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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

桜満開(三) 桂昌院のしだれ桜

 「それは何と言っても、桂昌院様お手植えのしだれ桜が、京都では一番の桜と違いますか」
という言葉を生粋の京都人(3代100年程度ではまだまだよそ者、到底京都人としては認められないとよく言われます)の何人かの方から伺ったことを思い出して、では今年の桜の締めくくりは、遠出をし、桂昌院ゆかりの古刹、善峯寺(よしみねでら)にしようと決めました。
 まずは桂昌院についての予備知識から。

   桂昌院について
 5代将軍、徳川綱吉の生母である桂昌院の出自は京都。
 京都の社寺を巡ると、「桂昌院ゆかりの」とか「桂昌院寄進の」とかの縁起をよく目にします。
 絶大な権勢を誇り、「生類憐みの令」の影の立役者とまで言われて歴史にその名を留めていることは周知の通りです。
 悪評高い「生類憐みの令」ですが、世界初の動物愛護令であり、実は儒教に基づく文治政治の一環であり、その目指すところは、むやみな殺生を戒め、平和を希求するものであったのだと、近年その真価が見直されてきています。

 数奇な運命を辿った女性、桂昌院の若き日の名は「玉」、「玉の輿」は桂昌院のシンデレラストーリーから生まれた言葉とよく言われます。

 善峯寺寺伝によると
 「寛永4年(1627)京都堀川に生まれて、6歳の時に義兄善峯寺成就坊賢海の許にて母の栄女とともに同居されます。後に師父宗正の許に帰り13才で父を亡くします。正保元年(1644)継母お蒔女の紹介により、春日局に従い江戸に下り、徳川家に仕えます。これより幼名お吉をお玉と改めます。

 彼女の実家については西陣織屋、或いはかなり貧しかった八百屋、畳屋、等諸説伝わっており、京都にもそれらしい生誕の地がいくつも名乗りを上げているものの、信義は未だ定かではないようです。
 
 そんな桂昌院の「お手植えのしだれ桜」を訪ねて、善峯寺に向かいました。

   雨の西山善峯寺
 最寄駅は、阪急 東向日駅、ここから徒歩2時間約7キロの急な山道を延々と登り続ける覚悟だったのですが、幸い一時間に一本だけのバスに乗ることが出来ほっと一息。ずっと上天気が続いている中、この一日だけが冷たい雨降り。
バスの窓から
午後からは雨もやむという天気予報に、森閑とした西山の険しい斜面に立つ善峯寺に降る雨の中のしだれ桜も格別なのではと、酔狂な興味から出かけたのですが、バスに乗っていてさえも心細くなるような暗い空と寂しく険しくなる山道。窓を雨が濡らします。

 バス停を降りて、15~20分位、雨の参道(山道)を登り、ようやく山門が見えてきました。
到着 山門

しだれ桜
辺りは靄がかかったような幻想的な雰囲気、遠く見る山々、京都の街の遠景が水墨画のように墨色の色合いを感じさせますが、でも100本以上あるという桜の薄いピンクが柔らかさを添えます。
白山桜苑2


彼岸桜、枝垂れ桜、牡丹桜、・・・それぞれの個性が全山を彩っていました。

遊龍1

 「遊龍の松」と名付けられた天然記念物の五葉松。全長37mで日本一の松なのだそうです。一枚の写真にはどうしても収めきれませんでした。
本堂



「本堂」をお参りする頃、雨脚が突然強くなって、カメラのレンズを濡らします。「桂昌院廟」へ。

桂昌院廟への石段


 京都の街が一望できる高台に桂昌院廟(墓地)があります。
 幼少の頃、母と暮らした善峯寺、こんな険しい山寺を、彼女は江戸城で権勢を誇ってもずっと想い、ここに眠ることを望んだのですね。

 寺伝にこのような説明もあります。
 徳川綱吉の外祖父、桂昌院の父である本庄氏が当山の薬師如来に一女子を得ることを祈願するとすぐに女の子が生まれ、この子が後に転じて将軍の侍女となり、徳川家光の寵愛を得て綱吉を産み、家光薨去により桂昌院と号されます。桂昌院はこの出生の報恩を謝して、伽藍を改建して諸器什物を寄付し、またしばらく綱吉より寺封(資金補助)が出されました。
桂昌院廟
 桂昌院廟に桂昌院の詠んだ次のような歌が記されていました

  たらちをの 願いをこめし 寺なれば
  われも忘れじ 南無薬師仏
        (注 たらちを=父)
厄除けの鐘

貞享4年(1687)桂昌院によって寄進された「厄除けの鐘」。

元禄4年(1691)桂昌院は全山の伽藍を改建されました。
現存の鐘楼・観音堂・護摩堂・鎮守社・薬師堂・経堂は、桂昌院によって寄進復興されたもの、また綱吉と桂昌院により『四季繁昌絵巻』、「如法三衣」、「梨子地葵・繋九目紋蒔絵膳具」をはじめ、百点を超える幾多の貴重な什物が寄進されました。これら文化財の一部は文殊寺宝館に展示しています。

経堂多宝塔 霧に包まれる
桂昌院廟を降りると、手前に「多宝塔」そして「経堂」、経堂に添うように、樹齢300年と言われる桂昌院お手植えの「しだれ桜」が見えます。
     手植えの桜
白山桜苑

 「白山桜あじさい苑」と名付けられた散策道を眼下にして。

 霧雨に変わって、しっとりと靄をけぶらせていました。
馬酔木

道端の馬酔木。

歴史を包み込むように、季節を巡らす美しい雨の日の古刹です。





   日差しの中の西山善峯寺
 翌日は上天気。
 晴れた日も行ってみなければと、何故か張り切ってしまいました。
 再び、今度は山道ハイキング。

  <鐘楼で>
鐘つき

 「撮りましょう」とお庭の手入れをしていらっしゃる方に声を掛けられて。

 美しい梵鐘が全山に響き渡ります。


  <再び桂昌院廟>
桂昌院廟晴れ 京都の遠景
 光を受けると印象が変わります。春霞の中に京都の町並みが。春爛漫。

  <お手植えのしだれ桜 桜と楓の共演>
 陽を受ける桜はやはり格別です。
枝垂桜晴れ 根元
 昨日は気づきませんでしたが、根元を見ると、桜と楓の幹が絡み合って合体木となっていて、自然の妙を感じます。楓の葉も、もう少しで開きます。

 一隅に据えられていた歌碑には
 「春ははな 秋はもみじのむすび木は この世のしやわせ めでたかりけり」
 と記されていました。
歌碑 桜と楓

  <白山桜あじさい苑>
  白山苑2
 艶やかに咲く桜 桜
 今年の花便りの最後を飾っています。

  <オマケ>
 善峯寺のHPに平成11年(1999年)に放映されたJR東海のCMが掲載されていました。キャッチフレーズは
「ここの桜のように一年でたった一回でもいい。人をこんなにも喜ばせる仕事ができればなんて思いました。」

 心憎い言葉です。
 映像も美しいので、よろしければご覧ください。
    



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