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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

コンサートは明日・・・忙中閑・・

 先日の記事でお知らせしました三日間にわたる「レ・テタール・メランジェ・コンサート2011」が昨日から始まりました。
 
  昨日 
昨日は第一日目のコンサートでしたが、そのお手伝いに行ってきました。
受付・会場・楽屋・プログラム作りなどの様々な裏方の仕事でした。

 コンサートのような舞台を実現する陰には、そのステージを支え、出演者が歌うことに充分集中できるよう心を配っている様々なスタッフの存在があります。
 そういう現場の写真を収めてレポートしようかと、カメラを持ってホールに入ったのですが、リハーサルも本番も真剣勝負の気迫が満ちていて、シャッターを押すことが憚られて、気が付いたら、二枚しか写真を撮っていませんでした。
お祝いのスタンド花

 初めに撮った受付の前のスタンド花。

 三日間のコンサートの盛会を祝し、会場を華やかに飾ります。





 出演者はお昼に楽屋入りし、早速各自メークと衣装にかかります。
 女性の楽屋は賑やかで、よしこれからという気合いに満ちています。お互いにお化粧を手伝ったり、励まし合ったり和気藹藹でテンションも上がってゆきます。
 そして、衣装をつけて本番通りに忠実なリハーサルが行われますが、舞台袖には、音響、振付、舞台監督などのスタッフが控えながら、入念なチェックをしてゆきます。

舞台袖から
 舞台の袖から撮ったもう一枚の写真。わかりにくいのですが、スポットに照らされて歌う歌い手を後ろから見守っているスタッフたちです。

 リハーサルが終わるといつのまにか夕方に。
 本番まで一時間程の休憩の後、スタートです。

 お客様は大勢いらして下さり、昨日はほとんどの席が埋まっていました。

 始まるとコンサートはあっという間に過ぎてゆきます。
 私は受付で、スピーカーから流れてくるそれぞれの方の歌を聴いていました。
 ホールというのはこういう片隅まで、歌の魂みたいなものが満たされている心地よさがあり、そういう場に共にいる幸せを感じて帰って来たのでした。

  今日
 私の出番は明日ですので、今日はスタンバイ状態。

 コンサート前夜の素描。
 ・・・要するに、コンサートの前、どんなことを考えているのか、どうやって過ごしているか、とりとめがないのですが、もう少しお話してみますね。

 家の内外の所用、仕事、先々のことまで、やりたいことは山積みの筈なのですが、でも何だか、コンサートの前日って、待機していなければいけない気持ちになって、手持ち無沙汰に朝から過ごしています。
 <大事の前には新たな仕事に着手すべからず>みたいな気分が自分の中には充満しているようで、それに、少し風邪気味でもあるので、外出もできるだけ控えるべきだろうし、そうするとどうしてよいかわからなくなります。こういうのを典型的な貧乏性というのでしょうね。
 こうなると、私の場合は、いつものように掃除・片付けに頭がシフトし、朝から勤勉に働いた結果、お昼には家事所用は一通り終了してしまいました。
 
 明日の持ち物チェックももう済ませ、衣装・小物・化粧道具諸々、大きめのキャリーバックに既に詰め込んであります。
 こういう準備は、気短かの両親の薫陶を受けて、やたら早い方なので。
 
 ドレスはステージが終わるまでは扱いは慎重にしないと・・・と、しわにならないよう、気を遣ってケースに入れたりしていると、荷物はどんどん膨れ上がってきます。

 日本でも割とよく歌われている『女歌手は二十歳』というシャンソンがあるのですが、<重い鞄を引きずりながら 女歌手は、ため息をつきお店に入る 化粧をして華やかな装いに着替え、ステージに立つと 彼女は束の間二十歳の歌手に変身する >という内容から始まります。
 ステージのあるときの荷物は本当に嵩張ってしまうので、ガラガラと引っ張っていると、何だかいつもこの歌が頭をよぎるのですが、この歌の後半の女歌手は少し惨めなので、本当は出陣前にはあまり思い出さない方が良い曲ですね。

