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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

祭囃子の中で ~一葉記念館を訪ねて~

 数日前の事になってしまいましたが、・・・27日の日曜日、台東区竜泉にある一葉記念館を訪ねました。

 この日は嘗ての教え子たちとの会合、・・・・文学に造詣の深い若い女性達が毎年20~30名ほど集う、飛びきり楽しく、なお且つ学究的な素敵な会をここ数年開催しているのです。
 今年は、午後のお食事会+講演会に加え、午前中にプチ文学散歩も加えた初めての試みでした。
一葉記念館入口 一葉記念館・・・・樋口一葉です。
 樋口一葉は明治5年に生まれ、明治29年、肺結核で24歳の短い生涯を閉じた薄幸の女流作家です。
 17歳で既に女戸主として家計を支え、女性が小説家として世に出ることへの当時の根強い偏見の中にあって、貧困や病と闘いながら、今に残る不朽の名作を多く残しました。明治27年に発表された『おおつごもり』を初めとし、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』等の一葉の代表作の数々が<奇跡の14カ月>と言われる最晩年のわずか一年二ヶ月の間に執筆されています。

樋口一葉像(パンフレットより)
 彼女は、安住の地を求めて、あちこちと住まいを移していますが、この一葉記念館のある下谷竜泉寺町では荒物駄菓子屋を営んで、十カ月間暮らしています。
 当時の竜泉寺町は、新吉原遊郭と隣り合わせの地にあって、遊郭で働く女性たちや、遊郭相手に商売や内職をする貧しい人々が過酷な現実を生き抜いている、そんな町だったようです。

 自らも生活苦を抱えながら、荒物雑貨や駄菓子を商う中で、彼女の小さな店に通ってくる人々との触れ合いやここでの見聞が、そのまま体験となって、代表作の『たけくらべ』の中に鮮やかに描かれました。
 『たけくらべ』は、森鴎外に「此人にまことの詩人という稱(しょう)を於くることを惜まざるなり」と激賞され、小説家として高い評価を受けるに至った彼女の出世作です。
 この小説の舞台が、ここでは今もそのまま愛着を持って大切に守られている、少しだけですが町を歩いてみて、そんな気がしました。
 
 この日訪れた一葉記念館も、一葉の功績を後世に伝えようとする地元の有志の強い働きかけを受け、・・・・地元の方々の寄付金によって建築敷地が購入され・・・・そこに台東区が昭和36年に記念館を建てたのだと聞きました。
 5年ほど前に改築され、今はとてもモダンに建て変わっているのですが、実はもっと古~い建物だった頃から、私は何回か訪れているのです。
 昔からこの一葉記念館は、どこの文学館にもまして、作家への拘りと愛着が感じられ、展示や解説、職員の方達の対応にもそういう<気>というか、静かな<熱意>があり、漂う雰囲気が私はとても好きなので自然に足を運んでいたのかもしれません。


 朝9時30分、地下鉄三ノ輪駅集合、十名でスタート。
 真夏のような眩しい日差しで、こういう時には絶対日本晴れになる超晴れ女の私です。
 歩き始めると、ハッピ姿が実によく似合うお兄さん、お姉さん、おじさん、おじいさんたちに次々と出会いました。
 見るからに威勢のよい、浅草の下町っ子たちばかりです。

大祭のお知らせ
 あまりの人出なので、浅草寺の三社祭かなと一瞬思いましたが、確かもう終わっているはず。よく見ると、千束稲荷神社の大祭のお知らせが。
 今年は運よく、二年に一度の大祭なのでした。
 京都もいつも何かしらのお祭りをやっていますが、でもどのお祭りも牛車に曳かれているようなゆったりまったりとしたテンポで、やはりさすが貴族の都、京都らしい文化の重みが感じられます。

お祭りバージョン これに比べて、関東、特に東京の下町のお祭りは江戸っ子気質満載で、キップが良いというか、シャキシャキなんですよね。そしてお兄さんもお姉さんもおじいさんも・・・皆とても気さくで、お祭りはハレの日、誰にでも親しげに声を掛け合いハイテンションです。
 お祭りバージョンのワンちゃんと遭遇。
 道行く人の人気の的。シャッター音が集中しても全く動じません。

 神馬に乗った神主さんや、勇ましいお神輿にも早や遭遇。
 ホントに賑やかでした。
 神馬の上の神主さん 御神輿

 その道すがら、一葉の旧居跡を示す碑があります。
旧居跡の碑 15分くらい歩いて一葉記念館に到着する頃には、私たちはこの陽気な気分にすっかり気持ち良く染まっていました。

 ようやく到着したと思ったら・・・・何と記念館の前が先ほどのお神輿と神馬のゴールで、正面の一葉記念公園がお祭りの本部になっていました。
 
 そして記念館では、予めお願いしてあった台東区のボランティアガイドのお二人がとても熱心にわかりやすく、一葉と、新吉原の歴史や、この辺りの見どころ等を解説して下さいました。
 その後、ゆっくりと館内の観賞。資料が充実していてやはりこの記念館はお薦めです。
 
 二階の窓からは、外のお祭りの様子が見渡せ、展示を読みふけって一葉の文学に思いを馳せている間もずっと、お祭りに集まってきた人達の楽しそうな声と、陽気な祭囃子が聴こえてきました。
『たけくらべ』の主人公<美登利>が幼い頃から聴いていた祭囃子もこんなに心浮き立つ響きだったのでしょうか?
 千束稲荷の大祭のシーンも小説に登場していて、期せずして臨場感あふれた素敵な文学散歩となりました。

