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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

大晦日の手帳

 大晦日、如何お過ごしですか。

 私は例年のように、部屋の片づけや掃除、おせちの用意など、普通にお正月を迎える準備に慌ただしく過ごしていますが、新年を待つ年の瀬のそんな昂揚感や、人が行き交う雑多な賑わいなども、昔から結構好きです。

   手帳
 皆からからかわれる私の手帳。
 1211という商品番号の黒の能率手帳をもう20年近く愛用しているのですが、「いまどき、そんな手帳を使っている人を久しぶりで見た」「能率手帳ってまだあるのね」などと驚かれつつ、これぞ私には最も使い易い逸品と密かに確信しています。
手帳
 一年は飛ぶように流れて行きますが、振り返ると色々なことが詰まっています。
 誰にも判読できなさそうな走り書きで、びっしりと一年間の軌跡が記されていて、その時々の予定や覚書など、書き留めた時の状況や心持ちまで蘇ってくるようで、一年の終わりに眺めると、スマホのメモとかとは、たぶん一味違う愛着があります。

 パラパラと読み返し、新しいものに替えるのも、大晦日の私の小さな儀礼のようなものです。

 眺めていたら、コンサート関係の記述が圧倒的に多いことに気づきした。
 勿論、他にも公私共々、様々な生活や仕事があるわけですが、でもいつの間にかコンサートを中心に日々のリズムが生れていて、大晦日の昂揚感ではありませんが、実現へのプロセスを楽しみチャレンジすることが自分の中でのやりがい、原動力になっているのかもしれません。

 ともあれ、この一年一歩ずつでも専心できたこと、それを出来る健康を何とか維持できたこと、障壁はありながらも周囲の状況も比較的安定していたこと、そのような幸せにただ感謝するばかりです。

 コンサート活動を通して、新たな出会いや発見もたくさんありました。
 素敵な方々ともたくさん出会うことが出来ましたし、さりげない温かさに助けられてきたこと、手帳の中からそんな嬉しい出来事が浮かび上がってきます。

 人が生きることは、未知の世界・時間に踏み出すことなのですよね。
 色々なことがあっても臆さないでいたいと、この頃しみじみと思います。
 私の歩みはゆっくりで、時々後ずさりもしますけれど。

 さて、忙中閑、手を止めて、ひと時感慨に浸って記してみましたが、午後、あと一仕事、頑張ります。

   錦市場
 昨日、買い出しに行って、撮った錦市場の雑踏をご紹介します。
出店

 今年もお正月飾りの出店が賑わっていました。

 いつも買うお店、売っている方のいつもの顔、小さな幸せを感じます。


雑踏。市場の中の食堂のメニュー。美味しそう、お客様で一杯でした。
雑踏 メニュー 交通整理
 今年初めて見た交通整理のガードマン。あまりに混雑しているので商店街が手配したのかもしれません。

つきたてのお餅屋さん、漬物屋さん、八百屋さん、祝い大根と京人参など独特です。
鏡餅   祝大根

朧月

そしていつの間にか夕暮れ。
右上に光っているのはほぼ満月に近い朧月でした。

・・・・・・
皆様、今年も大変お世話になりました。
どうぞ、良い新年をお迎えくださいますように。




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「雨の日の物語」第一弾無事終わりました

 晴れ女の私、不思議なのですが、本当に、何かのイベントというと必ず晴れるのです。
 12月16日土曜日も天気予報は「一日中雨です!!!」と断定的な予報だったのですが・・・・。
看板
 この一か月雨が降る歌ばかりを練習し続け、タイトルも「雨の日の物語」と命名したからには、今度こそ雨降りと、覚悟していたにもかかわらず、やはり明るい空、傘の要らない一日となりました。
 巴里野郎のいつものボードに赤い傘を差したポスターが張られています。

 本番前にピアニストの坂下さんと、朗読とピアノとのタイミングなどを最終調整しています。すべては入念な準備があってこそ。
リハーサル2 リハーサル1

 そして入場時間、一斉にお客様がいらっしゃり、あっという間に熱気にあふれた会場となりました。
大盛況 立錐の余地なく、当日券はストップせざる得ないという嬉しい悩みに立ち至った今回のコンサートでした。立ち見でもよいからという、有り難いお申し出もあって・・・お越し下さいましたたくさんの皆様、本当にありがとうございました。
雨傘
 ステージには赤い傘をそっと広げてみました。

