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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

プレゼント 響き合いますように!

 1月も今日で終わり。
 長かったような、短かったような、色々なことが詰まった一ヶ月でした。
 明後日は、コンサート本番、ステージでお客様をお迎えしているのだなと、何だか感慨深いです。
 勿論、全てはこれからなので、しみじみとしている場合ではないのですが。

 いらして下さるお客様皆様に喜んでもらえますように。
 良い時間の余韻を温かく刻んでいただけますように。

 シャミオールの昼の部は、お陰様で当日券の若干名を残して満席。
 夜の部も寒い季節にもかかわらず、ほぼ一杯です。
 皆様とお会いできるのが、とても楽しみです。
 ゴールのある時間を目指して積み上げてきたものを信じて、ベストを尽くしますね。

 そして今、コンサートのご案内をするプロセスの中で、それぞれの方と交わし合ってきた言葉やお手紙やメールなどが、本番を支える大きな勇気と力になっていることを実感しています。

 こういう舞台裏の心境はあまり語るべきではないかもしれませんが、でも、そのことへの感謝を、こうしてブログを読んで下さっている皆様にもお伝えしたく思いました。

 ご自身の体調が万全ではなかったり、ご病気をかかえていたり、或いは、ご病人の面倒をみていらっしゃったり、大事な方を亡くされたり、・・・・様々な大変な状況を抱えていらっしゃる方は多いです。
 それでも「気分一新のために」、「元気を貰えたら」とおっしゃっていただき・・・・思いっきり受け取って戴けるよう、私のパワーを全部お渡ししますね。

 お子様がまだ小さくて、なかなか自由になる時間がない中、お母様やご主人が引き受けてくれることになったので、と、数日前に喜んでメールを下さった若いママ、・・・・聴いて下さる彼女だけでなく、お母様やご主人様にも強く支えられて私は歌えるのだなと、思いました。

 遠路なのに時間を作っていつも応援に来てくれる学生時代の友人。彼女の顔を見るととても元気になります。

 多くの友人、教え子の方達、そして音楽を通して知り合えた仲間や先輩、そういう温かい知人達に混ざって、チラシを見ていらして下さる初めてお会いする方達。

 沢山の皆様の思いが今、私の中に充満していて、コンサートの前にもう既に、言葉とか気持ちが音楽のように響き合っている気がしています。
 沢山のプレゼントを戴いているのですね。

 当日は、このプレゼントを噛みしめながら、強い力で私からもお贈りしようと思います。
 そんな気持ちの今日、本番2日前です。

 お天気はどうなのでしょうね。
 絶対、雪にはなりませんように。
 雨にもなりませんように。
 2月のコンサートの一番切羽詰まったお祈りはこれかもしれません。

 2月2日は節分の前の日、そういえば、昨年の『恋するバルバラ』コンサートは節分の翌日でしたから、正真正銘、一年後の公演となるのですね。
 旧暦でいえば一年の始まりの日と終わりの日に、それぞれコンサートを開催した年でした。良い締めくくりにしたいです。

 共演者達との最後の詰め。
節分仕様のヴィラージュ 

ヴラージュは、節分の豆まきに向けて模様替え。

何回かの顔合わせを経て、息もぴったりで皆、気合いが入っています。
 共演者を迎え、今回はいつもとはまた一味違った趣向ですので、楽しみにお出かけくださいね。

 

 アコーディオニストに大変身のこんな三浦先生の寛いだお姿を撮ってしまいました。叱られるかしら?でもこっそり載せてしまいましょう。
   アコーディオンで遊ぶ三浦先生

 では、明日は東京に向かいスタンバイ。明後日の本番、行って参ります。



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桜の季節 ~巴里野郎30周年記念月間~

   一か月半後に
 コンサートを間近に控えた今、このタイミングでお伝えするのは恐縮なのですが。
 
 実は、4月1日(月)、京都のシャンソニエ『巴里野郎』でソロコンサートを行うことになりました。
 『巴里野郎』には昨年二回出演して、このブログでもそのライブの様子をご報告致しましたが、今年は『巴里野郎』の開店30周年で、4月はその記念月ということで、イベント月間になるのだと伺っています。
 そのオープニングの4月1日に、『松峰綾音訳詞コンサート』を、とのご依頼を受け、出演させて頂くことになったのです。

