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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

梅雨時の大掃除

 ・・・いつか、こんなタイトルでお話ししたことがあったのでは?と、見直してみましたら、ちょうど二年前の2011年6月にも『梅雨時の片づけ』という記事を書いていました。
 亡き祖母の思い出と絡めながら、「ものを片づける」ということについて、更に同年7月には
『「断捨離」と「片付けの魔法」』いう記事で、二冊の片づけ本を紹介し、人とものとの関わりについてお話していたのですね。
少し時間が経って、自分の文章を改めて読み返すのって、こんなことを考えていたのか、という再発見もあり、結構面白いものだと思います。
街角の額アジサイ
 「身の回りを片づけなくっちゃ、でもなかなかできなくて・・・」と困っていらっしゃる方、よろしかったら上の二つのタイトルをクリックしてお読みになってみて下さい。

 ・・・で、話を進めますと、二年経っても同じ行動パターンのようで、梅雨だというのに、またまたスイッチが入ってしまって、この一週間、片づけと大掃除に明け暮れています。

   片づけ編
 几帳面で合理主義だった祖母に、幼い頃から徹底的に鍛えられ、薫陶を受けてきたためか、私は片づけ大好き人間で、モノの管理や整頓術にかけては特技の領域、周囲からは半ば呆れられつつも、「頭の中もさぞかしすっきりと整理整頓されているのでは?」などと、美しき誤解を生んでいる節があります。

 ・・・それ程、片づけにはキャリアはあるのですが、それでもやはり、モノは溜まります。
 基本的には
 「いつも軽やかにすっきりと!」
 「必要なものを慈しみ生かしつつ、心豊かに共存していたい」
 というのが信条ではあるのですが、人が生きて行くのは、大変なこと。なかなか理屈通りには行かないようで、生きることは、無形、有形を問わず、いつの間にか堆積されてゆくあらゆるものを引き受け、付き合うことであるという気さえしてきます。
 これについて、一昨年の記事の中では、こんなことを書いていました。

 あまりにも過去に引きずられ過ぎたり、ただ整理が出来なくて不用品に埋もれ、沢山モノを持っているのに不自由な生活をするのはどうしても感心できませんから、改善の努力をするとして、捨てたくても捨てられないものを苦笑いしながら抱えてゆくのも人間らしくて自然なのかなとも思うのです。

 これまで、とても大切で、決して捨てることなどできず大事にしまいこんであったものが、ある時ふっとふっ切れたり、気が済んだり、また自分の気持ちを敢えて変えたくなったりして、全てを一掃しようと思うことがあります。
 そんな時が「捨てどき」、「手放しどき」なのでしょうね。
結構果敢に断捨離してしまう私ではありますが、それでも、無理しないで自然に、「手放しどき」が来た時に手放せばよいのではと思っています。(これはモノだけではなくて、心の傷とか、執着している問題などにも当てはまる気がします。)
 でも奥に深くしまい込み過ぎると、根を生やして身動きがつかなくなりますので、時々埃を払いながら、自分にとっての今の意味を確認してみる・・・・私の「片付けタイム」はそんな時間でもあります。

 で、今年も吟味し整理整頓して、今、束の間、すっきりと軽やかです。

   大掃除編
 一週間ほど前の、NHKの「あさイチ」で、『“いや~な同居人“ダニ追い出しスペシャル』という特集をやっていたのですが、ご覧になりましたか?
 私、これを観てしまったのです。
 何を隠そう、今回の大掃除の火付け役はこの番組で、「これは一大事!」とばかり全力ダッシュすることになったのでした。

 「マダニ」は侮れない強敵で、昨今話題の重症熱性血小板減少症候群などの重篤な疾患を引き起こすことが多く、既に死者まで出ているということはもちろん知っていましたが、番組はまずそのことに触れた上で、「マダニ」ではないもっと身近な「チリダニ」の話へと入ってゆきました。
 この時期に激増して、その死骸やフンなどが、重度の喘息やアレルギー性皮膚炎などを引き起こすこともあり、・・・・と話は続いてゆきます。
 人間の皮脂や髪などを好むことから、何と言ってもベッドや布団に一番多く潜んでいるのだそうです。
 多い時には、1平方メートルあたり10万匹!・・・痒くなってきますね。
 聞いてしまうと、アレルゲンの中で安眠はできないかなと思いませんか。

