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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

一月の終わり ~もうすぐ本番 ~

 1月31日。
 お正月になったばかりと思っていたら、今日で一月も終わりですね。
 いつからこんなに時間が経つのが早くなったのでしょうね。・・・・でも、今はそんなことを言っている場合でもなく、いよいよ京都コンサートもカウントダウンに入りました。
 
 先週くらいまでは、こなしきれない準備が山積みで、猛烈に焦っていたのですが、もうここまで来るとさすがの私も覚悟が決まってきて、静かに来るべき時を待つ・・・迎え討つ?!・・・という心境になってきました。
 スケジュールメモを片手に走り回っているのは未だ変わらずですが、でもどうやら、それもゴールのめどがついて、全体像が見え始めてきた気がします。

 今日は2月4日の会場の関西日仏学館に最終打ち合わせに行ってきました。
 冬枯れの木々の隙間から白亜の日仏学館が威風堂々と姿を現しています。
 昨日までのどんよりと曇った重たい空が、今日は澄み切って高い青空に。
 でも、晴れ渡っているのに、空の奥からはチラチラと雪が舞い落ちてきます。
 京都の冬はこんな日がずっと続きます。
 関西日仏学館(1) 関西日仏学館(2)
 会場、控室等のチェック、タイムスケジュールの確認、諸々。
 そしてカフェでお客様にお出しするドリンクメニューの相談もして。
 コンサートで歌う『お茶の時間』という曲の中の歌詞に、<キャラメルティー>が、出てくるので、ちょっとこれにこだわりたくなり、シェフにお願いしたら快くOKしてくださり、メニューに加えて頂けることになりました。
 ・・・些細なことなのですけれど、こんな一つ一つを丁寧に考えてゆくことの積み重ねが、コンサートをより良く作ってゆくことかなって私は感じています。

 コンサートの前日2月3日は節分です。
 近くの吉田神社は節分厄除け詣り発祥の地として、京都でも人気の神社ですので、さぞ賑わうことでしょう。
 3日にお参りに来る時間はなさそうなので、折角、ここまで来たのだからと、今日はぶらりと立ち寄ってみることにしました。
 京都大学の時計台
 
 向かい側は京都大学。
 
 京大のシンボルの時計台と大きな楠の木は清澄な冷気に包まれ、冬の青空に映えてとても綺麗でした。
 構内はセンター試験も終わり、一時の静寂を保っています。


 節分会は、2日から4日まで神事が取り行われますが、3日がいわゆる豆まきとなります。

   吉田神社  清々しい手水場
 この日は境内に露店が立ち並び、大変な賑わいを見せるのですが、境内にはもう既に、このための荷物が運び込まれていました。明日2月1日から、準備が始まるのでしょうね。
 お清めの水は凍るように冷たかったです。

 ぼんぼりの設置 節分会の準備中
 寒い中で節分祭の燈籠を一生懸命設置している方たちもいました。

 普段ならこんな準備中の神社を見ることはありませんし、これに心を動かされることも勿論ないのですが、自分が今まさに待機の身であるためか、イベントの前の情景というものに少し心惹かれるものを感じました。
 宴の前夜には、こんな骨組みだらけのものが、本番ではそれを飲み込んで、華やかで端正な形が現れてくるのですね。
 節分会を前にして忙しそうな吉田神社に、今日はゆっくりと参拝して帰りました。

福豆 
 福豆も一般参拝者に既に売り出していたので、小さな袋を一つ買い求めてきました。

 私の宴の前夜、2月3日の節分には、この豆で、いつものように、豆まきをして、総ての邪気を払い清め、ベストを尽くしたいと思います。


 良いステージになるよう応援していて下さいね。
 

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準備たけなわ ~シャミオール満員御礼~

 今日は、大変幸せなニュースから。

 お陰様で、2月18日の新橋シャミオールでのコンサートは満席となりました。
  
 11月にご案内を出し始めたのですが、暮れ辺りから、次々にお申し込みを頂いて、あっという間に満員となりました。
 「ぎりぎりでも良いから、もしキャンセルが出たら連絡して!」という夢のように有り難いお言葉を何人もの方からいただき、キャンセル待ち何番・・・などという畏れ多いような状況に目下遭遇しております。

