
お正月もいつの間にか遠くなっていきますが、新年に心に残った二つのエピソードを、今日は記してみたいと思います。
ハー君の呟き
私の新年はいつも両親の暮らす逗子を訪れることから始まります。
今年も親族総勢11人での賑やかな幕開けでした。
最年少は、今年3歳のハー君、まん丸い笑顔が飛び切り可愛い男の子です。
二人姉弟で、お姉ちゃんはこの4月に小学校入学を控えたおしゃまさん、一年前に比べると二人とも見違えるようにしっかりしてきて、子供の成長は本当に早いです。
月日は確実に過ぎているということなのでしょうね。
昨年は言葉もおぼつかなかったハー君ですが、今年は堰を切るように流暢に言葉を操れるようになって、好奇心に目をキラキラ輝かせていました。
自分達二人に周りの大人が注目して、目を細めて可愛がってくれることを・・・・お正月はそういう特別感が強いですし、・・・それぞれ敏感に察知して、それが嬉しくってたまらないのでしょう。事ある毎に注目される言動を誇示します。
女の子の方は、大人に甘えるしぐさがコケティッシュでさえあり、実に興味深いと改めて思ったのでした。
「ハー君には好きな女の子がいるんだよね」とお姉ちゃんからの突然の暴露。
男の子は急にどぎまぎし出して、それを見ていたら、思わず吹き出しそうになってしまいました。
皆で「なんていう名前の子なの?」と問いかけてみると。
「言わない・・・」
「知りたい?」
「どうしても?」
これは、話したくて仕方がないという意志表明ですので、
「どんな女の子なの?教えて!」と尋ねてあげました。
「あのね。<ひ>がつくの。」
「ひろみちゃん?」
「ひろこちゃん?」
「違うの・・・ひなのちゃん」
「ひなのちゃん、可愛い名前ね。」
「うん。」
嬉しそうなハー君の声。
ここからはお姉ちゃんの独壇場、弟の想い人<ひなのちゃん紹介>が始まりました。
嬉しそうな、恥ずかしそうな、ハー君なりの甘酸っぱさを噛みしめているのかしら?たった3歳なのに。
何だかほのぼのとして、人って良いものだな、なんて思ってしまいました。
元旦の晩餐、やがて大人たちの話で盛り上がります。
健康、仕事、人間関係、etc。
じっと黙って独り遊びをしていたハー君が、ポツリと呟くように一言。
「みんな大変だ。」
そうだね、ハー君の言うとおりだと、一同深く頷いたひと時でした。
篠田桃紅氏 105歳の言葉
1月3日、何気なくテレビをつけたらNHKで『日々新たなり 篠田桃紅 105歳を生きる」という番組を放映していました。
途中からだったのですが、思わず映像に釘付けになってしまい、気がついたら最後まで見入っていました。

