新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

「ロスト・ソング」

   春節 雨水
 2月19日、今日は春節、上海に住む友人が毎年日めくりカレンダーと春節の飾りを送って下さるので、我が家では中国暦も身近に思えるのですが、これによると、昨日は大晦日、そして数日間続く旧正月GWは祝日色の赤い字で記されています。
上海からの贈り物
 そして、今日の日めくりの中に「雨水」の文字、「寒気が緩み雪が雨に変わる時期」ということでしょう。「立春」から「雨水」、「啓蟄」と細やかに気象の変化を感じ取る言葉が美しいなと思います。

「春は名のみの 風の寒さや」と鼻歌の道すがら、四条大橋からの眺めを写してみました。
麗らかな陽射しの中、鴨川べりには腰を下ろす人たちの姿が増え、空は高く澄んで、川の流れを青く染めるようでした。
鴨川の水鳥  春を待つ鴨川
 早春の鴨川を鴨たちがスイスイと泳いでゆく姿にも心が留まります。

 さて、今日は<訳詞への思い>、「ロスト・ソング」を取り上げてみたいと思います。


       「ロスト・ソング」
                           訳詞への思い<14>


   
   
    「ペール・ギュント組曲」
 「ロスト・ソング」・・・メランコリックなサウンドに乗って,ジェーン・バーキンが儚げに吐息交じりで歌っているが,メロディーを聴くと,<どこかで聴き覚えがある曲>と思われるのではないだろうか。     
ジェーン・バーキンとゲンズブール
 作詞、編曲はセルジュ・ゲンズブール、彼がペール・ギュント組曲2番作品55「Solveig’s Song (ソルヴェーグの歌)」を下敷きにして、アレンジを加え、新たに詞を付けたものである。

 「ペール・ギュント」は,元々ノルウエーを代表する劇作家ヘンリク・イプセンの戯曲である。
 スウェーデンに古くから伝わる伝説上の人物をモデルにして描かれた作品と言われ、当初イプセンは上演を目的としない戯曲=文学作品として執筆したのだが、作品の加筆に伴い、これを音楽詩劇として舞台上演することとし、この作曲を当時30歳だった新進気鋭の作曲家グリークに依頼した。
 楽曲は全幕で23曲からなり,1876年に初演され大成功を収め、以後、グリーク自身が8曲をここから選び、二つに分けて組曲として再構成した。現在「ペール・ギュント組曲」として演奏され親しまれているのはこの形である。

 「ペール・ギュント組曲」との私の出会いは、中学一年の頃に遡る。
 「音楽鑑賞」という授業の第一回目に、この「ペール・ギュント組曲」が取り上げられたと記憶している。
 まず、物語のダイジェストを先生が解説して下さった後,二時間の授業の間、組曲全曲をただひたすら聴き続けた。
 静寂の中でクラッシック音楽に集中するのは、大人の世界に一気に踏み入るようでもあり、音楽が訴えてくる圧倒的な力を体感していた気がする。

 今朝、久しぶりに聴いてみたが、「朝」「オーゼの死」「アニトラの踊り」「山の魔王の宮殿にて」「アラビアの踊り」「ソルヴェーグの歌」,嘗て心に描いたイメージが、そのまま再び鮮やかに蘇ってくるようだった。 
 子供の頃の感覚というものは、思いの外鋭敏で侮りがたいものだと思う。

 そのようなわけで,この組曲には今も強い印象を持っているのだが,でも物語自体には、当時から必ずしも全面的には共感していなかった。

   「ソルヴェーグの歌」
 主人公の「ペール・ギュント」は、言ってみれば大言壮語の空想家で女好きな放蕩者であり、いくら、彼の波乱万丈の冒険物語といわれても,身勝手で我が儘な男が,考えなしに行動し周りを不幸にしているだけではないかと,密かに義憤を感じていたのを思い出す。
 中学一年の私は、特にペール・ギュントの、恋人ソルヴェーグに対しての仕打ちには納得できないものを感じていた。
 勝手に妄想や野望を抱いて放浪を繰り返し,純真一途な可愛い許婚の彼女を故郷に置いたまま、他人の花嫁を略奪したり、挙句の果て,落ちぶれて心弱ったときだけソルヴェーグの元に泣きついて帰る。
 それがわかっているはずなのに,恨み言一つ言わず,いつでも彼を許し,優しく迎え入れ,また送り出し,長い不在に耐え,老い傷ついた彼の最期を優しく子守唄を歌いながら看取るという彼女が,あまりにも哀れで衝撃的だった。
 