 そして京都の日仏学館でのコンサートも残席が後少しとなってきました。
 本当に有難うございます。
 
 コンサートというものは、企画してから、様々なハードルをクリアしてゆかなくてはなりません。
 果たして乗り越えられるか、葛藤は山ほどありますが、でも、苦労しながら実現までの形を作ってゆくプロセスこそが、挑戦のし甲斐のある最も心ときめく時でもあります。
 コンサートテーマを構成し、それに合わせ、新たな訳詞を創作することもあり、やがて、曲目の決定、チラシやプログラムのデザインの検討、制作、プログラムに載せる曲目解説をまとめ、ステージ演出等全体の把握、・・・・改めて記してみると、大そうな感じなのですが、動き出すと自然に加速度がついていつの間にか、その渦中で奮闘している自分がいます。
 決して終わらないのではと思っても、やはり次の日はやってくるもので、どうやって通過したのかなと不思議に思うことも度々です。
 「明けない夜はない」とか「明日は明日の風が吹く」とか、・・・怪しげに都合の良い言葉が浮かんできて、今や「人事を尽くして天命を待つ」の神頼みの境地に至り始めています。

 ・・・でも実は、これは嘘で、・・・・まだ人事は尽くしておらず、この言葉は、前日の夜にこそ、発してみたい究極の言葉であり、今のところは、当日までのちょうど10日間が、ここに至る真剣勝負、熾烈なる闘いとなりそうです。

 では、戦う相手ですが、大きく三つかと・・・・。
 
 一つは、直前の今だからこそ対処すべき極めて事務的な諸事全般が目下の課題です。
 お手伝いして下さり、コンサートを支えて下さるたくさんのスタッフの方々のタイム・スケジュールの最終調整・諸連絡や、音響・照明、果ては、看板やコンセントに至るまでの会場の細かいチェック、お客様にお出しするドリンクやお菓子の手配(シャミオールはお菓子付きですので。凝り性の私は吟味し過ぎて、ただ今、お菓子太りです!)・リハーサル・打ち上げ時の食事関係全般、・・・・お聞き苦しいでしょうけれど、実際には、現実的なこういう一つ一つの積み重ねでイベントは成り立つものなのですよね。
 ただ、こればかりに没頭していると<本末転倒>ということになってしまい、例の口の悪い友人S氏に「戦うビジネスマンだねえ」と笑われてしまいますので、自戒が必要です。

 そして、二つ目の戦う相手。
 最も本質的なことですが、自分です。
 心身のバランスを保ちながら、どこまで、歌を完成してゆけるか、これが何と言っても一番のハードルです。
 あまり焦って飛ばし過ぎるとゴール前で敢えなく倒れてしまいますし、でもクリアすべき課題を放っておくわけにはいかず、ステージに立つ本番がベストコンディションになるよう、マラソン選手の最終調整はこんな感じなのかしらという気がします。
 この時期になると、ステージで歌詞が詰まり、絶句してしまう悪夢を見るのは、精神修養の出来ていない未熟者だからなのでしょうね。・・・・・
 ゆめゆめこのような事が起こらないよう、どうぞ祈っていて下さいね。

 三つ目の相手。
 これは戦う相手ではなく、受け入れて下さる相手ですが、お客様です。
 聴きにいらして下さる方がどれくらいあるのか、果たして喜んでもらえるのか、私の色々な思いは通じるのか、・・・チケットを申し込んで下さる方の重みを、今、しみじみと感じます。
 ご案内の手紙を一人ずつにお出しして、お返事を待って、チケットをお送りして、そんな中で、互いに交わされてゆく言葉に大きな力を頂きます。
 お金を払って、時間を使って、会場までいらして下さる、期待をして、応援して下さる思いに、精一杯応えたいと心から思います。

