
コンサート準備進んでいます
記事の更新に間が空いてしまい,申し訳ありませんでした。
体調を崩しているのではとのお問い合わせまで頂き、皆様にご心配おかけしました。
公私ともに様々重なり、忙殺されていたのですが、ようやく少し落ち着きましたのでご安心下さいますように。
さて、そうこうしているうちに、8月21日のコンサートまで、ちょうど二か月となりました。
日常の中に、じわじわと「コンサート」が浸食してきて、あれもまだこれもまだというプレッシャーばかりが膨れ上がる焦燥感があります。
勿論、何もしていないわけではなく、むしろかなり勤勉に立ち働いているので、そこから生まれるささやかな成果を自分の中で喜びとしてゆくことが大切なのでしょう。
「平常心で粛々と事を成す」そんな境地をいつも目指してはいるのですが・・・。
それでも、忙中閑、先日友人と共に、「おぺらくご」を聴きに行ってきました。
「おぺらくご」って
北白川の京都造形芸術大学の構内に「春秋座」というユニークで素敵な劇場があります。

ここで開催される『桂 米團治 春秋座特別公演』は今年で三年目を迎えますが、前々からの評判もよく、桂米團冶(かつらよねだんじ)さん演じる「おぺらくご」をどうしても一度聞いてみたいとかねてから思っていました。
パンフレットにはこのように説明されています。

「春秋座」は、観客席・舞台ともに本格的な歌舞伎スタイルを基本としながら、現代劇などの上演にも対応できる設計が特徴です。 落語と歌舞伎は共通点も多く、今回の公演では、花道、大臣囲いといった歌舞伎劇場の特性を生かし、落語+オペラ+歌舞伎舞台という春秋座ならではの特別企画で、摩訶不思議な和洋文化の融合を、こだわりの落語で存分に味わっていただきます。
ユニークな特別バージョンでお送りする『桂 米團治 春秋座特別公演』。
1部では上方落語の真髄を披露し、
2部は落語とオペラを組み合わせた「おぺらくご」を上演します。
そして、米團冶さんご自身の言葉

日本の歌舞伎は、西洋では例えばオペラに当たります。
洋の東西は違いますが、どちらも沢山の人たちにより永い年月をかけて様式美化されてきました。
様式美は、やはり美しいです。
でも、唯一の難点はストーリーが分かりにくい。
特にオペラは解説書を見なければ、なかなか分からない。
「そんな時に落語があれば、解説書なしに楽しめます!」
というのが、根底の私の思いなのです。
解説書なしで楽しめるオペラを目指して、行き着いたところが、内容を落語で語ってしまうという「おぺらくご」だったのですね。
今回の演目はモーツァルトのオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」。
他愛ない恋の駆け引きの人間模様が面白おかしく描かれてゆくラブコメディーなのですが、3時間余りのオペラの大作を40分そこそこで演じ切る、オーケストラとオペラ歌手と落語家との共演、まさに歌舞伎のような、ミュージカルのような、浄瑠璃のような不思議な舞台が繰り広げられていました。
「京都フィルハーモニー室内合奏団」が端然と演奏する前で、オペラ歌手たちが朗々と歌うのですが、本来ならドイツ語で歌われる筈のどの曲も、すべてわかりやすく訳された日本語の歌詞に置き換えられていて、オペラが一気に身近になったような新鮮な面白さを感じました。
この歌詞は米團冶さんご自身が訳されたということで、新たな芸術の形に挑む並々ならぬ情熱と才能を感じます。
一方、浄瑠璃でいうところの地の文、いわゆる状況説明などの語りは米團冶さんが落語調で軽妙に語ってゆき、これに合わせて、歌手たちはパントマイムのようにただフリだけをつけ、その息はぴったりでした。
ちなみに、米團冶さんは、ドイツ語にもクラシックにも造詣が深い方、「とりわけモーツアルト、自分はモーツアルトの生まれ変わりなのではと思っているんです」と高座のご挨拶で茶目っ気たっぷりに語っておられたのですが、そういうすべてが繋がって、この「おぺらくご」の誕生となったのでしょう。
落語サイドから見ると、「コシ・ファン・トゥッテ」という演目の大胆な新作落語に、オペラの歌い手とオーケストラが豪華にコラボしたという感じでしょうから、本道を外れるとはいえ、許容範囲内の冒険の一つというところなのでしょう。
それに比して、オペラ側の本筋からしてみると、全く様式美を逸脱した認めがたい部分を持っているのではと推察されます。
けれど、米團冶さんの言葉の通り、内容も掴みにくく一般には敷居が高く敬遠されがちのオペラが、「そういうことだったのか」「思いの外面白い」という入門への起爆剤になり得るともいえるでしょう。
「伝統と革新」とが持つ永遠の命題がここにある気がします。
以前のブログ記事に故坂東三津五郎さんの『新作歌舞伎の魅力』という講演のことを記したかと思います。(よろしければこちらをご覧ください。→「10月の所感 ~コンサートを前にして」
伝統芸能への畏敬を深く持ちつつ、新たな理解と普及の道を探る三津五郎さんの決意が語られていて非常に感銘を受けました。
落語界で二人目の人間国宝となった名人、故桂米朝さんを父に持つ米團冶さん、彼の言葉の端々にもこれにどこか共通する思いを感じるのです。
私自身もシャンソンだけではなく、フランス歌曲やオペラなどの訳詞を手掛けた経験もあり、そういう折、クラシックを原語でなく日本語で歌うことが如何に受け入れられにくいことかと実感していますので、今回の「おぺらくご」は、そんなことも思い起こしながらとても興味深く鑑賞しました。
しかしながら、敢えて革新的な試みを成そうとする場合、三津五郎さんや米團冶さんがそうであるように、本来の伝統への深い理解と習熟度が前提となることは言うまでもありません。
落語家としての、歌舞伎役者としての、真の実力がなければ、いかなる変革に挑戦したとしても、それはただ新奇をてらうだけの浅薄で魅力ないものになってしまうからです。
素敵なもう一つの忙中閑
「こんなカフェがあるんですよ。」
と、素敵な先輩がアフタヌーン・ティーにお招き下さいました。
大手町にあるホテル『アマン東京』33Fのカフェ・ラウンジです。

