

先日の記事、『紋次郎物語 ~その一 誕生~』に、<ひろか>さんからこんなコメントをいただきました。
是非是非続きも更新してください!
トルコは猫天国の国です。
どこに行っても猫がいます。トルコ人はみんな猫が大好きみたいで、野良猫のための水や餌がところどころにあります。
「野良」とはいっても、住民みんなで育てている感じです。
猫がいる風景は、気持ちがほっこりしますね。
時々コメントを寄せて下さる<ひろか>さんは、現在イスタンブールにお住まいの子育て真っ最中の溌剌ママさんです。嬉しいお便りをありがとうございます。トルコは猫天国なのですね。知りませんでした。<ひろか>さんにもトルコのニャンコたちにも会いにゆきたくなります・・・。
大変お待たせいたしました。紋次郎物語 第二話をお読みください。
~ その二 母と子 ~
我が家の庭に姿を見せるようになった牝猫がある日子猫を5匹生んだというところまで、お話ししたかと思います。
牝猫の後を転げるようによちよちとついて回る小さな子猫たちの姿はその後もずっとお向かいのアメリカ人のFさんのお庭にありました。
さすがに当時でも、トルコのように野良猫を住民みんなで育てるというわけにはいきませんでしたが、さりとて、「野良猫を寄せ付けてけしからん」という苦情もF家には格別なく・・・今だったら、まわり近所から非難殺到で、野良猫の餌付けなどとんでもないのでしょうが・・・・いつの間にか<Fさんちの野良猫>(よく考えるとどっちつかずの変な呼び名ですが)という名で猫たちは市民権を得るようになっていました。
そのうち<Fさんちの外猫(そとねこ)>とのんびりと呼ばれるようになり、・・・牝猫の粘り勝ちですね。・・・Mr.Fの鷹揚な庇護の下、食べる心配もなく、子猫たちはころころと成長していきました。
しばらくして、今度は子連れで、牝猫が我が家の庭を散歩するようになった頃、・・・この頃には、気がつくと5匹いたはずの子猫がいつの間にか4匹になっていました。病死したのか、どこかに貰われたのかよくわかりませんが、・・・・突然、F氏が、「バカンスで一家でアメリカに三週間近く帰国するので」、というご挨拶にみえました。
その時、家にいた母と弟が応対したのですが、Mrがカタコトの日本語で、多分、「留守の間、ウチの猫たちのことをよろしく頼む」というようなことを言っていた・・・というのです。
母ははっきりと頼まれてはいないと言い、弟はいや、確かにそう言ってた気がする・・・と多少解釈が異なっていましたが、翌日から、お向かいは空になり、さあどうしようかという話になりました。
父は「癖になったら大変だし、そもそも野良猫なんだから」とどこまでも初志貫徹でしたが、頼まれたことをおざなりにはできない責任感の強い母は、「とにかく旅行から帰られるまでは・・・」という意見で、子猫の愛らしさにメロメロになっていた私たち姉弟はその母に加勢して、結局多数決の法則で、なし崩しに、猫たちの食事の世話をすることになったのでした。
赤ちゃん猫は可愛い盛りで、一挙手一投足にいくら見ていても飽きないくらいの愛きょうがありました。でも母猫は野良猫道に徹していたのでしょうね。
大人しく穏やかなのですけれど、いつも人間と一定の距離を置いて、決して子猫には触らせず、私たちが子猫を抱き上げたり撫でたりしようとするとさっとそれを阻んで逃がしてしまうのです。
初めはFさんの庭に出向いて、そのうちに我が家の庭で餌をやることになったのですが、餌のお皿を、私たち人間からある程度離れた距離に置かないと、どんなにお腹が空いていても、決して近寄ってきませんし、子猫にも近寄らせないようしていたようでした。
そして常に、まず子猫たちに食べさせ、それを優しく見守っていて、子どもたちが食べ終わると、その残りを遠慮がちに最後に食べていました。たまに子猫たちが皆食べてしまって自分の分が残っていなくても満足そうな静かな様子を崩さず、母の愛とはかくあるべしというお手本のような凛とした風情でした。
