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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

ハロウィンのかぼちゃ ~よもやま話~

ハロウィンのかぼちゃ ハロウィンのかぼちゃって、日本でどれくらい認知度があるのでしょうね。
 あのかぼちゃ・・・そう、このかぼちゃですが。
 
 数年の間で、じわっと日本に侵入してきて、街でも今、普通に目にするようになりましたから、誰でもどこかでは見たことがあるかと思います。
 でも、どうしてかぼちゃなのか? 何の意味があるのか? ハロウィン??・・・よくわからない人も結構多いのではないでしょうか?
 
  では!!!

 クリスマスやイースターと同じように、元々はキリスト教の祭事なのです。キリスト教の全ての聖人と殉教者を記念する万聖節が11月1日であり、(カトリックでは諸聖人の祝日と言います)、その前夜祭の10月31日をハロウィンと呼んでいます。
 ちなみに、フランスでは万聖節はtoussaint(トゥーサン)と呼ばれて、やはり祝日で、皆一斉に帰省して、11月2日はそれぞれの先祖に墓参りをするので、どこの墓地も花で一杯に飾られとても綺麗なのだそうです。

   ハロウィンとは?
 古代ヨーロッパの原住民ケルト族の宗教的行事に端を発しているようで、調べてみると、ハロウィンのルーツは生半可でない歴史を持つのですが、・・・全てを語り尽くせないので・・・。

 万聖節には死者の魂がこの世に戻ってくるといわれていますので、まあ、日本でいえば、お盆のようなものですよね。
 我が日本では、お盆の前日は、死者の魂が道に迷わないよう迎え火をして家に迎え、お盆の最後の日は、送り火でその見送りをするという、本当に行き届いた穏やかなもてなしを死者に対してするわけですが、ハロウィンの場合は少々厄介で、死者だけではなく、魔物までこの世にやってきてしまうらしいので、魔物に魂を取られないために、人間が魔物の格好をしてこれを防ぐというわけです。ハロウィンの仮装も、元々はただの遊びではなかったのですね。
 歯には歯を 魔物には魔物を。 
 同じ力であくまでも闘いを挑む姿勢に日本の鎮魂の祈りとはまた、ひと味違う西洋的感性を感じます。


   かぼちゃ
カボチャの飾り付け
 目・鼻・口をあけ、中にロウソクをともすあのかぼちゃの飾りを、アメリカではジャック・オ・ランタン(jack-o-l’antern)と言い、厄除けのまじない的な意味から始まったようですが、現在では仮装と同じように、お祭りのシンボルのような存在なのでしょうね。


同僚の作ったハロウィンのかぼちゃ
 もう20年近く前になりますが、私がアメリカで暮らしていた頃、・・・・その頃は、日本ではハロウィンという言葉さえ殆ど耳にすることはなかったのですが・・・初めてこのハロウィンを知った時、カルチャーショックを受けたことを思い出します。 
 写真は、その時、大学の同僚が作ってきて研究室に飾ったかぼちゃです。
 なかなか凝っていて、中でライトが灯っています(部屋の明かりを消したらチョット怖かったので、明るくして撮りました)。

 街には、大小のかぼちゃの飾り物が溢れ、10月31日は、街中テンションがやけに高くて、極めつけは夜、・・・・とんでもなくおかしな格好をした子供たちが大挙して、各家々、アパートの部屋、くまなくノックして叫びまくっているのです。最初は何だか集団催眠のような狂気じみたものを感じて、少し怖かったのですが、よく聞くと<trick or treat?>と呪文のように唱えていて、これは「お菓子をくれないといたずらするぞ」という意味で、各家庭からキャンデーやチョコレートなど貰ってゆくのです。
 そういうお祭りなので、大人たちは皆心得ていて、この日のために、お菓子をたくさん準備して、魔物や魔女などに扮した子供達の訪れを心待ちにしていたようです。
 スーパーなどでもこのお菓子詰め合わせハロウィンセットのようなものが大量に積み上げられ、それがどんどん売れてゆくのにはびっくりでした。
 私も郷に入っては・・・で、一応用意しておいたので、子供たちにいたずらされずに済み、セーフでした。
 けれど、悲惨なことに、この数日後の新聞に、お菓子の中に毒を仕込んであって、何人かの子供達が重傷で運ばれたというニュースが出て、その翌年から密封していないお菓子は貰っても決して食べないようにとか、知り合いの家からしか貰ってはいけないとか、お菓子を貰う習慣は廃止にすべきだとかいう記事が大きく出ていたのを思い出しました。
 
