fc2ブログ

新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

七月の点描(三) 川崎工場夜景

 お待たせしました。
 前回の記事「七月の点描(二)心に残る小さな言葉」の続きです。
 この日、原宿で、仕事の打ち合わせを終え、夜は東京新聞が主催する「川崎工場夜景 探検クルーズ」に参加することにしました。

 これまで、国内外を問わず観光ツアーを利用することの殆どなかった私ですが、先日「東京駅丸の内駅舎ツアー」に参加し、丁寧な解説がつくのは結構良いかも・・・と認識を新たにしたのでした。

 今回も、Mさんと一緒、彼女は良き話し相手、そして食べ友達で、東京で少し時間があるとどちらからともなく誘い合うのですが、こういう段取りなどもあっという間にこなしてくれる頼もしい友人です。
 いつも遊び歩いているように思われるかもしれませんが、そんなことは決してなく、私も彼女も<多忙な仕事の僅かな隙間をフットワークよく満喫している>と思っていただけたら幸甚です。

   「川崎工場夜景 探検クルーズ」
 東京湾クルーズとか、江戸情緒を味わう屋形船とか、「船上」が今人気ですが、川崎工業地帯のイルミネーションを運河から眺めるというツアーはまさにトレンディー、人気沸騰中で、いろいろな旅行社から様々な企画が出されています。

 ちなみに、今回、私たちが参加したツアーのキャッチフレーズは、

  今、話題の工場夜景クルーズ!
  複雑な構造美にメタリックな輝きが神々しい壮麗な景色
  ・・・運河から眺める工場夜景がまさに絶景!
  小型船ならではの運行コースで、幻想的な景色をたっぷりとご堪能ください。


 とありました。

 私のイメージでは川崎工業地帯といえば、嘗て、社会科の教科書に出てきたモクモクと工場から煙が立ち上る写真そのもので、戦後日本の高度成長経済を支えた原動力、それと引き換えに大気汚染を引き起こした危険ゾーン・・・だったのですが、<複雑な構造美にメタリックな輝きが神々しい>とは、これいかに!
 人気スポットであること自体に、隔世の感ありです。

 そんな半信半疑の中で、ともかくも百聞は一見に如かず。

 天王洲アイルの天王洲ヤマツピア桟橋から18時30分出航の交通船で2時間半のツアーです。
乗船
 交通船というのは、豪華クルーズとか屋形船とかではなく、屋根のないボートみたいなシンプルな作りで、<人員輸送船として作られた船舶で、港湾内のような近距離での運航を主体としていて、湾内でよく見かける、タイヤをぶらさげた武骨で堅牢な小型船>という説明がありました。
 「雨天決行」とパンフレットには書いてありましたが、屋根のない舟で長時間、本当に雨の日でも運行するのでしょうか。心配になってしまいます。

   川崎工場夜景 Photoレポート
 何しろ揺れる船の中から、残照と、工場のイルミネーションの撮影、素人写真なので限りがあるのですが、雰囲気を少しでもお伝えできればと思います。

京浜運河から多摩川、大師運河、千鳥運河、塩浜運河などを通り、やがて黄昏時、川崎工場の夜景に辿り着き、帰路は逆ルートで戻るというコースです。
上を行くモノレールこの日は、満席で天王洲ヤマツピア桟橋を出航しました。
 意外にスピードが速く、川風が肌に心地よく吹き抜けてゆきます。
 蒸し暑さを冷ますような船上の夕暮れ時です。
 京浜運河を南下してゆく船のすぐ近くを、モノレールが行き過ぎます。
 このアングルからの眺めは新鮮ですね。

屋形船とすれ違いました。なかなか豪華なしつらえです。
夕涼みの屋形船 夕暮れ迫る
 振り返ると、多摩川に日が傾いてゆきます。オレンジ色に染まる波頭が初夏の色をしています。

 対岸はまだ陽が明るく射しています。
花が幾重にも重なったような大きな看板は大田市場です。
太田市場 日没1
 再び振り返ると、最後の残照がひときわ色濃く空と水面を染めています。