 ステージの何日か前からは出来るだけ喉を大切にして、必要以上に声を使わない、人とも話さない、電話に出ない、・・など、それぞれの歌手の方は色々なこだわりを持っていらっしゃるようです。私はそこまで全然徹底できないのですが、今日は電話もほとんどなく偶然ですが、静かな一日でした。
 
 そして、曲の最終チェックをしながら珈琲を少しこだわって美味しく淹れ、ゆっくり味わって、深く息をしたり、思いっきりカッコつけてみます。
 何しろ歌の世界に入ること自体がある種の錯覚かもしれませんから、これ位、外側からなりきって、気持ちの準備をしておいた方がよいかなという気もします。

 でも、こんなゆとりのある前日は初めてかもしれません。
 準備の整っているところに参加するだけで良いという恵まれた状況だからなのでしょうね。
 いつもの自分のソロコンサートですと、直前まで東奔西走で、喉を休めるどころか色々な段取りで喋り通しですし、とても珈琲を燻らせ・・・どころではありません。
 2月もきっと滑り込みになるのかしら?と思いつつ、でも、やはり、珈琲でも・・・とご報告できるようでありたいと密かに思っています。

 シ~ンとしている時間。
 どこか心細くなるような独りの時間。
 空っぽでいる今、この中に何かが充足してくると良いなと思います。
 明日、それが一杯になって溢れ出るように、気持ちよく客席に流れてゆきますように。たくさん伝わってゆきますように。

 

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ノワイエ ~溺れてゆく君~

夕暮れのセーヌ川 このところ、コンサート関係の記事が続いていますが、今日もまず初めに、コンサートのご紹介から。

 私のこれまでの訳詞コンサートでも、何回か、ステージング(舞台演出・振付)を担当して下さった嶋本秀朗さんが、12月16日、17日にライブハウスHUB浅草店でコンサート「Je Te Veux (ジュ・トゥ・ヴ))~番外編~年忘れライヴバージョン」を開催されます。

ジュ・トゥ・ヴ チラシ(クリックすると拡大します)
 これがコンサートチラシです(写真をクリックすると拡大します)。

 嶋本秀朗さん・・・私の訳詞コンサートをお聴き下さっている方は、覚えていらっしゃるかと思うのですが、2008年の訳詞コンサート『もう一つのたびだち』の後半、ミュージカル<ノートルダム・ド・パリ>から数曲を取り上げた際の天の声「エスメラルダ 君は・・・・・」のナレーションをして下さった方なのです。
 知ってる方にしかわからない話題になってしまいましたが、・・・・・響きのあるダンディーなお声で、「あの声はどなた??」の反響がかなり多く好評でした。昨年2010年の訳詞コンサート『彼女の名前』でも、後半で男性のナレーションと掛け合いながら歌ってゆくという舞台構成を考えたので、これはやはり嶋本さんに!と再び登板頂いた次第だったのです。
 でも、ナレーションがご専門なのではなく、歌・ダンス・演劇を組み合わせたパフォーマンス集団「ラ・コンパニー・ダッシュ」の主宰者で、ダンス、ミュージカル、舞台演出、そしてご自身でもシャンソンを歌っていらっしゃって幅広く活躍されている素敵な方です。
 詳しくは
嶋本さんのHPをどうぞ。

 その嶋本さんが、毎年ご自身の構成・演出・振付で、開催なさっているコンサートが「Je Te Veux」です。
 
 その「Je Te Veux」で、今回は私の訳詞の曲「ノワイエ~溺れてゆく君~」を取り上げて下さることになりました。
 16日は花木さち子さんが、17日はあみさんが、コンサートの中でお歌いになります。
 「ノワイエ~溺れてゆく君~」は、私も自分の歌の中でも特に好きな曲で、ずっと大事に歌い続けたいと思い、これまでコンサートの中で何度も取り上げてきました。
 嶋本さんもこの歌をとても気に入って下さっているということで、今回、お二人に歌って頂くことになりました。
 お二人は嶋本さん同様、NHKで毎年放映されてきたシャンソン協会主催の「パリ祭」にも出演しておられる、若手の素敵な実力派歌手です。
 
 どのように歌って下さるかしら? 二日間、今から楽しみです。
 同じ曲でも、歌い手が違うことによって表現、解釈も異なるでしょうから、どんな風に伝わってくるか、とても興味深いです。
 ご興味を持って下さる方、是非いらしてみて下さいね。
 また感想など後日レポートが出来ればと思いますので、楽しみにしていて下さい。