 ダニを徹底的に退治する方法は3通りあるということで、まず<乾燥>。そして<餌を絶つこと>。もう一つは<熱>。50℃以上で死滅するのだそうです。

 従ってダニ駆除の方法としては、
1 布団やマットを干したり、除湿機などかけて部屋の湿度を60%以下に調整すること。
2 兎も角掃除をし、シーツや枕カバーなども頻繁に洗うこと。
3 布団乾燥機でマットや布団に高熱をかけること。この際、熱が布団全体に行き渡るよう、折り方など工夫すること。
 という提言でした。

 上記を完璧に行えばダニを撲滅できるのですが、でも、実はダニそのものより、その死骸やフンが人体に悪影響を与えるのだそうで、それらを排除することこそがより重要となり、この解決策として一番良いのは、布団に直接掃除機をかけ、浮き上がってきた死骸やフンを吸い取ってしまうことなのだそうです。
 干した布団などをバンバン叩くのは、アレルゲンを振りまくことになり逆効果であるということ、・・・・あの布団から出る埃は粉々に潰れたアレルゲンだったのですね。PM2.5よりも更に細かい微粒子を肺などに吸い込むことになるそうなので、散らさないで、そおっと速やかに吸い取ってしまいましょう。
 干した後のお日様の匂いのする布団を叩くのは、私は昔から割と好きだったのですが、あれはダニという点からは好ましくない方法だったのですね。
 知らないということは恐ろしいことです。

 番組のお薦めに従って、すぐさま、布団乾燥機をかけ、布団にも掃除機を念入りにかけましたが、ここから拍車がかかり、どうせなら根こそぎ、とにかく家の隅々まで埃を一掃しようということで、引っ越しのような大騒ぎで止まらなくなってしまいました。
 でも、すっきりと、梅雨を過ごすというのも悪くないかなって思っています。
  
   おまけの写真
ジャスミンの花
 気が付いたら、今日は写真がないので、地味ですが、我が家のジャスミンをご紹介してみます。<根こそぎ大掃除>の一環として、ジャスミンの鉢も、一回り大きいものに植え替えてみました。
 二年前に買ったときは30センチ位の小さな木で、冬に枯れそうになったこともあったのですが、持ち堪え、今は80センチほどに成長しました。
 ツルを巻きつけて成型を終え、結構立派に変身です。毎日可愛がっている甲斐あってか、こんな花が咲き(ちょっと盛りは過ぎていますが)、芳しい香りを放って、まだこれからの蕾も沢山つけています。本当はこういうことは得意ではないのですが、これも縁なのかなと、楽しんで育てたいと思います。


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五月のパリを行く(5)~ パリphoto点描~

 思えば、パリ旅行から戻ったのは、ちょうど一か月前。
 こうして、ゆっくり余韻を楽しませて頂きましたが、今回で「五月のパリを行く」の最終回としたいと思います。

 「写真を沢山載せて!」とのご要望もあり、今日は、アトランダムに、パリの写真点描をお楽しみいただこうかと思います。

   ヴァンドーム広場 二景
 21時頃になるとようやく、日が暮れ、街に灯りがともり出します。
 何回も通った、宿泊先ホテルへの帰路、ヴァンドーム広場の夜景です。
 広場のモニュメントと、遠くにくっきりと浮かぶエッフェル塔のイリュミネーションにひと時、心を奪われました。
ヴァンドーム広場の日暮れ  早朝のヴァンドーム広場
 そして、同じヴァンドーム広場の早朝の風景。
 夜と朝に、それぞれの空気が流れて。

   カフェ
 カフェは、パリのシンボルですね。
 パリには、一体何軒くらいのカフェがあるのでしょう。
 どの店も、外に面したテラス席が圧倒的に人気のようで、中のソファー席は広々と空いているのに、皆ひしめくように外に向いて腰掛けています。
賑わうカフェ1  開店前のカフェ
 読書したり、おしゃべりしたり、街行く人の流れを楽しみながら。

 私もフランス人になり、テラス席でぼっと向かい側のカフェを眺めていました。
犬の散歩
 カフェの前を、犬を連れた人が沢山通過してゆきます。犬も慣れていて雑踏を上手に主人に従って歩いています。 
 由緒正しそうな大型犬の多い中で、こんな普通のワンちゃんも。

