FC2ブログ

新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

翻訳の魅力 ~『アンのゆりかご』を読んで

 まずは、記事の更新を二週間も、怠っていましたことをお詫び申し上げます。
 定期的に訪問して下さっている皆様には、本当に申し訳なく恐縮の限りです。これから心を入れ替えますので、どうぞ寛容にご容赦下さいますように。
 何かと忙しく、飛び回っていて、ようやく落ち着いたのですが、いつの間にか、五月も今日で終わりですね。

 今日は、シャンソン仲間との研究会が東京であり、二曲ほど歌ってきました。
 一曲目は、昨年のパリ旅行の時に作った訳詞で、『五月のパリが好き』。
 前回4月のラジオの放送でも取り上げましたので、一度是非皆様の前で発表したいなと思っていたのです。
 念願叶い、旅行の折の色々な情景が歌と共に浮かんできて楽しかったです。
 もう一曲はセリーヌ・ディオンの『je ne vous oublie pas』という曲。
 『いつまでも』という邦題を付けたのですが、これは、京都の友人Mさんが1年間フランスで仕事をしていた頃、いつも口ずさんでいたお気に入りの曲で、「是非日本語で」という彼女からの言葉を受けて最近作った訳詞です。
 今日は彼女に聴いてもらうことは出来ませんでしたが、近いうちに京都でも歌ってみたいなと思います。
 会が終わってほっと一息。
 今日は一冊の本をご紹介してみますね。

   『アンのゆりかご ~村岡花子の生涯』
 現在、NHKの朝ドラ放映中の『花子とアン』はご覧になっていますか。
 高視聴率のようで、『村岡花子』、『赤毛のアン』に関する本が書店に沢山積まれて、『赤毛のアン』ブーム再来かと思われます。

 モンゴメリ作『赤毛のアン』は、女学生永遠のベストセラーなのでしょう。
 私が中学高校で教えていた頃も、国語の読書調査では常に上位を占めていました。
 私自身はというと、中学一年の時に、10冊に渡るアンシリーズを一気に、そしてもう暗記するくらい繰り返してむさぼり読んだ記憶があり、今、『赤毛のアン』というと、その頃の感動が、懐かしく思い起こされます。

 でも、訳者である村岡花子さんの名前は、実はもっと前、7~8歳の頃から知っていました。
 『あしながおじさん』『秘密の花園』『ヘレン・ケラー』『アンクルトムの小屋』『小公女』『フランダースの犬』『クリスマス・カロル』・・・大好きだった本は皆、村岡さんの翻訳であったこと、幼い頃から私は、村岡花子さんという翻訳者を絶対のご贔屓にしていて、翻訳はその原典の価値を読者に決定付ける大切なものだという確信を持っていました。
 そして、自分の確信が正しいか確かめるために、敢えて他の人の翻訳と比べながら読んだりして、今思うと、子供のくせに妙に懲り症で、こういうことには冴えていた気がして、<子供というものも、好きなことの前には凄い力を発揮することがあり、侮れない>と身を持って痛感します。

 私は、本当に本大好き、本の虫のような子供でしたので、当時本に対する集中力は寝食を忘れるくらい凄いものがあり、今でも、当時の愛読書の文章をよく覚えています。
 『赤毛のアン』に至っては、内容や文章は勿論、表紙やカットの挿絵まで浮かんできますし、畏るべきことに大体何ページ位に書いてあったかまで言えてしまいます。
 こんなどうでもよいことを今もって覚えているので、限りあるキャパは、もはや満杯で、覚えなくてはいけないことが、はみ出して困っています。・・・・

『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(新潮文庫)という本を最近読みましたのでご紹介します。
アンのゆりかご(表紙)
 これは、「赤毛のアン記念館 村岡花子文庫」を設立され、村岡花子さんの研究者でもあるお孫さんの村岡恵理さんが祖母花子さんの生涯を詳細に調べ上げ、描いた評伝です。
 NHKのドラマはこの評伝を原案として放送されています。ドラマの方はかなりフィクションが含まれていますが、この原作は史実に忠実で、身内ならではの温かい眼差しは感じられるものの、身贔屓や主観に流されることなく、思慮深く知的な文章で的確に描かれていて、さすが血筋!と思わせるなかなか読み応えのある労作です。