 さて、そこで。
 久しぶりの<訳詞への思い>。
 今日はこの「ノワイエ~溺れてゆく君~」をご紹介したいと思います。

  「ノワイエ ~溺れてゆく君~」
                 訳詞への思い<8>


 1972年のセルジュ・ゲンズブールの作品である。
 原題の< la noyée >(ラ・ノワイエ)は、溺死者という女性名詞なので、「溺死した女」という意味になろうか。
 そもそもはゲンズブールがイブ・モンタンに提供した作品だったのだが,結局レコーディングされないまま未発表曲となってしまった。
 ただ一度だけ,ゲンズブール自身がテレビ番組で歌った貴重な映像が残っていて,没後1994年に彼のビデオを集大成したものが売り出されたが,その中にこれが収められていたのを入手し聴いてみた。
 何があっても決して乱されることのないゆるやかな川の流れのように,シンプルに淡々と歌っていたのが印象的だった。
 一人の女が溺れ死のうと,それを男がどんなに引きとめようと,恋が終わろうと成就しようと,そんなことには何の意味もなく,時は忘却の中に全てを流してゆく。あっけらかんと何気ない日常として全ては終わってゆく,そんな、のんびりとうたた寝でもしそうなくらいのピッチでこの悲劇が歌われていくところがまさにゲンズブール的な世界であり,だからこそ実に悲しいという逆説的な効果を生んでいるように思われた。


   君は流れてゆく 思い出の河を
   僕は君を追いかけ 岸辺を走り続ける

 
   やがて 君は力なく溺れてゆく
   僕は 君の思い出の河に 身を投げる 
   そして二人は 忘却の海にたどり着き 結ばれる
 
 人が溺れて流されてゆくにもかかわらず,綺麗な単色の水彩絵の具で描かれたような不思議なメルヘンチックな絵が見えてくる。
 水は透き通っている。

 恋人ハムレットと心を通わすことができない悩みに打ちひしがれて,ついに狂いの中で入水してしまったオフィーリアがふと思い出された。
「オフィーリア」 ミレイ作 このシェイクスピアの悲劇は、物語自体に、絵心を誘われるところがあるのか,古今東西、多くの画家たちが、流れるオフィーリアの絵を描いている。写真は私が好きなその中の一つ、ミレイが描いた「オフィーリア」である。
 そういえば、人生そのものが演劇的で、その中で常にニヒリストを演じようとしたハムレットに、ゲンズブールは少し似ているかもしれない。

 日本では1995年に発売になったCDアルバム「ゲンズブール・トリビュート95 ゲンズブールに捧げる俺の女達」の中に、永瀧達治氏の訳詞で「ノワイエ(溺れるあなた)」の曲が収録されている。
 この訳詞では、溺れてゆくのは40歳の男,それを見ているのは20歳の私・・・・と独自な設定となっているが,ジェーン・バーキンをはじめ,年の離れた若い歌手や女優達と多くの浮名を流したゲンズブールの実像と強く重なった訳詞と言えようか。
 
 2002年のクミコのCDアルバム「愛の賛歌」にも,この訳詞での「ノワイエ」が歌われており,色々なシャンソンライブで時々耳にする「ノワイエ」の歌詞も,ほとんど永瀧氏のもののように思う。
 私は原詩の通り,流れてゆくのは女性としたが,やはり曲の印象は随分異なってくる。

 ゲンズブールが存命であればなぜこの「la noyée」を未発表曲のままにしたのか聞いてみたい気がするが,フランスでも最近この曲はとりあげられているし,やはり素敵な曲は作者の知らないところで、ずっと生き続けていく生命力を持つのだろうかと,何かとても嬉しくなる。  
                               Fin  



 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)



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「恋するバルバラ」<3>コンサートの詳細

 大変お待たせしました!!

