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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

紋次郎物語 ~その八 紋次郎との日々~

 
池の傍の紋次郎 夏越の祓、・・・<なごしのはらえ>と読みます。
 今日は6月30日、一年の前半が済んだところで、この半年間の身の穢れや災いを祓い、残りの半年を更に大過なく過ごそうという願いが込められた行事が、京都でも沢山の神社で執り行われています。
 「茅の輪(ちのわ)くぐり」っていうのですが、ご存知ですか?
 北野天満宮の茅の輪が京都では最大の大きさだと聞きましたが、上賀茂神社や車折神社等の茅の輪くぐりも人気スポットですので、今日はさぞ賑わっているのではないでしょうか?

 緑濃い岡崎神社 夏越の祓の茅の輪
 ・・・他人事のように言って、猛暑の中、今日は涼しい顔で家に籠っております。
 実は、数日前、近くまで出掛けた折、平安神宮の側の岡崎神社で、しっかりと、
 「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延というなり(みなづきの なごしのはらへするひとは ちとせのいのち のぶといふなり)」
と唱えながら、古式に乗っ取り三回、茅で作った輪をくぐってきました。日にちが早かったので、境内はとても空いていましたし、禊(みそぎ)も済ませ、これで諸事災難を免れて、今年も後半年元気一杯で過ごせる筈です!!
 後は、6月30日必須の和菓子<水無月>を買ってきて食べればパーフェクトです。

さて、今日も「紋次郎物語」・・・その八になりましたね。続きをお届けしたいと思います。


   ~その八 紋次郎との日々~
 前回に続いて紋次郎のエピソードをご紹介してゆくことに致します。
 思いつくまま、筆の進むままで、随分散漫な文章なのですが、ご容赦下さいね。


   猫と言葉
 以前の記事でご紹介しましたが、小説家阿部昭氏は、エッセイ『猫に名前をつけすぎると』の中で、「色々な名前で適当に呼ぶと、猫は自分の名前が何だか分からなくなって混乱してしまい、最後には呼んでも反応しなくなるから、一つの名前だけで呼んだほうが良い」と書いておられるのですが、その意味で言うと我が家の猫達は、実に可哀そうだったのではと思うのです。
 
 紋次郎はというと、<もんじろう君><もんじろう><もんちゃん><もんち><じろうちゃん><もんちっち>・・・あとは覚えていませんが、みんなで、その時の気分に任せ、言いたい放題に呼びまくっていました。
 けれど、どうやら、この全てが自分のことを指す言葉だと、紋次郎は明確に理解していたようです。
 「目は口ほどに物を言い」と言いますが、<紋次郎>の場合は、目の表情と共に、耳と尻尾が、敏感に感情を表現していて、こちらの言葉を察知した時は、まず耳が瞬時に立ち、それと同時に尻尾がピクピクと動くので、彼が意識しているかどうかがすぐ伝わるのです。

紋次郎
 「声に反応しているだけなのでは?」とか、「呼びかける音のイントネーションやアクセントの調子で判断できるのでは?」とか推測が飛び交いましたので、ではまたまた実験を・・・というわけで、弟と二人、紋次郎に背を向けたまま、普通の世間話の中に、極々淡々と、「じろう」とか「もんち」とかいう言葉をさりげなく差しはさんでみたり、色々なバリエーションで暇人ぽい実験を試みたのですが、敵もさるもの、やはりこちらにお尻を向けているくせに、自分の名前が出てくる瞬間、尻尾をピピッと動かして、ニャアと一声、ほとんどパーフェクトに反応するのでした。
 
 更に高度な実験へと移り、・・・・彼は「紋次郎は本当におりこうさんだ」と言われるのが至上の喜びらしくて、このように褒められると、決まって後ろをプイと向いて聴こえないふりをするのに、尻尾がグルグル留まることなく廻って、「嬉しいよお。もっと言って~~!」と叫んでいるのが明々白々なので、ではとばかり、<「紋次郎は本当におりこうさんだ」と「紋次郎はお馬鹿で困ったものだ」とを聞き分けられているのか実験>も同じようなパターンで行ってみたことがありました。結果は、皆様、信じ難いでしょうけれど、本人の目を見てしっかり思いを込めて言った時とほぼ同じ位の抜群の的中率でした。
 「お馬鹿・・・」の方は、可哀そうなくらいしょんぼりとうなだれて、遊びでこういうことをしてはいけないと、こちらが思い知らされたものでした。

 動物も人と一緒に暮らしていると、いつの間にか人間の言葉を理解するようになるものなのかなと思います。
 動物にも個性と能力には個体差がありますし、人の感情に敏感な性格なのかどうかにもよるようですが、<紋次郎>の場合は、割と初めからそういう傾向があり、それが月日が経つにつれ研ぎ澄まされてきたみたいです。(また後日、違うエピソードの中でこのお話をしてみますが)

