fc2ブログ

新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

ジョイントライヴのお知らせ

   桜花爛漫 
 桜満開になりましたね。

 昨年の今頃は『をみなごに花びら流れ』のコンサートを目前にして、坂口安吾の『桜の森の満開の下』を何度も読み返していたことなど、思い出します。
 4月16日の四谷でのコンサート、まだ散り際の桜が艶やかでしたから、それを思うと、今年は随分早い開花です。

  <桜があんなに美しいのは桜の樹の下に人の屍体が埋まっているからだ>
  <だから桜花は人を狂気に導くのだ>

 科学的には、<桜の花びらには覚せい剤にも似た作用を持つエフェドリンが含有されているからだ>などと聞きますが、それとは対極の、陶然とした美意識でいっぱいだったあのコンサートの雰囲気が、とても懐かしく感じられます。  
 <できればまたいつか再演したい>と今年の桜を見ながら、ふと思ったりしました。

 さて、その桜を写真で。

   <目黒川>
 スタートは一週間前の「目黒川お花見クルーズ」から。
ヤマツピア
 毎年お花見をご一緒するMさん、今回も彼女のアイディアで、最近人気の目黒川沿い桜スポットを船で楽しもうという話になりました。

 東品川の天王洲アイル駅近くに、ヤマツピア桟橋があり、ここから約70分のクルーズが出発します。
数日前、季節外れの雪が降った東京、でも、この日は陽射しも強く急に開花宣言が出されたのでした。
目黒川1 目黒川2
 品川、大崎、五反田、目黒、・・・山手線を追いかけるように、ビルが立ち並ぶ両岸を、筏のような覆いのない小さな舟で目黒川を進む小さな舟旅です。

 まだ3分咲き程でしょうか。辺りの様子を見ながらおずおずと咲き始めたという風情の固い桜です。

   <千鳥ヶ淵>
 目黒川クルーズの翌日、更に眩しい日差しの中で、千鳥ヶ淵を散策してみました。
 一晩で見違えるように開いた花、ニュースでは「今日は満開です」と言っていましたが、でもさすがにまだ花の風情は初々しくて、6分咲位に思えました。
千鳥ヶ淵1 千鳥ヶ淵2
 上野と並ぶ東京のお花見のメッカ千鳥ヶ淵、人出も半端ではなく、ボートハウスも順番待ちのようです。

   <京都・・・我が家の近くの小さな公園にて>
 これは一昨日の写真です。
 京都も東京より一足遅れて咲き始めました。
   桜1
 陽射しと桜に誘われて、いつもは静かな公園が親子連れで賑わっていました。
公園1
 後ろには図書館が隣接しています。
 小さな子供たちがシャボン玉に興じていました。懐かしくあどけない光景に、長閑な時間が流れます。
公園2

 光の中にキラキラした桜と、風を受けながら空に広がるシャボン玉が美しく調和していました。
 シャボン玉がかすかに撮れているのですが、確認できるでしょうか。

   <鴨川 木屋町 高瀬川>
鴨川
 いつもの散歩コースですが、これは昨日の写真です。

 朝陽を受ける四条大橋からの遠景。
 桜と柳が柔らかく両岸を彩って、岸辺に遊ぶ人たちを和ませています。

 四条木屋町は観光客の人並。
 千鳥ヶ淵の風情とはまた違うお花見の賑わいです。
  四条ー木屋町  木屋町3

 毎年親しんでいる高瀬川沿いの桜は満開に近く、殊の外華やかでした。
 お花見に備えて、川を浄化する方たちの姿が見えます。
木屋町2


 川の中央に規則的に、ライトアップのための照明器具がいくつも据えられています。




   
 

    ジョイントライヴが決まりました
 この高瀬川を少し行ったところにライブハウス「巴里野郎」があります。
 最近の京都での私のホームグラウンドとなっていますが、4月27日にジョイントライヴを開催することが決まりました。
巴里野郎パンフ