祭り太鼓とお囃子
  遊女達が逃亡しないようにと掘られた、お歯黒溝(おはぐろどぶ)と呼ばれる堀(ほり)に囲まれた2万坪余りある新吉原の遊興の地には、当時、遊女たちの悲喜劇がどれほど繰り広げられていたことでしょう。(お歯黒溝は今は勿論、埋め立てられて道路になっていますが。)
 遊女の姉を持つ主人公の<美登利>も、程なく同じ道を辿ることを運命づけられた少女で、それゆえにこそ、幼馴染のお寺の子、<信如>との淡い初恋の物語が儚く美しく感じられるのでしょうね。
 無邪気に子供同士で遊んだ頃の祭囃子は、<美登利>が積み重ねてゆく月日の中で、夢のように響き続けたのでしょうか?

 観終わって、記念館の前で皆で記念写真を撮ろうとしていたら、正面のお祭り本部のおじ様達が親しげに声をかけて下さいました。袴姿の一人の方が「私も一緒に!」と一枚。プライベートフォトですので、公開は控えますが、皆の顔は本当に楽しげです。
頂いたお供物
 「今日、一葉さんを訪ねて下さったのも何かのご縁だから」と、お祭りのお供物を皆で頂いてしまいました。
 つきたてのお餅が二つ入っていました!!

 確かにこれもご縁。予定を変更してすぐ近くの千束稲荷神社に参拝に行くことに。
 この近辺を練り歩くお神輿。「お姉さん達も神輿かついだら!」と声をかけられ、私たちの数人も飛び入り参加させていただきました。めったにない経験でした。

 千束稲荷神社はお神輿が出張中で、静かでした。
 境内にある一葉の胸像。これは最近のもののようです。
 千束稲荷神社 境内にある一葉の胸像
 近くには、遊女達ゆかりの吉原神社、吉原大門跡、見返り柳、そして吉原の遊女たち2万人が葬られているという浄閑寺、お酉(とり)さまで知られる鷲(おおとり)神社、<信如>の暮らした龍華寺のモデルと言われている大音寺など、文学散歩の見どころが沢山ありますので、一葉の文庫本を片手にいつかいらしてみて下さい。

 本当は、スカイツリーを眺めながら浅草に出て、文学散歩に参加できなかった方達の待つ次の会場に向かう予定だったのですが、22日にスカイツリーが公開され、浅草近辺は連日20万人を超える人出だと報道されていたので、<君子危うきに近寄らず>、コース変更し、この日はツリーは見ずじまいでした。
 浅草と組み合わせて1日がかりでゆっくりというのも良さそうです。

 午後も充実したとても素敵な会だったのですが、長くなりますので!
 いつか機会があればご紹介しますね。



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5月の落葉松 ~花々 キャベツ そして~

 昨日の安曇野の旅の続きから、早速今日はスタートしたいと思います。

 夕暮れ時、軽井沢へと到着。そしてこの一日は終わり。

 今回、軽井沢でまずやってみたかったこと!
 ・・・早朝、鳥のさえずりで目覚め、新緑の落葉松林の中を、<さすが冷たい空気>と呟きながら、時計を待たず、ぶらぶらと散歩すること。
 ・・・で、木漏れ日を浴びながら伸びなんかしたり、柔らかく揺れる落葉松の梢にじっと目を凝らしてみたり、鼻歌を歌ったり、緑の香りの中で深呼吸したりして<散策>という言葉をロマンチックに噛みしめてみること。
 ・・・頬と手先が冷え切ったら、部屋に戻って、熱い珈琲、出来たら濃い目のをブラックでゆっくりとゆっくりと味わうこと。
 ・・・これぞ、休日の醍醐味と言えるくらい段取りを放棄して、行き当たりばったり、適当な所に行って、何にもしないでいつの間にか一日を過ごしてしまうこと。

 「早朝、鳥のさえずりで・・・」から「・・・・ゆっくりとゆっくりと味わうこと」まで、ほぼ上記の通り忠実に実践してみたのでした。
 ただ、最後の「休日の醍醐味」については、叶ったのかどうかは定かではありません。そもそもこんなことを考えること自体が大いに段取りをしているわけで、段取り大好き人間で、いつも縛られている感のある私の、いつかは克服すべき最大のハードルのような気がします。
 またよ~~く読んでみると、これらの願望は、普段のあくせくした生活の裏返しかとも思われますが、でもともかくも、かなり満足のいく朝の滑り出しでした。

  花々
 前にもお話しましたが、浅間高原のキャベツ畑は私の大好きな風景の一つです。何回か足を運んでいると馴染みの場所って自然に出来てきますね。
やはり・・・キャベツの視察をすることにしました。

 春の花々が優しく目を楽しませてくれます。
 見上げれば、芽吹きの落葉松。
 信州の五月は、木々も花もまだ萌え始めたばかりの柔らかい色合いを持っています。
 芽吹きの落葉松 あぜ道のタンポポ
 タンポポと、耕された黒土。
 そして、背景にはモコモコと目覚め始めた木々。
 枯木がほんのりと赤みを帯びて、まさに今、さみどり色に色付こうとしているようです。その中に真直ぐに立つ落葉松の峰。