 2月の訳詞コンサートVol.5「恋するバルバラ」の、コンサートの詳細が決まりました。 
 出来上がったポスター・チラシはこちらです。

   「恋するバルバラ」 チラシ

 
 読みにくいといけませんので、文字情報部分を下にピックアップしてみますね。

 
 松峰綾音 訳詞コンサートvol.5 『恋するバルバラ』 
    ~新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて~
                          Pf. 三浦高広

  松峰綾音の訳詞と歌でお届けするシャンソン、フレンチポップスの魅力。
  今回は現代シャンソンの旗手バルバラの知られざる曲を中心に、
  彼女の生きた軌跡を追いながらご紹介してゆきます。
  そして、ケレン・アン、オリビア・ルイーズ・・・・・
  フランスの今を吹き抜ける素敵な音楽をお楽しみください。

   2012年2月4日(土)
   関西日仏学館 稲畑ホール TEL 075-761-2105
   京都市バス 「京大正門前」下車すぐ
      16:00開場  16:40開演
   料金 (ワンドリンク付き 自由席)
             一般 ¥3500.-
   クラブ・フランス会員 ¥3000.-


   2012年2月18日(土)
   新橋シャミオール  TEL 03-3572-1431
   新橋駅徒歩1分
     14:30開場  15:00開演
   料金 ¥4000.-  (ワンドリンクお菓子付き 自由席 )

   チケットのお申し込み お問い合わせ (松峰まで)


 今回のチラシ、如何でしょうか?
 それでは、少し補足説明を。

  <チラシから予測される十カ条の質疑応答>
≪その一≫
  「頬づえをついて物思いにふけっているこの美しい女性は誰??」
   このチラシをご覧になった殆どすべての方(まだ出来たてのほやほやなので、関係者数名なのですが)から発せられた言葉です。「ひょっとして、オードリーヘップバーン?!」

   残念ながら不正解。
 これぞ若き日のバルバラ。美しいですよね。

 バルバラと言えば、黒衣に身を包み、鋭い眼差しで、近寄りがたい険しさを持った表情の写真を思い浮かべますが、<バルバラの知られざる曲をご紹介する>今回のコンサートの趣旨に合わせ、びっくりするくらいイメージの違う、優しげな夢見る少女っぽい、超レアな写真を発掘してみました。
 
≪その二≫
  「<pf. 三浦高広>ってあるけれど、<pf>って??」
   <ピアノ>のことです。
 私はいつも<pf>と表記しているのですが、これまでに何度もこの質問をされたことがあります。
 ちょっと、うんちくを傾けてみますと。
 「ピアノ(弱い音)とフォルテ(強い音)の出るチェンバロ」の意味の、clavicembalo col piano e forte (クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ)というイタリア語からきていて、チェンバロと似ているけれど、音の強弱が付けられる優れた楽器ということで、当初、ピアノは、<ピアノフォルテ>と呼ばれていたようです。その省略文字として<pf>と記されます。
 省略の偶然で、もしかしたら、<ピアノ>という楽器は今、<フォルテ>と呼ばれていたかもしれないのですね。

≪その三≫
  「<ケレン・アン、オリビア・ルイーズ・・・>他には??」
  秘密。 現代の曲が中心ですが、でも結構バラエテイーに富んだミュージシャン達をたくさん取り上げます。当日のお楽しみということで。

≪その四≫ 
 関西日仏学館周辺の地図を載せておきます。←クリックして下さい。
 因みにバスは京都駅からですと東山経由206番で、約20分くらいです。
 この際、気をつけなくてはいけないのは、同じ206番でも左周りと右回りがあることです。間違って乗ってもいつかは到着するのですが、恐ろしく遠回りの長旅をすることになりますので、ご注意を。

≪その五≫
 新橋シャミオールの地図も載せておきます。←クリックをどうぞ。
 こちらはJR新橋駅から歩いてすぐですが、銀座口なので、降り口を間違えると稀に迷うこともあります。

≪その六≫
 問 「当日券は??」
  わかりません。
 当日の段階で、席に余裕があるかどうかによるのですが。
 でも両会場共、さほど広くないので、出来たらお早めに(1月初旬位までにはご連絡いただいたほうが安心かと思われます)お問い合わせ下さいますように。

