新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

『吟遊詩人の系譜』東京公演のご報告

 お待たせいたしました。
 さて、今日は『吟遊詩人の系譜』東京公演の詳細をご報告させていただきます。

 今回の撮影もフォトグラファーの沢木瑠璃さん、彼女が捉えた『吟遊詩人の系譜』の情景を写真と共に追って行きたいと思います。

    扉を開けると
 この扉を開けると、別の空間、別の時間が流れ始めます。
シャミオール
 猫の扉の向こうには、この日のコンサートの長くて短い一日があります。
 キャストもスタッフも10時30分に集合しました。
開演の準備
 すぐにリハーサルが始まり、昼の部、夜の部と19時の終演まで計60曲近くを歌うことになります。高揚感の中で過ごす一日がスタートしました。
 リハーサルの入念なチェックが行われる中、スタッフは手分けをして、会場準備にかかります。テーブルに紙ナプキン、コースター、お菓子が次々と並べられていきます。

 今回のコンサートロゴは、チラシのデザインである、ゴールドマンがギターをつま弾く姿のイラストと、そして赤と青と白、トリコロールのカラーです。
 そして、お菓子も好評にお応えし、再々登場の特製マドレーヌ、いつもご紹介していますが、これはお菓子のプロである私の友人Mさんが作って下さったものです。  
   プログラム    コースター
  そしてコンサートは始まります。

   コンサート一部
 一部はJ.J.ゴールドマンの曲を特集してみました。
 今回のコンサートの為に、ゴールドマンの曲を聴き続け、彼の曲をかなりな数、新たに訳詞してみたのですが、その中から、今回は8曲をご紹介しました。
 第一部の8曲中、5曲が新曲初披露で、東福寺コンサートから2カ月間の準備期間を思うと我ながら無謀とも言える挑戦だったかもしれません。
 その分、歌いこみの時間が足りなかったことが心残りだったのですが、でも反対に、まさに今、捉えることのできる音楽を、今の自分の言葉で綴り、それを聴いて頂けるという喜びも大きくあった気がします。
 そんな様々な感慨を胸にコンサートはスタートします。
 コンサート一曲目は『君のように』(comme toi)。
 これはずっと温めてきた殊の外愛着の深い曲でもあります。
ゴールドマンの紹介
 アーティストシリーズと銘打つ訳詞コンサートですので、やはり、アーティスト、曲の背景、原曲、訳詞、それぞれの解説が、私には必要不可決なのです。
 今回もプログラムを片手にお話を進めてみたのですが、途中「テキストにありますように・・・」などと思わず口走って、会場は笑いの渦に。

 <教壇に立っていた時を彷彿とさせる>と、嘗ての教え子の方たちからは反響大だったのですが、「習い性となる」・・・・冊子片手にステージに立つと、後ろの黒板に板書し、国語の教科書を携えていた当時の感覚が蘇ってきてしまいます。
 でも実は、自分にとっては、ステージも教壇も、「言葉に思いを込めて、言葉を相手に沁み通す覚悟」という点では本質的には変わらない気がしています。
会場の皆様と歌う
 『訳詞への思い』でも以前ご紹介しましたが、『たびだち』を一部で歌いました。
 この曲のリフレイン部分を、客席の皆様と共に歌う試みをしてみました。
 歌う前に何回かこの部分の練習を一緒にして、万全の構えでスタート。
 会場中が高らかに唱和して下さり、歌うにつれ熱気が満ちてくるのがステージに伝わってきました。

デュエット
 <歌を通して共に在る>、いつまでも、いつまでも、エンドレスで皆様と共に歌い続けていたい、そう感じながらステージに立っていた気がします。

 一部は、シンプルな黒のドレス、私の感じているゴールドマンの世界のイメージです。

    コンサート二部
 二部は『終わらないダンス』というコンサートテーマで、ダンスにまつわる曲を選んでみました。
 ザジー、アクセル・レッド、インディラ、と最初は若手シンガーソングライターの曲から。
 アクセル・レッドは『冷たい夜のダンス』、インディラは『最後のダンス』をやはり以前ブログでご紹介致しましたね。
アンコール

