新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

* 豪雨お見舞い

 このところ少しだけ暑さが和らいで一息つけるかなと思っていた矢先、福島・新潟は突然の豪雨で大変な被害が出ています。
 河川の増水、堤防の決壊、浸水。
 悠然とたゆたう信濃川までが橋桁を覆うほどに増水し、延べ40万人もの方たちが避難指示・勧告を受け、約9000人が避難を余儀なくされている、突如発生した想像を絶する状況に息を飲むばかりです。
 新潟に住む学生時代からの友人とも、まだ連絡がついていません。
 
 もはや水というより重い泥のうねりのような濁流になって氾濫している川を映すテレビの画面に目を奪われます。
 三月の、津波が押し寄せてくるあの無残な映像と二重写しになって、自然の脅威を再び思い知らされる気がしますね。
 
 大震災のショックを乗り越えて、ともかくも前向きに頑張ってゆかなければという気持ちを今皆で奮い立たせようとしている時なのに。

 渦中におられる方、地震、原発、・・・過酷すぎるほどの試練の連続に心身の疲労もいかばかりでしょうか。
 謹んでお見舞い申し上げます。
 これ以上の犠牲を生むことなく、一刻も早く収束に向かいますように。
 どうぞご無事でありますように。

 幸い豪雨のピークは過ぎて、河川の水位は少し下がりつつあるということです。

 けれど、非常事態の中ですが今回、報道される様子を見ながら、一つ感銘を受けたことがあります。

 それは、避難のためのそれぞれの地域での自主的な判断や対応が非常に迅速且つ的確に行われて、その場の状況を見極めながら、救助する立場の方たちも被害者の方たちも共に、最良の知恵を出し合い助け合っているように感じられたことです。
 震災や洪水の経験を教訓としてこれを乗り越えているという感銘かもしれません。・・・・

 私たちは、ただされるがままに翻弄されないぞ、苦しんだ分それを経験とし、知恵として、必ず乗り越える力を身につけてゆかれるんだ、そういう国民なんだ・・・と、祈るような気持ちの中で確信します。


 今、ふと浮かんだ文章があります。
 山崎正和氏の評論、1965年に起こったニューヨークの大停電を取り上げた文章の中にあったかと思うのですが。(確か『劇的なる精神』だったかと・・うろ覚えのままご紹介してしまいます。ごめんなさい。)
 ニューヨークで大規模停電に遭遇した日本人(筆者)が、真っ暗になって満月だけが照らすマンハッタンの街を黙々と帰宅するアメリカ人たちの人並みに混ざって歩いていたときのこと。
 隣り合わせたアメリカ人の女性と歩きながら会話をするのですが、いつもの近代文明の象徴のようなマンハッタンではなく、摩天楼の林を秋の月の光だけが照らす光景に心惹かれ、不安と恐怖でいっぱいになっている彼女に向かって「月が素晴らしい」と話しかけるのです。彼女は、その感覚をとてもいぶかしく思って「月が不気味に光るだけの暗闇の中のニューヨークは地球の終わりのような恐怖しか感じないのになぜそんなことを言うのか」と質問します。
 これに対し「本当にいよいよ世界が終わる夜になれば、やはり無心に月を眺めて、一切の恐怖心や想像力を拒絶するのが日本人の態度かもしれない」と答えます。

 そこから、山崎氏独自のアメリカと日本との比較文化論が展開されるのですが、この中で、彼はこれが、日本人と欧米人との自然と神という概念の相違に起因するのだろうと言及してゆきます。

 <日本人にとって自然は、想像の中で膨らませてゆく曖昧なものではなく、単純明瞭な自然そのものとして受け入れられているのだ。>
 <一方、欧米人にとっての神は人間が観念的に作り上げた想像の産物であるため、その神をひとたび見失ったときには喪失感や絶望感にとらわれることにもなる。>
 ・・・というような趣旨のことがあったかと思うのです。

 つまり日本人にとっての自然は、抗えない絶対的な力を持ったもので、その中に包まれて生きていることになり、だから何が起こっても自然を愛してどう共存するかを探っていくことになるのでしょう。最終的に孤独にならない強さがあるともいえるかもしれません。

 昭和五十年代に書かれた評論かと思いますが、今考えてもなかなか示唆に富んでいる気がします。


 本来の私達らしさを武器にして、諦めず絶望せず、しなやかな強さと優しさを持ち続けて、相次ぐ様々な困難を皆で乗り越えてゆけたらと改めて切に願います。


続きを読む

このページのトップへ

* 空白の10日間 ~ 訳詞の作業現場

 前回の記事から、更新が遅くなってしまい大変失礼致しました。
如何お過ごしでしたか?