   交遊録
 <猫の集会>ってご存知でしょうか。
 猫は犬のように群れを作らない、孤高の動物ですが、それでもテリトリーははっきりしているらしく、縄張りの中での力関係や、それに伴う約束事も存在するようなのです。
 <紋次郎>は飼い猫になったとは言っても、自由に外を駆け巡るノラの世界にも逞しく生きていましたので、夜になるとたぶん・・・集会に出掛けてゆきました。
 負けん気の強い性格と、敏捷且つ頑強な体とで、段々とボス猫になっていったのではと思われます。・・・勿論詳しくはわかりませんけれど、・・・色々な猫と一緒にいて偉そうな顔をしている<紋次郎>と外で鉢合わせしたことが何回かあったのですが、そんな時の<紋次郎>は、完全に私を無視した素知らぬ顔で、思春期の男の子の照れ隠しのようで何だか面白かったです。家に戻ってくると、急に猫なで声で甘えてみたりして、彼の魂胆は見え見え、本当になんというか、人間臭い憎めない猫でした。

 どこからか見慣れない猫が<紋次郎>を訪ねてくることも頻繁でした。相手の猫はおどおどして、親分への挨拶回りにきたような様子をしていました。
 その中には牝猫も時々いるようで、<紋次郎>の気を引こうとしているのがよくわかり、それが色々な彼女に変わり、随分彼はもてていたみたいです。
 こういう自然の儘の生活は、きっと、猫としては幸せだったのではないでしょうか。

   やんちゃ者の日々
 *食いしん坊で、好奇心旺盛な性格なので、きっと外で変なものをつまみ食いしていたのかもしれません。お腹をこわすことがとても多くて、そのつど、げっそりと見る影もなくやつれて、心配をかけるのですが、回復すると喉元過ぎればで、本当に懲りない困った子でした。
 <猫吉>は全くそんなことはなかったので、同じ親から生まれたのにと、とても不思議な気がします。

 *食事の時だけ戻ってきて、すぐ矢のように飛び出してゆき、血を流して傷だらけになって帰ってくることも、一年に数回ありました。
 猫の恋の時・・・かな?・・・他の雄猫と恋の鞘当てをしていたようです。
 何回治療をしてやったことか、そんな時はぼおっと脱力したまま、大人しく身を任せていて、本当に困った子でしたが、まさに<紋次郎>で、どこか可愛くもありました。

 *お隣の家のガレージに入り込んだまま、閉じ込められて4日も飲まず食わずで、危うく死にかけたことなどもありましたし、・・・<紋次郎>のこの手の思い出は山のように浮かんできます。でも、色々な出来事をすり抜けながら、共に月日を過ごしていったのは、やはりそういう縁があったのかなと今、懐かしく思っています。

 さて、この連載ももうすぐ終わりになりますが、まだあと少しだけ続きを書きますので、どうぞ最後までご一緒に見届けてくださいね。


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紋次郎物語~その七<紋次郎>の幼少期~

池の傍の紋次郎 昨日の日曜日、東京での所用を終え、逗子の実家に向かいました。
 <いざ、あじさい寺明月院へ>とばかりに、普段は閑静な北鎌倉の駅周辺も散策の人の波に溢れていました。
 北鎌倉・鎌倉・逗子、この時期、街は紫陽花がしっくりと似合っています。

 実家では連載中の『紋次郎物語』の話題沸騰中!
 なんといってもノンフィクション、我が家族達は、リアルタイムでこの物語の渦中に居たわけですので、「そうだったよねえ。あのときは・・・」と思い出話に花が咲き・・・・。

 さて、お待たせいたしました。
 今日はいよいよタイトルにもなっています、<紋次郎>の登場です。

   ~ その七<紋次郎>の幼少期 ~
 母猫から託された三匹の子猫ですが、<まだら>は1年足らずで他界し、<猫吉>は6~7年共に暮らして姿を消した、ということは既にお話しした通りです。
 <紋次郎>は15年余りという長きにわたる歳月を家族の一員として過ごしました。長い月日の中で、思い出は語り尽くせない程ありますので、紋次郎編は、数回にわけてお話ししてゆこうかと思います。

   風来坊
 幼少期の<紋次郎>ですが。
 「三つ子の魂」なのか、ノラ猫魂が心底沁みついていて、それが、しぐさにも風貌にも滲み出ているという感じの子猫でした。
紋次郎1 
 とにかくすばしっこい。
 小さい頃の<紋次郎>は、いつ見ても走り回っていた気がします。
 それが本当に速いのです。
 庭、木の上、屋根の上、いつもそこらじゅうを縦横無尽に駆けていて、「今、黒いものが横切った・・・ような??・・・ひょっとして<紋次郎>?」という漫画みたいな台詞があながち誇張ではない日常だったのです。
 何事もスローペースの<猫吉>とは余りにも対照的すぎて、笑ってしまうくらい正反対でした。