 ・・・・・・シャミオールが満席になりましたというご報告を最初にしましたが、これほど幸せなことはありません。

 一人でやるしかないことも勿論多いですが、でも一人では何もできません。
 スタッフの方たちとそしてお客様と一緒に、温かい時間を作ってゆけるよう、今の準備の時間、精一杯頑張りたいと思います。


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子供の読書 ~本の手触り~

『こどもの行事 しぜんと生活』
「私はかこさんの絵本が大好きなのです」と、以前の記事で告白したことがありましたが、最近、出版された『こどもの行事 しぜんと生活』という、かこさとしさんの児童書を今日はご紹介してみますね。

2月のまき
 『こどもの行事 しぜんと生活 2月のまき』がこちらです。
 小峰書店から、今年の元旦に出版になりました。
 <2月のまき>・・・・ということは3月も? 遡って1月も?・・・・その通り、正解です!
 昨年12月に、<1月のまき>が発行され、以後、毎月一冊ずつ刊行されてゆくそうです。
  これは、<1月のまき>と共にプレゼントして頂いたものなのです。
<行事絵本の決定版>という書店のシールが貼られていますね。

1月のまき 
<一月のまき>のあとがきに、このようにありました。

・・・日本の行事やならわしのうち、この本では、その理由と行事にこめられた人びとの思いやかんがえもあきらかにして、つぎの時代につたえるようにえらびました。むかしの人たちがもっていた力や知恵を総動員して、生活をささえようとしていたことを、この一月の巻でしっていただきたいとおもいます。

著者の、子供たちへのメッセージがわかりやすく伝わってきます。
<1月のまき>は、お正月の意味や行事を中心に、可愛く、けれど詳細で正確な絵と、興味深い説明の文章で展開されていますが、それぞれの月毎に、メインテーマがはっきりと据えられているのがよくわかります。
 ちなみに、2月は「新旧の暦と天体の動き」がテーマで、新暦、旧暦の違いから始まり、二十四節気や十二支十干の説明なども詳細にされていて、それが子供相手だからと変に手を抜いたところが全くないのです。
 私は昔、易学に凝って、詳しく学んだこともあるのですが、そういう目から見ても、基本が本当に的確に押さえられて正確そのものだと感激してしまいました。

 子供向きにわかりやすい言葉で記されていても、内容は妥協なく惜しみなく伝えるという科学者の情熱みたいなものがあるのでしょうね。
 子供達を健全で聡明な世界に育んでゆこうとする愛情が強く感じられ、そして、扱われている対象が天体かと思えば、季節に咲く花だったり、その花が梅であれば、天神様のお話や、梅の家紋の意匠にまで及んだりと、・・・・かこさん自身が、小さな子供のように好奇心に満ちて、柔軟な発想を持っていらして、それが、私が彼の世界に魅かれる所以なのかもしれません。

 この続きをこれから自分で揃えようと思っています。そして、今年の末には、このシリーズ全12冊が蔵書として本棚に増え、それと共に色々な知識が増し、遅ればせながら私も少し賢くなっている予定なのですが・・・・。
 子供は勿論ですが、大人にも・・・頭が疲れないで、心和ませながら、真面目に科学や歴史と親しめる、今更聞けない疑問が氷解する・・・本の収納場所さえあれば、是非お薦めしたいと思います。

 本の思い出
 私は、イン・ドア派、同じ親に育てられた弟はアウト・ドア派。
 やはり持って生まれた性格というのがあるのでしょうけれど、私は物心ついてから、本の中に埋もれて過ごしてきた活字中毒みたいな子でした。