 あれから祇園祭りは本番を迎え・・・そしてそれも無事幕を閉じ、(何人か熱中症で運ばれた方が出てしまったようですが。本当に暑い日でしたものね。)・・・・直後、7月だと言うのに、風雨激しい台風が上陸し、・・・・で何と言っても、なでしこジャパンの快挙に大きな感銘を受け、皆が幸せと勇気を貰えた気がして・・・・大いにヒートアップした一週間(正確には10日間)でしたよね。

 一昨日、震災以来の友人と会い、しみじみと語り合いました。
 彼女、Eさんに前回お会いしたのは3月11日、あの震災の日だったんです。
 京都で一緒にお茶していた時だったのですが、かなり気味の悪い揺れ方をしていたものの、まさかあんな状況が起こっているとは夢にも思わず、しばらくしてお互いに帰宅し、愕然とした次第でした。
 ・・・・「あの日」以降の近況をいつも以上に二人共、熱を込めて話してしまいました。

 人って変なところで連帯感を感じるものみたいで、Eさんとは、戦時中のように、戦火の中を手を携え逃げ惑ったとかいうことでは全然ないわけですが、それなのに、一種それに似たような空気を共有しているというか・・・・。
 3月11日にたまたま居合わせたビルのペンダントランプがユサユサと揺れ、波に乗せられて舟が緩やかに傾くような緩慢で長い揺れを共に経験したこと、・・・つまり、何かの変わり目となった「あの日のあの時間」を共に居たという事実によるのでしょうか?
 こういう気持ちは少し奇妙で、上手に説明しがたいのですが。

 
 ところで、今日の記事のタイトルは、『空白の10日間』です。(ミステリーみたい!こんな言葉を一度使ってみたかった!!)
 ・・・・ただいつもより少し忙しくあちこちを走りまわっていたら、いつの間にか日が経ってしまっていたということで、呆れないでもう少しだけお付き合いくださいね。

 でも、一つ弁解しますと・・・。
 忙しくあちこちを奔走していたことも事実なのですが、東京での所用から戻ってからは、部屋に籠って訳詞作りをしていたことによるのです。

 お陰様で二曲出来上がりました!!!!!

 脱力感・開放感・充実感・達成感・・・色々で、結構今ご機嫌なので、今日は、我が訳詞作業中の風景を少し実況紹介してみましょうか?

 今回挑戦したのは、以前から懸案の曲の訳詞作りと、作詞を依頼された曲との二曲でした。
南仏ニースの旧市街1 私は、日頃からシャンソンの訳詞に携わっていますので、原詩・・・シャンソンが殆どですのでフランス語ですが、・・・を熟考し、フランスの情景・詩の情景に思いを巡らし、曲を聴き込んで、そこから日本語で歌詞をつける(日本語の言葉付けやアクセントなどが自然に美しくメロディーに嵌(はま)っているか、曲想にしっくりと乗って音楽と言葉が共に生きているかなどを考慮して)という作業をするわけです。
 作詞の場合は、これとは少し異なって、音だけの中からイメージを生み出して言葉を創り出してゆくことになります。
 いずれにしても、出来上がった作品の優劣こそが総てですから、その舞台裏を見せ過ぎてしまうのは如何なものかと思っていますし、少し飛躍しますが、ドラマなどのNG特集などを放映する感覚は、私の美学からすると実は・・・ちょっとね???・・・でもあるのです。が、今日は少しご機嫌なので!
南仏ニースの朝市2 訳詞を作っていると、機織り(はたおり)をしている<おつうさん>みたいだなといつも『鶴の恩返し』のお話を思い出してしまうのですが、一口で言うと、心境としては、あんな感じなんです。

  家事万端総て早々に終わらせた後、「ではこれにて。」
「織り終わるまでは決して中を覗いてはなりませぬぞ」というような勢いで舞い上がって(基本的に訳詞の仕事は大好きですので)、資料一式持って、穴ぐらに籠ります。
 といっても、隔離され密閉された機織り部屋があるわけではなく、小さな住まいですので、何かと外界との行き来はあるのですが。
 私は幼い頃から本の虫で、物心ついてから今日までの積年の読書で、集中力は相当養われてきたようなのです。 それが、訳詞作りの時は狂い咲きするようで、半端ではなく集中しています。
 側に電話も置き、インターホンも部屋で取れるようになっていますが、始めると、嘘ではなくこれらあらゆる音は全く耳に入らなくなってしまいます。
 時間に変に几帳面で、普段かなり規則正しく食事を取っている食いしん坊の私が、早朝から部屋に入って、ふと気がつくと暗くなっていたということなどしょっちゅうです。
 これまでのギネス記録は、家人の旅行中、千載一遇のチャンスに、昼夜もわからなくなって、二日間貫徹で、食べることも殆どしなかったことがありました。作りあげて、機織り部屋から出てきたときは、羽を抜かれた夕鶴状態でした。流石に後にこたえましたので、反省してそれからは控えています。
 その他、話し出すと背筋が寒くなるような前科は色々ありますが、誰からもお付き合いいただけなくなると困りますので、本日はこの位にしておきたいと思います。

