
少年老い易く
どんど焼きが済むと、子供たちの頭から完全に正月というものはなくなって行った。
正月はもう過ぎ去った一つの事件であるに過ぎない。
正月はもう終わってしまったのである。
この頃から伊豆の天城山麓の村々は本格的な寒さに見舞われた。
井上靖の自伝的長編小説『しろばんば』の一節ですが、この時期になるといつも鮮明に浮かびがってくる文章です。
大正初期の伊豆の鄙びた山村で育った耕作少年の成長の物語。
自然に包まれ、季節の流れに身を置きながら、その中で穏やかに営まれてゆく路傍の人々の質実な生活ぶりと心模様が細やかに描かれています。

どんど焼きの日に、子供たちは皆、一斉に自分の書いた書初めを火にくべるのですが、その時、耕作は同級生あき子の書初めの
「少年老い易く 学成り難し 一寸の光陰 軽んずべからず」とある、大きく力強い文字を見てしまいます。
彼はその瞬間、今すぐ土蔵へ帰り勉強をしたいような身の引きしまる気持ちにかられます。
私が『しろばんば』を初めて読んだのは小学校の高学年の頃だったかと記憶しています。このどんど焼きの場面は特に印象的で、耕作のこの思いにとても共感を覚えました。
「少年老い易く、学成り難し」、今や「少年」は遥か遠く、「学成り難し」も嫌というほど実感しているのですが、でも、お正月を過ぎたちょうど今頃の季節になると、「一寸の光陰軽んずべからず」の言葉が、胸の奥から一種の哀感を持って湧き出してくる気がするのです。
『しろばんば』の授業
中学一年の国語の教科書には、以前はどの出版社にも『しろばんば』の一部分が掲載されていました。最近はどうなのでしょうか?急速に教科書事情も変わってきて、定かではありませんが。(大抵は、このどんど焼きの次に登場する「ひよどりのわな」事件の場面が載っていました。)

私は嘗て、中・高一貫のカトリック系の女子校で教鞭を執っていましたが、中学一年の授業を受け持つときには、この『しろばんば』を、一冊丸ごと3か月近くをかけて精読するという試みを行っていました。
新潮文庫で528ページもある長編小説を全員に購入してもらい、これを教科書代わりに読み進めるという非常に冒険的な授業だったといえます。
中学に入ったばかりの若葉が芽吹くようなこの時期に、これまで手に取ったこともない細かい文字の詰まった厚い文庫本を一冊、初めから最後まで授業の中で丁寧に読破するという経験が、読書をすることへの自信と興味、本を読むということがどんなことなのかという実感を体得させる契機になったのではと、その後の生徒たちの成長ぶりから、自負しています。
その後もずっと中学一年で『しろばんば』一冊という伝統は、学校の中で定着し、幸いユニークな国語教育としての評価も得ることができました。
蛇足ですが、この時期になると鎌倉、藤沢の書店から『しろばんば』が一斉に消えて、買い難くなるという伝説が生まれ、後には学校で一括購入をすることになりました。
「年賀状これにて終了」について
私は普段から手紙を書くのが大好きですし、お正月は「年賀状は必須」という古いタイプであるようです。
教え子や友人に宛て、驚くほどの枚数になっています。
一年間の年月を思い、言葉を添える、年賀状は年の瀬の大忙しの一大行事。
確かに、これがなくなれば随分楽になることには間違いないのですが。
そんな中で、「これにて年賀状を終えたいと思います」、「これからはメールかラインで」の通知が今年も何枚かありました。
人それぞれの考え方で、これも大いにありかもしれませんね。
「虚礼廃止」、もっと便利な通信方法はたくさんあり、手紙をやり取りする習慣も激減している昨今であり、また、終活の一つとして心身ともに「身軽に」ということもよく理解できます。
私の高齢の両親は病身ですが、年賀状は続けており、とても丹念に文章も書き添えています。
「友人が亡くなっていき年賀状も減っていく」と寂しそうに呟いていました。
それでも、来年はどんな図案にしようかと、もう話していて、我が親ながら、あっぱれ!・・・・血筋なので、私もきっと、ずっと続けてゆくことになりそうです・・・・。
ウズベキスタンからの年賀状
海外にも友人、知人が何人もいて、年賀状は私にとって、そのやり取りができる楽しいきっかけでもあります。
教え子の一人Hさんからこんなお便りが届きました。

