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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

GW忘備録2 祇園・清水寺成就院

 GW忘備録、前回に続いて後編をお届けしたいと思います。

   茶々丸 ただ今特訓中
 連休を少し遡りますが、先日、これまでになかった面白い依頼が舞い込みました。
 
  「子猫を拾って育てることにしたのですが、トイレの習慣がどうしてもつかず、部屋のそこら中で粗相をしてほとほと困っています。何とかトイレ習慣を躾けて頂くことはできないでしょうか?出張調教を是非お願いします。」

 嘗ての教え子からの依頼。
 私が無類の猫好きで、猫の躾のエキスパートである・・・というような自慢話を以前したことを覚えていて下さって、藁をも掴む神頼みで、ご連絡をしていらしたものと思われます。
 大言壮語、その責任もあり、何とか力にならなければと出向くことにしました。
 トイレの躾は、難易度はさほど高くはないのですが、それにしても、数時間の訪問では、・・・という懸念を抱えつつでした。

 祇園白川筋の辰巳稲荷で待ち合わせです。
柳
 眩しい光の中で、柳の新緑が瑞々しく柔らかく風を受けていました。
 ウエディング写真を撮る方たちも最近多くて、何組ものカップルが楽しそうにポーズを撮っている中、遠目にもしっとりと美しく着物を着こなした二人の若い女性がお出迎えをしてくれました。
 
 教え子のKさん、祇園の芸妓さんなのです。
 もう一人は「うちの妹どす」とご紹介して下さった、やはり美しく華やかな素敵な女性。
 Kさんは、子供の頃から日本舞踊を習っていて、舞妓さんになって芸道を極めたいとの志を強く持ち、単身、京都に赴いたのだと聞いていました。
 彼女が卒業して以来、昨年期せずして、京都で再会を果たし、また親しいご縁が繋がりました。

 言葉遣い、立ち振る舞い、伝統の色濃く残る世界での生活習慣の違い、歌舞音曲の厳しい修業など、習得するのはどんなにか大変だったのではと思うのですが、色白で日本的な楚々とした美人、まさにはんなりとした風情で、涼しげに微笑む笑顔が輝いて見えました。
 時折見せる昔と変わらない無邪気な表情に、懐かしさがこみあげてきます。

 子猫は生後6~7か月で、よく聞いてみると、お二人の所属する置き屋のお姉さんが飼っているのだそうです。

 白川筋の粋な門構えを潜って、お姉さんのお部屋に通されました。
 そこで初対面、茶々丸くんです。
茶々丸2
 お姉さんのベッドで茶々くんは一緒に寝ているそうなのですが、猫砂を入れたベッドサイドのトイレには見向きもせず、ふわふわのお布団の上や洗濯したての柔らかいタオルの上などにいつも粗相をしては、皆を困らせているとのこと、人懐こくて、くるくると飛び回る元気のよい子猫なのですが・・。

 同じ悩みを持っている方のために・・・。
 この日の私のアドバイスから、そのいくつかをご紹介してみますね。

*猫は自分の匂いのするところがトイレだと思いますので、粗相をした場所は速やかにふき取り、匂いは完璧に消し去りましょう。

*何となくそわそわし始めて、今かなと思う時を逃さず、そっと抱きかかえてトイレに入れましょう。飛び出しても決して叱らず、何度でも入れ直すのが大事です。

*トイレには猫の臭気が残っていて構いませんが、でも基本的にさらっと綺麗な状態を猫は好みますので、糞尿など取り去り、砂は頻繁に取り換えて、常に乾いた砂の状態にしておきます。

*食事の後、必ずトイレに連れてゆくようにすると、規則的に用を足すようになります。

*万一粗相をしても、決して怒ってはいけません。排泄することを悪いことと思うようになって、隠れて用を足すようになってしまいます。

*留守をするときには、布団の上など、粗相をしそうな所にツルツルのビニールシートなどをかけておきます。猫は尿が染み通っていかないところは気持ち悪く感じて避けるからです。
これは殊の外、効果がありますので是非お試しください。

*猫トイレできちんとできた時には、褒めまくってあげるとプライドを刺激され、また褒められたい意識が目覚めていつの間にか習慣化されてゆきます。

 その他、ノウハウの限りを皆様に伝授し、躾中は必ず誰かが見ていて茶々丸一人にしないようにとお話ししました。
茶々丸1

 皆の温かい愛情を一身に受けて幸せね。
 あとは早くトイレを覚えてね。
 最後に、茶々丸君と向き合って、よ~く言い聞かせて帰りました。
 2時間くらいお邪魔していたでしょうか。

