
久しぶりに散歩に出ました。

昼間の錦市場、店のシャッターの多くは閉まり、行き交う人もまばらで、別世界の様です。
そして、鴨川べりへ。
犬を散歩させる人が、マスク姿で、離れて歩いています。

鴨たちは、変わらぬのどかな様子で、眩しい日差しを楽しんでいました。
距離を置く
GWが始まろうとしています。
様々な注意勧告の中、沖縄便の予約は6万人、営業を継続するパチンコ屋に並ぶ列も減ることはなく、連休中に感染者数もまた増大するのではと、嫌な緊張感が走ります。
医療を初めとして、私たちの日々の生活と安全を守るべく、身を挺して働いて下さっている多くの現場の方々、そしてそれに報いたいと、それぞれの立場で、感謝や応援や協力や、心温まるたくさんの支えも届けられています。
こういう時こそ、どうあるべきなのか、全体としても個人としてもその姿が真に問われますし、まさに品格を持って踏ん張る正念場なのだと思います。
でも一方で、これまで恵まれ過ぎてきた生活環境や平和の中で、逆境に耐える心が脆弱になっていることも事実なのでしょう。
「快」でないことのストレスに耐えられず、自分だけはと逃げ道を探すことも、いたずらに恐れて鬱々と囚われてしまうことも、正しいことではありません。
自分一人の災難ではないのだから、もう仕方がない。
覚悟を決めるしかありませんよね。
先日の読売新聞の「編集手帳」に、「「よそよそしい」、「よそ様」などというときの「よそ」は「余所」と書く」という記事が載っていました。
「所を余す」は「距離を置く」の意味で、普通は、「よそよそしい」という否定的なニュアンスを感じるのだが、・・・・という書き出しから、昨今の状況へと続いてゆきます。
筆者は、スーパーのレジや、電車のホームに、自然と距離を置きながら待っている人々の姿を見て、今、「困難に立ち向かおうと大勢の人が呼吸を合わせていることは確かだろう。」と述べています。
そして「<距離を置く>とは、ひととき、みなが力を合わせ、災難を乗り切る意があった・・・と後の世の辞書に載せよう。」と結んでいます。
切なる想いが伝わってきて、心に染みました。
「密接」は、親しさを図る尺度ではありますが、翻ってみると、卑近距離であることに盲目的に寄りかかってきた甘えの構造を、裏面に隠し持っていたのかもしれません。
「快」に依存しすぎないで、適度な間合いを心に保つという、難しいですが、誰にとっても、そういう、心身に「距離を置く」鍛錬をする時なのかもしれないと思います。
ラパン・アジルの思い出

前回のブログ記事『巴里野郎』閉店で、モンマルトルにあるシャンソニエ「ラパン・アジル」のことを載せたのですが、ラパン・アジルでの思い出が、懐かしく蘇ってきましたので、少しご紹介してみようかと思います。
シャンソンの殿堂として、長い歴史を持ち、現在に至っているラパン・アジルですが、これまでに何回か訪れたことがあります。
オ・ラパン・アジル (Au Lapin Agile)
1795年に宿屋として設立されたのが最初で、19世紀中頃からキャバレーとして知られるようになった。

1875~1880年に風刺画家アンドレ・ジルが描いた看板から「ラパン・アジル」と呼ばれ、何度か取り壊しの危機を免れ、多くの歌手、音楽家を輩出し現在に至っている。
ジルが描いた、酒瓶を持って鍋から飛び出したウサギの絵が「ジルのウサギ (ラパン・ア・ジル; lapin à Gill)」として人気を博し、以後、店そのものが「ラパン・アジル」(Lapin Agile; 足の速いウサギ) と呼ばれるようになった (ウキペディア参照)
初めて訪れた時だったかと思います。
21時開店、狭い入り口から中に通されます。
店内には、赤いランプシェードのかかった薄暗いサロンが広がり、一瞬得体のしれない世界に迷い込んでしまったような心細さに襲われるのですが、赤い光に目が慣れてくると、ここは歳月を経たノスタルジックな別世界なのだと了解されてきます。

サロンの中央に年季の入った大きなテーブル。
壁一面には、ラパン・アジルの歴史を語るように、巨匠たちの絵画が無造作に掲げられ、お客さんは四隅を囲む椅子に自由に座ります。
やがて、小さなグラスに甘いシェリー酒が運ばれて一息ついていると、歌手たちがぞろぞろと登場、中央のテーブルの周りに着席し、突然合唱が始まるのです。
これが、ラパン・アジルの定番スタイル。
歌手たち、と言ってもデニムにTシャツ、洗いざらしの仕事着で、女性はアクセサリー一つつけず、化粧もしていない
あまりにも普通で、着飾ってライトに照らされる、日本のシャンソニエのイメージとは全く違います。

