
山梨県小淵沢と長野県小諸を結ぶローカル線、JR小海線に八千穂駅があります。
週末、長野に所用があり、足を延ばしてふらりとこの八千穂村(現佐久穂町)を訪れてみました。
お目当ては『奥村土牛(とぎゅう)記念美術館』です。
秋の彩り
信州の山は紅葉が日一日と色濃くなっています。

強風に煽られるのでしょうか、風の流れに添って枝も傾(かし)いでいます。
落葉松は、深緑の針葉が黄緑に色を変え始めたばかり、いつもなら今頃は金色に輝いているのに、今年の秋はゆっくりと訪れているのですね。

落葉松に混ざってブナや椎の木などが、一足早く色付き始め、高原の秋は深まり、空は高く広がります。
風に揺れる薄(すすき)の原、そして、向こうに八ヶ岳の峰々が水墨画のように淡いシルエットを描きます。


この日の私、自撮り写真です。
芸術の秋、少し加工してみました
奥村土牛記念美術館

日本画壇の巨匠、平成二年に101歳の長寿を全うされるまで、大正・昭和・平成に渡って、秀逸な作品を生み出し、画壇に大きな影響を与え続けた奥村土牛(とぎゅう)画伯の記念館が佐久穂にあります。
奥村画伯は、東京生まれなのですが、戦時中、家族と共に長野に疎開されていたことがあり、八千穂村との縁もこの時期に始まったようです。
黒澤酒造の社屋が八千穂村に譲渡され、嘗てここの離れに疎開していた折、母屋の風情に自らの作品を展示する場所としての大きな魅力を感じていた奥村画伯が、多くの自作を寄贈されたために記念美術館として発足したのだと展示の系譜に記されていました。
奥村土牛の作品は、生き生きと躍動的に自然の造形が描き出されているのに、素朴で奇をてらわない品格が感じられて、私は昔から大好きな画家なのです。

この美術館は、一度訪れたいと思っていたのですが、ようやく実現したのでした。
展示作品は素描が殆どで、『仔牛』『聖牛』など、土牛の名に因む牛のスケッチなども展示されていて目を惹かれました。
記念館の方に、なぜ素描の展示ばかりなのかとお尋ねしてみたところ、画伯自身が、「素描を味わって貰うのにこの美術館は最もふさわしい」との思いから、素描を多数自薦されたからということでした。
確かに清々しい漆喰の天井、欄間や床の間の精巧な細工、四方に廊下を巡らせた珍しい造り、ノスタルジックなシャンデリアなど、さっぱりとしていながらどことなくモダンで瀟洒な和洋折衷の趣が、他に類を見ない独特な風情を漂わせて、この美術館を印象付けていました。
作品が生まれる部屋
「画伯の画室」として、東京から移築された部屋の全景です。

嘗て、鴎外や直哉などの旧居を訪ね、再現されたその書斎の様子など、目にしたことがありましたが、そのいずれにも、傑作が生みだされる独自の空気、佇まいというものがあることを感じ、とても感激したことを思い出しました。
文筆家や画家など芸術に携わっている人だけでなく、きっと普通の場合でも、そこに暮らす人の気配というか、暮らし方の匂いというものが、部屋には漂っているのでしょう。
それでも、作品が生み出される誕生の場は、やはり特別の「産みの苦しみ」と「誕生の予感と喜び」に満ちた場であるのかしらとふと思いました。
奥村画伯の画室は、その画風と同様に清楚で無駄がなく作品の魂が端座しているような趣を感じました。
絵の具の端然と置かれた美しさ。
絵筆から漂う清らかな生気。
一つの作品へと、「生れ出る時」をひたすら待っているかのような画布。
画家の仕事を温める火鉢。
大きな仕事机。

創作を促すこと以外の何一つも置かれていない静寂な画室。
東山魁夷画伯の作品展にも同様に画室が再現されてあって、同じような静謐な空気を感じたのが思い出されました。
それぞれの画伯の作風は異なりますが、でも対象を愛情深く見つめ、姿勢を正し、虚心になって絵筆を執る、そういう求道的な精神を支える聖域の佇まいなのでしょうか。
心を強く動かされ、あまりにも長い時間、この画室の前にじっとしていたためか、記念館の方が声を掛けて下さり、この画室の写真をカメラに収めることも快諾してくださいました。
私にとっても、歌の詩を生み出すときは、やはり「産みの時」であるわけで、「産みの場」である我が書斎は・・・・私は機織り部屋と呼んでいるのですが・・・・どんな佇まいを呈しているのか、願わくば端正で静謐であってほしいけれど・・・・日々の心構えを猛省したのでした。

美術館の全景。
植木屋さんと来館者でしょうか、何やら熱心に庭木や建物の話に花を咲かせていました。
酒蔵のある風景
黒澤合名会社は、現在も黒澤酒造として大きく地酒の酒蔵を営んでいました。