 そう言えば、もう随分経ちますが、ハロウィンの仮装パーティーで、日本人の留学生が銃で撃たれて死亡した事件も報道されたことがありましたね。  

 文化的相違に対する認識が双方で不足していたための誤解による悲劇と報じられましたが、最近はアメリカでも、過熱し過ぎたハロウィンの祭りは見直すべきとの世論が高まっているようですし、アメリカの文化には根本からかなり批判的なフランスに至っては、ハロウィンはキリスト教の祭事ではない、まして仮装パーティーなどもっての外、という気風が強くて殆ど騒がれることはないと聞いていますが、真偽の程を実際自分の目で確かめてみたい気がします。
かぼちゃのブーケ 

 お花屋さんにはかぼちゃ入りブーケが。
 ケーキ屋さんにはかぼちゃのムース。かぼちゃモンブラン。パンプキンパイ。
 私は小さい頃からかぼちゃ大好きっ子でした。この時期美味しいですよね。


ピアノの上の大きなかぼちゃ  そして、先日の記事でご紹介したヴィラージュのピアノの上には、栗に代わって、巨大カボチャが飾られていました。
 こっそり移動してみようかと、持ちあげてみたのですが、とても動かないくらいの重さです。先生はどうやって運んでいらしたのでしょう??
 隣にあるのは、普通の大きさのかぼちゃのローソク立てです。

 すぐ食べ物と結びついてしまうのは甚だ日本人的ですが、明日10月31日のハロウィンは、かぼちゃを買ってきて、パンプキンスープとかぼちゃサラダを作ろうかなと思っています。

 今日はとりとめもなくかぼちゃのお話をしてしまいました。


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椅子の魅力(2)~コンコルド広場の椅子~

 お待たせしました。
 今日は、前回の記事
 椅子の魅力(1)~いくつかの椅子~ の続きからです。

 前回、<絵の中にある素敵な椅子>をご紹介したいと言いましたが、その椅子とは、東山魁夷画伯の描かれた椅子なのです。

  東山魁夷のこと
 東山魁夷画伯と言えば、日本画壇の第一人者。
 いくつかの代表的な絵画がすぐ目に浮かんでくるのではないでしょうか?
 風景画家として、繊細な情感のこもった、美しい自然を描き続けた方ですが、その絵画同様、私は随筆もとても好きです。
  
東山魁夷画伯 静謐で内省的な心境と人柄が伝わってきて、言葉から絵が、絵から言葉が、祈るように生まれ出てくるようで、心洗われ、いつも深い感銘を受けるのです。

 画伯は1999年に90歳で亡くなられましたが、これは『自然のなかの喜び』(講談社)に載っている70歳の時の写真です。
 <謙虚と誠実と清純>を自らの生活信条にも絵画の究極にも置いた、高い精神性と意志とが、端正な佇まいの中から滲み出てくるように感じられます。


 群青と緑青の絵の具で、深い青の陰影を駆使して描いた唐招提寺の障壁画の『山雲』『涛声』、そして同じく唐招提寺の襖絵に描いた四十二面の水墨画を筆頭に、数多くの日本画の傑作を残していますが、私が一番初めに出会い心魅かれた絵は、中学の国語の教科書の見開きに載っていた『道』でした。
「道」
  <夏の朝早い空気の中に、静かに息づくような画面にしたいと思った。
  この作品の象徴する世界は私にとって遍歴の果てでもあり、また、新しく始まる道でもあった。それは絶望と希望を織り交ぜてはるかに続く一筋の道であった。>

 このような『一筋の道』という随筆の一文が添えられていたのですが、心象を映しだすこの一枚の風景画と文章が、ちょうど多感な年頃だった自分の感覚に何か大きく作用したようで、それから「東山魁夷」の名はずっと特別なものとして胸に刻まれてきたみたいです。

 日本画家の彼ですが、若い頃はドイツに留学をしていましたし、その後、幾度もの中国、ヨーロッパ各地への取材旅行に精力的に出掛けて、日本のみならず、様々な外国の幻想的で美しい風景画も数多く残しています。

