
数日前の事になってしまいましたが、・・・27日の日曜日、台東区竜泉にある一葉記念館を訪ねました。
この日は嘗ての教え子たちとの会合、・・・・文学に造詣の深い若い女性達が毎年20~30名ほど集う、飛びきり楽しく、なお且つ学究的な素敵な会をここ数年開催しているのです。
今年は、午後のお食事会+講演会に加え、午前中にプチ文学散歩も加えた初めての試みでした。
一葉記念館・・・・樋口一葉です。
樋口一葉は明治5年に生まれ、明治29年、肺結核で24歳の短い生涯を閉じた薄幸の女流作家です。
17歳で既に女戸主として家計を支え、女性が小説家として世に出ることへの当時の根強い偏見の中にあって、貧困や病と闘いながら、今に残る不朽の名作を多く残しました。明治27年に発表された『おおつごもり』を初めとし、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』等の一葉の代表作の数々が<奇跡の14カ月>と言われる最晩年のわずか一年二ヶ月の間に執筆されています。
彼女は、安住の地を求めて、あちこちと住まいを移していますが、この一葉記念館のある下谷竜泉寺町では荒物駄菓子屋を営んで、十カ月間暮らしています。
当時の竜泉寺町は、新吉原遊郭と隣り合わせの地にあって、遊郭で働く女性たちや、遊郭相手に商売や内職をする貧しい人々が過酷な現実を生き抜いている、そんな町だったようです。
自らも生活苦を抱えながら、荒物雑貨や駄菓子を商う中で、彼女の小さな店に通ってくる人々との触れ合いやここでの見聞が、そのまま体験となって、代表作の『たけくらべ』の中に鮮やかに描かれました。
『たけくらべ』は、森鴎外に「此人にまことの詩人という稱(しょう)を於くることを惜まざるなり」と激賞され、小説家として高い評価を受けるに至った彼女の出世作です。
この小説の舞台が、ここでは今もそのまま愛着を持って大切に守られている、少しだけですが町を歩いてみて、そんな気がしました。
この日訪れた一葉記念館も、一葉の功績を後世に伝えようとする地元の有志の強い働きかけを受け、・・・・地元の方々の寄付金によって建築敷地が購入され・・・・そこに台東区が昭和36年に記念館を建てたのだと聞きました。
5年ほど前に改築され、今はとてもモダンに建て変わっているのですが、実はもっと古~い建物だった頃から、私は何回か訪れているのです。
昔からこの一葉記念館は、どこの文学館にもまして、作家への拘りと愛着が感じられ、展示や解説、職員の方達の対応にもそういう<気>というか、静かな<熱意>があり、漂う雰囲気が私はとても好きなので自然に足を運んでいたのかもしれません。
朝9時30分、地下鉄三ノ輪駅集合、十名でスタート。
真夏のような眩しい日差しで、こういう時には絶対日本晴れになる超晴れ女の私です。
歩き始めると、ハッピ姿が実によく似合うお兄さん、お姉さん、おじさん、おじいさんたちに次々と出会いました。
見るからに威勢のよい、浅草の下町っ子たちばかりです。
あまりの人出なので、浅草寺の三社祭かなと一瞬思いましたが、確かもう終わっているはず。よく見ると、千束稲荷神社の大祭のお知らせが。
今年は運よく、二年に一度の大祭なのでした。
京都もいつも何かしらのお祭りをやっていますが、でもどのお祭りも牛車に曳かれているようなゆったりまったりとしたテンポで、やはりさすが貴族の都、京都らしい文化の重みが感じられます。
これに比べて、関東、特に東京の下町のお祭りは江戸っ子気質満載で、キップが良いというか、シャキシャキなんですよね。そしてお兄さんもお姉さんもおじいさんも・・・皆とても気さくで、お祭りはハレの日、誰にでも親しげに声を掛け合いハイテンションです。
お祭りバージョンのワンちゃんと遭遇。
道行く人の人気の的。シャッター音が集中しても全く動じません。
神馬に乗った神主さんや、勇ましいお神輿にも早や遭遇。
ホントに賑やかでした。
その道すがら、一葉の旧居跡を示す碑があります。
15分くらい歩いて一葉記念館に到着する頃には、私たちはこの陽気な気分にすっかり気持ち良く染まっていました。
ようやく到着したと思ったら・・・・何と記念館の前が先ほどのお神輿と神馬のゴールで、正面の一葉記念公園がお祭りの本部になっていました。
そして記念館では、予めお願いしてあった台東区のボランティアガイドのお二人がとても熱心にわかりやすく、一葉と、新吉原の歴史や、この辺りの見どころ等を解説して下さいました。
その後、ゆっくりと館内の観賞。資料が充実していてやはりこの記念館はお薦めです。
二階の窓からは、外のお祭りの様子が見渡せ、展示を読みふけって一葉の文学に思いを馳せている間もずっと、お祭りに集まってきた人達の楽しそうな声と、陽気な祭囃子が聴こえてきました。
『たけくらべ』の主人公<美登利>が幼い頃から聴いていた祭囃子もこんなに心浮き立つ響きだったのでしょうか?
千束稲荷の大祭のシーンも小説に登場していて、期せずして臨場感あふれた素敵な文学散歩となりました。
遊女達が逃亡しないようにと掘られた、お歯黒溝(おはぐろどぶ)と呼ばれる堀(ほり)に囲まれた2万坪余りある新吉原の遊興の地には、当時、遊女たちの悲喜劇がどれほど繰り広げられていたことでしょう。(お歯黒溝は今は勿論、埋め立てられて道路になっていますが。)
遊女の姉を持つ主人公の<美登利>も、程なく同じ道を辿ることを運命づけられた少女で、それゆえにこそ、幼馴染のお寺の子、<信如>との淡い初恋の物語が儚く美しく感じられるのでしょうね。
無邪気に子供同士で遊んだ頃の祭囃子は、<美登利>が積み重ねてゆく月日の中で、夢のように響き続けたのでしょうか?
観終わって、記念館の前で皆で記念写真を撮ろうとしていたら、正面のお祭り本部のおじ様達が親しげに声をかけて下さいました。袴姿の一人の方が「私も一緒に!」と一枚。プライベートフォトですので、公開は控えますが、皆の顔は本当に楽しげです。
「今日、一葉さんを訪ねて下さったのも何かのご縁だから」と、お祭りのお供物を皆で頂いてしまいました。
つきたてのお餅が二つ入っていました!!
確かにこれもご縁。予定を変更してすぐ近くの千束稲荷神社に参拝に行くことに。
この近辺を練り歩くお神輿。「お姉さん達も神輿かついだら!」と声をかけられ、私たちの数人も飛び入り参加させていただきました。めったにない経験でした。
千束稲荷神社はお神輿が出張中で、静かでした。
境内にある一葉の胸像。これは最近のもののようです。
近くには、遊女達ゆかりの吉原神社、吉原大門跡、見返り柳、そして吉原の遊女たち2万人が葬られているという浄閑寺、お酉(とり)さまで知られる鷲(おおとり)神社、<信如>の暮らした龍華寺のモデルと言われている大音寺など、文学散歩の見どころが沢山ありますので、一葉の文庫本を片手にいつかいらしてみて下さい。
本当は、スカイツリーを眺めながら浅草に出て、文学散歩に参加できなかった方達の待つ次の会場に向かう予定だったのですが、22日にスカイツリーが公開され、浅草近辺は連日20万人を超える人出だと報道されていたので、<君子危うきに近寄らず>、コース変更し、この日はツリーは見ずじまいでした。
浅草と組み合わせて1日がかりでゆっくりというのも良さそうです。
午後も充実したとても素敵な会だったのですが、長くなりますので!
いつか機会があればご紹介しますね。
この日は嘗ての教え子たちとの会合、・・・・文学に造詣の深い若い女性達が毎年20~30名ほど集う、飛びきり楽しく、なお且つ学究的な素敵な会をここ数年開催しているのです。
今年は、午後のお食事会+講演会に加え、午前中にプチ文学散歩も加えた初めての試みでした。