ぽつんと残っている赤い鳥居はかの有名な<羽田空港呪いの鳥居>。
羽田空港の鳥居 かつて、羽田空港の旧ターミナルの駐車場にポツンと建っていた赤い鳥居。
 邪魔なので幾度となく移転が計画されたのですが、その度に移設工事関係者が事故に見舞われるなどして、作業は中止され今に至るという都市伝説を、船のガイドさんが熱心に語ってくれました。

工場に近づく

 多摩川の河口を横断し、やがて遠くに工場地帯が見えてきました。

 煙突から白煙がたなびき、フレアと呼ばれる不燃焼ガスを再燃させる火が大きく上がっています。
燃える煙突 複雑な配管
 入り組んだパイプを身に纏うように林立する建物、これが<複雑な構造美>なのだと、少し納得しました。

標識灯としてくっきりと浮かび上がる<K>の文字は<川崎>の頭文字なのだそうです。
Kマーク 工場夜景1
 「ここが写真スポットです」とガイドさんのお勧めの東亜石油工場付近の夜景です。

なるほど圧巻です。
工場夜景2
 誰もいない水辺に灯りを映しながら燃え続けている工場の夜景。

 複雑な配管に絡まれたコンビナートが不思議な輝きを放って夜に浮き出ている情景は、何か幻想的な未来都市のようで、じっと見つめていると幻惑されるような思いがしました。

 夏の夜、涼を求めてこんな夜風に吹かれるのも一興かと。
 お勧めしたいと思います。





このページのトップへ

七月の点描(二) 心に残る小さな言葉

 今日は、全国120か所以上で35℃を超え、群馬県館林では38.8℃を記録したそうです。
 毎夏、<観測史上初めて>を更新して、地球温暖化は言われているよりも急速に進んでいるのでないかと本当に心配になってきます。
 これから始まる本格的な猛暑、無事乗り越えられるでしょうか。

 七月の点描、前回は京都の祇園祭りを取り上げてみましたが、今日は関東編、川崎工場の夜景の話題です。
でもその前に、<心に残る小さな言葉のお話>から。

   心に残る女の子(1) ~山手線の中で~
 少し前、所用で東京に行った時のことです。
 私は山手線に乗っていたのですが、品川駅での出来事。
 乗客がいつものように、一気に乗り込み、やがて、人を挟みそうな勢いでドアが閉まった時に、ホームから車内に向かって大きな叫び声が聞こえてきました。

 背が高く恰幅の良い白人男性が必死の形相で、<wait!><open the door please!>とドア越しに叫んでいたのです。

 でも開かないドア、乗ることはあきらめて、今度は、手振りを交えて、車内の一人の女の子に一生懸命何やら呼びかけ始めました。
 「心配しないで、次の駅で降りて待っていなさい。すぐに次の電車で追いかけるから」と繰り返し言っている英語がかすかに聞こえてきました。

 車内では、4~5歳くらいの金髪の女の子が涙を一杯目にためて、何度も頷いていました。
 父と娘、女の子が飛び乗ったところでドアが閉まってしまい、お父さんは乗りそびれたのでしょう。

 よくありそうなお話なのですが、傍にいた年配の乗客の方が「大丈夫?次で降りるんだよ」と、日本語で親切に声をかけていました。
 女の子は深く頷きながら、にこっと笑って丁寧に「ありがとう」と日本語で答えて、後はじっと目を見開いて車窓を心細そうに見据えていました。
 災難は突然降って湧いてくる、・・・小さい彼女には、かなりな衝撃だったに違いないのですが、そういう試練に、父の言葉をかみしめて必死で耐えているのがよくわかり、近くにいた大人たちも何となく気がかりで、皆で見守っている雰囲気が漂っていました。

 次の駅で下車するとき、先ほど声をかけてくれたお爺ちゃまに、「ありがとう」ともう一度彼女は言いました。
 その様子がとても可愛く健気で、その一瞬、満員電車の空気は優しくなった気がします。

