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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

軽井沢の休日 落葉松のある風景(一)

 今、軽井沢に来ています。
 
 旅の気分って良いものですね。
 月並みな言葉ですけど、日常を離れ、束の間、別の場所に身を置くのは、日々の生活や自分を見直し、発見する新鮮なきっかけになるような気がします。
 
 これまで何度も足を運んだお気に入りの所ってありますか?
 私にとって軽井沢はいくつかあるそんな場所の一つです。

 空気の味、光の柔らかさ、樹の匂いがとても素敵で・・・どこかのポスターのキャッチコピーみたいですが、・・・・木々に囲まれた特有のしっとりとした冷気が体の奥に染み入ってきて、心身にいつの間にか重く澱んでいたものをすっきりと浄化してくれるような気がしてきます。
 
 軽井沢は人気の観光地ですので、見どころはもちろんたくさんあるのですが、どこに出掛けるというのではなくて、私は、何より軽井沢の落葉松の風景が良いなと思ってしまいます。
 落葉松林の中に入って、いつまでも樹の気配のようなものを感じているのが好きですし、四季折々、落葉松の表情に変化があるのも興味深いです。
 今日は、少しマニアックな観光ガイドを。

 旧軽井沢 白秋の落葉松 文学散歩 
 
 絵葉書に出てくる軽井沢らしい風景ってこういう感じでしょうか?
 軽井沢の小径1 軽井沢の小径2
 軽井沢の夏、昼間は30℃近くになる時もあるのですが、この数日は雨模様、20℃を切り、カーディガンなど着て歩いています。
 抜けるような澄んだ空に落葉松は映えますが、こんな雨の日の霧に霞んだ情景も陰影を感じてまたなかなかの雰囲気があるかと。

 真っ直ぐにそびえ立つ落葉松の間を細い道がどこまでも続いています。
旧軽井沢、・・・・「旧」などとネイミングされていますが、本当は「正」軽井沢なのでしょうね。昔ながらの重厚な趣のある別荘地に続く、いつも霧の中に眠るような端正な風情はやはり格別です。


落葉松の道をずっと歩いてゆくと、風景に溶け込んで万平ホテルが現れます。
 万平ホテルへの径 万平ホテル
 1894年創業、明治に出現したこのモダンな西洋建築はどんなにか当時の人の心を魅了したことかと想像されますが、100年有余の月日を華やかに色々な物語で飾ってきたことでしょう。今も大人気のレトロな洋館で、やはりこの日も大勢の人で賑わっていました。

   からまつの林を過ぎて、
   からまつをしみじみと見き。
   からまつはさびしかりけり。
   たびゆくはさびしかりけり。

 北原白秋の『落葉松』です。
 八連まである長い詩なのですが。
 (全編ゆっくりお読みいただける方はこちらをクリックしてください。)

 白秋が詩集『水墨集』で昭和10年に発表した詩ですが、余りにも有名で、落葉松林を歩く時は誰もが皆、この詩の一節を口ずさむ詩人になってしまいそうです。
 特に五連の
   からまつの林を過ぎて、
   ゆゑしらず歩みひそめつ。
   からまつはさびしかりけり。
   からまつとささやきにけり。
 辺りに来ると、もうすっかり物悲しく幽玄な気分に引きこまれますよね。


 ところで、『落葉松』という合唱曲があるのですが、ご存知でしたか?
 白秋の詩をそのまま歌詞として作曲したものもありますが、現在よく耳にするのは、野上彰作詞・小林秀雄作曲の『落葉松』ではないでしょうか。

  こちらは八行の詩ですので、全編載せてみます。

     『落葉松』
   落葉松の 秋の雨に
   わたしの 手が濡れる

   落葉松の 夜の雨に
   わたしの 心が濡れる

   落葉松の 陽のある雨に
   わたしの 思い出が濡れる

   落葉松の 小鳥の雨に
   わたしの 乾いた眼が濡れる

 女声合唱、混声合唱、ピアノ曲、それぞれに編曲されていますが、シンプルな詩が、少しメランコリックで美しい旋律に乗って繰り返されてゆき、落葉松の情景と共に心に沁み入ってくる気がします。

 嘗て教鞭を執っていた高校の合唱コンクールの時に歌われた『落葉松』。
 瑞々しい感性がほとばしるような美しい歌声が、色々な思い出と共に今も鮮やかに懐かしく胸に蘇ってきます。
 私も、自分でもどうしても歌ってみたくなって、随分前ですが、シャンソン風にアレンジして歌ったことがありました。
 (こちらは混声合唱ですがクリックするとyoutubeにつながります。