「ブラック・アフタヌーンティーですね。」とおっしゃる通り、内装・インテリアも、茶器・食器・リネンもすべて黒でシックに統一されていて、とてもお洒落な大人の雰囲気でした。
紅茶、ハーブティー、珈琲などそれぞれに迷ってしまうくらいたくさんのチョイスが用意されて、注文すると次々に丁寧にサーブしてくれます。
やがて運ばれてきたアフタヌーンティー。
<デザートと、軽食・フィンガーフードの取り合わせ>というわけですが、食べてしまうのが惜しいくらい、美しく可愛く夢があって、まずは目から堪能するというデザート本来の楽しみ方満載でした。

デザートはチョコレートが主体で、写真に写した帽子もバックもハイヒールもダイヤモンドも、皆とりどりのチョコレートなのです。

ゆったりとした昼下がりのお洒落なティータイム、久しぶりにお会いできた懐かしい方と、近況報告や仕事のことなどよもやま話が、尽きることなく、楽しく盛り上がって、贅沢な時間を満喫できた東京でのひと時でした。
記事の更新に間が空いてしまい,申し訳ありませんでした。
体調を崩しているのではとのお問い合わせまで頂き、皆様にご心配おかけしました。
公私ともに様々重なり、忙殺されていたのですが、ようやく少し落ち着きましたのでご安心下さいますように。
さて、そうこうしているうちに、8月21日のコンサートまで、ちょうど二か月となりました。
日常の中に、じわじわと「コンサート」が浸食してきて、あれもまだこれもまだというプレッシャーばかりが膨れ上がる焦燥感があります。
勿論、何もしていないわけではなく、むしろかなり勤勉に立ち働いているので、そこから生まれるささやかな成果を自分の中で喜びとしてゆくことが大切なのでしょう。
「平常心で粛々と事を成す」そんな境地をいつも目指してはいるのですが・・・。
それでも、忙中閑、先日友人と共に、「おぺらくご」を聴きに行ってきました。
「おぺらくご」って
北白川の京都造形芸術大学の構内に「春秋座」というユニークで素敵な劇場があります。

ここで開催される『桂 米團治 春秋座特別公演』は今年で三年目を迎えますが、前々からの評判もよく、桂米團冶(かつらよねだんじ)さん演じる「おぺらくご」をどうしても一度聞いてみたいとかねてから思っていました。
パンフレットにはこのように説明されています。

「春秋座」は、観客席・舞台ともに本格的な歌舞伎スタイルを基本としながら、現代劇などの上演にも対応できる設計が特徴です。 落語と歌舞伎は共通点も多く、今回の公演では、花道、大臣囲いといった歌舞伎劇場の特性を生かし、落語+オペラ+歌舞伎舞台という春秋座ならではの特別企画で、摩訶不思議な和洋文化の融合を、こだわりの落語で存分に味わっていただきます。
ユニークな特別バージョンでお送りする『桂 米團治 春秋座特別公演』。
1部では上方落語の真髄を披露し、
2部は落語とオペラを組み合わせた「おぺらくご」を上演します。
そして、米團冶さんご自身の言葉