 一部と対照的に少しロマンティックで且つ華やかに、ピンクのドレスを着用してみました。

 キラキラと光って、歌の主人公達が、様々なダンスを踊り続ける姿を映し出す、そんな雰囲気をお伝えしたかったのですが、如何だったでしょうか。

 中ほどでちょっと一休み、これも恒例となってきました共演者へのインタビューです。

  三浦先生   石川さん
 ピアニストの三浦高広さん、コーラスとデュエットで共演の石川歩さん、お話の中に、それぞれのお人柄が自然に伝わって客席を温かくします。

  後半は、しっとりと落ち着いたダンスの曲を、そしてフィナーレはピアフの『ダンスは続く』という曲で締めくくりました。
歌い上げる

 これはアンコール曲の表情。

 「こんな雰囲気で歌っていたのか」と、写真で自分再発見です。
 祈るような無我の境地だったのですね。

終演
 


 二回の公演とも、客席とステージに、音楽の世界の濃密で快い時間が流れました。
 静寂と、優しさと、熱気と、高揚と。・・・・幸せなひと時でした。

花束
 東京公演までの日々、そして公演の日を、色々な形で支えて下さった皆様。
 当日、お越し下さったお客様。 
全ての皆様に心から感謝いたします。

 後一週間後となりました12月5日の京都公演も、良いステージとなるよう最善を尽くしたいと思います。
どうぞよろしく願い致します。



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『吟遊詩人の系譜』東京公演終了しました

 11月14日(土)のシャミオールでのコンサートは、お陰様で、昼夜公演とも、無事終わりました。

 お越し下さいましたお客様、そして、コンサートまでの日々、沢山の応援を下さった皆様、本当に有難うございました。改めて心からお礼申し上げます。
 
 昨晩、京都に戻ってきましたが、まだ、心かぼんやりとして、どこかに消えてゆきそうな虚脱感が、充足感と共に満ちてくるのを感じます。
 ホッとして、心身の働きがぴたりと止まってしまったような、コンサートの余韻です。

 ご報告したいことは、尽きないのですが、写真などの準備も整い、後処理も落ち着きましたら、改めてゆっくり記させて頂きたいと思います。
 
   
   ご報告の序章~花々に彩られて

プログラム
 受付に置かれたプログラムが、お客様をお出迎え。

 トリコロールが目に鮮やかです。
セッティング

 テーブルにセッティングされたお菓子とコースター、紙ナプキン。

 プログラムと対にして、ゴールドマンのイラストとトリコロールの配色をデザインしています。

 軽快で若々しい「吟遊詩人の系譜」のイメージを目からもお楽しみ頂けたらと思いました。

花束

プレゼントの花々をカウンターの上に置かせて頂きました。
今回はなぜか、どの花束も、赤とピンクが基調で、会場を美しく彩っていました。


 
 そして、一夜明けた我が家の朝。
 戴いた胡蝶蘭の花束を朝日の差し込むリビングの床にそっと置いてみました。
眩しい光に照らされて、華やかに咲き誇ります。 
 胡蝶蘭1    胡蝶蘭2
 ・・・でも、実はこれは造花なのですが、質感、色合いまで本物と見間違う程です。

      ・・・・・・

 コンサートを終えて帰宅した夜、フランスでの大惨事を知りました。

 今、憤りと悲しみと、混乱する思いと、深い衝撃の中にいます。

 胡蝶蘭の花束は、悲しみの献花にも思われます。

 謹んで、哀悼の意を表します



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『見果てぬ世界』

訳詞への思い   コンサートを前に

 「松峰綾音訳詞コンサートvol.9『吟遊詩人の系譜』」、今週末土曜日の本番までいよいよカウントダウンとなりました。
 昼の部は、ほぼ一杯になりましたが、夜の部はあと少しお席がありますので、お申込みはどうぞお急ぎ下さいますように。

 ところで、本番数日前の最終調整期間、どのように過ごすのが賢明なのか、といつも考えてしまいます。

 「本番に向けて、自分を追い込みながら練習の加速度をあげて最高潮に持ってゆくべき」なのか、「間際は何にもしないで、ひたすら休息を取り、力が存分に発揮できるよう、エネルギーを温存しておくべき」なのか。

 それぞれの性格や体力、その時のコンディション、準備の進み具合、などによっても異なるでしょうから、勿論、一概には言えないわけですが、いずれにしても、体調管理やイメージトレーニングは重要で、コンサート前ってスポーツ選手の試合前とも似ているところがあるのかもしれません。

 コンサートの日を、お客様にも自分自身にも、飛び切りの一日にできるようベストを尽くしたいと思います。

 「訳詞への思い」、今日は、コンサートで取り上げる曲、ゴールドマンの『見果てぬ世界』をご紹介致します。


       『見果てぬ世界』
                     訳詞への思い<19>

 
『là-bas』 
 この曲が発表されたのはJ.J.ゴールドマン36歳(1987年)の時だが、デビュー当時(28歳)から現在(64歳)に至るまで、彼には、そして彼の曲には、色褪せない<青春>のイメージがあるように感じている。
ジャケット
 内省的で、理不尽なものに妥協せず、世間の常識や圧力に縛り付けられることを拒絶して、いつも自分らしく自由に羽ばたこうとするような、1980年代という時代が持っていた青春の香りが、彼の世界の中心にあり続けている気がするのだ。