「青の都」としてしか知らなかったウズベキスタンが、私にとっても、急に身近で大事な国になりました。
Hさんは聡明で暖かく誠実な方、ウズベキスタンでたくさんの豊かな経験を重ねて健やかにお嬢様たちを育ててゆかれることでしょう。
心からのエールを込めて、彼女からの素敵なお便りを、途中割愛しながらご紹介いたしますね。
実は、私たち家族は、今は主人の仕事の都合でウズベキスタンにて暮らしております。あと2,3年はこちらで生活する予定です。
長女が小学5年の後半から、本格的に中学受験に向けて母娘ともに頑張っていましたが、受験日数日前に、まさかの駐在の話を聞かされました
家族一緒に海外生活を送る最後のチャンスだと思い、そこから急遽、高校から戻れる一貫校へと受験校を変えて受験。そしてウズベキスタンへ移住という、ドタバタの2019年でした。
2020年は、少し落ち着いた年になればと、思っております。
ウズベキスタンは意外なほど住みやすく、治安も日本より良いくらいです。人も優しく、綺麗な世界遺産も沢山あり、文化的にもとても興味深い国です。が、日本人がほとんど居ないのと、世界に二つしかない二重内陸国の一つなので、魚が食べられないのと、英語も全く通じないのが不便です(^^;;
日本人学校が無いので娘たちはインタースクールです。次女はアルファベットもままならないゼロからの英語生活ですが、私に似て超がつくほど楽天的姉妹なので、長女も次女もそれなりに楽しく学校生活を送っています。
2020年の始まり、皆様にとって良い一年となりますように。
どんど焼きが済むと、子供たちの頭から完全に正月というものはなくなって行った。
正月はもう過ぎ去った一つの事件であるに過ぎない。
正月はもう終わってしまったのである。
この頃から伊豆の天城山麓の村々は本格的な寒さに見舞われた。
井上靖の自伝的長編小説『しろばんば』の一節ですが、この時期になるといつも鮮明に浮かびがってくる文章です。
大正初期の伊豆の鄙びた山村で育った耕作少年の成長の物語。
自然に包まれ、季節の流れに身を置きながら、その中で穏やかに営まれてゆく路傍の人々の質実な生活ぶりと心模様が細やかに描かれています。

どんど焼きの日に、子供たちは皆、一斉に自分の書いた書初めを火にくべるのですが、その時、耕作は同級生あき子の書初めの
「少年老い易く 学成り難し 一寸の光陰 軽んずべからず」とある、大きく力強い文字を見てしまいます。
彼はその瞬間、今すぐ土蔵へ帰り勉強をしたいような身の引きしまる気持ちにかられます。
私が『しろばんば』を初めて読んだのは小学校の高学年の頃だったかと記憶しています。このどんど焼きの場面は特に印象的で、耕作のこの思いにとても共感を覚えました。
「少年老い易く、学成り難し」、今や「少年」は遥か遠く、「学成り難し」も嫌というほど実感しているのですが、でも、お正月を過ぎたちょうど今頃の季節になると、「一寸の光陰軽んずべからず」の言葉が、胸の奥から一種の哀感を持って湧き出してくる気がするのです。
『しろばんば』の授業
中学一年の国語の教科書には、以前はどの出版社にも『しろばんば』の一部分が掲載されていました。最近はどうなのでしょうか?急速に教科書事情も変わってきて、定かではありませんが。(大抵は、このどんど焼きの次に登場する「ひよどりのわな」事件の場面が載っていました。)