 道端のスミレ  ヤマツツジ
 道端のすみれ。
 春を彩る山つつじ。
しゃくなげ
 シャクナゲも咲き始めました。
 この辺りのシャクナゲは吾妻(あずま)シャクナゲと白山(はくさん)シャクナゲの二種があるそうで、ものの本によると吾妻シャクナゲの葉は<なで肩>で、花は濃い目のピンク、白山シャクナゲのほうは<イカリ肩>で薄いピンクなのだそうです。・・・・葉が、なで肩か?イカリ肩か?などと言われてもねえ、・・・判じ物みたいでさっぱりわかりませんが、咲く時期その他の特徴から今咲いているのはどうやら吾妻シャクナゲのようです。


  キャベツ
 黒々とした土に、キャベツの小さな葉が規則正しく顔を出し始めています。雪渓を残した浅間山からは白い煙が上がって見えます。
 春のキャベツ畑 キャベツの畝
 機械で畝を作っていく様子がよくわかります。
 こうして出来た一つ一つの畝にキャベツが植えられてゆくのですね。
 出荷時期の調整の為、キャベツの植え付けは畑毎にずらしているようです。
 後二ヶ月もすれば、陽の光を浴びて、大きな青々としたキャベツで一杯になることでしょう。夏にもまた見に来ることが出来ると良いのですが。・・・・楽しみです。


  そして
 こうやってのんびりしていたら、浅間高原に住む友人から思いがけず、近くの「しゃくなげ園」をドライブしてみないかという電話がありました。
 浅間高原観光協会の肝入りで、<ハイキングコースを完備した日本一の規模を誇るしゃくなげ園>を運営しているということを前々から聞いていて、評判も上々なので、一度はと思っていたのですが、何しろなかなかぴったりの時期に訪れるのは難しいですから、嬉しいお誘い、是非にということで出掛けてゆきました。
3分咲きのしゃくなげ園 
 浅間山を臨みながら、1800メートルの山麓へと・・・・。
 残念ながらまだしゃくなげは咲き始めたところで・・・・でも本当に広々とした風景を堪能しました。
見渡す限りのしゃくなげで、満開の頃はどんなにか華やかでしょうね。



 少し回り道した高峰高原からの帰路、凄いものに遭遇してしまいました。

 
 
 左前方の山の斜面から降りてきて、車の前を悠然と横切るものが・・・・。
 ニホンカモシカとの出会い1 ニホンカモシカとの出会い2
 何だかわかりますか。
  イノシシ? シカ? 
 友人は車を止めてじっと観察してとても冷静です。
 「ニホンカモシカ」と教えてくれました。
 特別天然記念物なのだそうで、確かにこの辺りに生息しているけれど、地元の人でも出会うことは殆どないのだそうです。
 なかなか可愛い顔をしています。子供のニホンカモシカのようです。



 道路の横断 ニホンカモシカとの出会い3
   
 トコトコと元来た道を平気な様子で渡って行きます。

 左の助手席に乗っている私とは至近距離で、しっかり目を合わせてしまいました。

 「ニホンカモシカ」も人を襲うことがあるそうで、こういう風に出会った場合はじっとして驚かせないで、逃げ道を作っておいてやるのが大切なのだと詳しい説明、さすが博識です。
 一人でなくて良かった! 私だけだったら大騒ぎしていたかもしれません。
 
 すぐ目の前でニホンカモシカに出会うという、もしかしたら一生に一度かもしれない、貴重な体験でした。

        *   *   *   *

落葉松を渡る風

 落葉松に渡る風を受けながら、すっかりリフレッシュできた休日、またしっかりと日々の生活を頑張りたいと思います。


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安曇野を行く ~碌山とちひろ~

 昨年暮れからコンサート準備に掛かりっきりで、なぜかその後もハイピッチで走り続けていた感があり、<GWも働いていたし・・・・よおし・・>と、ここで一休み、遊びに行くことにしました。
 大好きな落葉松を見に・・・信州にやはり足が向きます。
 夏と秋の軽井沢を以前ご紹介したことですし、どうしてもここは、芽吹き始めた新緑の落葉松ですね。


 『ほつれ髪の女』をみた余韻が続き、美術館を巡るのも良いかと、・・・今回は松本から安曇野にまず向かいました。

 白馬連峰に囲まれた、松本盆地の北西部、梓川の扇状地に位置する安曇野、・・・美しい流水、その中に続くわさび田、美味しいお蕎麦、清澄な大気、道の傍らの道祖神、降り注ぐ光・・・・絵のように美しい情景が浮かんできます。
 最近はNHKの朝ドラ『おひさま』の舞台となって脚光を浴びましたね。確かヒロインの陽子ちゃんが嫁いだ先も手打ち蕎麦屋さんだったのでは。
 私は信州は本当に大好きで、かなりあちこち学生の頃から訪れて小さな山登りなどもしていました。安曇野もこれまでに何回も足を運んだ場所です。
 眩しく光る残雪の穂高を仰ぎ見ながら、まずは碌山(ろくざん)美術館に。

  碌山美術館
 穂高山麓、北アルプスの山々を借景としてその風景の中に溶け込むような静かな佇まいを見せています。
久しぶりの碌山美術館、石作り、教会風の建物自体がもう既に心魅かれる美術品のようです。