 訳詞も創作活動ですし、何かを創り出すということには、多かれ少なかれこういう、常軌を逸する位に夢中にさせるエネルギー、それを喚起させる不思議な大きな力が働くものなのかもしれません。
 創作には生みの苦しみがあることは勿論ですが、でもそれと表裏したこの上ない喜びと楽しさもあり、こういうことに携わっていられることは本当に幸せだと思っています。
 完成したばかりの幸せ発言なので、いつもこんな心境でいられるかは保証の限りではありませんが。

 兎も角も、今回の二曲、結構気に入っています。

 そのようなわけで、恥ずかしながら裏事情を告白致しましたので、これから、或る日、ぷっつりとブログが止まったら、また機織りを始めてしまったのだろうと、寛大なお気持ちで作業の終了をお待ちいただけると幸甚でございます。

 最後に。
 誰にでも何か一つ位、習慣というか、癖というか、何かする時のお守りみたいなジンクスがあるのではないでしょうか?
お守りのバラ 私は、訳詞をするときには、儀式みたいに薔薇の花を飾る習慣があります。
 作品が出来上がるまで咲いていてほしいなと。
 きっと出来上がる!という気持ちがどこかで働くようです。
 あまりこだわると、夏の切り花は持ちが悪いので、萎れるまで、超特急で大変なのですが。
 今回の薔薇の花です。
 まだ綺麗に咲いていてくれました。
 涼しげです。

このページのトップへ

* 七月の京都 祇園祭点描(二)

 7月14日。
 今日は何の日でしょうか?

 昨日のブログで祇園祭の<宵々々山>と言ってたでしょう?!・・・・ってお答えが聞こえてきそうですが。・・・・・それはそうなんですが、でもシャンソンに関わる身としては、何よりもまず、「パリ祭」を挙げなければなりませんでした。
 7月14日・・・・フランスでは「Quatorze Juillet(7月14日)」と呼ばれ、日本での通称は「パリ祭」。
フランス革命を記念する、フランス国民最重要祝日です。


パリ祭プログラム 日本の7月は、シャンソンの季節でもあり、7月に入ると一斉に、シャンソン界では、パリ祭のイベントで盛り上がります。日本シャンソン協会が主催する「パリ祭」(今年は7月2日と3日にNHKホールで行われました)を筆頭として、多くのシャンソニエでは、工夫を凝らしたパリ祭コンサートが催されますし、歌手の方たちは、それぞれのパリ祭ライブ等企画なさっていますね。
 ところで、パリと京都は1958年に友情盟約都市の条約が結ばれているのを御存知でしたか?
 もう50年以上も続いていて、この関係は、既に金婚式並みの年季が入っているんです。 鴨川はセーヌにどこか似ている・・・というキャッチフレーズも何かにつけて耳にすることですし、だったら、14日の革命記念日はもう少し皆でお祝いしてあげても・・・・と思うのですが、生憎、間が悪かったようで、京都は祇園祭り最高潮、14日は<宵々々山>で手一杯ですので、街を普通に歩いている限り、パリの香りもシャンソンの一節も一切なく、朝から賑やかに鳴り響く祇園囃子に凌駕され尽くしております。

 京都圏外の私のシャンソン関係の知人達はきっと、この数日は様々なパリ祭三昧なのだろうなと思いつつ、ここは京都・・・私は「祇園祭点描」の続きなど楽しく今日も記したいと思います。

 何しろ長刀鉾のすぐ近くに住まいしていますので、京都四条の繁華街周辺、この辺りの賑わいの点描から。

 *その一・・・団扇(うちわ)。
 四条通りなどを歩いていると、お店の店頭、信号待ちの交差点辺りでも、祇園祭PRの団扇が道行く人に配られているのを目にします。お祭りを街をあげてバックアップしていることが良くわかるのですが、それで、街行く人たちが皆、扇子より団扇を手にしてパタパタ扇ぎながら歩いています。
 祇園祭に限らず、京都の夏は老若男女、団扇を持ってお買い物をしている人がとても多く、四条通りは言ってみれば、東京の銀座通りみたいなものですから、新参者の私にとっては、何だかとても不思議で日本的。懐かしいふるさとを見るような気分がしてしまいます。