 日時 4月27日(金)18:30開場 19:00開演 
 出演 堀内環(vocal) 夏原幸子(vocal・朗読) 松峰綾音(vocal・朗読)
     坂下文野(piano) 
 会場 巴里野郎KYOTO  
 料金 5000円(ワンドリンク付)
 

 桜が散り、葉桜のさ緑色が風に揺れる頃、連休の前の週末、今回は通常のお店ライヴとなります。
 私はいつも自主企画のソロコンサートを中心に活動しています。
 その中で、たまにこうしてお店の企画で出演することもあり、これまで二人で共演ということもありましたが、今回のように三人でのライヴは初めての経験です。
 それぞれの個性がより面白く重なり合って楽しいステージになればと、思いが膨らみます。
 堀内環氏とはこれまでも時々ご一緒させて頂いており、今回は4回目の共演となります。
 夏原幸子さんとは初めてのジョイント、まだお目にかかったことはないのですが、演劇出身の方で朗読も取り入れたステージをなさる大ベテランと伺っています。
 新しい出会いの中で、きっとたくさんの刺激を頂けるのではと今からワクワクします。

 ひと月後、よろしかったら皆様どうぞお出かけくださいね。
 お申込み、お問い合わせはいつものようにWEB松峰綾音までお願い致します。



このページのトップへ

「京の冬の旅」 その三 「東福寺・即宗院」

 さて、前回、前々回に引き続きまして、<京の冬の旅 非公開文化財特別公開 観光バスの旅>、今回で最終回、今日は「東福寺 即宗院」を詳しくガイドしてみることにします。束の間の京都歴史探訪をお楽しみください。

 その前に、まだお読みになっていらっしゃらない方は、「京の冬の旅」その一 序章「京の冬の旅」 その二 幕末の足跡を先にご覧下さい。
 
   「東福寺 即宗院」 
   <続く道>
 2015年9月、もう2年半前となりましたが、「東福寺即宗院」主催の「採薪亭演奏会」に出演させて頂く機会を得ました。
 (その折掲載したブログ記事1ブログ記事2、はこちらです)

 「採薪亭(さいしんてい)」とは、東福寺の塔頭(たっちゅう)、即宗院(そくしゅういん)の境内にあった茶亭(焼失して現存しない)で、西郷隆盛が新撰組や幕府の追っ手を逃れて参謀の隠れ家とした場所、月照上人と幕府転覆の密議を交わした庵でもあります。
 これに因み、即宗院では、年に一度「採薪亭演奏会」という音楽会を開催なさっています。
 私はこれまでに東福寺を何度か訪れているのですが、ただ、コンサート絡みの打ち合わせでしたので、この度、即宗院でも非公開文化財の特別公開があることを知り、改めてその史跡を味わってみたいと思ったのです。

ガイドの旗

 「即宗院」に向かいます。

 ガイドさんの旗の後を離れず歩き続けることに、いつの間にかすっかり慣れてきました。 

 三門に向かう足取りをふと止めて目を上げると、遠くに通天橋。
 苔が青々と白塀に映え美しく続き、やがて東福寺境内へ。
通天橋 白壁

 広大な境内の北東側に「偃月橋(えんげつきょう)」が現れ、この橋を渡ると「即宗院」の山門です。
えん月橋  即宗院山門

   <即宗院 庭園・宝物>
 室町時代に薩摩の大名・島津氏久の菩提を弔うために創建されたという東福寺の塔頭寺院「臥雲山(がうんざん) 即宗院」。
 島津藩の菩提寺として、とりわけ幕末・維新の歴史に深い関わりを持ってきた寺院で、その史跡が今も多く残されています。 
小門
 更に小門を進むと、端正な美しい庭園が開けます。

 近衛家が御所の東御堂として建立し、その子である藤原兼実が、この地を山荘「月輪殿(つきのわどの)」と名づけた。
 現在の即宗院の庭園は、その跡地であり、寝殿造系庭園の原型を留めた自然の景観のある庭園が昭和52年に、往時のまま復元された。


