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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

雛祭り 雑感

   花粉症 今年は大変です
 2月後半から悪化して、ついに寝込んでしまいました。
スギ花粉
 倦怠感と頭痛と微熱とで、風邪にかかったような、でもやはりれっきとした花粉症、皮膚疾患まで加わり、目や喉は勿論、顔や手まで赤く腫れて、本当に参っています。
  「どんどん重症になるのはそれだけまだ細胞が若くて活性化しているという事ですから」とのお医者様の慰めの言葉に、
「・・・・。」
 では、ひたすら後二カ月は耐えるしかないかと、もはや諦めの境地です。
 皆様は如何ですか。
 そのようなわけで、目下、共に花粉症を語り合う仲間募集中です。

    雛祭り 
 花粉の中でぼんやりと過ごしていたら、いつの間にか三月になりました。
 今日は雛祭り。
 
 幼い頃、両親が奮発して買ってくれた優美な七段飾りの雛人形が大好きでした。
 お雛祭りが近づくと、雛段を組み立て、赤い毛氈をかけ、和紙に包んだ雛人形をそっと箱から出して飾ってゆく母の柔らかい手つきをうっとりと見ていました。
 箱の中から樟脳の香りが漂って来て、春の到来を幼心に感じていた気がします。
 雛壇の横に桃の花と菜の花を活けて、雛あられや桜餅をお供えし、おすましの顔をして撮って貰った毎年のお節句の写真が古いアルバムに今も残っています。
 ひな祭り
 京都ホテルオークラのロビーに飾られていた七段飾りの雛人形を見ていたら、そんなことを懐かしく思い出しました。
今晩の夕食は、お雛祭りの日のご馳走だったちらし寿司にしようと思います。
菜の花


 和菓子屋さんの店先には桜餅やひし餅に並ぶ行列があって、これも京都らしい情景、こういうこだわりって良いですね。



   
    土佐文旦
 私はグレープフルーツが大好きで、ほぼ毎朝、朝食時に頂いています。
 オレンジも温州ミカンもポンカンも、柑橘類は全て好物なのですが、先日、初物という事で、友人が立派な土佐文旦を沢山送って下さいました。
文旦
 瑞々しく薫り高く、さっぱりとした味でとても美味しいのです。
 惜しみながら頂いて、今残りは三つ。今日はフルーツサラダにしてみようと思います。
 
 皮が厚く、でも柔らかいので、これはと思い、昨日、文旦マーマレードを作ってみました。とりあえず大成功!
 他の柑橘類と一味違う和風の苦みがとても美味しく感じられます。
 菜の花の酢味噌和えの上にたっぷり乗せると、料亭風、なかなか乙でお勧めです。

   相続と断捨離
 ふと目にした小冊子の中で、作家の五木寛之氏が、お話しされたこんな文章の一節が心に残りました。
 
  「物の相続ではなくて、心の相続。
 断捨離で物を捨てるのではなく、物の中にある思い出に囲まれて暮らすのも良い。思い出を懐かしむだけでなく、人に会い、声を通して聞くこと、語ることで、私たちは精神を活性化しながら「100歳人生」を生き抜けるのでは、とふっと考えたりします。」

 「百年人生を生きる」をテーマにした金融機関(三菱UFG信託銀行)のセミナーでの講演の一節なのですが、昨年相続税法が改正され、今年から施行されるという事もあって、最近とみに「相続」や「遺言」などの問題がクローズアップされていますね。
 
 金融関係の方の講演と対比して、五木氏の講演は作家らしく心の有りように焦点を当てたお話だったようです。

 大仰かもしれませんが、先ほどの「雛人形」や「ちらし寿司」も五木氏流に言えば、一種の「心の相続」ということになるのでしょうか。

 いささかロマンチックすぎる目線かもしれませんが、<家を継ぐ>とか<名を継ぐ>とかいう事も、実は物の相続の前に、心をどう負って引き受けてゆくのかという問題なのではないかと思うのです。
 <財産を受け継ぐ>ことも、本来はその延長上にあることかもしれませんね。
 更に言うなら、<文化の継承>も、そのこだわりと責任の中にあるとも言えるのではないでしょうか。

 高齢になった両親が、最近、頻繁に片づけのことなどを話題にしているので、そんな場面と重なって色々なことを考えてしまいました。

 私の両親の世代は、たぶん一様に、物を大事にし、捨てることに抵抗が強いようです。
 その結果、物が溢れ過ぎ、何とか整理したいと思うジレンマも生れてくるのでしょうね。

 「断捨離」の考えからすれば、言語道断かもしれませんが、でも物は、それと関わってきた人の個人的な思いと連動しますので、傍目には不用品でも、当事者にとっては思い出深い宝物になり得るのでしょう。

 「物の中にある思い出に囲まれて暮らすのも良い。思い出を懐かしむだけではなく・・・・」

 の言葉に,片付け大好きの私ではありますが、全面的に共感します。

 物と、物に宿るものとを、大切に受け継ぎながら、受け継いだものを噛みしめながら、でもそこに埋没しないで日々新たに生き直してゆけたら素敵ですね。


 花粉症のぼおっとした頭に色々なことが流れてゆく、雛祭りの夕餉です。


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