 貧しい家に生まれた女の子が、当時最先端のミッションスクールに学び、英語を習得し、社会に出て、翻訳者として第一の評価と実力を得るようになるまで、その人生そのものが既に、ワクワクするほど波乱万丈で素敵なのですが、明治から昭和の激動期を生き抜いた人生模様や当時の様々な社会状勢、そしてその中で出会ってゆく魅力的な人物たちとの交流も実話であるゆえにとても興味深く感じられました。
 歌人の柳原白蓮と片山廣子のことは、私も国文学を学ぶ中で、その活躍や半生について知っていましたが、村岡花子さんの「腹心の友」であり、劇的な関わりを持っていたことなどとても面白く、また婦人参政権運動の旗手となる市川房枝との接点など、初めて知ることもたくさんありました。
 女流文学者との交流も様々にあり、生きた文学史、女性史を垣間見る気がして、すっかり引き込まれてしまいます。

   翻訳者としての立ち位置
 村岡花子さんは大変な本好きで、図書館の本を全て読みつくしてしまうような子供であったようですが、そのような中で、ドラマで強調されている「想像の翼を広げて夢みる」力を習得していったこと、それが、英語という外国語に触れる時の彼女の基軸となって、アルファベットで記された異言語をただ機械的に日本語に置き換えるのではなく、生きた言葉の世界を抽出できる感性を養ったのではと思います。
 そして、『赤毛のアン』の原著に出会った時、その原作者であるモンゴメリという人の中にも、自分と同質の、<夢見る力>を感じ取ったのでしょう。
 モンゴメリも図書館の本を残らず読み尽くすような子供だったようで、それが主人公アンにも大きく投影されていることを感じます。

 私も<図書館の本を全部・・・>派でしたし、「想像の翼」についても全面的に共感でき、幼い頃の村岡さんへの敬意もあながち見当違いではなかったのではと、少し自画自賛しています。
 
 アンには名言=名訳が多いのですが、有名な言葉。
  「曲がり角をまがったさきに なにがあるかは、わからないの。
  でも、きっと いちばんよいものにちがいないと思うの。」

 やはりこの言葉は良いですね。

 そして、『アンのゆりかご』の中で、村岡さんが翻訳者として活躍するようになって以後、若い翻訳者志望の女性にアドバイスする言葉が記されているのですが、このくだりに大変共感しましたので、抜粋してみます。

 なるほど、そうした若い女性たちは英語の勉強に意欲的で、大変優秀だったが、ただ、花子の若い頃とは違って、日本語の研鑽という点において、あまり必要性を感じていないようだった。難しい言葉である必要はない、しかし豊富な語彙を持ち、その中の微妙なニュアンスを汲んで言葉を選ぶ感受性は、翻訳の上では英語の語学力と同じくらい、あるいはそれ以上に大切な要素だと思う。
 季節や自然、色彩、情感を表現する日本語の豊かな歴史を思えば、日本の古典文学や短歌や俳句に触れることも大切。そんな指摘をすると、相手の女性は、当てが外れたような、きょとんとした顔をした。


 <日本語への真の理解、豊かな教養と日本語力、感受性、それが翻訳をする上で英語力以上に大切だ>という点に、私も訳詞に携わる身として、全面的に共感します。
 シャンソンの場合においても、フランス語が流暢でありさえすれば事足りるわけではなく、それが、真に素敵な訳詞、日本語詩と直結するわけではないといつも感じていますので。

 翻訳の姿勢という点に注目して、村岡花子さんの再発見をした一冊でした。よろしかったら是非お読みになって下さい。

   おまけのお薦め
赤毛のアン展のofficial book
 日本橋三越で、6月2日月曜日まで「モンゴメリと花子の赤毛のアン展 ~カナダと日本をつないだ運命の一冊~」という展覧会を開催しています。 私もつい最近知って、数日前に行ってきました。