 お姉さんも妹さんもとても温かく楽しい方で、Kさんはそんな方たちに囲まれてしっかりと自分の居場所を築いてこられたのだと、嬉しい気持ちになった帰り道でした。

 別の日、Kさんと妹さんが出演する都をどりも観に行きました。
 お二人のあでやかな舞い姿は息を呑むばかりで、しなやかでありながら揺らぎなく、たゆまぬ努力に裏付けられた、舞台に立つことへの凛とした決意のようなものが心地よく伝わってくる気がしました。

 昨日、彼女からのメールで、あれから二週間余りの間、粗相をしたのは、ただ一回だけだったとのご報告を受けました。
 良かった!良かった!
 ビニールシートが効果があったみたいです。

 いたずら子猫とのつかの間の祇園の休日でした。

   清水寺 成就院を訪ねる
 この数日後、清水寺成就院を訪ねました。
 詳しくは6月末に正式発表があってからお知らせしたいと思いますが、来年、清水寺をお借りしての、大掛かりなプロジェクトを企画していて、実は私もこのプロジェクトの一員に加わっているのです。
成就院への道1  成就院への道2
 仲間の方たちと共に会場になる清水寺の舞台、西門、そして塔頭の成就院を視察がてら、ご相談と折衝に伺ったのでした。

 この日、清水寺の責任者の方が丁寧に対応して下さり、プロジェクトの骨組みもよりクリアに開けてきて、来年への期待が広がってゆきます。
成就院
 連休の前後、外国人の観光客も多く、益々の賑わいで、「この時期の清水寺は、まあ渋谷のスクランブル交差点を思い浮かべて頂くのが適当かと・・・。」とユーモラスに表現されていましたが、なるほど、清水の舞台から下を見下ろしてみると、四方から人が押し寄せてくるような流れが目に入ります。

 そういう中で、ちょっとびっくりするイベントを計画しているので、慎重の上にも慎重を期して、じっくりと練り上げてゆくことを、「スクランブル交差点」という言葉で、示唆されたのかしらとも感じました。

 成就院は4月末から5月連休中は、「月の庭」と呼ばれる名園が特別公開されています。
成就院の庭園  案内
 写真撮影禁止なのですが、準備の必要もあり、この日は特に撮影を許可してくださいました。
端然として静謐な「月の庭」です。
成就院内部 そして、美しく整えられた大広間。

 それぞれの寺社にはそれぞれの、守り続けてきた深い歴史とそれへの矜持とが脈打っているのを感じます。
 外の喧騒から離れた穏やかな時間を満喫したひと時でした。

三年坂


帰路、久しぶりに歩く三年坂の風情は京都の5月に彩られていました。

 祇園と清水寺、東山で過ごした素敵な休日でした。






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GW忘備録1 片づけの魔法

 桜若葉もいつの間にか緑濃く、初夏の彩りに包まれています。

 GWは如何お過ごしでしたか。

 私は、今年は久しぶりに京都でゆっくりとしていました。
 ゆっくりと、というのは遠征せずに・・という意味で・・・。

   片づけの魔法
 何日か休みがあると、ついいつもの片づけの虫が、もそもそとうごめき。
新緑

 花粉も終息を迎え、ようやく大きく窓を開けることができ、しかも梅雨を迎える前の薫風、<今を逃して何時だというのか!>と、意気揚々と、大好きな趣味=「整理整頓・大掃除」に挑んだのでした。

 以前にも何回かブログで、片付けのノウハウや我流哲学など、色々なことを折に触れお話ししてきたかと思うのですが。


 「趣味・特技」と自負するくらいですので、さすがに人様には家の中や身の回り、書類に至るまでいつもすっきり片付いていると褒めて頂けるのですが、それでもいつの間にか、過ごしてきた時間の集積のように、モノは膨らんで行くものですね。
 
 最近の私の「片づけ衝動」には、大きく分けて二つあるようです。

 何かしなければならない課題を目前にした時、まず身を清めてから臨むというような一種の通過儀礼。
 子供が試験の前に突然机の中を整理し始める・・・、目の前に迫ってくる敵からの、ある種の逃避行動にも似ています。
 からめ手に回ってみたものの、ついにはもう為すこともなくなって、<いよいよ向かうしかない>。
 自分を追い込むような、そういう境地を受け入れるためのプロセスでもあり、向かうべき本命は、片付けではなく、別のところに在るわけです。

 そしてもう一つは、何かが一段落して、その余韻が去ってゆく時に、それを改めてじっと思い返して、それと決別するような感覚。 まさに、何処か然るべきところに<片をつけたい>という衝動といえるかもしれません。・・・何だか恋人との別れみたいですけれど。
 例えばコンサートが終わって、一通りぐたっとした後、ぼちぼちと意識が正常に戻ってくる時などに突如湧き起ってきます。
 終えてきた事柄を一つずつ確認していると、大切に残してゆきたいものと、捨ててゆくものとの領域が見えてきます。
 そのどちらにも意味があり、それを見つめながら、心の中のそれぞれの場所に落ち着かせ、次への出発、跳躍への弾みを探している気がしています。