   緑に映える碌山美術館  碌山館
 いつも観光客で賑わってしまうのに、どうしたわけか、人の姿もまばらでした。GWと夏休みの間の何でもないこの時期は、ゆっくりと静寂を味わう絶好のタイミングだったのかもしれません。
杜江の水 杜江(もりえ)の水と書かれてありました。

 美術館の庭に手の切れそうな冷たい穂高からの雪解けの湧水が、かすかな水音を響かせます。絡みつくツタの葉も柔らかいさみどり色で、五月半ばのこの季節ならではの静謐な美しさです。

 折しも建物の三角屋根に教会の鐘楼のように据え付けられた鐘の音が鳴り出して・・・・数えたら12回。ちょうど12時になっていました。
 心清めて、祈りの場に向かう促しを受けたように感じました。
 入口に <LOVE IS ART STRUGGLE IS BEAUTY>(愛は芸術 相克は美)の言葉が刻まれて。

 碌山・・・萩原守衛(おぎはらもりえ)は1879年(明治12年)にこの地、穂高に生まれて、わずか30歳でその生涯を閉じた彫刻家です。
 22歳で渡米し、ニューヨーク、その後パリで絵画を学びましたが、ロダンの『考える人』に邂逅して衝撃を受け、ロダンのアトリエに通い教えを請うようになります。

碌山美術館内部(絵はがき) 1908年(明治41年)29歳、帰国し次々に作品を発表しますが、その二年後30歳で急逝してしまいました。
 高村光太郎、戸張孤雁等、後に近代彫刻の祖となる優れた彫刻家らとも親交が深く、彼らに大いなる影響を与えた、まさに日本の近代彫刻の先駆者です。

 絵葉書ですが館内の写真です。
 2年間というあまりに短い創作活動の中で彼は、日本彫刻史上最高傑作と称される『女』を始め15点の作品を残しましたが、それらの作品がこのように、時を超え、今静かに見る者を迎え入れてくれます。

第2展示場
 碌山の友人や系譜に繋がる彫刻家、画家の作品が集められた第2展示棟を外から写してみました。
 扉が開かれて作品が垣間見え、眩しい戸外と一体になり美しいです。
 第3展示棟まであり、碌山をめぐる人々との親交、当時の美術・文学の様相も詳細に示され、とても充実した展示だったのですが、昔愛読していた様々な文学の世界までもが心に一気に蘇ってきました。
 家に帰ったら、本棚の奥に埋もれている何冊かを早速再読しようなどと思いつつ、美術館を後に。


 お腹が空きました。・・・美術館のすぐ側に「手打ちそば」の看板が。
 美味しそうな感じだったので、迷わず入ってみました。
 お隣の一人旅っぽい若い女性の前に、通常の3倍くらいはありそうな大盛りのざるそばが運ばれてきました。見かけによらず・・・と思っていましたら彼女のだけでなく・・・・そう言えば安曇野のお蕎麦屋さんはたっぷりサイズと聞いたことがあります。
 私は「冷やしわさびそば」というのを注文したのですが、とても美味しかったです。
 冷たいつゆの中のおそばに、すりおろしたわさびと、ほろ苦いわさびの葉の漬け物がたっぷり乗っていて、これぞ安曇野の味という気がしました。機会があったら是非お薦めです。



  安曇野ちひろ美術館
 『いわさきちひろ』さん、名前と結びつかなくても絵を見ればたぶん誰でもわかるのではないかと思われる高名な絵本作家です。
  安曇野ちひろ美術館パンフ  いわさきちひろ美術館入り口
 1974年に55歳で亡くなられてもう40年近く経っていますが、今もまだ再版が繰り返され、その人気は衰える事がなく、世界初の絵本専門美術館といわれる、東京石神井の『ちひろ美術館』とこの『安曇野ちひろ美術館』には訪れる人が後を絶たないようです。

チューリップの中の男の子(いわさきちひろ) 絵はがき
 子供と花々をメインテーマとして、9300点もの作品を残したというだけあって、館内の図書室に置かれている絵本・童話を手に取って見ただけでも幼少期に確かに読んだ沢山の本があり、その挿絵も記憶の中に鮮明に残っていて、殊の外懐かしく感じました。

 彼女自身のオリジナルの童話や絵本、そして国内外の様々な作家たちの童話、物語、小説に添えた挿絵・・・それぞれの作品の鑑賞は勿論のこと、戦前戦後を生きた<いわさきちひろ>という一人の女性の、画家として児童文学者として、母として妻としての軌跡が愛情深い目で分析・解説され、充実した展示となっていますし、色々な工夫がなされた子供の部屋等もあって、大人も子供も共に楽しめ豊かな気持ちを蘇らせてくれる良質の美術館であり文学館であるという気がしました。
カフェのテラス カフェのテラスから見る残雪の北アルプス
 とにかく広々とした敷地で、開放的な館内に風と光が入り抜群に気持ちが良いのです。お昼寝用のリクライニングチェアまで、テラスにいくつもおかれていて、近くに住んでいたら毎日でもお昼寝に通ってしまうかもしれません。
 観終わってカフェで一休み。
いちごババロア
 穂高の残雪が光に反射しています。遮るもののない景観を楽しみながら、ちひろさんの好物だったといういちごババロアを注文しました。さっぱりとしたロマンチックな味です!

