
『好日往来』と書いた記事から始まった私の7月、・・・・更に沢山の懐かしく楽しい再会が続いている一方で、お二人の方から訃報が重なって届きました。
平穏な普通の日々の中で、<明日>は当然やってきて、特に意識することもなく、忙しく過ぎて行きますが、このように動いている時間の行き先を、実は誰も知らず、人は、大きな流れの中に漂うようにして生かされているのだと改めて思います。
そして、幸と不幸、喜びと悲しみ、出会いと別れ、それが表裏となって突然、波のように起こってきます。
だからこそ、人の世の<一期一会>の意味を、今改めて、深く思わずにはいられません。
Yさんは、お父様を。
家族思いで、いつでも揺るぎなく頼もしい大黒柱でいらっしゃったお父様。
突然告知された困難な闘病生活を、ご家族皆様で愛情を傾け、全力で支えてこられた日々を私もよく知っています。
ようやく病状が安定されて、快方に向かわれるのを確信してほっと胸をなでおろした矢先の急変だったそうです。
Eさんは、お母様を。
外出なさった際に、不慮の事故に遇われて、ご家族に看取られることすら叶わず、他界してしまわれたとの突然のお知らせでした。
本当に仲の良いご家族で、その中心で太陽のように快活で優しかったお母様、昔、家が近かったので、幼い頃のEさんの手を引いて楽しそうにお散歩していらしたご様子もよく目にしていました。その素敵な笑顔が、今思い出されます。
YさんもEさんもとても可愛く聡明な若いお嬢さん、私の大切な教え子です。
お二人とは、今も親交が深いのですが、でも、それぞれのご両親には、ずっとお会いすることはないままでしたのに、今年のほとんど同じ時期に、何年振りかでお目にかかって、親しくお話しできたことも、今になってみれば不思議な巡り合わせのように思われます。
訃報のお知らせを下さった電話の向こうのお二人の声。
落ち着いて、静かで、異口同音に、最愛の故人への哀悼と、そして私も含めた周囲の方たちへの感謝と心配りの言葉をまず口にされていて、じっと噛みしめながら、健気に耐えている姿に、強い感銘を受けました。
彼女たちをそんな風に育くんでいらした亡き方の、深い愛情と誇りさえもが忍ばれました。
小泉八雲(=ラフカディオ・ハーン)に『日本人の微笑』という随想があります。
いくつかの逸話を連ねつつ、文章は進むのですが、その中の一つに、愛する夫と弟を海難事故で同時に亡くした、彼の使用人(日本人の女性)が、目の当たりにしたその時の様を主人である八雲に語る場面が出てきます。
深い喪失感の中にいる彼女が、その時、慎みを持って、自らの感情を制御しながら、静かな微笑みさえ浮かべていたことに大きな感動を受けた、その様子が記されてあります。
<西洋人には見出すことのできない日本人特有の、この深い微笑み>に八雲は思いを馳せるのですが。
こういう微笑みを重ねながら、人は、生きてゆく<時>の中に、愛情深い細やかな心のひだを刻んでゆくのでしょうか?

故人のご冥福を心からお祈り致します。
そして、彼女たちとご家族の皆様が、これから、力を合わせて、悲しみを克服して、幸せな日々を過ごしてゆかれますように。
大切な方を失った悲しみがやがて癒やされて、いつも側に寄り添って、見守り包んで下さる亡き人の思いを糧にしてゆかれますことを、心から祈念したいと思います。
平穏な普通の日々の中で、<明日>は当然やってきて、特に意識することもなく、忙しく過ぎて行きますが、このように動いている時間の行き先を、実は誰も知らず、人は、大きな流れの中に漂うようにして生かされているのだと改めて思います。
そして、幸と不幸、喜びと悲しみ、出会いと別れ、それが表裏となって突然、波のように起こってきます。
だからこそ、人の世の<一期一会>の意味を、今改めて、深く思わずにはいられません。
Yさんは、お父様を。
家族思いで、いつでも揺るぎなく頼もしい大黒柱でいらっしゃったお父様。
突然告知された困難な闘病生活を、ご家族皆様で愛情を傾け、全力で支えてこられた日々を私もよく知っています。
ようやく病状が安定されて、快方に向かわれるのを確信してほっと胸をなでおろした矢先の急変だったそうです。
Eさんは、お母様を。
外出なさった際に、不慮の事故に遇われて、ご家族に看取られることすら叶わず、他界してしまわれたとの突然のお知らせでした。
本当に仲の良いご家族で、その中心で太陽のように快活で優しかったお母様、昔、家が近かったので、幼い頃のEさんの手を引いて楽しそうにお散歩していらしたご様子もよく目にしていました。その素敵な笑顔が、今思い出されます。
YさんもEさんもとても可愛く聡明な若いお嬢さん、私の大切な教え子です。
お二人とは、今も親交が深いのですが、でも、それぞれのご両親には、ずっとお会いすることはないままでしたのに、今年のほとんど同じ時期に、何年振りかでお目にかかって、親しくお話しできたことも、今になってみれば不思議な巡り合わせのように思われます。
訃報のお知らせを下さった電話の向こうのお二人の声。
落ち着いて、静かで、異口同音に、最愛の故人への哀悼と、そして私も含めた周囲の方たちへの感謝と心配りの言葉をまず口にされていて、じっと噛みしめながら、健気に耐えている姿に、強い感銘を受けました。
彼女たちをそんな風に育くんでいらした亡き方の、深い愛情と誇りさえもが忍ばれました。
小泉八雲(=ラフカディオ・ハーン)に『日本人の微笑』という随想があります。
いくつかの逸話を連ねつつ、文章は進むのですが、その中の一つに、愛する夫と弟を海難事故で同時に亡くした、彼の使用人(日本人の女性)が、目の当たりにしたその時の様を主人である八雲に語る場面が出てきます。
深い喪失感の中にいる彼女が、その時、慎みを持って、自らの感情を制御しながら、静かな微笑みさえ浮かべていたことに大きな感動を受けた、その様子が記されてあります。
<西洋人には見出すことのできない日本人特有の、この深い微笑み>に八雲は思いを馳せるのですが。
こういう微笑みを重ねながら、人は、生きてゆく<時>の中に、愛情深い細やかな心のひだを刻んでゆくのでしょうか?

故人のご冥福を心からお祈り致します。
そして、彼女たちとご家族の皆様が、これから、力を合わせて、悲しみを克服して、幸せな日々を過ごしてゆかれますように。
大切な方を失った悲しみがやがて癒やされて、いつも側に寄り添って、見守り包んで下さる亡き人の思いを糧にしてゆかれますことを、心から祈念したいと思います。