≪その七≫
 問 「問い合わせ方法は??」
  このブログのメール(管理者へのメール)にお問い合わせ下されば、迅速に対応させていただきます。

≪その八≫
 問 「歌っている写真はいつ頃のもの??」
  昨年のコンサートの時のものです。大昔の写真ではありません・・・念のため。

≪その九≫
 問 「所要時間は??」
  途中一回の休憩も入れて2時間弱の予定です。

≪その十≫

  「ドリンクを飲みながら??」
  映画館みたいに、コーラ片手に・・・ではなく。
 関西日仏学館は、会場に隣接したカフェで、公演前か休憩時間に寛ぎながらお好きな飲み物を召しあがって頂けます。
 シャミオールはそれぞれの席にお出ししますので、やはり公演前か休憩時間にどうぞ。

 以上、十カ条の解答でした。
 更にご不明な点がありましたら、ご遠慮なく、ブログコメント或いはメールにてご質問下さいね。

 チラシが出来上がり、いよいよ、総てが動き出してきた気がしてきます。
 今、色々なアイディアが頭の中をぐるぐると回っています。これが段々形になり実現に向かっていく時を体感できるのは、・・・自分との闘いで、勿論結構追い詰められて大変なのですけれど、・・・でもとても充実していて、幸せだなって思っています。

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いろんなおたまじゃくし レ・テタール・メランジェ

 暦の上では立冬を過ぎましたが、久しぶりのうららかな眩しい日差し、猫のように大きな伸びでもしながら、一日中、日だまりでポワンと青い空を眺めていたいような心地よい日曜日です。

 さて、今日は、<レ・テタール・メランジェ>というコンサートのご紹介をしたいと思います。

 これは、ピアニストの三浦高広氏(前の記事
「恋するバルバラ」<2>ピアニストでご紹介しましたように、私の先生です)が、主宰・監修するシャンソンコンサートで <Les têtrards mélanges concert 2011>というのが正式名称です。

 <Les têtrards mélanges>・・・・レ・テタール・メランジェと読みますが、混ざり合ったオタマジャクシたちという意味ですので、<いろんなオタマジャクシたちのコンサート 2011>ということになるでしょうか。
 おたまじゃくしは音符でもあり歌い手自身でもあるのでしょうね。
 様々な音、音楽、歌手、或いは蛙に変身する前のおたまじゃくしたちが、ごちゃごちゃに混ざり合って歌う音楽会という、ユーモラスで賑やかなネーミングは三浦先生が命名なさったものと伺っています。

 発足は15年くらい前に遡り、当初は生徒さんたちの自主企画からスタートしたそうですが、5~6年前からは先生の主催となり、現在に至る恒例のコンサートです。
 今年は11月29日、30日、12月1日の三日間に渡って、18時開場18時30分開演、各日13~14名ずつ出演し、新橋の内幸町ホールで開催されます
 本当にメランジェで、プロ・セミプロ・アマチュア、それぞれの個性、立場の方たちが、自分の表現の世界を大事にしながら、様々にバラエティーに富んだ歌を歌い、それに楽しく引き込まれていくうちに、あっという間に時間が過ぎてゆきます。
 私も8年前から毎年参加していますが、今年は、最後の日の12月1日に出演することになりました。

レ・テタール・メランジェ 2011のチラシ
 

詳細を書いたチラシを載せておきます。

 (お問い合わせは、このブログのメール(管理者へのメール)でも受け付けますのでどうぞ!)

 










 
 私は、これまで、自分の訳詞で歌う訳詞コンサートを中心に活動してきていますので、通常はソロコンサートがメインになっています。
 ですので、歌い手としての楽屋はいつも独り、ステージでも自分だけが歌い続けてゆくわけで、勿論それは、孤独感と緊張感と高揚感の中で、やりがいと面白さに溢れていますし、その分、楽器の演奏者と共に音楽を奏でているという幸福感も高まってゆくのですが、このような合同コンサートでの、他の共演の方たちとのステージにはまた違った良さがある気がします。

 皆、同じように緊張して、本番をドキドキと待ちながらも、少しでも聴いて下さる方たちに喜んでいただけたら、という共通の思いを感じ合えることが、私にはとても楽しいものに感じられます。