5歳から書の手ほどきを受け、書家として立つことを決意した篠田桃紅さん。1956年に渡米して、抽象表現主義絵画が流行していたニューヨークで、文字を離れて墨の抽象画(墨象)を描くようになられました。まずは、彼女のプロフィールをご紹介します。
ニューヨークを拠点に全米をはじめヨーロッパ各地で個展を開催し、第2次世界大戦後、墨を使った抽象美術家としていち早く国際的に高い評価を受けた日本人芸術家の1人となりました。帰国後もレリーフ・壁画などの建築物に関わる大作を手がける一方、版画・題字・随筆などさまざまな分野に活動を広げていきました。多くの作品が、国内外の美術館や公共施設に収蔵されています。桃紅は現在も国内外において個展を開催し、精力的に創作活動をおこなっています
105歳の現在も、現役第一線で独自の世界をなお探求していらっしゃる素晴らしい方です。
そして<番組の紹介文>です。
篠田桃紅、105歳。書道家から出発して「墨の抽象画」という独自の境地を拓(ひら)き、世界的な評価を得てきた。生涯独身を貫き、今もアトリエ兼自宅で一人暮らしを続けながら、なお新しいものを生み出そうと格闘している。時に自問自答し、特に自虐や毒舌で笑わせながら、縦横無尽に語る篠田。「この年になると生き方の手本はない。自分で編み出さなくては」という篠田の日々を見つめ、驚異の言葉の数々に耳を傾ける。
テレビの映像には、現在も日々筆を持ち続けている創作の様子が粛々と映し出されて、その端然として動じない眼差しと、鋭い気迫とが、圧倒的な力で迫ってきました。
桃紅さんの歯切れの良い語り口も、含蓄に満ちた言葉一つ一つも、美しい詩のように、薫り高く心に沁み入ってきます。
番組を見てからというもの、沢山の言葉が、ずっと胸の中を回り続けているのですが、その幾つかを(メモを取らなかったので言葉は正確ではないかもしれませんが)ここに記してみます。
『老いることはマイナスだけじゃない。その年齢だから発見できることが日々ある。その発見の面白さがあるからこうしてワクワクしながら毎日筆を持つのよ。面白くなければ挑戦しない。』
『昔のことを思い出してるようではダメ。今これからが大切なのだから。』
『人はみんな孤独なのは当たり前。どんなに好きな人でも自分とは違う。孤独だからこそ、一切が私のものと言えるのでしょう。』
『私は、もう半分死んでいる。自然の一部、自然そのものにどんどんなってゆくのを感じている。』
そして、「桃紅」という自らの名前の由来を禅宗の次の言葉を引いて説明していらっしゃいました。
「桃紅 李白 薔薇紫 問 起春風 總不知。」
(桃は紅く、李は白く、薔薇は紫、これを春風に問えども総に知らず)
桃の花が紅く、すももの花が白く、バラの花が紫色に咲いている。その理由を春風に尋ねてみても、ただわからないというだけだ、という意味。
『春の風はひと色でどの花にも同じように吹くのに、それぞれの花はそれぞれの色で咲き誇っている。人はみんな、それぞれに自分の色で自然に咲けば良いということなのよ。』
と語った桃紅さんの言葉から、一途に生き抜いてきた人の揺るぎない美しさを感じました。
最近も次々と随筆を発刊されていらっしゃるのでご紹介してみます。

『103歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』 (幻冬舎文庫)
『105歳、死ねないのも困るのよ』(幻冬舎)
『桃紅105歳好きなものと生きる』(世界文化社)
私も早速読んでみたいと思います。
ハー君の呟き
私の新年はいつも両親の暮らす逗子を訪れることから始まります。
今年も親族総勢11人での賑やかな幕開けでした。
最年少は、今年3歳のハー君、まん丸い笑顔が飛び切り可愛い男の子です。
二人姉弟で、お姉ちゃんはこの4月に小学校入学を控えたおしゃまさん、一年前に比べると二人とも見違えるようにしっかりしてきて、子供の成長は本当に早いです。
月日は確実に過ぎているということなのでしょうね。
昨年は言葉もおぼつかなかったハー君ですが、今年は堰を切るように流暢に言葉を操れるようになって、好奇心に目をキラキラ輝かせていました。
自分達二人に周りの大人が注目して、目を細めて可愛がってくれることを・・・・お正月はそういう特別感が強いですし、・・・それぞれ敏感に察知して、それが嬉しくってたまらないのでしょう。事ある毎に注目される言動を誇示します。
女の子の方は、大人に甘えるしぐさがコケティッシュでさえあり、実に興味深いと改めて思ったのでした。
「ハー君には好きな女の子がいるんだよね」とお姉ちゃんからの突然の暴露。
男の子は急にどぎまぎし出して、それを見ていたら、思わず吹き出しそうになってしまいました。
皆で「なんていう名前の子なの?」と問いかけてみると。
「言わない・・・」
「知りたい?」
「どうしても?」
これは、話したくて仕方がないという意志表明ですので、
「どんな女の子なの?教えて!」と尋ねてあげました。
「あのね。<ひ>がつくの。」
「ひろみちゃん?」
「ひろこちゃん?」
「違うの・・・ひなのちゃん」
「ひなのちゃん、可愛い名前ね。」
「うん。」
嬉しそうなハー君の声。
ここからはお姉ちゃんの独壇場、弟の想い人<ひなのちゃん紹介>が始まりました。
嬉しそうな、恥ずかしそうな、ハー君なりの甘酸っぱさを噛みしめているのかしら?たった3歳なのに。
何だかほのぼのとして、人って良いものだな、なんて思ってしまいました。
元旦の晩餐、やがて大人たちの話で盛り上がります。
健康、仕事、人間関係、etc。
じっと黙って独り遊びをしていたハー君が、ポツリと呟くように一言。
「みんな大変だ。」
そうだね、ハー君の言うとおりだと、一同深く頷いたひと時でした。
篠田桃紅氏 105歳の言葉
1月3日、何気なくテレビをつけたらNHKで『日々新たなり 篠田桃紅 105歳を生きる」という番組を放映していました。
途中からだったのですが、思わず映像に釘付けになってしまい、気がついたら最後まで見入っていました。