 さすが、ブームになっていることもあって大変な入場者数でした。でも、展示内容はとてもわかりやすく興味深かったです。
 『アンのゆりかご』をベースにして説明が展開されていましたが、豊富な資料を見ることができますので、後二日間となりましたが、こちらもお薦めします。





このページのトップへ

爽春の交遊録 <二> 

 今日は、葵祭(あおいまつり)でした。
 風雅な古都の春、今まさに爛漫です(写真:京都新聞より)。
葵祭り(京都新聞より)
 京都に住んでもうすぐ10年になるのですが、京都にいると、知人、友人、教え子、親族、色々な方たちが訪ねて下さる機会が多くあるのです。
 旅心を誘われる地であるためでしょう。観光の途上、旧交を温めて、ということに自然となるようで、そこから新たな絆が生れることも多く、私は居ながらにしてで、なかなか楽しく暮らしています。
 そのようなわけで、この連休もいくつかの楽しい再会や交流がありました。
 爽春の交遊録<一>に引き続き、今日は爽春の交遊録<二>を記してみたいと思います。

   ラジオが結ぶ素敵な時間
  少しだけ時間を遡り、GW前半の或る日のこと。
  ラジオ出演をさせて頂くことになって以来、何かとお世話になっている制作スタッフのCさんに、祇園でお会いしました。
  前にご紹介した、<京都の注文の多い音楽喫茶>のお話を覚えていてくださいますか。
 もう一度読んでも良いかなとお思いの方はこちらをどうぞ→『ラジオ放送間近です』
 あのユニークな喫茶店のことを教えて下さったCさん、穏やかで飾らないお人柄の素敵な女性で、いつもさりげない心配りでサポートして下さって、収録現場でも彼女を見るとほっと落ち着くのです。
 彼女のご実家が京都近郊にあって、GWは休暇で戻られるとのお話、ではランチでもということになり、祇園先斗町(ぽんとちょう)のフレンチにご一緒しました。

 少し肌寒いような春の雨が、しとしとと降る日。
 先斗町の路地を三条に向かって入ってゆきます。
 夜だと舞妓さんも歩いていて、京都の花街の粋な風情が残っているのですが、これは昼間の風景です。
    雨の中の先斗町   川床の準備
 夏に向かって、鴨川に張り出す川床の準備が各店で進んでいました。
 
 しばらく路地を進んで、お目当ての店に到着しました。
涼しげなオードブル
 京野菜を繊細に扱ったさっぱり系のフレンチで、一皿一皿に丹精が込められていて、お薦めの隠れ家レストランです。写真は涼しげなオードブルです。

 メディアとしてのラジオの特性、お仕事に掛ける強い思い、Cさんから興味深いお話をたくさん伺うことが出来、また、音楽の事、私の訳詞関連の話にも熱心に耳を傾けて下さって、あっという間に過ぎた楽しい時間でした。
  
 不思議なご縁で、京都の街で共に食事をし、心置きなく言葉を交し合う、さらりとした心地よいひと時が流れて、今も心に残ります。
  

   朋有り 遠方より来たる
 一昨日、懐かしい方と再会しました。
 以前、私はボストンの大学で日本語と日本文学を1年間、教えていたのですが、その頃とてもお世話になった大先輩です。
 熾烈な競争社会であるアメリカの大学のシステムの中にあって、長きに渡り学部の要となり、活躍なさってこられた日本人女性なのです。
 同じ大学で教授をなさっているアメリカ人のご主人の、京都での学会に同行なさり、帰国は十数年ぶりとおっしゃっていました。
 旅行の前にボストンからご連絡があり、今回お会いする運びとなったのでした。

