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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

観月の宴 ~正伝寺の十三夜

 昨日10月27日は、「十三夜」でした。
 9月の仲秋の名月に対して「後の月」とも呼ばれますが、昨夜は、久しぶりで、ゆっくりと月を愛でる贅沢な時間を過ごしました。

 先日のジュリエットのコンサートの折、お会いしたのがご縁で、それ以来、なぜか意気投合したYさんから、「お寺でお月見の会があるのだけれど」とのお誘いを受けました。
 月を眺めるために京都のお寺に出かける、・・・・素敵、是非と。

 小堀遠州作の枯山水の庭園と、比叡山の借景で知られる西加茂の正伝寺での観月の会でした。
JR東海がポスターで紹介した正伝寺の名月 
 そういえば、以前、JR東海のポスターで紹介されていた気がして調べてみましたら、やはりありました。1996年のポスターです。

 これぞ秋、お月見、この美しい月を見ることができるなら「よ~し、京都に行くぞ!!」の気分になりますよね。

 陽が落ちる頃の集合でしたが、まだ行く機会のなかった正伝寺はどんなところにあるのか、方向音痴の私、暗い中迷うのも嫌だし、・・・明るい日差しの頃から、やがて陽が傾き、薄暮となり、月が昇ってくる・・・そういう変化も含めて味わってみたいと思い、午前中、下見散歩などしてしまいました。

   陽射しの中の正伝寺
 バスを降りて、しばらく行くと「正傳寺道」と書かれた道標が見えました。

   正傳寺道の案内    山門
 杉並木が続く閑静な道を黙々と歩き、やがて山門へ。
 臨済宗南禅寺派の「吉祥山 正伝護国禅寺」とあります。
 きらびやかではありませんが、禅宗らしい静謐な潔さを感じます。

   本堂への石段    本堂への石段のススキ
 杉並木と竹林の中に本堂へと続く石段。
 大きく揺れるススキ越しに、本堂が見えてきました。

 本堂に入り縁側に腰を下ろし、白砂の枯山水の庭を眺めました。
 白砂とさつきの枯山水のお庭
 さつきの刈込が目に鮮やかに飛び込んできます。
 七株、五株、三株に分けて植えられた七五三調の配置で、この上を自在に獅子の子が飛び跳ねる様を見立てた「獅子の子渡しの庭」なのだそうです。
お庭と比叡山の借景 
 低い白壁が白砂を囲み、枯山水の小宇宙を出現させています。
 壁の向こうには、比叡山を借景とした大きく広がるもう一つの宇宙があるのでしょう。
 
 日本の庭の持つ独特な美学ですね。
 
 縁側には赤い毛氈が敷き詰められて、本堂では、法事の読経が続いていました。ご住職の読経の声に耳を澄ましながら、気持ちが心地よく静まってゆくのを感じました。
 夜はこの庭で美しく輝く月を眺めるのかと、期待が膨らみます。
    縁側の廂    縁側の血天井
 広縁の天井は、関ヶ原の戦いの直前、伏見城に立て籠もった武士たちの自決の血天井です。

本堂を出て、お寺の庭にこんなお地蔵様と狸の置物が。
お地蔵様 狸の置物

 秋の野の花々。
 大好きな紫式部。 杜鵑(ホトトギス)。
紫式部の実 ホトトギスの花

南天も見上げるばかりの大木となって、実が可愛く色づいています。

とりあえず、下見散歩を終えて、帰宅、夜に備えました。

   観月の夕べ
 さて、本番。
 午後からどんどん雲が厚くなってきて、天気予報でも夕方から雨の予想。
 今にも降ってきそうな空模様に、「月の見えないお月見になりませんよう」と念じつつ、昼間歩いたばかりの道を再び辿ります。
 本堂に着くと、Yさん初め、お世話役の方々や、ご招待された皆様も既に揃っていました。その後も何人か三々五々到着して、総勢20名ほどの会となりました。
 正伝寺は月見の時期の数日間だけ夜も一般に開放されると聞いていますが、この日はYさんの特別なご縁で計らっていただけたのでしょうね。
 