 昔、文学全集を買い揃えるというのが流行った時期があったのでしょうか?
 新潮社とか岩波書店とか講談社とかが、意気盛んな時代で、次々と色々な企画の全集が出版されていた気がします。我が家は、父も母も人文系で、科学的な読み物が導入されることは余りなかったのですが、その代わり、嘗ての文学少女の母はかなりの読書好きで、ハードケースに入った新潮社の世界文学全集・・・全50巻位だったのでしょうか?・・・が毎月配布されてきたのを楽しそうに読んでいたのを思い出します。
 私はまだ、小学校に入る前でしたので、『風と共に去りぬ』とか『戦争と平和』とか流石に読むことはできませんでしたが、あの全集は憧れそのもので、書名だけは全部すぐ覚えて、早く大きくなってあれを全巻読みたい・・・なんて密かに思っていたものでした。
 ・・・禁断症状から解き放たれて、小学校5年の時、一気にすべて読みまくりました。今でも殆ど内容も登場人物の名前まで覚えていますから、鉄は熱いうちに・・子供の好奇心のなせる技とは凄いものだと思います。
 宝物が目の前に並べられて、おあずけ状態であるのは限りなくハングリー精神を生むみたいで、「今は絶対読んではだめだから」などと言って、本棚の目に着くところに置いておくのも本好きの子を作る荒療治になるかもしれませんね。

 それより前、幼稚園から小学校低学年の頃は『世界童話全集』と『世界偉人伝』という全集が私のバイブルでした。
 それこそ暗唱する位読みふけったものでした。今でも捨てられず、押入れの奥の方に隠してあります。
 『偉人伝』というのも当時の一種の流行りだったようで、キュリー夫人とかナイチンゲールとか、ワシントンとか、なぜか王貞治さんなども入っていたのですが、三つ子の魂で、偉い人というのは心が真直ぐで、高い志を持って努力し、人の為に尽くす人で、今でもそういう偉い人の話には、ひどく感動したり、そういう人にならなくてよいのか・・・と、どこか心の隅で煩悶したりするのは、きっとこの影響なのでしょう。
 子供にどんな本を与えるかはやはりかなり重要ですね。
 小さい時、もう少し科学的な読み物を読んでいたら、今頃は、少しは冷静な判断力や視野を持っていたのかしらとも思いますが、まあ仕方がありません。

 本の手触り
 今は、出版業界も、新聞社も購読者減少に苦慮していると聞きます。かさ張る本や、たまってゆく新聞紙に変わって、パソコン一台あれば・・・という便利な時代になって来てはいますが、でも、紙でしか得られない独特の感覚ってあると思うのです。
 一冊の本がもたらしてくれる筈の未知の世界への予感とか期待は、本の重さを手の中に感じ、ページを開いてゆく手触りに実感される気がしますし、目に一気に飛び込んでくる活字が集中力を高めてくれると感じます。
 ロマンチックな言い方かもしれませんが、言葉の力はパソコンのディスプレイ上よりも紙の上のインク文字の方が似合っていて、直接に読み手に迫ってくると思えてなりません。
 そういう自分も、実際には、日々パソコンに張り付いていますし、ネットで本の注文まで済ませてしまったりしているのですが。
 でも、本屋さんに行って、書棚をじいっと眺めていると背表紙が訴えかけてくるものを感じ、突然手にとって無性に読みたくなってしまったりもします。
 本って、そういう生き物なのでしょうね。
 私の経験では、幼い子供はそれを察知する能力を持っていますから、足しげく本屋さんに連れて行って、本を買って家に置くこと、積読(つんどく)などと言いますが、活字への感性を研いでおくためにも、ただそこに積んであるという、それだけでも充分意味がある気が、私はします。

 <2月のまき>を一昨日読んで、感じたことを今日は記してみました。

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京のえべっさん ~ぶらり十日戎~

 はたと気づいたら、コンサートまで一カ月を切っていて、俄かに身辺は忙しくなってきました。  
 毎日のようにステージがあり、コンサートも頻繁になさる歌手の方は本当に凄いなと今更のように敬服してしまいますが、私は私なりに日々結構忙しいので、今、それにコンサート準備が加わり、追い立てられています。
 この一週間、コンサート関係の諸事に集中していたら、何だかすっかり世間から遠ざかってしまった気がして、少し外の新鮮な空気でも吸って・・・と思い立ちました。そういえば今日は1月10日で、十日戎(とおかゑびす)。
 どこに行くにも<地の利抜群>が我が家の最大の売りですので、今日の散歩は祇園の近くにある、ゑびす神社へ。