 彼女は、当時ご一緒していた時から、才気煥発で、明朗、そして何よりも行動力がある方でしたが、全然変わっていない!!
 1週間の日本滞在期間も、東京、京都、広島と移動しながら、大学関係のお仕事、日本の友人知人たちとの再会、観光、周到なスケジュールで埋め尽くされ、それを長いフライトの直後であるにも関わらず疲れた様子も見せず、悠々とこなされているのです。
 しかも、「いつの間にか旅の道連れが増えてしまって!」と、ニコニコしながらご友人やご親戚を引き連れてのツアーコンダクターの役目まで軽々となさっているご様子に、もう圧倒されてしまいました。

 夕方、一日の観光を終わって戻った宿泊先のホテルをお訪ねしました。
 「夜は日本の大学の方にご招待を受けているので・・・」という次の予定までの束の間の時間、一時間半くらいでしたが、二人で時を惜しむように機関銃のように喋りまくりました。
 学科のミーティングで、自由に意見を交わし合った日々、その率直で忌憚のない心地よさが、時間の隔たりを埋めて戻ってくるのを感じていました。
 長い月日の中で、別々の人生を歩んできて、けれど、それを素直に理解し喜び合える、そういう手応えって素敵だなと思います。

 彼女と話しながら、当時の色々なことが思い出されてきました。
 アメリカの学生たちが、学ぶということにおいてとても誠実で主体的であったこと、そして、彼らの知的好奇心の前で、私も毎日が屈託なく澄み切っていたこと。物事をシンプルに捉えて、一日、働くこと、教えることがこの上なく幸せだった・・・そんな感覚が懐かしく蘇ってきます。

 あの頃に比べて、今はどうだろう?
 何処か何かに逡巡(しゅんじゅん)するような曇りが出て来てはいないだろうか?
 <生きるエネルギー>、それは<本当に真っ直ぐなもの、聡明なもの、底抜けに明るいもの>、漠然とした言葉でしか、表現できないのですが、大事なことに、はっと気づかされる思いがしたのです。

 「大学での仕事に一区切りついたから・・・」と、彼女は次のヴィジョンを明るく楽しく語ってくれました。

 爽春の京都での心に残る時間でした。

   おまけの話 ~薔薇の美しさ
 わが家のリビングに飾った薔薇の花が、今こんなに満開です。
咲き切った大輪のバラ
 薔薇は、蕾がふっくらと開きかけている頃が一番美しいと、ずっと思っていましたが、薔薇の威信をかけるような艶やかな散り際の風情に、何だか感動してしまいます。
  じっと見ていたら、もう10年以上も前、懇意にしていた或る方を突然思い出しました。
 ファッションデザイナーでブティックのオーナーをしていらした方、エキゾチックな面差しで、言葉つき、立ち振る舞い、「貴婦人」という言葉がぴったりとする大人の女性だったのですが、彼女も薔薇が大好きで、「薔薇は大輪の花を咲かせる最期が一番薔薇らしいと思う。咲き切った時、一層薫り高くなり、色をくすませて微妙な陰影を増してくる・・・」そんな彼女の言葉を思い出しました。
 薔薇は薔薇として、凛と咲き切る・・・孤高の美というか、昔はあまりピンとこなかった、そういう凄さが、波乱万丈だったこの方の生き様とも重なって、何だかわかる気がしました。
 これも、もう一つの交遊録。

 流れて行く時間の中で、素敵な方たちとの絆が重なってゆくことに、温かい幸せを感じています。



 

このページのトップへ

蹴上のつつじ ~緑風の中を行く

 5月6日、昨日はGW最終日でしたね。
 前日の雨が上がり、一変して抜けるような青空が広がりました。
 早朝窓を開けると、ひんやりとした爽風、そして眩しい日差し、この連休中のみ一般公開されている蹴上(けあげ)浄水場のことを突然思い出しました。
 蹴上浄水場の躑躅(つつじ)は、4600本にも及ぶ、有名な躑躅の名所なのですが、私はこれまで遠景からしか見たことがなく、一度訪れてみたいと思っていたのです。
 GW中、かなり集中してパソコンと原稿用紙に向かい、更に、家の片づけ・大掃除も終えたことですので、よく働いた気分転換に、ぶらりと出掛けてみようかと。
 一年に一度だけ、今年は5月3日から6日までの四日間のみの一般公開で、その最終日、地の利を生かして、開門と同時の9時に入場しました。
 光と風と花々と緑とに、心身共に洗われたひと時を写真で辿る、京都蹴上(けあげ)散歩です。

