝って下さったり、皆で協力して少しずつ片付けているそ
  うです。
  屋根の瓦は随分落ちたそうですが、今の所家にいられるようです。
  妹が母とも連絡が取れて、元気だそうです。
  昨日は、お電話でお声が聞けて、本当に心強かったです。ありがとうございました。
  また、ご連絡させていただきます。


 一言ずつ、確かめるように、電話の向こうの家族の声をなぞるように、書かれている言葉。 
「みんないる」 「お手洗いが使える」 「灯油のストーブが残っていた」 その一つ一つの、当たり前すぎる筈のことが、今どんなに有り難いことか、彼女の気持ちがそのまま響いてくる言葉だと思いました。
 そして愛情と感謝と希望と、無事を祈り続けていた彼女の意志に満ちた、輝くような言葉だと思いました。

 仙台に近いご実家の、いつも毅然として慈愛に満ちたお父様、最近は体調を崩されていた中でのこの事態が心配です。
 手術をなさったばかりで入院中の、朗らかで優しいお母様、病院とようやく連絡が取れたのですね。
 アメリカで生活する彼女をいつも思いやっている弟さん、妹さん、彼女を心配させまいと明るい声で、「大丈夫」と伝えたのに違いありません。(その後の報道によると被災地では、食糧やガソリン・灯油も不足してきているとのことですので心配です)

 Kさんの私信ですが、でも、きっと誰かを照らすに違いない彼女の言葉を伝えたいと思いました。そしてこれを読む誰かと一緒に、彼女と彼女のご家族のこれからを、そして更に大変な状況に遭遇なさっている多くの方々を応援したいと思いました。


 < 東京から ~ それぞれの点描 ~>
 I氏のお話。
 新橋近くのオフィスで会議中に地震があり、速やかにビルの中の全員が外に避難したそうです。エレベーターは勿論動かず、ビルの最上階から粛々と大勢の人が階段を下り、そのまま、近くの日比谷公園(広域避難所)に向かったそうです。多数の人達が集まってしばらく待機していたそうですが、段々深刻な事態が明らかになるにつれ、それぞれが帰宅手段を判断することとなり、JRの全面運休との発表の後、I氏は結局、徒歩圏外の同僚達と共に会社に戻って夜を明かしたそうです。
 オフィス街は帰宅難民の人達が一斉に移動を始めて、大勢の人達の行列が出来ていたけれど、パニックはなく、見知らぬ人同士も道を確認し合ったりしながら、非常に整然としていたというお話でした。
 会社に戻る道すがらのシティーホテルは、ロビーを快く全面開放していたようで、行き所のなくなった帰宅難民や移動できなくなった旅行者の方たちの緊急避難場所になっていたという事です。寒く心細い夜に、ひと際温かく、どんなにか救われたことでしょう。

 Cちゃんのお話。
 かなりの時間をかけて徒歩帰宅した方たちも沢山いらしたと思いますが、Cちゃんもその一人でした。二時間近い道のりを同方向の同僚と共に歩き始めたのですが、日が暮れて、停電で真っ暗な街を歩くのは何とも心細かったと言っていました。女性二人励まし合いながら歩いたけれど、同じように道を行く人達がねぎらいの声をかけ合って、嬉しかったそうです。
 緊急事態とはいえ、外国では夜女性が暗い道を歩き続けるなど考えられないような危険な国も多いと聞くのに、少しだけほっとするお話です。

 M先生、そしてEさんのお話。
 M先生は高校の教師。たまたま期末試験中でほとんどの生徒がいつもより早く帰宅しており、その時学校に残っていた生徒は100人足らずだったそうですが、その生徒たちと教職員とで一晩学校で夜を明かしたそうです。
 備蓄していた非常食と非常用毛布など分け合って凌いだそうですが、上級生が下級生の面倒をよく見てパニックは全くなく、見違えるようにきびきびと判断し動く生徒たちが頼もしく思えたと話して下さいました。
 Eさんの学校は、1000人近い生徒全員が学校で一晩待機となったそうです。この一帯は全面停電になったため、電話も機能せず、家庭との連絡も取りにくく、暖房も入らず、トイレの水のことなどに至るまで、状況は相当ひどかったそうですが、やはり助け合って落ち着いて過ごすことができ、一人の事故もなく、翌日無事帰宅できたというお話しでした。
 学校なので避難訓練など頻繁にしているというものの、こうなった時に初めて見えてくることも多く、今後に沢山の課題がある事は確かなようですが。