 自然に襟を正したくなるような重厚なイメージが強い中で、北欧旅行の折に描いた1969年の『窓』という小品のスケッチ画シリーズは、悪戯心で色々な窓辺を走り書きしたような楽しさに溢れていますし、1972年に発表された、よく知られている『白い馬の見える風景』の十八点の連作は、どの絵にも白い馬が登場していて、それまで風景に人や動物を入れることが殆どなかった彼の作品の中で意表を突き、不思議なメルヘン的世界に誘われる感じがします。


コンコルド広場の椅子(Les chaises de la Place de la Concorde) 
 67歳の時のパリ旅行の産物として、1976年に発表された詩画集で、『窓』や『白い馬の見える風景』と同様メルヘンチック・・・というより、メルヘンそのもの、絵と物語が並び立っている魁夷画伯創作の<詩画集>なのです。

 パリに滞在し、パリを散策する魁夷画伯は、コンコルド広場のあちこちに何気なく置かれている小さな椅子に気が付きます。
 その姿は素朴だけれど、洗練された感じもあり、ユーモアと淋しさがあり、・・・形は簡単な鉄製、色は黄色と濃緑の二種類。
      「コンコルド広場の椅子」(新潮社)より(1)
   <恐らく、これらの椅子は、パリの中心ともいうべきこの広場の中で、最も目立たない存在であろう。しかし、その形と色調の良さ、人間味の豊かさは、やはり、パリならではと思わせる。>
   ・・・彼が椅子に親しみを感じ始めると、椅子が低い声で彼に囁きかけてきます。

   <昨夜の雨で マロニエも 菩提樹も 秋の色が濃くなった 
    路上の落ち葉も日一日と多くなる
    パリを繞(めぐ)る森も美しいことだろう
    私はただ ここに こうして移り過ぎて行く季節を見守っているだけだが>

「コンコルド広場の椅子」(新潮社)より(2)
 そして、椅子は魁夷画伯に、自分たちがじっとここにいて この広場の長い歴史を見てきたことを語り始めます。

 自分の上に腰かける様々な人間たち・・・観光客 美しい娘 小さな男の子
 セーヌに身を投げた青年・・・・沢山の物語を。
 椅子は、体が軽くなって、仲間の椅子たちとパリの空を自由に飛び回った夢の話も彼にしました。 
 エッフェル塔 ルーブル モンマルトルの丘 シャンゼリゼ・・・・  
 でも、朝目が覚めると、やはりいつもの広場にいたのだと言いました。

   <落ち葉が舞い落ちて 私の上に止まった
    もう すぐ冬が来るだろう>   Fin

 若い頃には気づかずにいた、
  <ひっそりとこの広場に佇んでいる素朴なものにも、親しみが通い合うのを強く感じた。この椅子の中にも、パリの心が生きている。 広場の椅子が私に語りかける言葉を忘れずに書きとめて、それを絵にしようと、その時、私は考えた。>
 と後記にあります。
現在のコンコルド広場 
 ・・・パリの広場に置かれている椅子たちにも、普段自分が使っている椅子にも机にも、全ての事物にも、心があって、きっといつも人間に向かって話しかけているに違いないという気が自然にしてきますね。
 自然万物に思いをかけて、そのものの本質を静かに慈しむ目を持つことが豊かに生きるということなのかもしれません。

 このところ、いつもより色々な場所にある椅子に目が行き、いつもより少しだけ愛情深く眺めている日々で、嬉しい気持ちになっています。

 素敵なシャンソンを歌われ、訳詞家でもある、大好きな歌手、別府葉子さんが、今年の八月に、東山魁夷せとうち美術館で、この『コンコルド広場の椅子』をモチーフにして朗読とシャンソンを組み合わせたコンサートをなさいました。私は聴くことができずとても残念だったのですが、素敵なアイディアですよね。シャンソンの調べがしっくりとこの詩画集のイメージにはまると思います。
「コンコルド広場の椅子」(新潮社)より(3)
 

  <落ち葉が舞い落ちて 私の上に止まった> 
  ・・・・最後に椅子が呟くこの言葉には、やはり『枯葉』が似合うでしょうか。






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椅子の魅力(1) ~いくつかの椅子~

 お気に入りの椅子を持っていますか?
 どんな椅子ですか?