 縁先に腰を下ろし、並んで、皆、薄暗がりの中に浮かび上がっている正面の比叡山と対峙しています。
 着いたときは雲が厚く、今にも降り出しそうに見えた空も、不思議に雲が流れ始め、その間に間に、月が見え隠れし始めました。
雲間から出た十三夜の月 雲も切れてお月見
 やがて雲は切れ、煌々とした白い光を放ってきました。
 次第に空高く、次第に輝きを増して、ただただ、皆でじっと見つめ続ける静かな時間と、山寺を包む冷気とに身がきりっと引き締しまってくる気がしました。
 
 写真が上手に撮れていなくて、申し訳ありません。
 正面に黒くシルエットを現している比叡山と、木々の黒い影の上に十三夜の月が射しています。

 正伝寺は1282年の創建だそうです。長い月日の中、比叡に昇るこの月を誰がどんな気持ちで眺めていたのでしょうか?
 今、この時間に、共に月を見る仲間と、この場所に居合わせる、・・・・「一期一会」の言葉が自然に心に入ってくる気がしました。

 そして、和気藹々と自己紹介。
 「まちづくり」に携わり、京都の景観を守る様々な文化的なイベントに尽力していらっしゃる方々と、その建築のお仕事をなさっていらっしゃる方々。
 テレビ番組の制作者や、新聞記者、編集者などの報道メディアの第一線で活躍していらっしゃる方々。
 画家、ファッションデザイナー、工業デザイナーなどのアート関係の方々。そしてシャンソン歌手の方もいらっしゃって。
 Yさんのお友達は皆、多様な分野の方たちでしたが、それぞれの皆様が、生き生きと興味深くご自身のお仕事や心情など語って下さり、お食事をしながら、お互いに大いに語り合い、あっという間の三時間が過ぎました。
 最後に、それぞれが一首ずつ短歌を作るという趣向まであって、突然配られた紙を前に、皆、頭を抱えながら作歌に夢中になり・・・。私もシャンソンの訳詞とはちょっと勝手が違って・・・・。
 詠み人知らずということで、名は伏せてそれぞれの歌が紹介され、大いに盛り上がりました。

 心地よい酩酊感の中での正伝寺の宴。 
 幽玄の世界に遊んだ、秋の一夜でした。


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邂逅の季節 ~二つの同窓会~

 私の秋、二つの同窓会に出席してきました。

 まずは。
 教職に就いて、初めて担任した教え子たちの同窓会が、つい先日、テタールコンサートの少し前にありました。
 若かりしあの頃・・・考えてみたら、当時中三だった生徒たちと10歳も違わないまだお姉さん先生だったのだなと今になって思います。
 ともかく、何もかもが新鮮で、子供たちが可愛くて可愛くて、自分が彼女たちの(女子校ですので)お母さんになったような使命感に燃えて、毎日キラキラと過ごしていました。
 教師というのは、実地の場に立って試行錯誤しながら少しずつ経験を積んでいくものですから、あの頃は未熟で至らないことばかりで、導いてゆくというよりは、生徒たちとの日々の中で、自分が教えられ、学んでゆくことの方が多かったように思います。

   最初の教え子たち
 そんな気持ちの中で、あの頃の自分と再会するような気恥しさもあったのですが、でも、久しぶりの教え子たちの笑顔を見たら、とても懐かしく嬉しい思いで一杯になりました。
 制服姿のあどけない少女たちが、仕事をし、結婚し、母親になり、素敵な女性に成長して、目の前に集っている、屈託なく笑い合っていて、それは昔の時間と重なり、感慨深く、何ともいえず幸せな日でした。