 なかなか人に慣れず、いつも警戒心の強いギラギラした目をして、何かあれば飛びかかってきそうな勢いで、遠巻きに睨んでいました。
 こちらが敵ではないことを納得させ、家族の一員であるという本人の自覚を促し、やがて愛情を交わし合うようになるまで、かなり手ごわかったです。
 とは言っても、食いしん坊、大食漢の<紋次郎>で、ましておチビちゃんの頃ですから、程なく食べ物に釣られて、割とあっけなく、こちらの術中に嵌まることになるのですが、最初の頃は、つまみ食いの得意な子供と果てしなくおっかけっこをしている気分になったものです。

 ここで今頃、彼の悪業を暴露するのもなんですが、途中休憩を挟みゆっくりゆっくり食事をする<猫吉>の分もさっとかすめ取ることなどしょっちゅうで、そういう時は<猫吉>贔屓の弟に「もんじろう~~~!!」と思いっきり叱責されていました。

   風貌
 走る姿はヒョウのように俊敏なのですが、座っているとタヌキのような、モコモコの毛並みの長毛種で、他の兄弟たちとは全く違う、エキゾチックな顔立ちの猫でした。
毛を立てた紋次郎 
 緊張・興奮している時や、悪だくみしながら何かを狙っているときなどは、体中の毛が逆立って、ハリネズミみたいに体が膨らんで、なかなか精悍なのです。・・・・大人になり、段々リラックスしてくるにつれ、毛の逆立つ頻度は激減してきましたが。

夏は、涼しげにすっきりと夏毛に生え変わり、別人(猫)のように、穏やかな風貌に見えていました。
夏毛で涼しげな紋次郎 

 <紋次郎>の目の表情が今でも忘れられません。
 『本物は誰だクイズ』ではありませんが、もし、100匹位の猫の目の写真を見せられたとしても、その中から<紋次郎>の目を瞬時に選び出せる自信が私にはあります。
 それほど、<紋次郎>には、気持がよく表れる表情豊かな眼力があり、そして、実はとても繊細な神経を持った賢い猫だったのではと思っています。
 彼の目の奥に、いつも寂しさや人恋しさを感じていました。
 人の感情を素早く読み取って、特に自分に対する好意とか愛情に人一倍敏感だった気がします。でもひねくれ風来坊の気質が邪魔してストレートに甘えられない、ちょっと因果なそんな猫だったのかもしれません。


   居場所
 <紋次郎>の好きだった場所。
 塀の上。 物置の上。 屋根の上。 木の上。 池の縁。
塀の上の紋次郎 
 よく、高い木の上に、鳥のように止まっていました。木のぼり上手でスルスルとあっという間に木のてっぺんに登りついて皆を驚かしたものです。
 そういえば赤ちゃん猫の頃、2~3回、余りに高く登りすぎて降りられなくなって、救出に難儀したこともありました。
 
 塀の上、置物のような<紋次郎>。

 池の縁は紋次郎のお気に入りの定位置でした。

   ジャンプ二題
 植木の梢で羽を休めるムクドリを狙って、木登りジャンプ。
 これが実に巧みで、必ず命中してムクドリを仕留めてしまうのです。
 餌食になったムクドリは災難ですし、考えれば残酷な話ですが、そういう時の<紋次郎>は得意満面で仕留めた獲物をくわえて、「すごいでしょ!ねえ、褒めてよ!」という顔で見せにくるので、・・・これこそ猫の本能で、<こういう時は尊重して褒めること、絶対に怒ってはいけない>とものの本にもありましたので、複雑な気持ちのままに「よしよし、すごいねえ。よくわかったからそれをこちらに頂戴ね。」などと言いながら、譲り受け、後で犠牲になったムクドリを密かに葬ったものでした。
 これは長きに渡って続いた、私としては歓迎できない<紋次郎>の勲章でした。

 池の中をジャンプ。
 ある時、リビングにいたら、<バッシャ~~ン!!>というすさまじく大きな水音が池のほうから聴こえてきました。
 反射的に音のする方に目を向けた瞬間、池の中から<紋次郎>が恐ろしく高く飛び上がってきたではありませんか?
 これは我が家で今もって語られる、紋次郎幼少期武勇伝の一つです。
 池の上を飛んでいるトンボを捕まえようと、思い切り池の真ん中めがけてジャンプしたらしいのですが、トンボは驚いて上昇し、彼は捕まえ損ねてそのまま結構深い池の底まで落下沈没し、水底を蹴ってジャンプして池から生還してきたものと思われます。イルカのジャンプじゃあるまいし、猫の水中ジャンプショーを目の当たりにしてしまい、皆でしばし唖然としました。

