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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

京都街歩き 会場探しその一

 京都の桜も開き始めました。
 この数日は花冷えで、少し踏み留まっていますが、明日からの暖かさですぐ満開になることでしょうね。
今にも咲きそうな桜  木屋町通り
 美しい季節到来の中、またまた花粉症の話で恐縮ですが、今年はかなりのダメージで、睡眠不足、食欲減退で、目下苦しんでおります。
 花粉だか黄砂だかが、五臓六腑に張り付いてくる感覚、おわかりになるでしょうか。
 痒いし痛いし息苦しいし・・・大げさと思われるでしょうが、本当です。
 じっと蟄居しておりましたが、でも、一向に良くなる気配もないので、では、逆療法をと、この数日、京都の街を歩き回っていました。
 今日のテーマは<よろよろと京都街歩き>です。

  コンサート会場の条件
 次回のコンサートは8月21日、内幸町ホールで行うこととなり、今まさに準備を重ねていることはこれまでにご報告した通りです。
 そして更に、9月初旬に予定している京都コンサートは、ここ数年『巴里野郎』で行っていますが、少し趣向を変えることも視野に入れて、いくつか候補探しも試みています。

 シャンソンは、伝えたい気持ちが一番、極言すれば歌う場所は選ばないわけですが、それでも、聴きに来て下さる方たちがより居心地良く、好条件で音楽を味わっていただける環境を整えたいですし、それが企画するこちら側のセンスというか、気概というものかなというこだわりを持っています。

 私のコンサートは自主企画のものが多いですので、こうしたいと思う自分としての思いを優先し、その時々のコンサートのコンセプトに最も近い形で実現することに集中してきました。

 でもその分、プロデューサーも歌い手も演出も全て一人で行うこととなり、それぞれの立場からのバランスの中で最良の選択をしてゆく必要が生じてきます。

 例えば、コンサートの会場は、歌い手、演出家としては、音響と照明には正直、かなり細かいこだわりがあります。
 音楽をベストな条件で聴いて頂けるか。
 照明も、・・・聴く側と歌う側双方の集中力を微妙に左右しますので、決して侮れないのです。

 プロデューサーとしては、客席数、客席の作りや居心地など。音楽会場に漂う空気に一種の品格があるか等も直感的に感じます。
 そして地の利。コスト・・・・

 コンサートホール、ライブハウスが、なんといっても音楽を生かす意味では一番相応しい造りになっていますが、今回「京都街歩き」の一環として、少し視点を変えて探してみました。

   洋館を訪ねる ~駒井家住宅
 京都は、由緒ある神社仏閣に囲まれた街ですが、明治、大正期に建てられた瀟洒な、或いは豪奢な洋館も数多く点在しており、普通に歩いていても街中でよく目にします。

 大学の校舎であったり、銀行、博物館、或いはレストラン、カフェなどとして今も使われているものも多いですし、歴史的建造物として文化財に認定され、保護されている建物も数多く残っています。
 そういう、洋館のサロンコンサートも、素敵なのでは。
 シャンソンには雰囲気が合いそうですよね。
 京都の洋館を研究し、可能性のありそうな建物を、楽しみつつ、いくつか歩いてみたのでした。

 その中の一つ。 
駒井家全景
 一般の観光の方には、あまり知られていないのですが、北白川、白川疏水沿いの一角に、今も残されている閑静な住宅、『駒井家(こまいけ)住宅』に行ってみました。 
 ナショナルトラストに寄贈され、今はその管理のもとに運営され、週末だけ一般公開されています。
 詳しくは下記のHPをご覧ください。
   http://www.national-trust.or.jp/properties/komaike/k.html
 この中から主な説明部分を抜粋しご紹介してみますね。(全景を写した写真を撮り損ねたので、HPからこの一枚を拝借させていただきました)
 