 数日前に、ステージング(出入りを含むステージ上での動きや振付などの指導)もあり、何人かの出演者の方とも顔を合わせましたが、練習段階の奮闘ぶりを励まし合いつつ、なんだかこういう雰囲気って、学生時代の文化祭準備みたいなノリで、とても懐かしい気もするし、私は結構好きだなっと思ってしまいました。
 そうは言っても、各自、異なったスタンスがあるでしょうし、ステージに立つということは自分との真剣勝負であることには変わりはないので、生半可な物言いは不謹慎だと叱られてしまうかもしれませんが。

 「シャンソンは3分間のドラマだ」とは、言い尽された常套句ですが、一回きりの修正のきかないその時の歌の中に、全ての思いをかけつつ、世界を構築してゆくことには、相当なエネルギーを要します。
 出番待ちの舞台脇で、ステージに立っている方の姿を見、歌に耳を傾けながら、そういうひたむきさを感じる時が大好きですし、よし、自分も力を尽くしたいなと、勇気をもらえる気がします。
 舞台脇にいると、同じようにそれを見守っている音響や進行のスタッフや、歌を支えている演奏の方たちの表情なども見えてきます。
 今年の「レ・テタール・メランジェ」でも、そういう良い体験が沢山できることを願いつつ、あと少しの時間、一生懸命準備してゆこうと思っています。

  最後に。

 それぞれの歌い手は二曲ずつ歌うことになっているのですが、今回私が選んだのは、新曲、未発表の二曲です!

 お話したい!!・・・でも、コンサートまではぐっとこらえ我慢して、せめて曲名だけ。

 一曲はKeren Ann(ケレン・アン)の「世界の片隅に」という曲。
 これは色々あった今年への思いを込めて3月に作った、しみじみと聴いていただきたい曲です。

 もう一曲はOlivia Ruiz(オリヴィア・ルイーズ)の「きのこのクレープ」というとても変わった曲。
 人前で歌うのはちょっと恥ずかしいびっくりの曲なのですが、でもきっと楽しんでいただけるだろうと。
 振付も付いたことですし、・・・・頑張って歌います。

 二曲とも現代のフレンチ・ポップス。喜んでいただけたら良いなと思います。


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落葉松の帰路 ~画家の見た風景~

 昨日の記事、「11月の軽井沢 ~落葉松の光の中で」 の続きです。
 
 休日はあっという間で、旅の終わりは、ぼんやりした充足感と、気持ちがしーんとしてくるような寂しさを感じるものですね。
 最後に、長野の東山魁夷館に立ち寄ってから帰ろうかと、ふと思いつきました。

 先日の記事、「椅子の魅力(2)~コンコルド広場の椅子~」の中で東山魁夷画伯のことをご紹介しましたが、その時から、そうだ、久しぶりで長野の美術館に!と思っていたのでした。

 『東山魁夷館』は、『長野県信濃美術館』と併設されており、善光寺のすぐ近くにありますが、善光寺の賑わいとは対照的に、落ち着いた静寂な佇まいを見せています。
 年に数回ずつテーマを設けて、作品を入れ替え、毎回約70点ずつを展示しているのだそうですが、今回は「巡りゆく日本の山河」というテーマで展示されていて、四季折々の美しい日本の自然が描かれた作品を心ゆくまで堪能することが出来ました。

東山魁夷館 「コンコルド広場の椅子」は今回のテーマからは外れるためか、残念ながら展示されていませんでしたが、あの「白い馬のいる風景」のシリーズは、何枚もあって満喫できましたし、豊かな表情を持つ数々の風景画は何ともいえず情感が溢れ、素晴らしかったです。
 時節柄、秋の風景画も数多く飾られていて、ここに来る道すがら、眼に飛び込んできた風景と重なるものもあって、更に感銘を深くしました。

 東山魁夷館で『色の風景三部作』という素敵な画文集を見つけました。
その中の一冊「東山魁夷 橙の風景」(求龍堂)を買い求めてきましたが、今回展示されている作品も多く載っていました。
 この中から何枚かの絵画をご紹介しながらの旅の最後のドライブ、軽井沢から菅平を経由し長野までの2時間弱の道程をお付き合い下さいね。