樋口一葉は明治5年に生まれ、明治29年、肺結核で24歳の短い生涯を閉じた薄幸の女流作家です。
17歳で既に女戸主として家計を支え、女性が小説家として世に出ることへの当時の根強い偏見の中にあって、貧困や病と闘いながら、今に残る不朽の名作を多く残しました。明治27年に発表された『おおつごもり』を初めとし、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』等の一葉の代表作の数々が<奇跡の14カ月>と言われる最晩年のわずか一年二ヶ月の間に執筆されています。

彼女は、安住の地を求めて、あちこちと住まいを移していますが、この一葉記念館のある下谷竜泉寺町では荒物駄菓子屋を営んで、十カ月間暮らしています。
当時の竜泉寺町は、新吉原遊郭と隣り合わせの地にあって、遊郭で働く女性たちや、遊郭相手に商売や内職をする貧しい人々が過酷な現実を生き抜いている、そんな町だったようです。
自らも生活苦を抱えながら、荒物雑貨や駄菓子を商う中で、彼女の小さな店に通ってくる人々との触れ合いやここでの見聞が、そのまま体験となって、代表作の『たけくらべ』の中に鮮やかに描かれました。
『たけくらべ』は、森鴎外に「此人にまことの詩人という稱(しょう)を於くることを惜まざるなり」と激賞され、小説家として高い評価を受けるに至った彼女の出世作です。
この小説の舞台が、ここでは今もそのまま愛着を持って大切に守られている、少しだけですが町を歩いてみて、そんな気がしました。
この日訪れた一葉記念館も、一葉の功績を後世に伝えようとする地元の有志の強い働きかけを受け、・・・・地元の方々の寄付金によって建築敷地が購入され・・・・そこに台東区が昭和36年に記念館を建てたのだと聞きました。
5年ほど前に改築され、今はとてもモダンに建て変わっているのですが、実はもっと古~い建物だった頃から、私は何回か訪れているのです。
昔からこの一葉記念館は、どこの文学館にもまして、作家への拘りと愛着が感じられ、展示や解説、職員の方達の対応にもそういう<気>というか、静かな<熱意>があり、漂う雰囲気が私はとても好きなので自然に足を運んでいたのかもしれません。
朝9時30分、地下鉄三ノ輪駅集合、十名でスタート。
真夏のような眩しい日差しで、こういう時には絶対日本晴れになる超晴れ女の私です。
歩き始めると、ハッピ姿が実によく似合うお兄さん、お姉さん、おじさん、おじいさんたちに次々と出会いました。
見るからに威勢のよい、浅草の下町っ子たちばかりです。

