
昨年暮れからコンサート準備に掛かりっきりで、なぜかその後もハイピッチで走り続けていた感があり、<GWも働いていたし・・・・よおし・・>と、ここで一休み、遊びに行くことにしました。
大好きな落葉松を見に・・・信州にやはり足が向きます。
夏と秋の軽井沢を以前ご紹介したことですし、どうしてもここは、芽吹き始めた新緑の落葉松ですね。
『ほつれ髪の女』をみた余韻が続き、美術館を巡るのも良いかと、・・・今回は松本から安曇野にまず向かいました。
白馬連峰に囲まれた、松本盆地の北西部、梓川の扇状地に位置する安曇野、・・・美しい流水、その中に続くわさび田、美味しいお蕎麦、清澄な大気、道の傍らの道祖神、降り注ぐ光・・・・絵のように美しい情景が浮かんできます。
最近はNHKの朝ドラ『おひさま』の舞台となって脚光を浴びましたね。確かヒロインの陽子ちゃんが嫁いだ先も手打ち蕎麦屋さんだったのでは。
私は信州は本当に大好きで、かなりあちこち学生の頃から訪れて小さな山登りなどもしていました。安曇野もこれまでに何回も足を運んだ場所です。
眩しく光る残雪の穂高を仰ぎ見ながら、まずは碌山(ろくざん)美術館に。
碌山美術館
穂高山麓、北アルプスの山々を借景としてその風景の中に溶け込むような静かな佇まいを見せています。
久しぶりの碌山美術館、石作り、教会風の建物自体がもう既に心魅かれる美術品のようです。
いつも観光客で賑わってしまうのに、どうしたわけか、人の姿もまばらでした。GWと夏休みの間の何でもないこの時期は、ゆっくりと静寂を味わう絶好のタイミングだったのかもしれません。
杜江(もりえ)の水と書かれてありました。
美術館の庭に手の切れそうな冷たい穂高からの雪解けの湧水が、かすかな水音を響かせます。絡みつくツタの葉も柔らかいさみどり色で、五月半ばのこの季節ならではの静謐な美しさです。
折しも建物の三角屋根に教会の鐘楼のように据え付けられた鐘の音が鳴り出して・・・・数えたら12回。ちょうど12時になっていました。
心清めて、祈りの場に向かう促しを受けたように感じました。
入口に <LOVE IS ART STRUGGLE IS BEAUTY>(愛は芸術 相克は美)の言葉が刻まれて。
碌山・・・萩原守衛(おぎはらもりえ)は1879年(明治12年)にこの地、穂高に生まれて、わずか30歳でその生涯を閉じた彫刻家です。
22歳で渡米し、ニューヨーク、その後パリで絵画を学びましたが、ロダンの『考える人』に邂逅して衝撃を受け、ロダンのアトリエに通い教えを請うようになります。
1908年(明治41年)29歳、帰国し次々に作品を発表しますが、その二年後30歳で急逝してしまいました。
高村光太郎、戸張孤雁等、後に近代彫刻の祖となる優れた彫刻家らとも親交が深く、彼らに大いなる影響を与えた、まさに日本の近代彫刻の先駆者です。
絵葉書ですが館内の写真です。
2年間というあまりに短い創作活動の中で彼は、日本彫刻史上最高傑作と称される『女』を始め15点の作品を残しましたが、それらの作品がこのように、時を超え、今静かに見る者を迎え入れてくれます。
碌山の友人や系譜に繋がる彫刻家、画家の作品が集められた第2展示棟を外から写してみました。
扉が開かれて作品が垣間見え、眩しい戸外と一体になり美しいです。
第3展示棟まであり、碌山をめぐる人々との親交、当時の美術・文学の様相も詳細に示され、とても充実した展示だったのですが、昔愛読していた様々な文学の世界までもが心に一気に蘇ってきました。
家に帰ったら、本棚の奥に埋もれている何冊かを早速再読しようなどと思いつつ、美術館を後に。
お腹が空きました。・・・美術館のすぐ側に「手打ちそば」の看板が。
美味しそうな感じだったので、迷わず入ってみました。
お隣の一人旅っぽい若い女性の前に、通常の3倍くらいはありそうな大盛りのざるそばが運ばれてきました。見かけによらず・・・と思っていましたら彼女のだけでなく・・・・そう言えば安曇野のお蕎麦屋さんはたっぷりサイズと聞いたことがあります。
私は「冷やしわさびそば」というのを注文したのですが、とても美味しかったです。