 幸せな気分で、帰路の道すがら更に、観光のメッカ、大王わさび農場に立ち寄ることにしました。


  大王わさび農場
 二つの美術館が、人が少なかったので、すっかりその気になっていましたら、さすがここまで来ると観光バスなどが連なっていましたが、めげずに少しだけ散策して見ることにしました。

 水車小屋 水藻の流れ
 『おひさま』のスチール写真みたいですね。
 でも、一面に広がるわさび畑をしばらく行くと、目の前にこんな涼しげな景色が広がってきました。
 水車小屋、水底に揺れる水藻、かなり早い渓流の流れ。

 大王わさび農場 わさびの花
 そしてどこまでも続くわさび畑。
 黒いシートは、真夏の日よけかと思っていましたが、繊細なわさびの根と清浄な渓流を保護するためでしょうか、一年中かけられているのですね。隙間からわさびの瑞々しい青葉と白い小さな花が見えます。

道祖神
 道の傍らには優しげな道祖神。

 夏のような眩しい日差しと、爽やかに吹き抜ける風の中の安曇野で過ごした、とても贅沢な一日でした。
 そして軽井沢へ向かう続きは、次回また載せたいと思います。

 どうぞお楽しみに。


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ほつれ髪の女

 数日前、東京に出た折、少し時間が出来たので、渋谷の<東急bunkamura ザ・ミュージアム>に立ち寄り、現在開催中の『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想』を観てきました。

 学生の頃、渋谷はホームグランドの一つだったのですが、久しぶりに渋谷駅から東急本店に向かう文化村通りをぶらぶらと・・・。
 普段そうそう頻繁に美術館に通うことがないだけに、わくわくする贅沢なOFFの時間、絵を観に行くぞ~!の気分が沸々と湧いてきて、観る前から何とも言えず幸せでした。
 これが案内のフライヤーです。

  ダ・ヴィンチ展チラシ(表)  ダ・ヴィンチ展チラシ(裏)
 
 とても良かったです。
 丁寧な解説と充実した展示でダ・ヴィンチの不思議な世界に吸い込まれる気がしました。
 ダ・ヴィンチコードではありませんが、鑑賞するにつれ、彼の謎は広がってゆき、・・・・一体ダ・ヴィンチってどんな人だったのでしょうね。

 今回初めて公開される貴重な作品等も含めて、約80点余りの作品、資料が展示されていましたが、その中でも、彼の直筆と確認されている絵画は、実は10数点しかないのだそうです。あとは工房の弟子たちとの共作や、彼のプロデュースで制作された数々、彼の影響を強く受けているレオナルド派の作品、後世の画家たちの手による様々な 『モナリザ』など、それらが系統立ててしっかりと展示されており、とても興味深いものでした。

 けれど、今回の展示の目玉の一つは、フライヤーにも載せられている『ほつれ髪の女』。
 彼の一連のマリア像やモナリザの原点ともなった作品と言われています。


「ほつれ髪の女」絵葉書
 買い求めた絵葉書なのですが・・・これが『ほつれ髪の女』です。

 大体『ほつれ髪の女』というタイトルからして雰囲気がありますよね。
 憂いを帯びた表情を縁取る髪が印象的で、揺れて息づいているようです。

 上村松園などが描く日本画の美人画などでも、繊細でたおやかな線が何とも言えない儚げで艶っぽい美しさを感じさせますが、濁りのない鮮やかな色彩でくっきりと塗られ、着物の模様の細部に渡るまで鮮明に描かれていますし、髪の描き方一つをとっても、揺らぎない静まった日本的な美という気がします。

 それに比して、この作品には、やはり、すっと引かれたような細やかな筆のタッチがありながら、これを描くダ・ヴィンチのもっと強い内省的な息遣いというか、生き生きと印象的で生な女性が浮かび上がってきて、とても西洋的、髪の描き方にしても「ほつれ髪」の名の通り動的で、幻惑されるようなイメージと物語が限りなくここから広がってくる印象を受けました。

 日本初公開ということで、私も実物を初めて見たのですが、思っていたよりずっと小さなサイズの作品であることにまず驚きました。
 でも、いつまでも見ていたいような心魅かれる女性像。不思議な微笑みの中に力ない吐息が聴こえてきそうでした。
 ミステリアスでどこか憂いを秘めている感じが、確かにモナリザにじっとみつめられた時の印象にも共通する気がしました。
 ・・・素人の私が、わかった風に絵の印象を押しつけるのも憚られますので、これ以上は語らないことにします。・・・・6月10日まで開催されていますので、ご興味のある方は、是非ご自分で確かめてみてください。

 本邦初公開の『岩窟の聖母』や『少女の頭部』など私の知らなかった素敵な作品も充分に堪能してきました。
 BunkamuraのHPに作品の写真と解説などが丁寧に載っていますのでURLをご紹介します。よろしかったらこちら→ http://davinci2012.jp/about.html をクリックしてみて下さいね。


 カフェで一休み。
 多くの文学者、芸術家との縁の深いフランスの名門老舗カフェの「ドゥ・マゴ・パリ」が海外初提携だそうで、bunkamuraに入っていました。
カフェ「デュ・マゴ・パリ」HPより
 このカフェには以前、フランス旅行をした時に立ち寄ったことがあったので、おお~~と懐かしくなり、あの時と同じタルトタタン(リンゴの量を多くし過ぎてパイを上にかぶせるのを忘れてしまったアップルパイ・・・みたいなケーキです)を注文してみました。本家にとても近いフランスっぽい濃厚な味で、カラメルが香ばしく旅行の思い出が蘇って、美味しかったです。


