
今日は、前回の記事の続きを記したいと思います。
前回をお読みになっていらっしゃらない方は、こちら→私の中の風景(1)~『最後から二番目の恋』からご覧頂けたらと思います。
さて、先週木曜日に、『続 最後から二番目の恋』、終わりましたね。
ドラマの最終回と言うのは、これまで展開してきた物語を収束に導かないといけないので、内容が突然盛りだくさんになったりするものですが、やはり、未解決の問題を俯瞰的に眺めて一気に決着をつけてゆくような、脚本家の意気ごみを感じました。
登場人物総出演の賑やかな一時間でしたが、その中で、二人の主人公の心の通い合いが益々ほんわりと温かくて、特に何かが成就したわけではないけれど、慈愛に満ちた、人への愛情というかエールのようなものが後に残り、このまま、まだ普通に続いてゆきそうな自然な結末でした。
『吉野千明48歳 長倉和平52歳 二人合わせて100歳!』
と、ドラマの中で、何度も繰り返されるおどけた言葉が、妙に心地よく、<確かに二人で100歳くらいになってこそかも。本当の人生の面白味はこのあたりからなのかしら>と納得してしまいました。
<年を重ねることもなかなか悪くない> <悪くないと思えるように素敵に過ごしてゆきたい>、 そんな余韻が刻まれるドラマが好きです。
最終回の名言。和平さんがしみじみと語った言葉。(メモしなかったので、細部は正確ではないかもしれませんが。)
『貴女が現れて、止まっていた時計が動き出した。その時計は正確な時を刻んでいないで、時々すごい速さで動きだしたりするけれど、それがまた良い。』
そして、ドラマを締めくくる千明さんの言葉。
『こうなったら、目指せ、200歳。人生まだまだファンキーだ。』
さて今回もドラマにまつわる場所を追いながら、私の中の風景再発見です。
イワタコーヒー ~老舗の味わい
JR鎌倉駅すぐ近く、小町通りの入口に、昭和23年創業という鎌倉で老舗中の老舗カフェ、「イワタコーヒー」はあります。
通好みの本格珈琲のお店で、珈琲好きの父に、子供の頃から私もよく連れて行ってもらいました。私はアイスクリームか何かを食べつつ、父がいつもより楽しげに饒舌に語る珈琲のうんちくに耳を傾けたものでした。
中庭の植え込みに、四季折々の美しい植栽が施されていましたが、お店自体はかなり年代物で、冬はガラス窓に隙間風がヒューヒューと入ってきます。目張りされた色褪せたテープ、足元にいくつか置かれた石油ストーブの温もり、レトロで、でも、それがまたある種の風格を醸し出していたことなど懐かしく思い出します。
中は奥が深く、ゆったりとしているものの、外観は飾らず地味でしたので、観光客の目を引くと言うより、地元の人に愛されている店だったのではと思います。いつも常連の文人ぽい風格を漂わせたおじ様、おじい様たちが珈琲を啜りながら、 読書をしたり新聞を読んだりしている姿が印象的な静かな店でした。
何時間居ても嫌な顔もされず、居心地のよい、こういう店って、どの街にも一軒や二軒あるのかもしれません。
大学生になった頃からか、私も父に負けない珈琲党になり、鎌倉を訪れる友人とのお茶タイムは大抵ここでした。
小さい頃刷り込まれたイメージってあるみたいで、今でもこの店の珈琲が一番美味しいような気がしています。

ドラマでは、この店でのシーンもあり、見たことのある店員さんが注文を取っていたり、主人公の和平さんの腰かけている席は奥のあの辺りだぞとすぐわかり、我ながら、<やはり地元民だ>と思ってしまいました。
目下の看板メニューは、高さ5センチもあるふっくら焼きたての大きなホットケーキで、これが大当たりで、<低い温度でじっくり焼くので出来上がるまで、30分かかる>というこのホットケーキを求めて、若いカップルが連日行列しています。
鎌倉交遊録