   蹴上浄水場のつつじ
 浄水場は、地下鉄東西線、蹴上駅で降りてすぐのところにあります。
 京都の重要なライフラインを担っていますから、普段は広大な敷地の中に静寂で威風堂々とした佇まいを見せていますが、この時期だけは様子が一変して、イベント色に染まっています。
蹴上浄水場入り口
 おそらく職員の方たち総出で準備なさり、当日の応対をなさるのでしょう。
 
場内の道案内
 この機会を通して、浄水場の事、そして水の大切さを、多くの人たちに知ってほしいという水道局の皆様の思いが、イベントの随所から熱く伝わってきましたし、それぞれが行き届いた温かい対応をしていらしてとても好感を持つことが出来ました。
 門を入るとすぐ、既に満開の躑躅の群生が遠くに近くに広がってきます。
 空には、子供がいたずら書きをしたような飛行機雲が交差しています。

 5月5日、6日の二日間は特別限定で、施設ツアーやクイズラリー、水の実験・体験コーナーなど、子供たちを中心とした企画が開催されていました。
クイズラリーなどの催し物 利き水コーナー
 その中の一つ、入り口付近の「利き水コーナー」というイベントです。
 三種類の水を飲み比べて、水の味の違いを感じ、美味しいと思ったものに票を投じるという水コンテストです。
京都の水ボトル
 <1京都の軟水> <2市販されている日本の軟水> <3フランスの硬水>の三種のうち、私は1番を選んだのですが、果たしてどの水が最高得点だったのでしょうか。
 ちなみに、その京都の水は、『京の水道 疎水物語』というネイミングになっていました。そして「災害用備蓄飲料水 京都市上下水道局」という添え書きがあります。
ホタルのひかりちゃん
 水道局の方たちが考案なさったのではと思われるユルキャラが頑張って、来場者の接待に努めていました。
 おそらくここに来た人だけしか知らない超レアなユルキャラの「ひかりちゃん」。次々と沢山の人に記念写真をリクエストされ大人気でした。
 ひかりちゃんはホタルなんです。ホタルは水の綺麗な処でないと生息しないから、浄水場のアイドルキャラクターとなったのでしょうね。

 そして、躑躅(つつじ)。
 こんもりと鮮やかに膨らんでくる躑躅、躑躅。
色とりどりの躑躅と花木 見渡す限りの躑躅

躑躅のトンネル。

空に向かって萌え出しています。
    躑躅のトンネル    与謝野晶子の歌碑
 途中、与謝野晶子の歌碑がありました。
 「御目ざめの鐘は知恩院聖護院 いでて見たまへ紫の水」
 嘗てこの辺りに「辻野」という旅館があって、そこに鉄幹晶子夫妻が宿泊した時の歌なのだそうです。

最高区配水池から、遠景に五山を臨んで。
遠く五山を臨む 新緑のモミジと躑躅
 もみじの新緑に目を奪われます。秋の紅葉もどんなにか美しいことでしょう。
 赤の躑躅、緑のもみじ。コントラストの妙が見事です。

   南禅寺への道 ~もみじの青風
 せっかく蹴上まで来たので、すぐ近くの南禅寺にも立ち寄ってみることにしました。

 嘗て十石舟を引き上げるために使用された、真っ直ぐに続くレールの道を辿って。
    まっすぐ続くレールの道    南禅寺
  南禅寺に到着。
 苔も前夜の雨に洗われて、しっとりとした緑を増していました。
    苔むす庭    苔の手入れ
 こんな風に、落ち葉を丹念に取り払って苔の庭を育てているのですね。