 さて、では、遡り、軽井沢からスタートです。

 山は微妙な高度の違いで、風景とその色合いが一変します。
 今は紅葉の時期ですから、それが山全体の色彩のグラデーションに如実に表れている気がします。

 黄葉の山々 黄葉の山
 小諸を過ぎる辺りから、車窓に収まり切れないほど、悠然と落葉松の峰々が広がってゆき、こんもりと盛りあがるような金褐色の落葉松群が次々と出現してきました。
道を彩る落葉松
 車の走る道も、落葉松の針葉に埋まって、アスファルトの色が黄褐色に。車が通ると地吹雪のように舞い上がります。

 そして、ワイパーで払っても払っても、フロントガラスに絶え間なく降ってくる落葉松の落葉。これこそ!!と、私としては、思わずテンション最高潮です。

 夏は一面キャベツ畑だったあたりです。
 収穫を終え、今は、濡れたようなまっ黒な黒土が掘り返されて、眼に飛び込んできました。

 キャベツ畑と落葉松 キャベツ畑と落葉松
 春を呼ぶ丘(東山魁夷)

 冬になり、やがて、春が近づき、芽吹きの時を再び迎えるのでしょう。白い馬が訪れるとしたらこんな情景かもしれません。黒い土、僅かに芽をつける雑木林、丘の上には柔らかい新緑の落葉松。「春を呼ぶ丘」という白い馬シリーズの絵です。




  輝くばかりの黄葉の樹が、暗い杉木立と並んでいる、
  互いに明暗の対照を、際立たせ合う、秋の日の豊かさ。
 

 左は、こんな添え書きが綴られている『黄耀』という題の、魁夷画伯の絵画です。
 黄耀(東山魁夷) 杉と落葉松 右は、落葉松の黄金色と杉の深緑のコントラストが面白くて思わず写してみた写真です。目のつけどころは少し似ていたかなと、畏れ多い事を思ってしまいました。


 全山黄葉 秋深(東山魁夷)  秋の色、黄褐色の落葉松の峰。
 右は『秋深』という絵画。こちらは赤の色調ですね。下はこの絵を語る画伯の言葉。

   秋が深くなる。
   日一日と
   森は華やかな装いを落として、
   梢や幹を現わしてくる。



山奥の沢
 
 下を眺めると渓谷は、速い流れでした。

 落ち葉も水を堰き止めるすべなく、流れに巻かれていきます。



 

 そして、『木枯らし舞う』という次の作品。 とても素敵かと。
 このような添え書きがありました。

   目を上げると周囲の林の梢から黄金色の葉が、
   いっせいに落ちて空中に舞った。
   秋の終末を告げるフィナーレのように華やかで淋しい一瞬である。
   私はしばらくこの落葉で身体中が包まれてゆくのを感じながら
   佇んでいた。


   木枯らし舞う(東山魁夷)

林檎畑2
 美術館から出てしばらくすると、当たり前のように林檎畑が続きます。林檎には独特の情緒がありますね。
 
 たわわに実って何とも愛らしく、そして美味しそうで、心和む信州の旅でした。





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11月の軽井沢 ~落葉松の光の中で

 8月に訪れて以来の軽井沢です。
 (以前の記事、
軽井沢の休日~落葉松のある風景(一)(二)に8月の軽井沢文学散策のことが書いてあります。)

 このところ仕事が色々立て込んで、かなりハードだったのですが、なんとかやり終えた解放感もあってか・・・・・・眩しい光を受けて輝く黄金色の落葉松が見たくなり、再び、軽井沢にやって来ました。 
 週末だけの、束の間の休日ですが、この数日は、珍しく10月初めくらいの温かい日和ということで、さすが晴れ女の私!と自画自賛することしきりです。

 朝の静謐な空気の中で活動開始。
 これぞと思うと、信じられないくらいマメで行動的になってしまう凝り性の性分には、我ながら笑ってしまいます。

三笠通りの落葉松 11月だから、もしかしたら、もう紅葉は終わってしまったかしら?との予想に反し、今年は紅葉がいつもより少し遅いみたいで、最初に向かった旧軽井沢、三笠辺りの落葉松はまだ色が変わり始めたばかりでした。

