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   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

紋次郎物語 ~その九 紋次郎と家族たち~

池の傍の紋次郎 昨日も生憎の雨。七夕の恋はなかなか成就しないからこそロマンチックなのでしょうか?
 
 さて、いつも『紋次郎物語』を愛読して下さっているYさんから、温かいメールが届きました。 素敵な感想を頂いてとても嬉しかったので、少しだけご紹介したいと思います。

 猫吉
 猫さんたちのシリーズ、特に好きですが、私は何と言っても「月の使者」猫吉さんに魅かれます。
 梅のマークの山本海苔の、しかも焼き海苔が好きだなんて、なんて魅力的なのでしょう!私も、海苔は断然焼き海苔派です(笑)。
 スローペースながら自分なりの拘りを持ち、いつも静かに月を眺めている生き様は私を魅了して止みません。
 月夜の晩にいなくなってそのまま帰って来なかったというところも何かミステリアスでその後のストーリーをあれこれ想像してしまいます。


 この後、実は、Yさんの素敵なストーリーが続くのですが、余り公開しすぎてもと思いますし、今は、私だけに記して下さったプレゼントということで大事に心に仕舞っておきたいと思います。

 でも猫吉君、Yさんにファンになっていただけてどんなにか喜んでいることでしょう。良かった!良かった! 
猫吉になり代わり、お礼申し上げる次第です。
 
 では、今日も『紋次郎物語』をお楽しみ下さいね。いよいよ大詰め、その九です。

   ~その九 紋次郎と家族たち~
端坐する紋次郎
 <猫吉>が姿を消してから、我が家に残った猫は<紋次郎>だけとなり、ここから彼は更に、10年近い歳月を私たち家族と共にすることになるのですが、10歳を超える頃からでしょうか、紋次郎は益々、何ともいえず、顔つき、しぐさ、感情の表し方など人間的になってきたように思います。

 そういえば『徒然草』に「奥山に猫又(ねこまた)というものありて・・・」と始まる章があったのを思い出します。
 「猫のへ上がりて 猫又になりて 人とることはあなるものを・・・」と書かれてあって、何ともおどろおどろしいのです。
 「へ上がりて」というのは「歳を取って」とか、「変身して」とかいう意味ですから、「猫は長生きをすると、ただの猫ではなく猫又という名の妖怪に変わり、人を襲ったりするのだ」というわけですね。
 この後はいつもの徒然草の文章らしく洒脱なオチへと続いてゆくのですが。

 尤も、この「猫又」というのは、兼好法師の専売特許というわけではなく、実はもっと古い民間伝承などの中にも既に広く言い伝えられていたようです。
 「猫又」の推定年齢は10歳を超えたあたり・・・というのもいつか何かで読んだ気がするのですが、昔は猫の世界も、今のように高齢化ではなかったでしょうから、長生きする猫は希少で、どこかただものではない異様な雰囲気を漂わせて、化け猫物語などと結び付いていったのかもしれませんね。

 でも、その昔私は、この「猫又・・・」の文章は、正直何のことか全くピンときませんでした。
 『妖怪』『化け猫』などというと余りにも・・・なのですが、でも今は、猫が歳月の中で、猫を超えた生き物になってゆくというような感覚はわかる気がしています。
 長く人間と共に生き、人間のことも言葉も良く理解できて、自らも人間化してきた猫のこと・・・・私にとっては、<紋次郎>は愛すべきそんな<猫又>・・・<家族>だったのかもしれません。
 そういう<紋次郎>の後半生について、今日は、私たち家族たちとの係わりの中で、ご紹介してみたいと思います。

   紋次郎と父
 庭の池のほとりに、紋次郎はよくじっと座っていました。
池の端に寝そべる紋次郎
 前にも記したように、父は池に結構大きな鯉や色々な種類の金魚を大切に育てていました。
我が家は、海の近くで漁港もあり、そのあたりの魚などを狙ってか、当時、鳶(とんび)が空高く毎日旋回しているのを目にしていたのですが、我が家の池も格好の狙い場だったようで、ピーフュルフュルという鋭い鳴き声と共に、池の水面にまで急降下してきて、泳いでいる鯉を両足でガチっと掴んでさらってゆくということがよくありました。
 大きく元気よく育っている鯉ほど狙われやすく、なすすべなく無残に空に運ばれてゆくのを眺めているのは父ならずとも実に腹立たしく感じられたものでした。