 長くなってしまいましたので、一度閉じて、<その二>に続きを書かせていただく事にしますね。

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* 祈りをこめて

・・・・東北関東大震災・・・
 これまで一度も聞いたことのなかった違和感のあるこの言葉が、テレビの中から頻繁に流れて、どうしようもなく息苦しい思いを運んできます。
 こんなことが起こるなんて・・・テレビの映像は現実とは信じがたい悪夢のようなのに、目を離すことが出来なくて、虚しさと恐ろしさに心が吸い取られてゆくようで、ただ時間を忘れて食い入ってしまいます。
 
 最初の地震発生から、今日で3日目になりました。
 津波が、恐ろしい勢いですべてを飲み込んでゆき、瓦礫の山、濁流の海に変わってゆく映像、そして、決して起こるはずのなかった原発の爆発事故、放射能漏れの危険、・・・・原発の更なる爆発の危険も目の前に現実に迫っていて、全く予断を許さない状況です。現地では余震も絶え間なく続いていて、二次災害の危険と隣り合わせになりながら、どれだけ多くの方々が今この時も、どんなに心細く不安な時間を過ごしていらっしゃることでしょう。

 なぜこんなことになってしまったのでしょう。
 こういう理不尽な自然の猛威の前で、人はどれだけ無力なものか突きつけられ、意地悪く試されている気がします。

 命を繋ぐ飲み水・食糧、寒さをしのぐ毛布、医療機器と薬、ひたすらに救済の手を待っていらっしゃる方々に一刻も早く届いてほしいと願うばかりです。


 マグニチュード9.0以上の巨大地震、江戸時代から400年間一度も起こったことのなかった最大の地震、それに加えて私たちが作り出した原発の行方・・・・今私たちが遭遇してしまったのは、未曽有の世界の淵だったのだと改めて思います。
 何も疑わず普通に歩んでいた足元が突然消えて、どこに、どこまで、墜ちてゆくかわからない深淵に落下してゆくような気味の悪い無力感、喪失感、憤り。

 
 この日本に生まれて、同じ時代の同じ時間の中で、私たちが共有してしまった試練に…おおげさな言い方のようですが、・・・共にどう乗り越えてゆくかそんな覚悟が試されている気がします。
 真の政治力、これまで築いてきた経済力、高い水準の医療、科学技術の粋、人としてのモラル、連帯感、この国を愛する心、すべての総決算であり、すべてが試されている時なのだと思います。


 壊滅的な現状に打ちのめされながらも、決して諦めずに一人でも多くの人を救援しようと、こうしている今も身を挺して働いて下さっている沢山の方々、
 警察、消防、自衛隊、医療チームの皆様、
 最悪の状況を回避すべく危険の只中で不眠不休で戦って下さっている沢山の方々、
 テレビの映像に、報道写真の中に、その思いがほとばしり伝わってきます。
  ありがとう
  お願いします 
  頑張って 
  お気をつけて
・・・そんな言葉を繰り返すしかなく。頭が下がるばかりです。


 世界も今、日本を注目しています。
 様々な国のメディアが地震とそれに伴う被害の報道を行い、危険の様子、対処の仕方等に注目しているようです。
 私たちの耳や目に入ってくる情報はその中のごく一部でしょうが、それでも激励・支援の声も多く届き始めていますし、各国からの援助の申し出も多く寄せられているようで、束の間ホッと気持ちが温かくなります。

 インターネットで見つけた記事ですが、中国の新聞に、「日本人の冷静さに世界が感心」という見出しで、日本人への称賛が記されているのを紹介していて、とても嬉しく思いました。(共同通信)
(http://sankei.jp.msn.com/world/news/110312/chn11031219080002-n1.htm)