 勿論、今は、目の前に迫った『ゲンズブール・イノセント』に全力を尽くすことが全てです。

 そして、これが終わったら、ここから一か月半後の桜の花の咲く季節を目指し、もう一度、心機一転、次の『訳詞コンサート』の準備に取りかかることになりそうです。
 違う趣向で、違うプログラムを練って、また違った面白さのコンサートを企画したいと思います。ピアノは昨年もお世話になりました坂下文野さんです。

 また詳細はお知らせ致しますが、19時30分から2時間、二部仕立てのステージになります。本日はともかくも号外第一報でした。


   10日前になりました
 さて平常心に戻って。
 訳詞コンサート『ゲンズブール・イノセント』もいよいよ後10日後に迫り、まだまだ頑張るべきことは沢山あるのですが、一時の落ち着かない状態は脱し、呼吸を整えて来たるべき時に向かおうという覚悟が出来てきました。
 先日来、ブログに言いたい放題口走っていたため、何だか色々ご心配をおかけしてしまったみたいで申し訳ありませんでした。
 
 コンサートは、これまでに何度か経験してきているので、少しは慣れてきてしかるべきなのに、準備の日々は、前より益々緊張度が増しているみたいです。  
 怖いもの知らずというわけにいかなくなっているためかもしれませんね。
 でも今は、こういう緊張をしっかり味わっておくことこそ大切なのだと、自分に言い聞かせています。

 それにしても、練習って大切ですね。
 原稿を校正する時など、もう完璧と思っても、読み返す度に訂正箇所が見つかったりするものですが、それと同様に、歌も、練習する毎に、表現の改善点などが閃いたりするもののようです。
 その閃きは、しばらく寝かせておくと、ある時突然、クリアにわかる場合もありますし、忍耐強く集中して反復するうちに自然と糸がほどけるように生まれることもあり、様々なのですが、いずれにしても、継続こそが力と思っています。

   『韋編三絶 意自ずから通ず』
 <座右の銘>ってほどでもないですが、子供の頃から本の虫だった私は『韋編三絶』(いへんさんぜつ)という言葉が大好きでした。
 ちなみに、『韋編三絶』というのは、『史記』に載っている故事からの言葉で、孔子が易経を愛読していて、そのなめし革で出来た綴じ紐が三回も切れるほど熟読したという逸話から生まれています。
 嘗(かつ)ての私、『読書百遍 意自ずから通ず』という言葉とを自分で勝手に合体し、『韋編三絶 意自ずから通ず』を読書中毒の免罪符にしていた節(ふし)があります。
 こんな子って、すご~くオタクっぽくって、今だったら何だか変人扱いされそうだし、当時もこういう言葉を口にすると友達ができなくなる気がして、密かに胸に秘めるだけにしていたのですが、でも、何度も何度も味わうように本を読んでいると、文字や文章の奥にあるものが光を放ってきて何かが突然氷解する瞬間を沢山経験して、これこそが読書の醍醐味だと思っていました。

 音楽にもそういうことってあるみたいです。
 歌うこともそうですし、訳詞をするときにはいつもそんなことを感じています。
 じっと集中していると、音とか言葉とかが自然に降りてくるというか、向うから招き寄せてくれるというような、奇妙な感覚ですが、こんな感じをどこかで経験したことってありませんか。
 もしかすると、音楽や文学だけでなく、スポーツも美術工芸も、広くは、生活全般、人間関係全てにおいても通じることかもしれませんよね。

 必要以上に力んでしまったり、余計な計算をしたりするのではなくて、無心になって、対象を慈しみ近づこうとするしなやかさがとても大切で、そういうことが何でもなく自然にできることこそが、達人の領域なのかもしれないなとこの頃考えています。

 すぐ緊張して、テンションが上がりすぎてしまう自分は、まだまだその対極にある未熟者ですが、少しずつでもそういう窮屈さから脱皮し克服できるよう、心して臨まなければと思います。

 今度のコンサートで取り上げる曲を改めて噛みしめてみると、どれも皆、本当に素敵で、是非お伝えして楽しんでいただきたいものばかりです。
 そういう肝心なことを忘れないようにしないとだめですよね。