 エピソードは様々あるのですが、長くなってきましたので、また次回、続きをお送りしますね。

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紋次郎物語 ~その六<猫吉>との日々~

紋次郎 前回の紋次郎物語、「その五 ~<まだら>との日々~」には反響を多く頂きました。
 三匹の子猫の中で、一番短命で幸薄かった<まだら>が、今、改めて、皆様に偲んで頂くことになり、一番驚いているのは、<まだら>自身でしょうけれど、人間大好きの猫でしたから、さぞ喜んでいるのではと思います。
 さて、今日はこの続きで<猫吉(ねこきち)>のことをお話ししようかと思います。
その前に、・・・この「紋次郎物語」は早や その六 となりました。
 今回初めてご覧になられる方は、出来ましたら
 その一から遡って頂けるとよろしいかと思います。
 いつも読んで下さっている方は、早速。


   ~ その六 <猫吉>との日々 ~
 猫吉・・・弟が名付けた<ねこきち>という、人を食ったようなとぼけた名なのですが、実は、今となっては、これ以上ないというくらいしっくりとはまっているのです。

 前々回の記事に、下記のようにご紹介したかと思います。

 「他の二匹に比べて、ひときわ体が小さく、全体的に華奢で、足が長くすらっと伸びた、おっとりした品の良い白猫です。唯一目の上、眉のところに、平安朝のお公家さんそっくりな黒い八の字眉のような模様が入っています。」

 <まだら>や<紋次郎>に比べると、いつもポワンとしていて、ワンテンポ後ろにある、大人しくて、いつの間にか気付くと音もなくそこにいる、という淡々としたスローペースの猫だったのですが、でもそれでは、個性がないかと言えばそんなことはなく、唯我独尊、<猫吉>という個性そのものの、とびきりユニークな猫でもありました。
 ですので、あの何とも言えない雰囲気をしっかりと説明するのは割と難しく・・・伝わると良いけど・・・でも、敢えて頑張って、お話ししてみますと。

   特徴一
 しゃべらない。・・・限りなくゼロに近く。
 初めは、冗談ではなく、喉にどこか機能障害でもあって、声が出ない猫なのではと、皆で心配したくらいでした。
 2~3日全く声を聞かないなどということはざらで、「この間鳴いたのはいつだっけ?」という会話が我が家では普通にされていました。
 そのうち、すっかり慣れて、それが<猫吉>で、当たり前になってしまいましたが、それでも時々、やはり、声帯付近のどこかが悪くて、いよいよ悪化したのではと、真剣に心配したりしたものです。

 私達との意思の疎通は主にアイコンタクトで、でも、それはそれで、大した不便もなく、大体伝わっていた気がします。
 猫吉 1
最初は皆、<きち君>とか、<きっちゃん>とか呼んでいたのですが、そのうちに彼の最大の庇護者である弟が、<ねこきちさん>とえらく丁寧に呼びかけるようになったので、右に倣って、<きちさん>というのがいつもの愛称に固定してゆきました。・・・・・父だけは<猫吉>、常にどの猫にもフルネーム、呼び捨てでしたが。

 <きちさん!>と呼びかけると、ゆっくり顔を向けて、じっと見詰めるのが、彼の返事なわけです。で、慌てず騒がず優雅に静かに、こちらに寄ってきます。
 ほとんどこれですべてでした。
 時々、彼の方に用事のある時は、やはり静かに寄ってきて、人の足の周りに体を摺り寄せてきます。更に、彼なりに急いでいるときには、頭でグイグイと押してきて、その力加減で緊急度を図ることができました。
 それで、こちらが「どうしたの?」「お腹すいたの?」とか一方的に話しかけるのですが、<猫吉>もこちらの言葉はかなり正確に理解しているらしく、それなりにちゃんと反応しますし、場合によっては、「ニャア~」と猫らしく答えることもありました。顔に似合わないドスの効いた低音で、可笑しかったです。

   特徴二
 綺麗好き。いつも真白。 
 我が家の猫、三匹の猫とも、必要な躾は厳しくしましたが、行動面においては束縛しませんでしたので、それぞれが自由に思いのまま暮らしていたように思います。
 元がノラ猫出身ですので、自然児たる感覚を尊重し、<在野に在る>というのが一番自然で幸せなのではという気がしていました。それで、家に入りたいときにはいつでも入れる状態は確保しましたけれど、外での暮らしも自由にさせていましたし、彼らの日々は、伸び伸びした人生ならぬ猫生だったのではと思うのです。
 でもその結果、雨の日などは泥だらけ、ずぶ濡れで、<紋次郎>などは本当にドブネズミみたいにみじめな浮浪猫になってネコ穴から顔を出すことはしょっちゅうでした。特に彼らをお風呂に入れることも、ましてや動物の美容院に連れてゆくことなども皆無でしたから、可哀そうに、言ってみれば生まれたまま放ったらかしだったわけです。
 なのに、今もって不思議なのですが、<猫吉>は本当にいつも真白な綺麗な猫で、暇さえあれば身づくろいなどしていましたが、雨の中に出て行っても、びしょびしょになって帰ることなど、全くありませんでした。
 綺麗に乾かしてから、身じまいをして入ってきていたのでしょうか?