 昨今の中国の、日本への見方は、辛口で皮肉のこもった評価が大方という認識が私にはあったので、意外な気がしたのです。
 この記事の中では、中国版ツイッターに投稿された内容にも触れています。
初めの地震が起こった11日の夜、帰宅難民がビルの中の(掲載された写真には新橋駅構内の様子と記されていますが)階段で夜を明かしている写真を取り上げて・・・・・階段の両端にぎっしりと身を寄せ合って座り込んでいる写真なのですが・・・誰にも命じられないのに、真ん中を空け、人が通れるような通路を確保して、冷静に誰も騒ぐことなく静かに夜を明かしている。中国であれば50年経ってもこういう教育を国民に施すことはできないだろう。誠に高い礼節をもった国で尊敬に値する とても感動的で自分たちも学ぶべきだ・・・・というような内容の投稿記事が引用されていました。
 一方で、別の書き込みには「日本人は罰が当たっていい気味だ!」というような罵声があったのに対し、一斉に「何ということを言う!お前こそ中国人の恥だ!」という非難が殺到したことも報じたものもありました。
 こうした混乱の中ですので、情報の信憑性は今一つ確かでないかもしれませんが、中国に限らず、アメリカ、ヨーロッパ諸国 ロシア、インド・・・色々な国から異口同音の賛辞があることを新聞報道は次々と伝えています。 


 避難所で、被災現場で、呆然と立ち尽くしながら、涙を堪えて、インタビューに静かに応じていらっしゃる方々、・・・・感情に飲まれず、思いを制御しながら自らの置かれた状況を受け入れ真っ直ぐ向かおうとなさっていらっしゃる姿に強い感動を覚えます。
 混乱の場でもパニックは起こらず、暴動、略奪も起こらず、お互い助け合いながら窮状をしのぎ、静かに救援を待っていらっしゃる姿に同胞として改めて誇りを感じます。


 余りにも障壁が大きく、困難極まりない現実ですが、きっと、きっと、乗り切ってゆかれますように。


 直接災害に遭わなかった私たちにできることを、みんなで模索し一刻も早く実現してゆくことが急務です。

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* 大丈夫ですか?

 大変な大災害です。
 皆様、ご無事でいらっしゃいますか?


 外出先の建物の中に友人と共にいたのですが、京都でも長い時間結構大きく揺れて、いよいよ阪神方面にまた・・・と緊張が走りました。
 帰宅し、テレビ報道を見るにつれ、想像を絶する被害の凄さに、絶句、愕然と血の引くような思いです。


 仙台、岩手、長野・・・大切な友人、知人が沢山います。
 メールも電話も大混乱でなかなか繋がりません。
 今朝からようやく少しだけ入り始めた情報、 「無事!」「大丈夫!」の一言、 これ以上のものはありません。
 嬉しくて涙が出ます。

 昨日は家族もたまたま東京に行っていて、夜まで状況がわかりませんでした。
交通機関がマヒして未だ足止め状態のようですが、お陰様で無事でした。


 残酷な天災
被害に遭われたたくさんの方々
今ギリギリの状態の中で、救助を待っていらっしゃる方々
どうぞ どうぞ 頑張って下さい。
心からお祈りしています
ご無事でありますように
これ以上 被害が広がりませんように
心から祈ります
 

 


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* ようこそ!お掃除ロボット

自分で言うのもなんなのですが、私は結構几帳面なところがあって、割と何でも物持ちが良いようです。
衣服などは、いつまでも新品みたいに綺麗で、処分するのも憚られているうちに流行遅れになり、・・・今どきは、丁寧に衣類のメンテナンスをするなんて余り流行りませんよね。虫干しなどマメにする私自身が既に流行遅れなのかもしれません。(でも・・・このまま頑張り続ければエコの時代の最先端ライフスタイルと脚光を浴びる日も来るのではと・・・)

着るもの以上に、我が家の家電の数々はホントに長寿で、今や流行の遥か最後尾をトコトコ走ってる感じなんです。
そんな我が家に、昨年の末あたりからついに家電革命の夜明けが訪れ、次々と最新流行のグッズが導入されることになりました。・・・一斉に寿命が来て新しいものに買い替えたというだけなのですが・・・・。 
ようやく人様の波に乗れた気がしてご機嫌で、今結構ハマっています。


お気楽な話題で恐縮ですが、今日はその中のとっておきの品の一つ、掃除機ロボットのご紹介を!