 コンサート10日前、行ったり来たりの今の心境を、今日はちょっと辿ってみました。






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『ゲンズブール・イノセント』 3 ゲンズブールと女たち

   格闘中です・・・    
  12月のブログ記事「ただ今執筆中につき・・・」の中で、<私のコンサート準備の日々は、「少年よ大志を抱け」から始まり、「明日は明日の風が吹く」で終結するのです>などと、変な予言をしてしまったのが運のつきで、今まさに、その通りのプロセスを粛々と辿っております。
 
 現在は、第四段階の、ヤケになり「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」を生半可に振りかざし、人様に責任転嫁し始めた辺りを歩んでおり、でも、あと少しすれば、静かな諦めの境地へと辿くのでは期待されます。
 
 ほんの少しだけまだ時間が残されていて、でもやるべきことの山が高々と聳(そび)えていて、尚且つ、生来の凝り性と完璧主義が渦巻いて格闘しているような、・・・今の私の心模様です。
 結構苦しいのですが、でも、でも、意外とこれこそがコンサートへのプロセスの醍醐味かもしれず、また、これまでの自分のささやかな経験から推してみますと、この呻くような時間を経過することこそが、自分なりの熟成には不可欠みたいで、なんとか克服して、ふっと収まってくる時が訪れるのを信じたいと思います。・・・・もっと平たく言うと、これだけ苦労したのだから、神様が少しはご褒美をくれるのではという根拠のない期待みたいなものがあるのかもしれません。

   ゲンズブールのプロフィール
 このところ集中しすぎたためか、今、私の頭の中にはゲンズブールの音楽が鳴り続け、いつもゲンズブールに見つめられているような、怪しい状況になっているのですが、彼のことについて、まだあまりご紹介していませんでしたね。

 従来の抒情的なシャンソンと一線を画した、新しいフレンチ・ポップスの旗手として、時代の寵児であり続けたゲンズブール。
 天賦の才を自在に発揮して、作詞、作曲、シンガー、映画監督、音楽プロデュースと多岐にわたる旺盛な創作活動を続けた才人ゲンズブール。
 けれど、奇矯な言動が目立ち、酒と煙草と女と・・・・みたいないつもスキャンダラスなイメージに身を包んでいた不良中年ゲンズブール。

 自傷的と思えるくらい、自ら自堕落なゲンズブール像を演出し眺めているような感が、彼にはあって、そういう危うさになぜか、心が引き寄せられる気がします。

 「綺麗は汚い。汚いは綺麗。」・・・こんな言葉がありましたよね。
 ・・・・シェイクスピアの『マクベス』に登場する魔女たちが、マクベスに予言をする場面だったかと思うのですが、極端な強靭さの裏面には硝子のような脆さがあったり、虚無感や喪失感が希求の裏返しであったり、虚飾が純粋さを隠し持っていたり、人は一筋縄ではゆかない測りがたいものかもしれません。    
 ゲンズブールに、というか、ゲンズブールの音楽に、私はこれと同質のものを感じてしまうのです。
 ちょっと話が混沌としてきました。
 コンサートの中でもそんなことに触れてみたいのですけど、説明しがたい世界でもありますので、きっと上手くお話し出来ないかもしれませんね。
 でも、・・・「ゲンズブール・イノセント」というタイトルは、そういう私の直感から生まれた言葉でもあります。

 彼は1928年に生まれ、1991年63歳で亡くなっています。
 ユダヤ系の血を引いていたため、幼少期から、ナチス占領下のパリで、激しい迫害を受け、過酷な逃亡生活の中で、屈折した人生観を持つこととなったようです。
 人間や人生そのものに対する根強い不信感や厭世観、虚無感、それを負のエネルギーとして、既成概念や既成の音楽を打ち崩すところに生まれる、彼独自の芸術的世界を構築していったのかもしれません。
 
 前回の『訳詞コンサート 恋するバルバラ』ではバルバラを特集してみましたが、そういえば全くの偶然、バルバラもユダヤ系の血を引いており、それゆえ幼少期には同様の壮絶な体験をしていたのを思い出しました。
 激しい人格や人生と裏腹な、儚げで美しい旋律と言葉、陶酔感に溢れるメロディーの優美さは、そうした喪失感の底から生まれ得るものなのでしょうか。