 ロマンチックな掌編の朗読からスタート。
 静かに耳を傾けて、優しい物語に心を浸して下さり、そしてコンサートの2時間はあっという間に過ぎてゆきました。

 コンサートの内容、その詳細は、まだ市ヶ谷でのツアーがこれからですので、終わるまでお楽しみに取っておくことにしたいと思います。
 1月13日が終わりましたら、改めて詳しくご報告いたします。

 今や常連となって、私のコンサートを心待ちにして下さっている9歳のお嬢さんから、まだ現役で歌い続けていらっしゃるダンディーな93歳の紳士まで、お客様の年齢層は限りなく幅広くて、そういう皆様と一堂に会し、同じ時間を共有させて頂けることが何にもまして幸せに思えました。

 前日に手作りの小さなきんちゃく袋に入った飴のプレゼントが届きました。
 「大阪のおばちゃんの飴袋、明日のお守りに」とユーモアも袋に一杯。

 遠方の友人たちからもいつも直前の励ましメールが届くのですが、その中でも心に大きく響いたのは「芸道の鬼と化せ」の一言でした。

 変な緊張も臆する気持ちも一気に吹き飛んで、ステージに居ることに集中でき、客観的に自分を見つめることが出来た気がしました。

 持つべきは佳き友、そして言葉の持つ力って素敵だなと改めて思った日でもありました。
花束
 頂いた花束。
 皆様に心から感謝申し上げます。

 今はほっと一息、気持ちが解き放たれていますが、年が明ければすぐ東京でのコンサートです。
 気を引き締め、より力を尽くしたいと思います。
 こちらも是非お越しくださいね。


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少しだけ文学的に ~川端康成~

   掌編『雨傘』
 師走となりました。早いですね。

 そして、12月16日の「雨の日の物語」までちょうど二週間、かなりハイテンションで過ごしています。

 今回の『雨の日の物語』は「シャンソンと朗読の夕べ」シリーズの三回目となるのですが、初披露の曲を多く取り入れてみました。
 どうしてもご紹介したくて、無謀にも、つい最近作詞とアレンジ譜が出来上がったばかりの曲まで入れてしまったのですが、どうぞお楽しみになさって下さいね。

 そして朗読は、優しい感性が広がってゆくような掌編と詩を選んでみました。
 雨のイメージを柔らかく煙るように伝えられたら、色々な雨を、聴く方たちの心に降らせることが出来たらなどと思っています。  

 その中の一編、川端康成の『雨傘』

 ある少年と少女が、雨の日に写真館で記念写真を撮るという、それだけの、物語とも言えないくらいの小編で、束の間の感情の流露を捉えた淡い初恋のお話なのですが、文章と、発せられる一語一語が何とも言えず嫋(たお)やかで、川端文学の醍醐味を伝えるしっとりとした艶やかさに溢れている気がします。 
 何気なく朗読をしていても、仄かで隠微なエロティシズムのようなものをふっと感じて、読み込むほどにドキッとしてしまいます。
掌の小説
 川端氏の作品の真骨頂は、耽美的で、生々しい危うい世界そのものなのかもしれないなどとも思いました。 
川端康成
 小説の具体的な内容は今は明かしませんが、よろしかったら、この掌編が収められている『掌の小説』をお読みになってみて下さい。

今日は川端康成氏にまつわるお話しを少ししてみたいと思います。

   逗子の海
 私の実家は逗子、家から5分位で海に出ることが出来ます。
 久しぶりに海岸を散歩してみました。
 春霞がかかっているような茫洋とした海の光景です。
 誰もいない初冬の海岸。向こうに稲村ケ崎、江の島。富士山は霞んでいます。
江の島 ウインドサーフィン 流木
打ち上げられた流木。そして静かに寄せる波頭。ヨット。

逗子マリーナ
 夏の名残りのサーフボードが砂浜の景色に溶け込んでいます。
 材木座から小坪浜、左側に逗子マリーナが見えます。

 子供の頃から毎日のように海岸を散歩していました。
 季節を映す風、光、空、潮騒、海の香り。
小坪ワカメ
 幼い頃の小坪浜は、本当に鄙びた漁村で、2月頃になると、ワカメ取りが始まるのですが、海岸に、一斉に作業小屋が立ち並び、大きな茹で釜でワカメを茹で上げ、それを洗濯物を干すように、ロープを張り、洗濯ばさみで挟んで砂浜いっぱいに天日干しする、その情景は圧巻でした。
 いつの間にかその数もまばらとなったそんな情景。
 浜辺に広がる強烈な海藻の香りが冬の風物詩そのもので、私の中の原風景でもあります。