 アイロボット社から出ている自動掃除機「ルンバ」、もうご存知の方も多いでしょう?数年前に発売されて、結構普及してきている人気商品です。
 
 実用ロボットを研究しているMITの科学者によって開発された、アメリカ製の人工知能搭載の掃除機なのだそうです。
 持ってない人は、「そんなもの~~どうして必要なの?」って馬鹿にしますし、持っている人は「可愛いくって働き者よねえ~~」って仲間を探して同意を求めます。
 私も、<掃除機が勝手に掃除をする?!>・・・何事であるか、それは!・・どうせ玩具みたいなものだろうと言い放ち、断固拒否していたのですが、巡り合わせでなぜか使うことになった今、コロッと変わって可愛い我が住人という感覚でおります。
   
 ボタンを押すと、センサーが働いて、お掃除する部屋と汚れ具合を認識した後、<自分で考えて>・・・ってパンフレットに書いてあります・・・綺麗になるまで、ただただ限りなく丁寧に動き続けます。まんまるの円盤状の掃除機なのですが、クルクル回りながら、我が家の大して広くないリビングを40分もかけて、とってもきれ~いに磨き続けます。

お掃除ロボット(1)
          お掃除頑張ってます!

 「そんな頑張らなくても今日はもうその辺で良いから」って声を掛けても、実に律義に終わるまで働き続ける姿が、健気で従順で段々可愛く思えてくるから不思議です。
 スタートをする時と、終了して充電コネクター(ホームベースと名付けられています)に自分で戻るときに、ピコピコピーという結構可愛い音がします。   
 散歩を終えた犬が、満足してハウスに戻るみたいな感じがして、「お疲れ様、綺麗になったわねえ~」と思わず声を掛けたくなってしまいます。

お掃除ロボット(2)
          ホームベースに帰還!

 「お掃除これからはじめま~す」とか、「邪魔だから片付けてください」とか、「これで終了。今日も沢山ゴミをとりましたよ」とか、ピコピコではなく何か話せばもっと面白いのに・・・などと、今まで考えたこともないようなことをいつの間にか能天気に思っていて、この頃、違う自分の一面を発見してしまったような不思議な驚きがあります。


 こんなことをあまり熱心に語っていると、さてはメーカーの回し者か、はたまた、友人のいない孤独な屈折した性格で精神的に病んでいるのではと疑われそうで厭なのですが(断じてどちらでもない筈です)、でも急に最近、<ロボット>の多様な可能性ということの意味が何となくわかる気がしてきました。

 そんなこんなで、この「ルンバ」が来てから、以前よりロボットセラピーなどについて興味を持つようになってきて、そういう分野の本など読んだりしています。
 小児入院患者や高齢者などのメンタルケアや、精神医療に、ペットとの触れ合いを導入するアニマルセラピーなどは、かなり前からその効果に注目されていますし、時々、動いたりお話をしたりする縫いぐるみとかが、通販などで売られていて、結構需要があると聞きます。ロボットもそのような流れの中で今後、何か大きな力を発揮してゆくのでしょうか。


 犬、猫などには勿論ですが、人は育てている花にさえも時として声を掛けます(花も「綺麗ね」といつも話しかけていると綺麗に咲くという説があるくらいですから)。・・・・人の心には、いつも何かと繋がっていたい、コミュニケーションを取っていたいという自然の欲求があるのかもしれませんね。 
 そして実際に、万物に魂が宿るという日本的な発想はとても豊かな神秘を含んでいるのかもしれません。

 まだまだ、お話は尽きないですが、長くなりますので今日はこの辺で。

 そうだ!
 実は、私には、ロボットが主人公の結構お気に入りの訳詞もあるので、いつか、この詩のお話もしてみようかと思います。

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* 「小さなトーシューズ」 ~その二~

エッフェル塔
お待たせいたしました!!
 今日は前回の記事、
 「小さなトーシューズ」 その一 の続きです。いよいよ本題の、この曲の訳詞のお話に入りましょう。


    
     「小さなトーシューズ」~ ライムライトより テリーのテーマ ~ その二

 さて、この曲「テリーのテーマ」の歌詞についてであるが、「ライムライト」が、アメリカで作られた映画だけあって、歌詞の本家もアメリカにあった。
 Geoffrey Parsons が「エターナリー(Eternally)」というタイトルで作詞したものがあり、この英語の歌詞の知名度が圧倒的に高い。
 これを元にして、日本でもアレンジが加えられ、様々な日本語の訳詩に置き換えられ歌われているようだ。
 「人は弱いものだけど、だからこそいつも愛を分かち合う。私はいつまでもあなたを愛し続ける。」というメッセージが、エターナリー(永遠・永久に の意)というタイトルとその歌詞の根底に流れていると思われる。