 この曲の原題は『là-bas』で、「あそこ・向こう・彼方」というような意味である。
 今居るここではない、どこか別の<向こう側の世界>を指しているのだろう。

 原詩の冒頭は次のように始まる。(松峰対訳)

   あそこでは 
   全てが新しく全てが野生的だ
   鉄格子のない自由な大陸だ
   ここでは 僕達の夢は窮屈になる 
   だから僕はあそこに行きたいのだ

   あそこでは
   意志と勇気が必要だ
   けれど すべては僕の年齢で可能だ
   もし力と信念を持ってさえいれば
   金は手の届くところにある
   だから僕はあそこに行くんだ


 私の訳詞『見果てぬ世界』の冒頭は次のようである。

    là-bas
   そこには きっとある  何もかも 変えられる
   だから 僕は出てゆく   
   自由に生きる là-bas

   là-bas
   君さえも 褪せてゆく  何もかも 死んでゆく
   だから 僕は出てゆく 
   賭けてみたい 夢に  
   必ずある  là-bas


   『木綿のハンカチーフ』
 『見果てぬ世界』には、もう一人、主人公の恋人が登場する。
 彼の思いを危ういものに感じ、それが二人の愛の終焉に繋がることを予感して、必死で引き留めようとしている。

 彼女の言葉を次のように訳詞してみた。

   là-bas
   私の傍にいて    どこにも行かないで
   見知らぬ世界の   渦の中で
   貴方の心は 壊れてしまうから
   気付いて欲しい 愛はここにある


 だから、どんなことがあっても出て行ってはならないのだと、強くどこまでも引き留め続ける。

 1975年の日本のヒット曲、太田裕美が歌った『木綿のハンカチーフ』という曲がなぜか重なって思い出された。

 1  恋人よ ぼくは旅立つ 東へと向かう列車で
   はなやいだ街で 君への贈りもの  探す 探すつもりだ
   いいえ あなた 私は  欲しいものはないのよ
   ただ都会の絵の具に
   染まらないで帰って 染まらないで帰って
   
       <略>

 4  恋人よ 君を忘れて   変わってく ぼくを許して
   毎日愉快に 過ごす街角 ぼくは ぼくは帰れない
   あなた 最後のわがまま 贈りものをねだるわ
   ねえ 涙拭く木綿の
   ハンカチーフください ハンカチーフください


 彼女が最後に望んだのは、木綿のハンカチーフだったという切ない幕切れだ。

 彼はただ都会に流された軽佻浮薄な輩だったわけであり、それでもそんな彼のために流す涙を拭く「ハンカチーフを下さい」という、どこまでも彼を受け入れ、許し続ける女性は、まず絶対的にフランス人の女性には存在しないのではと思われる。
 『見果てぬ世界』の中には、愛を獲得するために相手を引き留め続けようとする強い女性像が垣間見え、似て非なる、日本とフランスの文化の差異が興味深い。

   『たびだち』
 話を戻すと。
 『見果てぬ世界』の中のこの恋が間違っていたわけでもなく、彼か彼女、どちらかが悪かったわけでもなく、ただ青春の彷徨・旅立ちというものは時としてそういう残酷な側面を抱えているのだということなのだろう。
 常に自分らしく生き、プライドを持ち続けようとする青年の、ヒリヒリとした青春の痛みが伝わってくるように思える。

 以前、「訳詞への思い」の「たびだちその一」「たびだち その二」に記した「puisque tu pars(『たびだち』松峰邦題)」は、この『見果てぬ世界』と同年の1987年に発表された曲で、閉塞された現状を打破すべく今居る場所を飛び出して、新しい世界に羽ばたいてゆく若者を見送る側の視点で書かれたアンサーソングのような作品になっている。  
 人生には、いつも、幾つもの旅立つ者、見送る者のドラマが繰り返されるのだろう。
 そんな様々な感慨を含みつつ、数日後のコンサートではこの二つの曲の世界を心を込めて歌ってみたいと思っている。
                         Fin

  (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
  取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 
 では、ゴールドマンの原曲をこちらのyoutubeでお楽しみください。https://www.youtube.com/watch?v=zFwaRmpzvjo




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