   では豆知識から。
 1月10日は「十日戎」、通称「初戎」と呼ばれ、前日9日は「宵戎」、翌日11日を「残り福」と称して、祭礼の日としています。

 えびす様は七福神の中の一人で、釣り竿と鯛を持ってえびす顔でほほえんでいる神様ですよね。・・・・私は小さい頃、えびす様を人のよさそうな漁師のおじいさんだと思い込んでいました。・・・・遠くの海から幸を運んでくるということで、福の神、商売繁盛の神として長く親しまれてきた神様なのですね。
 十日戎は関東ではそれほど馴染みはないのですが、やはり商業中心の世界なのか、専ら関西が中心のようで、兵庫の西宮神社、大阪の今宮戎神社、そしてこの京都のゑびす神社が日本三大えびすと言われるそうです。
四条通りからゑびす神社へ 京都の十日戎は1月8日から12日までの5日間に渡って毎日それぞれの神事が行われ、地元では、これは「えびす様」でも「十日戎」でもなく、「京のえべっさん」、更に略して「えべっさん」と呼び親しまれています。

 元旦の朝の八坂神社を、
前回の記事で紹介しましたが、それとは及びもつかないくらいの人出で、ゑびす神社までの長い参道は、出店で埋め尽くされ、行列の中で足踏み状態でした。
 参拝の帰路の方々は、飾りのついている笹を大事そうに持っていて、反対に参拝に向かう群れ中には、枯れ果てた笹の枝を袋に入れている人が目につきます。


 ゑびす神社の鳥居 本殿 到着。更にこの賑わいです。
熊手

 さてここから。

 境内の中はきらびやかな飾りで埋め尽くされています。

 熊手の飾り。これは東京の酉の市と同じ発想でしょうか。熊手で福をかき集めるということなのでしょうね。

 福娘の巫女が笹を手にして、奉納の舞を踊り、神棚に供えます。
 供えられ清められた笹は、商売繁盛、家運隆昌、吉兆の「福笹」あるいは「お笹」と呼ばれるのだそうですが、これが、側に待機する舞妓さんの手から参拝者に授与されます。

 巫女さんの舞 お笹の奉納 まずはそれを待つ行列。
 余りに待つ人が多すぎて、巫女さんの奉納の舞が全く間に合っていません。
 手持無沙汰で座っている舞妓さんを横目で、休む間もなく舞い続ける巫女さんはハードワークです。

 お笹が届く お笹の授与 ようやく神事を通過して舞妓さんのところに積まれた福笹です。
 そして、参拝の方たちに分けられ、あっという間にまたなくなります。


 舞台裏レポート<1> 
   福笹は一本につき、3000円でした。でも飛ぶようになくなってゆきます。
   舞妓さんの横の立札に、今日の舞妓さんは東映の女優何某・・・と名前が書いてありま
   した。舞妓さんにしては随分今風のメークだなと思っていたので、なるほどと納得です。

 ようやく手に入れた笹を持って、次はこの笹に付ける縁起物飾りを手に入れる行列です。

 いろいろな飾り物 飾り物を買い求める 絵馬、宝船、熊手、福鯛、福俵、小判、色々な飾りが山と積まれていて、それを参拝者が好みと予算に合わせて選び福笹に付けてもらいます。

 舞台裏レポート<2> 
   飾り物はどれも一つ1000円でした。
   出来上がったものも置いてありますが、意外に皆、自分のオーダーメイドにこだ
   わって、慎重に飾り選びをしていました。
   でも中には「5000円で適当に見繕ってつけてな」と注文していた方も。
   笹が重くしなるくらいになると20000円位で、これは周囲の人の注目を集め、
   肩に背負われて誇らしげに見えました。

