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新しいシャンソンを新しい言葉に乗せて

   シャンソンの訳詞のつれづれに                      ~ 松峰綾音のオフィシャルブログへようこそ ~

二幕への序章

 コロナと熱中症のリスクの中で息をひそめるように過ごす夏となってしまいました。まだまだ辛抱が必要ですが、何はともあれ、めげることなく健やかに過ごしたいですね。

 家籠りの日々は、まず「家を旅する」ことから始めようとの友人の名言ですが、歌の活動がぴたりと止まっている現況の中で、ゆっくりと今、「我がシャンソンを旅する」のも良いのではという気がしています。

 シャンソンを初めて人前で歌った日のことを思い出し、前々回の記事『夕焼けのトラック』に綴ってみましたが、今日は、また別の、シャンソンの節目を旅してみようかと思います。

   「最初にして最後のコンサート」を決意する
 シャンソンは成行きで始めた趣味だったのですが、だんだん面白くなって4年間ほどレッスンを継続し、いわゆる有名な曲をかなりたくさん習得しました。
 当時教職にあり、多忙を極めていました。
 そのつかの間の気分転換に歌は何より心地よかったですし、生まれて初めて習った歌の世界が新鮮で、素直に心に染み入ってきた気がします。

 けれど、習い始めて4年目に公私ともに大きな転機が訪れました。
 鎌倉から京都に転居することとなり、それまで骨を埋めるほどの覚悟で愛着を持って従事していた教職を辞し、長年勤めた学校を離れることになったのです。
 
 学校での生活は、一日・一週間・一か月・一年のすべてのタイムスケジュールがしっかりと作り上げられていて、狂いなくそれに従って任務を遂行してゆくことがプロとしての使命でもありました。
 特にそういうことについては超真面目な私、それが長期間にわたって刻まれ続けたので、体内時計ではありませんが、それこそ身に刷り込まれていて、例えば昼食は12時15分から20分間・・・50分間の授業の後10分の休憩がありそれが一日7時間続き・・・というように全て規則正しく動いてゆくのです。
 朝は5時15分に起床して、お弁当作りまで含んで6時20分に家を出発するという毎日でした。

 それなのに、3月末日に退職した翌日からは毎日が休日となり、しばらくはどうしてよいかわからず、企業戦士のバーンアウトのような状態に陥りました。
 今、一時間目が始まった・・・とか、今日は月曜日、4時から職員会議がある・・・とか、果ては仕事に遅れる悪夢まで見る始末で、これから先どうやって生きていったらよいかという茫然自失のうつ症状のような日々だったように思います。

 そうは言っても、京都に転居する11月までの間に、これまでの後処理と今後の生活の準備など山のようにすべき仕事はあり、毎日飛び回っていたのですが。
 子供の頃から慣れ親しんだ鎌倉での生活、親戚縁者、多くの友人知人、そのすべてと離れて、新たな気持ちで新天地での生活に清々しく出発するために、目に見えるけじめを刻んで、気持ちを切り替えたいと、いつの間にか考えるようになっていました。

 その結果、思いついたのは唐突ながら「ランチタイムコンサート」

 お世話になった方たちや、大事な友人たち、親戚、そして同じ志を持って働いてきた職場の同僚、教え子たち、歌の仲間。
主だった方たちをご招待してこれまでのご縁に感謝を表わすささやかな会を催したいというアイディアが突然胸の奥を突き上げました。

 これまでのお礼の気持ちを伝えたい・・・・ゆっくりお食事を召し上がっていただこう・・・でも単なる食事会ではなくて、自分が最大限努力して今できる最高のおもてなしを添えたい・・・・趣味は今のところ歌しかないので、ではいっそ「シャンソンコンサート」を開催してみるのはどうだろうか・・・
 という突飛な発想で、80人ほどご招待のランチコンサートを行うことを即決しました。心によぎってから、会場を決定し、宣言するまで数日、しかも短い準備期間の中で、今思えば何という無謀な思い付きだったかと思います。

 一年に一回発表会はありましたが、でもそれは先生がすべて段取りして下さったものでしたし、それ以外に人前で歌うなど夢にも思っていませんでした。
 清水の舞台から飛び降りるつもりで立てたこの計画は、おそらく次の自分の人生へのステップを自分に課すような気負いだったのかもしれません。
 「一生に一回最初で最後のソロコンサート」、これを終えたらシャンソンも止めようかと考えていました。