 旧軽井沢 犀星の足跡 文学散歩
犀星旧居への小径
 万平ホテルを出て、また落葉松の道を、さわさわとした梢の音を聞きながらのんびり歩いていると、すぐ近くに、今は記念館になっている犀星の旧宅に行きあたります。

 こんなところに・・・と思うほど閑静な佇まい。良く手入れされている苔庭が目に鮮やかに飛び込んできます。入館料無料、GOODですよね。
 室生犀星は金沢の生まれで、犀星の名も故郷金沢を流れる犀
犀星旧居川から名付けたものですが、上京して詩人として成功した後、今度は小説家として転身し、作品を多く残すことになります。
 この頃(大正末)から頻繁に軽井沢を訪れ、昭和6年に建てられ、以後長きに渡って夏を過ごすことになった家が、この旧宅なのです。
 軽井沢ゆかりの文学者は、芥川龍之介、堀辰雄、立原道造、川端康成、志賀直哉、有島武郎、・・・枚挙にいとまなく、それぞれの文学者の日記や随筆など読むにつけ、彼らの夏の家は文学サロンの香りが漂っていたのだろうと、良き時代に思いを馳せてしまいます。

 旧軽井沢銀座に行きつき、更に旧道を旧碓氷峠に向かうと矢ヶ崎川にかかる二手橋を渡ります。川沿いを少し行くと犀星の文学碑が。
 この辺も銀座の喧騒が嘘のような、文学散歩に絶好の静寂を噛みしめることのできる場所です。

 傭人二体 犀星文学碑
 文学碑の前には道祖神かしらと思ってしまうくらい自然に、二体の傭人(ようじん)があります。片方には犀星の妻の、そしてもう片方には犀星の遺骨の一部が収められているそうです。
 大好きな軽井沢に・・という犀星の遺志だったのでしょうね。

 ご紹介したい所、事、まだまだ沢山あるのですが、長くなりますので、とりあえずここで休憩して、また次回に続けたいと思います。



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八月生まれ

    <お誕生日おめでとうございます。
    充実した良い一年となりますようお祈りしています。・・・・・・>
 今朝、メールが届きました。

 温かい気持ちがこみ上げてきました。
 ありがとうございます。
 覚えていて下さる方がいて、おめでとう!という言葉、とても嬉しいです。

 今日、8月21日は私の誕生日なんです。
     
    *   *   *   *
 
 で、突然ですが、一つ告白しますね。
 実は、大学時代に、私、占いの修業をしたことがあるのです。
 
 四柱推命学ってご存じですか?
 私は国文学専攻ですので、その中でこれに関わる漢文学も学んだのですが、中国の文学や歴史には易学の考え方が頻繁に出てくるのです。色々な文献を読んでいるうちに、易学にとても興味を惹かれて、これを応用した占い、四柱推命学を学んでみようかと思ったのでした。
 家の近くに四柱推命学では著名な先生がいらして、弟子入り交渉をし、個人教授を受けることにめでたく成功しました。
 そして3年間、学業の傍ら、熱心に修業した後、教職に進路を取るのを機に、占い修業は一段落したわけです。・・・・。ここら辺のお話も結構面白いので、・・・機会とご要望があればそのうちに。

 四柱推命学は生まれた生年月日・時間から判断する占いです。
 先生の理念は、「人には確かに持って生まれた宿命、星というものがあるけれど、それをよく知った上で、自分自身のあり方や、より良い生き方を見つけてゆくことが良い」「運命は避けられないものではなく、自身の努力によって好転させてゆくことが可能なのだ」いう考えで、なかなか納得のいくものと今も思っています。

 生年月日・時間で判断してゆきますので、全く同じ時に生まれた人は潜在的に酷似した運命を持っていることになるのですが、でも、その人の意志や努力の仕方は自ずと異なるでしょうから、歩む人生も変わってくるのでしょうね。

    *  *   *   *

 生年月日と生まれた時間まで全く同一生まれの人と会ったことはありますか?
 私はそういう方に会ったことはなく、一度お会いしてみたいものと思っていますが、でも月日だけでしたら、不思議なことに周りに何人かいらっしゃいます。
 
 私の周辺の8月21日生まれ、とても親しみを感じてしまう方々のご紹介をしてみますね。

 *フランス語の恩師、F教授の奥様。
 教授がフランスの星占いのお話をしてくださった折、話題の中で偶然判明したのですが。愛妻家の先生、ちょっと照れて恐妻家のふりをして、<獅子座はやはり獅子なんです 気が強~いんです>というお話をユーモラスにしてくださった後でしたので、「え~~8月21日だったんですか!!」としばし絶句。先生、あのときは面白かったですね。