 やはりここでもボランティアガイドの若い方たちが甲斐甲斐しくガイドを務めていましたが、いつもはお忙しくてなかなかお話を伺うことが出来ないという、前ご住職がこの日はお出ましになり、軽妙でわかりやすい語り口の中に、寺院の歴史、幕末の群像との関わり合いを詳しく説明して下さいました。
 その中に、さりげなく織り込まれ、語られる法話が、しみじみと心に沁み入り、心地よい余韻が残りました。
 
 自然を生かしながらも端正に設えられた庭園にどこか懐かしい温かみを感じましたが、4000坪もあるというこのお庭の手入れは庭師を入れず、殆どをご自身でなさっていらっしゃるとのこと。
    庭3
 『若い頃、師匠である先代の住職に修行の極意を尋ねたところ、「何も考えず、ただ庭の手入れだけをしていればよい」と言われた。何のことだか充分に理解しないままに何十年間その教えを守ってきて、今ようやく「自然の中にある」意味が分かってきたところなのです』と静かに語られていたのが印象的でした。
 お話を伺いながら、<晴耕雨読、花鳥風月に心を寄せる生活の如何に芳醇であるか>が思われました。

 本堂では島津家ゆかりの品々、篤姫が将軍家輿入れの際に立ち寄り使用した火鉢等々、また、勝海舟が譲り受けたという西郷直筆の掛け軸や、西郷の座右の銘『敬天愛人』と記された書、慶喜自筆の掛け軸など、貴重な宝物が特別展示されていました。

 西郷の憂国の思い、同朋への愛、海舟との通じ合う絆、篤姫の心情、慶喜が置かれた立場と生き方・・・・和尚様が語られる一つ一つの品の由緒は、幕末の群像それぞれの生き方や思いを映し出す生き証人のようであり、この日一日、訪れた寺社の映像と重ね合わさって、この時代の息使いが聴こえてくるような気がしました。

   <東征戦亡の碑>
 慶応4年の鳥羽伏見の戦いでは、西郷はここを薩摩軍の屯所とし、裏山に砲列を敷いて、幕府軍に砲撃を加えたという。
 更に、明治維新で戦死した霊を供養するため、明治2年には、「薩摩藩士東征戦亡の碑」を建立した。


 塔頭を出て、裏山の山頂に向かいます。
 砲撃は京都を攻撃するためではなく、洛中に大砲の音を響かせて脅すための示威行為だったといわれています。
彩薪亭跡
 嘗て、茶亭「採薪亭」があったのは裏山に向かうこの辺り。
 今でも狸 猿、猪が出没すると聞きましたので、当時はどんなにか寂しい場所だったか、でも、隠れ家には最適だったことが頷けます。
碑に向かう道

 急な石段をひたすら登り、「東征戦亡の碑」に辿り着きました。

 鳥羽伏見の戦いや戊辰の戦闘で戦死した524名の薩摩藩士の霊を供養するため、西郷は半年ほど斎戒沐浴を行い、戦死者の名前を揮毫し、自筆の「東征戦亡の碑」を建立した。
 西郷の弟の吉二郎や西郷の縁者の名もある。正面の碑は西郷の自筆で、薩摩から出て大政奉還までの足跡が書かれている。

東征戦亡の碑
 
苗字のない下級の兵隊の名前まで一人一人漏らすことなく、西郷自身の手で名を刻んだのだそうです。
全部で5機設置されており、全てが故郷の鹿児島に向いて、西向きに置かれてあります。

西郷謹書

「西郷隆盛謹書」と読み取れますね。

・・・・・・

こうして、この日の観光バスツアーは終わりを告げたのでした。
西郷隆盛を中心とした幕末追体験の小旅行、三回に渡る長い記事になってしまいましたが、楽しんで頂けたでしょうか。
 
実は西郷隆盛と京都との縁はこれに留まらず、彼が奄美大島に遠島になった時、結ばれた妻との間に設けた息子、菊次郎が、長じて父とともに西南戦争に従軍し、父亡きあと、1904年、第2代の京都市長に就いているのです。
第二琵琶湖疏水の建設、上水道の建設、道路拡築、市電敷設という大事業に取り組み、京都の近代化に貢献した立志伝中の人物で、京都の近代化のリーダーとなったのです。