 向こうに見える逗子マリーナは実は川端康成氏が亡くなった場所でもあるのです。

 川端氏は鎌倉に住んでいて、名士中の名士でしたから、訃報に地元は衝撃を受けました。私も子供心にショックだったことを思い出します。

 川端氏の家に出入りしていたお魚屋さんや八百屋さんが、我が家にも御用聞きに来ていましたので、その生活ぶりなどを母は自然に耳にすることも多く、私たち家族ですら、どこかで親しみを持っていたためかもしれません。

 朗読に、『雨傘』を取り上げるにあたり、他の小説も集中して読み返しているので、突然この海辺の風景に、そんな昔のことが蘇ってきました。
 
 
   江ノ電での邂逅
 邂逅と言っても一方的な思いなのですが。
 川端氏の家は長谷にありました。
江ノ電
 江ノ電=江の島電鉄は今は観光のスポットにもなって人気ですが、鎌倉と藤沢を繋ぐ、二両編成の路面電車です。
 長谷は鎌倉寄りの江ノ電の駅、実は私、2回ほど江ノ電の中で川端氏に会ったことがあるのです。

 最初は2月だったでしょうか。夕暮れ時、海が鴇(とき)色に染まっていました。
 部活か何かの帰りらしく男子学生たちが沢山乗り合わせて、賑やかな話し声が響いていました。
 江ノ電と夕焼け
 満員の車両に長谷駅から川端氏が乗り込んできました。
 よく写真で見かける通りの和服の着こなしでステッキを携え、確か防寒のコートを羽織っておられたかと思います。

 小柄な方だったのですが、でも、車両は瞬時で、水を打ったように静まりました。
 川端氏と皆が気づいたのかどうか、・・・でも眼光が異様とも言うほど鋭くて、真っ直ぐにすべてを透すような眼差しに独特のオーラが溢れていました。
 近寄りがたい、冒すべからざる威光というか、そういう凄さだったのかもしれません。
 席に座っていた男子学生たちは物も言わず一斉に立ち上がり、後ずさりした不思議な瞬間でした。
 川端氏は、黙って何事もないように静かに片隅の席に腰かけました。
 長谷から鎌倉までの、10分ほどのあの時間の静謐な空気を今でも忘れません。
 
 私は・・・幼い頃から本の虫でしたから、既に川端氏の作品も読んでいましたので、本の見開きページで目にしていた作家が、本当に目の前にいることに大感激で、固唾を呑んで見入っていました。
 圧倒される威厳は感じましたが、怖いとは思いませんでした。
 むしろ何故か、寂しい感じが漂っていると思いました。あの感覚は何だったのかと今でも思います。

 それから偶然なのですが、やはり江ノ電でもう一度同じような場面に遭遇し、その数日後(4月だったと思います)に、訃報を聞いたのです。

 ですので、私にはいつまでも、川端氏は寂しさの中にいる人というイメージがあり、川端文学もそんなフィルター越しに読んできた気がするのです。

   伊豆の踊子 ~天城の旅~
 代表作の「伊豆の踊子」も好きな作品です。
 作品の足跡を訪ねて、天城越えをする文学散歩をこれまで数知れず行ってきました。
 嘗て教鞭を執っていた頃、長きにわたり文芸部の顧問をしていましたので、生徒たちを伴って、川端文学を訪ねる軌跡を辿ったその一環でした。
伊豆の踊子像
 天城山を越える旅、4時間余り、かなり急な山道ですので、今でしたら、きつく感じるかもしれません。
 旅するときは、いつも新年度に入る前の3月末、春休み。
 山裾に雪の名残りが残っている頃、でも木々の芽はほころび始めて、枯れ枝も薄赤く色づき、天城峠の冷気が心地よく感じられる美しい季節でした。

 主人公は、下田までの道を旅芸人一座と同行するのですが、その時、年端もいかない踊り子が、彼の事を噂します。
 この場面の文章が私はとても好きなのです。

   しばらく低い声がつづいてから踊り子の言うのが聞こえた。
   「いい人ね。」
   「それはそう、いい人らしい。」
   「本当にいい人ね。いい人はいいね。」
   この物言いは単純であけっぱなしなひびきを持っていた。感情のかたむきをぽいと幼くなげだして見せた声だった。わたし自身にも自分をいい人だとすなおに感じることができた。晴れ晴れと目を上げ明るい山々をながめた。

 川端康成への所感を、今日は取り留めなく綴ってみました。




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