   心に残る女の子(2)~原宿のフルーツパーラーにて~
 金髪の女の子の出来事があった日、私は原宿で所用があったのです。
 原宿は、これまで自分のテリトリーからは外れており、・・・<若者の街>に踏み入って良いのかしらというような先入観のためかもしれません。
フルーツフラッペ
 仕事を終えた帰り際、蒸し暑い日差しの中で見たフルーツフラッペの文字に引き寄せられ、少しレトロな感じのフルーツパーラーで一休みすることにしました。

 店内は満席に近かったのですが、若いカップルが多い中に、10歳くらいの女の子と、そのお祖母様と思しき二人連れが入ってきて、私の隣の席に座りました。
 他のお客様たちとは明らかに雰囲気が違い、原宿のパーラーにあって、とても印象的に感じられ、何となく注目していました。

 杖でようやく歩いていらっしゃる老婦人に「おばあちゃま」と呼びかけて、その女の子は実にさりげなく甲斐甲斐しく手を差し伸べるのです。
 しかもそれが、頑張っている感じではなく、普段の生活の中で、自然に当たり前に身についていることがにじみ出ていて、その暖かく細やかな所作にまず感動しました。

 女の子ははきはきした声で明瞭に話をするので、隣の席の私にも会話がよく聞こえてきました。年齢に似つかわしくないゆっくりとした口調も、少し耳の不自由そうな祖母への配慮もあったのかもしれません。

 女の子は小学5年生で、「おばあちゃまっ子」のようで、「おばあちゃまとは話が合うね」「ママとは少し価値観が違うところもあるけど、おばあちゃまと私は似た者同士だね!」「おばあちゃまは素直な人だといつも思うんだ」と、ちょっとおしゃまな言葉づかい、でも本当に嬉しそうにニコニコしながら話すのです。
 祖母のほうも可愛い孫にこんな風に慕われたら本当に幸せですよね。
 「あらそう。それは嬉しいね。」「隔世遺伝かもしれないね。」と応答したり・・・。
 弾む話をしながらも、女の子はさりげなく食べやすいようにケーキのお皿を引き寄せてあげたりしていました。

 私も筋金入りのおばあちゃん子でしたから、この屈託のない様子を見ていたら、何だか祖母のことが無性に懐かしく思われました。

 二人はそれぞれのケーキを半分ずつ美味しそうに分け合って、やがて店を後にしたのですが、
 「ごちそう様。美味しかったよ。」
 「どういたしまして。また来ようね。」
 という言葉が、爽やかな余韻を残してくれました。

 この日出会った二人の女の子、きっととても魅力的な女性に成長するのでしょうね。どんな愛情を受けて育ったのでしょうと、想像が広がります。

 何でもない普通の言葉に生き生きした心を込められることは素敵ですし、そういうことこそ大切で、本当の意味での教養なのではないかと、感じました。

 この夕方、弾んだ気持ちで川崎工場夜景を見るクルーズに参加したのですが、
 長くなりましたので、このお話は次回させていただきたいと思います。
 


このページのトップへ

七月の点描(一)嵐の中の祇園祭

 夜になってもまだ激しい雨が降り続いています。
 
 今回の台風11号、四国に上陸し、強い風雨を伴って北上しながら、西日本を中心に各地に大きな被害をもたらしています。
 皆様のところは大丈夫でしょうか?お見舞い申し上げます。
 
   祇園祭、決行 
 京都は地形の関係からか、台風の影響は他の地域に比べるといつも比較的緩やかであるように思うのですが、それでも今回は祇園祭を直撃、数日前から台風情報とその話題で持ちきりでした。

 7月に入ると京都の街は祇園祭一色となり、山鉾が組み立てられ、昼は様々な神事、夜は、14日の宵宵宵山(よいよいよいやま)、15日の宵宵山(よいよいやま)、16日の宵山(よいやま)と、17日の巡行に向かって熱気を帯びてきます。
 
 昨年から祇園祭は、前祭(さきまつり)として山鉾を23基、後祭(あとまつり)として残り10基を巡行させるというように二回に分けて行われているのですが、これについて、昨年の記事「祇園祭の季節」の中で詳細を説明していますので、お読みになってみてくださいね。