弟の足に甘える猫吉
 そういうどこかノーブルな感じも、弟が彼をとても気に入っていた要素の一つだったのかもしれません。
 思いは通じ合うものらしく、<猫吉>も弟には一番なついていて、弟のことを大好きだったみたいです。
 <ねこきちさん>と呼ばれ、嬉しそうにはしゃいで弟の足にじゃれつく<猫吉>の写真。普段他の人には見せない顔をしています。

嬉しい時や甘える時も、喉を鳴らしながら、やはり頭をグルグル、グイグイ、足の周りをダンスするみたいに行ったり来たりしていて、その様子は何とも可愛いのです。

<まだら>や<紋次郎>との猫同士の会話ではさすがに声は出していたようですが、それでも極端に寡黙で、いつまでも鳴き続ける等という事はついに一度もありませんでした。

   特徴三
 些細などうでも良いことなのですが。
 純然たる和食党で小食でした。
 決まった食事以外の間食は出されても手をつけず、ダイエットの模範みたいな猫でした。
 <紋次郎>がワイルドな肉食系だったので、兄弟でも本当に対照的だったなと思います。
 ほうれん草のおひたしと、梅のマークの「山本海苔」が大好物だったのです。 
 他のブランドではなく山本海苔のみ、それも味付け海苔ではなく焼海苔と、何だか良くわからない変なこだわりがこの猫には断固としてありました。
 <うそだあ~~>と思うでしょうが、本当のことで、私達姉弟も半信半疑、或る日、色々試して<猫吉>味覚実験をしようということになりました。
 弟は「山本海苔の焼海苔のみ」に賭け、私は「他のメーカーの海苔も食べる」に賭けて、何種類か混ぜて食べさす目隠し実験みたいなものも色々試みたのでしたが、ホントにホント!! 弟の圧勝でした。
 私自身も一緒になって、色々なブランドの海苔を食べ比べてみましたが、味の違いは全然わからず、・・・・<猫吉>は本当に変わった凄い猫でした。
 それ以来、私の中では、梅のマークは、ひれ伏したくなるような黄門様の葵のご紋に匹敵するものとなっております。

   特徴四
 <猫吉>は、月の出ている晩は、いつも必ず端座して夜空を見上げていました。
 縁側にすっと背を伸ばして座って、じっと月を見上げて、長い長い時間びくとも動きませんでした。
 そういう時の<猫吉>の姿は、『月夜と白猫』とでもいうタイトルの童話を書きたくなるくらい、メルヘンティックで幻想的に思われました。
 また、「<きちさん>が月を見てるね。」っていつも、私達家族は、彼の姿を不思議に感じていたのです。
 写真は家の中でのものですが、ちょっと首をかしげたこんなポーズでした。
月を見る猫吉のポーズ
 弟は、「<ねこきちさん>は月から来た使者なんだよ」と、冗談めかして、言うようになりました。
 <月からの使者>・・・かぐや姫のお話のようで、こんなこと口にすると変な人みたいなのですが、猫達との日々の中で、不思議なことが重なってくるにつれ、合理的には割り切れない、目に見えない世界のことって色々あって、<ホントに弟の言うこともありかもしれないな>ってどこかで納得したくなるような気持ちも動いていました。
  <猫吉>は、それから6~7年ほど、こうして一緒に暮らし、或る日、忽然と姿を消して、戻ってきませんでした。

 事故にでもあったのではと、随分探しましたが、全く所在がわからず、しばらく家族皆、ぽっかりとしてしまいました。
 居なくなったのは、思えば秋の満月の夜でした。
 弟は「やはり月に帰ったんだ」とぽつりと言って、寂しさを埋めていたようです。

 今でも、月を見上げていた不思議な白猫、<猫吉>のことが懐かしく思い出されます。

 
  紋次郎物語 ~その六 <猫吉>との日々~ これにて完と致します。



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「 愛を失くす時 」

夕暮れのセーヌ川 先週の土曜日、お友達のシャンソン歌手・片山富子さんが大阪心斎橋のアートクラブでコンサートをされました。
        
 以前、片山さんとシャンソン談義をしていた時、ララ・ファビアンが大好きという彼女に、じゃあこれはどうかしら?と、「愛を失くす時」というタイトルで訳詞した曲を推薦したのですが、大いに気に入って下さり、今回、お披露目ということで、私も聴かせて頂こうと出掛けました。
 和やかで楽しいコンサートでしたが、この曲は初披露ということで、片山さんも少し緊張していらしたご様子、でもとても丁寧に思いを込めて歌って下さって、素敵な仕上がりに客席からブラボーの声が沢山かかり、詩の生みの親としてはホッと一息、鼻高々でありました。

