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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

翻訳の魅力 ~『アンのゆりかご』を読んで

 まずは、記事の更新を二週間も、怠っていましたことをお詫び申し上げます。
 定期的に訪問して下さっている皆様には、本当に申し訳なく恐縮の限りです。これから心を入れ替えますので、どうぞ寛容にご容赦下さいますように。
 何かと忙しく、飛び回っていて、ようやく落ち着いたのですが、いつの間にか、五月も今日で終わりですね。

 今日は、シャンソン仲間との研究会が東京であり、二曲ほど歌ってきました。
 一曲目は、昨年のパリ旅行の時に作った訳詞で、『五月のパリが好き』。
 前回4月のラジオの放送でも取り上げましたので、一度是非皆様の前で発表したいなと思っていたのです。
 念願叶い、旅行の折の色々な情景が歌と共に浮かんできて楽しかったです。
 もう一曲はセリーヌ・ディオンの『je ne vous oublie pas』という曲。
 『いつまでも』という邦題を付けたのですが、これは、京都の友人Mさんが1年間フランスで仕事をしていた頃、いつも口ずさんでいたお気に入りの曲で、「是非日本語で」という彼女からの言葉を受けて最近作った訳詞です。
 今日は彼女に聴いてもらうことは出来ませんでしたが、近いうちに京都でも歌ってみたいなと思います。
 会が終わってほっと一息。
 今日は一冊の本をご紹介してみますね。

   『アンのゆりかご ~村岡花子の生涯』
 現在、NHKの朝ドラ放映中の『花子とアン』はご覧になっていますか。
 高視聴率のようで、『村岡花子』、『赤毛のアン』に関する本が書店に沢山積まれて、『赤毛のアン』ブーム再来かと思われます。

 モンゴメリ作『赤毛のアン』は、女学生永遠のベストセラーなのでしょう。
 私が中学高校で教えていた頃も、国語の読書調査では常に上位を占めていました。
 私自身はというと、中学一年の時に、10冊に渡るアンシリーズを一気に、そしてもう暗記するくらい繰り返してむさぼり読んだ記憶があり、今、『赤毛のアン』というと、その頃の感動が、懐かしく思い起こされます。

 でも、訳者である村岡花子さんの名前は、実はもっと前、7~8歳の頃から知っていました。
 『あしながおじさん』『秘密の花園』『ヘレン・ケラー』『アンクルトムの小屋』『小公女』『フランダースの犬』『クリスマス・カロル』・・・大好きだった本は皆、村岡さんの翻訳であったこと、幼い頃から私は、村岡花子さんという翻訳者を絶対のご贔屓にしていて、翻訳はその原典の価値を読者に決定付ける大切なものだという確信を持っていました。
 そして、自分の確信が正しいか確かめるために、敢えて他の人の翻訳と比べながら読んだりして、今思うと、子供のくせに妙に懲り症で、こういうことには冴えていた気がして、<子供というものも、好きなことの前には凄い力を発揮することがあり、侮れない>と身を持って痛感します。

 私は、本当に本大好き、本の虫のような子供でしたので、当時本に対する集中力は寝食を忘れるくらい凄いものがあり、今でも、当時の愛読書の文章をよく覚えています。
 『赤毛のアン』に至っては、内容や文章は勿論、表紙やカットの挿絵まで浮かんできますし、畏るべきことに大体何ページ位に書いてあったかまで言えてしまいます。
 こんなどうでもよいことを今もって覚えているので、限りあるキャパは、もはや満杯で、覚えなくてはいけないことが、はみ出して困っています。・・・・

『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(新潮文庫)という本を最近読みましたのでご紹介します。
アンのゆりかご(表紙)
 これは、「赤毛のアン記念館 村岡花子文庫」を設立され、村岡花子さんの研究者でもあるお孫さんの村岡恵理さんが祖母花子さんの生涯を詳細に調べ上げ、描いた評伝です。
 NHKのドラマはこの評伝を原案として放送されています。ドラマの方はかなりフィクションが含まれていますが、この原作は史実に忠実で、身内ならではの温かい眼差しは感じられるものの、身贔屓や主観に流されることなく、思慮深く知的な文章で的確に描かれていて、さすが血筋!と思わせるなかなか読み応えのある労作です。