 同じ時を過ごしてきたはずなのに、それぞれに覚えていることや把握していること、ニュアンスは全く違うようで、「あれ、そうだっけ?」みたいな声がおしゃべりのあちこちから聞こえてきて面白かったです。

 私はというと、人の名前と顔を正確に覚えているのは特技の一つで、この日も我が特技を遺憾なく発揮して・・・・「覚えていて下さったんですねえ!」「すご~~いです!!」と、教師たる面目躍如でした。

 それにしても人の性格って、いつ形成されるものなのでしょう。
 長い月日を経ても、やはり<○ちゃんは○ちゃん>。
 同じ笑顔。変わらないのんびりとしたしゃべり方。表情豊かな相槌の打ち方。おしゃべりから滲み出てくる感性や価値観みたいなもの。・・・<皆、子供の頃と同じ、変わってないな>とつくづく思ってしまいます。
 「三つ子の魂」とは、よく言ったものだと大いに納得です。
思い出の風景 
 今回の同窓会は、久しぶりの節目の会ということで、当時の先生方も大勢いらしていました。
 先輩、同期、後輩・・・・嘗て共に過ごした仲間との再会を果たした私自身の懐かしい同窓会でもありました。
 教職にあった日々は、楽しいことだけではなくて、苦しいこと、大変だったこと、色々入り混ざってはいますが、月日を経るとそういうこと全てがくっきりと記憶の中に刻みつけられてきて、むしろ、印象の色が濃ければ濃いほど、その時間の中に生きていたという証にも思え、かけがえのない懐かしいものに感じられる気がします。

 私の音楽への転身は、皆様の驚きの的でしたが、でも温かく応援して下さりとても嬉しかったです。
皆、元気で、豊かに人生を重ねて、更に素敵な女性になっていってほしいと心から願った、久しぶりに嘗ての担任に戻った日でもありました。

   旧友との再会
 もう一つの同窓会。
 テタールコンサートの直後、つい数日前ですが、今度は、私自身の同期会に出席してきました。

 私自身もまた、中学高校一貫の女子校で過ごしましたので、全員顔見知り、<同じ釜の・・・>仲、和やかで無邪気な時間を共に過ごした友人たちとの再会でした。
 10年毎に行う同期会、卒業後初めて出席した方も今回は多く、『おお~~~』と、名乗り合いながら、皆でテンションが上がりっぱなしでした。
 
 教え子の同窓会に招待されると、先生らしい愛情に自然に満たされてくる感じで何だかしっとりとした気分なのですが、いざ、自分のこととなると、すっかり子供返りするようです。
 それこそ、いろいろな思い出が蘇ってきて、自分は確かにこういう時間を過ごしていたのだと一つ一つの思い出に改めて感激してしまいます。

 中学高校時代の私は、自分で思っていた以上に、物静かに読書に耽っている文学少女だったらしく、ほとんど全員の旧友に、「変わった!貴女は変わった!!」を連呼されてしまいました。
そうかしら?
 で、今はシャンソンを・・・などと言い始めると、感無量の面持ちで「よくまあそこまで!」と異口同音に返ってきて、ひょっとしたら、私はあまりに大人しい性格すぎて、皆様に心配をかけ、庇護して頂いていたのかもしれません。
 「でも、貴女ってそういうところのある人だと思ってた」と鋭く予見していたらしい友人からの褒め言葉もその中に混ざり、持つべきものは善き友だなと。

 今回、シャンソンを歌ってくれないかと幹事さんから依頼されました。
 こういう場ですと、どうしても素の顔になってしまいますし、素になると途端にシャイなところが邪魔しますので、これまでは、受けたことはなかったのですが、今回は、「では歌わせていただきます」と答えてしまいました。
 卒業後ずっとお会いしたいと思っていた敬愛する恩師が、この同窓会にご出席下さって、何だか心がすっとほぐれて、ささやかながら、自分が進んできた姿を見ていただけたらと思ったためでもあります。
 恩師の前で、そして旧友の前で歌うのは、いつもとは違う勇気がいるものではありましたが。

