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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

勘違いの歌詞 ~『夜中の薔薇』考

 数日前まで耐え難い猛暑でしたね。
 京都も36~38℃位になり、盆地の底でサウナに閉じ込められたようで、吸い込む息まで熱かったですが、一変して、この涼しさ。
 今東京に来ていますが、上着を羽織っても尚、肌寒いです。
 そして豪雨。
 九州を始めとして各地にまた、大変な爪痕を残してしまいました。
 痛ましい被害に遭遇された沢山の皆様に謹んでお悔やみを申し上げます。

 思えば、毎夏、<例年を上回る・・・・>とか、<観測史上始まって以来の・・・>とか、想定外の猛暑や、猛烈な暴風雨、竜巻、雷鳴、気象異変が加速度を増して次々と起こってきています。
 日本は、想像を絶する速さで、四季の美しい温暖気候から、熱帯に近い国へと変貌を遂げつつあるのでしょうか?

 梅雨明け宣言のあったばかりの今日も、一日中雨。
 今日は少しOFFの時間がありますので、雨音を聴きながらゆっくりと、9月に歌うことにしている曲を頭に入れようと歌詞を改めて見直したりしています。
 いつも参加している研究会で、4曲ほど歌うことになっていますので、「アヴェ・マリア」をテーマにした曲を特集しようかと準備しているところなのです。
 で、小ブレイク・・・・この記事を書き始めました。

   祈りの言葉
 私は、中学高校とカトリック系の学校で教育を受けましたので、折に触れ、聖書を手に取るチャンスがあり、また、毎朝の朝礼には、朝の祈りと聖歌を皆で歌うのが恒例でした。
 若い頃に心に刻まれた事は、しっかりと身に着くと言いますが、今でも、当時歌っていたカトリック聖歌集の中の色々な曲が、突然、浮かんでくる事があります。
 もしかしたら、私の歌のルーツは案外、ここにあるのかもしれません。

 ところで、カトリックの聖歌の歌詞にも色々な変遷があるようで、概ね非常に古典的な文語がベースなのですが、現代には難解すぎて、意味の解りにくい歌もあり、それでも兎も角も勝手に解釈して、丸ごと、歌っていた気がします。
 カトリック教会も、もっと馴染みのあるわかりやすい言葉にしようと考えたのか、祈りの言葉も聖歌も、途中で(2000年だったかと思います)全面的に口語に改変されたことがありました。
 例えば、一例として、代表的な祈祷文の『主祷文』・・・『主の祈り』と言われるものですが、もともとは
   天にまします我らの父よ
   願はくは御名の尊ばれんことを・・・・

 と始まるものでしたが、これが、
   天におられる私たちの父よ
   み名が聖とされますように・・・・

 のような具合に変わったのです。

 長年親しんでいた祈りや歌の言葉が突然ある日、変わってしまったので、当初は随分混乱していたようです。
 「従来通りの方がずっと格調があって良い」という改変反対派・文語派と、「新しい言葉になってわかりやすく親しみが持てる」という口語容認派があったと聞いています。

 「アヴェ・マリア」からの連想が飛躍しましたが。

 でも、翻ってみると、祈りの言葉というのは、難解で、多少神秘的な部分があることも案外大事で、よくわからなくても、言葉の響きや流れの中に身をゆだね、祈りに集中してゆく要素になり得るのかもしれないなどと思ってしまいました。

 更に飛躍するのですが、・・・そういえば、広く他ジャンルの歌でも、これまで、よくわからず呪文のように歌われてきたものって沢山あるかも・・・しれませんね。

   勘違いの歌詞
 故向田邦子氏に『夜中の薔薇』というエッセイ集があるのですが、この中に載っている同名の「夜中の薔薇」という掌編に、彼女は幼い時、ずっとシューベルトの『野ばら』の歌詞の<童(わらべ)は見たり 野中のばら>という冒頭の歌詞を「野中のばら」ではなく「夜中のばら」だと思い込んでいたと書かれています。
バラ 
 「夜中のばら」だと、これはこれで、却って凄味が出て、詩的な勘違い、さすが向田さんの感性ですが。

 でも、こういうのって「ある!!ある!!」と思いませんか?
 皆様の勘違いの歌詞をここで募集してみたいです。

 よく話題になるのは、古い時代に作られた童謡や唱歌の文語の歌詞を、子供たちが意味も曖昧なまま歌う時に生じる間違いでしょうか。

   卒業式編 ベスト3
 1 一昔前の卒業式の定番ソング、『仰げば尊し』
 <思えば いととし この年月>の<いととし>ですが。
 <愛(いと)しい>の同義語だと思っていたという友人を何人も知っています。正解は<いと 疾(と)し> ・・とても速いということですよね。

 2『蛍の光』
ホタル 
 <いつしか年も すぎの戸を 開けてぞ 今朝は 別れ行く>の<すぎのと>。学び舎の<杉の戸を開けて出てゆく>と、<過ぎる>が掛け言葉になっているのでしょうが、<すぎのと>が呪文状態の子供たちは多くいそうです。卒業に際してよくわからない通過儀礼が待っているみたいで、わからないのもまた味わい深いものがあります。

3『君が代』
 <さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで>の<いわおとなりて>。
 <岩音 鳴りて>と主張し続けた小学校のクラスメートを今でも覚えています。岩の音ってどんな音なのでしょうか?

   よくありそうな勘違い ベスト3
 1 どんぐりころころ
ドングリ 
<どんぐりころころ どんぶりこ>です。どんぐりがころがってドボンと池におちるのですから<どんぐりこ>ではありません。
 私もこれに一票を投じる慌て者の子供でした。


2 赤とんぼ
 <負われてみたのは いつの日か>。
 <子守の姐やさんの背中に背負われて赤トンボを見たのはいつの日だったろうか>と言っています。自分が追いかけられたのでも、赤トンボを追いかけたのでもありません。

3 雪
雪国 <雪や こんこ 霰や こんこ> <来む 来む>からきている言葉だそうです。「雪も霰も降っておいで」という意味なのですね。
 雪は<こんこん>と降ると思い込んでしまっている人も多そうです。

   ちょっと怖い歌詞
 1 実は私は、『かごめ かごめ』って、よくわからない気味の悪い歌だなと幼い頃から思っていたのですが、ただの無邪気な鬼ごっこの歌ではなくて、調べてみると、遊女の悲哀だとか、死産の生々しさを歌っているとかまで諸説あって、今もって正体不明な歌のようです。
 大体、籠目か?籠女か? 「かごめ」自体がすでにもうよくわからないです。「夜明けの晩に鶴と亀が滑った」という歌詞を聴く度に、江戸川乱歩の世界にでも迷い込みそうで、何だかぞっとしてきます。それで私は今もって「鬼ごっこ」が嫌いです。

 2 「とおりゃんせ」もどうも苦手でした。
 私の勘違い・・・「行きは良い良い 帰りはこわい こわいながらも とおりゃんせ」の「こわい」が怖かったんです。<帰りはなにか恐ろしいことが起こるけれども、それでも良いなら覚悟して行け>と脅している歌かとずっと思っていました。
 本当は「疲(こわ)い」・・疲れたことを方言で<こわい>っていうのだと大人になってから知りました。<帰りは疲れるだろうけど通っても良いよ>ってことだったのですね。

 本当は今日は<祈り>ということをお話したかったのですが、大分話がそれてしまいました。
 次への枕ということで、ご容赦下さい。
 次回は、<祈り>に触れながら、訳詞した『アヴェ・マリア』の中の一曲を取り上げてみようかと思っています。

 気候不順ですので、体調管理に気をつけてお過ごし下さいね。


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