 この日は実はもう一つ、とっても良いことがあったんです。
 シャンソン歌手で訳詞家の別府葉子さんに、偶然お会いできたことです。
 私、ずっと前から、隠れファンでして、もう何回かコンサートも聴きに行っていますし、素敵なブログを頻繁に更新していらっしゃって、彼女のブログの愛読者でもあります。
 受付でお手伝いをなさっていらしたのですが、すぐに「おお~~~!!!」とわかりました。
 この胸の高鳴りこそがファン心理なのだと大いに納得。
 興奮してちょっと舞い上がった楽しい日でした。
 そうしたら、別府さんもブログに「ブログ友達の松峰綾音さん」と書いて下さっていて、再び感激。(思わず今日の冒頭は、
この日の別府さんのブログの第一行目をそのまま拝借してしまいました!)
 コンサートを聴いて、触発された曲があり、数時間で訳詞を完成なさったとのこと、凄いですねえ!! 私もがんばろう~~

今日は、久しぶりに「訳詞への思い」・・・・「愛を失くす時」を取り上げてみようかと思います。


     「 愛を失くす時 」
                  訳詞への思い<9>


「Pure」 ララ ファビアンのアルバム
 原題は<Perdere L’amore>。
 G..Artegiani作詞 M.Marrocchi作曲、Massimo Ranieri(マッシモ・ラニエリ)が歌っているカンツオーネで、1988年のサンレモ音楽祭での優勝曲である。
 私はこの曲をLara Fabian(ララ・ファビアン)の歌唱で聴いたのが最初だったので、自分の中ではファビアンの曲という印象がとても強い。1996年の彼女のアルバム「Pure」に発表されている。

 ファビアンはベルギー生まれ、カナダ国籍、父はベルギー系、母はイタリア系フランス人で、彼女自身、何カ国語も自由に操れるマルチリンガルであるが、この曲は原曲通りイタリア語で歌われている。

ファビアンの歌 ←よろしければクリックしてお聴き下さい。You tubeに繋がります。

 ファビアンは、全曲英語で歌った2000年のアルバム「Lara Fabian」あたりから英語圏にも活動を広げ、かなりファン層を伸ばしているようだ。
 やはり英語でないと、世界的にメジャーになっていくのは難しいのかもしれないけれど、私の中でのファビアンは、何といってもシャンソン=フランス語!という思いがあって、英語で歌うのを聴いてもどうもしっくりとなじめない。
 ・・・であるが、ファビアンの歌うカンツォーネは実はなかなか良く、圧倒的な声量と情感に溢れた歌唱を生かしたアレンジで、この曲は聴かせる。

 Parole net(最近は著作権の問題で自由に使うことができなくなったのだが)の中に<Perdre l’amour>という題名でフランス語で翻訳されて載っているのを以前に見つけた。  
 私が訳した「 愛を失くす時 」はここから採ったものなのだが、念のためイタリア語専攻の友人に助けて貰いながら元のイタリア語にあたってみたところ、しっかりとニュアンスまでくみ取っているほぼ正確なフランス語訳であることがわかった。

 その後、何人かの歌手が、このフランス語の歌詞でカバーしているのを聴いたことがあるが、ファビアン自身もフランス語で歌っているのだろうか?
 そうなら是非聴いてみたい。
 けれど、情念がめらめらと沁み渡ってくるような独自の節回しと、情熱的なメロディーに乗ってどこまでも歌い上げてゆくこの歌は、やはりカンツォーネ、イタリア語ならではという気もする。
 
 マッシモ・ラニエリの歌からは、恋に破れたイタリア人男性の失意が伝わってくるが、私の訳詞の主人公は女性、女性側からの歌として作ってみた。
 <Perdre l’amour>(愛を失う)・・・・・タイトルは「 愛を失くす時 」とした。

 今まさに愛を失うその瞬間だと直感する時の、時間がそこで凍り付いてしまったような感覚。
 ドラマの一シーンではないけれど、音も動きも静止して、ぐるぐる周りが回りだすようななんともいえない喪失感、意識が遠のいていくような虚脱感と敗北感。
 言葉で言えば陳腐だけれど、自分の身に降りかかってくれば、これは奥底にぐさりと刻まれる消えない傷だ。

   貴方の空に 私は居ない
   あの愛も 貴方も何も見えない
   夜が降りる 闇が深くなる
   今 愛が消えてゆく 胸が張り裂ける
   夢を失くして 愛を失くして
   翼を 失くして 羽ばたけない
   貴方を こんなにも 
   近くに感じているのに どうしてなの


 主人公の女性は、その瞬間に立っている。
 断崖に立ちすくんでいる。空と淵との間をみつめて。
 voler(飛ぶ)、ciel(空)、aile(翼)、・・・
 Ia nuit tombe(夜が落ちる)、その失意の暗闇で、彼女の中に耐えがたいほどの眩しく美しい空が広がっていく。
 「貴方の空」を見続けている・・・それを何より詩の中で浮き上がらせてみたかった。