 『ほつれ髪の女』を見ていたら、我が子キリストの死を悼む聖母マリアの表情が連想されてきて、帰る道すがら、ずっと色々な『アヴェマリア』の曲が頭に流れていました。
 シューベルト、バッハ、カッチーニ、それからマリアが出てくるシャンソンがあれこれと沢山・・・クラシックとシャンソンがガチャガチャに鳴り続けて相当ハイな状況に、・・・肌寒いはずの風が心地よく感じられていました。

 9月に、仲間内の会で数曲歌う事になっていて、何となくは心にあったのですが、そうだやはり『アヴェマリア』の特集をしてみようと閃いてしまいました。

 こういうスイッチが入ったら最後の私ですので、翌日は部屋で籠城、ずっと懸案のまま放ったらかしだった、アズナブールの『アヴェマリア』の訳詞を完成しました。
 アズナブールっぽい、朗々と歌い上げるマリア賛歌のような曲で、今までの私のイメージのアヴェマリアとは少しタイプが違います。
 これまではどちらかというと屈折した憂いの中で歌うマリア像を好んで発掘していましたので。・・・このご紹介もいつかしたいですね。

 どんな曲になってゆくか、しばらく歌い込んでみたいと思います。
 アズナブールの『アヴェマリア』のyoutubeも出ていますので、ご興味がありましたらこちらをどうぞ。→ 
http://www.youtube.com/watch?v=RvhoO5DmQf8&feature=related
 今日は『ほつれ髪の女』を、フレンチテイストの BGMとデザートを添えてご紹介してみました。




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紋次郎物語 ~ その四 犬に負けるな ~

紋次郎
 5月フランス。
 先日、サルコジ大統領が決戦で負けて、オランド氏へと政権交代がなされました。
 <元>大統領夫人と呼ばれることとなったカーラ・ブルーニですが、10年ほど前に発表された彼女の代表作の<quelqu’un m’a dit>(誰かが私に言った)という曲、ご存じですか?

カーラ・ブルーニ
 ・・・『風のうわさ』というタイトルで私も訳詞をして、これまでのコンサートでも何回か取り上げています。
大好きな曲、・・・この季節になると風に吹かれながら、ふと口ずさみたくなる密やかで美しい曲ですので、ブログでもいつかご紹介させていただきますね。

 吹き抜ける五月の薫風・・と言いたいところですが、恐ろしい竜巻が起こったり、数日来、突然の雷とスコールのような激しい雨で、・・・最近の気象異変は何とも不気味です。被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げます。

 さて、前回から引き続いて、今日は、紋次郎物語 第四話をお届け致します。初めてお読み下さる方は、その一 その二 その三 と順を追って頂けるとわかり易いかと思います。

   ~その四 犬に負けるな ~
 母猫の忘れ形見のように、我が家にやってきた子猫たち三匹の世話を今後どのようにするか、私たち家族の前に、早急に解決しなければいけないいくつかの問題が突きつけられました。

 話し合った結果・・・というよりは、・・・実際には、一家の主として発言権、決定権、共に最優位にあった父の意向を酌んで・・・ということになりますが、・・・
 次のような三カ条がまず決まりました。

 第一条  三匹は、我が家の飼い猫と認め、基本的生活権を保障することとする。

 第二条  但し、原則として外で飼うこととし、何かの必要が生じて家に入れる場合も、立ち入っても良い場所は縁側で外と直結している茶の間のみとする。

 第三条 室内を汚してはならない。また、庭の植栽を損なったり、池の鯉に危害を与えるようなことがあれば、即刻、第一条は無効となる。


 <衣食住>と言いますが、第一条により<食>は完全に保障され、まずは、めでたし!
 <住>については、微妙にセーフかな?
 <衣>については、最近流行りの<ペット用のワードロープ>などとは、無縁の生活で・・・・。
 但し、二条、三条は、よく考えるとかなりな難題です。

 もとはと言えば、母猫と不用意にもおかしな契りを結んでしまった私の全責任であるから、「課題は自己責任で解決せよ」との命が下り、でも、折角の可愛い子猫たちとの日々を存続させるためですから、何とか無に帰さないよう、知恵を絞ることになったのです。

 三匹とも雄猫で、彼らにはようやくそれぞれ名前がつけられました。

 「まだら」
 母猫に一番姿形の似た日本猫、白地のベースに黒と茶の斑点が入っている三毛猫なのですが、ふっくらとした柔和な顔つきで性格も人懐こく温厚で、理解力も抜群に良い優等生タイプの猫です。弟が一瞬で命名した、ちょっといい加減な名前なのですが、でも何となくなごみ系の風貌にしっくりはまっていて誰も異存を唱えませんでした。

 「猫吉」(ねこきち)
 他の二匹に比べて、ひときわ体が小さく、全体的に華奢で、足が長くすらっと伸びた、おっとりした品の良い白猫です。唯一目の上、眉のところに、平安朝の御公家さんそっくりな黒い八の字眉のような模様が入っています。
 これも弟の命名。とにかくひらめきが良く、ご託宣のように瞬時に告げるので、皆、考える暇もなく妙に納得してしまうのです。
 彼はこの寡黙な猫が殊の外お気に入りで、随分可愛がっていました。

