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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

『たびだち』 その二

訳詞への思いカット
 夕方から雨が降ってきました。
 霧のようにしっとりとして肌に沁み込んでくる雨です。
 心地よい夜気に触れていたくて、少し冷えるのですが窓を開けています。

 シャンソンの往年の名曲「巴里祭」、この日本語詩の一節に
 「絹糸のような あのこぬか雨に・・・」というフレーズがあるのですが、こんな雨のことなのかもしれませんね。

 さて、お待たせ致しました。
 前回の記事、『たびだち』 その一 からの続きです。


          『たびだち』 その二
                         訳詞への思い<16>


  「Puisque tu pars」 =「君は出て行くのだから」。
 自由で可能性に満ちた世界を夢見て、故郷を出て行く「君」を、寂しさや祈りの中で見送る、そんな原詩である事は既に述べた通りである。

 では、出て行く「君」と見送る「私」は誰なのか。
 どんな設定の中であれば、より自然にこの詩を味わうことが出来るのか。
 詩に溢れている思いを受け止め、イメージを膨らましつつ、けれど、物語を作り過ぎて原詩を狭めてしまわないよう留意しつつの日本語詩作りとなった。

   いくつかの日本語詩
 この曲の日本語詩は、何人かの訳詞者によって既に作られているのだが、その中から二作を紹介してみることとする。
 『思い出の扉』、『お前の空を飛んでごらん』という邦題がそれぞれに付いている。

 『思い出の扉』の中の「おまえ」は、家を出て独立してゆこうとする我が子で、「私達」はそれを見送る両親という設定の詩となっている。
 内容は以下のように展開する。

 人は<希望を求めて、自立してゆくのだから素晴らしいことだ>というけれど。引き留めるすべもなく、ただ自分たちはおまえの幸せを遠くから祈るだけだ。

 もっとおまえを愛せたかもしれない
 力が足りなかったことばかりが悔やまれる
 でも今はもう遅いのだ もう遅い・・・・

 という内容である。
 離れてゆく我が子を見守る時の一抹の寂しさと、充分に愛を注ぎ切れなかったのではという後悔の念、そして前途の幸せを祈る親の切なる願いとに、詩の焦点があてられている。

 一方、『お前の空を飛んでごらん』だが。
 こちらは、男手一つで育ててきた我が子の旅立ちへの感慨を父が語るという設定である。
 <自分の人生を大切にして自分のために生きる>ことを教えてきたはずなのに、なぜ今寂しさを感じるのだろう、と思いを噛みしめて、幼い頃の思い出を脳裏に蘇らせる。(・・・この辺りは完全に作詞と言える)
 そんな思いを抱きながら、<翼を広げて大きな空へ飛び立ってほしい>と祈る切なさが伝わってくる。
 この詩の我が子は、息子ではなく、どうやら「娘」で、それもまた、訳詞者の創意が加わっている。

 原詩の性質によって、対訳にできるだけ忠実に仕上げたくなる場合と、イメージを拠り所にして創意を加えたくなる場合とがあると思うが、上記の二編とも、後者のタイプで、子供と親という関係に読み解かれていると言えよう。


    『たびだち』
 人が今在るところから出発しようとするとき、色々な思いとドラマがある。

 私にはこの曲は<卒業>のイメージ。
 <卒業>という言葉とその情景がこの原詩から浮かんできた。

 私が作った日本語詩の邦題は『たびだち』。 そして冒頭は次のようである。

   光が射している
   あなたは見知らぬ世界の 扉の前で 立ちすくんでいる
   大丈夫だから 
   何も恐れないで 夢だけを信じて進めばよい

   頑張ってみても 心を尽しても
   はじき返される事ばかりだと
   悩んでいたのは あなたの優しさだけど
   引き留めることはもうできない
     旅立つ今

   春がやってくる 卒業の風に乗って
   新しい出会いの中に 今旅立つ
   あなたがいつも
   あなたらしく生きるように
   輝き続けてゆくように


 そして、
   私はいつもここにいるから大丈夫 
   夢だけを信じて進んでほしい 
   疲れたらいつでも戻って良いから 
   いつも幸せを祈って待っているから

 
という言葉が続いてゆく。


 この詩を作ったのはもう随分前になる。
 教職にあった頃。
 担任をしていた学年が高校を卒業する日、卒業式で生徒たちの顔を見ていたら、突然この曲が心に流れた。
 それに重なるように、とても自然に言葉が溢れてきて、あとで書き留めてみたのだが、この詩は殆どその時のままの言葉である。

 設定を限定したくなかったので、具体的に卒業式などという言葉も、教師としてなどとも一切入れていないが、<たびだつ>者へのはなむけの辞として、共感してもらえればと願っている。

 今でも曲と共に、あの卒業式の日が胸に蘇ってきて、私には、殊の外、愛着の深い作品となった。

 けれど、思い入れが深いと、却ってなかなか歌えなくなってしまうもののようで、実は、これまでにたった一度だけ、訳詞コンサートvol.2の『もう一つのたびだち』で初披露しただけで留まっている。

 あのコンサートは内幸町ホールで初めて行った時であり、スタッフとして手伝ってくれた教え子たちが8人、バックコーラスで加わった。
 ステージで彼女たちと目を合せながら歌ったことが本当に懐かしく思い出される。

 あれから久しぶりに、今年は11月と12月のコンサートで歌ってみたいと思っている。
 

                         Fin

  (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
  取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 
 では、ゴールドマンの原曲をこちらのライヴ盤、youtubeでお楽しみください。
      ↓
http://www.dailymotion.com/video/x3dlji_jean-jacques-goldman-puisque-tu-par_music





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