   映画『ゲンスブールと女たち』
 昨年2012年に、ゲンズブール没後20年を記念して制作公開された『ゲンスブールと女たち』というこの映画、ご覧になりましたか?
映画「ゲンズブールと女たち」のチラシ(表) 
 こんなポスターでした。
 知らない方は、びっくりしますよね。眉をひそめる方もいらっしゃるでしょうね。
 「何たること!こんな猥雑な映画、観るなんてとんでもない。これがゲンズブール?? こんな感じの人だったら歌も聴きたくない」・・・・とおっしゃられると困ると思い、実はあまりお見せしたくなかったのですが。
 ブリジット・バルドー、 ジェーン・バーキン、 フランス・ギャル、 ジュリエット・グレコ、 カトリーヌ・ドヌーヴ、 ヴァネッサ・パラディー。

 もっともっと更に大勢・・・。

 音楽プロデューサーとしても類まれなセンスで、ヒット曲を次々と提供し、若い歌手や女優たちの才能を開花させ、スターを輩出してきたゲンズブールですが、また、彼女たちと華やかな浮名を流し、稀代のプレイボーイとしてもその名を轟かせています。 
「ゲンズブールを歌う女たち」CDジャケットより(ジェーン・バーキン) 
その中でも、20歳年の離れたジェーン・バーキンとの仲は濃密で、結婚し、公私共々良きパートナーとして長く連れ添うことになるのですが、そんな女性遍歴を主軸としながら、音楽家ゲンズブール、そして人間ゲンズブールを、この映画は描いています。
 ゲンズブール役のエリック・エルモスニーノを初め、取り巻く女性たちも、イメージがぴったりで、BGMとして流れる曲の扱いも洒落ていて、なかなか興味深く楽しめる映画でした。

 上記のポスターの女性は、一目でブリジット・バルドーだとわかりますが、本当にこんな風にピアノの上に座ったりしたかどうかは甚だ疑問です。
 イメージが映像を創り上げているのでしょう。

映画「ゲンズブールと女たち」のチラシ(裏) 
  
ユダヤ人で醜男というコンプレックスを抱えながら、数多の美女たちを虜にした伊達男。

セルジュ・ゲンズブールとは一体何者だったのか?
そして、世界中を虜にしたその魅力とは?
その破天荒でスキャンダラスな生涯に隠された伝説が、数々のシャンソン、ジャズ、フレンチ・ポップに彩られスクリーンに蘇る・・・。


 という、このポスターのキャッチコピーです。

 ゲンズブール像は、かなりデフォルメされていますし、『ユダヤ人』『醜男』という点に集約して、全てを説明し過ぎているのが多少気になりますが、でも映画ですし、物語を展開していく上で、シンプルな基軸が必要なのは当然かもしれませんね。

   CD『ゲンスブールを歌う女たち』
「ゲンスブールを歌う女たち」CDジャケットより(1) これは、『Gainsbourg versions femmes (邦題「ゲンスブールを歌う女たち」)』という2000年に発売されたアルバムです。

 ヒット曲というのは、その一世を風靡した時を過ぎると、ノスタルジックな色合いを急激に増して、一気に枯れてゆく感がありますが、それを差し引いたとしても、どの曲も名曲ぞろいで、聴きごたえがありこのアルバムはお薦めです。
「ゲンズブールを歌う女たち」CDジャケットより(2) 
 女性たちがそれぞれに歌う歌声の中に、ゲンズブールの音楽の魅力が、まさに爛熟していて、彼の音楽がそうであったように、彼自身もまた、彼女たちに深く愛されていたのではと感じます。




 ゲンズブールの世界の持つ、悪酔いしそうでそうでもない、癖になりそうな美酒の芳醇な香りを、私のコンサートでもお伝えできたら嬉しいです。
 今日は少しだけゲンズブールのご紹介をしてみました。



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カメラの中のお正月

 時は瞬く間に過ぎて行く・・・・年が明けたと思ったら、もう6日ですね。
 この調子で、今年も過ぎてゆくのでしょうか?
 そんなことばかり言っていると老い込んでゆきそうですので、いつもたっぷりな時間を持っていると信じることにして。
 