 *ヴァイオリニストのMさんのお母様。
 Mさんは、大変活躍なさっている若手の演奏家で、とても素敵な方です。彼女を幼い頃から、愛の鞭で鍛えていらしたお母様も8月21日でした。
 「母のダメ出しが一番容赦なく厳しいのです」とのこと。確かに何度か伺ったコンサートにはいつもお母様のじっと見守るお姿が。ご挨拶をしてくださる優しい笑顔の下に、<そうか、星一徹(『巨人の星』の飛雄馬の厳父)みたいに燃える炎が隠されているのか>と勝手に妄想してしまいました。

 *年の離れた従兄弟Tちゃんの長男君。
 小学校何年生になったのかしら?遠方なので、なかなか会う機会がなく、年賀状の写真で可愛く成長する姿を見るばかりなのですが、出産予定日がどんどんずれて、もしやの21日生まれ。殊のほか親近感を感じてしまいます。 思春期に入る前の人なつっこいうちに是非また会わせて下さいね。

 *シャンソンの勉強で知り合ったHさん。
 活動的な努力家で、大好きなシャンソンとダンスに打ち込んでいつも明るくチャーミングな方。今は闘病生活で、大変な時を過ごされていますが、どうぞいつものエネルギーで乗り切ってゆかれますように。

 *ご近所にお住まいのTさんご夫妻のお孫さんのCちゃん。
 今年はもう5歳になって可愛い盛り。Tさんは有名な能楽師でいらっしゃり、大きな風格とお人柄が滲み出ていらして、本物とはまさにこういうことなのだといつも感服するばかりなのです。素敵な奥様とご一緒に、笑いの絶えない温かいご家庭です。
 21日の同志、Cちゃん、従兄弟のS君と可愛く飛び回る姿はマルマルモリモリ『マルモのおきて』の<薫>と<友樹>そっくりなのです。


    *   *   *   *

 嘗ての教え子のTさんからこんなお便りが届きました。
 まだ中学生だった頃のあどけない笑顔がそのまま浮かんでくるのに、もうすぐママになられるのですね。

 <お腹の子は無事9ヶ月を迎えました。あと50日と少しで会えるかと思うとすごくうれしいのですが、お腹から永遠に離れてしまうことはとてつもなく寂しいような不思議な気持ちです。
   
 自分が子供の為に考えたり準備したり心配することのほとんどは、自分が母や父や周囲の人にしてもらってきたことなんだと、最近身にしみて思います。不安もたくさんありますが、無事に子供を迎えられるよう、健康に過ごしたいです。>

 Tさん、お腹の中の赤ちゃんの成長と共に、貴女もどんどん素敵なお母さんになっているのですね。一つの命の誕生が、どれだけたくさんの愛を生んでいくのか、改めて私も教えられる思いがします。
体に気をつけて、無事健康な赤ちゃんを! 楽しみに、心から祈っています。

    *  *  *  *

 昨年は家族が病気、その前数年も何かとばたばたしていて、夏の私の誕生日はもうずっと忘れ去られたままだったのですが、今年は久々に、友達に教えてもらった軽井沢の素敵なお店で、家族とランチをすることができました。

         テーブルのバラの花びら

 お食事もとても美味しかったのですが、お店の計らいで、テーブルの上の薔薇の花びら、ケーキ、クマさんのキャンドル、バースディーの嬉しいサプライズ演出です。

      クマさんのキャンドル   バースデイケーキ

 思い出に残る楽しい一日でした。


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「そして 君」 その二

夕暮れのセーヌ川 お盆休みが終わると、突然夏の華やかさがどこかに遠のいてゆく気がしますね。
 夏と秋の間のぽっかりと空く季節・・・この茫洋とした名残の季節も、私はとても好きです。
 
 さて今日は前回の記事、
「そして 君」その一 の続きからです。

 ・・・その前に最初からちょっと脱線。
 前回の記事の中で「蜘蛛の刺し傷」というCDアルバムをご紹介しましたが、蜘蛛に刺されたことってありますか?
 毒蜘蛛に刺されたりすることは、実際にはめったに起こらないですけれど、そこら辺の小さな蜘蛛でも、運悪く触れたりするとチクリとすること、確かにありますよね。そして蚊の跡より、若干痒みが長引くような気もします。
 何だか分からない、何時刺されたかもわからない、虫さされの跡が急に堪らなく痒くなり、夜むずむず寝床を呻きまわる、・・・「蜘蛛の刺し傷」というアルバムタイトルと同名の曲がこのCDの中にあるのですが、これはまさにそういう情景を描いていて、致命傷では決してなく、また取り立てて言うことも出来ないような、ちっぽけな、でもしつこく付きまとってくるような痛みを誰でも心にも持っている・・・そんな夏ならではの曲なのです。