 「人形の家」など女性の自立をテーマに作品を書いていたイプセンが,なぜソルヴェーグのような女性をヒロインにしたのか、当時は、腑に落ちないままだったが,今になってみれば見えてくるものもある。
 前時代的な愚かしい従順さ、純粋さとも思えてしまうが、でも翻ってみると、本当に徹底して<信じること>、<待つこと>、<許すこと>は、究極の愛の形であり、真に聡明で揺るぎない心を持っていなければこれを貫き通すことは難しい。
 ソルヴェーグは、そういう自立した、強く美しい理想の女性として描かれているのではないか。
 加えて、他人には図ることのできない男女の愛情の機微を思えば、最後に自らの腕の中で恋人を看取った彼女は、悲しい愛の勝利者であったといえるのかもしれない。
 
 この音楽鑑賞の時間の最後に、日本語の訳詩で「ソルベーグの歌」を習ったことを思い出した。
 堀内敬三氏の訳詞だったのだが、この歌いだしは次のようである。
   
     冬は過ぎて 春過ぎて 春過ぎて
     夏も巡りて 年経(ふ)れど 年経れど
     君が帰りを ただ我れは ただ我れは
     誓いし儘に 待ちわぶる 待ちわぶる
   

 これは、何年頃の訳詩なのだろうか。
 イプセンの原詩の内容に、ほぼ忠実に訳されているが,文語体と相俟って今は非常に古典的に感じられ,ここには慎ましく誇り高いソルヴェーグの像がくっきりと刻まれている。

   「lost song」
 では、ゲンズブールが「ロスト・ソング(原題lost song)」の中で描いた女主人公はどのような女性なのか。

 この曲「ロスト・ソング」は,1987年に発表された同名のアルバム「ロスト・ソング」に収録されている。
ジェーン・バーキン ロスト・ソング
 先ほどから触れている「ペール・ギュント組曲」の中の「ソルヴェーグの歌」の旋律をそのまま採りつつも,重くスローなロック風のサウンドに替えて,曲中の女主人公の虚脱感を醸し出している。

 詩の内容は、ゲンズブールの完全オリジナルで,狂おしく燃え上がったはずの二人の恋はすれ違い,今や破局を向かえ,冷ややかに去って行く男への、女の思いが語られている。

 詩を読んだときにまず,「Dans la jungle de nos amours éperdues(狂おしいまでの恋のジャングル(密林)の中で)」という表現が強烈に心に飛び込んできた。
 それから,「私達は傷つけ壊し合い」という言葉にも、本来のソルヴェーグのなよやかで柔和な愛とは対極にあるような愛憎の世界が見えてくる。
 「愛は貴方にとっては賭け事のようなもので,このゲームで貴方の上に出ることがついには出来ず,私は敗北してしまった」と彼女は言う。
 嘘をつき,裏切り,ただ恋を弄び,今は白々しく他人行儀に振舞おうとする、貴方はそういう人なのだと言っている。

 イプセンが創り上げた原典の中の純潔無垢なソルヴェーグの心を反転させて,ゲンズブールは、この曲の中で、新たなソルヴェーグの像を描き出そうとしているのではないだろうか。

 <信じて、待って、耐えて、愛し続けて>の対極にあるものは何か。

 <耐えて待つ>というと、日本的、演歌的世界のような感じがするが、必ずしもそんなことはなく、シャンソンの中にも、待ち続ける女性の心情はかなり沢山歌われている。けれど、そのどの歌にも、<待つこと>に自分としての希望や意味を見据えて、主体的な意思が貫かれていて、これこそがフランス的な自我のあり方であり、香りであるのか、とも思ってしまう。
 「ロスト・ソング」の中の女主人公は、愛の不毛を見てしまったからにはもはやどんなに喪失感が深くても、待つことに何の意味も感じないと思い定め、恋に決着をつけようと佇んでいるように見える。
 ゲンズブールが生み出そうとしたソルヴェーグは、<待たない女性><切り捨てることを決断する女性>だったのではないだろうか。