冷たいつゆの中のおそばに、すりおろしたわさびと、ほろ苦いわさびの葉の漬け物がたっぷり乗っていて、これぞ安曇野の味という気がしました。機会があったら是非お薦めです。
安曇野ちひろ美術館
『いわさきちひろ』さん、名前と結びつかなくても絵を見ればたぶん誰でもわかるのではないかと思われる高名な絵本作家です。
1974年に55歳で亡くなられてもう40年近く経っていますが、今もまだ再版が繰り返され、その人気は衰える事がなく、世界初の絵本専門美術館といわれる、東京石神井の『ちひろ美術館』とこの『安曇野ちひろ美術館』には訪れる人が後を絶たないようです。
子供と花々をメインテーマとして、9300点もの作品を残したというだけあって、館内の図書室に置かれている絵本・童話を手に取って見ただけでも幼少期に確かに読んだ沢山の本があり、その挿絵も記憶の中に鮮明に残っていて、殊の外懐かしく感じました。
彼女自身のオリジナルの童話や絵本、そして国内外の様々な作家たちの童話、物語、小説に添えた挿絵・・・それぞれの作品の鑑賞は勿論のこと、戦前戦後を生きた<いわさきちひろ>という一人の女性の、画家として児童文学者として、母として妻としての軌跡が愛情深い目で分析・解説され、充実した展示となっていますし、色々な工夫がなされた子供の部屋等もあって、大人も子供も共に楽しめ豊かな気持ちを蘇らせてくれる良質の美術館であり文学館であるという気がしました。
とにかく広々とした敷地で、開放的な館内に風と光が入り抜群に気持ちが良いのです。お昼寝用のリクライニングチェアまで、テラスにいくつもおかれていて、近くに住んでいたら毎日でもお昼寝に通ってしまうかもしれません。
観終わってカフェで一休み。
穂高の残雪が光に反射しています。遮るもののない景観を楽しみながら、ちひろさんの好物だったといういちごババロアを注文しました。さっぱりとしたロマンチックな味です!
幸せな気分で、帰路の道すがら更に、観光のメッカ、大王わさび農場に立ち寄ることにしました。
大王わさび農場
二つの美術館が、人が少なかったので、すっかりその気になっていましたら、さすがここまで来ると観光バスなどが連なっていましたが、めげずに少しだけ散策して見ることにしました。
『おひさま』のスチール写真みたいですね。
でも、一面に広がるわさび畑をしばらく行くと、目の前にこんな涼しげな景色が広がってきました。
水車小屋、水底に揺れる水藻、かなり早い渓流の流れ。
そしてどこまでも続くわさび畑。
黒いシートは、真夏の日よけかと思っていましたが、繊細なわさびの根と清浄な渓流を保護するためでしょうか、一年中かけられているのですね。隙間からわさびの瑞々しい青葉と白い小さな花が見えます。
道の傍らには優しげな道祖神。
夏のような眩しい日差しと、爽やかに吹き抜ける風の中の安曇野で過ごした、とても贅沢な一日でした。
そして軽井沢へ向かう続きは、次回また載せたいと思います。
どうぞお楽しみに。
大好きな落葉松を見に・・・信州にやはり足が向きます。
夏と秋の軽井沢を以前ご紹介したことですし、どうしてもここは、芽吹き始めた新緑の落葉松ですね。
『ほつれ髪の女』をみた余韻が続き、美術館を巡るのも良いかと、・・・今回は松本から安曇野にまず向かいました。
白馬連峰に囲まれた、松本盆地の北西部、梓川の扇状地に位置する安曇野、・・・美しい流水、その中に続くわさび田、美味しいお蕎麦、清澄な大気、道の傍らの道祖神、降り注ぐ光・・・・絵のように美しい情景が浮かんできます。
最近はNHKの朝ドラ『おひさま』の舞台となって脚光を浴びましたね。確かヒロインの陽子ちゃんが嫁いだ先も手打ち蕎麦屋さんだったのでは。
私は信州は本当に大好きで、かなりあちこち学生の頃から訪れて小さな山登りなどもしていました。安曇野もこれまでに何回も足を運んだ場所です。
眩しく光る残雪の穂高を仰ぎ見ながら、まずは碌山(ろくざん)美術館に。
碌山美術館
穂高山麓、北アルプスの山々を借景としてその風景の中に溶け込むような静かな佇まいを見せています。
久しぶりの碌山美術館、石作り、教会風の建物自体がもう既に心魅かれる美術品のようです。