 更に、山鉾の組み立て方をレポートした記事も2011年の「七月の京都 祇園祭点描(一)」「祇園祭点描(二)」で記していました。よろしければこちらもご覧ください。

 こうして七月といえば祇園祭。
 それが、予期せぬ台風到来のニュースでした。

 巡行の最終決定は、今朝5時半の台風情報によってということで、地元放送では山鉾連合会の様子などをずっと放映していました。

 大型の鉾は強風で倒れることも懸念されるため、暴風警報が発令されれば巡行を中止せざるを得ないという苦渋の決断がなされていたのですが、幸い5時半の時点では、警報は発令されていなかったため、決行が決まったのです。

 連合会は既に15日には、山鉾を飾る懸装品(けそうひん)や駒形提灯(こまがたちょうちん)を撤去するなどの対応を検討するよう喚起し、その決定は各山鉾町の判断に任せたのだと聞きました。
 鉾の転倒等の危険があっては大変ですし、山鉾の装飾には文化財に指定されている貴重な品々も多いので、雨に晒しでもしたら取り返しがつかなくなってしまいます。
 関係の皆様は、完全な形で山鉾を出したいという願いと、それを損傷することは許されないという責任との狭間で揺れる日々だったことかと思います。

 これまで山鉾巡行が中止になったのは、太平洋戦争の混乱期、そして直近では、四条通の地下で鉄道延伸工事があった50年前の1962年だったそうですが、悪天候のための中止は130年前の1884年が最後だったと聞き、祇園祭に垣間見える京都の伝統の重みを改めて実感しました。

 祇園祭の起源は、平安時代、疫病を鎮めるための「祇園御霊会(ごりょうえ)」からで、天候については「小雨決行、大雨強行」と言われ続けてきたとのこと、この、肝入りの<嵐の中の祇園祭>、今日、見てきましたので、人ごみに流されながら撮った写真と共にご報告致しますね。

   祇園祭前夜
 まずは、2日前の街の様子です。
四条通りの山鉾
 山鉾が例年と変わらず四条通りに立ち並んでいます。
 今年、四条通りは歩道を広げ、その分、車道を狭くしたので、山鉾を設置する場所が取れるのかしらと気になっていたのですが、鉾の入るスペースは歩道を削る形で確保し設計してあったようです。 
 さすが<山鉾ありき>の京都の街です。
祭り提灯
 駒形提灯がお祭り気分を盛り上げます。

 細い辻々にも出店が立ち並んで、夕方も35℃を下がらない熱気の中、浴衣姿の家族連れが楽しげにそぞろ歩きしていました。
車道の通行止め
 宵々山の四条通りは夕方から歩行者天国に。
 警察官の方たちがテキパキと整備し、あっという間に車道は歩道へと変身です。

 ・・・そして昨日から雨。
 残念ながら昨夕の宵山の写真はないのですが、山鉾から提灯が外され、ビニールシートが掛けられて、万全の雨準備がなされていました。

   祇園祭 山鉾巡行
早朝の四条通りです。まだ閑散としていますが、雨は時折激しく、関係者は皆、心配そうに空を見上げていました。
早朝の四条通 長刀鉾
 出発の9時を前に、先頭を切る「長刀鉾(なぎなたぼこ)」の様子です。

 傘をかぶり、鉾のてっぺんに登っているのは屋根方(やねかた)と呼ばれる方たち、今日は強風に煽られないよう命綱をつけていますが、まだ始まる前だというのに、風雨を受け、体中、もうびっしょりでした。
スタンバイ

 お稚児(ちご)さんもスタンバイします。

 ビニールシートをかけた長刀鉾ですが、皆、毅然とした面持ちで出発の準備が整います。
しめ縄切り

お稚児さんの「締め縄切り」も、見事な出来、無事大任を果たせました。


鉾を引く人たち、介添えの人たち、清々しい神事の装束と浴衣姿とが、やはり激しい雨にびっしょりと濡れていました。




車の手入れ
 悠然と粛々と進んでいるように見えますが、でも介添えの方たちは力仕事、実はこんなに大変なのです。
汗と雨をぬぐいながら、車輪の調整に余念がありません。