 椅子って、じいっと見ていると、どこか人間ぽい味わいがありますし、使っている人の歴史というか、生活スタイルを物語っているような面白さを感じて、私は何だか好きです。

 今日は、そんな椅子のスナップを何枚か。束の間、寛いで下さいね。

 * カフェレストランの椅子
 数日前、抜けるように空が澄んでいた日、久しぶりに立ち寄ったお気に入りの隠れ家レストランで。
 赤いチェックのテーブルクロスに、色づき始めた木々の木漏れ日が眩しく光っていました。ゆったりと大きな椅子に赤いクッション。明るい日差しとの相性抜群で、南仏辺りのカフェを彷彿とさせます。ここの椅子は大きくて、ふわっと体を包みこんでくれて、お食事が益々美味しくなる気がします。
        レストランの椅子 

ガーデンチェア


 お店の入り口に二つ並んで置かれていたガーデンチェア。
 ウエルカムボードよりも多くを、雄弁に語っていました。







 * 我が家の椅子たち
 私が家はスペースに比して、椅子の数が多いのではと、今、気が付きました。
 どこに居ても座れるように・・・できれば、心地よく。
 リビングには、食事もおしゃべりも読書も勉強も手仕事も何もかも、そこで出来てしまう大きなテーブルと、いくら座っていても疲れないパーフェクトな椅子が欲しいなと、ずっと前から思っていて、・・・・でも未だ100点満点のものにはなかなか出会えず、・・・・夢はまだ続行中なのですが。
 それにしても、長い付き合いの日々の中で、愛着を感じている椅子たちが我が家にはいくつもあるのです。

 <最古参の椅子>
我が家の骨董椅子
 引っ越すずっと前から使ってきた椅子で、よく見るとかなり年季が入っています。こうなるともう、共に生きてきた盟友みたいな思いもあり、断捨離なんてとんでもなく、布の張り替えもして、今に至っています。
これと組み合わせて使っている丸テーブルは、何と、祖母の若い頃のもの、高級品ではありませんが、今や家宝!大事にしています。






 <逆光に映えて>
回転椅子

 
 回転椅子です。偉そうで、且つ、ちょっと詩情があるかなと。






     <飾り台になってしまった小さな椅子>
小さな椅子
 
 リビングの狭々しさ解消のため、ついに観葉植物と猫のクッション置き台になってしまった可哀そうな椅子。でも結構しっかりと存在を主張して光っています。





 * 朽ち果てそうなベンチ
 昔の家の庭にずっと放置してあったベンチです。
   朽ち果てそうなベンチ
 初めはキットを買ってきて、自分で辛抱強く組み立て、キシラデコール(防腐剤)などマメに塗っていたのですが、いつかそれもしなくなり、雨風にさらされているうちに、まるで自然の一部のように、溶け込んでゆきました。
 腰かける部分が、段々たわんでゆき、いつの間にか人の体に添った形で底が抜けそうな気配に。
 自然が作った造詣美、いよいよ風格が増して、少し痛ましくもありますが、これぞ椅子冥利かと?!この写真は大切にしています。


 * デパートの片隅に
 昔の小学校にでもありそうな、手作りの白木、素朴な椅子。
 結構味があるのに、家具売り場の同じ場所にずっと動かず置かれていて、ついには最近セールの赤札が掛っていました。2,3日前にもまだそのまま。どんな人の手に渡るのでしょうか?
 売り場だったので、写真は撮りませんでしたが、想像してみて下さいね。

 もう一つ。
 実は、大好きな、とびきり素敵な、絵の中の椅子があるのです。
 これを是非ご紹介したかったのですが、長くなりそうですので、次回に譲りたいと思います。どうぞ、お楽しみに!