 貧しい家に生まれた女の子が、当時最先端のミッションスクールに学び、英語を習得し、社会に出て、翻訳者として第一の評価と実力を得るようになるまで、その人生そのものが既に、ワクワクするほど波乱万丈で素敵なのですが、明治から昭和の激動期を生き抜いた人生模様や当時の様々な社会状勢、そしてその中で出会ってゆく魅力的な人物たちとの交流も実話であるゆえにとても興味深く感じられました。
 歌人の柳原白蓮と片山廣子のことは、私も国文学を学ぶ中で、その活躍や半生について知っていましたが、村岡花子さんの「腹心の友」であり、劇的な関わりを持っていたことなどとても面白く、また婦人参政権運動の旗手となる市川房枝との接点など、初めて知ることもたくさんありました。
 女流文学者との交流も様々にあり、生きた文学史、女性史を垣間見る気がして、すっかり引き込まれてしまいます。

   翻訳者としての立ち位置
 村岡花子さんは大変な本好きで、図書館の本を全て読みつくしてしまうような子供であったようですが、そのような中で、ドラマで強調されている「想像の翼を広げて夢みる」力を習得していったこと、それが、英語という外国語に触れる時の彼女の基軸となって、アルファベットで記された異言語をただ機械的に日本語に置き換えるのではなく、生きた言葉の世界を抽出できる感性を養ったのではと思います。
 そして、『赤毛のアン』の原著に出会った時、その原作者であるモンゴメリという人の中にも、自分と同質の、<夢見る力>を感じ取ったのでしょう。
 モンゴメリも図書館の本を残らず読み尽くすような子供だったようで、それが主人公アンにも大きく投影されていることを感じます。

 私も<図書館の本を全部・・・>派でしたし、「想像の翼」についても全面的に共感でき、幼い頃の村岡さんへの敬意もあながち見当違いではなかったのではと、少し自画自賛しています。
 
 アンには名言=名訳が多いのですが、有名な言葉。
  「曲がり角をまがったさきに なにがあるかは、わからないの。
  でも、きっと いちばんよいものにちがいないと思うの。」

 やはりこの言葉は良いですね。

 そして、『アンのゆりかご』の中で、村岡さんが翻訳者として活躍するようになって以後、若い翻訳者志望の女性にアドバイスする言葉が記されているのですが、このくだりに大変共感しましたので、抜粋してみます。

 なるほど、そうした若い女性たちは英語の勉強に意欲的で、大変優秀だったが、ただ、花子の若い頃とは違って、日本語の研鑽という点において、あまり必要性を感じていないようだった。難しい言葉である必要はない、しかし豊富な語彙を持ち、その中の微妙なニュアンスを汲んで言葉を選ぶ感受性は、翻訳の上では英語の語学力と同じくらい、あるいはそれ以上に大切な要素だと思う。
 季節や自然、色彩、情感を表現する日本語の豊かな歴史を思えば、日本の古典文学や短歌や俳句に触れることも大切。そんな指摘をすると、相手の女性は、当てが外れたような、きょとんとした顔をした。


 <日本語への真の理解、豊かな教養と日本語力、感受性、それが翻訳をする上で英語力以上に大切だ>という点に、私も訳詞に携わる身として、全面的に共感します。
 シャンソンの場合においても、フランス語が流暢でありさえすれば事足りるわけではなく、それが、真に素敵な訳詞、日本語詩と直結するわけではないといつも感じていますので。

 翻訳の姿勢という点に注目して、村岡花子さんの再発見をした一冊でした。よろしかったら是非お読みになって下さい。

   おまけのお薦め
赤毛のアン展のofficial book
 日本橋三越で、6月2日月曜日まで「モンゴメリと花子の赤毛のアン展 ~カナダと日本をつないだ運命の一冊~」という展覧会を開催しています。 私もつい最近知って、数日前に行ってきました。

 さすが、ブームになっていることもあって大変な入場者数でした。でも、展示内容はとてもわかりやすく興味深かったです。
 『アンのゆりかご』をベースにして説明が展開されていましたが、豊富な資料を見ることができますので、後二日間となりましたが、こちらもお薦めします。





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