   海の見えるホテルで
 今にして思えば,全力投球で心尽くしのコンサートだったように思います。
002 七里ガ浜の海を大きく臨むリゾートホテルの披露宴会場で、丸テーブルに席札付き、ホテル側も初めての試みということで、かなり肩入れをして下さったのですが、どこか勘違いで、まさにすべては披露宴そのものの設えでした。
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 ランチコースの後、1時間半のコンサートで、ピアノとチェロの演奏に乗せて全17曲・・・初心者の私がよくも挑戦したものだと冷や汗です。

 集まった方たちには、教師一辺倒だった私がステージで歌を歌っているということ自体が信じがたい光景で、上手いとか下手とかいう以前の、不思議な状況にただ茫然としていたのではないでしょうか。
001
 でも、ともかくも和気藹々とした温かい雰囲気の中で無事終えることができたのは、私の思いに共感してくれた友人や教え子の皆さんの全面的な協力のおかげに他なりません。
 一度だけだからという思いがあったからこそ、火事場の力が発揮できたのでしょうし、周囲も許して受け入れてくれたのだと思います。
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 シャンソンを習い、既成の訳詞で歌うことは、これが本当に最後となりました。その意味で、「我がシャンソン第一幕」はこの時下りた気がします。
 でもこの向こう見ずな挑戦で得たことも大きく、今もどこかで気持ちの後押しをしてくれているのかもしれません。
 その後、今度は自分で訳詞をした曲を歌うという活動を始めることとなり、今もって、相変わらずこれに関わっているのですからわからないものですよね。
 あのコンサートは「シャンソン第二幕への序章」でもあったのでしょう。

 人は、何かに決着をつけるとまた新たに違う道が開けてくる、という不思議なめぐりあわせを誰でも何回かは持っていて、そういう岐路、節目に今立っていると感じられる時があるのではと思うのです。

 人生は舞台で、最期の幕引きの時は誰にでも平等に訪れるのだとよく言います。
 ふいにあっけなく終幕を迎える人もいれば、美しい幕引きが用意されている幸福な人もいるのでしょう。
 自らの意志では動かしがたいことは別として、そして自分のステージが第何幕まであるのかも別として、最後の時がくるまで、引かれた幕を次のより良い幕への力に変えて行けたらといつも思います。



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We will meet again

 コロナ禍の中、4月5日にエリザベス女王が、イギリス国民に向けてビデオメッセージを発表されたその内容が国内外に感動を生んだことはまだ記憶に新しいですが、私もこのスピーチにとても感銘を受けました。
 特に反響の大きかった「we will meet again」という言葉。
 この言葉を今日は考えてみようかと思います。

   三遊亭金馬さんのオンライン落語
 先日NHKの「おはよう日本」で、「落語家・三遊亭金馬・91歳・戦争も新型コロナも乗り越えて」という特集を放映していました。
 今年91歳になられる三遊亭金馬さん。
 芸歴79年の現役落語家最長老ですが、2年前に脳梗塞で倒れて復帰が絶望的と思われていたそうです。けれど懸命なリハビリを続けられて、今は高座に復帰できるまでに回復なさいました。
 このコロナの時期、寄席も次々中止となる中、今回、江戸東京博物館でのオンライン落語「えどはく寄席」に初挑戦なさるという話題でした。
金馬
 ニコニコと終始微笑みを絶やさない金馬さん、江戸っ子の活舌で飄々と語る言葉が印象的でしたが、その中で「自分は長生きをしたおかげで、戦争も、闘病生活も、そして今度は未曾有のコロナまで経験させてもらうことができた。そういう中で考え感じてきた実感を落語に生かし、すべて笑いに変えてゆきたい」という強靭でしなやかなチャレンジ精神が本当に魅力的でした。

 コロナの時代もこれまで経験したことのない貴重な気づきととらえ、笑いと共感のネタにしてゆく、渦中での人間の心模様をじっと見つめ受け入れることによって、それを乗り越える力を得、笑いに変えるエネルギーにしてゆく、品格のある生き方とはこういうものなのだと、強く感銘を受けた次第です。
 誰もいない会場でただカメラに向かって落語を語り続ける金馬さんのその胸中には、きっと「we will meet again」と同様の思いが燃えていたに違いありません。