 余談です。
 そう言えば、思い出したのですが、江戸川乱歩の怪奇小説に『人間椅子』というのがありました。
 大きな肘掛椅子の中に隠れ住んで、その椅子の持ち主の女主人公に恋慕するという明治版ストーカー男のミステリーです。
 椅子の中に人がいるなんて。
 如何にも乱歩の小説らしく、実に気味悪く、艶めかしく描かれていて、フィクションとわかっていても、ぞっとして、しばらくは、大きな椅子にかけたくなくなりました。
 勿論、次回ご紹介したい絵は、こういうのとは全く違い、とても詩的で美しいものですので、ご安心下さい。
 

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「ミレジム ~君が生まれた日~」

夕暮れのセーヌ川 八月の記事の中で、ご出産の日を待つTさんのお手紙をご紹介しましたが、10月7日に無事男の子が誕生したというお知らせが届きました。
 2700gの元気な赤ちゃん、安産だったそうで本当に良かった!
 速報写メールの中の、生まれたばかりの小さな命、寄り添うTさんの幸せそうな慈しみに満ちた表情が輝くように美しかったです。
 パパとママからの最初のプレゼント、名前は<謙太>君。
 健やかで幸せな人生を!
 謙太君へのお祝いに、今日は、前に訳詞した「ミレジム ~君が生まれた日~」という曲をご紹介してみようかと思います。



      「ミレジム ~君が生まれた日~」
                      訳詞への思い<7>


Millesimeジャケット 原題は「Millésime」。
 2001年に発表されたパスカル・オビスポのライブCDアルバム「Millésime」に収録された曲である。
 オビスポについては、以前、このブログの訳詞への思い<2>の
「愛の約束」その二で、<l’envie d’aimer>という曲を取り上げた際に既に詳しく紹介しているので、ここでは重複を避けることにするが、作詞家、作曲家、歌手、のみならず、音楽プロデューサーとしても、多くの才能の発掘育成に寄与し、アルバム作成、ミュージカルの演出・音楽監督etc、多彩な才能を発揮して、J・J・Goldmanを彷彿とさせる、今をときめく勢いのあるミュージシャンである。(他の多くのアーティストも同様であるが、フランスで活躍する彼らが日本では殆ど知られていないのが、残念でならないのだが。)

 緩やかな美しい旋律を持った、ノスタルジックな雰囲気を醸し出す曲である。
 一度聴いたときから日本語をつけてみたいと強く心が動いていた。
 しかしながら、「Millésime」というタイトルが、まず少しやっかいで。
 ミレジムと読む。英語ではミレニアムのことだが。
 記念すべきこの年2000年!!・・・というような時の言葉だ。
 辞書では、「年代を示す千の数字」「貨幣・ワインなどの製造年号」とある。

 「とっておきの年代もの」というわけだが、でも何が?

 この時、瞬時にグルグルと廻った私の思考回路を、参考までに解析してみると。

 このロマンチックなメロディーは、まさしく純愛の歌!と最初に直感してしまったので、それだったら、千年に一度のまたとない素敵な出会い、素敵な彼女のことかと思ったが、なんだか変。
それでは。
ブドウ畑
 葡萄畑の描写があるので、ダイレクトに、葡萄の出来が良くて、何年かに一度の、逸品ワインが出来たぞ!!という、収穫賛歌かとも。そうすると、タイトルは「ヴィンテージ」とでもなるわけだ。
 そういえば、この曲には、どこかジャン・フェラの「ふるさとの山」みたいな雰囲気が漂っていないこともない。

 ・・・・・等という走馬灯のように駆け巡る少し的外れなプロセスを経て、これは子供の誕生の喜びを歌っている歌と気づいた。
 歌詞を読んでみれば、c’est ça être pére <それが父になること>と出てくるから、当然すぐ気付いて然るべきだったのだけど。
 
 ヴィンテージワインの強烈な残像が頭に既にあったためか、この新米パパはどうしても、ワイナリーの若主人、あるいは葡萄園で慎ましくも誇り高く働く青年であるかのように私の中ではイメージされてしまっている。

 詩なのだから、葡萄畑はただの比喩としてということもあり得るわけで・・・・そうだとすればオビスポに笑われるかなと思いつつ。

 原詩を少し辿ってみることにする。

  一筋の光が、「私達二人の上」を通っていき、愛情を沢山注いだ後で、
  on recolte le fruit (その果物を収穫する)とある。
  「le fruit」(一つの果物)は葡萄であり、子供であるから、愛情を注ぐ対象は、愛する妻、(あるいは恋人)に対してだろう。
  いずれにしても、新米ママの姿がこの詩には見え隠れしていると言えよう。さらにいえば.
  Je vois mon château sortir du cœur des vignes
  (ブドウ畑の真ん中から私の城(シャトー)が出てくるのを見る)
  とあり、意味深長だ。