主人公の長倉和平が勤めるのは、鎌倉市役所観光推進課ですが、市役所でのロケも多いようで、元地元民の私としては、これが臨場感抜群、職場の一光景にさえ、親近感を感じてしまいます。
市役所の風景の中に、近所の方が偶然出てきたり、「いたでしょ?いたでしょ?」みたいな、私的な盛り上がりに事欠きません。
大学時代の友人が実際に観光課に勤めてたりもし、彼は和平さん同様にとても誠実な人なのですが、世界遺産登録問題で苦戦していた頃と話題がリアルにかぶっていたり・・・。
『新江の島水族館』でもロケしていましたね。
ここは私のとても親しくしている教え子Nさんが、しばらく解説案内係で勤めていたところなのです。
楚々としてたおやかな美しさを持つNさん、彼女が静かな声で、水族館の魅力と魚たちの生態について熱心に説明してくれる、その意外性が強烈でした。

クラゲのショーとか、マイワシの大群とか、イルカとの触れ合いとか、水族館と言っても今はスケールが違うのですね。
和平の妹の万理子が、水族館への傾倒を語る場面に、Nさんの遠くを夢見るような澄んだ眼差しを重ねてしまいました。
まだまだ、取り上げればきりはないのですが・・・。
風景への親和感というのは、その中での人との触れ合いや思い出の密度によって生まれてくるものなのかもしれません。
カフェ『ナガクラ』付近に住まう猫
主人公たちが住んでいる極楽寺周辺をねぐらにしている野良猫が毎回登場します。千明が『三郎』という名をつけて餌付けしている猫です。
実は、あの猫の佇まいが昔、飼っていた愛猫にそっくりで、テレビから目が離せなくなりました。
ノラとは思えないような穏やかな眼差しで、お行儀の良い『三郎』は、『まだら』という私の嘗ての愛猫にすべてが似ています。

音もなくやってきて静かにいつまでも寄り添う感じ、『まだら』は性格が良く実に賢い子猫でした。
・・・・二年前にこのブログで、情熱をこめて、10回連載の大長編物語を書いたのを覚えておいででしょうか?
『紋次郎物語』という題で書き続けた、自分で言うのもなんですが、かなりの傑作です。
薄幸な猫だった『まだら』のことはその中に詳しく書いてありますので、ご興味を持って下さる方は、まずは『紋次郎物語その一』からスタートし、『その十』まで、完読なさってみて下さい。
私に猫のことを語らせるとエンドレスです・・・。
ニースの高台から海岸を眺める
鎌倉と、南フランスのニースとは姉妹都市の提携を結んでいます。
『続 最後から二番目の恋』の第一話目はフランスロケでした。
これが何と、私が昨年、一昨年とフランス旅行した場所が悉く映され、あろうことか主人公たちが入るカフェやレストランまで同じだったりしたので、それもこの番組に一気にのめり込む一因となったのです。

ニースの美しい海岸線を一望できる高台のこの場所、私が旅行で撮った写真がこれですが、テレビも同じアングルでした。
大きく広がる緩やかな海岸線、ヨットの浮かぶ真っ青な海と空、カラッと真直ぐに届いてくる明るい陽射し。
パリに住む人たちが、夏の少ない日照時間に飽き足らず、南の抜けるような太陽を求めて長期バカンスに訪れる気持ちも何だかわかるような気がします。
でも、こうやって改めて眺めると、どことなく、由比ヶ浜や七里ヶ浜、或いは小坪海岸を高台から臨む景色に似ている気がしてきます。
ニースと鎌倉が姉妹都市という理由もうなずけます。