 大正末期から昭和初期に形成され、「学者村」といわれた北白川の閑静な住宅地にあって、比叡山が一望される東に庭を広く設けた洋館建築です。わが国の動物遺伝学、動物分類学に大きな功績を残した、京都大学名誉教授・駒井卓博士(1886~1972)の私邸として、昭和2年、ヴォーリズ建築事務所の設計により建てられました。
 昭和初期の洋風住宅として質が高く、また建築当初の状態がよく保存されています。米国人建築家W.M.ヴォーリズが円熟期にさしかかった時代の住宅建築で、昭和初期における代表的な作品ともいえます。1998(平成10)年、歴史的、文化的価値が高い建造物として、京都市指定有形文化財(建造物)に指定されました。
 所有者であった駒井喜雄氏とそのご家族が、「この建物と景観、ならびに駒井卓・静江夫妻の実績を未来に伝え残したい」と念願され、2002(平成14)年、土地および建物を公益財団法人日本ナショナルトラスト(JNT)に寄贈されました。

リビングからサンルーム
 音楽に造詣が深かったという静江夫人が奏でたピアノが歳月の重みを増して、この瀟洒で居心地の良いサロンに端然と置かれてありました。
これがリビングのスペース、その奥はサンルーム。


サンルームをステージにして歌うのも素敵かもしれませんね。
リビングのソファー
 こんなソファーに腰かけて、管楽器やピアノの調べに耳を傾けたなら時を忘れてしまいそうです。

 この「駒井家住宅」の設計者であるW.M.ヴォーリズの名はご存知でしょうか?
 明治から昭和を通して、我が国の西洋建築史上に大きな足跡を残した高名な建築家です。
 そういえば、先日のNHK朝の連続ドラマ「あさが来た」で、主人公のあさと少し話している場面が出てきました 。
 実際には広岡浅子さんですが、彼女にとてもゆかりの深い人物でもあったのです。
 外国人と結婚することは好奇の目で見られた当時、娘婿の妹との婚姻を後押ししたのも彼女で、ヴォーリズは浅子さんの親戚筋となっています。

 個人の住居のリビングでもあり、コンサート会場というよりは、もう少し小さな規模の、気の置けないホームコンサート風のしつらえで行う時には、とても心地よい落ち着いたサロンだと感じました。
 ティーパーティー音楽会など素敵でしょうね。
駒井家書斎
 いくつか今回の条件と合わないところがあり、残念だったのですが、こだわりを持って作られた住居というものは歳月を経ても、そこで住まいした人の思いや暮らしぶりを息づかせているのだということを改めて感じました。
 駒井博士夫妻の清廉な人柄と進取の気を清々しく感じながら、ここを後にし、そして更に街歩きは続きます。

後いくつかのスポットがあるのですが、次回、<その二>に続けたいと思います。
すぐに更新致しますので、楽しみになさって下さい。




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『je t’aime』その二

訳詞への思い    ララ・ファビアン初来日公演
 前回の記事、「『je t’aime』その一 ララ・ファビアン」に、様々なコメントやお問い合わせを頂きました。
 『訳詞への思い』の中で、こうしてご紹介していく曲やアーティストについてご興味を持って頂けることをとても嬉しく思います。

 「ファビアンの初来日っていつですか?」というご質問も何通かありましたので、最初にそのご案内を致します。
ヌーヴォ巴里祭チラシ
 2016年7月7日(木)渋谷bunkamuraオーチャードホールにて。
 毎年この時期に、フランスから魅力的な歌手を招いて開催される「ヌーヴォー巴里祭」が、今年はララ・ファビアンに白羽の矢を立てたのですね。
 一日だけの東京公演ですが、詳細はこちらです。
        ↓
   http://www.mcbarbara.jp/concert2016.html

 私は発売と同時にすぐチケットを購入しましたが、既に良い席は完売で、ベルギーの時ほどではないにしても、ステージから遠い席になってしまいました。でもそんなことは問題ではなく、張り切って聴きに行って参ります。またご報告致しますので、どうぞお楽しみに。