 *その二・・・浴衣(ゆかた)。
 京都の街はさすがに普段でも着物の女性が多く、特に夏は、・・・普通に涼しげに一重の着物などシャキッと着こなしている方などにすれ違うと、本当に感動しますが、・・この時期になると、街に浴衣人口が急増します。
 若い女性も、すっきりと身について美しくて、さすが古都京都、着物文化が自然に生活に溶け込んで、無理なく守られていることにとても誇らしさを感じます。

インフォメーションの店員さん  大丸京都店(「だいまるきょうとみせ」と発音します。「大丸百貨店」と言うこともありますが、デパートと言ったらよそ者っぽいです。)のインフォメーション風景。
 女性だけでなく男性の店員さんもこの時期、浴衣を着て応対しています。観光客がバシバシとシャッターを押していたので、私も紛れて一枚撮らせていただきました。

 エレベーター案内の店員さん 
 同じく大丸のエレベーターガール。祇園祭り気分満載ですね。
 東京のデパートは最近殆どが自動で、エレベーターに一緒に乗り込んでフロアー案内を専門にしてくれる店員さんを置かなくなってきましたね。コストダウンなのでしょうが、こういうゆとりというか、一種の贅沢も悪くないなって感じます。老齢の方とか、体のご不自由な方にとても親切に対応している彼女たちに、嬉しそうにお礼を言っているおじいちゃまおばあちゃまを見るのは心が和む気がしますし、愛される百貨店につながってゆく気がしますので。

信用金庫の行員も浴衣姿
 京都中央信用金庫にて。
 お客様ではありません。れっきとした行員さんです。やはり祇園祭バージョンで浴衣姿でお仕事です。遠慮して後姿だけ遠巻きに撮らせていただきました。

 *その三・・・祇園囃子
 7月に入ると、祇園囃子が街のスピーカーから流れてきます。
 窓を開けると遠くからかすかにこの音が聴こえてきて、いつもはシャンソンがBGMの我が家も、急に和の世界に一変してしまう気がします。時々、混ざりあったりして、つかの間の友情盟約締結ですね。

鉾の上の囃子方  祇園囃子は、~~コンコンチキチン コンチキチン~~ と奏でているそうなんですが、・・・ム??・・と思っていても、そのうち ホーホケキョー や コケコッコー と同様、そのように聴こえてくるから不思議です。
 今までスピーカーから流れていたのは録音ですが、宵々々山から山鉾巡行まで、鉾の上で囃子方が奏でてくれる生の響きを楽しむことが出来、格別の風情があります。

バス停休止中 *その四・・・バス停休止
 山鉾はバス通りに出現するので、山鉾の組み立ての進捗具合と共に、バスの停車位置が日一日と、ずれてゆきます。
 運転手さんが、「今日は○○バス停が△△メートル先に変わります」とか、「今日から××バス停は止まりません」とか、「ここから先は山鉾組み立てのため渋滞しますので、お急ぎの方は降りてお歩き下さい」とかアナウンスします。乗客は「ああ祇園祭やさかいなあ」と当たり前のように、しかるべく対応します。

 *その五・・・粽(ちまき)
 祇園祭のトレンディーな食べ物は、粽(ちまき)です。
 6月の
「水無月」が終わっても、京都の和菓子屋さんは困らないようになっているのですね。
 左は食べ物の粽  
 右はそれぞれの山鉾で売っている厄除けのお守りの粽・・・食べられません。

ちまき  厄除けちまき

 まだまだご紹介したいものはありますが、きりがないのでこれくらいにして。

 最後に宵山についてのご説明を。

 クリスマスは12月25日ですが、イヴは24日の夜ですね。近頃は23日の夜をイヴイヴと言ったりしますね。・・・・これと同じ原理です。

 17日の山鉾巡行の前夜(16日の夜)を宵山(よいやま)と言い、翌日の巡行の無事を願って神事を行います。提灯に明りが灯り、出店が軒を連ねて人々が集い、賑わい、夜を徹して前夜祭、祭りの最高潮を迎えます。
 15日の夜は、宵山前夜ということで、宵々山(よいよいやま)と呼ばれ、・・・これだけでもまだ足らず、その前夜14日を宵々々山(よいよいよいやま)と称するのですね。

 今撮ってきた写真です。
宵々々山の四条通りの賑わい かなりな人出で賑やかに盛り上がっていましたし、提灯の明かりが美しく、夏の暑い京都を乗り切るための、昔からの知恵、気迫が迫ってくるように感じられて興味深かったです。