 
 国木田独歩の小説に、『春の鳥』という短編がある。
 六蔵という名の、精神に障害を持つ男の子が主人公なのだが、彼は鳥が大好きで、よく城跡に鳥を追いかけて遊んでいた。
 ある日、主人公は城壁を落下した亡骸として発見されることになるのだが、その子の姿をいつも見続けてきた青年(語り手)は、彼はきっと鳥になって空を飛翔しようとしたのだと考える。そんなお話だ。

 この曲の中の彼女は今、六蔵のようには空を飛べない。
 愛は、いろいろな喜びや力を人にもたらす。ある時は空をも飛んでしまうのだろう。共にあるからこそ飛翔できる。
 愛がまさに失われていくとき、心の中にこれまでの様々なものが崩れ落ちていくだろう。翼が折れていく音と痛みを感じるのだろう。もはや飛ぶ術を失って、しかし空はなお高く広がっていく。
 
   「貴方を 今も 愛している」
 
  ・・・彼女は最後にそう叫ぶ。

 『 愛を失くす時 』はそういう歌である。

                              Fin  


(注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
  取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望等がある場合は、事前のご相談をお願いします。)


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紋次郎物語 ~その五<まだら>との日々~

紋次郎 最近、『紋次郎物語』がブレイクして、紋次郎ファンが巷(ちまた)に急増し始めているようです。
 ・・・・と言っても、このブログを読んで下さっているごくごく内輪の方々の間での事ですが。
 「次はどうなるのですか?」とか、
 「ドキドキしながら楽しみに読んでいます」とか、
 「何話まで続くのですか?」とか、
 「続きが読みたい!早く~~~う」とか。
 ・・・・色々、有り難いプライベートメールを頂いています。

 そうですよね。お待たせし過ぎですよね。
 筆者としては、(筆者??!! 突然偉そうです)猫の話が続き過ぎては、退屈なさるのではという深い配慮から、間隔をおいてアップしているつもりなのですが、・・・あまり間が空いては、話もわからなくなってしまいますし、ただのずぼらの言い訳ですよね。
 反省して、続きの執筆に勤しもうと思います。
 お詫びも兼ねた特別公開ということで、古いアルバムを紐解いて、今まで肖像権を守り公表を控えておりました彼ら三匹のポートレートをぼちぼちと少しずつ公開させていただこうかと思います。
 そして、本日の『紋次郎物語 その五 』は「その一」「その二」「その三」「その四」から続いております。よろしかったらもう一度、それぞれをクリックして、内容をご確認頂きますように。

  ~ その五 <まだら>との日々 ~
 深い母性愛に満ちたあの母猫の忘れ形見の、三匹の子猫には、それぞれ<まだら><猫吉><紋次郎>という名がつけられたことは前回お話しましたが、いずれが兄であり弟であるか、その順は全くもって定かではありません。
 そもそも同時に生まれているのですから、本当は上も下もないのでしょうけれど、人間の双子に習い、年長の順をつけるならどうだろうという他愛もない話題が我が家では持ち上がりました。
 長兄はおそらく<まだら>では、という全員の一致する見解の後、弟は大人しい<猫吉>こそが、私はやんちゃで負けず嫌いな<紋次郎>が、と、末っ子説は二分されました。

 兎も角も、まずは、<まだら>について、お話してみようかと思います。

   <まだら>
 誰もが<長兄>と疑わなかった<まだら>は、前回、
「母猫に一番姿形の似た日本猫、白地のベースに黒と茶の斑点が入っている三毛猫で、ふっくらとした柔和な顔つき、性格も人懐こく温厚で、理解力も抜群に良い優等生タイプの猫です。」
とご紹介してみましたが、まさにこの通りなのです。

 まだら
 ノラの出自を持った猫は、小さい時から飼い猫として育て、どんなに可愛がっても、やはりどうしてもどこかに野良猫としての生れついての性・・・どこか屈折していたり、警戒心が強かったり、もっと言えば、孤独を体で知ってしまったような性が・・・・沁みついて残っている様な気がするのですが、この、<まだら>については、本当に不思議なくらいそういう所がなく、ひたすら人間に親和的で、素直で穏やかで、けれど快活で、誰からも愛される可愛い性格の猫でした。
 兄弟への思いやりがあって、そして勇気もあり、猫に知能指数があるならダントツトップと思われるほど、一を教えれば十悟るというくらいの聡明さで、今でも、思い出すと褒め言葉が尽きることなく出てきますし、まず二度と出会えない逸材であったと思います。

 <まだちゃん>とか<まだら君>とか皆勝手に呼んでいましたが、どんな適当な愛称でも、速やかに反応し、呼ばれると嬉しそうにすぐ走ってきて、ちょこんと座る、犬みたいな猫でした。
 当時、猫達は、昼間だけは茶の間に入って遊ぶ事を許されていたのですが、茶の間に入るには、汚れた足を綺麗にするために、「縁側に置かれた雑巾の上で何度も何度も<よ~~し!>と言われるまで、足踏みをしなければならない」というとんでもなくおかしな取り決めが我が家にはあり、・・・・この方法を考案したのは私なのですが、・・・足踏み体操のような、猫にあるまじき奇妙な訓練も、あっという間に習得したのは他ならぬ<まだら>でした。