 元旦から何をしていたのかなと、デジカメを覗いたら、何となくシャッターを切ったいくつかの場面が残っていました。
 お伝えするのも恥ずかしいくらいの、とても平凡な私の新年ですが、お屠蘇(とそ)気分の締めくくりに、今日は「平凡なお正月の写真集」ということでご紹介してみますね。

   八坂神社初詣
 遡ること、元旦の朝。
 例年通りの八坂神社への初詣です。
今年は、お馴染みの四条通りの西楼門からではなく、鳥居のある正門(南楼門)から入ってみました。
 八坂神社南楼門 八坂神社の鳥居と人力車
 神社の鳥居の横には人力車がスタンバイして、車引きのお兄さんたちの威勢の良い呼び込みの声が響いていました。

 参道にある老舗の京料理「中村楼」の門構えと、玄関脇にある二軒茶屋。打ち水を済ませた新年のしつらえが、眩しい朝の光に映えて清々しいです。
 中村楼の玄関 玄関脇の二軒茶屋

今年のおみくじは、 ふふふ・・・。
大吉でした!!
大晦日から八坂神社に通ったご褒美でしょうか?
10年以上大吉を引いていなかったので、今年は何だか嬉しい幕開けです。
でも、でも…この写真。
何だかわかりますか?
宮司さんが、結ばれたおみくじを回収しているところです。・・・・そんなに目立つようにゴミ袋に入れなくても・・・・どんど焼きで処分してくださるのでしょうね。
 おみくじ回収 初詣乗車券祈念品
 阪急電車が出張している「初詣乗車券祈念品授与所」。
 祈念品はご神酒と盃。こういうのに反応して、一枚。
 帰路はいつもの四条通りに面した西門へ。続々と初詣客が歩いてきます。

   富士山
 さて、帰宅後、郵便受けに届けられた年賀状を持って、新幹線で東京へ。
 この日は関ヶ原も珍しく雪がなく、日本晴れでした。
 車窓から見る元旦の富士山
 静岡。 殊の外美しい車窓から見る富士山です。
 富士山ってどうしてこんなに心に入ってくるのでしょうね。
 太宰治が、『富岳百景』の中で、「富士にはかなわない・・」とふとつぶやく場面が出てきますが、揺らぎない姿に、実は、憧憬の念を持つ彼独特の愛情表現だったのかもしれません。
 この形に黄金律のようなものがあるのでしょうか?それとも日本のシンボルとして、昔から日本人のDNAに刷り込まれているので、そんな気がしてしまうのでしょうか?不思議です。

   少しだけ初お目見え
 そして、実家のある逗子に。
 例年通りの新年のご挨拶と、親族が集まっての新年会です。
顔は恥ずかしいので出しません
 一昨年のブログで姪のKちゃんの結婚式をご紹介しましたが、彼女に9月、赤ちゃんが誕生しました。華奢な体なので、皆で心配していたのですが、びっくりするほどの安産で本当に良かった。 
 Yちゃんと名付けられた可愛い女の子、Kちゃんの赤ちゃんの頃がまだこの間のように思えるのに、伯母としては感無量です。
 家族が増えるのは賑やかで楽しく、Yちゃん人気最高潮でした。恥ずかしがったので、顔はまだお見せしません。
 
   砂塵の中の光明寺
 翌日も実家で過ごしました。
 すぐ近くに、浄土宗大本山の光明寺があります。
 幼い頃から慣れ親しんだお寺、参拝にと、一人で散歩に出掛けました。
 でも、この日は、突風が台風のように吹き荒れていました。
 近くの海岸道路を、箱根駅伝の選手たちが走り、そのTV中継の中で、「目を開けていられない突風」としきりに言っていたのですが、一歩外に出てびっくり。本当に吹き飛ばされそうな追い風でした。
 それでもいざ出陣。
 清々しい佇まいの光明寺の山門です。
 光明寺の山門 渡り廊下から見る蓮池
 本堂に参拝し、渡り廊下を。
 夏は美しく咲く蓮も、この季節は枯れた茎を池の中に見せ、どこか枯淡の味わいがあり、これも素敵です。