南禅寺山門
 眼前に南禅寺の山門。

 もみじの柔らかい浅緑色が両脇を縁取って、山門を浮き立たせています。

 美しい季節の躍動が感じられます。



 
 この景色は、よくテレビドラマなどで目にするかと思います。
「水路閣」です。
水路閣
 古色蒼然とした煉瓦色の大きなドーム状の橋が何とも風情があります。
 時間があったら、下からだけではなく上からこの橋をご覧になってみてください。実は橋ではなく、琵琶湖疏水を集めて流れる水路になっていて、今も満々と疏水が流れています。

帰りに十石舟の出ている乗船場の前を通りました。
疎水巡りの十石舟
 三月の末から、最終日の5月6日まで、毎日何便か出航している観光船なのですが、ここ南禅寺舟溜りから夷川ダムまでの琵琶湖疏水を行く30分弱の行程で、桜の季節、舟の中から両岸の桜を愛でる趣向となっています。
 今は、いつの間にか青々とした桜若葉が風に揺らいで、麗らかな春を運んでいます。

 今日は、京都の緑風を、少しだけお届けしてみました。



このページのトップへ

爽春の交遊録<一>

   浅間高原の春 ~良き人を偲んで
 皐月晴れの爽やかな休日を如何お過ごしですか。

 私は、GW前半、少し時間が取れたので、思い立って軽井沢に行ってきました。昨年の夏以来です。
 信州は大好きで、四季折々、その表情に心を浸したくなります。
 
 「世界の片隅に~お正月の便り」という記事を覚えていて下さるでしょうか。信州の旅の道すがら、いつも立ち寄って楽しくおしゃべりをする旧知の友が浅間高原に住んでいて、でも、その方が昨年の暮れに突然他界なさったというお話をしたかと思います。
 温和で気持ちが優しく、浅間高原の大自然の中にあって、謙虚に大らかにすべてをそのままに受け入れて、笑顔を絶やすことのないそんな素敵な方でした。
 私のことも、いつも励まして下さって、そしてこのブログのこともとても楽しんで愛読していらっしゃいました。
新しい記事を書くと、「山男」というハンドルネームで、季節の便りと共に温かいコメントを下さった方、・・・・でももう、お訪ねしてもいつもの場所にはいらっしゃらないのだという不在感が重くて、信州に行くことは、しばらく出来ないのではと感じていたのですが、反面、もう一度訪れて、ゆっくりと優しい人柄を偲びたいという気持ちも募っていました。
 浅春の浅間高原への、亡き人を訪れる旅となりました。

 雪をかぶった浅間山が青空にくっきりと映えて雄々しい姿で迎えてくれます。空はどこまでも青く高く、雲は綿のようにふっくらと白く、屈託の全てを払いのけてくれるような清々しさです。
残雪の浅間山 青空に伸びる落葉松
 空に向かって真直ぐに落葉松の幹が突き立っています。
 春はまだ遠く、木々は葉を落としたまま、芽吹きの気配すら全く見せていませんが、この黒々とした樹木の下には既に春のエネルギーを蓄えているのでしょう。
 眠りに着いている冬の樹木とは明らかに違う、ドクドクと脈打つような木々の覚醒を強く感じます。
 この季節の空っぽの落葉松も私は大好きです。