 卒業してすぐの頃は、先だけを見ていたく思い、昔の関わりは敢えて避けようという気が働いたりしたこともあったのですが、それは少し未熟な頑なさなのかもしれなくて、自然にすべての絆を受け入れられるようになると心が軽くなって、クリアに広がって見えてくるものがあるような気がします。

 二曲歌い、アンコールにさらに一曲。
 『シャトネイ・マラブリ ~エリザベートへ~』という曲をアンコールに歌いました。
 「音信の途絶えた女学生時代の親友に宛てた手紙」という内容の歌です。
 しみじみとした曲ですので、いつか次の機会にご紹介してみますね。

 心に残る一日でした。

 11月に入ると、今度は、在職中最後の卒業生、高2、高3の担任として卒業を見守った懐かしい教え子たちのクラス会もあります。
 離れていた日々を持ち寄り、温かい思いの中で皆で集う時間を共有できる、そんな喜びを感じる今年の秋です。


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テタールコンサート 無事終わりました

 三浦高広氏主宰の「レ・テタール・メランジェ・コンサート2012 第一夜」が無事終わりました。
 お越し下さいましたお客様、「喉は?咳は?」と、ご心配と温かいエールを送って下さった皆様、本当に有難うございました。

 楽屋も舞台も、照明や熱気で溢れて、空気が乾燥しているせいか、ホールに入ってから、しばらくゴホゴホしていたのですが、リハーサルが始まった途端、なぜか止まり、お陰様で安心して本番に臨むことができました。
 咳って結構精神的なものが影響するのですね。

 今日は、宴の後のぼんやりと弛緩した余韻がまだ心身に残っている気がします。
 では、昨日のご報告です。

   リハーサルまで
 秋晴れの上天気。新橋駅下車。
 山手線のホームから見える、鉄道広場の蒸気機関車が澄んだ秋空に眩しく映えていました。何かイベントがあるのでしょうか。何やら忙しく準備している前を、内幸町ホールへと向かいます。
新橋駅前鉄道広場  内幸町ホール受付 
 内幸町ホールは、訳詞コンサートで何回かお世話になった会場でもあります。顔なじみのホールスタッフの方たちと懐かしく再会しました。
 お昼に楽屋入り。
 12名の出演者が二つの楽屋にわかれて、衣装、メークと早速準備開始です。
 そうしてゆくうちに、素の自分が、次第に特別な時間の中の自分に変身してゆく、・・・・鏡を見ながらそれぞれが体感してゆくこの感触は、きっとステージに立つ時の大きなエネルギーになるのだという気がします。
 楽屋は和気藹藹として、活気と気合いに満ちています。
 ジョークが飛び交い、励まし合い、テンションも上がってゆきます。
 場当たり風景
 まだ誰もいないお客様の席にそっと座ってみました。
 既にステージでは、『場当たり』と言って、これから行われるリハーサルを前に、何人かの方たちが、ステージング(振付)を確認しています。
 客席から見守り、指示を出して下さっているのは、ステージング担当の嶋本秀朗さんです。

 舞台袖では、舞台監督を初め何人ものスタッフが、入念なチェック中です。
 ステージを囲む空間・時間・人・すべてが、もうすぐ始まるコンサートへの静かな序奏であるような、それを感じるこういう一瞬が私はとても好きです
 
 そして、リハーサルが始まります。
 それぞれが自分の領分を懸命にこなしてゆく、・・・緊張はしますが、こうやって走り始める瞬間もまた、大好きな時間です。

   本 番
 楽屋には小さなモニターが設置されていて、ステージや客席の様子が映し出されています。
 開場時間になり、お客様で座席が埋まってゆき、そしてアナウンスが流れ、やがて開幕のベルが鳴る。・・・・小さなモニターの中で、緞帳が上がり、バンドの演奏が始まり、歌い手が歌い出す。・・・  気持ちがすっと鎮まってきて、不思議な幸福感に包まれます。

