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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

ノワイエ ~溺れてゆく君~

夕暮れのセーヌ川 このところ、コンサート関係の記事が続いていますが、今日もまず初めに、コンサートのご紹介から。

 私のこれまでの訳詞コンサートでも、何回か、ステージング(舞台演出・振付)を担当して下さった嶋本秀朗さんが、12月16日、17日にライブハウスHUB浅草店でコンサート「Je Te Veux (ジュ・トゥ・ヴ))~番外編~年忘れライヴバージョン」を開催されます。

ジュ・トゥ・ヴ チラシ(クリックすると拡大します)
 これがコンサートチラシです(写真をクリックすると拡大します)。

 嶋本秀朗さん・・・私の訳詞コンサートをお聴き下さっている方は、覚えていらっしゃるかと思うのですが、2008年の訳詞コンサート『もう一つのたびだち』の後半、ミュージカル<ノートルダム・ド・パリ>から数曲を取り上げた際の天の声「エスメラルダ 君は・・・・・」のナレーションをして下さった方なのです。
 知ってる方にしかわからない話題になってしまいましたが、・・・・・響きのあるダンディーなお声で、「あの声はどなた??」の反響がかなり多く好評でした。昨年2010年の訳詞コンサート『彼女の名前』でも、後半で男性のナレーションと掛け合いながら歌ってゆくという舞台構成を考えたので、これはやはり嶋本さんに!と再び登板頂いた次第だったのです。
 でも、ナレーションがご専門なのではなく、歌・ダンス・演劇を組み合わせたパフォーマンス集団「ラ・コンパニー・ダッシュ」の主宰者で、ダンス、ミュージカル、舞台演出、そしてご自身でもシャンソンを歌っていらっしゃって幅広く活躍されている素敵な方です。
 詳しくは
嶋本さんのHPをどうぞ。

 その嶋本さんが、毎年ご自身の構成・演出・振付で、開催なさっているコンサートが「Je Te Veux」です。
 
 その「Je Te Veux」で、今回は私の訳詞の曲「ノワイエ~溺れてゆく君~」を取り上げて下さることになりました。
 16日は花木さち子さんが、17日はあみさんが、コンサートの中でお歌いになります。
 「ノワイエ~溺れてゆく君~」は、私も自分の歌の中でも特に好きな曲で、ずっと大事に歌い続けたいと思い、これまでコンサートの中で何度も取り上げてきました。
 嶋本さんもこの歌をとても気に入って下さっているということで、今回、お二人に歌って頂くことになりました。
 お二人は嶋本さん同様、NHKで毎年放映されてきたシャンソン協会主催の「パリ祭」にも出演しておられる、若手の素敵な実力派歌手です。
 
 どのように歌って下さるかしら? 二日間、今から楽しみです。
 同じ曲でも、歌い手が違うことによって表現、解釈も異なるでしょうから、どんな風に伝わってくるか、とても興味深いです。
 ご興味を持って下さる方、是非いらしてみて下さいね。
 また感想など後日レポートが出来ればと思いますので、楽しみにしていて下さい。

 さて、そこで。
 久しぶりの<訳詞への思い>。
 今日はこの「ノワイエ~溺れてゆく君~」をご紹介したいと思います。

  「ノワイエ ~溺れてゆく君~」
                 訳詞への思い<8>


 1972年のセルジュ・ゲンズブールの作品である。
 原題の< la noyée >(ラ・ノワイエ)は、溺死者という女性名詞なので、「溺死した女」という意味になろうか。
 そもそもはゲンズブールがイブ・モンタンに提供した作品だったのだが,結局レコーディングされないまま未発表曲となってしまった。
 ただ一度だけ,ゲンズブール自身がテレビ番組で歌った貴重な映像が残っていて,没後1994年に彼のビデオを集大成したものが売り出されたが,その中にこれが収められていたのを入手し聴いてみた。
 何があっても決して乱されることのないゆるやかな川の流れのように,シンプルに淡々と歌っていたのが印象的だった。
 一人の女が溺れ死のうと,それを男がどんなに引きとめようと,恋が終わろうと成就しようと,そんなことには何の意味もなく,時は忘却の中に全てを流してゆく。あっけらかんと何気ない日常として全ては終わってゆく,そんな、のんびりとうたた寝でもしそうなくらいのピッチでこの悲劇が歌われていくところがまさにゲンズブール的な世界であり,だからこそ実に悲しいという逆説的な効果を生んでいるように思われた。


   君は流れてゆく 思い出の河を
   僕は君を追いかけ 岸辺を走り続ける

 
   やがて 君は力なく溺れてゆく
   僕は 君の思い出の河に 身を投げる 
   そして二人は 忘却の海にたどり着き 結ばれる
 
 人が溺れて流されてゆくにもかかわらず,綺麗な単色の水彩絵の具で描かれたような不思議なメルヘンチックな絵が見えてくる。
 水は透き通っている。

 恋人ハムレットと心を通わすことができない悩みに打ちひしがれて,ついに狂いの中で入水してしまったオフィーリアがふと思い出された。
「オフィーリア」 ミレイ作 このシェイクスピアの悲劇は、物語自体に、絵心を誘われるところがあるのか,古今東西、多くの画家たちが、流れるオフィーリアの絵を描いている。写真は私が好きなその中の一つ、ミレイが描いた「オフィーリア」である。
 そういえば、人生そのものが演劇的で、その中で常にニヒリストを演じようとしたハムレットに、ゲンズブールは少し似ているかもしれない。

 日本では1995年に発売になったCDアルバム「ゲンズブール・トリビュート95 ゲンズブールに捧げる俺の女達」の中に、永瀧達治氏の訳詞で「ノワイエ(溺れるあなた)」の曲が収録されている。
 この訳詞では、溺れてゆくのは40歳の男,それを見ているのは20歳の私・・・・と独自な設定となっているが,ジェーン・バーキンをはじめ,年の離れた若い歌手や女優達と多くの浮名を流したゲンズブールの実像と強く重なった訳詞と言えようか。
 
 2002年のクミコのCDアルバム「愛の賛歌」にも,この訳詞での「ノワイエ」が歌われており,色々なシャンソンライブで時々耳にする「ノワイエ」の歌詞も,ほとんど永瀧氏のもののように思う。
 私は原詩の通り,流れてゆくのは女性としたが,やはり曲の印象は随分異なってくる。

 ゲンズブールが存命であればなぜこの「la noyée」を未発表曲のままにしたのか聞いてみたい気がするが,フランスでも最近この曲はとりあげられているし,やはり素敵な曲は作者の知らないところで、ずっと生き続けていく生命力を持つのだろうかと,何かとても嬉しくなる。  
                               Fin  



 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
 取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)



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