いつものピアノ弾きのお爺さんが、撫でるように柔らかく奏で始めると、ライブの始まりです。
マイクもなく、一人が歌い終わると、一人が立ちあがり歌う
友人の家で呑むうちに、じゃあ歌でも、という雰囲気です。
この日のお客さんは、そのほとんどが年配者で、ご近所の常連のように見えました。観光客も混ざっていたのでしょうが、日本人は他にはいませんでした。
ピアノ弾きのお爺さんは、この店の責任者だったのかもしれません。
細やかな気配りがさりげなくて、居心地の良い時間が生まれていました。
それぞれの歌手が、それぞれの声で、切なく、あるいは朗々と歌い、もはや、上手なのかどうか、よく分からなくなってきます。
でも、それが、心地よい味わい。
歌うシャンソンは、完全に懐メロで、100年も前から同じように歌ってきたのではと思われるほど、よく知られた往年の名曲ばかりでした。
フランス人ならだれでもが口ずさめるのでしょう。
「さあ、みんなで!」と歌手が促すと、観客も声をそろえて気持ちよさそうに唱和する、日本の歌声喫茶も、こんな感じだったのではないでしょうか?
知っている曲ばかりでしたので、私も大きな声で歌っていました。
「日本から来たのだ」と言うと、とても歓迎してくれ、質問攻め、最後には「何か歌って」ということに。
ジャック・ブレルの『Quand on n'a que l'amour(愛しかないとき)』の前奏が流れてきました。
これならフランス語で歌える
ちょっと勇気を出して、フルコーラス歌ってしまいました。
ブラボーの声
ダンディーなピアニストのお爺さんに、強くハグされて、すっかりご機嫌の夜でした。
このコロナ騒ぎで、ラパン・アジルは今、休業しているのでしょうね。
あのピアニストのお爺さんはまだお元気なのでしょうか。
お互いの呼吸と音の響きを感じ合える「密接」が、何でもなかった幸せな感覚が蘇ります。
何の屈託もなく、肩を寄せ合い、音楽を楽しめる日が、早くまた訪れますように。

昼間の錦市場、店のシャッターの多くは閉まり、行き交う人もまばらで、別世界の様です。
そして、鴨川べりへ。
犬を散歩させる人が、マスク姿で、離れて歩いています。


鴨たちは、変わらぬのどかな様子で、眩しい日差しを楽しんでいました。
距離を置く
GWが始まろうとしています。
様々な注意勧告の中、沖縄便の予約は6万人、営業を継続するパチンコ屋に並ぶ列も減ることはなく、連休中に感染者数もまた増大するのではと、嫌な緊張感が走ります。
医療を初めとして、私たちの日々の生活と安全を守るべく、身を挺して働いて下さっている多くの現場の方々、そしてそれに報いたいと、それぞれの立場で、感謝や応援や協力や、心温まるたくさんの支えも届けられています。
こういう時こそ、どうあるべきなのか、全体としても個人としてもその姿が真に問われますし、まさに品格を持って踏ん張る正念場なのだと思います。
でも一方で、これまで恵まれ過ぎてきた生活環境や平和の中で、逆境に耐える心が脆弱になっていることも事実なのでしょう。
「快」でないことのストレスに耐えられず、自分だけはと逃げ道を探すことも、いたずらに恐れて鬱々と囚われてしまうことも、正しいことではありません。
自分一人の災難ではないのだから、もう仕方がない。
覚悟を決めるしかありませんよね。
先日の読売新聞の「編集手帳」に、「「よそよそしい」、「よそ様」などというときの「よそ」は「余所」と書く」という記事が載っていました。
「所を余す」は「距離を置く」の意味で、普通は、「よそよそしい」という否定的なニュアンスを感じるのだが、・・・・という書き出しから、昨今の状況へと続いてゆきます。
筆者は、スーパーのレジや、電車のホームに、自然と距離を置きながら待っている人々の姿を見て、今、「困難に立ち向かおうと大勢の人が呼吸を合わせていることは確かだろう。」と述べています。
そして「<距離を置く>とは、ひととき、みなが力を合わせ、災難を乗り切る意があった・・・と後の世の辞書に載せよう。」と結んでいます。
切なる想いが伝わってきて、心に染みました。
「密接」は、親しさを図る尺度ではありますが、翻ってみると、卑近距離であることに盲目的に寄りかかってきた甘えの構造を、裏面に隠し持っていたのかもしれません。
「快」に依存しすぎないで、適度な間合いを心に保つという、難しいですが、誰にとっても、そういう、心身に「距離を置く」鍛錬をする時なのかもしれないと思います。
ラパン・アジルの思い出