 ・・・・・・・

 生活しているとつい見逃しがちになってしまいますが、京都は歴史の宝庫、折に触れ、これからもっと興味を広げて様々な散策をしてみたいと思います。
心の風景もきっと広がってゆきますよね。

 そして、今年9月23日には、2015年に続いて再び「採薪亭演奏会」に出演致します。
最善を尽くしますので、あと半年後、どうぞ皆様お越しくださいますように。



このページのトップへ

「京の冬の旅」 その二 幕末の足跡

 お待たせ致しました。
 前回の記事「京の冬の旅」その一 序章の続きです。

   「清水寺成就院」~西郷隆盛と月照上人
 前回は観光バスに乗り込んだところまで、お話ししましたね。
 バスは最初の観光スポット、東山にある「音羽山 清水寺 成就院」に向かいました。

 産寧坂(さんねんざか)駐車場で下車、ここから清水寺へ向かう急坂を上るのですが、一年中大変な人だかり、京都中で、或いは日本の観光地の中で、一番人口密度が高いのではと思ってしまいます。
 そして今や日本語を凌駕し、様々な外国語がテンション高く飛び交ってもいます。
 バスの仲間たちはその熱気に押されて、黙々と清水坂を歩き続けました。

 やがて清水寺に到着。
 仁王門、西門、三重塔、その奥に清水の舞台も見え隠れしています。
2379 2398
 着物姿の女性も目に立ちますが、京都でのこの数年のレンタル着物の流行はすっかり定着してきて、海外からの観光客も着物を着て街を歩き、記念撮影するのが常道になっています。最初は派手な柄や色彩などに驚いたものの・・もう目は慣れています。

 桜の枯れ枝も赤味を帯びてきて、あと少しで花の季節ですね。
2378
トランペット100人の演奏をする西門の化粧直しももう終わり、朱塗りの門が鮮やかに目に飛び込みます。

何を見ても6月21日に繋がり・・・。


2387




目的地の「成就院」に到着。

この日、ツアーで巡ったお寺は全て室内外撮影禁止でしたので、写真でご紹介できず残念です。
(音楽の祭日の打ち合わせのときの記事をご覧下さい。)

 高台寺山を借景とした「成就院」の庭園は、古来より「雪月花の三名園」の一つ“月の庭”と称されており、国の名勝に指定されています。「成就院」は、幕末の勤王僧として知られた月照上人とその実弟、信海上人が住職を務めたことで知られるほか、西郷隆盛や近衛忠煕(このえただひろ)らが集まって密談が行われたとも言われます。今回は、安政の大獄で幕府から追われた西郷隆盛と月照上人が、鹿児島湾で入水した時に身に付けていたとされる衣や、月照、信海両上人の木像などの寺宝も展示されます。

 上記観光案内の解説にある、小堀遠州作の「月の庭」、どこまでも続いているように見えますが、実は広さ自体はそれほどではなく、周囲の山を借景に取り込み、遠近法も巧みに取り入れて、広がりを演出していることがよくわかりました。
 そして「月の庭」と銘打っているにもかかわらず、縁先に廂(ひさし)が大きく伸びているため、見上げても月を見ることはできません。
 月は直接眺めるものではなく、庭の中心にある池に、月が映るのを楽しむのだとのこと、古の都人の観月とはかくあるもの、幽玄な、まさに陰翳礼賛の日本の美学だと感じ入ってしまいました。

 すでに幕府方に、その行動を危険視されていた月照上人は、安政の大獄で、京都を追われ、鹿児島、薩摩藩に身を置きますが、西郷隆盛と共に、島流しされます。その途中、死を覚悟した二人は、錦江湾に身を投げます。月照上人、享年46歳。その弟である信海上人も捕えられ、獄死したと伝えられます。西郷隆盛は、一命を取り留め、その後、薩摩に戻され、幕府打倒へと、その力を注ぎます。