 そして、まずは「山男」さんのご自宅のある浅間高原に真っ直ぐに向かいました。
どこまでも伸びるハイウエイ

 地平線とぶつかり、両側の松林を割ってどこまでも伸びるハイウエイをひたすら走り続けます。

 やがて浅間高原に。
 この辺りは、夏になると一面のキャベツ畑です。
耕されたキャベツ畑

 今は春に備えて耕され、湿った黒土が露わになっています。
 向こうには浅間山。

 途中、車を止めて、浅間山に向かって大きく息を吸ってみました。

 道の傍らを彩って、可憐な花々が咲き始めています。遅い春の訪れ。
 ふきのとう。カタクリ。水仙。サクラソウ。
ふきのとう かたくりの花 水仙の花 サクラソウ

 久しぶりの「山男」さんのご自宅は、冬支度のまま固く閉ざされ、主を失って時を止めていました。
 夏にお会いした時には、当たり前に笑い合いながら、「2月のコンサートはきっと聴きに行くから」と言ってくれてたのに。
 これまで、ご高齢のお母様とお二人で住んでいらしたのですが、今は、お母様は、東京のご親族の元に身を寄せられ、病院に入られていると伺いました。  
 簡素で、でも本当に使いやすく歳月を重ねてきたこの家だけが取り残されて、この時期だったら、大きな煙突から薪を燃やす木の香りが辺りに漂っているのに、準備された薪の山が庭の片隅に端正に積み上げられたままで、・・・・そして、いつも木の実が沢山入っていた小鳥の餌台も、空っぽなままで、・・・・そんな一つ一つの情景が、突然胸に迫って、くっきりと思い出と共に焼き付いてきました。
木漏れ日の庭
 人の世の一期一会の、不思議さ、有難さ、儚さ、様々な思いを刻みながら、心からの挽歌を亡き人に手向けたいと思います。

 木漏れ日が木立のシルエットをくっきりと苔の庭に写して詩情を誘います。
水量豊かな小川


 近くの小川のせせらぎの音も聴こえます。今年は雪が多かったのでしょうか。
 豊かな水量で、勢い良く水音を立てています。
  


   米寿の贈り物
 絵本作家、児童文化研究家として、これまでに沢山の業績を残されて、今も精力的に活躍されている「かこさとし」氏のことは、このブログでも折に触れてご紹介してきました。
 昔からかこさんの作品を愛読していたことに加え、お嬢様のMさんと積年の友情を育んできたこともあり、(そのことを知らずにずっとお付き合いをしていて、だいぶ後になって判明し感激したことも既にお話しした通りです)その著作の多くを読破しているのですが、この度思いがけぬ贈り物を頂きましたので、ご紹介したいと思います。
矢村のヤ助(かこさとし)表紙

 『矢村のヤ助』という一冊の絵本。
それに添えられたご挨拶状はこのように始まっていました。

 絵本送付についての御挨拶
 謹啓 春暖の候 益々御清栄の事と存じます。 

   (中略)
 ・・・・・若年の頃、戦災跡地の子どもたちに接する機会を得、以来 社会奉仕活動の同志、友人の刺激により、子供という「怪傑生物(?!)」に啓発され、更に出版・福祉等異分野の専門家の方々の御力と御教導により、いつしかこの三月で米寿に辿りついた次第です。・・・
   (後略)

 『矢村のヤ助』という絵本は、昔、子供会でこのお話を話されたのが始まりだったとか。米寿になられた今年の記念として、「報恩感謝」の思いを込め、この話を基底として絵本を作成し、全国三千余りの公共図書館に寄贈されたとのこと、関係者に贈られた中の一冊を、私も頂戴したのです。
 後付けには「かこさとし米寿記念出版(非売品)」と記されています。

 『矢村のヤ助』は「鶴女房譚」=『鶴の恩返し』をベースとしていて、これに、悲劇的・文学的ニュアンスが加わると木下順二の戯曲『夕鶴』のような形に昇華されて行くわけですが、かこさんは、鶴を山鳥に変え、「裏切りで別れる女性と金に目がくらんだ男の題材は子どもには不適」、「前向きに生きようとする男女の姿」を描く話として換骨奪胎し、子どもの世界に引き寄せています。
 子供達がどんな眼をしてこの本を手に取っているか、図書館に行って垣間見たい気がしますね。

 米寿を迎えられ、色々な形で周囲の方たちから長寿をお祝いされるケースは沢山あるに違いありませんが、これまでの道程を振り返って、周囲の方たちに謝意を、自らこのような形で示されることは類まれと思われます。
 「報恩感謝」は、子どもたちとの時間の中で、ご自身が作り上げていらした作品世界そのものに、今、<対峙する思い>でもあるという気がして、とても温かい気持ちになりました。

 今日は二つの交遊録をお伝えしてみました。
 GWの後半、良い時間をお過ごし下さいね。



このページのトップへ