私は嘗て、中・高一貫のカトリック系の女子校で教鞭を執っていましたが、中学一年の授業を受け持つときには、この『しろばんば』を、一冊丸ごと3か月近くをかけて精読するという試みを行っていました。
新潮文庫で528ページもある長編小説を全員に購入してもらい、これを教科書代わりに読み進めるという非常に冒険的な授業だったといえます。
中学に入ったばかりの若葉が芽吹くようなこの時期に、これまで手に取ったこともない細かい文字の詰まった厚い文庫本を一冊、初めから最後まで授業の中で丁寧に読破するという経験が、読書をすることへの自信と興味、本を読むということがどんなことなのかという実感を体得させる契機になったのではと、その後の生徒たちの成長ぶりから、自負しています。
その後もずっと中学一年で『しろばんば』一冊という伝統は、学校の中で定着し、幸いユニークな国語教育としての評価も得ることができました。
蛇足ですが、この時期になると鎌倉、藤沢の書店から『しろばんば』が一斉に消えて、買い難くなるという伝説が生まれ、後には学校で一括購入をすることになりました。
「年賀状これにて終了」について
私は普段から手紙を書くのが大好きですし、お正月は「年賀状は必須」という古いタイプであるようです。
教え子や友人に宛て、驚くほどの枚数になっています。
一年間の年月を思い、言葉を添える、年賀状は年の瀬の大忙しの一大行事。
確かに、これがなくなれば随分楽になることには間違いないのですが。
そんな中で、「これにて年賀状を終えたいと思います」、「これからはメールかラインで」の通知が今年も何枚かありました。
人それぞれの考え方で、これも大いにありかもしれませんね。
「虚礼廃止」、もっと便利な通信方法はたくさんあり、手紙をやり取りする習慣も激減している昨今であり、また、終活の一つとして心身ともに「身軽に」ということもよく理解できます。
私の高齢の両親は病身ですが、年賀状は続けており、とても丹念に文章も書き添えています。
「友人が亡くなっていき年賀状も減っていく」と寂しそうに呟いていました。
それでも、来年はどんな図案にしようかと、もう話していて、我が親ながら、あっぱれ!・・・・血筋なので、私もきっと、ずっと続けてゆくことになりそうです・・・・。
ウズベキスタンからの年賀状
海外にも友人、知人が何人もいて、年賀状は私にとって、そのやり取りができる楽しいきっかけでもあります。
教え子の一人Hさんからこんなお便りが届きました。

「青の都」としてしか知らなかったウズベキスタンが、私にとっても、急に身近で大事な国になりました。
Hさんは聡明で暖かく誠実な方、ウズベキスタンでたくさんの豊かな経験を重ねて健やかにお嬢様たちを育ててゆかれることでしょう。
心からのエールを込めて、彼女からの素敵なお便りを、途中割愛しながらご紹介いたしますね。
実は、私たち家族は、今は主人の仕事の都合でウズベキスタンにて暮らしております。あと2,3年はこちらで生活する予定です。
長女が小学5年の後半から、本格的に中学受験に向けて母娘ともに頑張っていましたが、受験日数日前に、まさかの駐在の話を聞かされました
家族一緒に海外生活を送る最後のチャンスだと思い、そこから急遽、高校から戻れる一貫校へと受験校を変えて受験。そしてウズベキスタンへ移住という、ドタバタの2019年でした。
2020年は、少し落ち着いた年になればと、思っております。
ウズベキスタンは意外なほど住みやすく、治安も日本より良いくらいです。人も優しく、綺麗な世界遺産も沢山あり、文化的にもとても興味深い国です。が、日本人がほとんど居ないのと、世界に二つしかない二重内陸国の一つなので、魚が食べられないのと、英語も全く通じないのが不便です(^^;;
日本人学校が無いので娘たちはインタースクールです。次女はアルファベットもままならないゼロからの英語生活ですが、私に似て超がつくほど楽天的姉妹なので、長女も次女もそれなりに楽しく学校生活を送っています。
2020年の始まり、皆様にとって良い一年となりますように。