犬が取り持つ縁 
 通行人の女性が、すれ違い際に、犬に話しかけていました。いつの間にか飼い主と結構長いこと話が弾んでいる様子で、犬が取り持つ小さな物語が、勝手に私の中で出来上りました。

 三ツ星とか四つ星とか、きちんとした食事を提供するいわゆる「フレンチ」は『レストラン』。
 それが少しカジュアルな街の食堂という感じになると『ブラッスリー』。
ブラッスリー  ビストロに憩う人々
 お酒を供するフランス版居酒屋という感じが『ビストロ』。
賑わうブラッスリー
 ビストロの店内は大体がレトロで、夜遅くまで開いていますし、ランチ、ディナーなどの時間も特に決まってなくて、いつでもぶらりと気楽に入りことができます。

 一方、お茶やワイン、軽食程度は『カフェ』。結構なんでもありの気取らない喫茶店という感じでしょうか。そして、お茶は、エスプレッソかカフェ・オ・レが似合っています。

サロン・ド・テ

 それに比して、お洒落なティーサロンは、『サロン・ド・テ』。勿論紅茶を注文し、できればケーキも付けてゆったりと過ごしましょう。

 ・・・個人的な感覚なので、この区別が正しいかどうか定かではありませんが、自分流にこんな判断をして、その時々の気分次第、いろんなお店に入っています。

   店先 そして ウインドー 
まずは豪華にエルメスのショーウインドーから。
宿泊したホテルのあるサントノレ通りは、こういうブランドショップが軒を連ねていて、思い思いの斬新な飾り付けをしています。

  エルメスのショーウインドウ    乳母車を押すパパ
 お店の前で、乳母車を押している男性。
 俳優さんみたいに端正な方なのですが、どうやら、奥様は今エルメスでお買物の真っ最中のようで、赤ちゃんをあやしながら外で待機中です。お店の前を行ったり来たりで、フランスのパパも大変なのですね。

本屋さん。
本屋さん  子供服店のディスプレイ 
 子供服のお店のディスプレイ。小さなパリジャンとパリジェンヌがここから生まれることでしょう。でも、向側のビルが反射して写っていて、まるで洗濯物が干してあるように見えますね。
 
 小物雑貨屋さん。
 ワイン屋さんのウインドーの前には、大きなディスプレイ用の瓶が置かれています。「BAD BOY」・・・なかなかです。
 雑貨屋さん  ワイン屋さんのディスプレイ

   見上げれば看板 そして 窓辺
 お花屋さんの看板と、本屋さんの看板。
  花屋さんの看板    本屋さんの看板

これは何の店の看板かわかりますか?
レストランですが、このお店は、鴨のコンフィとかフォアグラ料理が有名らしいので、この絵は、アヒルか鴨なのでしょうか?
そして、窓辺。
 レストランの看板  窓辺

   セーヌ河畔 ノートルダム寺院
 パリの旅の終わりは、やはりセーヌ河畔に向かいたくなります。
 パリッ子はセーヌが大好き、と聞きますが、夕暮れ時にこの河畔に佇んでいると、その気持ちが何だかわかる気がしてきます。
セーヌに架かる橋から 

 ミラボー橋の下を セーヌ河は流れ
 
 われらの恋が流れる


 というフレーズで始まる、堀口大學の名訳『ミラボー橋』(アポリネール原詩)の一節が、じっと河を眺めていたら、しみじみと思い出されました。
 
セーヌ河畔のブキニスト

 岸辺にはブキニストと呼ばれる古本市が。据えつけられているいくつもの緑の大きな箱のふたを開くと古本屋に早変わりする仕組みです。右側に見えるのは、もう店じまいして蓋が閉じられた箱です。
 16世紀の昔から変わらずセーヌ河畔にノスタルジックな風情を添えています。

 シテ島を散歩して、夕暮れのノートルダム寺院に行き着きました。
 『ノートルダム・ド・パリ(パリ・ノートルダム寺院)』は、小説やミュージカルの情景とも重なって、特別な感慨があります。
ノートルダム寺院  ノートルダム寺院2
 以前ブログでも詳しくご紹介しましたが、覚えていてくださるでしょうか?