 幕が開くと、時間は動き出し、あっという間に自分の番が近づいてきます。
 直前、舞台袖でスタンバイしている時の緊張。
 でもそれは、ステージに出ると一気に解放される気がします。
 ピアノ、ベース、ドラム、シンセサイザーの伴奏が、とても美しいハーモニーを奏でていて、その中に自分の声も溶け込んで共に生きてゆくような何とも言えない楽しさがあります。

 「愛を失くす時」「糸の上」・・・今回の二曲、聴いて下さった方の心に届いたでしょうか。
 歌の世界を満喫して頂けたなら幸せなのですが。

   仲 間
 嬉しいご報告が三つです。
*今回のテタールコンサートでは、三日間とも、私の訳詞を歌って下さる出演者の方がいらっしゃるのです。
 第一夜、『ラ・リュミエール』というアズナブールの曲。
 第二夜は、ミュージカル「ノートルダム・ド・パリ」から『カテドラルの時代』のプロローグ部分(セリフ)。
 第三夜は『バルバラ』。

 日頃、思いを込めて作っている日本語詩ですので、自分で歌ってそれを伝えることには、私は大きな意味を感じているのですが、それとはまた別に、他の方がご自分の感性と声と表現力でその詩を咀嚼して伝えて下さることにもとても素敵な意味があると思っています。 
リハーサル風景 牧道子さん 
 そして、その訳詞がどう育っていくのか、・・・・聴かせて戴く時はいつも、旅立った子の成長を見るような喜びを感じます。 
 昨夜『ラ・リュミエール』を歌われたのは、牧道子さん。
 彼女は歌手として活動なさっている方ですが、いつも音楽にひた向きに挑戦する、気の合う友人でもあります。
第一夜の締めくくり、フィナーレを飾ってこの曲を素敵に聴かせて下さいました。
写真は彼女。リハーサル中に写しましたがライトが反射してしまいました。

*昨夜、初めて出演されたSさんというミャンマーの方とお友達になりました。
 楚々とした風情のあるチャーミングな方で、同じくご一緒に出演したKさんの息子さんのお嫁さんだそうです。
 日本語がまだ達者ではないのですが、とても素直で可愛らしい性格の方だとすぐわかります。 
 母国語で二曲。一曲はお祭りの時に歌う曲だそうで、しなやかな踊りを交えながら楽しそうにご披露して下さいました。もう一曲は、恋の歌。優しい声に乗って、とてもしみじみとした歌でした。
 気が合って音楽の話をしていたのですが、とても楽しかったです。
 「『糸の上』を聴いていたら悲しくなって涙が出そうだった。とても綺麗な歌。」と褒めて下さいました。日本語が分からなくてもきっと歌を捉える感性が繊細なのですね。・・・Sさん、嬉しい言葉をありがとう。

*お稽古バックと真紅の薔薇。
 私のコンサートのスタッフとしていつも活躍して頂いている若い仲間5人。テタールコンサートにもかかさず来て下さいます。
 こんな可愛いトートバックのプレゼントを頂きました。
 楽譜が入るお稽古バックですね。さすが!!
 <ニャンコと共に、一生懸命レッスンに励むように>という力強いメッセージ、しっかり受け取りました。精進致します。
 おけいこバッグ  真紅のバラ
 先日久しぶりに再会した嘗ての教え子も聴きに来てくださいました。
 マイクを持って歌っている私、教壇に立っていた頃と隔世の感があったのではないでしょうか? 彼女からの真紅の薔薇、嬉しかったです。ありがとう。

 今日、明日、「レ・テタール・メランジェ・コンサート」は続きます。
 歌う仲間たちの健闘を心から祈っています。素敵な音楽を生み出して下さいね。

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コンサート前夜 ~糸の上~

 アレルギーの方って多いのですね。
 <もしかしたら秋の花粉アレルギーになったのかもしれない>と前回のブログで口走ってしまい、皆様にご心配をおかけしてしまいました。
 まだ、喘息みたいな咳が少し残っていますが、でもお陰様で喉の調子は殆ど回復致しました。明日のコンサート、大丈夫そうです!!