 境内は「商売繁盛 笹もってこい」の、えびす囃子の掛け声が、にぎやかに響き続けて、本当にお正月ならではの、そして商売の街の底力みたいなものを感じさせられました。
 来るときに参道で目にした、枯れた笹は一年間飾ったものだったようで、「古いお札・お笹を納める所」というのが、ちゃんと設けられていました。

 知っていましたか?
 えびす様は、耳が不自由なのだそうです。それで、本殿で参拝した後、横の戸を叩いて、もう一度願い事をするのだそうです。
 最後の行列は、この、戸を叩く参拝者の群れ。


 ちょっと楽しい京のえべっさん散歩でした。

 大きい笹を買ってゆくのは、大体はお店をやっていらっしゃる方や、お茶屋さんなどであるようです。

 一瞬、どうしようか迷いましたが、飾るスペースも・・・と思いとどまり、レポーターに徹したひと時でした。 
 

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お正月気分

 どのように、新年をお迎えになりましたか?
 お正月はゆっくりとなさっていますか?

 でも今日はもう3日。
 こうして、今年も時間は飛んでゆくのでしょうか。
・・・・ただでさえせっかちな私は、もう助走の構え充分で、これでは、典型的な貧乏性、ワークホリックの見本みたいなもの。
 「いらちになったらあかんちゃ~う?」って、京都生まれのちょっと口の悪い友人S氏にいつも諌められています。
 ちなみに「いらち」は、京都、大阪方面で「気ぜわしい・気が短い・すぐいらつく」ような人を指す言葉で、「苛々する」から来ているのでしょうね。
 何でもすぐカウントダウンしてしまう私みたいな人種は、大いに危ないのでしょうけど、「いらち」か、「用意周到・早や手回し」かの境目は、カウントダウンした後の気持ちの持ち方にあるのではと、・・・・・すなわち、パニックで自滅に向かうか、士気が高まってゆくかの違いなのだと、S氏に逆突っ込みを入れては、「ほなら、眉間にしわ寄せるのやめ~や」と逆襲されています。
  ・・・・良い友達です。
 
 蛇足ですが、「いらち」のアクセントは「ら」にあり、「ド・レ・ド」位の音の高さで発音してみてくださいね。
    
    *   *   *   *
 さて、私のお正月。
 うららかな日射しの中の三が日です。

 元旦は、恒例ですが、我が家でのお雑煮、おせちを済ませた後、近くの八坂神社に初詣に出かけました。
元旦の鴨川 
 鴨川の朝。白鷺が何羽も群れ集って、白い光りを反射していました。
 向こうの峰々にはうっすらと雪が積もっています。クリスマス位から、毎日ちらちらと雪が舞っている京都ですが、元旦は嘘のように明るく温かい日射しでした。


 南座前を通過。まだ9時前だというのに、四条通りはもうかなりの人の数です。

 花見小路の街並み 花見小路の街並み2
 祇園花見小路はさすがにまだひっそりと。
 昔ながらの祇園の街並みには独特の風情がありますね。

 八坂神社 八坂神社本殿
 そして八坂神社。
 祇園の中心にあり、芸事成就の神様でもありますので、髪を小さく結った、舞妓さん見習い中らしい着物姿の女性が、一心にお参りしているのによく出くわします。この日もそんな姿を何人か目にしました。
 私も家族の健康、家内安全から始まり、2月のコンサートの成功のことまでしっかりと祈願してきました。
 
 毎年、同じ場所で同じように祈る・・・一年が無事だったことのお礼と今年もという願いを・・それは何よりの恵みなのだとしみじみと思ってしまいます。いつ何が起こるか分からない人の世ですものね。
 熱心な信者でもないのに初詣なんて・・・という考えもあるでしょうけれど、私は、感謝し、手を合わせ、お正月という節目に、身を正し、思いを新たにするという機会が生活の中にあるのはとても良いことなのではと思っています。