 これまで、眠っていた旅心が刺激されたのか、旅行から帰ってきてからまだずっと、頭がフランス漬けになっています。
 出かける前より熱心に、地図やガイドブックをチェックし出したり、訳詞作りに火が付いて、次々と新曲も完成させてしまいました。

 本当に久しぶりに出かけた小旅行でしたが、色々な意味でリフレッシュできた気がしています。
 またいつも通りに、普通の生活を普通に、一生懸命頑張ろう。そうすれば、きっと、忘れた頃に、小さなご褒美がもらえることもあるかもしれないな・・・などと殊勝な決意をしつつ、でも、早や、今度は何時出かけようかと、密かにチャンスを狙ったりもしているのでした。

 「五月のパリを行く」・・・・全5話の完とさせていただきます。


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五月のパリを行く(4)~シャンパーニュ地方へ~

 「五月のパリを行く」・・・四回目となりましたが、今日もお付き合い下さい。
 
 パリをゆっくりと満喫する旅。
 そうは言っても、一日くらいは、郊外に出てみるのも悪くないかも・・・ということになり、旅程最終日の日曜、お店は皆閉まっていることだし、Mさんと二人、バスツアーに参加することにしました。

 どうせなら、100%聞き逃さず理解できる日本語ガイド付きに、ということで、いくつかあるバスツアーの中から「シャンパンの故郷、シャンパーニュ地方を訪ねるコース」を選んだのでした。
 Mさんの提案です。
 彼女はお料理・お菓子だけでなく、ワインにも精通していて、ガイドの必要などなかったのではと思うくらいに博識なのです。そしてかなりいける口。
 それに引き換え、私は、情けないことに全くの下戸なので、ワインの良し悪しも皆目わからないのです。
 じゃあなぜ、シャンパーニュ地方なのか、ですが・・・これまで縁がなく、彼女が提案してくれなければ、終生足を踏み入れることなく終わるであろう未知の世界への好奇心が、旅の風に吹かれて、沸々と湧いてきたため。そしてもう一つ、葡萄畑の風景を見てみたかったためでした。

   ランスに出発 
 朝7時30分集合、乗客70名程が乗り込んだ大型バスに、日本人の観光客は8名でした。
 そして、この日のガイドさんは二名。・・・・一人は女性で、フランス語、英語、ドイツ語、ポルトガル語、スペイン語と5カ国語を操り、次々と言葉を変えては、同内容のガイドをしてゆきます。かなり丁寧な説明なので、<×5>、一通り全部終わるのに結構時間がかかります。(その日に乗る乗客の国籍と、言葉のニーズによって、ガイドさんは選ばれるようです)
 彼女の<×5>が終わるのを待って、同一内容のお話を、今度はもう一人のガイドさんが日本語で説明してくれます。
 Yさんという、とても明るくユーモアのある日本人の中年の男性でしたが、何に関しても見識が深いことがにじみ出ていて、懇切丁寧、教えたくて仕方がないという感じの(誰かさんみたいです)、パワフルな説明でした。
 5カ国語分の女性ガイドさんの約半分くらいの時間を、日本語ガイドだけで費やし、しかもあちらは60人。私達は8人で一人を占有。申し訳ないくらい贅沢で、名調子の講義を受けているような感もあり、何だかとても賢くなれた気がします。

バスからの田園風景
 バスの窓から。
 午前中は曇り空で、雨の予報。雲が重く落ちていますが、パリから少し離れると、一面田園風景。フランスはやはり農業国なのですね。

 牧草地に黄色の花が、どこまでも広がっていました。
    
   MUM社の見学から
 ランスの街に到着。ランスはシャンパン発祥の地で、沢山のカーヴ(酒蔵)があるのですが、その中でも代表的なMUMというシャンパンメーカーをまずは見学しました。さすが洒落た門構えです。
MUM社  ガイドのYさん
 ランスの街の歴史から始まり、シャンパンの出来上がるまでの過程を丁寧に説明して下さるYさんです。

 一定の湿度、温度が保たれた薄暗いカーヴ(酒蔵)。
 膨大な数のシャンパンの瓶。すべて熟成に向かって静かに時を待っています。
薄暗いカーヴ  熟成されるシャンパン
 一時間程の密度濃い学習の甲斐あり、私は今やシャンパン通ですが、調子に乗ると大長編になりますので、残念ですが詳細は割愛致します。
 シャンパンの試飲もあり、勢いにつられ少しだけ口に含んでみましたが、カーヴで眠り続けた幾歳月を経た芳醇な香りが広がります。