5歳から書の手ほどきを受け、書家として立つことを決意した篠田桃紅さん。1956年に渡米して、抽象表現主義絵画が流行していたニューヨークで、文字を離れて墨の抽象画(墨象)を描くようになられました。まずは、彼女のプロフィールをご紹介します。
ニューヨークを拠点に全米をはじめヨーロッパ各地で個展を開催し、第2次世界大戦後、墨を使った抽象美術家としていち早く国際的に高い評価を受けた日本人芸術家の1人となりました。帰国後もレリーフ・壁画などの建築物に関わる大作を手がける一方、版画・題字・随筆などさまざまな分野に活動を広げていきました。多くの作品が、国内外の美術館や公共施設に収蔵されています。桃紅は現在も国内外において個展を開催し、精力的に創作活動をおこなっています
105歳の現在も、現役第一線で独自の世界をなお探求していらっしゃる素晴らしい方です。
そして<番組の紹介文>です。

テレビの映像には、現在も日々筆を持ち続けている創作の様子が粛々と映し出されて、その端然として動じない眼差しと、鋭い気迫とが、圧倒的な力で迫ってきました。
桃紅さんの歯切れの良い語り口も、含蓄に満ちた言葉一つ一つも、美しい詩のように、薫り高く心に沁み入ってきます。
番組を見てからというもの、沢山の言葉が、ずっと胸の中を回り続けているのですが、その幾つかを(メモを取らなかったので言葉は正確ではないかもしれませんが)ここに記してみます。
『老いることはマイナスだけじゃない。その年齢だから発見できることが日々ある。その発見の面白さがあるからこうしてワクワクしながら毎日筆を持つのよ。面白くなければ挑戦しない。』
『昔のことを思い出してるようではダメ。今これからが大切なのだから。』
『人はみんな孤独なのは当たり前。どんなに好きな人でも自分とは違う。孤独だからこそ、一切が私のものと言えるのでしょう。』
『私は、もう半分死んでいる。自然の一部、自然そのものにどんどんなってゆくのを感じている。』
そして、「桃紅」という自らの名前の由来を禅宗の次の言葉を引いて説明していらっしゃいました。
「桃紅 李白 薔薇紫 問 起春風 總不知。」
(桃は紅く、李は白く、薔薇は紫、これを春風に問えども総に知らず)
桃の花が紅く、すももの花が白く、バラの花が紫色に咲いている。その理由を春風に尋ねてみても、ただわからないというだけだ、という意味。
『春の風はひと色でどの花にも同じように吹くのに、それぞれの花はそれぞれの色で咲き誇っている。人はみんな、それぞれに自分の色で自然に咲けば良いということなのよ。』
と語った桃紅さんの言葉から、一途に生き抜いてきた人の揺るぎない美しさを感じました。
最近も次々と随筆を発刊されていらっしゃるのでご紹介してみます。



『103歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』 (幻冬舎文庫)
『105歳、死ねないのも困るのよ』(幻冬舎)
『桃紅105歳好きなものと生きる』(世界文化社)
私も早速読んでみたいと思います。