 
 では、いよいよ本題、私が訳した「小さなトーシューズ」という訳詞について、若干述べてみることとする。
 
 これはJacques Larue が作詞した「 deux petits chaussons 」という曲から取ったものだ。
 彼はフランス人、フランス語で詞を作り、それをフランス人の歌手がフランス語で歌っている正真正銘メイド・イン・フランス、・・・シャンソンである。
 こういうものがフランスにあることをずっと知らないでいたので、この詩を見つけた時は少し感動した。・・・たぶん日本では殆ど知られていないと思われる。
 1953年に発表されているので、映画が出来たのとほぼ同時期ということになる。だとすれば、先ほどの「エターナリー」との時間関係はどうなるのだろう?
 歌としてはもしかしたら、こちらの方が本家ということもあるのかもしれない。
  Claude Robin(クロード・ロバン)、Andre Claveau(アンドレ・クレボー)等によって歌われている。
 「deux petits chaussons」は小さなバレーシューズの意味で、これは明らかに、映画の内容を意識して詞が作られていると言えるだろう。厳密に言えば、この詞は、ピエロがバレリーナにかなわぬ恋をして恋の苦しみのゆえに死んでいったという設定になっているから、やはりこの辺はこの歌詞独自の創作で、映画とは異なっているのだが、少なくとも物語の大枠にはかなり即していると言える。

 
 で、私の訳詞「小さなトーシューズ」だが、次のように始めてみた。 
    
     <セリフ>
     ある恋の物語
     ミミズが空の星に恋をした おかしくて悲しい物語
     それは 年老いたピエロがいつも歌ってた歌
     可愛いバレリーナと出会ったピエロが 好きだった歌

  1 真っ白な サテンの
    舞い踊る トーシューズ
    楽しげに 軽やかに 回り 回る
    あの娘の 小さなトーシューズ
 


 この曲の創作には、いずれにしても自由度があるので、それなら私としては、フランスを支持しつつ、更にチャップリンに絶対の敬意を表して、歌で映画を出来得る限り忠実に語ってしまおうと目論んでみた。フランス版「deux petits chaussons」を踏まえつつ。
 
 その結果、物語の大筋はほとんどセリフで繋ぐことにした。
 歌は tournaient tounaient tounaient・・・・回る 回る 回る・・・というメロディーが全体を流れるよう、トーシューズが回っているという言葉をリフレインした。


ライムライトより(2)


 最後にとっておきのお話を一つ。
 「ミミズの恋」
 かなわぬ高嶺の花に恋することをフランスでは「ミミズの恋」というのだそうだ。(このことは、以前フランス語学科の恩師F教授から教えていただいた。)
 夜中もそもそと、うごめきながらミミズは夜空の美しい月や星にかなわぬ恋をするらしい。・・・
 この映画、これまでに何回となく観ていたのだけれど、訳してみるにあたって改めてじっくり観て、一つ新たな発見をしたことがある。
 映画の初めのほうで、カルヴェロが舞台でおどけながら歌っている場面があるのだが、何とその歌に「ミミズが恋をした~~」というフレーズがあったのだ。なるほど!
 言ってみればカルヴェロもミミズみたいなもの・・・だったのか。
 「deux petits chaussons」の作詞家のLaurueは「ミミズのありふれた物語」とちゃんと歌詞の中に明記しているから、ならばはずせないと私も自分の詞の中に入れることにした。
  こんなのは言わなければわからない勝手なこだわりに過ぎないけれど、うんちくを傾けてみたくなって・・・そのつもりで楽しんで貰えたら大変嬉しいけれど。
 
 アメリカでも「ミミズの恋」という慣用句はあるのだろうか?ミミズの恋の通用する世界分布をいつか調べてみたいと思ってしまう。

                    Fin


 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願いします。)




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