
今日は、葵祭(あおいまつり)でした。
風雅な古都の春、今まさに爛漫です(写真:京都新聞より)。

京都に住んでもうすぐ10年になるのですが、京都にいると、知人、友人、教え子、親族、色々な方たちが訪ねて下さる機会が多くあるのです。
旅心を誘われる地であるためでしょう。観光の途上、旧交を温めて、ということに自然となるようで、そこから新たな絆が生れることも多く、私は居ながらにしてで、なかなか楽しく暮らしています。
そのようなわけで、この連休もいくつかの楽しい再会や交流がありました。
爽春の交遊録<一>に引き続き、今日は爽春の交遊録<二>を記してみたいと思います。
ラジオが結ぶ素敵な時間
少しだけ時間を遡り、GW前半の或る日のこと。
ラジオ出演をさせて頂くことになって以来、何かとお世話になっている制作スタッフのCさんに、祇園でお会いしました。
前にご紹介した、<京都の注文の多い音楽喫茶>のお話を覚えていてくださいますか。
もう一度読んでも良いかなとお思いの方はこちらをどうぞ→『ラジオ放送間近です』
あのユニークな喫茶店のことを教えて下さったCさん、穏やかで飾らないお人柄の素敵な女性で、いつもさりげない心配りでサポートして下さって、収録現場でも彼女を見るとほっと落ち着くのです。
彼女のご実家が京都近郊にあって、GWは休暇で戻られるとのお話、ではランチでもということになり、祇園先斗町(ぽんとちょう)のフレンチにご一緒しました。
少し肌寒いような春の雨が、しとしとと降る日。
先斗町の路地を三条に向かって入ってゆきます。
夜だと舞妓さんも歩いていて、京都の花街の粋な風情が残っているのですが、これは昼間の風景です。

夏に向かって、鴨川に張り出す川床の準備が各店で進んでいました。
しばらく路地を進んで、お目当ての店に到着しました。

京野菜を繊細に扱ったさっぱり系のフレンチで、一皿一皿に丹精が込められていて、お薦めの隠れ家レストランです。写真は涼しげなオードブルです。
メディアとしてのラジオの特性、お仕事に掛ける強い思い、Cさんから興味深いお話をたくさん伺うことが出来、また、音楽の事、私の訳詞関連の話にも熱心に耳を傾けて下さって、あっという間に過ぎた楽しい時間でした。
不思議なご縁で、京都の街で共に食事をし、心置きなく言葉を交し合う、さらりとした心地よいひと時が流れて、今も心に残ります。
朋有り 遠方より来たる
一昨日、懐かしい方と再会しました。
以前、私はボストンの大学で日本語と日本文学を1年間、教えていたのですが、その頃とてもお世話になった大先輩です。
熾烈な競争社会であるアメリカの大学のシステムの中にあって、長きに渡り学部の要となり、活躍なさってこられた日本人女性なのです。
同じ大学で教授をなさっているアメリカ人のご主人の、京都での学会に同行なさり、帰国は十数年ぶりとおっしゃっていました。
旅行の前にボストンからご連絡があり、今回お会いする運びとなったのでした。
彼女は、当時ご一緒していた時から、才気煥発で、明朗、そして何よりも行動力がある方でしたが、全然変わっていない!!
1週間の日本滞在期間も、東京、京都、広島と移動しながら、大学関係のお仕事、日本の友人知人たちとの再会、観光、周到なスケジュールで埋め尽くされ、それを長いフライトの直後であるにも関わらず疲れた様子も見せず、悠々とこなされているのです。
しかも、「いつの間にか旅の道連れが増えてしまって!」と、ニコニコしながらご友人やご親戚を引き連れてのツアーコンダクターの役目まで軽々となさっているご様子に、もう圧倒されてしまいました。
夕方、一日の観光を終わって戻った宿泊先のホテルをお訪ねしました。
「夜は日本の大学の方にご招待を受けているので・・・」という次の予定までの束の間の時間、一時間半くらいでしたが、二人で時を惜しむように機関銃のように喋りまくりました。
学科のミーティングで、自由に意見を交わし合った日々、その率直で忌憚のない心地よさが、時間の隔たりを埋めて戻ってくるのを感じていました。
長い月日の中で、別々の人生を歩んできて、けれど、それを素直に理解し喜び合える、そういう手応えって素敵だなと思います。
彼女と話しながら、当時の色々なことが思い出されてきました。
アメリカの学生たちが、学ぶということにおいてとても誠実で主体的であったこと、そして、彼らの知的好奇心の前で、私も毎日が屈託なく澄み切っていたこと。物事をシンプルに捉えて、一日、働くこと、教えることがこの上なく幸せだった・・・そんな感覚が懐かしく蘇ってきます。
あの頃に比べて、今はどうだろう?
何処か何かに逡巡(しゅんじゅん)するような曇りが出て来てはいないだろうか?
<生きるエネルギー>、それは<本当に真っ直ぐなもの、聡明なもの、底抜けに明るいもの>、漠然とした言葉でしか、表現できないのですが、大事なことに、はっと気づかされる思いがしたのです。
「大学での仕事に一区切りついたから・・・」と、彼女は次のヴィジョンを明るく楽しく語ってくれました。
爽春の京都での心に残る時間でした。
おまけの話 ~薔薇の美しさ
わが家のリビングに飾った薔薇の花が、今こんなに満開です。