   エリザベス女王のスピーチ
 エリザベス女王のビデオメッセージは、新型コロナウイルスとの戦いに疲弊し混乱をきたしているイギリス国民に大きな勇気を与えたことでしょう。
 女王が特別な事態に際して国民に語りかけるのは、即位68年の間でこれが5度目なのだそうです。
エリザベス女王
 「私たちが、一丸となって団結し、強い意志を持ち続ければ、必ず病いは克服できる」
 「自律と不屈の心こそが大事で、将来「この困難に自分がどう対応したのか振り返ったとき、誇らしく思えるようになる」ことを願っている」

そして、
 「これからもまだ、色々耐えるべきことは多いが、必ず穏やかな日々が戻ってくる。それを支えにしてほしい。
  友だちにきっとまた会える。
  家族にもまた会える。
  私たちも 再び会いましょう」


 と結んでいました。
 「私たちはまた会いましょう」=「We will meet again」という結びの言葉は、第2次世界大戦中にイギリスで応援歌として愛唱されたヴェラ・リンの曲、「We will meet again」を踏まえた言葉なのだと聞きました。
 戦時下に愛する家族や恋人や友人と引き裂かれて、いつ再会できるとも知れないそんな不安なときの力強い応援歌だったのでしょう。

 世界中の人々が今置かれているこのコロナの状況は、本来あるべき人と人との絆や生活が根柢から覆された出来事と言えます。
 三密を避けて暮らさなければならない不自由な状態、リモートの距離感は、仕方がないとは言うものの、人が出会って、触れ合う本来の形とは言い難いのではないでしょうか。
 人にとって最も自然で心地よい幸せがきっと再び訪れる、それが「We will meet again」、今、国境を越えて大きく共感できる言葉だと思うのです。

 
   『スマホを捨てたい子どもたち』
 京都大学総長、山極寿一氏の6月発刊の著書を読みました。
山際
 山極さんは、小学生から高校生までの多くの若い層に、「スマホを捨てたいと思う人は?」と尋ねたところ、多くの子どもたちが手を挙げたという経験から、若い世代も、実はスマホを持て余しつつあるのではないか、と感じたというのです。

コロナ禍の時代を見据えながらこのような提言をしておられます。

 今、ぼくたちを取りまく環境はものすごいスピードで変化しています。人類はこれまで、農耕牧畜を始めた約1万2000年前の農業革命、18世紀の産業革命、そして現代の情報革命と、大きな文明の転換点を経験してきました。そして、その間隔はどんどん短くなっています。その中心にあるのがICT(Information and Communication Technology/情報通信技術)です。インターネットでつながるようになった人間の数は、狩猟採集民だった時代からは想像もできないくらい膨大になりました。
 一方で、人間の脳は大きくなっていません。つまり、インターネットを通じてつながれる人数は劇的に増えたのに、人間が安定的な信頼関係を保てる集団のサイズ、信頼できる仲間の数は150人規模のままだということです。
 テクノロジーが発達して、見知らぬ大勢の人たちとつながれるようになった人間は、そのことに気づかず、AIを駆使すればどんどん集団規模は拡大できるという幻想に取り憑かれている。こうした誤解や幻想が、意識のギャップや不安を生んでいるのではないか。 ぼくはそう考えています。そして、子どもたちの漠とした不安も、このギャップからきているのではないでしょうか。

 山極総長の語られるこれらの言葉にもまた、「we will meet again」が重なりました。もちろん論点は別ですが、人と人との真のつながりという共通した問題を提起されているのだと思うのです。

 また、「視覚と聴覚を使って他者と会話をすると、脳で、繋がったと錯覚するが、それだけでは、実は本当の信頼関係を築くことはできず、人とは、嗅覚、味覚、触角等の五感のすべてを使って人を信頼するようになる生き物だ」とも述べておられました。

 AIが成し得ないものがあるとすればそれは五感を通しての実感、信頼そのもので、「スマホを捨てたい子どもたち」はそういう漠然とした渇望を感じていると言えるのかもしれません。
 「we will meet again」の言葉がここでも切実な響きを持ってくるのでないでしょうか。


   「早くお会いできるようになると良いですね」
 友人・知人との電話の最後に、「早く穏やかな日々が戻って、またゆっくりお会いしてたくさんおしゃべりしたいですね」というのが最近の決まり文句になりました。
 相手からも私からも自然に素直に口をついで出てくる言葉です。
 早くそういう日が来ますように。


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