 「ロスト・ソング」の原詩は次のように締めくくられている。

   私は認めていたし、わかっていた
   私がもう既に打ち負かされていたことを
   恐れが 貴方の傲慢が 私を殺す
   貴方はもう私のことを<きみ>ではなく<あなた>と呼ぶ 


 この最後の部分の「私を殺す」という言葉にイメージを大いに喚起されて、私の日本語詩は以下のように閉じてみた。

   私は貴方のものじゃない 心が壊れてゆく
   優しげに私を呼ぶ 貴方の声が遠ざかる
   道に迷った 私の恋は 最後の悲鳴をあげる


 ゲンズブールの詩からのイメージを受けつつも、言葉としては完全に私の創作になっている。
 この日本語詩の中で、私は、愛の最後を見尽くしてしまった絶望を、脱却からのエネルギーに変えてゆく、そういう潔くしたたかなもう一人のソルヴェーグを生み出してみたかった。
 ソルヴェーグの姿を様々に思い描きながら、久しぶりにまたコンサートの中で歌ってみようかと思っている。
                         Fin

 (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
   取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)



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節分の賑わいの中で

 一昨日は節分、そして昨日は立春、こうして旧暦の新年がまた始まって行きますね。
 関東で育った私は、子供の頃から、節分はただ「豆まき」をする日と思ってきましたが、京都に暮らしていると、<邪気を遠ざけ、身を正し新年を迎える>という、一年の節目の意識が生活の中に強く根付いていることを感じます。

 2日から4日までは節分会と呼ばれて、様々な神事が取り行われますが、3日がいわゆる豆まきで、それぞれの神社が独自の賑わいを見せています。

   吉田神社の節分
 吉田神社は節分厄除け詣り発祥の地として、京都でも人気の神社です。
 一昨日はフランス語のクラスがある日で、学校はご存じの通り、吉田神社に隣接していますので、早めに家を出て、まずお参りしてからクラスに行こうかと思い立ちました。
 ところが、想像をはるかに超えて、朝のバスは、もう既に何事が起こったかと思うほどのラッシュ。降りたバス停には、交通整理の警官の方たちまでが大勢動員されている状態でした。

 まずは吉田神社へ。
 いつもは静寂な吉田山を臨む参道は、行き交う人と露店の売り声で、朝から活気に満ちていました。鯛やき、お好み焼、焼きそばなどの定番の屋台、昔ながらの射的など、タイムスリップしたようないくつもの露店がひしめくように立ち並んで、京大へのアプローチを賑やかに埋め尽くしています。
参道の露店の賑わい  閉じられた京大の正門
 大学もこの日ばかりは全面協力なのでしょうか、神社の参道に面した正門は閉ざされて、露天商たちに門前を譲り、学生たちは狭い通用門から当たり前のように出入りをしています。

 神社への階段は、訪れた人で埋め尽くされていました。
吉田神社へ  お札授り所
 熱心に参拝する人の波、昨年までのお札を収めて新年のお札を買って行く人、お御籤を引く人、1月1日の賑わいがそのまま再現されたような新春の華やぎに溢れています。

 「節分」という旧暦からの慣習が今もそのまま生活に受け継がれてきて、季節の移り変わりにそれぞれの意味を感じ、それを尊んで自然に暮らす、・・・とても豊かなことと思われます。

総じて日本的な年中行事は、形骸化され、廃れて行く一方の昨今ですが、「この季節、この日は、これを食べて、ここに行って、これを願って、・・」というようなシンプルな習慣の中に生活のエネルギーのようなものがあることを、このような場に遭遇するにつけて、強く感じます。
福豆の売り場
 日本髪を美しく結った女性たちが扱っているのは、抽選券付き福豆(鬼打ち豆)です。
 福豆を神社で買い求めて、それで自宅の豆まきをする、そして、その余禄として、後で抽選を確かめる楽しみも付いてくるというわけです。
抽籤券つき福豆
 特賞は何と自動車一台という豪気な景品なのですが、高価なものからささやかなものまでどっさりと用意された景品は、地元の企業や、昔からの氏子(うじこ)さんたちがそれぞれ自分の家の氏神様=神社に寄進をして盛り立ててきたものなのでしょう。こうして脈々と、暮らしに根付く伝統や、日々の中に生きる大らかな信仰が受け継がれていることを感じます。