 これにて、今年の祇園祭点描を終了致します。
 実は明日から巡行の17日まで京都を留守に致します・・・・・一番の見どころを見ず、レポートできず、何とも申し訳ありません。
 TV、新聞等で後はよろしくお願いいたします。
 百聞は・・という方は是非、上洛なさってこの続きをご確認くださいね。ただし暑いのは覚悟の上で・・・。


このページのトップへ

* 七月の京都 祇園祭点描(一)

 京都の数ある神事の中でも最大と言って過言でない祇園祭、この祭りのことを書き出したら、いつに増して大長編ブログになってしまいそうなので、素知らぬ顔で何気なく通り過ごしてしまおうかと思ったのですが、京都の七月は祇園祭一色、暑い夏を更に連日ヒートアップさせている感じなので、ほんの概略だけでもこれはご紹介せねばと・・・・。
お祭り気分 全国のTVニュースなどで祇園祭が紹介されるのは、「山鉾巡行」の様子がほとんどかと思います。私も京都に来る前は、祇園祭=山鉾巡行の日、のようなイメージを持っていました。
 でも祇園祭は、そんな生易しいものではないんですね。
 祇園祭は京都東山の八坂神社(祇園社)の神事で、スタートは7月1日から。7月31日の疫神社夏越祭までの将に一ヶ月間、ずっと続くのです。ですから、勿論今日も既に祭りの真っ最中なのです。(31日間のスケジュールは実に綿密に定められていて、それに従い、粛々と揺らぎなく準備は進められて行きます。ご興味のある方、詳細は
こちらです。)

 <村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日~~~>
 『村祭り』でしたっけ?こういう童謡がありましたね。
 どこの村や町にもあるお祭りの中で、村の若い衆がお神輿(みこし)を担ぎますよね?あれを物凄く盛大な規模にしたものが祇園祭りの山鉾(やまぼこ)と考えていただければ良いかと!
 先程から「山鉾」と言っていますが、実は「山」と「鉾」はそれぞれ別のものだということをご存じでしたか?(恥ずかしいのですが、私はずっとどれも皆「山鉾」というのだと思っていました。)

 最大のものは12トンにも達するという「鉾」(車が付いている山車です)が9基、そして1~2トン級の「山」(神輿のように担ぎます)が23基、併せて32基の山と鉾が、四条烏丸から四条通りを河原町へ、河原町通りを北上して御池に出て、そして御池通りを新町御池まで、約二時間半をかけて、次々に続いて練り歩くのが、<山鉾巡行>と呼ばれる最大のハイライトなのです。(毎年7月17日です)

 要するにおみこしと山車が出るということか!・・・と簡単に納得してはダメで、巡行までにはそれ相当の儀式と手順があるのです。
 まず、7月2日に行われる「くじ取り式」。
 巡行の順番争いを避けるため、抽選によって順序を決めるもので、毎年行われるのだそうです。野球のドラフト会議でくじを引き当てるような気分なのでしょうか?
 そして当日は、本当に順番通りか、恭しく「くじ改め」を奉行(京都市長です)の前で行ってから、巡行に加わります。

 でも、永久欠番じゃありませんが、「くじ取らず」と呼ばれ、くじを引かず常に予め順番が決まっている山鉾がいくつかあります。

 その、人も羨む(山鉾も羨むかな?)輝ける不滅の第一位、先頭を切るのは「長刀鉾」(なぎなたぼこ)という名の鉾でして、お稚児さんと呼ばれる小さな男の子が神事の装束を付けて乗り込んでいるのですが、その彼が、出発の合図に縄切り(注連縄切り)をする場面など、この鉾には見所が沢山あり、毎年TVでも全国に放映される「長刀鉾にあらずんば祇園祭にあらず」みたいな超高名な鉾です。その後方を・・・その他の山鉾がつき従って行くという感じ・・・ですね。   
 因みにこのお稚児さんに選ばれることは大変な誉れで、その筋では、毎年の非常に大きな関心事で、色々な物語も生まれているのでしょうね。

組み立て2(10日) 古式にのっとった参拝など色々な手順を終えた後、7月10日から今日13日までの間に、いよいよそれぞれの鉾や山が組み立てられてゆきます。
 鉾も山もあまりにも大きいので、そのまま保管する事は出来ません。
 それで、毎年分解して収納されており、その部材を三日間かけて組み立てるのですが、その際、釘などは一切使わず縄だけで柱同志を固定する「縄がらみ」と呼ばれる伝統技法が駆使されます。(最大の鉾は音頭取り・屋根方・囃子方など総勢50名近くが乗り込んで巡行する大規模なものですので、それを支える頑強な組み立て技術が必要になると思われます。)