 家に戻り、山のような年賀状の束をカバンに詰め込んで、新年の挨拶に東京に向かいました。

        *   *   *   *

 逗子の実家。
 子供の頃から慣れ親しんだ大好きな湘南の海の景色です。
 逗子の披露山公園の高台から。
 眼下に開ける海。
 披露山公園からの湘南の海
 本来ならば真正面に富士山が見えるところなのですが、残念ながら春霞のように霞んでしまっています。
 江の島。鎌倉の海岸線。
 海に浮かぶヨットの白い帆先。
 近くに立ち並ぶ白亜の建物は逗子マリーナというリゾートマンションです。
 かすかに潮の香。
披露山公園からの湘南の海 2 

 逆光に光る海。波頭がキラキラと眩しい光に反射して吸い込まれそうでした。暗く写ってわかりにくいですが、三浦半島の方へと続く光る海です。


 実家は、家族が一堂に会して賑やかでした。
 ついこの間、
ブログでご紹介しましたように、姪のKちゃんの結婚式で皆で集まったばかりでしたが、新婚のKちゃん夫婦も訪れていて、もっぱら結婚式や新婚生活の話題と余韻で盛り上がりました。

 二人はとても仲睦まじくて、微笑ましく、Kちゃんも一生懸命、新たな生活を作り上げて行こうと頑張っていることが伝わってきました。
 それを温かく見守る彼女の両親。
 自立し親から旅立ってゆくことを嬉しく思う気持ちと、家に不在になったことにまだ慣れず、一抹の寂しさもあり、少し複雑な気持ちなのだろうと余所ながら察せられました。きっとそれはKちゃんも同じなのでしょうね。
 段々日が経つと共に、それぞれに、自然な生活の形が出来てくるに違いありません。

      *   *   *   *

 私は年賀状のやり取りをマメにするほうですし、教え子も多いので、普通の方よりかなり多くのお年賀状を頂くのではと思います。
 年賀状でしか連絡し合うことのなくなった旧友、でも、見慣れた文字を見て、変わらず元気そうだと安心しますし、何もないとは言ってもやはり一年の月日ですので、その人の人生の中での色々な出来事の痕跡が短い文面から受け取れたりもします。
 若い教え子の方たちは、それこそ、一年の変化は大きく、就職、結婚、出産、人生の大きな節目を次々に経験して逞しく豊かに成長されてゆく様子がよくわかり、そういうお知らせを頂けるのは教師冥利に尽きると感じています。

 反対に、教師だった私が、今教職を離れ、違う道をこうして歩んでいることも、若い彼女たちにとってはなかなか衝撃的なのかもしれないと思うのですが。

 自分なりの進み方しかできませんけれど、心を込めて・・・と思います。


 そんなお正月です。
 
 さて、そろそろ。
 当面の目標のコンサートまで、一カ月ですので、これから忙しくなります。全力投球で頑張りますね。


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2012年 良き年となりますように!

 新年、明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 皆様にとりまして、健康で幸多き一年となります事を。
 昨年、辛く困難な日々に見舞われた方々に、その分も、どうか沢山の恵みが訪れますように。
 争いのない平和で、微笑みに満ちた世界が訪れますように。
 

 今朝は、早朝に目覚めました。
 京都の元旦は、穏やかな日差し、爽やかな新春の冷気に包まれています。

 2012年は辰年ですね。
 辰は干支の中で唯一想像の世界の生物。
 昇り龍の如く、ひたむきに真直ぐに思いに向かって飛翔してゆきたいです。

年賀状1


 私の今年のお年賀状はこちら。

 家族バージョンはいつも渋く。





年賀状2

 そして綾音バージョン。 
 彼方を見つめるイメージです。

 何でも、どっさり書くのが大好きな私は、空きスペースを見つけては、ついつい、読めないくらいの小さな字で、更にぎっしりメッセージを書き込んでしまう悪い癖があります・・・。



 
 これから近くの八坂神社に初詣に行って参ります。
 その後で、東京へ。実家に新年のご挨拶です。

 また、ご報告致しますね。
                     2012年 壬辰  元旦
 

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