前回のブログ記事『巴里野郎』閉店で、モンマルトルにあるシャンソニエ「ラパン・アジル」のことを載せたのですが、ラパン・アジルでの思い出が、懐かしく蘇ってきましたので、少しご紹介してみようかと思います。
シャンソンの殿堂として、長い歴史を持ち、現在に至っているラパン・アジルですが、これまでに何回か訪れたことがあります。
オ・ラパン・アジル (Au Lapin Agile)
1795年に宿屋として設立されたのが最初で、19世紀中頃からキャバレーとして知られるようになった。

1875~1880年に風刺画家アンドレ・ジルが描いた看板から「ラパン・アジル」と呼ばれ、何度か取り壊しの危機を免れ、多くの歌手、音楽家を輩出し現在に至っている。
ジルが描いた、酒瓶を持って鍋から飛び出したウサギの絵が「ジルのウサギ (ラパン・ア・ジル; lapin à Gill)」として人気を博し、以後、店そのものが「ラパン・アジル」(Lapin Agile; 足の速いウサギ) と呼ばれるようになった (ウキペディア参照)
初めて訪れた時だったかと思います。
21時開店、狭い入り口から中に通されます。
店内には、赤いランプシェードのかかった薄暗いサロンが広がり、一瞬得体のしれない世界に迷い込んでしまったような心細さに襲われるのですが、赤い光に目が慣れてくると、ここは歳月を経たノスタルジックな別世界なのだと了解されてきます。

サロンの中央に年季の入った大きなテーブル。
壁一面には、ラパン・アジルの歴史を語るように、巨匠たちの絵画が無造作に掲げられ、お客さんは四隅を囲む椅子に自由に座ります。
やがて、小さなグラスに甘いシェリー酒が運ばれて一息ついていると、歌手たちがぞろぞろと登場、中央のテーブルの周りに着席し、突然合唱が始まるのです。
これが、ラパン・アジルの定番スタイル。
歌手たち、と言ってもデニムにTシャツ、洗いざらしの仕事着で、女性はアクセサリー一つつけず、化粧もしていない
あまりにも普通で、着飾ってライトに照らされる、日本のシャンソニエのイメージとは全く違います。

いつものピアノ弾きのお爺さんが、撫でるように柔らかく奏で始めると、ライブの始まりです。
マイクもなく、一人が歌い終わると、一人が立ちあがり歌う
友人の家で呑むうちに、じゃあ歌でも、という雰囲気です。
この日のお客さんは、そのほとんどが年配者で、ご近所の常連のように見えました。観光客も混ざっていたのでしょうが、日本人は他にはいませんでした。
ピアノ弾きのお爺さんは、この店の責任者だったのかもしれません。
細やかな気配りがさりげなくて、居心地の良い時間が生まれていました。
それぞれの歌手が、それぞれの声で、切なく、あるいは朗々と歌い、もはや、上手なのかどうか、よく分からなくなってきます。
でも、それが、心地よい味わい。
歌うシャンソンは、完全に懐メロで、100年も前から同じように歌ってきたのではと思われるほど、よく知られた往年の名曲ばかりでした。
フランス人ならだれでもが口ずさめるのでしょう。
「さあ、みんなで!」と歌手が促すと、観客も声をそろえて気持ちよさそうに唱和する、日本の歌声喫茶も、こんな感じだったのではないでしょうか?
知っている曲ばかりでしたので、私も大きな声で歌っていました。
「日本から来たのだ」と言うと、とても歓迎してくれ、質問攻め、最後には「何か歌って」ということに。
ジャック・ブレルの『Quand on n'a que l'amour(愛しかないとき)』の前奏が流れてきました。
これならフランス語で歌える
ちょっと勇気を出して、フルコーラス歌ってしまいました。
ブラボーの声
ダンディーなピアニストのお爺さんに、強くハグされて、すっかりご機嫌の夜でした。
このコロナ騒ぎで、ラパン・アジルは今、休業しているのでしょうね。
あのピアニストのお爺さんはまだお元気なのでしょうか。
お互いの呼吸と音の響きを感じ合える「密接」が、何でもなかった幸せな感覚が蘇ります。
何の屈託もなく、肩を寄せ合い、音楽を楽しめる日が、早くまた訪れますように。