 さて、お待たせいたしました。
 今日は『je t’aime その二 』、ララ・ファビアンの代表曲『je t’aime 』(ジュテーム)のご紹介をしたいと思います。

                 『je t’aime』その二
                          訳詞への思い<22>


 「je t’aime」=ジュテーム=愛している
 この曲を訳詞した10年余り前には、ララ・ファビアンも、『je t’aime』も、日本での認知度は皆無に等しかったが、最近では、いくつかの日本語詞でも歌われるようになった。

 その中には、『愛している』という邦題がついているものもあるが、私は、タイトルには『je t’aime』がふさわしいのではと感じている。
 翻訳の介在を許さず、情念をぶつけるように歌い上げる、まさに「je’taime」という言葉そのものが、曲を覆い尽くしている気がするからだ。


   直訳か意訳か ~ガラスの破片~
 ファビアンのヒット曲には、ドラマチックで、抑揚が豊かで、彼女の伸びやかな声を存分に聴かせるものが多いのだけれど、その歌詞はというと、どれもかなり飛躍的で難解であるように感じる。
ララファビアンpure ジャケット
 特に彼女自身による作詞は(『je t’aime』もそうなのだが)、音符に、言葉をパズルのように断片的にはめ込んでいるという印象を受ける。

 全くの私見ではあるが、一般的に言って、物語ることに重きを置いた曲は、詩自体が素直で、自ら理解されることを誘引しているような気がして、原詩にかなり忠実な日本語に置き換えてもすんなりとはまってゆくことが多い。
 一方、『je t’aime』のように、響きとイメージが先行するタイプの曲は、詩の方で、日本語に置き換えられることを拒否しているのではとさえ思われてくる。

 具体的に話を進めると。
 たとえば冒頭部分はこんな原詩から始まっている。(松峰対訳)

   D'accord, il existait d'autres façons de se quitter
   Quelques éclats de verres auraient peut-être pu nous aider
   Dans ce slence amer, j'ai décidé de pardonner
   Les erreurs qu'on peut faire à trop s'aimer

     確かに、他の別れ方があった
     いくつかのガラスの破片がおそらく私たちを救ってくれたかもしれない
     この苦い沈黙のなかで、私は許すことを決めた
     愛し過ぎるために冒すかもしれない過ちを


 敢えて解釈を加えない直訳で記してみたが、内容が把握しにくいと思われるのではないだろうか?
 更に次のフレーズはこのように続く。

     確かに、私の中の小さな女の子は、貴方を度々強く求めた
     母親のように、あなたは私を包んで、私を守ってくれた
     私たちは血を分かち合ってはいけなかったのに、私はあなたから盗んだ
     言葉が尽き、夢が尽き私は叫ぶだろう


 秘密めいた、許されない関係の中での悲恋が思われるが、断ち切り難い執着を抱え、『愛している』と叫び続ける女性の情念がぶつけられてゆく。

 冒頭に立ち戻ってみると。
 「私はただ沈黙の中で貴方を諦めようとしたけれど、果たしてそれで良かったのだろうか。もっと別の別れ方があったのではないか。ガラスの破片がこの破局をもしかしたら救っていたかもしれないのに・・・」というような意味になるのだろうか。

 「ガラスの破片が私たちを救ってくれたかもしれない」などと日本語詞に置き換えたとしても全くピンとこないのは言うまでもない。
 「ガラスの破片」というキーワードに何を見るかということなのだろう。

 「ガラスのかけらが鋭く尖って胸を突き刺し、血が迸(ほとばし)り出る」
 私の中には、そんな映像が去来する。
 <胸の内をさらけ出して、命がけの修羅場に生きる覚悟が自分になかった>という後悔なのかもしれないと思える。