 今回の片づけ衝動はどちらだったのか、「をみなごに花びらながれ」を反芻して、次を模索しようとする中で、両方の気持ちが混ざり合っていたかもしれません。

 片付けの究極は「断捨離」、「捨てることに在り」と言われますね。
 整理整頓することで、本当に必要なものを見出して、モノや事柄を、より効率的に、魅力的に活用してゆくことが好ましいのでしょうから、エイヤア!というきっぱりとした思い切りをどこで持つかが肝心ということになるのかもしれません。

 けれど、それはなかなか難しいですよね。
 <たかがモノ、されどモノ>
 過去や未来と繋がるモノの存在は、それぞれに、切り捨てられない意味を持つことも事実でしょう。
 むしろ、重荷や余分と思われるものであっても、敢えてそれを背負ってこそが、人生の本当の面白さだということも、また言えるかもしれません。

 基本的には
 「人やモノに拘泥せずに、いつも軽やかにすっきりと!」
 「必要なものを慈しみ生かしつつ、心豊かに共存していたい」
 というのが信条ではあるのですが、一方では、生きることは、無形、有形を問わず、いつの間にか堆積されてゆくあらゆるものを引き受け、付き合うことであるという気さえしてきます。
 
 「整理整頓の極意」私論
 一番厄介なのは、想い出に関わるモノたち。
 捨てたくても捨てられないものを苦笑いしながら抱えてゆくのも人間らしくて自然なのかなとも思いつつ。

 それでも、これまで、とても大事に感じていたものが、ある時ふっとふっ切れたり、また自分の気持ちを敢えて変えたくなったりして、一掃しようと思うことがあります。
 そんな時が「捨てどき」、「手放しどき」なのでしょうね。
 無理しないで、そんな時を待てばよいのではと思っています。
 そして、これはモノだけではなくて、心の傷とか、執着している問題など、心の持ち方にも当てはまる気もしてくるのです。
 
 片付けをしながら、そんなことにふと思いを巡らせたこの数日でした。

 全ては、奥深くしまい込み過ぎると、根を生やして身動きがつかなくなりますので、時々埃を払い、陽の光を当てて、自分にとっての今の意味を確認してみる・・・・私の「片付けタイム」はそんな時間でもあります。

 
 最後に、数年前に大きな話題になったこんな本、『人生がときめく片付けの魔法』(近藤麻理恵著)をご紹介してみます。
片付けの魔法

 現在もベストセラーを更新していて、2015年には、著者の近藤さんは米国TIMEが選ぶ「世界で最も影響力のある100人」に選ばれています。

 前に、この本を一度ブログでご紹介したことがありましたので、その時の文章をもう一度記してみますね。

 
 「まずは、収納しないで「捨てる」という作業を一気に短期に完璧に片付けること、これをすれば絶対に元の散らかった状態には戻らない」と筆者は述べています。
 では何を、どう捨てるかが問題になるわけですが、「理想の暮らしを考えながら、目の前にあるモノに今、ときめきを感じるか否かで判断する事」が大切であり、モノを貯め込んでしまうのは、「過去にたいする執着」か「未来に対する不安」があるからであり、それをふっ切ることが「モノがなくても何とかなる」という自分に対する自信の獲得につながるのだと、なかなか哲学的に展開して行きます。
 完璧な片付けを一度でも体験すると、人生がときめくような感覚を覚え、そしてその後に、自分が本当に求めていたモノや目標までもが見えてくる・・・人生が魔法にかかったかのようにドラマチックに変化してゆくのを実感する・・それを筆者は「片付けの魔法」と称しています。

 興味深いですね。
 でも、実際には、一つ一つのモノを前にして、「ときめく」か「ときめかない」か、瞬時に判断し、「捨てる」という行動につなげてゆくことは、敏感な感性と毅然とした決断力を必要とすることで、それなりの修練も必要かもしれません。




 今回の最大の収穫はMDの整理に着手できたことでした。
 これまでMDに収録してきた音楽資料が膨大なのですが、これをセレクトしながらデータ化するという作業を始めました。
 いつの間にか、MDというものはすべて、市場から駆逐されてしまいましたので、手持ちの機械が健在なうちに何としてもデータ化する急務があるのです。
 さすがにこれは1~2日でできるものではないので、これから、日々粛々と頑張ってみようと思っています。
 けれど、棚上げしていたこの課題に着手したおかげで、既に、これはという曲をかなり発掘することができました。
 新たな訳詞作りが楽しみです。

 かくして、片づけと入念な大掃除を終え、束の間、爽快感を味わっているのですが、GWはそれだけに関わっていたわけでもなく、千客万来の日々でもあり、忘備録はまだ続きます。

 今日はここで一段落。次回は早々にUPしますので、どうぞお楽しみに!



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