   ランス・ノートルダム大聖堂
ランス・ノートルダム大聖堂

 1825年までフランス国王の戴冠式が行われていたというランスのノートルダム大聖堂も見学。

 13世紀のゴシック建築で、古城のように威風堂々とした佇まいです。



 地元の人々にとても愛されているという「微笑みの天使像」です。
 不思議な表情をしていると思いませんか。
    微笑みの天使    大聖堂のステンドグラス
 教会の中。ステンドグラスから光が、色を変えて柔らかく差し込んできます。

 日曜日なので、ちょうどミサが行われている最中でした。荘厳なパイプオルガンの音色が反響し、堂内を包み込むように響き渡っていて、身を正したくなる不思議な感動がありました。聴き入っているうちに、ずっと前からここに居るような懐かしさと、遠くに引き込まれてゆくような陶然とした気持ちが湧き上がってきて・・・やがて、ミサ曲を歌う聖歌隊の澄んだ歌声も合わさって・・・。日曜日の教会は何とも言えず素敵です。


 近くのレストランで各自昼食をとることに。
 何気なく入ったお店には中央にグランドピアノが置かれ、壁一面に歌手たちのポートレートが掛っていました。夜はライブハウスになるのでしょうか。
    ゲンズブールのいるレストラン
 中央にゲンズブールの写真も。(銀髪の女性の頭の上あたり)
 「また会えた・・」と心の中で呟いてみました。

   エペルネの街に
 バスは、ランスからエペルネの街へと。
 エペルネもまた、シャンパンの中心地として長い歴史を持った静かで美しい街です。
 
  エペルネの街並    ドン・ペリニヨン修道士の像
 地方の産業振興として、シャンパン(発泡性ワイン)に注目し、改良を重ね良質のシャンパンを完成した修道士のドン・ペリニヨンの像が、訪れた「モエ・エ・シャンドン」というシャンパンメーカーの庭園の一角に建っていました。
シャンパングラスのシャンデリア 
「ドンペリ」というのが、シャンパンの頂点、とんでもなく高価なシャンパンらしいということは知っていましたが、このドン・ペリニヨン修道士の名から取られたものだったのですね。

 「モエ・エ・シャンドン」のロビーに、シャンパングラスのシャンデリアが豪華です。


 カーヴの中は、こんな美しいスタッフが、なんと日本語で解説をしてくれました。こちらも懇切丁寧、且つ、学究的な説明でした。
 カーブのスタッフ   ご夫婦でご案内役
 最後にやはり試飲。お隣りのダンディーな男性は、新婚の「旦那様」なのだそうです。ご夫婦で同じ職場なのですね。

   葡萄畑 ~ミレジム~
 帰りのバスの窓から。
 朝、黒雲が垂れ込めていたのに、お昼近くにはすっかり回復して、気持ちの良い青空になりました。

 見たかった葡萄畑。
芽吹いたばかりの葡萄畑 葡萄畑2
 今年は寒かったため例年より芽吹きが遅く、やっと緑が顔を出し始めたばかりで、風にそよぐ緑一杯の葡萄畑を期待していただけにちょっと残念でした。
 季節と共に、一面に青々と枝葉を広げ、やがて実を付け、見渡す限り丘陵は葡萄で埋め尽くされるのですね。

 以前、このブログでもご紹介しましたが、
『ミレジム ~君が生まれた日~ 』という訳詞を作ったことがあります。
 ワイナリーで働く若者が、我が子の誕生を祝して歌う歌。
 葡萄の出来が最高の年だけ、その葡萄で作るヴィンテージなワインを『ミレジム』というのですが、そのミレジムに匹敵する愛しく最高の我が子・・・という讃歌です。
 葡萄畑、葡萄の丘陵、芳醇なワイン・・・そんな詩の情景を思い出しながら、帰路はこの景色を見ていました。
 今年はこの曲を歌ってみようかなと思います。
 そしてまた、秋の収穫の時、訪れることが出来たら嬉しいです。

 今日はここまでに。
 フランス旅行談もそろそろ、次回は最終回としたいと思っています。



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5月のパリを行く(3) ~地下鉄の切符切り~

 夏のような日差しの中、それでも街は紫陽花色に染まり始めました。
6月ですが、好評につき?!もう少し「5月のパリを行く」・・フランス旅行のご報告を続けてみようかと思います。今日は
(1)~花々とデザートと~、 (2)~シャンソン探訪~ に続いて第三話となります。