 「ブタクサとかのアレルギーでしょうか?私も目がかゆかったり鼻がおかしくなったりで、もしかしたら?と思っています。」仲良しのMさんからのお見舞いメールです。
 彼女はこの夏、<スイカアレルギー>が判明して驚いていらっしゃるとか。
 食べ物や大気や様々な複合汚染が重なって、私達現代人の体は、限界を将に越えようとしているのかもしれませんね。

 「秋の花粉症だとしたら、ブタクサやヨモギが怪しいかと・・・。どちらにしても厄介なものですね。私はアレルギー性鼻炎で、一年中花粉症のような感じなので、よくわかります。」いつもブログを読んで下さっているYさんからもご心配いただきました。

 『花粉症で連帯』というのもなんなのですが、でも<みんな仲間なんだ!私もめげずに頑張ろう!!>と、とても気が楽になって励まして頂けた気がします。有難うございました。

テタールコンサートのチラシ
 で、明日は「レ・テタール・メランジェ・コンサート」本番です。
 今日は割とゆっくりと、明日の準備などして過ごしています。
 遠足の前の子供みたいに、持ち物チェックを済ませ、タイムスケジュールを見直したりしていると、<よ~~し>とテンションが高まってきます。
 間際で恐縮ですが、コンサートチラシはこちらです。

15日から17日までの三日間。
二部構成で、プロ・セミプロ・アマチュア、色々な形で音楽と関わっていらっしゃる方々がそれぞれ二曲ずつ歌います。
「レ・テタール・メランジェ」の名の通り、<混ぜこぜになったおたまじゃくしたち>が色々な音楽を奏でてゆく・・・ステージに向かう時のエネルギーと、音楽の持つ力が、同じ場と時間を共有している自分自身にも自然に体に沁み入ってくるようで、その一員として今年も参加できるのは幸せです。

さて、私が明日歌う曲ですが。
前に「訳詞への思い」で紹介致しました
『愛を失くす時』
そしてもう一曲は『糸の上』という曲です。少しだけご紹介してみます。

   糸の上
 「ケレン・アン」というシンガーソングライターをご存知ですか?
 以前、このブログでも彼女の曲、『世界の片隅に』や『冬の庭』など、ご紹介したことがありました。
ケレン・アンのアルバム 
彼女の音楽にとても心を惹かれて、この数年、何曲も訳詞し、コンサートでも頻繁に取り上げてきていますので、記憶して下さっている方もいらっしゃるのではと思います。
 イスライル生まれ、オランダ育ち、現在フランスで音楽活動を繰り広げて、人気実力とも高い評価を得ている30代半ばの女性です。イスラエルとオランダの両国籍を持っていて、パリとニューヨークとテルアビブを行き来しながら活動を展開しているという彼女ですが、音楽も非常に複雑な陰影を持つコスモポリタンの香りがするような気がします。
音楽プロデューサーとしても卓越した才能を発揮していて、晩年のアンリ・サルバドールに奇跡的な復帰をもたらすきっかけとなった大ヒット曲『jardin d’hiver(冬の庭)』もケレン・アンの手によるものです。

 「糸の上」・・・<sur le fil >という曲ですが。

   人生は美しい
   私は記憶を失った
   糸の上で全ては静かで穏やかだ
   糸の上で全てはシンプルで簡単だ
   糸の上で人は鎮まる

 というような原詩が続き、なかなか難解なのです。

 哀切感漂うメロディーに乗せて、終わることなく続く呪文のような響きが、不思議なイメージを誘う曲。

 先日の巴里野郎ライブで初めて披露したとき、お客様のお一人が「不思議な歌ですね。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を連想しました」と感想をおっしゃって下さったのですが、確かに、イメージを自由に広げて味わってゆく象徴画のような曲かなと思います。