薔薇は、蕾がふっくらと開きかけている頃が一番美しいと、ずっと思っていましたが、薔薇の威信をかけるような艶やかな散り際の風情に、何だか感動してしまいます。
じっと見ていたら、もう10年以上も前、懇意にしていた或る方を突然思い出しました。
ファッションデザイナーでブティックのオーナーをしていらした方、エキゾチックな面差しで、言葉つき、立ち振る舞い、「貴婦人」という言葉がぴったりとする大人の女性だったのですが、彼女も薔薇が大好きで、「薔薇は大輪の花を咲かせる最期が一番薔薇らしいと思う。咲き切った時、一層薫り高くなり、色をくすませて微妙な陰影を増してくる・・・」そんな彼女の言葉を思い出しました。
薔薇は薔薇として、凛と咲き切る・・・孤高の美というか、昔はあまりピンとこなかった、そういう凄さが、波乱万丈だったこの方の生き様とも重なって、何だかわかる気がしました。
これも、もう一つの交遊録。
流れて行く時間の中で、素敵な方たちとの絆が重なってゆくことに、温かい幸せを感じています。
風雅な古都の春、今まさに爛漫です(写真:京都新聞より)。

京都に住んでもうすぐ10年になるのですが、京都にいると、知人、友人、教え子、親族、色々な方たちが訪ねて下さる機会が多くあるのです。
旅心を誘われる地であるためでしょう。観光の途上、旧交を温めて、ということに自然となるようで、そこから新たな絆が生れることも多く、私は居ながらにしてで、なかなか楽しく暮らしています。
そのようなわけで、この連休もいくつかの楽しい再会や交流がありました。
爽春の交遊録<一>に引き続き、今日は爽春の交遊録<二>を記してみたいと思います。
ラジオが結ぶ素敵な時間
少しだけ時間を遡り、GW前半の或る日のこと。
ラジオ出演をさせて頂くことになって以来、何かとお世話になっている制作スタッフのCさんに、祇園でお会いしました。
前にご紹介した、<京都の注文の多い音楽喫茶>のお話を覚えていてくださいますか。
もう一度読んでも良いかなとお思いの方はこちらをどうぞ→『ラジオ放送間近です』
あのユニークな喫茶店のことを教えて下さったCさん、穏やかで飾らないお人柄の素敵な女性で、いつもさりげない心配りでサポートして下さって、収録現場でも彼女を見るとほっと落ち着くのです。
彼女のご実家が京都近郊にあって、GWは休暇で戻られるとのお話、ではランチでもということになり、祇園先斗町(ぽんとちょう)のフレンチにご一緒しました。
少し肌寒いような春の雨が、しとしとと降る日。
先斗町の路地を三条に向かって入ってゆきます。
夜だと舞妓さんも歩いていて、京都の花街の粋な風情が残っているのですが、これは昼間の風景です。