 では、本筋に戻り、続きです。


       「そして 君」 その二         
                      訳詩への思い<6>


 原詩の最後は
  y’aura rien de mieux rien de mieux après (良くなることはもう何もない この後良くなることは何も)
 と締めくくられているのだが、少し後ろ向きに考えると「君と既に見るべきものは全て見てしまった、行き止まってしまってこれ以上良くなることは何もない この旅行が終わったらお別れだね」というような決別の気持ちと考えられないこともない。

 「déjà」という言葉にはもう既に片が付いてしまったというような完了のニュアンスが漂っているので。
 このような方向で少し考えてはみたが、しかしながらこの曲をそう考えるのはかなりひねくれていて、この曲の明るいメロディーに決別の思いを乗せるほどにはヴァンサンは屈折していないだろうと信じたいし、私は、やはりシンプルに、「もう既に自分の心には君が入っていて、君を選んで君とどこまでも歩いて行く、これが最高なんだと今はっきり言える」という思いの表明であると取りたいと思った。
 一緒に過ごした旅が終わりに近づくときに、過ぎてゆく時間の中で終わらせてしまえないもの、守ってゆきたいものを改めて発見する、そんな歌としてこの曲を表してみたかった。

 そして旅の最後に、彼女の生まれた町を共に歩く、というのも結構ロマンチックなのではないかと。
 その町をとても懐かしいと感じる・・・僕はもういつのまにか君に染まっちゃったんだね・・・というような「déjà」っていうのもなかなかの愛の言葉なのではと。独断的ではあるけれど、この私の曲「そして 君」はそのような世界の中にある。

 さて、では最後に。
 この原詩にはいくつかの地名が出てきて、作中の人物達が辿る道筋を示していると思われる。この詩に限らず、ヴァンサンの歌詞には具体的な街や通り名などが割と頻繁に出てくるが、きっと彼の風土に対する独特な感性やこだわりがあるのだろう。生粋のフランス人でフランスの空気の中で生きていて、だからこそrue(通り)、quartier(地区)の一つ一つにも、そこでしかないものを感じ、その名称自体が呼び起こす独自なものを嗅ぎわけるのかもしれない。あるいはそういう詩的且つ自然人的な五感が鋭くて、本能的に匂いを感じ取ってしまうのかも知れない。

 路地を一つ入ると、そこに暮らす人の生活が見え、違う風が吹き、流れる空気が変わる・・・・京都発見ガイドブックみたいなものに書かれていそうなそんなフレーズが浮かんでくる。この感覚は慣れ親しんだ土地の中で研ぎ澄まされるものでもあるし、また旅という特殊な時間と気分の中で突然生まれることもある。


 今回のこの曲だが、繰り返すと、たぶん、彼女と旅をしていて、旅が終わろうとするときの気持ちを歌っているものと解釈できる。原詩に添って旅の行程を追ってみようと地図など調べたが、正直に言うと良くわからなかった。

 バスがポジターノに着こうとする所から詩は始まっている。ポジターノはたぶんイタリアの南海岸、ソレントからSITAバスで40分の小さな、美しいリゾート地、ここに旅行に来たらしい。で、たぶん一日或いは数日を過ごして、フランスに戻って来る。彼女の住んでいるのはたぶんバルベスで、ここに送りとどけて彼はメトロに乗って帰宅する。

 私の訳詞では、旅の終わりに、彼女の生まれた町バルベスに立ち寄ったとも、送りとどけたとも受け取れるような曖昧な書き方にしてある。かなり怪しげで、ヴァンサンには内緒にしておいたほうが良さそうだ。
                     


 水玉のワンピースとサンダルの彼女が、眩しい日差しの中で爽やかに光る、ちょっと素敵な夏の恋の歌である。


                         Fin

(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)


 ヴァンサンの歌う原曲にご興味をお持ちの方、こちらをどうぞ。
 Youtubeに繋がります。
   http://www.youtube.com/watch?v=rqJPWF2ZkwI

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「そして 君」 その一

夕暮れのセーヌ川 昨日は66回目の終戦記念日でした。
 ニュースでも各地で黙祷を捧げる姿が映し出されていましたが、今年は三月の大震災での犠牲が重なって思われ、殊の外、身の引き締まる思いがしますね。
 そして今日は送り火、京都でも精霊送りの火が五山に点されます。
 高校野球・夏祭り・花火の音と火 ・・・暑気に包まれて夏真っ盛りです。