 でもどの方たちの顔もいつにもまして晴れやかで、誇らしげにみえます。
 平安時代から続いている伝統を何があっても絶やさず引き継いでいる、その自負に裏付けされた愛着のようなものが、京都の街の底力であるように感じられ、祇園祭の場に共に居ながら、何だか圧倒される気がしました。
力仕事 山鉾巡行

 今年の台風の中の祇園祭は、関係者の方たちにとって、そして観光の人の心にもとりわけ印象に残るものになるに違いありません。

 一週間後の24日(金)は後祭山鉾巡行が行われます。
 今度はきっと夏空で、かなり暑くなるでしょうけれど、万全の準備をなさって、是非いらして下さいね。



このページのトップへ

WEBサイトが完成しました

 7月に入って、京都の街中は祇園祭りに染まり始めました。
祇園祭り 四条通の賑わい
 四条通りのアーケードには祭り提灯が飾られ、道行く人は、配られる団扇片手にパタパタとそぞろ歩き、この時期の京都ならではの風物詩です。
 お囃子の音も、我が家の窓に遠くから聞こえてきます。

 大通り、そして辻々に、山鉾が立つといよいよ祇園祭は本番

そんな中、突然ですが。

  WEBサイトができ上がりました!

 実は私、数年前から、自力でのHP制作を密かに試みていたのですが、途中まで進んでは立往生を繰り返していました。
 ホームページビルダーや、独習書など、数々のHP作成グッズがまだ部屋の片隅に積み重ねられたままです。

 理想のHP像は、自分の中で限りなく進化し膨らみ、でも知識技術が伴わない私には頑張ってもあまりに荷が重すぎて・・・。

 そんな中、昨年、著名な写真家であり、WEB制作・デザインを手がけていらっしゃるA氏と偶然のご縁があり、この度完成の運びとなった次第です。
 これまでのコンサートの写真など、効果的にレイアウト・デザインして下さって、とても素敵なHPが出来上がりました。
 大枠から、ディテールに至るまで、超凝り症の私に辛抱強く付き合うのは大変だったのでは?
 様々な希望を聞き入れ、それを超える素敵なセンスで制作して下さいました。
 
 サイトの完成にあたって、いつもコンサートの撮影をして下さる沢木瑠璃さんが、これらの写真の開示にも快諾して下さったことに、併せて感謝致します。

 お待たせしました。
 それでは、ここでお披露目です。

 まずはこちらをクリックしてご覧ください。 WEBサイトのロゴには、新しい黒猫も登場です。
ブログバナー2

URLは http://ayane-chanter.com です。
  
   WEBサイトのコンセプト
 ところで、このブログを始めてから、いつの間にか4年半が過ぎました。
 これまで6万アクセスのご訪問を皆様から頂き、この間、色々なご感想、コメント、拍手などに支えられて続けることができました。
 ブログを通しての新しい出会いも、文章を綴ることによる日々の再発見も、沢山あり、積み重ねてきたブログの記事自体が、かけがいのない大事な歴史になっています。
 
 更新が遅くて申し訳ないのですが、それでも、マイペースをお許し頂き、これからも同様に続けて行きたいと思います。

 今回作ったWEBサイトの特徴は、これまでのブログ記事をもとにして、改めて私自身の活動のエッセンスを抽出し整理したことにあると言えるかもしれません。

 その一つは<エッセイ『訳詞への思い』>を独立させて、まとめてみたことでしょう。
 訳詞を創作していく中で感じる、音楽・言葉・詩・アーティストへの様々な思いを、このような形でこれからも綴りながら、色々な訳詞をご紹介してゆこうと思います。

 もう一つは、これまでのコンサートの軌跡を、写真を交えながら整理し直したということでしょうか。
 沢山の協力と応援をして下さった方たちと共に実現した一つ一つのコンサートの記録であることを改めて感じます。

 これからもブログ記事を更新すると共に、本体となるWEBサイト自体も、より魅力的なものになるよう、更に整えてゆきますので、ご感想、アイディアなども是非お寄せ下さいね。

 どちらも末長くご愛読いただければ幸いです。




このページのトップへ