 飛躍するのだが、この原詩を前にしながら、私には漱石の小説『こころ』が思い出されてならなかった。
 主人公が友人Kの自殺した部屋の襖(ふすま)に迸った血潮を目にした時のような、そして主人公自身も青年に宛てた遺書の中で、「あなたは私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜(すす)ろうとした」と記したような、鮮烈な情景が重なって浮かんでいた。

 そうして出来上がったこの冒頭部分の私の訳詞は次のようである。

   冷たく光る硝子の向こうに
   言葉もない 貴方との別れが見える
   私の心を 砕き尽くして
   流れるこの血を 浴びせたい


 訳詞とは、「できるだけ原詩に忠実な直訳であるべき」なのか、或いは「トータルで曲想がより効果的に伝わるなら、日本語として味わいやすい意訳であってよい」のか、という翻訳のもつ根元的な問題が興味深く思われる。
 私の『je t’aime』は、原詩に導びかれて生まれた新たな日本語詞と言えるのかもしれない。
 訳詞の世界の醍醐味を味わいつつの作業が続いた。


   日本語とフランス語 ~サビの熱唱~
 『je t’aime』は後半部分で、以下のフレーズがリフレインされ歌われる。
                                         (松峰対訳)
  Je t'aime, je t'aime
  Comme un fou comme un soldat Comme une star de cinéma
  Je t'aime, je t'aime
  Comme un loup, comme un roi Comme un homme que je ne suis pas 
  Tu vois, je t'aime comme ça 

   愛してる 愛してる  
   気が狂ったように 兵士のように 映画スターのように  
   愛してる 愛してる  狼のように 王のように
   私ではない男のように
   わかるでしょう こんなにも あなたを愛している


 これも様々な訳詩の方法はあると思うのだが、再び極言するなら、兵士でも映画スターでも狼でも何でも良いのではと思う。
 ただ脈絡なく激しくje t’aimeと叫び続けること、猛り狂う強い衝動がフランス語の語勢に乗って畳み掛けられ、一種の陶酔感が生まれてくる。
 そんな感覚から、私の訳詞のこの部分は、日本語に置き換えることをせず、敢えて、呪文のようにフランス語そのもので歌ってみることにした。

 いつもできるだけ忠実な訳詩を心掛けている自分には例外的な取り組み方になった作品だったが、その分、愛着も殊の外深い。
今度のコンサート(2016年8月)で久しぶりに取り上げたいと思っている。

                                              
                                                  Fin
  
  (注 訳詞、解説について、無断転載転用を禁止します。
    取り上げたいご希望、訳詞を歌われたいご希望がある場合は、事前のご相談をお願い致します。)

 
 では、ララ・ファビアンの歌う原曲をご紹介致します。
 まずは正調から。こちらのyoutubeでお聴きください。
         ↓
    https://www.youtube.com/watch?v=LtJBH3ksypQ

 こちらはコンサートライブ版ですが、客席と唱和した臨場感が伝わってきます。私がベルギーで聴いたライブはまさにこのような雰囲気でした。
     ↓
   https://www.youtube.com/watch?gl=FR&hl=fr&v=N-roGMGyFu0



   

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『 je t’aime 』その一 ララ・ファビアン

 訳詞への思い
 3月3日、雛祭りですね。
 けれど、華やかな季節到来とはなかなかいきません。
 三寒四温の言葉通り、数日前は京都も、町家や寺社の瓦屋根に一面春の雪。今日は一転して、汗ばむような麗らかな日差しです。
 加えて、花粉に晒される受難の3月でもあるのですが、この頃ちょっとご機嫌で過ごしています。
 ・・・7月についにララ・ファビアンが初来日することをご存知ですか。

 日本ではまだ知る人の殆どなかった15年以上も前から、私は彼女に注目していて、ずっと、いつか来日する日が来ないかしらと願っていました。
 ついに待ちきれなくなって、ベルギーまで彼女のライヴコンサートを聴きに行った入れ込みようでした。そんなお話も交えながら、今回は「訳詩への思い」、彼女の代表曲の『je t’aime』を取り上げたいと思います。