日本の歌舞伎は、西洋では例えばオペラに当たります。
洋の東西は違いますが、どちらも沢山の人たちにより永い年月をかけて様式美化されてきました。
様式美は、やはり美しいです。
でも、唯一の難点はストーリーが分かりにくい。
特にオペラは解説書を見なければ、なかなか分からない。
「そんな時に落語があれば、解説書なしに楽しめます!」
というのが、根底の私の思いなのです。
解説書なしで楽しめるオペラを目指して、行き着いたところが、内容を落語で語ってしまうという「おぺらくご」だったのですね。
今回の演目はモーツァルトのオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」。
他愛ない恋の駆け引きの人間模様が面白おかしく描かれてゆくラブコメディーなのですが、3時間余りのオペラの大作を40分そこそこで演じ切る、オーケストラとオペラ歌手と落語家との共演、まさに歌舞伎のような、ミュージカルのような、浄瑠璃のような不思議な舞台が繰り広げられていました。
「京都フィルハーモニー室内合奏団」が端然と演奏する前で、オペラ歌手たちが朗々と歌うのですが、本来ならドイツ語で歌われる筈のどの曲も、すべてわかりやすく訳された日本語の歌詞に置き換えられていて、オペラが一気に身近になったような新鮮な面白さを感じました。
この歌詞は米團冶さんご自身が訳されたということで、新たな芸術の形に挑む並々ならぬ情熱と才能を感じます。
一方、浄瑠璃でいうところの地の文、いわゆる状況説明などの語りは米團冶さんが落語調で軽妙に語ってゆき、これに合わせて、歌手たちはパントマイムのようにただフリだけをつけ、その息はぴったりでした。
ちなみに、米團冶さんは、ドイツ語にもクラシックにも造詣が深い方、「とりわけモーツアルト、自分はモーツアルトの生まれ変わりなのではと思っているんです」と高座のご挨拶で茶目っ気たっぷりに語っておられたのですが、そういうすべてが繋がって、この「おぺらくご」の誕生となったのでしょう。
落語サイドから見ると、「コシ・ファン・トゥッテ」という演目の大胆な新作落語に、オペラの歌い手とオーケストラが豪華にコラボしたという感じでしょうから、本道を外れるとはいえ、許容範囲内の冒険の一つというところなのでしょう。
それに比して、オペラ側の本筋からしてみると、全く様式美を逸脱した認めがたい部分を持っているのではと推察されます。
けれど、米團冶さんの言葉の通り、内容も掴みにくく一般には敷居が高く敬遠されがちのオペラが、「そういうことだったのか」「思いの外面白い」という入門への起爆剤になり得るともいえるでしょう。
「伝統と革新」とが持つ永遠の命題がここにある気がします。
以前のブログ記事に故坂東三津五郎さんの『新作歌舞伎の魅力』という講演のことを記したかと思います。(よろしければこちらをご覧ください。→「10月の所感 ~コンサートを前にして」
伝統芸能への畏敬を深く持ちつつ、新たな理解と普及の道を探る三津五郎さんの決意が語られていて非常に感銘を受けました。
落語界で二人目の人間国宝となった名人、故桂米朝さんを父に持つ米團冶さん、彼の言葉の端々にもこれにどこか共通する思いを感じるのです。
私自身もシャンソンだけではなく、フランス歌曲やオペラなどの訳詞を手掛けた経験もあり、そういう折、クラシックを原語でなく日本語で歌うことが如何に受け入れられにくいことかと実感していますので、今回の「おぺらくご」は、そんなことも思い起こしながらとても興味深く鑑賞しました。
しかしながら、敢えて革新的な試みを成そうとする場合、三津五郎さんや米團冶さんがそうであるように、本来の伝統への深い理解と習熟度が前提となることは言うまでもありません。
落語家としての、歌舞伎役者としての、真の実力がなければ、いかなる変革に挑戦したとしても、それはただ新奇をてらうだけの浅薄で魅力ないものになってしまうからです。
素敵なもう一つの忙中閑
「こんなカフェがあるんですよ。」
と、素敵な先輩がアフタヌーン・ティーにお招き下さいました。
大手町にあるホテル『アマン東京』33Fのカフェ・ラウンジです。

「ブラック・アフタヌーンティーですね。」とおっしゃる通り、内装・インテリアも、茶器・食器・リネンもすべて黒でシックに統一されていて、とてもお洒落な大人の雰囲気でした。
紅茶、ハーブティー、珈琲などそれぞれに迷ってしまうくらいたくさんのチョイスが用意されて、注文すると次々に丁寧にサーブしてくれます。
やがて運ばれてきたアフタヌーンティー。
<デザートと、軽食・フィンガーフードの取り合わせ>というわけですが、食べてしまうのが惜しいくらい、美しく可愛く夢があって、まずは目から堪能するというデザート本来の楽しみ方満載でした。

デザートはチョコレートが主体で、写真に写した帽子もバックもハイヒールもダイヤモンドも、皆とりどりのチョコレートなのです。

ゆったりとした昼下がりのお洒落なティータイム、久しぶりにお会いできた懐かしい方と、近況報告や仕事のことなどよもやま話が、尽きることなく、楽しく盛り上がって、贅沢な時間を満喫できた東京でのひと時でした。