 さて、今日は、<訳詞への思い>。
たぶん殆どどなたもご存じない、フランスの小さな夏の歌をご紹介してみたいと思います。


       「そして 君」その一 
                        訳詞への思い<6>



ヴァンサン・ドゥレルム
 訳詞コンサート履歴にも記したが、『ヴァンサン・ドゥレルムを知っていますか』というタイトルで、2010年2月にVincent Delerm(ヴァンサン・ドゥレルム)を特集して訳詞コンサートを行ったことがある。
 シャンソン、フレンチポップスの旗手として、独創的な音楽と詩的世界でフランスでは評価が高く、まさに活躍中のシンガーソングライターだが、日本での知名度は皆無に等しいことが残念でならない。
 彼について、私はこれまで、かなりの曲を聴き込んで、訳詞も相当数行っているので、うんちくを思い切り傾けたいところなのだが、とりあえず今回は第一歩から、「そして 君」という曲を紹介してみようと思う。


    Vincent delerm 譜面集より
 この曲は彼の三作目のCDアルバム『蜘蛛の刺し傷』(les piqures d’araignee)の中に収録されている曲である。
「蜘蛛の刺し傷」CDの帯 2006年発表。彼の数あるアルバムの中で唯一日本盤がリリースされたものであり、これがCDショップに並べられ、「ヴァンサン・ドレルム 蜘蛛の刺し傷」と日本語で書かれているのを見つけた時、ついに、この日が!と舞い上がったのを思い出す。
 ただ、残念ながら日本ではあまり注目されなかったようで、ほどなく店頭から消え、今はもう普通に手に入れることも結構難しいのかもしれない。
 全曲を通してポップで軽快な雰囲気が漂っているアルバムなのだが、彼本来の持ち味であるドラマ性や、時に沈鬱とも感じられるような重厚感などが、このアルバムでは押さえられていて、彼の日本デビュー作としてはこれが適切だったのだろうかと、密かに感じている。
 ヴァンサンの詩は、個人的状況や好みをそのまま言葉に入れ過ぎて、日本語に訳しにくいと、いつもぶつぶつ思ってしまう割には、実は私は結構彼の曲が好きらしい。

 さて、「そして 君」なのだが。
 
 原題は「déjà toi」(もうすでに 君)という。
 軽快で楽しげな曲だと最初に聴いた時から好感度が高かった。

 大好きな彼女と少し遠出のデートに出かけた様子を描いた歌なのだが。 
 今回の訳詞のこだわり処を披露しながらこの詩について紹介してみることとする。

 作中、一緒に旅をしているらしい彼女のことを描写しているサビの部分に、
  robe à pois et sandales (水玉のドレス そして サンダル)
 というフレーズがある。
 このファッション、少しレトロでキュートなフランスの女の子が目に浮かんでくる。
 「et sandales」と言う言葉の「et」、これが休符の後でちょっと間の抜けたような甘えたような何とも良い味で歌われており、どうしてもこのタイミングを崩さず訳詞をつけてみたくなった。
 何度聴いてもヴァンサンが日本語で「え?!」とぽそっと言っているように私には聞こえてくる。「ね!!」みたいな感じもある。
 ・・・で、ここは、「水玉のワンピース と サンダル」と訳してみた。
 そのままなのだけれど、Vincentの「え?!」とぴったりハモる、この「と」が歌ってみると結構良い感じなのである。

  次いで第二ポイント。
 彼らが乗っている路線バスの運転手がla calvitie du chauffeur であると書いてある。「運転手の禿頭」の意味だ。
 う~ん。・・・と一瞬ひるんだ後、「運転手の禿頭 吊革も揺れる」というフレーズがするすると出てきてしまった。
 差別用語かしら?
 でも詩や小説などの言語表現に差別用語禁止と過敏に反応しすぎるのは、筒井氏ならずとも必ずしも同意しかねるところはあるし。
 「運転手の禿頭 吊革も揺れる」
 更に言えば、「吊革」なんて実は全く原詩には出てこないので、忠実を旨とするいつもの私にはイレギュラーで、この上なくいい加減な訳詞なのであるが。 
 一日歩き回った旅の終わりに、うとうととまどろんでいる彼女を肩に感じつつ、何気なく目に入ってくるバスの中の情景・・・バスが揺れると吊革も一斉に左右に揺れて、頭だけ見える運転手の後ろ姿も同じリズムで少し揺れる・・・・それはやはり「禿頭」が、ユーモラスで、和やかで、陽気で実直そうなイタリア人のドライバーのおじさんが浮かんできて、良いのじゃないかと個人的趣味で思えてしまった。