 西郷隆盛と月照上人の着物は、私が想像の中で描いていたものとは違って、サイズも普通、柄も普通で、今でもそのまま着ることが出来そうな、あまりにもあたり前すぎるように思われました。
 歴史に思いを馳せているうちに、身に着けていた衣までもがどこか特別でなければならないと思い込んでいたのでしょうか。
 西郷さんも月照上人も、血肉の通った一人の人間で、今という時間の流れを遡って存在していたのだと、そのことが妙に生々しく思われ、遠い歴史の彼方に居た人に急に引き寄せられた気がしました。

 <今という時間、今居る場所は長い歴史の中のただの一点に過ぎないけれど、でも確実に人が受け渡してきた時間の延長上に人間の存在がある>という、当然のことが身に迫って感じられる感覚、大仰な言い方をすれば、最近友人と話したプルーストの『失われた時を求めて』を彷彿とさせられるような感覚とでも言えるでしょうか
 プルーストが語る「人間は超時間的存在である」ということと、歴史を丹念に辿ってみることとは一見対極にあるように思われますが、実は同じなのではないかという奇妙な実感です。

 飛躍するのですが、少しぼんやりとした頭で、3カ月半後には、ここで座談会が行われ、自分もその中に居るのだと思っていました。

 さて、そうこうしているうちにお昼。
産寧坂の途中にある日月庵というお店で、皆で懐石弁当を頂いた後、午後の部へと移りました。
2402 2405
 お店の坪庭に咲いていた赤い椿と花桃が鮮やかに春を彩っています。

   「宝鏡寺」~皇女ゆかりの寺
 臨済宗の尼門跡寺院である宝鏡寺は、歴代の皇女が住職を務めた由緒ある寺院。天皇から贈られた人形や襖絵に、気品が漂う。
2414 2407
 地元では「人形の寺」とも呼ばれる、人形供養で有名なお寺です。
 私も以前、奥深くずっと仕舞い込んでいた雛人形を、さんざん迷った挙句、思い切ってこのお寺に納めたことがありました。
2409
 この時期は「春の人形展」が開催されていて、孝明天皇遺愛の人形や、宮中から贈られた雛人形などが展示されて雅やかな雰囲気を伝えていました。

この「宝鏡寺」が「幕末・維新の歴史を訪ねて」のツアーコースに含まれているのは、公武合体の為、徳川家に降嫁された皇女和宮に縁の深い寺社であったからで、和宮の遺品の数々が今もそのまま残されていて、この動乱の時代に巻かれ数奇な運命を辿った彼女の姿を彷彿とさせていました。

   「常林寺」~海舟が愛した庵
 通称「萩の寺」で知られる「京の冬の旅」初公開の「常林寺」では、勝海舟が常宿にしていたという書院が特別公開される。本堂のきらびやかな仏像や天井絵も必見。
2415
 戊辰戦争時に幕府代表として西郷隆盛と会談し「江戸城無血開城」を成し遂げた勝海舟が京都での常宿とし、時には坂本龍馬も逗留したという、それぞれの部屋が公開されていました。
 陽の深く射す明るく清楚な客間でしたが、どこか田舎の親戚の家に泊まりに来たような和やかな気安さも漂っていて、都の豪奢な設えとも、幕末の緊迫した世界とも、無縁のまま時が流れているという印象を受けました。
 「萩の寺」もさることながら、地元では「世継ぎ子育て地蔵尊」として人気のあるお寺でもあります。
 質実剛健で下町江戸っ子気質の海舟が、束の間、寛いで逗留できた場所だったのでしょう。

 観光コースは後一つ、「東福寺即宗院」を残すのみとなりました。
 でも、長くなりましたので、ここでまた一休み。
 今度はすぐに続きを掲載致しますね。
 今回の見学を通して、特に強く、西郷隆盛、そして幕末・維新の空気を感じることが出来た場所でしたので、更に気合を入れてご報告したいと思います。どうぞお楽しみに。



