
ご遺族のことば

6月5日、横田滋さんが亡くなられました。
めぐみさんが拉致されてから43年間にわたる救出活動、途半ばにしてのご逝去は、無念いかばかりだったことでしょう。
翌日のご遺族の記者会見、滋さんの人となりやご家族の皆様の絆の深さは、以前読んだご著書や講演会や映画などでもよく知っていましたが、改めて、語られる一言一言に深い感銘を受けました。
情愛に満ちた、そして芯の通った確かな品格をご家族の皆様から感じましたし、記者質問も、そのエピソードやご家族の思い、歩まれてきた軌跡についてが中心だったように思います。
滋さんがいかに秀逸な方だったかを導き出すような質問に対して、弟拓也さんがお答えになった言葉が心に残りました。
「そうではなく、自分たちはごく普通の家族であり、父もまたそうだったのではと思います。」「娘が理不尽にも連れ去られた人の親であれば、誰だって同じことを思い、同じことをしていたのではないでしょうか」「これは横田家の問題なのではなく、日本の家族の誰しもがこうなったかもしれないという、自分の子供が、親が、兄弟が、同じ状況に遭遇したらどうなのか、誰でも同じ可能性があったことを思い、国全体が自分の事として、この大きな人権蹂躙について考えて頂きたいと思うのです」
マスメディアも大局を見据える巨視的な観点から揺るぎなく問題を取り上げ伝え続けてほしいという強い要請を率直に述べていらっしゃいました
国家を論じる一大事も、芸能人のゴシップネタも同じ溯上で話題性だけを追うようなワイドショー感覚に、マスコミも乗りがちになっている昨今への警鐘でもあるように感じました。
滋さんの43年間はまさに、そのような大きな問題への尽きぬ挑戦でもあったのでしょう。思いを受け継いでいく覚悟に満ちたご家族の言葉が心に残ります。
詩のことば
石垣りんさんの『時の記念日に』という詩。
以前から知っていましたが、今回心惹かれるものを感じ、改めて読み直してみました。
私たちが一日のうちに 一番たくさん問いかけること
いま 何時?
自分に向かって 周囲の人に向かって。
それはたやすく答えられる
時計さえあれば
ちいさな子供でも答えられる。
単純明快な時刻というもの
自分も他人も信じて疑わないもの
これほどかたちのない
これほど正確なものが存在するだろうか。
しかもなお 限りなく尋ね続ける
生きている命の この一瞬
いま、何時?
先の横田さんのお話もそうですし、コロナの脅威の中での昨今、「いま 何時?」と、生きていることを問われている気がします。
店長のことば
コンサートの時に着用するステージドレスを探すのはなかなか大変で、折に触れ、いくつかのお店を見て回ったりしています。
そんな中のお気に入りの一つに「イソリ」があります。
今はこんなご時世ですから、コンサートライブは軒並み見合わせ、ドレスショップも休業中のお店が多いのですが、先日、イソリのネットを見ていましたら、こんな記述がありました。
店舗での接客は不可能と結論いたしました。
日々ご来店される人々と商品の安全を、どのように確保できるのか検討した結論です。
マスクや換気、動線で安全確保できる部分もあります。
・・・・・
一番の課題は試着後のドレスを次の試着までに安全なものにすることの難しさです。
直接に素肌が触れる商品にもかかわらず、試着の度に一着ずつ消毒液を吹きかけや洗濯はできません。
それが連日続き1週間で相当数になります。
昨日試着されたドレスを今日着ていただく訳にはまいりません。
ドレスショップ毎の考え方だと思いますが数を販売できればいいということではないのです。
音楽はかけがえのないもの、ドレスは素敵なステージの成功の一助を担うもの、こういう時だからこそ、コンサートを側面から応援せねばというオーナーの気概が溢れていて、仕事への矜持とはかくあるべしと、とても感銘を受けたのでした。
当面はネットで動画を配信し、品物を詳細に紹介することによって、お店に来られたと同様の感覚で販売していくとのことです。
早くコンサートを再開できますように。
社長のことば
新聞で読んだ話。
私も昔使っていた新潟の大手暖房機器メーカー「コロナ」の社長が、社名に心を痛めている社員の子供に向けて、送るという手紙。
もし、かぞくが、コロナではたらいているということで、キミにつらいことがあったり、なにかいやなおもいをしていたりしたら、ほんとうにごめんなさい。 かぞくも、キミも、なんにもわるくないから。
わたしたちは、コロナというなまえに、じぶんたちのしごとに、ほこりをもっています。キミのじまんのかぞくは、コロナのじまんのしゃいんです。
社員や家族を勇気づけるために、2300名の全社員にこのひらがなの手紙を送ることにしたそうです。石油コンロの青い炎と太陽の周囲に現れるコロナのイメージをあわせた「コロナ」がここにありました。
友人のことば
平凡であること、普通であることに徹するのは至難なところだが、ふつうの「日常」にこそ「生の充実」がある。
友人がポツリと口にしたことば、しっかりかみしめたいと思います。