あまりの人出なので、浅草寺の三社祭かなと一瞬思いましたが、確かもう終わっているはず。よく見ると、千束稲荷神社の大祭のお知らせが。
今年は運よく、二年に一度の大祭なのでした。
京都もいつも何かしらのお祭りをやっていますが、でもどのお祭りも牛車に曳かれているようなゆったりまったりとしたテンポで、やはりさすが貴族の都、京都らしい文化の重みが感じられます。

お祭りバージョンのワンちゃんと遭遇。
道行く人の人気の的。シャッター音が集中しても全く動じません。
神馬に乗った神主さんや、勇ましいお神輿にも早や遭遇。
ホントに賑やかでした。


その道すがら、一葉の旧居跡を示す碑があります。

ようやく到着したと思ったら・・・・何と記念館の前が先ほどのお神輿と神馬のゴールで、正面の一葉記念公園がお祭りの本部になっていました。
そして記念館では、予めお願いしてあった台東区のボランティアガイドのお二人がとても熱心にわかりやすく、一葉と、新吉原の歴史や、この辺りの見どころ等を解説して下さいました。
その後、ゆっくりと館内の観賞。資料が充実していてやはりこの記念館はお薦めです。
二階の窓からは、外のお祭りの様子が見渡せ、展示を読みふけって一葉の文学に思いを馳せている間もずっと、お祭りに集まってきた人達の楽しそうな声と、陽気な祭囃子が聴こえてきました。
『たけくらべ』の主人公<美登利>が幼い頃から聴いていた祭囃子もこんなに心浮き立つ響きだったのでしょうか?
千束稲荷の大祭のシーンも小説に登場していて、期せずして臨場感あふれた素敵な文学散歩となりました。

遊女達が逃亡しないようにと掘られた、お歯黒溝(おはぐろどぶ)と呼ばれる堀(ほり)に囲まれた2万坪余りある新吉原の遊興の地には、当時、遊女たちの悲喜劇がどれほど繰り広げられていたことでしょう。(お歯黒溝は今は勿論、埋め立てられて道路になっていますが。)
遊女の姉を持つ主人公の<美登利>も、程なく同じ道を辿ることを運命づけられた少女で、それゆえにこそ、幼馴染のお寺の子、<信如>との淡い初恋の物語が儚く美しく感じられるのでしょうね。
無邪気に子供同士で遊んだ頃の祭囃子は、<美登利>が積み重ねてゆく月日の中で、夢のように響き続けたのでしょうか?
観終わって、記念館の前で皆で記念写真を撮ろうとしていたら、正面のお祭り本部のおじ様達が親しげに声をかけて下さいました。袴姿の一人の方が「私も一緒に!」と一枚。プライベートフォトですので、公開は控えますが、皆の顔は本当に楽しげです。

「今日、一葉さんを訪ねて下さったのも何かのご縁だから」と、お祭りのお供物を皆で頂いてしまいました。
つきたてのお餅が二つ入っていました!!
確かにこれもご縁。予定を変更してすぐ近くの千束稲荷神社に参拝に行くことに。
この近辺を練り歩くお神輿。「お姉さん達も神輿かついだら!」と声をかけられ、私たちの数人も飛び入り参加させていただきました。めったにない経験でした。
千束稲荷神社はお神輿が出張中で、静かでした。
境内にある一葉の胸像。これは最近のもののようです。


近くには、遊女達ゆかりの吉原神社、吉原大門跡、見返り柳、そして吉原の遊女たち2万人が葬られているという浄閑寺、お酉(とり)さまで知られる鷲(おおとり)神社、<信如>の暮らした龍華寺のモデルと言われている大音寺など、文学散歩の見どころが沢山ありますので、一葉の文庫本を片手にいつかいらしてみて下さい。
本当は、スカイツリーを眺めながら浅草に出て、文学散歩に参加できなかった方達の待つ次の会場に向かう予定だったのですが、22日にスカイツリーが公開され、浅草近辺は連日20万人を超える人出だと報道されていたので、<君子危うきに近寄らず>、コース変更し、この日はツリーは見ずじまいでした。
浅草と組み合わせて1日がかりでゆっくりというのも良さそうです。
午後も充実したとても素敵な会だったのですが、長くなりますので!
いつか機会があればご紹介しますね。