いつも観光客で賑わってしまうのに、どうしたわけか、人の姿もまばらでした。GWと夏休みの間の何でもないこの時期は、ゆっくりと静寂を味わう絶好のタイミングだったのかもしれません。

美術館の庭に手の切れそうな冷たい穂高からの雪解けの湧水が、かすかな水音を響かせます。絡みつくツタの葉も柔らかいさみどり色で、五月半ばのこの季節ならではの静謐な美しさです。
折しも建物の三角屋根に教会の鐘楼のように据え付けられた鐘の音が鳴り出して・・・・数えたら12回。ちょうど12時になっていました。
心清めて、祈りの場に向かう促しを受けたように感じました。
入口に <LOVE IS ART STRUGGLE IS BEAUTY>(愛は芸術 相克は美)の言葉が刻まれて。
碌山・・・萩原守衛(おぎはらもりえ)は1879年(明治12年)にこの地、穂高に生まれて、わずか30歳でその生涯を閉じた彫刻家です。
22歳で渡米し、ニューヨーク、その後パリで絵画を学びましたが、ロダンの『考える人』に邂逅して衝撃を受け、ロダンのアトリエに通い教えを請うようになります。

高村光太郎、戸張孤雁等、後に近代彫刻の祖となる優れた彫刻家らとも親交が深く、彼らに大いなる影響を与えた、まさに日本の近代彫刻の先駆者です。
絵葉書ですが館内の写真です。
2年間というあまりに短い創作活動の中で彼は、日本彫刻史上最高傑作と称される『女』を始め15点の作品を残しましたが、それらの作品がこのように、時を超え、今静かに見る者を迎え入れてくれます。

碌山の友人や系譜に繋がる彫刻家、画家の作品が集められた第2展示棟を外から写してみました。
扉が開かれて作品が垣間見え、眩しい戸外と一体になり美しいです。
第3展示棟まであり、碌山をめぐる人々との親交、当時の美術・文学の様相も詳細に示され、とても充実した展示だったのですが、昔愛読していた様々な文学の世界までもが心に一気に蘇ってきました。
家に帰ったら、本棚の奥に埋もれている何冊かを早速再読しようなどと思いつつ、美術館を後に。
お腹が空きました。・・・美術館のすぐ側に「手打ちそば」の看板が。
美味しそうな感じだったので、迷わず入ってみました。
お隣の一人旅っぽい若い女性の前に、通常の3倍くらいはありそうな大盛りのざるそばが運ばれてきました。見かけによらず・・・と思っていましたら彼女のだけでなく・・・・そう言えば安曇野のお蕎麦屋さんはたっぷりサイズと聞いたことがあります。
私は「冷やしわさびそば」というのを注文したのですが、とても美味しかったです。
冷たいつゆの中のおそばに、すりおろしたわさびと、ほろ苦いわさびの葉の漬け物がたっぷり乗っていて、これぞ安曇野の味という気がしました。機会があったら是非お薦めです。
安曇野ちひろ美術館
『いわさきちひろ』さん、名前と結びつかなくても絵を見ればたぶん誰でもわかるのではないかと思われる高名な絵本作家です。


1974年に55歳で亡くなられてもう40年近く経っていますが、今もまだ再版が繰り返され、その人気は衰える事がなく、世界初の絵本専門美術館といわれる、東京石神井の『ちひろ美術館』とこの『安曇野ちひろ美術館』には訪れる人が後を絶たないようです。

子供と花々をメインテーマとして、9300点もの作品を残したというだけあって、館内の図書室に置かれている絵本・童話を手に取って見ただけでも幼少期に確かに読んだ沢山の本があり、その挿絵も記憶の中に鮮明に残っていて、殊の外懐かしく感じました。
彼女自身のオリジナルの童話や絵本、そして国内外の様々な作家たちの童話、物語、小説に添えた挿絵・・・それぞれの作品の鑑賞は勿論のこと、戦前戦後を生きた<いわさきちひろ>という一人の女性の、画家として児童文学者として、母として妻としての軌跡が愛情深い目で分析・解説され、充実した展示となっていますし、色々な工夫がなされた子供の部屋等もあって、大人も子供も共に楽しめ豊かな気持ちを蘇らせてくれる良質の美術館であり文学館であるという気がしました。


とにかく広々とした敷地で、開放的な館内に風と光が入り抜群に気持ちが良いのです。お昼寝用のリクライニングチェアまで、テラスにいくつもおかれていて、近くに住んでいたら毎日でもお昼寝に通ってしまうかもしれません。
観終わってカフェで一休み。

穂高の残雪が光に反射しています。遮るもののない景観を楽しみながら、ちひろさんの好物だったといういちごババロアを注文しました。さっぱりとしたロマンチックな味です!
幸せな気分で、帰路の道すがら更に、観光のメッカ、大王わさび農場に立ち寄ることにしました。
大王わさび農場
二つの美術館が、人が少なかったので、すっかりその気になっていましたら、さすがここまで来ると観光バスなどが連なっていましたが、めげずに少しだけ散策して見ることにしました。


『おひさま』のスチール写真みたいですね。
でも、一面に広がるわさび畑をしばらく行くと、目の前にこんな涼しげな景色が広がってきました。
水車小屋、水底に揺れる水藻、かなり早い渓流の流れ。


そしてどこまでも続くわさび畑。
黒いシートは、真夏の日よけかと思っていましたが、繊細なわさびの根と清浄な渓流を保護するためでしょうか、一年中かけられているのですね。隙間からわさびの瑞々しい青葉と白い小さな花が見えます。

道の傍らには優しげな道祖神。
夏のような眩しい日差しと、爽やかに吹き抜ける風の中の安曇野で過ごした、とても贅沢な一日でした。
そして軽井沢へ向かう続きは、次回また載せたいと思います。
どうぞお楽しみに。