 自然に包まれ、何か目に見えない大きなものの意志の中で人は生かされていて、事ある毎に、それにふっと手を合わせたくなる、節分の一日も、そんな日本的な宗教心の一つの表れなのではと思います。

アンスティチュ・フランセ関西
 私も参拝を済ませ、福豆を購入して、学校に向かいました。
 「旧日仏学館」、現在の「アンスティチュ・フランセ関西」です。

 すぐ近くの喧騒が嘘のような静かな佇まいを見せています。
恵方巻き風がレット
 この日のランチスペシャルは、ガレット(そば粉のクレープ)でした。
 フランスでは、2月2日がchandeleur(シャンドルール)と呼ばれるキリスト教の祝日で、(キリスト誕生から40日目の<聖母御潔めの祝日>と呼ばれる日です)この日は春の到来と家族の幸せを祈って、クレープを食べるのが習慣になっているのです。
 でも、このガレットは、かなり不思議! 恵方巻きを模したのでしょうね。日仏合体のエスプリでしょうか?思わず注文してしまいました。

   祇園さんの節分
 帰路のバス停も長蛇の列でした。
 なかなか乗れそうもないので、違う経路のバスに替え、祇園で降車。
 目の前は八坂神社で、こちらも更に賑わっていましたが、ここで降りたのも何かのご縁、節分巡りの日と勝手に決めて、八坂神社にも参拝することに。
八坂神社の豆まき
 ちょうど舞舞台の上で、裃(かみしも)姿の大勢の男性、女性が、豆まきをしている最中でした。近づけないほどの雑踏で、手を伸ばしても福豆をキャッチできるような距離でもなく、でも、豆まきの興奮の渦に紛れ込んだのが何となく楽しかったです。
 八坂神社を地元の方たちは「祇園さん」と呼びますが、祇園さんの節分らしく、舞妓さんが撒き手として舞台に上っていて、華やかさを添えていました。
 
 豆まきが終了して、ぼんやりしていた私、舞妓さんを追いかけるカメラマンたちの波にいつの間にか巻きこまれてしまったようなのです。
 よくわからずに押されながら辿り着いたのが、どうやら舞妓さんたちが帰り支度を整えるために寄る休憩所の前で、気が付くと、周り中、一眼レフの大型カメラを持った方たちで一杯でした。
 しかも、成り行きとはいうものの、皆さんに羨ましがられるような玄関真正面の優先席を陣取っている格好になっていました。
 舞妓さんの出待ちをするつもりなど、全くなかったのですが、後ろもぎっしり一杯で、もはや人垣から抜け出ることもできない状態でしたから、初めての写真マニア体験をするしかないと覚悟を決め、待つこと15分。
 
 笑顔もこぼれます
 周囲は、写真愛好家同士の楽しそうな会話で弾んでいました。
 こういう天候の時、露出はどうすればよいのかとか、今撮ったばかりの豆まきの画像を見せ合ったりして、実にゆったりと。
 共通の趣味は心を結ぶものなのだと改めて思いました。
 
 そして、ようやく、舞妓さん三人、一斉にシャッターが切られて、芸能人の記者会見場みたいでした。シャッタースピードが速いこと!
豆まきを終えてホッと一息
 一仕事終えて、解放感に溢れた楽しそうな笑顔が印象的です。良く見るとまだあどけない顔立ちですね。 
 雨模様の空を見上げる様子もなかなか可愛らしいです。

八坂神社本殿

 ようやく落ち着いて、改めて参拝した「祇園さん」は、新春の化粧をして、ひと際、華やいでいました。




   思いを込めて
 この日、新春の寿ぎと華やいだ雑踏に紛れながら、ずっと胸に広がっていたのは、或る方への哀悼の思いでした。

 舞台監督、そして演出家として活躍していらっしゃった松浦進一さん。

 毎年の三浦先生主催のテタール・メランジェ・コンセールでも、そして、私の内幸町ホールでの訳詞コンサートでも、いつも舞台監督をして下さり、ずっとお世話になってきた方でした。