このページのトップへ

「京の冬の旅」 その一 序章

   初春初舞台
 しばらく記事をUPできず申し訳ありませんでした。
 いつの間にか3月となり、昨日はお雛祭り、桃と菜の花の愛らしく柔らかい色合いに包まれる幸せな季節ですね。
 でも、この数日は「5月並みの暑さ」とのこと、汗ばむほどの陽気の中、突然・・・毎年のことながら、花粉症の始まりは特に重篤で、目下、起きていられないほどの自覚症状に呻いております。
 出来ることなら、一歩も外に出ず、穴倉に入って逼塞していたいほどの気分なのですが。

 数日前、東京で。
 本郷にある宝生能楽堂で観劇の機会を得ました。

 懇意にして頂いている知人が宝生流の高名な能楽師で、自ら淑宝会という一門会を主催していらっしゃるのですが、その舞台にこの度、お孫さんお二人が初デビューをなさるということで、京都から駆けつけたのでした。
能舞台
 まだ幼い姉弟が能舞台に端然と佇み、舞い、まさに一対の雛人形のように清々しい風情です。
 緊張して唇をぐっと噛みしめながら、仕舞を舞う姿が本当に初々しく可愛らしかったのですが、この日の舞台には、一足早くデビューした、もう一人のお孫さん(一番年下の男の子)も出演していて、こちらは既に二年ほどのキャリアがあるだけあって、能一番、「船弁慶」の義経の役で、身じろぎもせず一点を見つめる眼差しも凛々しく、台詞の口跡も堂々としたものでした。

 地謡を吟じるのはお祖父様と、お父様。
 少し心配そうな、でも嬉しそうな面持ちで、お二人ともじっと小さな役者たちを見つめます。
 ご自身が長きに渡って極めていらした芸道の道に、今、息子さんと、そして小さな後継者たちが立ち、共に同じ舞台に在ることを、どんなにか感慨深く感じていらっしゃることでしょう。 
 夏の朝夕、窓越しに聞こえてくる、お孫さんたちにお稽古をつける声は彼らが2~3歳の頃から始まっていたように思います。
お祖父様の吟ずる謡曲の美しい響きに可愛い声が唱和する、そんな風に、父から子供、孫へと脈々と繋いでゆく、日本の伝統文化の厚みを改めて感じた時間でした。
 
 京の冬の旅  
 さて、京都に戻った一昨日ですが。
 今度は、「京の冬の旅『非公開文化財特別公開を巡る定期観光バス特別コース」にチャレンジしてみました。

 <春の桜、秋の紅葉、だけではなく、冬の京都にも是非!>ということで、京都市観光協会が肝入りで開催している「京の冬の旅」のキャンペーンももう既に52回を数え、特に今年は「明治維新150年記念」の大々的な企画を打ち出しているのです。

 京都市と京都市観光協会は2018年1月6日から3月18日にかけて、JRグループ6社共同による「京の冬の旅」キャンペーンを開催する。第52回目となる今回のテーマは「明治維新150年記念」と「西郷隆盛」。
期間中は、幕末や明治維新、西郷隆盛ゆかりの寺院などで非公開文化財特別公開を実施。例えば、勝海舟が常宿にしたという「萩の寺」(常林寺)、明治期の傑像ゆかりの寺・閑寂の庭園(相国寺 豊光寺)など複数の寺院で初公開を実施。そのほか、合計15ヶ所が公開になる。
ゆかりの地を定期観光バスで巡る特別コースや、「伝統産業・文化」、「朝観光・夜観光」、「京の食文化」の視点からさまざまなイベントを実施する。

冬の旅パンフ
 国内外を問わず、旅行は自分流にこだわって、普段からツアー旅行の参加は皆無に等しいですし、従って観光バスに乗ったこともこれまで殆どないのですが、今回何故かふと思い立ったのでした。

 街のそこここに京都市観光協会のポスターが張られ、これまでになく宣伝が行き届いているので・・思わず乗せられてしまったのでしょうか。
 「~明治維新150年記念・大河ドラマ「西郷どん」放映~京の幕末・維新の歴史をたずねて」
 という長いタイトルの、この時期限定の定期観光バス特別コースL4というのを選びました。
L4コース 以下がL4コースの行程です。