酒の資料館などとして一般に公開していますが、記念館の一帯は昔ながらの蔵が立ち並びタイムスリップしたような懐かしい風情に溢れていました。
10月の半ば過ぎ、秋深まる信州の小さな旅の一コマをお届けしてみました。
週末、長野に所用があり、足を延ばしてふらりとこの八千穂村(現佐久穂町)を訪れてみました。
お目当ては『奥村土牛(とぎゅう)記念美術館』です。
秋の彩り
信州の山は紅葉が日一日と色濃くなっています。


強風に煽られるのでしょうか、風の流れに添って枝も傾(かし)いでいます。
落葉松は、深緑の針葉が黄緑に色を変え始めたばかり、いつもなら今頃は金色に輝いているのに、今年の秋はゆっくりと訪れているのですね。

落葉松に混ざってブナや椎の木などが、一足早く色付き始め、高原の秋は深まり、空は高く広がります。
風に揺れる薄(すすき)の原、そして、向こうに八ヶ岳の峰々が水墨画のように淡いシルエットを描きます。



この日の私、自撮り写真です。
芸術の秋、少し加工してみました
奥村土牛記念美術館

日本画壇の巨匠、平成二年に101歳の長寿を全うされるまで、大正・昭和・平成に渡って、秀逸な作品を生み出し、画壇に大きな影響を与え続けた奥村土牛(とぎゅう)画伯の記念館が佐久穂にあります。
奥村画伯は、東京生まれなのですが、戦時中、家族と共に長野に疎開されていたことがあり、八千穂村との縁もこの時期に始まったようです。
黒澤酒造の社屋が八千穂村に譲渡され、嘗てここの離れに疎開していた折、母屋の風情に自らの作品を展示する場所としての大きな魅力を感じていた奥村画伯が、多くの自作を寄贈されたために記念美術館として発足したのだと展示の系譜に記されていました。
奥村土牛の作品は、生き生きと躍動的に自然の造形が描き出されているのに、素朴で奇をてらわない品格が感じられて、私は昔から大好きな画家なのです。

この美術館は、一度訪れたいと思っていたのですが、ようやく実現したのでした。
展示作品は素描が殆どで、『仔牛』『聖牛』など、土牛の名に因む牛のスケッチなども展示されていて目を惹かれました。
記念館の方に、なぜ素描の展示ばかりなのかとお尋ねしてみたところ、画伯自身が、「素描を味わって貰うのにこの美術館は最もふさわしい」との思いから、素描を多数自薦されたからということでした。
確かに清々しい漆喰の天井、欄間や床の間の精巧な細工、四方に廊下を巡らせた珍しい造り、ノスタルジックなシャンデリアなど、さっぱりとしていながらどことなくモダンで瀟洒な和洋折衷の趣が、他に類を見ない独特な風情を漂わせて、この美術館を印象付けていました。
作品が生まれる部屋
「画伯の画室」として、東京から移築された部屋の全景です。

嘗て、鴎外や直哉などの旧居を訪ね、再現されたその書斎の様子など、目にしたことがありましたが、そのいずれにも、傑作が生みだされる独自の空気、佇まいというものがあることを感じ、とても感激したことを思い出しました。
文筆家や画家など芸術に携わっている人だけでなく、きっと普通の場合でも、そこに暮らす人の気配というか、暮らし方の匂いというものが、部屋には漂っているのでしょう。
それでも、作品が生み出される誕生の場は、やはり特別の「産みの苦しみ」と「誕生の予感と喜び」に満ちた場であるのかしらとふと思いました。
奥村画伯の画室は、その画風と同様に清楚で無駄がなく作品の魂が端座しているような趣を感じました。

絵の具の端然と置かれた美しさ。
絵筆から漂う清らかな生気。
一つの作品へと、「生れ出る時」をひたすら待っているかのような画布。
画家の仕事を温める火鉢。
大きな仕事机。

創作を促すこと以外の何一つも置かれていない静寂な画室。
東山魁夷画伯の作品展にも同様に画室が再現されてあって、同じような静謐な空気を感じたのが思い出されました。
それぞれの画伯の作風は異なりますが、でも対象を愛情深く見つめ、姿勢を正し、虚心になって絵筆を執る、そういう求道的な精神を支える聖域の佇まいなのでしょうか。
心を強く動かされ、あまりにも長い時間、この画室の前にじっとしていたためか、記念館の方が声を掛けて下さり、この画室の写真をカメラに収めることも快諾してくださいました。
私にとっても、歌の詩を生み出すときは、やはり「産みの時」であるわけで、「産みの場」である我が書斎は・・・・私は機織り部屋と呼んでいるのですが・・・・どんな佇まいを呈しているのか、願わくば端正で静謐であってほしいけれど・・・・日々の心構えを猛省したのでした。


美術館の全景。
植木屋さんと来館者でしょうか、何やら熱心に庭木や建物の話に花を咲かせていました。
酒蔵のある風景
黒澤合名会社は、現在も黒澤酒造として大きく地酒の酒蔵を営んでいました。


酒の資料館などとして一般に公開していますが、記念館の一帯は昔ながらの蔵が立ち並びタイムスリップしたような懐かしい風情に溢れていました。
10月の半ば過ぎ、秋深まる信州の小さな旅の一コマをお届けしてみました。