 
           『 je t’aime 』その一
                             訳詩への思い<22>


   ララ・ファビアン
 Lara Fabian、1970年生まれ、今年(2016年)46歳になる。

 私が最初に彼女の歌を聴いたのは、彼女がまだ20代の頃だったかと思う。
 瑞々しい感性と情熱に溢れた魅力的な若手歌手の出現に心惹かれ、今日に至るまで注目してきたので、今年7月に来日公演が実現することになり、これで、日本における知名度と評価も一気に高まるのではと、今とても嬉しく感じている。
 「私、先見の明があるでしょう?」と誰かにちょっとだけ自慢してみたい衝動に駆られてしまう。

 ララ・ファビアンはベルギー生まれだが、現在はケベック(カナダのフランス語圏)に市民権を得ている。
 ギタリストである父はフランドル系ベルギー人、母はシチリア系イタリア人であり、彼女の熱情的で一途な資質はイタリア人の母の血を継いだのではと彼女自身語っている。  
 8歳の頃から10年間「ブリュッセル王立音楽学校」でピアノ・ダンス・クラシック音楽の基本を学んだ。

 映画『ドクトル・ジバゴ』に感銘を受けた両親によって、その主題曲である『ララのテーマ』にちなみ、「ララ」と名づけられたのだそうだ。
 14歳の頃から父とともにピアノバーなどで音楽活動を行っていたが、音楽学校卒業の後、シンガーソングライターとしての才を発揮し始め、ヨーロッパ各地の音楽祭で賞を獲得している。

 1986年(17歳)、ブリュッセル時代の盟友Rick Allisonと共に自身のレーベルを立ち上げ、デビューアルバムを発表したのを皮切りに、次々と新譜をリリースし頭角を現した。
ファビアンのCD 1996年のアルバム『pure』はカナダやヨーロッパ各地で大ヒット、200万枚のアルバムセールスを記録している。
 これに次いで2000年に初の英語版アルバム『Lara Fabian 』が発表されると、これがアメリカでも圧倒的人気を博して、世界に知名度を大きく広げることになった。その後も意欲的なアルバム制作・コンサート活動を継続し今日に至っている。アルバム売上枚数は世界で2000万枚以上と言われる。(写真は私が収集したファビアンのCDとDVD)


 これまでの軌跡をざっと辿ってみたが、日本でも彼女のファンが生まれてきたのは、主にはこの英語盤が発表されて以降のことだから、やはりアメリカ優位で、フランス語圏の音楽はなかなか日本に紹介されにくい現状があるということなのだろう。
 フランス語の曲にこだわり、訳詩に携わっている日々の中で、この壁にぶつかることは多い。


 さて少し話は変わるのだが。
 セリーヌ・ディオンとかガルーとか、カナダ出身の歌手は総じて声が良く歌唱力抜群であると、一絡げにして言われることがよくある。そして、ファビアンもその中の一人に加えられるのが常だ。
 ドラマチックな歌唱力、魅惑的な風貌、艶やかで美しい声と圧倒的な声量を持つ彼女は、まさに「Chanteuse à voix(声で勝負する 声量のある歌手)」と呼ばれるにふさわしい。

 けれど翻って考えると、ファビアンはシンガーソングライターとしても意欲的に作詞・作曲を行っているし、その詩の世界は、恋愛模様を歌うだけではなく広く社会へのメッセージも含んで多岐にわたっているのだが、美し過ぎる声ゆえに、歌手としての評価ばかりが先行してしまう傾向が否めないように思われる。