6月5日、横田滋さんが亡くなられました。
めぐみさんが拉致されてから43年間にわたる救出活動、途半ばにしてのご逝去は、無念いかばかりだったことでしょう。
翌日のご遺族の記者会見、滋さんの人となりやご家族の皆様の絆の深さは、以前読んだご著書や講演会や映画などでもよく知っていましたが、改めて、語られる一言一言に深い感銘を受けました。
情愛に満ちた、そして芯の通った確かな品格をご家族の皆様から感じましたし、記者質問も、そのエピソードやご家族の思い、歩まれてきた軌跡についてが中心だったように思います。
滋さんがいかに秀逸な方だったかを導き出すような質問に対して、弟拓也さんがお答えになった言葉が心に残りました。
「そうではなく、自分たちはごく普通の家族であり、父もまたそうだったのではと思います。」「娘が理不尽にも連れ去られた人の親であれば、誰だって同じことを思い、同じことをしていたのではないでしょうか」「これは横田家の問題なのではなく、日本の家族の誰しもがこうなったかもしれないという、自分の子供が、親が、兄弟が、同じ状況に遭遇したらどうなのか、誰でも同じ可能性があったことを思い、国全体が自分の事として、この大きな人権蹂躙について考えて頂きたいと思うのです」
マスメディアも大局を見据える巨視的な観点から揺るぎなく問題を取り上げ伝え続けてほしいという強い要請を率直に述べていらっしゃいました
国家を論じる一大事も、芸能人のゴシップネタも同じ溯上で話題性だけを追うようなワイドショー感覚に、マスコミも乗りがちになっている昨今への警鐘でもあるように感じました。
滋さんの43年間はまさに、そのような大きな問題への尽きぬ挑戦でもあったのでしょう。思いを受け継いでいく覚悟に満ちたご家族の言葉が心に残ります。
詩のことば
石垣りんさんの『時の記念日に』という詩。
以前から知っていましたが、今回心惹かれるものを感じ、改めて読み直してみました。
私たちが一日のうちに 一番たくさん問いかけること

自分に向かって 周囲の人に向かって。
それはたやすく答えられる
時計さえあれば
ちいさな子供でも答えられる。
単純明快な時刻というもの
自分も他人も信じて疑わないもの
これほどかたちのない
これほど正確なものが存在するだろうか。
しかもなお 限りなく尋ね続ける
生きている命の この一瞬
いま、何時?
先の横田さんのお話もそうですし、コロナの脅威の中での昨今、「いま 何時?」と、生きていることを問われている気がします。
店長のことば
コンサートの時に着用するステージドレスを探すのはなかなか大変で、折に触れ、いくつかのお店を見て回ったりしています。
そんな中のお気に入りの一つに「イソリ」があります。
今はこんなご時世ですから、コンサートライブは軒並み見合わせ、ドレスショップも休業中のお店が多いのですが、先日、イソリのネットを見ていましたら、こんな記述がありました。
店舗での接客は不可能と結論いたしました。
日々ご来店される人々と商品の安全を、どのように確保できるのか検討した結論です。
マスクや換気、動線で安全確保できる部分もあります。
・・・・・
一番の課題は試着後のドレスを次の試着までに安全なものにすることの難しさです。
直接に素肌が触れる商品にもかかわらず、試着の度に一着ずつ消毒液を吹きかけや洗濯はできません。
それが連日続き1週間で相当数になります。
昨日試着されたドレスを今日着ていただく訳にはまいりません。
ドレスショップ毎の考え方だと思いますが数を販売できればいいということではないのです。
音楽はかけがえのないもの、ドレスは素敵なステージの成功の一助を担うもの、こういう時だからこそ、コンサートを側面から応援せねばというオーナーの気概が溢れていて、仕事への矜持とはかくあるべしと、とても感銘を受けたのでした。
当面はネットで動画を配信し、品物を詳細に紹介することによって、お店に来られたと同様の感覚で販売していくとのことです。
早くコンサートを再開できますように。
社長のことば
新聞で読んだ話。
私も昔使っていた新潟の大手暖房機器メーカー「コロナ」の社長が、社名に心を痛めている社員の子供に向けて、送るという手紙。
もし、かぞくが、コロナではたらいているということで、キミにつらいことがあったり、なにかいやなおもいをしていたりしたら、ほんとうにごめんなさい。 かぞくも、キミも、なんにもわるくないから。
わたしたちは、コロナというなまえに、じぶんたちのしごとに、ほこりをもっています。キミのじまんのかぞくは、コロナのじまんのしゃいんです。
社員や家族を勇気づけるために、2300名の全社員にこのひらがなの手紙を送ることにしたそうです。石油コンロの青い炎と太陽の周囲に現れるコロナのイメージをあわせた「コロナ」がここにありました。
友人のことば
平凡であること、普通であることに徹するのは至難なところだが、ふつうの「日常」にこそ「生の充実」がある。
友人がポツリと口にしたことば、しっかりかみしめたいと思います。