おまけの写真は、ニースから車で出かけたエズ村、鷲の巣村とも呼ばれる山の上の石造りの村の路地です。
旅行先でも、その土地に暮らす人たちとの小さな触れ合いはあるわけですが、それはまさに一期一会で、すれ違っては離れてゆく多くの人たちが、当たり前に、自分の場所で、自分の生活を、泣き笑いの中で過ごしているに違いありません。
今自分がそうであるように。
最終回を見終えて、旅から帰ってきた時のような、今への愛着みたいなものをふっと感じました。
前回をお読みになっていらっしゃらない方は、こちら→私の中の風景(1)~『最後から二番目の恋』からご覧頂けたらと思います。
さて、先週木曜日に、『続 最後から二番目の恋』、終わりましたね。
ドラマの最終回と言うのは、これまで展開してきた物語を収束に導かないといけないので、内容が突然盛りだくさんになったりするものですが、やはり、未解決の問題を俯瞰的に眺めて一気に決着をつけてゆくような、脚本家の意気ごみを感じました。
登場人物総出演の賑やかな一時間でしたが、その中で、二人の主人公の心の通い合いが益々ほんわりと温かくて、特に何かが成就したわけではないけれど、慈愛に満ちた、人への愛情というかエールのようなものが後に残り、このまま、まだ普通に続いてゆきそうな自然な結末でした。
『吉野千明48歳 長倉和平52歳 二人合わせて100歳!』
と、ドラマの中で、何度も繰り返されるおどけた言葉が、妙に心地よく、<確かに二人で100歳くらいになってこそかも。本当の人生の面白味はこのあたりからなのかしら>と納得してしまいました。
<年を重ねることもなかなか悪くない> <悪くないと思えるように素敵に過ごしてゆきたい>、 そんな余韻が刻まれるドラマが好きです。
最終回の名言。和平さんがしみじみと語った言葉。(メモしなかったので、細部は正確ではないかもしれませんが。)
『貴女が現れて、止まっていた時計が動き出した。その時計は正確な時を刻んでいないで、時々すごい速さで動きだしたりするけれど、それがまた良い。』
そして、ドラマを締めくくる千明さんの言葉。
『こうなったら、目指せ、200歳。人生まだまだファンキーだ。』
さて今回もドラマにまつわる場所を追いながら、私の中の風景再発見です。
イワタコーヒー ~老舗の味わい
JR鎌倉駅すぐ近く、小町通りの入口に、昭和23年創業という鎌倉で老舗中の老舗カフェ、「イワタコーヒー」はあります。
通好みの本格珈琲のお店で、珈琲好きの父に、子供の頃から私もよく連れて行ってもらいました。私はアイスクリームか何かを食べつつ、父がいつもより楽しげに饒舌に語る珈琲のうんちくに耳を傾けたものでした。
中庭の植え込みに、四季折々の美しい植栽が施されていましたが、お店自体はかなり年代物で、冬はガラス窓に隙間風がヒューヒューと入ってきます。目張りされた色褪せたテープ、足元にいくつか置かれた石油ストーブの温もり、レトロで、でも、それがまたある種の風格を醸し出していたことなど懐かしく思い出します。
中は奥が深く、ゆったりとしているものの、外観は飾らず地味でしたので、観光客の目を引くと言うより、地元の人に愛されている店だったのではと思います。いつも常連の文人ぽい風格を漂わせたおじ様、おじい様たちが珈琲を啜りながら、 読書をしたり新聞を読んだりしている姿が印象的な静かな店でした。
何時間居ても嫌な顔もされず、居心地のよい、こういう店って、どの街にも一軒や二軒あるのかもしれません。
大学生になった頃からか、私も父に負けない珈琲党になり、鎌倉を訪れる友人とのお茶タイムは大抵ここでした。
小さい頃刷り込まれたイメージってあるみたいで、今でもこの店の珈琲が一番美味しいような気がしています。

ドラマでは、この店でのシーンもあり、見たことのある店員さんが注文を取っていたり、主人公の和平さんの腰かけている席は奥のあの辺りだぞとすぐわかり、我ながら、<やはり地元民だ>と思ってしまいました。
目下の看板メニューは、高さ5センチもあるふっくら焼きたての大きなホットケーキで、これが大当たりで、<低い温度でじっくり焼くので出来上がるまで、30分かかる>というこのホットケーキを求めて、若いカップルが連日行列しています。
鎌倉交遊録