 そして、近くの海岸を散歩してみようと歩き出したのですが、今度は向かい風が砂を巻き込んで竜巻のように襲ってきて、目を開けることもできません。一瞬のうちに砂まみれになって、この海岸道路を渡ることを断念せざる得ませんでした。海も台風の時のように荒れています。
 コートも髪も顔も体中、砂だらけの惨憺たる有様で、すごすごと家に。
 強風の海岸道路 光明寺の甍越しにみる海岸
 光明寺の甍越しに見る鎌倉の海岸線と江の島。
 本当なら遠くに富士山も見えるのですが、砂塵に巻かれて煙っています。

 そして3日は、コンサートスタッフとの打ち合わせ。
 2月2日までいよいよ一か月を切り、カウントダウンに入ってきました。
 一番辛くて、でも一番凝縮された時間がまさに今、過ぎています。

   マイブログ
ブログのカウンター
 ふと、ブログを確認してみたら、
     何と『22222』!!!
 偶然に遭遇できたのも何だかすごく縁起が良い気がして、思わすシャッターを切りました。
 皆様、ご愛読くださいまして本当に有難うございます。

   花びら餅
花びらもち
 京都に戻り、普通の時間が始まりました。

 お正月の縁起物、花びら餅です。

 綺麗ですね。牛蒡と人参とお味噌と餅。
 餡は白味噌味。京都の和菓子の繊細な季節感を楽しみました。

   日めくりカレンダー
 そして今日。
土曜、日曜が一枚の日めくりカレンダー 
 例のアメリカの日めくりカレンダーですが、気が付きましたか?
 
 なぜか土曜日と日曜日が一枚になっています。
 さすが、キリスト教の国。日曜日の安息日はカレンダーもめくらないのでしょうか? 勝手な解釈をして楽しみつつ、これも一枚。どなたか正解がありましたら教えてください。

   年賀状
 今年も沢山の数の年賀状をお出しして、同じくらい沢山の年賀状を頂きました。いつも大事にとっておきます。
 それぞれの方が心のこもったメッセージを書いて下さり、またセンスの良いデザインで送って下さるのですが、今年の私の一押しはこちら。

素敵な年賀状
 巳年がミドシ…音符になっているのです。
 歌ってみたら、すっかりはまってしまって、もう「♪ミドシ♪」が頭から離れません。

 やられたって感じです。
 Mさん、素敵なお年賀状を有難うございました。

 ではこれで。
 明日から、お仕事また、頑張りましょう。



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2013年 良き年でありますように!

 新年、明けましておめでとうございます。
 どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

 皆様にとりまして、健康で幸多き一年となりますように。
 困難を乗り越えてゆける勇気と力を持つことができますように。
 いつも温かい思いやりの心で周囲を包んでゆかれますように。

 日本も世界も、政治も経済も人心も、どこか靄がかかったように混迷し、停滞していて、いつの間にか上機嫌に過ごせない時代になってきている、そんな気がします。
 環境の急激な変化や、たび重なる自然災害などの前に、その脅威を思い知らされる日々でもあります。
 そういう様々な不安を抱えながらも、でも、より良い未来に向かって再生してゆける希望の年となりますように。

 今朝も早く目が覚めました。
 段々と空が白んできて、穏やかな陽の温もりを感じる、気持ちの良い元旦です。

家族用年賀状 

 では、今年のお年賀状を。

    恭 賀 新 禧    

 家族バージョン、今年は少し優しげに、でもやはりいつも渋く。



綾音用年賀状

 そして、こちらが綾音バージョン。

 木に寄りかかって、どこか遠くを見つめるパターンが、昨年からのお気に入りで、今年のも、ちょっと似ています。 
 でも更に目線が遠くなったようで、何だか心配な気も・・・・。

 そして、益々字は細かくなり、どっさりと何やら書き込んであります。


 日めくりカレンダー 1月1日

 昨日ご紹介した日めくりカレンダーの一枚目はこれ。

 アメリカ、ニューメキシコ州のチムニー・ロックでした。
 

 さて、これから、お雑煮とおせちを。
そして、再び八坂神社に初詣に行って参ります。
帰宅後、今度は東京へ。今年も、実家へのご挨拶です。

 皆様、佳き元旦の一日をお過ごしくださいね。


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