 いたずら者の<紋次郎>でしたし、動くものに反射的に手が出てしまう猫の習性から考えても、父は、これ以上猫にまで大事な鯉や金魚を奪われることは我慢ならないと思っていたのでしょう。・・・・当初、猫が庭に来ることにも不快感を示していた原因はそこにもあったのではと思われます。

 事実、<紋次郎>は(赤ちゃん猫の頃でしたが)、寄ってくる金魚に思わず手を出してピシャピシャと水を叩いて、父にかなりの叱責を受けたことがありました。そのような前科持ちでしたので、父は、<紋次郎>が池の近くにばかり居ることに初めは、不安と不快感があったようです。
 ですが、私が金魚もウチの家族だと何回も言い含めた甲斐あってか、その後、手を出すことは全くありませんでした。喉が渇いても池の水を飲むことさえせずじっと我慢しているようでした。

 壮年期老年期の<紋次郎>は、これも前回記しましたが、この辺りでのかなりの顔役、ボス猫になっていたようで、縄張りを仕切る渡世人の元締めみたいな一種独特な仁義に生きる雰囲気を醸し出していて(私が勝手に感じていたのですが)、そういう彼には、我が家族の序列も彼なりに解釈し大いに尊重していた節が見られます。
 その尺度から言うと、父は彼にとって、家長=大親分で、一目も二目を置いていたのではないかと思うのです。それに「野良猫は野良猫道を!」みたいな父の信念と一脈通じあっていたのかもしれません。
 父には、甘える様子を見せることはありませんでしたが、でも常に遠巻きに恭順の意を表明していたような気がします。 父が帰宅すると、どこにいても身を正して迎え出ていました。近づかず一定の距離をおいて、取り澄ました顔をしていて、本当に可笑しかったです。

 実は、<紋次郎>は池の魚たちを、とんびやサギ、他の野良猫たちから、守る使命を果たしていたのではと思うのです。
 彼が池のほとりに座り続けてからの日々、鯉が減ることはついぞなく、亡くなった後、ほどなくして、何匹もいた池の鯉はいつの間にか、壊滅状態になってしまって、図らずもそのことが証明されました。今も、ほろりとする<紋次郎>の思い出話の一つとなっています。

   紋次郎と母
 綺麗好きの母は、初めは猫があちこちを汚すのではと心配していたのですが、我が家の猫はその辺はかなりパーフェクトでしたし、(私の教育が良かったんですね!)そのうちそんなことすっかり忘れたように<うちの子たち>と呼んで、「猫がこんなに可愛いとは知らなかった」と、私たち姉弟より可愛いいのではと疑いたくなるくらい本当に大事にしていました。
 人の愛情に殊の外敏感な紋次郎は、そんな母の事が大好きだったみたいで、無条件で大甘えする唯一の存在でした。母が少しでも疲れた顔をしていたりするととても心配そうに気遣ったり、慰める素振りをみせたりして、何とも健気なのです。小さい時に別れた優しい母猫への思慕が彼の中に残り続けていたのかもしれません。
 母にしかしない<紋次郎>の究極の愛情表現は、喉を鳴らしながら、足元にすり寄ってペロペロと舐めまわすことでしたが、くすぐったがり屋の母はこれだけは閉口していました。


   紋次郎と弟
 弟の舎弟のような<猫吉>に、意地悪してきた負い目がずっとあったのでしょう。弟の前では、いつも気まずそうに小さくなっていました。
 それに、何か悪いことや失敗をすると決まって弟に見つかってしまう巡り合わせになっていて、何と言うか、頭の上がらない兄貴分だったのかもしれませんね。
 でも面白いことに、ヒヨドリを狩猟した時などは、誰よりも弟の所に真っ先に見せに来て、良い所を認めて貰いたかったのかもしれません。
 弟は、こういうときには、「よし頑張ったな!」と労いの言葉をかけてやって、なかなかのもの、我が弟ながら感服したものです。


   紋次郎と私
 私は紋次郎にとってどんな存在だったのでしょうね。
 できるものなら彼に聞いてみたいです。
 かなり厳しい教育係であり、面倒全般引き受け係であり、アドバイザーであり、後見人であり、友達だったのかなとも思います。
 <紋次郎>がこちらの感情や意志をかなり正確に読み取れるように、私も彼の言葉や気持ちを察知し交信することに長けていましたので、<仲間>だったのかもしれません。
 色々あり過ぎて、言葉に尽くせませんが、<一匹の猫を飼った>ということを超えて、<紋次郎>という存在に出遭ったのだと今、感慨深く思っています。

 長くなってしまいました。では、続きはまた。
 お名残り惜しいですが、たぶん次回が『紋次郎物語』の最終回となりそうです。
 

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