 Châteauは、城だが、いわゆるワインシャトー、ワインの醸造所のことも言うから、威風堂々と見渡す限りの丘陵地の葡萄畑の中にそびえるように出現している情景が浮かんでくる。そういうイメージを重層させているとして、それにしても、母体から誕生する嬰児の比喩といえなくもなくて、なんだかやはりフランス的だという気がする。
 c’est ça être pére <それが父になること>というフレーズを、何度もオビスポは曲の中で繰り返している。
 こういう決意表明の言葉は、オビスポの、決然と自らの音楽姿勢や創作理念や、更には、人生観を語るきらきらとした眼差しを思い起こさせ、説得力を持って心に入ってくる。

 曲の結びもやはり c’est ça être pére で締めくくられているのだが、私の日本的感性からすると、この感慨を最も良く伝える言葉は「それが父になること」ではなく、「今日 君は生まれた」であるような気がして、敢えて詩の最後をこの言葉で終えることとした次第である。

 生れてくる生命に、訳詞の中の一節を贈りたいと思う。

    君は ミレジム とびきりの
    葡萄色の十月の風が運んでくれた 素敵なプレゼント


 素敵な曲なので、原曲も聴いて戴けたらと思う。
 私のイメージにぴったりの映像が付いた、お気に入りのYou Tube。よろしかったらクリックを。

   http://www.youtube.com/watch?v=7uW4UMCbv6g 
       
                           Fin
   
(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

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「恋するバルバラ」 <2> ピアニスト

 今日も、前回に引き続き、『恋するバルバラ』コンサートに関連した話題でお話ししてみようかと思います。

* バルバラとピアノ
 バルバラは、15歳の時にピアノとソルフェージュを学び始め、そこから音楽家への道を志し、音楽学校で本格的にクラッシック音楽を習得したといわれています。その頃、生活費や学費を稼ぐためにナイトスポットで歌ったりしたことが、その後のシャンソンへの道に繋がってゆくのですが、成功した後の大きなライブステージでもピアノの弾き語りを好んでしていますし、彼女の作る曲の独特で繊細なメロディーラインは、フォーレやドビュッシーの影響を色濃く受けているのだと、よく指摘されます。

 <une petite cantate(小さなカンタータ)>や、< je ne sais pas dire(私には言えない)>、などの曲は、日本語詩が何通りもあり、バルバラの歌の中でも人気が高いですが、まさに「ピアノを弾きながら、恋人へ、友へ、思いを届ける」という内容であり、優美で抒情的なピアノの旋律が効果的に生かされた、如何にもバルバラらしい曲です。
弾き語りのバルバラ <le piano noir (黒いピアノ)>などに至っては、ピアノと一緒に自分は逝きたいのだという遺言めいた内容にまでなっています。
 また、没後発刊された彼女の自伝は<il etait un piano noir(それは黒いピアノだった)>というタイトルで・・・・。
 バルバラの世界を垣間見ると、彼女にとっては漆黒のピアノこそが音楽そのものの象徴であり、もしかしたら自らと一体化した、生きていることの証しでもあったのではとさえ思えてしまいます。
 そして、バルバラの奏でるピアノの音色は、自由奔放で自分の感情の流れのままにたゆたうように自在に歌と重なりあって、何か透き通った淋しさのようなものを紡いでいる気がします。

 私も。
 バルバラの曲を特集する今回のコンサートは、他の楽器は加えず、ピアノとだけのハーモニーで歌いたいと思っているのです。

 

* ピアニスト 三浦高広氏
 そして、今回のコンサート、京都も新橋もピアノは三浦高広さんです。
 三浦さん・・・・などと言っては実は大変畏れ多く、私が師事している先生なのです。
三浦高広先生 シャンソンのピアニストとして大変高名でいらっしゃるのですが、本当に幸せなことに、これまでの私の訳詞コンサートではいつも、ピアノは勿論、曲のアレンジ、音楽監督、コンサート全般の監修、総てに渡ってお世話になってきました。
 <なくて七癖>まで・・・ご紹介したい!・・・それこそ言葉は尽きませんが、お話しが飛び過ぎてもいけませんので。