   地下鉄に乗ろう
 パリはメトロ(地下鉄)が発達していて、現在全16ラインもあるのだそうです。今回の旅行では、パリの中心部オペラ座界隈に宿泊しましたので、移動はもっぱらメトロで、様々な路線を大いに利用しました。

 では、まずは地下鉄の乗り方から。
地下鉄切符の自動販売機 
 改札口付近には、こんな発券機が設置されています。
 スクリーンにタッチすると、まず、表示言語を選ぶ画面が出てきますが、残念ながら日本語表示はなく、手順を読み解きながら切符購入を。
 とは言っても、切符は行き先に関わらず、全ライン統一料金で、途中何回でも・・・地上に出さえしなければ、・・・乗り換え自由なので、とてもわかりやすいです。しかも有効期限はなく、いつでも好きな時に使えますので、何回も乗る場合にはcarnet(カルネ)と呼ばれる10枚綴りの切符を買うのが便利かと思います。(因みに私はすっかりメトロフリークになり、二回ほどカルネを買い足したのでした。)

 切符をゲットしたら、自動改札口から入ります。システムは日本とほぼ同じですが、切符を通したら、バーを力任せに体で押して進んで下さい。(待っていても自然にバーが開いたりはしませんので。)
 出口では切符の回収はなく、勝手に出ていくだけなので、知らないとホントに良いのかしらと、ちょっと焦ります。

 今回、一番よく利用したマドレーヌ駅。
マドレーヌ駅  電車の到着
 こんな感じの電車ですが、日本との大いなる違いはドアの開閉でしょうか。
 電車がホームに到着しても、ドアは自動では開きませんので、乗りたければ自分で開けましょう(但し閉める必要はありません)。降りるときも同様で、メトロの乗降には、多少の腕力が必要とされるのです。 

 Sortieと書いてあるのは出口です。
 乗り換えはライン番号と終着駅名を確認して進みます。
 地下鉄路線図をいつも携えていれば、割と簡単に、迷わず目的地に到着することが出来ます。
 ただ、日本のような懇切丁寧な車内アナウンスは皆無で、せいぜい駅に着くと一言、怒ったようなぶっきらぼうな声で駅名が一回流れるだけです。
 「ご利用ありがとうございます」とか「お忘れ物ないように」とか「○○線は乗り換えです。」などとは絶対に言いません。
 ・・・降りるも乗るも自分の判断、自分の腕力・・・個人主義とはかくあるものかと妙に納得してしまいました。

 乗り継ぎは、場所によっては、地下道をどこまでも、しかもその間に階段があったりで、ちょっとしたウォーキングですし、古いメトロでは、階段は勾配が急で、まるで寺社の石段のようにすり減っていたりして歴史を感じてしまいますが、でも、エスカレーターは殆どの駅にありませんし、足腰の弱いお年寄りなどは、パリのメトロをどう克服しているのでしょうね。

   地下鉄のミュージシャンたち
 黙々と歩く通路の途中、至るところで、ストリートミュージシャンならぬメトロミュージシャンがそれぞれの音楽を奏でているのが耳に入ってきました。
 パリの地下鉄のミュージシャンは結構音楽レベルが高く、それは交通局が演奏許可するにあたり、オーディションをしているからだと以前に聞いたことがあるのですが、果たして現在もそれは続いているのでしょうか?
メトロ駅7人のミュージシャン 
 彼らの音楽・・・クラシック、ポピュラー、楽器の演奏、歌、個人、グループ、・・・本当に様々です。
 写真がぼやけてしまって殆ど判別できないかもしれないのですが、これは7人グループで大掛かりな演奏をしているところです。なかなか上手でした。お金を集める入れ物に結構大勢の人たちが小銭や紙幣を入れています。