 ではついでに、第三ポイントも。
 「déjà toi」が原題であると言ったが、原詩の中では「déjà」という言葉がアクセントに使われている。書き出しの
 déjà l’autobus positano ( もうすでに バス ポジターノ )
  déjà la fanion du torino (もうすでに トリノの旗)
 から始まって、リフレインされる déjà toi déjà tes yeux(もうすでに 君 もうすでに 君の目)まで、短い歌詞の中に13回もdéjà という単語が出てくる。 
 これはこの詩全体の解釈の問題になると思うが、「もうすでに君 もうすでに君の目」 の「もうすでに」とはどういう気持ちなのだろうか?


 
 話はここからですが、夜も大分更けてきたので、今日はここまでにして、続きはまた。

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美味探訪 ~ブルーベリー・コンフィチュール

 立秋が過ぎた途端、更なる猛暑との戦いが始まりましたね。
 体温より高い空気を吸い込んで・・・ホントにもう、息をするのも楽ではありません。

 でも、めげずに、今日は美味しいお話を。
 
 真夏の通過儀礼のように、例年この時期、ブルーベリージャムを作ります。

 前にブログでご紹介した
GOPAN(手作り米パン)は、その後も我が家の朝の食卓に欠かすことのできない主役ですし、ジャムも手作り・・・何だか超グルメのこだわり派か、他にやることのない余程の暇人みたいですが、実はどちらでもない私、誰のことかと思ってしまいます。

 confiture=コンフィチュール。
 フランス語でジャムのことですが、私の作るブルーベリージャムは、ペクチンで固めていない、ソースとジャムの間ぐらいのものなので、語感的にはコンフィチュールの響きがしっくりくるかと、勝手に訳のわからない納得の仕方をしています。


 話はぐっと遡り、ジャム作りをすることになったきっかけから。

 もう二十年程前、アメリカのボストンでしばらく暮らしていたことがあります。
 アメリカ一般人の食生活は(私の知る限りの独断ですが)、やはりかなりアメリカンで、食材・調理法・味覚、すべてに渡って、我ら日本人の圧勝かと密かに確信しております。
 料理というもののレベルがそもそも・・・なんですね。
 でも、ジャム作りは結構マメにしている家庭が多く、・・・ルバーブジャムってご存じですか?
 初夏になるとルバーブ、巨大な蕗(ふき)みたいな、タデ科の植物、2m位ある茎の部分をジャムにして食べるのですが、マーケットに、薪の束のような、とてつもない量で売り出されます。
 これを、各家秘伝のさじ加減で甘みをつけ、大量のジャムにして、パイ生地にどっさり詰め込んで焼けば、ルバーブパイ、もうホームパーティーのスペシャルデザートという感じです。
 ちょうど、そのルバーブの季節に前後してブルーベリーがやはりバケツみたいな巨大パックで売り出されます。
 郷に入っては・・・と、迷わずブルーベリーの巨大ケースを手に取ったのでした。
 私のConfiture歴はここから始まっています。


 では、ボストン時代の簡単マイレシピを。

 *ブルーベリーはよく洗い、水気を取り、グラニュー糖にまぶして、ほうろう鍋で弱火でコト
   コト煮詰めます。
  <秘訣1> 木製のしゃもじみたいなものでかき回し続けましょう。(金物ではなく、果実
          は木と相性が良いようです)
  <秘訣2> 何があっても目を離さず回し続ける根性が必要です。
  <秘訣3>「美味しくな~れ」と呪文を唱えましょう、できれば声に出してブルーベリーに
         聞こえるように。食材と食べてくれる人の両方を思い、愛情と気合いを注入
         することが、あらゆる美味しいお料理の基本ですので。
 *好みでレモン汁を入れるとベリー類特有の酸味が際立ちます。
 *一時間くらいで、ソースとジャムの間くらいになってきます。
 *どれくらいの堅さにするか、どれくらいの甘さにするかは、保存したい期間や好みと相談
   して決めます。
 *ジャムですので、保存瓶の煮沸などの準備は前もってしておきましょう。