 2月2日、新春を待たず急逝されたという訃報を、この節分の日の朝受けたまま、全てが宙に浮いているような感覚に襲われていました。

 大勢の人たちが楽しげに行き交う節分の中で心を紛らわせようとしても、不在感ばかりが迫ってきて、ただひたすらにご冥福をお祈りしていました。

 ぼんやりとした心のままで、まだ今は、充分に言葉に表すことができません。

 時は過ぎて行くのに、新しい年は巡ってくるのに、明日は誰にもわからない、そういう人の世の儚さが胸にこたえます。

 松浦進一さん。
 お世話になった沢山の大切な思い出と、舞台への情熱と、優しい笑顔と、温かいお人柄と、いつも励まして下さった忘れられない言葉の数々と。

 沢山甦らせながら、ご冥福を心からお祈りしたいと思います。




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幸せの双葉葵 ~上賀茂神社参拝の記

 今朝起きたら、昨晩からの雪で外はすっかり雪景色でした。
 如月、寒気厳しき季節の到来ですが、めげずに元気で乗り切って行きたいですね。

   ちょっとだけ楽しいお話 ~二葉タクシー
 今日は、ローカルな話題なのですが。

 京都は観光地ですので、おそらく他の土地よりも格段に、走っているタクシーの数が多いのではと思います。
 市内、郊外を問わず、個人タクシーに加えて、様々なタクシー会社が競って活発な営業を行っています。
 その中の代表的なタクシー会社の一つ、弥榮(ヤサカ)タクシー。
ヤサカタクシーのロゴ
 運転手さんの対応が、総じて感じが良い気がして、私は好きなのですが、この会社のロゴは三つ葉のクローバーで、通常、緑のこんなロゴを天井灯に付けて走っています。

 地元ではすでに認知度が高いのですが、1200台も運行しているこの三つ葉のタクシーに混ざって、四つ葉のロゴの車がたった4台、街を走っているのです。
四葉のタクシー
 しかもこの4台は予約や指名は一切できず、客待ちもせず、ただ街を流しているので、見かけることも稀ですし、ましてや偶然それに乗車することはほぼ叶わない幻のタクシーと呼ばれています。
 万一偶然に四つ葉印のタクシーに乗車することが出来れば、本当にラッキーで、このタクシーに乗ると、幸せの記念ステッカーを貰えるというのが巷(ちまた)では、有名な伝説です。
ピンクの三つ葉
 この人気に気を良くしたのかどうかわかりませんが、次なる企画はバレンタインのラブ・クローバー号という車で(といっても2004年からで、もう10年も続いているそうですが)こちらは、2月13日と14日の二日間の限定で、女性ドライバーが運転する20台のみが、緑ではなくピンクの三つ葉に変えて運行しています。こちらも記念ステッカーを貰えて、これは垂涎の<恋の成就お守り>なのだとか。
 バレンタインはもうすぐですが、今年もきっとこのピンクの三つ葉のクローバー号が京都の街を颯爽と走るのでしょう。

 さてここで、本題です。
双葉葵のロゴ
 スペシャル企画として、このヤサカタクシーでは、今、「あふひ(葵)の二葉タクシー」の市内のみの運行が行われています。
 これは、1200台中、最も希少のたった二台。
 街で見かけたというだけでネットに投稿される超レアなタクシーです。
 上賀茂神社の「式年遷宮」に向けたタイアップ企画で、「式年遷宮」が行われる2015年10月末までを期限とし、三つ葉を、上賀茂神社の家紋の二葉葵(ふたばあおい)に代え、車のナンバーも「2828」=「ふたばふたば」と趣向を凝らしています。

 実は、私、昨年の冬、この双葉葵のタクシーに偶然乗車したのでした!!
乗車記念のレシート
 こういう情報はそれまで全く知らず、ただタクシーを止め乗り込んだだけだったのですが、車中で運転手さんにこの仔細を聞き、びっくり!
 そして、降りる時にレシートを渡され、「このレシートを上賀茂神社に持って行くと記念品がもらえるので是非参拝して下さいね」と言われたのです。
 そのレシートは、こちらです。