 京都の街、いわゆる碁盤の目の限られた範囲の中で、巨大な32基もの山鉾が一斉に建ち始めるのを目の当たりにするのは実に壮観です。

 実は、我が住まいは街なかにあり、・・・白状しますと、かの有名な長刀鉾に徒歩2~3分という、祇園祭フリークなら信じられない垂涎のロケーションですので、・・・私はそれ程のフリークではないのですが、・・・外出するときは、自然と長刀鉾に行きついてしまいます。それならばと、この三日間の長刀鉾完成の過程を写真に収めて参りました。
 ただ鉾が巨大過ぎるのと、見物の人が多すぎるのとで写真が思うように撮れずわかりにくいかもしれませんが。

 7月10日。長刀鉾保存会から、木材や縄が。いよいよ作業開始。まだ土台作りの段階です。
組み立て(10日) 組み立て3(10日)

 
 7月11日。大分できあがり、長刀も立ちました。
      組み立て4(11日)  組み立て5(11日)

 
 7月12日。38℃近い暑さの中、汗だくで作業に余念がありません。車もつき、飾り付けも始まりました。
 
 そして7月13日。ついに完成です。夕方には提灯にも火が入りました。

      組み立て7(12日)  組み立て9(13日)


 さあ、明日はいよいよ宵々々山!
 夕方から夜中まで、四条通りを中心に大賑わいとなります。またご報告しますので、お楽しみに。

このページのトップへ

* さくらんぼの意匠

 この時期になるといつも友人のEさんが、佐藤錦を送って下さいます。

 さくらんぼは6月の果物のイメージでしょうか?

 アメリカンチェリーが5月の終わり頃からまず出始めて、6月に入ると少しずつ、初物の国産さくらんぼが小さなパックに恭しく、果物屋さんの一等席に貴重品のように並べられますね。
 日が経つにつれて段々とパックは大きくなり、プライスも良い感じになってきて、後少しでスイカに座を明け渡す寸前の、今はまさに熟成された旬ですね。

 中でも佐藤錦は実りがゆっくりなのでしょうか。王者は最後のお出ましと言わんばかりに、艶やかで瑞々しく、この時期、目と味覚を充分に堪能させてくれます。

さくらんぼ1 さくらんぼ2

 今年は、震災の影響で農作物は深刻な状態ですし、さぞ大変だったのではと思っていたのですが、こんなに立派な沢山のさくらんぼ!いつにもまして嬉しく感じられました。

 私は果物は、何でも大好きです。
 陽の恵み、季節の恵みを受けて、その季節ならではのそれでしかない甘酸っぱい味と香りと形を成熟させている気がしますし、花を咲かせ実を付け、収穫され、そういうすべてのプロセスがどこかとても健気で、愛らしく感じられてしまうのです。
 
 さくらんぼの意匠・・・デザインということですが、さくらんぼはとりわけこの形がホントに可愛くて、見ているだけでも楽しいですよね。

 佐藤錦はさくらんぼの代名詞みたいに良く知られていますけれど、命名はどこから?・・・あまり難しい質問ではありませんね・・・予想通り、開発者の名前から。山形の佐藤栄助さんという方が作られた品種なのだそうです。

「さくらんぼは冷蔵庫に入れると糖度が飛ぶので常温で保存して2~3日で食べ切ってください。」と注意書きがあり、一度に食べてしまうのはもったいないなと思いつつ、これまでいつも忠実に守ってきたのですが、今年は例の
冷凍レモン以来、冷凍に、はまっていますので、ものは試し、さくらんぼにも挑戦してみたのです。
冷凍さくらんぼ  ・・結構お薦めです。
 この暑さの中、上品なチェリーシャーベットのようで、とってもお洒落な味なんです。色々なデザートにもアレンジできますし、シャリっとした氷菓の食感が口の中に広がって、味も風味も色も問題なく正真正銘のさくらんぼです。
 これなら慌てず少しずつ味わうことができますから、是非一度試して見て下さいね。
 ガラスの器が少し冷気で曇って、自然に冷たさが伝わってきます。
 さくらんぼの表面に薄く霜が付いているのが写真からわかるでしょうか?
 