 私の訳詞は、

   細い糸の上で 私の愛が震える

 と、彷徨う恋の歌として、ほとんど作詞に近いかたちで作ってみました。
   
   光る糸の上で  揺れる 揺れる 揺れる

 ゆらゆらと揺れる細い糸の上を目隠ししたまま危うい足取りで進んでゆく、綱渡りのようなイメージが私にはあります。

 これからもずっと歌ってゆこうと思っている愛着のある曲ですので、明日お越しになれなかった方もいつか機会があったら是非お聴きになってみて下さいね。

 では明日のコンサート、ベストを尽くして参ります。

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緩やかな一週間

   目下、体調不良です
 何かというとすぐ熱を出すひ弱な子っていますよね。
 私は幼い頃は将にそんなで、親にも随分心配をかけていたのですが、今や、疲れ知らずに東へ西へ走り回って暮らしていますので、「風邪も引かない頑強な人ね。」って言われる事が多くなりました。
 何かの加減で体質が変わる事ってあるらしいので、子供の頃、病気がちだったりしてもそんなに心配することもないみたいです。
 ・・・と思っていたら、数年前からついに花粉症デビューしてしまい、これがかなりの重症で往生しています。
 それでも、昨年までは春のスギとヒノキだけだったのですが、どうやらこの秋、つい最近、怪しげな何かのアレルギーが起こっている気配で、この間の巴里野郎ライブが終わってからも、どうも体調は今一つ、特に喉周辺に限りなく危険な雰囲気が漂っています。
 あと一週間後には、新橋で合同コンサートもありますし、早く回復させなければ・・・どうしよう!! 
 で、この一週間、ほとんど歌の練習もせず、どうしてもの時以外は出来るだけ話もせずに、マスク、点鼻薬、咳止め、トローチ、スチーマー、・・・・耳鼻科グッツに囲まれて、物静かに、そおっと過ごしています。

   郵便局
 コンサート関係のご連絡をする時期なのですが、<沈黙は金>・・・こんな時は、電話より手紙で。
 筆マメなほうで、手紙を書くのは、昔から大好きです。
 で、郵便局も大好きです。
 どのポストは回収時間が何時か・・・など、もしかしたら郵便局員さんより詳しく正確に知っているかもしれません。
 民営化される前の郵便局は総じて、地味な感じで、ひたむきに粛々と業務をこなしていたという気がします。どのポストも(通りに面していて投函数の多そうなポストも、ほとんど利用がなさそうな辺鄙な場所にあるポストも)回収回数が一緒だったりして、(そういう実直さは、効率から言うと問題はあるかもしれませんが、)私にとってはこれぞ郵便局の本来の姿のように思われて、どこかノスタルジックな香りを感じたものです。
 でも、民営化されてからの郵便局も、また違う活気が感じられるようで、嫌いではありません。
 いつも行く郵便局には、私はほとんど皆勤賞みたいに毎日、何かしらの郵便を出しに行っていますので、たぶんそのせいでしょうか、結構有名人らしく、局員全員の方が名前を覚えて下さって、ドアを開けると一斉に『あ、〇〇様(私の名前です)、おはようございま~す。』と口を揃えて挨拶して下さいます。で、その後、お天気のこととかちょっとした世間話になることもあり、他のお客様が何事かと、振り向かれるので恥ずかしい時もあるのですが、でも明るくアットホームな感じは悪くありません。

 萩原朔太郎の散文詩に『郵便局』というのがあるのですが、その一節が浮かんできました。

   『郵便局』

 郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢゃの存在である。
 局員はあわただしげにスタンプを捺し、人々は窓口に群がってゐる。
    中略

 いつも急がしく、あわただしく、群衆によってもまれている、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。
    後略