 非公開文化財特別公開は、普段見られない寺院や文化財をこの時期だけに特別公開するもので今回は全15か所。うち京の冬の旅初公開が7か所、2018年に150年を迎える明治維新、NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」の放映で注目される西郷隆盛にスポットを当てたゆかりの地は8か所となっています。
 このコースは以下の4か所、大河ドラマ「西郷どん」放映にちなんで、かつて明治維新で活躍した先人たちのゆかりの地を巡ります。
  『清水寺 成就院』庭園「月の庭(名勝)」
  『宝鏡寺』孝明天皇遺愛の人形や和宮ゆかりの寺宝展示
  『常林寺』阿弥陀三尊像や岸竹堂筆の壁画 他
  『東福寺 即宗院』島津家ゆかりの寺宝や徳川慶喜筆の掛け軸など特別展示


 私の専門は、元々近代日本文学で、特に明治黎明期辺りに焦点を当ててきましたので、「幕末・維新の歴史」は得意分野、それに加えて、このコースには「清水寺 成就院」と「東福寺 即宗院」の見学が入っていることが決め手になっています。

実は二か所とも何度か足を運んだことがありよく知っている場所ではあるのですが、どのように観光ガイドされているのか、改めてゆっくりと味わってみたかったのです。
なぜかと言えば・・・
前々からご案内しているように、「清水寺 成就院」は6 月21日に「音楽の祭日 記念座談会」が行われる会場、「音楽は国境を越える 世界友愛の祈り」のテーマで司会を仰せつかっています。
成就院 即宗院
 一方、「東福寺 即宗院」は「採薪亭演奏会」の主催元、9月23日にソロコンサートをとご依頼くださった塔頭なのです。

 今年、関わることになるこの二つのお寺が、共に西郷隆盛と深い縁のある歴史的に重要な寺社であるということで、特に脚光を浴びていますし、そういう観点から改めて学ぶことが出来たらと考えたのでした。
  ・・・大河ドラマを見るのは実は10年ぶり位なのですが、『西郷どん』、今年はしっかり見てみようと思い、毎週録画も怠っておりません。・・・笑顔が優しくナイーヴで心穏やかな、意表を突く西郷さん像で結構はまります。・・・

 さて、そんなわけで、午前10時20分、烏丸口の正面、観光バス乗り場に集合です。
舞妓さんのイラストが入った特別仕立てのバスが入ってきました。
観光バスチケット売り場 観光バス
 春一番が吹き荒れるという予報を覆す麗らかな空模様で、コートも不要で過ごした一日でした。
 平日ということもあってか総勢15名で、大型バスにはゆったりし過ぎではありましたが、でもじっくりとガイドに集中することができた気がします。
 同乗した方たちは、親子、ご夫婦、サークル仲間といった感じの年配者が多く、独りで参加したのは私だけでした。
 そして、揃って歴史好きとお見受けしました。
 バスの中では早速、最近テレビで見た歴史探訪の番組、本で読んだ幕末秘話のお話が熱く飛び交っていましたし、バスガイドさんもベテランの本格的歴女、16時30分に解散するまで、ずっと熱心に京都の街、歴史、人物について、興味深く語り続けて下さって、西郷隆盛も勝海舟も明治天皇も皆親しい友人か家族のように、愛情がこもった話しぶりで、これこそがプロと、何だかとても感動してしまいました。
 
 京都市と京都観光協会がタイアップした特別企画だけあって、それぞれのお寺にきちんとしたボランティアガイドの方たちが何人も配されて対応も行き届き、詳細にして明快な説明、侮るなかれ、こういう旅もお奨めです。

 小さな旅の序章、バスが出発するまでのお話は本日はここまで。
 「清水寺 成就院」から始まるお寺巡りは次回の「その二」に記したいと思います。

どうぞお楽しみになさって下さい。



このページのトップへ