夏に向かって、鴨川に張り出す川床の準備が各店で進んでいました。
しばらく路地を進んで、お目当ての店に到着しました。

京野菜を繊細に扱ったさっぱり系のフレンチで、一皿一皿に丹精が込められていて、お薦めの隠れ家レストランです。写真は涼しげなオードブルです。
メディアとしてのラジオの特性、お仕事に掛ける強い思い、Cさんから興味深いお話をたくさん伺うことが出来、また、音楽の事、私の訳詞関連の話にも熱心に耳を傾けて下さって、あっという間に過ぎた楽しい時間でした。
不思議なご縁で、京都の街で共に食事をし、心置きなく言葉を交し合う、さらりとした心地よいひと時が流れて、今も心に残ります。
朋有り 遠方より来たる
一昨日、懐かしい方と再会しました。
以前、私はボストンの大学で日本語と日本文学を1年間、教えていたのですが、その頃とてもお世話になった大先輩です。
熾烈な競争社会であるアメリカの大学のシステムの中にあって、長きに渡り学部の要となり、活躍なさってこられた日本人女性なのです。
同じ大学で教授をなさっているアメリカ人のご主人の、京都での学会に同行なさり、帰国は十数年ぶりとおっしゃっていました。
旅行の前にボストンからご連絡があり、今回お会いする運びとなったのでした。
彼女は、当時ご一緒していた時から、才気煥発で、明朗、そして何よりも行動力がある方でしたが、全然変わっていない!!
1週間の日本滞在期間も、東京、京都、広島と移動しながら、大学関係のお仕事、日本の友人知人たちとの再会、観光、周到なスケジュールで埋め尽くされ、それを長いフライトの直後であるにも関わらず疲れた様子も見せず、悠々とこなされているのです。
しかも、「いつの間にか旅の道連れが増えてしまって!」と、ニコニコしながらご友人やご親戚を引き連れてのツアーコンダクターの役目まで軽々となさっているご様子に、もう圧倒されてしまいました。
夕方、一日の観光を終わって戻った宿泊先のホテルをお訪ねしました。
「夜は日本の大学の方にご招待を受けているので・・・」という次の予定までの束の間の時間、一時間半くらいでしたが、二人で時を惜しむように機関銃のように喋りまくりました。
学科のミーティングで、自由に意見を交わし合った日々、その率直で忌憚のない心地よさが、時間の隔たりを埋めて戻ってくるのを感じていました。
長い月日の中で、別々の人生を歩んできて、けれど、それを素直に理解し喜び合える、そういう手応えって素敵だなと思います。
彼女と話しながら、当時の色々なことが思い出されてきました。
アメリカの学生たちが、学ぶということにおいてとても誠実で主体的であったこと、そして、彼らの知的好奇心の前で、私も毎日が屈託なく澄み切っていたこと。物事をシンプルに捉えて、一日、働くこと、教えることがこの上なく幸せだった・・・そんな感覚が懐かしく蘇ってきます。
あの頃に比べて、今はどうだろう?
何処か何かに逡巡(しゅんじゅん)するような曇りが出て来てはいないだろうか?
<生きるエネルギー>、それは<本当に真っ直ぐなもの、聡明なもの、底抜けに明るいもの>、漠然とした言葉でしか、表現できないのですが、大事なことに、はっと気づかされる思いがしたのです。
「大学での仕事に一区切りついたから・・・」と、彼女は次のヴィジョンを明るく楽しく語ってくれました。
爽春の京都での心に残る時間でした。
おまけの話 ~薔薇の美しさ
わが家のリビングに飾った薔薇の花が、今こんなに満開です。

薔薇は、蕾がふっくらと開きかけている頃が一番美しいと、ずっと思っていましたが、薔薇の威信をかけるような艶やかな散り際の風情に、何だか感動してしまいます。
じっと見ていたら、もう10年以上も前、懇意にしていた或る方を突然思い出しました。
ファッションデザイナーでブティックのオーナーをしていらした方、エキゾチックな面差しで、言葉つき、立ち振る舞い、「貴婦人」という言葉がぴったりとする大人の女性だったのですが、彼女も薔薇が大好きで、「薔薇は大輪の花を咲かせる最期が一番薔薇らしいと思う。咲き切った時、一層薫り高くなり、色をくすませて微妙な陰影を増してくる・・・」そんな彼女の言葉を思い出しました。
薔薇は薔薇として、凛と咲き切る・・・孤高の美というか、昔はあまりピンとこなかった、そういう凄さが、波乱万丈だったこの方の生き様とも重なって、何だかわかる気がしました。
これも、もう一つの交遊録。
流れて行く時間の中で、素敵な方たちとの絆が重なってゆくことに、温かい幸せを感じています。