 「日給の貯金通帳を手にしながら窓口に並ぶ女工の群れ」「遠国へかなしい電報を打とうとする人」「薄暗い片隅で涙を流しながら故郷に手紙を書いている若い女」「代筆を懇願する田舎の老婦」・・・・朔太郎は『郵便局』にやってくる様々な人達の、哀切感漂う人間ドラマをそこにとらえています。
 この詩に歌われている情景は、大正から昭和初期の頃のものですから、今とは全く異なる雰囲気だったのでしょうが、手紙というものが媒体となって生み出される一種の郷愁は、今も良くわかるような気がします。

   朝のポスト
 長年教職に就いていた名残なのでしょうか、私は今でも朝、かなり早起きです。
 早朝起きて、食事の支度の前に、机の前に座ってちょっとした仕事をするのは、とても自分が勤勉な人になった気がして、気持ちが良いです。
 特に早く目が覚めた時は、大抵、出そうと思っていた手紙を書いたりしています。
 今日も、夜明け前に目が覚めてしまいました。
 どうせ起きたならと、友人への手紙を何通か書いて、少しだけ離れた三条通りにある本局のポストまで投函がてら散歩に出てみました。

6時少し過ぎ、ようやく夜が明け始めました。

   朝の光1   朝の光2
 通りすがりの街角のバラ、マンションの玄関口には、門灯と朝の光が混ざり合っていました。

開店前のイノダコーヒ店 前にブログでご紹介した「イノダコーヒ」の前を通過。
 さすがにまだお客さんは入っていませんでしたが、店内は従業員の方達の気配がして、お店周辺に、香り高い挽きたての珈琲の香りが漂ってきて、頭がすっきりと目覚めてゆく感じでした。
 そして、近くのお蕎麦屋さんからは、鰹節のお出しの匂い。
 さすが、これが街中の朝の香りなのですね。

京都文化博物館 京都文化博物館2
 日が昇ってきました。
 前方に京都文化博物館、そしてその向こうに目指す三条の郵便局です。
 威風堂々とした京都文化博物館。
 レンガ造りの素敵な建物ですね。重要文化財です。

まだ、空に小さな朝の月が残っています。(写真をクリックして大きくして見てください)
 朝の名残の月 中京郵便局
 郵便局が見えてきました。
 このポストの最初の回収は6時30分です。まだ、間に合います。

 帰路。
 パン屋さんの「進々堂」も早起きです。教授や学生達が熱い議論を戦わせてきた京大近くに古くからあるカフェ、進々堂の支店です。植え込みに水やりをしている姿。お店の中は忙しそうにパンを並べている最中でした。ここでも香ばしいとっても美味しそうな香りがしました。
 進々堂   なじみの郵便局
 いつも行く一番近いおなじみの郵便局はここです。
 今日は何気なく通過します。
 そして、隣は大丸デパート。搬入の車がこんな朝から次々と駐車場に入ってゆきます。ガードマンの方も忙しそうに交通整理の最中です。
錦市場の入り口 
 正面は、いつも買い物をしている錦市場の入り口です。
 既に点灯されて、それぞれのお店の中で立ち働く方達の姿が見えます。市場の朝はやはり早いですね。

 時代祭りのポスターが店先に掛っていました。
 10月22日、もうすぐです。

 もう一つ、詩を思い出しました。
 谷川俊太郎さんの『朝のリレー』という可愛い詩です。

   「朝のリレー」

 カムチャッカの若者が
 きりんの夢を見ているとき
 メキシコの娘は
 朝もやの中でバスを待っている
  
   (中略)

 ぼくらは朝をリレーするのだ
 経度から経度へと
 そうしていわば交替で地球を守る
 眠る前のひととき耳をすますと
 どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
 それはあなたの送った朝を
 誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ



 10月の涼やかな朝の風に吹かれながら、体調が戻ってきそうな気持のよい、ご近所散歩でした。
 コンサートまであと少し、心穏やかに健康回復に努めようと思います。




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