 「紋次郎」(もんじろう)
 ペルシャ猫系の血筋が混ざっていそうな長毛種の猫で、もわっと広がった綿みたいな毛並みの中から少しブラウンがかった大きな目が覗いていて、他の猫とはタイプの違うエキゾチックな風貌の猫です。性格は極めて野良猫的。母親とも兄弟とも似ていなくて、変に敏捷でとんがっている異端児です。
 弟に先を越されないように、何とか私が・・・と間髪を入れずに発言したら、どこかで聞いたような月並みな発想になってしまったようです。後から考えると、カイザーとか、ルパンとか、横文字でも充分良かったわけですが。
 でもこれも一声で採用となり、あまりにも早すぎる三匹の命名式でした。

 さて、こうして名付けられた三匹が我が家の住人・・・住猫・・・でいられるためのクリアすべき課題なのですが。

 母猫とのコミュニケーションですっかり自分自身の潜在能力に開眼してしまった私は、俄然猫たちの躾に使命感を燃やしていました。
 生きとし生けるものには心と知性があるはずだから、それに届くよう誠意を尽くして対話することだという信念で・・・・。
  <鉄は熱いうちに打て>
  <動物の躾は飴と鞭>
  <虎穴に入らずんば虎児を得ず 猫と対話するには猫になりきること>
  <反復あるのみ 相手が根負けして受け入れざる得なくなるまでひたすら辛抱強く繰り返すこと・・・・何度でも 何度でも 出来るまで>
  <決して感情的にならず一貫した方針を崩さないこと その時の気分で許したり怒ったりしないこと 駄目なことは槍が降っても絶対駄目 >
  <猫であることの誇りと自信を尊重すること 猫なんだからできると相手が信じるまで >

 どのようにしてこれを実行したか、色々ありすぎて具体的に書けませんし、また言えば絶対に皆様・・・引いてしまわれるでしょうから秘密にします。
 が、語り尽くせぬ苦労の末、彼等は以下のような信じ難き賢猫へと変貌を遂げたのでした。
  <茶の間以外には決して一歩たりとも足を踏み入れない>
  <外から茶の間に入るときは汚れた足を雑巾で拭く>・・・・この躾は結構大変でしたが、ついには縁側に置いた雑巾の上で足踏みする三匹の姿を見ることとなりました・・・・これはまた後日詳しくご説明しましょう。
  <どんなにご馳走があっても、飼い主が与えるまでは絶対にねだったり、ましてや手を出したりしない>・・・食卓に飛び乗って食べ物に手を出すなどという卑しい行為は教養のない猫のすることだとしっかりと洗脳しましたので。
  <定められた場所で用をたす>・・・・父の許可をもらって、庭の一角に砂場を作りそこを定位置と決めました。むやみに庭を掘り返したりしたら大変だったからです。
  <池の鯉や金魚は大事に飼っているものだから手を出してはならないと言い含めた>・・・・これは理解できたのかどうか暫くは定かではありませんでした。・・・が、成功していたようで・・・これも後日譚に改めてご紹介します。
 
 この訓練の日々の合言葉は、<
犬に負けるな!>。

 犬のする芸、たとえばお預けなどは、三匹とも出来たのですが、でも私は基本的に芸を覚えさせることを好みませんでした。
 繰り返しますが、猫としての誇りを持ってもらいたいと思っていましたので。

 でも、どの猫でもこれだけのことが出来るかというと必ずしもそうでもないでしょうね。
 三匹とも偶然かなり優秀な素質を持っていたのかとも思われます。
 また、たぶん、彼らには出生からの追い目のようなものもあり、それをあの母猫から教え込まれていたのかもしれません。
 また、飼い主である私のほうにも、どうしても訓練せねばという切羽詰まった状況があり、それに情熱を傾ける時間的余裕があったことも原因でしょう。

 猫たちとの時間はこうして始まったのですが、思い出に刻まれていることは沢山ありますので、次回もまた彼らの様子を続いてお伝えしてみたいと思います。

 では、本日の 第四話「犬に負けるな」 はこれにて完と致します。

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紋次郎物語 ~ その三 母子の別れ ~

紋次郎
 GW、如何お過ごしですか?
 今日明日は上天気とのこと、新緑が眩しくて、この季節は光と風が体にも心にも沁み渡ってくる気がしますね。

新緑薫る
 5月は俄然アウトドア派になる私なのですが、この連休は珍しく自宅に陣取って、家の中に光と風を通しています。・・・・・所用の合間を縫いながら、しばらく放ったらかしだった家の片付けと大掃除・・・ご存じの通りの片付けフリークに今スイッチが入り、大騒ぎの真っ最中です。

 さてそんな中、またまたお待たせいたしました、紋次郎物語 第三話をお読みいただこうかと思います。

 その前に特記事項を。
 * 今日の『~その三 母子の別れ~』 は、おそらくこのシリーズ(?!)最大の山場となるでしょう。
 * そして<不思議満載>なのですが、神に誓って全て本当の事ですので、「うそだあ~~」などと、人を嘘つき呼ばわりすることなきよう、よろしくお願い致します。もしかしたら、こんな馬鹿げた話には付き合えないと呆れ果てる方も出てくるかもしれませんが、それは私も充分覚悟しています。

  その一 その二 からの続きですので、始めてお読みになる方や、もう忘れてしまわれた方は、こちらをクリックして復習してからお読み頂けるとよろしいかと。

  ~ その三 母子の別れ ~
 猫達が忽然と姿を消し、1~2カ月が過ぎた頃だったでしょうか?