主人公の長倉和平が勤めるのは、鎌倉市役所観光推進課ですが、市役所でのロケも多いようで、元地元民の私としては、これが臨場感抜群、職場の一光景にさえ、親近感を感じてしまいます。
市役所の風景の中に、近所の方が偶然出てきたり、「いたでしょ?いたでしょ?」みたいな、私的な盛り上がりに事欠きません。
大学時代の友人が実際に観光課に勤めてたりもし、彼は和平さん同様にとても誠実な人なのですが、世界遺産登録問題で苦戦していた頃と話題がリアルにかぶっていたり・・・。
『新江の島水族館』でもロケしていましたね。
ここは私のとても親しくしている教え子Nさんが、しばらく解説案内係で勤めていたところなのです。
楚々としてたおやかな美しさを持つNさん、彼女が静かな声で、水族館の魅力と魚たちの生態について熱心に説明してくれる、その意外性が強烈でした。

クラゲのショーとか、マイワシの大群とか、イルカとの触れ合いとか、水族館と言っても今はスケールが違うのですね。
和平の妹の万理子が、水族館への傾倒を語る場面に、Nさんの遠くを夢見るような澄んだ眼差しを重ねてしまいました。
まだまだ、取り上げればきりはないのですが・・・。
風景への親和感というのは、その中での人との触れ合いや思い出の密度によって生まれてくるものなのかもしれません。
カフェ『ナガクラ』付近に住まう猫
主人公たちが住んでいる極楽寺周辺をねぐらにしている野良猫が毎回登場します。千明が『三郎』という名をつけて餌付けしている猫です。
実は、あの猫の佇まいが昔、飼っていた愛猫にそっくりで、テレビから目が離せなくなりました。
ノラとは思えないような穏やかな眼差しで、お行儀の良い『三郎』は、『まだら』という私の嘗ての愛猫にすべてが似ています。

音もなくやってきて静かにいつまでも寄り添う感じ、『まだら』は性格が良く実に賢い子猫でした。
・・・・二年前にこのブログで、情熱をこめて、10回連載の大長編物語を書いたのを覚えておいででしょうか?
『紋次郎物語』という題で書き続けた、自分で言うのもなんですが、かなりの傑作です。
薄幸な猫だった『まだら』のことはその中に詳しく書いてありますので、ご興味を持って下さる方は、まずは『紋次郎物語その一』からスタートし、『その十』まで、完読なさってみて下さい。
私に猫のことを語らせるとエンドレスです・・・。
ニースの高台から海岸を眺める
鎌倉と、南フランスのニースとは姉妹都市の提携を結んでいます。
『続 最後から二番目の恋』の第一話目はフランスロケでした。
これが何と、私が昨年、一昨年とフランス旅行した場所が悉く映され、あろうことか主人公たちが入るカフェやレストランまで同じだったりしたので、それもこの番組に一気にのめり込む一因となったのです。

ニースの美しい海岸線を一望できる高台のこの場所、私が旅行で撮った写真がこれですが、テレビも同じアングルでした。
大きく広がる緩やかな海岸線、ヨットの浮かぶ真っ青な海と空、カラッと真直ぐに届いてくる明るい陽射し。
パリに住む人たちが、夏の少ない日照時間に飽き足らず、南の抜けるような太陽を求めて長期バカンスに訪れる気持ちも何だかわかるような気がします。
でも、こうやって改めて眺めると、どことなく、由比ヶ浜や七里ヶ浜、或いは小坪海岸を高台から臨む景色に似ている気がしてきます。
ニースと鎌倉が姉妹都市という理由もうなずけます。

おまけの写真は、ニースから車で出かけたエズ村、鷲の巣村とも呼ばれる山の上の石造りの村の路地です。
旅行先でも、その土地に暮らす人たちとの小さな触れ合いはあるわけですが、それはまさに一期一会で、すれ違っては離れてゆく多くの人たちが、当たり前に、自分の場所で、自分の生活を、泣き笑いの中で過ごしているに違いありません。
今自分がそうであるように。
最終回を見終えて、旅から帰ってきた時のような、今への愛着みたいなものをふっと感じました。