 生れてこのかた、くじ運には全く恵まれず、あらゆるくじ引きに当たったことのない私なのですが、なぜかヤサカタクシーとは相性が良いらしくて、実は、実は、何を隠そう、この双葉葵の前に、何と二回も四葉のクローバータクシーに乗っているのです。
 こういうとまるで相当頻繁にタクシーを使っているように思われるかもしれませんが、そんなことは全くなく、本当にたまにしか乗らないのに不思議です。
 その話を運転手さんにして、持っていた四つ葉のシールを見せたところ、「そんな話は聞いたことがない。凄い強運の持ち主ですねえ!!」と興奮して絶賛されてしまいました。
四つ葉の記念証とシール
 嘘ではありません。証拠の品も持っております。
 こちらが記念のカードとシールです。

 これは、言ってみればたわいのない天下泰平な話なので、気楽に人に自慢できますし、事情の分かっている京都の人には特に大うけで、「ところで、記念品は何なのだろう?」ということになります。
 それで、これを究明すべく、先週のお天気の良い日に、一年近く放ったらかしにしておいたレシートを携え、上賀茂神社に参拝に出掛けることにしたのでした。

   上賀茂神社へ
 抜けるように澄んだ冬空の一日でした。
 上賀茂神社の赤い鳥居が青空に映えています。
青空に映える鳥居 式年遷宮
 鳥居の前には「式年遷宮」の文字が掲げられて、来たるべき遷宮への準備が着々と進められています。
 21年ごとに営々と続いてきたこの式年遷宮のおかげで、儀式の伝統や、宮大工の技術などが次の世代へと引き継がれて行くのですね。

 上賀茂神社、下賀茂神社は共に賀茂神社と総称され、両社で京都三大祭りの一つ「葵祭」が催されますが、賀茂神社の「葵」の家紋は双葉が寄り添い相和すという縁結びの霊験に繋がって信仰の対象ともなってきたようです。
結婚式の撮影 花嫁姿
 陽射し麗らかなこの日も、境内には挙式を行うカップルの姿が何組も居て、とても長閑な情感を醸し出していました。

 京都では神社で挙式というカップルも増えてきているようですが、こういう厳かな趣の中での神事は、新たな出発に誠に相応しいのではと感じられました。
ハート形の絵馬
 上賀茂神社の絵馬はハートのような葵の葉の形をしています。「ご縁が結ばれますように」という願い事がそれぞれに書かれ、奉納されていました。
 
双葉の記念シール
そして、例のレシートを手に、社務所に向かいました。 「あの~、これを・・・。」とおずおずと渡すと、引き換えに手渡してくれた記念品はこちら。

 ただ一枚のシール!
 「欲張ってはいけません」という新年の戒めかと。
 ちょっとがっかりと、こみあげてくる笑いと。
 友人に早速話して、また盛り上がろうかと思っています。

   そして下賀茂神社へ
 気を取り直し、せっかくここまで来たのだからと、バスを途中下車して、下賀茂神社にも立ち寄ってみました。
 静寂な糺(ただす)の森を通って、神社へと向かいます。
 森の中の縁結びのご神木。
  縁結びのご神木   糺の森
 そして、森を流れるせせらぎが静かな水音を響かせていました。
 
さざれ石
 国歌「君が代」に歌われるさざれ石。

 さざれ石とは、「小さな石」の意味で、歳月と共に大きく成長し、やがて岩になると信じられている心霊の宿る石です。

下賀茂神社の鳥居もやはり青空に映えて聳えます。

 御手洗(みたらし)三本杉の縁起が記されているお清めの水が清々しい美しさを湛えています。
お清めの水 下賀茂神社境内
 静謐な雰囲気の漂う境内。

 「世界文化遺産」の文字が刻まれた石碑。 
 大きな羊の干支の「絵馬」。
  世界文化遺産   羊の絵馬
 美しい「楼門」。 
 葵祭の折に勅使が御祭文を奏上する「舞殿」。 

 双葉葵が誘ってくれた古都の麗らかな新春散歩の一日でした。



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