車中のミュージシャン
 今回一番びっくりしたのは、何と車両の中に乗り込んで演奏を始めた人がいたこと、持ち運び用のアンプとスピーカーとマイクを携えて、やおら歌い出したのには本当に驚きました。
 隠し撮りなので、これも写りが悪くごめんなさい。
三曲くらい歌うのに4つか5つの駅を通過したでしょうか?
それから、車両を回り、お金を集めていました。それなりに集まったようで、一仕事終え、電車を降りて行きました。
今度は次の電車に乗り込み、また歌うのでしょうね。
結構上手でしたが、それにしてもかなりな大音量で平然と歌い続けるのです。この光景は以前には見たことはありませんでしたので、最近許されるようになったのでしょうか?(乗客は誰も文句を言ったり車両を移ったりしません)
今回の旅行で、二度ほど同じような場面に遭遇したのですが、メトロはどの路線も大体5分くらい置きに発着しますので、ホームに居て、最大5分間で歌いお金も集めるのは確かに大変。乗客と一緒に演奏も移動してじっくりと聴いてもらおうという知恵者の妙案だったのかもしれません。

   ゲンズブールを訪ねて ~モンパルナス墓地~
 2月に訳詞コンサート「ゲンズブール・イノセント」を開催したことはこれまで何度もご紹介してきた通りですが、皆様に喜んでいただけたことでもあり、「ゲンズブールのお墓参りに行けたら・・・」と密かに思っていました。
塀の向こうはモンパルナス墓地 
 そして、・・・時間の合間を縫って、彼の眠るモンパルナス墓地へと向かったのでした。

 サルトルとボーヴォワール、ボードレールなど、たくさんの著名人、芸術家たちが眠る地でもあります。
モンパルナスから墓地に向かう道。この塀の向こうに庭園墓地が広がります。

良く整備されて、明るい散歩道のような雰囲気です。ここにもマロニエの樹木が葉を広げ、白い花をつけています。
 モンパルナス墓地   花があふれるゲンズブールのお墓
 ゲンズブールの眠る墓石。
 たくさんの花が供えられ、私がお参りしていた間だけでも、大勢の人たちが訪れていました。ゲンズブールの似顔絵、CD,写真・・・・。
 没後20年が経過したのに、未だ彼は愛され、そして如何に永遠のスターであるのかが忍ばれます。
 けれど、多くの意匠を凝らした立派な墓石の立ち並ぶ中で、彼の墓は、このまま通り過ぎてしまいそうなほど簡素でした。
 彼の生前の派手なパフォーマンスとは裏腹に、ひっそりと家族と共に眠っている地。
 私が彼に感じていた「イノセント」な部分が、自然に納得されてくる気がしました。

墓前の地下鉄切符
 メトロの切符が墓前にこんなに沢山供えられていました。
彼のデビュー曲「le poinconneur des lilas(地下鉄の切符切り)」にちなんでのことでしょう。

   地下鉄の切符切り
 日本では『地下鉄の切符切り』という邦題が付けられて、よく歌われている曲ですが、『リラの門の切符切り』『リラ駅の切符切り』という訳題もあります。

 そもそも自動改札となった現代には『地下鉄の切符切り』という言葉自体も死語となり、その存在もピンときませんが、「切符切り」の男が、地下の改札に立ち、乗客の切符に穴をあけ続けるだけのあまりにも単調な仕事にほとほと嫌気がさし、ついにはノイローゼのようになって、そこから逃れるために、自分自身に穴をあける=ピストル自殺をするという悲惨な心境と状況を歌った歌なのです。
 深い闇を抱え持っていたゲンズブール自身の心境を写す、原風景のような詩である気もして、精神分析学的にはなかなか微妙なのではと思うのですが、この歌が、人々の胸に強烈に残って、今も墓石に切符が供えられることになろうとは彼自身予測しなかったことなのではと思います。

 モンパルナスタワーが高くそびえる五月の抜けるような青空の下、ゲンズブールを改めて近くに感じたひと時でした。

   セーヌ河畔の調べ
 この日の夕暮れ時のセーヌ川の岸辺。
 寛ぐ恋人たち。人の波。
セーヌの恋人たち  セーヌ河畔の恋人たち
 何とも言えない詩情があり、セーヌはやはりパリのシンボルなのだなと改めて感じながら、たそがれ時の風情にしばし心を任せました。
 
道行く人と話すミュージシャン
 橋の上で、ここにもストリートミュージシャンたちの奏でる調べ。
 ひとステージ終えて、街行く人と屈託のないおしゃべりをする若者たち。

 そうしている時にもどこか遠くからヴァイオリンの音が風に乗って流れてきました。

 素敵な夕暮れ。
 この日の夕食は、Mさんが予約してくれたシテ島の古いレストランに。
 過ぎてゆく時間を惜しむ、芳醇な旅の一日の終わりでした。


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