 ちょっと素敵な高浜虚子の俳句を思い出しました。


   茎 右往左往 菓子器の さくらんぼ


 もう一つ、シャンソンのご紹介もしてみます。
 さくらんぼといえば、シャンソンを代表する名曲『さくらんぼの実る頃』ですね。
 1966年にJ・Bクレマンの詩、A・ルナールの曲で発表されています。
 この曲は、日本語の訳詞がいくつかあって、馴染みが深いのですが、よく耳にするのは、工藤勉氏の訳詞かと思います。

   さくらんぼの実る頃は 
   うぐいすが楽しそうに
   野にうたうよ
   乙女たちの心みだれて
   恋に身をこがすよ
   さくらんぼ実る頃は
   愛のよろこびをみな歌うよ

 一番だけ記してみました。
 <けれどもさくらんぼの実る季節は短くて、恋もすぐに終わってしまう>という二番。
 そして、<年老いた今もあの日のことを胸に秘めて、あの幸せをしのんで歌う>という三番と続きます。

 「フランス人はこの曲が大好きで、小さな子供達に学校でも教えている」とフランス人の友人から聞いたことがありますが、本当なのでしょうか?
 日本では、風格ある歌手の方たちがこの歌を味わい深く歌われるのを聴くことが多いのですが、フランスの小学生が先生に教わりながら、声を合わせて皆で歌っているところも一度聴いてみたくなりますね。

 青春の儚い恋をさくらんぼの実る季節に重ねて瑞々しく歌った歌。
 或いは、その恋が失われてゆく痛手を噛みしめ、追憶する歌。
 色々な味わい方があるのですが、実はこの歌は、1871年に成立したパリ・コミューン(革命軍)が、政府軍との二か月に及ぶ闘争を繰り広げ、ついに「流血の一週間」と呼ばれた激しい市街戦で、市民三万人の虐殺によって終焉を迎えた、その時の悲劇をさくらんぼのイメージに重ねた歌とも言われているのです。(<パリ・コミューンの勇敢な女子看護兵ルイーズに捧げる詩>という作詞者の献辞もあります。)
 そう思って原詩を味わい直して見ると、どこか少し深刻な血なまぐさい雰囲気と、喪失感を感じないでもありません。

 原詩の中で、少し気になるところの大意を紹介してみますね。

  * さくらんぼがおそろいのドレスで、葉蔭に垂れ下がっている 血のしずくのように 

  * そのサンゴ色のイヤリングを 二人は摘みに行く

  * さくらんぼが実る頃、失われてゆく苦しみを自分は味わうだろう

  * でも自分はこの季節をこれからもずっと愛し続けるだろう
    あの時から残されたものは 心の中に開いたままの傷口
    何ものも苦悩を癒やすことはできないけれど

 一年のわずかな日数だけ実る果実は、つかの間の夢のようでもあり、
 茎が二つに繋がって揺れる様は、恋人たちの淡い絆のようでもあり、
 鮮やかな赤い色は、燃える恋の炎、また、戦いの中で流されてゆく鮮血の色でもあり、・・・・そんなことを思うと、一曲のシャンソンからも、<さくらんぼ>という果物を捉えるフランス的感受性が垣間見える気がして、とても興味深く感じられてきます。

このページのトップへ

* 『断捨離』と『片付けの魔法』

 昨日は七夕でしたね。
 京都は生憎の雨で、昼も薄暗い無情な空・・・めげず私は友人のTさんとランチデートをしました。二年前までフランス語の同級生だった彼女と前回会ったのは今年の一月。
 震災の復興、政治、現代若者事情など、話題は多岐に及ぶのですが、私たちが一番盛り上がるのは、音楽美術等の芸術論、一昔前の学生同士みたいに、かなり真面目に山ほど話して、「また秋にでも・・」と言って別れました。
 お互いの生活には踏み込まずさっぱりと、でも気心が通じ、良い刺激を受け合う間柄、Tさんは率直で温かい素敵な女性です。


 さて、何回か前の記事、「梅雨時の片付け」の続きです。
 次回続きを・・と言っておきながら、間が空いてしまいましたが、この間、色々中断しつつも、家の片付けに精を出しておりました。
 さすがに一段落し、家の中、身辺、かなりすっきりと片付きました。
 梅雨時は放っておくと、カビやダニなど発生し易いですし、気持も滅入りがちな季節ですので、この時期に大掃除するのは、実は理に適っていてなかなか有効なのかもしれません。

 前回、<昔から片付けは趣味の一つだった>と告白しましたが、時々彗星ののように本屋さんの店頭に現れる、片付け術を指南するベストセラーも、折に触れ手に取ってきました。(how to本は、元来は好きではなく、殆ど読まないのですが、この分野だけは趣味なので・・・片付け仲間=本の著者と出会い共感するのが楽しみでもあり、また彼らライバル達が(自分で勝手に思ってるだけですが)どんな工夫をしているのかチェックしたくもあり・・・・ちょっとだけ例外なのです!)
 で、最近のヒット本、『新・片付け術 断捨離』(やましたひでこ著)と『人生がときめく片付けの魔法』(近藤麻理恵著)に目を通してみました。