 アメリカ生活が終わってから、長い間、ブルーベリージャムを作ることはありませんでした。

 復活したのは数年前なのですが、なぜかと言いますと。
 *その昔は、あまり一般的でなかったブルーベリーが、アントシアニンの目への効果という
   ことで、とみに注目度が高まり、それと共に輸入ものや日本産のものも普通に出回って
   きて手に入れやすくなったこと。
 *よく探すと産直品なども大きなマーケットなどで安価で手に入ること。
洗い上げたブルーベリー
 私は特大のパックに入ったブルーベリーを売り出す、軽井沢のスーパーから毎年ゲットしています。7月末からお盆くらいまでの短期間の売りなので、ぼおっとしていると手に入れる前になくなってしまうのですが、そういう旬のあるものは、食べ物本来の季節感があって良いですよね。

 
 では、最近の復活版簡単マイレシピを。

 *秘訣1~3を含む基本はボストンレシピと同様です。
 *最近はグラニュー糖の代わりに蜂蜜を使っています。
 初めは、糖分を控えめにしないといけない父のために考えた苦肉の策だったのですが、白砂糖系より蜂蜜はヘルシーですし、甘みが際立つので少量でも結構誤魔化せるのです。私は少しの量にして、ブルーベリー自体の甘みを楽しんでいますが、これは長期保存には向きませんね。
 *レモンは使わなくなりました。入れない方がブリーベリーの柔らかい酸味を味わえる気が
   するので。
 *仕上げにブランディーを結構たくさん入れています。風味と香りが出て、大人の味わいに
   なり、これはお薦めです。
瓶詰めにしたコンフィチュール 
 そんな訳で、今年も無事できあがりました。
 瓶が不揃いなのは、一年間貯めた空き瓶を活用しているため。
 こういう味、気に入ってくれると嬉しいなと思いながら、お友達に差し上げるのも楽しみです。
 市販のジャムに比べてどうかと言われると、本当は変わらないのかもしれませんが、でも、甘酸っぱい香りの中でジャムを煮詰めてゆく時間はとても優しく流れてゆくようで、何かがよみがえってくるような豊かな気持ちになれる気がするんです。

 サラダに添えたブルーベリー ブルーベリーヨーグルト
 生のブルーベリーを少し残して、朝のサラダにも入れてみました。ちょっと豪華な夏サラダ!
 飲むヨーグルトにマイコンフィチュールをかけて。
 これも夏の素朴なデザートとしてお薦めです。

 私のささやかな・・・夏の贅沢な時間でした。

 

 今日のおまけのお話
 夏の果物に次いで、夏の花、ひまわり。

 朝摘みひまわり 朝摘みひまわり

 以前のブログ記事「紫陽花の花束」でご紹介したあのお花屋さんの店頭は、今ひまわりの花で一杯です。ひまわりも色々な種類があるのですね。
 「朝づみヒマワリ届きました!」と果物みたいな美味しそうな看板が出ていたので、思わず写してしまいました。





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* 「太陽の真下で」 

エッフェル塔 八月に入りました。

 今年は落ち着かない状況ですので、夏休みの海外への旅行客も、例年より少なそうですが、シャンソンに歌われているパリジャン、パリジェンヌの夏は、快適とは言い難い気候のパリを脱出して、南の方向にバカンスに出かける、それを王道としているようです。
 シャルル・アズナブールの「八月のパリ」など、この辺の事情を踏まえた曲はシャンソンにはたくさんあるのですが、今回はセルジュ・ゲンズブールの「太陽の真下で」という少し風変わりな曲をご紹介してみようかと思います。
 久しぶりの<訳詞への思い>です。


       「太陽の真下で」 
                       訳詞への思い<5>


 1967年のセルジュ・ゲンズブール作詞作曲による作品で、原題は“sous le soleil exactement”(まさに太陽のすぐ下)。
 テレビのミュージカル・コメディー「アンナ」の中でアンナ・カリーナによって歌われた曲であるが、その後、ゲンズブール自身も歌っている。

 冒頭の原詩、及び直訳は次のようである。

    Un point précis sous le tropique
    Du Capricorne ou du Cancer
    Depuis j'ai oublié lequel
    Sous le soleil exactement
    Pas à côté, pas n'importe où
    Sous le soleil, sous le soleil
    Exactement juste en dessous.

  <回帰線の真下 南回帰線か北回帰線か 
   あれからどちらかは忘れたけれど
   太陽のすぐ下 その近くでも どこかでもなく まさに太陽の真下>

 1番を記してみたが、どこか捉えどころなく、これが最後の4番まで行ってもあまり代わり映えはせず、曲全体に茫洋とした雰囲気が漂っている。

    Sous le soleil exactement
    Pas à côté, pas n'importe où
    Sous le soleil, sous le soleil
    Exactement juste en dessous.