 これに限らず、何でもパーフェクトに覚え、また継続力もあり、兄弟も仕方なくこれに習うという感じで、まさにリーダーとしての役割をいつも担っていたような気がします。
 <足踏み体操>について言うなら、何があっても誠実に規則を遵守するのは、<まだら>で、誰かが見ている時だけ、とりあえずやってる風を装うのが<紋次郎>、いつも失念しては、兄弟の様子を見てはっと気づき、遅れを取って最後にやり始めるのが<猫吉>という、三者三様の姿がありました。

食事するまだらと猫吉 <まだら>は、食事の時も兄弟達にもきちんと行き渡っているか、いつも優しく気を使っていて、母猫代わりをしているのかと思わせるものがありました。 
 そんなせいか、傍若無人の暴れん坊<紋次郎>も兄貴分には明らかに一目置いて、彼にだけは、意外に従順に従っていましたし、<猫吉>に至っては「寄らば大樹の陰」と言わんばかりに安心して寄り添っている感じさえしました。(写真は<猫吉>(左)と仲良く食べている<まだら>(右)です)

 <まだら>は、私には特になついていて、出掛ける時など、どこまでも後を追いかけてきて、「もうお見送りは良いから、気をつけて帰りなさい」というと、聞き分け良く、でもちょっと寂しげに引き返してゆくという、まるで忠犬ハチ公みたいで、思わず抱きしめたくなる猫でした。

 犬のような猫がいることを私は<まだら>によって初めて知りましたし、ということはきっと、世の中には、猫のような犬もいるわけでしょう、動物といえどもそれぞれの個性があり、侮ってはいけなくて、命あるものは豊かな感情の機微と、かなり高い精神性を持っているのだと、私はずっと信じています。

 そんな<まだら>は、それからまだ一年もしないうちに死んでしまいました。

 年の瀬に近い、木枯らしが吹く寒い日の夜でした。

 数日前から、いつも元気印の<まだら>がどこか力がなくて、くしゃみをしたり、息が少し荒かったり、目も潤んでいて、風邪でも引いたかな?と心配していた矢先でした。

 猫達は、この頃はまだ、昼間家の中で束の間遊ぶ事はあっても、基本的には外猫として飼われていましたので、夜寝るのは、縁の下にそれぞれの寝床として用意された段ボールの中でした。
 ただ、子猫たちが迎える初めての冬がやってきて、段々寒くなってくる中で、家の中で寝る体制を考えてやらねばと思い初めていたところでした。

 <まだら>の様子が心配で、毛布を一枚余分に入れながら「明日、お父さんとお母さんに相談して家に入れて貰えるようにするから、少しだけ待っててね。」と話しかけたことを、それに応えるように嬉しそうにニャアニャアと甘える声で鳴いたのを今でも思い出します。

 翌朝、縁側の上で、<まだら>は、まんまるいいつもの柔和な顔をして亡くなっていました。
 後から調べてみると急性肺炎のような症状だったのかと思われます。
 心細かったのかな、箱から出て、最期の挨拶をしようとしたのかな、と心が痛くてなりませんでした。
 助けてあげられなかったのが、本当に可哀そうで申し訳ない気持ちが今でもしています。

 この後、残された猫たちは程なく夜は家の中で寝ることが出来るようになり、具合が悪くなればすぐお医者さんにも連れてゆきましたので、それにつけても、もう少し<まだら>が元気でいてくれたら、どんなにか楽しい時間を共有できたのではと思うのです。

 ちなみに付け加えますと、外と家との彼らの出入り口は、茶の間の押し入れの床板をくり抜いた、通称「猫穴」と呼ぶ小さな穴から、縁の下へと通じるように作りました。
 外から、縁の下を通ってちょっとジャンプして猫穴に顔を出し、押入れの少しの隙間から茶の間に入ることが出来るというわけです。
 これは防犯上も完璧で問題なしと家族も認めてくれました。
 例の足拭き雑巾ですが、猫穴の上がり口に置かれることとなり、彼らの足踏み体操も、押入れの入り口で継続されました。
 不思議なことに、今度は二匹とも覚えが早く、しかも<まだら>がしていたように、いつもきちんとこの習慣を崩さず全うし通しました。

 自分達を快適な生活に導いてくれた<まだら>への、彼らなりのはなむけだったのかなと、またまたおかしなことを私は考えています。

 これにて、「第五話 <まだら>との日々」 の完とさせて頂きます。
 次回は勿論・・・<猫吉>編と<紋次郎>編に続けたいと思いますので、お楽しみに。


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