母猫はあまり鳴き声を発することのない・・・たぶん寡黙な性格だったのではと思うのですが、食事の時には子猫たちに必ず声をかけて、何か教えていたようですし、食事が終わると、まるで本当に『御馳走様でした』と言ってるかのように、こちらをじっと見ながら、ニャーニャーと二声程発して帰るのです。
偶然でしょう?と思われるでしょうけれど、いつでも必ずそうなので、何だか不思議な感動があって、これは猫と言えども侮れないと思いましたし、私としてはこの頃から段々この猫に、かなりな愛情を感じるようになっていました。
子猫たちは4匹、バラバラな風貌をしていました。
真っ白い短毛系の猫、モジャモジャの長毛種、母猫と似た三毛、またそれとは違った毛並みの日本猫・・・・・、野良猫たる所以なのでしょうね。どう見ても兄弟とは思えないほど様々入り混じってじゃれ合い、ちょこちょことかけ廻っていました。
まだ、両手で包めそうなくらい小さい子猫たちには、世界は何もかもが初めての出会いで、どんなにか輝いて見えているのだろうと思われました。
・・・で、無事、バカンスを終えた彼らの飼い主は戻り、また我が家は平穏でちょっと物足りない日々が始まった・・・・はずだったのですが、一カ月位過ぎた頃に。
またしても、母と弟の在宅時、F氏の訪問があり、・・・・でも今度は日本人の奥様とお子さんたち、ご一家総出で、お引越しのご挨拶でした。
横須賀のベースに関わりのあるお仕事だったらしく、その関係で、同じ市内なのですが、少し離れた米軍住宅に住むことになったそうなのです。
今度は母も弟も、「で、猫たちは??」としっかり伺ったところ、「ウチで可愛がっている猫なので、勿論全部連れてゆきます」ということでした。
猫大好きの私と弟は寂しかったですが、父と母は、これでようやく安らかな日が戻る・・・と思ったのでしょうか、かなり上機嫌でした。
お向かいは猫と共に空き家となり、一カ月ほどして、ぽっかりとした気分にも少し慣れてきた頃、あろうことか・・・・あの猫たちが空き家の庭に。
母猫は何だかやつれて、でも、子猫たちは相変わらず可愛くて、少しだけ表情がしっかりしてきたように見えました。
どうしたのでしょう?事情は全くわからないのですが。
<猫は家につく>と言いますし、まして野良猫ともなると自分の生まれ育ったテリトリーが何と言っても一番良いのかもしれませんね。
どういうタイミングでかはわかりませんが、家猫になり損ね、古巣に戻って来たのではと思われます。
脱走兵は速やかに強制送還するべきところなのでしょうけれど、生憎Fさんとはどうしても連絡が取れず、かといって肩代わりする訳にもいかず、ともかく今度は心を鬼にして決して餌をやるべからず、そうすれば必ずや今度こそ、どこか違う場所に移って行くに違いないから・・・という両親からの至上命令が私たち姉弟に下されました。
この頃は相当な愛着を猫たちに持っていましたので、空腹そうな顔で母子からじっと見つめられると、正直言って結構辛かったです。
既に母猫とはかなりのレベルでコニュニケーションが交わせるようになっていた??!!・・・と自分で信じていた私は、(呆れないで下さいね。頭が変なわけではありません。理屈に合わなくても、生き物は不思議ですから、本当にそういうことってあるのではと思うのです)母猫に向き合って、<どうしても飼ってやれないから、自分で生きる道を探してほしい>というようなことを一生懸命話しかけていました。
猫はじっと聴いている風に思われ・・・・それからすぐ本当にいなくなりました。
さて実は、ここからが益々不思議なお話しになってくるのですが、これ以上話すとひんしゅくでしょうか?
・・・・よろしければ、また次回続きをお話しさせていただきますが。
まずは、第二話「母と子」はこれにて完と致します。