 降りしきる落葉松の金色の針葉を身に浴びたいと思っていましたので、ならば、もう少し上に行ってみようと即断。
 で、中軽井沢を過ぎて、浅間山を眺めながら、浅間高原、北軽井沢に。
 千ヶ滝辺りにくると、かなり黄葉していて心が躍ってきます。

 暫く浅間山麓を上ると、・・・・(散歩好きの私ですが、さすがに歩いてではありません!)・・・・朝日に染まった赤浅間が。
    朝焼けの浅間
 ご来光を受ける頃が本物なのでしょうから、<朝が明け切って、時間と共に赤い色が冷めかかってきた浅間山>というのが正確な表現でしょうけれど、充分美しく、爽快感満点でした。

 そして、一気に浅間高原まで。
 閑静な別荘地の中をしばし散策しました。
 今はどうだんの赤が真っ盛りでとても綺麗です。
 どうだんの垣根 落葉の音
 道には落葉松、シイ、橡(クヌギ)などの落ち葉が敷き詰められ、朝の木漏れ日が光の筋を柔らかく映しています。
 小さな子供のように、枯れ葉をわざと蹴散らしながら、カサカサという音に耳を傾けて歩くのは何とも愉快です。

落葉松と青空


  見上げると、きらきらと木々の枝に反射する光。


  見たかった落葉松の黄金色が、青空に映えて。






落葉松と青空
 赤い実

 何の木なのでしょうか。垣根の間から赤い実が鮮やかに眼に飛び込んできました。

 やはり早起きは三文の得ですね。

 無風なのにハラハラと音もなく落ちてくる落葉松の金色の針・・・。

黄金の針
 でもまだ、ここら辺の落葉松はようやく染まったばかりの艶のある金色です。
 きっと後一週間もすれば、乾いたいぶし金のような色に変わり、やがて、落葉松の針の雨になって、目も開けられないくらいに激しく、嵐のように一斉に降り落ちてくるでしょう。木の下に立つと金色の落ち葉が頭にも肩にも一杯に付いてきて、そのまま居たら針の中に埋もれてしまいそうな幻想にとらわれて陶然としてきます。
 それが、あっという間に枝だけになって、冬が到来するのですが、この短い季節の変わり目を、じっと見ていたいという気持ちに駆られます。

 来年の2月のコンサートに、歌手「バルバラ」の歌の特集をすることを既にお知らせしましたが、彼女の曲に<il automne> という曲があります。
 automneとはフランス語で「秋」という名詞なのですが、これを勝手に動詞のような使い方をして表した彼女の造語がこのタイトルです。
 強いて訳すなら、「秋になる」とか「秋がやってきている」とかいうニュアンスなのでしょう。
 バルバラには、秋を歌った歌がとても多く、この曲はまさに11月の深まりゆく秋を歌っています。
 次の機会に、改めてご紹介出来ればと思っていますが、いくつかの11月の情景を次々と歌で綴ってゆく、オムニバス映画を見るような趣向の歌でとても素敵な詩なのです。
落葉の道
 初めは、愛をささやき合う恋人同士の場面から始まります。

   貴方の豊かな髪は 森の香りがするわ

 という訳詞をつけたフレーズを、今日、落ち葉の中を歩いていて、ふと思い出しました。
 森の中には、どこからか薪を燃やす煙の匂いと、落葉の匂いが確かに香っています。

  <貴方の豊かな髪>もそんな香りだったのではと勝手に納得してしまいました。

 午後。
 旧軽井沢に戻り、観光スポットですが、久しぶりに雲場の池に行ってみました。
 ここまで来ると人がさすがに多いのですが、でも昼下がりの温かい日差しに包まれて、まどろむ様な心地よい時間が流れていました。

 雲場の池1 雲場の2
 池の周りはどうだんと紅葉の鮮やかな赤。
 どうだん、季節外れの温かさを春と勘違いしたのか、よく見ると紅葉した葉の中に新芽が吹き始めています。
 何と言っても、飛来してきて束の間、戯れている鴨たちの群れが可愛くて心惹かれます。

 紅葉と青葉の同居 雲場の池3
鴨の昼寝 

観光客を恐れることもせず、道の傍らで首をうずめてお昼寝中。

秋のひと時を、ご一緒に楽しんでいただけたでしょうか。


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