 フランスでは、歌手はまず自らが優れた詩人であり、己の詩的世界を表明し、それを歌うことが、一流のアーティストとしての条件とされる向きがあり、どんなに歌が上手でも誰かの詩を歌うだけの歌手は何となく一段低く捉えられていることが多いように感じる。
 ララ・ファビアンを語るときにその歌唱に注目が集まり過ぎてしまうことを、本人はどう捉えているのかなどとふと思う。
 提供される楽曲、そして自らの創作も、もしかしたら受け取る側の期待を反映して、声を聴かせることに偏ることもあるだろうし、そんな<持てる者の悩み>を抱えつつ、どのように、彼女自身の言葉と音楽とが織りなす世界を芳醇なものに高めてゆくかの尽きぬ挑戦なのだろう。

   ファビアンの思い出
ファビアンのジャケット
 7年前2009年に、『toutes les femmes en moi 』(私の中のすべての女性たち)というアルバムがリリースされ、これを記念したコンサートツアーがヨーロッパ各地で開催された。
 なかなか来日公演も実現しないし、それならこちらから出かけようと、パリ旅行と合わせてベルギーまで足を延ばしたことがある。

 ベルギーのリエージュにある一番古いコンサートホールでの公演だった。
続く畑
 2009年9月の末、秋深まる美しい季節に、期待で胸膨らむ素敵な旅となった。
 Paris nord (パリ北駅)から高速鉄道に乗ってliege gutllemins(リエージュ駅)まで2時間半の鉄道の旅、どこまでも続くのどかな牧草地帯を車窓に眺めながら、ブリュッセルを通り越して、やがてリエージュに到着。
リエージュ駅

 普段、日本人が降り立つことなどめったにない駅らしく、親切な車掌さんが「本当にここで降りていいのか?」と何度も心配して尋ねてくれた。

リエージュの町
ワッフル
 アンティークな建物が立ち並ぶ端正な街並み、どこかノスタルジックな趣を残す市街地をベルギーワッフルを食べたり、ぶらぶらと楽しんでいるうちに夕暮れ時、街並みに溶け込んで何気ない佇まいのホールだったが、中に入ると古色蒼然とした昔日のヨーロッパに迷い込んだ気がしたのを思い出す。

ようやくとれたチケットは5階席の一番後ろで、ステージは遠いし、座席はひどく窮屈だったが、コンサートは予想を超える素晴らしさだった。
ホールの5階席から
 遠いはずのステージが臨場感を持ってすぐ近くに迫ってきて、歌の魂に心が揺さぶられる気がした。

 客席は、いかにも地元の人達らしい気取らない普段着の雰囲気で、老若男女で埋め尽くされていた。

 フランスのライヴコンサートでは、歌手のレパートリーを客席も一体となって唱和することが多い。
 この時のアンコールは、彼女の代表曲、『je’taime』で、お隣りの席の恰幅の良いおじ様は感に堪えない表情で涙ぐみながら、バリトンの良く通る声でファビアンと声を合わせていた。
歌うファビアン
 私はすでに『je t’aime』の訳詩をしていたから、ここは自分の日本語で唱和しようかと一瞬思ったのだが、お隣りと目が合って、いつの間にかフランス語の原詩でおじ様とデュエットになっていた。

 ファビアンはサビの「je t’aime」という言葉を何回も何回もリフレインして、その響きが、会場を恍惚とした不思議な一つの空気に包み込む。
 彼女の言霊が声に乗って聴く側に移ってくる。心地よいコーラスが生まれる。

 歌の持つ力、歌がもたらす僥倖とでもいうものだろうか。

 肌に染み入ったあの感覚は今でも忘れられないし、私の歌う時の原風景になっている気がする。

 そして、これは恥ずかしい余談なのだが。
 陶酔感に心身が酩酊していたのか、帰り際の階段を数段踏み外し、コロコロとホールの赤い絨毯の上を転げてしまった。
 周りの人たちが一斉に駆け寄って大騒ぎだったのだが、幸いなことにかすり傷もなく事なきを得たという、お騒がせの幕切れとなった。


 前置きが長くなったので、ここでひとまず筆を置き、次回は本題の『je t’aime』のご紹介に入りたいと思います。どうぞ引き続きお読みください。



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