断捨離の表紙 「断捨離」とはヨガの行法哲学の「断行・捨行・離行」から取った言葉で、 モノを「断」ち、ガラクタを「捨」てれば、執着も「離」れてゆくということなのだそうで、食事制限(ダイエット)と毒素排出(デトックス)で新陳代謝(メタボリズム)が促されてゆくのに例えられています。
 説明が明確なので、一気に読んでいくうちに、俄然片付けたい気分がムラムラと生まれてくるところがミソですね。片付けへの背中を押してくれるものを渇望している方にはお薦めです。
 「片付け」と「整理整頓」と「掃除」は全く別物で、「断捨離」とは「片付け」の分野を指している言葉なのだと説明されているのですが、いずれにしても、根本的に自分にとって本当に必要なモノを改めて見直すことが大切と・・・共感させられる部分が確かにあります。


 もう一冊、『人生がときめく片付けの魔法』・・・ 『断捨離』同様、インパクトのあるネーミングですが、読者を引きつける必要条件の一つなのかもしれません。
「片付けの魔法」の表紙 「まずは、収納しないで「捨てる」という作業を一気に短期に完璧に片付けること、これをすれば絶対に元の散らかった状態には戻らない」と筆者は述べています。
 では何を、どう捨てるかが問題になるわけですが、「理想の暮らしを考えながら、目の前にあるモノに今、ときめきを感じるか否かで判断する事」が大切であり、モノを貯め込んでしまうのは、「過去にたいする執着」か「未来に対する不安」があるからであり、それをふっ切ることが「モノがなくても何とかなる」という自分に対する自信の獲得につながるのだと、なかなか哲学的に展開して行きます。
 完璧な片付けを一度でも体験すると、人生がときめくような感覚を覚え、そしてその後に、自分が本当に求めていたモノや目標までもが見えてくる・・・人生が魔法にかかったかのようにドラマチックに変化してゆくのを実感する・・それを筆者は「片付けの魔法」と称しています。

 興味深いですね。
 でも、実際には、一つ一つのモノを前にして、「ときめく」か「ときめかない」か、瞬時に判断し、「捨てる」という行動につなげてゆくことは、敏感な感性と毅然とした決断力を必要とすることで、それなりの修練も必要かもしれません。

 
 モノを消費するのが美徳とされた、<大量生産・大量消費の時代>ならいざ知らず、震災後の、守りと我慢が急務の今、こういう本が流行り、巷(ちまた)にモノを片付けるという欲求が生まれてきているとすれば、それは不合理のようでもありますが、これまでモノに溢れたまま無自覚に暮らしてしまっていたことを省みて、シンプルな生活、本当にモノを大切にし豊かに生きるとはどういうことかを根本から問い直し、生活を変えてみる一歩を踏み出すという点では意味のある事かなとも思うのです。

 <断捨離>で言うなら、凝り性で道具立てが大好きな私には、「断」の部分がかなり難関ではあるのですが、いずれにしても、梅雨明けを前にして、私の身の周りはかなりすっきりと片付きましたし、綺麗になると更に綺麗にしたくなるもので、磨き掃除などまでいつもよりこだわって頑張ってみました。

 ただし、・・・・水清くして魚棲まずではありませんが、ホテルみたいな部屋が100%良いわけでもなく・・・。

 戦後の、絶対的モノ不足を体験したことのある我が母などは、今もってモノが沢山ないと不安なようで、「片付けたい」「片付けなくちゃ」と口癖のように言いつつも、しっかりとモノを貯め込んで、様々なジャンルに渡ってストックに溢れた生活を送っています。
 「いらないものの処分を手伝ってほしい、文句は言わないから」と言うのですが、サイズの合わない服などに至るまで、捨てるとなると、惜しそうにダメ出しが始まります。
 ある程度の踏ん切りがないと片付けは出来ませんので、ついついむきになって説得にかかったりしてしまうのですが・・・。
 でも、思い出の品、モノと言えども共に生きてきた歴史があり、それが今の生活の中でみればもはや不要なモノであったり、はた目からはゴミのようであったとしても、だから、その人にとって価値がないとも言い切れないですよね。
 あまりにも過去に引きずられ過ぎたり、ただ整理ができなくて不用品に埋もれ、沢山モノを持っているのに不自由な生活をするのはどうしても感心できませんから、改善の努力をするとして、捨てたくても捨てられないものを苦笑いしながら抱えてゆくのも人間らしくて自然なのかなとも思うのです。


 「梅雨時の片付け」の記事でご紹介した亡き祖母のことを思い出します。
きっと様々な執着から離れた潔い心境の中にあったのではという気がしますが、そんな話を改めて聞いてみたかったなとふと思うこの頃です。

このページのトップへ