 当時の我が家は、昔風の造りで、東側に向いて茶の間があり、ガラス戸を開けると、その向こうに縁側がありました。
 その日は、家中の窓を大きく開け放って風を通し、庭に沢山干し物をしていた記憶がありますので、梅雨が明け初夏となった心地よい頃だったのではないかと思います。
 お昼過ぎ、母の手伝いを終え、茶の間にゴロンと寛いでいたのですが、ふと、何か気配を感じて、目を上げると、庭の向こう側の真直ぐ奥に、久しぶりに見る母猫が端座していました。
 何も言わず、瞬きもせず、ただ目を見開いて、足を揃えてとても綺麗な姿勢でずっと遠くから私の方を見ています。
 私は、横になったまま猫から目をそらすことが出来なくなり、そのままじっとしていたのですが、そのうちいつの間にか、猫と同じような面持ちで正座していました。
 長い時間だったのか、あっという間だったのかよくわかりません。
 時が止まったような、不思議な沈黙が、私と猫との距離に流れていました。
 猫の目はとても落ち着いていて全く揺らぎがなく穏やかに見えました。

 しばらくそうしていて、突然、猫は真直ぐにこちらに近づいてきました。
 すっ、すっと、真正面から目を合わせたまま、全くひるむことなくゆっくりと歩いてきたのです。
 野良猫としての安全圏を保つ距離を、この母猫はこれまで侵すことは決してありませんでしたから、どんどん近づいてくる猫の姿は私には余りにも異様に思えましたし、猫がどうかしてしまったのか、ひょっとして突然凶暴になって襲われるのではないかという恐怖心がよぎったりもしました。
 でも、静かなのに何だか抗いがたい迫力があって、後ずさりして逃げたくなる衝動を抑えながらただ息を飲むだけで動くことも出来ませんでした。
 猫は近づいてきて、縁側に静かに飛び乗り、そこで止まって、またじっと私の方を真直ぐに見つめていました。
 茶の間に茫然と座っている私と、縁側に端座する猫。
 見つめ合って、手を伸ばせば届くような距離です。
 それから、猫は突然、ニャア~ニャア~と割と細く尾を引くような鳴き声でずっと鳴き続けました。
 今まで経験したことのない不思議な光景でした。
 10分、20分、その声はいつまでも止むことなく続いて、それを聴きながら、私は段々、奇妙な感覚になってきて、・・・・ここからは勝手な思い込みかもしれないのですが、母猫が明らかに何かを訴えていると確信していました。
 なぜそう思ったか、不思議なのですが、あの時、母猫は子猫たちのことを託しに来たのだと、今でも私は信じています。
 よく見ると、毛並みも色褪せて随分みすぼらしくなっていて、前よりずっとやせ細って衰えているのがわかりました。そのうちに声を嗄らし始めてきてそれでも鳴くのを止めません。病んだ最期の力を振り絞っているかのようにも思われてどこか不憫でなりませんでした。
 気が付くと、二階で仕事をしていた母が降りてきて、この異様な光景を一緒に見守っていました。
 しばらく二人共黙って、殆ど同時に、「子猫のことを頼んでいるに違いない」とぽつりと言い合いました。
 「これは引き受けてあげないと・・・」
 「仕方ないわね」と母も。

  ・・・・気が触れたと思わないで、もう少し読んで下さいね。

 「もうわかったから。もう鳴かなくて良いから。子猫は何とかしてあげるから。」と、猫に数回話しかけていました。
 猫は鳴き止み、そして驚くべきことに、茶の間にいる私と母のすぐ目の前にすっとやってきました。この猫が家の中に入ったのは、勿論これが初めてのこと、そしてころっとひっくり返ってお腹をみせたまま動かず、ゴロゴロと喉を鳴らし始めたのです。
 飼い猫なら嬉しい時によくするポーズでしょうが、野良猫として生きてきたこの猫にはあるまじきことですよね。
 「よしよしわかったから・・・大丈夫だから安心して・・・」などとまた言って、猫の頭とお腹を思わず撫でたのですが、猫は黙ってしばらくされるがままになっていました。

 やがて、起き上がり、そしてまたしばらく鳴いて、今度は背中を向けて真直ぐ振り返らず去ってゆきました。

 私がこの母猫を見たのはこれが最後です。

 翌日、申し合わせたように子猫たちが、我が家の庭に姿を見せました。
 四匹いたはずの子猫は、三匹になっていて、彼らを守ってくれていた母猫はもういません。

 
 どう思われますか?
 一緒にこの顛末を見届けた母とは今でも時々この不思議な話をし合います。
 弟はこの情景を見ることが出来なかったことをとても残念がっていますし、父も今度は「約束したなら仕方がない」といくつかの条件付きで世話をすることを許してくれました。・・・

 家族のこういう理解のもとに、子猫たちとの新しい生活が始まることになったのです。

 これは、とても変な話と思われるかもしれませんが、本当に私自身で体験したことなのです。
 そして私はこの母猫に、とても不思議な感動と親愛の情を今でも感じています。

 紋次郎物語は、まだ続いてゆくのですが、第三話「母子の別れ」はこれにて完とさせて頂きます。


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