 「新しいシャンソンを・・」の言葉通り、私が取り上げているシャンソンの殆どは、生まれたての原石のような曲ばかりですので、これに磨きをかけ、独り立ちできるよう育てるプロセスにかなり心血を注いで、日々、時間と動力を費やしています。
 候補曲と出遭うまでがまず一大仕事なのですが、この後の、音源からの譜面作成、そして、曲のアレンジ、先生がいつも手掛けて下さっています。
 かなり変わった曲を持って行っても、「面白いですね」と寛容に受け止めて下さるので、これまでずっと、安心して色々な挑戦が出来てきた気がして、感謝の思いで一杯です。
 今回のコンサートもどんなアレンジになるのか、楽しみにして下さいね。

 曲作りの時、先生はピアノを弾きながら、一緒に声を合わせて下さることがあるのですが、とても良いお声!!ソフトな美しい響きで、思わず、自分が歌うのを忘れて聴き入ってしまいます。
 ピアノの音色もタッチもそれと同様で、心地よく音楽を奏でて、<ピアノが歌う>という言葉が実感されます。
 伴奏していただいているというよりは、華麗で表情豊かなピアノに導かれるまま、気持が解放されて、ピアノと共に歌っている気がして、私にはハードルは頗る高いものの、至福の時でもあります。


 * シャンソニエ ヴィラージュ
 こうやって、いつもレッスンをしている場所は、新宿三丁目にあるヴィラージュというお店。
 実は三浦先生がオーナーなのです。
 シャンソン歌手で訳詞家でもいらっしゃる奥様の目崎千恵子さんとお二人で、開いていらっしゃる素敵なシャンソニエです。
 「<シャンソニエ>って??」
 毎日、色々なシャンソン歌手が出演する、コーヒーやワインなどを味わいながら、シャンソンを聴くライブハウスを日本ではこう呼びます。
 ・・・フランス語で「シャンソニエ」というのは、本来は「歌を歌う人、作る人」を指す言葉なのですが。

 ヴィラージュの場合は、19時30分から3ステージあります。・・・詳しくはこちら、ヴィラージュのHPをどうぞ。

 <そうだ!私の道場、ヴィラージュを紹介しよう!>と思い、先日写真を撮らせていただきました。
 シャンソニエというと、お酒とタバコの匂い・・・みたいなイメージもあるようですが、ヴィラージュは清潔感があって、女性でも安心して歌を楽しむことができるお店です。
 

 ヴィラージュ1 ヴィラージュ2
 先生も奥様も、繊細な心配りをお持ちの方で、それがお店の隅々まで自然に現れています。いつも季節の お花が美しく飾られていて、季節毎に変わるインテリアのセンスも抜群です。

     ヴィラージュ4   ヴィラージュ3
    入口を入ると、今は10月バージョン。 秋・・・・ススキ、栴檀(せんだん)の実、烏瓜・・・
    兎が所々にさりげなく置かれていました。 しっくりと調和しています。
    ピアノの上に籠に入ったいが付きの栗。 三浦先生。優しい面差しですね。


 良いコンサートを作り上げたいです。
 いよいよ準備段階、曲順検討などを中心に、個々の曲のチェック、この日も充実したレッスンを受けることができたのでした。


 恒例、おまけのお話。今日も少しだけ。
 10月になった途端、急に季節が深まった気がします。
 街は秋の装い、ブラウン・ワインレッド・モスグリーン・・・・自然を映す色合いは何となくお洒落で、しっくりと落ち着きますね。
 十代の女の子たちがムートンのブーツ、大きなポンチョで闊歩していました。
 来週はまた30℃位になるそうで、彼女たちは夏に戻るでしょうか。
 
 我が家の衣替えももう済ませました!!
 夏物を綺麗に洗いあげ、冬物と丁寧に入れ替えしたりする作業は、気持が新たになって次の季節を楽しめる気がして私は結構好きです。
 クローゼットをつらつらと眺めていたら紫系の服が多くなっていることに気づきました。そう言えば去年の冬はよくパープルの服を着ていました。
 その前は俄然、黒ばかりでしたから、こういうことにもマイブームってあるみたいですね。
 ピカソの<赤の時代・青の時代>じゃありませんが、今年もまだ、ささやかな私の紫の時代は続きそうです。 



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