   <太陽のすぐ下 その近くでも どこかでもなく まさに太陽の真下>

 リフレインされているこの部分が、妙に耳に染みついてきて、聴いているこちらのほうが、頭がグルグルになってくる気がする。

 更にこんな言葉が続いてゆく。
   
    <どこかの海のほとりだったことは確かだけれど,もうどこの国だったかも
    忘れてしまった 夢だった気がするけど,もしかしたら本当のことだったかもしれない>
 
 ・・・・ともかく太陽の真下だったのだとそればかりが強調される。


 何だか記憶喪失か,健忘症か,酔っ払いの戯言みたいな寝ぼけた原詩なのだけれど,繰り返されるsous le soleil(太陽の下) sous le soleil exactment (太陽の真下)という言葉が,畳み掛けるリズムとぴったりはまって,頭に強烈に刷り込まれてくる。
 
  
 「太陽の真下で」と題した私の訳詞は、次のように始まる。

      地球の 真ん中
      回帰線の すぐ下
      太陽の 真下で
 

 気になって、・・・どうしても思い出したくて、・・・思い出せそうなのに何も思い出せない・・・・けれど、・・・でもそれは確かにあった出来事。
 体はとても鋭敏に何かを覚えているから神経が緊張していく。・・・
 
 そういう感覚が、この原詩の奇妙な魅力である。
 まさにそういう感覚そのものを、訳詞の中で表してみたかった。
 
 回帰線の真ん中に立つ時の気分。
 太陽は寸分違わず自分の頭上に真っ直ぐにあり、自分は地球のど真ん中に突然スポットライトで照らされたように立ち尽くしている。
 
 人が自分の過去を回顧するときに感じるそんな心象風景を、訳詞で伝えてみたいと思った。
 

 そして最後の4番の原詩と直訳。

    C'est sûrement un rêve érotique
    Que je me fais les yeux ouverts
    Et pourtant si c'était réel ?

バーキン・ゲンズブール CDジャケット <それは確かにエロティックな夢 目をあけたままの夢 でも現実だったのか>

 理性的ではなく直感的・動物的感触という意味合いで<エロティック>という言葉を使ったのかもしれないが、かなり意味深でもあり、ここに至るとこれまでの曖昧さが、何となく氷解・・・・私は、「太陽の下での過ぎ去った恋」の存在と、その喪失感とを強く感じてしまったので、訳詞の中にもそれを敢えて反映させてみることとした。

 
 それにしても、誰でもこの詩に描かれた雰囲気は何となく思い当たるのではないだろうか。


  普通に過ごしているときに不意に「これと全く同じ場面を見たことがある」とか「この場所に居合わせた気がする」とか感じたり,五感に訴えかけてくる匂い・音・光などが「ずっと前から知っていた」もののような気がしてひきつけられたり・・・・そういう感覚にもどこか似ている気がする。
 déjà-vu (デジャヴュ・既視感)・・・という言葉が日本語化して割と普通に使われているがこれに近いのかもしれない。


 そしてこの曲の場合はそれがまさに「太陽」そのものなのだろう。
 「太陽」が肌に伝わる熱と、眩しい光が,直接記憶の底の思い出を呼び覚ましてしまう・・・・・

 「太陽が眩しかったから」人を殺してしまった、カミュの小説『異邦人』の主人公ムルソーが見つめた太陽を思い出した。
 映画化された画像の中でも(いつかずっと前に古い映画を見たことがあったが)当然のように,スクリーンにはみ出しそうにぎらぎら照りつける太陽を映し出していた。
 
 ・・・話が脱線してしまうが、『異邦人』は1942年刊であり、当時、「不条理の哲学」などと呼ばれ、虚無的で人間性を逸脱したかのような病める若者像が世の中を震撼させ、強烈な反響を生んだ作品だったわけだが、今や、犯罪者、犯罪者予備軍、あるいはもしかしたら全く普通の生活者の中にさえ、現実が遊離して感じられるようなムルソー的感覚は存在しそうで、このカミュの名作はまさに現代を予見していたのだと感じられてくる。


 ゲンズブールもまた,太陽と太陽が落とす影とをじっと見つめながら写真のシャッターを何枚も切るように,この詩を綴っている気がする。
 でもこちらは深刻な顔は見せず,彼独特な、癖のあるニヒルなダンディズムに巧みに包み込んで、お洒落で軽快なリズムに乗せて・・・。


                           Fin

(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願いします。)」

  
 今回は、ちょっと危ない謎多き人物、ゲンズブールについては敢えて触れませんでした。書き出すとはまり込んでしまいそうでしたので。・・・・・気合いを入れ直したら、また改めてご紹介してみたいと思います。 


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